創価学会破折
破門の真相

 そもそも、一番の発端は、平成2年11月16日に開催された本部幹部会における、池田大作の宗門誹謗発言だ。  これについて、宗門は、学会の真意を問うお尋(たず)ね文書を送ったのだが、後日、テープの反訳ミスで、お尋ね文書中の重要部分を撤回したなどと『新報』は嘯(うそぶ)いている。
 だが、一部分の反訳に訂正はあったが、池田の主要な謗法発言については撤回などされておらず、全くの大嘘(うそ)である。どこまでも、破門の一番の発端は、創価学会の実質的最高指導者であった池田大作の、御法主上人への誹謗中傷、また宗門に対する謂(い)われ無き非難にあった。
 加えて、宗門の指摘に対する不誠実極まりない、およそ信徒団体とはいいがたい不信心・無反省の態度、口を極めた誹毀讒謗などは、もはや日蓮正宗を信じている者とは全くいえない状況であった。
 そこで、創価学会に対して、まず解散勧告を行なったが、いよいよ憎悪を燃やして宗門を非難中傷し攻撃してきたので、もはやこれまでとて、断腸の思いで、創価学会を破門処分に付したのである。

(『慧妙』H24.2.16)



破門の経緯

破門年表

創価学会破門から20年/『大白法』H23.11.16

第2次教義逸脱について/第67世日顕上人『富士の法統』

「平成2年」は独立決行の年だった!

離脱作戦失敗物語/『大白法』H16.8.1
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存在しない「C作戦」/『慧妙』H16.2.1ほか


・H2.11.16 池田「11.16」スピーチ
「11.16」について


・H2.12.13 宗門から学会へ『お尋ね』文書提出
「『お尋ね』文書を全面撤回」は大ウソ/『慧妙』H16.5.1


・H2.12.27 総講頭・大講頭の資格喪失
総講頭の資格喪失/第67世日顕上人『大白法』H16.1.16

学会員の不可解な動き/『慧妙』H20.5.16


・H3.1.4 『聖教新聞』紙上で宗門批判キャンペーン開始
学会機関紙に見る情報操作/『慧妙』H20.7.16


・H3.2.26〜 同志葬(学会葬)
「同志葬」に見る学会の謀略性/『慧妙』H20.12.16


・H3.5.〜 『創価新報』の「教学講座」で5月1日号から「僧俗を考える」と題し、6月19日号から「仏教儀礼を考える」と題して連載がスタート
会員洗脳のための呆れた手法/『慧妙』H21.2.1


・H3.7 添書登山の開始
添書登山‐経緯と理由/『慧妙』H20.9.16ほか


・H3.10〜 「法主退座要求書」署名運動の開始
「法主退座要求書」署名運動/『慧妙』H21.3.1


・H3.11.28 創価学会・SGIを破門
「創価学会破門」の意味/『慧妙』H23.9.16


・H4.8.11 池田大作を信徒除名
池田大作破門の理由/宗門作成パンフ『創価学会の皆様へ1』H13.5.3


・H9.12.1 学会員個人の信徒資格喪失
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「冥加料値上げ」が破門の前兆?/『慧妙』H16.1.1




第2次教義逸脱について(仮題)

(第67世日顕上人『富士の法統』妙教編集室)

<根強い「学会のための宗門」という考え>
 どうしても彼らの考え方に、宗門古来の化儀化法に反するところがあるのだね。彼らはあくまでも創価学会が広布の中心だと、だから、公明党という政党も創価学会を守るためにあると言っているが、彼らからすれば、宗門もまた創価学会ではそういう位置づけなのだよ。宗門は創価学会のための宗門だと、そういう考え方が彼らにはあるのです。まことに本末顛倒、我見、悪見です。
 そこで私は、その辺のところをきちんとけじめをつけようと思って、池田と秋谷が来た時に、「いろいろなあり方において宗門の外護をもう少しきちんとしたらどうか」と言ったのです。いやもう彼らは押し黙ったまま返事ができない。だけれども、私としては法主として言うべきことははっきりと言わなくてはいけない。それからだんだんと私に対して嫌気が差してきたのではないかな。
 当然、私は変な意味で彼らに意見を言った気はないのですが、創価学会が正しい宗門の外護の団体であるならば、恒久的な意味で、もう少し護持ということを理解してきちんとしてもらいたいという意味で言ったのだけれど、しかし、彼らは何の返事もできない。最後まで何の返事もしないで帰ってしまった。それから陰に回って宗門の悪口を言い出すようになるのだが、要するに彼らの考えは創価学会があくまでも中心だから、多くの寄付や財務を会員から集めても、「坊主は活かさず殺さず、場合によっては締め上げろ」というような考え方でやってきたね。これはあくまでも学会が中心であるという考え方から発していることです。また、法人を取ったことを理由として、「自分たちは自分たちの宗教法人だから、宗門とは別なんだ」という思いが増長したのだと思う。


<誉められなければ気が済まない池田の慢心>
それともう1つは、私が池田のことを誉めないということかな。「猊下は、私をもうちょっと誉めてくれてもいい」と池田は考えたのだね。それでも随分誉めたのだよ、あの当時は(笑)。でもそれでは足りないのだよ、もう「池田先生!すべては先生のおかげです」といつも言って、誉めちぎらなければ満足しないんだ。彼はそういう性格なんだ。


<11.16スピーチ>
 また、当時はいろいろな意味で齟齬(そご)をきたす問題もあった。でも、私は創価学会を初めから否定する気持ちはなかったし、とにかく日達上人が創価学会の第1次教義逸脱問題を終息され、学会を許された後をお承けしてきたのだから、私としては創価学会を善導し協調してやってきたつもりなのです。しかし、彼らのわがままが思いどおりにいかないため、私や宗門に業を煮やして誹謗をはじめたのが、あの衛星放送なんだ。あの当時(平成元年から2年にかけて)衛星放送で何度も宗門批判を繰り返すものだから、私のところには投書がいっぱいきたのだよ。「池田の発言が酷(ひど)い」「こんなことで、宗門はいったいどのように考えるのですか」「どうして何とかしないのですか」などと書いてある。もういろんなことを書いて投書がきたのです。
 その池田の宗門批判は、初めは暗にやっていたのが、だんだん露骨になってきて、実際に私を批判するような形がはっきり出てきたのが大石寺開創700年です。こういうことも邪義を振り分けるべき仏法の不思議な因縁の姿だと思います。特に平成2年11月16日の本部幹部会の池田のスピーチがそうでね。あれをまた不思議にも、ある人たちがあるグループを持っていて、決死の思いで会合の場に入って行って、そして池田の発言を全部テープに取ってくれたのです。それをこちらに届けてくれたのです。
 そのテープの発言を聞いて思うに、これは藤本総監などにも言ったのですが、「ここまでこのように誹謗をしてくる以上、心ある信徒の人たちも危ぶんでいるし、これはやはりきちんとしたほうがいい」と。このようなことから、テープを全部起こして、そして「これはどういうことですか」という釈明を求める「お尋ね文書」を創価学会に出したわけです。それに対してまともな返事がこない。そのテープの全部にわたって池田の声がはっきり出ているにもかかわらず、最初のうちは「こんなテープはありえない」と言を左右にする。そのうちにこれは偽造だとか何だとか欺瞞(ぎまん)の態度を取る。とにかく後ろめたいからまともな返事ができない。何とかごまかそうとするがそれができないのです。そうしているうちに、今度は卑劣な逆襲を思いついたのです。つまり、彼らの方から9項目にわたって、最初の宗門からの「お尋ね文書」にまともな返事を全然しないまま、私の欠点やら宗門の欠点をでっち上げて「お伺い」などといって出してきました。まことに、「盗人猛々(たけだけ)しい」というべき態度で、全く誠意の感じられない行為に出て来たわけです。
 それで、いろいろと始末に悩んでいるうちに、これは不思議なことに御本尊様を拝していた時なのですが、「ふと」心に法華講の組織ということが出てきて、「法華講の組織をきちんとしたらどうだろう」という考えが出たわけなのです。だいたい総講頭の地位は、昔からのような、終身制であるという制度がおかしいので、とにかく宗制宗規上の法華講の本部組織を改革しようということで、それで、宗会と責任役員会の議決を経て宗規を変えたのです。
 それで総講頭の任期を5年にしたわけです。大講頭も任期制にして、そのために新しく変えた形であるから、前の規約によって選任された総講頭・大講頭は一時これを退職してもらう、という形をとったのです。そうしたら、もう蜂の巣をつついたように大騒ぎになってね。
 それから私や宗門に対する攻撃が徹底して始まったわけでね。まったく池田らの行為は筋道に外れた非道極まるものと思います。





「平成2年」は独立決行の年だった!


【「昭和54年」と「平成2年」】
<昭和54年は「広宣流布の1つの目標に到達」>
―「7つの鐘」構想と「広布第2章」―

◆そこ(※「7つの鐘」の年=昭和54年)で広宣流布の1つの目標に到達します (池田大作『聖教新聞』S41.5.4/『慧妙』H17.11.1)
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戸田会長逝去直後の総会で、当時参謀室長だった池田大作は「広宣流布をめざして」という題名のもと、過去から未来にかけての創価学会の道筋を、7年ごと、7つの段階に分けて意義付ける「7つの鐘」構想をぶちあげた。牧口、戸田時代の歴史(昭和5年から昭和33年)を第1から第4の鐘とした上で、昭和40年までを第5の鐘、同47年までを第6の鐘の時代とし、昭和54年に7つの鐘を打ち鳴らし、「広宣流布の1つの目標に到達」すると予言した。

◆日蓮正宗は第1章をここに終わり、本日より第2章に入ったわけであります。あくまでも、民衆のために−。(池田大作・正本堂完工式『聖教新聞』S47.10.2)
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昭和54年までに「広宣流布の1つの目標に到達」すると予言していた池田大作としては、何としても正本堂=御遺命の戒壇、という意義づけがしたかったのである。そして、以降は折伏を表に出さずに、文化運動を中心にして活動(広布第2章)しようとしたのであろう。



<「国立戒壇」建立と「本化国主」への野望>
 広宣流布した暁における大御本尊安置の場所(施設)を「事の戒壇(戒法)」という。この戒壇について当時の学会は「国立」であると主張していた。
 さらに池田大作は、国立戒壇建立の時期すなわち広宣流布達成の時期を昭和54年と予言。広宣流布達成した時点において「国主」が総本山の「不開の門」を開く、と古来から決められているが、その「国主」は自分であると公言する。これは、自分が大聖人に比肩する「本化国主」にならんとする大増上慢である。

●当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。(『観心本尊抄』254頁)

●日興が云く、此の御筆の御本尊は是れ一閻浮提に未だ流布せず正像末に未だ弘通せざる本尊なり、然れば則ち日興門徒の所持の輩に於ては左右無く子孫にも譲り弟子等にも付嘱すべからず、同一所に安置し奉り六人一同に守護し奉る可し、是れ偏に広宣流布の時・本化国主御尋有らん期まで深く敬重し奉る可し。(『富士一跡門徒存知の事』全集1606頁)

◆国立戒壇の建立は、日蓮正宗の願望であり、また会長先生の、創価学会の目的でございます(池田大作『聖教新聞』S33.12.12/『池田大作 日本経済乗っ取りの野望(1)』)

◆国が最高に繁栄した時が広宣流布の時であり、一国にためにも、国民のためにも最高の時です。そうした背景のもとに広宣流布の儀式が行われるのです。それが創価学会の究極の目的の一つです。その時に不開門が開く。一説には、天皇という意味もありますが、再往は時の権力者であるとされています。すなわち、公明党がどんなに発展しようが、創価学会がどんなに発展しようが、時の法華講総講頭であり、創価学会の会長がその先頭になることだけは仏法の方程式として言っておきます。(池田大作『聖教新聞』S40.7.26/『池田大作 日本経済乗っ取りの野望(1)』)
私が御法主上人猊下様、大聖人様に、不開門を開いて、このように広宣流布致しましたと、猊下をお通し申して、一閻浮提総与の大御本尊様に報告することが、究極の広宣流布の暁の、その意義なのであります(同)
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広宣流布の暁には、池田自身が「権力者」となり、不開門を開くと宣言。

★昭和54年までに「広宣流布の1つの目標に到達」すると予言していた池田大作としては、正本堂が"広宣流布の証"であることに固執した。そして、"広宣流布の証"たる正本堂建立以後は「広布第2章」と銘打ち、摂受を中心とした"大文化運動"を池田大作主導で行おうとしたのである。その際、謗法厳戒を宗是とする宗門との衝突は避けられないが、池田としては、あくまでも自由に学会組織を操りたいという思いから、宗門をも学会組織の下部組織に組み込もうと画策するのであった。



<平成2年は「広宣流布の大総仕上げ」>
◆そこ(※「7つの鐘」の年=昭和54年)で広宣流布の1つの目標に到達しますが、そんなに無理する必要はない。それで、その昭和54年から、もう11年目までみると、その11年目が、正応3年10月12日いまの日蓮正宗総本山富士大石寺が創立されてから、ちょうど700年目にあたります。(中略)それで、その年は、また不思議に、戸田会長33回忌になります。師匠の追善供養を33回忌まですれば最高なのです。またその年は、私が会長に就任して満30年目です。(中略)そういうようなわけで、昭和54年から11年目の昭和65(※平成2)年、西暦1990年、この年を目標にして、広宣流布の大総仕上げにかかりたい。こう決意している次第であります。
 なお、この年になりますと、それまでに参議院の選挙は8回になります。また、衆議院の選挙も、最低10回ぐらいはあるでしょう。したがって、公明党も、その時までには非常に力がつくのではないかと考えます。
 また、折伏も、1千万の基盤は、…昭和54年にでき上がれば、65年までには、さらに4、5百万世帯ぐらいはいくのではないかと考えられます。
 これはあくまでも話として聞いていただきたいのですが、1千5百万世帯になれば、いまの日本の世帯数は、2千4百万世帯ぐらいですから、ゆうに半分以上を占めることになります。そうなれば、釈尊の"舎衛(しゃえ)の三億"の方程式は、事実上間違いなく、それ以上の結果になることは明らかです(池田大作『聖教新聞』S41.5.4/『慧妙』H17.11.1)
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 昭和54年に日本の「広宣流布の1つの目標に到達」した後、昭和65年(実際は改元により平成2年となった)までに「広宣流布の大総仕上げ」、すなわち"天下取り"構想を完結させよう、というわけです。
 その時、池田は、現代の「最高権力者」となり、大衆からは「国父」とも呼ばれるはずでした。

★池田大作が「広宣流布の大総仕上げ」の年としていた平成2年こそ、学会破門の契機となった宗門批判スピーチが行われた年である!つまり、池田にとっての「広宣流布の大総仕上げ」とは、宗門支配を達成するか、それができなければ独立し、池田自身が教祖となり信徒組織を私物化し、これを最大限利用して、自身が権力者になることであったのだ!!

