日蓮正宗関係
写真偽造事件



事件の概要(目的のため写真偽造までした『新報』)/『慧妙』H25.9.16

学会の違法行為は明確に認定!/『慧妙』H16.3.16

東京高裁判決

「鑑定話も大ウソ」(『創価新報』)のウソ/『慧妙』H16.6.1


学会の違法行為は明確に認定!

―理解し難い"上告棄却"ではあるが―
―勝利を装い狂喜する学会の異常―

(『慧妙』H16.3.16)

 2名の老僧の古稀(こき)を祝う宴席に、夫人同伴で招かれた僧侶方を写した写真を変造し、あたかも、日顕上人が密室において1人で"芸者遊び"をしているかの記事に仕立て上げ、大々的に誹謗(ひぼう)報道を行なった、創価学会による「写夏偽造事件」―。
 この悪質な名誉毀損(めいよきそん)行為に対し、日蓮正宗および大石寺が、損害賠償ならびに謝罪広告掲載を求めて訴えていた裁判は、2月24日、最高裁が日蓮正宗側の上告を棄却(ききゃく)する形で終結した。
 創価学会はこれに狂喜乱舞し、『聖教新聞』や『創価新報』で
 「最高裁が宗門側の上告を棄却 学会の全面勝訴が碓定」(2月26日付『聖教新聞』)
 「"2大裁判"日顕(上人)完全敗北」(3月3日付『創価新報』)
などと、まるで完全勝訴でもしたかのごとき大騒ぎをしている。
 たしかに、日蓮正宗側の請求を認めなかった今回の上告棄却は、創価学会にとって"勝利"を装うのに恰好(かっこう)の宣伝材料であったに違いない。
 しかし、最高裁の上告棄却で確定した、平成12年12月5日の東京高裁判決を冷静に読めば、その内容は、創価学会の完全勝訴どころか、学会報道を名誉毀損の違法行為と断罪した判決なのである。
 すなわち東京高裁は、創価学会が行なった写真偽造の事実について、
 「(修正を施した)本件写真は、右撮影当時、他に2人の僧侶がいたにもかかわらず、これらを註記するようなことはないのであるから、右写真を見た者に対し、阿部日顕(上人)1人が酒席で芸者遊びをしているとの、実際の情況とは異なった印象を抱かせるのに十分であり、これをもって客観的な報道ということはできず、修正の限度を超えているものというべき」
として、『新報』の写真は「偽造」されたものであることを明確に認定した。
 さらに、この偽造写真に基づく一連の記事内容についても、
 「(『創価新報』の記事は)控訴人ら(創価学会ならびに池田大作)が主張するような、日蓮正宗の崇教上の教義に関わる問題や、阿部日顕(上人)の宗教的聖性についての論争、さらには、正当な言論や評論の域を超え、単に阿部日顕(上人)を椰楡(やゆ)し、誹謗、中傷するものとして、違法性を有する」
と、日顕上人に対する名誉毀損が成立することを、これまた明確に認定しているのである。
 一方、これが理解に苦しむ点なのであるが、東京高裁は、この訴訟が「日蓮正宗」ならびに「大石寺」によって提訴されたものであることに目を付け、
 「本件記事は、阿部日顕(上人)個人に向けられたものであり、これが同人に対する名誉毀損を構成する余地があるとしても、これをもって直ちに、被控訴人両名(日蓮正宗ならびに大石寺)に対する不法行為に該当するということはできない」
との理由で、日蓮正宗側の請求を全て棄却してしまった。
 「日蓮正宗」「大石寺」を統括される立場としての日顕上人の名誉が毀損されても、日蓮正宗および大石寺に対する名誉毀損にはならない、よって両者からの請求は認めない、というのであるが、これは、一般人には理解のできない、奇怪な判決といえよう。
 これによって、損害賠償と謝罪広告を免(まぬが)れることができた創価学会は、"完全勝訴"であるかのごとき大宣伝を繰り返しているわけであるが、しかし、この判決内容を吟昧(ぎんみ)してみれば、創価学会が、写真偽造・名誉毀損という違法行為を行なった、との認定をした、画期的内容を含んでいるのである。
 この点を考えれば、内容に触れずに、単に上告棄却との結論だけを取り上げる、戯(たわ)けた"勝利"に沸(わ)く創価学会という世界は、まさに常軌を逸(いっ)した閉鎖社会であるといえよう。


<確定した高裁判決文より>

●(修正を施した)本件写真は、右撮影当時、他に2人の僧侶がいたにもかかわらず、これらを註記するようなことはないのであるから、右写真を見た者に対し、阿部日顕(上人)1人が酒席で芸者遊びをしているとの、実際の情況とは異なった印象を抱かせるのに十分であり、これをもって客観的な報道ということはできず、修正の限度を超えているものというべき

●(『創価新報』の記事は)控訴人ら(創価学会ならびに池田大作)が主張するような、日蓮正宗の宗教上の教義に関わる問題や、阿部日顕(上人)の宗教的聖性についての論争、さらには、正当な言論や評論の域を超え、単に阿部日顕(上人)を揶揄(やゆ)し、誹謗、中傷するものとして、違法性を有する

[画像]=このごく普通の宴席を、創価学会では「密室における日顕上人の芸者遊び」に仕立て上げてしまった!!

[画像]=宴席には、日顕上人夫人をはじめ、出席御僧侶の夫人方も同席。それを日顕上人の"邪淫と遊蕩"の現場写真にデッチ上げた創価学会の謀略は、名誉毀損と断ぜられて当然

[画像]=創価学会による、凄まじいまでの写真変造。宴席の中央に座られていた日顕上人は、変造に次ぐ変造の結果、なんと、部屋の隅にまで移動している!(写真は『慧妙』H20.1.1)




「写真偽造事件」高裁判決


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東京高等裁判所

平成一二年一二月五日 判決言渡
同日 判決原本領収
裁判所書記官 塚原雅彦
平成一一年(ネ)第六四〇八号謝罪広告等請求控訴、平成一二年(ネ)第三三九四号同附帯控訴
事件(原審・東京地方裁判所平成五年(ワ)第七九七七号)
(口頭弁論集結の日 平成一二年九月一九日)

判決

東京都新宿区信濃町三二番地
控訴人・附帯被控訴人(以下「控訴人」と言う。)
宗教法人創価学会
右代表者代表役員森田一哉
東京都新宿区信濃町二三番地
控訴人・附帯被控訴人(以下「控訴人」と言う。)
池田大作
右控訴人両名訴訟代理人弁護士 倉田卓次
同  宮原守男
同  倉科直文
同  佐藤博博史
同  新堀富士夫
同  福島啓充
静岡県富士宮市上条二〇五七番地
被控訴人・附帯控訴人(以下「被控訴人」と言う。)
宗教法人日蓮正宗
右代表者代表役員阿部日顕
右同所
被控訴人・附帯控訴人(以下「被控訴人」と言う。)
宗教法人大石寺
右代表者代表役員阿部日顕
右被控訴人両名訴訟代理人弁護士 樺島正法
同  管充行
同  有賀信勇
同  大室俊三
同  荘司昊
同  川下清

主文

一 原判決中、控訴人ら敗訴部分を取り消す。
二 右取消にかかる部分の被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
三 被控訴人らの本件附帯控訴をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。



事実及び理由

第一 当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
  主文第一、二及び四項と同旨


二 控訴の趣旨に対する答弁
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。


三 附帯控訴の趣旨
1 原判決を次のとおり変更する。
2 控訴人らは、連帯して、被控訴人ら各自に対し、それぞれ金五〇〇〇万円及びこれに対する平成四年一一月一八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
3 控訴人らは、被控訴人らに対し、聖教新聞社の発行する聖教新聞及び創価新報の各第一面最上段並びに大百蓮華及びグラフSGIの各表紙裏全項を使用して、全四段で、左記により、原判決別紙五記載の謝罪広告を各三回掲載せよ。

〈1〉 見出「謝罪広告」は六六級活字
〈2〉 本文は二〇級活字
〈3〉 氏名は二八級活字
4 訴訟費用は、第一、二審とも控訴人らの負担とする。
5 第2項につき、仮執行宣言。
(被控訴人らは、請求する損害賠償額については、その一部についてのみ附帯控訴をし、原判決別紙A並びにB1及びB2の偽造写真の使用、第三者をして使用させることの差止請求については、附帯控訴をしなかった。)


