宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪説を破す


宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪説を破す①/『慧妙』H29.2.1

宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪説を破す②/『慧妙』H29.3.1

宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪説を破す③/『慧妙』H29.4.1

宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪説を破す④/『慧妙』H29.5.1

宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪説を破す⑤/『慧妙』H29.6.1

宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪説を破す⑥/『慧妙』H29.7.1

宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪説を破す⑦/『慧妙』H29.8.1


宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪義を破す①

―宗祖本仏義の否定は学会の既定路線だ―
―宮田の説で透(す)けて見える学会の本音!―
(『慧妙』H29.2.1)

 今回からは、創価学会の大謗法路線の行く末を示唆(しさ)する、創価学会教学部顧問・宮田幸一による宗祖本仏義否定の邪説を破折していこうと思う。
 そこでまず、宮田の主張を挙げて、創価学会が宗祖本仏を否定せんとしていること、また、本仏義に対する宮田の理解や、宗祖本仏を否定することで矛盾(むじゅん)する学会の現状について、確認しておきたい。
 宮田は、創価学会が平成26年に行なった会則の教義条項の改変について、次のように述べる。
 "池田の健康問題が重要になると、池田存命中に教義改革を行なうのか、死後に行なうのか、という選択をせざるを得ない状況で、結果的に存命中に行なった方が、会内の動揺は少ないであろうと執行部が判断して、今回の教義条項変更は行なわれたと私は考えている。その際できるだけ、従来の教義を大きく変えたという印象を与えないように配慮することも考慮され、日蓮本仏論を維持することとなったと思われる。"
 この宮田の主張によれば、創価学会の本音では平成26年の会則改変の時点で、本門戒壇の大御本尊と共に、大聖人を末法の御本仏と仰ぐ宗祖本仏義をも否定したかったことが分かる。
 つまり、今回は"会員に従来の教義を大きく変えたという印象を与えないよう"見送られたものの、創価学会会長の原田が会則改変の際に"会員の皆さまの感情や歴史的な経過を踏まえて、今まで本門戒壇の大御本尊を信仰の対象にしてきたが、本音は大御本尊を放棄することにあった"(『聖教新聞』H26.11.8 3面取意)と述べたように、いずれ宗祖本仏義に関する教義条項が改変され、末法の御本仏は日蓮大聖人ではない、と否定する日が近いことは間違いないであろう。
 また宮田は、
 「日蓮本仏論を維持するメリットをあげれば、これまでの創価学会の教義を変える必要がない、本仏日蓮の教えは最高であるということを言いやすい、ということがある。しかしデメリットをあげれば、日蓮本仏論が文献学的には(=学者の間では)支持者がいない、日蓮本仏論は仏教の歴史の中では異端と判断される、本仏日蓮の継承者としての大石寺住持の権威を認めることにつながりやすい(=創価学会の日蓮正宗からの自立の障害になりやすい)ということがある
と、宗旨の根幹をなす本仏義に対して、創価学会が宗祖本仏を維持した際のメリット・デメリットで採用・不採用を決める、という暴論を展開する。そして、"メリット、デメリットを考えれば日蓮本仏論を採用する必要性はない"と宗祖本仏を否定するのである。まさに、ビックリ仰天の論理の展開と言うほかない。
 そもそも創価学会では、会員に「末法の御本仏・日蓮大聖人」(『聖教新聞』H27.11.17 3面)と祈念させているのである。それにも拘わらず、また宮田は教学部顧問の立場でありながら、"従来の教義を大きく変えた、という印象を与えないように日蓮本仏論は維持したと思う""日蓮本仏論を採用するとデメリットがある"などといって宗祖本仏義を否定するのだから、これほど道理に合わず、会員の信仰と矛盾した話はない。
 さらに言えば、すでに報じられているように、学会は昨年11月に、
 「未来の経典に『創価学会仏』と記される。(中略)池田大作先生は(中略)創価学会それ自体が『仏の存在』であることを示した」(『聖教新聞』H28.11.5 1面)
と、またも会則を改変し、前文に学会を「創価学会仏」と明記した。
 まさか宗祖本仏を否定して、創価学会仏なるものを本仏にするというのだろうか。あるいは「先生」を本仏にするのだろうか。
 その何(いず)れにせよ、宮田の言葉を借りて言えば、創価学会仏なるものは「文献学的には支持者がいない」し、「仏教の歴史の中では異端と判断される」ことは、火を見るよりも明らかであろう。
 以上のように宮田の主張には、今後、創価学会が、「日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ」と謳(うた)う会則を改変して、宗祖本仏を否定することが窺(うかが)えるのである。また、宮田が懸命に学会の邪説を正統化しようとして展開する主張は、宗祖本仏を否定できる程の内容はなく(否定できるはずはないのだが)、本仏義に対する理解も乏しいため、宗祖本仏義の採・不採をメリット・デメリットで決めようとする、滅茶苦茶な暴論となっているのである。
 次回からは、このような宮田幸一による宗祖本仏義否定の邪義に対して、具体的に破折していくことにする。





宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪義を破す②

―内証観心本仏義を理解できぬ宮田―
―過去に学会も破折した邪義を採用!?―
―文字面に拘(こだわ)り文意を拝さぬ守文の徒―
(『慧妙』H29.3.1)

 前回から小欄では、宮田幸一(創価学会教学部顧問)の宗祖本仏義否定の邪論を取り上げている。
 今回は、宮田が宗祖本仏義否定のために主張する、大聖人は「自分を本仏だとは自認していなかった」「久遠実成の釈尊を根本の仏であると認識されていた」「私は(略)日蓮本仏論を採用せず、多くの学者と同様に、真筆遺文の趣旨にしたがって、日蓮を上行菩薩の再誕と位置付けた」などの邪義を破折していこうと思う。
 そもそも、大聖人を本仏でないとする主張は、古来より他宗や日蓮宗等の者が述べてきた説であって、宮田の所論は、これらの邪説を蒸し返した、単なる真似事に過ぎない。ということは、過去に学会でも破折の対象としてきた他宗の邪義を採用して宗祖本仏義を否定しようとしているわけだから、これほど滑稽(こっけい)なことはない。数多の部分で「矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)」と批判されることは避けられないであろう。
 さて、宗祖日蓮大聖人は、外用(げゆう)教相の辺は上行菩薩の再誕であり、内証観心の辺は末法救済の御本仏である。
 大聖人が上行再誕であることについては御書に文義が豊富だが、その多くは
 「予、地涌の一分には非ざれども、兼ねて此の事を知る」(御書P790)
など、明確な表現ではない。これは本迹、否、権実のけじめにも迷う弟子檀那が多い故である。
 『観心本尊抄』(御書P660)には、大聖人が弟子に上行菩薩の再誕であると述べた場合、皆、理解できずに誹謗するであろうことを説かれており、その説示には慎重を期されていたことが分かる。
 ただ、
 「日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば、久成(くじょう)如来の御使ひ、上行菩薩の垂迹(すいじゃく)」(『頼基陳状』御書P1130)
の御文や、通称、万年救護本尊に
 「上行菩薩世に出現して始めて之を弘宣す」
と認(したた)められているように、大聖人ご自身による明確なご教示があるため、大聖人が上行再誕であることは、およそ今日の日蓮門下が等しく認(みと)めるところであろう。
 一方、内証観心の辺、宗祖本仏義は、他宗をはじめ日蓮宗では理解し得ない、言わば当家独自の立義である。これは法華経の真義が
 「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(御書P92)
 「文底秘沈」(御書P526趣意)
 「妙法蓮華経の五字は経文に非ず、其の義に非ず、唯一部の意ならくのみ」(『四信五品抄』御書P1114)