「広宣流布の大総仕上げ」の年=平成2年=権力奪取に向けて始動する年→11.16スピーチは破門されるための予定の行動だった!





【第1次逸脱(昭和52年路線=宗門支配作戦)】
創価学会の教義逸脱は今回に始まったものではなく、昭和40年代後半にも学会自身の宗門支配乃至独立という野望のために恣意的に行われた。その背景には池田自身の慢心がある。正本堂を御遺命の戒壇であるとすることに執着し、自身を広布達成者=戒壇建立者=大聖人に比肩する(または凌ぐ)広布の指導者、と会員に思い込ませるように画策したことは、その最も顕著な証拠である。

・昭和54年に「7つの鐘」を打ち終わり、「広宣流布の1つの目標に到達」すると予言
・正本堂建立(昭和47年)=池田による広宣流布達成の証=池田本仏論の象徴→以後は「広布第2章」として池田主導の摂受謗法路線(平和・文化運動と権力奪取)を勝手に行う


◆学会のために本山が犠牲になる。学会が全ての主体である(第2東京本部最高会議S50.6.10/『慧妙』H17.11.1)
◆創価学会が手段になってはならない、とんでもない、創価学会が原点。日蓮正宗、法華講はおとぎ話(第1回本部中央会議S50.6.16/『慧妙』H17.11.1)
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要するに、日蓮大聖人も大石寺の大御本尊も、池田は自己の野望のために利用しようとしていた、ということに他なりません。



<総代による末寺支配>
●それは去年、おととしあたりから、総代会議というものを東京でやっています。学会で。その時には―皆な君たちは知らないかも知れないが―君達の悪口を皆な言っているんだ。みんな一々悪口を報告させてやっている。詳しく言ったら大変になる。それだから他の総代も、まるで自分らが何とかすれば、住職なんかどうにでもなるんだ、という頭になっちゃった。大変な間違いですよ。
 総代は、それは住職の委任に依ってやる。住職がこの人を総代にしてくださいと言って出すからして総代になる。それを、逆に今度は、総代の方が住職の任免権を持っているというような、とんでもないことになりますね。そういうふうにだんだん変になっていった(第66世日達上人・指導会の砌S49.7.27)
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総代による末寺支配は、創価学会が最も力を入れたことであり、宗務院に対して、各末寺に、必ず2名以上の学会員総代(責任役員)を置かせるよう要求し、一方で、総代に対し、宗教法人法をタテに、寺の運営に干渉することを教育した。 このような作戦に則り、池田大作の指揮のもと、正本堂完成後の創価学会は、用意周到かつ陰険極まりないやり方で、日蓮正宗の支配に乗り出したのである。 "南無妙法蓮華経"の商標登録や、正本堂について、数十種類もの意匠登録を行なったのも、その一環である。



<山崎・八尋文書(S49.4.12付)>
本山の問題については、ほぼ全容をつかみましたが、今後どのように処理して行くかについて2とおり考えられます。1つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから学会に火の粉がふりかからない範囲で、つまり、向こう3年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係ではいつでも清算できるようにしておくという方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて背後を固めるという方法です。本山管理に介入することは火中の栗をひろう結果になりかねない危険が多分にあります。しかし私の考えでは、本山、正宗は、党や大学、あるいは民音以上に、学会にとっては存在価値のある外郭と思われ、これを安定的に引きつけておくことは、広布戦略の上で欠かせない要素ではないかと思われます。こうした観点から、後者の路線ですすむしかないように思われます。そのための布石としては
<1>本山事務機構(法人事務、経理事務)の実質的支配
<2>財政面の支配(学会依存度を高める)
<3>渉外面の支配
<4>信者に対する統率権の支配(宗制・宗規における法華講総講頭の権限の確立、海外布教権の確立等)
<5>墓地、典礼の執行権の移譲
<6>総代による末寺支配
が必要です。これらのことは機会をとらえながら、さりげなく行うことが必要であり今回のことは<1>、<2>、<3>を確立し 更に<4>まで確立できるチャンスではあります。いずれにせよ、先生の高度の判断によって決せられるべきと思いますのでご裁断をあおぐ次第です。

[画像]:「山崎・八尋文書」(S49.4.12付)
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そもそも、この報告書は、池田大作が、「国際センター」「世界会議」の準備のため、南北アメリカに1ヵ月にわたる旅行に出かけた同年3月7日、私に、「帰ってくるまでにまとめておけ!!」と命令したのを受け、帰国の1日前、4月12日に、第1庶務に提出したものである。その後の経緯をみれば、この報告書に記されたとおりの手順で"宗門支配"の謀略(ぼうりゃく)が進められていったことは明らかである。(山崎正友=元学会顧問弁護士『慧妙』H15.11.1)



<昭和49年4月30日の連絡協議会>
―僧侶の任命権・海外布教権の譲渡を要求―
東京・向島にある日蓮正宗寺院・常泉寺で、日蓮正宗と創価学会の連絡協議会が開催された。日蓮正宗側から宗務総監以下の宗務院執行部、そして創価学会からは池田会長以下の首脳が出席する。創価学会から日蓮正宗側に提示された「連絡会議議題」には、日蓮正宗と創価学会の関係を大きく左右する次のような重大な案件が記載されていた。

学会提示の「連絡会議議題」(連絡協議会S49.4.30/『フォーラム21』H15.8.1)
1.日蓮正宗国際センター
2.日蓮正宗インターナショナル
3.ミニスターの件
4.海外寺院の件
5.本山土地の問題
6.正本堂記念資料館、休憩所
7.天母(あんも)山郷土資料館
8.総坊売店拡張計画
9.洗衣(かんね)堂の使用
10.正本堂久遠の灯
11.正本堂手荷物預り所
12.正本堂電気設備関係保守契約
13.妙蓮寺記念碑の件

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このうち問題となったのは、海外布教に関する1〜4の「議題」だった。というのもそこには、およそ日蓮正宗側が飲めるはずもない次のような創価学会側の要求が記載されていたからである。

創価学会側の要求事項(連絡協議会S49.4.30/『フォーラム21』H15.8.1)
1.(財)日蓮正宗国際センター
 7月に発足したい。
 役員人事、別紙の通り。
 世界布教に関する事項は、この国際センター会長である池田会長に依存する書面を頂きたい。
(別紙)財団法人国際センター
 会長 池田先生   名誉総裁 日達猊下
 理事長 森田一哉  参与 早瀬日慈
 専務理事 原田稔  々  藤本栄道
 常務理事 細谷昭  々  北條浩
 理事 桐村泰二   々  和泉覚
 監事 竹内重郎   々  原島嵩
    八矢英世   々  持永利之
    羽吹栞
    森田修平
    八尋頼雄
 監事 小野康
    森謙
2、日蓮正宗インターナショナル
 第1回国際会議、来年1月グワム島で開く。事務局をロサンゼルス(エチワンダ)におく。
3.ミニスターの件
 原案(書状)提出
 日蓮正宗国際センター会長 来年発表してからは、日蓮正宗インターナショナル会長より授与
4、海外寺院の件
 サンフランシスコ(西岸山 妙信寺)
 シカゴ (大米山 妙行寺)
 いずれもコミュニティセンターの一部を以て充当する。

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一読して、日蓮正宗を信徒団体である創価学会の風下に置こうと企図していることが読みとれる。なかんずく1項にある「世界布教に関する事項は、この国際センター会長である池田会長に依存する書面を頂きたい」や、3項の「ミニスター(僧侶)を日蓮正宗インターナショナル会長より授与」とは、日蓮正宗の海外布教権や僧侶の任命権を池田会長が掌握するということであり、実質的に創価学会が日蓮正宗を支配、統括することを意味している。



<北條文書>
―本山の件(S49.5.10付)―
9日の本山お目通りの際、猊下の話は大へんひどいものでした。之が猊下かと疑うほど、また信心そのものを疑いたくなるほどひどいものでした。……広布の上に重大障害となりまた宗門僧侶等の問題の一切の根源がここから出ていると感じました。
・(池田)先生が前々から見抜いておられた本質がさらけ出されたように思いますが、あまりにひどいので、かえすがえす残念です。 広宣流布など全く考えていない。自分達の私財がふえることと、信徒を見下してえばって暮せれば満足、という風にしか考えられません。 学会が生きぬいてゆく為には、相手に信心がないなら、うまく使ってゆくか、徹底的に戦って、学会の旗を守って死んでゆくか、いづれにせよ、先生の最大のご苦心にふれる思いで決意を固めました。
(昭和49年5月10日・北條浩副会長/『フォーラム21』H15.8.1)
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要するに、日蓮正宗を支配するための戦略を、日達上人に拒否され、批判されたことに腹を立て、「信心がない」「ひどい」などと日達上人を非難しているのである。

―宗門の件(S49.6.18付)―
・広布の前途を大きく開いて帰国された先生に、このような報告を申上げることは洵(まこと)に残念なことであり、且つ申訳ない限りでありますが、報告を怠(おこた)って、ご判断をあやまらせては、より以上重大なことと思い、中西、秋谷、山友と相談の上、ご報告申上げます。また、私たちなりに検討しました対策もしたためますので、ご指示賜(たまわ)りたく。その上で、私ども、いかなる事なりとも斗う所存です。かねて先生の仰言っておられた通り、私たちの到底想像することの出来ない、みにくい姿であります。いずれにしても私たちは断固たたかいぬく決心です。
・G(※日達上人を指す)の心理は、一時的なものではない。今こんな発言をしたら、宗門がメチャメチャになってしまうことも考えないのではないか。困るのは学会だと思っているのだろう。 宗門は完全な派閥で、Gと総監とは主導権争いになっているのではないか。 長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。 本質は、カソリックとプロテスタントのような違いである。 戦術的には、すぐ決裂状態となることは避けて、早瀬理事とのパイプ(山友、八尋が話し易い関係にあります)を太くするとか、当面、Gの異常心理をしずめ、あたらしい進路を開きたいと考えます。 但し、やる時がきたら、徹底的に戦いたいと思います。
(北條浩副会長S49.6.18/『慧妙』H16.9.16)
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これは、日達上人が創価学会の池田本仏論などの誤りを破折され始めたことに対し、反発した北條・秋谷ら首脳陣が対策を相談し、池田宛に報告したものです。(『慧妙』H16.9.16)
※創価学会員は、「創価学会は日蓮正宗を護ってきた」と信じこまされているが、実際には、御先師の代から日蓮正宗に圧力をかけ続け、時の御法主上人猊下を悩まし続けていたのである。



<「日蓮正宗国際」センター>
●(※国際センター構想について)日蓮正宗から切り離してやるならよい。(そうでなければ)海外住職も引き上げる(第66世日達上人S49.5.9/『フォーラム21』H15.8.1)
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5月9日に北條副会長、山崎正友創価学会顧問弁護士が、日蓮正宗総本山・大石寺に登山し、日達上人にお目通りした際、日達上人は、国際センター問題について、創価学会の姿勢を厳しく批判したのだった。

●先月の中頃(※昭和49年5月9日?)でしたか、北條副会長ならびに山崎弁護士が来られました時に、私は申し上げました。
 その時、国際センターを造ると、日蓮正宗国際センターを造るに当たって、創価学会と日蓮正宗との真ん中に、もう1つ上に日蓮正宗国際センターというものを造る、という趣旨で来られました。私ははっきり断りました。
 日蓮正宗は日蓮正宗として1つの宗教法人である。大聖人様の遺命によって広宣流布を全うしなければならない、ただ1つの宗旨である。それを、その上に1つ、日蓮正宗国際センターというものができるとなれば、正宗としては、その上に1つ、また被宗教法人ができる(ということになる)。我々は被宗教法人の下についていくんだから意味が無くなってしまう。
 日蓮正宗としての意味が、また御戒壇の大御本尊をお守りしているというのも、今度はできなくなってしまう。その上の宗教法人においてどうとかこうとか言われたらば、こっちもその下につくんだから何ともする事ができなくなる。その意味の上からはっきりと断りました。(第66世日達上人S49.7.27)



<本山事務機構の支配>
(学会が)会計を、大石寺の会計を調べるという。大石寺も宗教法人で、その年その年に税務署へちゃんと会計報告してとおっておる。それにも拘わらず、また第三者が来て会計報告まで調べるというのは、どうも私には意味がとれない。その時に北條(浩=後に4代会長)さんが言うには、もし調べさせなければ手を分かつ、おさらばする、とはっきり言ったのです。
 私はびっくりしました。こういう根性じゃ、これは駄目だと。会計を見せなければ自分らは正宗から手を切るというのである(第66世日達上人・指導会の砌S49.7.27)



<創価山立宗寺>
◆三多摩に菩提寺を作りますよ、日本一のお寺を作る。3百年前の様式で作る。創価山立宗寺で、萩をずっと植えて、月をあびながら、生きるための永遠のために懇談しましょう(池田大作・第60回社長会S47.4.18/『慧妙』H17.11.1)
◆大学(創価大学)の近くに数万坪の土地を買って数十億。牧口児童会館とか、戸田記念館……世界の本部にする。公会堂、講堂、地方の人がもう何千人でも泊れる恒久的な本部、広宣流布の本山をつくっておきたい。会員から応援してもらって。これでほぼ日本の機構が確立。本山は坊さん、どうしようもない。学会は別法人。見事なものをつくりたい(池田大作・第1回中央会議S50.6.16/『慧妙』H17.11.1)
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実際、既存の創価大学敷地と合わせ、極めて広大な用地を八王子に取得しています。「創価山立宗寺」とは意味深な名称ですが、要は「名は体を表わす」と言われるとおり、一宗一派を旗揚げ(立宗)し、ここを創価王国の本山・本拠地にしようという構想を、そのまま名称としたものに他なりません。つまり、52年路線では、様々な方法によって宗門支配を画策したのですが、その一方で独立も画策していたのです。



<日達上人による破折と宗門攻撃>
―日達上人による破折―

●日蓮正宗の教義でなし、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきではないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。(第66世日達上人S49.6.18/『慧妙』H17.12.1)

●一昨年(昭和47年)の秋くらいから、去年を通じ今年(昭和49年)の春にかけて、学会の宗門に対する態度と申しますか、いろいろ僧侶に対して批判的であり、また、教義上においても、我々から見て逸脱していることが多々あるように思われます。(第66世日達上人S49.7.27/『慧妙』H17.12.1)

