僧侶の肉食・妻帯・飲酒について


五戒とは一には不殺生戒・二には不偸盗戒・三には不妄語戒・四には不邪淫戒・五には不飲酒戒是なり、二百五十戒の事は多き間之を略す(『聖愚問答抄』全集476頁)
正像既に過ぎぬれば持戒は市の中の虎の如し・智者は麟角よりも希ならん、月を待つまでは灯を憑べし宝珠のなき処には金銀も宝なり、白烏の恩をば黒烏に報ずべし・聖僧の恩をば凡僧に報ずべし、とくとく利生をさづけ給へと強盛に申すならば・いかでか祈りのかなはざるべき。(『祈祷抄』全集1352頁)
●よき師とは指したる世間の失無くして聊のへつらうことなく少欲知足にして慈悲有らん僧の経文に任せて法華経を読み持ちて人をも勧めて持たせん僧をば仏は一切の僧の中に吉第一の法師なりと讃められたり(『法華初心成仏抄』全集550頁〜)
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 「よき師」とは、「少欲知足」でなければならないが「持戒」(五戒・二百五十戒)である必要はない。日興上人の化儀は「聖僧」(『日興遺誡置文』)であられたが、大聖人は「聖僧の恩をば凡僧に報ずべし」と仰せになっている。
 「少欲知足」の内容は、その時代の社会的価値観によって変化し得るもので、最終的には「時の貫主」が決定される。([化儀改変と法主の権能]参照)

大聖人も日興上人も妻帯・肉食・飲酒を禁止されていない

【「僧俗平等」説く学会の矛盾】参照

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<飲酒>
―信徒が大聖人のもとへ酒を供養している―
●殊に御祝として餅・酒・鳥目一貫文・送り給び候い畢んぬ是また御本尊・十羅刹に申し上げて候(『月満御前御書』全集1110頁)
●今月二十二日・信濃より贈られ候いし物の日記・銭三貫文・白米能米俵一・餅五十枚・酒大筒一・小筒一・串柿五把・柘榴十(『四条金吾殿御返事』全集1185頁)
●十字六十枚・清酒一筒・薯蕷五十本・柑子二十・串柿一連・送り給び候い畢んぬ、法華経の御宝前にかざり進らせ候(『上野殿御返事』全集1562頁)
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「殊に御祝として餅・酒・鳥目一貫文・送り給び候い畢んぬ是また御本尊・十羅刹に申し上げて候」「法華経の御宝前にかざり進らせ候」となっており、飲酒したとは記されてません。
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 お酒を信徒が御供養されたのは事実で、このような例は複数存在します。もし、大聖人をはじめとする御僧侶方が仏法上の理由で飲酒されないのでしたら、信徒にも周知されていたはずで、決して御供養されなかったでしょう。植物であってもニラなどのように臭(にお)いの強い物はお供えしませんが「法華経の御宝前にかざり進らせ候」とあるように、お酒を御本尊にお供えしたのは、仏様に召し上がっていただくためでしょう。
 餅は食べるため、鳥目一貫文は生活費その他必要な物品を購入するためであることは当然です。同様に、お酒は、"飲む"ために御供養されたと考えるのが道理ではないでしょうか。大聖人が飲酒されていなかったという明確な文証があれば別ですが。


<妻帯>
―弟子の中にも妻帯者がいた―

●駿河国実相寺豊前公御房御返事(『実相寺御書』全集1454頁)
●「豊前公」は興師弟子分帳の「岩本寺住の筑前房は(豊前公同宿也)日興の弟子なり」(日蓮宗宗学全書第2巻興尊全集79頁)「高橋筑前房の女子豊前房の妻は日興が弟子なり」(同上81頁)の2文の外にはいずれにも岩本寺の豊前公の名は見当たらぬが、妻帯の僧であって(第59世日亨上人著『冨士日興上人詳伝(上)』114頁)
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大聖人の弟子の中にも妻帯者がいたのです。信心は「現当二世」ですから、妻帯していても、信心深く行躰堅固であれば、貫首となる資格は充分あるはず。

●[邪淫]=夫または妻でない者に対して、よこしまな行為をすること(中村元著『仏教語大辞典』/『大白法』H15.1.16)

