―ニセ本尊も「受持の対象外」となる矛盾―
―その正当性謳う宮田の牽強附会の妄説―
(『慧妙』H28.3.1)
平和主義を唱え、世界平和に貢献していると世間に吹聴(ふいちょう)する反面、その宗教基盤たる本尊と教義をコロコロと改変する宗教が存在する。日蓮世界宗創価学会である。
またも近年、改変した。会長の原田は、『聖教新聞』(H26.11.8)に掲載の会則改正事項の中で、本門戒壇の大御本尊を「受持の対象にはいたしません」また「学会が本尊を認定する」と、本尊の認定基準や教義内容を示すこともなく、いとも簡単に宗旨の根幹たる本尊義の改変を発表したのである。
しかし、この発表により、会員が所持する本尊(かつて日蓮正宗より下附された御歴代上人御書写の御本尊や、ニセ本尊作成の元となった日寛上人御書写の御本尊)には「奉書写之」(之を書写し奉る)とあるため、戒壇の大御本尊を受持の対象としないとなれば、会員が自宅に祀(まつ)る本尊も受持の対象外となる批判は、避けては通れない問題となったのである。
つまり、学会員が永遠の師匠と仰ぐ池田大作が、「大御本尊が書写された、会館や皆さまのご家庭の御本尊」(『聖教新聞』H3.12.25)と、日蓮正宗の伝統法義に則(のっと)って指導してきたように、学会員の拝む本尊は大御本尊を書写した本尊に他ならないからである。
そこで宮田幸一(創価大学教授・本部教学室アドバイザー)は自身のホームページ上で、今回の会則改正による会員の動揺を最小限に防ぐために、なんとか戒壇の大御本尊と会員が所持する本尊とを切り離そうと画策している。
その内容は、"宗開両祖には具体的な御本尊書写の説明がない"という浅はかな妄見による邪論である。また、日蓮正宗に伝わる諸文献を都合のよいように解釈し、日蓮宗などと同じように、
「学者の間では、信頼されていない」
「不明解」
「大石寺中興の祖とされる日有(AN121-201)から百年後以上後の資料であるという点にこの議論の危うさがある」
と、日蓮正宗の伝承を一切無視した乱暴な会通を展開する。また以前、どこかで聞いたことのあるような、二番煎じともいえる批判さえある。
そして最終的には、
「創価学会の本尊を含む日蓮正宗の法主が書写した本尊は、弘安2年の戒壇本尊を書写した本尊であるという議論は、大正時代になって初めて生じた議論」
と強引に決めつけるのである。
特に驚きを隠せないのは、宮田も認知する、第26世日寛上人が諸寺院や各家庭に授与された御本尊は"戒壇の大御本尊を書写した"と明らかに仰せの
「戒壇の本尊を書写して之を掛け奉る処の山々寺々家々は皆是れ道理の戒壇なり」(報恩抄文段・文段P469)
という妙文を、あろうことか
「『書写戒壇本尊』とあるのに、実際に日寛の書写した曼荼羅には戒壇本尊とは異なった図顕讃文が書かれていることについては、何も言及がない」
と述べていることである。
讃文(二十余年と三十余年)の正しい拝し方も知らずに、単に文字の相違だと解釈しているのは、まさに浅識の馬脚を表わしていると言えるだろう。
この例が象徴するように、今回の会則改正に対する宮田の主張は、およそ、まともな教義的裏付けなどない。
小欄では、創価学会における謗法の最前線に立つ宮田の、御本尊に対する邪論を取り上げて、破折していきたいと思う。
―「御書には詳しい本尊義なし」という迷妄―
―御本尊の深義が相伝されたのは明らか―
(『慧妙』H28.4.1)
前回は、"学会員が所持する本尊(御歴代上人書写の御本尊や、日寛上人が書写された御本尊を勝手に印刷したニセ本尊)は、戒壇の大御本尊を書写した本尊ではない"と主張する、宮田幸一(創価大学教授・学会教学部アドバイザー)の邪義の概要を紹介した。小欄では引き続き、宮田の邪説を取り上げたい。
今回は、血脈付法の御法主上人に相伝される本尊義は、我々には拝し得ない深義であり、その権能は唯授一人の御法主上人に在(ましま)すことを、拝していきたい。その上で、御本尊についての相伝も権能もなき宮田の主張が、いかに浅識者の愚論であるか、を指摘したいと思う。
