創価学会破折
「人間主義」と池田本仏論破折

凡(およ)そ法門に於(おい)ては総別の二義があるのでありまして此れを忘れると地獄へ堕ちることになります。日蓮大聖人は「総別の二義を違へば成仏思ひもよらず」と仰せられてありますが、此れは行人(ぎょうにん)の最も心ををくべきところであります。法華経の行者は大聖人唯御一人だけで末法の仏も大聖人であります。総じて申せば妙法を信受する程のものは行者といへますが別して逆縁の衆生でありまして順逆の分別は行功によるところであつて畢竟(ひっきょう)御一人の仏に対しては凡夫であります。かへすがへすも此のところが根本でありまして、その御本尊を信受し奉る上の修行が題目になるのであります。既に仏身地であらせられる大聖人の建立し玉ふ大曼荼羅を信受し持ち奉ることが肝要でありまして、此れ以外は皆偏見であり邪道であります。

(第65世日淳上人『日淳上人全集』982頁〜)

さきほど辻君が、折伏の仏であるといわれたが、仏は末法には日蓮大聖人様以外にない。これは訂正しておく。しからば、私は凡夫である。

(戸田城聖『戸田城聖全集』第4巻106頁)




三徳具備について(問答ダイジェスト)/『慧妙』H20.6.16

捏造された「奇跡」と「不思議」の数々!/『慧妙』H25.6.1ほか
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池田本仏論破折
学会流本仏論破折

池田本仏論破折

全ての元凶は「池田大作本仏論」にあった/『慧妙』H24.7.1

誤りの根元・池田本仏思想(創価学会員の皆さんへ)/『慧妙』H20.5.16

「創価学会仏」!?/『慧妙』H19.12.16

本仏を気取った慢心発言の数々/『慧妙』H16.8.16

池田大作の慢心の正体を衝く(上)/『慧妙』H13.11.1

池田大作の慢心の正体を衝く(中)/『慧妙』H13.11.16

池田大作の慢心の正体を衝く(下)/『慧妙』H13.12.1
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凡夫本仏論破折
凡夫本仏論破折

「凡夫本仏論」は身延・日朝と同じ/榎木境道御尊師『日寛上人と興学』

「法体本尊の証得」/青年僧侶邪義破折班H17.6.7

凡夫と御本尊/『戸田城聖全集』第3巻
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「人間主義」破折
「人間主義」破折/『大白法』『慧妙』『創価学会の新理論とその本質』編集

「人間主義」の問題点/『大白法』H25.5.1

「人間主義」と「対話」の大安売り/ジャーナリスト・溝口敦『フォーラム21』H17.2.15

「人間主義」は池田仏の伏線/『慧妙』H15.5.16

「人間主義」破折/『大白法』H14.7.16〜




池田本仏論破折



学会流本仏論破折

―会長を「仏」と僭称した池田大作―

[会長本仏論]
 会長本仏論は、すべて戸田会長逝去(S33.4.2)後の指導であり、言い出しっぺは池田である。別記<池田本仏論>の池田自身の発言等から考えると、池田の本音は、"自分こそが本仏"ということであり、既に逝去した牧口・戸田両会長は池田本仏論の"露払い"として利用されたのであろう。
 因みに、戸田会長は生前「私は凡夫である」(『戸田城聖全集』第4巻106頁)と断言している。

◆仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです(池田 S33.9.14)
戸田先生は仏さまであられます(池田 S35.4.1)
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 すなわち、戸田城聖2代会長の没後、創価学会は会長空席の期間が2年間にわたって続いたが、その間に、総務であった池田大作が、組織的にも完全に学会内の全権を掌握し、3代会長への道を確実なものにしていった。
 そして、まさにその時期、池田は、「会長先生は仏さま」という宣伝を繰り返して会長本仏論を学会内に浸透(しんとう)させ、その上で、昭和35年5月、自らがデッチ上げた「仏の座」である会長職に就任したのである。(『慧妙』H13.11.1)

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◆仏と等しくならしむ、とは、学会員として、会長の身に三業(さんごう)に等しくならしむ、と拝すべきであろう(「教授試験模範解答」『大白蓮華』S38.1)
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●御書に「天に二日無く、地に二王無し、一仏境界、二尊の号なし云々」ということを、仰せになっております。(中略)一仏境界、一の仏が化導をするその範囲は、ただ二尊の号無し。即ちただ1人の仏である。というお言葉でございます。だから、末法万年、尽未来際まで大聖人様の南無妙法蓮華経は、慈悲のために垂れ給うたのであり違った広宣流布をしたら大変であります。(第66世日達上人・昭和49年4月25日)

●最近あるところでは、新しい本仏ができたようなことを宣伝しておる、ということをうすうす聞きました。たいへんに間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。正宗の信徒とはいえません。そういう間違った教義を説く人があるならば、法華講の人は身をもってくい止めていただきたい。これが法華講の使命と心得ていただきたい。(第66世日達上人・法華講連合会春季総登山お目通り・昭和49年4月25日)

1●だれそれが仏であるという言葉も、この近所で聞かれるのであって、私は非常に憂慮しています。 なるほど、もし、だれそれが仏であるというならば、それは、我々は皆な全部仏であります。 それは理の上からそういうことになります。しかし、我々の宗教として信心するところの仏ではない。 たしかに凡夫が体の仏であるということは、御書にはっきり書いてあります。その体の仏をもって、どこまでも仏だと言いふらしていくならば、たいへん間違ったことになります。やはり末法の仏は、宗祖大聖人以外にはないのであります。(第66世日達上人・富士学林研究科開講式 S49.6.18/『慧妙』H14.5.16)

●最近わかったのですけれども、すでに昭和38、9年ごろから「会長が仏だ」という話は出ておるんです。それを我々は知らなかった(第66世日達上人 S54.3.31/『慧妙』H14.5.16)
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池田大作(当時・会長)を仏と仰ぐ−いわゆる会長本仏論が、そうとう以前から学会内に蔓延(まんえん)していたことを指摘されている。

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池田センセーが仏で何が悪い!?大聖人は「法華経を持つ者は必ず皆仏なり」(御書1047、全集1382頁)と仰せである。一切衆生が仏界をもっており、その上、お題目を唱えている者は全て仏なんだから、池田センセーも仏でよいではないか!!
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 しかし、前に挙げてきた、池田本仏論の証拠ともいうべき数多(あまた)の文言は、"会長も一切衆生の1人として仏"などというものではなく、"一切衆生の中でも、会長こそ、他から絶対的に尊信されるべき仏"という意味であって、これは、まさしく学会が、池田大作を信仰の対象たる"本仏"と仰いできた事実を示すものであります。(『慧妙』H16.7.1)
 仏法には総・別の二義という立て分けがあり、これを弁(わきま)えなければ、成仏するどころか悪道に堕(お)ちる、とされています(新編P1039・全集P1055)。
 ここで「総」とは、広く浅く一般的に見た場合、「別」とは、絞り込んで深く個別的に見た場合、という立て分けです。
 この立て分けに則っていうならば、総じて、日蓮大聖人の仏法を信じ題目を唱える者は、皆、仏に成(な)れますので、「お題目を唱える者は皆仏だ」ということはできます。しかしながら、別して、宇宙法界の根源の真理理を悟(さと)り、私達に説いてくださる仏(信仰の対象として仰ぐべき仏)というのは、日蓮大聖人ただ御1人しかおられないのです。
 それにも拘(かか)わらず「池田センセーは仏だ」などといって、特に1人だけを個別に取り出し、祀り上げるならば、それは、別して信仰の対象とすべき仏となってしまい、本来、私達が信仰すべき仏・日蓮大聖人の座を奪(うば)い取る、大反逆罪となるのであります。(『慧妙』H24.7.1)

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会長を仏だというような間違(まちが)った指導は、全て途中の幹部が言ったものであり、センセーは自分を仏だなどと一言も言っていない。センセーに間違いはないのである
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 なるほど池田大作は、自分を仏であるとストレートには言っていません。しかし、戸田2代会長の死後、池田は
 「仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです」(S33.9.14)
 「戸田先生は仏さまであられます」(S35.4.1)
等と大宣伝しておいて、その上で自らが3代会長という「仏さま」の座に着いたのです。
 また、池田は会長就任後も、その代表的著書『人間革命』の中に
 「この若い革命家の『妙法への帰命(きみょう)』という理念は、具体的な実践でいうならば、希有(けう)の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを、彼は知ったのである」(第3巻)
などと記述しました。しかし、「帰命」とは、御書に
 「南無と申すは天竺のことばにて候。漢土・日本には帰命と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり」(新編P1544・全集P1596)
 「一切の仏の始めは南無と申す。南無と申すは月氏の語、此の土にては帰命と申すなり」(新編P1672・全集1299)
とあるごとく、「南無=仏を自らの命よりも篤(あつ)く敬うこと」であり、私達が「南無」と手を合わせるべき仏様は日蓮大聖人御1人です。それを、創価学会会長に帰命せよ、というなら、会長(むろん、この時の会長は池田大作自身)を仏として信仰せよ、との意になることは申すまでもありません。
 以上のことから明らかなように、池田大作本仏論は、幹部が勝手に言い出したものではなく、まさに池田大作本人による自作自演だったのであります。(『慧妙』H24.7.1)

[画像]:池田大作は、創価学会会長を「仏さま」と呼び「会長への帰命」を説いた(『慧妙』H24.7.1)

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結局は「池田本仏」という宗門の思いこみで批判されているのが一番よく分かりますねぇ日顕宗と違うところです。(yh:16785)
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「池田本仏論」は日達上人が最初に糾弾されたことです。私も学会にいるときには分かりませんでした。当然公式には、「池田センセーが本仏」だとは言いませんから。しかし、ある程度教学があれば、「おかしい」と思うことが52年路線の時には多々あったのです。今でも「池田センセーは大聖人に次ぐ第2の法華経の行者」であると公言する者がいます。これは、僧宝=日興上人を初めとする歴代上人を無視した邪義です。「我こそは、池田センセーの真の弟子」であると思い込んでいる者は、学会内部においても「隠れ池田教徒」であることを自負しているはずです。


<帰命>
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◆「妙法への帰命」という理念は、具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち「戸田城聖への帰命」でなければならぬ。(『人間革命』第3巻182頁)

◆まさしく、現代における”人”への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる(副会長『ひのくに』S50・第10号)
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●一切のかみ・仏をうやまいたてまつる・始の句には南無と申す文字ををき候なり、南無と申すは・いかなる事ぞと申すに・南無と申すは天竺のことばにて候、漢土・日本には帰命と申す帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり(『白米一俵御書』全集1596頁)
●一切の仏の始めは南無と申す。南無と申すは月氏の語、此の土にては帰命と申すなり(『根露枝枯御書』御書1672、全集1299頁)
●南無とは梵語なり、此には帰命と云ふ。帰命に人法之有り。人とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり(『御義口伝』御書1719、全集708頁)
●帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり(『白米一俵御書』御書1544、全集1596頁)
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 「帰命」とは「南無」のことであり、仏に対する絶対的な尊信・随順を意味する言葉です。そして、我々が南無(帰命)すべき対象とは、人は御本仏日蓮大聖人(久遠元初の釈尊)、法は南無妙法蓮華経の大曼茶羅(文底下種の法華経)という、人法一箇の御本尊に他なりません。
 しかるを、「妙法への帰命すなわち希有の師(戸田、現在においては池田)への帰命」などと言ったら、それは、池田大作を仏として信仰することであり、まごうことなき池田本仏論であります。(『慧妙』H16.7.1)

●(九州の創価学会が出している『ひのくに』という新聞に)「人への帰命」ということを書いている。それに、「現在における人への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる。また池田会長が大聖人の御書を寸分たがわず身に移し実践されていることから、必然的に考えてもそうなるのである」ということが書かれています。ちょっと今信心してない人が考えたならば、なるほどな、と感心するかもわかりません。しかし、これは本宗の教義とは大変間違っている。(第66世日達上人・富士学林研究科開講式・昭和50年6月27日/『慧妙』H14.5.16)

◆会長に帰命するとか、あるいは会長が主師親の三徳を具えているとか、本門弘通の大導師である等と論ずることは大なる間違いである(池田指導S53.3.5/『慧妙』H20.5.16)

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自分は「南無池田会長」なんて思っていないし、会長に合掌(がっしょう)したこともないよ。
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 あなたの意見を聞いているのではありません。学会の公式文書で会長を仏とする記述があるのが大問題なんですよ。
 仏法は身口意の三業で行なうものだから、たとえ実際に会長に合掌していなくても、会長に主師親が備わる(会長を仏と立てる)ような指導を会合や機関紙誌で流し、その指導を聞いた会員が、何の疑問も持たずに聞き流していたら、それが謗法になるんです。創価学会という組織をあげて、このような指導を行なったことが大謗法なんです。そんなことだから、学会は破門になったんでしょ!(『慧妙』H17.5.1)

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会長に帰命するというのが謗法なら、昔の『大日蓮』に「天皇に帰命する」と書かれている。これも謗法なんですか?
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当時の『大日蓮』は、今日のような純然たる宗門機関誌ではなく、自由に意見の交換ができる同人誌的なものでしたし、それを書いたのも信徒ですからね。行き過ぎた表現だと思いますよ。でもそれを謗法だというのなら、会長に帰命するというのは大謗法ですね。それに昔の信徒が好きなように書いていた同人誌の内容について、今、私たちを責めるということは、現在、インターネットに沢山の学会員が好き放題に書き散らしている内容について、あなたに責任を取れ、というのと同じですよ。責任が取れるんですか?(『慧妙』H17.6.1)


<三徳具備>
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◆我々は戸田先生を主人とし、師匠とし、親として……(S35.1.22)

◆詮ずるところ、戸田は、いつか牧口という一人の不世出の教育者に、「主」「師」「親」を見いだし、純真に仕(つか)えたのである(『人間革命』第2巻269頁)

◆夫妻にとっては、(戸田は)主人であり、師匠であり、親でもある……生涯にわたる人生の師であるからだ(『随筆人間革命』59頁)

◆今日本を、そして世界を守る池田先生のみ、現在において主徳を備えていらっしゃる。(中略)私達の師匠池田先生のみ師徳兼備(けんび)でいらっしゃる。(中略)われわれ学会員の幸せを祈ってくださる池田先生こそ親徳具備(ぐび)でいらっしゃる(「講師筆記試験優秀答案」『大白蓮華』S41.2)
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●仏は人天の主、一切衆生の父母なり。而(しか)も開導の師なり(『祈祷抄』御書628、全集1350頁)
●日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり(『産湯相承事』御書1710、全集879頁)
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一切衆生の尊崇すべき仏が具える御徳のことであり、末法において、これを具える仏とは日蓮大聖人であられます。それを、池田大作のみが主師親三徳を具備する、というならば、それは池田本仏論であり、本来の主師親たる御本仏日蓮大聖人を押しのけて別な仏を立てる大謗法であります。(『慧妙』H16.7.1)

三徳具備は末法においては大聖人のみに使用する。凡夫即極(即身成仏)はあくまでも原理であって、修行中の僧俗が完全に三徳を具備するものではない。だからこそ日寛上人は弟子檀那は「中間の四位」であると明言されたのです。↓

2●蓮祖の門弟はこれ無作三身なりと雖も、仍(なお)これ因分にして究竟果分の無作三身には非ず。但これ蓮祖聖人のみ究竟果分の無作三身なり。若し六即に配せば、一切衆生無作三身とはこれ理即なり。蓮祖門弟無作三身とは中間の四位なり。蓮祖大聖無作三身とは即ちこれ究竟即なり。(第26世日寛上人著『取要抄文段』/文段集571頁)
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六即とは理即、名字即、観行即、相似即、分真即、究竟即のことです。

3●今末法は但蓮祖を以つて三徳と仰ぐべきなり。問ふ経に文証有りや。答ふこれ有るなり。(第26世日寛上人著『主師親三徳抄』/『富士宗学要集』第10巻122頁)

◆会長に帰命するとか、あるいは会長が主師親の三徳を具えているとか、本門弘通の大導師である等と論ずることは大なる間違いである(池田指導S53.3.5/『慧妙』H20.5.16)

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◆此の世の中の男女僧尼は嫌ふべからず、法華経を持(たも)たせ給ふ人は一切衆生のしう(主)とこそ仏は御らん(覧)候らめ、梵王・帝釈はあを(仰)がせ給ふらめとうれしさ申すばかりなし。(『四条金吾殿女房御返事』御書756頁)
◆今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は法師の中の大法師なり。諸法実相の開覚(かいかく)顕はれて見れば、地獄の灯燃猛火(とうねんみょうか)乃至仏果に至る迄(まで)悉く具足して一念三千の法師なり。又云はく、法とは題目、師とは日蓮等の類なり。(『御義口伝』御書1749頁)
◆今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は一切衆生の父なり。無間地獄(むけんじごく)の苦を救ふ故なり。(『御義口伝』御書1771頁)
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これらはみんな凡夫でも主師親三徳を備えるという文証だ!「日蓮等の類」ってあるだろ!
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(唖然!)この御文のどこに「凡夫が主師親三徳すべてを完全に兼ね備えることができる」と書いてあるの?大聖人の仏法を信仰する者―当然、あなた達、学会員ではないけどね―には、三徳の分々が備わってくるけど、三徳のすべて完壁に兼ね備えるのは、仏しかありえないでしょ。それを「池田センセーのみ主師親三徳兼備だ」と言うから「池田本仏論」であり、大謗法なんじゃないですか!

