破門の経緯


[事件の経過]

[これが創価学会が破門に至った真相だ!]

[創価学会破折]

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事件の経過


H2.春頃〜
・学会内部での池田大作のスピーチに露骨な宗門批判が混じるようになり、それがやがて、心ある多くの学会員からの手紙や電話で宗門側の耳にも届いてきた。

H2.7.16
・事態を憂慮した宗門側は、7月17日に予定されている宗門・学会の連絡会議で学会の真意を問うことにし、事前にその準備をした。宗門側は、あくまでも学会を信頼する上から、事の真偽を確認しようとしていただけであり、この時点で"学会を切る"などという話になるはずもなかった。

H2.7.17
・創価学会、宗門との連絡会議の席上、法主上人・宗門を一方的に批判し席を立つ(東京常泉寺)

H2.7.18
・連絡会議での学会側の傲慢不遜(ごうまんふそん)な態度に驚いた宗門側は、総本山大書院において、日顕上人御臨席のもと、今後の学会への対策を協議するために会議を開いた。会議の結論としては、「学会に言うべきことを言うためには、まず宗門として自らの姿勢を正し、反省すべきは反省して、綱紀自粛(こうきじしゅく)を徹底すべきである」とし、学会への対応については「当分、様子を見る」ということに決定された。

H2.9
◆創価学会は創立以来60年間、大聖人、日興上人の御精神のままに行動してきた。(中略)御書に照らし、日興上人の仰せに照らして、少しの狂いもない、正しき行動であったが故に、日蓮正宗創価学会は大発展を遂げ、仏法大興隆の歴史を築いてきた。これは、だれびとも疑い得ない事実である(『大白蓮華』H2.9)
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このことは、創価学会が昭和52年に教義逸脱問題を起こし、第66世日達上人・第67世日顕上人に自らの非を認めて全面謝罪した、その反省懺悔(さんげ)を全て反故(ほご)にするものでした。(『慧妙』H26.6.1)

・池田大作も各種会合におけるスピーチで、宗門・日顕上人に対する軽賎(きょうせん)・悪口を繰り返すようになり、それに疑問を懐(いだ)いた学会内部からの声が宗門に寄せられるようになりました。(『慧妙』H26.6.1)

H2.10.6〜7/10.12〜13
・大石寺開創700年慶讃大法要(初会)奉修大石寺開創700年慶讃大法要(本会)奉修

H2.11.16
・池田大作、創価学会第35回本部幹部会において、猊下、宗門、僧侶の蔑視・軽視発言(52年逸脱路線無反省を露呈)
猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません(池田大作/『大日蓮』号外H3.1.25・20頁)
(猊下の御説法に対して)全然、また難しい教義、聞いたって解んないんだ。誰も解らないんだ。ドイツ語聞いているみたいにね。それで「俺偉いんだ。お前ども、信徒ども、信者、信者」って、そんなのありませんよ(同)
50周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ(同23頁)
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このような池田のスピーチは、52年教義逸脱問題の反省懺悔を反故にする、無慚極まりないものであった。そして、創価学会は平成2年から再び宗門支配と分離独立計画を実行に移すため、宗門攻撃を開始した。最近の池田発言に疑問を感じていた複数の参加者がこれを録音することに成功し、そのテープを宗門に届けた。

H2.12.13
・日蓮正宗、創価学会との連絡会議の席上、池田大作の11月16日のスピーチについての『お尋ね』文書を学会に提出する 創価学会「出所不明のテープを元にした文書は受け取れない」と受け取りを拒絶(東京常泉寺)

H2.12.16
・日蓮正宗、創価学会へ『お尋ね』文書を発送

H2.12.24
・日蓮正宗、創価学会からの12月23日付『お伺い』なる9項目にわたる事実無根・捏造の宗門批判文書を受信

H2.12.26
・事ここに至って、宗門では、学会の態度を「まことに無慚(むざん)無愧(むき)、(中略)誠意ある回答を示される意志が全くない」ものと認定(同月26日付「通知」)