そもそも、御本尊は宗旨の根幹たるゆえに、その深義は入室体信の弟子だけに相伝されるものである。それを弁(わきま)えずに、御本尊書写等に関する具体的な御教示が御書にないことを理由に"何もなかった"と考えるのであれば、あまりに安易にすぎよう。
第2祖日興上人が著された『弟子分本尊目録』によれば、大聖人御在世当時、日興上人は、自身の弟子檀越のために御本尊を書写されずに、大聖人に願い出られ、大聖人が認(したた)められた御本尊を与えられていた、ということが拝せられる。つまり、大聖人御在世当時、御本尊の権能は大聖人御一人に在したのであり、同時に、大聖人滅後において日興上人が御本尊を書写あそばされた、という事実は、大聖人より御本尊に関する金口嫡々(こんくちゃくちゃく)の御相伝(御本尊の権能)が存したが故、と拝せられるのである。
五老僧の中には本尊を書いた者もいたが、『富士一跡門徒存知事』に
「五人一同に云はく、本尊に於ては釈迦如来を崇め奉るべしとて既に立てたり(中略)日興が云はく(中略)唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし。即ち自筆の本尊是なり」(御書P1871)
と記されているように、曼荼羅正意という大聖人の御本意を承継あそばされたのは日興上人ただお一人だけであり、このことからも、日興上人御一人に真実の本尊義が相伝されていた、と拝せられるのである。
また第9世日有上人は、『化儀抄』第77条や第78条において、末寺住職に一往の本尊書写の許可を与えられている(以前、創価学会ではこれを、御法主上人以外も本尊書写できる証拠、などと曲解して主張していたが、当文は、当時の時代や交通等の事情による、一往の仮本尊書写の許可である)。この許可を与える、あるいは与えない、という権限こそが、唯授一人の御法主上人のところに御本尊についての一切の権能があることを物語っている。
これらの事実から、日興上人をはじめ御歴代上人のみが、御本尊を書写あそばされ、御本尊の深義を御指南なさるのは、唯授一人の相伝によって大聖人の御法体を受け継がれているからであり、それ以外の何ものでもない。
よって、相伝を受けてもいない、しかも日蓮正宗の相伝義に背反する宮田が、御本尊についての深義を全く知り得ないことは当然である。それにもかかわらず宮田は、
「日蓮真撰であると学問的に認められている御書の中には、本尊書写権に関して言及した資料は、何も無い。(中略)どのような資格があればその本尊を作成していいのか、あるいは本尊作成にあたって、『日蓮、花押』の部分をどのように扱うべきか、などの様式について指示している個所は無い」
という。まことに身の程知らずという他はない。
第17世日精上人が
「当家甚深の相承の事。全く余仁に一言半句も申し聞かす事これなし、唯貫主一人の外は知る能わざるなり。(中略)又本尊相伝、唯授一人の相承なるが故に代々一人の外は書写することこれなし」(歴全2巻P314)
と仰せのように、御本尊についての相伝も権能もなき宮田が、いかに本尊義について考えようとも、出てくるのは浅識者の愚論だけであり、御聖意に背(そむ)いた邪義である、と断じておきたい。
我々は日有上人の
「宗旨の深義に約する時は信心と云ふは一人しては取り難し、師弟相対して事行の信心を取る」(歴全1巻P417)
との仰せをよくよく拝して、特に宗旨の根幹たる御本尊については、唯授一人血脈を所持される御法主上人の御指南に信を取ることが大切である。
―「書写」と「臨写」の違いもわからぬ宮田幸一―
―大御本尊の御内証(心法)を写す御本尊御書写―
(『慧妙』H28.5.1)
前回に引き続き、宮田幸一(創価大学教授・学会教学室アドバイザー)の御本尊についての邪説を取り上げる。
