注目される「女性市議転落死」描いた映画

―事件と学会と暴力団の接点とは!?―
(『慧妙』H23.12.1)

 (前略)創価学会の反社会的体質を示す極めつけは、暴力団との密接な関係と言えるだろう。
 すでに本紙では、昨年5月に山口組系後藤組の後藤忠政元組長が『憚りながら』という書物を発刊し、創価学会との深い関係を明らかにした際に、創価学会の責任を厳しく指摘、指弾したが、このたび、朝木明代東村山市議の転落死事件(平成7年9月)に関して、事件と後藤組・創価学会の関係をテーマにした、注目すべき映画があることが明らかとなった。しかもその映画は、何者かによる圧力によって上映ができないまま、現在も、お蔵入りになっているというのである。


【転落死事件の謎に迫った映画】
―「暴力団による偽装自殺事件」!?―
 問題の映画は、反権力的な映画を撮ることで知られる渡辺文樹監督が平成15年(2003年)に作成した『阿鼻叫喚(あびきょうかん)』と題する映画である。
 映画はフィクションであるが、渡辺監督が作成した映画のパンフレットに記載されている「渡辺文樹監督近況レポート」には、その『阿鼻叫喚』という映画の内容が次のように書かれている。
●2003年 『阿鼻叫喚』 創価学会と山口組系後藤組による、東村山市女性市議の偽装自殺事件をメインに描いた、学会の犯罪史である。作品はほぼ完成しながら、主演女優の身体の安全対策上の都合から、上映が宙に浮いている。(渡辺監督が作成した映画のパンフレット)
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 かなりセンセーショーナルな文章だが、朝木市議の転落死事件については、自殺であるとして、警視庁が事件性を否定。検察庁も事件性は認められなかったとして、捜査を閉じている。
 しかし、捜査終結後に作成された朝木市議の司法解剖の鑑定書には、法医学上、「他者と争った痕(あと)」と解釈されうる内出血痕が、朝木市議の上腕内側に残っていた、との事実が記載されている他、事件当時、東京地検八王子支部で捜査を担当した検事が、創価学園・創価大学出身でバリバリの創価学会員であったこと、さらに、その上司の東京地検八王子支部の支部長検事も、創価学会の総体革命を推進する「法学委員会」の参与を務め、学会副会長の妹と結婚している学会幹部であったこと等が明らかとなっている。
 こうした首を傾(かし)げざるをえない事実、さらには警視庁が東京都議会与党の公明党の圧力に弱い事実-等々を勘案し、遺族や関係者は、事件性を認めなかった警察・検察の捜査は不十分であり、朝木市議の転落死には事件性(それも殺害された可能性)があると主張し、今日まで事件の真相糾明を求めた活動を続けている。


【学会・暴力団と事件との"接点"】
―公明都議と後藤組長の密会ビデオ―
 その朝木市議の転落死事件との関連が取りざたされているのが、「都議会公明党のドン」とか「池田大作のお庭番」などと呼ばれた藤井富雄元都議会公明党幹事長(元創価学会壮年部長)と後藤元組長との「密会ビデオ」の存在である。
 この「密会ビデオ」の存在について後藤元組長は、『憚りながら』の中でその存在を認め、最終的には亀井静香衆議院議員が持っていったと聞いている、としている。
 では、そこではどのような会話がなされたのか。ジャーナリストー・魚住昭氏が執筆した『野中広務 差別と権力』(講談社)には、この「密会ビデオ」について、次のような記述がある。
 「住専国会で新進党切り崩しの材料になった『密会ビデオ』。その存在が永田町の一部で取りざたされるようになったのは、これより3ヵ月前の95年12月ごろのことである。
 当時、自民党の組織広報本部長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井が『命を狙(ねら)われている』という噂(うわさ)が流れた。その噂を裏付けるように亀井付きのSPが増員され、亀井の車はつねに警視庁の警備車両2台にはさまれて移動する騒ぎになった。村上正邦(注・元労働大臣)の元側近が語る。
 『騒ぎの発端は、藤井さんと後藤組長の密会ビデオでした。亀井さんが入手したそのビデオのなかで、藤井さ
んは反学会活動をしている亀井さんら4人の名前を挙(あ)げ「この人たちはためにならない」という意味のことを言ったというんです。受け取りようでは後藤組長に4人への襲撃を依頼したという意味にもとれる
』」
 この中の、学会のためにならない「4人」のうちに、朝木市議の名が入っていたという。
 後藤元組長は、「密会ビデオ」の存在は認めるものの、その内容についてはまだ明らかにしていない。
 だが、『憚りながら』において後藤元組長は、藤井元都議が、創価学会と自らのパイプ役だった事実を認めているし、藤井元都議も、かつて『週刊現代』(平成9年11月22日号)の取材に対して、後藤組長と面識があることを認めている。
 また、後藤組は、「富士桜自然墓地公園」の建設に際して、創価学会からの依頼で墓苑反対運動潰(つぶ)しに尽力し、反対運動のリーダーの左腕を日本刀で切り落とし、その傷がもとで数ヵ月後に死亡させた、歴とした暴力団である。
 学会と後藤組と「密会ビデオ」の関係がいよいよ注目されるではないか。


