創価学会破折
変節する言動


歴史の改竄(かいざん)

変節する言動

変節する教義

『人間革命』改訂にみる学会の変節/『慧妙』H25.5.1ほか


歴史の改竄(かいざん)


 歴史を都合よく改竄(かいざん)する。これはいつの時代にあっても、独裁者が使う手口であり、近くは、お隣りの国の将軍様が、そのよい見本とも言えるが、やはり改竄といえば、あの男と比肩できる者は、まずいないだろう。
 宗教指導者を気取りながら、宗教の生命線でもある教義の改変から自分史の美化に至るまで、あらゆる嘘(うそ)と法螺(ほら)で塗り固めて、全く恥じることがない。そればかりか、自ら述べた言葉を180度変えるのも平気の平左。そう、似非(えせ)宗教家・池田大作である。(『慧妙』H17.3.16)


【小樽問答】
◆日達上人が、この小樽問答に臨(のぞ)まれておられたのである。しかも質問者のひとりとして学会と一体となり闘魂あふれるお姿で身延側講師を徹底的に追及されたのであった。私は学会側司会者として、その時、指名させていただいたのであるが、まことに勇気百倍の思いであり、永遠に忘れえぬ感激の一瞬であったことを申さずにはいられない(池田大作/『慧妙』H17.3.16)

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学会は戸田会長以下、法論に全魂、宗門は法論から逃げ回る(「歴史的な『小樽問答』の『その日その時』」『聖教新聞』H17.2.23取意/『慧妙』H17.3.16)
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「闘魂あふれるお姿で身延側講師を徹底的に追及された」日達上人のお姿に、「勇気百倍の思い」となり無事に司会を務めることのできた池田大作。そのありがたさは、「永遠に忘れえぬ感激の一瞬」であったハズだが、そうした真実も、全く別ものに変えられてしまう。これを世の中では、「改竄」と言うのである。また「感激の一瞬」を平気で誹謗の材料に変えてしまう―このような者を"恩知らず"というのだ。



【学会の対中国意識】
(『慧妙』H25.9.1)

<牧口の対中国意識>
彼にもし善隣友好の志(こころざし)があったとすると、創価教育学会の学会歌に、以下のようなキナ臭(くさ)い歌詞を含めたりはしないだろう。
◆八紘一宇(はっこういちう)肇国(はつくに)の御理想、今全く地球をつつむ(創価教育学会 生活改善同盟の歌)
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この中の「八紘一宇(全世界を統一し、一家のように和合させる)」とは、軍部の海外侵略を正当化するスローガンであり、善隣友好の対極にある思想である。牧口は軍部に阿(おもね)って唯々諾々(いいだくだく)とそれを学会歌に取り入れたのである。


<戸田の対中国意識>
次に、戸田の"日中友好"観であるが、戸田はそもそも中華人民共和国を正式国家として認めていなかった。むしろ敵対意識をもっていた。以下の戸田会長就任スピーチ(1951年)がその証拠である。
1◆いま大陸は、中共勢力の席捲(せっけん)するところとなり、また朝鮮にあっては世界の兵力集まっての戦乱であります。(『戸田城聖全集』第3巻)
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このスピーチは旧版『人間革命』の第5巻にも引用されていたが、「中共勢力の席捲するところとなり」の部分が新中国を否定、敵視するニュアンスであるため、改訂版では上記の文言を以下(2◆)のように書き換えて、ごまかさねばならなかった。


<池田の対中国意識>
◆2、3日前、イギリスの大使館の人が話を聞きにきました。4、5日前にはアメリカ大使館からも本部へきました。もうじき、ソ連と中共からもくることになっている。(笑)(S34.7.10)
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会長就任直前の総務時代の池田発言。蔑称を用いて中国をジョーク・ネタに使っている。

◆…、第4位中華民国 45世帯、第5位大韓民国 36世帯、…第8位中共 10世帯、第9位朝鮮民主主義人民共和国 4世帯、…(S35.8)
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池田会長就任後の『聖教新聞』に発表された、海外在住学会員の統計報告。報告者は森田理事であるが、当時の創価(池田)の対中認識が明確に見て取れる。

笑い話のネタに使われ、在外学会員リストに正式国名も載(の)せない。これが当時の池田創価における対中意識だったのである。さらに、当時の会員向け指導の中でも「中共」の語が飛び交っている。
◆中共などは何年来の大飢饉(ききん)です。やはり東洋広布の前提でしょう。(S36.4.22 中国総支部幹部会・土木殿御返事講義)
◆私どもの祖国は日本です。祖国ソ連でもなければ、祖国中共でもなければ、祖国アメリカでもありません。私どもの祖国は日本でしょう。(S37.6.2 中国総支部地区部長会・一昨日御書講義)
◆アメリカは、どんどん北ベトナムを空襲している。そのうちに中共も原爆を持って、どう応酬(おうしゅう)するかもしれない。(S40.5.28 倉敷会館入仏式・諸法実相抄講義)
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 「中共」は中国共産党の正式略称であるが、彼らが建国した中華人民共和国を指して「中共」と呼ぶ場合は蔑称となる。
 中華人民共和国は1949年に成立した。しかし日本政府(岸-佐藤政権)は、20年以上の長きにわたって同国を正式国家として承認せず、敵対的態度を取っていた。
 そして、同国を呼称する場合も、「中国共産党が不当に支配している国」というネガティブな意味合いと、反共感情を込めた「中共」の2文字を用(もち)いていたのである。朝日新聞を除く大新聞もこの"公式蔑称"を用いて中国関連記事を書いていた(ちなみに、今日この「中共」は放送禁止用語に指定されている)。この状況は日中国交回復が実現する1972年まで続いた。
 一方、そうした政府見解に反して、新中国(中華人民共和国)を正式国家として認め、国交回復運動に携(たずさ)わっていた日本の友好人士が少なからずいたが、彼らは同国を呼称する際に「中華人民共和国」あるいは「中国」と呼ぶのが常で「中共」と蔑称することなどあり得なかった。
 『人間革命』第5巻(1969年出版)で「中共」という蔑称を抵抗なく連呼していた池田大作は、当然、後者の友好人士群には属さない。
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ところが、近年、池田大作は著作やスピーチを通して、"池田や学会の日中友好姿勢は1968年の「日中国交正常化提言」から突如始まったものではなく、学会創立以来ずっとそうであった"かのように印象操作している。例(たと)えば以下のような具合いである。
◆私は戸田先生の弟子です。戸田先生も、また牧口先生も、日中友好を念願しておられた。私は、師匠の心の苦しみを知っています。(中略)私の『日中国交正常化提言』は、あらゆる障害を突破して、両国の青年のため、未来の友好を開きゆく、生命を賭(と)した挑戦であった。
 この思いはまた、私の青春時代からの信念でした。若き日より私は、中国をはじめ全世界に、絶対の信頼の「金の橋」をつくりはじめたのです。(延安大学「終身教授」称号授与式『聖教新聞』H20.5.13)
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中国延安大学からの来賓を意識して、"日中友好の信念の人―池田大作"を自己アピールしたスピーチであるが、よく臆面(おくめん)もなくこのような嘘(うそ)が語れるものである。

