創価学会破折
血脈について



血脈相伝の体

「相伝の内容はすべて公開」?/『慧妙』H17.2.16ほか

総別の二義

生死一大事血脈抄

日興遺誡置文

大石記/『問答ダイジェスト』Vol.2

『御本尊七箇相承』に対する学会員の愚難を破す/『慧妙』H18.3.1

「伝法の書」について

「前法主はもぬけの殻」?/『慧妙』H18.10.16

血脈の尊崇/『大白法』H15.8.16

血脈の大事/『大日蓮』

大動脈と毛細血管/『慧妙』H15.9.1

日因上人著『袈裟数珠の事』について/<法蔵>H18.5.3
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内証一体
内証相伝

内証と外用/<法蔵>H19.5.13

「法主本仏論」「法主絶対論」破折/『慧妙』H14.8.1ほか

内証と外用とを混同した言いがかり/『慧妙』H23.12.1

曲解と捏造による「法主信仰」の言い掛り/『大白法』H18.2.1

御法主上人即日蓮大聖人/『大白法』S38.1.1



血脈相伝の体


日蓮正宗で教えられている血脈相伝とは、

1 戒壇の大御本尊の「法体」の血脈相伝
2 金口嫡々(こんくちゃくちゃく)・唯授一人の「法水」の血脈相伝
3 極理(ごくり)師伝の「法門」の血脈相伝
4 生死一大事の「信心」の血脈相伝

(『大白法』H10.12.1)

※2を「法門の血脈」、3と4を「信心の血脈」ともいいます。(<血脈の大事>参照)

このうち唯授一人の血脈相承とは、1と2です。上行菩薩への別付嘱には「法体」の血脈相伝と「金口嫡々法水」の血脈相伝があり、いずれも、唯授一人の血脈です。

●法体とは則ち吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是れなり(中略)此の法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり(第56世日応上人著『弁惑観心抄』211頁~/『創価学会のいうことはこんなに間違っている』102頁)
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「法体相承」とは上記1、「金口嫡々相承」とは上記2のこと。

●唯授一人嫡々血脈相承にも別付・総付の二箇あり其の別付とは則ち法体相承にして総付とは法門相承なり、而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正嫡血脈付法の大導師と云ふべし。又法門総付は宗祖開山の弟子檀那たりし者一人として之を受けざるはなし蓋(けだ)し法門総付のみを受けたる者は遂には所信の法体に迷惑して己義を捏造し宗祖開山の正義に違背す(第56世日応上人著『弁惑観心抄』211頁/『創価学会のいうことはこんなに間違っている』99頁)
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総じて言えば、法門の血脈相伝は日蓮大聖人の御書を拝する者すべてが受け継ぐことができます。

●「初め此仏菩薩に従つて結縁し還つて此仏菩薩に於いて成熟す、此に由つて須らく下方を召すべきなり」と云ふ文句の文なり、(中略)此仏と云ふも此の菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり(第59世日亨上人著『有師化儀抄註解』/『富士宗学要集』第1巻117頁)
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「是即血脈の直系なり」とあるように、血脈に直系傍系があります。直系とは別しての唯授一人の血脈であり、傍系とは総じての信心の血脈です。



【血脈相伝の体=妙法蓮華経=大御本尊(本門の本尊)=本仏の当体(内証)=事の一念三千】
<五字七字>
●二仏並座・分身の諸仏集まつて是好良薬の妙法蓮華経を説き顕し釈尊十種の神力を現じて四句に結び上行菩薩に付属し給う其の付属とは妙法の首題なり惣別の付属塔中塔外之を思う可し(『御義口伝』全集783頁)
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大聖人が上行菩薩として結要付嘱を受け、所持あそばされるところの妙法は、法華経の題号としての妙法五字でもなく、また脱益の寿量品でもなく、久遠の本法たる妙法五字であります。(第68世日如上人『大日蓮』H18.6)


<本尊=南無妙法蓮華経>
●塔中相承の本尊なり(『御講聞書』全集832頁)
●又結要の五字とも申すなり云云、上行菩薩取次の秘法は所謂南無妙法蓮華経なり云云。(『御義口伝』全集840頁)
●法体とは南無妙法蓮華経なり(『御義口伝』全集709頁)
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上行菩薩へ付嘱されたのは「本尊」=「南無妙法蓮華経」である。

本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか(『顕仏未来記』全集507頁)
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妙法蓮華経とは即ち本門の本尊なり(第26世日寛上人『立正安国論愚記』/『富士宗学要集』第4巻300頁)
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『本尊問答抄』に「法華経の題目を以て本尊とすべし」と仰せになっていることからも分かるように、御本尊のことを単に「妙法蓮華経」とか「南無妙法蓮華経」とか、ある場合には「題目」とか仰せになっているのです。そして、この御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることを「本門の題目」というのです。


<本尊=事の一念三千>
●時に我も及も衆僧も倶に霊鷲山に出ずるなり秘す可し秘す可し、本門事の一念三千の明文なり御本尊は此の文を顕し出だし給うなり、されば倶とは不変真如の理なり出とは随縁真如の智なり倶とは一念なり出とは三千なり云云。(『御義口伝』全集757頁)
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大聖人弘通の法体=「本門事の一念三千」=「御本尊」


<本尊=一大秘法>
●教主釈尊の一大事の秘法とは結要付属の正体、蓮祖出世の本懐、三大秘法の随一本門の本尊の御事なり。是れ則ち釈尊塵点劫より来(このかた)心中深秘の大法なり、故に一大事の秘法と云うなり(第26世日寛上人著『文底秘沈抄』)
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「結要付属の正体」=「一大事の秘法」=「三大秘法の随一」=「蓮祖出世の本懐」=「本門の本尊」


<内証相伝><内証相伝>参照)
●所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う(『観心本尊抄』全集250頁)
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仏の「内証(内心の悟り)」=「妙法蓮華経の五字」

本尊とは法華経の行者の一身の当体なり(『御義口伝』全集760頁)

日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし(『経王殿御返事』全集1124頁)
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この「南無妙法蓮華経」とは、三大秘法の中の「題目」ではない。「日蓮がたましひ」と仰せのように御本仏の内証である。この御本尊(南無妙法蓮華経)を信じて唱題することを本門の題目(三大秘法の1つ)という。

●法体とは南無妙法蓮華経なり(中略)法体とはと云う事なり(『御義口伝』全集709頁)

●寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり(『三大秘法禀承事』全集1022頁)
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「無作三身の教主釈尊」とは日蓮大聖人のこと。「本尊」=日蓮大聖人

●日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり(大聖人・日興上人『御本尊七箇相承』/『富士宗学要集』第1巻32頁)
●明星直見の本尊の事如何、師の曰はく末代の凡夫・幼稚の為めに何物を以つて本尊とす可きと・虚空蔵に御祈請ありし時古僧示して言はく汝等が身を以つて本尊と為す可し(中略)釈迦古僧に値ひ奉つて塔中に直授せるなり貴し貴しと讃め被れたり、(中略)仍つて本尊書写の事・一向日興之を書写し奉る可き事勿論なるのみ。(大聖人・日興上人『御本尊七箇相承』/『富士宗学要集』第1巻32頁)
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後加文ではありません。御本尊書写の権能が唯授一人血脈相承の方に限るとされています。唯授一人の相承は大御本尊だけではなく、大聖人の御内証の伝授とともに、本尊書写の権能も含まれるのです。しかもそれは「塔中に直授せるなり」とあるように、上行菩薩への別付嘱に由来するのです。

日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ(『経王殿御返事』全集1124)
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御本尊とは大聖人の魂=内証を書写したものです。この御文からも、本尊付嘱である結要付属は、同時に仏の内証付嘱でもあることが分かります。釈尊の内証を上行菩薩が相伝したからこそ、上行菩薩(大聖人)は仏の当体たる御本尊を認められるのです。



【口決相承】
日蓮相承の法門血脈慥に之を註し奉る(『立正観抄送状』全集535頁)
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「相承の法門」とあるから、文字や言葉として表される内容の相伝です。

●此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。(『三大秘法禀承事』全集1023頁)
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結要付属は「口決相承」でもあるのです。

●懐胎のよし承り候い畢んぬ、それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰み出して候(中略)口伝相承の事は此の弁公にくはしく申しふくめて候・則如来の使なるべし返す返すも信心候べし。(『四条金吾女房御書』全集1109頁)

●然るに此の妙法蓮華経の具徳をば仏の智慧にてもはかりがたく何に況や菩薩の智力に及ぶ可けんや、之に依つて大聖塔中偈の相伝に云く、(『御講聞書』全集814頁)
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「偈の相伝に云く」とあるように、上行菩薩への結要付属に口伝があることは明らか。御本尊だけが相伝されたのではないのです。

●法華本門宗血脈相承事(『本因妙抄』全集870頁)
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後加文ではありません。血脈相承に口決のあることは明らか。

●此れ等の深意は迹化の衆・普賢・文殊・観音・薬王等の大菩薩にも付属せざる所の大事なれば知らざる所の秘法なり況や凡師に於てをや。(『本因妙抄』全集876頁)
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後加文ではありません。「此れ等の深意」とは、『本因妙抄』の内容であり、これが「薬王等の大菩薩にも付属せざる所の大事」「秘法」であると仰せです。つまり、『本因妙抄』自体が、上行菩薩へ別付嘱された秘伝の一部なのです。別付嘱に口決相承のあったことは明らかです。

●血脈並(ならび)に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり(『本因妙抄』全集877頁)

●日興謹んで之を記し奉る。聖人の言く此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり(『産湯相承書』全集880頁)
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後加文ではありません。「嫡々」とあるから、相承が日興上人一代に留まるものでないことは明らか。

●能く能く伝流口決す可き者なり。(『百六箇抄』862頁)
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後加文ではありません。大聖人は『百六箇抄』を「伝流口決す可き」と仰せです。大聖人がすべての法門を公開する御意志でなかったことは明らかです。

★以上のように、釈尊から上行菩薩への別附属の体には御本尊(およびその内証)と口伝相承(一部は文書化)があるのであり、この唯我一人の相承全体を「唯授一人の血脈相承」というのです。



【上行菩薩への別付属=歴代上人への相承】
●日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり(大聖人・日興上人『御本尊七箇相承』/『富士宗学要集』第1巻32頁)
●明星直見の本尊の事如何、師の曰はく末代の凡夫・幼稚の為めに何物を以つて本尊とす可きと・虚空蔵に御祈請ありし時古僧示して言はく汝等が身を以つて本尊と為す可し(中略)釈迦古僧に値ひ奉つて塔中に直授せるなり貴し貴しと讃め被れたり、(中略)仍つて本尊書写の事・一向日興之を書写し奉る可き事勿論なるのみ。(大聖人・日興上人『御本尊七箇相承』/『富士宗学要集』第1巻32頁)
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後加文ではありません。「塔中に直授せる」「本尊」は「一向日興之を書写し奉る可き」と仰せです。すなわち、釈尊より上行菩薩への付嘱の体たる御本尊は、大聖人滅後においては日興上人御一人が受持されているのです。さらに「代々の聖人悉く日蓮なり」とあるように、御本尊とその内証および書写の権能は、歴代上人に伝持されているのです。

●二仏並座・分身の諸仏集まつて是好良薬の妙法蓮華経を説き顕し釈尊十種の神力を現じて四句に結び上行菩薩に付属し給う(中略)秘す可し秘す可し唯受一人の相承なり、口外すべからず(『御義口伝』全集783頁)
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「唯受一人の相承なり」と仰せです。つまり、結要付属は、別して上行菩薩への唯我一人の付嘱です。「口外すべからず」とは日興上人への御指南であるから、上行菩薩への別付嘱は、末法においては唯授一人の血脈相承として歴代上人に伝持されていることが分かります。↓

●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
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「塔中及び蓮・興・目」とあるように、塔中における上行菩薩への別付嘱が、末法においては唯授一人血脈相承として歴代上人に伝わっているのです。

 法体とは、末法の御本仏日蓮大聖人の御内証たる本門戒壇の大御本尊の御事であり、日興上人が大聖人から本門戒壇の大御本尊を身に宛(あ)てて賜り、一器の水を一器に瀉(うつ)すがごとくに、その御内証を一身に受け継がれたことを「法体相承といいます。
 また大御本尊の法体とともに、下種仏法の法義は日興上人へ余すところなく相伝されました。大聖人の宗旨の深義が、口伝や筆授によってとどこおりなく日興上人に伝承されたことを「法門相承と言います。
 さらに、この法体・法門の両相承は日興上人より第3祖日目上人、日目上人から第4世日道上人と順次に承継され、御当代御法主上人に至っています。この唯授一人の血脈相承こそ本宗宗旨の根幹なのです。(『大白法』H15.8.16)

★地涌の菩薩への結要付属に総別がある。別付嘱とは上行菩薩1人への付嘱であり、これが末法においては唯授一人の血脈相承です。



【唯授一人の秘伝】
●日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す(『身延相承書』全集1600頁)
●釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す(『池上相承書』全集1600頁)
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 大聖人の説かれた法門のみならず、釈尊の説法のすべてを日興上人に付嘱されました。では何故、「日蓮一期の弘法」「釈尊五十年の説法」と仰せになったのか。それは「無量義は一より無量を生ずれども無量未だ一に還らず是亦信じ易し、今の法華は法を論ずれば一切の差別融通して一法に帰す」(『一代五時継図』全集689頁)とあるように、「日蓮一期の弘法」および「釈尊五十年の説法」は究極の一法である妙法の五字七字に収まるからです。
 しかし、実際には相伝の中には御書も含まれます。御書がなければ、我々は仏法の正邪を理解することなどできないからです(これが冒頭3の法門の血脈相伝)。
 御書であっても、全てが公開されていた訳ではありません。それは『御義口伝』の中に「秘すべし」という御指南が何度もあることからも分かります。少なくとも、大聖人御入滅当時、これらの相伝書、準相伝書の類は公開されていなかったのです。それでも、大聖人や日興上人の御指南に従って信心しておれば、成仏に全く支障がなかったのです。だからこそ、秘されたのです。

★御本尊と御書だけが相伝の全てではありません。『身延相承書』に「血脈の次第 日蓮日興」(全集1600頁)とあるように、日興上人のみに伝えられた血脈相伝があるのです。これが唯授一人の血脈です。日興上人のみに伝えられたからこそ、「(日興上人に)背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり」(『池上相承書』全集1600頁)と戒められたのです。

●日興謹んで之を記し奉る。聖人の言く此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり(『産湯相承書』全集880頁)
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後加文ではありません。「嫡々」とあるから、相承が日興上人一代に留まるものでないことは明らか。

●秘す可し秘す可し唯受一人の相承なり、口外す可からず然らば此の去の字は不去而去の去と相伝するを以て至極と為すなり云云。(『御義口伝』全集783頁)

●然りと雖も天台伝教の御弘通は偏に理の上の法相・迹化付属・像法の理位・観行五品の教主なれば迹を表と為して衆を救い、本を隠して裏に用る者なり甚深甚深秘す可し秘す可し。(『本因妙抄』全集870頁)
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後加文ではありません。「甚深甚深秘す可し秘す可し」とあるように、大聖人はすべての法門を公開された訳ではなく、甚深の法門を唯授一人の血脈相承によって、日興上人に相承されたのです。後にこの『本因妙抄』は公開されたが、未だに公開されていない相伝があることは妙蓮寺第5代日眼の『五人所破抄見聞』や、歴代上人の御指南から明らかです。

●日蓮聖人の御付嘱弘安五年九月十二日同十月十三日の御入滅の時の御判形(二箇の相承を指すなり)分明なり、(中略)無常の相を娑婆に訓(おし)え一瓶の法水を日興に御付嘱あり、日興も寂を示し玉ひ次第に譲り玉ひて当時末代の法王(ママ=法主)の処に帰り集まる処の法華経なれば法頭にて在すなり、秘す可し口外す可からず(蓮山日眼『五人所破抄見聞』康暦2年6月/『富士日興上人詳伝(下)』聖教文庫63頁)
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清涼剤として後世を輝かせる名編の文(第59世日亨上人著『富士日興上人詳伝(下)』聖教文庫63頁)
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康暦2年は第6世日時上人の時代であり、日興上人滅後47年の述作である。

●問う一心三観に勝れたる法とは何なる法ぞや、答う此の事誠に一大事の法門なり唯仏与仏の境界なるが故に我等が言説に出す可からざるが故に是を申す可らざるなり、是を以て経文には「我が法は妙にして思い難し言を以て宣ぶ可からず」云云妙覚果満の仏すら尚不可説・不思議の法と説き給う何に況や等覚の菩薩已下乃至凡夫をや、問う名字を聞かずんば何を以て勝法有りと知ることを得んや、答う天台己証の法とは是なり、当世の学者は血脈相承を習い失う故に之を知らざるなり故に相構え相構えて秘す可く秘す可き法門なり(『立正観抄』全集530頁)

●本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず、何に況んや菩薩・凡夫をや(『立正観抄』御書770、全集531頁)
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本地の妙法蓮華経は迹仏等の思慮に及ばない。まして凡人の思慮に及ぶことはない。唯我与我と説かれるように、御本仏の智慧を継承あそばされる御法主上人のみが、よく境智の妙法を思慮あそばされるのである。(『大白法』H18.3.16)

●親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ(『報恩抄送文』全集330頁)

●之を秘蔵して他人には見せざれ。若し秘蔵せずして妄りに之を披露せば、仏法に証理無くして二世に冥加無からん。謗ずる人出来せば三世の諸仏に背くが故に、二人乍ら倶に悪道に堕ちんと識るが故に之を誡むるなり(『三世諸仏総勘文教相廃立』全集574頁)
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本抄は今日では御書に収録されておりますが、本来は秘密相伝の文書で、だれにでもやたらと見せるべきものではないのです。なぜかと言うと、非常に難信難解であるからであります。つまり、このような御書を見せても凡夫の短慮では解らないから、かえって仏法を誹謗する人が出てくるのです。 近来でも明治のころ、要法寺の驥尾(きび)日守という人は、この御書を権実相対のみの極めて値打ちのない御書と誹謗しております。つまり読みこなす力がないために、摧尊入卑するに至るのです。また、誹謗する人のみならず、させた人も共に証理を悟ることができなくなるとは、印刷の普及していない時代、特に大聖人様の大仏法の化導の始めの時代には、極めて必要な配慮でありました、。故に、2人共に現当二世、つまり現在と未来にわたって本当の冥加が得られなくなると仰せであります。(第67世日顕上人『大日蓮』H15.11)
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「非常に難信難解であるから」「見せても凡夫の短慮では解らないから」「かえって仏法を誹謗する」教学の振興などによって信徒全体の教学のレベルが上がるにつれて「秘密相伝の文書」も少しずつ公開されたのであろう。しかし、唯授一人の金口相承だけは未だに公開されていないのである。これも同様の理由によるのであろうか。

●当家甚深の相承の事。全く余仁(よにん)に一言半句も申し聞かす事之れ無し、唯貫首一人の外は知る能わざるなり(第17世日精上人著『当家甚深之相承之事』/『創価学会のいうことはこんなに間違っている』106頁)

●(日寛上人から第28世日詳上人への御相承について)晨朝(しんちょう)密かに学頭詳公(※日詳上人)を招き、金口嫡嫡の大事を伝付し没後の事を遺杔す(第48世日量上人著『続家中抄』/『富士宗学要集』第5巻278頁)

●仮令(たとい)、広布の時といへども別付血脈相承なるものは他に披見せしむるものに非ず(第56世日応上人著『弁惑観心抄』212頁/『創価学会のいうことはこんなに間違っている』212頁)



【歴代への相承】
●日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す、(中略)血脈の次第 日蓮日興(『身延相承書』全集1600頁)

●日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊は日目に之を相伝す(『日興跡条々事』/『新版仏教哲学大辞典』聖教新聞社1360頁)
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元弘2年(1332年)11月10日、日興上人が87歳の時(『新版仏教哲学大辞典』初版第2刷1360頁)

●依て座替と号す日興より日目嫡々相承手続支証の大曼荼羅なり(日興上人筆座替大本尊/『富士宗学要集』第5巻336頁)
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「日興より日目嫡々相承」とあるように、この座替御本尊こそが、血脈相承の証拠です。正応3(1290)年、日目上人31歳のことです。上記『日興跡条々事』で大御本尊を相伝されたのが元弘2(1332)年ですから、それよりも40年以上前のことです。このことからも、唯授一人の血脈相承が、大御本尊の相伝に限らないことが分かります。
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 大石寺開創の翌13日に、日興上人が御書写された大幅の御本尊が日目上人に授与されました。
 この御本尊は、通常の御本尊と御署名の位置が入れ替わり、日興上人の御署名・花押が右側に移り、左側には日目上人への授与書きが認められています。つまり御当代の御法主上人猊下が御署名・花押されるところに日目上人の御名が認められているわけです。このとき既に、日興上人が日目上人へ内々に付嘱されたことを示すもので、その証として授与された御本尊と拝せます。ゆえに御座替御本尊、または譲座御本尊と称されています。
 現在も、総本山客殿に御安置されています。(『大白法』H18.6.16)

●之に依って御存日の最中に身延再興の久遠寺たる大石寺(おおいしでら)を目上に御相続なり(中略)血脈相承は目上への御付嘱なり、然るに開山重須に御住の時は日々大石より御出仕と云云。(日我『申状見聞』/『富士日興上人詳伝(下)』84頁)
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開山の晩年でなく初期であり、重須談所も成立せぬ、開山自ら徒衆を指導せられた、すなわち、大石の久成坊日尊が勘気を受けたころのこと(第59世日亨上人『富士日興上人詳伝(下)』86頁)

●正慶元年十一月三日、最初上奏の仁、新田阿日目に之を授与す一が中の一弟子なり、(道師加筆)日道之を相伝す。(日興上人御筆曼荼羅の授与書/『富士日興上人詳伝上』166頁)
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「(道師加筆)日道之を相伝す」について第59世日亨上人は「道師が目師の跡を受けられて、この御本尊に加筆せられた」(日興上人御筆曼荼羅の授与書/『富士日興上人詳伝上』166頁)と仰せです。

●別して之を論ぜば十二箇条の法門あり甚深の血脈なり其の器に非ずんば伝へず、此の如き当家大事の法門既に日道に付嘱す(第17世日精上人著『家中見聞中』/『富士宗学要集』第5巻216頁)

●仏法を相続して当代の法主の処に本尊の体有る可きなり(第26世日寛上人著『抜書雑々集』=左京日教師の文を引用/研教9-740頁)
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左京日教は横入帰伏の学僧にして著実の常灯ならざるも、其遺書は参考以上に上下に読まれたるものらしく、落莫たる学界を益したるや明なりと云ふべし。(第59世日亨上人著『富士宗学要集』第8巻255頁)

祖師より興師へ御付嘱亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付嘱も亦是れなり。(中略)目師より代々今に於て、二十四代金口の相承と申して一器の水を一器にうつすが如く云々(第26世日寛上人著『寿量品談義』/『富士宗学要集』第10巻131頁)

1●而して後、法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し(第26世日寛上人著『文底秘沈抄』/『富士宗学要集』第3巻94頁)
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法水瀉瓶は内証伝持であり、金口相承なのです。大御本尊の伝持のみであれば「清浄」「断絶」などの表現はありえないでしょう。

●大聖人様が「血脈の次第 日蓮日興」と仰せ遊ばされてございますが、今日その血脈を承継致しましてただ感激に打たれる所でございます(第65世日淳上人『日淳上人全集』184頁)



【極理師伝の「法門」の血脈相伝】
●唯授一人嫡々血脈相承にも別付・総付の二箇あり其の別付とは則ち法体相承にして総付とは法門相承なり、而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正嫡血脈付法の大導師と云ふべし。又法門総付は宗祖開山の弟子檀那たりし者一人として之を受けざるはなし蓋(けだ)し法門総付のみを受けたる者は遂には所信の法体に迷惑して己義を捏造し宗祖開山の正義に違背す(第56世日応上人著『弁惑観心抄』211頁/『創価学会のいうことはこんなに間違っている』99頁)
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総じて言えば、法門の血脈相伝は日蓮大聖人の御書を拝する者すべてが受け継ぐことができます。

●諸仏の智慧は、甚深無量なり。其の智慧の門は、難解難入なり。一切の声聞、辟支仏の知ること能わざる所なり。(方便品・開結88頁)
●仏の成就したまえる所は、第一稀有難解の法なり。唯仏と仏とのみ、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。(方便品・開結89頁)
●唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相(唯、仏と仏と、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり))(開結154頁)
●当世の学者は血脈相承を習ひ失ふ故に之を知らず(『立正観抄』御書770、全集530頁)
●此の経は相伝に有らざれば知り難し(『一代聖教大意』御書92、全集398頁)
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 甚深なる仏法の法義を正確に体得することは容易ではなく、血脈・相伝なき御書拝読は憍慢(きょうまん)・浅識等の十四誹謗を生み、ついに仏道から逸脱をする結果に至る。
 御書があっても「難解難入」の法門を全部理解できる訳ではありません。「以信得入」によって、成仏の境涯を得られるのです。それだけで、必要十分なのです。ただし、成仏の境涯に至ったからといって、御書を縦横無尽に理解し解釈できる訳ではないのです。そこにこそ、金口嫡々・法水の唯授一人血脈相伝の必要性があるのです。

●当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して(『日興遺誡置文』御書1884、全集1618頁)
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御書自体が、我々への法門相承です。もし、御本尊だけがあっても、御書が相伝されていなければ、信心の正しさが分からないし、文証によって折伏することもできないでしょう。そして、「極理を師伝し」とあるように、師匠である御法主上人の御指南に基づいて御書を学ぶことが大切なのです。



【信心の血脈=総じての血脈】<総別の二義>参照)
2●釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給う然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む、又是には総別の二義あり総別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず輪廻生死のもといたらん(『曾谷殿御返事』全集1055頁)
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「釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給う」とあるのは結要付属であり、「又是には総別の二義あり」とあるように、この付嘱に総別があります。別付嘱とは末法においては唯授一人の血脈相承です。↓

3●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人著『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞社・初版271頁)
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「塔中及び蓮・興・目」とあるように、塔中における上行菩薩への別付嘱が、唯授一人血脈相承として歴代上人に伝わっているのです。

4●只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ、(中略)妙法蓮華経の五字も又是くの如し・本化地涌の利益是なり、上行菩薩・末法今の時此の法門を弘めんが為に御出現之れ有るべき由(中略)日蓮先ず粗弘め候なり(『生死一大事血脈抄』全集1338頁)
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「釈迦多宝上行菩薩血脈相承」とあるように、生死一大事の血脈は、釈尊から地涌の菩薩への別付属に由来します。この付嘱に総別のあることは、上記2●より明らかです。つまり、生死一大事の血脈には総別があり、別とは唯授一人の血脈なのです。

●総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり・・・信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり(『生死一大事血脈抄』御書514~、全集1337頁~)
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「総じて日蓮が弟子檀那」「信心の血脈」とあるように、これは日蓮大聖人の正統門下が正しい信心によって受けられる血脈のことです。日蓮大聖人の正統門下であるためには、唯授一人の血脈を信じ、別付嘱の方に随順することが必要なのです。ここでは同抄の趣旨より、「日蓮が弟子檀那」であるための要件については言及されていないのです。

「初め此仏菩薩に従つて結縁し還つて此仏菩薩に於いて成熟す、此に由つて須らく下方を召すべきなり」と云ふ文句の文なり、(中略)此仏と云ふも此の菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり(第59世日亨上人著『有師化儀抄註解』/『富士宗学要集』第1巻117頁)
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「宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」とあるように、血脈に直系傍系があります。直系とは別しての唯授一人の血脈であり、傍系とは総じての信心の血脈です。

●申すまでもなく御相伝となりますれば直接御指南の金口嫡々の御相承や宗門の上の御教示等重々あらせられると拝しますが、それは御法主上人として大事大切なことでありまして、一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって、自ら受けることができるのであります。それ故此には従来拝読を許されてをる御相伝書を挙ぐるに止めたのでありまして、此れを以て全部であると速断してはならないのであります。(第65世日淳上人『日淳上人全集』1150頁)



【邪難粉砕】
―三大秘法義は金口相承の内容ではない―
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 宗門が主張する歴代法主の「唯授一人相承」が、かつては確かに「神聖にして不可欠」な意義をもっていたものの、三大秘法が理論的に一般公開されるなどの時代的変遷(へんせん)に伴(ともな)い、「現代の大石寺門流における唯授一人相承の信仰上の意義は、あらゆる面で消失した。
 その理由としては、
>第1に、江戸時代に日寛上人によって、三大秘法義が理論的に開示された
>第2に近代においては、時代の変遷(へんせん)に伴(ともな)い、堀日亨(にちこう)上人が、日寛上人の『六巻抄』をはじめとした富士門流の相伝書をことごとく出版公開していったという事実
>第3に、創価学会が出現し、在家集団が主体的に教学運動を展開する中で、相伝書の公開という時代背景と相まって、日寛上人が達成した金口(こんく)相承の三大秘法義の理論的開示が、民衆レベルまで浸透(しんとう)していった
(『創価新報』H17.2.2または脱落僧・松岡雄茂の「研究論文」)
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 次に、松岡の誤りは、日寛上人が体系的に示された三大秘法義(なかんずく人法体一の本尊論)こそ金口相承の内容そのものである、と勝手に決めつけた点にある。
 松岡は、この前提の上から、金口相承は日寛上人によって「理論的に開示され」、さらに59世日亨上人によって広く「公開」された、などというのである。
 だが、御歴代上人しか知りえない、御本尊の法体(ほったい)に拘(かか)る甚深の御法門があることは、御歴代(たとえば17世日精上人、35世日穏上人、56世日応上人、65世日淳上人等々)の御教示からも確実である。しかも、その御法門の内容は、広布の暁(あかつき)が来ても公開してはならぬ、との厳重な戒めによって秘伝されているのである。
 宗祖以来700有余年、御歴代上人方の中で、このことを否定する見解を述べた方はおられない。上人方は皆、この事実の上に立たれて、門家僧俗を教導してこられたのである。
 されば、いくら部外者である松岡1人が「相伝はことごとく公開された」等と嘯(うそぶ)いたところで、それは何の裏付けも伴(ともな)わぬ、邪推(じゃすい)・誹謗(ひぼう)の言にすぎない。(『慧妙』H17.2.16)

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(日達上人が)大勢の宗門僧侶の前で「堀上人が(相伝の内容を)全部出してしまったので、特別なものは何もない」と語った(『創価新報』H17.2.2または脱落僧・松岡雄茂)
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そのような日達上人お言葉はどこを捜しても存在しない。彼らは夢でも見たのか、それとも謗法の果報で頭がおかしくなったのか、そのいずれかである。(『慧妙』H17.2.16)



【昔の学会教学】
●第1に日朗が日蓮大聖人から血脈相承、師資相承を受けたといっている。相承には総別の二義がある。総附属においては、六老僧をはじめ、全部受けただろうが、唯授一人の別付嘱・法体付嘱においては、第2祖日興上人のみが受けられた。「総別の二義少しも相そむけば成仏思いもよらず」との御文をよく考えよ。しかして日朗師は別付嘱を受けなかったことは明白である(『日蓮正宗創価学会批判を破す』創価学会版168頁)

●本抄には、歴代の法主上人が『百六箇抄』を拝読された折り、一種の「覚え書き」として挿入、付加された部分が織り込まれております。歴代の法主上人が、日蓮大聖人の血脈を受けられ、大聖人の口伝を一点の誤りもなく後代に伝える意味もあって、「百六箇抄」の行間、本抄の前後、各項目の注釈等として書き込まれたものであります。故に、この部分も、私たちが大聖人の口伝を体得していくうえにおいて、不可欠の記述といえましょう。
 この講義にあたっても、百六箇条の口伝はもとより、代々の法主上人が記述された個所も、すべて日蓮大聖人の金口として拝していきたい(池田大作「百六箇抄講義」『大白蓮華』S52.1/『松岡幹夫の傲慢不遜なる10項目の愚問を弁駁す』H17.8.24)

[血脈]=師匠から弟子へ法門が受け伝えられるさま(中略)その伝法に書伝、口伝、心伝がある。(『新版仏教哲学大辞典』初版第2刷408頁)

[血脈相承]=戒律・法門を師から弟子へと絶え間なく受け伝えていくこと。師資相承ともいう。本因妙抄・御義口伝等には、真の相承は1人の師から1人の弟子への唯授一人の血脈相承であると述べられており、血脈相承の重要さを教えている。(『日蓮大聖人御書辞典』創価学会教学部編・第6刷)

[法水瀉瓶]=血脈相承をあらわしている(『新版仏教哲学大辞典』初版第2刷1621頁)
[血脈相承]=法門、戒律を1人の師から1人の弟子へ絶えることなく授け伝えていくこと。(『新版仏教哲学大辞典』初版第2刷409頁)
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血脈相承とは大御本尊のことのみではなく、法門や戒律も含みます。日寛上人は法門や戒律(化儀)も「清浄」にして「断絶せしむる事無し」(上記1●)と仰せなのです。

[血脈の次第]=師から弟子へ伝える血脈の次第・順序のこと。末法における日蓮大聖人の仏法の血脈は日蓮一期弘法付属書(『身延相承書』のこと)に(中略)明確に示されているように、日蓮大聖人から日興上人へ伝えられた。また、日興上人から日目上人、日目上人から日道上人と、大石寺歴代の御法主上人に伝えられて今日に至っている(『新版仏教哲学大辞典』初版第2刷409頁)
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「次第・順序」のある血脈とは、まさに唯授一人の血脈であり、総付嘱としての信心の血脈ではない。

[血脈の次第]=仏教の真髄は、口決相承・血脈相承でなくてはならない(『仏教哲学大辞典』第2巻74頁)





「相伝の内容はすべて公開」?(仮題)

-脱落僧・松岡雄茂の稚論を笑う―
―「信心の血脈」の前提は「唯授一人の血脈」―
―"金口相承"の未公開は明らか―

(『慧妙』H17.2.16・H17.3.16ほか編集)

 脱落僧の松岡雄茂なる者が、「現代の大石寺門流における唯授一人相承の信仰上の意義(三大秘法義の理論的公開過程に関する考察を踏まえて)」と題する稚論を小冊子にして発行した。
 これを利用する形で、2月2日付『創価新報』は、「青年僧侶改革同盟・松岡雄茂氏が研究論文 法主だけに伝わる秘法などなし!万人が継承できる『信心の血脈』こそ根本」との見出しのもと、大きく報道している。


【三大秘法の公開】
―三大秘法義は金口相承の内容ではない―
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 宗門が主張する歴代法主の「唯授一人相承」が、かつては確かに「神聖にして不可欠」な意義をもっていたものの、三大秘法が理論的に一般公開されるなどの時代的変遷(へんせん)に伴(ともな)い、「現代の大石寺門流における唯授一人相承の信仰上の意義は、あらゆる面で消失した。
 その理由としては、
>第1に、江戸時代に日寛上人によって、三大秘法義が理論的に開示された
>第2に近代においては、時代の変遷(へんせん)に伴(ともな)い、堀日亨(にちこう)上人が、日寛上人の『六巻抄』をはじめとした富士門流の相伝書をことごとく出版公開していったという事実
>第3に、創価学会が出現し、在家集団が主体的に教学運動を展開する中で、相伝書の公開という時代背景と相まって、日寛上人が達成した金口(こんく)相承の三大秘法義の理論的開示が、民衆レベルまで浸透(しんとう)していった
(『創価新報』H17.2.2または脱落僧・松岡雄茂の「研究論文」)
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 次に、松岡の誤りは、日寛上人が体系的に示された三大秘法義(なかんずく人法体一の本尊論)こそ金口相承の内容そのものである、と勝手に決めつけた点にある。
 松岡は、この前提の上から、金口相承は日寛上人によって「理論的に開示され」、さらに59世日亨上人によって広く「公開」された、などというのである。
 しかし、日寛上人は中興の祖ともいわれ、日蓮正宗の教学の整足をなされた御法主上人であられるが、かといって、唯授一人血脈相承の内容を全て開示しただとか、血脈相承は不要であるなどとは、まったく述べられておられない。松岡の論は、日寛上人御自身が「私によって三大秘法義は理論的に全て開示された、これを知れば唯授一人の血脈相承は必要ない」とでも言われておらないかぎり、成立の余地などないのである。
 また、御歴代上人しか知りえない、御本尊の法体(ほったい)に拘(かか)る甚深の御法門があることは、御歴代(たとえば17世日精上人、35世日穏上人、56世日応上人、65世日淳上人等々)の御教示からも確実である。しかも、その御法門の内容は、広布の暁(あかつき)が来ても公開してはならぬ、との厳重な戒めによって秘伝されているのである。
 宗祖以来700有余年、御歴代上人方の中で、このことを否定する見解を述べた方はおられない。上人方は皆、この事実の上に立たれて、門家僧俗を教導してこられたのである。
 されば、いくら部外者である松岡1人が「相伝はことごとく公開された」等と嘯(うそぶ)いたところで、それは何の裏付けも伴(ともな)わぬ、邪推(じゃすい)・誹謗(ひぼう)の言にすぎない。

唯授一人金口嫡々の三大秘法の法体相承は内証であり、大聖人以来御歴代上人により開示された法門としての三大秘法義は外用なのである。その区別がつかない松岡は、正法に背く不信の失により錯乱の極みに陥っているのである。(日蓮正宗青年僧侶邪義破折班H17.6.7)


<第26世日寛上人>
1●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
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「塔中及び蓮・興・目」とあるように、塔中における上行菩薩への別付嘱(内証相伝)が、末法においては唯授一人血脈相承として歴代上人に伝わっています。

2●祖師より興師へ御付嘱亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付嘱も亦是れなり。(中略)目師より代々今に於て、二十四代金口の相承と申して一器の水を一器にうつすが如く云々(第26世日寛上人『寿量品談義』/『富士宗学要集』第10巻131頁)

●問う、三宝に勝劣ありや。答う、此れ須(すべか)らく分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即即ち是れ仏宝なり。故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也(第26世日寛上人『三宝抄』/歴代上人全書4-392)
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「内体に約さば実に是れ体一」とあるように法水写瓶によって「三宝一体」、つまり内証一体となるのです。「一器の水を一器に写す」とは法水写瓶の義ですが、これが日興上人・日目上人以下歴代に亘るものであることは、日寛上人の『寿量品談義』(2●)『撰時抄愚記』(1●)に明らか。さらに当該『三宝抄』では歴代上人を僧宝とされているのですから、三宝一体義が歴代上人にも当てはまることについて、疑問を差し挟む余地はありません。

●(※第26世日寛上人から第28世日詳上人への御相承について)晨朝(しんちょう)密かに学頭詳公(※日詳上人)を招き、金口嫡嫡の大事を伝付し没後の事を遺杔す(第48世日量上人『続家中抄』/『富士宗学要集』第5巻278頁)
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もし、日寛上人が金口相承を公開されたのなら、日詳上人に「密かに」「金口嫡嫡の大事を伝付」するはずがない。