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日興上人、日目上人等、大聖人の法を直々に受け継いだ上人は妻帯されていない。現代も「法水写瓶」と750年ご法主上人まで血脈が続いているというのであれば、大聖人のご生涯通りに生活・修行されるのが「ご法主上人」の振る舞いではないでしょうか。
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 妻帯が成仏にとって妨げとなるのであれば、妻帯すべきではありません。その場合は、我々信徒も妻帯をすべきではないでしょう。僧侶と信徒で成仏の条件に違いはないはずですからね。
 大聖人が世間の人々から「犯僧」(『四恩抄』)呼ばわりされたように、鎌倉時代は一般的に、僧侶が妻帯や肉食することを"ふさわしくない"行為とみられていたのでしょう。僧侶として信徒を指導する立場にある以上、その時代や社会が求めている聖職者像を尊重することは、大切なことだと思います。
 大聖人の振る舞いを手本とすることは当然ですが、その時代その社会の価値観との関係で行われたものか、下種仏法上の不変的化儀に基づくものなのか、その点を区別する必要があるのではないでしょうか。


<第52世日霑上人の解釈>
●開山上人の御遺戒に、先師の如く予が化儀は聖僧たるべし、但し時の貫主、習学の仁に於て縦ひ一旦の妖犯ありといへども、衆徒に差置くべき事と、あるも同じ意にして文意を云はヾ、予が聖僧の化儀を破り、淫事を犯せし者なりとも、若し習學勉強にして、大法傳弘の志し深き者に於て、時の貫主日興になりかはりて彼が一旦の犯罪を許し、大衆の中に加へ置くべしとの御意にして是れ亦た決して、故なく犯戒の者を許したまふ事では御ざらぬぢや。(中略)是に背き天朝の御許しを、悦んで肉食妻帯の身を甘んずる一宗の僧侶は他門にもせよ自門にもせよ、皆是れ釋尊の化儀を破り、自ら廃佛を招くの輩ではござるまいか、爾ら自門中の僧侶たらん者は、先ず學問もせねばならぬが、夫れよりも信心と身の行ひが肝要でござる、なんば博學秀才にして内外典籍を胸に浮べたる僧たりとも、其信心なく、行ひ亂暴たらば還て在家の信を破り、自ら廃佛を招くの基となるべし。(第52世日霑上人『明治21年布教会報1号』/<風塵舎>WS)
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日霑上人の時代は、僧侶の妻帯は堕落とされていた時代に生きた方であり、仏教僧の妻帯が世間的に受け入れられてきた明治以降、大正から昭和に至る時代とは世相が違い、日応上人が結婚され、日亨上人も結婚されるに至っては既に認知されたものと拝するべきである。(<風塵舎>WS090121)
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日霑上人は妻帯を「媱犯」と解釈されている。その真意は「天朝の御許し」を機に僧侶の生活が乱れ「在家の信を破り、自ら廃佛を招くの基となる」ことを恐れたのではないか。僧侶の肉食妻帯が一般化していない当時としては、在家信徒が僧侶の肉食妻帯に違和感を覚え、僧侶への尊信の念を失う可能性があったといえよう。


<第59世日亨上人の解釈>
●一、先師の如く予が化儀も聖僧為る可し、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設い一旦の媱犯有りと雖も衆徒に差置く可き事。(『日興遺誡置文』全集1619頁)
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 この条の見とおしは、凡僧の自分にはつきかぬる。なるべくは、一時的の現今の僧分の弊風とみて、その内自然に振粛して、宗祖開山時代の常態に帰るべきを祈るものである。大聖人は戒の相用を排斥せられたが、全然解放せられた無戒主義でない。五・八・十具の小乗戒を捨て、また十重四十八軽の大乗梵網戒を捨てられたが、無作の本円戒は残されてあり、そのための本門戒壇であり、その戒相の内容は明示せられてないが、小乗・大乗・迹門の戒相によらぬのみであり、それを無作と名づけてみても、けっして放縦不覊(ほうじゅうふき)なものでない。
 開山上人がこの法度に「先師の如く聖僧たるべし」と定められ、先師大聖人が無戒であるが、放埓(ほうらつ)破戒でないことを、証明せられており、日順・日尊にもまた放埓を誡めた文もあるが、この淑行聖僧というのは、現今の在家同然の僧行を認めたものでない。ややもすれば、多少の反省心より汚行を恥づる有羞僧を見て、かえって身心相応せぬ虚偽漢と罵り、全分の生活まったく在家同然で、心意またこれに相応し、たんに袈裟衣を着てるだけの違いを、かえって偽らざる正直の僧侶と自負する者があるやに聞く。このていの放埓ぶりを標準とせば、この条目はいまは死んでおる。自分はいまの状態は一時の変体と見ておる。次に「時の貫首或は習学の仁」等の文は、難解である。「貫首」の二字は、明らかであるも「習学の仁」は、一応はとくに学窓に入っておる人で、そのために天台等の談所に遊学しておる人と見るべきで、それが悪縁に引かれて、女犯しても、還俗破門せしめずして衆徒のままとし、学僧としての当然の昇進を止め、また貫主の高位を貶(おと)して下位に沈まするということと解釈する外はない。こういうひじょうの事態が、かならず起こるべきとしてその用意に作られた法度では恐らくあるまい。
 これをまた、その現在の史実に照らしてみるに、重須の後董は日代上人でこの間題にはいる仁でなく、また同山に習学の若徒は見当たらぬ。大石の後董は、日目上人で74歳であり、信行具足の聖僧でその憂いは全然ない。目師の後を受くべき日道上人も、若徒でなく習学の仁でもない。大学日乗の実児であり、ともに出家した民部日盛は、長く鎌倉遊学で興目両師の器許するところで、あるいはこの仁が目師の跡を継ぐべきであるに、親父の流れを悪しく汲んで女犯の疑いがあったのかも知れぬ。そうでなければ、開山上人の立法があまりにも将来の夢に過ぎぬことになる。(第59世日亨上人著『富士日興上人詳伝(下)』272頁)