2◆今日、中国大陸では、いまだ混迷の様相を呈し、また、朝鮮半島にあっては、世界の兵力集まっての戦乱であります。(改訂版5巻P17)
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「中共勢力の席捲するところとなり」(上記1◆)の部分が新中国を否定、敵視するニュアンスであるため、改訂版では書き換えて、ごまかさねばならなかった。

◆(日中)両国の青年のため、未来の友好を開きゆく、……この思いはまた、私の青春時代からの信念でした。(池田スピーチ『新人間革命』)
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これもまた、彼の過去の言動と矛盾(むじゅん)しており、己れを美化した妄想を現実のように語る池田得意のレトリックである。

"青春時代から日中友好の信念"を持っていた人間が、相手国の正式国名を避(さ)けて、不快な蔑称で呼ぶようなことはすまい。
 『人間革命』第5巻に散りばめた「中共」という蔑称を、改訂版ですべて「中国」と書き換えたのは、そうした矛盾や過去の己れの不見識を隠蔽(いんぺい)するためだった、と言ってよい。



【言論問題】
◆……今回の問題は、あまりにも配慮が足りなかったと思う。また、名誉を守るためとはいえ、これまで批判に対してあまりにも神経過敏にすぎた体質があり、それが寛容さをかき、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。……今後は2度と、同じ轍(てつ)を踏んではならぬと、猛省したいのであります。……言論の自由が、幾多、先人の流血の戦いによって勝ち取られたものであり、……これを侵すことは民衆の権利への侵害であることを明確に再確認し、言論の自由を守り抜くことを私どもの総意として確認したいと思いますがいかがでしょうか(大拍手)(池田大作S45.5.3第33回本部総会/『フォーラム21』H14.12.15)

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◆(言論問題について)許せなかったのは、学会婦人部に対し、口を極めて侮辱したことだ。この点に怒ったのだ。政治評論家として名を売っている人が、真剣に宗教を持っている人にそこまで誹謗するのは許せなかった。……侮辱の作り話などに反発し、怒るのは当然だろう(池田大作『産経新聞』H13.9.19/『フォーラム21』H14.12.15)
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「婦人部に対し、口を極めて侮辱」などと言っているが、事実とは異なる。

悪質な人権侵害を繰り返す『週刊新潮』等のデマ雑誌には、声を大にして「買うな」と叫ぶことが正しい非暴力闘争だ。まさにデマ雑誌こそ、社会の根本を狂わせる一凶だ。ゆえに皆で「買うな!」「読むな!」「店に置くな!」「広告を出させるな!」と、猛然たる世論を興隆させるべきだ。(「破邪顕正」『聖教新聞』H15.5.31/『フォーラム21』H15.6.15)
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ここには、言論の自由に対する配慮は微塵もない。たとえ自らにとって耳の痛い批判的言論であってもこれを認めるのが言論の自由である。自らに批判的な言論の存在を許さないというファッショ的体質が滲み出ている。






変節する言動

―「過去の反省」反故の常習犯―

過去の自らの発言を平気で反故にする団体、それが創価学会である。例えば問題が表面化し、収拾がつかないと見れば、簡単に頭を下げる。宗門との第1次宗創問題(52年路線)のときがそうだったし、言論問題のときもそうだった。しかし、その反省や謝罪も本心からではなく、単なるポーズであった。


【政教分離】
 <衆議院進出>
 <選挙支援>
 <政党支持>

【勲章、権威、権力】

【平和】

【宗創問題】

【事業】

【墓苑】

【会館建設】

【財務】

【広告】

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<衆議院進出>
◆われらが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである。ゆえに、政治に対しては、三大秘法稟承事における戒壇論が、日蓮大聖人の至上命令であると、我々は確信するものである。(「王仏冥合(おうぶつみょうごう)論」『戸田城聖先生巻頭言集』P204)
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 昭和30年当時の発想であり、現在とは隔世(かくせい)の感があるが、要は、国立戒壇(明治期以降、他派が言い始めた王仏冥合の実現のための戒壇のこと。民主主義が徹底した現在においては用〈もち〉いられない)建立のために政界に学会員を送り出したというのだ。
 つまり、戸田氏は単純かつ純粋に「王仏冥合」実現のために選挙に臨(のぞ)んだということである。(『慧妙』H24.7.1)

◆衆議院には候補者を立てない(戸田城聖『週刊朝日』S31.7.29/『慧妙』H20.8.16)

◆わしの力あるかぎりは、断じて政党などやらんぞ(戸田城聖『総合』S32.9/『慧妙』H24.7.1)

◆創価学会は衆議院には出ません。なぜかならば、あくまでも宗教団体ですから。政治団体ではありません。参議院のほうは、これはあくまでもあらゆる団体の代表が出て、衆議院の方から回った、いろいろな法案というものを、厳正中立の立場で「これはよし、これはいかん」というふうに審議する立場ですから、これはかまわないわけです。各団体が出るところですから。(池田大作・中部総支部幹部会S35.6.10『会長講演集』第1巻86頁/『慧妙』H17.9.1)

◆われらは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒を進めるものではない。参議院ならびに地方議会等、その本質にかんがみて、政党色があってはならない分野に、人材を送るものである(池田大作『大白蓮華』S36.6/『慧妙』H17.9.1)
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「創価学会は政党ではない」から「衆議院にコマを進めるものではない」。この論理からいけば、今の学会は政党ということになる。確かに、実態は宗教政党である。( ̄― ̄)ニヤリッ
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◆公明政治連盟を1歩前進させたい。すなわち、公明政治連盟をば、皆さん方の賛成があるならば、王仏冥合達成のために、また時代の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。(中略)したがって、本日をもって、創価学会の政治部は発展的解消といたしたいと思うのであります。なぜならば、この10年間、わが同志である議員は、戦い、勉強し、一流の大政治家に育ってまいりました。恩師戸田先生も、時きたらば衆議院へも出よ、とのご遺訓があったのです(池田大作「第27回本部総会」S39.5.3/『慧妙』H17.9.1)
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池田は、政党を組織して、衆院選に進出する意思を表明する前に、「時きたらば衆議院へも出よ」という戸田城聖の遺訓を持ち出している。しかし、戸田はこうした言葉を残していないし、それは、生前の戸田の考え方と外れている池田は、師である戸田の考えを裏切ったことになる(宗教学者・島田裕巳著『日本の10大新宗教』幻冬舎新書/『慧妙』H22.2.1)