今回は、御本尊の書写に関する宮田の主張が、書写と臨写の違いもわからぬ邪説であることを明らかにしていきたいと思う。
むろん、御本尊書写は大聖人からの唯授一人の御内証によるが故に、部外者が論ずるのは畏(おそ)れ多いことであるが、正法を護り邪義を破するために、やむなく少々触れさせていただく次第である。
日蓮正宗では、日興上人をはじめとする御歴代上人の御本尊はすべて、本門戒壇の大御本尊を御書写あそばされた御本尊である、と拝している。
これに対して、戒壇の大御本尊を認めたくない他門流日蓮宗の輩は、戒壇の大御本尊と御歴代上人の御本尊とでは御相貌に相違がある、との浅はかな妄見によって日蓮正宗を批判してきた。今回の宮田の邪義も、これら他門流の邪説に同調するもの、といえよう。
すなわち宮田は、
「曼荼羅の諸尊などを詳細に検討すれば、日興が戒壇本尊とは別の真蹟曼荼羅を手本にしたということが推測できる」
というのである。
だが、そもそも、日興上人が御書写あそばされた御本尊は、いずれも大聖人の御花押の代わりに「在御判」と認(したた)められており、一貫して大聖人の御本尊を書写あそばされたことが、明らかに拝せられる。
しかし、その日興上人御書写の御本尊の御相貌は、御一期にわたって必ずしも同じではなく、存略の相違が多く拝せられるのである。
これは、大聖人より血脈相伝された御内証による存略自在のゆえであるが、もし宮田のような捉(とら)え方をするなら、これはいずれかの大聖人の御本尊を書写したもの、とはいえなくなってしまうであろう。
要するに、御本尊書写とは、戒壇の大御本尊の御内証(心法)を御書写されるものであって、御相貌(色法)を臨写するものではないのだが、宮田も他門流の輩もそれがわかっていないのである。
また、日興上人が大聖人の御真筆御本尊を間近に拝する機会が多くあったことからすれば、日興上人御書写の御本尊のなかに、大聖人の御本尊の御相貌をそのまま認められた御本尊があることも、何ら不思議なことではない。いずれも、大聖人から付属された御内証をもって認められた(書写された)御本尊であることに違いはないのである。
さらに言っておけば、第9世日有上人が『化儀抄』に
「手続の師匠の所ろは三世の諸仏、高祖以来代代上人のもぬけられたる故に師匠の所を能々取り定めて信を取るべし」(歴全1巻P341)
と仰せのように、日興上人をはじめとする御歴代上人の御胸中には、血脈相伝によって大聖人の御魂魄たる御内証の法体が在すのである。また第14世日主上人が『日興跡条々事示書』に
「大石寺は御本尊を以て遺状なされ候、是れ則ち別付嘱唯授一人の意なり。大聖より本門戒壇御本尊、興師より正応の御本尊法体御付嘱」(歴全1巻P459)
と仰せのように、大聖人より日興上人への戒壇の大御本尊の授受こそ、唯授一人血脈相承の本旨であり、それは戒壇の大御本尊が大聖人の御法体の根幹たるがゆえである。
したがって、日興上人はじめ御歴代上人には、唯授一人の御相伝によって大聖人の御法体たる戒壇の大御本尊の御内証が在すゆえに、日興上人をはじめ御歴代上人の認められる御本尊は、御相貌の存略に関わらず、戒壇の大御本尊の御内証を書写された御本尊と拝せられるのである。
ゆえに、宮田が御本尊の御相貌(色法)だけに執着し、いくら御本尊書写の本義に疑義を挟もうと考えを巡らしても、それは単に凡眼の域を出ない浅見である、と断じておきたい。
[画像]:御本尊の相貌に固執する宮田の論は、色法にとらわれた愚論(写真は宮田のホームページに掲載された論文)
―「戒壇本尊の書写議論は大正時代に初出」?―
―日宥・同寛両上人も「戒壇の御本尊を書写」と―
(『慧妙』H28.6.1)
前回に引き続き、宮田幸一(創価大学教授・本部教学室アドバイザー)の御本尊についての邪義を破折する。今回は、宮田の主張が、創価学会員が受持する本尊の原本となる御本尊を御書写あそばされた御歴代、特に日寛上人と日昇上人の御指南に大きく悖(もと)る邪説であることを指摘したいと思う。
