藤井(元・公明代表)と暴力団組長の「密会ビデオ」は実在した!

―創価学会・公明党を震撼(しんかん)させる大スクープ―
―会談をセットし、撮影したのは有名フィクサー―
―「大物代議士の秘書の依頼で」と真相を暴露―

(『慧妙』H24.8.1)

 去る7月下旬、『池田大作と暴力団』と題する書籍が、宝島社から発売された。
 その書籍の中で、ノンフィクションライターの西岡研介氏が衝撃的な大スクープを発表している。すなわち、かつて盛んに取りざたされた、後藤忠政・後藤組組長と「公明」の藤井富雄代表(いずれも当時)の密会を撮影したビデオテープの件について、その撮影者を特定したばかりか、ビデオのほかに録音テープも存在することを明かし、さらに、その密談のあらましまで暴露(ばくろ)したのである!


【政争の具にされた学会と暴力団の関係】
 「独占スクープ!盗聴実行犯、17年目の告白!後藤組組長/藤井都議会公明党顧問『密会テープ』の全貌]」と題する西岡氏の記事によれば、後藤組長と藤井代表の極秘会談が行なわれたのは、平成7年の初秋のこと。
 場所は、ホテルオークラに程近い、東京都港区神谷町にある白いレンガ造りのオフィスビルの2階にある「政官財だけでなく、ヤクザや右翼に幅広い人脈を持ち、大型経済事件では必ずといっていいほど、その名が取り沙汰されるフィクサー」B氏の事務所の社長室。
 そしてその極秘会談を設定したのが、他ならぬB氏だった、という。
 ジャーナリストの西岡氏の取材に対しB氏は、次のように語っている。
●ビデオはあった。というか、俺が撮(と)ったんだよ(笑)。ティツシュの箱にCCDカメラを仕込んで、後藤組長と藤井先生の2人が写るように(社長室の)デスクの上に置いて。ある筋から「後藤と藤井が密会している現場を撮って欲しい」っていう依頼があったんでね。
 当時、俺は後藤組長とは昵懇(じっこん)だったし、藤井先生とも「来てくれ」とお願いすればすぐに来てくれるという間柄だったから、俺に頼んできたんだろう。依頼者はある大物代議士の秘書。その代議士の名前?それは言えない(笑)。2人が何を話していたかって?覚えてないなあ……。俺としては、(後藤と藤井の)2人が会っているところを撮ればよかっただけの話だからな(政官財だけでなく、ヤクザや右翼に幅広い人脈を持ち、大型経済事件では必ずといっていいほど、その名が取り沙汰されるフィクサー)
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 古参の学会員であり、また公明党議員としても、都議会公明党・公明・公明党の要職を歴任してきた藤井が、闇の社会とも深いつながりがある人物から「来てくれ」と呼び出されると、「すぐに」飛んでいく―この1点だけを取っても、藤井と闇社会、否、創価学会・公明党と闇社会との関係が、甚(はなは)だ深いものであったことが容易に覗(うかが)われる。
 この当時、国会は住専問題で紛糾していた。国税を投入して処理を進めようとする与党に対し、野党の新進党(当時、公明党も新進党に合流していた)は対決姿勢を強めていた。
 その新進党を突き崩す"妙手"として、学会・公明党に"圧力"をかけるためのネタ作りをしようとする人々が現われても、何ら不思議ではない。そして、実際そのような形の裏面工作が行なわれたことは、"後藤組長と藤井代表の密会ビデオ"問題として各種報じられてきており、周知の事実となっている。


【山口組の本家ともパイプがあった学会】
 さて、"仕掛け人"のB氏が密談の内容を「覚えていない」のなら、2人の密談の内容は永遠に闇の中、ということになってしまうのか、というと、そうではなかった。じつはB氏、念には念を入れて、ある人物を介し、元中核派の活動家で、もっばら諜報活動に専念していたA氏に、密談の盗聴録音を依頼していたのである。
 西岡氏は、A氏が密談を盗聴録音していたことを先に突き止めていて、B氏と接触する前に、A氏に対しても取材を敢行していた。
 西岡氏の取材に対しA氏は、次のように語っている。
●2人の会話を一言一句覚えているわけではありませんが、いくつかのセリフは記憶しています。Bさんが社長室を出た後、後藤さんと藤井さんの間には、しばらく沈黙があったのですが、最初に口を開いたのは後藤さんでした。後藤さんはいきなり、藤井さんをこう問い詰めたのです。
 「なんでウチを飛ばして、中野の会長を通じて、5代目の親分に話を持ってったんだ?」
 おそらく藤井さんが、後藤さんの頭越しに、中野会を通じて山口組の5代目組長に何かお願い事をしたんでしょう。それに後藤さんは腹を立てている様子でした(密談を盗聴録音していたA氏)
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 このことについて西岡氏は、次のように記している。
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 では、藤井は中野会を通じ、渡辺組長(※山口組5代目組長)にどんな「お願い事」をしたのか。旧後藤組関係者が明かす。
 「学会はそれまで散々、後藤の親分に頼み事をしていたにもかかわらず、用済みとなったら、(後藤組との関係を)切りにかかってきた。けれども、学会のほうから一方的に手を切れば、10年前の二の舞になると考えたんだろう」
 旧後藤組関係者の言う「10年前の事件」とは、先にも述べた富士宮市での反対運動や百条委員会潰(つぶ)し(※創価学会は、昭和52年に起きた富士桜墓園造成に対する反対運動や、昭和55年に、創価学会と、当時の富士宮市長や自民党有力県議との癒着〈ゆちゃく〉による市政の"私物化"等の問題を糾明〈きゅうめい〉するため富士宮市議会に設けられた百条委員会を潰そうとして、様々な画策を行なった)で、学会が後藤組を利用した挙げ句、知らぬふりを決め込んだため85年、創価学会文化会館が後藤組系幹部らによって銃撃された事件のことだ。関係者が続ける。
 「そこで学会は、山口組のトップである5代目の親分に後藤組を押さえ込んでもらおうと、藤井が中野会を通じて山口組の本家に、《後藤を何とかしてください》と泣きついたわけだ。それ相応の"手土産"を持って、な。
 その後、5代目から後藤の親分はこう言われたそうだ。《なぁ、後藤よ。(創価)学会はもういいにしようよ》って。つまりは《これ以上、学会には触るな》ということだ。
 だが、こんな大それたことを藤井が、自分の一存で決められるはずがなく、その裏には当然、池田大作の指示があったはずだ。この池田の汚ないやり口には後藤の親分も腸(はらわた)が煮えくり返っていたそうだ」
 ヤクザを散々、利用しておいて、用済みとなれば切り捨てる―どうやらこれは池田大作=創価学会の抜き難い"体質"のようだ。(『池田大作と暴力団』)
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いやはや、これらの証言によれば、創価学会と暴力団との関係は、これまで報じられてきたような、単に一地方の後藤組とのもの、ということではなく、もっと幅広いものであったことになるではないか。


