椎名法昭・野崎勲の死

偽造写真事件を惹起―

椎名法昭
▲椎名法昭(『慧妙』H16.4.16)=「偽造写真事件」の発端を作ったのは、脱落僧・椎名法昭である。すなわち、椎名法昭は、自らの撮影した宴席写真を利用し、学会と共謀して偽造写真を作成、これを使って日顕上人を誹謗中傷したのである。これだけの悪業を行なった椎名が、ただで済むはずがない。東京高裁が偽造写真事件に不当判決を下してから3年後の平成15年12月、急死した。死因は肺ガン。まだ51歳という若さでの死であった。

野崎勲
▲野崎勲(『慧妙』H16.4.16)=このどす黒い謀略の指揮を執(と)った最高責任者が野崎勲であった。これだけの悪業を行なった野崎が、ただで済むはずがない。最高裁が、東京高裁の不当判決を支持する決定を下し、学会側が狂喜している最中の本年3月、今度は野崎が61歳の若さで急死したのである。