<第59世日亨上人>
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堀は大正11(1922)年に出版された『日蓮正宗綱要』の中で「此(『六巻抄』のこと=筆者注)と『本尊抄文段』とは、特に門外不出貫主直伝の秘書であったが、後世には何日となしに写伝して次第に公開せらるるに至ったのは善か悪か全く時の流れであらう」と述べている。(脱落僧・松岡雄茂)
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しかし「門外不出貫主直伝」ということは『六巻抄』『観心本尊抄文段』が、日寛上人によって大衆に御講義された内容のものであることが明らかである以上(下記<『六巻抄』>参照)、別しては御法主上人に伝えられ、また総じては当家の門弟に対して開示された重要書、という意味なのである。(青年僧侶邪義破折班H17.6.7)

●「初め此仏菩薩に従つて結縁し還つて此仏菩薩に於いて成熟す、此に由つて須らく下方を召すべきなり」と云ふ文句の文なり、(中略)此仏と云ふも此の菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり(第59世日亨上人著『有師化儀抄註解』/『富士宗学要集』第1巻117頁)
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「宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」とあるように、血脈に直系傍系がある。直系とは別しての唯授一人の血脈であり、傍系とは総じての信心の血脈である。

●但し直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為して日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり(『百六箇抄』全集869頁)
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日亨上人は「後加と見ゆる分の中に義において支語なき所には一線を引き」(『富士宗学要集』第1巻25頁)とあるごとく、史伝書その他多くの文献にあたられ、さらに血脈相伝の上から内容に於いて正しいと判断されたから御書にも掲載されたのである。「尽未来際に至るまで」の御文に注目すべし。


<第64世日昇上人>
●法門上の異説異見は何によって起こるかといえば、機根が未だに熟さないうちに自らを省みず御書の一文一義に執して妄断するからである。即ち我見に任せて己義を立つるからである。古来仏法に於いて相承を尊び師伝を重んずるのは一に此の弊をなからしむるためである。聖祖は「法華経は相伝に非ずんば知り難し」と仰せられている。蓋(けだ)し仏法の奥底は相伝によって正しく理解することが出来るからである。(第64世日昇上人『日蓮正宗聖典』序)


<第65世日淳上人>
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戦後間もない頃から、後に65世の法主となる堀米日淳が学会本部に毎月のように出向き、昭和31(1956)年11月に終了するまで10年もの長きにわたって学会幹部への御書講義を続けた、という事実は注目に値する。宗門の碩学で『六巻抄』に造詣が深かった日淳の講義を通じて、大石寺の金口相承の根幹的内容である三大秘法義は創価学会員の間に深く浸透していったに違いない。(脱落僧・松岡雄茂)
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 悪書のいう「後に65世の法主となる堀米日淳が学会本部に毎月のように出向」いた「御書講義」とは、日淳上人の御登座以前のことである。したがって、「日淳の講義を通じて、大石寺の金口相承の根幹的内容」が「創価学会員の間に深く浸透していった」などということは、あり得ないことではないか。口から出まかせを言うなかれと呵しておく。
 なお、悪書では日淳上人による御書講義は「昭和31(1956)年11月に終了」としているが、日淳上人の御書講義は、御登座の前月である昭和31年2月27日に終了している。ここにも、松岡の資料調査の杜撰さが現れているのである。(青年僧侶邪義破折班H17.6.7)

●申すまでもなく御相伝となりますれば直接御指南の金口嫡々の御相承や宗門の上の御教示等重々あらせられると拝しますが、それは御法主上人として大事大切なことでありまして、一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって、自ら受けることができるのであります。それ故此には従来拝読を許されてをる御相伝書を挙ぐるに止めたのでありまして、此れを以て全部であると速断してはならないのであります。(第65世日淳上人『日淳上人全集』1150頁)
●由来日蓮大聖人の門流に於ては聖祖は2祖日興上人に血脈相承し玉ひて大導師たるべしと御遺命(ゆいめい)あり3祖日目上人その跡を承継し玉ひて相承の次第柄乎(へいこ)として明かに今日に至ってをる。よって此の相承を大宗として各々師弟の関係をしうすれば自ら正統の信行に住することができるのである(第65世日淳上人『弁惑観心抄』序文)

●大聖人様が「血脈の次第 日蓮日興」と仰せ遊ばされてございますが、今日その血脈を承継致しましてただ感激に打たれる所でございます(第65世日淳上人『日淳上人全集』184頁)
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もし、日淳上人が日昇上人より受けられた相承の内容が、既に日寛上人によって述作された文書等と同じであるならば「血脈を承継致しましてただ感激」などと仰せになるはずがない。


<第66世日達上人>
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(日達上人が)大勢の宗門僧侶の前で「堀上人が(相伝の内容を)全部出してしまったので、特別なものは何もない」と語った(『創価新報』H17.2.2または脱落僧・松岡雄茂)
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そのような日達上人のお言葉はどこを捜しても存在しない。彼らは夢でも見たのか、それとも謗法の果報で頭がおかしくなったのか、そのいずれかである。

●大石寺門流は大聖人からの相伝の宗旨であるから、御書を十分に心に留め、その文底の法門は、歴代の法主が相承している法門の至極の理は師から教わり、かりにも己義をかまえてはならない(第66世日達上人『日興遺誡置文略解』10頁)

●さてそこで、もう1歩深く考えて、その信心といい、血脈といい、法水というところの法水は、どこから出てくるか、ということがもっとも大切であります。それは、我が日蓮正宗においては日蓮大聖人の御当体たる本門戒壇の大御本尊であります。ゆえに、大聖人の仏法を相伝しなければ、大聖人の仏法の血脈は流れないであります。(第66世日達上人『大日蓮』S53.9)

●「日蓮正宗宗規」に、"管長は法門の正邪を決定する"という意味のことが明らかに載っております。血脈を受けてその法門に従って、そして法門の正邪を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承を受けていない人ということになってしまいます。血脈相承によって御法門を解釈していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります。(『日達上人全集』第2輯7-342頁/『大白法』H16.4.1)


<『百六箇抄』『本因妙抄』>(青年僧侶邪義破折班H17.6.7)
●正和元年十月十三日に両巻の血脈抄を以つて日尊に相伝し給う、此の書の相承に判摂名字の相承形名種脱の相承あり、日目・日代・日順・日尊の外漫りには相伝し給わざる秘法なり。(第17世日精上人『家中抄』/『聖典』635頁)
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日目上人の他に日代・日順・日尊の各師に両巻抄を示されたことが記されている。

●之を以て案ずるに此の血脈抄は唯授一人に非ずして二人三人四人迄も相伝し玉ふ処の相承なれば一目以て惣付属なること明白なり。(第56世日応上人著『弁惑観心抄』218頁)
●本因血脈両抄は興師を対告衆として御弟子檀那一同に示されたるの御書なり(第56世日応上人著『弁惑観心抄』212頁)
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と示されるように、これらは総じて僧俗一同に開示された法門の相伝書なのである。

●御相承の中には両巻抄はない(第59世日亨上人による『百六箇抄』の講義/大村寿道師の聞書)
●富士の相承は必ずしも両巻抄に依るのではない(同)
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と『百六箇抄』と『本因妙抄』が「血脈相承」に含まれてはいないことを述べられていることからも明らかである。

このように『百六箇抄』や『本因妙抄』等は、日蓮大聖人の文底下種仏法における御法門の相伝書ではあるが、唯授一人金口嫡々の血脈相承書ではないのである。


<『上行所伝三大秘法口決』『御本尊七箇之相承』『本尊三度相伝』>
さらに『上行所伝三大秘法口決』には要法寺日辰・嘉伝日悦等の写本、『御本尊七箇之相承』には保田日山・嘉伝日悦の写本、『本尊三度相伝』には水口日源の写本が存在する。このように大石寺の御法主上人による写本以外のものがあるということは、これらの書が重要書ではあっても、唯授一人金口嫡々の血脈相承書とは言えないことを明らかに示すものである。(青年僧侶邪義破折班H17.6.7)


<『本因妙口決』>
また松岡は、〝三位日順の「本因妙口決」等々の相伝書〟などと述べて『本因妙口決』を相伝書の中に入れている。しかし三位日順師は、学匠ではあったが血脈相承を受けられた方ではない。また『本因妙口決』も『富士宗学要集』では第1巻の相伝・信条部ではなく、第2巻の宗義部に収録されているように、そもそも相伝書ではない。(青年僧侶邪義破折班H17.6.7)


<『六巻抄』>(青年僧侶邪義破折班H17.6.7)
〝六巻抄が長らく貫主直伝の秘書とされてきた〟などという見解は、まったく実状にそぐわないものである。それは、当時の門下が『六巻抄』を拝し研鑽することは、当時の状況において可能であったからである。松岡よ「見てきたようなデタラメ」を言ってはいけない。我見の忖度(そんたく)を止めるべきである。

●兎に角学頭時代に六巻抄の講録も成り其都度門下には或は内見を許されたものもあらう。(第59世日亨上人『富要』第3巻2頁)

●予が雪山文庫に享和三年(※1803年)純澄日定転写に属する末法相応抄上下一巻が有る(第59世日亨上人『富要』第3巻1頁)
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享和3年といえば、日寛上人が享保10年(1725)に『六巻抄』を再治せられてから78年後のことで、総本山43世日相上人の代である。このことは、すでに当時の門下が『六巻抄』を披見し、研鑽していたことを物語っている。

●此の書六巻の師子王あるときは国中の諸宗諸門の狐兎一党して当山に襲来すといへども敢て驚怖するに足らず尤モ秘蔵すべし尤モ秘蔵すべし(第26世日寛上人『富要』第5巻355頁)
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日寛上人は、御遷化の前年の享保10年(1725)に『六巻抄』を再治され、「●」と仰せになって、時の学頭日詳上人に授与された。その意味では『六巻抄』は、別しては、血脈付法の御法主上人に伝えられた重要な法門書である。しかし総じては『六巻抄』は門弟には披見を許されていたことは明らかである。

●此の抄の中に多くの大事を示す、此れは是れ偏に令法久住の為なり(第26世日寛上人『六巻抄』3頁)
●後世の弟子に贈る。此れは是れ偏に広宣流布の為なり(同79頁)
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と仰せられるとおり『六巻抄』は令法久住・広宣流布のための法義書であり、ただ徒に秘蔵するのが日寛上人の御真意なのではない。要するに、血脈付法の御法主上人の御指南に随い奉り『六巻抄』の深意を正しく拝し、研鑽に努め、折伏に活用していくことが肝要なのである。


<「重々の相伝」>
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 最後に、この誰人も否定できない事実を証する一助として、日寛が「観心本尊抄文段」の中で列示した、「重々の相伝」のすべてが今日、公開資料によって説明可能であることを確認しておきたい。(中略)
 「故に当抄に於て重々の相伝あり。所謂三種九部の法華経、二百二十九条の口伝、種脱一百六箇の本迹、三大章疏七面七重口決、台当両家二十四番の勝劣、摩訶止観十重顕観の相伝、四重の興廃、三重の口伝、宗教の五箇、宗旨の三箇、文上文底、本地垂迹、自行化池、形貌種脱、判摂名字、応仏昇進、久遠元初、名同体異、名異体同、事理の三千、観心教相、本尊七箇の口決、三重の相伝、筆法の大事、明星直見の伝受甚深奥旨、宗門の淵底は唯我が家の所伝にして諸門流の知らざる所なり」(『文段集』443~444頁)
 金口相承の三大秘法義の理論的開示が完結した時代に生きるわれわれは、大石寺の血脈の承継者たらずとも、上記の「重々の相伝」の内容をすべて説明することができる。まず「三種九部の法華経」とは『撰時抄愚記』に「これ則ち広・略・要の中には要の法華経なり。文・義・意の中には意の法華経なり。種・熟・脱の中には下種の法華経なり」(『文段集』221頁)と示されるごとく、文義意の法華経・種熟脱の法華経・広略要の法華経を総称した言葉である。また創価学会の『仏教哲学大辞典』第3版には日寛の「三種九部法華経事」の内容の一部が引用され、広く公開されている。次に「二百廿九条の口伝」とは『御義口伝』(全集708~803頁)のことをいい、「三大章疏七面七重口決」(全集870~872頁)「台当両家廿四番の勝劣」(全集875~876頁)「摩訶止観十重顕観の相伝」(全集872~875頁)はいずれも『本因妙抄』の中にある。「四重の興廃」は、釈尊の教えを爾前経・法華経迹門・法華経本門・観心の四重に配立したもので『法華玄義』に説かれるが、ここでは文底の立場から、三大秘法の妙法の興隆によって寿量文上の本門が廃れるという意を含んでいる。「三重の口伝」は迹門・本門・文底の三重秘伝。「宗教の五箇」は教・機・時・国・教法流布の先後のこと。「宗旨の三箇」は三大秘法の本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目。「文上文底」は法華経の寿量品を本果妙から読めば文上・本因妙から読めば文底となることをいう。また多少順番は前後するが「本地垂迹」「自行化他」「応仏昇進」「久遠元初」はいずれも本仏と迹仏の区別を示すための概念で、日寛の様々な著述の中で論じられている。例えば『末法相応抄』には「問ふ久遠元初の自受用身と応仏昇進の自受用身とは其異如何、答ふ多の異有りと雖も今一二を説かん、一には謂く本地と垂迹、二には謂く自行と化他、三には謂く名字凡身と色相荘厳、四には謂く人法体一と人法勝劣、五には謂く下種の教主と脱益の化主云云」(要3─174頁)と示されている。さらに「形貌種脱」とは仏の形貌に約して種脱を論ずること、「判摂名字」は「名字に摂まると判ず」と読み、究竟即といっても名字即におさまるとの意である。「名同体異」は名が同じでも本体が異なる様を言い、日寛の『観心本尊抄文段』では、蔵・通・別・迹・本・文底の六種の釈尊が「名同体異の相伝」として示唆されている(『文段集』531頁)。反対に「名異体同」は名を異にしても体が同じとの意で、例えば、釈尊と日蓮が名を異にしながら、ともに本因妙の教主としてその体を一にしていることをいう。「事理の三千」は「迹門理の一念三千」「本門事の一念三千」の区別から一重立ち入った法門、すなわち迹本の一念三千をともに理の一念三千として文底事行の一念三千を顕説する『本因妙抄』の文などを指すと考えられる。「観心教相」は、ここでは釈尊の仏法を教相、日蓮仏法を観心とする勝劣判を意味するのだろう。「本尊七箇口決・三重の相伝・筆法の大事」は『富士宗学要集』第1巻の『御本尊七箇相承』(要1-31~33頁)『本尊三度相伝』(要1-35~42頁)の内容を指すものと思われる。「明星直見の伝受」は現在の「御本尊七箇相承」の中にあり、日蓮が日興に対し、自身が本尊の当体であることを明かした口伝相承とされている。最後の「甚深奥旨・宗門の淵底」は、具体的名目すら明かせぬ金口相承の秘義という意味ではない。日寛は『文底秘沈抄』の中で、文底秘沈の三大秘法義をもって「宗門の奥義此に過ぎたるは莫し」の極理と規定している。日寛にあっては『文底秘沈抄』に説かれた三大秘法義以上の「宗門の奥義」など存在しなかった。したがって、ここでいう「甚深奥旨・宗門の淵底」とは、その前に列挙された三大秘法の本尊義にかかわる様々な教義概念を総括した表現なのである。(脱落僧・松岡雄茂)
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 今、この『本尊抄文段』の初めに列記された、創価学会では略していますが、23ヵ条の名目を見ますと、さすが日寛上人かなと感嘆いたします。なぜかと言うと、大聖人、日興上人以下に伝わる甚深の相承には、外用と内用があり、特にその内用と定められた唯授一人の血脈相承の文には、一言半句も触れておられないことであります。ここにきちんとけじめをつけられて、甚深の法門、相伝書といえども、文段に挙げる名目は外に示してよい名目に限っておられます。これを見て、創価学会の輩は「相承と言ってもこれしかないのだ。それは皆、既に発表済みで、ほかに何もない」と得意顔なのは、そこに創価学会の邪心・無慙があり、その誤りを自覚せずして喋々する「御書根本」「大聖人直結」などの意味がすべて、我見・邪悪の結果を生ずるのであります。
 重ねて言うと、この文段の「重々の相伝」と言われるものは、秘伝ながら外用の範囲であります。
 さらに内用において、金口嫡々唯授一人の相承があり、今、その記述内容の関連より、やむをえず示された文が公開済みなので、これを挙げることにいたします。
 『家中抄』の日道上人の伝の終わりに、
 「御上洛の刻み、法を日道に付嘱す、所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承等なり。総じて之れを謂えば内用外用金口の知識なり、別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり、甚深の血脈なり、其の器に非ざれば伝えず、此くの如き当家大事の法門既に日道に付嘱す。爰に知りぬ、大石寺を日道に付嘱することを。後来の衆徒疑滞を残す莫かれ」(聖典695頁)
とあります。このなかの「外用」とは、外に向かって仏法の筋道を示す、従浅至深、一切の法門であり、日寛上人の挙げた名目も、大体ここに入ります。
 「内用」とは、嫡々代々の内証において用いる真の唯授一人、700年、法統連綿をなす根幹の相承、一言一句も他に申し出すべからずと示されたる、別しての十二カ条の法体法門であります。故に、日亨上人といえども全く公開せず、極秘伝の扱いのまま、今日に至っております。(第67世日顕上人『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』204頁)

●法華取要抄に云わく、問うて曰わく、如来の滅後二千余年、龍樹・天親・天台・伝教の残したもう所の秘法何物ぞや。答えて云わく、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり云云。問う、此の文の意如何。答う、此れは是れ文底秘沈の大事、正像未弘の秘法、蓮祖出世の本懐、末法下種の正体にして宗門の奥義此れに過ぎたるは莫し。故に前代の諸師尚お顕わに之れを宣べず、況んや末学の短才何んぞ輙く之れを解せん。然りと雖も今講次に臨んで遂に已むことを獲ず、粗大旨を撮って以って之れを示さん。初めに本門の本尊を釈し、次ぎに本門の戒壇を釈し、三に本門の題目を明かさん。(第26世日寛上人『文底秘沈抄』)
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「宗門の奥義」とは「龍樹・天親・天台・伝教の残したもう所の秘法」=「本門の本尊と戒壇と題目の五字」=「文底秘沈の大事」=「蓮祖出世の本懐」「末法下種の正体」である。「宗門の奥義此れに過ぎたるは莫し」とは、『文底秘沈抄』の内容に奥義が説き尽されているという意味ではなく、「本門の本尊と戒壇と題目の五字」以外に宗門の奥義はない、という意味であろう。その証拠に、『文底秘沈抄』は「宗門の奥義」について「粗大旨を撮って以って之れを示」したに過ぎないのである。



【三大秘法の随一に迷う】
―学会は日寛上人の本尊論を基盤にしていない!―
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>(学会の立場は)日寛上人が確立した教学が(基盤で)ある
>(同)日寛の本尊論をもって日蓮の教義の究極とみる
>江戸時代に日寛上人によって、三大秘法義が理論的に開示された
(『創価新報』H17.2.2または脱落僧・松岡雄茂の「研究論文」)
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根源とは何ぞ、謂(い)わく、本門戒壇の本尊是(こ)れなり(第26世日寛上人『六巻抄』68頁)
弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟(くきょう)中の究竟、本懐の中の本懐なり。既(すで)に是れ三大秘法の随一なり(第26世日寛上人著『文段』197頁)
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三大秘法は一大秘法すなわち本門の本尊に納まる。そして本門の本尊は最終的に、弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊に究まるのである。

●弘の一の本十五に云わく、「(略)化を受け教を稟(う)く、須(すべから)く根源を討(たず)ぬべし、若(も)し根源に迷う則(とき)んば増上して真証を濫(みだ)さん」云云。宗祖の云わく「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提(えんぶだい)に広宣流布せしめんか」等云云。既(すで)に是れ広布の根源の所住なり、蓋(なん)ぞ本山と仰がざらんや(第26世日寛上人著『文段』69頁)
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 根源の本門戒壇の大御本尊まします富士大石寺を総本山と仰ぎ、ここを求めて尋(たず)ねるべきこと、この根源に迷えば成仏できなくなること等を御示しである。
 この日寛上人の御教示に照らすとき、根源の総本山から離脱した松岡も、総本山を荒れ寺にするまで攻撃するという学会も、また、本門戒壇の大御本尊を「何だ!ただのモノだ!」と言う池田大作も、いずれも日寛上人に違背していることは自明であり、「理論的に開示された」という三大秘法義を拝信してはいないのである。
 しかるに松岡は、日寛上人の御教示の都合の良い処だけを切り取り、それを、かえって学会が大石寺から遠離(おんり)することの正当化に利用しようというのだから、呆(あき)れて物が言えない。本末顛倒、支離滅裂の極(きわ)みではないか。
 されば、松岡も学会も、日寛上人の法門を「基盤」「究極」になどしておらず、むしろ、日寛上人を讃(さん)して、かえってその御意を死(ころ)すという、大謗法を犯していることが明らかである。



【「信心の血脈」と「唯授一人の血脈」の関係】
―日有上人や日亨上人等にも違背―
松岡の主張の最大の欠陥は、「信心の血脈」と「唯授一人の血脈」を、全くの別物として、切り離して論を進めていることである。

●世間には親の心を違(たが)へず、出世には師匠の心中を違へざるが血脈法水の直(ただ)しきなり、高祖已来の信心を違へざる時は我れ等が色心妙法蓮華経の色心なり、此の信心が違ふ時は我れ等が色心凡夫なり云々」(第9世日有上人『富士宗学要集』第1巻64頁)
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 すなわち、「師匠(御法主上人)の心中に違わないこと」それが「高祖(大聖人)已来の信心に違わないこと」であり、そこに「我々衆生が、妙法の色心となる途(信心の血脈)がある」ことを仰せられている。
 つまり、「信心の血脈」は「唯授一人の血脈」に違わないことによって、流れ通うのである。
 松岡は、この日蓮正宗の基本的信仰の在り方も知らず、我見によって血脈の大事を切り刻もうとしているのだから、稚論というほかない。

●「初め此仏菩薩に従つて結縁し還つて此仏菩薩に於いて成熟す、此に由つて須らく下方を召すべきなり」と云ふ文句の文なり、(中略)此仏と云ふも此の菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり(第59世日亨上人著『有師化儀抄註解』/『富士宗学要集』第1巻117頁)
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「宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」とあるように、血脈に直系傍系がある。直系とは別しての唯授一人の血脈であり、傍系とは総じての信心の血脈である。


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大聖人は『生死一大事血脈抄』の中で「只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ」(全集1338頁)と、最蓮房に仰せられている。ここでは、最蓮房という一門下に〝釈尊から上行菩薩へと結要付嘱された南無妙法蓮華経を、あなたも唱えて血脈相承しなさい〟と勧められている。結要付嘱の法体が法主だけに血脈相承される、などという後世の説は、この大聖人の御教示に反している。(脱落僧・松岡雄茂『大白蓮華』H17.9)
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『生死一大事血脈抄』の当該御文は、汝の言う〝最蓮房という一門下に〝釈尊から上行菩薩へと結要付嘱された南無妙法蓮華経を、あなたも唱えて血脈相承しなさい〟と勧められている〟などという意味ではなく、「南無妙法蓮華経は、釈迦多宝から上行菩薩へ血脈相承された結要付嘱の大法たることを信じて修行に励みなさい」との意味である。汝の言は、大聖人の御指南を己義我見をもって解釈した偽言であると断ずる。したがって〝結要付嘱の法体が法主だけに血脈相承される、などという後世の説は、この大聖人の御教示に反している〟などという邪論も成立しないのである。(『大白法』H17.11.16)(<生死一大事血脈抄>参照)



【法体の公開】<血脈相伝の体><「法主本仏論」「法主絶対論」破折>参照)
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日顕だけが「本尊の体」を所持するだの、日顕の内証は「究竟果分の無作三身」だの、あげく無信無行にして遊蕩坊主の日顕が「生身の釈迦日蓮」だの、と好き放題に言い放つ日顕宗は、どこまで狂っているのか(脱落僧・松岡雄茂『大白蓮華』H17.9)
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あらん限りの謗言を吐いているが、我らは大聖人より唯授一人金口嫡々の血脈相承をお受け遊ばされた代々の御法主上人のみが大聖人の法体の血脈を御所持遊ばされ、ゆえに代々の御法主上人の御内証には、「究竟果分の無作三身」たる大聖人の御法魂が相伝されていると真実を述べているのである。汝の邪難は、御法主日顕上人御1人を悪人に仕立て上げ、その実、日蓮正宗の血脈そのものを否定せんとする悪辣なスリカエの暴言であると断ずる。(『大白法』H17.11.16)(<内証相伝>参照)

◆大聖人御入滅後、唯授一人・血脈付法された第2祖日興上人は、大聖人の広大無辺の大仏法を、いささかも違えることなく、令法久住されることに無量の辛労をつくされた。以来、法灯連綿と730年の間、厳護されてきた法水は、御当代御法主日顕上人猊下に受け継がれておられる。御法主上人の御説法を拝しながら正しく信行に邁進しゆくことが大切である。(池田大作『広布と人生を語る』第3巻297頁)
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而るに、現在は正反対の悪言をもって御法主日顕上人を誹謗する。これこそ、池田大作をはじめ汝ら創価学会がいかに狂いに狂っているかを証明するものである。(『大白法』H17.11.16)


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法体の相承も信心唱題によって万人に開かれる──これが、真の大聖人の仏法である。日寛上人も、『当体義抄文段』の中で、信心唱題に励む人は「我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり」と示されている(脱落僧・松岡雄茂『大白蓮華』H17.9)
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これも能所・総別の二義を混乱した邪義である。何度も教えた如く、別しての法体相承は、血脈の次第日蓮日興以来、厳然と唯授一人金口嫡々の相伝により御法主上人のみが御所持遊ばされるところである。一切衆生はそこに信を立てて正しく信仰するところに生死一大事の信心の血脈が流れ通い即身成仏の妙果を得るのである。すなわち日寛上人は、かかる衆生の観心を『当体義抄文段』にお示しなのである。但し、無信無行無学の池田大作をはじめとする汝ら創価学会員は、正直に〝信心唱題に励む人〟どころか、三宝破壊のニセ本尊を拝んでいるのだから、〝我が身全く本門戒壇の本尊と顕るる〟ことなど金輪際ないことを知るべきである。(『大白法』H17.11.16)(<凡夫本仏論破折>参照)


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そもそも、大聖人は、一切衆生の信心の対境とすべく、法体を御本尊として建立され、目に見えるように公開された。このうえ、歴代法主が同じ法体を秘伝する必要など、どこにあろうか(脱落僧・松岡雄茂『大白蓮華』H17.9)
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●日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。(『一期弘法付属書』御書1675、全集1600頁)
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では何故、大聖人は本門戒壇の大御本尊を御顕示遊ばされた後に、第2祖日興上人に、「※上記●」と付嘱遊ばされたのか。御本尊が一般に公開されそれで充分ならば、付嘱なさる必要はないではないか。汝は、日興上人以下の代々の御法主上人が御書写遊ばされる御本尊にはなぜ功徳が具わりたもうか知っているのか。申すまでもなく、唯授一人金口嫡々の血脈相承により代々の御法主上人の御内証に大聖人の御法魂が在されるがゆえである。これは、大聖人の末法万年に亘る下種仏法伝持のための方軌である。よって汝の悪言は、末法の弘通の方軌を定められた御本仏大聖人に背逆する大謗法であると断ずる。(『大白法』H17.11.16)


<本尊焼却>
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法主は自らが書写し、あるいは形木にした御本尊に「法魂」を宿らせるのだ、と日顕宗は言う。だが、法魂を宿したはずの返納御本尊を大石寺内で大量焼却している、という矛盾は決定的である。その法魂は焼却してよいのか。結局、法主が伝えるべきは、法魂のごとき正体不明の法体ではなく、法体の教義なのである(脱落僧・松岡雄茂『大白蓮華』H17.9)
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総本山で行われている返納御本尊の御火中については、御法主上人の御許可のもとで、しかるべき施設において丁重に行われている。またお役目を終えられた御形木御本尊に具わり給う御法魂は、丑寅勤行における御法主上人の甚深無量の御祈念によって、大御本尊のもとに還御遊ばされるのである。ゆえに、〝法魂は焼却してよいのか〟などの言は汝の無知蒙昧(もうまい)を証明するものと笑っておく。しかし、それと、汝らの如く、未だお役目を終えていない生身の御本尊を、御法主上人の御意に反し、邪悪な念慮をもって勝手にドラム缶で焼却することとは全く別である。まさに汝らの所業こそ恐るべき破仏法の大謗法行為であり、汝らを無間地獄が待っていることは間違いない。後生を恐れよ。(『大白法』H17.11.16)


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「法主即本尊」「法主即日蓮」の義の強調は、要法寺門流出身の左京日教の影響から室町時代の宗門に起こり、江戸時代の中期には出所不明の伝統教義と化していた。当時の宗内には、権威主義的な「法主信仰」も芽生えつつあった(脱落僧・松岡雄茂『大白蓮華』H17.9)
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何の根拠もないでっち上げである。先にも述べたが左京日教師の『類聚翰集私』にある「当代の法主の所に本尊の体有るべきなり」との言葉は紛れもない大石寺の伝統法義である。

●あん(案)のごとくしやう(聖)人の御のちも、すゑのでしどもが、たれ(誰)はしやう(聖)人のぢき(直)の御でしと申スやから(輩)おほ(多)く候。これが大はうぼう(謗法)にて候也。(第2祖日興上人『佐渡国法華講衆御返事』/『歴全』1-148頁)
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すなわち日興上人のこの御指南は、血脈の次第を無視したところに大聖人の仏法は存在しないということであり、大聖人直結を主張する者がたとえ大聖人の御本尊を受持していたとしても、師弟相対を蔑(ないがし)ろにする者は「大謗法」であると厳誡されたものである。

 『類聚翰集私』の文は、御歴代上人が血脈相承によって本門戒壇の大御本尊の御内証を受け継がれている意より、御歴代上人を離れた所に本尊の体を求めることができないということを達意的に表現されたものであり、日興上人が「大聖人直結」を厳誡されたことと符節を合わせるものである。汝は左京日教師が帰伏僧であることを奇貨として、左京日教師の『類聚翰集私』等にある文を〝出所不明の伝統教義〟などと貶めているが、まさに言語道断である。
 先にも述べたが、御歴代上人に大聖人の御内証が受け継がれていることは、左京日教師が深く帰依した総本山第9世日有上人の『化儀抄』にすでに見られる教義であり、汝がどう取り繕うとも、その明白な事実を否定することはできない。日蓮正宗に伝えられているのは、本門戒壇の大御本尊と、代々の御法主上人に伝えられる血脈相承を根本命脈として、師弟相対の信心に励むという、大聖人、日興上人以来の宗是であり、それは汝が〝「法主即本尊」「法主即日蓮」〟〝「法主信仰」〟などと揶揄(やゆ)するものとは全く違う、大聖人の仏法そのものなのである。(『大白法』H17.11.16)



【学会の主張とも異なる松岡"論文"】
 松岡は、この主張を展開する過程で、過去の日蓮正宗には唯授一人血脈相承の意義が存在していた、とひとまず本宗の血脈を肯定した上で、そこから、近年にはすでに相承の内容は全て公開されており、さらに日顕上人への相承がないから、唯授一人血脈付法の法主の介在など不要である、と結び付け、現代にあっては「信心の血脈」のみによって即身成仏が可能となったのだ、と曲解している。
 しかし、こうした松岡の稚論は、現今の創価学会が、唯授一人血脈相承それ自体を全く否定する主張とも、大きく食い違っている。



【現証の上からも秘伝の存在は明らか】
さらに、唯授一人相承の内容が公開済みであるとする、松岡のごとき主張は、次のような56世日応上人の御教示の上から考えても、まったくの誤謬(こびゅう)である。

●伝法書は、前節に云う如く唯授一人の法体相承に非ずして法門相承の一分なれば、誰々該書のみに依って本尊の深義を窺(うかが)い得べき者にあらず。若し該書のみに依って本尊の深義を窺い得べき者とせば、一致八品の徒と雖(いえど)も、該書を一覧したる者は本尊を誤るの理(ことわり)なし。然るに彼等は該書を見ると雖も、尚且つ本尊を誤り法義に違う所以(ゆえん)のものは、即ち法体相承の口決なきが故なり。例せば諸宗の輩(やから)同じく、法華経を読誦すと雖も未だ曽(かつ)て仏の本懐を知らざるを、宗祖の所謂(いわゆる)此の経は相伝にあらざれば知り難しと判じ給いしが如し。今亦斯(か)くの如し、汝が伝法書を見るも元より法体相承なきが故に、其の深意を窺い知ること能(あた)わず。(第56世日応上人著『弁惑観心抄』)
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 すなわち、すでに本宗において公開した、種々の相伝書は、あくまでも法門相承の分々であり、唯授一人の法体相承ではない。その証拠に、他門流の輩は、いかに相伝書を拝しても、悉(ことごと)く、所立の本尊を誤り、教義も違っている。
 これは、釈尊出世の本懐たる法華経の経文を、諸宗派の輩が拝見しても、いまだ釈尊の本懐であると知ることができず、正法に迷っている姿と同じである。要は、法体相承なきが故に、その深意を知ることができないのである。
 また、このことは、唯授一人相承の内容が、いまだ公開されていない、という現証に他ならない。(『慧妙』H17.3.16)



【昔の学会教学】
●第1に日朗が日蓮大聖人から血脈相承、師資相承を受けたといっている。相承には総別の二義がある。総附属においては、六老僧をはじめ、全部受けただろうが、唯授一人の別付嘱・法体付嘱においては、第2祖日興上人のみが受けられた。「総別の二義少しも相そむけば成仏思いもよらず」との御文をよく考えよ。しかして日朗師は別付嘱を受けなかったことは明白である(『日蓮正宗創価学会批判を破す』創価学会版168頁)

[血脈]=師匠から弟子へ法門が受け伝えられるさま(中略)その伝法に書伝、口伝、心伝がある。(『新版仏教哲学大辞典』初版第2刷408頁)

[血脈相承]=戒律・法門を師から弟子へと絶え間なく受け伝えていくこと。師資相承ともいう。本因妙抄・御義口伝等には、真の相承は1人の師から1人の弟子への唯授一人の血脈相承であると述べられており、血脈相承の重要さを教えている。(創価学会教学部編『日蓮大聖人御書辞典』初版)

[法水瀉瓶]=血脈相承をあらわしている(『新版仏教哲学大辞典』初版第2刷1621頁)
[血脈相承]=法門、戒律を1人の師から1人の弟子へ絶えることなく授け伝えていくこと。(『新版仏教哲学大辞典』初版第2刷409頁)
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血脈相承とは大御本尊のことのみではなく、法門や戒律も含む

[血脈の次第]=師から弟子へ伝える血脈の次第・順序のこと。末法における日蓮大聖人の仏法の血脈は日蓮一期弘法付属書(『身延相承書』のこと)に(中略)明確に示されているように、日蓮大聖人から日興上人へ伝えられた。また、日興上人から日目上人、日目上人から日道上人と、大石寺歴代の御法主上人に伝えられて今日に至っている(『新版仏教哲学大辞典』初版第2刷409頁)
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「次第・順序」のある血脈とは、まさに唯授一人の血脈であり、総付嘱としての信心の血脈ではない。

[血脈の次第]=仏教の真髄は、口決相承・血脈相承でなくてはならない(『仏教哲学大辞典』第2巻74頁)



 さて、こうした誤りを重ねた上で、松岡が結論として導きたいのは(『新報』記事中にはないが、松岡の謗法論文によると)、相伝がすべて公開され「在家信仰者が法主僧侶の介在(かいざい)抜きで本尊証得に達すること」が可能になった、ということのようだ。
 何やら、近い将来に、在家信仰者のセンセーが「本尊を証得した」と称して、自ら本尊を顕わす日が到来することを予感させるような文ではないか。
 もし松岡が、そのための御膳(おぜん)立てのつもりで、この謗法論文を書いたのだとしたら、その罪は計り知れぬほど深いといえよう。
 最後に記事は、松岡を評して「東京大学大学院博課程を修了、博士(学術)の学位を取得」云々と書いているが、まったく、
 「智者・学匠の身と為(な)りても地獄に堕ちて何の詮か有るべき」(御書1519頁)
との戒めは、松岡雄茂のために示された御金言であるかのようだ。
 松岡よ、阿鼻の焔(ほのお)に咽(むせ)ぶことを畏(おそ)れよ。

 以上、少しく述べてきたように、唯授一人の血脈相承を否定した松岡の論文は、とるに足らない謗法の稚論である。
 そもそも松岡自身、一旦は血脈付法の御法主上人の弟子として出家しながら、厚顔無恥にも、その血脈相承を否定するという所業は、まさに、僧侶の姿をした還俗者の忘恩の振る舞いであり、無間地獄は疑いないものであろう。

★学会(松岡)は"金口相承の内容=日寛上人の著述(三大秘法義など)+既に公開されている相伝書"と断定しているが、そのような証拠・証言は全くない

★"すでに公開されている"と言いながら、池田学会は、相承の一部という日寛上人の本尊論に違背している。

★御書の解釈や教義がコロコロ変わる池田学会の実態(<変節する教義>参照)こそが、究極の相伝が公開されていない何よりの証拠である。↓

●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)

<「伝法の書」について>参照)

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【相伝に有らざれば知り難し】
<法華経の解釈>
●此の経は相伝に有らざれば知り難し(『一代聖教大意』全集398頁)
●一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり(『開目抄』189頁)
●今日南無妙法蓮華経は南岳・天台・妙楽・伝教の内鑒冷然・外適時宜なり、内鑒冷然外適時宜の修行の日は本迹一致なり(『本因妙抄』872頁)
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我々が一代聖教を正しく解釈できるのは、釈尊からの「相伝」による。しかもこの「相伝」を受けた方は、文底下種仏法に通達されていた。その証拠に大聖人は「寿量品の文の底にしづめた」「一念三千の法門」を「天台智者のみこれをいだけり」と仰せである(ただし、天台大師には付嘱がなく、時が至らなかったなどの理由により、下種仏法を説くことができなかった)。

*相伝に基づかなければ正しい解釈はできない。
*相伝を受けた方は下種仏法の内容を知悉されていた。




<御書の解釈>
―末法の相伝―

●教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり(『南条殿御返事』全集1578頁)
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大聖人が下種仏法の法門を説かれるのは、相伝に基づく。

●釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。(『身延山付嘱書』全集1600頁)
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大聖人が「教主釈尊」から受けられた相伝は、日興上人御一人に「相承」された。

●日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり(大聖人・日興上人『御本尊七箇相承』/『富士宗学要集』第1巻32頁)
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後加文ではない。「代々の聖人悉く日蓮なり」とあるように、日興上人への相承は、大石寺歴代貫主へ受け継がれた。


