海外広布
フィリピン広布

フィリピン地図
面積:29万9,404ku(日本の面積の約8割)
人口:8,947万人
住民:マレー人95%、中国系1.5%、その他3.5%
言語:公用語はフィリピノ(タガログ)語。英語は共通語として使われている。その他にビサヤ語、タガログ語以外のフィリピノ語、チャバカノ語、イロカノ、ワライなど80前後の言語がある。(『大白法』H19.8.16)

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 7,000以上の島々から成るフィリピン。大山脈あり、火山ありと変化に富む。
 アジア大陸と地続きだった旧石器時代から人が住み、大陸との分離後は、東南アジアやマレー人などが渡ってきた。
 15世紀にイスラム教が伝わると、一斉にイスラム化したが、16世紀にスペインの植民地となった後は、キリスト教国となる。19〜20世紀にかけてスペインから独立、アメリカの支配、日本軍の占領を経て、1946年フィリピン共和国が発足。300年間のスペイン統治でアジア随一のキリスト教国となり、今でも毎週日曜日には町中の人がミサに参加する。(『大白法』H19.8.16)


【広布の歩み】
フィリピン広布は、フィリピン布教所を中心に進展している。信徒の約9割が、布教所のあるルソン島のマニラ市とその近郊州に集中しているが、セブ島に約100名、パナイ島に約30名と、海を越えた島へも広がっている。(『大白法』H19.8.16)

<2010>
・フィリピン事務所が移転新築されフィリピン布教所に昇格

<2002>
・フィリピン事務所設立・御僧侶常駐

<1997>
・法人「日蓮正宗フィリピン仏教会」設立

<1995>
・元SGI総支部長他70名の大量脱会

<1992>
・辻律子氏ほか6名の脱会


インデックス
広宣山 法開寺(寺号公称・板御本尊)入仏法要/『大白法』H23.2.1

フィリピン布教所が開所/『大白法』H22.8.16

目標の信徒千名を達成/『大白法』H19.8.16

どこにいても心に御本尊様を/『大白法』H17.2.16

僧俗一体で広布を前進/『大白法』H16.5.16

慶祝記念フィリピン総会/『大白法』H15.12.1



フィリピン布教所が開所

―ケソン市―
―旧事務所から移転新築し昇格―

(『大白法』H22.8.16)

 7月25日、フィリピン共和国のケソン市において、フィリピン布教所(責任者・山澄信玉御尊師)の開所法要が、御法主日如上人猊下の御名代として漆畑行雄海外部長が赴かれ、厳粛かつ盛大に奉修された。
 これは、平成14年にモンテンルパ市に開所されたフィリピン事務所が、今般ケソン市に移転新築し、布教所に昇格したことによるものである。
 この法要には、海外部主任・芝頂恩御尊師をはじめシカゴ妙行寺住職・岩城信義御尊師、ほかに有縁の御尊師方が御出席。また、フィリピン全土から約4百名の信徒か勇躍参集し、新布教所の門出を慶祝した。
 第1回目の法要が午前10時40分より開始され、漆畑海外部長の御導師のもと、御本尊御開扉・献膳・読経・唱題と如法に奉修された。
 式の部では、フィリピン信徒で寺院建設委員会の湯川哲治氏による経過報告に続いて、漆畑海外部長より、「新しい布教所を帰命依止の道場として僧俗異体同心のもと、勇気をもって折伏を実践し、フィリピンに強固な広布の牙城を築いていただきたい(趣意)」との祝辞ならびに激励があった。
 さらに、フィリピン信徒代表シェリル・サブラオン氏の祝辞の後、山澄責任者より、フィリピン語による丁重な謝辞とフィリピン広布へ身を挺して精進する旨の決意が述べられた後、セブ島の少年部によるダンスが披露された。
 午後2時より開始された第2回目の法要は、読経・唱題と如法に奉修された後、式の部に移り、漆畑海外部長の祝辞に引き続き、壮年・婦人・青年・少年の各部代表により決意発表が行われた。またシェリル・サブラオン氏の祝辞、山澄責任者の謝辞があった。
 最後に「広布の青嵐(かぜ)」を日本語で合唱し、和やかな雰囲気のなか法要の一切はとどこおりなく終了した。
 フィリピン布教所は、約180坪の敷地に、鉄筋コンクリート2階建てで、1階には3百名収容の本堂と受付、2階には事務所・会議室・庫裡等が設けられた機能的な建物である。また、マニラ首都圏のほぼ中央に位置し、幹線道路や高架鉄道の駅から近く、庶民の足であるジープニーや鉄道を利用して参詣する多くの信徒とって、これまで以上に参詣の便がよくなり、フィリピン広布進展に拍車がかかるものと期待される。

