"根無し草"の創価学会

―「略年表」に見る"根無し草"の実態―
―大聖人からの系譜と無縁の創価学会―

(『慧妙』H23.1.1)

 年末年始というのは、個人も社会も様々なことを振り返るものである。テレビの特番などでも「あの頃の…」といった言葉がよく聞かれる。
 最近では家系図を作成することが静かなブームなのだそうだ。これも「家」という切り口で、自らのルーツを振り返ることだろうか。
 宗門の歴史を振り返る時、調べたい時には「富士年表」が最も有用である。
 これには年表のみならず「法系譜」というものも掲載されていて、日蓮大聖人から御当代日如上人猊下に至るまでの道筋、すなわち唯授一人の血脈相承が明確に記されている。言い換えれば、日蓮大聖人へと繋(つな)がる脈絡が、万人の目にも明らかなのである。
 それでは、あの創価はどうだ。
 創価学会の公式HPには「略年表」というものが掲載されている。「略年表」であるから"略して歴史上の出来事を年月日順に記載した表"のことだ。
 創価の会則には、「第2条 この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ」云々と記されているが、不思議なことに、この「略年表」には、「日蓮」の御名が全く見当たらない。つまり創価の歴史には「日蓮大聖人」は存在しないのである。
 まさか、「略年表」だから日蓮大聖人は略したとでもいうのだろうか。
 しかしこれも、当然と言えば当然のことで、もともと創価は日蓮正宗の軒下に発生した集団であって、独自の教義も本尊も持ち合わせてはいなかったのであり、また本尊・教義を持たないこと自体が「創価学会は新興宗教ではない、日蓮正宗という由緒(ゆいしょ)ある宗旨の信徒の団体である」という、セールスポイントにもなっていたのである。
 その一方で、日蓮正宗宗門から破門された時には「魂(たましい)の解放記念日」などと嘯(うそぶ)いて、さんざんに利用した宗門を罵(ののし)り続け、あげくに宗教団体存立の根本的要素であるはずの本尊まで盗用し、未(いま)だ独自の本尊を定めることすらできずに現在に至っている。
 「魂の解放記念日」というからには、たいそうな記念日であろうに、「略年表」にはこれも全く見当たらない。どうやら創価は、歴史の改ざんや抹消が大好きな集団らしい。
 よって所属する構成員は、教義や本尊の解釈に混乱・迷惑し、個々の会員ごとに異なる主張をするようになるのだ。
 自らの年表に、宗旨の起こりも、自ら拝む本尊の縁由も記載できない似非(エセ)宗教団体、それが創価学会という規律なき集団である。まったくもって、みっともない連中だ。
 向後、当欄では、みっともない創価や、その他雑多な謗法の個人、集団に対し、時に鉄槌を加え、時に適当に揶揄(やゆ)し、時に傷口に塩をすり込むような筆致で、破折を加えてまいりたい。


▲学会は"根無し草"(写真は創価学会公式ホームページの略年表)