創価学会破折

「イスラム社会も創価の師弟を賞讃」だって!?

―池田への賞讃報じる『聖教』―
―学会には、もはや大聖人の精神は全く無し!!―

(『慧妙』H21.11.16)

 10月29日付の『聖教新聞』で、驚くべき見出しが目に飛び込んできた。
 「イスラム社会も創価の師弟を賞讃」というものだ。
 記事には「世界最大のイスラム国であるインドネシアでも、池田先生の思想と行動が賞讃されている。」「今や、世界のイスラム社会が創価の師弟をこぞって讃歎(さんたん)している。」「東南アジアのマレーシア。イスラム教を国教とする、この国でも、SGIの運動が高く評価されている」など、およそ日蓮大聖人の仏法を信仰する宗団とは思い難(がた)い内容が羅列(られつ)してある。
 破門以後の創価学会は、各仏教宗団と交流を持つなど、大聖人の四箇の格言、破邪顕正の精神に大きく違背(いはい)する現状があるが、ついには外道に誉(ほ)められることを堂々と自画自賛するまでに墜(お)ちた。
 いまさら仏教と外道との相違を述べるまでもないと思うが、これに迷う学会員のために簡単に示そう。
 イスラム教は、仏教・キリスト教とともに世界三大宗教の1つに数えられ、唯一絶対の神であるアッラーを信仰の対象とし、神が最後の預言者ムハンマドを通じて人々に下したとされる、コーランを聖典とする。ユダヤ教やキリスト教と同様にアブラハムの宗教の系譜に連なるとされる唯一神教である。
 ちなみに、これらイスラム教やキリスト教などが世界各地の戦争や紛争に関わっていることは、真の平和への道がそれらの宗教にない、ということの証明である。
 釈尊は、仏教以外の宗教・哲学・思想すべてを外道とし、内道たる仏教との相対を明かされた。そして日蓮大聖人も、五重相対判の第1番目に内外相対を挙(あ)げ、因果の理法を説かない外道は、三世の因果律を説き尽(つ)くした仏教に劣ることは明白である。
 このように、釈尊、大聖人がすでに破折されているにも拘(かか)わらず、外道の宗教に媚(こ)びを売り、そこから賞讃されたことをひけらかしている創価学会は、外道と同等もしくはそれ以下、といえる。
 本来、難信難解である大聖人の仏法を弘通する折伏行には、迫害や法難が起こってくるのは至極当然のことである。しかし、宗門から破門された創価学会は、すでに折伏を忘れて「対話」「交流」を重んじ、他宗から批判を受けなくなるどころか、共存共栄を図るようにまで成り下がったのである。
 他宗教や世間の識者といわれる人々からの賞讃で有頂天になっている池田、また、これをもって創価学会が正しいと言わんばかりの報道に、開いた口がふさがらない。しかもその実態は、賞讃してくれる人を捜し回り、裏工作をして池田礼讃のコメントを取るなど、作られたものにすぎない、との告発・批判が絶えない。
 以前にも創価学会は、かつて邪宗教と詈(ののし)っていた立正佼成会の幹部と共存共栄をはかるための話し合いをしたり、天台宗・真言宗・浄土真宗などの諸教団に「今まで『邪宗教』呼ばわりし、申し訳なかった」とお詫び行脚(あんぎゃ)を行なったことがある。
 これらは、池田の「真言亡国・禅天魔、法を下げるだけでしょう」との謗法発言からも明らかなごとく、謗法容認、謗法与同の重罪である。いくら「創価の師弟」が賞讃されようが、なんの価値も存在しない。
 むしろ、外道、邪宗にすり寄り、大聖人はもとより、釈尊仏教にも背(そむ)く創価学会は、

●愚人にほめられたるは第一のはぢなり(御書577頁・全集237頁)

の御文をよくよく拝し、自らの恥ずべき無信心を自覚すべきである。