H2.12.27
・第130臨時宗会開催 宗規一部改正を議決 改正にともない総講頭・大講頭の資格喪失

H3.1.4
・創価学会、『聖教新聞』紙上で宗門批判キャンペーン開始(『慧妙』H20.5.16)

H3.2.9
・日蓮正宗「池田大作氏の反省懺悔を求める」との内容の文書をもって、その謗法行為を破折すると共に日蓮正宗本来の信仰に立ち返るよう訓戒 宗門僧侶、各布教区ごとに連名をもって池田大作の謗法を誡める『謝罪要求書』『抗議書』を学会に送付

H3.2.15
・福岡県教説寺住職が創価学会員より暴行を受ける。(『慧妙』H20.5.16)

H3.2.26
・創価学会、宗門の化儀を無視した「学会葬」始める(『慧妙』H20.5.16)

H3.3.5
・日蓮正宗、それまでSGI組織(創価学会インタナショナル)に委任してきた海外信徒への指導を宗門が直接行うことを決め、SGIへの一任を廃止

H3.4.6
・総本山御霊宝虫払大法会を奉修。創価学会が法要を妨害。(『慧妙』H20.5.16)

H3.4.13
・創価学会青年部300人が福岡市開信寺の御講の最中、集団暴行事件を起こす。これにより同寺支部の講頭が全治2ヵ月の重傷。住職ほか信徒も多数負傷した。(『慧妙』H20.5.16)

H3.4.25
・宗門、末寺に対して「創価学会員による布教妨害・暴行に対する対応方法」を指示する緊急告知を発する。(『慧妙』H20.6.16)

H3.4.30
・学会、添書登山に関する協議を拒否する。(『慧妙』H20.6.16)

H3.7.2
・日蓮正宗、これまで創価学会組織を通じて許可してきた信徒の登山方式を、全国末寺が発行する「添書登山」に切り替えた
●末寺の坊主の状なからん者、在家・出家共に本寺に於いて許容なきなり(第9世日有上人の『化儀抄』/『富士宗学要集』第1巻69頁)
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「添書登山」は日蓮正宗本来の化儀と信仰に基づく方式である
創価学会が総本山への参詣拒否を呼びかけた結果、創価学会員の正本堂への参詣が途絶えた(大阪高裁=奈良地裁建設御供養事件控訴審・取意/『大白法』H15.12.1)

H3.8.30
・学会、盂蘭盆会(うらぼんえ)法要を各地の会館で行なう。(『慧妙』H20.6.16)

H3.9.17
・秋谷栄之助、第46回本部幹部会で「宗門は天魔と化して、信者ドロボウに狂奔し」と発言

H3.9.23
・学会、彼岸法要を各地の会館で行なう。(『慧妙』H20.6.16)

H3.10.20頃
・創価学会・SGI、日顕上人退座要求署名運動を開始(『慧妙』H20.6.16)

H3.10.21
・日蓮正宗、創価学会へ『通告文』を発送 学会葬などの化儀破壊行為を改めるよう通告

H3.11.7
・『聖教新聞』紙上に「宗門は正宗教義破壊の日顕宗」と掲載。(『慧妙』H20.6.16)
・七五三祝を各地の会館で行なう。(『慧妙』H20.6.16)
・日蓮正宗、創価学会およびSGIへ『解散勧告書』を送って強く反省を促した

H3.11.28
・日蓮正宗、創価学会及びSGIへ『破門通告書』を送り、学会・SGIを破門
・この頃、創価学会、独自で観念文を改変した経本や、赤・黄・青の三色珠の入った数珠、また独自の過去帳などを作製。学会葬(友人葬・同志葬)が本格化

H4.2.
・工藤玄英など、池田大作信奉者が宗門から離脱
●(離脱勧誘の際、)本部から現金5千万円の支度金を支給する(創価学会某副会長=弁護士『判例タイムズ』1094-185頁/『大白法』H16.8.1)

