訓諭(仮題)

―正本堂は本門寺の戒壇たるを願って建立―
―訓諭の文意拝せば願望表明の意が明らか―

(『慧妙』H16.12.16ほか編集)


▲『大白蓮華』昭和47年6月号に掲載された日達上人の「訓諭」=「正本堂は一期弘法付嘱書(いちこぐほうふぞくしょ)並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇である。即(すなわ)ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」等として、正本堂の意義を「戒壇の大御本尊在すところは事の戒壇」「現時における事の戒壇」と明確に定義づけ、正本堂を御遺命の戒壇とはされなかったのである。(『慧妙』H25.6.1)

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 (※平成16年)11月17日付の『創価新報』は、「坊主ダマシの戒壇イカサマ説法」などと題し、8月26日の教師講習会における御法主上人の御講義を誹謗(ひぼう)・中傷する記事を載(の)せている。
 しかし、彼らが固執(こしゅう)する正本堂は、すでに平成11年、必要な法的手続きを経(へ)て解体撤去され、影も形もない。
 また、解体をめぐり全国各地で提起された、学会員による数多くの裁判は、全て宗門側の勝訴で終結している。
 にもかかわらず、執拗(しつよう)に誹謗・中傷を繰り返すなどは、裁判に負けた腹いせという他ない。
 さて、今回の記事は、昭和47年4月28日に出された正本堂の意義付けに関する訓諭(くんゆ)についての、日顕上人の御講義を誹謗するものである。


【「たるべき」の意味】
正本堂は一期弘法付嘱書(いちごぐほうふぞくしょ)並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇である。即ち正本堂は広宣流布の暁(あかつき)に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり(第66世日達上人・S47.4.28・正本堂の意義付けに関する訓諭)
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(2人の国語学者を登場させて)「たるべき」は断定の意味である
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●このなかの「本門寺の戒壇たるべき大殿堂」というところが、また1つの解釈があるのです。「たるべき」ということは、そうであるべきということにおいては、現在はその意義を含んでいる建物だけれども、広布の時にはその建物がそのまま『一期弘法抄』の本門寺の戒壇になるのだという解釈と、そのようになるべく願望しておるところの意味との2つの解釈があるのです。つまり「本門寺の戒壇たるべく願うけれども、未来のことは判らない」という意味が、そこには含まれておるということなのです。この2つがあって、それはどちらとも言えないという不定の意味で、こういうようなことをおっしゃったのではないかと思うのであります(第67世日顕上人『大日蓮』H16.12)
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 要するに、この御指南の前提には、本門寺戒壇に関する、きわめて教義上からの解釈が存しているのだが、くだんの国語学者は信徒でもなく、訓諭の作成に関わった者でない。このような人達が、本宗の重要な教義を理解した上で述べているものでなく、単に学問的に文書を解釈するに留まるものというべきである。
 そもそも、大聖人の御書も、門派により解釈が異なる。どの解釈が1番正しいかなど、一般の国語学者が判るはずもない。
 また、大聖人は『真言見聞』で、真言の「密」について、
 「疵片輪(きずかたわ)等を隠すは隠密なり」(御書611頁)
と仰せられている。この「隠密(おんみつ)」の語を国語辞典で調べると、「人に悟られないように隠して事を行うこと。そのさま。いんみつ」とある。大聖人が仰せられるまでの意味は書かれていない。このことについて国語学者の意見を求たら、いかがな見解となるであろうか。
 そもそも言葉の解釈には、直訳と意訳があり、全体の筋から訳すのは意訳である。日顕上人は、正本堂の意義付けや問題の前後の背景など、記録に表われない部分も含めた大きな意味で述べられているのだから、これを単なる「たるべき」の語の解釈だけで捉(とら)えることは、大きな誤りである。