●どこまでも日蓮正宗は、たとえ小さくてもよろしいから、大聖人の教義を守っていきます。また、今、皆様方のお陰で大きくなっておるけれども、(たとえ)もっともっと小さくなっても、どなたか、また、大きく手伝いをしてくれる人が(いつか)あるかもしれない。だから、私はどこまでも大聖人の仏法を守る、と言って、はっきり日蓮正宗の上につく日蓮正宗国際センターというものを、私は、否定といいますか、お断りしたわけでございます。
 それから端を発して、そのあと、最近の1年か2年かにわたるところの学会のいろいろな教義の違い、謗法のあり方ということを申し上げました。で、ついにそのために2人(北條・山崎正友氏)は帰っていきました(第66世日達上人S49.7.27)

●1人でもお山を守りたい。たとえ学会と手を切っても、百姓をしてもいいから、お山を守ろう、と皆にも言っているんです(第66世日達上人S49.7.27/『慧妙』H17.12.1)


―宗門攻撃―
◆今まで創価学会をいじめた者を今からやる(池田大作・公明党議員との記念撮影S51.11.16/『慧妙』H17.12.1)
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自らが宗門支配を画策し、化儀や教義を逸脱しておきながら、その誤りを糾したことを「いじめ」と捉えるとは、逆恨みも甚だしい。

52年新春から宗門誹謗僧侶吊るし上げ参詣停止による激越な経済封鎖等を開始(『慧妙』H17.12.1)


謝↓罪



日達上人を先頭とする学会破折活動によって大量脱会者を出してしまい、池田は、53年には教義逸脱の訂正(その日付にちなんで「6.30」と呼ばれる)、お詫び登山(同じく「11.7」と呼ばれる)、54年には池田自身の引責辞任(「5.3」と呼ばれる)という形で、挫折を余儀なくされてしまいました。(『慧妙』H17.12.1)

◆学会は、絶対尊崇の本源たる本門下種人法一箇の御本尊、宗祖大聖人に対し奉る信仰を根本とし、永遠に代々の御法主上人猊下を仏法の師と仰ぎ奉り、強き広宣流布の戦士たる誇りも高く、さらに、日蓮正宗の信徒として、いっそうの外護の任を全うしてまいる決意であります。(池田大作「恩師の23回忌に思う」『聖教新聞』S55.4.2)
◆今一度、学会の存立基盤に立ち戻り、あくまでも外護と布教という根本の宗教活動を主体とし、そのうえで、社会的存在としての文化活動を推進してまいるようお願いしたい。その意味から、僧俗の和合をあくまでも根本とし、学会の使命遂行には、いささかも揺るぐことなき信心の大確信を堅持し、社会との融合を図りながら、広宣流布を進めていかねばなりません。(同)
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正本堂の意義付けに失敗し、学会主導の宗門運営にも失敗した学会は、破門による組織の動揺を恐れてか、反省懺悔。池田は責任をとって総講頭、会長を辞任。しかし、それは単なる時間稼ぎのポーズであった。




【第2次逸脱(独立作戦)】
<宗門を挑発して破門するように仕向ける>
50周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ(池田大作・H2.11.16/『大日蓮』号外H3.1.25)
十年前は堂々と出来なかった。一言もいえなかった。それで失敗しましたんで、今度は堂々とやっている(森田理事長・H3.3.18・杉並ビクトリー勤行会)
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第1次教義逸脱についての謝罪は何だったのか。後の池田発言等をみれば、この謝罪は単なるポーズであり、内心は宗門に対する憎悪と復讐心で満ちていたことが分かる。つまり、昭和52年路線における宗門支配または独立の野望は、謝罪後も生き続けていたのである。

・第1目標:昭和54年=「7つの鐘」終結=「広宣流布の1つの目標に到達」→広布達成の証としての正本堂建立以後「広布第2章」(摂受謗法路線)を展開すべく宗門支配を画策したが失敗
・第2目標:平成2年=「広宣流布の大総仕上げ」の年では、破門するように仕向けて独立達成!!


★池田大作が「広宣流布の大総仕上げ」の年としていた平成2年こそ、学会破門の契機となった「11.16」宗門批判スピーチが行われた年である!つまり、池田にとっての「広宣流布の大総仕上げ」とは宗門から独立し、池田自身が教祖となり信徒組織を私物化し、これを最大限利用して、自身が権力者になることであったのだ!!(<昭和54年(52年路線破綻)、平成2年(破門の発端)は、総体革命実現への節目(宗門支配、独立)の年だった!!>参照)





離脱作戦失敗物語

―離脱僧は創価学会でも邪魔者―
(『大白法』H16.8.1)

<創価学会の浅はかな奸智(かんち)>
 邪智に翻弄される創価学会は、宗門支配のためにあらゆる策を弄してきた。その1つが、無信心な僧侶への離脱勧誘、いわゆる「離脱作戦」である。
 これは、要するに、僧侶が創価学会に与(くみ)して宗門を批判し、挙げ句には宗門から離脱するような構図を作ることにより、あたかも創価学会が正しいと末端会員に思い込ませる演出である。
 創価学会は、以前から虎視眈々(たんたん)と「宗派離脱」の方法や手続き、その影響などを研究し、将来、宗門と決別する時の攻撃材料として温存していたのであろう。なんと浅はかな企みだろうか。

<離脱僧は宗門に不要な不埒者(ふらちもの)>
 今般の創価学会問題のなかで、最初に離脱僧が現れたのは平成4年2月のことで、工藤某や吉川某など、先鋭的池田大作信奉者がその先駆けである。
 創価新報(平成16年7月7日付)は、
 「30ヵ寺53人の離脱僧侶が決起
などと、さも得意気に、これを根拠にして、御法主日顕上人猊下を誹謗中傷している。
 しかし、非教師をも含め、日蓮正宗の僧侶は、今や約千人に及ぶ。そのなかの「53人」、たった5パーセント程度しか、創価学会に同調する愚か者は出なかったのであるから、この数は、創価学会の正当性を証明するのではなく、むしろ創価学会による離脱作戦が失敗したことの例証にほかならない。
 そもそも、創価学会に宗教的正当性など微塵も無い。いわんや、その反社会的体質や大作の常軌を逸する名誉欲、不正直な姿、そして何より御本尊を勝手に作製していることを見れば、創価学会が大謗法団体と化していることは、疑う余地もない。
 そんな大謗法に与する離脱僧など、謗法厳誡の宗是に照らし、宗門には元より不要な不不埒者であることは論をまたない。

<離脱作戦の大誤算>
 ところで、創価学会の某副会長(弁護士)は、離脱勧誘の際、
 「本部から現金5千万円の支度金を支給する」
と明言した(『判例タイムズ』1094-185頁)が、これを前提とすれば、創価学会は離脱僧らに5千万円×53人、20数億円の金員を渡したことになる。
 また、某離脱僧に月々百万円、この1人だけでも累計7千250万円もの給与が支払われていた。単純に推計して、離脱僧全体への給与は莫大な金額にのぼることだろう。
 さらに、離脱僧への損害賠償請求訴訟では、10件の事件で、約3億5千万円の金員を宗門に支払い、非法人寺院奪還訴訟でも、宗門へ5億円以上の和解金を支払った。
 加えて、訴訟に敗けて寺院から追い出された僧侶に対し、創価学会は会館寺院と称する「すみか」をわざわざ与えているが、その準備費用なども、けっして少額ではあるまい。
 これらすべてを勘案すれば、創価学会は、離脱僧に一体いくらの経費をかけているのか、その金額は想像もつかない。
 離脱僧ごときに、これほどの金員をかけてしまったのである。果たしてそれだけの価値があるかどうか…。これは明らかに大誤算であったことだろう。

<創価学会でも離脱僧は邪魔者>
 創価大学の某助教授は、
 「客観主義の立場で僧の存在論的な特殊性は認めたくない」(『東洋学術研究』32-2-30頁)
 「(僧侶に)積極的な役割として何をやらせるのか、そうすると基本的には無い」(同頁)
と、離脱僧の存在意義を一刀両断に切り捨てている。つまり彼らには役割など何も無く、単なる邪魔者でしかないのである。
 いずれにせよ、これらを冷静に見てみれば、創価学会の離脱作戦は、大誤算を生んだ大失策と言うほかはない。





「11.16」について


【関連年表】
H2.夏 法華講の大集会「3万総会」実施
●特に総本山大石寺開創700年というまことに大事な記念すべき時に、私は仏勅を感じて、まさにこの法華講が立ち上がるべき時であるということを感じ、初めての法華講の大総会、いわゆる「3万総会」を呼び掛け、実現したのであります。あの時の総会では、4万人以上の方々が結集して大成功に終わりました。やはりそこから彼らの、邪義の念慮を持っておるところの謗法の在り方がますます顕著になり、怨嫉の形をもって現れてきたのであります。(第67世日顕上人『大白法』H16.1.16)

H2.10.13 大石寺開創700年の慶讃大法要
●一期弘法抄ニ云ク国主此ノ法ヲ立テラルレバ富士山ニ本門寺ノ戒壇ヲ建立セラルベキナリ。時ヲ待ツベキノミ。事ノ戒法ト云フハ是ナリト。コノ深意ヲ拝考スルニ仏意ノ明鑑ニ基ク名実共ナル大本門寺ノ寺号公称ハ事ノ戒法ノ本義更ニ未来ニ於テ一天四海ニ光被セラルベキ妙法流布ノ力作因縁ニ依ルベシ(慶讃文『大日蓮』H2.11)
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これを簡単に言えば、本門寺の公称は未来だということを言ったのです。この時の池田大作は、怒りたくても怒れないような、なんとも言えない顔をしておりました。大客殿では、私はちょうど東を向いているから見えたのです。そのあと彼も出てきて挨拶したけれども、その時の顔はなんだか見ていられないような顔でした。(第67世日顕上人『大日蓮』H16.12)
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これによって憍慢の心から、「広布は成れり」とした、池田の慢心と野望、我意・我見を封じられたのでした。そして、この翌月11月16日、池田の怒りは、日顕上人猊下への怨嫉、悪口誹謗となって表れたのです。ここから始まった創価学会の謗法問題は、皆様もご承知の通りです。これによって、宗門に背反した池田創価学会の謗法路線と邪教化は、必然的に、末法の御本仏日蓮大聖人に背反する所行となり、真の主師親三徳を失う結果となりました。ここから一切の不幸と混迷が起こったことを知らなければなりません。(諏訪涼道御尊師『大白法』H19.12.16)

H2.11.16 池田大作、創価学会第35回本部幹部会において、猊下、宗門、僧侶の蔑視・軽視発言(52年逸脱路線無反省を露呈)
猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません(池田大作/『大日蓮』号外H3.1.25・20頁)
(猊下の御説法に対して)全然、また難しい教義、聞いたって解んないんだ。誰も解らないんだ。ドイツ語聞いているみたいにね。それで「俺偉いんだ。お前ども、信徒ども、信者、信者」って、そんなのありませんよ(同)
50周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ(同23頁)
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このような池田のスピーチは、52年教義逸脱問題の反省懺悔を反故にする、無慚極まりないものであった。そして、創価学会は平成2年から再び宗門支配と分離独立計画を実行に移すため、宗門攻撃を開始した。

H2.12.13 日蓮正宗、創価学会との連絡会議の席上、池田大作の11月16日のスピーチについての『お尋ね』文書を学会に提出する 創価学会「出所不明のテープを元にした文書は受け取れない」と受け取りを拒絶(東京常泉寺)

H2.12.16 日蓮正宗、創価学会へ『お尋ね』文書を発送

H2.12.24 日蓮正宗、創価学会からの12月23日付『お伺い』なる9項目にわたる事実無根・捏造の宗門批判文書を受信

H2.12.27 第130臨時宗会開催 宗規一部改正を議決 改正にともない総講頭・大講頭の資格喪失

H3.1.14 創価学会、『聖教新聞』紙上で宗門批判キャンペーン開始



【「11.16」スピーチ】
 また、当時はいろいろな意味で齟齬(そご)をきたす問題もあった。でも、私は創価学会を初めから否定する気持ちはなかったし、とにかく日達上人が創価学会の第1次教義逸脱問題を終息され、学会を許された後をお承けしてきたのだから、私としては創価学会を善導し協調してやってきたつもりなのです。しかし、彼らのわがままが思いどおりにいかないため、私や宗門に業を煮やして誹謗をはじめたのが、あの衛星放送なんだ。あの当時(平成元年から2年にかけて)衛星放送で何度も宗門批判を繰り返すものだから、私のところには投書がいっぱいきたのだよ。「池田の発言が酷(ひど)い」「こんなことで、宗門はいったいどのように考えるのですか」「どうして何とかしないのですか」などと書いてある。もういろんなことを書いて投書がきたのです。
 その池田の宗門批判は、初めは暗にやっていたのが、だんだん露骨になってきて、実際に私を批判するような形がはっきり出てきたのが大石寺開創700年です。こういうことも邪義を振り分けるべき仏法の不思議な因縁の姿だと思います。特に平成2年11月16日の本部幹部会の池田のスピーチがそうでね。あれをまた不思議にも、ある人たちがあるグループを持っていて、決死の思いで会合の場に入って行って、そして池田の発言を全部テープに取ってくれたのです。それをこちらに届けてくれたのです。
 そのテープの発言を聞いて思うに、これは藤本総監などにも言ったのですが、「ここまでこのように誹謗をしてくる以上、心ある信徒の人たちも危ぶんでいるし、これはやはりきちんとしたほうがいい」と。このようなことから、テープを全部起こして、そして「これはどういうことですか」という釈明を求める「お尋ね文書」を創価学会に出したわけです。それに対してまともな返事がこない。そのテープの全部にわたって池田の声がはっきり出ているにもかかわらず、最初のうちは「こんなテープはありえない」と言を左右にする。そのうちにこれは偽造だとか何だとか欺瞞(ぎまん)の態度を取る。とにかく後ろめたいからまともな返事ができない。何とかごまかそうとするがそれができないのです。(第67世日顕上人『富士の法統』妙教編集室)