四 附帯控訴の趣旨に対する答弁
1 主文第三項と同旨。
2 附帯控訴費用は、被控訴人らの負担とする。



第二 事案の概要
本件は、宗教法人である被控訴人らが、同じく宗教法人である控訴人創価学会(以下「控訴人創価学会」という。)に対して、(一)同控訴人の機関紙である創価新報に掲載された後記本件記事中における同本件写真の掲載及び本件問題部分の記載により被控訴人らの名誉、信用が毀損され、あるいは業務が妨害されたとして、(二)控訴人創価学会の名誉会長である控訴人池田大作に対しては、控訴人創価学会のした本件記事掲載の違法行為を容認、指導する後記本件発言により、また、控訴人創価学会の本件記事掲載の違法行為を制止すべき義務に違反したことにより、被控訴人らの名誉、信用が毀損され、あるいは業務が妨害されたとして、それぞれに対し、不法行為に基づく損害賠償として、連帯して各五億円の支払及び謝罪広告の掲載並びに本件写真の使用禁止を求めた事案である。原判決は、控訴人創価学会による本件記事は、違法に控訴人らの社会的評価を相当程度低下させると認められるとし、また、被控訴人池田大作については、本件発言により未だ被控訴人らの社会的評価を低下させたこと及び本件記事一の掲載については、その掲載を事前に知っていたとは認め難いから、その責任を認めることはできないが、本件記事二について、同控訴人には、控訴人創価学会がそのような違法行為に及ぶことのないようこれを制止すべき条理上の義務に違反したとして、控訴人創価学会に対し、被控訴人らそれぞれについて各二〇〇万円、控訴人池田大作に対し、被控訴人らそれぞれについて各一〇〇万円の限度で損害賠償の支払を命じ、謝罪広告及び本件写真の使用禁止については、いずれもこれを棄却した。



第三 当事者の主張
一 被控訴人らの主張
1 当事者
(一) 被控訴人ら
(1) 被控訴人宗教法人日蓮正宗(以下「被控訴人日蓮正宗」という。)は、宗祖日蓮大聖人の立教開宗の本義たる弘安二年(一二七九年)の戒壇の本尊を信仰の主体とし、法華経及び宗祖遺文を所依の教典として、宗祖より付法所伝の教義をひろめ儀式行事を行い、広宣流布のため信者を教化育成し、寺院及び教会を包括し、その他この宗の目的を達成するための業務及び事業を行うことを目的とする宗教法人であり、法規として日蓮正宗宗制、日蓮正宗宗規等を有している。代表者たる代表役員には、一宗を総理する管長の職にある者を充て、その管長には宗祖日蓮大聖人以来の唯授一人血脈を相承する法主の職にある者が就任する定めであり、阿部日顕が登記上その地位にある。
(2) 被控訴人宗教法人大石寺(以下「被控訴人大石寺」という。)は、多宝富士大日蓮華山大石寺と称し、正応三年(一二九〇年)一〇月、宗祖日蓮大聖人の法嫡第二祖日興上人によって開創された全国に七百余か寺の末寺を有する被控訴人日蓮正宗の総本山であり、日蓮正宗宗制に定める宗祖日蓮所顕十界互具の大曼陀羅(右弘安二年の戒壇の本尊)を本尊として、被控訴人日蓮正宗の教義をひろめ、儀式行事を行い、広宣流布のため、信者を教化育成し、その他正法興隆、衆生済度の浄業に精進するための業務及び事業を行うことを目的とする宗教法人である。
 被控訴人大石寺の代表者たる代表役員は、同寺住職であると同時に、総本山法主として、また被控訴人日蓮正宗の最高指導者として一宗を統率する立場にあり、現在阿部日顕がその地位にある。
(二)控訴人ら
(1) 控訴人創価学会は、宗教法人法による宗教法人であって、「この法人は、日蓮大聖人御建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき、弘教および儀式行事を行ない、会員の信心の深化、確立をはかり、もってこれを基調とする世界平和の実現と人類文化の向上に貢献することを目的とし、これに必要な公益事業、出版事業および教育文化活動等を行うものとする。」と定める。同控訴人は、初め牧口常三郎を会長とする創価教育学会として昭和五年に発足し、その後、被控訴人日蓮正宗の信徒団体となり、昭和二〇年、創価学会として再建された。
 同控訴人は、かつて被控訴人日蓮正宗を外護すべき信徒団体であったが、平成三年一一月二八日、教義より大幅に逸脱しているとして被控訴人日蓮正宗より破門された。
 同控訴人は、機関紙誌として、聖教新聞、創価新報、大百蓮華、グラフSGI等を発行している。
(2) 控訴人池田大作は、昭和三五年五月三日、控訴人創価学会第三代会長に就任し、最高裁判所昭和五六年四月一六日判決が、「記録によれば、同会長は、同会において、その教義を身をもって実践すべき信仰上のほぼ絶対的な指導者であって、公私を問わずその言動が信徒の精神生活等に重大な影響を与える立場にあったばかりでなく、右宗教上の地位を背景とした直接・間接の政治的活動等を通じ、社会一般に対して少なからぬ影響を及ぼしていた」と判示した者である。
 同控訴人は、昭和五四年四月二四日、控訴人創価学会名誉会長に就任し、現在も事実上控訴人創価学会の最高指導者である。
 同控訴人は、昭和五〇年一月二六日創価学会インタナショナル(SGI)創立以降、会長の職にある。
 同控訴人は、平成四年八月一一日、やはり教義より大幅に逸脱しているとして、被控訴人日蓮正宗より信徒除名に処された。

2 控訴人らの違法行為
(一) 控訴人創価学会の違法行為
(1) 平成四年一一月四日付創価新報の報道内容
控訴人創価学会は、同新聞に、阿部日顕が昭和六一年一一月二二日、日蓮正宗僧侶椎名法宣及び阿部法胤両名の古希記念祝賀会に、夫人同伴で他の関係者とともに招待された際に撮影されたスナップ写真である原判決別紙Aの真正写真(以下「真正写真1」という。)から、ことさらに撮影者、撮影日時、撮影場所等を一切隠蔽するとともに、僧侶の松岡慈契らを抹消し、背景を塗り潰したり、画き加えたりなどして、部屋の模様を一変させ、あたかも、阿部日顕一人が狭い部屋で芸妓と遊興しているような宴席の写真に仕立てて大写しにした原判決別紙Aの偽造写真(以下「本件写真一」という。)を掲載した上で、「得意のポーズでご満悦!。また出た、日顕の“芸者遊び”写真」と評した上で、大見出しで、「日顕が欲すは『カネ、酒、色』の堕落道」「まだ信伏随従するのか」「芸者の世界は日顕の“心の故郷”!?」「政子がとめても、“酒はやめられない”と本音」と掲げ、写真説明として、「お待たせしました!またまた出ました、日顕の“芸者写真”!!今度は日本髪の芸者さんを前に、一本指を立ててお得意のポーズ。何とも楽しそうな顔だ。」などと解説し、「ああ、希代の遊蕩坊主・日顕。そして、好色教団・日顕宗。これでも、あなたたちはまだ、信伏随従を続けるというのか。」と結び、原判決別紙三記載のとおりの記事(以下「本件記事一」という。)を掲載した。
(2) 同月一八日付創価新報の報道内容
控訴人創価学会は、同新聞に、前同様の際に撮影された集合写真である原判決別紙B1の真正写真(以下「真正写真2」という。)から、ことさらに右松岡慈契及び椎名日澄両名を除き、かつ、背景を塗り潰して、あたかも、阿部日顕が一人芸妓七名を侍らせて宴席を設けたかのごとき写真に仕立てた原判決別紙B1の偽造写真(以下「本件写真二」といい、本件写真一と併せて「本件写真」という。)を掲載した上で、大見出しで、「えっ、これじゃ『日顕堕落宗』?」「退座の後はここにキマリ 睨座がなくても“芸座”があるサ」「これぞ極めつけ『ワシ、もう“成仏”しそう』」、写真説明として、「どうですか、居心地の良さそうなこの“顔”。周りをズラリと芸者衆に囲まれて、いかにもうれしそう。」等と解説し、「だって睨座を追われてもワシにはちゃんと別の“芸座”があるからね、」と結び、原判決別紙四記載のとおりの記事(以下「本件記事二」といい、本件記事一と併せて「本件記事」という。)を掲載した。
(二) 控訴人池田大作の違法行為
控訴人池田大作は、平成四年一一月一四日開催の「11・18創立の日を記念ー第一五回SGI総会、第四回埼玉総会」の創価大学記念講堂集会席上のスピーチにおいて、「そのうち、また、あの、あれ出ますけどネ。これ、持っていいかな、これ、ちょっと、見してもらったけどネ。たくさんの美女に囲まれてネ。どう。『やめろ』というのは、秋谷会長だ。オウ。新橋かどこかのネ。飲み越してさ。もう、『デ、ヘッヘッヘッヘェー』って、笑ってネ(会場、爆笑)。まあ、みんな、行きたいネ、いっぺんネ(会場、爆笑)。そういう連中なんです。」との発言をして、本件記事一の報道を援用し、これに続く本件記事二の報道を予告して、「睨座ていうのはネ、本当は正法の座を睨座。芸者のほうの“芸座”(会場、爆笑)。今度は『新報』見たんだけれども。」などと言及して、控訴人創価学会に対し、違法行為を容認、指導した。