まず宮田は、
「創価学会の本尊を含む日蓮正宗の法主が書写した本尊は、弘安2年の戒壇本尊を書写した本尊であるという議論は、大正時代になって初めて生じた議論」
という戯言(ぎげん)を吐いている。しかし、第26世日寛上人は
「戒壇の本尊を書写して之を掛け奉る処(ところ)の山々寺々家々は皆是れ道理の戒壇なり」(『文段』P469)
と御指南くだされているのであって、宮田はこの日寛上人の仰せを完全に無視して、自分勝手に邪説を展開している。
右の日寛上人の御文は、戒壇の大御本尊を書写した御本尊である、と述べられた御文である。しかも、この日寛上人の御文からは、日寛上人が血脈相承によって戒壇の大御本尊の御内証を御書写あそばされたことが、明らかに拝せられるのである。
素直に「戒壇の本尊を書写して云々」の御文を拝せば、学会員が自宅に祀(まつ)る本尊の元の御本尊は、日寛上人が血脈相伝の上から戒壇の大御本尊を御書写あそばされた御本尊である、と容易に理解できる。
特に、この日寛上人の御指南は、日寛上人に血脈を御相伝あそばされた第25世日宥上人の
「無始ノ罪障消滅 戒壇ノ本尊ヲ代々上人之(こ)レヲ写シ我等ニ授ケ給ヘバ」(『観心本尊抄記』・『歴全』2巻P374)
との御言葉によって、日寛上人の御正意を鮮明に拝することができる。
と同時に、日宥上人並びに日寛上人は、大聖人から連綿と御相伝あそはされる唯授一人血脈相承の上から、御本尊義について甚深なる御教示を仰せ出だされたと拝せられるのである。
さらに言っておけば、『聖教新聞』(H25.11.6)には、平成25年11月にできた広宣流布大誓堂なる建物に、第2代会長戸田城聖氏に授与された御本尊を安置した、と報道している。当新聞には姑息にも、どなたが御書写あそばされた御本尊かは記載していないのだが、紛(まぎ)れもなくこの御本尊は、第64世日昇上人が認(したた)められた御本尊である(『聖教新聞』S26.6.1付)。
この御本尊を認められた日昇上人は、創価学会関西本部安置の御本尊も御書写あそばされ、さらに同本部の入仏式において
「この戒壇の大御本尊の御内証を、帯し奉って不肖日昇64世の法主として、御本尊様に信仰をそめておしたため申しあげている御本尊」(『聖教新聞』S30.12.18)
と仰せである。
このように、御本尊を御書写あそばされる日昇上人が、かく仰せなのだから、誰がなんと言おうと日昇上人の御本尊は、戒壇の大御本尊の御内証を御所持なされる時の御法主として、日昇上人が戒壇の大御本尊を御書写あそばされた御本尊なのである。
以上のごとく、学会員が自宅に祀るニセ本尊の元の日寛上人の御本尊も、大誓堂安置の日昇上人の御本尊も、両上人が戒壇の大御本尊を御書写あそばされた御本尊である。いくら宮田が嘯(うそぶ)こうとも、また「創価学会の本尊を含む日蓮正宗の法主が書写した本尊は、弘安2年の戒壇本尊を書写した本尊であるという議論は、大正時代になって初めて生じた議論」と言ったところで、それは"真っ赤な嘘(うそ)"なのである。
この邪智に満ちた批判こそ、日蓮正宗を誹謗(ひぼう)せんとする創価学会などの邪義邪宗の輩(やから)が、近年になって持ち出した讒言(ざんげん)である。
ここに宮田の主張が、日寛上人と日昇上人のご意志に大きく悖る邪義である、と断じておきたい。そして、戒壇の大御本尊と血脈付法を否定した今、会則を改変したところで、創価学会が大きな矛盾(むじゅん)の渦に飲み込まれていることには何ら変わらないのである。
[画像]:64世日昇上人も、創価学会関西本部の入仏式で御本尊の由来を説明する際、戒壇の大御本尊に言及
―「大御本尊根本」説いた「3代会長」達―
―宮田の邪説は「3代会長」のと矛盾―
(『慧妙』H28.7.1)
小欄ではこれまで、宮田幸一(創価大学教授・本部教学室アドバイザー)の御本尊に関する邪説を取り上げて破折を加えてきた。
