矛盾だらけの「3代会長」

―大御本尊信じた初代・2代と、誹謗した3代―
―「池田世界宗」を目指す学会に訣別を―

(『慧妙』H28.1.1)

 昨年、創価学会はまたも会則を改変し、3代会長を「指導者」から「広宣流布の永遠の師匠」へと格上げした。
 他にも勤行要典の改変を行ない、学会の独立教団としての性格を全面に出してきている。
 まず、3代会長までのくくりである必要が、どこにあるのだろうか。そして4代会長以降の立場はどうなるのだろうか。
 学会会則をみると、4代会長以降については〈「3代会長」を継承し、その指導および精神に基づき、この会を統理する〉とあり、あくまでも3代会長の指導・精神を根幹にして継(つ)ぐだけの存在であり、実質的に重要なのは3代の会長だけなのである。
 さて、学会の初代会長牧口常三郎氏・第2代会長戸田城聖氏は、本門戒壇の大御本尊を信仰する立場をとっていた。本門戒壇の大御本尊を否定することはなかったのである。
 戸田氏は
◆わたくしたちは、無智な人々をみちびく車屋である。迷っている人があれば車にのせて、大御本尊様の御もとに案内して行くのが、学会唯一の使命である。宝の山に入って、宝を取るか取らないかは、その人の信心の結果であって、ただ宝の山たる大御本尊様へ案内するのが、われわれ学会の尊(とうと)い使命なのである
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と指導している。学会の唯一の使命とは、本門戒壇の大御本尊を信仰せしめていくことにあったのではないか。
 しかし、第3代会長の池田大作は「本門戒壇の板御本尊がなんだ!寛尊は、信心の中にしか本尊はないんです、ただのモノです」と発言するなど、根本である本門戒壇の大御本尊を否定する内容の指導を打ち出した。
 3代までの会長を永遠の師匠とするときに、3人のうちの誰の指導をもつて広宣流布へ進むのだろうか。
 そもそも広宣流布について、初代・第2代会長は、本門戒壇の大御本尊が弘まることが広宣流布であると言い、第3代の池田は、創価学会が認定する本尊の流布が広宣流布である、とするらしい。
 どちらが広宣流布への指導として正しいのであろうか。永遠の師匠とされる3代の会長の指導において、このように矛盾(むじゅん)しているのである。
 『聖教新聞』(H27.11.17)に〈日々の信仰実践の中で「3代会長」を「広宣流布の永遠の師匠」と仰ぎ、師弟不二の信心を確認していくことが重要です〉とある。
 3代会長に師弟不二の立場をとるということであるが、現状は牧口氏・戸田氏は亡くなり、池田しか存命していない。そこで池田との師弟不二の立場をとるとしたら、初代・2代とは真逆の信仰となり、まさしく頭破作七分の姿となる。
 また池田の亡くなった後は、3代会長を永遠の師匠とすると言いながら、結局は、本門戒壇の大御本尊を否定した池田だけを師匠と仰ぎ、本門戒壇の大御本尊を信仰した初代・2代の会長とは師弟不二をしない、ということになっていくであろう。
 4代目以降の会長は、3代目の精神を継ぐだけであり、それが広宣流布へと繋(つな)がるはずはない。事実、現会長の意見は弱く、過去の池田の指導がどこまでも学会の根本となっている。
 一応は3代会長であるが、本当は3代目会長の池田を信仰の根本に据(す)え、日蓮世界宗ならぬ池田世界宗としていくのだろう。
 今後の創価学会が、重ねて、どう会則を変え、宗教的独自性の名のもとに池田を本仏にしていくかが見ものである。
 良識ある学会員には、初代・2代会長が本門戒壇の大御本尊を根本としていたことを思い出し、変貌した3代目会長の支配から離れ、真実の永遠の師匠のもとに帰伏してもらいたいものである。


▲『聖教』(H27.11.17)の1面の見出しには「3代会長を永遠の師匠と仰ぐ」とあるが、そのホンネは「第3代会長を〜」!?