3 控訴人らの責任
(一) 右控訴人らの行為は、関連共同する意志をもって、社会通念上一体の違法な共同行為であるというべきである。
(二) 殊に、控訴人池田大作は、控訴人創価学会の最高指導者として、同控訴人の秋谷栄之助会長以下幹部に対し、右のように悪質な偽造報道を速やかに中止するよう指示し、同控訴人の右違法行為の敢行、継続反復を監視し、阻止すべき作為義務があり、しかも容易に制止することが可能な状況にあるにもかかわらず、右違法行為を認識しながら、何の処置もせず、これを容認し、推進指導した。

4 損害
被控訴人らは、控訴人らの前記違法な行為によって、著しく宗教的人格権ないし布教権等を侵害され、名誉、信用、業務等に著しく重大な打撃を蒙った。被控訴人らの社会的評価の低下を回復するため、控訴人らをして、謝罪広告をなさしめる必要があり、また、被控訴人ら各自の全損害を賠償すべき金額は、少なくとも、各五億円を下らない。
5 結論
よって、被控訴人らは、控訴人らに対して、名誉毀損、業務妨害等の不法行為により、被控訴人らの受けた実害の原状回復のために、謝罪広告の掲載並びに連帯して損害賠償金の一部各五〇〇〇万円及びこれに対する不法行為以後の日である平成四年一一月一八日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める。


二 被控訴人らの主張に対する控訴人(※創価学会及び池田大作)らの答弁
1 本案前の抗弁
(一) 法律上の非争訟性
被控訴人創価学会の本件法道は、宗教教義上の論争の一環として行われ、阿部日顕の行動が教義違背となることを示すものであり、このような紛争に裁判所が介入することとなれば、日蓮正宗の教義は何か、阿部日顕の行動が右教義の違背となるか否かを確定した上、右報道につき、違法性の有無、程度の問題を含めて名誉毀損等の成否を判断する必要が生じることになる。そうとすれば、結果として国家が教義問題に立ち入ることとなり、憲法二〇条で保障される信教の自由を犯すことになるのみならず、裁判所が本来判断し得ない事柄を判断することになる。よって、被控訴人らの本訴請求は、裁判になじまない不適法なものであるから、却下されるべきである。
(二) 謝罪広告の不適法性
被控訴人らの請求する謝罪広告には、「御法主日顕上人」「七百有余年にわたり清浄な宗風を旨とし、社会的信頼を確立されてきた日蓮正宗および大石寺」などの被控訴人らや阿部日顕に対する宗教的尊崇、宗教的評価の表明を求める部分が存している。これら単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度を越える謝罪広告は、屈辱若しくは苦役的労苦を科し、倫理的な意思、良心の自由を侵害するものとして、憲法一九条に反し、謝罪広告請求の限界を逸脱するものであることは明白である。したがって、右請求は、裁判になじまない不適法なものとして、却下されるべきである。

2 被控訴人らの主張に対する認否
(一) 被控訴人らの主張1(当事者)は認める。
(二)(1) 同2(控訴人らの違法行為)(一)(控訴人創価学会の違法行為)のうち、控訴人創価学会が、平成四年一一月四日付創価新報に被控訴人主張の写真及び記事を掲載したことは認めるが、その余は否認する。これら写真は、情報源の秘匿及び関係者への配慮から一部修正されているに過ぎず、偽造ではない。
(2) 同(二)(控訴人池田大作の違法行為)のうち、控訴人池田大作が、平成四年一一月一四日の被控訴人ら主張の会合において、スピーチをした事実は認めるが、発言内容及び趣旨は否認する。
(三) 同3(控訴人らの責任)のうち、本件写真が偽造であるとすることは否認し、その余は争う。
(四) 同4 (損害)は争う。

3 控訴人らの積極主張
(一) 被控訴人らに対する不法行為の不成立
一般に、法人の代表者個人に関する報道は、それが直ちに法人自体の名誉毀損となるものではなく、本件において、本件報道の目的は、被控訴人日蓮正宗の僧俗に対し、阿部日顕がその信心、人格及び振舞において同宗の法主として全く不適格であり、同人に従うことが信仰上誤りであることを事実の上で示すことにあって、批判の対象は阿部日顕であり、右批判が被控訴人ら法人に向けられていないことは、記事内容自体からも一見して明白である。
(二) 控訴人池田大作に対する請求の不当性
(1) 控訴人池田大作のスピーチ内容
右スピーチ内容は、全体として、阿部日顕等が宗祖日蓮大聖人の教えに反しており、これに従えば成仏ができないという信仰上の指導であることは明白であり、その教義違背の例証として本件記事に触れたものに過ぎず、「違法行為の容認、指導」などというものでは全くない。
(2) 控訴人池田大作の制止義務について
控訴人池田大作に被控訴人主張のような制止義務が発生するためには、当該第三者が直接的な表現行為者の具体的な行為について、個別具体的な指揮監督権を有し、かつ現実に指揮監督を行っている場合などに限定されるものというべきところ、控訴人池田大作には、いかなる意味においても、右のような個別具体的な指揮監督権限を有しておらず、現実に指揮監督を行っている立場にもなかったものであるから、この点の被控訴人らの主張は理由がない。