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◆平和運動、正しいんです。文化運動、正しいんです。大いにやりましょう。それがなかったならば、何やってきゃ、どうしたら折伏出来るか。そうでしょう。ただ朝起きて、「真言亡国・禅天魔」(笑い)法を下げるだけでしょう。(池田大作「第35回本部幹部会」H2.11.16)
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 折伏の方法論の1つとして、ただ朝超きて「真言亡国・禅天魔」と唱えることによって、折伏ができると信じている人がいるとでも思っているのでしょうか。それをあのような形で、大聖人の四箇の格言を引合いに出して、無慚な笑い話の材料にすること自体が、法を下げることであるというべきであります。
 宗門のいわんとするところは、学会が四箇の格言を否定していないまでも、大聖人の伝統法義を教条主義的と決めつけて、文化・平和運動のみを強調することが、引いては大聖人の教義そのものを廃する危険性につながると指摘するものであります。
 また、四箇の格言の意義は深いものがあり、700年を経た今日においても、これら権宗の思想的害毒が、社会に広く根強くはびこっていることに対し、破折、並びに教導していかなくてはならないのであり、軽々に教条的だなどと考えるべきではありません。(宗務院H3.1.12)


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猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません。(池田大作「第35回本部幹部会」H2.11.16)
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この発言によれば、「現猊下は法主という権威に身を寄せて権力を振りかざすばかりで、信徒の幸福などはまったく考えていない」ということを言っているのであります。(宗務院H2.12.13)

「猊下というものは」などと、御法主上人を指導、もしくは批評するごとき言語表現が、公然となされておりますが、日蓮正宗の信仰をする者として、あまりにも謙虚さに欠けた慢心の言であると思いますが、創価学会としてこうした発言に対し、どのように申し開きをされますか。(同)

「権力じゃありません」との言は、発言者自身が、猊下は権力を振りかざしていると認識していなければ、到底できない発言であります。すなわち、猊下の信徒に対する御指南を、権力によって信徒を抑えつけるものと決めつけ、それを非難したところに真意があるというべきであります。(中略)名誉会長が「猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃいけない。権力じゃありません」と発言し、血脈付法の御法主上人を見下し、悪しき権力と決めつけたことは、本宗信徒として、絶対にあるまじき慢心による不遜な言動であり、強く指弾されるべきであります。(宗務院H3.1.12)


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◆全然、また難しい教義、聞いたって解んないんだ。誰も解らないんだ、ドイツ語聞いていろみたいにね。それで「俺偉いんだ。お前ども、信徒ども、信者、信者」って。そんなのありませんよ、この時代に。時代とともにやればいい、学会は。(池田大作「第35回本部幹部会」H2.11.16)
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主語はないけれども、これを見聞した人は、明らかに御法主上人に対する言葉と受け止めるものと思います。すなわち、猊下の御説法・御指南というものは、外国語を聞くようにただ難しいだけで、信徒にとって現実的に役に立たないものと決めつけております。御法主上人の御指南にも、御説法、お言葉、その他種々の内容があり、その中で、特に御説法は、本宗の甚深の法義を説くのでありますから、難しいのは当然であります。信徒として、深く拝聴理解すべく心掛けるのが当然であるにもかかわらず、このように批評するのは、御法主上人を蔑視するものであります。また、「俺偉いんだ。お前ども」等の発言は、まさに日顕上人を指していると思われますが、日顕上人は、かつてそのようなことを言われたことは、1度もありません。これらは、明らかに御法主上人に対する誣告であると思いますが、御意見を聞かせていただきたいと思います。(宗務院H2.12.13)

 ここで、「俺偉いんだ。お前ども、信徒ども、信者、信者」と言う者がいるとすれば、それは僧侶であります。学会では、これを正信会の僧侶であると言い訳をしておりますが、正信会の徒輩はすでに8年以上前に擯斥された、本宗僧侶ではない者たちであります、ゆえに、そういう者に対して、「難しい教義を聞いたって解んない」とか、「俺偉いんだ。お前ども、信徒ども」というような発言が出てくる必然性がまったくないのであります。よって、名誉会長が11・16のスピーチにおいて、こうした発言をすることは、当然、現宗門僧侶に充てられたものとしかとれません。それは、宗務院へ送られてくる信徒の証言からも明らかであり、これを聞いた者は大概本宗僧侶のことであると受け止めております。
 また、「全然、またあの難しい教義を聞いたって解んないもの。誰も解んねぇ。ドイツ語聞いているみたいでね」との発言は、僧侶の中でも、とくに総本山の二大法要等において甚深の御説法をされる御法主上人に充てられたものであることは明らかであります。
 この二大法要における御法主上人の御説法は、本宗の甚深の法義を説かれるのでありますから、難解であることは当然でありますが、その時々の法門における筋道の深い意義が示されているのであります。信徒としては、この御説法を信心をもって拝聴し、つとめて学んでいくよう心掛けることが肝要であるにもかかわらず、このように批判するのは、名誉会長自身や学会首脳に、基本的な日蓮正宗の信仰心が欠けているためであり、大きな慢心がある証拠であります。(宗務院H3.1.12)


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◆あくまで御書です。御本尊です、法は。これが解かればいいんです。あと、ちゃんと日淳上人、それから堀猊下、全部日達上人、きちーっと学会を守ってますよね。(池田大作「第35回本部幹部会」H2.11.16)
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 ここで、59世日亨上人、65世日淳上人、66世日達上人が、学会を守って下さっていると言っておりますが、日達上人の御在職中の、いわゆる52年路線のころ、創価学会の教義の逸脱について、日達上人から、
 「日蓮正宗の教義が、一閻浮提に布衍していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります。」
等と、厳しい御指南があったのも事実であります。にもかかわらず、そのような御指南には一切触れずに、都合のいいところだけを引用し、創価学会は60年の歴史の中において、まったく間違いがなく、間違いはすべて宗門の側にあったように述べております。そして、学会のやっていることに対して御先師方が理解を示され、学会を守られたという表現にすり替えているのであります。また、この一連の言葉の裏には、当然現御法主上人が学会に対して理解を示さない、学会を守らないという意味を含んでいるものと解釈されます。しかし、正信会から学会及び名誉会長を守られたのも、また名誉会長を総講頭に再任されたのも現御法主上人であります。したがって、「(今の)猊下はまったく学会を守ってくれない」と考えるのは、まったく過去に受けた恩義を省みない無慙な心であると思いますが、いかがでしょうか。(宗務院H2.12.13)


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◆50周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ、正信会から。馬鹿にされ、そいでその上北条さんが「もう、お先まっ暗ですね。」「何を言うか、60周年を見ろもう絢爛たる最高の実が、60周年が来るから元気だせ。」会長だから、これがよ。私は名誉会長だ。「そうでしょうか。」馬鹿かー。本当にもう、誰をか頼りに戦わんですよ、本当に(池田大作「第35回本部幹部会」H2.11.16)
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この発言は事実に反するばかりか、宗門に対する怨念すら窺われる内容てあり、52年路線に見られた教義上の逸脱への反省が、全く忘れられているように思います。(宗務院H2.12.13)

山崎正友や正信会等の策謀は、宗門と学会とを切り離そうとしたところにあるのであって、教義上の逸脱については、池田氏の指導に根本原因があったことは間違いのない事実であります。したがって、宗務院としては、この一連の問題の責任は、すべてその長たる池田氏にあったのであり、そのために11・7で反省懺悔し、会長を退いたと認識しており、またこれは周知のことであります。それを他人へ責任転嫁して、「裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ、正信会から。馬鹿にされ……」というのは、自身の非を最初から認めないうわべだけの反省であったものか、あるいは今になって52年路線という、過去の過ちがなかったとしてすり替えようとするものか、この2つの何れかであります。(宗務院H3.1.12)


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◆大聖人が我が門下の死は、私どもの死は、信者の死なんて言わないです、大聖人は。そういうことはほとんどないです。門下、我が一類とかね、正信会なんて「信者、信者」言って、みんな信者だ、御本尊のよ、坊さんだって。違いますか、坊さんだけほか拝んでんのかよ。(池田大作「第35回本部幹部会」H2.11.16)
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「正信会の僧侶」と言いつつも、明らかに現宗門の僧侶に宛てて非難しておりますが、これは僧侶軽視の発言であります。(宗務院H2.12.13)


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◆今はですよ、出家ってもね、あのー、ちゃんと奥さんをもらって赤ちゃんつくってさ。(池田大作「第35回本部幹部会」H2.11.16)
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あたかも小乗教の戒律を守る者が聖僧で、女房・子供を持つ僧侶は破戒僧のような言い方でありますが、寺院における寺族の役割は、並大抵のものではありません。こうした発言は、僧侶のイメージを悪くしようとするところの誹謗であると思いますが、いかがですか。(宗務院H2.12.13)


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◆昭和62年の年末に学生部結成30周年を記念して、この演奏、第九の演奏を私は聞きました。本当にいまでも忘れない。したがって、私は、提案だけれども、創立65周年にほ、5万人で、創立70周年には10万人の、私はこの『歓喜の歌』の大合唱をして後世に残したいと思います。(池田大作「第35回本部幹部会」H2.11.16)
◆それで、あの日本語でもやるけれども、そのうちドイツ語でもやりましよう(同)
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 現在歌われている岩佐東一郎作詞の「よろこびの歌」自体には宗教色はまったくなく、結構だと思いますが、原語(ドイツ語)の詩は、フリードリヒ・フオン・シラーという詩人の「歓喜に寄す」という詩で、
 「歓びよ、神々の美しい輝きよ、楽園の娘よ、我ら炎のごとくに酔い、天の汝の聖殿に足をふみ入れる……」
等と訳され、キリスト教の神を讃歎した内容になっております。したがって、これを原語で歌うということは、外道礼讃となり、大聖人の、
 「さきに外道の法弘まれる国ならば仏法をもって・これをやぶるべし」
との御聖意にも反し、下種本門大法の尊い信者が、キリスト教を容認・礼讃することになると思いますが、それでもなおかつ当然と思われるのですか、お伺いいたします。(宗務院H2.12.13)

 歓喜の歌をドイツ語で歌うことは、外道礼讃になると指摘したことに対して、これを狭量な解釈であると決めつけております。当方においても、「歓喜の歌」が、芸術として高い評価を得ていることは、充分承知しております。
しかし、この歌詩を自己のうちにある神々しい力を賛嘆したものと解釈して、外道とはまったく無関係であるというのは、明らかに間違っております。
 この歌詩をどのように意義づけようと、原詩の表現は、ギリシャ神話の神々・エリュージオン(楽園)、旧約聖書の知天使ケルビム・創造主等々の語句を見ても、外道そのものといえます。
 したがって、この歌がどんなに世界の名曲であっても、つねに四悉檀を心にかけ、中でもとりわけ第一義悉檀をもって、一切衆生を大聖人の仏法に導くという、尊い使命を持つ日蓮正宗の信徒が、それも外国文化の伝統ある国々においてならともかく、とくに日本国内において、その会合等でことさらに合唱団を組んで歌い上げるのは、明らかに世間への迎合というべきであります。正直に方便を捨てよとの大聖人の仏法における信徒として、まことにふさわしくない姿であります。(宗務院H3.1.12)



【「11.16」の直接の原因】
<法華講「3万総会」の成功>
 特に総本山大石寺開創700年というまことに大事な記念すべき時に、私は仏勅を感じて、まさにこの法華講が立ち上がるべき時であるということを感じ、初めての法華講の大総会、いわゆる「3万総会」を呼び掛け、実現したのであります。あの時の総会では、4万人以上の方々が結集して大成功に終わりました。やはりそこから彼らの、邪義の念慮を持っておるところの謗法の在り方がますます顕著になり、怨嫉の形をもって現れてきたのであります。それが平成2年、総本山大石寺開創700年の尊い、めでたい年にもかかわらず、あの「11・16」すなわち、第35回本部幹部会における大作のスピーチに象徴されるような、創価学会の私に対する誹謗、いわゆる僧侶を蔑(ないがし)ろにするということを行ったのであります。(第67世日顕上人『大白法』H16.1.16)
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 池田大作の目には、日顕上人が法華講の育成に力を入れることが、学会を蔑(ないがし)ろにした行為と写ったのであろう。「3万総会」の大成功は、池田をして、法華講発展に対する嫉妬心、日顕上人への不信感などを催さしめるに充分な"効果"があったようである。
 そういえば昔、学会(池田)は、法華講を大発展させた御住職を憎み、寺院から追い出したという"前科"がある。↓

●あの時は(学会との軋轢によって昭和38年に堅持院住職を辞任した時)日達上人に、本当に陰に陽に庇(かば)っていただいたんだよ。(中略)私は法華講の活動には力を入れていたから、それを今度は反対に学会が嫌がって、ほとんど堅持院には学会員は来なかったんだ。(中略)私を堅持院から追い出す時に言ったもの、「秋山を置いておいたら関西の広宣流布が遅れる」なんてね。(中略)私を追い出す時に、神戸の妙本寺の2階に呼ばれてね。柿沼さん(大東院日明贈上人・当時総監)と早瀬さん(観妙院日慈上人・当時庶務部長)と私と3人呼び出して、寺の廻りを100人からの青年部に囲ませて、北條が現場の指揮を取っていたな、確か。それで池田は神戸のホテルで指揮を取っていたんだ。それだけ堅持院の法華講のことが学会も恐かったのだろうけど。それで「堅持院の住職を辞めろ!」と恫喝(どうかつ)するわけですよ。私は徹底的に喧嘩(けんか)しても良かったのだけれど、そんなことしたらお山に迷惑がかかるだろう。(中略)法華講の組織は私が完全に抑えておったし、特に芦屋は裕福でインテリが多いでしょう。学会はいくら折伏をやっても芦屋には会員ができなかったんだ。しかし、堅持院の法華講は1地区作ったのだから。それで、学会は私をまた憎んで、「広宣流布(学会流の)ためには秋山が邪魔になる」とまで言ってね。(秋山日浄御尊能化『富士の法統』妙教編集室)
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常智院様(※秋山日浄御尊能化)は堅持院に昭和26年より同38年まで12年間おられ、その間僅(わず)か17世帯の法華講を1千世帯を超えるまでに大発展させた(同書)