●疑つて云く如来の未来記汝に相当れり、但し五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何、答えて云く四天下の中に全く二の日無し四海の内豈両主有らんや(『顕仏未来記』全集508頁)
●日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり(『開目抄』全集237頁)
●仏は人天の主、一切衆生の父母なり。而も開導の師なり(『祈祷抄』御書628頁)
●日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり(『産湯相承事』1710頁)
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とお示しくださっているとおりですよ。(『慧妙』H17.5.1)

●夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり(中略)大覚世尊は此一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田等なり(中略)日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり(『開目抄』全集186〜237頁)
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大聖人は直接的な表現で御自身を本仏であるとは言われていないが、主師親の三徳を兼ね備えているという言葉を用いて、仏であると言われている。では仮に『聖教新聞』の1面に「今日から創価学会の仏は池田会長になりました」と掲載されたらどうか。これが謗法であることは、学会員も認めるであろう。「会長は主師親三徳を備えている」と言うことは、それとまったく同じなのである。(『慧妙』H17.6.1取意)

[主師親の三徳]=一切衆生を救うべき仏が具備(ぐび)する主徳、師徳、親徳の三徳のこと。今末法においては日蓮大聖人が三徳を具備された御本仏である(創価学会版『仏教哲学大辞典』/『慧妙』H17.6.1)


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凡夫即極、法華経の行者、組織論で片がつく話。『開目抄』の御文証もある。(yh)
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 三徳具備は末法においては大聖人のみに使用する。凡夫即極(即身成仏)はあくまでも原理であって、修行中の僧俗が三徳を具備するものではない。具体的な修行においては僧俗、師・弟子の筋目を守るべきことは、他の御書に御指南である。だからこそ日寛上人は弟子檀那は「中間の四位」であると明言されたのです(上記1●〜3●参照)。
 だいたい、池田のみを三徳具備だと断定することは、凡夫即極の説明とは関係ないし、何の証拠もない邪義である。しかも君自身、会員と会長は平等であり、池田にも間違いがあるといっていた。それなのに何故、在家のオッサンを、三徳具備の仏と呼ばねばならないのか?
 また、師匠であっても現在生きておられる方に「南無する」とか「帰命する」とかいう表現は用いない。まして「境智冥合」など、末法では、いかなる場合においても本仏以外に使用しない語である。この点において、宗門の歴代上人に対する信伏随従の姿勢と、学会の池田に対する姿勢は根本的に異なるのであり、「池田本仏論」と指摘される所以である。


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会長に使ったのは広宣流布のリーダーという意味で使った。
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広宣流布のリーダーに主師親三徳を使ってもいいという文証は、ありますか?



<境智冥合>
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◆私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とはいえない(池田大作『前進』S40.6)
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●諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞、辟支仏の知ること能わざる所なり(『方便品』/『開結』153頁)
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仏の智慧は宇宙法界の一切の事物現象の真理(境)を照らし、一切に通達しているゆえに甚深無量であり、その教えは難解難入です。

●境と智と和合すれば、則ち因果有り、境を照らして未だ窮らざるを因と名く、源を尽くすを果と為す(天台大師『法華文句』/『大白法』)
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境智冥合とは仏の境智の因果であり、この刹那の因果に九界即仏界・即身成仏の境界があることを説きました。

●釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟りを開きたまひき(『総勘文抄』御書1419、全集568頁)
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 第26世日寛上人が『観心本尊抄文段』に、「我が身地水火風空」は境であり、「知ろしめ」された凡夫即極の本仏の悟りを智と御指南されているように、大聖人の寿量文底下種仏法において解明された本地難思境地冥合の刹那始終の一念には、仏法の本源の当体・凡夫即極即身成仏の功徳が存するのです。その本地難思境地冥合の当体とは、末法御出現の久遠元初の下種の御本仏日蓮大聖人に他なりません。
 大聖人は末法の一切衆生救済のために、己心に具えられた文底下種、事の一念三千を本門戒壇の大御本尊と御図顕されました。
 ゆえに私たちは、大御本尊を唯一絶対の正境と確信して至信に唱題に励むとき、大御本尊の境と自身の信ずる一念が智となって境智冥合し、そこに初めて即身成仏の大利益を得ることができるのです。(『大白法』)

★いかなる場合においても御本尊以外に対して「境智冥合」など用いない。




[池田本仏論]




[創価学会仏]
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こういう大勢の学会人がいても、将来、将来といってもこれはいつのことになるかわかりませんけれども、経文が、また仏が出て説かれる時には、"創価学会仏"という仏の名前で(経文に)出る、と。"威音王仏(いおんのうぶつ)"とかいろいろあるでしょう。そういう立場で"創価学会仏"という仏になる。(中略)<※「蔵音王仏の威音王という名前も、今で考えれば、創価学会というような名前で、当時あったと考えてよいわけですか」との質問に答えて>そういう代表の仏の人物がいた、とも言えるし、ひとつは教団があった、とも言えるのです(池田大作・S38.10.18/『慧妙』H16.7.1)
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 創価学会という教団(もしくは、それを代表する人物)こそが仏であり、それは、未来の別な時代に仏が現われて経を説くときには、「創価学会仏」という名で経文に載(の)るだろう、と宣言しています。
 これは、創価学会という教団そのものを仏と見立て、その実、学会を代表する人物こそが仏である、としたものです。

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◆「全世界に広宣流布せよ」との仏の未来記を実現しているのが、我が創価学会である。学会がなければ、法華経も、また御書も、ことごとく虚妄(こもう)となってしまっただろう(池田大作『創価新報』H16.1.21)

◆創価学会が出現しなかったならば、日蓮大聖人の未来記は虚妄になっていた(秋谷栄之助『聖教新聞』H16.1.12)
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 これらは、日蓮大聖人が
 「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり。仏滅後二千二百二十余年が間、一閻浮提(いちえんぶだい)の内に仏の御言を助けたる人但(ただ)日蓮一人なり」(『聖人御難事』御書1379、全集1190頁)
と仰せられ、大聖人が出現して勧持品(かんじほん)二十行の偈(げ)を身読・実証されなかったら、釈尊の未来記(予言)は虚妄になった、と断ぜられたことになぞらえ、述べた指導であります。
 しかし、右に挙げた御金言は、大聖人が現に釈尊を凌(しの)ぐ久遠元初の御本仏であられるからこそ、本仏・迹仏という勝劣を踏まえて仰せられたものです。この大聖人の口まねをして、あたかも創価学会(なかんずくそれを率いる池田大作)が出なければ大聖人は虚妄の仏となっていたかのような説(つまり、大聖人も池田大作によってこそ存立する、という意味)を主張することは、まさに、大聖人を迹仏(劣)と下し池田大作を本仏(勝)とする池田本仏論に他なりません。
 身の程知らずも甚だしい大慢心ではありませんか。(『慧妙』H16.7.1)





池田本仏論破折

池田本仏論とは

@ 池田は大聖人の生まれ変わり
・池田自身が言い出しっぺ

A 弘通においては池田の方が大聖人より勝れる
・"日蓮大聖人ですら建立できなかった本門戒壇を7百年後に建立する池田大作は、その弘通において大聖人より勝れる"
・"釈尊の予言を証明した大聖人は釈尊よりも勝れ、大聖人の予言を証明した池田は大聖人よりも勝れる"

[池田本仏論]
【「池田本仏論」が学会内に蔓延】
―御先師日達上人「宗旨に背く」と明快に破折―

 創価学会が日蓮正宗の仏法から外(はず)れ、ついに破門されるに至った原因は、いろいろ挙(あ)げることができますが、何といっても、最も根深い処(ところ)にあった最大の原因は「池田大作本仏論」であった、といえましよう。
 そう言うと学会では「池田本仏論などない。それは、学会員が池田センセーを慕(した)う姿を見て、宗門側がやっかんで言ったものだ」と言いますが、事実はそうではありません。
 特に正本堂建立(昭和47年)以前から学会で信心していた人に振り返ってみていただきたいのですが、当時、学会の組織内では、
 「これは大っぴらに言ってはいけないことになっているのですが、じつは池田センセーは仏の御境涯なのです」
 「はっきり言ってはいけない、と言われていますが、池田センセーは仏様です」
 「(御書講義の中で)ここに出てくる『仏』とは、現代に約せば指導者のことです。指導者とは、私達の師匠である池田センセーです」
等々の指導が繰り返し行なわれており、多くのお宅では、仏壇(もちろん日蓮正宗の御本尊を安置した仏壇)の上方に池田会長の写真が(申し訳のように並べられた日達上人猊下の写真と共に)飾られていました。
 当時の学会員が、何の抵抗もなく耳にし、目にし、時には口にしていた、これらの言動こそが、学会組織の隅々にまで浸透した「池田本仏論」だったのです。
 しかも恐ろしいことに、現代の言葉でいえばマインド・コントロールにあたると思いますが、「大っびらに言ってはいけない」と念を押されていた学会員の多くが、「池田センセーは仏様」との文言を記憶の表層部から消してしまい、他から問い質されると「自分は、センセーが仏だなどという話は聞いたことはない。学会ではそんな指導はしていない」などと言っていたのですから驚かされます(しかし、そう言った人の御書を開いてみると、「仏」という文字の横に、エンピツで「=指導者=池田先生」などと書き込みがあったり、会合での指導をメモしたノートには、「先生は仏」などと記録されていて、書いた本人がそれを見て思い出す、ということすらありました)。
 また、最高絶対と仰(あお)ぐ御本尊の、その上方に池田会長の写真を祀(まつ)って、何の違和感も感じない、ということの異常さは、冷静に考えれば理解できるのではないでしょうか。(『慧妙』H24.7.1)

[画像]:学会員宅の仏壇の上には池田の写真が掲げられていたが…

◆私から幹部の任命を受けることは、記別(きべつ=仏が弟子達の未来の成仏を約束すること)を受けることです。これなくしては法華経を持つといえども無益である(池田『前進』S42.2)
◆私は何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ(池田『前進』S41.1)
◆なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運がつく(第40回社長会 S45.11.19)
◆私の頭の中にあることは全部事件をまぬがれる。頭を通るだけで良くなる。(だから)何でも話しておかねばならないのだ(第15回社長会 S43.8.3)
◆皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。送信機がいくら立派でも、受信機が壊れていてはだめだ(池田『前進』S44.10)
◆私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない(池田『前進』S45.5)
◆私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とはいえない(池田『前進』S40.6)
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 学会員のために念のため説明しておくが、末法において主師親三徳を兼備(けんび)するのは御本仏日蓮大聖人だけであり、弟子檀那(だんな)に成仏の記別を授けることができるのも御本仏だけ。また、三世十方(さんぜじっぽう)を全て御覧になることができるのも、衆生に福徳を与えるのも、衆生の境智冥合の対境となるのも、全て御本仏の境界においてのみ、なしうるのである。
 されば、これらの記述は、いずれも「学会員の信仰の対象を池田大作に定める」という、池田本仏論に他ならない。この池田本仏論に対し、御先師日達上人は、次のように破折(はしゃく)を加えられた。

●御書に「天に二日無く、地に二王無し、一仏境界、二尊の号なし云々」ということを、仰せになっております。(中略)一仏境界、一の仏が化導をするその範囲は、ただ二尊の号無し。即ちただ一人の仏である。というお言葉でございます。
 だから、末法万年、尽未来際まで大聖人様の南無妙法蓮華経は、慈悲のために垂(た)れ給うたのであります。ゆえに大聖人は末法尽未来際に至るまでの、久遠の仏様であります。それが我々の、日蓮正宗の教義であります。
 最近ある所では、新しい本仏ができたようなことを宣伝しておるということをうすうす聞きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。正宗の信徒とは言えません。
(中略)大聖人様以外に本仏があるなどと言ったらば、これは大変なことである。(中略)広宣流布はしなければならん、けれども教義の間違った広宣流布をしたら大変であります」(第66世日達上人 S49.4.25)
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 要するに、御本仏は日蓮大聖人ただ御一人であり、その外(ほか)に、もう一人の本仏を立てるなどということは、宗旨(しゅうし)の根本に背く大謗法だと示されたのである。
 普通、ここまでの道理と御金言を示され、また時の御法主より破折されれば、肝(きも)を潰(つぶ)し、まさに息絶(た)えるの想いをなして、ただちに反省懺悔(さんげ)しそうなものだが、しかし池田大作らは、さほどの痛痒(つうよう)を感じた様子もなく、独自の謗法路線を走り続けた。
 それはなぜか。なぜ池田らは、「御本仏は大聖人御一人であり、もう一人の本仏を立てることは大謗法」という道理を示されても、屈伏(くっぶく)しなかったのか。(以上『慧妙』H13.11.1)


【"池田大作本仏論"は大聖人再誕論だ】
 自ら大聖人になりすまそうと……それは、池田大作が、自らを「御本仏・日蓮大聖人の再誕(さいたん)」と思っており、したがって(池田が大聖人であれば)、池田本仏論は大聖人以外にもう一人の本仏を立てることには当たらない、と思っていたからである。
その証拠に、昭和52年に起きた有名な話だが、池田大作が千葉の清澄寺(大聖人が幼少の頃に修学された寺)を訪れた際、そこに生える千年杉に向かい、木肌を撫(な)でながら、「久しぶりだね。700年ぶりだねぇ」と呟(つぶや)いてみせた件(※実は、この千年杉の樹齢はまだ約250年だった)や、あるいは、小松原法難に縁の深い華房の地へ行った際には、傷洗いの井戸を見ながら、「あの時(小松原法難の時)は、たしか14人だったかな」と発言した件など、ともかく池田が自分を日蓮大聖人の再誕に見せようとした言動は、数多く目撃されていて枚挙に暇(いとま)がない。
 当然のことながら、学会組織内にも、口コミを使って「池田センセーは大聖人の生まれ変わり」という指導が広く流され、これを真(ま)に受けてしまった某会員などは、『週刊サンケイ』(S55.11.13)に
◆池田先生は大聖人の生まれ変わりである。でも池田先生がそれを言ってしまえば、生命の永遠の何かもわからぬ人々から「何を証拠に」とつめよられ、狂人と断じられてしまうから、終生、御自身が日蓮の再認である、とは明言されないであろう。それを真に理解した者のみの集団が、今後の創価学会となって残る(学会員『週刊サンケイ』S55.11.13要旨)
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等という投稿をしたほどである。
 要するに池田本仏論とは、単に、創価学会会長を仏と比肩(ひけん)するほど崇(あが)め過ぎてしまった……というものではなく、まさしく、池田大作を「御本仏・日蓮大聖人の再誕と仰ぐ」というものだったのである。
 しかも、これだけで完結しているわけではなく、池田本仏論には、もう一重の恐るべき慢心が秘められていた。そして、これは正本堂の問題とも、深く関係していた。(以上『慧妙』H13.11.1)

●「池田会長に法衣を着せれは即大聖人様だ」などと言う僧侶がいる。私はびっくりしました。先日、北海道の信者さんから手紙が来ました。その人は札幌の僧侶ではないけれども、このような僧侶がいます。まったく情けないではないか。さらに「自分は、会長が袈裟・衣を着たらそのまま大聖人であるから、もしも学会と宗門が手を切ったならば、私は学会の方に付きます」と言明しているそうです。まったく私は情けないと思います。今ここにいる人は、心当たりがあるのかないのか知らないけれども、そういう人がいるから日蓮正宗の教義がおかしくなってくるのであります。(第66世日達上人・昭和53年8月30日/『慧妙』H14.5.16)


【天台・伝教の先例を利用した池田指導】
―婉曲な表現ながら池田のホンネは露わ!!―
 すなわち池田は、『撰時抄』『報恩抄』に
 「法華経の円頓(えんどん)の別受戒を叡山(えいさん)に建立せしかば、(中略)伝教大師は、其(そ)の功を論ずれば竜樹・天親にもこえ、天台・妙楽にも勝れてをはします聖人なり」(御書842頁)
 「されば内証は同じけれども、法の流布は迦葉・阿難よりも馬鳴(めみょう)・竜樹(りゅうじゅ)等はすぐれ、馬鳴等よりも天台はすぐれ、天台よりも伝教は超えさせ給ひたり」(御書1036頁)
 「正像二千年の弘通(ぐつう)は末法の一時に劣るか。是(これ)はひとへに日蓮が智のかしこきにはあらす、時のしからしむるのみ」(同頁)
等とある御文を示した上で、さらに
◆インド、中国、日本の3国にわたり、2千余年の仏教の歴史において、時に応じて出現したあらゆる論師、大師、大菩薩、大僧正等々と崇重されし人々よりも、日蓮大聖人の御弘通が勝(すぐ)れたもうこと百千万億倍である。しかるに日蓮大聖人は、本門の題目、本門の本尊のみ建立あって、本門戒壇の建立は後世の弟子に遺付(ゆいふ)あそぱされたのである。
 ゆえに後世において、その時を得、本門戒壇建立の成就される時こそ、3千年の仏教史の最も重大な時である。日蓮大聖人の御入滅後7百年、国家権力の迫害を受けて、拷問(ごうもん)され、追放され、遠流(おんる)され、首斬られし人々よりも、我ら創価学会の弘通は遥(はる)かに勝れている。あるいは江戸時代のごとき大平時代に、幾千万巻の経典を結集したり、多くの師弟の養成をなした人々よりも、われらの弘通は百千万億倍勝れるのである。これすなわち時のしからしむるのみ
(池田『撰時抄講義』の序 S39.11)
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などと放言し、当時の理事長だった原島宏治氏も、
◆日蓮大聖人御入滅後7百年、創価学会は、その御予言を実現する時を迎えたのである。釈迦一代の説法も、日蓮大聖人の御出現なくんば、だれびとか、これを証明する者があろうか。竜樹、天親(てんじん)は申すにおよばす、天台、伝教といえども、末法適時(ちゃくじ)の大法を知りつつ、これを顕現すべき時を得なかったのである。
 いまや、末法出現の御本仏、日蓮大聖人の御遺命(ごゆいめい)たる本門戒壇の建立、すなわち王仏冥合の達成は、だれびとの手によって成就さるべきか。過去において、幾多の強信者、先覚者は現われたであろう。しかし、時いたらず、ついに大衆的、組織的活動に発展せずに終わった。
 今正(まさ)しく化儀(けぎ)の広宣流布達成の時である。この時をわきまえずして、いかに天下国家を論じようとも、所詮は戯(け)論にすぎない
(理事長・原島宏治『撰時抄講義』発刊の辞 S39.11)
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等と述べている。さすがに婉曲(えんきょく=回りくどく)に表現してはいるが、詰まるところ、大聖人の仰せられている「天台大師と後身(ごしん)の伝教大師は、その内証は等しいけれども、迹門(しゃくもん)戒壇建立という法の流布において、天台より伝教の方が勝れる」(趣意)との御金言を前提として、
 「日蓮大聖人ですら建立できなかった本門戒壇を、7百年後に建立する池田大作は、その弘通において大聖人より勝れる(いわんや、7百年間に出現した先師方や、法難によって斬首された熱原の三烈士、また江戸時代に、甚深の教学を体系化して数多の人材を輩出された日寛上人等よりも、池田は百千万億倍勝れる)」
 「釈尊の予言を証明した大聖人は釈尊よりも勝れ、大聖人の予言を証明した池田は大聖人よりも勝れる
と言いたいのである。
 こうした池田のホンネは、種々の発言の中にも顕われている。
◆大聖人の場合は人数も少なかった、時代も違う。弟子も少なかった。信者も少ない。そういう意味からいえば楽である。我々の場合には時代は激動である。そしてマスコミもある。陰険な人間ばかりである。大変なことである。しかし一代で終らない。大聖人の場合には一代で一応終えられた(池田・第4回伸一会総会 S52.1.16)
◆大聖人は700年前ご出現なされた。しかし、全然広まらなかった。創価学会が正しいんです(池田・第2回「インタナショナルの日」 S52.1.26)
等々。これらを見れば、池田が、自分は弘通において大聖人より勝れる、との大慢(だいまん)を抱(いだ)いていたことは、誰れの目にも明らかである。(以上『慧妙』H13.11.16)