4 抗弁
(一) 真実性の抗弁
(1) 本件報道の内容
そもそも、ある記事が名誉毀損となるか否を検討するにあたっては、その部分のみを取り上げてその意味内容を判断すべきものではなく、見出し、リード文、掲載写真、本文記事の内容等の記事全体を総合して意味内容を確定すべきものである。のみならず、当該記事が連続特集であったり、議論の応酬の一駒である場合には、当該記事の名誉毀損の判断に際しては、以前の記事の内容等も併せて斟酌されなければならない。
〈1〉 そして、本件記事一については、「哀れな法華講よ!日顕が欲すは『カネ、酒、色』の堕落道」「こんな法主にまだ信伏随従するのか」との大見出しが右記事全体の見出しであることは、その体裁からも明らかである。これに見出しやリード文、「日顕と芸者との対話」「まだまだあるよ『妙観』!」との説明文等を付された本件写真やその下の四枚の写真並びに前記本文記事などの全体を見れば、右創価新報紙面の主要部分(主題)は、従前の阿部日顕が芸者と酒席を共にするなどの遊興をしている旨の報道の続報として、「法主たる阿部日顕が信徒の供養を湯水のように使って、たびたび豪華な宴席を開くなどして酒を飲み続け、しばしば色香豊かな芸者衆と酒席を共にして遊興するなど芸者遊びを好んでいる事実」を基礎として、かような阿部日顕には法主の資格、適格性がなく、直ちに退座すべきことを訴えたものであることは明白である。
〈2〉 また、本件記事二についても、「えっ、これじゃ『日顕堕落宗』?」「退座の後はここにキマリ睨座なくても“芸座”があるサ」との見出し、七名の芸者に囲まれその中央に座っている阿部日顕の姿が写されている写真とこれに付された「これぞ極めつけ『ワシ、もう“成仏”しそう』」との説明文、写真での阿部日顕の顔は、周りを芸者衆に取り囲まれいかにもうれしそうな、あたかも半眼半口の成仏の相であるかのような顔であり、同人の頭に「広宣流布」の文字があるのか心配になるが、当の本人は睨座を追われても“芸座”があるさとばかりに遊興にいそしんでいる旨の本文記事で成り立っており、右記事の主要部分(主題)も、本件記事一と同様、阿部日顕には法主の資格、適格性がなく、直ちに退座すべきことを訴えたものであることは明らかである。
〈3〉 なお、被控訴人らは、本件写真を偽造であると主張するが、控訴人創価学会は、阿部日顕がたびたび芸者と酒席を共にする等の遊興をしている事実をビジュァルな形で示すため、創価新報に本件写真を掲載したものであり、確かに、右写真には一部修正が加えられているものの、右修正によっても、主題との関連において本質的な「阿部日顕が芸者と酒席を共にし遊興している」との部分には何ら手を加えていない。すなわち、右写真修正によって阿部日顕が芸者と酒席を共にしている事実がないにもかからず、首のすげ替え等によってかような場面を作り出したというものではなく、同人が宴席において芸者と酒席を共にしていたことは動かしがたい事実であり、また後述のとおり右宴席が同人にとって遊興の場であったことも動かしようのない真実であって、本件写真修正は、前記主要部分を何ら変更していない。
(2) 本件報道が公共の利害に関する事実について、公益的目的をもってなされたこと
〈1〉 報道における「公共の利害に関する事実」とは、公表の相手方が形成する社会集団の利害に関する事実でよいことは、一般に認められているところ、本件報道は、宗教教義上の論争・批判として、阿部日顕の日蓮正宗の法主としての適格性を問う目的でなされたものであり、宗教団体の宗教上の最高指導者としての適格性を判断するためには、その地位の性質上、同人の全人格的な行動がその判断材料となる。とりわけ、右のとおり、「公共の利害に関する事実」の要件の「公共性」が、公表の相手方の形成する社会集団における「公共性」をいうことからすれば、本件は、日蓮正宗関係者内の問題であり、かつ、同宗はその教義上厳しく「湯戯雑談」を戒めており、同宗においては信仰を生活全般を通じて体現すべきものとされているのであるから、宗教活動の場を離れた場面における行動であっても、遊興したという事実は、同宗の教義に照らして法主の適格性を問う上で重要な事項となる。そして、本件報道の目的は、前記のとおり、阿部日顕がたびたび芸者と酒席を共にするような堕落した行躰をなしていることを報道したことに対し、被控訴人日蓮正宗側がこれを否定する旨の報道をなしたため、これに対する再反論の一環として、阿部日顕が教義違背を犯していることを指摘し、今回の被控訴人日蓮正宗と控訴人創価学会との紛争は、法主たる阿部日顕が、それまで両者が僧と俗との立場の違いを乗り越えて共に進んできた僧俗和合(僧と俗が和合、協調して進むこと)の歴史を覆し、自らの感情のおもむくままに一方的に控訴人創価学会の切り捨てを図ったことから惹起された「阿部日顕法主狂乱事件」ともいうべきもので、ひとえに阿部日顕の特異な人格にその原因があることを明らかにするためになされたものである。
〈2〉 右のとおり、本件報道は、「公共の利害に関する事実」であることは明らかであり、また、宗教論争の一環として阿部日顕の教義違背等を指弾し、その法主としても適格性を問うているものであるから、公益目的も存することは当然である。
〈3〉 なお、被控訴人らは、北方ジャーナル事件に関する最高裁昭和六一年六月一一日判決を引用し、これと比較してあたかも本件報道に公益目的が存しないかのような主張をしているが、右判決の事案は、問題となった記事が「ことさらに下品で侮辱的な言辞による人身攻撃等を多分に含む」極端な事案に関するものであり、これに対する本件報道は、表現がはるかに穏当であり、その指摘事案も単なる人身攻撃などというものではなく、法主の適格性を問うという報道の主題そのものを訴えるためのものであるから、右判決を引用しての被控訴人らの主張は理由がない。むしろ、同判決の長島敦裁判官の補足意見は、「政治、社会問題等に関する公正な論評(フェア・コメント)として許容される範囲内にある表現行為は、具体的事実の摘示の有無にかかわらず、その用語や表現が激越・辛辣、時には揶揄的から侮辱的に近いものにまでわたることがあっても、公共の利害に関し公益目的に出るものとして許容されるのが一般的である」として、表現が激越・辛辣で、揶揄、侮辱に近い場合でも、「公正な論評」として許容される限りは、公共の利害に関し、公益目的に出たものと認められるのが一般である旨述べており、表現の問題のみで公益目的等を否定する趣旨でないことを明らかにしており、右意見に照らしても、本件報道には違法性がない。
(3) 本件報道の真実性
〈1〉 本件報道の主題(主要部分)は、従前の阿部日顕が芸者と酒席を共にするなどの遊興をしている旨の報道の続報として、同人は日蓮正宗の聖職者の頂点である法主の座にありながら、信徒の供養を湯水のように使って、たびたび豪華な宴席を開くなどして酒を飲み続け、しばしば色香豊かな芸者衆と共に遊興していた「カネ・酒・色の堕落道」に陥った堕落法主であり、そのためにその取り巻き僧侶らまで堕落している事実を指摘し、これらを法華講員や壇信徒に明らかに知らせることにより、法華講員らに対しこれ以上阿部日顕に“信伏随従”しないようにと訴えかけたものである。ところで、阿部日顕は、創価新報が各所からの取材により日時を特定して報道したものに限っても、〈1〉昭和五九年一〇月一日、伊豆長岡の石亭での宴席、〈2〉昭和六一年一一月二二日、本件「川崎」での宴席、〈3〉平成元年一一月一日、伊豆長岡の三養荘での阿部日顕の登座一〇周年を祝う宴席、〈4〉平成元年一二月二七日、熱海の小嵐亭での忘年会、〈5〉平成二年三月七日、滋賀県・啓道寺落慶入仏式前日の料亭での宴席、〈6〉平成二年五月一〇日、愛知県・観持院落慶入仏法要後の弁天島温泉の開春楼での宴席で芸者と酒席を共にしている。また、芸者同席に限らなければ、日持が特定されたことにより創価新報が報道しただけでも、阿部日顕の出席した宴席は極めて多数回に及び、本件「川崎」での宴席の直前には、二週間に一回のペースで様々な名目で超高級温泉旅館や超高級ホテルに繰り出しては宴席を行っていた。しかも、そのほとんどは阿部日顕の法類が集って行う宴席で、集う人間はいつも同じであり、その実態は、様々な名目を付けては阿部日顕がしばしば身内を集めて遊興しているものに他ならない。以上のような報道や主張について、被控訴人らはこれまで裁判外でも本訴訟においても全く反論しておらず、事実上認めているところである。
〈2〉 本件報道の右主要部分以外についても、控訴人創価学会は、いずれも十分な裏付け取材を行った上で記事を掲載したものであり、かつ、控訴人らの指摘に対して、被控訴人側は一切の反論・反証をしておらず、事実上認めているものであり、これらの記事は真実もしくは真実に基づく論評である。
(二) その他の違法性阻却事由
(1) 宗教教義上の批判・論争であることによる違法性阻却
本件報道の目的は、前記のとおり、阿部日顕には、法主の資格、適格性がなく、直ちに退座すべきことを訴えたものであって、単なる事実指摘ではなく、教義違背の指摘であり、宗教教義上の批判・論争に他ならないから、それ自体、違法性を欠く。
(2) 正当業務行為
そして、右のような宗教教義上の批判・論争を自由になし得ることは、信教の自由の一内容である宗教活動の一環として憲法二〇条において保障された当然の権利であり、右批判・論争の当否は、あくまでも当事者間の教義論争の応酬の中で決着を付けるべき問題である。仮に、本件紛争に裁判所が介入することとなれば、違法性を判断する上において、日蓮正宗の教義は何か、阿部日顕の行動が教義違背となるか否かを確定した上、違法性の有無、程度に従って名誉毀損の成否を判断する必要があるのであるから、結果として国家が教義問題に立ち入ることとなり、憲法二〇条で保障される信教の自由を犯すことになる。控訴人創価学会は、本件報道において、憲法で保障された当然の権利を行使したものであり、仮に却下されないとしても、宗教団体たる同控訴人における正当業務行為として、違法性は存せず、被控訴人らの請求は棄却されるべきである。
(3) 宗教論争と名誉毀損について
また、本件報道を名誉毀損の問題として論じる場合にも、この場合における違法性の有無の判断については、事案によっては単なる不法行為という民事法の領域の問題としてのみ解決されるべきではなく、名誉の保護が憲法一三条の幸福追求権の規定に基づく人格権の一内容として憲法上の保護を受ける利益である一方で、名誉毀損にあたるとされる言論を行うことが、その主体にとって憲法上保障される種々の権利・自由の行使である場合があり、したがって名誉毀損における違法性の問題も、憲法上の利益の衝突の調整という視点を離れて解釈することはできないものというべきである。ところで、そもそも、宗教団体は、その信奉する教義を弘め、信者を育成し、もって自宗の信仰によって衆生を救済することを本来の目的として結成され、活動する公共的・公益的な団体であるところ、このような宗教団体や宗教者間でなされる、あるいは宗教団体内部でなされる宗教論争等は、互いに信仰という人生観・世界観についての真理の探究を目指しての批判・論争であり、それぞれの正しいと信ずるところに従って衆生を救済すべく、他の誤りを説いて自己の信仰に帰依させるという側面を持つものであるから、その性質上痛烈・過激なものになりやすくなることは避けられないところである。互いに批判・論争の応酬がなされる場合には、とりわけかかる様相を帯びる傾向が強いといえよう。そして、これら宗教論争等を通して、帰依すべき信仰の対象を自ら判断、選択し、またその属する宗教団体としての正しい信仰実践のあり方を判断することができ、もって憲法二〇条の信教の自由の保障が全うされることになる。この意味から、宗教団体や宗教者相互間に交わされる、あるいは宗教団体内部で交わされる宗教論争等を目的とする言論を行う自由は、憲法二〇条の信教の自由の一内容として、憲法上最大限に保障されなければならない。このような観点からすれば、本件のように、宗教論争等の一環としてなされた言論が、名誉毀損行為として、宗教団体の宗教的人格権ないし布教権を侵害するという主張がなされ、裁判所が判断を求められた場合には、双方の利益主体が同じ宗教団体であり、対立する利益も同じく宗教団体に憲法上保障される宗教活動ないし布教の自由であること、さらには、宗教団体間に交わされる宗教論争等については、いたずらに国家が介入することなく最大限その自由が保障されてこそ憲法二〇条の信教の自由の精神が全うされることに鑑み、安易に当該言論を違法と断じ、自由な宗教論争等を封ずるようなことがあってはならないものである。本件報道が名誉毀損の抗弁事由をいずれも十分に満たしていることは前述したとおりであるが、以上に述べた見地からすれば、本件報道においては、請求原因事実における違法性の判断において、少なくとも、故意にもしくは真偽についてまったく無関心な態度で虚偽の事実を公表することによってなされたことを被控訴人側において立証しない限り違法と評価しえないとする、いわゆる、「現実的悪意の法理」が適用されるべきものである。そして、本件において、控訴人創価学会に何らの「害意」がないことは前述のとおりであり、右基準は満たされておらず、被控訴人らの請求は棄却されるべきものである。