◆1967年1月 総選挙で公明党は25人を当選させ、「王仏冥合」や「国立戒壇」を成就すべく衆院に進出


<選挙支援>
◆最近、学会にこういうことをいってくる者がいる。「創価学会として応援してくれるだろうか」と。私は断じてしない。政治のための政治ではない。(S30.4.6『戸田城聖全集』第4巻275頁〜)

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安倍晋三首相(52歳)が都内の創価学会施設で池田大作創価学会名誉会長(78歳)と極秘会談していたことが明るみに出た。
 創価学会関係者によると、会談は9月22日午後2時から東京新宿区・信濃町の創価学会施設で行われた。
 「安倍氏が"常日頃、自民党をご支援いただきありがどうございます。神奈川16区と大阪9区の補欠選挙でもなお一層のご協力をお願いします"と頭を下げると、池田氏は"分かりました"と協力を約束した」(創価学会関係者)
 「この会談後、創価学会は"2つとも取れ!"と会員に大号令をかけ、とくに自民党候補が苦戦していた大阪9区については、自民党候補を全面的に支援した。公明党の北側一雄幹事長もほとんど選挙区に入りっぱなしで陣頭指揮をとりました。そのお陰で評判の悪かった自民党候補の原田憲治氏が当選したのです」(同)(『週刊現代』H18.11.11)

◆賛成派の中心人物の1人だった県会議員の安里進が語る。
 「自公連携の効果が大きかった。約千500票あると言われる学会票の大半がこっちに来たからね。もともと公明の女性市議は反対運動の先頭に立っていた人だから、住民投票のとき地元の学会は基地に反対だった。ところが市長選では学会本部から賛成に回れという指示が出たらしい。おそらく野中さんが自公連携を働きかけたんだろう」
 自民党沖縄県連の会長だった西田健次郎もこう証言する。
 「あれは野中さんがやったんだ。沖縄県連では当時は自公路線をとっていなかった。だけど学会が岸本支持で動いているのは感じでわかっていた。自民党本部から『公明批判はするな』という指示もたしか来ていたし、岸本陣営に旧公明党の国会議員も出入りしていたからね。学会中央が野中さんの要請で岸本支持を決め、自公連立に向けた1つの実験をやったんだろう」(『月刊現代』H16.2)


<政党支持>
◆これがためには、なまじっかの闘争では、けっして広宣流布はできない。そこで、この一端として文化部が創設され、文化活動のうちの政治活動が、最初に打ち出されたのです。
 このような文化活動は、私の理想からいうならば、全国で50数人の文化部員が、政治活動に参与しだしたということは、広宣流布の大闘争よりいえば、豆粒のようなものであります。
 ただ、ここに一言ことわっておかなければならないことは、文化部員の闘争は政治のための政治ではないということです。ある人は、そういうものならば、創価学会党というものができて、そこで広宣流布するのではなかろうかと考えるかもしれませんが、けっして政治のための政治ではありません。一党一派に偏するものではありません。文化部員のなかで、1人が社会党であり、1人は自由党であり、1人は民主党であり、なかには共産党がいても、いっこうにさしつかえないのであります。それは政治のための政治ではなく、広宣流布のための政治であるからです。
 この意味におきましては、このたびは、どうかじゅうぶんに悔いなき闘争ができるようにと、日夜祈っているしだいであります。(S30.3.27東京・星薬科大学講堂『戸田城聖全集』第4巻270頁〜)

◆学会は、公明党の支持団体ということになります。とうぜん学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由であります。学会は日蓮大聖人の御本尊を信奉する宗教団体であって、政党支持については、会員の自由意思にまかせ、まったく干渉するものではありません(池田大作S45.5.3第33回本部総会/『フォーラム21』H15.7.15)

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●86年に委員長を交代した。私が党首の座を手放したくないように言われたが、とんでもない話だ。(中略)「辞めるなら創価学会も辞めなければならないぞ」などといわれ、聞き入れてもらえなかった。(中略)7月の衆参同日選挙がすんでしばらくして、軽井沢で池田名誉会長に会った。「次の党大会で辞めます」「ご苦労さまでした」。初めてお許しが出た。(竹入義勝=公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.9.17/『前衛』H15.8)

「立正安国」、すなわち正法を根本とした平和と民衆の幸福の確立こそ、日蓮仏法の「根本中の根本」の目的だ。(秋谷会長『聖教新聞』H15.4.5/『フォーラム21』H15.4.15)
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この記事の前半の見出しは「兵庫長田区が大激闘兵庫区 京都下京区左京区も奮闘」とあるように、統一地方選挙で関西の各組織が「激闘・奮闘」していることを讃える内容となっている。その選挙に組織を挙げて取り組む宗教的根拠を創価学会は、「日蓮仏法の『根本中の根本』」である「立正安国」に置いているのだ。つまり、創価学会の活動の「根本中の根本」の1つが選挙運動なのである。それでも、「学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由」だと言い張るのであれば、"成仏できないけど、それでもいいなら選挙運動しなくてもよい"と言っているようなものである。

◆数日後、母に大きな変化が起きたのです。同室の患者さん2人で、学会、先生の悪口、お葬式に香典を持ち逃げされる等、母の耳に入りました。我慢も限界に達し、どうベッドから降りたのか、にじりよって、大破折。学会を、先生を守る命がけの大獅子吼です。呼吸困難の母にとって、どんなに大変だったことでしょうか。話すこと1時間、安静の母を制止することなく、廊下で看護婦さんも作業しながら聞いていたそうです。勢いづいて病室の7人に選挙の依頼ができ、その2人もいっさい、批判しなくなり、退院後、座談会参加の約束までしたとのことです。 不思議にも、正義を訴え抜いたその日より、鼻の管もはずされ、回復に向かい、1週間後、元気に退院することができました。 母の日に送った緑のサマーセーターでドレスアップし、80歳より広布の使命再びとの思いで、82と86歳のおじ夫婦の世話に、たった1人で急遽、長崎へ出発しました。 選挙は勝つよと、ベッドの上で弱音を吐いていた母が、人の面倒を見ながら、お金持ちのおじ宅より、電話をふんだんに使い、九州より埼玉の知人、友人に遅れてなるものかと、電話作戦を開始しているとの報告が昨日入りました(婦人部の副本部長・H10.6埼玉県下の婦人部地区担会/『フォーラム21』H15.3.15)
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選挙活動は、仏道修行であり、折伏と同じような功徳があると考えている。