<大石寺開創700年の慶讃大法要の慶讃文>
 さて、私が昭和54年にお跡を受け、それからずっと来た平成2年の夏に、法華講の大集会を開きました。あれは「3万総会」という名目で行ったのだけれども、実際には4万人以上が集まったのです。それからさらに、その年の10月13日には大石寺開創700年の慶讃大法要が行われ、私はこの時の「慶讃文」で、
 「一期弘法抄ニ云ク国主此ノ法ヲ立テラルレバ富士山ニ本門寺ノ戒壇ヲ建立セラルベキナリ。時ヲ待ツベキノミ。事ノ戒法ト云フハ是ナリト。コノ深意ヲ拝考スルニ仏意ノ明鑑ニ基ク名実共ナル大本門寺ノ寺号公称ハ事ノ戒法ノ本義更ニ未来ニ於テ一天四海ニ光被セラルベキ妙法流布ノ力作因縁ニ依ルベシ」(『大日蓮』H2.11)
ということを言いました。少し難しい言葉だけれども、これを簡単に言えば、本門寺の公称は未来だということを言ったのです。この時の池田大作は、怒りたくても怒れないような、なんとも言えない顔をしておりました。大客殿では、私はちょうど東を向いているから見えたのです。そのあと彼も出てきて挨拶したけれども、その時の顔はなんだか見ていられないような顔でした。
 けれども、私は信念を持っているのです。いくらなんでも、あのような間違った流れや様々な形のあったなかで、しかも池田のわがまま勝手な姿の色々と存するなかにおいて、今現在、直ちに「本門寺の戒壇」と称すべきではないと思っていました。しかし池田は、おそらくあの大石寺開創700年慶讃大法要の時に、この私が「大石寺を本門寺と改称したい」とか、「改称する」と言うことを期待していたと思うのです。それなのに「未来のことだ」と言ったものだから、怒ったのでしょう。だけど色々な状況上、私は一宗を統率させていただくという意味において、安易に「本門寺と改称する」などとは言えないし、また、あそこで「本門寺にする」とか、「本門寺になる」というような意味のことを言わなくて、私はよかった、と思っておるのであります。
 ですから、「たるべき」ということも、あくまで願望・予想であり、したがって日達上人が「もう広宣流布だな」とおっしゃったというのも慰撫激励その他、色々な深い意味がおありになってのお言葉であり、直ちに御遺命達成と言われたのでは絶対にないと思うのです。だから、池田がこれを様々に利用してきたけれども、あくまでも願望であるということの上から、正本堂が御遺命の建物そのものではないということを、3年の1月にも、言いました。これは前の2年の時の在り中方から出てきておるのであります。
 つまり、君達も知っているように「11.16」という話があるでしょう。これは、この平成2年の11月16日のことです。この年の10月13日に大石寺開創700年の慶讃大法要で私の「慶讃文」を聞いて、池田は怒って、「よし、それならば日顕のやつをやっつけてしまえ」ということで私を誹謗したのが、約1ヵ月後の「11.16」の発言なのであります。そのあとすぐ次の日に、普賢岳が噴火したわけで、池田の大謗法、歴然です。そういう流れがあったのであります。(第67世日顕上人『大日蓮』H16.12)

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 平成2年春頃から、池田大作のスピーチに宗門批判が混じるようになる。とすれば、この時点で既に、池田大作は、自身の意のままにならない宗門に対して不満を持っていたようである。その不満は、法華講3万総会の成功と、慶讃大法要での慶讃文によって頂点に達した。
 すなわち前者については日顕上人の主導による法華講発展への動きが、池田大作をして日顕上人への不信乃至、怨嫉を抱かせた。後者については、かねてより正本堂建立をもって広宣流布の達成としたかった池田大作の妄執を、日顕上人によって公然と断ち切られた格好となったことへの憎悪と落胆。
 その結果として「11.16」での日顕上人への暴言、僧侶軽視の発言となったのである。
 ともあれ、宗門からの独立または宗門支配は、52年路線以来の学会の既定方針であったから(そのことは森田理事長が破門後に「10年前は堂々と出来なかった。一言もいえなかった。それで失敗しましたんで、今度は堂々とやっている」〈H3.3.18 杉並ビクトリー勤行会〉と発言していることからも明らか)、学会の意のままになるはずもない宗門に対し、学会が独立作戦(=宗門を挑発して破門させる)を敢行することは時間の問題であったといえる。


「11.16」スピーチは私が録った!

―今、初めて明かす録音の経緯―
(善福寺信徒・大渕清子=元・創価学会女子部本部長『慧妙』H21.3.1)

 創価学会は、平成3年に日蓮正宗から破門され、今では完全に邪教集団となってしまいましたが、破門に至る過程で、日蓮正宗に反逆しようとする池田大作の本音が明るみに出たのは、いわゆる「11.16」平成2年11月16日の本部幹部会における池田スピーチの録音テープでした。
 ところが、創価学会側は、この録音テープを「出所不明の代(し)ろ物」と切り捨てることによって、池田の問題発言に対する指摘を"言い掛かりである"と吹聴(ふいちょう)したのです。
 しかし、あの「11.16テープ」は、出所不明などではありません。当時学会の女子部であった私が、会場で生録音したものなのです。。
 今、その時の経緯を明らかにしたいと思います。


【学会内部からの改革を決意】
 女子部本部長(当時)だった私が、小川頼宣さん(元・学会本部広報部副部長)に連れられて、後藤順子さん(当時・女子部大B長)・河上雅夫さん・大渕両平さんらと共に、福島源次郎さん(元・学会副会長)のお宅を訪問したのは、平成元年のことでした。
 その当時の私は、原島嵩氏(元・学会教学部長)や山崎正友氏(元・学会顧問弁護士)らの内部告発によって次々と明るみに出た池田大作の女性スキャンダルを耳にし、学会幹部の言う"素晴らしい池田先生"と"スキャンダルまみれの池田大作"のあまりのギャップに、頭の中は混乱していました。
 すでに池田大作の本質を見抜いていた福島源次郎さんは、私達に対し、池田の誤りを真剣に話してくれました。そして、執筆中だった『蘇生(そせい)への選択』の内容にも触れて、
 「池田の邪義邪説から学会員を目覚めさせる、信心覚醒(かくせい)の戦いをやろうと思う」
と、内部からの改革を志していることを打ち明けてくれたのです。
 私達はその場で、一緒に戦うことを決意し、その日から福島さんと行動を共にしました。この時参加した5人が、後に「蘇生の集い事務局」の中核になったのです。
 『蘇生への選択』が発売されると同時に、『月刊アサヒ』で「池田大作のウソと金」という特集が組まれました。朝日新聞編集局社会部長待遇を務め、長く池田大作と創価学会のアドバイザーを務めてきた央忠邦氏が一肌脱いでくれたのです。山手線等の中吊(つ)り広告で大々的に宣伝され、とても驚きました。
 読者からは数多くの賛同の声、批判の声が寄せられました。そうした中で、小川さんと後藤さんを中心に、賛同者に声を掛け、池袋の区民センターで池田の邪義を正す勉強会を開催することになりました。第1回目は小さな会議室で、受講者は20人にも満たないものでしたが、池田の邪義から解放されていくことに、不思議と気分がすっきりと晴れるのです。
 一方、学会の妨害は激しく、会場の出入り口にはいつも学会員の車が駐車し、参加者の顔写真を撮ったり、尾行して自宅をつきとめ、嫌がらせをするなど、大変な日々でした。我が家にも、玄関先にゴミ袋が散乱した状態で置かれたり、玄関の扉には汚物が塗られたりしました。


【「池田の問題発言を録音しよう!」】
 こうした中で、福島さん小川さん達が大阪や北海道の勉強会に行った折、御住職様方から
 「池田は間違っています。でも証拠がありません。"昭和52年路線"の時は、聖教新聞や大白蓮華で池田の邪義ぶりが公然と書かれていましたから、私達も攻めやすかったのです。証拠がほしいですね」
と言われました。
 「よし、じゃあ池田と学会幹部が何を話しているか、テープに録(と)ろう!」私達は、これこそ、私達の隠された任務だと思い、張り切りました。
 平成2年、会合のたびに池田大作の問題発言が続くなか、実際に本部幹部会での池田大作のスピーチをテープに録りに行くことにしました。
 まず機材が必要です。私達は、秋葉原に行き、高性能のテープレコーダーを買いました。
 第1回目は、私1人が会場の渋谷文化会館の中に入り、他のメンバーは外のホテルで待機していました。事の重大さを思うと、自然と緊張感が湧いてきます。
 ところが、会合を終えて意気揚々と皆の所に戻り、バックの中をふと見ると、機械の入力ランプが消えているではありませんか。スイッチが入っていないのです!
 もう頭の中が真っ白になってしまいました。会場では何度も何度も、スイッチが入っているかどうか点検したはずだったのですが、緊張感のあまり、逆にスイッチを消してしまったのです。
 次こそは、という思いで、2回目に臨(のぞ)みました。今度はうまくいった、と胸をなでおろしたのですが、マイクの位置で失敗しました。
 とにかく緊張していましたから、心臓がドキドキしており、せっかくの高性能の機材がまるで医者の聴診器のように心臓の音を拾ってしまい、肝心の池田のスピーチが聞こえないのです。
 落ち込むことばかりです。とにかく唱題をして頑張ろうと、次に臨みました。
 3回目は、マイクの位置を変えて録音をしました。とてもきれいに録音されたのですが、今度は、操作ミスのためか、テープの片面のみしか入っていませんでした。森田と秋谷の話だけで、肝心の池田のスピーチはほんの少ししか入っていません。


【「11.16」の録音に成功】
 そして、問題の平成2年11月16日、4回目の挑戦です。場所は、これまでと同じ、渋谷文化会館です。
 この時は、念のため、もう1人(男性メンバー)がテープレコーダーを持ち込むことになりました。私は、入場券を準備してもらっていましたが、万一、そこから名前が判(わか)ると危ないと思い、どさくさに紛(まぎ)れ、入場券なしで入ることにしました。
 私はうまくいったのですが、もう1人の男性は、受付で止められ、ちょっと問題になりました。何とかうまくその場をつくろい、大事には至らなかったそうです。今思うと、やはり魔が強かったのだと思います。この間、ずっと小川さん、後藤さんは「蘇生の集い事務局」で唱題をしてくださっていたそうです。
 録音テープは、両方とも、きれいに入っていました。小川さんから、「池田の音声もクリアだ。これで複数本のテープが入手できた。証拠能力としては十分だよ」と言っていただき、私は、ホッとしてその場に座り込んでしまいました。
 その夜、テープを福島さんに届け、福島さんは、録音テープと反訳文にお手紙を添えて、それを重大な覚悟で総本山に送られたそうです。
 私は、「よかった、お役に立てたんだ」と、心から御本尊様に感謝のお題目を唱えました。
 後で聞いたところによれば、他にも録音された方がいたそうですが、それらのテープの中でも、私の録音したものがいちばんクリアに録れていたそうです。
 それからは、学会の警戒がとても厳しくなりましたが、一方、渋谷文化会館の他、戸田記念講堂や杉並文化会館等の入場券も簡単に入手できるようになり、録音活動も上手になって、そのつど、小川さんから福島さん経由で提出し続けました。
 時には危ないこともありました。男性メンバーが戸田記念講堂に入った時、受付で取り囲まれて別室に連れ込まれ、数時間にわたって軟禁状態になったあげく、録音機に入っていたテープを没収されたのです。
 その男性は、「蘇生の集い」の勉強会の役員をやっていたことから、学会に写真を撮られていて、その写真が戸田記念講堂の創価班まで回されていたようです。
 それにしても、「11.16」のテープがこんな大きな影響を与えるとは、当初は想像もつきませんでした。ましてや、池田大作の総講頭資格喪失から創価学会の破門に至るとは思ってもいないことでした。
 今でも渋谷を通るたびに、あの時の緊張感が思い出されます。先日も仕事で付近を通りましたが、あの時の「ドキドキ感」が鮮やかに思い出されました。私にとって11月16日と渋谷は一生忘れられないことでしょう。


【今、法華講員として】
 その後、私達は創価学会を脱会して、日顕上人猊下の御慈悲により、晴れて法華講員となりました。堂々と胸を張って戒壇の大御本尊様の御開扉を受けられる身にしていただいたのです。なんとありがたいことでしょう。
 一方、私の家族のことですが、私の活動に対して狂ったように反対していた母が病で倒れ、入院中の平成20年、やはり学会員だった姉が交通事故で亡くなりました。青信号の横断歩道を歩いている最中に、トラックに胸を轢(ひ)かれて即死したのです。
 母はとてもショツクを受けた様子でしたが、私は思いきって、「まじめ一方の姉ちゃんがこんな死に方をするなんておかしくない?成仏とは程遠いよね。これは罰だと思う」と言うと、母は茫然としながらも素直にうなずきました。猛反対をし続けた母がうなずくなんて、こんなことは初めてです。
 15年近く閉ざされていた母の心が、開かれ始めたのです。この時ほど御本尊様のお力をありがたく思ったことはありません。
 「お母さん、昔、総本山にも何度も連れて行ってくれたよね。もう一度、戒壇の大御本尊様にお目通りに行こうよ」と言うと、母は「うん」とうなづいてくれました。
 『立正安国論』正義顕揚750年にあたる本年、何としてでも大御本尊様のもとに母を連れ行き、懺悔滅罪の祈りをさせたいと決意しております。





「『お尋ね』文書を全面撤回」は大ウソ

(『慧妙』H16.5.1編集)

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 「お尋ね」文書をめぐって、宗門があくまで対話を拒否したので、学会は「回答」を送った。その中で、宗門の不当な主張に抗議し、出所不明のテープをもとにした、スピーチのテープ起こしの誤りを指摘した。
 すると宗門は、誤りがあったことを認めざるをえなくなり、それをもとにした質問項目を、全面的に取り下げてきたのである。
 これによって、宗門のもともとの言い掛かりは、根底から崩れた
 にもかかわらず、宗門は謝罪するどころか、その後、(中略)学会員をいじめ、動揺させようとしてきたのである(池田大作『聖教新聞』H15.11.29)
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 ここでいう「『お尋ね』文書」とは、平成2年12月に宗門から学会に宛てた文書のことで、宗門が初めて、公式に創価学会の誤りを指摘することになったものである。
 しかるに、この池田の発言だけを見れば、いかにも、"最初から創価学会には一点の誤りもなかったのに、宗門が言い掛かりを付けてきた"と映るであろう。だが、もちろん、これは、池田大作のスリカエである。以下に、それを検証する。