[画像]:移転新築し、このたび布教所に昇格となり開所





目標の信徒千名を達成

―事務所創立5周年の本年―
―フィリピン事務所―

(『大白法』H19.8.16)

 1992年にわずか7名でスタートしたフィリピン広布。以来15年が経過した現在、信徒数は千名に達した。
 今回紹介する湯川哲治さんは、神奈川県小田原市出身で、在フィリピン17年目の46歳。フィリピン人、日本人、中国人と様々な文化・風習の入り交じった信徒組織の中で、中心的存在として活躍を期待される1人である。
 異国に根を張り、異文化に溶け込みながら海外広布の前線に立つ日本人信徒にスポットを当ててみた。

◇◇
〈Q〉まず、入信の動機について教えてください。
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〈湯川〉実家で母が亡くなった折に帰国し、曹洞宗で葬儀を行いましたが、どこか軽薄に感じてすっきりせず、漠然とした疑問を持ってフィリピンに帰ってきました。その頃、友人の八丁孝秀さんに誘われて日蓮正宗の座談会に出席しました。その席上、フィリピンに出張してこられた御僧侶に疑問を投げかけたところ、明快でよどみない答えが返ってきました。そのとき「ああ、この宗教は本物だな」と思い、入信を決めました。フィリピンに住んで7年目のことでした。

〈Q〉フィリピン人の奥さんも一緒に入信されたのですか?
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〈湯川〉いいえ、妻はそれから5年ほど経ってからです。妻は、私の入信は全く意に介さない様子でしたがが、フィリピン人の彼女自身が日本の宗教に改宗することにはかなり抵抗しました。「フィリピン人の宗教はキリスト教に決まっている」という凝り固まった考えを解きほぐすのに、ずいぶん苦労しました。

〈Q〉最近、折伏を成就されたと聞きました。そのことを教えてください。
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〈湯川〉きっかけは、仕事上の問題解決に向けて唱題をしたことです。
 私は、フィリピン在住当初から、マンゴーを日本に向けて輸出する日系企業と合弁関係にある現地企業に勤務し、現地責任者を任されていました。ところが昨夏、突如、自社の商品が厚生労働省の規制対象に挙がって輸出できなくなり、会社が存亡の危機に陥りました。本社と現地の間に立ってトラブル処理に奔走しましたが、その甲斐なく事態は悪化し、本年2月には、とうとう解雇を言い渡されてしまいました。
 家族を路頭に迷わせるわけにもいかず途方に暮れていたところ、フィリピン事務所責任者・山澄信玉御尊師より「こういう時こそ御題目です。きちんと誓願を立ててやり遂げていきましょう」と励まされました。
 翌日から、2時間唱題のため事務所へ通いました。車を使えば十分の距離ですが、簡単にお詣りできては修行にならないと感じ己の弱い心に打ち克つため、自宅から片道1時間かけて、毎日歩いて参詣しました。
 なかなか光が見えず「いよいよ日本に帰って職探しかな」と弱気になりかけた頃、有り難いことに退職金が手に入りました。そこで、十歳になる長男と妻と3人で御霊宝虫払大法会への参加を決意しました。家族揃っての登山参詣は初めてで、御宗門の歴史を直に感じることができる荘厳な儀式に参列でき、また、世界中の信徒と交流を持つことができ、記念すべき登山となりました。
 登山参詣の功徳は、私よりむしろ妻のほうがたくさん持ち帰ったようです。帰国後すぐに、母親をはじめ親戚を折伏しました。これまで何度話をしても聞いているだけの彼らが、妻の熱心な姿に打たれて入信を決意し、5月6日の広布唱題会の折に14名が御授戒を受けました。その後も妻は折伏を続け、今は親戚全員の入信が叶いました。