―口決相承―
●書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん(『太田入道殿御返事』全集1012頁)
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 大聖人や日興上人の御指南といえども、対告衆の機根や時代状況、著述の目的などを正しく把握しなければ著者の真意を把握することはできない。厳密に言えば「事事見参の時を期せん」とあるように、本人に直接会い、真意を糺す外はない。しかし、大聖人や日興上人は既に御入滅されてお会いすることはできない。そこにこそ、大聖人の御内証を其のまま伝持された時の御法主の存在意義がある。
 尚、この御文を相伝という点から見れば、相伝もまた、面授口決によらなければ、師の真意を正しく拝することはできないといえよう。

●祖師より興師へ御付嘱亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付嘱も亦是れなり。(中略)目師より代々今に於て、二十四代金口の相承と申して一器の水を一器にうつすが如く云々(第26世日寛上人『寿量品談義』/『富士宗学要集』第10巻131頁)


―相伝に有らざれば知り難し―
●若し法華経の謂(いわれ)を知らざれば法華も仍(なお)これ爾前の経なり(乃至)若し本門の謂を知らざれば本門は仍これ迹門なり(乃至)若し文底の謂を知らざれば文底は仍これ熟脱なり(乃至)若し文底の謂れを知れば熟脱も即ちこれ文底の秘法なり(乃至)問う、若し爾らばその謂は如何。答う、宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
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法華経だけでなく、文底下種仏法も相伝(釈尊→上行菩薩→日興上人→)によって正しく解釈できる。

経文や御書そのものを手にすればそれによって相承があるといふのではない。御書には此経は相伝に非ずんば知りがたしと仰せられて居る(第65世日淳上人『日淳上人全集』1444頁)
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「此の経は相伝に非ずんば知り難し」とは御書の解釈にも通用する御指南である。



【相伝公開の有無と邪教の実態】
・既に公開されている各種相伝書を拝している正信会、顕正会、創価学会は日蓮正宗の教義から逸脱している。
正信会、顕正会、創価学会の間でも教義が異なる
・各教団自体、教義が変遷している。
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もし、すべての相伝が公開されているのであれば、相伝書を拝信するすべての人が同じような教義を立てるはず。よって

「相伝に有らざれば知り難し」(『一代聖教大意』全集398頁)の「相伝」は未だに公開されていないことは明白。






総別の二義

<結要付属の総別>
1●釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給う然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む、又是には総別の二義あり(『曾谷殿御返事』全集1055頁)
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「釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給う」これに総別がある。「日蓮又日本国にして此の法門を弘む」これにも総別がある。だからこそ「又是には」と仰せなのです。『曾谷殿御返事』は冒頭から結要付属についてしか述べられていません。だから「総別」とは結要付属の中の総別であると考えるべきです。事実、末法の弘通における付嘱にも総別のあることは『二箇相承』に明らかです。(<『曾谷殿御返事』と総別の二義>参照)

2●二仏並座・分身の諸仏集まつて是好良薬の妙法蓮華経を説き顕し釈尊十種の神力を現じて四句に結び上行菩薩に付属し給う其の付属とは妙法の首題なり(中略)秘す可し秘す可し唯受一人の相承なり、口外す可からず(『御義口伝』全集782頁~)
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「四句に結び上行菩薩に付属し給う」「唯受一人の相承なり」とあるように、結要付属は別して上行菩薩一人への付嘱なのです。そのことは、上行菩薩の再誕である日蓮大聖人御一人が末法に御出現になり、下種仏法の法体を建立弘通されたという歴史的事実とも符合します。また日興上人に対して「口外す可からず」と仰せです。つまり、結要付属は、大聖人滅後の末法日本国においては別して日興上人への唯我一人の付嘱なのです。このことは上記『曾谷殿御返事』(1●)や『二箇相承』(3●4●)からも明らかです。そしてこの別付嘱は、唯授一人の血脈相承として歴代上人に伝持されているのです(5●~7●)。

●念仏とは唯我一人の導師なり、念法とは滅後は題目の五字なり念僧とは末法にては凡夫僧なり(『御義口伝』全集786頁)
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「仏」とは上行菩薩即日蓮大聖人のことです。何故なら、この仏の所持する法が「題目の五字」だからです。「唯我一人の導師」とあるとおり、上行菩薩即日蓮大聖人は多宝塔中において唯授一人の別付嘱を受けられたのです。

●釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。(中略)背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり(『池上相承書』全集1600頁)
●日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、(中略)血脈の次第 日蓮日興(『身延相承書』全集1600頁)
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もし、結要付属に総別がないのであれば、大聖人は日興上人御一人を付弟とし、「背く在家出家共の輩は非法の衆たるべき」とは仰せにならなかったであろう。また「血脈の次第」とは、この血脈に順序・次第があるということである。もし、血脈に総別がないのであれば、大聖人滅後も含めて全ての門下が平等に血脈を受けられるのだから順序・次第が存在するはずがないし、日興上人への付嘱をわざわざ文書によって証明する必要もない。唯授一人の血脈だからこそ順序・次第が存在するのである。


<上行菩薩への別付嘱=唯授一人の血脈>
3●釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。(中略)背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり(『池上相承書』全集1600頁)

4●日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、(中略)血脈の次第 日蓮日興(『身延相承書』全集1600頁)

5●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
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「塔中及び蓮・興・目」とあるように、塔中における上行菩薩への別付嘱が、末法においては唯授一人血脈相承として歴代上人に伝わっているのです。

6●大聖人様が「血脈の次第日蓮日興」と仰せ遊ばされてございますが、今日その血脈を承継致しましてただ感激に打たれる所でございます(第65世日淳上人『日淳上人全集』184頁)

7●「初め此仏菩薩に従つて結縁し還つて此仏菩薩に於いて成熟す、此に由つて須らく下方を召すべきなり」と云ふ文句の文なり、(中略)此仏と云ふも此の菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり(第59世日亨上人著『有師化儀抄註解』/『富士宗学要集』第1巻117頁)
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「宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」とあるように、血脈に直系傍系があります。直系とは別しての唯授一人の血脈であり、傍系とは総じての信心の血脈です。

血脈に総別がなく、僧俗すべてが平等に「大聖人に直結」できるのであれば、日興上人お一人に別付嘱されるはずがないし、「(日興上人に)背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり」と厳戒されるはずもない。また、「血脈の次第」とあるが、総別のたて分けが存在しないのであれば、血脈に次第順序があるはずもない。唯授一人の別付嘱だからこそ順序次第が存在し「血脈の次第」という表現が成り立つのである。第26世日寛上人は、この別しての唯授一人の血脈が「塔中及び蓮・興・目」等と続いていると御指南されているのである。



<「総じての」信心の血脈>
●只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ、(中略)妙法蓮華経の五字も又是くの如し・本化地涌の利益是なり(『生死一大事血脈抄』全集1336頁)
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「釈迦多宝上行菩薩血脈相承」とあるように、生死一大事の血脈は上行菩薩への別付属に由来するのです。そして、この別付嘱が末法においては唯授一人の血脈相承として日興上人以下の歴代上人に伝わっているのです(上記)。

●総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり・・・信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり(『生死一大事血脈抄』御書514~、全集1337頁~)
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「総じて日蓮が弟子檀那」「信心の血脈」とあるように、これは日蓮大聖人の正統門下が正しい信心によって受けられる血脈のことです。日蓮大聖人の正統門下であるためには、唯授一人の血脈を信じ、別付嘱の方に随順することが必要なのです。ここでは同抄の趣旨より、「日蓮が弟子檀那」であるための要件については言及されていないのです。(<生死一大事血脈抄>参照)

●申すまでもなく御相伝となりますれば直接御指南の金口嫡々の御相承や宗門の上の御教示等重々あらせられると拝しますが、それは御法主上人として大事大切なことでありまして、一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって、自ら受けることができるのであります。それ故此には従来拝読を許されてをる御相伝書を挙ぐるに止めたのでありまして、此れを以て全部であると速断してはならないのであります。(第65世日淳上人『日淳上人全集』1150頁)


<昔の学会指導>
◆第一に日朗が日蓮大聖人から血脈相承、師資相承を受けたといっている。相承には総別の二義がある。総付嘱においては、六老僧をはじめ、全部受けただろうが、唯授一人の別付嘱・法体付嘱においては、第2祖日興上人のみが受けられた。『総別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず』との御文をよく考えよ。しかして日朗師は別付嘱を受けなかったことは明白である(『日蓮正宗創価学会批判を破す』創価学会版 P168)

◆よく信心の血脈を問題にする者がいる。『生死一大事血脈抄』に「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」とある文をもって、信心さえあればよいとする立論である。誰でも自由に継承できるなどというのはこれだ。(中略)有名無実の信心をふりまわして、付嘱相承を否定するは、総別の二義に迷惑し、師弟相対の義に暗く自ら混乱を好む仕わざではないか(『大白蓮華』S41.9 P35/『創価学会のいうことはこんなに間違っている』109頁~)

◆もとより血脈には、唯授一人の別しての法体の血脈と、総じての信心の血脈があり、ここで仰せられているのは、総じての信心の血脈であることはいうまでもない(学会版日蓮大聖人御書講義『生死一大事血脈抄講義』30上-P32)

◆この(生死一大事血脈抄の)御文は、別しての「法体の血脈」を大前提としての、総じての「信心の血脈」について、お述べになったものと拝される。(中略)ゆえに「法体の血脈」と「信心の血脈」を混同するようなことがあってはならない。(『大白蓮華』P69 S55.3)

◆総別の二義でいえば、(法体の血脈とは)「別して」の立場であります。申すまでもなく、この法体の血脈相承は、『身延相承書』に「血脈の次第日蓮日興」と仰せのごとく、第2祖日興上人にすべて受け継がれ、以後、血脈付法唯授一人の御法主上人が伝持あそばされるところであります。
 同抄に「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」との御文は、「別して」に対して「総じて」の信心の血脈を仰せなのであります。
 故に戒壇の大御本尊を根本とし、代々の御法主上人猊下の御内証によってお認(したた)めの御本尊を受持し、強盛なる信行に精進し、異体同心に広宣流布の活動をしていくことが、正しい信心のあり方であります。「総別の二義少しも相そむけば成仏思いもよらず」の御金言に照らして、私達は「別して」の法体の血脈相承と「総じて」の信心の血脈を、明確に立て分けて拝していかなければなりません(池田大作『生死一大事血脈抄』の会長講義改訂版の「再版にあたって」/『慧妙』H20.6.16)

◆日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった「正信会」も、御法主上人の認められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれと同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水写瓶の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである。すなわち「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」なのである」(『広布と人生を語る』8-P228/『大白法』H25.7.1)

◆彼ら(※正信会)は、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤しておきながら、いまは手のひらを返して、みずからがその根本を破壊しているのである。言語道断もはなはだしい(『広布と人生を語る』3-P143/『大白法』H25.7.1)

血脈否定こそは、日蓮正宗の根本教義の否定であり、究極の悪業ではないでしょうか。故にこれをいかに糾弾してもしすぎることはないものと考えます。その意味では、正信会の輩が血脈の否定にいかなる口実をかまえようとも、ことの本質は彼らの信心の根本の狂いにある。(平成3年1月1日付文書「『お尋ね』に対する回答」秋谷栄之助)
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学会自身、「血脈否定こそは、日蓮正宗の根本教義の否定であり、究極の悪業」だとしていたのである。そして今は、学会が正信会同様「日蓮正宗の根本教義の否定」をし「究極の悪業」を刻んでいるということでる。

[血脈相承]=戒律・法門を師から弟子へと絶え間なく受け伝えていくこと。師資相承ともいう。本因妙抄・御義口伝等には、真の相承は1人の師から1人の弟子への唯授一人の血脈相承であると述べられており、血脈相承の重要さを教えている。(『日蓮大聖人御書事典』創価学会教学部編・第6刷)





生死一大事血脈抄

夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり、其の故は釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり(中略)総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり(中略)只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ、(中略)妙法蓮華経の五字も又是くの如し・本化地涌の利益是なり(中略)信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり(『生死一大事血脈抄』全集1336頁~)


<信心の上の生死に関する血脈>

総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり・・・信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり

 最蓮房が大聖人に生死一大事の血脈についてお尋ねしたのに対して、その御返答が全体の主意をなしているのであります。(中略)
 これは明らかに、信心の上の生死に関する血脈と限定されております。故に、三大秘法の深意、法体金口について、大聖人、日興上人、日目上人、歴代上人の血脈を否定された語では絶対にないのです。(第67世日顕上人『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』101頁~)(<「依義不依語」と血脈に関する御書の解釈>参照)


<在家のみの異体同心に血脈なし>

日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく

 広宣流布の要諦が、日蓮大聖人の弟子である僧侶と、檀那すなわち信徒との異体同心にあることの御指南であり、大聖人御入滅後は、『一期弘法抄』等に定められる如く、日興上人以下、代々の血脈の法主上人の指南を根本とした僧俗の団結こそが、広宣流布を可能とする大事であることは言うまでもありません。(中略)『四恩抄』に、
 「仏宝・法宝は必ず僧によて住す」(御書268頁)
と仰せの如く、下種三宝を宗祖以来の血脈によって正しく伝える宗団は日蓮正宗以外にありません。(中略)
 尊い和合僧団たる日蓮正宗を破壊しようとするような魔の醜団が、広宣流布の集いであるわけがないのです。(第67世日顕上人『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』100頁~)
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「生死一大事の血脈」は「弟子檀那」が異体同心であるところに成り立つのです。いかに数が多くても、「檀那」である在家だけで仲良くやっても、異体同心とならないことは明らかです。よって、「弟子」である僧侶を蔑ろにし、"僧侶不要"を唱える今の学会に、生死一大事の血脈が通わないことは明らかです。

1●皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が・中程は信心もよはく僧をも恭敬せず供養をもなさず・自慢して悪見をなす、これ恐るべし恐るべし、始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん、(『新池御書』全集1440頁)
2●何としても此の経の心をしれる僧に近づき弥法の道理を聴聞して信心の歩を運ぶべし。(『新池御書』全集1440頁)
3●貴僧・高僧には依るべからず、賎き者なりとも此の経の謂れを知りたらんものをば生身の如来のごとくに礼拝供養すべし是れ経文なり(『新池御書』全集1441頁)
4●末代の衆生は法門を少分こころえ僧をあなづり法をいるかせにして悪道におつべしと説き給へり、法をこころえたる・しるしには僧を敬ひ法をあがめ仏を供養すべし、今は仏ましまさず解悟の智識を仏と敬ふべし争か徳分なからんや、後世を願はん者は名利名聞を捨てて何に賎しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし、是れ正く経文なり。(『新池御書』全集1443頁)
5●此の僧によませまひらせて聴聞あるべし、此の僧を解悟の智識と憑み給いてつねに法門御たづね候べし、(『新池御書』全集1444頁)
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1●~4●の「僧」が大聖人に限定されないことは、同じ御手紙の5●の「此の僧」が大聖人の命によって派遣された弟子であることから明らか。


<唯授一人の血脈への「同心」>

生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり、其の故は釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり

本化地涌の利益是なり

只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ

「釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて」とあるように、生死一大事の血脈は、釈尊から上行菩薩への別付属に由来するのです。ですから「本化地涌の利益是」と仰せになるのです。この付嘱を日興上人が受けられたことは『身延相承書』に明らかです。↓

●日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す、(中略)血脈の次第 日蓮日興(『身延相承書』全集1600頁)

さらにこの別付嘱が日目上人以下の歴代上人に伝えられていることは、各種相伝書や歴代上人の御指南などに明かです。↓

●依て座替と号す日興より日目嫡々相承手続支証の大曼荼羅なり(日興上人筆座替大本尊/『富士宗学要集』第5巻336頁)
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「日興より日目嫡々相承」とあるように、この座替御本尊こそが、日目上人への血脈相承の証拠です。正応3(1290)年、日目上人31歳のことです。

●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
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この御文は「金口嫡々・法水」の血脈相承のことです。「塔中及び蓮・興・目」とあるように、塔中における上行菩薩への別付嘱が、唯授一人血脈相承として歴代上人に伝わっているのです。

★つまり、「異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(『生死一大事血脈抄』全集1337頁)という「異体同心」とは、唯授一人の血脈相承を受けた方への「同心」なのです。このことは、『池上相承書』において、別付嘱を受けられた日興上人に背く者は「非法の衆」であると誡められたことにも明らかです。↓

●釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。(中略)背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり(『池上相承書』全集1600頁)

●但し直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為して日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり(『百六箇抄』全集869頁)
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日亨上人は「後加と見ゆる分の中に義において支語なき所には一線を引き」(『富士宗学要集』第1巻25頁)とあるごとく、史伝書その他多くの文献にあたられ、さらに血脈相伝の上から内容に於いて正しいと判断されたから御書にも掲載されたのです。

「生死一大事の血脈」とは、釈尊→上行菩薩(大聖人)→日興上人→日目上人→と続く別付嘱に由来別付嘱を受けられた方への同心によって流れ通う。



<昔の学会指導>
◆よく信心の血脈を問題にする者がいる。『生死一大事血脈抄』に「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」とある文をもって、信心さえあればよいとする立論である。誰でも自由に継承できるなどというのはこれだ。(中略)有名無実の信心をふりまわして、付嘱相承を否定するは、総別の二義に迷惑し、師弟相対の深義に暗く自ら混乱を好む仕わざではないか。(『大白蓮華』S41.9 35頁/『慧妙』H19.12.16)

◆血脈については、法体の血脈と信心の血脈等がある。御書に『生死一大事血脈抄』がある。その冒頭に「夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」と仰せである。これは別しては日蓮大聖人の御内証そのものであられる南無妙法蓮華経の法体が生死一大事血脈の究極であるとの意味である。
 この別しての法体の血脈相承は『身延相承書』に「血脈の次第日蓮日興」と仰せのごとく、第2祖日興上人にすべて受け継がれ、以後、血脈付法唯授一人の御法主上人が伝持あそばされるところである。同抄に「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」の御文は「別して」の法体の血脈を大前提としての「総じて」の信心の血脈を仰せなのである。故に、代々の御法主上人猊下の御内証によってお認めの御本尊を受持していくことが正しい信心の在り方であり、総じての生死一大事の信心の血脈となる。
 故に、別しての法体の血脈相承と、総じての生死一大事の信心の血脈とは、その意味に違いがあることを確認しておきたい。(池田大作「教学上の基本問題について」『聖教新聞』S53.6.30)
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ここに述べられていることは、日達上人にお詫び申し上げ、また宗門僧侶や一般創価学会員に公表したものであり、日蓮正宗の正義である。もし創価学会の〝「信心の血脈」論〟が、破門以前から存在していたとするならば、創価学会は当時表面では右のような正義を述べながら、裏では日達上人をはじめ宗内僧俗を欺いて、己義謗法を抱いていたことになる。またそれが破門以降に生じたというのであれば、明らかな教義改変であり、異流義謗法ではないか。(『大白法』H17.7.1)

◆この(生死一大事血脈抄の)御文は、別しての「法体の血脈」を大前提としての、総じての「信心の血脈」について、お述べになったものと拝される。(中略)ゆえに「法体の血脈」と「信心の血脈」を混同するようなことがあってはならない。(『大白蓮華』S55.3・69頁)

◆もとより血脈には、唯授一人の別しての法体の血脈と、総じての信心の血脈があり、ここで仰せられているのは、総じての信心の血脈であることはいうまでもない(学会版日蓮大聖人御書講義『生死一大事血脈抄講義』30上-32頁)

◆日蓮大聖人以来の唯授一人の血脈を受けられた御法主上人の御指南のもと、御本尊を信受する人々が広宣流布に向かって異体同心で南無妙法蓮華経と唱え、自行化他に精進するところに生死一大事の血脈がある(『新版仏教哲学大辞典』初版「生死一大事血脈」の項)


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●然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解て、妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり。法華経を持つとは是なり(『生死一大事血脈抄』全集1337頁)
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久遠実成の釈尊(文底では大聖人)と皆成仏道の法華経(文底では御本尊)と我等衆生との3つが全く差別が無いと自覚して南無妙法蓮華経と唱える所を生死一大事の血脈と言うのである。このことはただ日蓮の弟子檀那等の肝要である。法華経を持つとはこのことを言うのである。(『日顕宗の邪義を破す』)
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 次に『生死一大事血脈抄』の「久遠実成の釈尊(乃至)法華経を持つとは是なり」の文をまず引いていますが、これを直後の解説で「久遠実成の釈尊(文底では大聖人)と皆成仏道の法華経(文底では御本尊)」としているところから、この文は"文証、文証"と言う文そのもの、いわゆる"御書根本で、一切、文に依るべし"という主張を自ら捨て、右カッコ内の説明を加えざるをえないことから、大聖人のお言葉でも、表面上の表現による限り、正義を拝せないことを認めているようです。
 とすれば、信仰の根本である血脈相伝の法体を忘れて、始めから終わりまで、経文だ、御書根本だ、文が大事だと言う愚かな矛盾が少しは解るはずなのです。また、創価学会は、文底から拝せば釈尊とは大聖人であるなどとは、だれから教わったのですか。まさしく歴代上人が承継あそばされた血脈相伝の御指南によってこそ、御書の文義が正しく拝し得られたのではありませんか。これを、「大聖人直結」と言うところに、我見、増上慢、無知忘恩の背逆があるのです。(第67世日顕上人『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』99頁~)


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●相構えて相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ(『生死一大事血脈抄』全集1338頁)
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この御文に「法主経由」などという概念は入り込む余地はありません。それでも「法主経由」だというのならば、この御文は嘘なのですね?(^o^)
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 おいおい、それだと、日蓮宗や正信会、顕正会は勿論、創価学会にまで血脈が流れていることになってしまうぞ(爆笑)
 御書には、以下のような御指南もあるではないか。これらを総合的に判断して整合性のある解釈をしないといけないよ。

●総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり(『生死一大事血脈抄』全集1337頁)
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「生死一大事の血脈」は「弟子檀那」が異体同心であるところに成り立つのです。いかに数が多くても、「檀那」である在家だけで仲良くやっても、異体同心とならないことは明らかです。よって、「弟子」である僧侶を蔑ろにし、"僧侶不要"を唱える今の学会に、生死一大事の血脈が通わないことは明らかです。

●釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。(中略)背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり(『池上相承書』全集1600頁)
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「相承」を受けられた日興上人に「背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり」と仰せである。既に大聖人御入滅直後から"法主を経由"という"概念"が"入り込む余地"があったのである(爆笑)

 これは間違いもはなはだしい愚論であり、正しい見方は、最蓮房が大聖人に生死一大事の血脈についてお尋ねしたのに対して、その御返答が全体の主意をなしているのであります。故に、大聖人は「生死一大事の血脈」と限定されて、それは、
 「強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ」(『生死一大事血脈抄』全集1338頁)
と言われたのであり、それよりほかに生死一大事の血脈を求めるなかれ、と言われるのであります。
 これは明らかに、信心の上の生死に関する血脈と限定されております。故に、三大秘法の深意、法体金口について、大聖人、日興上人、日目上人、歴代上人の血脈を否定された語では絶対にないのです。むしろ、この文に執われて宗門の血脈を否定する創価学会の妄説を、経文に「義に依って語に依らざれ」と破されているのであります。少しはスリ替えをやめ、まともに考えなさい、と言っておきます。(第67世日顕上人『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』101頁~)

●法門上の異説異見は何によって起こるかといえば、機根が未だに熟さないうちに自らを省みず御書の一文一義に執して妄断するからである。即ち我見に任せて己義を立つるからである。古来仏法に於いて相承を尊び師伝を重んずるのは一に此の弊をなからしむるためである。聖祖は「法華経は相伝に非ずんば知り難し」と仰せられている。蓋(けだ)し仏法の奥底は相伝によって正しく理解することが出来るからである。(第64世日昇上人『日蓮正宗聖典』序)
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学会側の宗門批判は概して"木を見て森を見ず"の弊害があるようです。法門解釈も同様で、自分達に都合のよい御文に執着して、あたかも、それが全てであるかのように主張してきます。

●祖書を拝すればたしかに相反する御説示がある。しかし信じ奉る者にとって2つの相異る点があった時その2者をそのまま信じ奉ることはできない。その間に於て必らず1つが帰趣があると拝さなければならぬ。或は又全般の一分一分であるというならば、その全般至極のところは何かと拝さなければならぬ。(『日淳上人全集』7頁)

●およそ法門は、その所対によって異を弁ずるのであります。故に御書も、また歴代上人の文献も、五綱、三秘、教・行・証、法体、行法、功徳そのほか、下種仏法にも種々の面からの御指南があるのです。(中略)
 特に付嘱・相承の件は、仏法の一大事であり、やたらあちこちに多く説かれるはずがないではありませんか。釈尊より上行菩薩へ要言の法を結要付嘱されたのは、一代5千・7千の経巻中、ただ法華経神力品の1品であります。大聖人の御書は一代5百篇に垂(なんな)んとするも、日興上人への明白な付嘱を書かれた御書は『一期弘法抄』と『身延山付嘱書』ほか、わずかな相伝書と、唯授一人秘奥の相伝書のみであります。
 しかるに、法門の上の種々の御指南や解説の各文を挙げて、そこにないから相伝がないと言う。こんなことをまともに言うのは、よほどの「たわけ」であります。真実甚深の正義は文証の数ではなく、文証そのものであります。つかみそこないの文証をいくら挙げても創価学会の謗法は免れず、論理の破綻をきたすだけなのであります。(第67世日顕上人『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』137頁)


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大聖人は『生死一大事血脈抄』の中で「只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ」(全集1338頁)と、最蓮房に仰せられている。ここでは、最蓮房という一門下に〝釈尊から上行菩薩へと結要付嘱された南無妙法蓮華経を、あなたも唱えて血脈相承しなさい〟と勧められている。結要付嘱の法体が法主だけに血脈相承される、などという後世の説は、この大聖人の御教示に反している。(脱落僧・松岡雄茂)
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『生死一大事血脈抄』の当該御文は、汝の言う〝最蓮房という一門下に「釈尊から上行菩薩へと結要付嘱された南無妙法蓮華経を、あなたも唱えて血脈相承しなさい」と勧められている〟などという意味ではなく、「南無妙法蓮華経は、釈迦多宝から上行菩薩へ血脈相承された結要付嘱の大法たることを信じて修行に励みなさい」との意味である。汝の言は、大聖人の御指南を己義我見をもって解釈した偽言であると断ずる。したがって〝結要付嘱の法体が法主だけに血脈相承される、などという後世の説は、この大聖人の御教示に反している〟などという邪論も成立しないのである。(『大白法』H17.12.1)



【「日蓮が弟子檀那」の要件】
●総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり・・・信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり(『生死一大事血脈抄』御書514~、全集1337頁~)
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「総じて日蓮が弟子檀那」「信心の血脈」とあるように、これは日蓮大聖人の正統門下が正しい信心によって受けられる血脈のことです。日蓮大聖人の正統門下であるためには、唯授一人の血脈を信じ、別付嘱の方に随順することが必要なのです。ここでは同抄の趣旨より、「日蓮が弟子檀那」であるための要件については言及されていないのです。

●又日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者をば御用ひあるべからず。恐々謹言(『一谷入道女房御書』御書831、全集1330頁)
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と厳しく御制誡あそばされたのは、法体相承の有無を判ぜよと御教示されると同時に、難信難解・甚深微妙(みみょう)なる御本仏の御法門は、唯仏与仏の御境界においてのみ、初めてすべてを領解(りょうげ)しうることを御教示あそばされたものであり、大白法の惑乱を防ぎ、末法万年に伝持・流通(るつう)せしめ、広宣流布の大願成就を勧奨あそばされんがためであったことを知らねばなりません。(安沢淳栄 御尊師『大日蓮』)

●日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、(中略)血脈の次第 日蓮日興(『日蓮一期弘法付嘱書』御書1675、全集1600頁)
●釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。(『身延山付嘱書』御書1675、全集1600頁)
●日蓮が正義(しようぎ)悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢(おわ)んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり(『具騰本種正法実義本迹勝劣正伝』御書1702、全集869頁)
●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人著『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
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信心の血脈は「総じて日蓮が弟子檀那等」が平等に受けられます。これに対して日興上人が受けられた付嘱は、唯授一人であり、その内容は「日蓮一期(いちご)の弘法」「釈尊五十年の説法」なのです。だからこそ全ての御書を正しく解釈できるのです。信心の血脈があっても御書を正しく解釈できるとは限りません。

『生死一大事血脈抄』の御指南は「総じて日蓮が弟子檀那」であることを前提としての内容です。「日蓮が弟子」であるためには「日蓮が判」が必要なのであり、大聖人滅後は、別付嘱を受けられた方に随順することが大事なのです。それができなければ、いくら『生死一大事血脈抄』の内容を実践しても「背く在家出家共の輩は非法の衆」となり、信心の血脈は流れないのです。

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血脈(久遠以来の本法本仏の血脈)
●此の妙法蓮華経の五字過去遠々劫より已来寸時も離れざる血脈なり(『生死一大事血脈抄』全集1336頁)
      <1>           <2>              <3>
血脈総(信心の血脈)法体の血脈生死一大事の信心の血脈信心の血脈(横に「広大の義」)
法門の血脈
別(唯授一人)法体(大御本尊とその内証)の血脈信心の血脈(縦に「甚深の義」)
法門(法水)の血脈
(法蔵)

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【日顕上人御説法】(霊宝虫払大法会・昭和62年4月6日・於御影堂)
―信心の血脈に総別があり、別しての信心の血脈を、唯授一人の血脈とされていると拝する。―

 以前からたびたび申したことでありますが、大聖人の末法万年の一切衆生救済の大慈大悲、その究竟の法体法門は、五段の相対、教相観心、宗教の五箇、宗旨の三箇、文上文底、本地垂迹、自行化他、甚深の口伝、血脈等あって容易にうかがい知れぬところであり、大聖人もまた御弟子方の機根を深く御覧あそばされました。故に、大聖人の一往の義を信解した弟子であっても、再往の深義を信解できない者に対しては、既に一往順縁の姿があり、かつ末法万年弘通の始めであるため、強いて再往の深義を説き聞かせて、弟子が信受せず、謗りの逆縁を結ぶことをむしろ避けられたのであります。(中略)

1●人により信心に格差があるため、大聖人は信心の浅い者には「強いて再往の深義を説き聞かせ」なかったのだと、仰せであります。唯授一人の血脈の必要性が、ここにも明らかです。総じての信心の血脈だけでよいのであれば、また、御書にすべてが載っているのであれば、特に人を選んで「再往の深義」を伝える必要などなかったはずです。


故に、血脈相承とは、信心の血脈がその基(もとい)をなすのであり、その信心の血脈によって仏の本地甚深の境地に基づく法体法門の血脈が、一器より一器へ流れ通うのであります。日興上人が大聖人に信心の血脈を通じて即身成仏の大法を承継された如く、日興上人の弟子檀那僧俗は、日興上人に信伏随従して大法についての信心の血脈を得、師弟不二の境地に至って成仏の本懐を遂げられたのであります。

2●「仏の本地甚深の境地に基づく法体法門の血脈が、一器より一器へ流れ通う」とは、唯授一人の血脈相承のことです。大聖人滅後は、唯授一人の血脈を受けられた日興上人に「信伏随従して大法についての信心の血脈を得」たのです。


 また、日興上人より日目上人、日道上人と縦に附属される血脈は、その時代その時代における僧俗一同と化儀化法において一体の信解に住し、摩障を払い邪義をは破し、正法の令法久住と興隆に努めるとともに、それぞれ下種成仏の本懐を得られたのであります。(中略)

3●「日興上人より日目上人、日道上人と縦に附属される血脈」とは、唯授一人の血脈のことです。この唯授一人の血脈と「一体の信解に住し」たからこそ、「それぞれ下種成仏の本懐を得られた」のです。これは、明らかに総じての信心の血脈の前提に、唯授一人の血脈への信が必要であるとの御指南です。


法華大法の信心の血脈には、縦に甚深の義と、横に広大の義が同時に具わっております。甚深の義については、宗祖大聖人の甚深の寿量文底の法体に至るまでの一切の仏法を受けきるところの信心の血脈あって、初めて真実の仏道が伝承されるのであります。また、広大の義については、この信心の血脈はけっして法主一人でなく、正義を伝承する僧俗一切が、その信条、、法門について一体の信心を保ち、化儀の実践をなすところ、法水相通じて信解得道全く等しく、無量の民衆が即身成仏の本懐を得るのであります。

信心の血脈には「縦に甚深の義」と、横に「広大の義」が同時に具わっているとされます。「甚深の義については、宗祖大聖人の甚深の寿量文底の法体に至るまでの一切の仏法を受けきるところの信心の血脈」とありますが、これこそ上記3●の唯授一人の血脈なのです。


 故に、大聖人より日興上人への唯授一人の血脈を否定する者は、信心の血脈における甚深の義に背く者であり、また、日興一人のみの偏狭な血脈と謗る者は、信心の血脈が一切を包容し、十界皆成する広大の義に盲目であることが指摘されます。

●唯授一人の血脈を否定する者を批判されていることは明らかです。信心が確立すれば御本尊と境智冥合するのですから、内証において大聖人=歴代上人=我々、となるのです。しかし、信心を確立するためには「唯授一人の血脈」への信が不可欠なのです(上記2、3)。


 実に日興上人は、法門法体に関する大聖人仏法の一切を、信心の血脈を根底とする信解をもって如実に伝承あそばすとともに、常随給仕のかたわら、末法万年の広布の実相について大聖人の御物語を拝承された故に、重々の相伝と御本尊伝承が拝される所以であります。(中略)

●「末法万年の広布の実相について大聖人の御物語を拝承された故に、重々の相伝と御本尊伝承が拝される」と仰せのように、特別な相伝相承が存在したことを日顕上人も認められているのです。


 しかして、この久遠元初の三宝が末法に出現し、宗祖大聖人より日興上人への唯授一人の付嘱をあそばすことこそ、久遠即末法の義において全く久遠元初の結要付嘱であり、三世常住にその法体は不変であります。故にまた、その意を含んで「同意」といわれるのであります。したがって、
 「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり云々」(同1600頁)
の文こそ、末法弘通の一切の法門法体の深義を束ねて日興上人に付嘱あそばすとともに、本門弘通の大導師たる任を委ねられ、師資の血脈を示し給うのであります。
 この唯授一人の血脈も、その基本的本質は前来述べる如く信心の血脈に存します。かの五老等の人々は、この宗祖弘法の根本に対し二而不二の境地に至るべき信心の血脈が通じなかったために、宗祖本懐の法門について正理に契合せず、したがって、極意の相伝を受けられた日興上人に同心なしえなかったのであります。しかるに、末法万年の衆生救済の仏法においては、僧俗を問わず、この根本の一器より一器への相伝に対する信解が確立するところ、即身成仏の大法とその利益は縦横無尽に開花し、顕現するのであります。

4●「かの五老等の人々は、この宗祖弘法の根本に対し二而不二の境地に至るべき信心の血脈が通じなかった」と仰せのように、信心の血脈は人によって格差があるのです。 「極意の相伝を受けられた日興上人に同心なしえなかった」と仰せの「相伝」とは唯授一人の血脈相承です。そして「僧俗を問わず、この根本の一器より一器への相伝に対する信解が確立するところ」とあるように、総じての信心の血脈の前提として、別しての唯授一人血脈への信が必要であると仰せなのです。


 いわゆる、信解抜群にして宗祖2祖の信心の血脈を疑わず、勇猛精進するところ、僧にあれ、俗にあれ、僧から僧へ、俗から俗へ、さらに広くその信心の血脈を伝えつつ展転して衆生を利益することが下種仏法の相であります。

●「宗祖2祖の信心の血脈」=唯授一人血脈であることは上記1~4●から明らかです。


 その一大実証は、近年、正法の日本ないし世界の礎を開かれた、創価学会における初代、2代、3代の会長方々における信心の血脈の伝承であります。その指導による広布の大前進において、有智も無智も男女を嫌わず、妙法の実践をもって真の勝妙の境を得、仏国土の建設と、世界平和に貢献する活動の実証において、深く広くその意義と功徳が顕れております。

●凡夫の信心の血脈が、いかに不安定であるかを如実に示す御指南です。日達上人からも褒められたことがある学会でしたが、52年路線終結にあたり、日達上人に反省懺悔しなければならなかったことも事実です。もし、あの時(昭和54年頃)反省懺悔していなければ、今回同様、破門されていたでしょう。


 この信心の血脈は、古来よりの法華講の信心の歴史においてもまた多く見ることができます。
 要するに、日蓮日興唯授一人の相伝血脈は、その信心において万人に通ずるものであり、かかる信心の血脈が正法の僧俗一切の行学の根底であります。故に、大聖人より日興上人への血脈が貫主一人しか解らぬ独断的、偏見的な仏法などというのは血脈の真義を解せぬ者の戯言であり、信心の一念に法水が流れるところ、有智、無智を問わず、万人のために即身成仏の功徳が実証として開かれているのであります。(霊宝虫払大法会・昭和62年4月6日・於御影堂)

仏の出世の目的は一切衆生を救済することなのですから、唯授一人の血脈が万人に流れ通う可能性があるのは当然です。しかし、現実問題として、信心のないものに血脈が流れないのは当然です。入信して、信心していても境涯に浅深があるのも事実なのです。その意味で、総じての信心の血脈が確立して大聖人と師弟不二の境地となる、というのは、我々にとっての信心の到達点、目標点だといえます。信心したからといって、直ちに信心の血脈が完全に得られる訳ではないのです。むしろ、信心の血脈を確立するためにこそ、唯授一人の血脈相承への信が必要なのです(上記1~4●)。もし、唯授一人の血脈相承が不要であるならば、大聖人が日興上人御一人に法を附属し、わざわざ「(日興上人に)背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり」(『池上相承書』全集1600頁)と誡める必要もないのです。

★以上のように、日顕上人は、唯授一人の血脈と総じての信心の血脈をまったく同列に扱われたのではありません。むしろ、信心の血脈を確立するためには、唯授一人の血脈への信が大切であると仰せなのです。そして、唯授一人の血脈への信が深まることによって、信心の血脈が確立し師弟不二の境地となるのです。

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【日顕上人御講義】
―結要付嘱の妙法蓮華経(三大秘法)―
―佐渡以前の御化導=本門の題目㊦―
―法華講夏期講習会・第7期(平成16年7月10日於総本山客殿)―

(『大白法』H16.11.16抜粋)