●当時はあらゆる面で、広布の名を借りた創価学会の強制的独断の言動が多かったのであります。故に、その後の正本堂に関する定義について、大聖人の御遺命の建物とすることに強くこだわり、日達上人の御本意に背いて、その定義の文中に、「本門事の戒壇たるべき大殿堂」との字句を入れるように、強制・圧迫してきたのも、池田創価学会でありました。
 この字句が彼等の徹底した強圧によって入るようになったのちも、宗門ではこれについて、今後の僧俗一致の広布への奮励・精進によって、本門寺の戒壇となりうるような願望を表す意味に解すべきであり、それが宗祖大聖人の御正意に対する背反を免れる所以と考えておりました。
 しかるに、元来、大聖人の戒壇の正義を紊乱する不逞の見解をも持った池田達は、正本堂が御遺命の戒壇そのものの建物であり、その儀式だけをあとで行うものであるから「たるべき」というのであると、強固な信念を持っていたのであります。(第67世日顕上人・客殿新築落慶大法要H10/<御遺命守護資料館>WS)

現在は、広宣流布の一歩にすぎない。 したがって、正本堂はなお未だ三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇の完結ではない。ゆえに正本堂建立をもって、なにもかも完成したように思い、御遺命は達成してしまったとか、広宣流布は達成されたなどということは誤りである(理事長・和泉覚名の談話『聖教新聞』S47.10.3/『慧妙』H15.4.1)
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「広宣流布は達成されたなどということは誤り」学会がこのような談話を機関紙に掲載したことは、これまでに学会が一人「正本堂=御遺命の戒壇」に固執して、宗門へ意義付けを押し付けるべく圧力をかけていた何よりの証拠である。この発表で、妙信講との間に一時休戦の協定が成立し、かろうじて、落慶法要を迎えることができたのである。しかし、「正本堂建立=広布達成=広布第2章」という妄執は、池田を中心に生き続け日達上人の宸襟を悩ませることになる。(【広布第2章と正本堂】参照)


【兼日の治定は後難を招く】
 そもそも、日顕上人が仰せのごとく、物の道理として、未来のことはその時にならなければ誰も断定してしまうことはできない。
 『本門心底抄』を著した三位日順師は、御遺命の戒壇建立について
 「兼日の治定は後難を招くあり、寸尺高下注記する能はづ」
と、未来のことを現時点で定めてしまうことは将来にわたり禍根(かこん)を残すことになる、と述べられている。まことに故ある御文である。
 広宣流布の達成は、本宗僧俗の大願である。その大願の上から、当時として、正本堂が未来の戒壇たるべく願望した。ゆえに訓諭には

●未来において更に広布への展開を促進し、正本堂はまさにその達成の実現を象徴するものと言うべし(第66世日達上人・S47.4.28・正本堂の意義付けに関する訓諭)
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この文と「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」とを併(あわ)せて拝すると、日顕上人御指南のごとく、正本堂は未来広布達成の象徴としての存在であり、本門戒壇たるべく願望して建立する、との意味合いであることがわかる。また願望は願望であって、未来の決定ではない、との仰せも、日順師の御文とも符合する。


【日達上人に提出した確認書】
 ところで、創価学会は正本堂建立の前後、正本堂の意義について元妙信講の浅井と会談を行ない、日達上人に確認書を提出している。
 その内容は「1.正本堂は、三大秘法抄、一期弘法抄にいうところの最終の戒壇であるとは現時において断定はしない」また別の会談では「広布達成、御遺命達成の如何については、創価学会機関紙上に、未来にわたることである旨明記した論文を掲載する」という内容もあった。
 元妙信講との問題を解決しようとしたためとは言え、池田大作が従来、正本堂の完成をもって御遺命は達成される、としてきた方針を変えたことになる。
 また、この合意内容からいけば、「たるべき」を日顕上人の御指南と同じ意に訳していることになるが、如何(いかん)。


【無意味な議論】
 所詮、学会の誹謗は、言葉尻にとらわれた、ためにする言いがかりに他ならない。すでに、平成3年以降、自ら正本堂に参詣しなくなった者達から、云々されるいわれはなく、まったく意味のない無駄な議論である。
 所詮、池田大作の野望と妄執(もうしゅう)の染みついた正本堂が、解体されるべき因縁にあったことは、仏法の因果律から見ても当然の帰結であったといえる。我々凡夫は、現在の結果を見て、初めてそれを窺(うかが)い知ることができるのである。