今回は、宮田の邪義が、3代会長のかつての指導と大きくかけ離れた狂言であり、まさに本尊に迷う大謗法の姿であることを指摘したいと思う。それはそのまま、創価学会が破門後わずか20数年間で大変貌を遂(と)げ、日蓮世界宗創価学会という新興宗教団体と成り果てたことを物語っていよう。
まず、3代会長のかつての指導を挙げてみたい。
<初代会長牧口常三郎氏>
「御本尊の中、総与の御本尊と称して、大石寺に伝へられる大御本尊を信じ奉る者が正しい信者である。」(『牧口常三郎全集』10巻P151)
<第2代会長・戸田城聖氏>
「御法主上人は唯授一人、64四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、かならず功徳がでてくる。」(『戸田城聖全集』4巻P399)
「大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。」(『大白蓮華』S34.7P9)
「ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安2年の10月12日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです。」(『戸田城聖全集』4巻P350)
<第3代会長・池田大作>
「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。御本尊を御認(したた)めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。」(『広布と人生を語る』3巻P256)
「大御本尊が書写された、会館や皆さまのご家庭の御本尊。」(『聖教新聞』H3.12.25)
「信仰の対象としていっさいをささげて南無したてまつる御本尊であるから、総本山においてはご相伝により、代々の御法主猊下おひとりが、おしたためあそばされるものであり、われら信者がうんぬんすべきことではないのである。」(『折伏教典』改訂23版P315)
このように、創価学会が永遠の師匠と仰ぐ3代の会長は、かつて、正しく本門戒壇の大御本尊を拝していたのであり、かつ、血脈付法の御法主上人が大聖人の御内証の上から戒壇の大御本尊を御書写あそばされる、という姿勢で指導をしている。
つまり、宮田が先般の会則改訂にあたり、教義的裏付けもないまま、諸文献を悪用して主張した「創価学会の本尊を含む日蓮正宗の法主が書写した本尊は、弘安2年の戒壇本尊を書写した本尊であるという議論は、大正時代になって初めて生じた議論であり、しかも日興の書写曼荼羅(まんだら)を詳細に検討すれば、この議論が誤りであるということは明白である」などの邪義は、上記の永遠の師匠の言動を反故(ほご)にする、強いて言えば師匠に対して「大嘘(おおうそ)」呼ばわりしたも同然の行為であろう。
まさに『開目抄』に
「此(これ)皆、本尊に迷へり」(御書P554)
と仰せのごとく、今日、大聖人の正法正義が日蓮正宗に受け継がれていることを拝受できずに、本尊に迷う姿を露見(ろけん)したことがはっきりと見て取れる。
もとより、御本尊や血脈に関する深義は我々の思慮(しりょ)の及ぶところではないが、日蓮正宗では、御開山日興上人の「極理師伝」の御遺誡を遵守(じゅんしゅ)し奉り、時の御法主上人に師弟相対して、現在に至るまで、唯授一人の血脈と戒壇の大御本尊を正しく拝し受持している。これは言うまでもなく、大聖人の御内証が御法主上人に在(ましま)すゆえであり、大聖人より血脈相伝された日興上人以来、何も変わっていない。
「法主不在」を喧伝し、日興上人の「極理師伝」の御遺誡を忘れた宮田に、これをいくら説明したところで、猫に小判のごとく、とうてい理解し得られないだろう。しかし、上記の3代会長の指導と見較べてみれば、大謗法の姿に大変貌を遂げたのが日蓮世界宗創価学会であることは、誰もが理解できるであろう。