三 控訴人らの答弁に対する被控訴人らの反論
1 本案前の抗弁について
(一) 法律上の非争訟性について
被控訴人らに対する名誉毀損成立の要件は、阿部日顕が被控訴人らの代表者であり、かつ、宗教上の指導者の地位にあることが被控訴人らの内部において、また一般社会において認められていることで必要かつ十分であり、それ以上に、被控訴人日蓮正宗の教義は何か等については、本件においては要件事実たり得ない。
(二) 謝罪広告の不適法性について
この点についての控訴人らの主張は、その実質は、被控訴人らが求める謝罪広告の程度が過大だとする実体に関する主張に過ぎず、本案前の抗弁たり得ない。

2 控訴人らの積極主張について
一般に、宗教上の指導者の醜聞は、その教団が説く精神生活の崇高さといわば対極的位置にあるとみられやすい性質の事柄であるために、はなはだ強烈なイメージダウンにつながりやすく、これによりその宗派の僧侶や一般信徒の間に重大な動揺が生じることは自明である。特に、被控訴人らにとっての宗教上の指導者である阿部日顕は、信仰上の中心であると同時に、信徒が日々礼拝する御本尊を書写し得る唯一の存在であり、宗内において特別の権能を持つものと位置づけられている。そのため、同人に関する虚偽の醜聞を書きたてられることによる被控訴人らのイメージダウン、信徒の動揺は、一般の宗教団体以上に強烈である。ところが、本件記事は、写真を偽造して、右の如き立場にある阿部日顕が一人女性達と遊興にふけっているかの如き事実を作出した上、「ああ、希代の遊興坊主・日顕。そして、好色教団・日顕宗」と罵詈雑言を浴びせるものであり、これが、被控訴人ら両名の名誉を毀損するものであることは明らかである。

3 抗弁について
(一) 真実性の抗弁について
本件における最大にして最重要の論点は、控訴人創価学会が真正写真に施した右のような加工によって、事実が歪められて報道されたことになるのか、あるいは、右加工の存在にも関わらず事実は歪められていないといえるのかの評価に関わるものというべきところ、本件各偽造写真による本件報道の客観的意味内容は、法主の贅沢ないし浪費(そもそも芸者と「同席」したという結果自体が、法主以外のものが主催し、かつ、主催者自身「分不相応であるが『古希記念』という特別の機会であり、自分はこれを期に引退するのだから」と述べつつ催した宴席で生じたものであって、これを「法主」の贅沢ないし浪費とすることは勿論、主催者である高僧の「贅沢ないし浪費」と一般化して報道することも不当である。)もしくはその傾向を指摘する趣旨ではなく、法主が性倫理に反するような「芸者遊び」をしている事実及び法主が右に述べた意味での「芸者遊び」を好む「好色」な人物であるとの事実を指摘するものであることは明らかである。しかるに、右指摘は、明らかに事実に反するものであり、控訴人らも、この点については、真実性の立証の試みすらしていない。性的背徳者が受認すべきと一般に考えられている社会的非難と単に贅沢ないし浪費的な者が受認すべきと一般に考えられている社会的非難の間には、質的に異なる雲泥の差があることについては、控訴人らもよもや争うものとは考えられない。そして、他人に対して「性倫理に悖る背徳者」という非難を加えながら、「性倫理に悖る背徳者」という証明には失敗したが、本件報道の主題(主要部分)である「贅沢ないし浪費的という何れにしろ社会的非難に値する傾向」は立証されているとすることは、開き直るに等しく、控訴人らの立論の失当性は、明らかである。しかも、控訴人創価学会は、会場、日時そしてこれが椎名法宣・阿部法胤両師の古希記念の席であることを認識し、また、夫人らの歓談状況のみならず、椎名法宣・阿部法胤両師が宴席の主催者であることも認識しながら、あえて本件写真一のような偽造を行ったものである。これは明白に害意をもった報道であり、事実を認識・知悉した上での歪曲であって、「現実の悪意」の理論に照らすならば、まさに「現実的悪意」に該当するものというべきである。そして、ここに見られる報道内容は、公衆の下劣な好奇心をそそることはあっても、およそ憲法上の保護を受けるべき「社会の正当な関心事」に該当するとは、到底いい難く、また、本件記事全体が侮辱的・誹謗的・中傷的な表現に満ちており、そこにおよそ真摯な批判態度を見出すことは困難であり、かかる報道が公益目的を図るものとして、免責されるべき理由は皆無である。以上のとおり、本件報道は公共性及び公益性のいずれの要件をも欠くものである。
(二) その他の違法性阻却事由について
およそ報道倫理としての真実性の要請は、公共的公開的報道媒体に通有のものであり、一般的・中立的報道媒体か、政治団体・宗教団体の党派的機関紙かによって、区別される理由はなく、本件のように、意図的に写真を偽造し、虚偽事実を作りだした上で、同虚偽事実を前提に激しく糾弾するなどということは、報道媒体がたとえ宗教団体の党派的機関紙であっても、到底許されることではないから、この点についての控訴人らの主張はいずれも失当である。



第四 当裁判所の判断

(本案前の抗弁について)
控訴人らは、控訴人創価学会の本件報道は、宗教教義上の論争の一環として行われ、阿部日顕の行動が教義違背となることを示すものであり、このような紛争に裁判所が介入することになれば、被控訴人日蓮正宗の教義は何か、阿部日顕の行動が右教義の違背となるか否かを確定した上、右報道につき、違法性の有無、程度の問題を含めて名誉毀損等の成否を判断する必要が生じることになり、そうとすれば、結果として国家が教義問題に立ち入ることとなり、憲法二〇条で保障される信教の自由を犯すことになるのみならず、裁判所が本来判断し得ない事柄を判断することになる旨主張する。しかし、後記認定のとおり、本件報道は、必ずしも宗教教義上の論争の一環として行われたものとはいい難いし、また、本件紛争については、被控訴人日蓮正宗の教義は何か、阿部日顕の行動が右教義の違背となるか否かに立ち入るまでもなく、解決が可能なものであるから、右控訴人らの主張は、失当である。さらに、被控訴人らの請求する謝罪広告については、右は、あくまでも被控訴人らの請求というに止まり、必ずしもそれ自体が認容されるというものではないし、仮に、これが理由がある場合であっても、裁判所は、もとより請求の全てを認容せず、違法にわたらない程度に文言を修正する等してその一部を認容することも可能なのであるから、本訴請求にかかる謝罪広告の文言をもって、直ちに不適法なものとして却下しなければならないというものではない。よって、この点についての控訴人らの主張も、失当である。

(本案について)
一 事実経過
1 当事者(争いがない)
(一) 被控訴人日蓮正宗
被控訴人日蓮正宗は、宗祖日蓮立教開示の本義たる弘安二年の戒壇の本尊を信仰の主体とし、法華経及び宗祖遺文を所依の教典として、宗祖より付法所伝の教義をひろめ、儀式行事を行い、広宣流布のため信者を教化育成し、寺院及び教会を包括し、その他この宗の目的を達成するための業務及び事業を行うことを目的とする宗教法人である。現在、被控訴人日蓮正宗の代表者代表役員には、法主とされている阿部日顕が登記上就任している。
(二) 被控訴人大石寺
被控訴人大石寺は、日蓮正宗宗制に定める宗祖日蓮所顕十界互具の大曼荼羅を本尊として、日蓮正宗の教義をひろめ儀式行事を行い、広宣流布のため信者を教化育成し、その他正法興隆、衆生済度の浄業に精進するための業務及び事業を行うことなどを目的とする宗教法人である。現在、被控訴人大石寺の代表者代表役員は阿部日顕である。
(三) 控訴人創価学会
控訴人創価学会は、元々は、被控訴人日蓮正宗の信徒の団体であり、日蓮建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき、弘経および儀式行事を行い、会員の信心の深化、確立をはかり、もってこれを基調とする世界平和の実現と人類文化の向上に貢献することを目的とし、これに必要な公益事業、出版事業および教育文化活動等を行うことを目的とする宗教法人である。現在、控訴人創価学会の代表者代表役員は森田一哉である。
(四) 控訴人池田大作
控訴人池田大作は、昭和三五年五月三日に控訴人創価学会第三代会長に就任し、昭和五四年四月二四日に控訴人創価学会名誉会長に就任して、現在に至っている。