◆ダブル選挙だと衆院の選挙区と比例区、参院の選挙区と比例区と4つの投票用紙を書き分けるよう「指導」しなければならない。比例は衆参ともに公明党と書くが、衆院小選挙区は選挙協力の保守新党候補を、参院選挙区は自民党候補を書くなんてことにもなりかねない。「高齢の学会員の中には、複雑すぎて対応しきれない人がでてくる」(公明党代議士『AERA』H15.7.28)
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本来、選挙は有権者個人の意思に基づいて行われるべきもの。そうであれば、組織から指示された候補名を必死で憶えて投票するなど、民主的な投票行動とは言えない。政教一致の組織選挙を会員に強いるから、このような非民主的選挙活動になるのである。

大聖人の門下であるならば広宣流布は折伏によって達成されなければならない。折伏の相手、すなわち破折の対象は邪宗であって、社会党や民主党ではない。なぜなら、宗教の正邪こそが人間の幸不幸を決定するからである。しかし、学会が公明党を結成したために、野党時代は自民党を攻撃(裏では繋がっていたようだが)し、自公政権下では民主党を不倶戴天の敵のように攻撃している。本来の広宣流布の姿からすれば、宗教の違いを問題にしなければならないはずだが、現実は支持政党の違いによって攻撃対象を決めているのである。これは折伏によって達成する本来の広宣流布の姿とは全くことなる。



【勲章、権威、権力】
◆いまの政治家は、やれ勲章をもらうとか、金をとるとか、また有名人は利己主義になって、自分の名だけ売って、金もうけするとか、めちゃくちゃの世界であります(中略)私ども創価学会員は、位もいらない、名前もいらない、有名でなくともよい、大臣もいらない、また権力もいらない(池田大作『聖教新聞』S38.8.3/『大白法』H20.9.1)
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ずいぶん立派なことを言っていたものだ。こういうことを言っていた人が、今、勲章をはじめ、あらゆるものを欲しがるのはどうしたことだろう。(『大白法』H20.9.1)

◆(※クーデンホーフ・カレルギー伯との対談で、"あなたはノーベル賞をもらえるでしょう"と激励され)そのような栄誉はほしくもありません。また、くださるといっても、受けることもありません。そのような人間が世界に1人くらい、いてもよいでしょう。(S42.10.13の対談)

変↓節

◆アルゼンチンから5月の大十字勲章をもらったが、これで7つ目である。これが妙法である。信心です。たった5ヵ月の間に3つの勲章(コロンビア・ブラジル)をもらった。(中略)5ヵ月間に世界の勲章を3つもらえる人は、これまで、1人もいなかった。議員でも何でもない私なのにだ(H2.5.3/『慧妙』H25.9.1)

◆すごい時代に入りました、ね!そのうちデェジン(大臣)も、何人か出るでしょう。もうじきです、明日あたり出るから。みんな、皆さん方の部下だから、そのつもりで。日本一の創価学会ですよ。(H5.8.8・第69回本部幹部会)



【平和】
◆古来、仏法は厳として平和主義を貫きとおしてきた。これは歴史の証明するところである。日蓮正宗創価学会は、絶対平和主義の教団であり、団体であることを、ここに宣言するものである。 どうか皆さま方は、それぞれの国の法律に従い、よき市民、よき社会人として、良識豊かに「一切法皆是仏法」との御聖訓をよくよく体して、模範の国民となることを念願してやまない。 我々は、暴力を絶対否定する。(池田大作S56.6.7『広布と人生を語る2』121頁)
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「絶対平和主義」「暴力絶対否定」の宣言の中で、「一切法皆是仏法」の指導を行っている。即ち、単なる空理空論ではなく、世法の中に「仏法」の「平和主義」を実現するために、この宣言はなされたはずである。であるならば、「絶対平和主義の教団」が作った政党もまた、いや世法を改革していく政党だからこそ「絶対平和主義」「暴力を絶対否定」をどこまでも追及していくべきである。

一切の暴力には、人間の尊厳にかけて反対です。(池田大作「SGIの日」提言『聖教新聞』H14.1.26)

変↓節

◆創価学会の指導者、池田大作名誉会長は先月26日、テロや大量破壊兵器問題などに関する提言を発表。「軍事力を全否定することは(略)、政治の場でのオプション(選択肢)としては、必ずしも現実的とは言えない」としつつも、「超大国(米国)の自制を切に望むのは、決して私1人ではないと思う」との見解を示した。(『YOMIURI ONLINE』030217)
◆それ(テロ)と戦うために、ある場合には武力を伴った緊急対応も必要とされるかもしれない。また、そうした毅然たる姿勢がテロへの抑止効果をもたらすという側面を全く否定するつもりはありません(池田大作「SGIの日」提言『聖教新聞』H14.1/『しんぶん赤旗』H15.3.19)
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「一切の暴力」「暴力を絶対否定する」と主張していたのに、テロと戦うためには「武力を伴った緊急対応も必要」だと言い始めた。この"無条件の暴力否定"から"条件付き暴力容認"への変遷によって公明党は米国のイラク攻撃を容認することになる。



【宗創問題】
◆ここ数年の宗門と学会との関係については、昨年6月30日『教学上の基本問題について』を発表し、同11月7日には代表幹部会を開き、恒久的な和合への学会としての基本路線を確認した。以来今日まで6ケ月の期間、こうした基本精神の徹底をはかるべく努力してきた。この徹底も一段階を経て、会長は過去に一切の経過の責任をとって、辞任を申し出ることになったものである。(『大白蓮華』S54.6)

◆この際、会長辞任とあわせて、私(池田大作)は22日、御法主日達上人猊下に法華講総講頭に辞任を申し出ました。これは、近年、御宗門との関係で、皆様に多大なご心労をおかけし、御法主上人猊下の御宸襟を悩まし申し上げたことに対し、過去の経過の一切の責任をとらせていただくものであります(『聖教新聞』S54.4.25)