 大聖人一代の御化導においては、対告衆の機根に応じた説法、真実の法門への準備段階としての説法、ある限定的条件からの説法など、様々である。同じように、大聖人御入滅後においても、時機に応じた法門の解釈や化儀の改変は、当然あり得ることである。
 これに対して、大御本尊と唯授一人の血脈への尊信は絶対不変であり、時の御法主上人の法門解釈と化儀に随うことは、同時代に生きる弟子旦那の成仏のためには、最も正しい修行である。
 だから、唯授一人の血脈を否定する池田学会が、日霑上人の御指南を振りかざして、現代の御僧侶の肉食妻帯を批判することは、意味のないことである。


<末法無戒>
●貴女は治部殿と申す孫を僧にてもち給へり、此僧は無戒なり無智なり二百五十戒一戒も持つことなし三千の威儀一も持たず、智慧は牛馬にるい(類)し威儀は猿猴ににて候へども、あを(仰)ぐところは釈迦仏・信ずる法は法華経なり、例せば蛇の珠(たま)をにぎり竜の舎利を戴くがごとし、藤は松にかかりて千尋をよぢ鶴は羽を恃みて万里をかける、此は自身の力にはあらず。治部房も又かくのごとし、我が身は藤のごとくなれども法華経の松にかかりて妙覚の山にものぼりなん、一乗の羽をたのみて寂光の空にもかけりぬべし、此の羽をもつて父母・祖父・祖母・乃至七代の末までも・とぶらうべき僧なり、あわれ・いみじき御たから(宝)は・もたせ給いてをはします女人かな、彼の竜女は珠をささげて・仏となり給ふ、此女人は孫を法華経の行者となして・みちびかれさせ給うべし(『盂蘭盆御書』全集1430頁)
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「無戒」「無智」であっても「法華経」を「信ずる」「僧」は「いみじき御たから(宝)」だと仰せである。御手紙を頂いた女性は在家信徒であるが、その人から見れば一般僧侶は「法華経の行者」であり「宝」(僧宝)なのである

●「若し五戒(※不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)を受持せん者有らば名けて大乗の人と為す事を得ず、五戒を受けざれども正法を護るを為て乃ち大乗と名く、正法を護る者は当に刀剣器仗を執持すべし刀杖を持すと雖も我是等を説きて名けて持戒と曰わん」と。(『立正安国論』全集28頁)
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日蓮大聖人の仏法においては受持即持戒であり、御本尊を受持することが唯一の持戒となります。ただし、謗法厳戒です。

無智無戒なる沙門を失ありと云って・是を悩すは此の人仏法の大燈明を滅せんと思え(『四恩抄』全集938頁)

