『観心本尊抄』の「十界久遠之上国土世間既顕一念三千殆隔竹膜」の読み方について

(教学部長 水島公正『大日蓮』H24.1)

1.改訂点
 表題の御文について、現在の『平成校定御書』では、
 「十界久遠之上ニ国土世間既ニ顕レ、一念三千殆ト隔ツ(二)竹膜ヲ(一)」(1-P761)
と返り点・送り仮名が付され、『平成新編御書』第5刷では、
 「十界久遠の上に国土世間既に顕はれ一念三千殆ど竹膜を隔つ」(P655)
としていますが、このたび、この御文の読み方を、
 「十界久遠の上に国土世間既に顕はる。一念三千殆ど竹膜を隔つ」
と改訂しました。


2.従来の読み方の経緯
 宗祖日蓮大聖人の御真蹟『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』(中山法華経寺蔵)は、送り仮名・返り点の一切ない白文体であり、また第2祖日興上人の写本が京都要法寺に、日高本・日祐本が京都本法寺に、身延日朝本録内が身延にそれぞれ所蔵されていますが、いずれも公開されていないので確認はできません(日高本・日祐本は白文であると推測されます)。
 読み方が確認できるのは、刊本『録内御書』からで、寛文9年版、宝暦修補版ともに、
 「十界久遠之上国土世間既ニ顕ル一念三千殆ト隔(二)竹膜ヲ(一)」
となっており、それ以降の諸本は、
 「顕」について、「顕る」、「顕は(わ)れ」の2種、
 「隔」について、送り仮名のないもの、「隔てたり」、「隔つ」の3種
の読み方に分けられます。
 他門日蓮宗等では、安国日講の御書講義本『録内啓蒙』の影響を受けたであろう小川泰堂が、明治13年12月発刊の『高祖遺文録』で、
 「十界久遠之上ニ国土世間既ニ顕ハル。一念三千殆ント隔テタリ(二)竹膜〈マク〉ヲ(一)。」(14-P44ヲ)
と読んで以降、現在に至るまでいずれも「顕る」「隔てたり」と読んでおり、本宗でも昭和27年4月の『日蓮正宗聖典』及び昭和46年の『昭和新定御書』もこれと同様の読み方をしています。
 しかし、第52世日霑上人御正筆の『祖文纂要』、及び明治13年1月刊行の同書では、
 「十界久遠之上ニ国土世間既ニ顕ル一念三千殆ト隔ツ、(二)竹膜ヲ(一)」(P27)
また第62世日恭上人の『日蓮大聖人御書十部抄』でも、
 「十界久遠之上ニ国土世間既ニ顕ハル。一念三千殆ト隔ツ(二)竹膜ヲ(一)。」(P297)
と「顕(は)る」「隔つ」と読んでいました。
 一方、第59世日亨上人は、大正15年6月校訂発刊の『祖文纂要』(教学叢書第3編)で、
 「十界久遠の上に国土世間既に顕はれ一念三千殆ど竹膜を隔つ」(P53)
また昭和27年4月発刊の『御書全集』でも、
 「十界久遠の上に国土世間既に顕われ一念三千殆ど竹膜を隔つ」(P248)
と「顕は(わ)れ」「隔つ」とされたことから、現行の『平成新編御書』『平成校定御書』でもこれを踏襲してきました。


3.改訂の理由
 このたびの読み方の改訂は、日霑上人の『祖文纂要』、日恭上人の『御書十部抄』に従って、「顕はれ」を「顕はる」に改めるという趣旨で、以下、要点を解説します。なお、「隔」の読み方は、今回の改訂に当たらないので省略します。
 前述のとおり「顕はれ」と読むのは、日亨上人が校訂発刊された『祖文纂要』からです。その理由は、第26世日寛上人の『観心本尊抄文段』の科段によられたものと推察します。
 日寛上人は、享保6(1721)年6月24日より閨(うるう)7月11日まで、総本山御影堂において『観心本尊抄』を講義し、同年11月上旬に『文段』として整足されました。このため、実際の御講義の聞書(ききがき)類と『文段』とを比較すると、科段の名目等に多少の違いが確認されるのです。
 該当の御文は本門脱益三段の「所説の法体」を明かす箇所に当たり、さらに左(※下)図1・2のように2段に細分されますが、日寛上人は『文段』の整足に際して、初めの「直ちに木迹相対す」を「直ちに迹門に対して以て本門を明かす」に、また二の「文底に望み重ねて本迹相対す」を「重ねて文底に望みて還って本迹を判ず」に改訂されています。ただし「十界久遠之上国土世間既顕」の御文については、科段の位置変更がありません。このため、日亨上人は従来の読み方をあえて「顕はれ」と読まれたものと考えられます。



 この「所説の法体」を明かす段について、改めて検討すると次の点が挙げられます。

イ 日寛上人が御講義の後、『文段』として整足されるなかで、前段の科目名を変更された点が挙げられます。御講義の如く「初めに直ちに本迹相対す」であれば、該当する文は「所説法門亦如天地」で必要充分と言えます。しかし『文段』において「直ちに迹門に対して以て本門を明かす」と改訂されたことを勘案すると、当細目には、続く「十界久遠之上国土世間既顕」までが含まれなけれぱ、本門の内容は明確にならないということです。

ロ 後段の「重ねて文底に望みて還って本迹を判ず」と科目名を変更された趣意は「一念三千殆ど竹膜を隔つ」の文にあることから拝すると、「十界久遠之上国土世間既顕」は前段すなわち「本門を明かす」段に属するのが適当と考えられるということです。

ハ 日寛上人は御講義に際し、「一念三千殆ど竹膜を隔つ」について、17もの他門の異解(いげ)を列挙して破されています。その他門の異解に「十界久遠」からの国土世間と一念三千とを関連させるものがあり、その全体の異解を破するための便宜上、あえて「十界久遠」以下の文を同じ細目に属されたと拝察できることです。

ニ ハの観点から、当御文が科段どおり後段の「重ねて文底に望みて還って本迹を判ず」る段に属することは当然ですが、意義内容は前段の「直ちに迹門に対して以て本門を明かす」段にあることも勘考すると、当御文は前後双方の科段に属して拝するのが妥当と判断できることです。

 以上の点につき、御法主日如上人、ならびに御隠尊日顕上人の御指南を賜り、「顕はれ」を「顕はる」と改訂した次第です。