H4.3.28
・日蓮正宗、創価学会が宗教法人の適格性を欠くため、東京都知事(当時鈴木俊一氏)に対し『意見書』を提出

H4.8.11
・日蓮正宗、学会の実質的指導者である池田大作に弁疏の機会を与える旨を付記して、信徒除名処分の『通知書』を送付 それに応じない池田に『通告書』を送り、池田を信徒除名処分に付す

H5.9.7
・創価学会、「ニセ本尊」作製発表

H5.10.1
・創価学会、「ニセ本尊」販売開始

H8.11.18
・日蓮正宗、創価学会が宗教法人の適格性を欠くため、文部大臣(当時小杉隆氏)に対し『意見書』を提出

H9.2.8
・秋谷会長(当時)が「謗法払い不要」を明言。この前後から謗法団体との友好活動を展開

H9.12.1
・日蓮正宗、宗務行政措置を実施 この措置により、創価学会員個人の日蓮正宗檀信徒資格が喪失した




これが創価学会が破門に至った真相だ!


―学会が決裂の原因とした「C作戦」(下)―
(『慧妙』H26.6.1)

 創価学会が"平成2年7月に宗門が練り上げた"と喧伝する「C作戦」なるものが、じつは存在しなかったということは、前に詳しく述べたとおりです。
 では、「C作戦」が存在しないにも拘わらず、なぜ池田大作及び創価学会は宗門からCUT(カットすなわち破門)されるに至ったのでしょうか。その課程を見ていくことにしましょう。


【宗門誹謗を開始した学会】
 平成2年7月の連絡会議で表立って宗門を批判し始めた学会は、さらに機関誌『大白蓮華』(9月号)に
 「創価学会は創立以来60年間、大聖人、日興上人の御精神のままに行動してきた。(中略)御書に照らし、日興上人の仰せに照らして、少しの狂いもない、正しき行動であったが故に、日蓮正宗創価学会は大発展を遂げ、仏法大興隆の歴史を築いてきた。これは、だれびとも疑い得ない事実である」
等として、これまで学会には少しの誤りもなかった、全て正しかった、との記事を掲載しました。
 このことは、創価学会が昭和52年に教義逸脱問題を起こし、第66世日達上人・第67世日顕上人に自らの非を認めて全面謝罪した、その反省懺悔(さんげ)を全て反故(ほご)にするものでした。
 また、池田大作も各種会合におけるスピーチで、宗門・日顕上人に対する軽賎(きょうせん)・悪口を繰り返すようになり、それに疑問を懐(いだ)いた学会内部からの声が宗門に寄せられるようになりました。
 そして同年11月16日、決定的な事件が起きました。この日、行なわれた創価学会の本部幹部会において、池田はいつものように、
 「『文化は要(い)らない』と、『謗法だ。』もう、わけがわからない、ネ。何も苦労していないから、本当のことを社会を知らないから、折伏もしていないから。(中略)平和・文化、『それがいけない』って言うんですよ。折伏だけで、全部ネ、教条的にネ、やれっちゅうんです。おかしいじゃないか。(中略)平和運動、正しいんです。文化運動、正しいんです。大いにやりましょう。それがなかったならば、何やってきゃ、どうしたら折伏できるか。そうでしょう。ただ朝起きて『真言亡国・禅天魔』、法を下げるだけでしょう。全然、またあの難しい教義、聴いたって、わからないもん、誰もわかんねェもん。ドイツ語聴いてるみたいでネ。そいで、お寺へ行ったら、『おまえども、信徒ども、信者、信者』って、そんなのありませんよ、この時代に。」
 「(昭和50年の日達上人のメッセージを読み上げ)『私も人類恒久平和のために、そして世界の信徒の幸福のために、』ですよ。猊下というものは、信徒の幸福を考えなきゃあ、いけない。権力じゃありません」
と、宗門批判スピーチを展開しましたが、最近の池田発言に疑問を感じていた複数の参加者がこれを録音することに成功し、そのテープを宗門に届けたのです。