【池田は自ら「大聖人より勝れる」と公言】
―正本堂建立に向け徹底された口コミ指導―
 以上のことから、池田本仏論の全貌は……。
 「池田大作は御本仏日蓮大聖人の再誕(さいたん)である、よって大聖人と池田は内証において等しいが、広宣流布を達成し本門戒壇たる正本堂を建立するという弘通において、池田の方が大聖人よりはるかに勝れる
というものであったことがわかる。
 何とも呆(あき)れ果てた大慢心、恐るべき大謗法ではないか。そして事実、正本堂建立に向かっていた当時の学会では、
 「大聖人ですら本門戒壇を建立することはできなかった。それを今、池田センセーが建立されるのだ」
 「大聖人が出現しなければ、釈迦の予言は嘘(うそ)となり、釈迦は虚妄(こもう)の仏となるところだった。だから、大聖人は釈迦を守ったといえるのであり、大聖人の方が釈迦より勝れるのだ。そして、大聖人の<広宣流布><本門戒壇建立>の予言は、池田センセーが出現して正本堂を建てられなければ、虚妄となるところだった。だから、あまり大っぴらに言ってはいけないが、池田センセーは大聖人より上なのだ」
等々の指導が、再三にわたって口コミで流されていた
 こうした指導は、当時、じつに数多(あまた)の会員が耳にしており、これを真(ま)に受けた愚直な会員が、座談会の席上、手を挙げて
 「日蓮大聖人のことは<大聖人>と呼ぶのに、どうして池田センセーのことは<大聖人>と呼ばないんでしょうか」
と真顔で質問し、担当幹部が返答に窮(きゅう)した、などという笑えない話もあったとか。
 また、こうした「池田=勝(しょう)・大聖人=劣(れつ)」という池田本仏論の上から御書を読むから、『観心本尊抄』の
 「当(まさ)に知るべし、此(こ)の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責(かいしゃく)し、摂受(しょうじゅ)を行ずる時は僧と成って正法を弘持(ぐじ)す」(御書661頁)
との御文や、第26世日寛上人がこれを釈した『観心本尊抄文段(もんだん)』の、
 「折伏に二義有り。一には法体(ほったい)の折伏。謂(い)わく『法華折伏、破権門理』の如し。蓮祖の修行是れなり。二には化儀の折伏。謂わく、涅槃経(ねはんぎょう)に云わく『正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応(まさ)に刀剣(とうけん)弓箭(きゅうせん)鉾槊(むさく)を持すべし』等云云。仙予(せんよ)国王等是れなり。今化儀の折伏に望み、法体の折伏を以て仍(なお)摂受と名づくるなり。或(あるい)は復(また)兼ねて順縁広布の時を判ずるか」(文段284頁)
との仰せも、
 [地涌の四菩薩は、妙法の法体を建立する「法体の折伏」を行する時には聖僧・日蓮大聖人として現われ、建立された法体を広宣流布する「化儀の折伏」を行する時には在家の賢王・広宣流布の総大将たる池田センセーとして現われる。しかして、大聖人の「法体の折伏」は、賢王の「化儀の折伏」に対するときには摂受となってしまう、というのだから、池田センセーは大聖人より勝(まさ)る]
などという、とんでもない解釈になる。


【正本堂=本門戒壇で完成する池田本仏論】
―この恐るべき邪義を根絶された日顕上人―
 いずれにせよ、こうした池田本仏論を完成させるための、欠くことのできない要素は「池田センセーが広宣流布を達成し、それを象徴(しょうちょう)する御遺命の本門戒壇を建立した」という事実である。これなくしては、池田本仏論は、実証が伴わない、単なる虚仮(こけ)の言葉となってしまう。
 それ故、池田は何としても、正本堂を御遺命の本門戒壇であることにしようとして、正本堂が直(ただ)ちに御遺命の戒壇でないことが明確に決定された(昭和47年4月28日の日達上人訓諭)後も、どこまでも固執(こしゅう)し、
 「本日、700年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」(昭和47年10月12日のメッセージ)
 「実は、本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ。板本尊で、まさしく化儀の広宣流布の800万は、明確に終わった」(昭和48年12月29日・第2回御義口伝受講者大会での発言)
等々と述べ続けたのであった。
 こうした、正本堂に対する池田の強烈な思い入れが、当時、宗門との間で様々な軋轢(あつれき)を生じ、また妙信講(現・顕正会)問題を引き起こした元凶であった。
 しかし池田は、いかなる問題が起きようと、あくまでも自らの大慢を捨て去ることなく、昭和65年(平成2年)を「広宣流布の大総仕上げの年」と見立てて、この時に正本堂を御遺命の本門戒壇とすべく、最後の執念を燃やしたのである。
 この池田の大慢心による野望は、現御法主・日顕上人猊下によって粉砕(ふんさい)された。池田の大慢心を看(み)て取られた日顕上人は、池田を宗外へ永久追放すると共に、池田創価学会がどこまでも(破門後までも)「本門事の戒壇なり」と固執する正本堂を、跡形(あとかた)もなく地上から撤去(てっきょ)なさったのである。
 これによって、池田大作が長年抱き続けてきた大慢心……池田が本門戒壇を建立して、大聖人より勝れる仏の座に着く、という「池田=勝・大聖人=劣」の池田本仏論は、依るべき根拠を失い(むろん教義的にはもとより成立しえない邪義・迷妄なのだが)、千万に1つも実現する可能性はなくなってしまった。
 だからこそ、正本堂解体の際には、何としても解体を阻止(そし)しようとする学会・公明党の妨害が凄(すさ)まじかったし、これを斥(しりぞ)け正本堂を解体したことで、日顕上人に対する憎悪・怨嫉(おんしつ)は極(きょく)に達した感がある。
 だが、前述のような、正本堂に絡(から)んだ池田大作の恐るべき大慢心の正体を突き止め、究明するとき、正本堂を大石寺境内地から撒去しなくてはならないことは、日蓮大聖人の正系門流としての信心に照らして是非(ぜひ)もなかろう。
 われわれ日蓮正宗僧俗は、奉安堂建立の時にあたって、このことをしっかりと肝に銘じ、日顕上人の御英断に感謝申し上げるべきであろう。(以上『慧妙』H13.11.16)



[大聖人再誕論破折]
 これまで、池田大作の抱いてきた慢心の正体――「池田本仏論」の中味を検証し、それが、正本堂解体によって完全に崩壊したことを述べてきた。だが、本来、池田本仏論なとどいう邪義は、本宗の教義に照らして存在しうる余地すらなかったのである。
 ここに、池田本仏論の誤りを、教義上から破折しておくことにしよう。


【大聖人出世の本懐は大御本尊建立】
―三大秘法は全て大御本尊に具わる―
 そもそも、仏が世に出現せられるのは、まったく偶発(ぐうはつ)的なものではなくて、一大事の因縁(いんねん)によるのである。「一大事の因縁」とは、『法華経方便品』に
 「諸仏世尊は、衆生をして、仏知見(ぶっちけん)を開かしめ、清浄(しょうじょう)なることを得(え)せしめんと欲(ほっ)するが故に、世に出現したもう。(中略)舎利弗、是(こ)れを諸仏は唯(ただ)一大事の因縁を以(もっ)ての故に、世に出現したもうと為(な)づく。」(法華経102頁)
と説かれるように、一切衆生を成仏せしめよう、との大目的である。
 これを、インド応誕(おうたん)の釈尊についていえば、釈尊出世(しゅっせ)の一大事因縁は、法華経を説いて在世の衆生を成仏へと導くことであった(これを出世の本懐ともいう)。
 日蓮大聖人におかれては、『御義口伝』等に、一大事因縁とは事の一念三千・南無妙法蓮華経なり、と示され、さらに
 「余は二十七年(にして出世の本懐を遂ぐる)なり」(御書1396頁)
と仰せられて、弘安2年10月12日、事の一念三千の当体たる本門戒壇の大御本尊を建立せられた。この大御本尊の建立こそ、大聖人出世の一大事因縁であり、出世の御本懐に他ならぬのである。
 この本門戒壇の大御本尊は、末法万年にわたって一切衆生を成仏せしめる根源の法体(仏法の本体そのもの)であり、第26世日寛上人が
 「三大秘法を合する則(とき)んば但(ただ)一大秘法の本門の本尊と成るなり、故に本門戒壇の本尊を亦(また)三大秘法総在の本尊と名づくるなり」(聖典863頁)
と仰せのごとく、本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目という三大秘法の全てを具(そな)えて、欠けるところのない大御本尊である。(『慧妙』H13.12.1)


【大聖人は末法に再び出世されない】
―「大聖人再誕」論は最大の冒涜(ぼうとく)だ―
 さて、こうした筋道の上から拝(はい)すれば、御本仏日蓮大聖人は、末法の世に出世あそばされた大目的(一大事因縁・出世の御本懐)を三大秘法総在の大御本尊として、余すところなく成就(じょうじゅ)され、御入滅(ごにゅうめつ)なさったのであるから、この地球上の末法時代には、二度と再び出世あそぱされないのである。
 ゆえに、『法華経方便品』には
 「諸仏世に興出(こうしゅつ)したもうこと懸遠(けんのん)にして値遇(ちぐ)すること難(かた)し」(法華経125頁)
と説かれ、御法主日顕上人猊下は、
 「末法万年の間に、御本仏日蓮大聖人様が再び人間の形をとられてお生まれになるということは、二度と再びないのであります。そのかわりに大聖人様は、本門戒壇の大御本尊様として末法万年の闇を照らされるわけでございます。そこのところは、はっきりしなくてはいけません」
と仰せられている。
 したがって、他の人師・論師や大衆であればいざしらす、御本仏に限っては、いったん出世の本懐を遂げられれば同じ時代に再び出世されることはありえない……この道理に違背(いはい)して、もし、大聖人が再び末法に出世あそばされるというならぱ、大聖人は700年前、出世の本懐を遂げられずに、説き残しをされたまま御入滅された仏、ということになってしまう。御本仏に対する冒涜(ぼうとく)、これに過ぐるものはない。(『慧妙』H13.12.1)


【池田大作は提婆達多と同類の魔仏】
―三秘総在(さんぴそうざい)を解せぬ浅識と増上慢―
 以上のことから、像法時代の論師である天台が伝教として再誕(さいたん)することはあっても、御本仏・日蓮大聖人が地球上の末法時代に再誕することはありえない。しかるに池田大作は、あろうことか、自らを大聖人の再誕と思いこみ、また、周囲にもそう見せようと振る舞ったのである。
 これは、まさに、自ら釈尊より勝(すぐ)れるとの慢心を起こし、眉間(みけん)に偽の白毫相(ひゃくごうそう)を張り付けて仏になりすまそうとした、かの提婆達多(だいばだった)と同類の魔仏(魔が仏のふりをしていること)というべきであろう。
 また、「大聖人が顕わされたのは本門の本尊と題目のみで、残された本門の戒壇を後世の池田が建立することによって、はじめて三大秘法が完結する」との池田の考えも、本門戒壇の大御本尊の当体にすでに三大秘法の全てが具わっている、との「三大秘法総在」の深義(じんぎ)が理解できていないための浅識(せんしき)である。
 なるほど、大聖人は『三大秘法抄』及び『一期弘法抄』に、将来、広宣流布を果たすべきことと、その広布達成を象徴する、全世界の信仰の中心道場としての本門寺戒壇を建立すべきことを、門下一同に御遺命せられている。
 しかし、それは、あくまでも大聖人が建立せられた根源の法体(三大秘法総在の大御本尊。そこには、もとより本門の戒壇も具わっている)を弘め、敷衍(ふえん)していく目標であって、それによって三大秘法が完結する、などというわけではない。三大秘法は、大聖人が大御本尊を建立せられた時点で、すでに成就しているのである。
 したがって、また、未来の弟子檀那(だんな)が、広宣流布を達成し本門寺戒壇を建立したとしても、それは本師が成就し確立された法を、弟子の立場で弘めたにすぎないのだから、『報恩抄』等に挙(あ)げられた天台・伝教の例とは異なり、弟子分にある者が大聖人と肩を並べたり、大聖人を超越することなど、まったくできえない。
 それを、「我は大聖人より勝れたり」と傲(おご)り昂(たかぶ)った池田大作は、まさに劣れる凡夫が自ら聖人より勝れると思いこんだ、堕地獄必定(ひつじょう)の大増上慢である。(『慧妙』H13.12.1)


【「折伏を現ずる賢王」の文意を拝す】
―池田が賢王でない、これだけの理由―
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◆当(まさ)に知るべし、此(こ)の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責(かいしゃく)し、摂受(しょうじゅ)を行ずる時は僧と成って正法を弘持(ぐじ)す」(『観心本尊抄』御書661、全集254頁)
◆折伏に二義有り。一には法体(ほったい)の折伏。謂(い)わく「法華折伏、破権門理」の如し。蓮祖の修行是れなり。二には化儀の折伏。謂わく、涅槃経(ねはんぎょう)に云わく「正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応(まさ)に刀剣(とろけん)弓箭(きゅうせん)鉾槊(むさく)を持すべし」等云云。仙予(せんよ)国王等是れなり。今化儀の折伏に望み、法体の折伏を以て仍(なお)摂受と名づくるなり。或は復(また)兼ねて順縁広布の時を判ずるか(第26世日寛上人著『観心本尊抄文段』)
-----------------------
地涌の四菩薩は、妙法の法体を建立する「法体の折伏」を行ずる時には聖僧・日蓮大聖人として現われ、建立された法体を広宣流布する「化儀の折伏」を行ずる時には在家の賢王・広宣流布の総大将たる池田センセーとして現われる。しかして、大聖人の「法体の折伏」は、賢王の「化儀の折伏」に対するときには摂受となってしまう。
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 「此(こ)の四菩薩、折伏を現する時は賢王となって…」(御書661頁)
の御文であるが、これとて、総体の地涌(地涌の四菩薩の総ての徳性を御一身に具える上行菩薩)たる御本仏日蓮大聖人が、再び在家の賢王として出現する、などという意味ではない。
 すでに、御本仏日蓮大聖人が再び末法地球上に出世されることはありえない、との道理は示したとおりである。では、この御文の意は、といえば、(中略)地涌の四菩薩の用(はたら)きを分々になす人々が現われ、大聖人の仏法を護り弘めていく……すなわち別体の地涌の一つの姿として、『本尊抄』では、在家賢王の折伏を示されたものと拝するのである。(『慧妙』H13.12.1)

●日蓮が道をたすけんと上行菩薩・貴辺の御身に入りかはらせ給へるか又教主釈尊の御計いか(『四条金吾殿御返事』全集1163頁)
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大聖人は四条金吾殿に対しても上行菩薩だと仰せになっている。

●今の国主も又是くの如し現世安穏後生善処なるべき此の大白法を信じて国土に弘め給はば万国に其の身を仰がれ後代に賢人の名を留め給うべし、知らず又無辺行菩薩の化身にてやましますらん、又妙法の五字を弘め給はん智者をばいかに賎くとも上行菩薩の化身か又釈迦如来の御使かと思うべし(『法華初心成仏抄』全集550頁)
-----------------------
「大白法を信じて国土に弘め」ようとする「国主」を「無辺行菩薩の化身」と仰せである。

●阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし、浄行菩薩うまれかわり給いてや(『阿仏房御書』全集1304頁)

●日蓮をうみ出だせし父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人なり。(中略)上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹か(御書1393頁)

●「経に四導師有りとは今四徳を表す上行は我を表し無辺行は常を表し浄行は浄を表し安立行は楽を表す、有る時には一人に此の四義を具す二死の表に出づるを上行と名け断常の際を踰ゆるを無辺行と称し五住の垢累を超ゆる故に浄行と名け道樹にして徳円かなり故に安立行と曰うなり」と今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり(『御義口伝』全集751頁)

以上のように、四菩薩とは四徳を表したものであり、大聖人の弟子旦那は皆「地涌の流類」である。その意味から、その人が地涌の菩薩の振舞いをし、その徳が現われていることを指して、弟子旦那に対しても四菩薩の化身、生まれ変わり等の指南がある。つまり、このような御指南があっても直ちに文字通りの意義がある訳ではないのである。

 また、この御文について、第26世日寛上人は
 「或(あるい)は復(また)兼ねて順縁広布の時を判ずるか」(文段284頁)
と釈せられ、この賢王出現の時を「順縁広布の時」……すなわち、時いたって三大秘法が国中に広宣流布する、その時のこととせられている。
 それは、おそらくは『三大秘法抄』に、広宣流布の暁(あかつき)の相として、
 「有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくぴく)の其(そ)の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時」(御書1559頁)
との御金言があることから、広布の暁には、命がけで覚徳比丘を護った有徳王のごとき強信の賢王が出現される、との意によって述べられたものであろう。されば、この在家の賢王は、正法護持(ごじ)の僧を護って、命がけで謗法者と闘う、護法の士であらねばならない
 間違っても、「創価学会こそが現代における僧宝」などと言って、自らが僧に成り替わろうとしたり、護るべき僧を攻撃・弾圧したりするような者が、賢王であろうはずがないのである。
 また、順縁広布の時の賢王は、仏法上からは転輪聖王(てんりんじょうおう)の出現といわれるが、公(おおやけ)のスピーチの席で、
 「お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れる」(平成5年1月27日)
 「ハワイ!(中略)マハロー! バカヤロー! バッハロー!」(平成5年1月27日)
 「もっといいのは、キンマン、いやキン○○コだよ!」(平成5年7月7日・第66回本部幹部会)
等々の言葉を垂(た)れ流す、池田大作のような愚劣で下卑(げび)た男が、転輪聖王などである訳がない。
 こうした池田の実態を、我が目と耳で見聞きしていながら、まだ、池田を大聖人の再誕と崇(あが)め、池田が転輪聖王であることを証明しようとしているような創価学会員は、すでに魔に魅入(みい)られた一闡提人(いっせんだいにん)と成り果てた、というべきであろう。(『慧妙』H13.12.1)

池田が「折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責」する四菩薩ならば、特に大聖人の再誕ならば、経文どおり三災七難が起こり、数々見擯出などの王難に遭うはずである!大聖人が「摂受」で池田=賢王が「折伏」なら、大聖人以上の命に及ぶ大難が起こるはず。

●彼は熟脱・此れは下種・彼は衆機の為に円頓者初縁実相と示し・此れは万機の為に南無妙法蓮華経と勧む・彼は悪口怨嫉・此れは遠島流罪(『本因妙抄』全集875頁)
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もし、池田が仏ならば、「遠島流罪」を経験するはず。そうでないということは、「彼は熟脱」の仏なのか??