と、表面上の理解だけでは到達できないと説かれているように、大聖人の内証の辺も、御書を字義どおりに読むだけでは拝し得ない深義なのである。
 このことは、上行再誕の説示においてすら慎重を期されたのであるから、大聖人が末法救済の御本仏であるとの深義を、さらに秘匿されたことは当然であって、何ら不思議なことではない。文面上に直截(ちょくせつ)的な表現が見えないことだけをもって、大聖人は「自分を本仏だとは自認していない」と述べるならば、まさしく頑迷固陋(がんめいころう)、守文の徒という外ない。ただし、明文はある。
 大聖人は、末法の一切衆生を利益せしめるのは
 「地涌の大菩薩、末法の初めに出現せさせ給ひて、本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に唱へさせ給ふ」(御書P1140)
等と、上行菩薩であると諸御書に明確に仰せられている。
 これらの文に対して、御文の表面に説かれた内容だけしか理解しようとしない者は「上行菩薩は釈尊の使者に過ぎず、本仏ではない」という。では、次の御文をどのように拝するのか。
 「地涌千界(じゆせんがい)の大菩薩(中略)二には釈尊に随って久遠より已来(このかた)初発心(しょほっしん)の弟子なり。三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩なり」(『曾谷入道殿許御書』御書P784)
 すなわち地涌の菩薩は、釈尊初発心の弟子であるという教相面の立場を示されるとともに、菩薩の語を使用されつつも、娑婆世界の一切衆生に初めて下種益を施し救済する、娑婆世界の教主、本仏の立場を明確にご教示なのである。
 以上のように、大聖人による上行菩薩の再誕との説示は、理解の及ばない弟子檀那に対して明確には述べられていないが、対告(たいごう)者によっては、はっきりと説示されている。
 ただ、これも、弟子檀那の対機による教相面の教示であり、大聖人の御本意はさらに深いところに存する。その御本意こそ、大聖人の本地が久遠の御本仏に在(ましま)すという、真実内証の元意であり、御本仏日蓮大聖人によって娑婆世界の衆生は最初下種され、そしてさらに末法においても同様に下種益を施されるのである。
 宮田や不相伝家の者は、宗祖本仏義の言葉が御書中にないという理由を挙げて、いとも簡単に大聖人は「自分を本仏だとは自認していなかった」などと言ってのける。全く御書に説かれる大聖人の、深い御真意を拝そうという心がない、といえる。
 「大智慧の者ならでは日蓮が弘通の法門分別しがたし」(御書P906)
 「親疎(しんそ)と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ」(御書P1037)
の御金言を心に刻むべきである。
 ただ、宗祖本仏義は、大聖人が入室体信の弟子にのみ明かされた深義のゆえに、血脈付法の御歴代上人に師弟相対して初めて正しく拝せるのであって、すでに当家の血脈を否定した宮田には、絶対に理解できない、と断じておきたい。





宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪義を破す③

―日興門流には上代から宗祖本仏義が―
―それを無理やり捻じ曲げた宮田の解釈―

(『慧妙』H29.4.1)

 小欄では前々稿から、日蓮正宗の宗旨の根幹たる宗祖本仏義の否定を試みる宮田幸一(創価学会教学部顧問)の主張を取り上げて破折を加えている。
 今回は、日興上人より薫陶(くんとう)を受け重須談所の第2代学頭に補された三位日順師の教示から、宗祖本仏義が大聖人以来、上代の諸師に継承されていることを、確認していきたいと思う。またその中で、宮田の"日蓮本仏論は(略)6世日時(上人)の『本因妙抄』写本で明らかになり、9世日有(上人)においてさらにより明確に主張された"という戯言(ぎげん)、また日順師の著述中の「本仏」の語に対する難癖を破折していきたい。
 まず日興上人が『申状』(嘉暦2年)に、
 「今末法に入りては上行出世の境、本門流布の時なり」(歴全1巻P76)
と仰せられ、日順師も、
 「抑(そもそ)も日蓮聖人は、添(かたじけな)くも上行菩薩の後身・当時利益の大権なり」(富要集2巻P27)
と述べられていることから、大聖人が御在世中、慎重を期して弟子檀越に明かされた上行再誕の立場を、日興上人はじめ門家の諸師は認知していたことがわかる。また「利益の大権」とあるように、上行再誕の大聖人が末法の衆生に利生得益せしめる立場にあることも認めている。
 対して五老僧方は、それぞれの『申状』で「天台沙門」を名乗り、大聖人を上行再誕と述べず、また門流によっては「大聖人は全く上行に非ず」(富要集2巻P48)と主張していたのであり、六老僧の中でも特に日興上人に大聖人の正意が継承され、宣揚されていたことがわかろう。
 ただ、前回述べたように、これらの上行再誕の立場を示す文は、あくまでも教相の辺における教示に過ぎず、大聖人の真義(観心内証のお立場)を明かした文ではない。では、大聖人の真義とは!?
 日順師は、
 「我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し・月氏震旦に勝れたり・仍(よ)って日本と名く」(富要集2巻P11)
 「然らば此の日本国は久成の上行菩薩の顕れ玉ふべきなり、然るに天竺の仏は迹仏なり、今日本国に顕れ玉うべき釈迦は本仏なり、彼の本仏の顕し玉ふ所なれば、日本を中国と云ふなり」(富要2巻P113)
と、日本とインド、本仏と迹仏などを対比して、端的に宗祖日蓮大聖人が末法出現の御本仏であることを説示されている。
 しかし宮田は、この明解な文について、次のように全く違った解釈をするのである。
 "私は『表白』『日順雑集』で「本仏」という用語で指示されているのは「日蓮」のことではなく、むしろ『観心本尊抄』などで「久遠実成釈尊」の「仏像」が正法、像法時代には出現していなかったのに対して、末法日本において日蓮が曼荼羅の中で図顕したということを受けた表現と解釈できると思っている"
 何を言いたいのか、曖昧模糊(あいまいもこ)としていて、さっぱり要領を得ない。また宮田が「本仏とは日蓮が曼荼羅の中で図顕したということを受けた表現」と思うのは、あまりにも文意を曲げた自分勝手な解釈である。
 そもそも、『本尊抄』における「仏像出現」(御書P654)の語に対する解釈が間違っているのであるから、宮田がいくら"解釈できると思っている"と意気込んでも間違いに変わりはない。無理押しした曲解、謬釈(びゅうしゃく)である。
 宮田の猜疑(さいぎ)の眼には、いかなる明文が映っても、限りない謬釈が生じて当然、といえようか。
 先の両文の意は、日本・本仏・上行とインド・迹仏・釈尊を対比し、日本が勝れていることを示すとともに、上行菩薩が釈尊より勝れていることを明かしているのである。また「本仏の所住」や「顕れ玉う」の語から、本仏とは実際に日本に誕生されるお方と解釈するのが自然である。何も宮田のように、御本尊のご相貌や『本尊抄』の御文を持ち出す必要などないのである。
 この上で、冒頭に挙げた教示を再度、拝してみると、日興上人及び日順師が大聖人を上行再誕と仰いでいたことは問違いない。よって、日順師が、末法出現の上行菩薩たる大聖人を釈尊(迹仏)より勝れる御本仏であると拝していたことは明らかである。
 このように日興上人より薫陶を受けた日順師に、明確な宗祖本仏義が拝せられる以上、宗祖本仏義が大聖人以来、日興門流に正継されていることに、疑義を挟む余地は全くない。
 ここに、宮田の「日蓮本仏論は日有上人以降の教義」との主張は、瞭然(りょうぜん)たる誤謬であり、戯言である、と断じておく。





宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪義を破す④

―主師親三徳についての宮田幸一の迷妄―
―「主師親の語は菩薩にも適用」?―
―「大聖人が主師親でも釈尊が勝る」?―

(『慧妙』H29.5.1)

 今回も引き続き、宮田幸一(創価学会教学部顧問)の宗祖本仏義否定の邪論を取り上げる。
 日蓮正宗では、宗祖日蓮大聖人が主師親の三徳を具(そな)えている、と御教示された『開目抄』(御書P577)をはじめとする諸御書をもって、宗祖本仏義の文証の1つとしている。
 ところが、宮田は次のように述べる。
 「もし『主師親』という用語が仏だけに適用される術語規定であり、菩薩には適用できないという用語法が仏教内部で確定しているならば、日蓮は末法の主師親であるから、末法の仏であるという主張をしてもかまわないだろう。しかし私は日蓮が使用した『主師親』という用語が仏のみを述語づける用語なのかどうかということについて、専門学会の議論があるのかどうかも知らないので、これ以上の議論はできないから、このことに詳しいどなたかに教示していただければと思っている。」「私は日蓮正宗や創価学会の解釈である、日蓮が末法の主師親である、という解釈には同意している。しかしこの『開目抄』においては、末法の主師親である日蓮が、法華経の教主久遠実成仏よりも勝(すぐ)れているという議論までは展開していない。」
 宮田は、宗祖本仏義が御書の表(おもて)に明示されていないという理由で否定しようとし、かたや、三徳の御教示のように明示されている御文については、あれこれと疑難を付けて否定しようとする、という、憍慢(きょうまん)な態度に終始するのである。
 まず、主師親の三徳という語は、『今此三界合文』に
 「主師親の事」(御書P251)
として『涅槃経』と『涅槃経疏』が引用され、また『呵責謡法滅罪抄』に
 「日蓮は法華経並びに章安の釈の如くならば、日本国の一切衆生の慈悲の父母なり」(御書P716)
と仰せのように、章安大師の『涅槃経疏』によるものと拝せられる。
 そして、大聖人はその上で、『譬喩品』第三の
 「今(いま)此(こ)の三界(さんがい)は、皆(みな)是(こ)れ我(わ)が有(う)なり(※主)。其(そ)の中の衆生、悉(こと
ごと)く是れ吾(わ)が子なり(※親)。而(しか)も今此の処(ところ)、諸(もろもろ)の患難(げんなん)多し。唯(ただ)我(われ)一人のみ、能(よ)く救護(くご)を為(な)す(※師)」(法華経P168)
の文などを依文とし、釈尊が具える徳として主師親の三徳を諸御書に示されている(御書P516等)。
 つまり大聖人は、諸経中王の法華経を説いた釈尊が、諸仏の中で最尊の仏であることを明らかにするために、主師親を譬喩品や寿量品等の経文に配当し、釈尊が具える徳用(とくゆう)として三徳を示されているのである。
 また、大聖人は『今此三界合文』等に、『涅槃経疏』の引用として
 「一体の仏を主師親と作(な)す」(御書P252)
と仰せられ、やはり、主師親の説示は"仏"のみが具える徳として示されている。
 ただ、ここで見誤ってはならないことは、釈尊に徳が具わるといっても、それは、爾前権迹の諸仏に対し権実・本迹相対の上で、法華経本門の釈尊に三徳が具わる、と説示されたもに過ぎないということでる。不相伝家の日蓮宗が、文上の釈尊に執着して、大聖人を仏使と下し釈尊の主師親を継承しているとしか理解できないのは、この過ちであり、宮田の疑難も同轍(どうてつ)である。
 大聖人が、御自身に主師親が具わることを御教示された御真意は、御本仏の御内証を顕(あら)わすためである、と拝せられる。
 すなわち大聖人は
 「日蓮は日本国の人の為には賢父(けんぷ)なり、聖親(せいしん)なり、導師なり」(御書P600)
 「かう申すは国主の父母、一切衆生の師匠なり」(御書P976)
等、明らかに、末法における主師親の三徳を具有する仏を、釈尊ではなく大聖人である、と示されている。
 また、『下山御消息』では
 「釈尊は我等がためには賢父たる上、明師なり聖主なり。一身に三徳を備へ給へる仏」(御書P1142)
と御教示されつつも、さらに
 「教主釈尊より大事なる行者」(御書P1159)
と仰せられている。
 さらに、大聖人こそ、釈尊よりも勝れ、末法の一切衆生に尊敬せらるべき御本仏であることは、次の御文にも明らかである。
 「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし(中略)漢土・月支にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず。」(御書P864)
 「月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝(まさ)れり、五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり。」(御書P1543)
 以上、述べてきたように、大聖人は一往、主師親を具えているのは釈尊であると示されている。しかし、御自身にも三徳が具わることを明らかにされ、かつ、釈尊よりも勝れる、末法有縁の三徳であることを明確に御指南されている。
 したがって、大聖人による主師親の三徳説示の御真意とは、大聖人こそ御本仏であることを顕わすための御教示と拝すべきなのである。
 宮田の疑難はどれもあたらない、憍慢から生じた妄説と断ずるものである。





宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪義を破す⑤

―「大聖人より久遠実成仏が勝る」とする宮田―
―「久遠実成仏が末法救済の権限を付与」!?―
―久遠実成仏と宗祖の勝劣は諸御書に明白―

(『慧妙』H29.6.1)