〈Q〉折伏成就の後、何か変化がありましたか?
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〈湯川〉はい、事態が急展開したのです。可能性はないと思われていた本社と現地企業との和解が成立し、柔軟に合弁解消できました。次に、事業再開の目処が立った時点で、本社は新たな現地出先機関の担当者として、私を改めて採用することを約束してくれました。そしてこの程マンゴーの輸入禁止が解除され事業を再開し、私は現地法人の役員に選出されました。
 「この信心をしていると『こんなことが起きるのか』というすばらしい体験をする」と聞いていましたが、まさにそれを実感しています。今後もさらに、真剣な唱題を続けたいと思います。
 正直に申し上げると、これまでは、信徒中心者の役目に対して何となく自信がなく、「言われたことを言われた通りやれれば、それでいい」と受け身の姿勢でした。しかし、この体験を通して、御僧侶の言葉は素直な気持ちで受け止め、家族や他の信徒に積極的に伝えていかなくてはならないと確信しました。
 その成果が早速現れ、家中の者が信心に前向きになり、私や妻が用事で参詣でさなくても自分たちだけで唱題会に足を運ぶようになりました。御説法の通訳に挑戦している青年部員が、本年1月21日に移転した新事務所の前に住んでいますので、最近は常にフィリピノ語で御法門を聴けるようになりました。これも大きく影響しています。会合に参加するだけでも「マサヤ(幸せな気分だ)」と言っていた彼らにとって、喜びも倍増のようです。
 お陰で今では、「2009(平成21)年は家族揃ってお山に行こう」と、私より妻のほうが張り切っています。十年近く信心してきて、今が一番幸せです。

〈Q〉最後に、フィリピン広布への決意をお聞かせください。
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〈湯川〉振り返ってみれば、入信に至るそもそものきっかけは、海外に住むようになってかえって、「自分は日本人である」と強烈に意識するようになり、日本の文化や伝統、特に仏事について関心を持ったことでした。在留邦人の中には同様の方が多いようです。中には「お寺に通っているそうだね。冠婚葬祭などで何かある時は頼むよ」という人もいます。
 また、新事務所がある場所は、世帯主が日本人であるお宅が多いエリアです。私の友人、知人もたくさん住んでいて、最近は息子の友達が座談会に参加することもあります。今後は、事務所近辺の折伏に特に力を入れます。なお、本年の「日蓮正宗フィリピン事務所創立5周年・千名信徒達成」の目標を7月15日に成就しました。2009年に向けて「地涌倍増と大結集」に貢献できるよう、さらにがんばります。





どこにいても心に御本尊様を

―家族が力を合わせ正法を持つ―
(『大白法』H17.2.16)

 「フィリピン人のフィリピン人によるフィリピン広布の尊い歴史を打ち立て、フィリピンをして世界一幸せな国土に転換させていってほしい(趣意)」。この尾林海外部長の御指導のもと、フィリピンの「僧俗前進」の歩みは確かなものとなりつつある。信徒数は2002年の事務所開設・僧侶常駐からわずか2年余りで倍増し、現在、フィリピン全土で600名を数える。
 フィリピンは、日本から飛行機でわずか3、4時間と、比較的近い。その地理的条件も手伝ってか、日本に居住する外国人のうち約1割がフィリピン人である。日本滞在中に折伏を受け、帰国後、マニラ首都圏のフィリピン事務所を訪れる信徒が年々増えているのも、それを反映している。
 ところで、フィリピンは7干600万人の国民の約4割から7割が貧困層ともいわれ、最近では失業率、インフレ率に拍車がかかり、さらに過酷な生活状況を強いられている。
 現在のところ彼らが貧困から抜け出す唯一の手立ては、ビザを取得し、サウジアラビア、香港、日本などの海外で就労して外貨を獲得することである。
 今回紹介するマリア・ロウェナ・サブラオンさんも本年1月末より半年間の予定で日本へ就労することになった。「出国のご挨拶に」と13日の御講日早朝、片道3時間かけて参詣した彼女に話を聞いた。
 彼女の実家は、首都マニラのあるルソン島からさらに飛行機で1時間離れたパナイ島のアクラン州カリボ市にある。昨年の3月には、両親の折伏により未入信だった親戚が全員入信し、総勢25名で信心できるようになった。同地域の先駆者として励んでいる。
 フィリピン事務所責任者の山澄信玉御尊師は年に2回、出張御授戒、座談会にこの地を訪れ、信徒の激励・指導を行っている。
◇◇
〈Q〉まずは入信の動機について教えてください。
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〈ロウェナ〉私の家族は両親を中心にして全員が信心しています。したがって、信心のことは幼い頃から、特に姉から厳しく躾けられてきました。

〈Q〉海外就労は初めてですか。
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〈ロウェナ〉いいえ。今回で4回目になります。フィリピンでは条件のよい就職先がどうしても得られないので、兄妹たちの学費を稼ぐため、また家族を養うため、チャンスがあれば日本で仕事をしようと思っていました。