 『生死一大事血脈抄』は、佐渡の国にお出でになって問もない文永9(1272)年2月の御書なのです。
 大聖人様は、一往、配流というかたちではありますけれども、文永8(1271)年の10月10日に相模依智の本間邸を出発あそばされて佐渡に向かわれたのです。そして、たいへんもったいない話ですが、11月1日から塚原の三昧堂に捨てられるわけです。その極寒の吹き曝(さら)しのごとき塚原の三昧堂でその年を越され、その翌年の文永9年2月に『開目抄』をお認めになったのですが、その直前の2月11日にお認めになったのが、この『生死一大事血脈抄』であります。この御書は、最蓮房に与えられております。
 この御書を拝する前に少々申し上げたいことがあります。大聖人様の御書の内容には、根本の確固たる筋道がありますが、また僧俗の種々の機根に応じて世界・為人・対治・第一義という四悉檀の上からいろいろな段階における御指南があります。
 しかし、一期御化導の中心根幹たる三大秘法の随一、本門戒壇の大御本尊から一切を見れば、これらすべての御書の順序段階と表現の相異を総合的に正しく拝することができるのであります。
 と言うのも、大聖人様のたくさんある御書の中の一方面における顕れ方としては、やはりお釈迦様の教えの方便と真実を整理するという意味があるのです。これはまた同時に天台大師の教学を整理する意味にも通ずるのです。そこに内外相対・大小相対・権実相対・本迹相対・種脱相対等のけじめからの従浅至深、破邪顕正があるわけですけれども、もう1つは相手の機根に応じて説かれる四悉檀の意味があるのです。つまり立宗の初めとして一往の応病与薬、病に応じて薬を与えるという指南が拝されるのです。
 この『生死一大事血脈抄』は最蓮房に与えられた御書ですから、日興上人に血脈相承の上から示された妙法蓮華経の根本法体の御指南と比べると多少表現が違うのです。根本のところは明らかにお示しになっているけれども、お釈迦様の化導の範囲を考慮あそばす上において、最蓮房に示されておる意味があるわけです。それが先ほども述べた四悉檀ということであります。(中略)


夫生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり。其の故は釈迦多宝の二仏、宝塔の中にして上行菩薩に譲り給ひて、此の妙法蓮華経の五字過去遠々劫より已来寸時も離れざる血脈なり。妙は死、法は生なり、此の生死の二法が十界の当体なり(乃至)釈迦多宝の二仏も生死の二法なり。然れば久遠実成の釈尊と、皆成仏道の法華経と、我等衆生との三つ全く差別無しと解りて、妙法蓮華経と唱へ奉る処を生死一大事の血脈とは云ふなり。此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり。法華経を持つとは是なり。所詮臨終只今にありと解(さと)りて、信心を致して南無妙法蓮華経と唱ふる人を「是人命終為千仏授手、令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候。(乃至)総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か。剰(あまつさ)へ日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば、例せば城者として城を破るが如し。(『生死一大事血脈抄』御書513~4頁)

 まず「夫生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」とありますが、この「生死」については先ほどお話したとおりです。一切衆生が生まれたり死んだりする中での迷いの姿であります。つまり生死に迷っておるということが生死の意味であります。
 次の「一大事」ということは何かと申しますと、仏の慈悲による救済であります。生死に迷っておる衆生を仏の大慈悲によって救わんとするところの救済の内容が、一大事ということをもって示されるわけです。
 その一大事というのは、法華経に説く「一大事因縁」であります。皆さん方が毎日読まれている『方便品』は、
 「如是本末究竟等」(法華経90頁)
までですが、その後に、
 「世雄不可量 諸天及世人 一切衆生 類無能知仏者」(同)
と、『世雄偈』というのが続いていくのです。そのずっと後のほうに「一大事因縁」という経文が出てくるのです。すなわち、
 「諸仏世尊。欲令衆生。開仏知見。使得清浄故。出現於世。欲示衆生。仏知見故。出現於世。欲令衆生。悟仏知見故。出現於世。欲令衆生。入仏知見道故。出現於世。舎利弗。是為諸仏。唯以一大事因縁故。出現於世。(諸仏世尊は、衆生をして、仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是を諸仏は唯一大事の因縁を以ての故に、世に出現したもうと為(な)づく)」(同102頁)
の御文です。
 これは何かと言うと、完全な悟りを持ち、悪道に堕ちない幸せな命としての仏の知見を開かしめるということで、つまり衆生をして仏知見を、開かしめ、示し、悟らしめ、入らしめるという、この開・示・悟・入の四仏知見が示されておるのです。ですから生死で迷っておる衆生を救済するための究極の内容を一大事と言うのです。
 それから次の「血脈」というのは、血の脈による流れなのです。皆さん方も腕を軽く押さえてみると脈が打っているでしょう。つまり皆さん方の身体においては、心臓の働きによって間断なく脈を打って血液が身体中を回っているわけです。もしもこの流れがなくなったとしたら、あっと言う間に死んでしまいます。したがって、常に脈を打って身体中に血液が回って皆さん方の生命が存続しているように、仏の大慈悲の命たる仏法が間断なく、絶えることなく流れ伝わっていくという意味であります。それが血脈という意義です。
 ですから生死一大事の血脈ということは、衆生の迷いを破り、それを導かんがための仏法の究極の内容が変わることなく常に流伝していく、その流伝存続の意義をもって血脈と言われるのです。すなわち、それが生死一大事の血脈であります。
 その法体とは妙法蓮華経であり、そこから離れて仏法の真の流れによる存続はないという仰せです。
 「其の故は釈迦多宝の二仏、宝塔の中にして上行菩薩に譲り給ひて、此の妙法蓮華経の五字過去遠々劫より已来寸時も離れざる血脈なり」。先ほどまでに挙げた御書には「上行菩薩に譲り給ひて」という言葉は全くありませんでしたね。これは佐渡以前の御書には拝せられないのです。ところが佐渡からの各御書には、このように「上行菩薩」ということをお示しになってこられます。
 それから、この御書には「妙法蓮華経の五字」を「上行菩薩」に譲られたということが、はっきりと示されております。この「譲り給ひて」とお示しになっておるのが、『神力品』の結要付嘱の意義をここに述べられておるのであります。
 そして、この妙法蓮華経が過去遠々劫より寸時も離れない仏法の命脈であると仰せです。つまり付嘱による妙法蓮華経という仏法の根本法体をもって、血脈としての永劫に尽きることのない、常住の仏法の流伝存続があるとお示しであります。
 次は、妙法についての法理を述べられます。「妙は死、法は生なり、此の生死の二法が十界の当体なり」。これは妙法を分けると生と死になるということで、すなわち「妙」という意義は、法界の一切を生ずる元として普遍的存在たる「死」に当たり、「法」ということは、具体的な六道・四聖等のかたちで法界のそれぞれが存続する上から「生」に当たるのです。
 先ほども述べたように、あらゆるものに生があり、あらゆるものに死がありますから、その生死とは、そのままが十界の当体当相である。よって、この妙法が「生死の二法」であり、それがそのまま「十界の当体」であるということです。
 次に「釈迦多宝の二仏も生死の二法なり」と仰せられるのは、一切を悟られた仏も生死の二法であるとの意です。すなわちこれは「釈迦」を「生」とし、「多宝」を「死」と配するのです。多宝如来は、そもそも『宝塔品』に、
 「此の仏滅度したまいて 無央数劫(むおうしゅこう)なり」(法華経347頁)
と示されるように、すでに過去に亡くなっている仏様なのです。その多宝如来が誓願力によって法華経の会座に現れてきたのです。
 要するに、心の用きというものは因縁によって無限なのです。ですから仏様が衆生を導かんがために、特に本懐の法華経を説かれる時に、無央数劫の昔に滅度されたところの多宝如来が、過去の誓願によって実際に法華経の会座に御出現になったのであります。そして、法華経の真実であることを証明されました。つまり亡くなった仏様でありますから、釈尊は生、多宝は死という道理になり、そこでこの二仏を「生死の二法なり」と言われるのであります。
 次は、本門の上からの妙法即身成仏を示されるのです。「然れば久遠実成の釈尊と、皆成仏道の法華経と、我等衆生との三つ全く差別無しと解りて、妙法蓮華経と唱へ奉る処を生死一大事の血脈とは云ふなり。此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり。法華経を持つとは是なり」。このところで「久遠実成の釈尊」とおっしゃっています。これは佐渡の時期でもあり、未だ最後究竟の御本尊の当体を顕し給うには不定の意味があります。
 ただし、同じ佐渡期でも『当体義抄』には、
 「五百塵点劫の当初(そのかみ)」(御書696頁)
とあり、後の弘安期の『総勘文抄』や『三大秘法抄』も、
 「当初」(同1419頁)
と示されています。したがって、ここでは「久遠実成の釈尊」という表現ではあるけれども、そのもう1つ奥には久遠当初の釈尊、すなわち「久遠元初の自受用報身如来」の意がおわしますのです。
 つまり、この「久遠実成の釈尊」という意味は、「久遠元初の自受用報身如来」であり、それは『寿量品』の本因妙の仏様なのです。すなわち『寿量品』に、
 「我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数」(法華経433頁)
という18字がありますが、そこのところがむしろ『寿量品』のさらに奥の根本なのです。その根本のところにまします仏が、文上の表現においては久遠実成であるけれども、その奥においては、そのまま久遠元初の自受用報身如来であるということです。このことについて大聖人様は、末法弘通の御本尊の法体として、日興上人にはっきりとお示しになっておるのであります。
 そして、この「久遠実成の釈尊」と「皆成仏道の法華経」と「我等衆生」の3つが、妙法蓮華経の五字において全く差別がないと解り、妙法蓮華経と唱えることが「生死一大事の血脈」であるとお示しであります。つまり仏様と妙法と我々とは本来1つであり、これが「生死一大事の血脈」として妙法を信行するところ、我々の迷いの命がそのまま常住の仏界を成就していくところの道であると仰せであります。すなわち「此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり。法華経を持つとは是なり」との御文のごとくであります。
 これに基づくところが、次の生死の中の死について、不堕悪趣の御指南であります。「所詮臨終只今にありと解りて、信心を致して南無妙法蓮華経と唱ふる人を『是人命終為千仏授手、令不恐怖不堕悪趣』と説かれて候」。この「是人命終為千仏授手、令不恐怖不堕悪趣」というのは、『普賢菩薩勧発品第28』の文であります。これは、
 「是の人命終せば、千仏に手を授けられて、恐怖せず、悪趣に堕ちざらしめたもうことを為(え)て」(法華経602頁)
というように読みます。つまり題目を唱える功徳をもって多くの仏様が競い合って手を出されて、この人を正しく導いてくださる、救ってくださるということが経文に説かれてあると述べられております。
 この次は、いよいよ引文の最後です。すなわち現当二世の上からの「生死一大事の血脈」に関する御指南であります。
 「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か。剰へ日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば、例せば城者として城を破るが如し」。
この御文は何回も聞かれているでしょう。まことに有り難い大事な御文であります。
 これは要するに、日蓮が弟子檀那は異体同心しなさいという金言です。つまり身体は1人ひとりみんな異なっておりますから、生活も違えば過去からの経歴や環境も違うわけです。けれども妙法の信心の上においては心は同じ、つまり1つであり、またそうでなければならないということです。これは正法を信ずる僧俗が、信心の上からお互いに本当に志を同じくする得難い人々であるという心で1つになっていくことであります。
 ところが、たまに変なことを聞くのです。ここにおいでになる皆さん方の信心は清浄であると思いますが、お寺へ来る御信徒の方々同士が、お互いの悪口を言い合ったりして、互いに足を引っぱり合うようなことが、たまにあるように聞くのです。これは主として怨嫉によるのであり、よくありません。つまり大聖人様の仰せの異体同心に背いているのです。
 どんなに環境が違い、生活が違って、貧富や位の高下があっても、信心の上からは平等なのです。ですから貪・瞋・癡等による浅はかな怨嫉を捨てて、お互いが心の底から成仏のため、広布のための同志であり、仏子であると心得て、お互いに助け合いつつ功徳を成就していこうという気持ちで精進していくべきであります。
 したがって、人を謗ったり、陥れたりするようなことは絶対によくないのです。そのようなことがあっては広宣流布も叶いませんし、またその人自身がやはり罪障を積んで、その分においては、たとえ御題目を唱えていたとしても地獄に堕ちることになるのであります。
 故に大聖人様の御書にも、
 「我が弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず等云云」(御書751頁)
という厳しいお示しもあるわけです。やはり異体同心ということが非常に大事であると思います。
 世間の人たちは、いろいろな思想に執われて迷うため、初めから異体異心なのです。ですから我利我利の利益を先として、悪口の言い合いをしたり、常に喧嘩ばかりして足の引っぱり合いをしているのです。
 しかるに、本宗の信心を持っている我々は、その集まりの中で本当に正しく成仏の道に向かって互いに助け合い精進し、功徳を成就していくことが大切であります。
 「自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり」。この御文のごとく、異体同心の唱題が永劫に変わらざる血脈として、皆さん方が即身成仏の功徳を得られるということの大慈悲の御指南であります。
 「然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か」。しかればすなわち、そこにおいてこそ広宣流布の大願が叶うのであると仰せであります。
 そして最後の言葉として「剰へ日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば、例せば城者として城を破るが如し」。この「異体異心」というのは、実は仏法の根本に逆らうところからそういう姿がはっきりと現れてくるのです。
 本宗以外の日蓮宗各派の人たちは、
 「血脈の次第 日蓮日興」(御書1675頁)
という根本の唯授一人の血脈相伝の仏法が判らないために、大聖人様の付嘱の法体たる三大秘法に迷っておりますから、どうしても異体異心になってしまう
のです。そういう者と、仏法のけじめをつけず一緒になっていくところに、やはり異体異心のかたちが出てくる意味があると思います。
 なかでも、特にひどいのが創価学会であります。彼らの迷いの根本は、やはり創価仏法ということを言い出したことにあると思います。創価仏法とは、いったい何でしょう。いったい全体、そんな莫迦な話が日蓮大聖人の仏法にあるでしょうか。全くありません。根本は、700年来の大聖人様の仏法そのものです。
 初めは、昭和5年に牧口常三郎という常在寺の信徒が、創価教育学会というのを創立したところから発展して、それが今日の創価学会という宗教団体になったに過ぎないのです。宗教法人を取って宗教団体になったからと言っても、別に大聖人様の仏法を凌ぐようなものではなく、またそれでは大謗法です。本来は、あくまでも大聖人様の仏法を信ずる一信徒の団体のはずなのです。
 ところが、池田大作の増上慢は次第に、大聖人の仏法の団体の主体は我々にある、自分にあるなどと言い出したのです。ここに創価学会の大きな慢心と、我田引水が存したわけであります。大聖人の仏法の本筋をきちっと信解することができないために、慢心の姿から大法に背くかたちがはっきりと現れ、それが今日、あらゆるかたちにおいて異体異心という、大聖人違背の姿をもって現れてきておるわけであります。
 思えば、池田創価学会に元から存在した仏法違背が、平成2年の暮れより顕著な姿として徐々に現れてきました。その頃から私は、日時を経過すればするほど創価学会の悪業、謗法の姿がはっきりと出てくるということを予言しましたが、これは今日、本当にそのとおりで、あらゆる面が狂ってきております。
 このような団体が、日本の国を左右しようというような大それた考えを持っているのですから、これはたいへんなことであります。
 したがって皆さん方は、そういう意味において、選挙で投票する場合には、やはり今日の政治の上から本当に正しい見方を持って1票を投じていくことも大切であると思うのであります。
 ともかく、そのようなかたちにおいて、異体異心の者が城者として城を破る姿になっております。これらを本当にはっきりと意識して破折していくところに、我々日蓮正宗僧俗の今後の正しい道がある、またそこに異体同心の真実の団結による成仏の道があるということを申し上げまして、本日の話に代える次第であります。





日興遺誡置文

<1>大聖人の御内証が歴代上人に相伝されていることは、大聖人・日興上人等の御指南に明らかである(<血脈相伝の体>参照)。この唯授一人の血脈こそが、宗旨の根本である。

<2>当該御文(下記1●、9●)に対する歴代上人の解釈もまた、上記<1>を前提としてなされている。つまり"血脈付法の貫主が、「己義」を構え「媱犯(ようはん)」を行うはずがない"というのが、歴代上人の一致した真意である。如何にしてそのことを解釈に反映させるかに苦心されているかが痛いほど伝わってくるのである。

<3>そうであれば、後代の弟子檀那もまた、歴代上人の真意に沿った解釈を探るべきであろう。



[時の貫首]
 【歴代上人の解釈】
  <日達上人>
  <日顕上人>
  <日亨上人>

 【「之を用う可からざる事」の適用例?】
  <第31世日因上人>
  <第59世日亨上人>
  <第53世日盛上人>


[一旦の媱犯(ようはん)について]
 【「媱犯」の意味】

 【「衆徒に差置く」について】

 【妻帯】
  <末法無戒>
  <妻帯僧>
  <第52世日霑上人の解釈>
  <第59世日亨上人の解釈>

 【「僧俗平等」説く学会の矛盾】


[化儀改変と法主の権能]
 【時機に応じた化儀】
 【唯授一人の血脈】


[学会の自語相違]

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[時の貫首]

1●時の貫首為りと雖も仏法に違背して己義を構えば之を用う可からざる事(『日興遺誡置文』全集1618頁)
2●衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧(くじ)く可き事(『日興遺誡置文』全集1618頁)

3●日興謹んで之を記し奉る。聖人の言く此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり(『産湯相承書』全集880頁)→後加文ではありません。
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日蓮正宗においては、この『産湯相承書』などで説かれる唯授一人血脈相承以外に、貫首を選ぶ方法はありません。また、広宣流布と令法久住の責任者である重大な立場について、新たな選定方法も決めずに、貫首を更迭する規定だけを設けるなど、考えられないことです。従って、上記1●の「用う可からざる」は、貫主の更迭を意味するものではないことは明らかです。


【歴代上人の解釈】
<日達上人>
4●時の貫主とは、その宗の頭、即ち現在の管長であり法主である。管長であるから宗門を運営するに当って、誰を採用し、任用してもよいのであるが、大聖人の仏法に違背して自分勝手な説を立て、しかも注意されても改めない人を用いてはならない。つまり、時の貫主の権限を示されているのである(第66世日達上人『略解日興遺誡置文・日有師化儀抄』13頁)

5●「日蓮正宗宗規」に、"管長は法門の正邪を決定する"という意味のことが明らかに載っております。血脈を受けてその法門に従って、そして法門の正邪を決めるのは貫首ではないですか。だから、貫首が己義を構えると考える人はとんでもない考えの人です。それでは血脈相承を受けていない人ということになってしまいます。血脈相承によって御法門を解釈していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります。(『日達上人全集』第2輯7-342頁/『大白法』H16.4.1)


<日顕上人>
上記1●の御文は、文法上「用う可からざる」の主語を貫首にすることもできるし、貫首以外にすることもできる、曖昧な表現です。そこで日顕上人は、上記日達上人の解釈(4●)を踏まえた上で、文法上の一方の読み方の可能性、つまり主語が貫首でないとした場合の解釈を、敢えてされたことがあります。しかしそれは、あくまでも「そんなことは絶対ないけども」という前提条件付きでおおせられたのです。

6●もしも私が間違ったことを言い出したならば、皆さん方はそれを用いてはいけないのであります。(中略)しかしながら、「用うべからざる事」とあるのであって、直ちに法主の立場にある者に対して反逆し、悪口を言い、謗るということではないのです。この「用うべからざる事」とは、あくまで受動的な意味でありまして、そこに法華経の本義、すなわち大聖人様から日興上人、日目上人と付属されておる意義が存するわけであります(第67世日顕上人『大日蓮』557号57頁)
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 「『用うべからざる事』とは、あくまで受動的な意味でありまして、そこに法華経の本義、すなわち大聖人様から日興上人、日目上人と付属されておる意義が存するわけであります」と仰せのとおり、唯授一人血脈相承を受けられた方が、「悪口」「謗り」「反逆」に甘んじなければならないような謗法行為を、積極的継続的意識的に行うことなど、絶対にないのです。もし、万が一「己義を構える」ように思える言動があったとすれば、それは、表現上の不注意による誤解、伝聞などによる誤解、曲解などによる場合以外ありえないのです。
 上記2●に「衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧(くじ)く可き事」とあります。1●が「用う可からざる事」と消極的な表現であるのに対して、ここでは「摧く可き事」と積極的表現になっていることにも注目すべきでしょう。

 ●上記1●の「用ふべからざること」に対し、2●では「摧くべき事」と、師弟の厳然たる筋目が立て分けられている。すなわち、弟子分に許されるのは、あくまでも己義を用いぬ事に止まるのであって、これを逆にいうならば、弟子分にある者が貫主(御歴代上人)を摧くことは許されぬ、との師弟相対の深旨が含められているものと拝すべきである。しかして、貫主の御教示が正義か己義か、その用否を判ずるのは誰かといえば、何よりも第1に後代の御法主上人が判ぜられ、その説を用いられないのであって、これを余の僧俗大衆が軽卒に用否を決することは、あまりに分限を超えていよう。もし万一、不幸にして、御歴代上人の御教示に何らかの疑問が感ぜられるとき、弟子分としての取るべき道は、ただただ、何回となく御法主上人に言上し具申させていただくところに尽きるのである(その中で、かえって、自らの捉え方に誤りがあることに気づく場合がほとんど、であろうが)。それが法体御所持の御法主上人に対し奉る、根本の信に住したうえでの、師弟相対の道を弁えた振る舞いである。
 こうした師弟の道のあり方は、師弟相対を主軸とする法華経、なかんずく師弟相対信の上に建立された本宗の信仰においてこそ、もっとも大切な守るべき姿勢といえるであろう。しかるを、「誤れる貫主と命がけで闘うことが本師大聖人に対する弟子の道」などと称し、宗門と対峙して独自の路線を進み、口汚なく御法主上人を誹謗したりすることは、まさに師弟の筋目を逸脱した異流義の輩となるのである。(「摧破異流義考」S63.10『暁鐘』別冊号)


<日亨上人>
7●一分の信あり、一分の行あり、一分の学ある者が、なんで仏法の大義を犯して勝手な言動をなそうや。(中略)いかに考えても、偶然に、まれに起こるべき不祥事としか思えぬ。(第59世日亨上人著『富士日興上人詳伝(下)』270頁)
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たとえば寛尊以前の、本宗教学が整理体系化されておらなかった上古の時代などに、ごく稀に起こりうることに対する備えであって、日常の通例と考えるべきではない(幸いにして、そのような事例は発生しなかったけれども)。(「摧破異流義考」S63.10『暁鐘』別冊号)
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これは「時の貫首」を主語としない場合の解釈です。「なんで仏法の大義を犯して勝手な言動をなそうや。」貫首が己義を構えるなど信じられない、というのが日亨上人の本心であることが、文面によく表れているではないか。ここでは一応、「偶然に、まれに起こるべき不祥事」と仰せですが、日亨上人は、唯授一人の血脈相承を根本としなければならないことを、他の書籍において種々御指南です。学会は、日亨上人の著書(『富士宗学要集』など)等を利用して、何人もの歴代上人が己義を構え謗法を犯したかのように主張していますが、「いかに考えても、偶然に、まれに起こるべき不祥事」という記述にも反することです。日亨上人の時代までに、このような不祥事があったという認識であれば「なんで仏法の大義を犯して勝手な言動をなそうや。」などと仰せになるはずもないし、以下のような御指南を何度もされるはずもないことです。日亨上人自身、唯授一人の血脈相承を根本とした師弟相対の信心を何度も御指南なのですから、仮に貫首に己義があったとしても、己義であることを判別するのは血脈付法の方であるべきであり、次の貫首もまた唯授一人の血脈相承を受けられた方に限られることは当然です。その意味で、唯授一人の血脈そのものを否定しようとする学会の行為は、日亨上人の真意に背くものと言わざるを得ません。

8●但し直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為して日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり(『百六箇抄』全集869頁)
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日亨上人は「後加と見ゆる分の中に義において支語なき所には一線を引き」(『富士宗学要集』第1巻25頁)とあるごとく、史伝書その他多くの文献にあたられ、さらに血脈相伝の上から内容に於いて正しいと判断されたから御書にも掲載されたのです。後加文だといって無視する学会ですが、少なくとも日亨上人の御指南であると考えるべきです。

<日亨上人>
・「いかに考えても、偶然に、まれに起こるべき不祥事としか思えぬ」(『富士日興上人詳伝(下)』)
・「末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり」(『百六箇抄』)


両者の違いは歴然!日亨上人にも敵対する池田学会!

<池田学会>
・「特別な相伝などない。稚児貫首、造読法主、神札法主、買春法主、・・・そして血脈断絶

★日達上人は日亨上人の御指南を踏まえた上で、上記4●の解釈を示し、さらに「血脈相承によって御法門を解釈していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります。」(5●)と明言されているのです。

★以上のように、冒頭1●の御文は主語に拘わり無く、法主に対して積極的に攻撃したり、退座を要求できることを示したものではないのです。学会の日顕上人への言動がこの御文によって正当化されるなどということは、絶対ないのです。また、そのような解釈をされた方は、宗門歴代には1人もいません。

★少なくとも学会は、1●と2●の両方が矛盾なく成り立つ解釈を示すべきですが、自分達に都合の悪い2●の御文は無視しているのですから、全くの御都合主義だというべきです。

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 なるほど、御法主も末法の凡夫ですから、勘違いやミスもあるでしょうね。しかし、御法主ですらそういうことがあるのなら、他の人はもっと間違い(己義)があるでしょう。大体御法主のどれが、己義で、どれがそうでないとか、それこそ間違いの無い判別など誰がするのですか。若し己義でないものを己義といい、それが後に判明した場合、誰がその責任を取るのですか。学会の主張は無責任です。
 若し現御法主に己義があるというのであれば、何故池田大作さんは、どんな事があっても御法主に信伏随従しなければならないと、指導したのですか。おかしいではないですか。学会の言い分はこの問題以前と以後が全く矛盾しています。御法主に間違いがあるというのであれば、何故問題以前に御法主に従えという指導をしたのでしょう。特に正信会や顕正会に対しては徹底的にそう主張していました。
 正信会も当初は御法主への随従を学会に対して主張していました。しかし己の主張と御法主の御指南に相違が出てくると、不相承論や法主誤謬説を唱え始めたのです。
 学会と正信会は犬猿の仲ですが、御法主への対応は軌を一にしています。端から見ていて、猿が鏡に映った自分の姿に怒っているようにしか見えません。私は人間としても、学会や正信会の無節操にはついていきません。それに、池田さんには御法主以上にはるかに己義が多いでしょう。はっきり言って己義じゃなくて邪義ですけれど。(yh:17259/ginsen32002)




【「之を用う可からざる事」の適用例?】
<第31世日因上人>
当家造仏を許さず蓮祖開山已来已に五百年也 精師一人之を許す(第31世日因上人『日因随宜論批判』/堀帖25・47)

日興上人已下代々も亦爾なり、内証に順ずる則(とき)んば仏宝なり、外用に順ずれば則ち僧宝なり(第31世日因上人御消息 金沢妙喜寺蔵)
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「日興上人已下代々」が「内証に順ずる則んば仏宝」と仰せである。即ち、血脈付法の歴代上人は内証において大聖人と一体である、というのが日因上人の見解である。「日興上人已下代々」に日精上人が含まれることは言うまでも無い。


<第59世日亨上人>
師は要山出身であり、同山の主義を石山に輸入した仁であるから、ことさらに、その中祖日辰の説を無検討に尊重したるに・・・(第59世日亨上人『富士日興上人詳伝上』169頁)
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「師」とは第17世日精上人のことである。日精上人が残された文献を表面的に読む限りにおいて、そこには日蓮正宗本来の化儀とは懸け離れた内容が存在する。血脈付法の日精上人の本心真意がその文面通りであることは、信仰の次元から言えば在り得ないことである。しかしながら、現に残された史料に"邪義"が表れている以上、破邪顕正の上から批判を加えなければならない。

●但し直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為して日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり(『百六箇抄』全集869頁)
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「日蓮が正義」は「尽未来際に至るまで」「日興嫡嫡付法の上人」に「毛頭程も之れを残さず悉く付属」されていくのである。この文は所謂後加文であるが、日亨上人は「後加と見ゆる分の中に義において支語なき所には一線を引き」(『富士宗学要集』第1巻25頁)とあるごとく、史伝書その他多くの文献にあたられ、さらに血脈相伝の上から内容に於いて正しいと判断されたから御書全集にも掲載されたのである。「日興嫡嫡付法の上人」に日精上人が含まれることは言うまでもない。

★第31世日因上人や第59世日亨上人が第17世日精上人を破折されたのは、日精上人の方便の義または、日辰の義である。いずれも日精上人の本意ではない。両師は、『随宜論』などに表れた義が、日精上人の四悉檀に基づく方便の義であることに気付かれなかったのである。これは、残された断片的史料を総合的に判断し、著者の真意を推論するという、史料分析上の単なる技術的問題である。同時代の人々の間でさえ、誤解や行き違いは日常的に起る。そうであれば、何十年何百年も隔てた方の、しかも断片的史料のみを基にして、著者の真意を探るなどという作業が、如何に不確実なものであるかは容易に分かることである。
 一方、唯授一人の血脈によって宗祖の内証が伝持されていることは宗旨の根幹であり、信仰の次元の絶対不変の真実である。日因上人も日亨上人も、この点については同じ立場に立たれていたのである。

●而して後、法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し(第26世日寛上人著『文底秘沈抄』/『富士宗学要集』第3巻94頁)
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「法水」とは法門や戒律のこと。日寛上人は法門や戒律が「今に至るまで四百余年の間」「清浄」にして「断絶せしむる事無し」と仰せである。「今に至るまで四百余年の間」に日精上人の時代が含まれることは当然である。日寛上人は、日精上人の御説法を聴聞されたことがキッカケとなって入信・出家されたのであり、日精上人と同じ時代を生きられた方である。当然、日因上人や日亨上人よりも日精上人時代の末寺の状況には詳しかったはずである。その方が、日精上人を批判されるどころか法門、戒律が清浄であったと断言されているのである。このことからも、日因上人や日亨上人の日精上人に対する評価には、何らかの誤解が存在することが伺えるのである。

[法水瀉瓶]=血脈相承をあらわしている(『新版仏教哲学大辞典』初版1621頁)
[血脈相承]=法門、戒律を1人の師から1人の弟子へ絶えることなく授け伝えていくこと。(『新版仏教哲学大辞典』初版409頁)
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法水とは法門や戒律のこと。日寛上人は法門や戒律(化儀)も「清浄」にして「断絶せしむる事無し」と仰せである。


<第53世日盛上人>
日霑、大石寺を則り候(第53世日盛上人御消息)
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日盛上人は大石寺火災の後、その責任をお取りになる形で、下之坊、そして栃木県信行寺へとお移りになったが、(中略)当時は交通不便である上、通信もままならない時代であった。そのような状況の中、(中略)日盛上人におかれては、火災の責任、復興の遅滞、周囲の不帰依などに心労を重ねられ、加えて怪文書の横行―等々により、日霑上人との間に行き違いが生じ、ついには一時、「日霑、大石寺を則り候」との誤解をせられたものと拝察される。しかし、正法正師の間において、そのような状況が長く続くハズはなく、明治元年(火災から4年後)の日盛上人の筆による「口述の覚え」には、(中略)それまで日盛上人のもとに「悪口書」が流されていたが、それは心得違いの者の手によるものであったことが明らかになったので、その誤解による行き違いを、率直に日英・日霑の両上人へお詫び申し上げていることが拝されるのである。(『慧妙』)

・遠く時間や距離を隔てた人間同士には誤解や行き違いがつきものである。"貫主の言"と雖も例外ではない。様々な悪条件が重なり、貫主の真意が正しく伝わらない場合もあり得る。

・だから、伝聞・文書などによる"貫主の言"であっても法に違背した内容であれば、用いてはならない。"貫主の言"="貫主の真意"とは限らないからである。

・ただし、貫主より直接下された御指南は、無条件で拝信すべきである。

・つまり、「己義を構えば之を用う可からざる事」とは、貫主が己義を構える可能性のあることを示されたものではなく、貫主の真意が誤解される可能性について示されたものと拝するべきであろう。

●書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん(『太田入道殿御返事』全集1012頁)
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御本人の真書であっても、読む側の解釈によって誤解が生じ得る。事の真意は、直接お会いすることによってしか分からない場合も多い。

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時の貫首為りと雖も仏法に違背して己義を構えば之を用う可からざる事(『日興遺誡置文』全集1618頁)
設い天台の釈なりとも釈尊の金言に背き法華経に背かば全く之を用ゆ可からざるなり(『立正観抄』全集529頁)
両者を両立させる解釈こそ正しい<「御書根本」破折>参照)
●衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧(くじ)く可き事(『日興遺誡置文』全集1618頁)
●此の経は相伝に有らざれば知り難し(『一代聖教大意』全集398頁)
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天台大師や伝教大師が正しく一代聖教を解釈できるのは、釈尊よりの相伝によるのです。「依法不依人」とあるように仏説に拠るべきであるのは当然だが、その仏説自体に権経実経、顕教密教、本門迹門など様々あり、正しい相伝を受けた方(天台大師など)の御指南に基づかなければ、仏意に適った正しい解釈はできない。

●されば日蓮が、法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども(『開目抄』全集202頁)
●一念三千の法門は、但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。竜樹・天親知てしかもいまだひろいいださず、但我が天台智者のみこれをいだけり。(『開目抄』全集189頁)


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以上は「貫首」を大石寺の法主に限定した解釈である。しかし、『日興遺誡置文』を執筆された時、日興上人は重須に居られた。このことからすれば、「貫首」とは重須の住職を含む語であるとも考えられる。(<「貫首」の範囲について>参照)




[一旦の媱犯(ようはん)について]

9●時の貫首或は習学の仁に於ては、設(たと)い一旦の媱犯(ようはん)有りと雖も衆徒に差置く可き事(『日興遺誡置文』全集1619頁)

日蓮正宗においては、『産湯相承書』(3●)などで説かれる唯授一人血脈相承以外に、貫首を選ぶ方法はありません。また、広宣流布と令法久住の責任者である重大な立場について、新たな選定方法も決めずに、貫首を更迭する規定だけを設けるなど、考えられないことです。従って、上記御文の「衆徒に差置く可き事」の主語は「時の貫首」であり、時の貫首に対する訓戒であると考えるべきです。


【「媱犯」の意味】
学会は、上記文中「媱犯(ようはん)」の語を「淫犯」ないし「女犯」と解して猊座を貶めようとしている。だが、「一旦の媱犯(ようはん)」とは教導・化儀の上における、一度(た)び、一時的な誤り、等閑(なおざり)等を指しているものと拝される。(『慧妙』H9.11.16)



【「衆徒に差置く」について】<清流山荘>WS)
「一旦の媱犯(ようはん)」とは、一時的・過失的の事柄であり、一時的・過失的の事件であれば「そのままに捨ておく」との意味であり、別に特段の処分を論じている訳ではない。

[差し置く]さし‐お・く=他五「おく」を強めていう語。そのままに捨ておく。放っておく
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「衆徒」という言葉を「平僧」に置き換えると将に降格人事の意義が出てくるが、岩波の古語辞典には、

[衆徒]=僧徒・僧兵。大衆(だいしゅ)。(『岩波古語辞典』554頁)
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とあり、僧侶全体を云っているのであり、能化から所化までも含んでいるのである。鎌倉時代の当時の「衆徒」の使用法に就いては、日尊師の仰せを日大師が記録した『日尊実録』がある。これによれば、日尊師の言として、

●仰せに云はく、之に付いて予が思う事之有り。所詮、大聖人の御自筆の本尊を印板に掘み、当座道場六人の衆徒一同の評定と為して(日尊『日尊実録』/『日蓮宗宗学全書』第2巻『興尊全集興門集』419頁)
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とあり、明らかに当時は「衆徒」という言葉が、能化を含んで使用されていたものである。

故に、『日興遺誡置文』の「設ひ一旦の媱犯(ようはん)有りと雖も、衆徒に差置くべき事」の御指南は、日興上人から見た後世の能化・所化に対するものであり、降格も懲戒もふくんではいないものである。一時的・過失的な事件、出来事等は、一旦は捨て置いてよろしいとの御遺戒である。




【妻帯】<僧侶の肉食・妻帯・飲酒について>参照)
<末法無戒>
上記のごとく、9●の御文は妻帯を禁じたものではない。そのことは、「末法無戒」を示す以下の文証からも窺えます。↓ただし当然、聖職者として、その時代状況に応じた礼節等は在家信徒以上に守られるべきでしょう。その意味では男女関係に纏(まつ)わる事柄についても、僧侶は一般信徒以上に厳しく律していかなければなりません。しかし、あくまでも「末法無戒」「謗法厳戒」が前提であります。

●「若し五戒(※不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)を受持せん者有らば名けて大乗の人と為す事を得ず、五戒を受けざれども正法を護るを為て乃ち大乗と名く、正法を護る者は当に刀剣器仗を執持すべし刀杖を持すと雖も我是等を説きて名けて持戒と曰わん」と。(『立正安国論』全集28頁)
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日蓮大聖人の仏法においては受持即持戒であり、御本尊を受持することが唯一の持戒となります。ただし、謗法厳戒です。

無智無戒なる沙門を失ありと云って・是を悩すは此の人仏法の大燈明を滅せんと思え(『四恩抄』全集938頁)

●末法今時は悪心のみにして善心無し・師弟共に三毒強盛の凡夫の師弟相対して・又余念無く妙法蓮華経を受持する処を即身成仏とも名字下種とも云はるゝなり(第9世日有上人『有師談書聞書』/『富士宗学要集』第2巻147頁)
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人格等は良きに越した事はありませんが、欠点の無い僧侶もまたおりませんから、人格面のみに目を向ければ問題も起こりましょう。しかし、下記『出家功徳御書』にあるように、僧侶は、出家をして袈裟・衣を着するその法の上の境界が貴いのです。(『信心の原点』改訂版・取意)

●其の身は無智無行にもあれかみをそり袈裟をかくる形には天魔も恐をなすと見えたり、大集経に云く「頭を剃り袈裟を著くれば持戒及び毀戒も天人供養す可し則ち仏を供養するに為りぬ」云云、又一経の文に有人海辺をとをる一人の餓鬼あつて喜び踊れり、其の謂れを尋ぬれば我が七世の孫今日出家になれり其の功徳にひかれて出離生死せん事喜ばしきなりと答へたり、されば出家と成る事は我が身助かるのみならず親をも助け上無量の父母まで助かる功徳あり、されば人身をうくること難く人身をうけても出家と成ること尤も難し(『出家功徳御書』全集1251頁)

●頭を剃り袈裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養すべし、即ち我を供養するに為りぬ、是れ我が子なり若し彼を撾打する事有れば則ち我が子を打つに為りぬ、若し、彼を罵辱(めにく)せば則ち我を毀辱(きにく)するに為りぬ(『立正安国論』全集30頁/『戸田城聖全集』第3巻446頁)


<妻帯僧>
●駿河国実相寺豊前公御房御返事(『実相寺御書』全集1454頁)
●「豊前公」は興師弟子分帳の「岩本寺住の筑前房は(豊前公同宿也)日興の弟子なり」(日蓮宗宗学全書第2巻興尊全集79頁)「高橋筑前房の女子豊前房の妻は日興が弟子なり」(同上81頁)の2文の外にはいずれにも岩本寺の豊前公の名は見当たらぬが、妻帯の僧であって(第59世日亨上人著『冨士日興上人詳伝(上)』114頁)
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大聖人の弟子の中にも妻帯者がいたのです。信心は「現当二世」ですから、妻帯していても、信心深く行躰堅固であれば、貫首となる資格は充分あるはず。

[邪淫]=夫または妻でない者に対して、よこしまな行為をすること(中村元著『仏教語大辞典』/『大白法』H15.1.16)