 前回は宮田幸一(創価学会教学部顧問)が宗祖本仏を否定するために主張した、大聖人に具(そな)わる主師親の三徳に対しての難癖(なんくせ)を取り上げて破折を加えた。
 そこで今回は、前稿の最後に引用した、大聖人御自身が釈尊よりも勝(すぐ)れると明言された御文を挙げて、再度、大聖人が末法の御本仏であることを拝していきたい。
 それによって、宮田の「末法の主師親としての日蓮は、あくまでも仏道全体の主師親である久遠実成仏から、末法の衆生救済という権限を与えられたと、日蓮自身も認めていると私は理解している」との言が邪難であることが明らかになると思う。
 宗祖日蓮大聖人は『本尊問答抄』に
 「問うて云はく、末代悪世(あくせ)の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし。(中略)此は法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にはあらず。(中略)仏と経と何れか勝れたるや。答へて云はく、本尊とは勝れたるを用ふべし」(御書P1274)
と、法華経の教主釈尊よりも法華経の題目が勝れていると明確に御指南されている。
 この法華経の題目、妙法蓮華経は、大聖人によって末法今時の衆生救済の正法として弘通された。釈尊ではなく、また天台大師、伝教大師でもなく、末法に御誕生された日蓮大聖人によってである。
 もちろん、法華経の教主は釈尊に違いないが、妙法蓮華経の教主は大聖人である。それゆえ『報恩抄』には
 「日蓮が慈悲瞭大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし」(御書P1036)
と仰せられたのであり、末法の教主は大聖人に他ならない。
 ひるがえって、先の『本尊問答抄』を拝するならば、釈尊よりも勝れた妙法蓮華経を弘通される大聖人は、「法妙なるが故に人貴し」の教示を挙げるまでもなく、釈尊に超過するお方だということは明らかである。
 また、前稿で引用した『撰時抄』には
 「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし。これをもってすい(推)せよ。漢土・月氏にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず」(御書P864)
と、大聖人には、日本(伝教)のみならず漢土(天台)、月氏(釈尊)乃至世界中にも肩を並べる者はいないと、御自ら仰せである。また、『諌暁八幡抄』の
 「月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝(まさ)れり、五五百歳の長き闇を照すべき瑞相(ずいそう)なり」(御書P1543)
との御教示は、釈尊が説いた法華経(月・8年)に対して、大聖人説示の妙法蓮華経の大仏法(日・五五百歳)が勝(すぐ)れることを、はっきりと述べられている。
 このように、妙法蓮華経という大白法を末法に弘通された大聖人は、釈尊をも超過する末法の教主であることは明らかである。宮田の言うような、「大聖人は釈尊から末法の衆生救済の権限を与えられた」との、釈尊=主、大聖人=従という立場では、けっしてない。
 いくら意気揚々(ようよう)と「日蓮自身も認めていると私は理解している」と言ったところで、それは大聖人の御指南に悖(もと)る虚言、迷妄に過ぎないのである。
 ましてや、宮田や日蓮宗が言うように、大聖人の御聖意が上行菩薩であるわけもないことは、『観心本尊抄』に、次の御教示を拝する。すなわち
 「今末法の初め、小を以て大を打ち権を以て実を破し、東西共に之を失(しっ)し天地(てんち)顛倒(てんどう)せり。迹化の四依は隠(かく)れて現前(げんぜん)せず、諸天其(そ)の国を棄(す)て之を守護せず。此の時地涌の菩薩始めて世に出現し、但(ただ)妙法蓮華経の五字を以て幼稚(ようち)に服せしむ」(御書P660)
 「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠(たま)を裏(つつ)み、末代幼稚の頚(くび)に懸(か)けさしめたまふ」(御書P662)
の御文である。
 両御文とも、末法の衆生に妙法五字が授与されるとの仰せであるが、それを一方では地涌の菩薩、一方では仏がなされる、とある。つまり、地涌の菩薩と仏を同じ意で説示されていることに、議論を挟(はさ)む余地はないのである。
 もし、この「仏」を久遠実成の釈尊と解釈するのであれば、末法には地涌の菩薩と釈尊が同じ教法(妙法五字)を弘通することになり、先に挙げた妙法蓮華経の教主が大聖人である御教示に反することになる。素直に、当文の「仏」は、日蓮大聖人御自らを指示した御文と拝すべきであろう。
 御本仏大聖人は、当時の諸宗の学者に対して
 「目の転ずる者、大山転ずと欲(おも)ふ」(御書P484)
と誡(いまし)められたが、宮田の主張も同じように、すでに本門戒壇の大御本尊と御歴代上人の血脈を否定したことによって邪見を起こしているから、結局、諸御書の御真意は曲がって見え、どれもこれも暴論に発展していくのだ、と断言しておく。





宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪説を破す⑥

―「釈尊本仏」を立てつつ「曼荼羅正意」?―
―日興上人は「宗祖本仏」「曼荼羅正意」だ―
―いずれ学会は久遠実成の釈尊を本尊に?―

(『慧妙』H29.7.1)