〈Q〉日本滞在中、信心活動はどのようにしていますか。
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〈ロウェナ〉日本では寮で他の人たちとの共同生活ですので、御本尊様を御安置できません。そこで山澄御尊師の御指導を仰いで、毎朝毎晩、御本尊様を心に思い浮かべながら、勤行・唱題させていただいています。また、仕事が休みの時には、できる限り近くのお寺に参詣させていただいています。
 日本に行くたびに仕事の場所が変わりますが、その都度、その地のお寺の御住職様や法華講の皆さんが親切にしてくださるので、とても感謝しています。
 また、日本の法華講の方々から教えていただくたくさんのことが、私の信心にとって励みになっています。

〈Q〉たとえばどのようなことですか。
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〈ロウェナ〉特に「時間を守る」、「約束を破らない」ということです。
 日本の方には笑われるかもしれませんが、フィリピン人はこのことがとても苦手なのです。何か問題が起きてもすぐ「ワラン・マガガワ(しかたがないよ)」とか、「バハラナ(どうにかなるさ)」が当たり前。フィリピンの諺に「明日できることは今日するな」とあるくらいで、とてものんびりしています。
 しかし、私は日本で法華講の方々に接しているうちに、それではいけないと思うようになりました。なぜなら、信心をしている方ほど礼儀正しくきちんと生活していることに気がついたからです。この信心をしていれば、自分を変えることができる、因果の道理に適った生活ができるようになるのだと判りました。

〈Q〉滞在中、御登山するチャンスはありますか。
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〈ロウェナ〉はい。休みを利用してこれまで4回参詣させていただきました。特に2002年の海外信徒総登山に参加できたことは大きな喜びです。今回も4月の御霊宝虫払大法会に参詣できればと願っています。登山のたびに、たくさんの方々にお世話になり、本当に感謝しています。
 私のように、就労ビザで日本に入国しない限り、一般的なフィリピン人が自力で日本へ行って登山参詣することなど、夢のまた夢です。ですから、私は本当に幸福です。

〈Q〉このほど、日本政府が省令を改正して外国人の入国を制限する措置がとられることになり、フィリピン人の入国も今後3年間で10分の1に制限されることになったことに伴い、フィリピン国内でも経済的影響への懸念が拡がっています。このことについてはどうお考えですか。
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〈ロウェナ〉日本政府の入国制限については毎日のように報道されていますので、もちろん知っています。国と国との事情は私たちにはよく判りませんが、これから生活がさらにたいへんになる人たちがたくさん増えるのは間違いないでしょう。
 私の場合もビザを申請してから1年近く結果が出なかったので、今回は就労をあきらめかけていましたが、思いがけず日本の入国制限が厳しいこの時期にビザが取得できました。これは大きな功徳だと受け止めています。御本尊様に本当に感謝しています。
 ただ、私が仕事で日本に行けるのも、これが最後になるかもしれません。これからは生活のために別の方法を探さなくてはなりません。しかし、御本尊様に真剣に祈っていけば、必ず道は開けると信じています。家族みんなで力を合わせて乗り越えていきたいと思います。
◇◇
 先日、アクラン訪問を終えた山澄御尊師のもとに、ロウェナさんの妹、アリアン・サブラオンさんより手紙が届いた。その一部を紹介する。
 「1番上の姉がいつも私たち兄妹に『御僧侶方にできるだけ近づいて、これまで教わってきた創価学会の教えではなく、本当の御法門を教わるようにしなさい』と言っていたことを思い出しました。今まで私は、人前で行儀よく振る舞う自信がなくて恥ずかしく思っていました。でも、今回、山澄御尊師のお手伝いをしたお陰で引っ込み思案を克服できたと思います。これからは真剣に信心に励み、積極的に活動し、アクランでの私の使命を果たすために全力を尽くします」

フィリピンH17.2.16
▲山澄フィリピン事務所責任者がアクラン州を訪問。この日、サブラオン一家の折伏が成就し、御授戒となった





僧俗一体で広布を前進

―アジアのキリスト教国で―
―地域社会との葛藤の中、折伏に励む―

(『大白法』H16.5.16)