変↓節

もう聖教新聞には堂々と書いてある。こんなことは初めてじゃないですか。創価学会始まって以来ですよ、堂々とやってんのは。10年前は堂々とできなかった。一言も言えなかった。それで失敗しましたんで、今度は堂々とやっている(森田理事長H3.3.18杉並ビクトリー勤行会/『大白法』H6.4.16)

今の宗門をみていると、結局、10数年前も同じね。あの時、学会は一歩譲って宗門のいう通りにしたけれど、あの時も学会は正しかった(柏原ヤス『聖教新聞』H3.11.26/『大白法』H15.2.16)



【事業】
◆班長さん、地区部長さんのなかには、ずいぶん利口な幹部もおりまして、学会もこれだけ大きくなったのだから、やれ、ああいうバス会社をつくったらいいではないか。ああいう印刷工場をつくったらいいではないか。そういうふうに、なにか売れば儲かるではないかと、いろいろなことをいってくる人がいるのです。(中略)そういうようにいってくること自身、その人に信心がないし、学会利用の根性があるのです。われわれも普通の人間です。いろいろなことはよく知っております。しかし、そういうことは全部厳禁して、あくまでも世界でただ1つ信心根本に、純粋のなかの純粋で、一切衆生を幸福にしようというのが、代々の会長の精神ではありませんか。-中略-悪い不純なことに対しては、いっさい戦っていく決心でありますから、いっしょに協力してくださいね(池田大作『聖教新聞』S38.1.27関西第2・3本部結成式/『妙教』H12?)

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●いまでは信濃町周辺を中心に、全国に書店、レストラン、寿司屋、パーマ屋、葬儀、結婚式場、中華料理、運送、保険、金融、旅行、バス会社、墓苑、建築、電気製品販売、マスメディア等多くの事業を展開しています。(原島嵩『妙教』H12?)



【墓苑】
◆本当のことをいえば墓地なんか全部、日蓮正宗で無料でやってもらいたいです。しかし日蓮正宗はご存知の通り貧乏です。創価学会を代表して、私は御法主上人猊下に全部御供養申し上げております。創価学会としては、そういう墓地の問題になんか絶対に手をつけません。全てお寺の問題であります。本山のことであり、宗門のことでありますから、その点は、はっきりしていって、全部御供養してございます(池田大作『聖教新聞』S38.4.2高尾墓園完成式/『妙教』H12?)

変↓節

●現在(2000年8月)、建設予定も含めて創価学会が所有している巨大墓苑は全部で11箇所。墓数を総計すると、約30万基ほどになる。(中略)1基当り平均60万円とし、30万基の売上とすると、2000億円の総額になる。(『創価学会財務部の内幕』小学館文庫)



【会館建設】
◆ほかの立正佼成会や天理教は、全部教祖がふところに入れて、さも立派そうな大聖堂だとか、やれ病院だとか、こんどは天理教あたりは7階建てとかで、地下4階の大きい本部をつくって、束京進出のビルをつくるとか、そんなことばかりやっている。悪い連中です。本当に悪いですよ。 じっさい、宗教に無知な人が多いですから、みんなにだまされて、カネを取られている。それで教団の勢力を張っているわけです。 私はこれから本部を造る。それからいろいろと東京や関西にも本部をつくって、第1本部、第2本部とつくってきておりますし、これからも準備もしておりますけれども、いっさい、皆さん方から永久に1銭もとらない、これが私の精神です(池田大作『聖教新聞』S37.4.16埼玉総支部地区部長会)

◆この建物は小さいけれども、我々の拠点であります。私どもは喜んで小さな拠点を造っているわけなのです。他の教団等においては、すぐに信者から金をしぼりとって、虚栄のため、商売のため、宗教企業のために人きな殿堂を作ります。私どもの会館建設にあたっては、会員の皆さんの負担とせず、新聞や雑誌の利潤を少しづつでも蓄積して作っていることを知っていただきたいのでございます。創価学会は形式的な大きな建物を、将来も排除していきます(池田大作『聖教新聞』S39.9.19/『慧妙』H19.6.1)
[画像]:昭和39年9月19日付『聖教新聞』=かつての池田は「拠点は作れども殿堂は造らず」と

◆学会は大きな戦艦のような建物はつくらないよ。全国の小さな会館が飛行機の役目をするのだ(池田大作『前進』S40.8/『妙教』)

変↓節

◆特別財務というのはね、各地の会館や研修道場などの総合整備計画に合わせて、その趣旨を会員にもご理解いただいて拠金をお願いしたものなんです。昭和49年から52年までの4年で(中略)合計6百数十億円になったと思います。(中略)それに、特別財務の状況や会館整備の進み具合などは各県ごとにきちんと報告しています(池田大作『週刊朝日』S56.4.10/『妙教』)



【財務】
◆学会の方針は、たとえば、4月に総会を開く、5月になにを開くといったふうに、必要な場合に応じて目的をはっきりいって、希望者よりその費用を集めている。ふだんは学会には金がない。これが学会の精神である。(『戸田城聖全集』第4巻119頁)

◆日蓮正宗を守っていくことは私どもの役目です。(中略)創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの1銭も寄付を願ったり、供養を願うような事はありません(池田大作『聖教新聞』S37.6.9)
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学会がお金を集めるのは日蓮正宗に寺院を寄進したり御供養するためで、学会としては1銭も受けていない(ならば、あの3千名からの膨大〈ぼうだい〉な職員・職業幹部達は、カスミでも食べて生きているというのでしょうか)、と宣伝してきたのです。(『慧妙』H18.2.1)

変↓節

◆正本堂の御供養。5年間であれだけ。10年間はあの倍。あの発表の外に百億はやった。又、かせぐよ(第44回社長会S46.1.26)
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 池田は、正本堂建立御供養(学会では、355億円が集まったと発表していました)においても、公式発表した以外に百億円を稼いだばかりか、宗門を恫喝して、納めた御供養の中からも13億7千万円を拠出(きょしゅつ)せしめています。
 さらには、今や年間2千億円以上を集金する狂乱財務。昭和56年には150億円だったものが、今では10倍以上。平成2年などは3千9百億円集めたといわれます。(『慧妙』H18.2.1)