2 本件紛争に至る経過
右1の争いのない事実に、証拠(甲八ないし一〇,一七の1,2,一八ないし三三,三五ないし五〇,六八の1,2,六九,七〇,乙四,七ないし一一,一八,一九,二〇の1ないし3、三三,三四,三五の1,2,三六ないし四三,四四の1の1、2,同2、同3ないし5の各1、2,四五の1ないし12,四六,四七の各1,2,四八,五〇,五一の各1,2,五二の1ないし3,五四ないし五七,六一,六二,六三ないし六五の各1,2,六六ないし六九,七〇の1,2,七一,七二,七三の各1ないし3,八七,八八,一一八の1,2,一一九,一二七,一三三,証人野崎勲、同高木法賢、同木村芳孝)及び弁論の前趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(一)(1) 控訴人創価学会は、被控訴人日蓮正宗の信徒の団体であったところ、被控訴人日蓮正宗の信徒の九割を創価学会員が占め、被控訴人日蓮正宗及びその末寺の収入は、控訴人創価学会もしくは同会員からの供養がその大半を占める状態であった。
(2) 被控訴人日蓮正宗と控訴人創価学会は、それ以前から対立がくすぶり始めていたが、被控訴人日蓮正宗は、平成二年一一月一六日に開催された控訴人創価学会の第三五回本部幹部会における控訴人池田大作の講演中に、法主である阿部日顕及び僧侶に対する蔑視及び非難等が含まれているとして、同年一二月一三日付で、質問に対する回答を文書でするようにとの「お尋ね」を控訴人創価学会に送付した(甲一七の1,2)。
(3) これに対し、控訴人創価学会は、文書による回答ではなく、話し合いをしたいとすると同時に、逆に同年七月に、阿部日顕が、控訴人創価学会の秋谷栄之助会長らを叱責した件や控訴人池田大作を詰問した件についての事実経過について「お伺い」するとの文章を同年一二月二三日付で被控訴人日蓮正宗に送付した(甲一八)。
(4) これを受けて、被控訴人日蓮正宗は、右「お尋ね」に対する回答がなされなかったとの理由で、同月二七日、控訴人池田大作の法華講総講頭(同宗信徒代表の役職)資格を喪失させ、事実上解任した。なお、平成三年七月二一日の被控訴人日蓮正宗の全国教師指導会において阿部日顕は、この件に触れ、その中で「やはり創価学会が誤っておるということを私は感ずるのであります。その一番の根本は、今の創価学会、特に指導者の池田大作という人の考えの中に本末転倒の考え方が存在し、それが大きな指導力を持って多くの人々の頭の中に色々な形で入り込んで、今日のいたずらな宗門批判、僧侶批判等となって現れておると思うのであります。」としている(甲六八の1,2,乙八)。
(二)(1) 平成三年一〇月二日、被控訴人創価学会は、その会員向けの月二回発行の旬刊誌であり、約一五〇万部の購読がある創価新報紙上に、「これはおかしい!?」「何と猊下が禅宗の墓地に先祖の墓を自ら建立」「謗法呵責はどこへ」「猊下に天魔が入ってしまったのだろうか?」などとする記事を掲載した(乙三三)。
(2) これに対して、被控訴人日蓮正宗側も、「大白法」紙で、これに反論するなどし(乙三四)、その後、両者の対立関係は、双方が教義を逸脱していると非難し合うとともに、被控訴人日蓮正宗側は、控訴人池田大作の謝罪が打開策であるとし、控訴人創価学会側は、阿部日顕の退陣を要求するなどして激しさを増して行った(乙二〇の1ないし3)。
(三) そして、被控訴人日蓮正宗は、同年一一月七日、控訴人創価学会の解散勧告をし、同月二八日、破門した(乙一八,一九)。
(四) このような折りの平成四年四月一五日、宗教関係の業界紙である中外日報紙上に、「贅沢三昧の日顕法主一家」「相も変わらず末寺の貧窮よそに」「一族引き連れ豪遊」「奥湯河原 最高級旅館で」(乙四六の1,2)、また、同月三〇日にも、「またも日顕一族が豪華旅行」などの報道がなされた(乙四七の1,2)。
(五)(1) 控訴人創価学会は、同年五月六日付創価新報において、右中外日報の報道を引用しつつ、「怒り広がる日顕の奥湯河原豪遊事件」などとして、酒を飲んでいる阿部日顕の写真を掲載して報道した(乙四八)。
(2) さらに、同年六月一七日、創価新報において、「1963年3月第1回海外出張御授戒 日顕、アメリカの歓楽街で大破廉恥行為」「深夜のシアトルで警察沙汰に」「ああ!この聖職者失格の卑猥な人格」「売春婦と金銭めぐりトラブル」と報じた(甲一九、なお、この事件については、被控訴人日蓮正宗らから控訴人創価学会らに対する謝罪広告等請求事件が提訴され、東京地方裁判所は、平成一二年三月二一日、被控訴人日蓮正宗らの請求をいずれも棄却する旨の判決をなし、現在、被控訴人日蓮正宗らにおいて、控訴中である【乙一三三】)。
(3) その後、控訴人創価学会は、約五五〇万部の発行部数のある聖教新聞紙上で、「法主日顕その異常性を診る」とする連載記事を掲載している(甲二六ないし三一)。
(4) さらに、控訴人創価学会は、平成四年九月二日付創価新報において、「“ちゃんとやっていた”!?日顕今度は伊豆で“芸者遊び”」「罪深き淫乱の申し子行く先々で“シアトル型行状”」「とんだ嬌態!これでも『出家か』!」などと阿部日顕の写真を掲載して報道した(乙五四)。
(六) これらに対し、被控訴人日蓮正宗は、東京第二布教区宗務支院長高橋信興の名において、同年八月一一日付で被控訴人日蓮正宗大願寺信徒であった控訴人池田大作を信徒除名処分に付し(甲七〇)、また、機関紙である同年九月一五日付妙観において、「捏造だらけの正宗誹謗」「誇大・捏造宣伝ここに極まる!」「『度々の豪遊』じつは一度の小旅行」「“芸者写真”は数年前の招待席」との見出しの下に前記創価新報の記事が事実無根である等の反論をするとともに(乙五〇の1,2等)、平成四年一月一五日付妙観には、「学会には謀略・金権・悲惨が充満!!その元凶はひとり池田大作にある」との(乙一一八の1,2)、同年五月一五日付妙観には「全てを灰燼に帰した大作天魔王(乙一一九)」などとして、控訴人池田大作を個人攻撃し、誹謗、中傷するような記事を掲載している。


3 本件記事
証拠(甲一,三,乙一,五九,六〇)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 本件記事一
控訴人創価学会は、右のような紛争におけるキャンペーン記事の一環として、平成四年一一月四日付創価新報の四面及び五面に次のとおりの本件記事一を掲載した。
(1) 記事内容
右紙面の両面にわたり左から右へ、「あわれな法華講よ!日顕が欲すは『カネ、酒、色』の堕落道」との大見出し、その下に小さく、「こんな法主にまだ信伏随従するのか」との見出しがあり、さらに、縦に、「芸者の世界は日顕の“心の故郷”!?」「政子がとめても“酒はやめられない”と本音」との見出しがあり、リード文として、「『私たちはだまされていた』『やはり、日顕は大嘘(うそ)つきだった!』ー。とどまるところを知らない日顕と日顕宗中枢の悪行の数々に、宗内のみならず全国の法華講も激怒。各地で脱講者が相次いでいる。このように次から次へと悪事が露見していることこそ、大聖人が、日顕の悪に対して厳しく裁かれている何よりの証(あかし)でもあろう。もはや日顕に信伏随従することは、“地獄への特急券”を手にしているのと同じだ。ここでは新たに明らかになった“新事実”を交え、日顕と日顕宗僧侶たちの醜(みにくい)い“正体”を改めてお知らせする。全国の法華講員、檀徒のみなさん、これでもあなたたちはまだ、日顕に“信伏随従”するのか。」との記事がある。そして、本文においては、「お待たせしました!またまた出ました、日顕の“芸者写真”!!今度は日本髪の芸者さんを前に、一本指を立ててお得意のポーズ。何とも楽しそうな顔だ。怒ってばかりいる“瞬間湯沸かし器”からは想像もできない。」「『日顕の遊び癖だけはどうにもならない。でも、あの性格だから、周りからは何も言えないんだ』『芸者の世界にいると、彼の心は生まれ故郷に帰ったように安らぐのかもしれない。なにせ、彼の母親や政子の母は、その関係者だったのだから』と、ある老僧や宗門関係者。」「日顕の酒好き、遊び好きには、夫人の“イメルダ政子”も呆(あき)れているようだ。しかし、この夜も、周囲に勧められるままに、五合以上の酒を飲んでいたというのだから、とんだ“お調子者”ならぬ“お銚子者”がいたものだ。開いた口が塞(ふさ)がらない。」「法主がこんな下劣な男であるから、取り巻きの役僧も末寺の僧侶も放蕩(ほうとう)・好色爺(じじい)ばかり。」、そして、「ああ、希代の遊蕩坊主・日顕。そして、好色教団・日顕宗。これでもあなたたちはまだ、信伏随従を続けるというのか。」と結んでいる。さらに、従前の創価新報で報道した阿部日顕の遊興の姿を撮影した四枚の写真が簡単なコメント付きで掲載されている。
(2) 本件写真一
前記横の見出しの下に和室の部屋の中で阿部日顕が食膳や徳利を前にして座り、二人の着物姿の女性のうちの一人と対座して写っている本件写真一を「得意のポーズでご満悦ー。また出た、日顕の“芸者遊び”写真」との説明を付した上で、縦約一二・五センチメートル横約一七センチメートルの大きさで掲げているものである。ところで、本件写真一は、原写真である真正写真1には阿部日顕の他に二名の宴席出席者の男性が写っているのに対して、それらの人物が抹消ないし写真の中に収まらないように写真の両端が切り落されて加工されており、また、真正写真1にはその正面背景に写っていた床の間の生け花、書院の障子窓等が抹消されている。また、写真に写っている女性達には、アイマスクが施されている。