【明らかになった藤井・後藤の親密さ】
 A氏は続けて次のように語る。
●後藤さんは初め、藤井さんの言い訳を黙って聞いていましたが、しばらく経(た)ってから今度はこう言ったんです。
 「藤井先生よ、あんたんち(学会)のために、ウチの若いもんがいったい、何人捕(つか)まったと思ってんだ?
 これに対しても藤井さんは大声で釈明するものの、他人の私が聞いてても、まったく言い訳になってないという感じでした。
 会談の中身といっても、後藤さんはこの発言を2度、3度繰り返しただけで、あとは藤井さんがずっと大声で釈明しているという感じでしたね。
 しかし、最終的には2人の間で「今後とも(創価)学会がらみの案件は後藤組を通す」ということで話がつき、いちおうは丸く収まった様子でした。会談中の藤井さんの発言は終始、意味不明だったのでよく覚(おぼ)えていないのですが、別れ際(ぎわ)のセリフだけはよく覚えています。後藤さんが席を立つ間際、藤井さんは後藤さんにこう言ったんです。「また、ビュフェの絵を贈ります」と(密談を盗聴録音していたA氏)
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 これまた重要発言だ。藤井が後藤組長に「また、ビュフェの絵を贈ります」と語ったということは、少なくとも一時期は、相手の嗜好(しこう)を承知した上で絵画を贈るほどに深い関係にあったことを裏付けるものであり、また、それぞれの内心はどうあれ、この密会を機に、表面的には"復縁"を果たしたわけである。
 とはいえ、この後、「密会ビデオ」問題が表面化しているので、両者の関係には変化もあったろう。また、後藤組は平成20年に解散しているから、少なくとも後藤組については、そこで縁が切れたことになろう。
 しかし、このやりとりからは、いったん結んだ暴力団との"絆(きずな)"がいまだに活(い)きている可能性が強く推認されるのである。


【言葉を濁す藤井。「黙殺」は「黙認」だ!】
 西岡氏は、今回の大スクープを記事化するに当たり、当事者である藤井富雄に対し、確認作業を行なっている。以下は、西岡氏と藤井との電話でのやり取りである。
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〈藤井〉何の話だね?
―95年に港区虎ノ門のBさんの事務所で後藤組の後藤忠政さんとお会いになられましたね?
〈藤井〉(しばしの沈黙の後)私はそういうことには一切、タッチしていませんから
―え?それは(後藤組長と)お会いになってないという意味ですか?
〈藤井〉いや、私はそういうことにはタッチしませんから
―その席で、中野会を通じ、当時の山口組5代目組長に「後藤組を抑えて欲しい」とお願いしたことを、後藤さんから責(せ)められた、と後藤組の関係者から伺(うかが)ったんですが?
〈藤井〉ウソだよ。そんな話は
―え?それは後藤組の関係者がウソをついているということですか?
〈藤井〉(慌〈あわ〉てた様子で)あー、いや、いや、そんな話はもう忘れました
―いや、先生、忘れたかどうかを聞いてるんじゃなく、事実としてあったかなかったかを聞いてるんですが?
〈藤井〉私はもうね、そういう話にはタッチしませんから
―え?それは「過去はタッチしていたけれども、今はタッチしていない」という意味ですか?
〈藤井〉私はそういうことには一切、答えませんから、お断り!(『池田大作と暴力団』)
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今回の西岡氏の大スクープ記事に対し、池田創価学会ならびに公明党が、いったいどのような態度を取るのかが非常に注目される。いうまでもなく、「黙殺」は「黙認」と同義語である。



▲創価学会と暴力団との関係を暴いた『池田大作と暴力団』。西岡氏は、「公明」の代表だった藤井富雄(円内・写真提供=共同通信社)と後藤組組長との密談の内容や、その背景となった山口組との関係をスッパ抜いた!