 この「テープ」とは、言うまでもなく、「平成2年11月16日・池田スピーチ」の録音テープのこと。宗門は、そこに散見された、池田の御法主上人誹謗や宗門批判の言辞を糾(ただ)すべく、13ヶ所にわたって反訳し、6項目の「お尋ね」として文書にまとめ、創価学会に送付した。
 ところが創価学会側は、逆に、宗門に対する言い掛かりを列挙した「お伺い」なる文書を送り付けてきたりしていたが、ようやく出てきた「回答」では、言い訳に終始すると同時に、宗門側のテープ反訳の些細なミスを、3点ほど挙げてきたのでる。
 その3点の指摘とは、
@<誤>「工夫して折伏するのがないでしょう、ね。日蓮正宗でいなかったんですよ。それを学会がやっているから、学会を絶対にすばらしい、ということであります。」
 <正>「工夫して折伏する以外ないでしょう。ね、日淳上人が一番よく分かっていますよ。(以下、同)」
A<誤>「ただ……、真言亡国・禅天魔、法を下げるだけでしょう」
 <正>「ただ朝起きて、『真言亡国・禅天魔』。(笑)法を下げるだけでしょう
B2ヶ所に同じ言辞が引用されたが、その2つが微妙に違っていたことの指摘。が、1つが正確で、1つがワープロの単純な入力ミスだったので、ここでは割愛する。
 以上、見ておわかりのように、@とAは、池田の言語が不明瞭だったために聞き取れなかったにすぎず(あえて言わせてもらえば、それ以外の反訳は全て完壁だった、ということで、むしろ、その方が驚異といえよう。呵々)、AとBなどは、どっちでもよいことである。
 @に関しては、それだけを見れば、池田の本意と違っていたようにも見えるが、しかし、それと並べて、「700年間折伏がそんなにできなかったんですよ。(中略)今はもう当たり前と思ってね。威張っている人がいる。とんでもない」という発言も挙げているのであるから、「お尋ね」の主旨には何の影響もない
 こうした、重箱の隅をほじくるようなような学会の指摘にすら、宗門が、返書にて、その些細なミスを認め、「それに基づいてお尋ねした件に関してはお詫びし、撤回します」(下線は編集室註)としたのは、正直を貫くがゆえの善意であった。
 ところが、学会は、この「撤回」という言葉に飛びつき、即刻、『聖教新聞』に「宗門が誤りを認め、全面撤回」などという見出しを踊らせた。このスリカエのひどさには、当時、真相を知る宗門人の誰もが、唖然とさせられたものである。
 そして今、池田は、「宗門は、誤りがあったことを認めざるをえなくなり、それをもとにした質問項目を、全面的に取り下げてきたのである。これによって、宗門のもともとの言い掛かりは、根底から崩れた」などと強弁し、勝ち誇ってみせているのであるが、人生の終盤においてなお、虚構にしがみつかなければ存在を誇示できない己れを、虚しく思わないのであろうか。
 池田大作よ、君が「根底から崩れ」る日はそう遠くないだろうから、せめて、その時には、己れの真実の姿をさらけ出して、謗法の果報がいかに恐ろしいものかを、学会員の前に実証してくれたまえ。
以上。





総講頭の資格喪失(仮題)

―連合会初登山会お目通りの砌―
(第67世日顕上人『大白法』H16.1.16抜粋)

<総講頭任命>
 皆様もほとんどの方が御承知と思いますが、昭和39年に、前に解体をいたしました池田大作の寄進による大客殿の落成式が行われましたが、その席上において、御先師日達上人より池田大作に法華講総講頭の辞令が下付せられました。そして、その翌年の4月に大講頭4人が任命されましたが、法華講からはただ1人、平沢益吉という方が任命されただけで、残りの3人は創価学会の大幹部でありました。そのような形で、役職の名称はありましたが、実は日達上人には深いお考えがおありあそばされて、実際の法華講としての本部・支部の連携の上の活動、日蓮正宗法華講の活動については、形だけの面において、しばらくそのまま差し置かれたと私は拝するのであります。というのは、創価学会は創価学会としての組織のもとに、しかも日蓮正宗とは別に宗教法人を取得して行っておりますから、そのような事情の上からの総講頭・大講頭の任命であり、それはけっして本来の姿ではなかったからであったと拝するのであります。

<総講頭辞任と再任>
 したがって、そのような形でまいりましたが、その間、創価学会の色々な意味の謗法が昭和52年ごろに現れてきて、様々な問題が起こりました。このことは皆様も御存じのとおりであります。その時に池田大作は総講頭を辞して名誉総講頭となり、そのような姿のままで推移しておりましたが、その後の彼らの特に池田の恭順な態度、これは見せかけだけでしたけれども、その恭順な態度を見て、それならばなんとかこれから正しい方向へ向かうための一助として、もう一遍、総講頭に任命しようと思ってこれを行ったこともありました。しかし、彼らが持つ本来の、心に根ざしておるところの我見・我意による「創価学会こそ仏法の一切である」というような大それた、誤った考えによって起こる大謗法の念慮が存しておりましたので、それがだんだんと顕著になってきたのであります。

<総講頭の資格喪失>
開創700年の年から色々な面において法華講が大前進をしてまいりました。その時において、やはりあのような誹謗(※11.16スピーチ)をしておる姿のなかに、法華講総講頭・大講頭という彼らの立場をそのままにするということは大きな誤りであると同時に、いわゆる「宗制宗規」の内容において、例えば総講頭の任期は終身であるというようなこと、つまり総講頭に一遍なったら死ぬまで辞めることがないという、まことに不合理な形がありましたので、それらのものを改正いたしました。そして、その改正以前の「宗規」に基づいて任ぜられたところの本部役員、すなわち法華講総講頭や大講頭等はいったん、退職してもらうことになったのであります。これは懲罰として罷免したのでもなければ、なんでもありません。あくまで「宗規」の改正に伴うところの資格喪失ということであって、自然の形で行ったのであります。そのような形に基づいて、彼らが辞めることになったのです。

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 第2次創価学会問題では「11.16」問題発言→宗門と学会のやりとり→宗規一部改正にともなう総講頭・大講頭の資格喪失→『聖教新聞』紙上で宗門批判キャンペーン開始、という経過を辿る。つまり学会では、総講頭・大講頭の資格喪失を懲罰的罷免に摩り替えて反発し、宗門批判を大々的に開始したのである。しかし、実際は以下のようなものであった。
 すなわち、総講頭・大講頭の資格喪失の理由は、宗規自体の不備乃至問題点の是正にあった。その時期が池田大作の総講頭として相応しくない言動と深く関連していることは事実であるが、あくまでも宗規改正に伴う法華講を含む総講頭・大講頭全員の資格喪失であって、罷免ではなかったのである。

・「あのような誹謗をしておる姿のなかに、法華講総講頭・大講頭という彼らの立場をそのままにするということは大きな誤り」→一端、資格喪失することによって反省させる契機となされたのではないか。

・「『宗制宗規』の内容において、例えば総講頭の任期は終身であるというようなこと、つまり総講頭に一遍なったら死ぬまで辞めることがないという、まことに不合理な形がありましたので、それらのものを改正いたしました。」

・「改正以前の『宗規』に基づいて任ぜられたところの本部役員、すなわち法華講総講頭や大講頭等はいったん、退職してもらうことになった」

・「これは懲罰として罷免したのでもなければ、なんでもありません。あくまで『宗規』の改正に伴うところの資格喪失ということであって、自然の形で行ったのであります。そのような形に基づいて、彼らが辞めることになったのです。」





学会員の不可解な動き

―資格喪失を通知後、直ちに抗議が殺到―
―事前準備なしには成し得ない素早さ―

(『慧妙』H20.5.16)

 平成3年以降の創価学会の豹変(ひょうへん)ぶりは、そうとう以前から計画されていたものと思われる。
 池田の総講頭資格喪失後の、創価学会による異常なまでの宗門誹謗(ひぼう)の姿をみると、それが以前からの計画だったであろうことは、「想像」から「確信」へ変わる。
 もう1度、平成2年の総講頭資格喪失から、その動向を見てみよう。
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・12月27日、第130臨時宗会で宗規の一部改正。これに伴(ともな)い総講頭と大講頭全員の資格喪失。
 これにより、総講頭であった池田大作をはじめ、学会側・法華講側の大講頭14名全員が一旦資格を喪失した。解任や罷免(ひめん)ではないため、再任される可能性も十分に残っていたが、それを放棄したのは池田・学会側である。
・12月28日、総講頭、大講頭14名へ、資格喪失の通知を発送。
・12月29日、創価学会員より全国寺院に、嫌がらせ・脅迫電話が殺到。大石寺ではこの1日だけで800回以上の入電。
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 日付を見て驚くなかれ、総講頭の資格を喪失してたった2日後、しかも、通知を発送した翌日、池田本人が資格喪失を知り得てから丸1日も経っていない段階なのである。
 文字どおり間髪(かんぱつ)を入れず、全国の寺院に対し一斉に電話攻撃が開始された。
 本山に対する1日800回以上の入電というのは、1日の受付時間を10時間だとすると、1時間に80回、じつに45秒に1回のぺースである。まさに1日中電話が鳴り続くわけである。
 本山に対してだけでも、かなり多数の学会員が携(たずさ)わっているが、さらに、同じ攻撃が全国の寺院数百ヵ寺に対しても行なわれたことを勘案すると、まさに総力あげての電話攻撃であったろう。
 このような計画の立案や指示を、たった半日やそこらでできるはずがない。特に福岡市の開信寺への脅迫電話は、この日より2週間にわたって続き、警察が犯人(もちろん学会員である)へ厳重注意をしている程であった。
 ここに、宗門との全面戦争に勝算ありとそろばんを弾いていた、池田創価学会の計画の周到さが垣間(かいま)見られるのである。
 明けて平成3年―、創価学会が全精力を傾注(けいちゅう)しての宗門総攻撃の幕開けである。
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・1月2日、池田名誉会長は恒例の新年初登山に参詣せず。
・1月4日、『聖教新聞』紙上で宗門批判の大キャンペーンが開始される。
・2月15日、福岡県教説寺住職が創価学会員より暴行を受ける。
・2月26日、創価学会独自の同志葬を開始。
・4月6日、総本山御霊宝虫払大法会を奉修。創価学会が法要を妨害。
・4月13日、創価学会青年部300人が福岡市開信寺の御講の最中、集団暴行事件を起こす。これにより同寺支部の講頭が全治2ヵ月の重傷。住職ほか信徒も多数負傷した。
・4月25日、宗門より全国末寺へ、創価学会員による布教妨害、暴行に対する対応方法を緊急通知。
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 以上は、平成3年4月までの主な動向である。全国寺院に対する小さな妨害、脅迫を挙(あ)げれば、まだまだたくさん事件は出てくる。数に物言わせ、暴力、脅迫に及ぶなど、暴力団さながらの有り様で、もはや「平和」を標榜(ひょうぼう)する宗教団体などとは呼べない。
 そもそも学会員は、なぜ宗門に恨みを持つのか。糺(ただ)すべきは自らの所属する創価学会のトップであるはずだ。
 なぜなら、池田が昭和59年に総講頭に再任されたのは、池田が200ヵ寺寄進を申し出たことにつき、それを以前の問題(52年路線)への反省と受けとめられた御法主上人の大慈悲の賜(たまもの)であった。
 その200ヵ寺寄進の源(みなもと)は、公称800万ともいわれる純真な創価学会員の財務である。さらに寺院が建つ地元の学会員には、特別財務として、さらに集金ノルマが課せられる。
 つまり、200ヵ寺寄進といっても、池田個人の懐は全く痛むことのない、純真な学会員の財務の上に築き上げられた寄進であり、それによって賜わった池田総講頭再任だったのである。
 それが、池田自身の不信心による言動(11・16スピーチ)から、宗規改正という事態を招き、さらには再任の可能性を残しておかれた宗門の配慮を足蹴(あしげ)にしたのである。総講頭の資格喪失を怒るのなら、「我々の浄財を無駄にするな!」と、他ならぬ池田を厳しく糾弾すべきだったのだ。
 確認のために一言添えるが、今回紹介したのは、破門後の創価学会の動向ではない。平成2年に総本山開創700年慶讃大法要を奉修した、わずか半年後のできごとである。
 引き続き平成3年の動向を詳しく見ていく。






学会機関紙に見る情報操作

―問題勃発直後から宗門誹謗を次々―
―会員の心理操作が目的の恣意的報道―

(『慧妙』H20.7.16)

 これまで、平成2年夏頃から平成3年末までの、宗門と創価学会の動向の概要(がいよう)を見てきた。
 先に結論を言えば、この問題が勃発(ぼっぱつ)した根本原因は、創価学会にこそあった。
 表面的に見ると、この問題の直接的な発端は、宗規一部改正による池田の総講頭資格喪失にあったように見える。だが、総講頭資格喪失に至った原因は、全創価学会員の外護(げご)の赤誠を踏みにじった、池田大作の大慢にあったのである。
 しかるに、創価学会本部からの一方的な情報に洗脳された学会員たちは、真実を知らされぬまま、宗門誹謗(ひぼう)、末寺弾圧、集団暴力等へと加担していった。そのうちのいくつかは既報のとおりである。
 今回は、学会機関紙による宗門誹謗を取り上げていく。
 問題の勃発後、学会機関紙による誹謗報道の初見は、平成3年1月4日の『聖教新聞』である。そこには「今回の宗門との問題についての経過」と見出しを打って、宗門からの「お尋(たず)ね」の肝心部分についてはお茶を濁(にご)し、一方的な説明記事を掲載した。以後は連日にわたって、
 「宗務院の不当な措置に抗議
 「民主の時代逆行の暗黒に世間も唖然
 「不当な宗規変更に抗議する
 「常に無慈悲な宗門の体質を憂う
 「非情な宗門の措置と僧侶の傲慢を憤る
等々の記事が紙面に踊った。また、『創価新報』でも、
 「理不尽きわまる不当な措置
 「浮き彫りになった権威主義の体質
 「世界の宗教界にあるまじき残酷さ
などと、堰(せき)を切ったように宗門誹謗キャンペーンを大展開したのである。
 まさに会員を嘘の情報で押し流す、邪念に満ちた虚偽報道の大洪水である。
 とくに『聖教』紙は、日刊である利を活(い)かし、夥(おびただ)しい量の記事や文章を掲載して、問題の本質が、創価学会の民主化路線に宗門がついてこられなかったところにあった等とスリ替えた。また『新報』紙でも、婦人部幹部や本山の地元信徒の紙上座談会を組むなどして、あらん限りの奸計(かんけい)を巡らし、「宗門は悪、学会は善」の構図を作り上げた
 学会員の多くは、突然の報道に驚いたに違いない。
 紙上に踊る「理不尽」「権威主義」「非情な宗門」等という、弱者が弾圧されているかのごとき報道を見たとき、弱きに同情するのは人間の性(さが)である。また、情報の真贋(しんがん)はともかくとして、1度このような情報に触れると、先入観が植え付けられてしまい、それを覆(くつがえ)すのは容易ではない。
 学会は、このような人間の心理を巧(たく)みに利用して、一気に畳みかけるように、なりふり構わず、虚偽の報道を流し続けたのである。
 この宗門誹謗キャンペーンが始まって、わずか2ヵ月後、学会幹部が導師を務める同志葬(友人葬)が行なわれるようになる。この時点において、すでに会員の心はほとんど宗門から離れ、完全に「宗門憎し」で凝り固まっていたと言える。
 学会首脳陣は、さらに会員の宗門離れを徹底するために、まずは御法主上人をはじめとする御僧侶方の人格攻撃などを行なって、会員に感情的な嫌悪感を起こさせ、次第に寺院僧侶や塔婆の不要論を唱え、教義の改変を進めるようになる。
 このような、宗門誹謗と、大幅な路線変更の兆(きざ)しが顕著になってきたにも拘(かか)わらず、会員の動揺が少なかったのを良いことに、ますます機関紙上における宗門誹謗はエスカレートする。例えば、
 「信徒利用の金もうけの塔婆を破す
 「御書に従わない傲慢な金儲け
 「宗門の堕落と謀略
 「思考力ゼロの『謝罪要求書』を破す
 「広布の前進を阻む宗門こそ三宝を破壊
等々―改めて当時の記事を見ても、まるで現在のものと見まがうほどで、それより数ヵ月前の平成2年中のものと比べると、これが同じ機関紙なのかと驚いてしまう。しかも、これらの見出しが3月、4月のものであるときては、なおさらだ。
 5月には、虫払大法会の布教講演についてまで「布教の心なき布教講演を破す」などと暴言を浴びせる始末。さらに学会は、不遜(ふそん)にもこの大法会をボイコットするなどの妨害をしたのである。この1件を取り上げても、信仰者としては許されがたい、御本尊への冒涜(ぼうとく)である。
 以上、数ヵ月間の機関紙のごく一部を紹介してきたが、多くの迷える学会員がいる一方で、創価学会という母船は確実に反宗門へと舵(かじ)を切ったことが明らかである。