[画像]:「3代会長」は異口同音に「大御本尊根本」を説いていた(写真は『仏法と人生を語る』第3巻の表紙と当該部分)
―御本尊書写とは御内証を写すこと―
―血脈不信の宮田には理解不能の深義―
(『慧妙』H28.8.1)
すでに述べてきたように、日蓮世界宗創価学会は今回の会則改正によって、大きな矛盾(むじゅん)を抱えた。それは、会員所持のニセ本尊はじめ学会が認定した本尊の元の御本尊は、本門戒壇の大御本尊を書写した御本尊であるため、大御本尊を否定した以上、学会の全会館・全会員宅の本尊も否定したことになる、との問題である。
そこで小欄では、この矛盾への解消を試みる、宮田幸一(創価大学教授・本部教学室アドバイザー)の本尊に関する邪義を取り上げてきた。
宮田の見解はと言えば、終始、諸文献を牽強付会な解釈によって悪用したり、さらには以前、創価学会が仏敵と評した日蓮宗などの輩(やから)が、戒壇の大御本尊を否定しようとした際に持ち出した邪義を蒸し返すなど、目に余るものがある。
また、極めつけは「創価学会の本尊を含む日蓮正宗の法主が書写した本尊は、弘安2年の戒壇本尊を書写した本尊であるという議論は、大正時代になって初めて生じた議論」というのである。
小欄ではこれらの邪義を、二三、取り上げて、日蓮正宗の正法正義(特に戒壇の大御本尊)に対する宮田の批判が邪推に過ぎないものであり、宗祖日蓮大聖人や日興上人をはじめとする御歴代上人の御指南に大きく背反していることを、明らかにしてきた。
あらためて言えば、大聖人は末法救済のために、ご自身の御魂魄(こんぱく)を一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊として御図顕あそばされた。
その戒壇の大御本尊と一体不二の大聖人の御内証は、第2祖日興上人に唯授一人の血脈によって御相伝され、以来、現御法主日如上人に至るまで、一器の水をそのまま一器に写すがごとく連綿と相伝されている。ゆえに、日蓮正宗では、唯授一人の血脈付法の御法主上人に、大聖人以来の御本尊についての権能が在(ましま)すのであり、御法主上人以外に御本尊書写は許されない。これは7百年来の伝統であり掟(おきて)である。
また、日興上人をはじめ、御歴代上人の御本尊書写とは、単に戒壇の大御本尊のお文字や御相貌(そうみょう)を書き写すことでは、けっしてない。血脈相伝を受けられた時の御法主上人が、大御本尊と一体不二の大聖人の御内証をお写しされることである。
したがって、大聖人の御化導は、心法より色法を表わされ、また色法より信奉する一切衆生の心法へ成仏の方途を施されるのであり、日興上人をはじめ、御歴代上人の御本尊書写とは、戒壇の大御本尊に具(そな)わる御本仏日蓮大聖人の御内証と一切衆生を救済される御本仏の功徳を、そのまま写されることと拝するのである。
以上のことは、血脈付法の御歴代上人に信を取ってはじめて拝することができるため、当然ながら、唯授一人の血脈を否定し、戒壇の大御本尊を対象外とした創価学会に席を置く宮田には、微塵(みじん)も理解ができない。その結果、邪義を唱えるのである。わかったふりをして、自らの無知をさらけ出しているだけなのである。
さらに宮田は、「将来の計画として、創価学会は日蓮本仏論を捨て、釈迦本仏論に変更する準備をしている」という仰天発言をしたというから、近々また奇怪な邪説を述べるかもしれない。このような大謗法新興宗教と化した異流儀団体・日蓮世界宗創価学会を、我々はどこまでも破折し、宮田のような創価学会の走狗を徹底して断じていきたい。
最後に、学会認定の本尊の元の御本尊(日寛上人や日昇上人等の御歴代上人御書写の御本尊)は、すべて戒壇の大御本尊を御書写あそばされた御本尊であり、会則改正によって戒壇の大御本尊を受持の対象外とした以上、どんな理由を付けたとしても、学会員が祀(まつ)る本尊はすべて対象外となったとことを、再度、明記して、宮田の本尊に関する邪義への破折を終えたい。