(二) 本件記事二
(1) 記事の内容
本件記事二には、和室の部屋の中で阿部日顕が食膳やビール瓶を前にして座り、日本髪で着物姿の女性七人と共に並んで写っている本件写真二を記事全体の大半を占める大きさ(縦約二七センチメートル、横約二九センチメートル)で掲げ、これを囲むように、「えっ、これじゃ『日顕堕落宗』?」「退座の後はここにキマリ 睨座がなくても“芸座”があるサ」「これぞ極めつけ『ワシ、もう“成仏”しそう』」との見出しがある。そして、本文として、「なんとこれは『日顕堕落宗』の総会か? いやいや、とある超高級料亭での一場面です。相も変わらぬ大尽風を吹かせた日顕クン、この日は特に興に乗ったのか、一座と写真に納まる大サービスぶり。ぶ厚い座布団に鎮座して、脂下がった顔での“記念撮影”と相成った次第です。どうですか、居心地の良さそうなこの“顔”。周りをズラリと芸者衆に囲まれて、いかにもうれしそう。“きみたち、もっと近う寄れい。中啓で殴るのは僧侶だけだよ。おじさんは怖くないからね。できればシアトルのスチュワーデスのように、頭を撫で撫でしてくれるとワシ、もう成仏なんだけどナー”。半ば口を開いて、今にも話し出しそう。これが日顕クンの“半眼半口”の成仏の相とは、イヤハヤ恐れ入りました。「それにしても、このノーテンキな尊顔をジーッと拝していると、このオジンの脳ミソの中には果たして『広宣流布』という文字はあるんだろうかと、“信伏随従”している法華講ならずとも心配になります。京の軟風にかぶれた三位房を弾呵された日蓮大聖人がこの写真を御覧になったら・・・なんて考えるだけで、ソラ恐ろしい気がします。でも、当の御本人はそんな心配はどこ吹く風。シアトル事件、C作戦なんて怖くない。だって睨座を追われてもワシにはちゃんと別の“芸座”があるからね、とばかり日顕“芸下”は、今日も“遊行”へと、いそいそ御出仕するのでアリマスル。」と記載されている。
(2) 本件写真二
本件写真二については、原写真である本件写真2には阿部日顕の他に二名の宴席出席者の男性が写っているのに対して、それらの人物が写真の中に収まらないように写真の両端が切り落されており、また、背景として写っていた生花や額入絵画等が抹消されている。また、写真に写っている女性達には、アイマスクが施されている。


4 控訴人池田大作の本件発言
証拠(甲二,五一,検証の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
控訴人池田大作は、平成四年一一月一四日、「第一五回SGI(創価学会インターナショナル)総会、第四回埼玉総会」(場所・創価大学記念講堂)において、同所に集まった創価学会員に対してスピーチをし、その中で以下の発言をした(以下「本件発言」という。)。右スピーチの様子は、全国の主要な創価学会会館において衛星放送で同時放映された「凡夫と仏の違いはどこにあるか。凡夫はボンクラで、仏は一人偉ぶっているというのかどうか。大聖人は、その正反対に、法華経を信ずる者は仏なり。ねえ、大変に有り難いお言葉です。法華経を信ずる者は仏なんだと。そう見るのが仏である。そう見ないのが凡夫なのである。ねえ、この野郎の首を切りたい・・・、そんな仏はほっとけですよ。ねえ、あいつらは、この野郎・・、そんな大聖人の仏法にも全部反している・・。情けない男たちです。男だけならいいけれども、そのうち、また、あの、あれ出ますけれどね、新報に、この次かな、これちょっと見してもらったけれどね・・。たくさんの美女に囲まれてね。そうだろう、秋谷君、やめろつったら、秋谷やるっつんだもの。もう、新橋かどっかのね、新橋でさあ。もう・・えっへへへへへへと笑ってね。まあ、みんな・、あー、行きたいね、一遍ね。・・そういう連中なんです。」「SGIこそが教行証を兼ね備えて進んでいる教団なのであります。宗門は教え、すなわち御書も軽視している・・。一部分だ。行、修行は全くないげい座ですよ。げい座っつうのはね、本当は正法の座を睨座、芸者の方の芸座・・。今度は新報見たら、みんなびっくりするだろう、どうだ。私は『出すな出すな』ったんですよ。でも、まだいっぱいあるっつうんですよ。で、やめろつったんですよ。で、少しはやっぱりね、ああいう連中は、あのー、どこ行っても学会人いるから、もうみんな知ってんですよ。みんなもう写真にも撮ってあんですよ。また坊さんがみんな送ってくんです。もううちのね法主どうしようもないからっつてね。もういっぱい送ってくんです。うちじゃなくて坊さんの方なんですよ、戒めてくれっつって。で、宗門は教、行もない、だから当然、成仏も証もない。ね、金儲けはうまい。成仏はできません。まさにこれを法滅の姿という。・・法を滅する。」