【全ての誤りと罪障を生んだ元凶】
 さて、日蓮大聖人は
 「日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり。(中略)日蓮は今此三界の主なり」(新編P1710・全集879)
と仰(おお)せられ、私達末法の一切衆生を救済してくださる主師親(主君であり、師匠であり、親である)の仏は大聖人御1人であることを明かされています。
 そこに、池田大作などという偽仏(イケダブツとでも言いましょうか)を立てることは、日蓮大聖人の仏法を利用しながら大聖人を押し倒さんとする大謗法に他なりません。
 大聖人は、
 「源濁れば流れ清からず」(新編P465・全集P1273)
と仰せですが、この大謗法こそが、学会に様々な誤りを発生させ、多くの学会員に重い罪障を作らせた元凶であり、ついに日蓮正宗が学会を破門せざるをえなくなった根本原因なのであります。(『慧妙』H24.7.1)





誤りの根元・池田本仏思想
―創価学会員の皆さんへ―

(『慧妙』H20.5.16)

 創価学会員に「会長(池田)本仏論」を指摘すると、ほとんどの方が、「それは池田先生が言っているのではない」とか「学会ではそんな指導はしてない」などと、学会の説明を鵜呑みにした弁明をしてきます。しかし、本当にそうでしょうか。
 学会員の誰もが読んでいる、池田大作著『人間革命』。じつは、この中に「会長本仏論」の原点ともいうべき記述があるのです。たとえば、『人間革命』第3巻には
この若い革命家の「妙法への帰命」という理念は、具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち「戸田城聖への帰命」でなければならぬ(『人間革命』第3巻182頁)
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とあります。
 仏法において、「帰命」とは、御書に
●南無とは梵語なり、此には帰命と云ふ。帰命に人法之有り。人とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり(『御義口伝』御書1719頁)
-----------------------
と仰せられているとおり、「南無」のことであります。そして、南無する対象は、"人"は久遠元初の釈尊たる御本仏日蓮大聖人、"法"は末法の法華経たる南無妙法蓮華経の大御本尊に他なりません。
 であるにも拘わらず、『人間革命』の著者・池田大作氏は、「妙法への帰命とは、希有の師への婦命であり、すなわち戸田城聖(会長)への帰命である」と訴えているのです。これ、まさに「会長本仏論」そのものであります。
 なお、ここでは文脈上、帰命の対象を「戸田城聖」としていますが、これを著作した時点での創価学会における「希有の師」が池田大作会長であることは、言うまでもありません。つまり、「妙法への帰命(南無)とは、池田大作に帰命することである」というのが、この『人間革命』の趣旨なのです。

 そうした池田さん自身の意を受けて、今度は弟子達が
まさしく、現代における"人"への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる
池田先生のみ主師親三徳兼備
(会長は)己心の久遠の仏としての生命を覚知された
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等と、明確な言辞をもって「会長本仏論」を学会の中に浸透させたわけですが、これが池田さんの自作自演から始まったことを、皆さんはキチンと認識するべきであります。

 また、池田さんは昭和53年当時、これらの誤りを宗門から厳しく指摘されたことによって、いったんは、
◆私が展開した昭和52年の一連の指導に、発端の因があった(池田大作『聖教新聞』S55.4.2)
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と、自ら罪状を認め、謝罪しました。そして、
◆会長に帰命するとか、あるいは会長が主師親の三徳を具えているとか、本門弘通の大導師である等と論ずることは大なる間違いである(池田指導S53.3.5)
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等と指導しました。

 ところが今はどうでしょう。宗門に反逆しだした平成3年には、「学会が訂正・謝罪等を行なったのは、宗門を守るためだった」などと言って前言をひるがえし、元の木阿弥状態に戻したのです。
 そして、『聖教新聞』等の学会機関紙誌には、「池田先生こそ大聖人の仏法を現代に蘇らせた永遠の指導者」「人類の叡智」「人類を導く師匠」等々と、池田を「希有の師」と崇める礼讃句のオンパレード。
 学会員の皆さん、騙されてはいけません。早く洗脳から目を覚まして、真に帰命すべき人法一箇の大御本尊のもとに戻りましょう。





「創価学会仏」!?
―『新報』に堂々登場した「創価学会仏」―
―「仏」に対する不見識を曝(さら)した大暴論―


(『慧妙』H19.12.16)

 『創価新報』11月21日付・12面にある「矢島本部長andハニーの花の3丁目地区なるほどトーク」なる記事を見て我が目を疑った。それは「創価学会仏」という語の露出である。
 異流義化もここまできたかと思わず失笑してしまったが、冷静に考えてみればなんでもありの創価学会である。このようなことに一々驚いている場合ではない(笑)。
 該当箇所は池田大作の『生死一大事血脈抄』における講義を受けてのものであるが、記事を読み進めていくと、この語の出処は戸田城聖2代会長が"創価学会仏"と言った、ということになっている。記事の内容を見てみよう。

〈矢島〉池田先生は、こう語られている。
 「3代の師弟によって示された広宣流布に戦う根本精神が異体同心の組織の中に脈動していくとき、創価学会は、民衆を救済する仏の大生命力を恒久的に持ち続けることになります」
 「大聖人に直結した広宣流布遂行の和合僧団である創価学会は、それ自体が仏そのものなのである。これが、戸田先生の大確信であられた」
〈葉庭〉創価学会という組織そのものが"仏"なのだということですか。
〈矢島〉そうです。これは重要なことなのです

というのである。笑止千万、牽強付会とはまさにこのことである。
 記事の中で、まず戸田会長の発言とされる話の情報源が「池田」という時点で、すでに疑わしい。はたして、戸田会長の言葉だったのだろうか。自説を補強する上において、自分の言葉では説得力のない池田が、戸田会長の名の下(もと)に作り上げたものではないか、と思ってしまうのは私だけではないであろう。
 百歩譲(ゆず)って、仮に戸田会長がそのような話をしたことがあったとしても、"大聖人に直結した広宣流布遂行の和合僧団である創価学会は、それ自体が仏そのものなのである"とは、戸田会長の時代であれば、唯授一人血脈相承を受けられた御法主上人に連なっている、という大前提のもとでの話である。それを、現在のような大謗法集団と成り下がった創価学会をもって「仏そのもの」とは、不遜(ふそん)きわまりなく、見当違いも甚(はなは)だしい。
 また、どんな状況であろうと、創価学会という組織そのものが仏となることは、金輪際(こんりんざい)あり得ない。あえて深くまで突っ込むことはしないが、組織・教団を「仏」と見てしまう見識が、「仏」という概念を正確に理解していない、知ったかぶりの証拠である。
 大聖人直結を謳(うた)い、総別の二義に迷い、思い込みだけで都合のよい理論構築ができるほど、大聖人の仏法は甘くない。
 そこで『創価新報』編集子に聞きたい。"創価学会仏"とは具体的に何なのか、ぜひ詳しく教えてほしい。じつは遠い過去に「記莂」を受けていた、とでも言うのであろうか(爆笑)。
 いずれにせよ、このあたりのこじつけは、「池田大作本仏論」への布石なのであろう。どのような答えが返ってくるのか、非常に楽しみである。
 ついでに、過去のこの発言についての言い訳も教えてほしい。
 「よく信心の血脈を問題にする者がいる。生死一大事血脈抄に『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』とある文をもって、信心さえあればよいとする立論である。誰でも自由に継承できるなどというのはこれだ。(中略)有名無実の信心をふりまわして、付嘱相承を否定するは、総別の二義に迷惑し、師弟相対の深義に暗く自ら混乱を好む仕わざではないか。」(『大白蓮華』S41.9 35頁)





本仏を気取った慢心発言の数々
―自作自演の猿芝居だった"池田本仏論"―

(『慧妙』H16.8.16抜粋編集)

創価学会が謗法(ほうぼう)化していった根元には、すでに指摘したとおり"池田本仏論"があります。学会出版物や内部資料の中には、以下のごとく、池田大作の本仏気どりの指導が随所(ずいしょ)に散見されます。

私から幹部の任命を受けることは、記別(仏が弟子達の未来の成仏を約束すること)を受けること です。会合もただ列座しているのと、記別を受けて出るのとでは違う。記別とは信心の血脈です。これなくしては「法華経を持つとも無益なり」である。私は現在の仏法の指導者です。私を中心にして御本尊を信ずることによってこそ、「霊山(りょうぜん)に近づく鳥は金色になる」との御金言のごとく、幸福境界を確立することができるのです。(池田大作『前進』昭和42年2月号)

私は、何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ。(池田大作『前進』昭和41年1月号)

なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運がつく(池田大作・第40回社長会・昭和45年11月19日)

私の頭の中にあることは全部事件をまぬがれる。頭を通るだけで良くなる。(だから)何でも話しておかねばならないのだ。(池田大作・第15回社長会・昭和43年8月3日)

皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。送信機がいくら立派でも、受信機が壊(こわ)れていてはだめだ。(池田大作『前進』昭和44年10月号)

私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない。(池田大作『前進』昭和45年5月号)

私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合(きょうちみょうごう) していなければ、異体同心とはいえない(池田大作『前進』昭和40年6月号)

私のそばにいたら私になんでも言えるように境智冥合しなさい。それ以外にないよ。私は信心の指導者だ。私しかいないよ。(池田大作『前進』昭和40年6月号)

そばにいても、会長の心を知ることは難しい。雖近而不見 (すいごんにふけん)である。(池田大作『前進』昭和42年2月号)

"師弟血脈"という観点から大聖人の仏法の本因・本果の流れを見るならば、大聖人のお立場は本因妙の仏法の上の本果妙であり、第2祖日興上人が本因妙ということになる。(中略)今度は私が本果、北條理事長をはじめ副会長が本因の立場になるのである。(池田大作『前進』昭和52年6月号)

本仏気取りで弟子檀那(だんな)に成仏の記別を与え、三世十方を見通すがごとき大風呂敷を広げ、自らを福運の当体と言って憚(はばか)らず、自分が功徳を与える、自分と境智冥合せよ、と説く池田大作―まさに"池田本仏論"は、他ならぬ池田大作自身が作出した大謗法であることが、これらの慢心発言から明らかであります。





池田大作の慢心の正体を衝く(上)

(『慧妙』H13.11.1)

 今日の創価学会が引き起こしている、仏法上・世間法上の様々な問題(ことに、仏法上においては三宝破壊の大謗法、世間法上においては日本の国家機構の乗っ取り)は、すべて池田大作の「慢心」から生じたものである。では、池田大作の慢心とは、どのようなものなのか。ここに、その正体を究明してみよう。
 池田大作の人並み外れた「慢心」……。それを物語る資料は数えきれない程ある。
たとえば、自らを「日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」などと誇称した妄言や、あろうことか、池田大作を本仏に匹敵させる発言・著述・指導、あるいは、正本堂を大聖人御遺命の本門事の戒壇であると強弁して、池田がそれを建立した大功労者たらんとする発言、あるいは、「戒壇は豆腐のカスのようなもの、オカラにすぎない」という不遜(ふそん)な発言……等々。
 これらを1つずつ列挙したら、とうてい枚挙に暇(いとま)がないので、それは別の機会に譲るが、こうした池田大作の慢心は、どのようなところから起きていたのだろうか。
ここで池田大作の慢心の中味を整理・検討し、その正体を明確にしておこう。


【会長を「仏」と僭称した池田大作】
―会長本仏論とはまさに「池田本仏論」―
 第66世日達上人は、
 「最近わかったのですけれども、すでに昭和38、9年ごろから『会長が仏だ』という話は出ておるんです。それを我々は知らなかった」(昭和54年3月31日)
と仰せられ、池田大作(当時・会長)を仏と仰ぐ、いわゆる「会長本仏論」が、そうとう以前から学会内に蔓延(まんえん)していたことを指摘されている。
 この会長本仏論を言い始めたのは誰であったかというと、それは他ならぬ池田大作自身であり、その時期は正確には昭和33年からであった。
 「仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです」(昭和33年9月14日)
 「戸田先生は仏さまであられます」(昭和35年4月1日)
 すなわち、戸田城聖2代会長の没後、創価学会は会長空席の期間が2年間にわたって続いたが、その間に、総務であった池田大作が、組織的にも完全に学会内の全権を掌握し、3代会長への道を確実なものにしていった。
 そして、まさにその時期、池田は、「会長先生は仏さま」という宣伝を繰り返して会長本仏論を学会内に浸透(しんとう)させ、その上で、昭和35年5月、自らがデッチ上げた「仏の座」である会長職に就任したのである。
 かくいうと学会員たちは、組織で教えられているとおりに、
 「池田センセーが仏で何が悪い!?大聖人は『法華経を持つ者は必ず皆仏なり』(御書1047頁)と仰せである。一切衆生が仏界をもっており、その上、お題目を唱えている者は全て仏なんだから、池田センセーも仏でよいではないか!!」
などという、習い損(そこ)ないの反論をする。
 だが、池田大作の言う「仏さまはウソをつかない」「会長先生は仏さま」という意味は、「会長も一切衆生の一人として仏」などというものではなく、「一切衆生の中でも会長こそ、他から尊崇(そんすう)されるべき仏」というものであって、ここでいう「仏さま」とは、まさに信仰の対象たる「御本仏を意味する仏さま」なのである。
 その証拠を挙(あ)げる。
 「『妙法への帰命』という理念は、具体的な実践でいうならば、希有の師への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬ。」(『人間革命』第3巻)
 ここで池田は、創価学会会長への「帰命」を説いているが、いうまでもなく「帰命」とは
 「一切の仏の始めは南無と申す。南無と申すは月氏(がっし)の語、此の土にては帰命と申すなり」(御書1672頁)
 「一切のかみ仏をうやまいたてまつる始めの句には、南無と申す文字ををき候なり。南無と申すはいかなる事ぞと申すに、南無と申すは天竺(てんじく)のことばにて候。漢土・日本には帰命と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり」(御書1544頁)
 「南無とは梵語(ぼんご)なり、此には帰命と云ふ。帰命に人法之有り。人(にん)とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり」(御書1719頁)
等と仰せのごとく「南無」のことであり、本来我々が南無(帰命)すべき信仰の対象とは、御本仏・日蓮大聖人(久遠元初の釈尊)と、南無妙法蓮華経の御本尊(文底下種の法華経)のみである。
 しかるを、「妙法への帰命すなわち戸田城聖への帰命」などといったら、それは、御本尊への帰命イコール創価学会会長への帰命、という意味になり、まごうことなき会長本仏論となる。
 さらに池田は、最高幹部達に
 「まさしく、現代における人への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる」(『ひのくに』昭和50年第10号)
等と指導させ、ここに、池田の企図する会長本仏論、すなわち「池田大作本仏論」が成立する。


【「池田本仏論」が学会内に蔓延】
―御先師日達上人「宗旨に背く」と明快に破折―
 ゆえに、学会出版物の中には、以下のごとく、池田本仏論を述べた記述や指導が随所(ずいしょ)に散見されるのである。
 「世界を守る池田先生のみ、現在において主徳をそなえていらっしゃる。(中略)私たちの師匠池田先生のみ師徳具備でいらっしゃる。(中略)身命を惜しまず、われわれ学会員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ、親徳具備でいらっしゃる」(『大白蓮華』昭和41年2月号)
 「私から幹部の任命を受けることは、記別(きべつ=仏が弟子達の未来の成仏を約束すること)を受けることです。これなくしては法華経を持つといえども無益である」(『前進』昭和42年2月号)
 「私は何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ」(『前進』昭和41年1月号)
 「なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運がつく」(第40回社長会・昭和45年11月19日)
 「私の頭の中にあることは全部事件をまぬがれる。頭を通るだけで良くなる。(だから)何でも話しておかねばならないのだ」(第15回社長会・昭和43年8月3日)
 「皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。送信機がいくら立派でも、受信機が壊れていてはだめだ」(『前進』昭和44年10月号)
 「私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない」(『前進』昭和45年5月号)
 「私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とはいえない」(『前進』昭和40年6月号・池田指導)
 学会員のために念のため説明しておくが、末法において主師親三徳を兼備(けんび)するのは御本仏日蓮大聖人だけであり、弟子檀那(だんな)に成仏の記別を授けることができるのも御本仏だけ。また、三世十方(さんぜじっぽう)を全て御覧になることができるのも、衆生に福徳を与えるのも、衆生の境智冥合の対境となるのも、全て御本仏の境界においてのみ、なしうるのである。
 されば、これらの記述は、いずれも「学会員の信仰の対象を池田大作に定める」という、池田本仏論に他ならない。この池田本仏論に対し、御先師日達上人は、次のように破折(はしゃく)を加えられた。
 「御書に『天に二日無く、地に二王無し、一仏境界、二尊の号なし云々』ということを、仰せになっております。(中略)一仏境界、一の仏が化導をするその範囲は、ただ二尊の号無し。即ちただ一人の仏である。というお言葉でございます。
 だから、末法万年、尽未来際まで大聖人様の南無妙法蓮華経は、慈悲のために垂(た)れ給うたのであります。ゆえに大聖人は末法尽未来際に至るまでの、久遠の仏様であります。それが我々の、日蓮正宗の教義であります。
 最近ある所では、新しい本仏ができたようなことを宣伝しておるということをうすうす聞きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。正宗の信徒とは言えません。
(中略)大聖人様以外に本仏があるなどと言ったらば、これは大変なことである。(中略)広宣流布はしなければならん、けれども教義の間違った広宣流布をしたら大変であります」(昭和49年4月25日)
 要するに、御本仏は日蓮大聖人ただ御一人であり、その外(ほか)に、もう一人の本仏を立てるなどということは、宗旨(しゅうし)の根本に背く大謗法だと示されたのである。
普通、ここまでの道理と御金言を示され、また時の御法主より破折されれば、肝(きも)を潰(つぶ)し、まさに息絶(た)えるの想いをなして、ただちに反省懺悔(さんげ)しそうなものだが、しかし池田大作らは、さほどの痛痒(つうよう)を感じた様子もなく、独自の謗法路線を走り続けた。
 それはなぜか。なぜ池田らは、「御本仏は大聖人御一人であり、もう一人の本仏を立てることは大謗法」という道理を示されても、屈伏(くっぶく)しなかったのか。