「同志葬」に見る学会の謀略性

―平成2年の時点で、すでに同志葬ほのめかす―
―会員の反応を見つつ同志葬に誘導、定着へ―

(『慧妙』H20.12.16)

 創価学会では、平成3年の年頭から大々的に繰り広げた宗門誹謗(ひぼう)キャンペーンを前面に押し出し、それを隠れ蓑(みの)にして、「僧侶不要論」「寺院不要論」を学会組織内に浸透・徹底させてきた。
 前回、その具体的事例として、全国の創価学会の会館において執行された孟蘭盆会(うらぼんえ)・彼岸会法要を取り上げ、寺院への御供養不要、塔婆不要論に踏み出したことを述べた。その目的は、宗門から離れ、実質的に池田教として旗揚げするためである。
 そして、宗門からの脱却を企(くわだ)てて、これらの不要論を唱える以上、それに変わる学会独自の機構の整備が必要不可欠となる。こうして登場したのが、「僧侶による葬儀不要論」に対応する、学会幹部が導師を勤める「同志葬(友人葬、学会葬)」である。
 この同志葬は、かなり早い段階から準備が進められてきたことが窺(うかが)える。
 まず、一番最初に同志葬が執行された事例は、平成3年2月26日奄美市名瀬の立安寺信徒だった学会員の葬儀である、と報告されている。
 この時期は、すでに池田が総講頭の職を失い、特に学会の機関紙上でも宗門誹謗キャンペーンが盛んになってきていた。しかし、いまだ宗門と学会の問題が起きて2ヶ月、多くの学会員は動揺していたと思われる。時期尚早とも見えるこの時に学会葬を執行したのは、これによる学会内の影響がどれ程のものかを推(お)し量(はか)るための、試験的意味合いが大きかったと思われる。
 というのも、『創価新報』を見ると、平成3年2月の段階では、同志葬の話題はもとより、「僧侶・寺院不要論」は表面化していないのだ。3月に入って、やっと塔婆に関する記事が掲載され始めるのである。
 その後、数件の同志葬執行の報告があるが、機関紙上では、御供養不要、塔婆不要を喧伝(けんでん)しながら徐々に寺院不要を浸透させ、一方では、同志葬を試験的に執行して反応を見る、という狡猾(こうかつ)な戦術を取っている。
 そして、池田の口から同志葬について具体的な発言が出たのは、4月11日の第40回本部幹部会で、
 「これから葬儀はどうしたらいいかな?心配しなくてもいいから。いくらでも会館があるから。OK?心配ない、そんなものは。みんな、お経読めるから。知んない人が拝めるんだから。ぜんぜん、心配ない
 そして4月26日の第39回本部全体会議で、
 「昨日、兵庫である人が亡くなった。家が狭いので、といって会館で葬式をやり、幹部が中心で勤行をやり、そして最後は『母の歌』で送った
というものだ。
 前の本部幹部会では、すでに2月の末に同志葬執行の事実がありながら、しらばくれて「これから葬儀はどうしたらいいかな?」と切り出し、2週間後の本部全体会議では、兵庫で幹部中心の葬儀を行なった、との明言があった。
 さらに同時期には、内部文書で『冠婚葬祭について』という冠婚葬祭用マニュアルが、B長クラスにまで通達されている。内容は、@通夜について、A葬式について、B過去帳について、C法事について、D結婚式について、の5点についての説明文書である。
 このように創価学会では、会員の動揺を最小限に抑えるよう周到な準備をした上で、着実に実行に移し、機関紙や口コミによる正当化をしてきた。
 だが、この時期は、宗門との往復文書、登山形式の変更など対外的な対応にも追われていたはずだから、宗門からの脱却の策謀を練るのも容易ではないはずである。よって前にも述べたように、同志葬を始めとする化儀の改変は、そうとう早い時期から準備してきた既定路線である、と考えるのが自然であろう。
 事実は、平成2年の池田の総講頭資格喪失直後には、すでに「今後の対応について『Q&A』」という一般会員向けの文書で、
 「Q.お葬式は、どうしたらよいでしょうか。
 A.私たちは信徒であり、私たちがつくったお寺なのですし、それがお寺の仕事なのですから遠慮しないでどんどん依頼すればよいと思います。仮に、イヤだとか、お葬式はやってあげないとか言われれば、その時考えればよいのではないでしょうか。皆で清々しく題目をあげて、送ってあげてもよいと思います」
と、宗門からの離反・独立を見越した内部指導が、さらりとなされているのである。
 総講頭資格喪失の経緯とこれらの化儀逸脱の背景を合わせ見るに、平成2年からの学会問題は、大敗北を喫した昭和52年路線のリベンジに他ならない。
 一度は引責辞任した池田を再登用してくださった御法主上人に対して、恩を仇(あだ)で返すかのような鬼畜の所業--この池田に振り回されて地獄に堕(お)ちる学会首脳たちが、哀れでならない。





会員洗脳のための呆れた手法

―小乗仏教を基に宗門批判―
―巧妙に会員の悪感情煽(あお)る―

(『慧妙』H21.2.1)

 創価学会では、かなり早い段階で宗門からの独立を視野に入れており、機関紙誌や口コミを利用して、学会員の動揺を最小限に抑えながら、化儀の改変を進めてきた。それを象徴するのが「寺院不要論」「僧侶不要論」であり、具体的には全国の会館で執(と)り行なわれた盂蘭盆・彼岸の法要や同志葬であることは既述のとおり。
 今回は、『創価新報』におけるこれらの化儀改変(特に同志葬)の正当化の記事を取り挙げ、批判すると共に、それを利用した、御法主上人への誹謗(ひぼう)のやり口の小ずるさを見ていく。

 さて、『創価新報』紙上では、平成3年5月1日号から『教学講座』「僧俗を考える」と題して、また、6月19日号から『教学講座』「仏教儀礼を考える」と題して、連載がスタートした。
 はじめの「僧俗を―」では、インド仏教における僧俗の関係を挙(あ)げて、出家僧は、禁欲と修行に徹する小乗主義の人々であり、在家信者は、大乗教を支え、発展させた真の大乗の菩薩である、と述べ、それをそのまま末法日本国の御本仏日蓮大聖人の仏法に当てはめ、現代の宗門のあり方が間違っているかのような論を展開している。
 一方、「仏教儀礼―」では、同志葬を正当化するために、釈尊の葬儀は在家が執行した、成仏は自身の生前の信心のみで十分、戒名・位牌は不要などと、本宗古来の化儀のあり方を批判しようと試みている。
 『新報』の論調は、インド釈尊の小乗仏教のあり方への批判を基に、それを現代に無理矢理、適用させ、「僧俗平等」から、ひいては「出家不要」「在家中心」を論じようというものである。そもそも、大聖人が「出家」であることを忘れているのか、誤魔化そうとして、あえて触れないようにしているのか分からないが、全く立場に統一性がない。
 これら一連の記事を見るに、その狙(ねら)いは、明らかに「僧俗平等」を超えた「在家至上」を印象づけるところにある。
 さて、大聖人は『諌暁八幡抄』に、
 「月は西より東に向へり、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相(ずいそう)なり」(御書1543頁)
と仰せである。
 インドで発祥した仏教が、中国を経由して日本に流伝した、これが「月氏の仏法」で、すでに白法隠没(びゃくほうおんもつ)した前時代の仏法である。
 それに対し、大聖人の仏法は「日本の仏法」であり、白法隠没した釈尊の仏法に替わる大白法なのである。
 よって、インドの仏法を基本として展開する『新報』の論調は全くナンセンスである、と断ずる。
 このような学会の論を前提にしたならば、日興上人が大聖人の葬儀を執り行なったことも「不必要だった」ということになるではないか。
 すでにその年(平成3年)の年頭から「宗門は悪、学会は善」という洗脳が盛んに行なわれ、"宗門憎し"の感情で、理性による判断がつかなくなっていた学会員は、このような連載の愚論を、疑いもせず信じてしまうのである。
 さらに狡猾(こうかつ)なのは、この化儀改変の正当化記事を通じ、"宗門のやることなすことは全て間違っている"との印象を与え、その合い間に御法主上人への誹謗中傷を織り交ぜる、という手口である。つまり、寺院・僧侶不要論を利用し、さらに一歩進んで、御歴代上人・御当代上人への誹謗へと繋(つな)げているのである。
 それは、『新報』9月4日号における、日開上人・日精上人・日恭上人へのいわれ無き誹謗からはじまり、10月2日・16日号にわたる大正年間の御相承に関する邪難、そして、日顕上人に対する墓地問題へと展開する。
 宗門からの独立のため、学会独自の儀式執行の理論構築を計る一方で、宗門古来の化儀を否定し、巧みに御法主上人の誹謗をする。しかも、憎しみの感情を掻(か)き立てるように―。
 そしていよいよ、その年の10月から『日顕法主退座要求書』の署名運動が開始される。これは御法主上人への最大の暴挙であると共に、創価学会による会員一人ひとりに対する『踏み絵』だったのである。





添書登山‐経緯と理由(仮題)


■添書登山が開始されるまで

―添書登山こそ古来からの登山方式―
―高慢・不遜な態度に終始した学会―

(『慧妙』H20.9.16)

 総本山大石寺は平成3年7月、これまで続いてきた創価学会の月例登山会(創価学会の自主性に任〈まか〉せた登山方式)を取り止め、日蓮正宗本来の在(あ)り方である添書登山(所属寺院に登山の希望を申し出て、寺院より発行された添書を携〈たずさ〉えて登山し、御開扉を願う方式)に戻された。
 これは、平成2年夏からの創価学会の分斉(ぶんざい)を弁(わきま)えぬ不遜(ふそん)な姿勢や、52年路線の無反省と宗門・御法主上人への誹謗(ひぼう)中傷が表面化した11.16のスピーチを始めとする宗門への反抗、さらに平成3年初頭からのメディアを使った宗門攻撃など、諸般の現実を鑑(かんが)み、本来の僧俗・師弟の在り方に立ち返らせるべく、登山方式を添書登山に戻して、総本山が全責任を持って登山の取り扱いをしていくことにしたものである。
 これに先立ち総本山は、創価学会秋谷会長に対して、平成3年3月16日付で文書を送付し、7月から登山方式の改正をすること、3ヶ月あまりの準備期間を設け、その間に協議を要することがあったら申し出るように、と要請した。
 創価学会は本来であれば、総本山の意向に従うのがあるべき姿なのだが、前に示したことからも分かるように、その姿は皆無であった。ここでもまた、11.16に関する往復文書に見られるような、高慢にして不遜な姿勢を取ったのである。以下、時系列でことの経緯を列挙していく。

〈3月16日〉本山、「月例登山会の件」と題して、登山方式を本来の形(末寺添書登山)に戻すこと、協議を要する事項があれば申し出るよう通知。

〈3月20日〉学会、「『月例登山会の件』について」と題して、「新登山方式」について具体的な運営方法の内容や、現行方式からの移行の仕方などを話し合いたい、と要望書を提出。

〈4月2日〉改正登山方式について創価学会と初協議(秋谷会長、基本的に合意を表明)。本山は「円滑に移行することが望ましい」「円滑に移行できない特別な事情があれば延期について協議することにやぶさかではない。既定方針として、一方的に強行実施するものではない」と表明。学会は「円滑に移行することが望ましい」との言葉を「改正登山方式の7月開始を中止し、以後も延々と協議を続行」と曲解する。(4月6日 総本山御霊宝虫払大法会奉修。創価学会が大法要を妨害する。)

〈4月26日〉本山、学会へ、7月からの登山方式の改正は、延期する理由が見あたらないので、既定方針として実施することを通告。学会はこれを「継続協議の断絶」と曲解する。

〈4月27日〉学会、本山へ、前日の通告に対し「学会への正式の結論の通知ということであるなら」「文書をもって今月中にご通知」を求める要望書を提出。

〈4月30日〉本山、学会へ再度、方針転換の必要性のないこと、協議するべきことがあれば連絡するよう通告。

〈5月2日〉秋谷会長が登山。登山方式について一切の申し出をせず。

〈5月25日〉本山、学会へ「改正登山方式の実施について」と題して、
1.登山の意義と師弟の筋目をただした古来からの化儀であることの説明
2.創価学会の登山形式の現状と改正登山方式の目的、3月16日からの経過説明
3.登山方式改正に際し、創価学会を脱会する必要はなく(当時)、広く門戸を開いていることの説明
を送付。

〈5月28日〉学会、日顕上人に対して、度重なる曲解を元にした、主任理事・内事部に対する批判と、再度の話し合いの要望を文書で送付。

〈6月5日〉本山、一般新聞紙上に『創価学会の皆様へ 大石寺登山についてのお知らせ』を掲載。
〈同日〉学会、『創価新報』紙上で3月16日からの経緯を報道。見出しには「登山会の一方的取り止めは宗史汚す愚行」「常識逸(いっ)した登山方式の突然の変更」「詭弁(きべん)は止め、率直な話し合いで」などと宗門を誹謗する。