 1992年、辻律子氏ほか6名の脱会より12年。その間、1995年にはSGIフィリピン総支部長を中心とする約70名の大量脱会、1997には年現地法人「日蓮正宗フィリピン仏教会」認可、2002年にはフィリピン事務所設立・御僧侶常駐と、フィリピンにおける広布の進展は目覚ましい。
 張り巡らされた人脈と、強固な家族の連環で構成されているフィリピン社会の中で、人口の90%を超えるキリスト教(主にカトリック)の影響から脱却するのは想像以上に困難である。反面、家長がいったん決意すると、一族郎党、住み込みのメイドや運転手に至るまで改宗となる。1度に大勢が御授戒を受けることが多いのはそのためである。
 信徒の分布は、事務所のあるルソン島・マニラ首都圏、近郊のブラカン州を中心に、マニラから飛行機で1時間南下するセブ島、パナイ島、さらに南のミンダナオ島と、フィリピン全土にわたっている。事務所から約40〜50kmの近郊州といっても、アジアでもっともひどいと言われる大渋滞と、一年を通して照りつける太陽が参詣を阻む。しかし、広布唱題会、御報恩御講へと、片道3時間以上の道のりをものともせず、ジプニー(乗り合いジープ)やトライシクル(乗り合いサイドカー付オートバイ)を乗り継いで多くのメンバーが参詣する。
 今回紹介するシェリル・サブラオンさんは、ブラカン州在住で、少年部長として多くの人望を集めている。これからのフィリピン広布の人材として将来を嘱望される青年部の中心的人物に話を聞いた。
◇◇
〈Q〉まずは入信の経緯について教えてください。
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〈シェリル〉私が5歳のとき、家族と共にSGIに入会しました。物心ついた頃には既に、近所とは全く違う信仰をしていたということです。

〈Q〉人口のほとんどがカトリック教徒の中で、この信仰を続けるのはたいへんではありませんか。
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〈シェリル〉はい、非常に困難です。どこの家にもキリストの像やマリアの絵が飾ってあり、それがないとバランガイ(50〜100世帯の集落からなる最小単位の地方自治体。税の賦課徴収などの行政事務権能・執行機関・議会を有する)の人たちから奇異な目で見られてつまはじきにされてしまいます。しかし、それでも両親は謗法厳誡を固く守ってきました。おかげで私はキリスト教に縁することなく成長できました。

〈Q〉SGIから脱会のきっかけとなったのはどんなことですか。
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〈シェリル〉1995年に家族揃って脱会しました。幹部の指導がそれまでとは180度変わってしまい疑問を持っていたときに、総支部長だったエディ・セラノさんの脱会の話を聞いて決意しました。

〈Q〉2002年に御僧侶の常駐が実現しましたが、その前後の違いについてお聞かせください。
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〈シェリル〉資料や出版物から得られる知識には限界がありますし、時間が経つと忘れてしまいます。脱会時の感動も薄れがちになり、信行が亀の歩みのようにゆっくりとしたペースになっていました。
 しかし御僧侶が常駐するようになってからは、のろまな亀に羽が生えたようです。事務所があることで安心して活動でき、いつでも御指導いただけるのは、本当に有り難いことです。常に新鮮な気持ちで信心ができます。また、これまで「こんな意味だろう」と思っていたことが、御僧侶のお話を聞いて、理解が浅かったり、間違いだったことに気づかされます。

〈Q〉例えばどんなことがありますか。
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〈シェリル〉「折伏」を単純に、「信心する人を増やすこと」と教わってきましたが、実は、「折って伏す」という非常に厳しい意味が込められていることを知り、たいへん驚きました。

〈Q〉折伏を実践する上で困難なことは何ですか。
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〈シェリル〉フィリピン人は他人との争い事を極端に嫌います。特に宗教のことで相手を攻撃すると白眼視されてしまうので、いきなり「あなたは間違っている」とやりはじめたら破壊教団と見なされてしまうでしょう。
 ただ、多くの人が宗教に関する話題にはきちんと耳を傾けてくれます。仏教についてほとんど知りませんが、とても興味はあるようです。最初は、キリスト教と仏教の違いについて丁寧にお話するようにしています。

〈Q〉少年部長として心がけていることは何ですか。
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〈シェリル〉子供たちにはいつも、日蓮大聖人様の仏法で説かれる「恩」を教えるようにしています。