【主演女優への脅迫で上映中止!?】
―今こそ学会に鉄槌加える時―
 さて、これらを思いきった解釈でストーリー化した映画が『阿鼻叫喚』だという。これを撮影した渡辺監督は、取材に対して事の顛末(てんまつ)を次のように説明する。
●映画はフィクションですが、私なりの認識をストーリー化したものです。上映準備をしていたら主演女優が、ある日、突然、非常に怯(おび)えた表情で私を訪ねてきて、「この映画に出たことが分かると、私と私の家族が危ない」「殺されるかもしれない」と、上映の中止を求めてきたのです。おっとりした女性だったのですが、非常に切迫(せっぱく)した態度でした。脅迫(きょうはく)か圧力があったのでしょう。私としては上映したかったのですが、女優さんの身の安全を犠牲にしてまで上映することはできない。そこで上映中止としました。しかし今後とも機会があれば上映したいと思っています。(映画『阿鼻叫喚』を撮影した渡辺監督)
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 『阿鼻叫喚』の上映実現を期待して止(や)まないものである。
 周知のように、暴力団と密接な関係があったタレントの島田伸助が引退。その言動や動静について、テレビを中心とするマスコミは大々的に報道した。
 しかし、公益法人でありながら暴力団と蜜月関係にあったことが指摘される創価学会については、政界・マスコミ界ともに、いまだにこの事実を追及しようとはしない。
 公益法人でありながら暴力団と関係をもち、税法上の優遇措置を受けていながら国税庁の調査を妨害、あまつさえ言論出版妨害事件に盗聴事件、さらには会長・理事長をはじめとする最高幹部から、末端の幹部までが名誉毀損(めいよきそん)を犯(おか)す創価学会。
 このような創価学会を放置することは、未曾有(みぞう)の国難を受けた日本を、さらに亡国へと陥(おとしい)れかねない。
 破門から20年。醜悪な実態を晒し続ける創価学会に、いまこそ鉄槌(てっつい)を加える時である。


▲反学会活動家だった朝木市議の転落死は、自殺か、他殺か!? 裁判所は司法解剖鑑定書に基づき"他殺の可能性あり"と認定した


朝木明代と創価学会・公明党(仮題)
(「朝木明代」<ウィキペディア>H24.1.14)

1992年(平成4年)の半ばごろから草の根市民クラブと創価学会・公明党との関係が悪化した。朝木明代自身の寄稿(1995年)によると、6月の流域下水道協議会で懇親会費の支出に異を唱えて公明党所属の小金井市議と口論になったことがきっかけである。しかし、2001年ごろの矢野らの説明では「1992年に日蓮正宗寺院が草の根市民クラブに創価学会員からの人権侵害を訴えたことから批判を始めた」あるいは「1992年に下水道対策会議問題で批判を開始」となっている。『東村山市民新聞』35号(1992年7月15日)・36号(1992年9月16日)は、「学会を辞めたい」という匿名市民の投書を掲載して「学会員や公明党議員には平気で人権侵害する人がいる」という朝木明代のコメントをつけ、創価学会が日蓮正宗に破門されたこと(1991年11月)を報じている。日蓮正宗は、創価学会は破門により宗教法人の適格性を失った、と破門の直後から主張しており、草の根市民クラブもこれと同一の主張を市議会の質疑・行政訴訟・『東村山市民新聞』・ウェブサイトなどで繰り返すことになる(後述)。

平成4年12月定例会では、上記の「口論」に関連すると推測される2つの陳情、
「個人の名誉を著しく傷つけ、かつまた議員としての職分を放棄する朝木明代議員に反省決議を求める陳情」 「朝木議員に対し『女のくせになんだ』という女性蔑視発言を行いながら、潔く取消も謝罪もせず、逆に、朝木議員を的外れに攻撃することで責任をすり変えるなど議員としての資質に欠ける小金井市議会の公明党所属・○○△△(個人氏名、他は原文ママ)議員に反省を求める意見書送付に関する陳情」
が提出された。陳情の審議に先だって除斥を求められた朝木明代は、「公明党、○○議員の一身上の問題であって、私の一身上の問題ではありません」と発言し、議場に留まって陳情の審議を阻止した。

1993年からは、朝木明代は、市議会においても創価学会・公明党の追及に力を注ぐようになる。1993年の平成5年6月定例会では、公明党市議を監査委員(市議会議員枠)に選任する案に対し、「聖教新聞社と創価学会の関係は?」「聖教新聞社は法人か非法人か?」と市長を問いつめ、6月10日の一般質問では、日蓮正宗から破門された創価学会は宗教法人と言えないのではないかと述べ、課税において宗教法人扱いを続けていることへの疑問を呈した。1994年の平成6年9月定例会では、旧公明会館・創価学会東村山文化会館の家屋調査について質問し、1995年の平成7年3月定例会の予算歳出質疑では、東村山市に転入した創価学会脱会者を「創価学会の東村山市の職員が住居を探し当てて尋ねてきた(原文ママ)」ことを追及した。

1995年には『週刊新潮』(2月9日号)に朝木明代・矢野穂積への取材を主なソースとした特集記事「創価学会に占領された東村山市役所のゆがみ」が掲載された。並行して、『東村山市民新聞』で「公明党・創価学会は政教一致で憲法20条違反」と主張した。平成7年3月定例会で、公明党議員がこれらを非難すると(1995年3月17日)、朝木明代は、3月22日の質疑で「弁明すればするほど、かえってみずから立証してみせてくれた。手間が省けた」と反論した。また、公明党議員が矢野穂積を「裁判マニア」などと呼んだことに対し、市の法的責任を追及した。