破門は想定外だった!?(仮題)

(『慧妙』H25.5.1編集)

【御都合主義が極まった『人間革命』第2版】
―自らの変遷をごまかす改訂―
 池田大作の著書『人間革命』の改訂第2版が、本年初頭から続々と刊行されている。
 第2版冒頭の「文庫版発刊にあたって」によると、"この20年ほどの間で宗開両祖に違背(いはい)し、腐敗・堕落(だらく)してしまった宗門が、仏意仏勅の創価学会の崩壊を企(くわだ)て、仏法破壊の元凶と成(な)り果てた今、『人間革命』を全集に収録する際にも、その点を考慮すべきではないか"という学会内部からの問題提起を受けて、池田大作が推敲(すいこう)したものだという。
 もともと『人間革命』は虚偽(きょぎ)や欺瞞(ぎまん)に満ちていたが、第2版で何がどのように変わったのか、第1巻から第3巻までの新旧版を比較してみたところ、主に以下の諸点について、徹底的な改悪がなされていることが分かった。

@大石寺の「大御本尊」の「大」の字を削除し、他の一切の御本尊と同等の「御本尊」という表記に言い換(か)える
A大石寺の大御本尊が特別であることを形容した修飾成分(一閻浮提〈ちえんぶだい〉総与の、三大秘法の、文底独一本門の)をすべて削除
B日蓮正宗が大聖人の唯一の嫡流(ちゃくりゅう)であることを示す記述や表現をすべて削除
C第3代以降の御歴代に対する尊称「上人」を削除し、呼び捨てにする
D護法と弘教に挺身(ていしん)した歴代猊下の事跡記述をほとんど削除
E大石寺が富士山麓に立地している意義や、境内の荘厳を讃(たた)える表現をすべて削除
F宗門の伝統的儀式に関する詳細記述をすべて削除
G「入信」をすべて「入会」と書き換え
H個別の邪宗・邪教の害毒性を攻める表現を削除
I本紙等が指摘した小説『人間革命』の嘘(うそ)や矛盾(むじゅん)の糊塗(こと)

これらの改悪は、宗門から破門され、根無し草として流浪する池田創価学会の哀れな姿を、如実(にょじつ)に反映している。


【学会は想定外の破門で混乱した】
 破門後の創価学会は、「創価ルネサンス」とか「魂(たましい)の独立を勝ち取った」などと聞こえのよい言葉で体裁を繕(つくろ)っているが、それらのフレーズは"独立"や"改革"のための大義名分や理論構築が十分にできていて、満を持して反旗を翻(ひるがえ)した者が言う台詞(せりふ)である。実際は、池田創価学会は理論構築も心の準備もできていないまま宗門から破門され、周章狼狽(しゅうしょうろうばい)し混乱していたのである。それは学会の御用学者・宮田幸一氏の次の述懐(じゅっかい)からも明らかである。
第2次宗門問題は準備無しで起こったようで、対策室でもどのように教義的に創価学会を正当化するかについては、そもそも日蓮正宗の教義については殆ど知らないスタッフばかりだったので、まだはっきりとはしていなかった。そのうち『聖教新聞』で日有の『化儀抄』を使って「法体の血脈」と「信心の血脈」の論争を始めた。私は、法主を中心にした日蓮正宗の体制を作ったのが日有であり、彼の書いた『化儀抄』には圧倒的に日蓮正宗にとって都合のよい部分が多いのだから、そんな資料を使って教義論争をしても敗北するだけだ……(宮田幸一氏のHPより)
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 そこで仕方なく御用学者を総動員し、かつて自分達が破折したはずの邪宗による日蓮正宗誹謗(ひぼう)論法を、無節操に受け売りするなどして、宗門誹謗と自己正当化に血道を上げ始めたのである。


【破門後の本尊問題が深まる】
 また、本尊に関しても、宗門と敵対した後の会員への本尊下付について予(あらかじ)め対策が練られていたわけではなく、破門が避けられない事態になってから慌(あわ)てて下付用本尊のオリジナルを血眼(ちまなこ)になって探し始めた、という始末であった。その点も前述・宮田氏が以下のように証言している。
◆日蓮正宗との非妥協的な対立が避けられないということが明らかになると、多くの会員の自宅にある日顕の本尊をどうするかということが問題になり、学会独自の本尊を作成しようとなった
◆多くのスタッフは教義とは無関係に日蓮の曼荼羅(まんだら)を欲しがっていた。それで実際に候補になりそうな本尊を探したところ、あるにはあったが、模刻本尊で、当然オリジナルの本尊は別のところにあるから肖像権の問題があり使用できそうになかった。もう少し準備期間があれば、創価学会の財力に物を言わせて、日蓮筆の曼荼羅を何らかの手段で購入するか、肖像権を購入することはできたと思われるが(中略)、なにせ突発事故みたいなものだから、泥縄式に探すしかなかった。それで次善の策として日興筆の本尊を探すと栃木浄円寺に日興筆の曼荼羅があったという情報が伝えられた。これは『日興上人御本尊集』にNo.223と表示されている本尊だが、そこには写真版も図版も記載されていず、未調査の曼荼羅とされている。ところがその後の情報では、御厨子(ずし)に入れるときに、御厨子が曼荼羅よりも小さかったために、曼荼羅の上部が一部分切り取られていて、どうも本尊として使用するには具合いが悪いということのようで、この話も立ち消えになった。その後の経過は知らないが、最終的には日寛の曼荼羅を使用することになった。(宮田幸一氏のHPより)
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 「創価学会の財力に物を言わせて」とか「泥縄式」と素直に白状している箇処が笑えるが、現在、学会員が拝んでいる本尊は、とにかく「何でもいいから探せ」と命令されて闇雲(やみくも)に物色した挙(あ)げ句、ようやく入手した御本尊がコピー元になっており、それを複写し修正加工しただけの、値打ちの全くない代物(しろもの)なのである。かつて小樽問答で池田らが身延のお土産本尊を嘲笑(ちょうしょう)したことがあるが、それと変わらぬニセ本尊(魔札)であることを学会員は知らなければならない。
 こうした、池田創価の破門直後の狼狽ぶりと、泥縄式本尊作成の顛末(てんまつ)を見ると、「創価ルネサンス」だの「魂の独立を勝ち取った」だのという美辞麗句(びじれいく)が、いかに鼻白(はなじろ)む負け惜しみであったかが分かる。
 そしてそれ以後も、破門された腹癒(はらい)せのために根拠なき宗門誹謗や訴訟を繰り返し、一方で、相次ぐ脱会者を食い止めるために池田のカリスマ性強化が必要と勘違いしたのか、池田偉人化を目論(もくろ)んで名誉称号の乱獲、自己宣揚に明け暮れるなど、無価値な目的のために時間と労力と資力を費やしてきたのが、池田創価のこの20年であった。