【“池田大作本仏論”は大聖人再誕論だ】
 自ら大聖人になりすまそうと……それは、池田大作が、自らを「御本仏・日蓮大聖人の再誕(さいたん)」と思っており、したがって(池田が大聖人であれば)、池田本仏論は大聖人以外にもう一人の本仏を立てることには当たらない、と思っていたからである。
 その証拠に、昭和52年に起きた有名な話だが、池田大作が千葉の清澄寺(大聖人が幼少の頃に修学された寺)を訪れた際、そこに生える千年杉に向かい、木肌を撫(な)でながら、「久しぶりだね。700年ぶりだねぇ」と呟(つぶや)いてみせた件(※実は、この千年杉の樹齢はまだ約250年だった)や、あるいは、小松原法難に縁の深い華房の地へ行った際には、傷洗いの井戸を見ながら、「あの時(小松原法難の時)は、たしか14人だったかな」と発言した件など、ともかく池田が自分を日蓮大聖人の再誕に見せようとした言動は、数多く目撃されていて枚挙に暇(いとま)がない。
 当然のことながら、学会組織内にも、口コミを使って「池田センセーは大聖人の生まれ変わり」という指導が広く流され、これを真(ま)に受けてしまった某会員などは、『週刊サンケイ』(昭和55年11月13日号)に
 「池田先生は大聖人の生まれ変わりである。でも池田先生がそれを言ってしまえば、生命の永遠の何かもわからぬ人々から『何を証拠に』とつめよられ、狂人と断じられてしまうから、終生、御自身が日蓮の再認である、とは明言されないであろう。それを真に理解した者のみの集団が、今後の創価学会となって残る」(要旨)
等という投稿をしたほどである。
 要するに池田本仏論とは、単に、創価学会会長を仏と比肩(ひけん)するほど崇(あが)め過ぎてしまった……というものではなく、まさしく、池田大作を「御本仏・日蓮大聖人の再誕と仰ぐ」というものだったのである。
 しかも、これだけで完結しているわけではなく、池田本仏論には、もう一重の恐るべき慢心が秘められていた。そして、これは正本堂の問題とも、深く関係していた。





池田大作の慢心の正体を衝く(中)

(『慧妙』H13.11.16)

 昭和42年10月12日、池田大作は正本堂の発誓願文において、
 「詮する所、正本堂の完成を以(もっ)て、三大秘法ここに成就し『立正』の二字、すでに顕現(けんげん)・せんとす」
と述べ、ナンバー2の北条浩(当時・理事長)は、『大白蓮華』(昭和45年5月号)に、「三大秘法完結の時代を迎えて」と題し、
 「すでに大聖人御在世中に、<慧(え)>たる本門の題目、<定(じょう)>たる本門の本尊は建立された。そして、ただ<戒(かい)>たる本門の戒壇のみが『時を待つべきのみ』と後世に残されたが、ここに深い意義を感ずるのである。(中略)ここに正本堂建立が、三大秘法の完結を意味するという、仏法史上重要な意義」
云々と述べた。
 すなわち、「正本堂は広宣流布の暁に建立される本門の戒壇であり、大聖人の顕わされなかった本門戒壇を池田大作が願主となって建立し、ここに三大秘法が完結する」というのである。
 ここで、正本堂建立の意義を巡(めぐ)っての議論は、本稿の論旨ではないので別な機会に譲るが、問題は、この正本堂建立を利用した池田大作の大慢心である。


【天台・伝教の先例を利用した池田指導】
―婉曲な表現ながら池田のホンネは露わ!!―
 すなわち池田は、『撰時抄』『報恩抄』に
 「法華経の円頓(えんどん)の別受戒を叡山(えいさん)に建立せしかば、(中略)伝教大師は、其(そ)の功を論ずれば竜樹・天親にもこえ、天台・妙楽にも勝れてをはします聖人なり」(御書842頁)
 「されば内証は同じけれども、法の流布は迦葉・阿難よりも馬鳴(めみょう)・竜樹(りゅうじゅ)等はすぐれ、馬鳴等よりも天台はすぐれ、天台よりも伝教は超えさせ給ひたり」(御書1036頁)
 「正像二千年の弘通(ぐつう)は末法の一時に劣るか。是(これ)はひとへに日蓮が智のかしこきにはあらす、時のしからしむるのみ」(同頁)
等とある御文を示した上で、さらに
 「インド、中国、日本の3国にわたり、2千余年の仏教の歴史において、時に応じて出現したあらゆる論師、大師、大菩薩、大僧正等々と崇重されし人々よりも、日蓮大聖人の御弘通が勝(すぐ)れたもうこと百千万億倍である。しかるに日蓮大聖人は、本門の題目、本門の本尊のみ建立あって、本門戒壇の建立は後世の弟子に遺付(ゆいふ)あそぱされたのである。
 ゆえに後世において、その時を得、本門戒壇建立の成就される時こそ、3千年の仏教史の最も重大な時である。日蓮大聖人の御入滅後7百年、国家権力の迫害を受けて、拷問(ごうもん)され、追放され、遠流(おんる)され、首斬られし人々よりも、我ら創価学会の弘通は遥(はる)かに勝れている。あるいは江戸時代のごとき大平時代に、幾千万巻の経典を結集したり、多くの師弟の養成をなした人々よりも、われらの弘通は百千万億倍勝れるのである。これすなわち時のしからしむるのみ」(昭和39年11月『撰時抄講義』の序)
などと放言し、当時の理事長だった原島宏治氏も、
 「日蓮大聖人御入滅後7百年、創価学会は、その御予言を実現する時を迎えたのである。釈迦一代の説法も、日蓮大聖人の御出現なくんば、だれびとか、これを証明する者があろうか。竜樹、天親(てんじん)は申すにおよばす、天台、伝教といえども、末法適時(ちゃくじ)の大法を知りつつ、これを顕現すべき時を得なかったのである。
 いまや、末法出現の御本仏、日蓮大聖人の御遺命(ごゆいめい)たる本門戒壇の建立、すなわち王仏冥合の達成は、だれびとの手によって成就さるべきか。過去において、幾多の強信者、先覚者は現われたであろう。しかし、時いたらず、ついに大衆的、組織的活動に発展せずに終わった。
 今正(まさ)しく化儀(けぎ)の広宣流布達成の時である。この時をわきまえずして、いかに天下国家を論じようとも、所詮は戯(け)論にすぎない」(昭和39年11月『撰時抄講義』発刊の辞)
等と述べている。さすがに婉曲(えんきょく=回りくどく)に表現してはいるが、詰まるところ、大聖人の仰せられている「天台大師と後身(ごしん)の伝教大師は、その内証は等しいけれども、迹門(しゃくもん)戒壇建立という法の流布において、天台より伝教の方が勝れる」(趣意)との御金言を前提として、
 「日蓮大聖人ですら建立できなかった本門戒壇を、7百年後に建立する池田大作は、その弘通において大聖人より勝れる(いわんや、7百年間に出現した先師方や、法難によって斬首された熱原の三烈士、また江戸時代に、甚深の教学を体系化して数多の人材を輩出された日寛上人等よりも、池田は百千万億倍勝れる)」
 「釈尊の予言を証明した大聖人は釈尊よりも勝れ、大聖人の予言を証明した池田は大聖人よりも勝れる」
と言いたいのである。
 こうした池田のホンネは、種々の発言の中にも顕われている。
 「大聖人の場合は人数も少なかった、時代も違う。弟子も少なかった。信者も少ない。そういう意味からいえば楽である。我々の場合には時代は激動である。そしてマスコミもある。陰険な人間ばかりである。大変なことである。しかし一代で終らない。大聖人の場合には一代で一応終えられた」(昭和52年1月16日・第4回伸一会総会)
 「大聖人は700年前ご出現なされた。しかし、全然広まらなかった。創価学会が正しいんです」(同年1月26日・第2回「インタナショナルの日」)
等々。これらを見れば、池田が、自分は弘通において大聖人より勝れる、との大慢(だいまん)を抱(いだ)いていたことは、誰れの目にも明らかである。


【池田は自ら「大聖人より勝れる」と公言】
―正本堂建立に向け徹底された口コミ指導―
 以上のことから、池田本仏論の全貌は……。
 「池田大作は御本仏日蓮大聖人の再誕(さいたん)である、よって大聖人と池田は内証において等しいが、広宣流布を達成し本門戒壇たる正本堂を建立するという弘通において、池田の方が大聖人よりはるかに勝れる
というものであったことがわかる。
 何とも呆(あき)れ果てた大慢心、恐るべき大謗法ではないか。そして事実、正本堂建立に向かっていた当時の学会では、
 「大聖人ですら本門戒壇を建立することはできなかった。それを今、池田センセーが建立されるのだ」
 「大聖人が出現しなければ、釈迦の予言は嘘(うそ)となり、釈迦は虚妄(こもう)の仏となるところだった。だから、大聖人は釈迦を守ったといえるのであり、大聖人の方が釈迦より勝れるのだ。そして、大聖人の<広宣流布><本門戒壇建立>の予言は、池田センセーが出現して正本堂を建てられなければ、虚妄となるところだった。だから、あまり大っぴらに言ってはいけないが、池田センセーは大聖人より上なのだ」
等々の指導が、再三にわたって口コミで流されていた
 こうした指導は、当時、じつに数多(あまた)の会員が耳にしており、これを真(ま)に受けた愚直な会員が、座談会の席上、手を挙げて
 「日蓮大聖人のことは<大聖人>と呼ぶのに、どうして池田センセーのことは<大聖人>と呼ばないんでしょうか」
と真顔で質問し、担当幹部が返答に窮(きゅう)した、などという笑えない話もあったとか。
 また、こうした「池田=勝(しょう)・大聖人=劣(れつ)」という池田本仏論の上から御書を読むから、『観心本尊抄』の
 「当(まさ)に知るべし、此(こ)の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責(かいしゃく)し、摂受(しょうじゅ)を行ずる時は僧と成って正法を弘持(ぐじ)す」(御書661頁)
との御文や、第26世日寛上人がこれを釈した『観心本尊抄文段(もんだん)』の、
 「折伏に二義有り。一には法体(ほったい)の折伏。謂(い)わく『法華折伏、破権門理』の如し。蓮祖の修行是れなり。二には化儀の折伏。謂わく、涅槃経(ねはんぎょう)に云わく『正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応(まさ)に刀剣(とうけん)弓箭(きゅうせん)鉾槊(むさく)を持すべし』等云云。仙予(せんよ)国王等是れなり。今化儀の折伏に望み、法体の折伏を以て仍(なお)摂受と名づくるなり。或(あるい)は復(また)兼ねて順縁広布の時を判ずるか」(文段284頁)
との仰せも、
 [地涌の四菩薩は、妙法の法体を建立する「法体の折伏」を行する時には聖僧・日蓮大聖人として現われ、建立された法体を広宣流布する「化儀の折伏」を行する時には在家の賢王・広宣流布の総大将たる池田センセーとして現われる。しかして、大聖人の「法体の折伏」は、賢王の「化儀の折伏」に対するときには摂受となってしまう、というのだから、池田センセーは大聖人より勝(まさ)る]
などという、とんでもない解釈になる。


【正本堂=本門戒壇で完成する池田本仏論】
―この恐るべき邪義を根絶された日顕上人―
 いずれにせよ、こうした池田本仏論を完成させるための、欠くことのできない要素は「池田センセーが広宣流布を達成し、それを象徴(しょうちょう)する御遺命の本門戒壇を建立した」という事実である。これなくしては、池田本仏論は、実証が伴わない、単なる虚仮(こけ)の言葉となってしまう。
 それ故、池田は何としても、正本堂を御遺命の本門戒壇であることにしようとして、正本堂が直(ただ)ちに御遺命の戒壇でないことが明確に決定された(昭和47年4月28日の日達上人訓諭)後も、どこまでも固執(こしゅう)し、
 「本日、700年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」(昭和47年10月12日のメッセージ)
 「実は、本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ。板本尊で、まさしく化儀の広宣流布の800万は、明確に終わった」(昭和48年12月29日・第2回御義口伝受講者大会での発言)
等々と述べ続けたのであった。
 こうした、正本堂に対する池田の強烈な思い入れが、当時、宗門との間で様々な軋轢(あつれき)を生じ、また妙信講(現・顕正会)問題を引き起こした元凶であった。
 しかし池田は、いかなる問題が起きようと、あくまでも自らの大慢を捨て去ることなく、昭和65年(平成2年)を「広宣流布の大総仕上げの年」と見立てて、この時に正本堂を御遺命の本門戒壇とすべく、最後の執念を燃やしたのである。
 この池田の大慢心による野望は、現御法主・日顕上人猊下によって粉砕(ふんさい)された。池田の大慢心を看(み)て取られた日顕上人は、池田を宗外へ永久追放すると共に、池田創価学会がどこまでも(破門後までも)「本門事の戒壇なり」と固執する正本堂を、跡形(あとかた)もなく地上から撤去(てっきょ)なさったのである。
 これによって、池田大作が長年抱き続けてきた大慢心……池田が本門戒壇を建立して、大聖人より勝れる仏の座に着く、という「池田=勝・大聖人=劣」の池田本仏論は、依るべき根拠を失い(むろん教義的にはもとより成立しえない邪義・迷妄なのだが)、千万に1つも実現する可能性はなくなってしまった。
 だからこそ、正本堂解体の際には、何としても解体を阻止(そし)しようとする学会・公明党の妨害が凄(すさ)まじかったし、これを斥(しりぞ)け正本堂を解体したことで、日顕上人に対する憎悪・怨嫉(おんしつ)は極(きょく)に達した感がある。
 だが、前述のような、正本堂に絡(から)んだ池田大作の恐るべき大慢心の正体を突き止め、究明するとき、正本堂を大石寺境内地から撒去しなくてはならないことは、日蓮大聖人の正系門流としての信心に照らして是非(ぜひ)もなかろう。
 われわれ日蓮正宗僧俗は、奉安堂建立の時にあたって、このことをしっかりと肝に銘じ、日顕上人の御英断に感謝申し上げるべきであろう。





池田大作の慢心の正体を衝く(下)

(『慧妙』H13.12.1)

 これまで、池田大作の抱いてきた慢心の正体――「池田本仏論」の中味を検証し、それが、正本堂解体によって完全に崩壊したことを述べてきた。だが、本来、池田本仏論なとどいう邪義は、本宗の教義に照らして存在しうる余地すらなかったのである。
 ここに、池田本仏論の誤りを、教義上から破折しておくことにしよう。


【大聖人出世の本懐は大御本尊建立】
―三大秘法は全て大御本尊に具わる―
 そもそも、仏が世に出現せられるのは、まったく偶発(ぐうはつ)的なものではなくて、一大事の因縁(いんねん)によるのである。「一大事の因縁」とは、『法華経方便品』に
 「諸仏世尊は、衆生をして、仏知見(ぶっちけん)を開かしめ、清浄(しょうじょう)なることを得(え)せしめんと欲(ほっ)するが故に、世に出現したもう。(中略)舎利弗、是(こ)れを諸仏は唯(ただ)一大事の因縁を以(もっ)ての故に、世に出現したもうと為(な)づく。」(法華経102頁)
と説かれるように、一切衆生を成仏せしめよう、との大目的である。
 これを、インド応誕(おうたん)の釈尊についていえば、釈尊出世(しゅっせ)の一大事因縁は、法華経を説いて在世の衆生を成仏へと導くことであった(これを出世の本懐ともいう)。
 日蓮大聖人におかれては、『御義口伝』等に、一大事因縁とは事の一念三千・南無妙法蓮華経なり、と示され、さらに
 「余は二十七年(にして出世の本懐を遂ぐる)なり」(御書1396頁)
と仰せられて、弘安2年10月12日、事の一念三千の当体たる本門戒壇の大御本尊を建立せられた。この大御本尊の建立こそ、大聖人出世の一大事因縁であり、出世の御本懐に他ならぬのである。
 この本門戒壇の大御本尊は、末法万年にわたって一切衆生を成仏せしめる根源の法体(仏法の本体そのもの)であり、第26世日寛上人が
 「三大秘法を合する則(とき)んば但(ただ)一大秘法の本門の本尊と成るなり、故に本門戒壇の本尊を亦(また)三大秘法総在の本尊と名づくるなり」(聖典863頁)
と仰せのごとく、本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目という三大秘法の全てを具(そな)えて、欠けるところのない大御本尊である。