〈7月2日〉改正登山方式による登山会開始。


■宗門が添書登山に戻した理由

―口を極めて添害登山を誹謗した学会―
―戸田2代会長の珠玉の指導をも無視―

(『慧妙』H20.10.16)

 これまで見てきたように、宗門は登山方式の改正に際し、創価学会の協議開催の要望を聞き入れ、再三にわたって説明をしてきた。それにも拘(かか)わらず学会は、宗門の説明を曲解し、機関紙などを使い一方的に御法主上人や総本山を誹謗(ひぼう)し続けた。
 学会は、『創価新報』(H3.6.19)
に、
 「『添書登山』は檀徒作りの策謀(さくぼう)との声」
 「広布史に輝く累計7千万人の大偉業」
 「正法興隆の貢献に理不尽な仕打ち」

等の見出しを打ち、「大石寺への月例登山会は、戸田第2代会長の発意により、創価学会によって昭和27年10月から始まった。当時、本山が経済的に疲弊(ひへい)しきっており、宗内にあった大石寺を観光寺院化しようとする動きを憂慮(ゆうりょ)された戸田会長が、大聖人の精神を断絶させないために開始されたのである。平成3年までに、じつに7千万人(累計)が参詣しているが、宗門はその功績すら一顧(いっこ)だにしようとしない」と主張した。
 しかし、この月例登山を発意した戸田会長は次のように指導する。
●なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。今後も、できるだけ多くの会員を登山させるよう、計画を立てたいと思っている(『戸田城聖全集』第3巻490頁)
●御本山へ尽くすことはあたりまえのことなんだからね。それが自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない(同第4巻237頁)
-----------------------
 つまり、この月例登山は学会員の信心倍増と諸願成就(しょがんじょうじゅ)を願ってのことであり、大石寺が観光寺院になってしまうのを憂慮されたものなどではなかったのである。
 また、この戸田会長指導によれば、「平成3年までにじつに7千万人(累計)が参詣しているが、宗門はその功績すら一顧だにしようとしない」などと「自慢のように」言うのは「信者としては資格がない」姿そのものである。
 重ねて戸田会長は、
●御法主上人猊下を通して大御本尊様を拝しますれば、必ず功徳がでてくる(同第4巻399頁)
-----------------------
とも述べているが、7千万人の学会員は大御本尊を拝し奉(たてまつ)り、その大功徳に浴したのである。まずはそこに深く報恩の念を致(いた)すべきであろう。
 それができないところを見ると、学会には「大聖人の精神」など存在していなかったということになる。その証拠に、添書登山が始まるや、組織を使ってデマ情報を流したのである。
◆御開扉料が8万円になった(地域によって1万5千円から30万円まで、諸説あり)。後から請求が来る
◆本山の警備にヤクザを雇(やと)っている
◆本山内は野犬だらけになっていて危険だ
◆猊下が重病で御出仕できない
等々―。こうした幹部の吹聴(ふいちょう)するデマを信じてしまう末端の会員が哀れでならない。
 しかし、一方では、このような噂(うわさ)をにわかに信じることのできなかった学会員が、数多く登山して、清浄な総本山の姿を目(ま)の当たりにし、創価学会を脱会したことも事実である。
 そもそも、学会による登山形式が行なわれる以前は、全てが添書登山であった。これは古くから伝わる、師弟の筋目を正す日蓮正宗の化儀であって、その伝統の形に戻すことにしただけのことである。
 しかも、考えてもみよ。宗門の2大法要の1つである虫払大法会の登山を組織としてボイコットする、などという暴挙に出たのはだれだ。こうして学会組織に登山を委(ゆだ)ねることができない状況を作っておいて、「本山が理不尽に登山形式を変えた」などとは、何をかいわんやである。
 また、登山形式を変えるということは、受け入れる総本山側のシステムを全て作り直す、ということである。創価学会が信徒としてあり得ない行動に出なければ、しなくてすむことである。
 そのようにせざるを得なくなり、やむを得ず形式を変更したのは、そこまで総本山を追い込んだ創価学会側にこそ原因がある。
 夏からの池田をはじめとする首脳陣の対応。11.16のスピーチ、『お伺い』に対する対応。2大法要の妨害。宗門憎しの感情に走る前に、いま1度、己れの振る舞いを顧(かえり)みるべきである。





「法主退座要求書」署名運動

―宗門誹謗の会員洗脳もついに大詰め―
―最後の踏み絵は「退座要求書」署名運動―

(『慧妙』H21.3.1)

 平成3年10月、いよいよ創価学会の日顕上人に対する『退座要求署名運動』が各地で始まった。本格的に活動化するのは、11月7日の『解散勧告』通知以降となるが、非公式には10月から、署名運動が行なわれているとの報告があった。
 前回述べたように、学会は機関紙において、御歴代上人への誹謗(ひぼう)・日顕上人への誹謗を全面に押し出し、ともかく「宗門が間違っている」との印象を会員に与えていた。
 その上での、この退座要求署名運動である。多くの学会員が、宗門憎(にく)しの感情にかられ、この活動に奔走(ほんそう)した。
 さらに学会では、58世日柱上人・60世日開上人の時代にもこのような退座要求運動があったかのごとく宣伝し、もって日顕上人への退座要求運動も正当化されるかのような報道を繰り返した。そして、宗門との戦いは天魔との戦いである、と位置づけ、狂気の活動を繰り広げたのである。
 さて、実際、どれだけの署名が集まったのだろうか。
 署名運動が本格化すると、各地の会合では次のことが指示されていた。
 「実際には活動していない退転者から赤ん坊まで、家族全員の名を書き入れること」「親戚・知人等、信心していない人にも働きかけて、その人達からも家族全員の署名をもらうこと」「学会員総数の3倍以上を目標にし、社会問題にまで発展させよう」と。
 機関紙上における学会の署名運動の宣伝と合わせ、その公表数を見ると、
 『聖教新聞』11月28日付には
 「日顕法主の退座要求署名海外100ヵ国で150万超す 各国で法滅の大罪を厳しく糾弾」
の記事。
 『聖教新聞』11月30日付には
 「宗門から滑稽(こっけい)極まる『破門通告』 日顕法主の退座要求署名、全世界で1200万超える 宗門は邪教『日顕宗』に 学会こそ大聖人の仏法の正統」
の記事。
 この時点では、国内・国外を合わせて1350万名分である、最終的に、秋谷会長(当時)が12月度全国県長会議(12月6日)において公表した総数は、
 「日顕法主の退座要求署名が、国内で1416万、海外を含め1619万にのぼった」
とある。
 しかし、実際には800万とも、1200万ともいわれており、秋谷の発言はサバを読んだ数なのかも知れない。
 公称800万世帯、1700万もの精鋭(?)を有する、マンモス教団が、赤ん坊はもとより、退転者からも、未入信の親戚・知人からも(一説にはペットの分まで、との情報もある)署名を集めるという、なりふり構(かま)わぬ大署名活動を展開したにもかかわらず、蓋(ふた)を開けてみたら公表信徒数にも満たないのである。
 内部告発によると、「1人が複数回署名した」または、「相当数が複数署名していることを知っている」との情報もある。
 この狂気の署名運動から垣間(かいま)見られるのは、すでに平成3年のこの時点における創価学会の衰亡(すいぼう)ぶりである。現在ではいろいろなジャーナリストがその実数を推計しているが、実動数は100万人もいないのではないか、という声が現実味を帯びてくる。
 ともあれ、この退座署名運動が持つ役割は2つ。
 1つは対外的に、反日蓮正宗を社会的に広く知らしめ、日蓮正宗の社会的評価を著しく貶(おとし)めること。もう1つは、内部に対するいわば「踏み絵」である。これにより、宗門派の者のあぶり出しと、宗門への思いを完全に断ち切らせるという効果を狙(ねら)った作戦である。
 宗門から解散勧告(11月7日。後に詳述)を突きつけられた腹いせに、学会は全面戦争に踏み切ることを決意したのだ。
 そして、まずは内部の引き締めと、戦力把握(はあく)のために、この署名運動を利用したのである。
 学会は「民衆の」「自由の」を謳(うた)い文句にしているが、この姿は、まさに情報戦略による洗脳と、人民統制さながらの監視体制の露見(ろけん)であり、ここから学会は一気に邪教池田創価宗路線へと突き進む。





池田大作破門の理由(仮題)

―「池田大作ただひとりの破門」―
(宗門作成パンフ『創価学会の皆様へ1』H13.5.3)

 池田大作はなぜ破門(※H4.8.11)になったのでしょうか。
 創価学会が宗教法人となる時の創価学会規則の第3条に
 「この法人は、日蓮大聖人の一閻浮提総与の大曼荼羅を本尊とし、かたわら日蓮正宗の教旨をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成し、その他正法興隆・衆生済度の聖業に精進するための業務及びその他の事業を行うことを目的とする」
と規定しています。
 その当時、さらに日蓮正宗と創価学会との間で3ヶ条の約束が交わされました。
1.折伏した人は信徒として各寺院に所属させること。
2.当山の教義を守ること。
3.三宝(仏・法・僧)を守ること。
(『聖教新聞』S26.12.20)
 学会規則と3ヶ条の約束が守られることを前提として学会が宗教法人となることを宗門は認めたのです。
 ところが、池田大作は宗門との3ヶ条の約束を破り、その上あろうことか、創価学会規則をも反故(ほご)にしているのです。唯一、日蓮大聖人の正統である日蓮正宗に泥をかけ、僧俗和合を破壊し、広宣流布を妨害した元凶です。
 けじめをつける上から池田大作は破門。それによって結局、創価学会は本尊も教義もない邪教団となったのです。







「冥加料値上げ」が破門の前兆?

―破門に至る経緯を歪曲―
―池田大作―
(『慧妙』H16.1.1)

 池田創価学会が「目標達成の年」(つまり、学会=公明党の政権与党としての立場を揺るぎないものにして、日本を池田の思いどおりに動かす体制を確立すること)と目してきた2005年まで、あと1年―学会は、本年を「創価完勝の年」と銘打っているが、その一環として、宗創関係における歴史の改竄(かいざん)も、ここで一気に固めてしまう腹づもりらしい。
 それを窺(うかが)わせるのが、11月28日付『聖教新聞』に掲載された、「全国最高協議会」の際の池田大作のスピーチ。
 池田はこの中で、平成2年から始まった宗創関係の亀裂(きれつ)と終焉(しゅうえん)の経緯を、恥知らずにも「法難」などと称し、ことごとく事実歪曲(わいきょく)しつつ述懐(じゅっかい)しているのである。
 まさに、学会員に対する過去13年間の洗脳教育の"総仕上げ"の趣(おもむき)を呈する池田スピーチであるが、それと同時に、この改竄史を正式な歴史として残そうとしている魂胆(こんたん)も見え見え。このまま捨て置けば、学会員はもとより、後々の世人にも重大な迷いを与えかねない。じつに迷惑千万な話である。
 よって、今後、数回にわたり、池田スピーチにおける見苦しいまでの歴史改竄を、叱責しつつ、是正していくことにする。

<「冥加料値上げ」が破門の前兆?>
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 それは1990年(平成2年)3月のことであった。
 宗門は、学会に事前の相談もなしに、一方的に、冥加(みょうが)料の値上げを通告してきた。
 「御本尊の下付」が1.5倍。「塔婆供養」「永代回向」が2倍。一般社会の常識では、とうてい通用しない横暴である。今、思えば、宗門が、いよいよその貧欲(どんよく)の性根をむき出しにする前兆であった。
(池田大作『聖教新聞』H15.11.28)
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 要するに、池田は、これを言うことによって、"学会が破門された原因は、宗門の貧欲さにあった"と印象付けているのであるが、バカも休み休み言ってほしい。
 本当に「貧欲」ならば、創価学会を破門にしたりはしない。総本山や末寺に参詣する信徒が減少すれば、宗門として経済的に逼迫(ひっぱく)していくであろうことは当然であるから、むしろ、経済的側面から考えれば、どんなに学会が道から外(はず)れて暴走しようとも、容認しておくほうが得策というものである。
 しかし、宗門は、そうはしなかった。なぜか。それは、日蓮大聖人の御教えは謗法厳誡であり、宗門とし正法を正しく守るためには、創価学会の謗法を黙過できなかったからである。
 この、経済性を度外視してでも謗法を糺し、学会を破門に処した、宗門の在り方を理解できず、かえって「宗門の貧欲」などと嘯(うそぶ)く池田大作は、まさに犬畜生と同然の低劣な境涯ではないか。
 ついでに「冥加料の値上げ」について説明しておくと、これは、当然のことながら、「貧欲な性根」から出た措置(そち)などではない。
 池田は、「『御本尊下付』が1.5倍」「『塔婆供養』『永代回向』が2倍」などと、倍率だけをセンセーショナルに挙げて、金額を明かしていないが、これが彼の騙(だま)しのテクニックなのである。
 というのも、実際の金額を明かせば、「一般社会の常識では通用しない横暴」どころか、従前が、一般社会の常識では考えられないほどの低額であった、という事実が明らかになってしまうから、池田としては隠さざるをえなかった、という次第。
 では、実際の額は、といえば、「御本尊下付」は2千円から3千円に、「塔婆供養」は千円から2千円に、「永代回向」は10万円から20万円に、それぞれ改訂されたもの。しかも、従前の設定額は、数十年にわたって据え置かれたままだったのである。
 いかがであろう。他宗では、本尊を受けるだけで信者に数万円から数十万円を要求したり、永代供養料などといえば、百万乃至数百万が当然となっているような中にあって、日蓮正宗のこの良心的な設定!信仰者としては、むしろ、申し訳ないと思うのが、普通の感覚ではないだろうか。
 ちなみに、学会では今、ニセ本尊を3千円で販売しているそうだが、池田の言い方でいえば、なんと、これも昔の1.5倍!
 その上、正宗では1体ずつ御本尊は表具がなされているが、学会では、表装の部分までを印刷してしまい、表具を省くことで大幅なコストダウンを計ったのである。
 つまり、より安く作ったニセ本尊を、1.5倍の価格で売っているのであり、まったく金の亡者というべきであろう。
 さらに、毎年の"財務"に至っては、会員に対し、「3ケタ(百万円)だ」「4ケタ(1千万円)だ」と煽(あお)り続けているではないか。
 これこそ、誰が見ても「貧欲の性根をむき出し」にした姿、そのものではないか。池田大作よ、恥を知れ!