【宗門の「お尋ね」に回答拒否!】
 録音テープを聞いて驚いた宗門では、これを放置しておくわけにはいかず、池田及び学会首脳の真意を質す「お尋(たず)ね」文書を作成しました。そして、12月13日、学会との連絡会議の席上、この文書を提示して池田スピーチの真意を確かめようとしました。
 ところが、学会側は文書の受け取りを拒否し、席を立ってしまったのです。やむなく宗門では、同月16日、この文書を学会本部に送付し、文書での回答を求めました。話し合いができないのですから当然のことです。
 これに対して学会は、文書による回答を拒否したばかりか、かえって、「猊下がお目通りの場で怒鳴った」等の事実無根の内容からなる、宗門批判の「お伺い」書を同月23日付で送り付けてきました。
 事ここに至って、宗門では、学会の態度を「まことに無慚(むざん)無愧(むき)、(中略)誠意ある回答を示される意志が全くない」
ものと認定しました(同月26日付「通知」)。


【池田の指示で日蓮正宗攻撃が始まる】
 そして、この時点でなお池田大作が、全信徒を代表する法華講総講頭の地位にあること、また日蓮正宗「宗規」では、総講頭の任期が定まっておらず、その解任や罷免(ひめん)の手続きすら定まっでいないこと等を鑑(かんが)みて、同月27日、臨時の宗会を開いて「宗規」を一部改正、これに伴(ともな)い総講頭・大講頭等の法華講役員は一旦、その資格を喪失しました。
 もし、この時点で池田大作らが自らを振り返り、その謗法の心根を反省していたなら、改正後の「宗規」に則り、再び総講頭として任せられていたかもしれません。少なくとも宗門は、長年にわたる池田らの功績も考慮し、この時点ではまだその可能性を含みとして残されていたのです。
 さらに同月29日、宗門では、去る23日付で学会が送り付けてきていた宗門批判の「お伺(うかが)い」書について、その全内容を破折した文書を学会宛てに送付し、学会の出方を見守りました。
 すると翌・平成3年1月1日より、創価学会は全組織を挙(あ)げて日蓮正宗への攻撃を開始しました。
 日蓮正宗寺院へ青年部が押しかけての法要妨害に始まり、日蓮正宗の仏法そのものを否定するFAX怪文書『地涌』の発行、機関紙上における宗門誹謗(ひぼう)、各種会合での中傷宣伝など、一般会員を巻き込む強硬策に出てきたのです。