【大聖人は末法に再び出世されない】
―「大聖人再誕」論は最大の冒涜(ぼうとく)だ―
 さて、こうした筋道の上から拝(はい)すれば、御本仏日蓮大聖人は、末法の世に出世あそばされた大目的(一大事因縁・出世の御本懐)を三大秘法総在の大御本尊として、余すところなく成就(じょうじゅ)され、御入滅(ごにゅうめつ)なさったのであるから、この地球上の末法時代には、二度と再び出世あそぱされないのである。
 ゆえに、『法華経方便品』には
 「諸仏世に興出(こうしゅつ)したもうこと懸遠(けんのん)にして値遇(ちぐ)すること難(かた)し」(法華経125頁)
と説かれ、御法主日顕上人猊下は、
 「末法万年の間に、御本仏日蓮大聖人様が再び人間の形をとられてお生まれになるということは、二度と再びないのであります。そのかわりに大聖人様は、本門戒壇の大御本尊様として末法万年の闇を照らされるわけでございます。そこのところは、はっきりしなくてはいけません」
と仰せられている。
 したがって、他の人師・論師や大衆であればいざしらす、御本仏に限っては、いったん出世の本懐を遂げられれば同じ時代に再び出世されることはありえない……この道理に違背(いはい)して、もし、大聖人が再び末法に出世あそばされるというならぱ、大聖人は700年前、出世の本懐を遂げられずに、説き残しをされたまま御入滅された仏、ということになってしまう。御本仏に対する冒涜(ぼうとく)、これに過ぐるものはない。


【池田大作は提婆達多と同類の魔仏】
―三秘総在(さんぴそうざい)を解せぬ浅識と増上慢―
 以上のことから、像法時代の論師である天台が伝教として再誕(さいたん)することはあっても、御本仏・日蓮大聖人が地球上の末法時代に再誕することはありえない。しかるに池田大作は、あろうことか、自らを大聖人の再誕と思いこみ、また、周囲にもそう見せようと振る舞ったのである。
 これは、まさに、自ら釈尊より勝(すぐ)れるとの慢心を起こし、眉間(みけん)に偽の白毫相(ひゃくごうそう)を張り付けて仏になりすまそうとした、かの提婆達多(だいばだった)と同類の魔仏(魔が仏のふりをしていること)というべきであろう。
 また、「大聖人が顕わされたのは本門の本尊と題目のみで、残された本門の戒壇を後世の池田が建立することによって、はじめて三大秘法が完結する」との池田の考えも、本門戒壇の大御本尊の当体にすでに三大秘法の全てが具わっている、との「三大秘法総在」の深義(じんぎ)が理解できていないための浅識(せんしき)である。
 なるほど、大聖人は『三大秘法抄』及び『一期弘法抄』に、将来、広宣流布を果たすべきことと、その広布達成を象徴する、全世界の信仰の中心道場としての本門寺戒壇を建立すべきことを、門下一同に御遺命せられている。
 しかし、それは、あくまでも大聖人が建立せられた根源の法体(三大秘法総在の大御本尊。そこには、もとより本門の戒壇も具わっている)を弘め、敷衍(ふえん)していく目標であって、それによって三大秘法が完結する、などというわけではない。三大秘法は、大聖人が大御本尊を建立せられた時点で、すでに成就しているのである。
 したがって、また、未来の弟子檀那(だんな)が、広宣流布を達成し本門寺戒壇を建立したとしても、それは本師が成就し確立された法を、弟子の立場で弘めたにすぎないのだから、『報恩抄』等に挙(あ)げられた天台・伝教の例とは異なり、弟子分にある者が大聖人と肩を並べたり、大聖人を超越することなど、まったくできえない。
 それを、「我は大聖人より勝れたり」と傲(おご)り昂(たかぶ)った池田大作は、まさに劣れる凡夫が自ら聖人より勝れると思いこんだ、堕地獄必定(ひつじょう)の大増上慢である。


【「折伏を現ずる賢王」の文意を拝す】
―池田が賢王でない、これだけの理由―
 最後に、『御心本尊抄』の
 「此(こ)の四菩薩、折伏を現する時は賢王となって…」(御書661頁)
の御文であるが、これとて、総体の地涌(地涌の四菩薩の総ての徳性を御一身に具える上行菩薩)たる御本仏日蓮大聖人が、再び在家の賢王として出現する、などという意味ではない。
 すでに、御本仏日蓮大聖人が再び末法地球上に出世されることはありえない、との道理は示したとおりである。では、この御文の意は、といえば、大聖人が諸御抄に
 「日蓮が道をたすけんと、上行菩薩貴辺(※四条金吾)の御身に入りかはらせ給へるか」(御書1161頁)
 「阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩はうまれかわり給ひてや日蓮を御とぶらひ給ふか。不思議なり不思議なり」(御書793頁)
 「日蓮をうみ出だせし父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人なり。(中略)上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹か」(御書1393頁)
等と仰せのように、地涌の四菩薩の用(はたら)きを分々になす人々が現われ、大聖人の仏法を護り弘めていく……すなわち別体の地涌の一つの姿として、『本尊抄』では、在家賢王の折伏を示されたものと拝するのである。
 また、この御文について、第26世日寛上人は
 「或(あるい)は復(また)兼ねて順縁広布の時を判ずるか」(文段284頁)
と釈せられ、この賢王出現の時を「順縁広布の時」……すなわち、時いたって三大秘法が国中に広宣流布する、その時のこととせられている。
 それは、おそらくは『三大秘法抄』に、広宣流布の暁(あかつき)の相として、
 「有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくぴく)の其(そ)の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時」(御書1559頁)
との御金言があることから、広布の暁には、命がけで覚徳比丘を護った有徳王のごとき強信の賢王が出現される、との意によって述べられたものであろう。されば、この在家の賢王は、正法護持(ごじ)の僧を護って、命がけで謗法者と闘う、護法の士であらねばならない。
 間違っても、「創価学会こそが現代における僧宝」などと言って、自らが僧に成り替わろうとしたり、護るべき僧を攻撃・弾圧したりするような者が、賢王であろうはずがないのである。
 また、順縁広布の時の賢王は、仏法上からは転輪聖王(てんりんじょうおう)の出現といわれるが、公(おおやけ)のスピーチの席で、
 「お世辞を使っておいた方が、広布基金がたくさん取れる」(平成5年1月27日)
 「ハワイ!(中略)マハロー! バカヤロー! バッハロー!」(平成5年1月27日)
 「もっといいのは、キンマン、いやキン○○コだよ!」(平成5年7月7日・第66回本部幹部会)
等々の言葉を垂(た)れ流す、池田大作のような愚劣で下卑(げび)た男が、転輪聖王などである訳がない。
 こうした池田の実態を、我が目と耳で見聞きしていながら、まだ、池田を大聖人の再誕と崇(あが)め、池田が転輪聖王であることを証明しようとしているような創価学会員は、すでに魔に魅入(みい)られた一闡提人(いっせんだいにん)と成り果てた、というべきであろう。







凡夫本仏論破折


凡夫本仏論破折

<1>凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり(『諸法実相抄』全集1358頁)

<2>末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云われるなり(『御義口伝』全集766頁)

<1>では凡夫=本仏、仏=迹仏とあり、<2>では末法の仏=凡夫僧となる。つまり、<1>の「凡夫」とは凡夫僧=日蓮大聖人のことであり、凡夫僧である大聖人と迹仏を対比したものである。↓

●釈迦・多宝の二仏と云ふも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御坐し候へ(『諸法実相抄』全集1358頁)
-----------------------
「用の仏」とは釈迦・多宝等の迹仏のことであり、「本仏」とは大聖人即妙法蓮華経(御本尊)のことである。

●本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず何に況や菩薩凡夫をや(『立正観抄』全集531頁)
-----------------------
 ここでは「迹仏」よりも「凡夫」が劣るという御指南をされている。このことからも上記<1><2>の「凡夫」が、ただの凡夫ではないことが分かる。すなわち上記<1><2>の「凡夫」とは別して日蓮大聖人お一人のことなのである。凡夫の当体たる日蓮大聖人が、寿量の仏身においては真実・究極の仏であることを御指南されているのである。
 総じていえば、<1>は、大聖人御所持の法体を信じる弟子檀那もまた、"受持即観心"の義によって「体の三身」「本仏」に列なるのであろう。あるいは又、凡夫である衆生の心中にある仏界と迹仏を対比したものか。いずれにせよ決して、我々凡夫が、大聖人より優れているなどということではない。


<3>今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり(『御義口伝』全集752頁)

<4>日蓮と御判を置き給ふ事如何。師の曰く。首題も釈迦多宝も上行無辺等も(中略)十羅刹女も天照八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり、之について受持法華本門の四部の衆を悉く化身と思ふ可きか(『御本尊七箇相承』/『富要』第1巻32頁)

<凡夫即極、即身成仏の義を、凡夫即本仏と曲解する学会>
1●蓮祖の門弟はこれ無作三身なりと雖も、仍(なお)これ因分にして究竟果分の無作三身には非ず。但これ蓮祖聖人のみ究竟果分の無作三身なり。若し六即に配せば、一切衆生無作三身とはこれ理即なり。蓮祖門弟無作三身とは中間の四位なり。蓮祖大聖無作三身とは即ちこれ究竟即なり。(第26世日寛上人著『取要抄文段』/文段集571頁)
-----------------------
 六即とは理即、名字即、観行即、相似即、分真即、究竟即のことです(下記3●)。<1>〜<4>の御文は、凡夫即極=即身成仏の意義の上から成仏の本因を中心に論じたものであり、現実に、弟子檀那が大聖人と内証一体であるという意味ではありません。だから、日寛上人は「蓮祖門弟無作三身とは中間の四位なり。蓮祖大聖無作三身とは即ちこれ究竟即なり。」と仰せなのです。「中間の四位」とは、名字即、観行即、相似即、分真即のことであり、弟子檀那といっても、その境涯は同じではないのです。
 また、上記1●の「弟子檀那」に日興上人を初めとする唯授一人血脈付法の歴代上人は含まれません。なぜなら、歴代上人と大聖人の御内証が一体であることは、大聖人も日寛上人も認められているからです。↓

●日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり(『御本尊七箇相承』/『富要』第1巻32頁)
●明星直見の本尊の事如何、師の曰はく末代の凡夫・幼稚の為めに何物を以つて本尊とす可きと・虚空蔵に御祈請ありし時古僧示して言はく汝等が身を以つて本尊と為す可し(中略)釈迦古僧に値ひ奉つて塔中に直授せるなり貴し貴しと讃め被れたり、(中略)仍つて本尊書写の事・一向日興之を書写し奉る可き事勿論なるのみ。(『御本尊七箇相承』/『富要』第1巻32頁)
-----------------------
「日蓮在御判と嫡々代々と書くべし」「代々の聖人悉く日蓮なり」とあり、「一向日興之を書写し奉る可き」とあることから、御本尊書写の権能が歴代上人に限ることが分かります。これは、大聖人の御内証が、唯授一人の血脈相承によって、歴代上人に伝持されているからに他なりません。何故なら、大聖人の御内証を書写することが本尊書写なのですから。

●今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや、是の故に御心今は富山に住したもうなり(『六巻抄』66頁)
-----------------------
と仰せの如く、唯授一人金口嫡々の血脈相承は、一器より一器への相伝であり、御法主上人の御内証に清浄な大聖人の御法魂がましまされるのである。故に大聖人が究竟果分の無作三身であらせられるならば、それを受けて御本尊を御書写し給う御法主上人の御内証も究竟果分の無作三身にましますのである。(青年僧侶邪義破折班H17.6.7)

●亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也(第26世日寛上人『三宝抄』/歴代上人全書4−392)
-----------------------
『三宝抄』では、歴代上人も僧宝に加えられています。つまり、ここでいう「一器の水を一器に写す」とは、日目上人以下にも伝わる唯授一人の血脈のことです。

★以上のように、凡夫即極=即身成仏の意義の上から因を中心に論じた御指南を以て、直ちに、我々凡夫を仏と平等に考えることは「謂己均仏」の大増上慢であるといえよう(下記2●)。


<理即>
●本と申すは仏性・末と申すは未顕の仏・九界の名なり究竟等と申すは妙覚究竟の如来と理即の凡夫なる我等と差別無きを究竟等とも平等大慧の法華経とも申すなり(『一念三千法門』全集413頁)

仏性も同じき故に等しく是子(『一代五時継図』御書1833、全集630頁)

●御義口伝に云く此の菩薩の礼拝の行とは一切衆生の事なり、自他一念の礼拝なり父母果縛の肉身を妙法蓮華経と礼拝するなり、仏性も仏身も衆生の当体の色心なれば直ちに礼拝を行ずるなり、仍つて皆当作仏の四字は南無妙法蓮華経の種子に依るなり。(『御義口伝』御書1812、全集800頁)

2●理性の仏を尊んで己(おのれ)仏に均(ひと)しと思ひ増上慢に堕つ定めて是れ阿鼻の罪人なり(『蓮盛抄』御書27、全集152頁)

●此の世界は第六天の魔王の所領なり。一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり(『兄弟抄』御書980、全集1801頁)
------------------------------------------------------------
十界互具によって全ての衆生に仏性が存在することが保障される。しかし、これは理論上のことであり、実際の生命活動の上には現れていない。つまり、信心していない人の生命は、依然九界の迷いの状態である。


<名字即〜>
3●頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり、其の故は始めて聞く所の題目なるが故なり聞き奉りて修行するは観行即なり此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり、さて惑障を伏するを相似即と云うなり化他に出づるを分真即と云うなり無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり、惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず唯凡夫の当体本有の侭を此の品の極理と心得可きなり(『御義口伝』全集752頁)
-----------------------
ここに一口に"信心している凡夫"といっても種々の差別のあることは明らかである。

●不信は一闡提謗法の因・信は慧の因・名字即の位なり(『四信五品抄』全集339頁)

●信の一字は名字即の位なり仍つて信の一字は最後品の無明を切る利剣なり(『御義口伝』全集760頁)

4●名字即の位より即身成仏す(『三世諸仏総勘文教相廃立』全集566頁)

●至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり(『当体義抄』全集513頁)

5●此の経を持ち奉る時を本因とす其の本因のまま成仏なりと云うを本果とは云うなり、日蓮が弟子檀那の肝要は本果より本因を宗とするなり、本因なくしては本果有る可からず、仍て本因とは慧の因にして名字即の位なり、本果は果にして究竟即の位なり(『御講聞書』全集808頁)

●信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり(『本因妙抄』全集872頁)

6●南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす(『日女御前御返事』全集1244頁)

7●法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり(『松野殿御返事』御書1047、全集1382頁)

●此の世の中の男女僧尼は嫌ふべからず、法華経を持(たも)たせ給ふ人は一切衆生のしう(主)とこそ仏は御らん(覧)候らめ、梵王・帝釈はあを(仰)がせ給ふらめとうれしさ申すばかりなし。(『四条金吾殿女房御返事』御書756頁)

●今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は法師の中の大法師なり。諸法実相の開覚(かいかく)顕はれて見れば、地獄の灯燃猛火(とうねんみょうか)乃至仏果に至る迄(まで)悉く具足して一念三千の法師なり。又云はく、法とは題目、師とは日蓮等の類なり。(『御義口伝』御書1749頁)

●今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は一切衆生の父なり。無間地獄(むけんじごく)の苦を救ふ故なり。(『御義口伝』御書1771頁)

法華経を信ずれども深く信せざる者は半月の闇夜を照らすが如し。深く信ずる者は満月の闇夜を照らすが如し(『薬王品得意抄』)

●今常忍貴辺は末代の愚者にして見思未断の凡夫なり(『富木尼御前御返事』全集977頁)

8●何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし(『曽谷殿御返事』全集1056頁)

始めは信じてありしかども後にすつるのみならず返って仏を謗じ奉りしゆへに仏も叶い給はず無間地獄にをちにき(『兄弟抄』全集1089頁)

●御文に云く此の経を持ち申して後退転なく十如是・自我偈を読み奉り題目を唱へ申し候なり、但し聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候、其の故は愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も・愚者の然せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり、但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり、此の経の修行に重重のしなあり其大概を申せば記の五に云く「悪の数を明かすことをば今の文には説・不説と云ふのみ」、有る人此れを分つて云く「先きに悪因を列ね次ぎに悪果を列ぬ悪の因に十四あり・一に驕慢・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善・十四に恨善なり」(『松野殿御返事』全集1381頁〜)

●菩提心を発す人は多けれども退せずして実の道に入る者は少し、都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ事にふれて移りやすき物なり(『松野殿御返事』全集1383頁)

●人皆口には此の経を信じ手には経巻をにぎるといえども・経の心にそむく間・悪道を免れ難し(『新池御書』全集1439頁)
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「本因とは慧の因にして名字即の位なり、本果は果にして究竟即の位なり」(5●)「名字即の位より即身成仏す」(4●)と仰せのように、信心によって凡夫の身のままで成仏する。だから成仏の本因を中心に論ずるならば「法華経を持つ者は必ず皆仏なり」(7●)であり、信心している人にも三徳の分々が備わるといえる。しかしあくまでも「信心の厚薄による」(6●)のであり「謗法あらば必ず地獄にをつ」(8●)のである。

●皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が・中程は信心もよはく僧をも恭敬せず供養をもなさず・自慢して悪見をなす、これ恐るべし恐るべし、始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき、何としても此の経の心をしれる僧に近づき弥法の道理を聴聞して信心の歩を運ぶべし。(『新池御書』全集1440頁)
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これなどは、現在の創価学会のためにある御指南ではなかろうか。


<師弟の差別>
●日蓮は名字即の位弟子檀那は理即の位なり(『本因妙抄』全集873頁)

●其故は「今此三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり而も今此処は諸の患難多し唯我れ一人のみ能く救護を為す」と説いて、此の日本国の一切衆生のためには釈迦仏は主なり師なり親なり(『妙法比丘尼御返事』御書168、全集1410頁)
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末法の御本仏は「唯我一人」大聖人のみ

●下種の今此三界の主の本迹 久遠元始の天上天下・唯我独尊は日蓮是なり、久遠は本・今日は迹なり、三世常住の日蓮は名字の利生なり。(『百六箇抄』御書1696、全集863頁)

●本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず、何に況んや菩薩・凡夫をや(『立正観抄』御書770、全集531頁)
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本地の妙法蓮華経は迹仏等の思慮に及ばない。まして凡人の思慮に及ぶことはない。唯我与我と説かれるように、御本仏の智慧を継承あそばされる御法主上人のみが、よく境智の妙法を思慮あそばされるのである。(『大白法』H18.3.16)