〈Q〉今まで信仰していて一番嬉しかったことは何ですか。
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〈シェリル〉宗旨建立750年慶祝記念海外信徒総登山に参詣させていただけたことです。特に御開扉では奉安堂の一番前の真ん中に座ることができ、間近で戒壇の大御本尊様を拝したときには、750年さかのぼって日蓮大聖人様がそこにいらっしゃるような、不思議な感覚になりました。今まで味わったことのない感動でした。総会では、フィリピンメンバーを代表して共同宣言に参加できたことも忘れれられません。
 もう1つ大きな体験があります。昨年9月に3名の御僧侶が海外部から派遣されていらっしゃったときのことです。実はそのとき私は、胸に悪性腫瘍ができ、乳ガンの治療を受けなくてはならない状態だったのです。私の異変を察知された山澄信玉御尊師(フィリピン事務所責任者)が心配してくださいましたが、私は、いろいろなことを学ぶチャンスを無にしたくないとの思いから、病気のことを内緒にして、御僧侶方と行動を共にしました。
 その後も11月のフィリピン総会の準備のため休んでいるわけにはいかず、自分自身を励まして活動しました。三障四魔に打ち勝つチャンスだと思いました。
 その結果、総会の直前に受けた診察で、腫瘍が跡形もなく消えていたのです。「奇跡だ」と喜ぶ弟に「これは世間の人が言う『奇跡』ではないよ。それ以上のものだよ。日蓮大聖人様はこうやって私たちの人生を変えてくださるんだよ」と教えてあげました。

〈Q〉フィリピン広布に対しての抱負をお聞かせください。
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〈シェリル〉まずは1日も早くお寺を建立することです。
 それから、メンバーを率いるリーダーが、フィリピン人の中から現れることを祈っています。これがフィリピン広布への一番の近道ではないかと考えています。
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この日、「事情があって御誕生会に来られないので今日はその代わりにお参りしました」と、妹さん親子を連れて3時間かけて参詣されていたシェリルさん。「あなたこそリーダー候補の一人ではないか」と水を向けると、はにかみながら「そのように努力します」と応えた。青年部にこのような方々がいればこそ、フィリピン広布の道は明るい。





宗旨建立750年
慶祝記念フィリピン総会

―誓願目標完遂まであと一歩―
(『大白法』H15.12.1)

 11月16日、フィリピン・マニラ首都圏マカティ市内にあるデュシット日航ホテルにおいて、宗旨建立750年慶祝記念フィリピン総会が開催された。
 これには、海外部長・尾林日至御尊能化をはじめ日本及び台湾から有縁の御尊師方が参列された。また地元フィリピンの信徒多数が出席し、台湾と日本から来賓も参列した。
 総会は午後2時半より開会。法要の部で、フィリピン事務所責任者・山澄信玉御尊師の導師により、ステージに設けられた祭壇に向かい読経・唱題が行われた。
 続く式の部は、婦人部長のメルバ・タクライさんの開式の辞で始まった。
 はじめに、平成7(1995)年70名を越える大量脱会の中心者となったエディー・セラノ氏が、SGI破門より今総会に至るまでの経過報告を行った。
 このあと、セブ島から出席したラモン・ヘロンガイ氏夫妻と青年部代表のジェマー・タクライ君が体験を発表。
 ここで尾林海外部長が祝辞のため登壇され、宗旨建立の意義と三世に亘る生命観の上から拝する信仰の意義を述べられ、さらなる広布への精進をと御指導された。
 同じく祝辞で法乗寺住職・西岡雄恩御尊師は、異体同心の絆を一層固めて一層の前進をと激励された。
 このあと12名の信徒代表が壇上に上って「共同宣言」を順次読み上げた後、尾林海外部長に手渡した。
 最後に山澄責任者が登壇され、同国では初めての大規模な総会を締めくくるにふさわしく流暢なタガログ語で謝辞を述べると、参列者の表情には見る見るうちにフィリピン広布への決意がみなぎっていった。
 小憩をはさみ第2部パフォーマンスの部に移り、すばらしい演技力で会場を魅了した「雪山童子」の寸劇や舞台狭しと躍動するダンス・伝統舞踊など多数の演目が披露された。これらの演技は、少年部・青年部が主体となって練習を重ねて演じられたものであり、演目1つひとつに、フィリピン広布の明るい未来が感じ取られた。
 こうして午後7時前、大きな盛り上がりの中、成功裏に総会は幕を閉じた。
 小憩の後、同ホテル内で祝賀会が催され、今後の広布の前進を確認し合った。

 なお、これに先立つ15日午後2時より、モンティンルパ市内にあるフィリピン事務所において、満堂の信徒が参詣して本年度の御会式が盛大に奉修された。また引き続き4時からは、フィリピン・台湾・日本の3国交流も行われた。
 この意義深き日に37名が御授戒を受けて、本年度の折伏誓願目標の百名に、あと一歩と迫ったことは特筆すべきことである。