◆昔から、ちっとも変わりません。ねッ。お金なんかいらないんだ。だれが、金なんか、貰うか!バカ馬鹿しい!!そーじゃないの!世界広布には、お金がかかる!いるんです!だから、出せ!!!つーのッ!出せッ!出せッ!!・・出せ!!!ねーッ。(略)私は、そー言います。出しなさい!ねーッ。だから、社長さんの奥さんに・・何言ってんだ!出せッ!!言ったんですよ。ねーッ。・・あんた、いくらやってんの!?・・・あんたハッキリ言えないんだったら、私が言ってあげる。今度の広布基金は100万出しなさいよ!!皆の前で言っておくから。ねッ。婦人部長は、ちゃんと、100万、取りに行って!(柏原ヤス・青森県内における婦人部指導会での御供養指導3/<自由の砦>WS)



【広告】
◆或る人は利口気にいう。布教に、ラジオを使うべきだ、テレビを使用すべきだ―と。
 何と、浅墓な言であろうか。俗にいう、PRなど、学会には、絶対に必要ないのだ。それこそ、多くの新興宗教の取るべき、悪質な企業宗教の手段にほかならない。
 正法は、断じて法を下げるような方法は取らない。取る必要がないのである。この座談会こそ、牧口会長以来の、学会の尊い伝統なのである。(『人間革命』第2巻)

変↓節

●'08年10月より「創価大学」の地上波テレビCMも開始している創価学会は、聖教新聞社と合わせ、提供番組が多い。今年はじめ、ローカル局に続き民放キー局も創価学会本体のCMを"解禁"するのではないかという報道が飛び交ったが、ここまで電波露出を積極的に進めてきたのは新宗教でも創価学会以外にない。(『宝島』H22.5


仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです(池田大作S33.9.14/『慧妙』H13.11.1)
●仏と申すは正直を本とす(『法華経題目抄』全集948頁)
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過去の言動を平然と反故にする池田大作は、稀代の大ウソつきである。彼のことだから「仏さまは、ウソをつかない」という言葉も、もう忘れてしまっているかも知れない。しかし「仏と申すは正直を本とす」という御金言までは否定しようもない。ということは、彼が「仏」でないことだけは、確かなようである。

●懺悔すれども懺悔の後に重ねて此の罪を作れば後の懺悔には此の罪きえがたし(『顕謗法抄』全集443頁)
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昭和54年に御本尊の前で懺悔したことまで、平然と反故にする池田学会。その罪は、未来永劫に消えない。






変節する教義

―邪宗の証明―
かつて学会は他宗について「本尊や教義がコロコロ変わるのは邪宗の証拠」と言って批判・攻撃してきた。しかし、今、その言葉が自分達を鋭く批判している。真実の教えであれば、本尊や教義は永遠不変でなければならないはず、「本尊や教義がコロコロ変わる」池田学会は、かつての自己に批判される正真正銘の邪宗教となったのである。


【大御本尊】

【教学】

【血脈】

【僧宝】

【寺院】

【勤行】

【折伏】

【謗法払い】

【塔婆】

【広宣流布】

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●邪宗でも広布を叫んでおりますが、肝心の御本尊がない。日蓮正宗には一閻浮提総与の大御本尊といって、世界中の人が信仰すべき根本の御本尊があります(『戸田城聖全集』2巻P203/『慧妙』H28.5.1)

◆大聖人のご本懐は一閻浮提総与の弘安2年10月12日の御本尊にあることは間違いなく(中略)これは世界唯一の本尊であり、日蓮正宗は最高にして唯一の宗教である。(『折伏教典』P218/『慧妙』H23.11.1)
◆わたくしたちは、無智な人人をみちびく車屋である。迷っている人があれば、車にのせて、大御本尊様の御もとへ案内して行くのが、学会の唯一の使命である。(『戸田会長講演集上』P31/『大日蓮』H18.7)
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破門された学会は、「迷っている人」を「大御本尊様の御もとへ案内して行く」どころか、自分達自身が大御本尊に参詣できない身となった。さらに平成14年、学会は、それまで会則・規則にあった「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本」(旧会則第3条)「本門戒壇の大御本尊を本尊とし」(旧規則第3条)との条文を削除した。池田学会は戸田学会の「唯一の使命」を捨て去ったのである。

御法主上人猊下をとおして大御本尊を拝しますれば、かならず功徳がでてくる(『戸田城聖全集』4巻P399)

◆なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。(『戸田城聖全集』3巻P490)

◆富士大石寺の大御本尊を拝まない者はすべて謗法である(『折伏経典』P314/『創価学会のいうことはこんなに間違っている』P240)

◆御本尊様は日蓮大聖人の生身と拝することです。その信心でなければなりません。(中略)御本尊を"物"と扱うようになった場合は罰をうけます。学会精神に反します。信心ではありません。(池田大作『大白蓮華』S39.8 P62/『慧妙』H26.3.1)

◆日蓮正宗創価学会の根本中の根本は、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることはいうまでもない。しかもその大御本尊は、日蓮正宗に巌然とおわします。そして宗祖日蓮大聖人より第2祖日興上人、第3祖日目上人と代々の御法主上人猊下が法水潟瓶(ほっすいしゃびょう)・血脈相承され、現在は、第67世日顕上人猊下に、いっさい受け継がれているである。ゆえに私どもは、日顕上人猊下の御指南を拝(はい)しつつ、正宗の伝統と法義をふまえながら、勇んでそれぞれの国で、それぞれの地域で、信心向上のための教学を研鎖(けんさん)し、おおいに広宣流布に邁進(まいしん)し、ていただきたい。(『広布と人生を語る』/『慧妙』H23.11.1)

◆我々が登山して、大御本尊を拝することは、そのまま日蓮大聖人様にお目通りすることであり、偉大なる功徳を享受(きょうじゅ)できることは言うまでもないのである。(中略)かかる絶対の大御本尊にお目にかかる登山会であれば、学会の登山会こそ、行事の中の最大の行事として、他のいっさいの行事に優先して行なわれているのである。(池田 S38.10.1/『慧妙』H23.11.1)

変↓節

もはや、御本尊は全部同じです(池田大作 S52.1 本部幹部会)

◆やっぱり、曼荼羅はいつかなくなっちゃう。物体だから(池田大作 H5.5.3録音テープ/『慧妙』H16.7.16)

◆本門戒壇・板御本尊、何だ!寛尊は「信心の中にしか本尊はない」と。ただの物です!(池田大作 H5.9.7録音テープ/『慧妙』H16.7.16)

◆分身散体の意義に照らして、弘安2年の大御本尊を書写した御本尊を正しい信心で受持することは、そのまま大御本尊の受持になります(中略)したがって、各家庭安置の本尊を拝することが、そのまま大御本尊を信受することになります(斉藤教学部長 H14.3.28 於全国総県長会議/<日蓮正宗>WS)

