和合誓った戸田学会の寄進―大講堂

―三師在(ましま)す教学研鑽(けんさん)の場―
(『慧妙』H21.10.16)

 裏門から六壷に向かう中間地点に位置する大きなコンクリートの建造物が大講堂です。
 概要は、建坪763坪、総延床2,800坪(9,240平方メートル)の鉄筋コンクリート造りで、高さは約30メートル、間口55メートル、奥行きは50メートルの大規模な構造です。階層は7階建てで、3階から上が吹き抜けの大広間(702畳敷)となっており、堂内北側には会議室や教場が設けられています。
 一般的に「講堂」とは、仏教寺院における七堂伽藍(がらん)の1つで、教義・法門等の教法を講じ、法要を営(いとな)む堂舎のことをいいますが、この大石寺の大講堂では、例年行なわれる本宗僧侶の養成機関・富士学林研究科や、行学講習会、また夏期講習会の会場などに使用され、本宗僧俗の教学研鑽の場となっています。
 この大講堂は昭和33年3月、総本山第65世日淳上人の代、法華講大講頭(当時)・創価学会第2代会長 戸田城聖氏はじめ信徒らの御供養によって建立寄進された堂宇(どうう)です。当時の記録を見ると、昭和31年12月に起工式が行なわれ、工期には1年2ヵ月を費やしています。
 ちなみに建設工事の最中、工事現場の地下60センチほどの所から、木箱に詰めて埋められたと思われる古銭が2千余枚も発掘され、吉兆(きっちょう)として大変な話題を呼んだそうです。
 この大講堂は、昭和30年代当時における広布進展の上で非常に重要な意義をもって建設されたことが窺(うかが)われ、貴賓室をはじめ、当時ではまだ珍しかったエレベーターが設置されるなど、当時の最先端の技術を駆使し、さまざまな状況を想定し建立されたようです。
 この頃の富士宮近郊にはいまだ高層の建造物は少なく、そのため、最上階からは富士宮の全景、はては駿河湾まで眺望できたとのことです。
 なお、3階の大広間に御安置されている御本尊は、宗祖日蓮大聖人が御図顕された文永11年12月の御本尊(通称「万年救護本尊」)を模刻した板御本尊で、第30世日忠上人によって造立されたものです。
 また、御本尊の向かって左手には御開山日興上人、右手には日目上人の位牌(いはい)が御安置されています。これは大聖人・日興上人・日目上人の御三師が、常に此の場所に住されて説法する、という意義が込められているのです。

 さて、大講堂の正面玄関入り口の手前、左手には、日淳上人の御染筆によって認(したた)められた戸田城聖氏の「妙法の広布の旅は遠けれど ともに励まし ともどもに征(ゆ)かなむ」との遺詠(いえい)の碑が置かれています。
 この「ともに励ましともどもに征かなむ」とのくだりに、本心では日蓮正宗と共々に歩むことを願ったであろう戸田氏の心情が表われていますが、残念ながら、その精神を全く亡失(ぼうしつ)してしまったのが、今日の創価学会であります。
 せめて、1人でも多くの学会員が、再び「ともどもに征かなむ」と決意できるよう、私達は学会員に対する折伏を進めてまいりたいものです。


▲大講堂


▲大講堂の脇に建つ日淳上人の御染筆による戸田会長の歌碑