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今の私たちは、信仰の本質的次元において、法主とまったく対等な立場にいる。いわんや、明治以降の法主が、在家者と同じく肉食妻帯の者であることを思えば、なおさらである(離脱僧・松岡雄茂『大白蓮華』H17.9)
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汝が〝法主とまったく対等な立場にいる〟と慢言を吐く根拠に、〝在家者と同じく肉食妻帯の者である〟ことを挙げている。先の『十項目の愚問を弁駁す』においても論証したが、〝肉食妻帯〟とは爾前経の戒に関する問題である。そもそも下種仏法における僧俗の行体については、一切の防非止悪、戒体の根源たる本門の金剛宝器戒において、その是非が論ぜられなければならない。すなわち末法の日蓮大聖人の仏法においては、釈尊仏教の戒律は用いないからである。したがって、〝肉食妻帯〟を理由に、汝らが〝法主とまったく対等な立場にいる〟などということが、いかに莫迦げている戯論であるかを知るべきである。本宗において、御法主上人を合掌礼をもって拝し奉る所以は、法界の一切衆生を当位において即身成仏せしめる御本仏大聖人より唯授一人金口嫡々血脈相承の法体を御所持遊ばされているからなのである。(『大白法』H17.11.16)


<第52世日霑上人の解釈>
●開山上人の御遺戒に、先師の如く予が化儀は聖僧たるべし、但し時の貫主、習学の仁に於て縦ひ一旦の妖犯ありといへども、衆徒に差置くべき事と、あるも同じ意にして文意を云はヾ、予が聖僧の化儀を破り、淫事を犯せし者なりとも、若し習學勉強にして、大法傳弘の志し深き者に於て、時の貫主日興になりかはりて彼が一旦の犯罪を許し、大衆の中に加へ置くべしとの御意にして是れ亦た決して、故なく犯戒の者を許したまふ事では御ざらぬぢや。(中略)是に背き天朝の御許しを、悦んで肉食妻帯の身を甘んずる一宗の僧侶は他門にもせよ自門にもせよ、皆是れ釋尊の化儀を破り、自ら廃佛を招くの輩ではござるまいか、爾ら自門中の僧侶たらん者は、先ず學問もせねばならぬが、夫れよりも信心と身の行ひが肝要でござる、なんば博學秀才にして内外典籍を胸に浮べたる僧たりとも、其信心なく、行ひ亂暴たらば還て在家の信を破り、自ら廃佛を招くの基となるべし。(第52世日霑上人『明治21年布教会報1号』/<風塵舎>WS)
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日霑上人の時代は、僧侶の妻帯は堕落とされていた時代に生きた方であり、仏教僧の妻帯が世間的に受け入れられてきた明治以降、大正から昭和に至る時代とは世相が違い、日応上人が結婚され、日亨上人も結婚されるに至っては既に認知されたものと拝するべきである。(<風塵舎>WS090121)
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日霑上人は「肉食妻帯」を「媱犯」と解釈されている。その真意は「天朝の御許し」を機に僧侶の生活が乱れ「在家の信を破り、自ら廃佛を招くの基となる」ことを恐れたのではないか。僧侶の肉食妻帯が一般化していない当時としては、在家信徒が僧侶の肉食妻帯に違和感を覚え、僧侶への尊信の念を失う可能性があったといえよう。


<第59世日亨上人の解釈>
この条の見とおしは、凡僧の自分にはつきかぬる。なるべくは、一時的の現今の僧分の弊風とみて、その内自然に振粛して、宗祖開山時代の常態に帰るべきを祈るものである。大聖人は戒の相用を排斥せられたが、全然解放せられた無戒主義でない。五・八・十具の小乗戒を捨て、また十重四十八軽の大乗梵網戒を捨てられたが、無作の本円戒は残されてあり、そのための本門戒壇であり、その戒相の内容は明示せられてないが、小乗・大乗・迹門の戒相によらぬのみであり、それを無作と名づけてみても、けっして放縦不覊(ほうじゅうふき)なものでない。
 開山上人がこの法度に「先師の如く聖僧たるべし」と定められ、先師大聖人が無戒であるが、放埓(ほうらつ)破戒でないことを、証明せられており、日順・日尊にもまた放埓を誡めた文もあるが、この淑行聖僧というのは、現今の在家同然の僧行を認めたものでない。ややもすれば、多少の反省心より汚行を恥づる有羞僧を見て、かえって身心相応せぬ虚偽漢と罵り、全分の生活まったく在家同然で、心意またこれに相応し、たんに袈裟衣を着てるだけの違いを、かえって偽らざる正直の僧侶と自負する者があるやに聞く。このていの放埓ぶりを標準とせば、この条目はいまは死んでおる。自分はいまの状態は一時の変体と見ておる。次に「時の貫首或は習学の仁」等の文は、難解である。「貫首」の二字は、明らかであるも「習学の仁」は、一応はとくに学窓に入っておる人で、そのために天台等の談所に遊学しておる人と見るべきで、それが悪縁に引かれて、女犯しても、還俗破門せしめずして衆徒のままとし、学僧としての当然の昇進を止め、また貫主の高位を貶(おと)して下位に沈まするということと解釈する外はない。こういうひじょうの事態が、かならず起こるべきとしてその用意に作られた法度では恐らくあるまい。
 これをまた、その現在の史実に照らしてみるに、重須の後董は日代上人でこの間題にはいる仁でなく、また同山に習学の若徒は見当たらぬ。大石の後董は、日目上人で74歳であり、信行具足の聖僧でその憂いは全然ない。目師の後を受くべき日道上人も、若徒でなく習学の仁でもない。大学日乗の実児であり、ともに出家した民部日盛は、長く鎌倉遊学で興目両師の器許するところで、あるいはこの仁が目師の跡を継ぐべきであるに、親父の流れを悪しく汲んで女犯の疑いがあったのかも知れぬ。そうでなければ、開山上人の立法があまりにも将来の夢に過ぎぬことになる。(第59世日亨上人著『富士日興上人詳伝(下)』272頁)

 大聖人一代の御化導においては、対告衆の機根に応じた説法、真実の法門への準備段階としての説法、ある限定的条件からの説法など、様々である。同じように、大聖人御入滅後においても、時機に応じた法門の解釈や化儀の改変は、当然あり得ることである。
 これに対して、大御本尊と唯授一人の血脈への尊信は絶対不変であり、時の御法主上人の法門解釈と化儀に随うことは、同時代に生きる弟子旦那の成仏のためには、最も正しい修行である。
 だから、唯授一人の血脈を否定する池田学会が、日霑上人の御指南を振りかざして、現代の御僧侶の肉食妻帯を批判することは、意味のないことである。([化儀改変と法主の権能]参照)




【「僧俗平等」説く学会の矛盾】
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 僧が奔放に妻帯をはじめたのはいつ頃からなのか。本来、出家とは家を出た者のことであり、すでに妻子を有する者の場合、妻子との縁を断ち切って仏門に入ったのであった。もし僧が女性と交わったりすれば、女犯の破戒僧としてさげすまされた。(中略)
 ところが、明治時代に入って様相は一変することとなった。明治5(1872)年4月25日、太政官布告第133号が出された。それは「自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事 但法用ノ外ハ人民一般ノ服ヲ着用不苦候事」(今より僧侶の肉食妻帯蓄髪は勝手たるべき事、但し法要の他は人民一般の服を着用しても苦しからず)という内容である。この太政官布告によって、僧の肉食、妻帯、蓄髪が許された。(中略)
 明治政府はその女犯への欲望を解き放ってやることによって、日本の仏教界を腐敗・弱体化させ、神道の社会的地位を相対的に高めようとしたのだ。
 日蓮正宗も、明治政府の腐敗・弱体化政策の罠に簡単にはめられてしまった。(『地涌』第144号)
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・「出家とは家を出た者のことであり、すでに妻子を有する者の場合、妻子との縁を断ち切って仏門に入った」「僧が女性と交わったりすれば、女犯の破戒僧としてさげすまされた」→僧侶の妻帯は本来の姿ではなく「女犯の破戒僧」であると批判している。
・「日蓮正宗も、明治政府の腐敗・弱体化政策の罠に簡単にはめられてしまった。」→宗門も妻帯を許可した結果、腐敗したと批判している。

◆仏教でも、坊さんだけがお経をあげ、説法し、引導を渡すことのできる権威を持っていた。ところが創価学会は、会員が自分でお経をあげられる。経典もどんどん勉強して知識を深め、実践する。仏教知識が大衆化し普及して、平等化が起こる。つまり僧侶の権威が崩壊(ほうかい)し、仏教革命が起ったのです。(秋谷栄之助『月刊中央公論』H17.2/『慧妙』H17.2.1)
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破門後の池田学会は「僧侶の権威が崩壊」し僧俗は「平等化」したと主張している。そして、"僧侶不要"を主張し池田大作を最高指導者とした在家のみの教団運営を行っている。その一方で僧侶の肉食妻帯を批判し、『日興遺誡置文』の以下の御文について"媱犯=妻帯を含む女犯""衆徒に差置く=貫主の更迭"と解している。

9●時の貫首或は習学の仁に於ては、設(たと)い一旦の媱犯(ようはん)有りと雖も衆徒に差置く可き事(『日興遺誡置文』全集1619頁)

 『日興遺誡置文』は、「時の貫首」とその弟子方への遺誡である。つまり、「時の貫主」=御法主を頂点とする御僧侶方の存在を前提とした御指南である。日興上人を僧宝と仰ぐ池田学会が『日興遺誡置文』を真書と考えるならば、御法主及び御僧侶方の存在自体を否定することはできないはずである。つまり、当該文書を利用して僧侶の肉食妻帯を批判するからには、池田学会が主張している"僧俗平等""僧侶不要"を撤回しなければならない。
 あるいはまた、池田学会が『日興遺誡置文』を信受し僧侶の肉食妻帯を仏法違背と考え、しかも日蓮正宗の存在を否定するのであれば、学会自身の中に"「時の貫主」を頂点とする僧侶"に代わる存在がなければならない。そして学会自身が"本来の僧侶の姿"を実践しなければならない。学会の中に"「時の貫主」を頂点とする僧侶"に代わる存在があるとすれば、それは池田をはじめとする職業幹部であろう。
 しかし、池田大作を初めとする学会幹部は妻帯し、肉食を行っている。学会流の解釈に従えば、最高指導者(在家教団の場合は「時の貫首」に相当するはず)である池田大作は即刻「衆徒に差置」かれる(=降格)はずだ。
 これらの矛盾をどう説明するのか。

●夕張郡真谷地尋常小学校に奉職中には、複数の女性と恋愛し、「恋にもつれ、恋に狂いて、最も神聖なる教職を汚」(戸田『若き日の手記・獄中記』S45)した結果、その清算のために退職しなければならなかった。また戦前には三角関係を経験し(小口偉一編『宗教と信仰の心理学』新心理学講座・第4)、当時も、戦前、彼の経営する会社の会計役であり、会員でもあった森重紀美子との関係をつづけ、彼女との間には子まであったようだ。森重は創価学会幹部間で公認されていた戸田の二号である(由比宏道『毒鼓の縁』)。(溝口敦著『池田大作「権力者」の構造』)
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戸田会長は、妻帯どころか「二号」を囲い「子まであった」そうだ。"僧俗平等"の池田学会の主張に従えば戸田会長などは「女犯の破戒僧」(『地涌』)の見本であり、即刻「衆徒に差置く」(9●)即ち平会員に降格(学会流解釈)しなければならない。尚、溝口敦著『池田大作「権力者」の構造』によれば『若き日の手記・獄中記』は昭和45年に遺族が刊行

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以上は「貫首」を大石寺の法主に限定した解釈である。しかし、『日興遺誡置文』を執筆された時、日興上人は重須に居られた。このことからすれば、「貫首」とは重須の住職を含む語であるとも考えられる。(<「貫首」の範囲について>参照)




[化儀改変と法主の権能]

●委細に経論を勘へ見るに仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり(『月水御書』全集1202頁)



【神社参詣】
A●檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況んや其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云云。(『日興遺誡置文』全集1617頁)

●他宗の神社に参詣し一礼をもなし散供をも参らする時は、謗法の人の勧請に同ずるが故に謗法の人なり、就中正直の頭を栖と思し召さん垂迹の謗法の人の勧請の所には垂迹有るべからず、還つて諸神の本意に背くべきなり云云、但し見物遊山なんどには神社へ参せん事禁ずべからず、誠に信を取らば謗法の人に与同する失あり云云。(第9世日有上人『有師化儀抄』)
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日興上人は「一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ずべけんや」(A●)と厳重に謗法の寺や、神社を見物することすら止められている。これは未だ宗派の草創時代であったから、他との異を明らかに一線をもって劃したのであり、日有上人の時は、すでに一宗が確立したから、見物ぐらいで信徒の心がぐらつかなくなっているからであります。(第66世日達上人著『略解日興遺誡置文・日有師化儀抄』78頁)



【妻子眷属の折伏】
●謗法の妻子眷属をば連々教化すべし、上代は三年を限りて教化して叶はざれば中を違ふべしと候けれども、末代なる故に人の機も下機なれば五年十年も教化して彼の謗法の処を折伏して同ぜざる時は正法の信に失なし、折伏せざる時は同罪たる条分明なり云云。(第9世日有上人『有師化儀抄』)



【「一旦の媱犯(ようはん)」について】
●時の貫首或は習学の仁に於ては、設(たと)い一旦の媱犯(ようはん)有りと雖も衆徒に差置く可き事(『日興遺誡置文』全集1619頁)

<第52世日霑上人>
●開山上人の御遺戒に、先師の如く予が化儀は聖僧たるべし、但し時の貫主、習学の仁に於て縦ひ一旦の妖犯ありといへども、衆徒に差置くべき事と、あるも同じ意にして文意を云はヾ、予が聖僧の化儀を破り、淫事を犯せし者なりとも、若し習學勉強にして、大法傳弘の志し深き者に於て、時の貫主日興になりかはりて彼が一旦の犯罪を許し、大衆の中に加へ置くべしとの御意にして是れ亦た決して、故なく犯戒の者を許したまふ事では御ざらぬぢや。(中略)是に背き天朝の御許しを、悦んで肉食妻帯の身を甘んずる一宗の僧侶は他門にもせよ自門にもせよ、皆是れ釋尊の化儀を破り、自ら廃佛を招くの輩ではござるまいか、爾ら自門中の僧侶たらん者は、先ず學問もせねばならぬが、夫れよりも信心と身の行ひが肝要でござる、なんば博學秀才にして内外典籍を胸に浮べたる僧たりとも、其信心なく、行ひ亂暴たらば還て在家の信を破り、自ら廃佛を招くの基となるべし。(第52世日霑上人『明治21年布教会報1号』/<風塵舎>WS)
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日霑上人の時代は、僧侶の妻帯は堕落とされていた時代に生きた方であり、仏教僧の妻帯が世間的に受け入れられてきた明治以降、大正から昭和に至る時代とは世相が違い、日応上人が結婚され、日亨上人も結婚されるに至っては既に認知されたものと拝するべきである。(<風塵舎>WS090121)
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日霑上人は「肉食妻帯」を「媱犯」と解釈されている。その真意は「天朝の御許し」を機に僧侶の生活が乱れ「在家の信を破り、自ら廃佛を招くの基となる」ことを恐れたのではないか。僧侶の肉食妻帯が一般化していない当時としては、在家信徒が僧侶の肉食妻帯に違和感を覚え、僧侶への尊信の念を失う可能性があったといえよう。



【勤行】
<第26世日寛上人>
●十如の文既に是れ一念三千の出処なり。故に但之れを誦すれば其の義則ち足りぬ、然りと雖も略開は正開顕に非ず、故に一念三千猶未だ明了ならず、故に広開に至るなり。
(中略)故に知んぬ、若し広開に至らずんば一念三千其の義仍お未だ分明ならず、故に広開長行を誦するなり。大覚抄の中に方便品の長行をも習い誦むべしと言うは即ち広開の長行を指すなり。(第26世日寛上人著『当流行事抄』)
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ここでいう「方便品の長行」とは、十如是の後につづく「世雄偈(せおうげ)」という「偈」を含めるたもので、その長さは『寿量品』の優に2.5倍にもなる(『慧妙』H16.10.1取意)

●若し堪(たえ)たらん人は本山の如く相(あい)勤(つとむ)べし。若し爾(しから)ずんば十如自我偈題目なりとも五座三座の格式相守るべし。但し仕官の身公用抔の時は乃至題目一遍なりとも右の心向けに相勤むべしと御伝え候可く候(第26世日寛上人が金沢の信徒・福原式冶に宛てたお手紙/『慧妙』H16.9.1ほか)
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金沢法難の最中の信徒にとっては、信仰を持つこと自体が難事であったから、状況に応じた略式の勤行を認められている。


<第59世日亨上人>
●五座を延べて六座となし七座となすも、伸縮正略は自在なるべきであるが、式文の中にも信念の中にも全体を具備して居るべき事は無論である、縮と略とは欠と不足との意では決してないのである。(第59世日亨上人『天拝集説』/『大日蓮』T11.3)
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「伸縮正略は自在」とは、学会のように誰でも勝手に五座三座を一座にしてよい、という意味ではない。↓

●各方の御帰依の明師に就いて御指南を受けられたい(同)
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「伸縮正略は自在」といっても、誰でも勝手に化儀を改変してよい、という意味ではないことは明らか。これを判断される方とは一往は「各方の御帰依の明師」であり、再往は大聖人以来の血脈相承を受けられた御法主上人なのです(<化儀と血脈>参照)。

●「手続」とは経次又は順序の義なり・仏に通達する道程は必ず師匠に由らざるを得ず・仏の法を受取るには是非とも師範の手を経ざるを得ず、(中略)弟子は師匠を尊敬して奉上すること・三世十万の通軌なれば・釈尊は釈葉仏に宗祖は釈尊に開山は宗祖に寛師は永師に霑師は誠師に師侍し・もたげ給ふ、師は針・弟子は糸の如く・法水相承血脈相伝等悉く師に依つて行はる、師弟の道は神聖ならざるべからず(中略)三世の諸仏も高祖も開山も三祖も道師も行師も・各々其師範より法水を受けて信心を獲得決定し給ふ(第59世日亨上人著『有師化儀抄註解』/『富士宗学要集』第1巻124・125頁)

●師弟相対の事、有師丁寧反復是を述べらる。(中略)師弟不用の高慢より生して、師弟相対を無視する事は大いに信行に害あるものと知るべし(第59世日亨上人著『有師化儀抄註解』/『富士宗学要集』第1巻96頁)


<第62世日恭上人>
◆第二座ト第三座、第四座ト第五座ヲ併セ各一座トシテ行フモ可(昭和16年8月22日付「御観念文制定ニ関スル件」と題する「院達」=院2176号/『フェイク』第555号/fb)
◆(上記「院達」について)寿量品は「(又は自我偈)」としている。(『フェイク』第555号/fb)
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化儀には「略式」というものがある。ここでは、あくまでも「五座三座」「寿量品長行」という正式な化儀が前提として存在するのである。その上で、社会環境や信徒の状況等に応じて略式を容認されているものと拝する。これは、日寛上人が法難の嵐の最中にあって信仰を貫いている金沢信徒に対して、"五座三座が基本であるが、止むを得ない場合は『方便品』の十如是までと『寿量品』の自我偈のみでもよい"と御指南されていることと同様である。



【絶対不変の原理原則】
●釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。(中略)背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり(『池上相承書』全集1600頁)
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大聖人は、日興上人に背く者は「非法の衆」だと断定されている。これは、唯授一人血脈相承によって、大聖人の御内証がそのまま日興上人に伝わっているからである。同じく唯授一人の血脈付法の歴代上人に対しても、大聖人滅後の日興上人と同様に、師匠と仰ぐべきことは明らか。

●但し直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為して日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり(『百六箇抄』全集869頁)
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第59世日亨上人は「後加と見ゆる分の中に義において支語なき所には一線を引き」(『富士宗学要集』第1巻25頁)とあるごとく、史伝書その他多くの文献にあたられ、さらに血脈相伝の上から内容に於いて正しいと判断されたから御書にも掲載されたのである。

●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人著『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
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「蓮・興・目」とあるように、御書を正しく拝することができるのは、唯授一人血脈相承による。大聖人滅後は、唯授一人血脈相承を受けられた御法主上人の御指南に基づかなければ、御書を正しく解釈できない。

勤行を含めた本宗の化儀は、御歴代上人の権能に収まる事柄であり、時の御法主上人は、正法正義に照らし、時に応じて、それを裁定なさるのである。(『慧妙』H16.10.1)

化儀とは化法の具体的実践である。化儀に変化はある。しかし化法は不変である。その化法(法門、法体)を所持されている方こそ、唯授一人の血脈付法の御法主上人である。だから、化儀を時機に応じて決定なさるのは御法主上人である。一般僧俗は、正師たる御法主上人がお決めになった化儀に従うところ、信心の血脈が流れ通うのである。

日寛上人も、文底下種仏法に基づく正しい依義判文、つまり経文や御書、先師の文証の正しい解釈は、唯授一人の相伝に拠らなければならない、と仰せなのです。当然『日興遺誡置文』の文文句句についての解釈も、時の貫首が最終的に決定すべきなのです。





[学会の自語相違]
●(『日興遺誡置文』は)いずれかに現存すべきであるが、大石にも、重須にも、四、五百年以前の写本すら現存せぬのは遺憾である。(第59世日亨上人著『富士日興上人詳伝(下)』266頁)
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かつて真文として尊重し、自分たちの御書にも掲載されていた文証でも、都合が悪くなると、簡単に無視するのが学会である。すなわち学会は「真筆がない」「後加文である」といって、都合の悪くなった文証を悉く無視しているのである。あるいは自分たちが公式に主張していた根本的教義についても、都合が悪くなると正反対の態度をとる、それが学会である。もし、学会が宗門の立場だったら『日興遺誡置文』も、「真筆がない」といって無視していたことであろう。

★以下の指導はすべて宗旨の根幹に関わる指導であるが、今ではすべて否定されている。

◆御法主上人は唯授一人、64代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままに御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、かならず功徳がでてくる(戸田城聖・昭和30年の関西本部落成入仏式『戸田城聖全集』第4巻399頁)

御法主上人猊下様は遣使還告で、日蓮大聖人様と拝したてまつるのです。このことは信心のうえからはっきりしたものです(池田大作『巻頭言・講義集』第3巻184頁)

[血脈の次第]=師から弟子へ伝える血脈の次第・順序のこと。末法における日蓮大聖人の仏法の血脈は日蓮一期弘法付属書(『身延相承書』のこと)に(中略)明確に示されているように、日蓮大聖人から日興上人へ伝えられた。また、日興上人から日目上人、日目上人から日道上人と、大石寺歴代の御法主上人に伝えられて今日に至っている(『新版仏教哲学大辞典』聖教新聞社・初版409頁)

◆日蓮正宗の教義の根本をなすものは、まず、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぐことであり、それはとりもなおさず、御本仏の出世の本懐である戒壇の大御本尊を帰命依止の根本とすることに尽きる。もう1つ日蓮正宗の根幹をなすものは、血脈付法ということであり、歴代の御法主上人のご内証は、日蓮大聖人と日興上人の唯我与我の御境地をそのまま伝持せられていることである。この2つの根本と、日蓮正宗の三宝、すなわち仏宝=御本仏・日蓮大聖人、法宝=大御本尊、僧宝=日興上人-とは、同じ意義をもっている(『聖教新聞』S54.6.2)

★これらの指導は間違いだったのですか?もし、自らが「教義の根本」としてきたものを改変したのであれば、それこそ邪教化の動かぬ証拠です。このような態度を「ご都合主義」というのである。それに対して歴代上人の『日興遺誡置文』解釈の態度こそは、簡単に先師の御指南を捨てずに、先師の真意を探ろうとなされる真摯な姿勢を示すものである。

★学会は「御書根本」と主張しながら、当該御文の解釈を180度改変した。歴代上人の当該御文に対する御指南を拝するならば、御書自体に捏造、誤伝があることを踏まえた上で、大聖人・日興上人の真意に到達することが如何に難事であるかが分かろう。






『大石記』

(『問答ダイジェストVol.2』慧妙編集室)

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そもそも、法主が絶対であれば、以下の日興上人の言葉自体が謗法になってしまいます。

●仰セに云く日興上人の常の御利口に仰セられけりとなん、予が老耄(ろうもう)して念佛など申さば相構エて諫むべきなり、其レも叶はずんば捨つべきなり(『大石記』/『富士宗学要集』)
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【転写に転写を重ねた価値の低い史料】
 ああ、それは池田さんが本年(平成6年)2月18日に、沖縄・九州合同協議会で話した内容でしょう。
 『大石記』というのは、日興上人滅後66年たった応永6年11月に、第6世日時上人が助という人に日興上人のことを語った、とされる内容の御文が、それから109年を経て、山城公日顕という人の所蔵本に出ているのを、永正5年6月、第12世日鎮上人が見つけて書写されたんです。
 さらに、それから51年を経て、要山の日辰が日鎮上人の書写本を書き写されたものが、同門の要山末日震蔵本にあり、それを唯信院日応という人が転写し、これを堀日亨上人が、富士宗学要集の旧本(昭和11年10月刊)に集録されたものなんです。
 幾度も転写されたばかりか、もとの写本の存在も不明のため、史料価値の重要性が認められず、新本には載せられなかったそうですよ。


【冗談で話された内容】
 その上(中略)「御利口」というのは、冗談とか笑い話のことですから、日興上人が冗談としておっしゃったことなんですよね。
 それを、池田さんが、ちょうど自分に都合の良いところがあったと、引用したんですね。創価学会が、あらゆる手段を使って、御法主上人の尊厳を汚そうとしていることは、今まで『創価新報』等に掲載された低劣な中傷記事を見てもわかりますが、そうまでして、守らなければならないものは何ですか。学会組織ですか、池田さんをはじめとする職業幹部の生活ですか、早く目を覚ましてくださいよ。

[利口]=(名・形動)スル [文]ナリ
(1)頭がいいこと。かしこいこと。また、そのさま。利発。⇔馬鹿「―な動物」「―になる」
(2)(特に子供について)聞きわけのいいこと。物分かりがよくて素直なこと。また、そのさま。「お―さんだから静かにしなさい」
(3)抜け目がないこと。要領のいいこと。また、そのさま。「―者」「―に立ち回る」
(4)弁舌が巧みな・こと(さま)。巧言。「行きて―に云ひ聞かせよ/今昔 28」
(5)冗談を言うこと。「もとどり切られてそれにもこりず、猶―しありきける程に/著聞 16」
(『大辞林』第2版)

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 『大石記』は記者(筆者)が明示されていませんが、同記の内容が、応永6(1399)年より応永11(1404)年まで4回にわたる「仰せ」を記したものであり、年代的には当時の大石寺法主・第6世日時上人の御談を筆録したものと見られてきました(『富士宗学要集』編者日亨上人)。しかしこれについての決め手は無く、むしろ文中、中納言阿闍梨日伝のことを取り上げているにもかかわらず、大石寺東坊地問題や保田へ持ち出した大石寺御影の返還に全く触れていません。これへの解決に登座全期間を賭けて苦労された日時上人の物語りとしては、不自然な感はぬぐえません。ゆえに書かれた年代は応永年間のものとしても、物語っている主人は日時上人以外の方とも考えられるのです。日亨上人もこれらの不確定要素を考慮されたものか、『富士宗学要集』の改訂版(昭和32年刊)には、『大石記』を除いて編纂されています。(榎木鏡道御尊師著『富士門流の歴史 重須編』47頁~)





『御本尊七箇相承』に対する学会員の愚難を破す

(投稿『慧妙』H18.3.1)

【偽作説破折】
 学会員が『御本尊七箇相承』を偽書であるとして、盛んにインターネツトにおいて配信しているようだ。
 この文書が、学会員にとって最も目障りなのは、
 「一、日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」
の一文があるからで、これを否定せんとして、『御本尊七箇相承』が後世の成作であるとして、愚論を展開しているのである。
 御歴代の著述の中で、代々の血脈相承の御法主を大聖人と仰ぐ御指南が明文化されているのが日有上人の『化儀抄』であるが故に、これを根拠に、『御本尊七箇相承』をそれ以降の成立であると論証しようとしているようであるが、それは全く無駄である。
 歴代の御法主上人を大聖人の身変わりとする富士門流の思想は、日有上人の『化儀抄』が最初ではない。妙蓮寺・日眼師が『五人所破抄見聞』に、
 「本門の教主釈尊を次第相続して法主と貴ひ奉る。仏果・仏因の体用を能く分別して信心を以て成す可なり(中略)
 一瓶の法水を日興に御付嘱あり、日興も寂を示し玉ひ次第に譲りて当時末代の法主の処に帰り集る処の法華経なれば法頭なり」(『富要集』第4巻1~8頁)
と述べているように、すでに上古の代に確立されていた法門である。
 また『御本尊七箇相承』が古記録にあらわれるのは、三位日順師の『本因妙口決』であり、
 「次に日文字の口伝・産湯の口決・本尊七ヶの口伝・教化弘経七箇の伝は別紙の如し」(『富要集』第2巻84頁)
と書かれているように、『御本尊七箇相承』はすでに日興上人の時代に存在していたことは明確である。
 『御本尊七箇相承』は、要山本、保田本が公開されているが、その他に、大石寺に相伝される古本が存在するものと思われる。だが、それは厳秘を旨とする相伝書であるためであろう、大石寺としては『本因妙抄』『百六箇抄』等と共に全く未公開である。
 『富土宗学要集』に掲載された『御本尊七箇相承』の末文には、
 「編者曰く房州日山本等に依つて此を写す、年月日判等の三行に二線を引きたるは後人の加筆なるを以つてなり」(『富要集』第1巻33頁)
とある。
 要するに、堀上人は、日山等の写本を校正して掲載されたのであるが、校正するにあたり、伝承が確かで間違いのない内容と見える文をもって、修正を加えられたものと考えられる。そこに、大石寺に伝わる古本の存在を拝信するものであるが、未公開である故に、これ以上の推測は慎みたい。
 ちなみに、要集の原本である研究教学書の目次には「写本・大石寺」とある。

【大聖人と日興上人の御指南】
 さて、『御本尊七箇相承』の文中「師の曰わく」とある"師"とは、大聖人御自身が自分を「師」というわけがないから、日興上人が日蓮大聖人の御指南を示したものであることは、容易に理解できる。
 『御本尊七箇相承』は、まず原型の御教示があり、さらに折々にふれて質問が重ねられ、「一、何々」と追加されたものと考えられ、『七箇相承』の2項以降はすべて「師の曰わく」とあることから、日興上人が大聖人にお伺いした質問に対し、大聖人が示された御法門を記録されたもの、と拝察される。さらに追加分は、弟子からの質問があり、それに対する日興上人の御指南と拝される。
 おそらく重須の談所で、折々に弟子から受けた本尊義に関する質問に、日興上人が大聖人の御指南を挙げて答えられ、逐一条項が増えたものであろう。
 そして、法門の理解に勝れた御弟子の誰かが筆記されたものが、その後、写本となり、他門流から流布したものと考えられる。要山系のものは日尊師、保田系のものは日郷師あたりが伝えたものと推考できる。

【「日蓮御判」】
 さて、これを否定せんとする学会員は、「若し日蓮御判と書かずんば天神・地神もよも用い給わざらん」の一節を挙げて、日興上人や日目上人の御本尊に、「日蓮御判」ではなく、「日蓮聖人在御判」等とあったり、歴代の御本尊に讃文が略されているものもあったり、必ずしも『御本尊七箇相承』に指南された書式ではないことをもって、『御本尊七箇相承』が後世の偽書であるか、あるいは歴代の上人に誤りがある、との邪論をなしているが、これは、そうとうの軽率者の論といえよう。
 「日蓮御判」であれ、「日蓮聖人在御判」であれ、『観心本尊抄』に示された、宝塔の南無妙法蓮華経は本師の娑婆世界に建つの御意であるから、主題の直下に「日蓮(大聖人)在御判」と書くべきことを御指南されたものであり、一いちの文字に主意があるのではなく文意に重要な法義があるのだ。

【仏滅年代】
 さらに、愚かな学会員たちは、
 「仏滅度後と書く可しと云う事如何。師の曰わく、仏滅度後二千二百三十余年の間、一閻浮提の内未曾有の大曼陀羅なりと遊ばさるる儘、書写し奉るこそ御本尊書写にてあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」
とある一節を持ち出して、歴代の御法主上人の中に、「二十余年」と書かれた例や、略された例があることを誹謗するが、これもまた愚かなる軽率者の論といえよう。
 この一項は、大聖人の滅後、他の五老僧門下が面々に御本尊を書き散らしはじめ、その門流内において書き放題のような現象が惹起しており、その五老僧門下の、書式すらまともでないニセ本尊に対する破折である。
 日尊の弟子である日大が書き記した『日尊実録』に、
 「本尊書写ノ事 尊(日尊)仰ニ云く、大聖人御遷化之刻、六人老僧面面ニ之ヲ書写シ給ヘリ、然ニ意義無ク其ノ後面々末流ニ初心後心戒行ノ有無曾テ以テ之ヲ糾明スルコト無シ云々、此等ノ次第、且ハ法滅ノ因縁歟、五人方ハ且ク之ヲ閣ク、富士門徒ハ付弟一人之ヲ書写シ奉ル可シ之由ヲ日興上人御遺戒ナリ云々。
 其ノ故ハ法灯ヲ賞(証)シテ以テ根源ヲ立テンガ爲也云々。之ニ依テ本尊ノ銘ニ云、仏滅後二千二百三十余年之間一閻浮提内未曾有大曼陀羅也云々、予モ又此ノ義ヲ存スル處、日興上人御入滅ノ後ニ一門跡ニ於テ面面諍論出来ス互ニ偏執ヲ成シ多ク邪論起シテ人人面面之ヲ書写シ奉ル云々、然ルニ則仏意測リ難ク聖意恐レ有リ、詮スル所吾カ一門ニ於テハ本義ノ如ク一人之ヲ書写シ奉ル歟云々」(『日蓮宗宗学全書』第2巻418頁)
とあるように、日興上人の遺言として、富士門流は貫主のみが御本尊を書写すべきことである、と定まっているのである。
 また、学会員の愚難として、讃文の内容に関してもいいがかりをつけ、『御本尊七箇相承』では「二千二百三十余年」と示されているが、歴代の中には「二十余年」と記した例がある、などと言っている。
 この義については『御伝土代』にその解答があり、「二千二百三十余年」の御本尊とは、脇士の無い一体仏を本尊となす義を破折した段に、述べられているのである。
 すなわち、正像末のうち、末法正意を表徴するのが「二千二百三十余年」であるから、「三十余年」でも「二十余年」でも差し支えがないことは、日寛上人の御本尊にも「二十余年」と認められた御本尊が存することでも理解できよう。要は、「三十余年」でも、「二十余年」でも、まったく正像未弘の末法の表徴であれば、同じことなのである。

 そもそも血脈相承を受けられた御方がどのように御本尊を書写なさるかは、凡愚が口を出すべきことではないし、血脈相承の立場から、日達上人は御本尊書写に関し、
 「仏法には、摂するという、いい言葉があるのです。御本尊でも皆たくさんの名前を書かなくても、ちゃんとその中心を書けば全て摂するのです」(『富士学報』第3巻147頁)
と御指南されているから、略式であっても御本尊の深義に変わりはないのである。
 これについては、日顕上人もかって「存略」という法門を御指南になられている。
 縷々(るる)述べてきたが、学会員が考えついた邪義をまともに信じ、法華講員と法論などしようものなら、いかなることになるか―。智慧不足のまま邪なことをいう学会員は、我々法華講員にとって、まさに「カモネギ」であることを知るべきである。

※小見出し及び下線は法蔵

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●大石寺は本尊口決の相承として、宗祖より日興・日目上人、さらに歴代上人への相伝がある。その上に岩本開山日源の筆になる『本尊三度相伝』や、また『本尊七箇の口決』があり、日興上人へ伝授された正本は会津にある。これらの伝授口決に基づき御本尊を書写し奉るのである。これ以上の深い意義は申しがたいが、ただ問われている「日蓮在判」の義については少々談じよう(中略)他門法華宗は面々の伝授というものがあるのであろうか。大石寺は本尊書写においても面授の上に相伝されてきたのである。(第22世日俊上人著『辯破日要義』/『富士門流の歴史 重須篇』216頁~)
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「本尊口決の相承」は「面授の上に相伝」されてきたのである。「その上に」『本尊三度相伝』『本尊七箇の口決』がある。つまり、本尊書写に関する相伝は『本尊三度相伝』や『本尊七箇の口決』がすべてではないのである。





「伝法の書」について


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1●又日文字の口伝・産湯の口決・二箇は両大師の玄旨にあり、本尊七箇の口伝は七面の決に之を表す教化弘経の七箇の伝は弘通者の大要なり、又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し(『本因妙抄』全集877頁)
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 ここで「日文字の口伝・産湯の口決」とは、相承書の1つである『産湯相承事』に示されている内容であり、「本尊七箇の口伝」とは相承書の1つである『御本尊七箇相承事』のことを指しています。これらを天台・伝教両大師の十重顕観や七面七重の口訣等と対比させたうえで、この『血脈抄』と『本尊抄』の大事は、「日蓮嫡嫡座主伝法の書」であるということを示し、「塔中相承の稟承唯授一人の血脈」とは、実は文書であることを明示しているのです。
 何か秘密めかしたものがあるかと思っていたら、ちゃんと読めばすでに誰もが承知の、堀日亨上人が『富士宗学要集』第1巻で全国に公開してしまった相承書の内容について述べている箇所なのです。(『日顕宗の邪義を破す』)
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(前略)この創価学会の誤りを一言をもって指摘すれば、文上にのみ執われたもので、文底の意味を知ろうとも信じようともしないことであります。宗祖大聖人は『開目抄』に、
 「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」(御書526頁)
と仰せられ、文上と文底のけじめを示されております。
 いわゆる、この「又日文字」以下の文は、日亨上人の仰せの如く、後加の文として、このように表現されたのであります。しかし、「此の血脈」の文には、初めから法門の相承として存在したものや、あるいは時代によって唯授一人の相伝のなかより、やや一般的に法門相承に展開した、相伝血脈と言うべきものがあるほかに、全く公開せられざる、人法の血脈相伝が具わり、含まれているのであります。
 創価学会は軽忽(けいこつ)浅識の判断をもって、塔中相承の稟承、唯授一人の血脈とは文書であり、日亨上人によって『富士宗学要集』第1巻に公開されているものがすべてであるとしています。しかし、それは彼等の無知による独断であり、日亨上人も御生前中、僧侶への講義等のなかで、全く非公開の法を内容とする相伝があることを述べられておりました。(中略)
 池田らによって邪見に執し、あらゆる切り文を用いて歴代上人の正意をねじ曲げるような邪智の創価学会の者どもに、相伝仏法の在り方が正しく信解できるはずはないのであります。
 御書を根本として、それに基づいて血脈相承がないものと定義する理由は全くないのです。ただ、
 「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(御書92頁)
の、附文に対する元意のところに甚深の仏意相伝の主体があり、日寛上人はこの相伝について「蓮、興、目」云々と仰せであり、金口嫡々の相伝が今日に至っていることを述べておきます。(第67世日顕上人『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』112頁~)