【大謗法化して学会は宗門と決裂】
 これを指示したのは、いうまでもなく池田大作その人でした。池田は、元日早々から
 「恐るるな また恐るるな 仏子らを必ず守らん 諸天も諸仏も 元旦 大作」
などという歌を作り、ためらう学会員をも宗門攻撃に駆り立てる檄を飛ばしたのです。
 こうなってはもう収拾がつきません。もとより学会は"池田教"と呼ばれるように、池田を仏のごとく崇(あが)めてきた団体ですから、その池田が大号令を下したことにより、一気に日蓮正宗と敵対する大謗法団体への道を暴走し始めました。
 『聖教新聞』『創価新報』には毎回のように宗門誹謗のデマ宣伝が載(の)り、電車の吊り広告にも宗門誹謗の雑誌広告が踊り、さらには、学会員による寺院襲撃や暴行事件、御法主上人や僧侶方の似顔を使った踏み絵、御塔婆・戒名の不要論、僧侶抜きの友人葬(学会葬)の実施、御法主上人に対する退座要求署名運動の展開―等々。
 日蓮正宗からは、学会に対して再三にわたり、元の正しい信仰に立ち還(かえ)るよう強く反省を促しましたが、学会は日蓮正宗宗門に対する誹謗中傷を深めるばかりでした。
 事ここに至って宗門では、11月7日付で創価学会に「解散勧告」を行ない、それでも謗法を改めない学会を11月28日付で破門に処したのです。
 さらに翌・平成4年8月11日、まったく態度を改めない池田大作を信徒除名処分に付しました。
 以後の経過は皆さんも御承知のとおり、創価学会は日蓮正宗とは全く異なる邪宗教団と化し、学会製の「ニセ本尊」を造って会員に頒布するなど(その際、会員宅から回収した大量の日蓮正宗の御本尊は、今に至るも宗門へは返却されていません)、大謗法の限りを尽くしたのです。
 このような状況の中で、宗門は、平成9年11月30日を期限として、大謗法の創価学会から脱会しない会員については、日蓮正宗信徒の資格を喪失するものとしました(それまでは、学会員は同時に日蓮正宗信徒でもありました)。
 こうして、創価学会およびそこに留まる会員は、日蓮正宗と完全に決裂して無関係となったのです。
 以上のような真相を概観(がいかん)するならば、"日蓮正宗宗門がC作戦を立案して創価学会を切った"などという学会の宣伝は、まったくの虚構(きょこう)であることが明らかではありませんか(※ここに挙げた、学会と宗門とのやりとりの詳しい記録は、宗門から資料として発刊されています。自分の目で確認したい方は、日蓮正宗寺院にお尋ねください)。
 創価学会を大謗法化した張本人・池田大作が、仏罰によって頭破七分し生ける屍(しかばね)となった今、創価学会員諸兄には、その現証をもって学会の誤りと決裂の真相を知るべきであります。

[画像]:平成3年1月1日、池田大作の和歌の組織内への徹底を促した指示書=付随する文書には、池田大作が総講頭の資格を失ったことに対し、組織を挙げて抗議するように、との指示が―




創価学会破折


はじめに
 第2次学会問題(H2.11.16)以降の創価学会は、いくつかの点において、それまでの指導や行動を180度変えた。
 例えば「御書根本」なる言葉を使い、日蓮大聖人の悟りの内容はすべて御書に網羅されているとした。これは唯授一人の血脈相承に基づかなければ仏法を正しく理解できないとした、これまでの立場を変えるものである。また、経文や会則から「本門戒壇」の文字を削除し、本尊は皆同じだと言い出した。これは、大聖人の出世の本懐が本門戒壇の大御本尊(大石寺に格護)であり、大御本尊につながる信心でなければ成仏できないとした、これまでの指導を否定するものである。
 さらに「形式よりも精神が大事」とし、塔婆や葬式など儀式の「形式」を敢えて軽視した。また「僧俗平等」を強調し、それは「僧侶不要」にまで行った。
 学会が、日蓮正宗と袂を分かつ決意をしたときに、どうしても越えなければならない壁がある。それは、宗門にあって学会にはなく、しかも学会自身が信仰の根幹と位置付けていたものをどうするか、という問題である。信仰の根幹の1つは750年間連綿と受け継がれてきた「唯授一人の血脈相承」であり、もう1つは御本尊(本門戒壇の大御本尊と、その書写)である。
 そこで学会としては、何としてもこれらを否定しなければならなかったのである。しかし、学会自身が創立以来、信仰の根本とし、会員にも絶えず指導してきた内容を朝令暮改のごとくに反転させることはできない。学会としては「木に竹を接ぐ」ような行為を、いかに自然に行うかに相当苦心しなければならなかった。
 そのためには日蓮正宗僧侶、とくに歴代上人がいかに腐敗し、信仰尊崇の対象として相応しくない存在であるかという印象を、会員に植え付けることが必須だったのである。数々のスキャンダル報道や、訴訟騒ぎは、その一環である。
 しかし冷静になって考えてみれば創立以来、ことあるごとに歴代上人の威徳を称え、法水瀉瓶といって700年以上もの間法門が、日蓮正宗のみに正しく伝えられてきたことを強調していたのである。そして「本門戒壇の大御本尊」と「唯授一人の血脈相承」を宗旨の根本、信仰の根本としてきたのである。
 それが宗門との間に軋轢が生じ、破門されそうになった途端に(※下記参照)、掌を返すように、スキャンダル報道(何百年も前のことにまで及ぶ)が飛び出し、指導を反転させたのである。

