正本堂の意義付けに利用された「舎衛の三億」(仮題)

―強引に広布達成を計ろうとした池田―
(『慧妙』H25.5.1)

 (前略)正本堂の御供養を集めたのが昭和40年。この時点での世帯数は5百万世帯を超えたところであった。強引な折伏の悪弊(あくへい)であろうか、この時期には、すでに折伏増加の勢いにも陰(かげ)りが見え始めていた。
 とはいうものの、どうしても"広宣流布は成った!"としたい池田は、ある説話をもって広宣流布の気運を高めていったのである。
 その説話とは『大智度論』に、
 「舎衛(しゃえ)の中に九億の家あり、三億の家は眼に仏を見る。三億の家は耳に仏有ると聞くも眼に見ず、三億の家は聞かず、見ず。仏舎衛国に在(あ)ること二十五年而(しか)も此の衆生は聞かず見ず、何(いか)に況(いわん)や遠き者をや」(大正蔵25-125)
とあるもので、釈尊が25年間にわたり法を説いていた舎衛国において、実際に釈尊を見た人は全体の3分の1。さらに3分の1は、仏のいることを聞いたが、見たことがない。残りの3分の1は、仏を見たことも聞いたこともなかった―というもので、つまり、仏に遭(あ)い法を聞くことが難しい、ということを説いたものである。
 これをもって、池田は、
 「釈尊在世において、全インド中、もっとも釈尊に縁深き仏国と称せられた舎衛国に『舎衛の三億』という原理があります。すなわち、その民衆の3分の1は仏を見、仏の説法を聞いて信仰しました。次の3分の1は仏を見たが法は聞かなかった。残りの3分の1は仏を見たことも、法を聞いたこともなかったといわれております。いま、われわれの化儀の広宣流布、王仏冥合(みょうごう)の実践をば、その方程式にあてはめてみるならば、学会員が日本の総人口の3分の1となり、さらに、信仰はしないが、公明党の支持である人たちが、つぎの3分の1となり、あとの3分の1は反対であったとしても、事実上の広宣流布なのであります。王仏冥合の実現は、この舎衛の三億を築けばよいのであります」(『大白蓮華』S40.9)
と、日本の総人口の3分の1が信仰を持てば広宣流布である、と述べたのである。
 この発言に、多くの人が乗せられた。戸田会長の宣言どおり75万世帯を成し遂げ、毎年倍々ゲームのごとく世帯数を伸ばして5百万世帯を突破、350億という空前の正本堂建立御供養を集め、いよいよ広宣流布間近である、と言われれば、当時としては、皆が錯覚(さっかく)を覚えてしまったのも無理からぬことであろう。
 後に詳述するが、日達上人が池田の思惑(おもわく)を見破り、"正本堂は現時における事の戒壇堂である"と意義付けられたのは、まさに御仏意のしからしむるところと拝せられる。


▲池田大作の「舎衛の三億」についての指導が載った『大白蓮華』