脳死状態に陥った創価学会の末路
―正宗から破折され続け池田教に脱皮しきれず!―
―対照的に宗門は正法正義を不滅に伝承―
―まさに「万年の外(ほか)、未来までも流布(ながる)」を実証―
―今月(16日・19日)は御当代・御隠尊両上人の佳節―
―歓喜を胸に断末魔の学会を折伏しよう!―
(『慧妙』H22.12.16)
日蓮大聖人の正統門流たる日蓮正宗と、これを利用して旗揚げを狙(ねら)った新興宗教創価学会の、邪正の明暗は今こそくっきり顕われた、というべきであろう。
今月30日は、創価学会の首魁(しゅかい)・池田大作が法華講総講頭の座から転落し、完全異流義化への道を走り始めて、丸20年目となる。
この20年―創価学会は信仰上、何を目指してきたのだろうか。
それは、平成3年11月、創価学会が日蓮正宗から破門になった際、池田が
「天の時 ついに来たれり創価王」
と謳(うた)い、当時の会長・秋谷栄之助が
「魂の独立記念日、おめでとう!」
と喜んでいることから判(わか)るように、ここで日蓮正宗と手を切り、信仰上の完全な独立を果たそうとしたのである。
信仰上の完全な独立とは、日蓮正宗の根本義である"宗祖本仏義・本門戒壇の大御本尊・法灯連綿と続く唯授一人血脈相承"と訣別(けつべつ)し(学会内部文書「宗門問題の本質」より)、学会独自の仏法僧を打ち立てることだ。
ここでは煩雑になるから詳しい検証はしないが(これまでも繰り返し検証済みであるので)、要するに、池田大作こそ大聖人も成しえなかった本門戒壇を建立した法華経の行者にして本仏であると顕彰し、本門戒壇の大御本尊を捨てて池田が根本の本尊を定め、唯授一人血脈を否定して学会を大聖人直結の和合僧団とする―ということで、創価学会の完全な池田教化である。
学会はそこを目ざして、池田大作を大聖人以上の存在に祭り上げようとしたり、戒壇の大御本尊を「ただのモノ」あるいは「後世の偽作」などと否定しようとしたり、御歴代の上人方(なかんずく当代の御法主上人)を貶(おとし)めようと口汚ない攻撃を繰り返してきた。
しかし、このような大謗法の暴挙を見過ごしたら、正法正義は蹂躙(じゅうりん)され、衰微(すいび)させられてしまう。
日蓮正宗では御法主上人を先頭に、この20年間、学会が次々と繰り出してくる邪義を、逃さず破折してきた。本紙も、僭越(せんえつ)ながらその一翼を担(にな)うことを志し、学会の邪義・謀略・悪宣伝をそのつど打ち破ってきたのである。
これに対する学会のスタンスは、会員がもともと日蓮正宗の信徒でもあったため、"学会こそが正統な日蓮正宗の清流を受け継ぐ教団であり、宗門は日顕宗に変質してしまったのだ"として、自らの正統性を前面に出し続けるしかなかった―そして、このことが、学会にとっては自縄自縛(じじょうじばく)に陥(おちい)る結果となったのである。
すなわち、常に日蓮正宗側から破折が加えられてくる中で、あくまでも学会こそ正統である(従来のまま変わっていない)と会員に見せかけておこうとしたことにより、池田大作を完全な本仏に仕立て上げることも、戒壇の大御本尊を否定し去ることもできなくなり、学会は池田教に脱皮することができぬまま、本尊は日蓮正宗26世日寛上人からの借り物、五重相対・五綱判等の教義解釈や読経唱題の勤行様式も、すべて日蓮正宗からの借り物、という中途半端な状態で、スルスルと今日まで来てしまったのである。
結局、池田教にもなりきれず、さりとて日蓮正宗にも戻れず(※学会員個人は、反省懺悔〈さんげ〉して邪義を捨てれば、個人として日蓮正宗に再入信できる)、信仰の核ともいうべき"信念"も何もない状況を20年間も続けてきたため、学会は間違いなく衰退コースに嵌(はま)ってしまった、といってよい。
その顕われとして、学会では次世代の青年が育たず、会館警備に婦人部が駆り出されるなどの醜態(しゅうたい)を晒(さら)したり、実勢力を示すものとされる公明党の得票数もジリ貧で、ついに昨年の衆院選では歴史的大敗北を喫し、政権から転落したばかりか、昭和42年の衆議院初進出時より議席数を減らしてしまった。
それに加えて、池田教化の最大のカギを握るシンボル・池田大作が、世襲(せしゅう)も実現できず、また後を担(にな)えるようなカリスマ後継者もいないまま、重大な脳の障害に陥った模様で、本年5月以降、公(おおやけ)の席に姿を現わすことができなくなっている。
いかに再起不能であるにせよ、全ての権力を握ったまま池田が存命しているかぎり、誰もおいそれとは権力に手を伸ばすことはできない。
いまや創価学会は、完全な脳死状態になったというべきだ。このまま、前にも進めず後ろにも戻れず、のたうちながら確実に朽(く)ちていくしかない、最悪の状態に陥ったのである。
いったい誰が、このような事態を予測しただろう。他人事ながら「お気の毒さま」という以外ない。
一方、これに対し、学会を破門した側の我が日蓮正宗の現状はどうか―。
昨年7月26日の法華講員7万5千の大結集といい、また海外布教の飛躍的進展、総本山大石寺の整備拡充といい、まさに「日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし」(御書1036頁)
の御金言どおり、日蓮大聖人の仏法が不滅に息づいている感があるではないか。
そして、それを支えているのが、大聖人以来の唯授一人血脈相承である。
今月16日、第68世御法主日如上人は、前御法主日顕上人より血脈を承(う)けて御登座あそばされてより満5周年を迎えられ、さらにその3日後の19日には、御隠尊日顕上人が米寿を迎えられる。
両上人が御健勝にておわすことは、何より尊(とうと)く有り難いことであり、日蓮正宗が万年の外まで不滅に継承・発展していくことの象徴であると拝せよう。
今こそ我々は、真の正法正師に随順しえた喜びを胸に、断末魔の創価学会に対し、大折伏を行なっていくべき時である。
▲反逆から20年!池田教に脱皮しきれなかった創価学会は、徐々に失速して、衆院選で大惨敗、池田も生ける屍と化して、いまや最悪の末路に
▲日蓮正宗は、700年来の正法正義を血脈相承によって不滅に伝承する宗旨である(写真は平成17年12月16日の御座替わり式)