◆大聖人の仏法は、御本尊を信ずる「人間」を、一切の差別なく、最極の尊体と見る。全人類に平等の「世界宗教」たるゆえんがここにある。そして、この御本尊は、信仰者の"内"にあると示され、「全く余所に求る事なかれ」と仰せである。当然、「どこか」に行かなければ成仏しないというのは大聖人のお教えではない。(『創価のルネサンス』1巻P22/『慧妙』H23.11.1)

◆どこか特定の場所に参拝しなければ成仏できないという日顕宗のような誤った考えは大聖人の御本意ではありません。御書に、「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云ふなり。此を去って彼へ行くには非ざるなり」「我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ、常寂光土の都たるべし」と仰せのとおりです(斉藤教学部長 H14.3.28 於全国総県長会議/<日蓮正宗>WS)

 静かに読めば、矛盾だらけであることが明白だ。
 いまだ心ある学会員諸氏よ、まだ間に合う。1日も早く、本門戒壇の大御本尊の前に先業の罪を懺悔(さんげ)し、創価の苦海からの生還を果たすべきだ。

[画像]:学会員よ、かつての池田の指導を読み返せ!



【教学】
◆釈尊出世の本懐としての法華経を、今日において我々が理解するには、その予証どおりに出現して、これを実生活に証明された日蓮大聖人を信じ奉り、説のごとく実践躬行(きゅうこう)して価値を体験し、証得する以外に途(みち)はない。それをするためには、唯一の正統たる日興上人門流として、61世を重ねつゝある日蓮正宗の総本山大石寺の教義に従って、忠実純真に、三大秘法、すなわち法華本門の本尊に、法華本門の戒壇において、法華本門の題目を唱え奉る外には絶対にない。(略) 正法は正師につくにあらざれば、証得し能(あた)わぬとはこの意味である(『牧口常三郎全集』第8巻69頁/『慧妙』H15.12.16)
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この中の「正師」とは、すなわち第2祖日興上人と歴代の御法主上人である。学会ではこの「正師」とは日興上人のみである、と反論するのだろうが、牧口会長は「日興上人門流」と述べたのち「61世を重ねつゝ」と言っており、これが日興上人以来の歴代を指すことは明らかである。しかも、歴代上人によって伝えられる大石寺の教えに従って三大秘法を持つ以外に、法華経を理解する方法は絶対にない、と述べているのである。

変↓節

御書をそのまま研鑚し、信を深めていくことが、信心の要諦である。法主を通せ、などという権威の宗教とは対極にあるのが、宗祖の大慈悲である(『創価新報』H15.12.3/『慧妙』H15.12.16)



【血脈】
◆よく信心の血脈を問題にする者がいる。『生死一大事血脈抄』に「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」とある文をもって、信心さえあればよいとする立論である。誰でも自由に継承できるなどというのはこれだ(中略)有名無実の信心をふりまわして、付属相承を否定するは、総別の二義に迷惑し、師弟相対の深義に暗く自ら混乱を好む仕わざではないか(『大白蓮華』S41.9・35頁/『大白法』H18.11.1)
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しかるに現在の創価学会では「信心の血脈」などと囀(さえず)り、信心さえあれば日蓮大聖人の仏法の付嘱が受けられるかのように考えて、別付嘱である血脈相承を否定しようとしている。こんな恥知らずな教義改変でも、平気でできるのが創価学会なのだ。

◆[血脈の次第]=師から弟子へ伝える血脈の次第・順序のこと。末法における日蓮大聖人の仏法の血脈は日蓮一期弘法付属書(『身延相承書』のこと)に(中略)明確に示されているように、日蓮大聖人から日興上人へ伝えられた。また、日興上人から日目上人、日目上人から日道上人と、大石寺歴代の御法主上人に伝えられて今日に至っている(『新版仏教哲学大辞典』聖教新聞社・初版第2刷409頁)
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「次第・順序」のある血脈とは、まさに唯授一人の血脈であり、総付嘱としての信心の血脈ではない。

◆大聖人御入滅の後、唯授一人・血脈付法された第2祖日興上人は、大聖人の広大無辺の大仏法を、いささかも違えることなく、令法久住されることに無量の辛労をつくされた。以来、法灯連綿と730年の間、厳護されてきた法水は、御当代御法主日顕上人猊下に受け継がれておられる。御法主上人の御説法を拝しながら正しく信行に邁進しゆくことが大切なのである(『広布と人生を語る』第3巻297頁/『慧妙』H20.6.16)

◆現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の「遣使還告」であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである(『広布と人生を語る』第1巻230頁/『慧妙』H20.6.16)

◆日達上人御遷化の後、御当代御法主上人を非難している徒がいる。私は命を賭して猊下をお護り申し上げる決心である。彼らは、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤しておきながら、いまは手の平を返して、みずからがその根本を破壊しているのである。言語道断もはなはだしい(『広布と人生を語る』第3巻143頁/『慧妙』H20.6.16)

血脈否定こそは、日蓮正宗の根本教義の否定であり、究極の悪業ではないでしょうか。故にこれをいかに糾弾してもしすぎることはないものと考えます。その意味では、正信会の輩が血脈の否定にいかなる口実をかまえようとも、ことの本質は彼らの信心の根本の狂いにある。(H3.1.1付文書「『お尋ね』に対する回答」秋谷栄之助)
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これは、第2次宗創問題勃発後の公式見解である。文中「血脈否定」とは、正信会が唯授一人の血脈を否定したことを指す。学会自身、唯授一人の血脈を否定することを「日蓮正宗の根本教義の否定であり、究極の悪業」だとしていたのである。

変↓節

日蓮大聖人の全生命は、仏意仏勅の広宣流布を遂行する創価学会に流れています。創価学会という和合僧団を離れて、大聖人の血脈も、信心の血脈も絶対にありえません(池田大作『大白蓮華』H14.7)

「血脈」とは要するに「信心」であり、日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、究極の法である一大秘法の南無妙法蓮華経を唱え、異体同心の団結で広宣流布の実践に励む中に、万人に流れ通う(池田大作『創価新報』H13.5.21)



【僧宝】
◆ここで「僧宝」とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。(池田大作『聖教新聞』S53.2.26)

◆「僧宝」とは、正宗においては第2祖日興上人のことであり、また会長(※池田大作)も発言しているごとく、唯授一人の血脈を受けられた御法主上人貌下であらせられる。したがって、この正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはならない。また、広義においても、学会を「僧宝」という言い方はしてはならない。(S53.6.30「教学上の基本間題について」)