二 判断
以上の事実に基づいて検討する。
1 本件記事について
(一) この点について、被控訴人らは、一般に、宗教上の指導者の醜聞は、その教団が説く精神生活の崇高さといわば対極的位置にあるとみられやすい性質の事柄であるために、はなはだ強烈なイメージダウンにつながりやすく、特に、被控訴人らにとっての宗教上の指導者である阿部日顕は、信仰上の中心であり、宗内において特別の権能を持つものと位置づけられているところ、写真を偽造し、一人女性達と遊興にふけっているかの如き事実を作出して罵詈雑言を浴びせる本件記事は、被控訴人ら両名の名誉を毀損するものであることは明らかであるとする。
(二) そして、確かに、本件写真は、右撮影当時、他に、二人の僧侶がいたにもかかわらず、これらを註記するようなことはないのであるから、右写真を見た者に対し、阿部日顕一人が酒席で芸者遊びをしているとの実際の状況とは異なった印象を抱かせるのに十分であり、これをもって客観的な報道ということはできず、修正の限度を超えているものというべきである。また、本件記事一も、その大見出しを「日顕が欲すは『カネ、酒、色』の堕落道」として、「欲す」と「法主」とを掛けたり、また、阿部日顕のみならず、その母親や妻の素性等まで引き合いに出して「ああ、希代の遊蕩坊主・日顕。そして、好色教団・日顕宗。これでもあなたたちはまだ、信伏随従を続けるというのか。」と結び、また、本件記事二においても、「えっ、これじゃ『日顕堕落宗』?」「退座の後はここにキマリ 睨座がなくても“芸座”があるサ」「これぞ極めつけ『ワシ、もう“成仏”しそう』」としているものであって、これらは、控訴人らが主張するような日蓮正宗の宗教上の教義に関わる問題や阿部日顕の宗教的聖性についての論争、さらには、正当な言論や評論の域を超え、単に阿部日顕を揶揄し、誹謗、中傷するものとして、違法性を有するものというべきである
(三) しかし、法人とその代表者との社会的評価が密接に関連するとしても、その一方に対する名誉毀損が、同時に、他方に対する名誉毀損となりうるかどうかは、専ら、その加害行為が何人に対して向けられているかの事実判断の問題というべきである(最高裁判所第三小法廷昭和三八年四月一六日判決・民集一七巻三号四七六頁参照)。そして、この観点から本件について検討するに、控訴人創価学会は、元々被控訴人日蓮正宗の信徒の団体であったところ、平成二年末以降、被控訴人日蓮正宗と控訴人創価学会とは対立を深め、お互いの機関誌等で非難、中傷を繰り広げてきたものであるが、その中心は、専ら被控訴人日蓮正宗における正統な法主であると称し(この事実は、法律上ないし裁判上確認されたものでないことは当裁判所に顕著な事実である。)、その最高指導者であるとされている阿部日顕及び控訴人池田大作の行状や人格等に向けられたものであり、このことは、本件記事が、本件写真により、阿部日顕が堕落して遊興にふけっている姿を印象づけようとして、また、「これでもあなたたちはまだ、日顕に“信伏随従”するのか。」などとして、その法主としての資格を問い、また、控訴人創価学会においては、それまで阿部日顕の法主からの退陣を求めて来た経過があること、他方、被控訴人日蓮正宗側においては、妙観に、「学会には謀略・金権・悲惨が充満!!その元凶はひとり池田大作にある」あるいは「全てを灰燼に帰した大作天魔王」などの記事を掲載し、また、阿部日顕自身の「やはり創価学会が誤っておるということを私は感ずるのであります。その一番の根本は、今の創価学会、特に指導者の池田大作という人の考えの中に本末転倒の考え方が存在し、それが大きな指導力をもって多くの人々の頭の中に色々な形で入り込んで、今日のいたずらな宗門批判、僧侶批判等となって現れておると思うのであります。」との言葉からも明らかである。このように、被控訴人日蓮正宗と控訴人創価学会との対立は、被控訴人日蓮正宗の信徒、役員等の一部の間の派閥的紛争の実質を有し、専らそれぞれの派閥の領袖である阿部日顕及び控訴人池田大作を主たる対象として、それぞれに対する世俗的批判、口汚い中傷として繰り広げられてきたものというべきである。このことは、本件記事においては、被控訴人日蓮正宗に関し、何らその教義や運営方針に関する批判はなされておらず、被控訴人大石寺については、全く言及していないことからも、裏付けられる。野崎勲の陳述書である乙四によれば、これまでの日蓮正宗の歴史においても、時の法主が教義違背を犯したり、個人的不祥事を起こしたときに、宗内僧俗から法主たる資格を問題にされ、退座に追い込まれた事例もあり、むしろそのような法主が退座することは当然とされてきたこと、そして、当代の法主に対して、その資格を問題にする言論をなしたり行動をしたからといって、それは正法を惜しむゆえの、日蓮正宗を想うための行動でありこそすれ、日蓮正宗自体に対する攻撃であるなどとは誰も考えていなかったことが認められ、したがって、阿部日顕個人の法主としての名誉、法主の至尊性、法主の指南に対する信伏随従の基礎となる宗教的聖性が、被控訴人日蓮正宗や被控訴人大石寺の本尊等、信仰対象の宗教的聖性ないし不可侵性あるいは宗教的人格権ないし布教権などと不可分一体のものとはいえないことが認められ、阿部日顕個人を弾劾することが、被控訴人日蓮正宗及び被控訴人大石寺自体を信徒として非難することには必ずしもならないというべきである。
(四) なお、確かに、本件記事一には、「日顕宗中枢」「日顕宗僧侶」等の文言が使用されている。しかし、右文言は、本来被控訴人日蓮正宗の僧侶たるべき資格のない阿部日顕ないしそれを取り巻く僧侶達との意味で使用しているものと認められ、これをもって直ちに、被控訴人らに対して向けられた非難、中傷であると認めることはできない。
(五) 以上によれば、本件記事は、阿部日顕個人に向けられたものであり、これが同人に対する名誉毀損を構成する余地があるとしても、これをもって直ちに、被控訴人両名(※日蓮正宗及び大石寺)に対する不法行為に該当するということはできない。よって、被控訴人らの控訴人創価学会に対する請求は、いずれも理由がない。


2 控訴人池田大作の本件発言について
(一) 被控訴人らは、控訴人池田大作が、本件記事一の報道を援用し、これに続く本件記事二の報道を予告して、控訴人創価学会に対し、違法行為を容認、指導した旨主張するが、右1のとおり、本件記事が、被控訴人らに対する違法行為を構成することはないから、このことを前提とする被控訴人らの主張は、理由がないし、本件発言自体も、阿部日顕に向けられたものであることは明らかであるから、それ自体において、被控訴人(※日蓮正宗及び大石寺)らに対する違法行為を構成することもない
(二) よって、被控訴人らの控訴人池田大作に対する請求は、いずれも理由がない。



(結論)
以上によれば、被控訴人らの控訴人らに対する請求は、いずれも理由がないから、これを棄却すべきところ、これらを一部認容した原判決は、不相当であるから、原判決中、右控訴人ら敗訴部分を取り消し、右取消にかかる部分の被控訴人らの請求及び被控訴人らの本件附帯控訴をいずれも棄却し、訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担として、主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第一六民事部
裁判長裁判官 鬼頭季郎
裁判官 慶田康夫



「鑑定話も大ウソ」(『創価新報』)のウソ(仮題)

―『創価新報』の欺瞞(ぎまん)を叱正!―
―裁判所は"芸者写真の偽造を認定―
―上告棄却(ききゃく)されるも、学会に厳しい判決―

(『慧妙』H16.6.1)

 創価学会が"芸者写真訴訟"と称する「写真偽造事件裁判」は、結果的には宗門側の訴えが斥(しりぞ)けられる、という形で終結したが、しかし、その判決内容は、学会による写真の偽造と報道の違法性を認めるなど、むしろ創価学会側に厳しいものであった。
 ところが、創価学会は、この事実を学会員に隠し、「最高裁の控訴(‐ママ)棄却により、希代の遊蕩法主・日顕(上人)の呆れた正体が歴史に刻印された」(『創価新報』5月19日付)などと言って、相も変わらず学会員を騙(だま)し続けているのである。
 以下に、創価学会の欺瞞(ぎまん)を斬る!

 「写真偽造事件訴訟」で最高裁判所が上告棄却の結論を出したのは、本年2月24日のことであった。この上告棄却によって、宗門側勝訴の1審判決(東京地裁)を覆(くつがえ)した2審判決(東京高裁)がそのまま生きる、という形で、裁判は終結したのである。
 2審判決は、『創価新報』に掲載された写真が偽造であることや、記事が日顕上人の名誉を毀損(きそん)するものであることを認めつつも、原告(訴えた側)が日顕上人御自身でない(日蓮正宗と大石寺が原告になっていた)から訴えを棄却する、というもの。
 つまり、創価学会の立場から見れば、かろうじて"損害賠償"と"謝罪広告"の責任だけは免れられたものの、問題の焦点である"写真偽造"の事実は裁判所からも認定され、これによって創価学会の「呆れた正体が歴史に刻印され」てしまった、ということである。
 しかるに、恥知らずな創価学会は、あたかも自らの正当性が証明されたかのような言い方で、『創価新報』に写真を掲載し続けている。それも、最も偽造性の強い写真は引っ込め、両端をカットしただけだった集合写真のみを、今度はカットなしで。
 もちろん、この「両端カット写真」とて、当初は、日顕上人がお1人で芸者遊びをしているかのように見せかけるためのカットだったのだから、偽造には違いない。
 しかし、『創価新報』が引っ込めてしまった写真こそが、同席者2名を塗りつぶして、まったく別な背景に作り変えてしまった、偽造中の偽造なのである。
 これは、カット手法による偽造と違って、原版との印象があまりに違いすぎる。だから、『創価新報』は、こちらの写真を掲載することができず、こっそり封印してしまった、という次第。こうして学会員を騙し続ける創価学会の姑息(こそく)な体質には、ただただ呆れるしかない。
 創価学会が隠したい「偽造写真」については、本紙が何度でも掲載していくから、学会員には、これを見て、創価学会の欺瞞(ぎまん)体質をよくよく見定めていただきたいものである。
 なお、『創価新報』は、「鑑定話も大ウソ」という見出しを付け、「阿部信彰尊師がかつて、『鑑定の結果でも、合成写真らしい』と言っていたが、写真が本物であった以上、これはまったくのデタラメだった」(趣旨)とも言っているが、何をかいわんや。
 偽造写真が『創価新報』に掲載された当初、プロに鑑定を依頼し、その結果、いくつかの不自然さが指摘されたのは事実であり、そして、その後、原版が出てきて、それによって偽造・変造の事実がハッキリしたのである。
 いまさら、「写真が本物であった以上」などと誤魔化(こまか)すのは、恥の上塗りになるだけである。
 最後に、判決文の中から、「写真偽造」および『新報』記事の違法性を認定した箇所を挙げ、『新報』子の汚ない口を塞ぐ。

●(修正を施した)本件写真は、右撮影当時、他に2人の僧侶がいたにもかかわらず、これらを注記するようなことはないのであるから、右写真を見た者に対し、阿部日顕(上人)1人が酒席で芸者遊びをしているとの、実際の状況とは異なった印象を抱かせるのに十分であり、これをもって客観的な報道ということはできず、修正の限度を超えているものというべき(東京高裁の判決文より)

●(『創価新報』の記事は)控訴人ら(創価学会ならびに池田大作)が主張するような、日蓮正宗の宗教上の教義に関わる問題や、阿部日顕(上人)の宗教的聖性についての論争、さらには、正当な言論や評論の域を超え、単に阿部日顕(上人)を揶揄(やゆ)し、誹謗、中傷するものとして、違法性を有する(東京高裁の判決文より)

[画像]=宗門側の請求が棄却されたことを奇貨として、あたかも完全勝訴したかのように報じる『創価新報』