●末法今時は悪心のみにして善心無し・師弟共に三毒強盛の凡夫の師弟相対して・又余念無く妙法蓮華経を受持する処を即身成仏とも名字下種とも云はるゝなり(第9世日有上人『有師談書聞書』/『富士宗学要集』第2巻147頁)
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人格等は良きに越した事はありませんが、欠点の無い僧侶もまたおりませんから、人格面のみに目を向ければ問題も起こりましょう。しかし、下記『出家功徳御書』にあるように、僧侶は、出家をして袈裟・衣を着するその法の上の境界が貴いのです。(『信心の原点』改訂版・取意)

●其の身は無智無行にもあれかみをそり袈裟をかくる形には天魔も恐をなすと見えたり、大集経に云く「頭を剃り袈裟を著くれば持戒及び毀戒も天人供養す可し則ち仏を供養するに為りぬ」云云、又一経の文に有人海辺をとをる一人の餓鬼あつて喜び踊れり、其の謂れを尋ぬれば我が七世の孫今日出家になれり其の功徳にひかれて出離生死せん事喜ばしきなりと答へたり、されば出家と成る事は我が身助かるのみならず親をも助け上無量の父母まで助かる功徳あり、されば人身をうくること難く人身をうけても出家と成ること尤も難し(『出家功徳御書』全集1251頁)

●頭を剃り袈裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養すべし、即ち我を供養するに為りぬ、是れ我が子なり若し彼を撾打する事有れば則ち我が子を打つに為りぬ、若し、彼を罵辱(めにく)せば則ち我を毀辱(きにく)するに為りぬ(『立正安国論』全集30頁/『戸田城聖全集』第3巻446頁)

肉食妻帯≠ニは爾前経の戒に関する問題である。そもそも下種仏法における僧俗の行体については、一切の防非止悪、戒体の根源たる本門の金剛宝器戒において、その是非が論ぜられなければならない。すなわち末法の日蓮大聖人の仏法においては、釈尊仏教の戒律は用いないからである。したがって、肉食妻帯≠理由に、汝らが法主とまったく対等な立場にいる≠ネどということが、いかに莫迦げている戯論であるかを知るべきである。本宗において、御法主上人を合掌礼をもって拝し奉る所以は、法界の一切衆生を当位において即身成仏せしめる御本仏大聖人より唯授一人金口嫡々血脈相承の法体を御所持遊ばされているからなのである。(『大白法』H17.11.16)


<大聖人・日興上人の化儀>
大聖人・日興上人の化儀は「聖僧」であられたが、そのことを弟子に勧められてはいない

●世末になりて候へば妻子を帯して候・比丘も人の帰依をうけ魚鳥を服する僧もさてこそ候か、日蓮はさせる妻子をも帯せず魚鳥をも服せず(『四恩抄』全集936頁)

先師の如く予が化儀も聖僧為る可し、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設い一旦の媱犯有りと雖も衆徒に差置く可き事。(『日興遺誡置文』全集1619頁)


<随方毘尼>
化儀には絶対不変の部分と、時代や社会の価値観によって変化し得る部分がある。

●委細に経論を勘へ見るに仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり(『月水御書』全集1202頁)

●世末になりて候へば妻子を帯して候・比丘も人の帰依をうけ魚鳥を服する僧もさてこそ候か、日蓮はさせる妻子をも帯せず魚鳥をも服せず只法華経を弘めんとする失によりて妻子を帯せずして犯僧の名四海に満ち螻蟻をも殺さざれども悪名一天に弥れり(『四恩抄』全集936頁)
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 この御文は妻帯や肉食を批判されたものではありません。世間から「犯僧」呼ばわりされているのは事実ではなく「只法華経を弘めんとする失」すなわち法難であることを示されたものです。
 大聖人が世間の人々から「犯僧」呼ばわりされたように、鎌倉時代は一般的に、僧侶が妻帯や肉食することを"ふさわしくない"行為とみられていたのでしょう。


<貫首の地位>
「少欲知足」(『法華初心成仏抄』)の内容は、その時代の社会的価値観によって変化し得るもので、最終的には「時の貫主」が決定される。

●釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり、背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり。(『池上相承書』全集1600頁)

●直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以て惣貫首と為して日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫首と仰ぐ可き者なり。(『百六箇抄』全集869頁)
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日亨上人は「後加と見ゆる分の中に義において支語なき所には一線を引き」(『富士宗学要集』第1巻25頁)とあるごとく、史伝書その他多くの文献にあたられ、さらに血脈相伝の上から内容に於いて正しいと判断されたから御書にも掲載されたのである。「尽未来際に至るまで」の御文に注目すべし。

●衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事。(『日興遺誡置文』1618頁)