家族内の1人の入信でも「1世帯」!?

―日達上人も実態見抜かれ認識を新たに―
―内外を欺く会員数のカウント法―

(『慧妙』H25.6.1)

 創価学会の広布観に「舎衛(しゃえ)の三億」という理論があることは前回で述べた。
 池田はこの理論を基(もと)に、総体革命の第一歩として、何としても正本堂こそ広宣流布の暁(あかつき)に建立される御遺命の戒壇である、と定義したかったのだ。
 当時、学会の急成長を御覧になった日達上人は、昭和40年の時点において「もうほとんど広宣流布が達せられつつある」と感ぜられ、次のようなお言葉を残されている。
●会長池田先生との談話の時に、私が、「すでに広宣流布しておる」と語ったら、会長は、「そうです。舎衛の三億です」と即座に答えられたので、私はその見識に内心感嘆(かんたん)したのである。(日達上人『大白蓮華』S40.1)
●この正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合(おうぶつみょうごう)して南無妙法蓮華経の広宣流布であります。(日達上人『大白蓮華』S43.1)
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 このように日達上人は、まさに広宣流布が実現するものと、非常に高い期待を寄せられていたのである。
 翻(ひるがえ)って、当時の国勢と学会の世帯数を見てみると、昭和40年時点での日本の世帯数は約2千3百万世帯、昭和45年では約3千万世帯である。一方、学会の世帯数は、昭和40年に5百万世帯、45年に755万世帯と、5年間で実に250万世帯も増加しているのである。
 学会の公表世帯数が正しければ、まさに総世帯数の3分の1に当たる1千万世帯を窺(うかが)う勢いであった。
 しかし、学会の公表する世帯数と現実の実数には大きな隔(へだ)たりがあった。
 昭和45年当時、日本の1世帯当たりの平均人数は約3.7人である。学会の世帯数のカウント方法では、1つの世帯の中で1人が入信し、御本尊を下付されれば、未入信の家族も含めた形で1世帯と計上されるのである。
 さらにその上、名簿の整理は行なわれず、退転者や死亡者・行方不明者などは差し引かれない。言い換えれば未入信者や退転者や幽霊までを含めた『水増しの累計数』なのだ。
 日達上人は、学会の公表世帯数が実体・実数の伴(ともな)わないものであることを知られると、正本堂=広宣流布という直接的な表現を示されなくなる。つまり、正本堂は未(いま)だ御遺命の戒壇ではない、との意志を示されるようになる。すなわち、
●戒壇の御本尊在(ましま)す処(ところ)は、すなわち事の戒壇である。究極を言えば三大秘法抄あるいは一期弘法抄の戒壇で、もちろん事の戒壇であるけれども、そこにまつるところの御本尊が、今この処にある。この御本尊様は戒壇の御本尊である。ゆえに、この御本尊おわします処がこれ事の戒壇である。それが御宝蔵であっても、奉安殿であっても、正本堂であっても、あるいはもっと立派なものができるかもしれない、できたとしても、この御本尊まします処は事の戒壇である(日達上人 昭和45年5月・寺族同心会)
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 さらに昭和47年の、正本堂の意義付けに関する『訓諭』では、
●正本堂は一期弘法付嘱書(いちこぐほうふぞくしょ)並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇である。即(すなわ)ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり(日達上人『訓諭』S47)
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等として、正本堂の意義を「戒壇の大御本尊在すところは事の戒壇」「現時における事の戒壇」と明確に定義づけ、正本堂を御遺命の戒壇とはされなかったのである。
 事実、正本堂寄進の功績により池田大作へ下付された「正本堂賞与御本尊」(昭和47年10月)の裏書きとして、学会側から
 「此の御本尊は、正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇為(た)ることの証明の本尊也」
と書いてほしい旨の要請があったにもかかわらず、それを退けられ、
●此の御本尊は正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇に準じて建立されたことを証明する本尊也(日達上人「正本堂賞与御本尊」の裏書)
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と認められている。ここに日達上人の明確な御意志が拝されるのである。
 正本堂建立以降、学会では口コミを使って、「御遺命達成、戒壇建立」と会員にすり込んできたが、宗門・日達上人からのお墨付きをもらえなかったことが、大きな痛手となったのは、間違いないであろう。
 幸いにも、平成3年の破門以降、20年を経(へ)た現在の弱体化した組織力では、総体革命が成し遂げられる見込みもなくなったが、いまだ2、3百万人の会員を擁(よう)する創価至上主義の狂信集団の勢力には十分注意が必要だ。日蓮正宗から離れた宗団は必ず衰退の一途を辿(たど)る、ということが必然の理だとしても、否、そうであるからこそ、邪教創価学会に対する折伏は急務なのである。


▲『大白蓮華』昭和47年6月号に掲載された日達上人の「訓諭」。創価学会の「世帯数」のトリックを見ぬかれていた日達上人は、正本堂を「御遺命の戒壇」とはされなかった