●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人著『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞社・初版271頁)

●御上洛の刻み、法を日道に付嘱す、所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承等なり。総じて之れを謂えば内用外用金口の知識なり、別して之れを論ずれば十二箇条の法門あり、甚深の血脈なり、其の器に非ざれば伝えず、此くの如き当家大事の法門既に日道に付嘱す。爰(ここ)に知りぬ、大石寺を日道に付嘱することを。後来の衆徒疑滞を残す莫(な)かれ(「日道上人の伝」『家中抄』/『富士宗学要集』第5巻216頁)
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 このなかの「外用」とは、外に向かって仏法の筋道を示す、従浅至深、一切の法門であり、日寛上人の挙げた名目(※下記2●)も、大体ここに入ります。
 「内用」とは、嫡々代々の内証において用いる真の唯授一人、7百年、法統連綿をなす根幹の相承、一言一句も他に申し出すべからずと示されたる、別しての12ヵ条の法体法門であります。故に、日亨上人といえども全く公開せず、極秘伝の扱いのまま、今日に至っております。(第67世日顕上人『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』205頁)

2●故に当抄に於て重々の相伝あり。所謂三種九部の法華経、二百二十九条の口伝、種脱一百六箇の本迹、三大章疏七面七重口決、台当両家二十四番の勝劣、摩訶止観十重顕観の相伝、四重の興廃、三重の口伝、宗教の五箇、宗旨の三箇、文上文底、本地垂迹、自行化池、形貌種脱、判摂名字、応仏昇進、久遠元初、名同体異、名異体同、事理の三千、観心教相、本尊七箇の口決、三重の相伝、筆法の大事、明星直見の伝受、甚深奥旨、宗門の淵底は唯我が家の所伝にして諸門流の知らざる所なり。(第26世日寛上人著『観心本尊抄文段』)

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【大聖人の御指南】
3●問う一心三観に勝れたる法とは何なる法ぞや、答う此の事誠に一大事の法門なり唯仏与仏の境界なるが故に我等が言説に出す可からざるが故に是を申す可らざるなり、是を以て経文には「我が法は妙にして思い難し言を以て宣ぶ可からず」云云妙覚果満の仏すら尚不可説・不思議の法と説き給う何に況や等覚の菩薩已下乃至凡夫をや、問う名字を聞かずんば何を以て勝法有りと知ることを得んや、答う天台己証の法とは是なり、当世の学者は血脈相承を習い失う故に之を知らざるなり故に相構え相構えて秘す可く秘す可き法門なり(『立正観抄』全集530頁)

●本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず、何に況んや菩薩・凡夫をや(『立正観抄』御書770、全集531頁)
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本地の妙法蓮華経は迹仏等の思慮に及ばない。まして凡人の思慮に及ぶことはない。唯我与我と説かれるように、御本仏の智慧を継承あそばされる御法主上人のみが、よく境智の妙法を思慮あそばされるのである。(『大白法』H18.3.16)

4●親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ(『報恩抄送文』全集330頁)

●之を秘蔵して他人には見せざれ。若し秘蔵せずして妄りに之を披露せば、仏法に証理無くして二世に冥加無からん。謗ずる人出来せば三世の諸仏に背くが故に、二人乍ら倶に悪道に堕ちんと識るが故に之を誡むるなり(『三世諸仏総勘文教相廃立』全集574頁)
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本抄は今日では御書に収録されておりますが、本来は秘密相伝の文書で、だれにでもやたらと見せるべきものではないのです。なぜかと言うと、非常に難信難解であるからであります。つまり、このような御書を見せても凡夫の短慮では解らないから、かえって仏法を誹謗する人が出てくるのです。 近来でも明治のころ、要法寺の驥尾(きび)日守という人は、この御書を権実相対のみの極めて値打ちのない御書と誹謗しております。つまり読みこなす力がないために、摧尊入卑するに至るのです。また、誹謗する人のみならず、させた人も共に証理を悟ることができなくなるとは、印刷の普及していない時代、特に大聖人様の大仏法の化導の始めの時代には、極めて必要な配慮でありました、。故に、2人共に現当二世、つまり現在と未来にわたって本当の冥加が得られなくなると仰せであります。(第67世日顕上人『大日蓮』H15.11)
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「非常に難信難解であるから」「見せても凡夫の短慮では解らないから」「かえって仏法を誹謗する」教学の振興などによって信徒全体の教学のレベルが上がるにつれて「秘密相伝の文書」も少しずつ公開されたのであろう。しかし、唯授一人の金口相承だけは未だに公開されていないのである。これも同様の理由によるのであろうか。

●此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。(『三大秘法禀承事』全集1023頁)
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結要付属は「口決相承」でもあるのです。この内容(法門)をすべて文書として残されたという証拠はない。

5●日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり(大聖人・日興上人『御本尊七箇相承』/『富士宗学要集』第1巻32頁)
6●明星直見の本尊の事如何、師の曰はく末代の凡夫・幼稚の為めに何物を以つて本尊とす可きと・虚空蔵に御祈請ありし時古僧示して言はく汝等が身を以つて本尊と為す可し(中略)釈迦古僧に値ひ奉つて塔中に直授せるなり貴し貴しと讃め被れたり、(中略)仍つて本尊書写の事・一向日興之を書写し奉る可き事勿論なるのみ。(大聖人・日興上人『御本尊七箇相承』/『富士宗学要集』第1巻32頁)
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 後加文ではありません。本尊「書写」の権能は「一向」に「日興」上人を初めとする「嫡々代々」の上人方が所持されるのです。それは「代々の聖人悉く日蓮なり」と仰せのように大聖人の内証が歴代上人に相伝されているからです。
 本尊書写を「嫡々代々」に限定されたことは、末代まで公開されない相伝があることを示している、といえます。


【歴代上人の御指南】
●但し直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為して日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり(『百六箇抄』全集869頁)
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日亨上人は「後加と見ゆる分の中に義において支語なき所には一線を引き」(『富士宗学要集』第1巻25頁)とあるごとく、史伝書その他多くの文献にあたられ、さらに血脈相伝の上から内容に於いて正しいと判断されたから御書にも掲載されたのである。「日蓮が正義」は「日興嫡嫡付法の上人」に「尽未来際に至るまで」「毛頭程も之れを残さず悉く付属」されるのである。ここに、末代までも公開されない秘伝があることは明白。

●当家甚深の相承の事。全く余仁(よにん)に一言半句も申し聞かす事之れ無し、唯貫首一人の外は知る能わざるなり(第17世日精上人著『当家甚深之相承之事』/『創価学会のいうことはこんなに間違っている』106頁)

7●祖師より興師へ御付嘱亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付嘱も亦是れなり。(中略)目師より代々今に於て、二十四代金口の相承と申して一器の水を一器にうつすが如く云々(第26世日寛上人著『寿量品談義』/『富士宗学要集』第10巻131頁)

●(※第26世日寛上人から第28世日詳上人への御相承について)晨朝(しんちょう)密かに学頭詳公(※日詳上人)を招き、金口嫡嫡の大事を伝付し没後の事を遺杔す(第48世日量上人著『続家中抄』/『富士宗学要集』第5巻278頁)
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もし、日寛上人が金口相承を公開されたのなら、日詳上人に「密かに」「金口嫡嫡の大事を伝付」するはずがない。

●仮令広布の時といへども別付血脈相承なるものは他に披見せしむるものに非ず、況や今日該抄(※『本因妙抄』・『百六箇抄』)を世上に伝播せしむるが如きは無論唯授一人の別付相承に非ずして法門惣付の相承なること顕然なり(第56世日応上人著『弁惑観心抄』212頁/青年僧侶邪義破折班H17.6.7)

●申すまでもなく御相伝となりますれば直接御指南の金口嫡々の御相承や宗門の上の御教示等重々あらせられると拝しますが、それは御法主上人として大事大切なことでありまして、一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって、自ら受けることができるのであります。それ故此には従来拝読を許されてをる御相伝書を挙ぐるに止めたのでありまして、此れを以て全部であると速断してはならないのであります。(第65世日淳上人『日淳上人全集』1150頁)


・大聖人は「唯仏与仏の境界なるが故に我等が言説に出す可からざる」(3●)「親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候」(4●)とし、秘伝の存在を示されている。

・大聖人は「嫡々代々」(5●)に内証が伝持され、本尊書写の権能が具わると御指南されている。(6●)

・第26世日寛上人は相伝書の内容を御存知であった。(2●)しかし、その他に「金口の相承」(7●)があると仰せである。

・「伝法の書」(1●)自体、歴代上人の後加文である。しかし、複数の歴代上人が、公開されていない口伝の存在を御指南されている。

・大聖人から日興上人への相承がすべて公開されたという証拠はない。

・だから、「塔中相承の稟承唯授一人の血脈」(1●)には非公開の口伝が存在することは明らかである。






「前法主はもぬけの殻」?(仮題)

―お粗末な学会の"相承"観を嗤う―
―「清浄の法水に断絶なし」と日寛上人―
―御相承とは甚深の法門の伝授―

(『慧妙』H18.10.16編集)

 『創価新報』(9月20日・10月4日号)に、「破綻(はたん)、矛盾(むじゅん)だらけの日頭宗の"相承"」と題する記事が載(の)った。見ると、その内容は、学会の近年の邪義そのものだが、何故か、「中島法信住職に聞く」との見出しを打って、脱落僧・中島某の談話であるかのように装っている(だが、体裁〈ていさい〉も文体も、まったく『新報』編集子の作、そのものだから笑える)。
 おそらく、お粗末な学会の"相承"観を、かつて正宗僧侶であった中島某が語ったという形にして、せめてもの権威付けを計ったのであろう。
 しかしながら、その内容は典型的なマッチポンプで、自分達の手で"これが日蓮正宗の相承観だ"とするものをデッチ上げておき、それをまた自分達が、口汚なく罵(ののし)り破折してみせる--という愚劣極まりないものである。
 これを放置すれば、邪義の横行を許すことになりかねないので、今回・次回の2回に分けて破折を加えておくことにした。

 創価学会のお粗末な"相承"観というのは、およそ次のようなものである。(以下、『創価新報』の内容を要約して、列記する)。
 かくのごとき愚論を、延々2回にわたって述べたあげく、『新報』は、日蓮正宗の血脈相承を「陳腐(ちんぷ)で、欺瞞(ぎまん)に満ちたものである」として全面否定し、
 「ありもしない宗祖の内証なるものを、あると偽り、大勢の僧俗大衆を欺(あざむ)いてきたことは、詐欺(さぎ)である」
と結論付けているのである。


【これが学会の相承観だ!】
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 相承を受ければ、法主には「大聖人の法魂(ほうこん)」が宿(やど)る、という宗門の教義は大聖人の仏法とはかけ離れたものである。宗門が衣文(えもん)としている、
 「手続(てつぎ)の師匠の所は、三世の諸仏・高祖已来(いらい)、代々上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能(よ)く能く取り定めて信を取るべし」(『化儀抄』)
の文の通り、唯授一人の相承をすれば、大聖人の法魂は授(さず)けた隠居法主から現法主に移ることになる。つまり、隠居法主は"もぬけの殻"でしかないはずだ。(『創価新報』H18.9.20または10.4)
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 血脈相承によって御法主から次期御法主へと授(さず)けられる「大聖人の法魂」とは、
 「日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(御書685頁)
と仰せのように、大聖人が悟られた南無妙法蓮華経の極理であって、これを説き示された甚深の法門が、御歴代上人に伝えられているのである。
 その場合、師(御法主)が弟子(次期御法主)に法門を伝えられると同時に、師は法門を完全に忘失してしまう、などということがあろうか。このようなことが起きるとすれば、それはオカルトであって、現実にはまったくありえない。
 学会のいう"もぬけの殻"説は、そういう、くだらない主張にすぎないのであって、子供騙(だま)しの戯論(けろん)である。
 おそらく学会では、本宗の血脈相承の在(あ)り様(よう)を喩(たと)えた「法水瀉瓶(ほっすいしゃびょう=一器より一器に法水を瀉〈うつ〉す)」の語を見て、書葉尻を捉え、このような戯論を思いついたのであろう。つまり、喩えと現実の区別を無視し、とにかく誹謗(ひぼう)できさえすればよい、との、ひねくれ曲がった根性によって、考え出したものといえる。


【学会の愚論の一々を破す】
―その頭破七分ぶりは明らか―
前法主はもぬけの殻で血脈不断に備えられない!?

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宗規には
 「退位した法主は前法主と称し、血脈の不断に備える」(第7条)
などとしているが、前法主の内証には法魂などないのだから、不断に備えることなどできない。(『創価新報』H18.9.20または10.4)
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前述のとおり、御法門を授けられたからといって、前御法主が"もぬけの殻"になるなどということはないのだから、御隠尊として血脈の不断に備えられる、というのは当然の道理である。

当職・隠尊で3人なら唯授三人となってしまう!?
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62世日恭上人の当時、隠尊は日隆上人(61世)、日亭上人(59世)の2人だった。では、大聖人の法魂は誰に宿(やど)っていたのか。3人に宿っていたとでも言うのだろうか。それでは、唯授一人ではなく"唯授三人"になってしまう。法魂というものは、いくつにでも分裂するものなのか。(『創価新報』H18.9.20または10.4)
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 数多(あまた)の御弟子の中でも1人を選んで授けられることを、文字どおり"唯授一人"というのであって、御当職と御隠尊を合わせて唯授三人だった時代がある、などという輩(やから)は頭がどうかしている。べつに、御弟子の中の3人に同時に御相承を授けられた、というわけではないのである。
 「法魂が分裂!?」などと心配する前に、自分の頭が7つに分裂していないかを心配する方が急務であろう。

隠尊の再登座の際、法魂は出人りする!?
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 53世の日盛上人が退かれた際、"もぬけの殻"であるはずの日英上人(51世)が再び登座、その後、同じく"もぬけの穀"であるはずの日霑上人(52世)が再登座。
 ちなみに日霑上人は、都合3回も猊座についているが、そのたびに、宗祖の法魂が出たり入ったりしたというのか。(『創価新報』H18.9.20または10.4)
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 御隠尊が、まさに血脈不断のために再登座あそばされた例だが、これも、一旦、御相承を受けられたならば、それ以後、御当職であられた時期も、また御隠尊となられた時期も、一貫して大聖人の血脈を護持されているのであり、何も「法魂が出たり入ったり」しているわけではない。
 こういう疑難を構(かま)えるあたりが、まったく血脈相承の片鱗(へんりん)もわかっていない証拠である。

大聖人の法魂が披けて御本尊書写できない!?
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後継に相承をして、大聖人の法魂が抜けてしまった隠尊は、御本尊を書写してはならないはずである。ところが宗門では、隠尊が御本尊を書写していた例がある。日興上人、日量上人(48世)、日荘上人(49世)等々。大聖人の法魂が止住(しじゅう)していないはずの人が、現実に書写していたわけである。これをどう説明するのか。(『創価新報』H18.9.20または10.4)
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後継に相承したから法魂が止住していないはず、などという発想が狂っており、それは前に述べたとおり。したがって、御隠尊は御本尊を書写してはならないはず、などというのも、『新報』編集子の狂える思い込みにすぎない。


相承すれば平僧に戻り合掌礼する必要もない!?
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日如上人に相承したことにより、法魂が抜けてしまった日顕上人には、合掌礼をする必要は全くない。いわば、今の日顕上人は、登座前の「阿部信雄」の境涯に戻った、と理解すべきである。(『創価新報』H18.9.20または10.4)
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御当職はもちろんのこと、血脈を持たれる御隠尊に対しても合掌礼をとるのは当然である。御相承をなさったことで、登座前の境涯に戻る、などという道理はもとよりないのである。



【日寛上人をも誹謗する学会の支離滅裂】
 ちなみに、この法水瀉瓶ということについては、学会が正師と仰ぐ(ふりをしている)26世日寛上人も、
 「(日興上人は)法を日目に付し、日目亦(また)日道に付す、今に至るまで四百余年の間(あいだ)一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月(しんげつ)豈(あに)此に移らざらんや、是の故に御心今は富山に住したもうなり」(『六巻抄』65頁)
と仰せである。

日寛上人は、享保3年と享保8年の2度御登座されているが、『新報』の論調でいけば、2度目の御登座は「もぬけの殻」で認められないということになるが、どうだ。(「大石寺短信」)

さらに、学会が勝手にコピー販売しているニセ本尊も、日付けを見ると「享保五年庚子六月十三日」となっているが、これは、その年の2月に日寛上人が第27世日養上人へ相承された後に書写されたことを表わしており、彼奴等が言う「もぬけの殻」の「法魂が抜け出てしまった」「書写してはならない」「隠尊」が書写した御本尊(をコピーした物)ということになる。学会では、その事実を会員に隠して配布していることになるが、どうだ。呵々(かか)!!(「大石寺短信」)

学会の主張でいけば、この日寛上人の御指南や御振る舞いも「陳腐で、欺瞞に満ちたもの」ということになるはずだが、そんな思い切ったことを今の時点(学会が日寛上人書写の御本尊を利用している現段階)で言えるのか!?『新報』編集子よ、この点にしかと答えてみよ。呵々(かか)。

日寛上人は、"法水瀉瓶によって、前法主から宗祖の法魂が抜け出し、もぬけの殻になる"とは考えていなかった。

日寛上人を正師と仰ぎ、"同上人の本尊"を拝みながら同上人に反する学会は支離滅裂!!!






血脈の尊崇

(『大白法』H15.8.16)

1.血脈相承とは
 血脈とは、仏法が師匠から弟子へと正しく伝えられていくさまを、親子の血統や、人体に血管が流れ連なることに例えて表した言葉です。仏法とは仏の悟られた、一切衆生を救済する根本の教えですから、これを後世に正しく伝えることが何より大切であり、これを相伝あるいは相承と言います。
 釈尊の仏法は滅後、付法蔵と呼ばれる弟子によって次々に付嘱され、後世に正しく伝えられました。また日蓮大聖人は、仏法流伝の正統として三国四師を御教示されています。この三国とはインド・中国・日本であり、四師とは釈尊・天台・伝教、そして日蓮大聖人を指します。


2.本宗の血脈相承
<1>大聖人における相承
 大聖人は竜口法難の後、佐渡期以降において、御自身が霊鷲山にて釈尊より付嘱を受けられた地涌の上首・上行菩薩にましますことを明かされました。これについて第26世日寛上人は、大聖人の外用(本体・本意という内証を隠して外面に表れる姿・作用のこと)は上行菩薩の再誕であるが、その御内証は本因妙の教主たる久遠元初自受用報身如来であることを御指南されています。この久遠元初本因妙の教主たる大聖人の一期御化導の究竟である本門戒壇の大御本尊こそ、血脈相承の根本の法体なのです。

<2>唯授一人の血脈相承
 大聖人は御入滅に当たり、二箇の相承をもって第2祖日興上人へ御自身の仏法の一切を相承されました。すなわち本門戒壇の大御本尊をはじめとして、法体と法門の両義を余すところなく日興上人へ付嘱されたのです。
 法体とは、末法の御本仏日蓮大聖人の御内証たる本門戒壇の大御本尊の御事であり、日興上人が大聖人から本門戒壇の大御本尊を身に宛てて賜り、一器の水を一器に潟(うつ)すがことくに、その御内証を一身に受け継がれたことを「法体相承」と言います。
 また大御本尊の法体とともに、下種仏法の法義は日興上人へ余すところなく相伝されました。大聖人の宗旨の深義が、口伝や筆授によってとどこおりなく日興上人に伝承されたことを「法門相承」と言います。
 さらに、この法体・法門の両相承は日興上人より第3祖日目上人、日目上人から第4世日道上人と順次に承継され、御当代御法主上人に至っています。この唯授一人の血脈相承こそ本宗宗旨の根幹なのです。

<3>三宝と血脈
 日寛上人は『当流行事抄』の中で、末法の御化導における法体の下種三宝について、「仏宝は日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は日興上人(趣意)」と御指南されています。この法体の三宝に対する絶対の信こそが本宗信仰の根本です。
 この法体の三宝に対し、下種三宝の法体を末法万年に伝持される日目上人以来の歴代の御法主上人は、外用の辺は「住持の三宝」の意義における僧宝の御立場と拝します。内証の辺では仏・法・僧の三宝は一体ですから、御歴代上人の御内証の血脈は、法体の三宝と一体不二の尊体にましますのです。故に御法主上人はその御内証の上から、御本尊書写の権能を持たれるのです。法体の下種三宝に深く帰依し奉るとともに、三宝伝持の血脈の御法主上人に信伏随従し奉るところに成仏の大功徳が存するのです。

<4>本宗僧俗における血脈
 本宗の信仰においては、唯授一人の血脈相承を根本とし、その上で僧俗の信心における血脈の意義を弁えなければなりません。御本尊を強盛に信じ、御本尊の法体の血脈を伝持する下種三宝に帰依することによってのみ成仏の血脈が流れ通うのであり、これを「信心の血脈」と言います。
 また本宗の信心には「師弟相対」という大切な筋目があります。すなわち手続の師たる歴代の御法主上人のところには大聖人の御法魂がもぬけられており、これを信じて師弟相対の信を取ることにより成仏が叶うのです。また御法主上人の御命によって各地に赴き、法を弘宣する僧侶にも手続の師の意義が存します。
 法体の血脈を所持あそばされる嫡々付法の御法主上人に対し奉り、信の一念をもって師弟の筋目を正すと共に、御法主上人に信伏随従する末寺の御住職を直接の手続の師として信心に励むことが大切です。


3.血脈誹謗の異流義
 古来、血脈に背反して異流義を唱え、謗法に堕する輩が後を絶たないことは、まことに悲しむべきことと言わなければなりません。大聖人御入滅後、日ならずして師敵対の謗法を始めた五老僧をはじめとして、近年では「血脈二管論」なる邪説を唱えた自称・正信会、そして『ニセ本尊』の作製という大謗法を犯した創価学会に至るまで、すべての異流義に共通するのは、大聖人から日興上人へ、さらに日目上人、歴代の御法主上人へと法水潟瓶(ほっすいしゃびょう)される金口嫡々の血脈相承を否定するということです。これらが大聖人の大慈悲の御化導に敵対する大謗法であることは言うまでもありません。


4.血脈と広宣流布
 広宣流布とは、三大秘法の大法が全世界に広まり、下種仏法における信心・修行が広く世に行われ、その利益の姿が広く顕れることを言います。しかしあくまでも、血脈を根本とした正しい教えが広まるということでなければ広宣流布とは言えないのです。
 今日、御本仏日蓮大聖人の大法は、血脈付法の第67世御法主日顕上人が御所持あそばされています。その仏法の血脈に末法万年の広宣流布の源が存することを、我々僧俗は深く拝し、総本山根本の信心に立つことが何よりも大切です。
 そして、「平成21年・『立正安国論』正義顕揚750年」の大佳節には「地涌倍増」の御命題を完遂し、さらに末法万年、未来広宣流布のために、日々の勤行・唱題を根本に折伏弘教に精進することが肝要なのです。





血脈の大事

―第3回海外信徒夏期研修会から―
(安沢淳栄 御尊師『大日蓮』)

 血脈とは、一般には<1>血管、<2>血のつながり、血統のことを言います。
 仏法では師から弟子に法統が承(う)け継がれていくことを言い、宗脈とも法脈とも言います。
 日蓮大聖人が『生死一大事血脈抄』に、
●信心の血脈なくんば法華経を持(たも)つとも無益なり(『生死一大事血脈抄』御書515、全集1338頁)
と御教示され、『一代聖教大意』に、
●此の経は相伝に有らざれば知り難し(『一代聖教大意』御書92、全集398頁)
と御教示されている如く、仏道修行の根本大事が、この「血脈」を知り、正しい血脈のもとに信仰に励むということなのです。
 総本山第65世日淳上人は『弁惑観心抄』の序文に、
●仏法を信行する者は必らず師弟の道を尊重し師資相承の跡を尋ねその正しき法流を確めて清水を汲(く)まねばならない(第65世日淳上人『弁惑観心抄』序文)
と示され、さらに、
●由来日蓮大聖人の門流に於ては聖祖は2祖日興上人に血脈相承し玉ひて大導師たるべしと御遺命(ゆいめい)あり3祖日目上人その跡を承継し玉ひて相承の次第柄乎(へいこ)として明かに今日に至ってをる。よって此の相承を大宗として各々師弟の関係をしうすれば自ら正統の信行に住することができるのである(第65世日淳上人『弁惑観心抄』序文)
と示されています。
 日蓮正宗信仰の命脈は、本門戒壇の大御本尊と代々の御法主上人が所持せられる日蓮大聖人の血脈にあります。最も肝心なこの1点を誤ってしまうと、いかに真撃(しんし)な仏道修行を行じても無益なばかりか、かえって罪障を積むことにつながります。
 そこで、仏道修行をするに当たって最も基本であり、最も重要な血脈の大事について拝したいと存じます。

 仏法の正しい血脈には、大きく分けて教相(法華経の血脈)と観心(久遠元初の自受用身の血脈)の2種があり、さらに、末法万年に向けての御本仏日蓮大聖人の血脈があります。この立て分けに迷いますと、迷路に迷い込んだ子供のように、ついに真実の仏法に到達することなく、迷者・闇者の道を歩むことになってしまいます。
 仏法における正法正義の血脈は下記の如くとなります。

(1)法華経の血脈(=三国四師=教相=外用)
<インド>=釈尊→<中国>=天台大師→<日本>=伝教大師→日蓮大聖人

(2)久遠元初の自受用身の血脈(=久遠元初から末法に至るまでの血脈=観心=内証)
<久遠元初>=久遠元初自受用報身如来(無始の古仏)→<中間>=五百塵点劫の仏(本果妙の釈尊)・三千塵点劫の仏(大通智勝仏)→<今日>=釈尊→上行菩薩(=日蓮大聖人の末法出現)

(3)末法万年・唯授一人の血脈
日蓮大聖人→日興上人→日目上人→以下代々嫡々付法の御歴代上人
となります。

 さらに(2)(3)の日蓮大聖人の血脈は、その内容と意義の上から

<1>生死一大事の血脈(久遠以来の本法・本仏の血脈)
<2>法体の血脈(別付嘱による戒壇本尊法体の血脈=唯授一人)
<3>法門の血脈(別付嘱による法門の血脈=唯授一人)
<4>信心の血脈(唯授一人の血脈から流れ通う一般僧俗への法体・法門の血脈

の4義に分けられ、それぞれに重大な意義が存します。末法の一切衆生は、この血脈義を違(たが)えずに仏道修行に励むならば必ず即身成仏の仏果を得ることが約束されているのです。


1.法華経の血脈(教相=外用=三国四師)
(1)釈尊(インド)
 インド応誕の釈尊は、真実極理の教えとして法華経を説き明かされました。
 法華経の序分であり、開経である無量義経において、
●無量義とは一法より生ず(『開結』84頁)
●四十余年。未顕真実(同88頁)
と説いて、諸法実相、無量義の根本を明かすことを予説されたのち、一代50年説法の究極を説示されました。
●正直に方便を捨てて 但(ただ)無上道を説く(法華経方便品第2・同189頁)
●我が所説の諸経而(しか)も此の経の中に於いて法華最も第一なり(法師品第十・同390頁)
と示された如く、釈尊出世の本懐は法華経を説くことにあったのです。
 釈尊はこの法華経において、
<1>理の一念三千の法門を説いて、それまで永(よう)不成仏とされていた二乗の作仏を説き、
<2>釈尊の本地は久遠五百塵点劫成道の仏(本果の仏)であることを説いて本因妙の教主(久遠元初の本仏)の存在を明かし、
<3>闘諍言訟(とうじょうごんしょう)・白法隠没(びゃくほうおんもつ)の末法に法華経の行者たる上行菩薩が出現して、万年にわたる一切衆生を利益する法華経を忍難弘通することを明かして本門三大秘法の結要付嘱をされました。

(2)天台大師(中国)
 像法時代の中国に出現した天台大師は、釈尊一代50年の説法の教説の高下浅深を判釈して五時八教に整束し、法華経こそが釈尊経説中、最高の法たるを示し、『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』の三大部を著して法華経を宣揚するとともに、
 「後五百歳遠く妙道に沽(うるお)はん」(『観心本尊抄』御書661、全集254頁)
と、末法に根本の仏と大法が出現して衆生を利益することを予証しました。

(3)伝教大師(日本)
 日本の平安時代初期、伝教大師は中国に渡って天台大師の教えを学び、帰国後、法華経こそが一切経中、真実最高の経説であることを説き、公場対決によって諸宗を打ち破り、叡山に迹門の戒壇を建立しました。
 日蓮大聖人は『撰時抄』に、
●「天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚(ふよう)し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」云云(中略)天台大師・伝教大師こそ仏説に相似してとかせ給ひたる人にてをはすれとなり(『撰時抄』御書850、全集271頁)
と示されて、インド、中国、日本の三国における法華経伝持弘通の血脈を明示されています。

(4)日蓮大聖人(日本)
 釈尊滅後2000年を過ぎて、大集経に「闘諍言訟・白法隠没」と予言された末法の初めに上行菩薩の再誕として出現された日蓮大聖人は、法華経に予証された宝塔品の三箇の諌勅(かんちょく)、提婆品の二箇の諌暁、不軽品の杖木瓦石(がしゃく)、勧持品二十行の偈に説かれた三類の強敵(ごうてき)等の文をことごとく身・口・意の三業(さんごう)をもって読まれ、久遠元初の本法たる三大秘法の御本尊を建立あそばされました。
 日蓮大聖人は御自ら、
●日蓮は閻浮(えんぶ)第一の法華経の行者なり(『撰時抄』御書845、266頁)
と、一閻浮提第一の法華経の行者たることを宣言され、さらに、謙遜されたお立場から、
●日蓮が法華経の智解(ちげ)は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし(『開目抄』御書540、全集202頁)
と、法華経の真髄と血脈を継承された天台大師、伝教大師を賞賛あそばされると同時に、末法に出現して法華経を弘通する上行菩薩とは日蓮その人であると示され、さらに、
●日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未未までもながるべし(『報恩抄』御書1036、全集329頁)
と、末法万年の一切衆生を救済する本法所持の教主たるを御教示あそばされています。


2.久遠元初の自受用身の血脈(観心=内証)
 釈尊は法華経化城喩品第7において、三千塵点劫という遠い昔に大通智勝仏が法華経を説いたことを明かし、法華経如来寿量品第16では、さらに昔の久遠五百塵点劫における釈尊の修行と成道、そして所住の国土を、
<1>●我本行菩薩道所成寿命(我れ本、菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命=本因妙)(『開結』500頁)
<2>●我成仏已未。甚大久遠(我成仏してより已未、甚だ大いに久遠なり=本果妙)(同頁)
<3>●我常在此。娑婆世界。説法教化(我常に此の娑婆世界に在って説法教化す=本国土妙)(同498頁)
と明かして、久遠元初無始の古仏と、本仏所持の法体(ほったい)の存在を説かれました。これを寿量品の「三妙合論」と言います。
 日蓮大聖人は『開目抄』に、
●一念三千の法門は但(ただ)法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり(『開目抄』御書526、全集189頁)
と文底の義を説き顕され、さらに、
●一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり(『草木成仏口決』御書523、全集1339頁)
●釈尊初成道より(中略)秘せさせ給ひし処の、実相証得の当初(そのかみ)修行し給ふ処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり(『三大秘法稟承事』御書1593、全集1021頁)
と久遠元初の本仏御所持の法体を明確に明かされ、さらに『秋元御書』に、
●種・熟・脱の法門、法華経の肝心なり。三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり(『秋元御書』御書1447、全集1072頁)
と、釈尊に限らず三世十方の諸仏もまた、久遠元初の本仏所持の妙法蓮華経を種として成道したものであることを御教示あそばされています。
 大聖人は文底下種本因妙の教主について、その本地と垂迹および顕本を、
●久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮(『具謄本種正法実義本迹勝劣正伝』御書1685、全集854頁)
●自受用身は本、上行日蓮は迹なり。我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり。其の教主は某なり(『具謄本種正法実義本迹勝劣正伝』御書1695、863頁)
と示されて、日蓮大聖人が久遠元初以来、三世を貫く御本仏であることを明かされるとともに、その本仏所持の大法を三大秘法の本尊として顕すものであるとの大事を、
●日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし(『経王殿御返事』御書685、全集1124頁)
と御教示され、この御本尊を根本として信心に励む大功徳を、
●此の砌(みぎり)に望まん輩は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん(『南条殿御返事』御書1569、全集1578頁)
と示されたのであります。
 また、
●凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用(ゆう)の三身にして迹仏なり(『諸法実相抄』御書665、全集1358頁)
●末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり(『就註法華経口伝』御書1779、全集766頁)
と、久遠元初の自受用報身如来は示同凡夫の姿をもって末法に出現することを明かされています。
 久遠元初以未の根本の法なるが故、久遠元初以来の本仏なるが故の法力・仏力であり、末法当機の大法のもと、私達の信力・行力が合致するところに即身成仏の大功徳が成就されるのです。

 血脈の大事を知る上でたいへん重要なところとなりますので、もう1度整束して拝しますと、
<1>久遠五百塵点劫における釈尊実相証得初成道の修行は、久遠元初の本仏所持の寿量品、すなわち、南無妙法蓮華経であること。
<2>久遠元初の三大秘法所持の本仏は、久遠元初の自受用報身如来であること。
<3>久遠元初の自受用身と上行菩薩と日蓮大聖人は、一仏の異名であること(内証と外用、本地と垂迹の相異)。
<4>久遠元初の本仏の末法出現は、示同凡夫の凡夫僧であること。
<5>久遠元初の自受用報身は、末法に日蓮大聖人と現れて、久遠元初の三大秘法の本尊をもって末法万年一切衆生を得脱せしむること。
等が明確に拝せられるのであります。

 総本山第26世日寛上人は久遠下種本因妙以来の血脈の大事を、
●若(も)し外用(げゆう)の浅近(せんごん)に拠(よ)れば上行の再誕日蓮なり、若し内証の深秘に拠れば本地自受用の再誕日蓮なり。故に知んぬ、本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり(第26世日寛上人『文底秘沈抄』学林版六巻抄204頁)
と明解に御教示あそばされています。


3.末法万年唯授一人の血脈
―血脈とその相伝・相承について―
(1)生死一大事の血脈
 末法濁悪の世に出現された御本仏日蓮大聖人は、末法万年にわたる一切衆生得脱の根本として本門戒壇の大御本尊を建立あそばされました。
 御入滅に先立ち、仏法の一切を日興上人に御相承あそばされましたが、その際、『日蓮一期弘法付嘱書』に、
●日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂(い)ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬午九月日
日蓮花押

血脈の次第 日蓮日興(『日蓮一期弘法付嘱書』御書1675、全集1600頁)
と示され、また『身延山付嘱書』に、
●釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。
弘安五年壬午十月十三日武州池上
日蓮 花押(『身延山付嘱書』御書1675、全集1600頁)
と書き置かれて重大なる御相承をあそばされ、相承の次第について「血脈の次第 日蓮日興」とわざわざ認(したた)められています。ここに仏法の相伝・相承の大事が存するのです。 大聖人は血脈の相承・相伝について『曾谷殿御返事』に、
●又是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん(『曾谷殿御返事』御書1039、全集1055頁)
と、総付嘱・別付嘱の二義があることを示されています。
 『生死一大事血脈抄』に、
●夫(それ)生死一大事血脈とは所謂(いわゆる)妙法蓮華経是なり。其の故は釈迦多宝の二仏、宝塔の中にして上行菩薩に譲り給ひて、此の妙法蓮華経の五字過去遠々劫より已来(このかた)寸時も離れざる血脈なり(『生死一大事血脈抄』御書513、全集1336頁)
とお示しになられた血脈は、久遠元初以来、末法万年を貫く生死一大事の血脈の根本を明かされたもので、血脈義を正しく拝するためには、まずこの御教示を知ることが大切なのです。

(2)法体の血脈
 久遠元初からの生死一大事の血脈を根本として顕発された戒壇の大御本尊の法体は、そのまま末法の根本血脈であることを『法華本門宗血脈相承事』に、
●此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々(ちゃくちゃく)座主伝法の書、塔中相承の稟承(ぼんじょう)唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし(『法華本門宗血脈相承事』御書1684、全集877頁)
と示され、『御講聞書』に、
●一 授職法体の事 仰せに云はく、此の文は唯仏与仏の秘文なり。軌(たやす)く云ふべからざる法門なり。十界三千の諸法を一言を以(もっ)て授職する所の秘文なり(『御講聞書』御書1860、全集845頁)
と示された如く、境淵無辺にして無量である十界三千の諸法のすべてが血脈相承の大事に秘められていることを忘れてはなりません。
 また、日興上人が第3祖日目上人に相伝あそばされるに際し、
●日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸(か)け奉るべし(『日興跡条々事』御書1883頁)
と記されて相伝をあそばされています。これは二箇の相承に既に明らかな如く、日蓮大聖人の御法魂たる戒壇の大御本尊の御法体と同時に、御法門のすべて、仏法の一切が御相承あそばされたことを意味します。法体の御相承をお承(う)けになられた代々の御法主上人が御本尊を御書写あそばされる時は、
●代代の聖人悉(ことごと)く日蓮なりと申す意なり(『御本尊七箇之相承』/『富士宗学要集』第1巻32頁)
との重大義が存する御教示であることを、信心の立場からよくよく拝受することが肝要なのです。

(3)法門の血脈
 総じて言えば、法門の血脈は日蓮大聖人の御書を拝する者すべてが受け継ぐことができると言えますが、これは一往の義であり、再往は釈尊が方便品に、
●唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相(唯、仏と仏と、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり)(『開結』154頁)
と説かれ、大聖人が、
●当世の学者は血脈相承を習ひ失ふ故に之を知らず(『立正観抄』御書770、全集530頁)
●此の経は相伝に有らざれば知り難し(『一代聖教大意』御書92、全集398頁)
と御教示されている如く、甚深なる仏法の法義を正確に体得することは容易ではなく、血脈・相伝なき御書拝読は憍慢(きょうまん)・浅識等の十四誹謗を生み、ついに仏道から逸脱をする結果に至ります。
 第2祖日興上人は、
●当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して(『日興遺誡置文』御書1884、全集1618頁)
と、師弟相対しての御書の研鑚と実践を遺誡(ゆいかい)あそばされています。
 『一谷入道女房御書』に、
●又日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者をば御用ひあるべからず。恐々謹言(『一谷入道女房御書』御書831、全集1330頁)
と厳しく御制誡あそばされたのは、法体相承の有無を判ぜよと御教示されると同時に、難信難解・甚深微妙(みみょう)なる御本仏の御法門は、唯仏与仏の御境界においてのみ、初めてすべてを領解(りょうげ)しうることを御教示あそばされたものであり、大白法の惑乱を防ぎ、末法万年に伝持・流通(るつう)せしめ、広宣流布の大願成就を勧奨あそばされんがためであったことを知らねばなりません。
 『具騰本種正法実義本迹勝劣正伝』に、
●日蓮が正義(しようぎ)悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢(おわ)んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり(『具騰本種正法実義本迹勝劣正伝』御書1702、全集869頁)
と示し置かれた御教示は、未来永遠にわたる正法伝持と弘通の根本規範を治定あそばされたものであり、日蓮正宗僧俗は、宗祖のこの御教示を片時も忘れてはならないのです。