 小欄では、宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪説を破折しているが、今回は「久遠実成釈尊本仏論を採用したからといって、久遠実成釈尊本尊論を採用するわけではない。(略)創価学会はあくまでも日興上人の本尊思想を継承し、法本尊、曼荼羅本尊正意説を主張することに変わりがないと思います」という宮田の主張を取り上げる。
 そもそも、一般的に「本尊」とは"崇拝の中心とされる仏や菩薩の像(木像・画像)、曼荼羅、名号など"をいう。
 日蓮正宗では、宗祖日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、御本仏大聖人が御内証を色法に顕わされた御本尊を対境と定めている。他宗(日蓮宗や真言宗等)であっても、たいがい、その宗派で崇拝する仏(釈尊・大日如来・薬師如来等)を信仰の対象として本尊に定めているようだが、邪智我見に満ちた宮田の主張は異なる。根本の仏は釈尊であるけれども、釈尊は崇拝の対象にはせず、釈尊に劣る大聖人が顕わした本尊を採用する、というのである。
 この矛盾(むじゅん)をはらむ主張で言えば、"自分たちは最勝ではない本尊を信仰している"ということになる。おかしな話である。
 そのうえ宮田は、「日興上人の本尊思想を継承」などといっているが、日興上人が曼荼羅御本尊と共に宗祖御影を安置し、大聖人を信仰の対象の仏としていた事実を、どう説明するというのか。浅薄というほかはない。
 もっとも、宮田の珍説も、釈尊を本尊に採用しないという点だけを挙げれば、他門下が釈尊を本尊として雑乱勧請しているのに比べ、百歩譲って可、といえようか。
 しかし、大聖人の御本意が釈尊本仏であるとする主張については、小欄でも種々述べてきたように、言語道断、許されざる邪論であり、大聖人の御意に背反する邪義である。
 そこで当欄では、『報恩抄』の
 「日本乃至一閻浮提(いちえんぶだい)一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂(いわゆる)宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士(きょうじ)となるべし」(御書P1036)
の御金言を拝したい。
 宮田は、他門流と同じく、ごの御文をもって釈尊本仏を立てる(※文意は末法適時の本尊を指しているが)のであるが、御文の正意はさにあらず。
 当文には「本門の教主釈尊」と「宝塔の内の釈迦」と2人の釈尊が示されているが、「宝塔の内の釈迦」と示されるのは、法華経の教相に明らかなように、宝塔の中に多宝如来と並座した久遠実成の釈尊を指す。
 その他に、本尊とすべき、「本門の教主釈尊」が在(ましま)すわけだが、こちらは、下種の教主釈尊と拝される。
 その理由は『観心本尊抄』等に、本門に二意(種脱、文上文底等の異なり)があると示されていることから、当然、そこには文上脱益の教主と文底下種の教主が在すことになる。
 そして、宝塔の内の釈尊が久遠実成脱益の教主釈尊である以上、もう一方の「本門の教主釈尊」は下種の教主釈尊と拝される。
 また『観心本尊抄』の
 「此は種(中略)此は但(ただ)題目の五字」(御書P656)
との御教示から、下種の教主釈尊(本門の教主釈尊)の所説の法体は妙法五字であり、また前稿に述べたように妙法蓮華経の題目の教主は大聖人に他ならないため、「本門の教主釈尊」とは日蓮大聖人の御事と拝すべきである。
 したがって、この『報恩抄』の文は、一閻浮提一同に本尊として崇拝し奉る仏は、久遠実成の釈尊より勝れる下種の教主・日蓮大聖人であることを、御自ら明示された御文に他ならない。そしてさらに、御本仏大聖人が末法万年の衆生救済のために御内証を留め置かれた曼荼羅御本尊こそ、我々が対境として信受すべき人法一体の御本尊なのである。
 このように、大聖人御自身が釈尊よりも勝れた「本門(下種)の教主」である、との御教示があるのだから、宮田の釈尊本仏義は、大聖人の御心に相反した浅見・謗法の邪説に過ぎない。
 さらに言えば、宮田が、釈尊本仏を採用しながら釈尊に劣る宗祖所顕の本尊を採用する、という矛盾した珍説を立てたのは、会員に従来の教義・本尊を大きく変えたという印象を与えないための配慮とも思える。逆にいえば、やがて創価学会では、釈尊を本尊として採用しようと考えているのかもしれぬ。
 それはともかくとして、宮田の釈尊本仏義は、大聖人の御真意に至らない邪義邪見である、と断言しておく次第である。





宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪説を破す⑦

―釈尊像本尊も「それはそれで、あり」!?―
―大聖人以来、日興門流は曼荼羅正意-
―宗祖本仏義を顕わした御影の御安置-

(『慧妙』H29.8.1)