【未だに教義の構築ができぬ学会】
 7百年の伝統宗教たる日蓮正宗のバックボーンを失い、新興宗教団体に堕した創価学会としては、その20年という長い時間を使って、(日蓮正宗教義に依存しない)完全に新しい教学理論体系を構築しようとしたのだろうが、允可(いんか)なきニセ本尊を正当化しうる新たな本尊論や三大秘法論など、確立できようはずがなかった。そこで御用学者に命じて試論させてはみるものの、悉(ことごと)く宗門に論破され、二の句が接げないという体たらく。猊座への難癖(なんくせ)や僧侶・寺院不要論も論拠なき感情論に終始したものであった。
 そもそも日蓮正宗の教義や化儀を否定することは、戸田城聖会長指導の否定につながり、池田の愛唱スローガン"師弟不二"に抵触するため、如何(いかん)ともしがたかった、というのが実情であろう。
 そんな状況であるから、教学書を兼ねる『人間革命』を今般改訂するからとて、そこに新たな学会流の新教学理論を組み込むことなどできようはずがないのである。
 かくして、小説『人間革命』の改訂にあたって池田(のブレーン)が思いついた方針が、冒頭に列挙した怒涛(どとう)の削除作戦である。あからさまな宗門否定や教義上の新見解は戸田指導と矛盾するために書けない。かといって宗門の重要性や正統性を強調した記述をそのまま残すと、現学会の主張と矛盾する。そこで苦肉の策として、原作から矛盾要素を削除(隠蔽〈いんぺい〉)したり姑息(こそく)に言い換える、という狡猾(こうかつ)な方法を採(と)ったのであろう。
 しかしその結果、重要要素を無秩序に削除したため、創価学会の教義的独自性が失われ、他の日蓮系邪宗と区別がつかなくなってしまった。また、冒頭の@Aの改悪点に至っては創価学会の現会則や学会版勤行要典の祈念文とも整合性が取れていない。こうしたことに池田は気づいていないようだ。
 本紙は今後、冒頭に列挙した改悪項目について具体的に挙例・分析し、徹底批判していく。

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 第2次創価学会問題は、池田の11.16慢心スピーチが発端である。池田には、52年路線のときから宗門支配乃至独立の野望があったことは間違いない。しかし、少なくとも公式的には日蓮正宗の信徒団体を自認し、唯授一人の血脈と大御本尊の重要性を会員に指導していたのであるから、宗門支配乃至独立の野望を、大幹部といえども不用意に漏らすことはできなかったであろう。11.16慢心スピーチが独立のための計画的なものであったとしても、そのことを知っていた者は、側近中の側近に限られていたのではないか。
 あるいは、池田が感情的突発的に慢心スピーチをし、そのことが宗門で問題になっても、池田の意向で謝罪せず、そのまま突き進んで破門になってしまったとも考えられる。その場合でも、学会総体の意思はともかく、池田自身には独立して自由に活動したいという強い思いがあったに違いない。(下記●)
 いずれにせよ、日蓮正宗の信徒団体を自認し、唯授一人の血脈と大御本尊の重要性を何度も会員に指導していた学会としては、いくら時間があったとしても、宗門からの破折を跳ね返すことができる理論など構築できるはずがなかったのである。52年路線の失敗を経験した池田らが、そのことを知らないはずはないと思うのだが。(法蔵)

●(※平成2年)10月13日には大石寺開創700年の慶讃大法要が行われ、私はこの時の「慶讃文」で、(中略)本門寺の公称は未来だということを言ったのです。この時の池田大作は、怒りたくても怒れないような、なんとも言えない顔をしておりました。大客殿では、私はちょうど東を向いているから見えたのです。そのあと彼も出てきて挨拶したけれども、その時の顔はなんだか見ていられないような顔でした。
 (中略)池田は、おそらくあの大石寺開創700年慶讃大法要の時に、この私が「大石寺を本門寺と改称したい」とか、「改称する」と言うことを期待していたと思うのです。それなのに「未来のことだ」と言ったものだから、怒ったのでしょう。(中略)
 つまり、君達も知っているように「11.16」という話があるでしょう。これは、この平成2年の11月16日のことです。この年の10月13日に大石寺開創700年の慶讃大法要で私の「慶讃文」を聞いて、池田は怒って、「よし、それならば日顕のやつをやっつけてしまえ」ということで私を誹謗したのが、約1ヵ月後の「11.16」の発言なのであります。(第67世日顕上人『大日蓮』H16.12)