9●皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が・中程は信心もよはく僧をも恭敬せず供養をもなさず・自慢して悪見をなす、これ恐るべし恐るべし、始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん、(『新池御書』全集1440頁)
10●何としても此の経の心をしれる僧に近づき弥法の道理を聴聞して信心の歩を運ぶべし。(『新池御書』全集1440頁)
11●貴僧・高僧には依るべからず、賎き者なりとも此の経の謂れを知りたらんものをば生身の如来のごとくに礼拝供養すべし是れ経文なり(『新池御書』全集1441頁)
12●末代の衆生は法門を少分こころえ僧をあなづり法をいるかせにして悪道におつべしと説き給へり、法をこころえたる・しるしには僧を敬ひ法をあがめ仏を供養すべし、今は仏ましまさず解悟の智識を仏と敬ふべし争か徳分なからんや、後世を願はん者は名利名聞を捨てて何に賎しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし、是れ正く経文なり。(『新池御書』全集1443頁)
13●此の僧によませまひらせて聴聞あるべし、此の僧を解悟の智識と憑み給いてつねに法門御たづね候べし(『新池御書』全集1444頁)
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9●〜12●の「僧」が日蓮大聖人に限らないことは、13●に「此の僧を解悟の智識と憑み」とあることから明らかです。在家から見れば僧=師であり、この師檀の筋目を守り続けることによって即身成仏も適うのです。「凡夫即極」といっても信心途上の我々がただちに仏であるという意味ではありません。


<受持即観心>
―観心―
●所詮己心と仏心と一なりと観ずれば速やかに仏に成るなり。故に弘決に又云はく「一切の諸仏、己心は仏心に異ならずと観(み)たまふに由るが故に仏に成ることを得」已上。此を観心と云ふ。(『三世諸仏総勘文教相廃立』全集569頁)

―受持―
●南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待つて御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならば・・・(『松野殿御返事』御書1051、全集1386頁)
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「退転なく修行」して初めて「最後臨終の時」に「妙覚の山」に登れるのが、我ら凡夫の現実の姿である。つまり、「受持即観心」であり、受持=臨終までの不退転の修行なくして成仏得道はないのである。学会は大聖人の御指南中、「観心」の側面のみを強調し、「受持」の側面を故意に隠しているのである。

●此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり(『四条金吾殿御返事』全集1136頁)


<総別の二義>
●凡(およ)そ法門に於(おい)ては総別の二義があるのでありまして此れを忘れると地獄へ堕ちることになります。日蓮大聖人は「総別の二義を違へば成仏思ひもよらず」と仰せられてありますが、此れは行人(ぎょうにん)の最も心ををくべきところであります。法華経の行者は大聖人唯御一人だけで末法の仏も大聖人であります。総じて申せば妙法を信受する程のものは行者といへますが別して逆縁の衆生でありまして順逆の分別は行功によるところであつて畢竟(ひっきょう)御一人の仏に対しては凡夫であります。かへすがへすも此のところが根本でありまして、その御本尊を信受し奉る上の修行が題目になるのであります。既に仏身地であらせられる大聖人の建立し玉ふ大曼荼羅を信受し持ち奉ることが肝要でありまして、此れ以外は皆偏見であり邪道であります。(第65世日淳上人『日淳上人全集』982頁〜)

◆仏教には、総別の二義があつて、この立て分けを知らないときには、成仏は思いもよらないのである。ゆえに、われわれは、大聖人様を主・師・親とあおぎて、日蓮大聖人様こそ、別して末法の御本仏様とあおぎまいらせなければならない。総じていうときには、われわれのごとき凡夫であっても、大御本尊様に帰依したてまつるすがたは、「仏」そのものであるにちがいないが、わずかの信心によって、すぐ大聖人様のお悟りを、自分の胸におさめることができたなどというが、ごときは、増上慢のいたりである。(「三種の悟り」S25.3.10『戸田城聖全集』第3巻52頁)





「凡夫本仏論」は身延・日朝と同じ(仮題)

(榎木境道御尊師『日寛上人と興学』468頁〜)

【「凡夫本仏論」は中古天台と同轍】
 身延山第11代を嗣(つ)いだのは寛正(かんしょう)3(1462)年、41歳の時で、以後明応8(1499)年までの38年間、門下の日意に譲るまでその職にありました。
 さて日朝の学風については、仙波の関東天台や叡山の天台を学んだこともあり、当時一致派で流行(はや)っていた中古天台の観心主義が強かったことが宗学者の間で指摘されています。
 中古天台とは日本天台における思想の1つの傾向で、天台本覚思想とも言われています。平安時代末・院政期ころから顕著になったとされていますが、いわゆる衆生のあるがままの存在に絶対的な価値を認める立場で、これを象徴する言葉として、「無作の三身」が例として挙げられます。「無作」とは人為を加えないということで、衆生のあるがままの存在にすでに「法報応の三身如来」という、完全円満な仏の特性が具わっていることを強調します。そこでこの考えを推し進めていくと、衆生は本来すでに成仏している存在であるから、仏道修行の必要もないという極端な考えに陥ってしまいます。


【「無作三身」に総別】
 しかし日蓮大聖人は『御義口伝』に、
 「無作の三身とは末法の法華経の行者なり。無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり。寿量品の事の三大事とはこれなり」(御書1765頁)
と、正しい意義を説かれています。すなわち神力品の付嘱を承け、末法に法華経の行者として振る舞われる日蓮大聖人のところに無作の三身の意義が具わるのであり、誰彼となくただちに本来の仏であるとする安直な考えを誡められました。また、
 「此の無作の三身をば一字を以て得たり。所謂信の一字なり。仍(よ)って経に云はく『我等当信受仏語』と。信受の二字に意を留むべきなり」(御書1766頁)
と、大聖人の仏法を信行する者には、信のところに無作三身の徳が顕れることを仰せられています。日寛上人は以上に示された大聖人の御聖意を、『取要抄文段」に二重の総別を立てて釈され、
 「総じて言えば一切衆生が無作三身であるが、別しては宗祖の末弟である。しかし宗祖の末弟がこれに当たるといえども、さらに別して言えば、ただ日蓮大聖人のみが真実究竟の本地無作の三身である」(『御書文段』514下)
と仰せです。

※タイトルは法蔵





「法体本尊の証得」(仮題)

(青年僧侶邪義破折班H17.6.7)

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久遠名字の妙法の直達正観という成仏義を立てる大石寺門流では、法主や一部の高僧だけでなく、すべての信仰者に法体本尊の証得が可能であると説く。日寛は『当体義抄文段』の中で「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人」は「本尊を証得するなり」と述べ、その証得の相を人法に分けて「人の本尊を証得して、我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり」「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり」と説き示している(『文段集』683頁)(脱落僧・松岡雄茂)
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ここでいう法体本尊の証得≠ニの言であるが、日寛上人はどこにも法体本尊の証得≠ネどと仰せになってはいない。これは、松岡が本宗における唯授一人の「法体相承」と、一切衆生の「本尊証得」ということを、恣意的に混同せしめようとするものである。すなわち「本尊証得」と類似する法体本尊の証得≠ニいう語を用いることで、御法主上人が御所持される「法体相承」を、あたかも学会員が証得≠ナきるかのように欺誑するものである。法体本尊の証得≠フ語は、松岡がそのような悪意のもと、捏造した造語であることを、まず指摘しておく。


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 日寛は『報恩抄文段』に
 「縦い当流と雖も、無智の俗男俗女は三重の秘伝を知らず」「無智の男女は唯本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る」(『文段集』322頁)
などと述べ、富士の相伝教学に暗い当時の一般的在家信徒の状況を問わず語りに語っている。
 この場合「三重の秘伝」を知らない「無智の俗男俗女」が自らの判断で「唯本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る」ことは不可能であるから、三大秘法義を了解する法主や、その意を体した僧侶の信仰指導が必要となる。(脱落僧・松岡雄茂)
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松岡はいったい「本尊証得」をどのように考えているのか。「本尊証得」とは信心による御本尊との境智冥合である。何回も言うが、御本尊は理論で証得するものではない。

●問う、縦い当流と雖も、無智の俗男俗女は三重の秘伝を知らず。若し爾らば、恩を報ずること能わざるや。答う、無智の男女は唯本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る、実にこの大恩を報ずるなり(第26世日寛上人『報恩抄文段』/『御書文段』383頁)
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 これは、たとえ「三重の秘伝」を知らない「無智の俗男俗女」であったとしても、「本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え」ることによって大恩を報ずることができることを仰せになったものである。日寛上人は、悪書の言うように「三重の秘伝」を知らない「無智の俗男俗女」が自らの判断で「唯本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る」ことは不可能である≠ネどとは、どこにも仰せになっていない。松岡は日寛上人の文を引きながら、正反対の結論を導き出しているのであって、その言は、まったくのすり替え、切り文による欺瞞である。池田大作や松岡ら創価学会員が、理論的に多少法門をかじったとしても、結局は退転し、堕獄の道をひた走っていることが、その邪義を証明しているのである。
 また日寛上人は、教学の理解によって成仏が決まるなどとも仰っていない。たとえ教学的に理解がなくとも「本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る」ことが成仏の直道であると御教示されているではないか。松岡らのような有解無信、いや邪解邪信では、成仏は絶対に叶わないのである。





凡夫と御本尊

(『戸田城聖全集』第3巻63頁〜)

 われわれが日々拝する大御本尊は、われわれ凡夫とは関係のない雲の上の存在であり、尊上無比の存在であると拝し、われわれ下賎の者のつたない日常生活現象とは、およそかけはなれた存在であると拝することは誤りである。
 尊上無比の大御本尊は、じつに日蓮大聖人の御当体そのものであらせられるのである。ゆえに、『御義口伝』には
 「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(御書全集760頁)
とおおせられている。
 さらに、日蓮大聖人は、われわれのごとき迷える凡夫の主・師・親であらせられ、
 「しう(主)し(師)父母(親)」(御書全集237頁)
であらせられるのである。
 かくて、日蓮大聖人の大慈大悲によって御建立あそばされた大御本尊を拝することが、ただちに、われわれ凡夫にとっては、したしく久遠の御本仏を拝することであり、したしくおのれの主・師・親を拝することになるのである。
 法華経の信解品では、四大声聞が窮子(ぐうじ)の譬えを引いて領解している。
 すなわち、父を捨てて他国を放浪した窮子が、50余年の後に、ようやく、その大長者の父に会った。しかし、父を忘れた窮子は、恐れて近づかず、父と自分とは関係のない別のものと思っている。父は種々の方便を設けて窮子を教えみちびくが、なおも窮子は放浪の心を捨てきらず、下劣の本処(ほんじょ)にあって、この父を父と悟ることができなかったが、ついに、窮子は、大長者が自分の真実の父であったことを悟りて、おおいに歓喜するというしだいである。
 すなわち、窮子は、せっかく自分の父である長者の家におりながら、
 「爾(そ)の時に窮子、此の遇(ぐう)を欣(よろこ)ぶと雖(いえど)も、猶故(なお)自ら客作(かくさ)の賎人(せんにん)と謂(おも)えり」
 それゆえに、20年の間、糞(くそ)はらいをしていたが、それでもなお、し 「然(しか)も其の所止(しょし)は猶本処に在り」
といって、放浪の昔を忘れずに、父と自分は、いまだに別のものと思っていた。そのうちに、長者が
 「今我と汝と便(すなわ)ち為(これ)異(ことな)らず」
といったが、なお
 「然も其の所止は、故(なお)本処に在り。下劣の心、亦未だ捨つること能(あた)わず」(以上の経文は、妙法蓮華経並開結259頁)
としていたが、最後に、父の死ぬときにいたって、ようやく自分は長者の子であることを悟るのである。
 これは、御本尊が自分とは別のものだと思うのは、長い間、貧窮下賎であった窮子が、自分の父を忘れているのと同じことである。

 また、これとは反対に、本尊とはまったく他所に求むべきではなくて、自分自身が本尊であり、お題目を唱えるものは等しく地涌の菩薩であって、日蓮大聖人とも変わりがないと考えることは、重大な増上慢のきわみであり、大謗法である。にせ日蓮宗においては、「久遠の本仏は釈迦であり、その本仏から地涌の菩薩が末法にお題目を弘めよと付嘱されているから、末法いまのときにお題目を唱えるものは、すべて本仏の使いであり、日蓮聖人はわれわれの先頭に立たれた兄貴分であり、先輩である」ぐらいに考えていて、しかも公然と、このような誤信を放言して、無知の大衆を迷わしているのが現状である。
 この誤りの根本は、まず久遠の本仏が釈迦であると決定するので、日蓮大聖人と、われわれ凡夫との関係が、まったく歪曲されたものとなり、したがって、大聖人を悪しく敬う結果となるのである。法華経の文上においては釈迦が本仏であり、日蓮大聖人は上行菩薩として付嘱を受けられたことは、だれしも疑う余地のないところである。しかしながら、御内証の深秘は、日蓮大聖人こそ、われわれ末代凡夫を教えみちびかれる御本仏であられる。
 かかる久遠元初の自受用身の御当体であらせられる大聖人の御肉体が、そのまま大御本尊であらせられるのである。ゆえに、われわれは、この仏力・法力をあおいで、信心修行を励まねばならない。大聖人は仏界所具の人界をお示しくだされたのにたいし、われわれは、大聖人の大慈大悲に浴し、大御本尊の光明に照らしいだされて、初めて人界所具の仏界が開覚されるのである。
 されば、『御義口伝』に、
 「我等が頭は妙なり喉(のど)は法なり胸は蓮なり胎(はら)は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華終の五字なり」(御書全集716頁)
とおおせられ、また、
 「霊山一会儼然(げんねん)として未だ散らず」
の文も、あるいはまた、
 「仏こそ凡夫に礼を申すべきなり、凡夫の体を借りまいらせ候」
とおおせられたことも、すべて、この立場から拝さなければならない。
 これを要するに、尊上無比の大御本尊の大功徳は、すべて、われわれ凡夫の1日1日の生活のなかに、ほとばしり出ているのである。われわれ凡夫は、ひたすらに、御本仏の大慈悲心、大智慧力を信じまいらせることによってのみ、御本仏の眷属として、即身成仏と開覚されるのである。これ以外に、「仏」というものは絶対にない。われわれの想像もおよばぬ色相荘厳の神様とか仏様が、雲の上や西方十万億土などにいるはずはないのである。
 と同時に、われわれ凡夫は、「仏性」をだれしも平等にもっているが、御本尊を信じたてまつる以外に、「成仏」はありえない。たとえ、御本尊を信じたてまつるとも、総別の二義があり、
 「総別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず」(御書全集1055頁)
とのおおせがある。ゆえに、別して、日蓮大聖人様が御本仏であらせられ、われわれ凡夫は、主従、師弟、父子のごとく、あまりにもしたしくて、しかも、あまりにも厳然たる区別のある存在なのである。
 この態度は、また御遺文を拝するにあたっても同じであり、御遺文を研究して大聖人の御観心がわかったというのも誤りであり、また、御遺文は、われわれ凡夫の生活とはかけはなれた、むずかしい別のものだというのも、同様に誤りなのである。(昭和25年8月10日)

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池田学会では「凡夫本仏論」「人間主義」を立てて、信心している者が本仏と対等かそれ以上のごとく主張している。これは、上記戸田会長の仏法理解とは相反するもので、まさに師敵対である。(法蔵)








「人間主義」破折

「人間主義」破折

(『大白法』『慧妙』『創価学会の新理論とその本質』など編集)

 一般的に「人間主義」はヒューマニズムともいわれ、"人間の意義と価値を重視し、人間の権利や自由を尊重する思想"と解釈されています。
 人間の価値をすべてに優先させるという意味では、人間主義と民主主義は共通であり、その基本原則は自由・平等・尊厳といわれています。人間として何ものにも束縛されず、平等に認められ、人間としての尊厳を守ることが理想です。
 しかし、創価学会が盛んに「人間主義」という言葉を使うのは、学会に不都合な仏法本来の僧俗・師弟の立て分けを「権威主義」として排除し、日蓮大聖人以来、代々の御法主上人に伝えられる唯授一人の血脈を否定しようと目論んでいるからにほかなりません。
 したがって、創価学会でいう「人間主義」とは、まさに仏法の本筋から外れた「学会員至上主義」「在家主義」の意であり、創価学会にとって、創価学会を批判する人間や、創価学会に理解を示さない人間は、「人権を守るべき人間」には当てはまらず、徹底した攻撃対象とされています。
 こうしたご都合主義によって「人間主義」という言葉を使い分ける創価学会には、それこそ「人間主義」などと主張する権利はありません。(『創価学会「ニセ本尊」破折-100問100答』P92)

仏法は人間主義である。私は人間主義である(池田大作『聖教新聞』H5.5.10/『創価学会の新理論とその本質』日蓮正宗法義研鑚委員会編)

徹底した「人間主義」こそが、大聖人の仏法なのである(池田大作『聖教新聞』H6.5.26/『創価学会の新理論とその本質』)
大聖人の偉大さは、その徹底した「人間主義」にある(松戸行雄『人間主義の日蓮本仏論を求めて』/『創価学会の新理論とその本質』)
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平成3年11月に宗門から破門された創価学会は、自らの正当性を裏付けるための新しい教義の構築が緊要の課題であった。
 そこで、まず、学会員でもある御用学者の松戸行雄(東洋哲学研究所欧州研究部長=自著の肩書きより)『人間主義の日蓮本仏論を求めて』(以下、『人間主義』と略称)や『日蓮思想の革新』(以下、『革新』と略称)という本を書かせて世間や学会員の反応をうかがい、そのあとで池田大作をはじめとする創価学会幹部が、それらの本に書かれている教義内容に沿って会員を洗脳していくという方法を採(と)ったのである。


<「権威主義」からの解放!?>
学会は、大聖人の御精神のままに、「人間のための宗教」の正道を、世界に開いてきた。仏法の「人間主義」の光で、悪しき宗教の闇から人間を開放してきた。これに対して、権威と権力で抑圧し、ひたすら一方的な「服従」を迫る日顕宗の体質―まさに「権威主義的宗教」の典型であろう(池田大作『聖教新聞』H4.8.26/『創価学会の新理論とその本質』)
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多くの池田教徒らは、「人間主義」をヒューマニズムと同義に解釈している。ちなみに、ヒューマニズムとは「中世的な宗教的世界観からの解放を求めるルネサンス期のイタリアの人文主義」(『広辞苑』第5版2273頁)等と解釈されている。 「中世的な宗教的世界観からの解放」「ルネサンス」等々、いかにも創価学会好みの語から想起されるのは、当宗の教義信条を「中世的」と決めつけ、会員をそこから「解放」し「ルネサンス(再生)」させる、との学会(池田)のドス黒い狙いである。 つまり本宗本来の僧俗・師弟の立て分けを中世的な「権威主義」として排除し、「権威主義の宗門」に対する「人間主義の学会」を演出して、会員を洗脳しているに他ならない。