 前回は、宗祖本仏義を否定する宮田幸一(創価学会教学部顧問)の「釈尊本仏を採用するが、釈尊を本尊とはせず、創価学会では日興上人の本尊思想を継承し、法本尊、曼荼羅(まんだら)本尊正意(しょうい)を主張する」という珍説を取り上げたが、宮田には次のような仰天(ぎょうてん)発言もある。
 「文字曼荼羅として大聖人は作りましたけれども、それを木像にするとか絵像にするとかね、そういうことについてはご本人は言及していないと。木像の方が寺院としてはいいんじゃないの、という人もいますけれど、それはそれで、ありだと思います。」
 つまり、宮田の個人的見解としては釈尊像を本尊としても「それはそれで、あり」と認めるのである。
 そこで今回は、日興上人をはじめ上代諸師の御教示から、曼荼羅正意には宗祖本仏義が拝せられることを示して、宮田の邪説を破折したいと思う。
 以前も述べたように、大聖人は妙法5字よりも劣る釈尊を本尊とすることを不可とされ、「法華経の題目」の妙法曼荼羅を本尊と定められた。それは、大聖人が弟子檀越に百数十幅もの御本尊を授与されたことが物語っており、また大聖人御自身も妙法曼荼羅を安置されていたことから明らかである。そのことは、
 「八木(はちぼく)三石(こく)送り給(た)び候。今一乗妙法蓮華経の御宝前に備へ奉りて」(御書P1363)
 「御円寂之時、件(くだん)の曼荼羅を尋ね出され、懸(か)け奉る事顕然(けんねん)也、勿論(もちろん)也」(日蓮宗宗学全書第2巻P235)
等に拝せられる。
 また日興上人も
 「五人一同に云はく、本尊に於ては釈迦如来を崇(あが)め奉るべしとて既に立てたり(中略)日興が云はく、聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず、唯(ただ)御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是なり」(御書P1871)
と示されており、現に、身延離山の根本主因が、地頭の釈尊像造立にあったことからも、日興上人が曼荼羅正意であったことは明白である。
 されば、前に挙げた宮田の発言は、宗開両祖の本尊義とは真逆の謗法義に他ならない。
 また、この「自筆の本尊」とは、大聖人が「日蓮がたましひをすみにそめながしてかき」顕わされた、妙法大曼荼羅本尊であるから、大聖人の当体即妙法五字、妙法五字即大聖人であり、人法は一体である。
 ゆえに日興上人は、大聖人の御入滅後は、特に曼荼羅本尊とともに宗祖御影像をも御宝前に安置されたのであって、これは大聖人を末法有縁の本仏本尊と拝されていた赫々(かっかく)たる証拠である。
 さらに言えば、日興上人より薫陶(くんとう)を受けられた上代の諸師にも次の教示がある。
 日道上人の『御伝土代』には
 「仏滅後二千二百三十余年が間一閻浮提之内未曾有之大曼荼羅也、と図し給う欄本尊に背(そむ)く意(こころ)は罪を無間に開く云云。何ぞ三身即一の有縁の釈尊を擱(さしお)きて強(あなが)ちに一体修三の無常の仏陀を執せんや、既に本尊の階級に迷う、全く末法の導師に非(あら)ざるかな」(聖典P602)
と、曼荼羅正意に反して釈尊像を造立することは堕獄(だごく)必定の因とされ、大曼荼羅即大聖人を「三身即一の有縁の釈尊」と表現されて宗祖本仏義を示されている。
 また三位日順師は
 「未曾有の大曼荼羅・所在の釈迦多宝十方三世諸仏・上行無辺行等普賢文殊等(中略)天台伝教等・別して本尊総体の日蓮聖人云云」(富要第2巻P28)
 「所図の本尊は聖人の己証なり」(同P29)
と、大曼荼羅に認(したた)められた仏菩薩等を挙げられて、それらは御本尊の全体である大聖人に具(そな)わり、大聖人が図すところの本尊は、大聖人が証得した法体である、と教示されている。
 このように、上代の諸師の教示には、日興上人と同様、曼荼羅正意と宗祖本仏義が拝せられ、宮田の「釈尊本仏を採用するが、釈尊を本尊とはせず、曼荼羅本尊を採用ずる」などという主張は、微塵(みじん)たりとも"日興上人の本尊思想を継承し"ていないことがわかる。
 これまでも小欄では、創価学会の本音たる宗祖本仏義の否定を正当化しようと画策する宮田の疑難を取り上げ、破折を加えてきたが、どれもこれも牽強付会、浅見による取るに足らぬ妄説であった。それは当然、大聖人の御聖意にはほど遠い邪義である。
 学会員諸氏は、これから、過去に学会が「大謗法」と断じていた宗祖本仏義否定の邪義を信奉することになるのだから、じつに哀(あわ)れである。大聖人は
 「罪根(ざいこん)深重(じんじゅう)の輩(やから)は邪推を以て人を軽しめ之を信ぜず」(御書P788)
と仰せだが、まさに宮田のごとき罪根深重の輩に従えば、堕獄必定、功徳に浴すことなど絶対にない。
 最後に改めて、末法救済の御本仏は釈尊ではなく日蓮大聖人であり、それは、御書をはじめ日興上人以来の諸師の教示等に拝せられることを述べて、宮田の邪義への破折を終えたい。