 このような一連の流れを見渡しただけでも、学会の言動、姿勢がいかに恣意的で御都合主義で、信用できないかが分かろう。
 すくなくとも学会問題発生(厳密にはH2.11.16)以前に学会首脳が行ってきた指導は、日蓮正宗と一体のものであって、破門以前から宗門に血脈が流れていなかったというのであれば、その点について学会首脳も、会員や世間に対して連帯して責任を負われるべきなのである。
 そのような視点をまったく欠いて、自分達が信仰の根本としてきたものを簡単に捨て去り、自分達が被害者であるかのような態度をとる。また、本尊(本門戒壇の大御本尊)や教義(唯授一人の血脈)を捨てれば、宗教そのものの命脈を失う訳であるから、宗教団体の資格を撤回するのが筋だと思うのであるが、依然として「宗教活動」している姿などは、ころころと本尊や教義を変えても、恬として疑問を感じないで生き残っている一般邪宗教そのままである。
 学会の妄言や、狂った行動の一々の詳細に立ち入らずとも、このように外観を見ただけでも何処に真実があるかは明らかではあるが、念のために以下詳細に渡って考察を加えるものである。

※創価学会の教義逸脱は今回に始まったものではなく、昭和40年代後半にも学会自身の宗門支配乃至独立という野望のために恣意的に行われた。その背景には池田自身の慢心がある。正本堂を御遺命の戒壇であるとすることに執着し、自身を広布達成者=戒壇建立者=大聖人に比肩する(または凌ぐ)広布の指導者、と会員に思い込ませるように画策したことは、その最も顕著な証拠である。
 今回の11.16慢心指導も、前回の宗門支配乃至独立計画の復活とも考えられる。その意味では「宗門との間に軋轢が生じ、破門されそうになった」から、公然と宗門批判を展開したのではなく、もともと抱いていた宗門支配乃至独立の野望を達成すべく、敢えて問題発言をし宗門を挑発、「宗門との間に軋轢が生じ、破門され」るように仕向けたのが11.16指導であったといえる。

この問題の真相は、創価学会員の財力・集票力を支配することの旨味を知ってしまった池田大作や創価学会大幹部が、自らの醜(みにく)い名聞名利のために、一般創価学会員を宗門・御法主上人から切り離し、創価学会の意のままに操り続けたいという野望を遂げるために考え出したところにある。すなわち池田大作及び創価学会大幹部による、池田大作ら創価学会大幹部のための、創価学会独立作戦にほかならないのである。(『大白法』H16.4.1編集)

◆10年前は堂々と出来なかった。一言もいえなかった。それで失敗しましたんで、今度は堂々とやっている(森田理事長・平成3年3月18日、杉並ビクトリー勤行会)

◆長期的に見れば、うまく別れる以外にないと思う。本質は、カソリックとプロテスタントのような違いである。(『北条報告書』昭和49年5月10日)
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 いかがであろう、後の第4代会長となる北条自らが「うまく別れる以外にない」と池田に進言し、「やるときが来たら、(宗門と)徹底的に斗いたい」と、決意を披瀝(ひれき)しているのである。
 この『北条報告書』が流出した際、創価学会は「これは北条氏が感情的に書いたもので、学会の本意ではない。池田会長からも厳しく叱(しか)られた」などと言い訳していたが、一時的な感情で「別れる」「戦う」などと言えるものかどうか、子供でもわかろう。

[破門は想定外だった!?]