紳助どころではない 信濃町と暴力団の癒着

(ジャーナリスト・古川利明『Forum21』H23.11)

(前略)
【墓苑造成を巡り暴力団を使って反対派潰し】
 創価学会(=池田大作)が、後藤組とのズブズブの関係を深めるきっかけになったのは、1965年、静岡県富士宮市の日蓮正宗総本山・大石寺に正本堂建立の御供養金として、公式発表で355億円(実際には、450億円前後だったといわれる)を集めたことだった。その際、正本堂建立の名目で、大石寺周辺の土地の買い占めに乗り出し、墓苑開発へと進めていったのである。
 ところが、約60万坪の農地の取得にあたって、農地法上の手続きをしていなかったり、農業従事者以外の所有を禁止されている土地を取得するなど、不正取得が発覚したのである。これを受けて、地元住民が73年池田大作を刑事告発したため、池田は右腕の学会顧問弁護士だった山崎正友を現地に送り込み、トラブルのもみ消し工作を命じた。
 山崎は、当時の植松義忠・富士宮市長(革新系)に「社公協力」を持ちかけて、接近を図る一方で、76年の同市長選では、古くからの大石寺の檀徒だった保守系の山川斌にテコ入れし、約1万人の学会票を回すことで、市長当選をもぎ取り、農地の不正取得の証拠隠滅を図った結果、富士桜自然墓地公園の開発もスムーズに動き始めた。ところが、80年の同市長選で、前職の植松が返り咲きを果たしたことから、状況は一変。富士宮市議会には、一連の疑惑解明を求めて、百条委員会が設置され、池田大作の証人喚問を求めるなど、一挙に反対運動がヒートアップしたのである。
 そのため、池田大作は、当時、公明党書記長だった矢野絢也に命じ、田中角栄の側近・二階堂進を通じて、「百条委潰し」を依頼し、金丸信を現地に送り込んだ。さらに、反対派住民や百条委で疑惑解明に動いた市議に対しては、地元の富士宮市に本拠を置く暴力団・後藤組を使って脅迫し、自宅にブルドーザーで突っ込むなどした。
 この後藤組の組長を務める後藤忠政は、1942年の生まれで、60年代末、まだ、20代の若さで、富士宮市に進出し、山口組の「菱の代紋」を掲げ、静岡県内で勢力を伸ばしていった。このときの墓苑造成を巡る「反対派潰し」で、後藤組は、その暴力装置としての役目をいかんなく発揮した。ある意味、その後の後藤組の興隆は、このときの「池田大作=創価学会・公明党」との出会いがあったからこそ、ともいえるだろう。
 後藤忠政が、山口組本部の「直参」(=直系組長)に引き立てられるのは、4代目組長・竹中正久の時代の84年で、その後、02年には、組織中枢の最高幹部の職である「若頭補佐」に就いている(その後、08年に除籍処分を受け、引退)。つまり、池田大作(=創価学会・公明党)の天下取りと後藤忠政(=後藤組)の勢力拡大は、「クルマの両輪」の関係にあることが、見て取れる。


【組長との「密会ビデオ」が自公連立を後押し】
 その後藤組は、92年には映画『ミンボーの女』を監督した伊丹十三への襲撃事件を引き起こすなど、平然とテロを行う「武闘派」としての名をほしいままにしていたが、その間、後藤組と信濃町との関係は、富士宮市の墓苑開発の反対運動潰しの報酬を巡って一時、関係がこじれたこともあった。83年に後藤忠政が、池田大作と竹入義勝(当時、公明党委員長)宛てに、対応を非難する内容証明付きの郵便を送りつける一方で、85年11月には、創価文化会館に拳銃が撃ち込まれる事件が発生し、後藤組組員が現行犯逮捕される一幕もあった。で、この前後から、都議会公明党のドンで、「池田大作のお庭番」とも言われていた藤井富雄が、後藤忠政との交渉相手となり、例の「密会ビデオ」へと繋がっていくのである。
 この後藤忠政と藤井富雄の密会ビデオが流出するのは、95年末ごろだが、これは後藤と藤井の会談を隠し撮りしていたものだ。時期ははっきりとしないが、藤井が学会に批判的な自民党国会議員ら4人、もしくは5人の名前を挙げ、「この人たちは、ためにならない」という意味のことを言ったとされる。受け取りようによっては、この名指しされた人に対する「襲撃の依頼」とも受け止められ、そのうちの1人が、当時、自民党で激しく創価学会攻撃を行っていた亀井静香(現・国民新党代表)といわれている。
 ところが、このとき、藤井富雄が挙げた4人、もしくは5人の中に、95年9月に転落死した朝木明代(当時、東村山市議)が含まれていたとの情報がある。これも未だに謎が多く、「未解決事件」といっていいものだが、じつは、映画監督の渡辺文樹がこの事件を徹底取材し、03年に『阿鼻叫喚』というタイトルで完成させている。この映画は、その朝木市議の転落死事件に、後藤組が関与していたとして、その内容もストーリーに組み込んでいるのだが、何と、上映できないまま「お蔵入り」となり、現在に至っているというのである。その理由について、渡辺監督は筆者の問い合わせに対して、こう答えている。
 「朝木明代を演じた主演女優が脅され、本人からも、所属事務所からも『(上映を)止めてくれ』と懇願されているので。私としては、早く上映したいのだが……」
 何とも、異常な状況が起こっているのだが、話を戻して、そのときの後藤忠政と藤井富雄の密会ビデオを使って、98年7月に発足した小渕内閣の官房長官に就いた野中広務は、執拗に「池田大作=創価学会・公明党」を脅し上げた結果、その後の「自公連立」(当初は自自公)へと繋がったといってもいいのである。
 事実、この密会ビデオの件を取り上げた魚住昭の『野中広務 差別と権力』(講談社)には、後藤組の内情をよく知る人物による「自公連立は後藤組がきっかけを作ってやったようなもんだ」との証言が紹介されている。つまり、「創価学会・公明党=池田大作」は、自らの天下取りにあたって、「後藤組」という非合法な暴力装置を使い切ったということである。
 あの「自公の10年」によってもたらされた日本のデタラメ状況を顧みるとき、その責任の深刻さにおいては、「紳助問題」など比較にならないことが、わかるだろう。それゆえ、我々ジャーナリズムは、こうした「反社会勢力=暴力団」と「権力」との癒着が生み出している腐敗と膿を、今後も徹底的に抉り出さなければならない。(文中・一部敬称略)

古川利明(ふるかわ・としあき)=1965年生まれ。毎日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)記者を経て、フリージャーナリスト。著書に『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』『デジタル・ヘル サイバー化監視社会の闇』『日本の裏金(上、下)』(いずれも第三書館刊)など。