(4)信心の血脈
 大聖人は『生死一大事血脈抄』に、
●総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり(『生死一大事血脈抄』御書514、全集1337頁)
と、異体同心の唱題に励む時は、即身成仏の血脈となることを御指南あそばされています。しかし、この御文をそのまま、「大聖人直結」の血脈と拝するのは大変な誤りとなります。
 総本山第9世日有上人は血脈法水と信心の在り方について、
●信と云ひ血脈と云ひ法水と云ふ事は同じ事なり、信が動ぜざれば其の筋目違(たが)ふべからざるなり、違はずんば血脈法水は違ふべからず(中略)高祖已来の信心を違へざる時は我れ等が色心妙法蓮花経の色心なり(第9世日有上人『富士宗学要集』第1巻64頁)
と示されて、正しい筋目の信仰に励む時、衆生の心身がそのまま妙法蓮華経の当体となって、即身成仏の血脈となることを御指南されています。大聖人以未の唯授一人の血脈を離れて、別個に血脈が存するとは仰せになっていないのです。
 そもそも、仏法の極理および法体の血脈には甚大なる意義が存するが故に、師弟相対しての唯仏与仏・唯授一人の相承が大原則なのであり、
●此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり(『産湯相承事』御書1710、全集880頁)
●直授(じきじゅ)結要付嘱は唯一人なり」(『具騰本種正法実義本迹勝劣正伝』御書1702、全集869頁)
●唯我(日蓮)与我(日興)計りなり(『法華本門宗血脈相承事』御書1684、全集877頁)
等の御教示に明らかな如く、唯仏与仏の血脈の相伝(別付嘱)を根本とした上での信心の血脈であり、唯授一人の血脈に基づいて、異体同心の唱題に励む時、初めて日蓮大聖人の血脈が流れ通う、との義なのです。
 法体(本門戒壇の大御本尊)と法門の血脈は、相承を承けられた日興上人以下代々の御法主上人(能化)が所持あそばされるところであり、門弟僧俗(所化)が御法主上人の御指南のもとに信仰に励む時、大聖人の血脈が流れ通い、即身成仏の功徳が具(そな)わるのであります。
 ちなみに、近年、邪教化した池田創価学会が主張する、「大聖人直結」「御書直結」というが如き邪論は、血脈の大事を破壊し、仏法の根本教理を否定せんとする邪説であり、久遠元初の自受用身、釈尊、天台大師、日蓮大聖人に師敵対する大魔説たるを知ることが肝要であります。

 さて、総本山第66世日達上人は、
●大石寺門流は大聖人からの相伝の宗旨であるから、御書を十分に心に留め、その文底の法門は、歴代の法主が相承している法門の至極の理は師から教わり、かりにも己義をかまえてはならない(第66世日達上人著『日興遺誡置文略解』10頁)
と御指南あそばされ、御当代御法主日顕上人猊下は、
●唯授一人ノ血脈相承ニヨル正法正義ノ紹継ニ於テソノ信仰存立ノ基盤ガアルコトハ申スマデモアリマセン(第67世日顕上人『大日蓮』432号『訓諭』)
●日蓮正宗の、正しい妙法蓮華経に含まれるところの一切の義理は、付嘱によってこれを説き示し、その都度その都度において示すところでありますが、これに対して逆らい、信ぜず、あるいは謗(そし)る者は、先程申した如く、大謗法がそこに生ずるということを考えなければなりません(第67世日顕上人『大日蓮』419号83頁)
と御指南あそばされています。
 日興上人が大聖人に信伏随従し、常随給仕申し上げるなかで大聖人の仏法を体得あそばされたことは門下一同の明鏡であリ、仏道修行の肝要であります。また、
●法華経を我が得しことは薪(たきぎ)こり 莱つみ水汲み仕(つか)えてぞ得し
との古歌が、日目上人が身延において大聖人にお給仕申し上げたお姿を象徴していると言われる如く、本宗信仰の根本は血脈法水に基づく師弟相対の信行学の実践にあります。
 血脈付法の御法主上人猊下の御指南のもと、身・口・意の三業をもって信伏随従して信仰に励む時、日蓮大聖人の血脈が我が身に流れ通い、即身成仏の仏果が具わることを胸に銘記し、より一層の仏道修行に励むことを誓い合おうではありませんか。
(あんざわじゅんえい・実正寺住職)





大動脈と毛細血管(仮題)

―「池田狂徒の血脈観を破す」―
―御書にも〝唯授一人を根本〟の道理が―
―学会は日顕上人御指南の本意を歪曲―

(『慧妙』H15.9.1)

 前回、血脈相承について、「血脈相承には唯授(ゆいじゅ)一人の血脈と信心の血脈がある。その関係は、唯授一人の血脈を大動脈とすれば、信心の血脈は毛細血管にあたる」と、その本末関係を述べたが、これに対して、教学に無知な池田創価学会の狂信者どもが、インターネット上で
 「『慧妙』は、今まで誰も言ったことのないような珍説を絶叫している
 「(日顕上人も)信心の血脈こそ『大動脈』と断言しており、『慧妙』は法主の言葉に違背(いはい)する大謗法だ
 「信心の血脈は毛細血管なる珍説が出ていて大笑い
等と大騒ぎしている。
 まったく馬鹿につける薬はない、とはこの事だが、もう1度だけ、彼らに薬をつけてあげることにした。
 まず、日蓮大聖人の仏法における「血脈相承」の本源はどこにあるか、という点だが、『三大秘法抄』に
 「此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)、地涌千界の上首として、日蓮慥(たし)かに教主大覚世尊より口決(くけつ)せし相承(そうじょう)なり。今日蓮が所行は霊鷲山(りょうじゅせん)の禀承(ぼんじょう)に介爾(けに)計りの相違なき、色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり」(御書1595頁)
と仰せられているように、霊鷲山会における釈尊から上行菩薩への、1人から1人への口決相承(※口決とは口伝と同義)こそが、その始まりである。
 この上行菩薩(本地は久遠元初の自受用報身如来)が末法に日蓮大聖人として出現あそばされ、付嘱の法体である「寿量品の事の三大事」の妙法をもって、末法一切衆生を救済されるのである。
 そのことを、『曾谷殿御返事』には
 「上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末法悪世の枯槁(ここう)の衆生に流れかよはし給ふ。(中略)釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ」(御書1039頁)
と仰せられている。
 すなわち、まず上行菩薩1人が釈尊から妙法の智水(法水=血脈)を受けて、それを、さらに末法の一切衆生に流れ通わす、との意である。
 同様の御金言は『妙法曼荼羅供養抄』にも拝せられるが、26世日寛上人は、この筋道を、
 「此の授与に二重の授与あり。一には釈尊より上行菩薩に授与す。(中略)二には上行菩薩より一切衆生に授与するなり」(『富要集』10巻82頁)
とお示しくださっている。
 すなわち、血脈法水の授与には二重の授与があり、1つは、釈尊から上行菩薩への、1人から1人への授与、2つには、この唯授一人で伝わった法水の功徳を、上行菩薩が広く一切衆生にも分かち与える授与である、とされている。
 ここにおいて、すでに、「二重の授与」のそれぞれの本末関係は明らかであろう。1人から1人への唯授一人相承を根本として、これを信ずる大衆にも、広く法水の功徳が流れ通うのであって、間違っても、その逆はありえないのである。
 しかして、この唯授一人の相承が、大聖人御入滅後は
「血脈の次第 日蓮日興」(御書1675頁)
との決定どおり、第2祖日興上人へと授与され、さらに第3祖日目上人等、御歴代上人へと順次に展転相承された。これが、日蓮正宗富士大石寺にのみ伝わる、唯授一人の血脈相承である。
 そして、大聖人御入滅後の衆生は、日興上人以来の嫡々(ちゃくちゃく)御歴代に帰伏し信心修行に励むところに、御在世と同様、広く血脈法水を戴(いただ)くことができる。これを、信心の血脈相承というが、もし万一、日興上人(その後は日目上人等御歴代)に背反・義絶することになれば、
 「背(そむ)く在家出家共の輩(やから)は非法の衆」(御書1675頁)
となって、血脈法水は途絶え、成仏できなくなるのである。
 以上のように、信心の血脈相承が、唯授一人の血脈相承を大前提・根本として授けられることは、御金言の示す道理として明々白々であり、血液の流れにたとえれば、唯授一人の血脈相承が大動脈であり、信心の血脈は大動脈に連なる毛細血管である。
 こうした基本的で当たり前の教学を、「誰も言ったことのない珍説」だと言う学会員は、まさに〝学会の庭〟の中だけで〝純粋培養〟された盲目的池田狂徒であり、最初から大聖人の門流ではない外道の信徒だったのであろう。
 ともあれ、大聖人は、『曾谷殿御返事』に
 「日蓮又日本国にして此の法門を弘む。又是には総別(そうべつ)の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死(りんねしょうじ)のもとゐたらん」(御書1039頁)
と仰せられているが、この、唯授一人の血脈相承と信心の血脈相承という、総・別、二重の授与の立て分け、本末関係は厳然としており、これを混同して、ひっくり返したりすれば、「成仏は思いもよらず、輪廻生死のもとい」となってしまうのである。
 なお、彼ら学会員は、昭和62年の虫払い法要での御法主日顕上人猊下の御説法をあげて、「日顕上人も、〝信心の血脈がその基(もとい)をなす〟と言っている」などと論難を加えているが、これについてはとうの昔に、本紙の前身たる『妙観』第94号(平成4年10月15日号)で破折済みなので、もう1度よく読んでみるべきである。
 すなわち、この虫払い法要での御説法では、〝唯授一人の血脈を受け継ぐ次期御法主は、現に信心の血脈を受けている大衆の中から出る(逆にいえば謗法者の中からは出ない)〟ということを、「血脈相承とは、信心の血脈が基となって、一器から一器へ流れ通う」(趣意)と仰せられたのである。
 では、その基となる信心の血脈はどこから流れ通ってくるのかといえば、前掲の御金言に明白なように、別して唯授一人で受け継がれる血脈を根本として、そこから総じて大衆にも広く流れ通うのである。
 59世日亨上人も、『富士日興上人詳伝』に
 「時代はいかように進展しても、無信・無行・無学の者が、にわかに無上位(※大導師位の意で、猊座のこと)に昇るべき時代はおそらくあるまい」
と仰せであるが、前の日顕上人猊下の御説法も、信心なき謗法者の中から御法主が出ることはありえない、という、ごく当たり前の道理を、「信心の血脈が基となって、一器から一器へ」と示されたにすぎない。
 なにも、「信心の血脈こそ大動脈と断言」されたものではないし、事実、御説法中にそのような(「大動脈」などという)お言葉はないのである。
 これを捏造(ねつぞう)してまで、血脈相承の総別を逆転させようと企(たくら)むような輩は、まさに
 「総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもとゐたらん」
との制誡に背く者として、堕地獄必定というべきである。





日因上人著『袈裟数珠の事』について


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相承書の紛失とその歴史
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31世日因上人の「袈裟数珠の事」(富要1-377)には、相承書は20世日典上人の時代に全て焼失してしまい、その後何人もの法主が相承して来たのは要法寺や比叡山の相承であると、悲惨な相承の歴史を述べられている。

「当山念珠の御相伝三通之れ有り、目師御筆、道師御目録之れ有り、然る処に十八代日精上人御代之れを失ふと見へたり日舜上人精師在府の砌り仰せ越され候へば長持の中に之れ有るべき由仰せ候へども之れ無しと見へたり、たとへ之れ有るも日典上人御代に大坊焼失の砌り焼け失せたる者か、故に今御目録十七条のみ之れ有り御相伝悉皆失ふ故、日忍上人日俊上人已来数珠相伝に当山の相伝之れを失ふ故に要法寺日大上人叡山相伝之れ有り、喜ばしい哉、悲い哉、大衆方正法を守ると云へども近代上人は皆正法を失ひ天台真言の邪義に附する故に今日因之を改め近代上人方の附邪の法を疑ふのみ(中略)三には当山日目上人の相伝悉く房州保田に有る故、四には要法寺二代日大叡山相伝当山に伝ふ、故に知んぬ近代上人方、要法寺日大の邪伝に附するのみ。」(富要1-377)

(通解:大石寺に念珠の御相伝が三通あった。そのことは日目上人の文書や日道上人の目録に記載されている。ところが18代日精の時にこれを紛失したということが記録にある。(日精が日舜上人に相承を正しく行わなかったとして、日精を裁判所に告訴した文書や、それに対して日精が「日舜に渡したのは他山の相承だ」と反論したことが、大石寺蔵の極秘文書の中に書かれている。)日舜上人が日精が江戸にいた時に、日精から相承を受けた際に、長持の中に相承書があるはずだと言われたが実際は無かったと書かれている。たとえその時には有ったとしても、日典上人の時代に大坊が焼亡した際に焼失したのであろう。したがって今は相承書の目録の十七ケ条だけが存在しており、御相伝書は悉く皆失われたので、21世日忍上人や22世日俊上人以来、数珠の相伝についての当山の相伝は失われてしまったので、替わりに要法寺日大や比叡山の相伝がある。喜ばしいと言うべきか、悲しいと言うべきか。大衆たちは正法を守っているにも拘わらず、最近の歴代上人は皆正法を失ってしまい、天台真言の邪義を付属しているので、今、日因がこれを改めて、最近の歴代上人たちの付属してきた邪義を疑ふだけである (中略。その根拠として幾つか挙げて)三には大石寺に伝わる日目上人の相伝は全て房州保田の妙本寺に有る故に、四には要法寺二代日大や比叡山の相伝が大石寺に伝わっている、だから知っているのである、近代の上人方は要法寺日大の邪義の相伝を付属しているのだということを。」

と、悲しいことに、あるいは傑作なことに、大石寺には江戸時代の日典上人の時代の火事で数珠に関する3通の相伝書ばかりか、全ての相承書は17項目の目録しか存在していないというのです。
 そればかりか、他山からかき集めて来て、日因上人が復活させたという事実を記録しており、この文書について堀上人は日因上人の直筆から書写した旨を記載しているのです。日蓮正宗の教義は相伝に基づいて万古不変とやらが聞いて呆れます。相伝そのものが焼け失せていたのですから。
 血脈相承がどうだ、とか偉ぶってるんじゃねーんだよ!

・日典上人の時代に大坊が焼けて、相承書が全部焼けて無くなったと日因上人が直筆で書き残しているではないか。
・無くなったのは、3通の念珠の相伝だけでなく、全部だと書いているではないか。
・日因上人の時には、相承書は全部で十七ケ条の目録しか残っていないと書いているではないか。
・その後数代の上人たちは、要法寺や天台真言の邪義を付属していたと書いているではないか。
・日目上人からの相伝は全て保田妙本寺にあって、大石寺にはないと書いているではないか。
・日顕が特別に持っている未公開の相承書とやらは、どこの山からかき集めた相承書か証明してみろや!(実は1800年代の初めになって書き残されたものだという記録が見つかっている。江戸時代の末期になってから書かれたような相承書のことを世間では「後世の偽作(こうせいのぎさく)」と呼ぶんだよ。)

ところで、日精の「家中抄」日道伝(富要5-213)には、日目上人から日道に付属された相伝の目録の31ケ条が示されているので、紹介しよう。

「日興御さく(作)の釈迦一そん(尊)一ふく(幅)   
(これについて日亨上人は頭注で「本師造像家なる故に此の疑文を依拠とするか」と日精を破折)
 御しゅうそく                   (※しょうそく=消息の誤り)
 日興の御ふみ一
 授職灌頂きりかみ                 (※相承の切り紙のこと)
 結要付属きりかみ
 三衣の相伝(*)
 三衣の口伝(*)
 廻向口伝
 広裳衣相伝
 念珠の相伝(*)(※以上3つの(*)が「数珠の相伝三通」に該当)
 今此三界きりかみ
 蓮師名相の口伝
 大黒のきりかみ
 日蓮弘法日興付属きりかみ              (※身延相承書のこと)
 天台大師四十八の起請文
 当家神道きりかみ
 日文字の系図
 佐渡妙泉寺日満と申す付弟のきりかみ         (泉は宣の誤り)
 大聖人の父母の御事きりかみ
 日円の御本尊一ぷく
 日番御本尊一ぷく
 高祖の仏法修行の習きりかみ
 十羅刹のきりかみ
 三衣授与のきりかみ
 日興上人の御自筆御経ありと云ふ事以後の証文になるべし(※日亨上人は追加の小さい文字の日精が書いた箇所について頭注で「本師読誦の例として故に之を引くか」と破折されている)
 大石寺のさしづ
 二字の習のきりかみ
 観心本尊抄の合文
 三大秘法のきりかみ
 本尊相伝のきりかみ
 愚身が日文のきりかみ
右日目御自筆今当山に在るなり。」


日亨上人は頭注で「現在の此の文書は少しも目師の筆に似ず、又目師の名判、年月もなきなり」と日精のこの記録の不正確さの根拠を示している。

 このようにして見ると、すでに日精の時までに、4代日道上人から伝わっていたとされるのは、決して正しい相伝ではないと思われる。その証拠に、日亨上人は頭注で要法寺の臭みのある内容に破折を加えている。
 しかも、これら31ケ条も含めた全ての相承のうち、わずか17ケ条のみが「目録として」残ったのみで、それ以外は既に日因上人の時には焼失してしまっていたという。
注:※部分は謗法者が勝手に記入
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【「悉皆失ふ」という「相伝」とは日道上人に付嘱された31ヶ条のみ】
当家にも元祖已来真なる論説未だ之れを見ず、古来相伝之れ有りと云へども皆悉く紛失して之れ無き故に決定し難き者なり、(中略)爰に予当山卅一代の歴代に列すと雖も而も愚鈍にして弁明し難き者なり、縦ひ一往之れを論するも誰人か之れを信ぜんや、但末代の為に其の少分の得解を記し置くもの、且くら二門と為す。
 初に教門不同三と為す、一は数珠の躰相、二は依用の不同、三は数珠の功徳。
 観門不同、三と為す、一は簡示、二は所表、三は行法なり。(『袈裟数珠の事』/『富要』第1巻369頁~)
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「決定し難き者なり」とは、相伝が紛失してしまったために、数珠についての疑問に答えることができない、という意味であろう。日因上人が問題にしているのは、数珠に関する化儀が乱れたことであって、相伝の紛失は2次的である。勿論、相伝書の紛失がなければ化儀が乱れることもなかったし、たとえ乱れても容易に元に戻すことができたであろう。それはともかく、相伝の紛失という大事について、数珠の化儀との関連でしか述べられていないことは、失われた相伝が、数珠に関わるものであったことを推測させる。

◆当山に二種有り、一には母珠を越えず一片五十四珠を上に流し下に流す即上求菩提、下化衆生の意なり、此れは要法寺日大、叡山より相伝の義なり当山日昌上人已来之れを相伝すと見えたり、今専ら之を用ゆ但し日因は之れを用ひず(中略)
 又又当山念珠の御相伝三通之れ有り、目師御筆、道師御目録之れ有り、然る処に十八代日精上人御代之れを失ふと見へたり日舜上人精師在府の砌り仰せ越され候へば長持の中に之れ有るべき由仰せ越し候へども之れ無しと見へたり、たとへ之れ有るも日典上人御代に大坊焼失の砌り焼け失せたる者か、故に今御目録十七条のみ之れ有り御相伝悉皆失ふ故、日忍上人日俊上人已来数珠相伝に当山の相伝之れを失ふ故に要法寺日大上人叡山相伝之れ有り(中略)故に知んぬ近代上人方、要法寺日大の邪伝に附するのみ。(『袈裟数珠の事』/『富要』第1巻377頁~)
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日因上人が「御相伝悉皆失ふ」と嘆かれた理由は、数珠に関する化儀が乱れたからである。特に数珠の繰り方が「近代上人方」と、それ以前の方々の間で相違があることを問題にされている。謗法者は「御相伝悉皆失ふ」の「相伝」を大石寺に伝わる一切の相伝と決め付けている。しかし、もし、血脈相承が失われたのであるならば、それこそ宗旨の存亡に関わる大事であり、その事を問題にせずして数珠の相承が失われたことを嘆くのは、不自然というべきである。このことから推測するに、失われた相伝とは数珠をはじめとする化儀に関する内容であろう。

◆又又当山念珠の御相伝三通之れ有り、目師御筆、道師御目録之れ有り、然る処に十八代日精上人御代之れを失ふと見へたり日舜上人精師在府の砌り仰せ越され候へば長持の中に之れ有るべき由仰せ越し候へども之れ無しと見へたり、たとへ之れ有るも日典上人御代に大坊焼失の砌り焼け失せたる者か、故に今御目録十七条のみ之れ有り御相伝悉皆失ふ(『袈裟数珠の事』)
◆三衣の相伝(*) 三衣の口伝(*) 廻向口伝 広裳衣相伝 念珠の相伝(*)(『家中抄』)(※以上3つの(*)が「数珠の相伝三通」に該当=謗法者)
>31ケ条も含めた全ての相承のうち、わずか17ケ条のみが「目録として」残った(謗法者)

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 日因上人は「念珠の御相伝」が「三通」あることを「道師御目録」によって知られたのであろう。この「道師御目録」が『家中抄』記載の「高開両師よりの相伝の切紙等目録を以て日道に示す」(『家中抄』/『富士宗学要集』第5巻213頁)という「目録」なのであろう。とすれば、謗法者の述べるように「三衣の相伝」「三衣の口伝」「念珠の相伝」(以上『家中抄』)が「当山念珠の御相伝」(『袈裟数珠の事』)に相当するのであろう。であるならば、「今御目録十七条のみ之れ有り御相伝悉皆失ふ」という「御目録十七条」とは、おそらくは『家中抄』記載の「31ヶ条」に含まれるものであろう。謗法者は「31ケ条も含めた全ての相承」が失われたごとく述べるが、全く根拠のないことである。むしろ「道師御目録」「御目録十七条」の記述から考えれば、失われた相伝とは『家中抄』の「目録」記載の相伝と考えるのが自然である。
 では、何故、「31ヶ条」以外の相伝に言及されなかったのかと言えば、日因上人が本文で問題にされているのは数珠に関することだからである。日因上人が本当に注目されていたのは「当山念珠の御相伝三通」のみである。だが、この相伝は日目上人から日道上人へ付嘱された「31ヶ条」の相伝に含まれるもので、しかも、これらが同時に紛失してしまったことから、話の流れとして「御目録十七条のみ之れ有り御相伝悉皆失ふ」と仰せになったに過ぎない。要するに「皆」とは「当山念珠の御相伝三通」を含む「御目録」記載の相伝全てのことである。

●又結線に表示有り右は叶左は叶と石畳となり、惣して左右の総の長きは不動愛染と之れを表す古来の口伝なり。(『袈裟数珠の事』/『富要』第1巻377頁)
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「御目録十七条のみ之れ有り御相伝悉皆失ふ」と述べる一方で、「古来の口伝」を披露されている。このことからも、失われた相伝とは「御目録」記載の相伝に限ることが分かる。



【文書化していない「金口」の相承は紛失しない】
1●当宗嫡々法門相承どもを日道に付嘱す、其の外高開両師よりの相伝の切紙等目録を以て日道に示す、其の目録に云く。(第17世日精上人『家中抄中』/『富士宗学要集』第5巻213頁)
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「御相伝悉皆失ふ」(第31世日因上人『袈裟数珠の事』)という「相伝」とは日目上人が日道上人に付嘱された「高開両師よりの相伝の切紙等」であり、「当宗嫡々法門相承」ではない。

●法を日道に付す所謂形名種脱の相承、判摂名字の相承等なり、惣じて之を謂はゞ内用(証)外用金口の智識なり、別して之を論ぜば十二箇条の法門あり甚深の血脈なり其の器に非ずんば伝えず(第17世日精上人『家中抄中』/『富士宗学要集』第5巻216頁)
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ここでいう「甚深の血脈」とは「金口の智識なり」とあるように、これこそ日寛上人仰せの金口相承である。金口相承であれば文書の授受ではないから、紛失しようがない。

●祖師より興師へ御付嘱亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付嘱も亦是れなり。(中略)目師より代々今に於て、二十四代金口の相承と申して一器の水を一器にうつすが如く云々(第26世日寛上人『寿量品談義』/『富士宗学要集』第10巻131頁)
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第31世日因上人は「御相伝」が「(第20世)日典上人御代に大坊焼失の砌り焼け失せたる」と仰せであるが、第26世日寛上人の時代にも「金口の相承」は存在した。このことから、日因上人が仰せの「御相伝」とは文書化されたもので、唯授一人血脈相承ではないことが明白である。

●(※第26世日寛上人から第28世日詳上人への御相承について)晨朝(しんちょう)密かに学頭詳公(※日詳上人)を招き、金口嫡嫡の大事を伝付し没後の事を遺杔す(第48世日量上人『続家中抄』/『富士宗学要集』第5巻278頁)

●仮令(たとい)、広布の時といへども別付血脈相承なるものは他に披見せしむるものに非ず(第56世日応上人・『弁惑観心抄』212頁/『創価学会のいうことはこんなに間違っている』212頁)



【紛失した「相伝」は復元された】
◆又数珠搯り様の事。
 当山に二種有り、一には母珠を越えず一片五十四珠を上に流し下に流す即上求菩提、下化衆生の意なり、此れは要法寺日大、叡山より相伝の義なり当山日昌上人已来之れを相伝すと見えたり、今専ら之を用ゆ但し日因は之れを用ひず、高雄口決に因る則は過失有り教相判の下具さに之れを述べたるが如く多くの過失之れ有る者なり、二には二母珠、数を取る故に百八並に母珠を搯くるべし即大小経論の如く具さに百八珠並に三母珠を満てゝ以つて一遍と為すなり、此れは祖師已来御相伝なり当山日主上人子細有りて関東に下向し下野小金井蓮行寺にして入寂す、故に関東五箇寺並に奥州諸末寺此れより本山の式法を守るのみ(中略)
 又又当山念珠の御相伝三通之れ有り、目師御筆、道師御目録之れ有り、然る処に十八代日精上人御代之れを失ふと見へたり日舜上人精師在府の砌り仰せ越され候へば長持の中に之れ有るべき由仰せ越し候へども之れ無しと見へたり、たとへ之れ有るも日典上人御代に大坊焼失の砌り焼け失せたる者か、故に今御目録十七条のみ之れ有り御相伝悉皆失ふ故、日忍上人日俊上人已来数珠相伝に当山の相伝之れを失ふ故に要法寺日大上人叡山相伝之れ有り、喜はしい哉、悲い哉、大衆方正法を守ると云へども近代上人方は皆正法を失ひ天台真言の邪義に附する故に今日因之を改め近代上人方の附邪の法を疑ふのみ、一には日主上人の立行関東奥方に残り伝はる故、二には当山古老僧皆之れを伝ふる故、三には当山日目上人の相伝悉く房州保田に有る故、四には要法寺二代日大叡山相伝当山に伝ふ、故に知んぬ近代上人方、要法寺日大の邪伝に附するのみ。
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 「数珠搯り様」に2種類あった。1つは、「日昌上人已来」日因上人の時代まで行われていた化儀であるが、日因上人はこれを「要法寺日大、叡山より相伝の義」と批判されている。他の1つは「祖師已来御相伝」である。
 では、何故、他宗他門の化儀が行われるようになったのかというと「当山念珠の御相伝三通」については「十八代日精上人御代之れを失」った。あるいは「日典上人御代に大坊焼失の砌り焼け失せた」。その結果「御目録十七条のみ之れ有り御相伝悉皆失ふ」という事態となったのである。そのために止む無く「要法寺日大上人叡山相伝」を用いた、ということである。
 しかしながら「祖師已来御相伝」は、厳然と伝持されていたのである。その証拠は「日主上人の立行関東奥方に残り伝はる」「当山古老僧皆之れを伝ふる」「当山日目上人の相伝悉く房州保田に有る」の記述である。
 そして前者「要法寺日大、叡山より相伝の義」について日因上人は「今専ら之を用ゆ但し日因は之れを用ひず」「今日因之を改め」と仰せになっている。このことから、一旦は相伝の紛失によって失われた化儀も、日因上人によって正しく復元されたことが推察できるのである。
 いずれにせよ、このような化儀自体、現在では用いられていない。このことから考えられることは、随方毘尼というか、当時の宗教的慣習や諸事情(例えば檀林では、他門の僧と一緒に学問に勤しむことがあった)から、一応定められた化儀であり、宗旨の根幹に関わるようなものではなかった、従って、法門の根幹部分に違反しない限り変遷しうる程度のものであったということであろう。



【日因上人の御指南】
●木絵の二像は本草木にてあり。しかるを生身の妙覚の仏と開眼したもうことは、大事至極の秘曲なり。日蓮聖人乃至日因に至るまで三十一代、累(るい)も乱れず相伝これなり(第31世日因上人『御消息』妙喜寺文書/『折伏教本』284頁)
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ここでの「相伝」とは「日蓮聖人乃至日因に至るまで三十一代、累(るい)も乱れず」とあることから、紛れも無く唯授一人の血脈である。このことから、上記「古来相伝之れ有りと云へども皆悉く紛失」(『袈裟数珠の事』)という「相伝」は唯授一人の相伝ではないことが明白である。

●廿年卅年の学問僧にても当家の御書講と申す事は許し申さず候。当山にては貫主・学頭計りに候。学頭も未だ相承を得ざる人は御書の御元意を尽くして申す事は相叶わず候。近代日寛上人は日本第一の智者にて学頭に初めて成られ候御当家の御書大部を御講仕り候。其の外当家大切の書籍をあそばし置かれ候処に大坊へお移り御相承を受け取り遊ばされ候へしかば、其の前遊ばされ候書籍をば妙覚堂の庭にて悉く焼き捨て遊ばされ候。更に六巻の秘書を造り置き候中に前来の書籍を相用ふべからずの由書き置き候。されば貫主上人より前には当家の学頭にて大智慧ありとも愚者の上人には及ばざる事にて候。何に況んや其地(他)同行中未見今見の法門を少分拝見仕り候とて仏意を尽くし候様に相心得申され候ては即身成仏は相い叶い難く候。(第31世日因上人『一結講中異体同心事』正本妙喜寺/<風塵舎>WS)
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日因上人の御指南を利用して宗門を誹謗する前に、この御指南を、よくよく拝するべきである。

日興上人已下代々も亦爾なり、内証に順ずる則んば仏宝なり、外用に順ずれば即ち僧宝なり(第31世日因上人『一結講中異体同心事』正本妙喜寺/<風塵舎>WS)

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[資料]:第31世日因上人著『袈裟数珠の事』





内証一体

内証相伝


1●所詮今末法に入つての如法相是は塔中相承の本尊なり(『御講聞書』全集832頁)

2●二仏並座・分身の諸仏集まつて是好良薬の妙法蓮華経を説き顕し釈尊十種の神力を現じて四句に結び上行菩薩に付属し給う其の付属とは妙法の首題なり(『御義口伝』全集783頁)

3●法体とは南無妙法蓮華経なり能持とは能の字之を思う可し、次に記の一の故始末一経の釈は始とは序品なり末とは普賢品なり法体とは心と云う事なり(『御義口伝』御書1721、全集709頁)
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「法体とは心」という「心」とは、当然本仏大聖人の御心であり御内証です。法体=南無妙法蓮華経=本仏の御内証を、結要付属(法水写瓶)によって伝持されているのです。だからこそ、「塔中相承の本尊」(1●)を書写できるのです。

4●教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり(『南条殿御返事』全集1578頁)
5●天台・伝教は粗釈し給へども之を弘め残せる一大事の秘法を此国に初めて之を弘む日蓮豈其の人に非ずや。(『富木入道殿御返事』955頁)
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「一大事の秘法」とは本門の本尊のことですが、上行菩薩(大聖人)は直接、本尊を付嘱されたのではなく、内証を胸中に相伝されたのです。そして、時至り、本仏の内証を御本尊として書き表されたのです。この塔中における内証相伝が、末法においては唯授一人の血脈相承として日興上人→日目上人→と伝えられているのです。このことは以下の日寛上人の御指南に明らかです。

6●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
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「塔中及び蓮・興・目」とあるように、塔中における上行菩薩への別付嘱(内証相伝)が、末法においては唯授一人血脈相承として歴代上人に伝わっています。

★上記1~6より、結要付属の体=南無妙法蓮華経=御本尊(および内証)=本仏の当体(および内証)、であることが明らかです。この付嘱の体は、末法においては、唯授一人の血脈相承によって歴代上人に伝わっているのです。


日蓮の己心相承の秘法此の答に顕すべきなり所謂南無妙法蓮華経是なり、(『十八円満抄』全集1367頁)
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「日蓮の己心」とあるから、文字としての題目ではない、内証伝持です。

日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ(『経王殿御返事』全集1124)
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御本尊とは大聖人の魂=内証を書写したものです。この御文からも、本尊付嘱である結要付属は、同時に仏の内証付嘱でもあることが分かります。釈尊の内証を上行菩薩が相伝したからこそ、上行菩薩の再誕である大聖人は、釈尊の内証を御本尊として認められるのです(文上の説相)。

●神力品に云く「要を以て之を言えば如来の一切の所有の法、乃至・皆此の経に於て宣示顕説す」〔已上〕此等の現文は釈迦如来の内証は皆此の経に尽くし給う(『守護国家論』全集73頁)
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 「皆此の経に於て宣示顕説す」の「皆」とは「要を以て之を言えば如来の一切の所有の法、乃至」=四句の要法=結要付属の体です。「釈迦如来の内証は皆此の経に尽くし給う」の「皆」とは「釈迦如来の内証」であり、文意から明らかなように「要を以て之を・・」に対応します。つまり、結要付属は、文上では釈迦如来の内証伝持、再往、文底から拝せば久遠元初の釈尊の内証伝持なのです。
 結要付属が釈尊から上行菩薩への付嘱であることは文上の説相です。この結要付属を上行菩薩の再誕、日蓮大聖人が日興上人に別付嘱されたのですから、「結要付属の体=釈迦如来の内証」を文底下種仏法に約せば、当然、「結要付属の体=久遠元初の釈尊の内証」となります。

●所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う(『観心本尊抄』全集250頁)
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仏の「内証」=「妙法蓮華経の五字」

●二仏並座・分身の諸仏集まつて是好良薬の妙法蓮華経を説き顕し釈尊十種の神力を現じて四句に結び上行菩薩に付属し給う(中略)秘す可し秘す可し唯受一人の相承なり、口外す可からず(『御義口伝』全集783頁)
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「四句に結び上行菩薩に付属し給う(中略)唯受一人の相承なり」と仰せです。つまり、結要付属は、別して上行菩薩への唯我一人の付嘱です。「口外すべからず」とは日興上人への御指南であるから、上行菩薩への別付嘱は、末法においては唯授一人の血脈相承として歴代上人に伝持されていることが分かります。↓

7●祖師より興師へ御付嘱亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付嘱も亦是れなり。(中略)目師より代々今に於て、二十四代金口の相承と申して一器の水を一器にうつすが如く云々(第26世日寛上人『寿量品談義』/『富士宗学要集』第10巻131頁)

●問う、三宝に勝劣ありや。答う、此れ須(すべか)らく分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即即ち是れ仏宝なり。故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也(第26世日寛上人『三宝抄』/歴代上人全書4-392)
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「内体に約さば実に是れ体一」とあるように法水写瓶によって「三宝一体」、つまり内証一体となるのです。「一器の水を一器に写す」とは法水写瓶の義ですが、これが日興上人・日目上人以下歴代に亘るものであることは、日寛上人の『寿量品談義』(7●)『撰時抄愚記』(6●)に明らか。さらに当該『三宝抄』では歴代上人を僧宝とされているのですから、三宝一体義が歴代上人にも当てはまることについて、疑問を差し挟む余地はありません。

●御代々の魂魄即一念三千の本尊なるが故に此の本尊に向かいたてまつり南無妙法蓮華経と唱え奉るべし(第31世日因上人『当家聞書』)
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日因上人は、強信者、加藤了哲に対して、「●」と、御法主上人の甚深の御境界を「一念三千の本尊」と明確に御指南されている。これは無疑曰信の加藤了哲だからこそ説かれた深義である。このように血脈付法の御法主上人は、大聖人の事の一念三千の御本尊の法魂を所持遊ばされることを深く信解しなければならない。(『大白法』H22.2.1)

●並開山日興上人、日目上人、日有上人等御箇條の條々不残御渡あって、さて元師の言様、此の秘法を胸中に納め玉ふ上は、日蓮、日興日目、乃至日因上人、日元、其許(そこもと)全体一体にて候。就中、日穏には、当今末法の現住、主師親三徳兼備にして、大石寺一門流の題目は皆貴公の内証秘法の南無妙法蓮華経と御意得候へとの御言也(第35世日穏上人『弁種脱体用味抄』)
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第33世日元上人は、第35世日穏上人が「此の秘法を胸中に納め玉ふ」ことによって、大聖人日興上人以来の御歴代上人の全体と一体の不思議な御境界となられていることを述べられている。そして日蓮大聖人と同じように主師親の三徳兼備のお立場に立たれていることも示されている。『南条殿御返事』に、「4●」と御指南されるところと全く同じであり、日蓮大聖人の御胸中にまします一大事の秘法が、血脈相承によって第35世日穏上人の御胸中に承継されていることを示している。このように御歴代上人の御胸中、すなわち御内証には、日蓮大聖人と同じ一大事の秘法を「隠し持」たれていることを拝信しなければならない。(青年僧侶邪義破折班H17.6.7)

●さてそこで、もう一歩深く考えて、その信心といい、血脈といい、法水というところの法水は、どこから出てくるか、ということがもっとも大切であります。それは、我が日蓮正宗においては日蓮大聖人の御当体たる本門戒壇の大御本尊であります。ゆえに、大聖人の仏法を相伝しなければ、大聖人の仏法の血脈は流れないであります。(第66世日達上人『大日蓮』S53.9)



【邪難粉砕】
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>日寛上人は、ご自身が相承を受けられた後でも、歴代法主だけは本仏と一体である、などと決して説かれなかった(脱落僧・松岡雄茂『大白蓮華』H17.9)
>最晩年に完成された再治本の『六巻抄』に、そのような主張は、どこにもみられない(同)
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●若し内体に約せば実には是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり故に一念三千即自受用身と云い、又十界互具方名円仏と云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。(第26世日寛上人『三宝抄』/『歴全』4-392頁)
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 「三宝一体」の意義が説かれている。後にも述べるが、「三宝一体」である故に、日興上人のみならず、歴代の御法主上人の御内証は、御本仏大聖人と一体である。
 この『三宝抄』は、日寛上人が第27世日養上人に血脈相承せられて御隠尊となられた後の享保7年(1722)の御著述である。ゆえに〝日寛上人は、ご自身が相承を受けられた後でも、歴代法主だけは本仏と一体である、などと決して説かれなかった〟などという汝の言が、事実に相違する虚言であることは明らかではないか。