<「人間主義」とは「凡夫本仏論」><「凡夫本仏論」破折>参照)
◆(「人間主義」という言葉について)人間主義仏法の根本的立場は、自行化他の題目を実践する私たちが凡夫の体そのままで南無妙法蓮華経の九界即仏界を体現する地湧の菩薩であるとする「凡夫本仏論」である(松戸行雄『革新』まえがき/『大白法』H14.7.16)
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凡夫本仏論が「人間主義」の根本的立場であるとしている。この凡夫本仏論を打ち立てることにより、池田大作を日蓮大聖人と比肩し、ついには超越させることをもくろんでいるのである。

日蓮大聖人も法主も池田名誉会長も、そして私たちも全く同じ「人間」である(中略)大聖人だけが特別に神格化され、久遠本仏に祭り上げられる必要はない(松戸行雄『革新』47頁/『大白法』H14.7.16)
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久遠元初の御本仏である大聖人を「全く同じ人間」と見下し、迷いの凡夫と同列に仕立てようとする。

◆「仏とは、人間(凡夫)である」「人間(凡夫)こそ、仏である」(池田大作『聖教新聞』H6.5.26/『大白法』H14.7.16)
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松戸によって地ならしがなされた上で、池田大作自身も「凡夫本仏論」を主張、創価学会の教義として定着させていく。学者や著名人の論を利用しながら学会員を洗脳していく、いつものパターンである。

●正直に方便を捨て但(ただ)法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩(ぼんのう)・業(ごう)・苦の三道、法身(ほっしん)・般若(はんにゃ)・解脱(げだつ)の三徳と転じて云云(『当体義抄』御書694、全集512頁)
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あくまで御本仏が悟(さと)られた妙法を中心とし、それを信受することによって、衆生ははじめて人間として理想的な境界に到達できるのであり、それを逆転して、三毒熾盛(しじょう)の人間を中心に考えることは実に愚かなことである。

●如来の教法は必ず機に随ふという事は世間の学者の存知なり。しかれども仏教はしからず。(中略)機に随って法を説くと申すは大なる僻見(びゃっけん)なり(『撰時抄』御書P846)
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と喝破(かっぱ)あそばされました。「仏の教えは必ず衆生の機根に随って説かれるということは、一般的な仏教学者の思うところだが、仏の本意から拝すると、衆生の機根に随って法を説くというのはたいへんに間違った考え方である」との仰せです。
 この御指南から見ると、創価学会の言う、仏や法よりも衆生を中心に考える「人間主義」が、大聖人の教えに反し、仏法の道理から外れたものであることは明らかです。(『大白法』H25.5.1)

●要するに、彼等は仏様を認めたくないのです。仏たる実体を認めると、そこから正しい宗門の教学なり信仰に戻らざるをえなくなりますから、それをなるべく薄めて「我々衆生が中心であり、我々衆生が妙法であり、御本尊もそれを表すための道具に過ぎない」と言いたいのです(第66世日顕上人『大日蓮』587号/『慧妙』H15.5.16)

●人間主義という語自体が既(すで)に大聖人様の大慈大悲を否定しているのです。(中略)人間主義という名のもとに、凡夫の三悪道等の考えを中心にすることは実に怖いことなのです。今の創価学会のあらゆる面から社会的に顰蹙(ひんしゅく)を買っておる姿、自分達の利得のためにはどのような悪行も辞さない姿を見ればお判(わか)りになると思います(第66世日顕上人『大日蓮』587号/『慧妙』H15.5.16)


<「人間主義」の目的は「池田本仏論」>
大聖人の偉大さは、その徹底した「人間主義」にある(松戸行雄『人間主義』/『創価学会の新理論とその本質』)
池田SGI会長は徹底した真の人間主義の王者だからこそ、会員はますます敬愛し、信頼し、共に広宣流布のために動くのである」(松戸行雄『人間主義』まえがき/『大白法』H14.7.16)
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「凡夫本仏論」では大聖人も我々凡夫も同じ「人間」だとしながら、一方では池田を「人間主義の王者」と持ち上げ、大聖人をも凌(しの)ぐ偉大なる存在として、強く印象づける。こうして、凡夫本仏論という新教義の上に、池田大作の教祖としての絶対的立場が築かれていくことになる。しかしながら、大作が、会内においていかに強大な権力を手にしようとも、あるいは外道の教えを信仰する人々から摧尊入卑(さいそんにゅうひ)の勲章や名誉称号をいくつもらおうとも、御本仏大聖人と肩を並べることはできないし、ましてや越えることなど、できるはずもない。

※大聖人と我々凡夫が同じならば、当然、池田大作と一般会員も同じはず。しかし、創価学会が「池田大作絶対主義」であることは衆目の一致するところである。たとえ自らの「規則」や「会則」で会長の権限を高らかに謳おうとも、すべてが大作の手のひらの上にあることは、社会周知の事実と言える。ここに、「凡夫本仏論」の矛盾は明白であり、「池田本仏論」の伏線であることが分かるのである。


<「人間」とは学会員だけ?>
2001年5月3日、広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい(中略)宗門の悪侶、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証としたい(池田大作『聖教新聞』H6.9.2/『大白法』H14.8.1)

◆「人権を傷つける者は人間と呼ばれる資格なし」アタイデ総裁。やっばり畜生日顕。(『聖教新聞』寸鉄H14.12.29/『フォーラム21』H15.1.15)

◆あのー、まぁ日顕(※日蓮正宗管長・阿部日顕上人)なんか、その(※イヤな奴の)代表だっていうんだ。ほんな、針金(はりがね)でゆわえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね。(池田大作・平成4年12月13日・全国青年部幹部会)

脱会者は自殺するまで追いつめろ(池田大作『諸君!』H4.5/『妙観』H4.5.15/『大白法』H15.1.16)
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会員に、宗門への憎悪の念を植えつけるだけでなく、反学会・反池田を唱える者に対しては、人間としての尊厳をも認めないという、非人道的な体質をあらわにした発言と言えよう。つまり、池田大作らの言う「人間主義」とは、人間という言葉を使いつつも、けっしてすべての人間を指すのではなく、あくまで創価学会員だけを人間とするのであり、自分たちの思想や意見に従わない者は人間として見なさないのである。


<組織拡大の「旗印」>
しかし創価学会は、そうした「池田大作絶対主義」・「創価学会至上主義」体質を、なるべく世間にさとられないようにしながら、平和運動や文化連動なるものを機軸として、さらなる組織拡大を図っている。その旗印として「人間主義」という、いかにも耳に聞こえのいい言葉を多用し、危険性のない、善良なイメージを演出しているのである。






学会の「人間主義」は池田仏の伏線

(『慧妙』H15.5.16)

 5月4日付『朝日新聞』に、「北朝鮮の素顔」と題する囲み記事が掲載されている。
 先月から連載されているこのシリーズ、この日は北朝鮮の「国家理念」といわれる「主体(チュチェ)思想」に関する内容である。
 同記事によると、「主体思想」というのは、「人間中心の哲学」なのだそうだ。
 「何やら聞いたような話だ」と思いつつ、同記事の下方に邪悪な波動を感じて目を移す…と、それは『大白蓮華』の広告だった。
 広告には、同誌に池田大作による「御書の世界」なる邪義が掲載されていることを謳(うた)っていて、その副題は「人間主義の宗教を語る(※本当は『騙〈かた〉る』)」だそうな。
 「人間中心の哲学」(北朝鮮)と「人間主義の宗教」(創価学会)
 一糸乱れぬマスゲーム、親玉の腹の出具合いなど、北朝鮮と創価学会の類似性が指摘されて久しいが、国家・組織の存立基盤となる思想についても、「人間を中心に考える」と主張している点において、両者は共通している。
 そもそも、「人間主義」という語は、かの『広辞苑』にも掲載されず、なにより学会問題勃発(ぼっぱつ)以前の『仏教哲学大辞典』(昭和60年版)にすら載せられていない、邪教化した創価学会による造語である。
 そして、多くの池田教徒らは、これをヒューマニズムと同義に解釈している。ちなみに、ヒューマニズムとは「中世的な宗教的世界観からの解放を求めるルネサンス期のイタリアの人文主義」(『広辞苑』第5版2273頁)等と解釈されている。
 「中世的な宗教的世界観からの解放」「ルネサンス」等々、いかにも創価学会好みの語から想起されるのは、当宗の教義信条を「中世的」と決めつけ、会員をそこから「解放」し「ルネサンス(再生)」させる、との学会(池田)のドス黒い狙いである。
 つまり本宗本来の僧俗・師弟の立て分けを中世的な「権威主義」として排除し、「権威主義の宗門」に対する「人間主義の学会」を演出して、会員を洗脳しているに他ならない。
 日蓮大聖人は、
 「正直に方便を捨て但(ただ)法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩(ぼんのう)・業(ごう)・苦の三道、法身(ほっしん)・般若(はんにゃ)・解脱(げだつ)の三徳と転じて云云」(御書694、全集512頁)
と仰せだが、あくまで御本仏が悟(さと)られた妙法を中心とし、それを信受することによって、衆生ははじめて人間として理想的な境界に到達できるのであり、それを逆転して、三毒熾盛(しじょう)の人間を中心に考えることは実に愚かなことである。
 御法主日顕上人猊下は、このような池田教徒らの薄汚ない心根を、
 「要するに、彼等は仏様を認めたくないのです。仏たる実体を認めると、そこから正しい宗門の教学なり信仰に戻らざるをえなくなりますから、それをなるべく薄めて「我々衆生が中心であり、我々衆生が妙法であり、御本尊もそれを表すための道具に過ぎない」と言いたいのです」(『大日蓮』587号)
と喝破(かっぱ)され、さらに、
 「人間主義という語自体が既(すで)に大聖人様の大慈大悲を否定しているのです。(中略)人間主義という名のもとに、凡夫の三悪道等の考えを中心にすることは実に怖いことなのです。今の創価学会のあらゆる面から社会的に顰蹙(ひんしゅく)を買っておる姿、自分達の利得のためにはどのような悪行も辞さない姿を見ればお判(わか)りになると思います」
と、凡夫の心を中心として、仏法を私する危険性を指摘されている。
 以前、学会御用学者の松戸某が、人間主義を説く池田個人を宣揚する、つまり池田本仏論を成立させるという目的のもとに、『人間主義の日蓮本仏論を求めて』と『日蓮思想の革新―凡夫本仏論』なる悪書を巻間(こうかん)に流布させたことがあった。
 該(がい)書において「人間主義の立場と実践を池田氏の人格と振舞いの中に見いだし」「池田氏に体現される創価学会の理念と実践」などと放言していることからも、その目的が池田本仏論の成立にあることは明らかである。
 創価学会が、稀代の俗物・池田大作を仏に準(なぞら)えんがため、さかんに「人間主義」を吹聴(ふいちょう)しているのは、じつに滑稽(こっけい)極まりない。
 先に北朝鮮と学会の類似性を云々したが、北朝鮮の「大将軍」は見た目には実にシンプルな服装をしており、それと比較しても勲章お化け・ダイサクの人間離れした俗物ぶりは際だつ。
 案外、池田が「人間主義」を吹聴するのも、「早く人間になりたい」との想いからか?
 「俺たちゃ革命人間なのさ♪」信濃町の妖怪たちは、今日も人になれる日を夢見ているようだ。






「人間主義」破折


■「人間主義」破折1
(『大白法』H14.7.16)


 今般の創価学会問題が表面化した平成2年ごろより学会の機関紙誌に登場してきた言葉に「人間主義」がある。
 これを学会では「ヒューマニズム」と同義で使うことが多いようであるが、言葉自体が抽象的であり、その使われ方も様々で、意味するところがなかなか判りづらいのも事実である。
 そこで、学会はこの言葉をもって何を言わんとするのかを考えてみたい。

<新教義を構築するための「人間主義」>
 平成3年11月に宗門から破門された創価学会は、自らの正当性を裏付けるための新しい教義の構築が緊要の課題であった。
 そこで、まず、学会員でもある御用学者の松戸行雄に『人間主義の日蓮本仏論を求めて』(以下、『人間主義』と略称)や『日蓮思想の革新』(以下、『革新』と略称)という本を書かせて世間や学会員の反応をうかがい、そのあとで池田大作をはじめとする創価学会幹部が、それらの本に書かれている教義内容に沿って会員を洗脳していくという方法を採(と)ったのである。

<「人間主義」とは凡夫本仏論>
 「人間主義」という言葉について、松戸は、
 「人間主義仏法の根本的立場は、自行化他の題目を実践する私たちが凡夫の体そのままで南無妙法蓮華経の九界即仏界を体現する地湧の菩薩であるとする『凡夫本仏論』である」(革新 まえがき)
と述べ、凡夫本仏論が「人間主義」の根本的立場であるとしている。この凡夫本仏論を打ち立てることにより、池田大作を日蓮大聖人と比肩し、ついには超越させることをもくろんでいるのである。

<大聖人と肩を並べたい大作>
 末法の御本仏である宗祖日蓮大聖人と肩を並べることは、僭聖増上慢・池田大作の宿願であったに違いない。松戸は、大作の本音を代弁するかのように、
 「日蓮大聖人も法主も池田名誉会長も、そして私たちも全く同じ『人間』である(中略)大聖人だけが特別に神格化され、久遠本仏に祭り上げられる必要はない」(革新47頁)
と述べ、久遠元初の御本仏である大聖人を「全く同じ人間」と見下し、迷いの凡夫と同列に仕立てようとする。
 このように松戸によって地ならしがなされた上で、池田大作自身も、
 「仏とは、人間(凡夫)である」「人間(凡夫)こそ、仏である」(平成6年5月26日付聖教新聞)
と言い、凡夫本仏論を創価学会の教義として定着させていく。学者や著名人の論を利用しながら学会員を洗脳していく、いつものパターンである。

<大作が「人間主義」の王者?>
 さらに松戸は、
 「池田SGI会長は徹底した真の人間主義の王者だからこそ、会員はますます敬愛し、信頼し、共に広宣流布のために動くのである」(人間主義 まえがき)
と述べ、一方では大聖人を迷いの凡夫に引き下げながら、一方では大作を「人間主義の王者」と持ち上げ、大聖人をも凌(しの)ぐ偉大なる存在として、強く印象づけるのである。
 こうして、凡夫本仏論という新教義の上に、池田大作の教祖としての絶対的立場が築かれていくことになる。
 しかしながら、大作が、会内においていかに強大な権力を手にしようとも、あるいは外道の教えを信仰する人々から摧尊入卑(さいそんにゅうひ)の勲章や名誉称号をいくつもらおうとも、御本仏大聖人と肩を並べることはできないし、ましてや越えることなど、できるはずもない。
 私たちは、俗のなかの俗人である、「人間主義の王者」とやらの実像を、多くの学会員に知らしめていきたい。



■「人間主義」破折2
(『大白法』H14.8.1編集)


 この「人間主義」という言葉は抽象的で、その意味が判りづらいが、人間の生命や人格性・創造力など、人間性に根ざしたあらゆる価値を尊重するような意味合いを感じ、耳に触れる語感も心地よい。とはいえ、一般的な意味合いはともかく、実際に池田大作らが、いかなる意図をもって「人間主義」なる書葉を使用しているかが問題であり、それを検証しなければならない。

<創価学会至上主義>
 前回、凡夫本仏論という新たな教義の上に、池田大作の教祖としての絶対的立場を築かんとしていることを紹介したが、創価学会が「池田大作絶対主義」であることは衆目の一致するところである。たとえ自らの「規則」や「会則」で会長の権限を高らかに謳おうとも、すべてが大作の手のひらの上にあることは、社会周知の事実と言える。
 さらに、もう1つの特徴として「創価学会至上主義」とも言うべき、危険きわまる思想を持つことが挙げられる。本当に書いてあるのかどうか真偽のほどは疑わしいが、既に昭和32年7月の日記に、「学会は強い。学会は正しい。学会こそ、美しき団体哉」(平成14年7月17日付聖教新聞の社説)と書き記したという池田大作は、かつて、「2001年5月3日、広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい(中略)宗門の悪侶、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証としたい」(平成6年9月2日付聖教新聞)と述べて会員を煽動したことがある。憎悪の念を植えつけるだけでなく、反学会・反池田を唱える者に対しては、人間としての尊厳をも認めないという、非人道的な体質をあらわにした発言と言えよう。
 もっとも、このような悪指導は日常茶飯事で、聖教新聞の各紙面にごろごろしている。したがって、わざわざ挙げる価値もないところではあるが、大作はこのような悪言を繰り返し述べて、判断力のない無智な会員を洗脳しているのである。

<「人間」とは学会員だけ?>
 実際、数を頼んで日蓮正宗の寺院や法華講員宅に押し掛けては恫喝を繰り返してきたことや、機関紙などで連日のように誹謗の限りを尽くしている現実を見れば、池田大作らの言う「人間主義」が、ただの見せかけに過ぎず、創価学会至上主義を意味することが容易に見抜けるところである。
 つまり、大作らの言う「人間主義」とは、人間という言葉を使いつつも、けっしてすべての人間を指すのではなく、あくまで創価学会員だけを人間とするのであり、自分たちの思想や意見に従わない者は人間として見なさないのである。

<組織拡大の「旗印」>
 しかし創価学会は、そうした「池田大作絶対主義」・「創価学会至上主義」体質を、なるべく世間にさとられないようにしながら、平和運動や文化連動なるものを機軸として、さらなる組織拡大を図っている。その旗印として「人間主義」という、いかにも耳に聞こえのいい言葉を多用し、危険性のない、善良なイメージを演出しているのである。

<学会の本質を糾明していこう!>
 創価学会の言う「人間主義」は、法義的には凡夫本仏論を立てて戒壇の大御本尊と血脈相伝の仏法を否定するものであり、布教的には破邪顕正の折伏精神を忘れて振興の政治団体と化したことを象徴するものである。
 我らは「人間主義」の美名に隠れた、創価学会と池田大作の本質を断固として糾明し、徹底した破折を加えていかなければならない。