●今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し(第26世日寛上人『文底秘沈抄』)
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 日寛上人は「一器の水を一器に写すが故に師弟体一・三宝一体」(『三宝抄』)であると仰せられているのであるから、「一器の水を一器に移す」(『文底秘沈抄』)御歴代上人をも三宝一体であると仰せられていることは明々白々である。
 日寛上人が『三宝抄』と『文底秘沈抄』に「一器の水」と述べられた文意は、どちらも御本仏大聖人の血脈法水について示されたものである。すなわち御歴代上人が御内証に受け継がれる血脈法水には勝劣・区別はないのであり、その意義において、御歴代上人においても「三宝一体」と拝することが日寛上人の御意なのである。「三宝一体」の義が『六巻抄』に明文として示されていないといっても、この『三宝抄』の御指南と『文底秘沈抄』の御指南は同じ趣旨であり、〝最晩年に完成された再治本の『六巻抄』に、そのような主張は、どこにもみられない〟という汝の言は誣妄(ふぼう)である。(『大白法』H17.11.1)


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日顕(上人)は平成9年(1997年)8月、本山での坊主の集まりで「法主は生身(しょうしん)の釈迦(しゃか)日蓮であるから、誹謗すると地獄(じごく)に堕(お)ちる」などと述べている(『大白蓮華』H14.8・109頁)
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 しかし、創価学会が日顕上人の発言として取り上げている部分は、平成9年の教師講習会で、法詔寺(ほうしょうじ)日感(にちかん)師が信徒に宛(あ)てた書状を日顕上人が紹介し、読み上げられたものであり、日顕上人御自身の御発言として仰(おお)せられたものではないのです。
 日感師はその書状の中で、
 「大石寺事(こと)は金口(こんく)の相承(そうじょう)と申す事候(そうらい)て、是(こ)の相承を受くる人は学不学によらず、生身の釈迦日蓮と信ずる信の一途(いっと)を以(も)って、末代(まつだい)の衆生に仏種(ぶっしゅ)を植えしむる事にて御座(ござ)候(そうろう)」(『続家中抄』/『聖典』765頁)
と述べています。ここで日感師は、御法主上人の御内証(ないしょう)には、御本仏日蓮大聖人の法脈(ほうみゃく)がそのまま流れており、その御内証を「生身の釈迦日蓮と信ずる」ことが本宗信仰の肝要(かんよう)であると説いているのです。
 この日感師の言葉は、日蓮大聖人の『百六箇抄』の、
 「上首(じょうしゅ)已下(いげ)並びに末弟(まってい)等(ら)異論(いろん)無く尽(じん)未来際(さい)に至(いた)るまで、予(よ)が存日(そんじつ)の如(ごと)く、日興が嫡々(ちゃくちゃく)付法(ふほう)の上人を以て総貫首(そうかんず)と仰(あお)ぐべき者なり」(御書1702、全集869頁)
との御教示や、『御本尊七箇相承』の、
 「代代の聖人(しょうにん)悉(ことごと)く日蓮なりと申す意(こころ)なり」(『富士宗学要集』第1巻32頁)
との御教示にもとづいたものにほかなりません。
 創価学会は、御法主上人の御内証に随順(ずいじゅん)するという本宗の教義信仰を、ありもしない「法主本仏」「法主絶対」にこじつけているのです。
 また、御内証に「生身の釈迦日蓮」の尊(とうと)い命が流れている御法主上人を誹謗する者が、無間地獄(むけんじごく)に堕(お)ちることは当然です。このことを日感師は、
 「若(も)し身の能徳(のうとく)を以(も)って貫首(かんず)と定(さだ)めば学者を信じ非(ひ)学者を謗(ぼう)して仏種を植(う)えざるのみならず、謗法(ほうぼう)の咎出来(とがしゅったい)して無間地獄に入り候わんこと云云」(『聖典』765頁)
と述べているのです。
 この日感師の文言(もんごん)のどこが法義(ほうぎ)的に間違(まちが)っているというのでしょうか。
 日顕上人は、常に日蓮正宗の僧俗に対して、御本仏は日蓮大聖人であり、その御当体(とうたい)にまします本門戒壇(かいだん)の大御本尊への信仰を深めるよう御指南(しなん)あそばされています。
 そもそも、日蓮大聖人の仏法を、代々の御法主上人を経(へ)て継承(けいしょう)されたお立場にあられる日顕上人が、血脈根源(こんげん)の師(し)である日蓮大聖人を差(さ)し置(お)いて、「自分は本仏である」とか「法主は絶対である」などといわれるはずがないではありませんか。
 しかも、このときの講習会において、日顕上人は、
 「私はけっして日顕が、日蓮大聖人様だなんて、一遍(いっぺん)も言ったことはない
と明言されているのです。
 むしろ、池田大作を「永遠(えいえん)の指導者」といって、教祖(きょうそ)に祭(まつ)り上げている創価学会こそ、「池田本仏」「池田絶対」を唱(とな)える邪教(じゃきょう)集団というべきなのです。(『折伏教本』256頁~)


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日感は、大石寺の有力檀家に日舜への無条件の服従を説き勧める。〝若年の日舜を軽々しく思ってはならない。どんな僧であっても相承を受けた人は生身の釈迦日蓮である。これが、開山・日興上人の御本意であり、大石寺一門の信徒の肝要なのである〟などと述べた手紙を、日感は4人の有力檀家に宛てて送っている。これは、いかなる法主でも無条件に崇拝せよ、と檀家に強要するもので、まさしく「法主信仰」と呼ぶしかない。そもそも日感は、大石寺ではなく要法寺出身の僧である。その日感が、「法主信仰」を日興上人以来の大石寺の(伝統)に仕立て上げてしまったのである(脱落僧・松岡雄茂『大白蓮華』H17.9)
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●背く在家出家共の輩は非法の衆たるべき(『池上相承書』御書1675、全集1600頁)
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大聖人は2祖日興上人に血脈相承を遊ばされるに際し、「※上記●」と日興上人に背く僧俗が大聖人に対し奉る背逆・非法であると厳戒され、

●手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし(『聖典』974頁)
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第9世日有上人は、「※上記●」と、御歴代上人の御身には御本仏大聖人の御内証がもぬけられ、宿られるのであるから血脈付法の「我に信を取るべし」と御指南されている。

法詔寺日感師は大石寺と要法寺の通用が既に確立された中で出家し、その書状も大石寺と要法寺の通用開始から60年を経て出されたものである。即ち日感師は大石寺の伝統や法義を充分理解し、その上で若年で御登座された日舜上人のお立場を気遣われ、「大石寺は金口の相承と申す事候て、是の相承を受く人は学不学に寄らず生身の釈迦日蓮と信する信の一途を以て末代の衆生に仏種を植えしむる」と大石寺門流の立場から大石寺の教義信条を指導したのであり、汝の〝日感が、「法主信仰」を日興上人以来の大石寺の(伝統)に仕立て上げ〟たとの言は、事実を無視した言いがかり以外の何ものでもない。(『大白法』H17.10.1)


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>むしろ『当家三衣抄』の最後の所で、日寛上人は、宗門の三宝を論ずるとともに、「行者謹んで次第を超越する勿れ」との誡めの言葉を残されている(脱落僧・松岡雄茂『大白蓮華』H17.9)
>これは、「法主即日蓮」の義などに基づく「法主信仰」を、上人が否定されていた証左である(同)
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●南無仏・南無法・南無僧とは、若し当流の意は、(中略)南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山・付法・南無日興上人師。南無一閻浮提の座主、伝法・日目上人師。嫡々付法歴代の諸師。此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし云云。(第26世日寛上人『当家三衣抄』)
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汝が引く文の前には、「※上記●」と示されている。したがってこの文は、本宗の信仰において三宝を念ずることを御教示されたものであり、中において、日興上人、日目上人以来の御歴代上人を僧宝として拝すべきことを明確に御指南されるとともに、行者即ち本宗僧俗は、仏法僧の三宝を拝するという「次第」を越えてはならないとの意である。その「次第」を越えたならば、成仏の妨げとなる。汝の引くところの「行者謹んで次第を超越する勿れ」の御指南は、かえって宗祖大聖人以来唯授一人の血脈を承継され、尊信すべき血脈付法の御法主上人を、能所の「次第」を越えて蔑ろにする汝らのごとき邪義を厳しく誡められたものである。

◆唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります。(池田大作『聖教新聞』S54.5.4)
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池田大作が「※上記◆」と述べていたように、御法主上人の御内証は大聖人と一体であると拝すべきなのである。

●たしかに本宗信徒の立場からは、歴代法主の内証を大聖人様と拝することが、信仰上、大切でありますが、そこには三宝における内証と外用等の甚深の立て分け、筋道があるのです。(中略)しかし、それと学会が論難する「法主即大聖人」や「法主本仏」などとは、筋道も意義も異なるのであり、そのようなことは全く宗門には存在しておりません。存在していないにもかかわらず、さも存在している如く誣告するのが、創価学会の卑劣なやり方であります。(第67世日顕上人『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』245頁)
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ただし、〝法主即日蓮〟〝法主信仰〟などと、あたかも御法主上人個人が信仰の対象であるかのように述べる汝の義は、もとより本宗には存在しない。したがって日寛上人が〝「法主信仰」を〟〝否定され〟ることなど、あり得ないのである。(『大白法』H17.11.1)


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●今「受持」とは即ち是れ偈の中の総体の受持なり。故に五種の妙行に通じ、五種の妙行を総するなり。然るに今、受持正しく信心口唱に当たるとは、信心は即ち是れ受持が家の受持なり。口唱は即ち是れ受持が家の読誦なり。当に知るべし、受持が家の受持読誦は此れ即ち自行なり。今自行の観心を明かす故に但自行の辺を取るなり。解説書写は化他を面と為す故に之を論ぜず。解説は知んぬべし。本尊書写豈化他に非ずや。(第26世日寛上人『観心本尊抄文段』)
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日寛上人は、あくまで法主を修行者と考えられた。それは、上人が『観心本尊抄文段』の中で、法主の本尊書写を、「受持」という信心修行の位における書写行、とされたことからも明らかである(脱落僧・松岡雄茂『大白蓮華』H17.9)
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 汝の言は、能所を混乱した邪義というほかはない。
 この御指南は、下種仏法における五種の妙行を示されたものであるが、本尊書写の部分は御法主上人に限られるのであり、能化たる御法主上人の本尊書写は化他行に当たるとの意である。すなわち御法主上人がその御内証の法体を、一切衆生の信心の対境として御認(したた)め遊ばされる御本尊書写は、能化における化他行の意義が存するとの御指南である。したがって、この「本尊書写豈化他に非ずや」の御指南を、所化の修行と同等の〝「受持」という信心修行の位における書写行〟と解釈することは大間違いであり、摧尊入卑の邪言である。汝の主張は、あくまで御法主上人を「僧宝」「能化」から外し、「所化」に属させたいが為にする邪悪な欺誑であると断ずる。(『大白法』H17.11.16)


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法主は自らが書写し、あるいは形木にした御本尊に「法魂」を宿らせるのだ、と日顕宗は言う。だが、法魂を宿したはずの返納御本尊を大石寺内で大量焼却している、という矛盾は決定的である。その法魂は焼却してよいのか。結局、法主が伝えるべきは、法魂のごとき正体不明の法体ではなく、法体の教義なのである(脱落僧・松岡雄茂『大白蓮華』H17.9)
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総本山で行われている返納御本尊の御火中については、御法主上人の御許可のもとで、しかるべき施設において丁重に行われている。またお役目を終えられた御形木御本尊に具わり給う御法魂は、丑寅勤行における御法主上人の甚深無量の御祈念によって、大御本尊のもとに還御遊ばされるのである。ゆえに、〝法魂は焼却してよいのか〟などの言は汝の無知蒙昧(もうまい)を証明するものと笑っておく。しかし、それと、汝らの如く、未だお役目を終えていない生身の御本尊を、御法主上人の御意に反し、邪悪な念慮をもって勝手にドラム缶で焼却することとは全く別である。まさに汝らの所業こそ恐るべき破仏法の大謗法行為であり、汝らを無間地獄が待っていることは間違いない。後生を恐れよ。(『大白法』H17.11.16)


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「法主即本尊」「法主即日蓮」の義の強調は、要法寺門流出身の左京日教の影響から室町時代の宗門に起こり、江戸時代の中期には出所不明の伝統教義と化していた。当時の宗内には、権威主義的な「法主信仰」も芽生えつつあった(脱落僧・松岡雄茂『大白蓮華』H17.9)
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何の根拠もないでっち上げである。先にも述べたが左京日教師の『類聚翰集私』にある「当代の法主の所に本尊の体有るべきなり」との言葉は紛れもない大石寺の伝統法義である。

●あん(案)のごとくしやう(聖)人の御のちも、すゑのでしどもが、たれ(誰)はしやう(聖)人のぢき(直)の御でしと申スやから(輩)おほ(多)く候。これが大はうぼう(謗法)にて候也。(第2祖日興上人『佐渡国法華講衆御返事』/『歴全』1-148頁)
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すなわち日興上人のこの御指南は、血脈の次第を無視したところに大聖人の仏法は存在しないということであり、大聖人直結を主張する者がたとえ大聖人の御本尊を受持していたとしても、師弟相対を蔑(ないがし)ろにする者は「大謗法」であると厳誡されたものである。

 『類聚翰集私』の文は、御歴代上人が血脈相承によって本門戒壇の大御本尊の御内証を受け継がれている意より、御歴代上人を離れた所に本尊の体を求めることができないということを達意的に表現されたものであり、日興上人が「大聖人直結」を厳誡されたことと符節を合わせるものである。汝は左京日教師が帰伏僧であることを奇貨として、左京日教師の『類聚翰集私』等にある文を〝出所不明の伝統教義〟などと貶めているが、まさに言語道断である。
 先にも述べたが、御歴代上人に大聖人の御内証が受け継がれていることは、左京日教師が深く帰依した総本山第9世日有上人の『化儀抄』にすでに見られる教義であり、汝がどう取り繕うとも、その明白な事実を否定することはできない。日蓮正宗に伝えられているのは、本門戒壇の大御本尊と、代々の御法主上人に伝えられる血脈相承を根本命脈として、師弟相対の信心に励むという、大聖人、日興上人以来の宗是であり、それは汝が〝「法主即本尊」「法主即日蓮」〟〝「法主信仰」〟などと揶揄(やゆ)するものとは全く違う、大聖人の仏法そのものなのである。(『大白法』H17.11.16)


以上述べた如く、御法主上人への信伏随従は大聖人、日興上人以来の宗是たることは赫々たる事実であり、汝が如何にあれこれ邪智を廻らしても、厳然たる本宗の血脈は絶対に否定できないのである。(『大白法』H17.10.1)



【昔の学会教学】
[内証深秘の相伝]=日蓮大聖人の御内証、その悟りの当体である本門寿量品文底の三大秘法の南無妙法蓮華経を法水写瓶し、後世に令法久住すること。また、日蓮大聖人から血脈相承して今日に伝わる内証の法門をいう。(『新版仏教哲学大辞典』初版第2刷1288頁)
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法水写瓶とは、まさに内証相伝なのです。↓

[法水写瓶]=血脈相承をあらわしている。(中略)日蓮大聖人の宗旨の深義は第2祖日興上人、第3祖日目上人と日蓮正宗総本山大石寺の歴代上人に受け継がれている。(『新版仏教哲学大辞典』初版第2刷1621頁)

◆また御法主上人は唯授一人、64代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。(戸田会長・昭和30年12月13日、関西本部入仏落慶式)

◆本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至っております。あくまでも、御本仏は日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります。私がごとき者を、かりそめにも、本仏などと、言うことはもちろん、思ったりすることも謗法なのであります。(池田大作・第40回本部総会『聖教新聞』S54.5.4)
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過去の池田の発言が誤りであるなら、それがなぜ誤りであるのかを総括すべきである。学会員に聞く。池田大作は、二枚舌なのか、それともボケたのか、どちらなのだ。正直に答えてみよ。





内証と外用

(試論<法蔵>H19.5.13)

●たしかに本宗信徒の立場からは、歴代法主の内証を大聖人様と拝することが、信仰上、大切でありますが、そこには三宝における内証と外用等の甚深の立て分け、筋道があるのです。(中略)しかし、それと学会が論難する「法主即大聖人」や「法主本仏」などとは、筋道も意義も異なるのであり、そのようなことは全く宗門には存在しておりません。存在していないにもかかわらず、さも存在している如く誣告するのが、創価学会の卑劣なやり方であります。(第67世日顕上人『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』245頁)
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ただし、〝法主即日蓮〟〝法主信仰〟などと、あたかも御法主上人個人が信仰の対象であるかのように述べる汝の義は、もとより本宗には存在しない。したがって日寛上人が〝「法主信仰」を〟〝否定され〟ることなど、あり得ないのである。(『大白法』H17.11.1)

 この学会の愚劣な考えは、内証と外用を、悪質な作意をもって混同させていることによる。
 「唯授一人の血脈の当処」とは、宗祖日蓮大聖人から第2祖日興上人に唯授一人の血脈をもって相伝された仏法の一切が在すところであり、それは代々の法主上人にそのまま伝えられている。この「血脈の当処」こそ、歴代法主上人が御本尊を書写される御境界であり、法主上人の御内証と拝すべきなのである。(『大白法』H18.2.1)

●大聖人様が広宣流布の時の大導師日目上人様として、第3代を継いで現われたのが猊座であります(中略)そこが大聖人様のお席である。だから大聖人様は、あの席に常に生れ替っている(第66世日達上人『日達上人全集』2-3-320頁/『大白法』H18.2.1)
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と、法主上人の御内証について御指南あそばされ、その一方で、

法主が大聖人様の代わりだと、即座にこういうことを言うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたい(第66世日達上人『日達上人全集』2-5-451頁/『大白法』H18.2.1)
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と、法主上人の外用についての御教示もされている。



【内証】
●一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。(『開目抄』全集189頁)

●問うて曰く前代に此の法門を知れる人之有りや、答えて曰く之有り、求めて云く誰人ぞや、示して云く釈尊是なり、尋ねて云く仏を除き奉つて余に之を知れる人師論師有りや、答えて曰く天台の云く「天親竜樹・内鑒冷然・外適時宜」と、今日南無妙法蓮華経は南岳・天台・妙楽・伝教の内鑒冷然・外適時宜なり(『本因妙抄』全集872頁)
●而るに此等の阿羅漢並びに大論師は、法華経の深義を知ろし食さざるには有らず。然るに流布の時も来たらず、釈尊よりも仰せつけられざる大法なれば、心には存じ給へども口には宣べ給はず。或は粗(ほぼ)口に囀(さえず)り給ふやうなれども、実義をば一向に隠して止みぬ(『下山御消息』全集346頁)
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天親・竜樹はもとより、天台、伝教等の正像二千年の大論師は法華経の実義、なかんずく寿量文底秘沈の妙法蓮華経の一大事の秘法については、「心には存じ給へども口には宣べ給はず」におられたのであります。(第68世日如上人『大白法』H19.4.16)

●仏のいみじきと申すは過去を勘へ未来をしり、三世を知しめすに過ぎて候御智慧はなし、設い仏にあらねども竜樹・天親・天台・伝教なんど申せし聖人・賢人等は仏程こそ・なかりしかども・三世の事を粗知しめされて候しかば名をも未来まで流されて候き(『蒙古使御書』全集1473頁)

1●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人著『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
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「塔中及び蓮・興・目」とあるように、塔中における上行菩薩への別付嘱(内証相伝)が、末法においては唯授一人血脈相承として歴代上人に伝わっています。

2●祖師より興師へ御付嘱亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付嘱も亦是れなり。(中略)目師より代々今に於て、二十四代金口の相承と申して一器の水を一器にうつすが如く云々(第26世日寛上人著『寿量品談義』/『富士宗学要集』第10巻131頁)

●問う、三宝に勝劣ありや。答う、此れ須(すべか)らく分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即即ち是れ仏宝なり。故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也(第26世日寛上人著『三宝抄』/歴代上人全書4-392)
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「内体に約さば実に是れ体一」とあるように法水写瓶によって「三宝一体」、つまり内証一体となるのです。「一器の水を一器に写す」とは法水写瓶の義ですが、これが日興上人・日目上人以下歴代に亘るものであることは、日寛上人の『寿量品談義』(2●)『撰時抄愚記』(1●)に明らか。さらに当該『三宝抄』では歴代上人を僧宝とされているのですから、三宝一体義が歴代上人にも当てはまることについて、疑問を差し挟む余地はありません。

●並開山日興上人、日目上人、日有上人等御箇條の條々不残御渡あって、さて元師の言様、此の秘法を胸中に納め玉ふ上は、日蓮、日興日目、乃至日因上人、日元、其許(そこもと)全体一体にて候。就中、日穏には、当今末法の現住、主師親三徳兼備にして、大石寺一門流の題目は皆貴公の内証秘法の南無妙法蓮華経と御意得候へとの御言也(第35世日穏上人『弁種脱体用味抄』/青年僧侶邪義破折班H17.6.7)
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これは34世日真(上人)に付法して隠居していた大石寺33世日元(上人)が日真(上人)の死去により当代法主として35世日穏(上人)に対し相承をおこなった時のものである。(『仏教者の戦争責任』178頁)

◆御法主上人は唯授一人、64代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下を通して大御本尊様を拝しますれば、必ず功徳が出てくる。ただ良き檀那として、その代表として、その位置にすわれたことを、私は、ひじょうに光栄とするものであります(関西本部入仏落慶式S30.12.13『戸田城聖全集』第4巻399頁)

◆どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として、私は水谷猊下にお仕えしてきたのと、いささかも変わりはない。新猊下を大聖人としてお仕え申し上げ、広布への大折伏にまっすぐ進んでいくだけである。(S31.1.29『戸田城聖全集』第3巻236頁)

◆あくまでも、御本仏は、日蓮大聖人であらせられ、唯我与我の御法主上人の御内証を、大聖人と拝すべきなのであります。(池田大作『大白蓮華』S54.6)



【外用】
●問う、三宝に勝劣ありや。答う、(中略)若し外相に約せば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置する也。(第26世日寛上人著『三宝抄』)


<忍難弘教と慈悲心>
●況滅度後の大難は竜樹・天親・天台・伝教いまだ値い給はず・法華経の行者ならずと・いわば・いかでか行者にて・をはせざるべき、又行者といはんとすれば仏のごとく身より血をあやされず、何に況や仏に過ぎたる大難なし経文むなしきがごとし、仏説すでに大虚妄となりぬ。(『聖人御難事』全集1189頁)

●雪山童子は半偈のために身をなげ常啼菩薩は身をうり善財童子は火に入り楽法梵士は皮をはぐ薬王菩薩は臂をやく不軽菩薩は杖木をかうむり師子尊者は頭をはねられ提婆菩薩は外道にころさる、此等はいかなりける時ぞやと勘うれば天台大師は「時に適うのみ」とかかれ章安大師は「取捨宜きを得て一向にすべからず」としるされ、法華経は一法なれども機にしたがひ時によりて其の行万差なるべし(『種々御振舞御書』全集910頁)
●されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし、定んで天の御計いにもあづかるべしと存ずれども一分のしるしもなし、いよいよ重科に沈む、還つて此の事を計りみれば我が身の法華経の行者にあらざるか(『開目抄』全集202頁)
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「法華経の智解は……」というのは大聖人の御謙遜である。「難を忍び慈悲のすぐれたる事」とは、天台大師も不惜身命の御信心であったろうが、折伏の時でなく、衆生の機根も本已有善であるから、仮に折伏したとしても大難を招くことはできなかったろう。また仮に大難が起こったとしても、大聖人が竜口の首の座を克服したような偉大な振る舞いはできなかったであろう。すなわち、いかに大難が起ころうとも仏を殺すことは絶対にできないのである。それに対して、いかに内証において仏と等しくとも菩薩方は、不惜身命の信心の結果として殉教する、この相違を「難を忍び慈悲のすぐれたる事」と表現されたのではあるまいか。

●殺生―下殺は螻蟻蚊蝱
     中殺は凡夫人及び前三果の聖人
     上殺は阿羅漢・辟支仏・菩薩・父母等十悪(『一代五時図』全集616頁)
●五逆―一殺父
     二殺母
     三殺阿羅漢
     四出仏身血
     五破和合僧(『一代五時図』全集616頁~)
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「殺生」とは十悪の1つであるが、その中に仏は含まれない。「五逆」(五逆罪)は「5種の最も重い罪のこと」(『新版仏教哲学大辞典』初版)で「これが業因となって必ず無間地獄の苦果を受ける」(同)という重罪であるが、「出仏身血」とあるのみで"殺仏"はない。すなわち、いかなる悪人であっても強大な国家権力をもってしても仏を殺害することはできないのである。これに対して菩薩方は殺害される可能性がある。

3●問うて云く法華経は誰人の為に之を説くや、答えて曰く方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り上より下に向て次第に之を読めば第一は菩薩・第二は二乗・第三は凡夫なり、安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す在世の衆生は傍なり滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり、問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く況滅度後の文是なり、疑つて云く日蓮を正と為す正文如何、答えて云く「諸の無智の人有つて・悪口罵詈等し・及び刀杖を加うる者」等云云(『法華取要抄』全集333頁~)
4●疑つて云く何を以て之を知る汝を末法の初の法華経の行者なりと為すと云うことを、答えて云く法華経に云く「況んや滅度の後をや」又云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者あらん」又云く「数数擯出せられん」又云く「一切世間怨多くして信じ難し」又云く「杖木瓦石をもつて之を打擲す」又云く「悪魔・魔民・諸天竜・夜叉・鳩槃荼等其の便りを得ん」等云云、此の明鏡に付いて仏語を信ぜしめんが為に、日本国中の王臣・四衆の面目に引き向えたるに予よりの外には一人も之無し、時を論ずれば末法の初め一定なり、然る間若し日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん(『顕仏未来記』全集507頁)
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 3●では、法華経が大聖人の為に説かれた証拠として「況滅度後」「諸の無智の人有つて・悪口罵詈等し・及び刀杖を加うる者」の御文を挙げている。一方、4●では、大聖人が「末法の初の法華経の行者」である証拠として「況んや滅度の後をや」及び「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者あらん」等の御文を挙げている。要するに法華経は大聖人の為に説かれたのである。何を説かれたかといえば、大聖人が「末法の初の法華経の行者」であることを説かれたのである。
 すなわち、法華経に説かれる諸難の相が寸分違わず現れるのは「末法の初」であり、諸難を被る方こそ「末法の初の法華経の行者」である日蓮大聖人なのである。

●本尊とは法華経の行者の一身の当体なり(『御義口伝』全集760頁)
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法華経の行者とは法即人の御本仏・日蓮大聖人である。

●凡(およ)そ法門に於(おい)ては総別の二義があるのでありまして此れを忘れると地獄へ堕ちることになります。日蓮大聖人は「総別の二義を違へば成仏思ひもよらず」と仰せられてありますが、此れは行人(ぎょうにん)の最も心ををくべきところであります。法華経の行者は大聖人唯御一人だけで末法の仏も大聖人であります。総じて申せば妙法を信受する程のものは行者といへますが別して逆縁の衆生でありまして順逆の分別は行功によるところであつて畢竟(ひっきょう)御一人の仏に対しては凡夫であります。かへすがへすも此のところが根本でありまして、その御本尊を信受し奉る上の修行が題目になるのであります。既に仏身地であらせられる大聖人の建立し玉ふ大曼荼羅を信受し持ち奉ることが肝要でありまして、此れ以外は皆偏見であり邪道であります。(第65世日淳上人『日淳上人全集』982頁~)

御法主上人は凡夫であります。だから、いろいろな癖をおもちです。不思議なことには、法主の座につかれて1、2年もたつと、御人格がすっかり変わられる。そして崇高な、清らかなものになる。これは不思議なことであります。(S31.1.31豊島公会堂『戸田城聖全集』第4巻414頁)


<三徳>
●教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備て大恩の仏にて御坐す(『念仏無間地獄抄』全集97頁)

●仏は人天の主・一切衆生の父母なり・而も開導の師なり(『祈祷抄』全集1350頁)


<人格その他>
●堀上人の御師範であられた52世日霑(にちでん)上人は、見るからに体格も人きく謹厳そのもので、一見して頭がさがるお姿であったそうです。
 堀上人が申されるには、「仏様というものは歩くと自然に虫が逃げていく、インドの雨季はそこらじゅう小さな虫がうじゃうじゃしているでしょう。人が歩けばそんなあり様だから踏み殺されて殺生することになる。しかし釈尊が歩けば自然に虫がよけて殺生にならない。そんな徳があるのが仏というものだ。"そんな馬鹿な"と考えるのは仏を知らない者である。仏教の不殺生戒というのはそんな意義がある」と申されて、日霑上人は仏様ではないがそんなお徳があった方だったそうだ。
 またある時、日霑上人は東北に御巡教になられた(私が思うには福島の滑津の本法寺あたりでなかったか)。昔は鉄道の駅から先は、今のように車もバスもない。御法主上人も馬に乗られて、ご信徒が手綱(たづな)を引いてシャンシャンシャンと、細い田圃道を通られた。その時見ず知らずの農家の方が田の草を刈り取っていて、そこへ日霑上人が馬に乗って現れる。見るからにありがたいご僧侶である。その農家の人は草取りの手を止めて、お通りになる田圃道に跪(ひざまず)いて合掌して拝んだそうだ。その農家の人は何宗かわからないが、上人のその神々(こうごう)しいご尊容に思わず合掌したものだそうです。(大橋慈譲御尊師『富士の法統』352頁~)

日柱上人は宗学に於て漢学に於て、又信念に於て誠に傑出されて居られた。唯然し其れが為にか、凡庸なる人に対して思いやりの心が充分でなかつたと云う事は僻目ではないと思う。(第66世日達上人監修『悪書板本尊偽作説を粉砕す』/『慧妙』H14.12.16)

◆代々の猊下にもいろいろな癖があり、癖というものは変わるものではありません。いまの御隠尊猊下・日亨上人は、ガタガタと金槌の音がして、建築さえあそばしていれば、ごきげんがよろしいといわれる凡夫の姿でありますから、いっこうさしつかえないのであります。(S31.1.31豊島公会堂『戸田城聖全集』第4巻414頁~)

日開上人は性来非常に謙譲な御方であって、むしろ謙譲過ぎられると一般から言われていた方である(日達上人監修『悪書板本尊偽作論を粉砕す』日蓮正宗布教会編/『大白法』H16.2.1)

●日霑上人はよく弟子を叱正されました。そんな時は他の御弟子方は近づきませんが、謙譲の美徳ある上人(※日恭上人)は、そんな時でも逃げようとされず、進んで御給仕なされましたので、叱正を戴くのは常に上人で、これはAの分、これはBの分と人の分まで度々戴きました。よってますます日霑上人は憎からず思召され、終には御養子になされたとのことであります。
 謙譲の美徳は温厚篤実(とくじつ)となって表れ、また決して嘘をいわぬ「真正直な方」でありました。嘘をついて人を騙(だま)したということは、何れの方も見聞したことはないと言います。
 また天真爛漫(らんまん)にして俗智に染まぬ方で、また天衣無縫(むほう)、善悪共に秘密の無い、円満無垢(むく)の仁(ひと)であったといいます。後に三仏という逸話がありますが、その三仏の1人に数えられております。
 三仏とは、木仏は日恭上人、金仏は日開上人、石仏は太田広伯老師のことで、仏様の如き良き人格であられたので、かくの如く言われたということであります。それが為か、信徒間においては絶対の尊崇をうけ、霑妙寺においても、大阪・蓮華寺においても、更に本山においては東都の有識層等の数多の御信者方に囲まれたのであります。(大橋慈譲御尊師『大白法』H6.7.1)


 内証とは内心の悟りであるが、大聖人即大御本尊の内証は唯授一人の血脈相承によって歴代上人に相伝されている。だから、大御本尊の内証を書写して本尊を表すことができるし、御書を正しく解釈できるのである。
 しかしながら、外用においては大聖人は師であり仏であるのに対し、歴代上人は弟子であり僧宝、菩薩の位であり、歴然とした差別が存在する。
 内証一体であるから、智慧は大聖人と同じであるが、忍難弘教の姿においては差別がある。歴代上人の間でも、過去世からの宿縁によってそれぞれ身体的能力や性格、知識その他の才能などに個人差があり、その因縁によって弘教の姿は様々である。その上、外適時宜、随方毘尼、四悉檀等の上からの方便の化導は有り得るのであり、それらのために、信心惰弱な者や不信の徒(今日の池田学会のように)をして誹謗中傷の材料とされることがあると拝する。
 しかし、内証一体で信心強盛、不惜身命であることに例外はなく、従って謗法はない。





曲解と捏造による「法主信仰」の言い掛り

(『大白法』H18.2.1)

【宗門は「法主信仰」か?】
 昨年末、第67世日顕上人猊下は、唯授一人金口嫡々の血脈を日如上人猊下に御相承あそばされた。
 これによって、日蓮大聖人の根本の法体法義は、現在、第68世日如上人猊下の御所持あそばされるところとなり、我々は日如上人を、正法弘通の大導師として尊仰し奉るのである。
 この尊極なる深義に対し、『創価新報』では、「『法主信仰』誤った血脈観」と大見出しを付け、
 「だれが法主の座を継ごうと、その教義の根幹が、"法主信仰"すなわち、法主が絶対であり、大聖人と等しい信仰の対象であるとする邪義であることに変わりはない」(平成18年1月1日号)
と、御法主上人への信伏随従の在り方を歪めている。
 創価学会は、この主張の基とするものとして、平成3年7月に、宗門が学会に対して教導した「能化文書」の次の箇所を挙げている。
 「本宗の根本は、戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人であります(中略)なぜならば、唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にましますからであります。したがって、この根本の2つに対する信心は、絶対でなければなりません」(『大日蓮』平成3年9月号87頁)
 創価学会のこの邪難は、当文書にある「血脈の当処」と「御法主上人」とを、宗門が直ちに、全く同じものと主張しているかのような邪推による言い掛かりに過ぎない。


【内証と外用の混同】
 この学会の愚劣な考えは、内証と外用を、悪質な作意をもって混同させていることによる。
 「唯授一人の血脈の当処」とは、宗祖日蓮大聖人から第2祖日興上人に唯授一人の血脈をもって相伝された仏法の一切が在すところであり、それは代々の法主上人にそのまま伝えられている。この「血脈の当処」こそ、歴代法主上人が御本尊を書写される御境界であり、法主上人の御内証と拝すべきなのである。
 第66世日達上人は、
 「大聖人様が広宣流布の時の大導師日目上人様として、第3代を継いで現われたのが猊座であります(中略)そこが大聖人様のお席である。だから大聖人様は、あの席に常に生れ替っている」(『日達上人全集』2-3-320頁)
と、法主上人の御内証について御指南あそばされ、その一方で、
 「法主が大聖人様の代わりだと、即座にこういうことを言うと、外から非難されますから、よくその点に注意していただきたい」(同2-5-451頁)
と、法主上人の外用についての御教示もされている。


【日顕上人も明確に否定】
 さらに日顕上人も、
 「本宗信徒の立場からは、歴代法主の内証を大聖人様と拝することが、信仰上、大切でありますが、そこには三宝における内証と外用等の甚深の立て分け、筋道があるのです(中略)学会が論難する『法主即大聖人』や『法主本仏』などとは、筋道も意義も異なるのであり、そのようなことは全く宗門には存在しておりません」(『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』245頁)
と、三宝における内証と外用の立て分けについて御指南され、学会の言い掛かりを明確に否定されている。
 これらのことからも、学会の主張は、曲解と捏造によるものであることは論を俟(ま)たない。
 日蓮正宗が、言ってもいない、考えてもいないことを、あたかも"これが宗門の主張だ"と卑劣に創作し、強引に会員の脳裏にすり込む創価学会。断じて野放しにしてはならない。
 「決起の年」と銘打たれた本年、我々は新御法主日如上人猊下の御指南に信伏随従申し上げ、決然と起ち、勇猛果敢に折伏行に邁進しようではないか!




御法主上人即日蓮大聖人(仮題)

(高野日深御尊能化『大白法』S38.1.1/<妙音>WS)

 立宗711年の新春を迎え、謹みて御祝詞申し上げます。
 今春は法華講全国連合会が結成されて最初に迎える意義深い新年でありますので、この機会に特に一言申し上げたいと存じます。
 この法華講と云う名前はまことに名誉ある歴史をもった名前でありまして、戒壇の大御本尊様の脇書にも法華講衆と認められてありまして、熱原三烈士のあの熱烈な信仰に大聖人様が御感あって下された所の名前であります。でありますから皆様はその名に恥じないように信行学に励まなければなりません。
 しからばこの法華講衆はどう云う風に進まねばならんかと云うに、我々僧俗の信仰は御本尊中心であり、同時に御法主上人が中心でなければならない。そこに外護の任が生れてくるし、亦折伏行も生じて来るのであります。
 そんな事は決まっているじゃないかと云われるでしょうが、それでは御法主上人をなぜ中心にしなければならぬかと申しますと、法主と云う名前はそちこちに沢山あります。本願寺では門主と云います。之は法主に代る名前で浄土宗もそうです。法主と云う名前は身延でもつかっております。しかしそれらのものと混同しては困ります。我々の信仰はそんな事では謗法になります。
 皆様に端的に率直にわかり易く申しますと、本宗の御法主上人は日蓮聖人であると云う事です。日蓮正宗聖典をひもといて見まするに、『御本尊七個之相承』と申す題目で御開山日興上人がお書き遺しになっておる中に、「日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給う事如何、師の曰わく深秘なり、代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(379頁)の御文がありまして、「嫡々代々と・・・如何」と云う問に答えられて、「日蓮聖人が仰せらるるには代々の上人はすべて日蓮が事であると申す意である」と明らかになされております。
 然らば2祖日興上人、3祖日目上人、日道上人、日行上人とずっと続きまして御当代第66代日達上人に唯授一人の御相承が伝わっておりまして、我々が仰ぎ奉る御法主上人は今世の日蓮大聖人を拝するが如き心持を以て御本山にお参りせねばなりません。
 之から考えますると御本山の御会式には猊下が僧綱と長絹の御衣をお召しになって、あの高座にお昇りになり、御説法に寿量品の文底の御法門をなさると云う事もよくわかる訳であります。
 尚、三三九度と盃の御儀は、末法の今日御本仏日蓮大聖人の御出現をお祝いして行わるる儀式であります。御法主が中央にお座りになるのは大聖人の御姿で、両方に3人づつ6人並ぶのは六老僧を形どったのであります。
 でありますから、我々の信仰は御法主上人即日蓮大聖人と云う固い信念を以て、法華講衆は御法主を中心に信仰し、外護の任は御本山を中心に修行せられ、本年は更に一層信心倍増あらんことをお祈りして新年の御挨拶と致します。