変↓節

厳密にいえば、歴代の法主は僧宝以下の立場。(池田大作『聖教新聞』H3.9.10)

仏法の基本である「三宝」は、歴代上人が御指南されているように、「法宝」は御本尊、「仏宝」は日蓮大聖人、「僧宝」は日興上人であり、三宝が相即する御本尊を拝し奉るのが、私たちの信心である。また日達上人が「代々の法主が日蓮大聖人ではない」と御指南され、歴代法主は僧宝以下の立場であることは明らかである。(秋谷会長『聖教新聞』H3.9.30)



【寺院】
◆我々は決して寺を遠のけとは言はない。寺を離れたら原理を失うことになり日蓮正宗でなくなる。是だけが正宗で他はすべて邪宗であります。(昭和17年「大善生活実証録」『牧口常三郎全集』第10巻145頁)

◆それで、寺ができた以上には、こんどはわたくしのいうことを忘れずにいてほしいのは、信心を基調にして、折伏することと、お寺をだいじにすることと、御本山へつくすことは、あたりまえのことなんだからね。それが、自慢のようになっては、もう、信者としては資格が無い。(戸田会長 S29.12.15 勝妙寺入仏式/『慧妙』H23.11.1

変↓節

我が国では、仏事や法事はもっぱら僧侶に依存してきた歴史がある・・・そうした風潮を打破したのが牧口初代会長(『聖教新聞』H15.7.10社説)

(牧口会長は)僧侶依存の信心の在り方を、寺信心、裏口信仰と痛罵(つうば)した。日蓮大聖人の教えを寸分違わず実践された初代会長にとっては、当然のこと(同)



【勤行】
◆もしも、東大病院で、朝の6時から7時までのあいだにきて、1時間、注射をすれば、かならず金持ちになるという薬が発明されたとしたならば、みんな朝早く起きて行くだろう。そしてもう、1時間でも2時間でも待って、注射してもらうだろう。そして、1年間やったら何十万でき、2年間やったら何百万、3年間やったら何百万、それがほんとうだという医者がいたら門前市をなすだろうと、私は思うのです。どうだい、君らも行くだろう。
 それを、東大病院に行かないで、自分の家ですわっていて、朝たった30分間のお勤めですむのです。汽車賃も、電車賃もいらないのです。いるのは、ロウソクと線香だけです。ずいぶん安い原料ではないか。資本としてはいちばん安いほうです。それを、モゴモゴいってやらない人は、バカだというのです。私がいうように、朝五座、晩三座の信心をきちんとして、断じて御本尊様を疑わないで、信心して。ごらんなさい。疑ったらだめです。(S30.8.13 新潟市公会堂『戸田城聖全集』第4巻330頁)

◆剣道の道場に弟子入りしたとします。朝100回夜50回、毎日かかさず棒を振れば上達すると教えられますが、朝は掃除、ぞうきんがけ、その他の雑用があって、朝は30、夜はまた用事があるので10ぺんぐらいしか振れない、それで上達するでしょうか、といっているのと同じようなものであります。たとえ15分でも、真剣勝負の気でやれば功徳はでます。あなたのようにほんとうに仕事が忙しかったら、仕事の合間をみて、また電車の中にいても勤行し、お題目を唱えなさい。これは読誦のうちの誦にあたり、同じであります。そのようにして真剣にやっていれば、朝の30分早く起きて勤行を完全にやろうとすれば、じきにそうなると思いますがどうですか。それをよいことに、怠(なまけ)けているようでは功徳はありません。(『戸田城聖全集』第2巻86頁)
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学会が「五座三座」を廃止した理由は"御書には記述がない"からだそうである。しかし、御書には"1回読めばよい"という記述もない。戸田会長は常々"教学は日寛上人の時代に帰れ"と指導していたが、「五座三座」は日寛上人の御指南でもある。

◆日蓮正宗においては、また学会の指導は、五座三座というが、自分は三座二座でいいではないか、などというのは懈怠(けたい)です(池田大作『会長講演集』第6巻219頁/『慧妙』H20.9.16)

変↓節

この本格的な世界広宣流布の時代の到来という「時」のうえから、方便品・自我偈による勤行について、正式な制定を要望する声が強く寄せられてきました。
 そこで、このほど、師範会議、総務会で慎重(しんちょう)に審議したうえ、「方便品・自我偈の読誦と唱題」による勤行を創価学会の正式な勤行として制定することになりました。(秋谷栄之助会長『聖教新聞』H16.9.10)


もともと日蓮大聖人の御書には「五座三座」という仰せは、ありません。御書には「自我偈少々」等とあります。五座三座というのは、大聖人の時代には、なかった。後世に僧侶の修行として行なわれるようになったものです(青木理事長『聖教新聞』H16.9.24)



【折伏】
◆さて、現在の日本の宗教をみるに、幾多の宗教がある。あるものは営業的であり、あるものは伝統の惰性に生き、あるものはこけおどしの祈祷(きとう)をおこなう等、どれひとつとして個人を幸福にし、安定させ、強き生命力を与えるものはない。
 しかして、かれらの布教にあたっては、自己の宗教に確信なきがゆえに、たがいに他の宗教を是認しあい、妥協している。
 もし念仏宗が、真言宗を認めるならば、念仏を広める必要はない、真言宗にまかせておけばよい。正しい宗教、最高の哲学というものは、1つしかないはずです。他宗で民衆が幸福になると考えるならば、自己の宗教を否定することもおこるではないか。どれもこれもが民衆を幸福にするとするならば、宗教に差別がいらないはずである。差別の世界におりながら、その差別をつきつめてみようとしないのは、卑怯(ひきょう)ものの宗教、あるいは怠惰な宗教といわなければならない。ゆえに、「かれらは妥協のうえに自己の宗教の繁栄をはからんとするものである」と断ずるのである。
 しかるに、わが日蓮正宗はそうあってはならぬと、日蓮大聖人様の命を奉ずるものである。
そのなかでも、われら学会員は、絶対に、忠実に、日蓮大聖人様の命令を遵守するものである。
 ゆえに、702年前、日蓮大聖人様が、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」とおおせられて、当時の宗教を否定し、邪宗邪義をうったごとく、われわれもいっさいの邪宗邪義をうって、妙法一途の日本となし、天下泰平(たいへい)の御代を建設せんとするものである。それはなにゆえか。妙法蓮華経でなければ、末法の衆生は救えないからである。
 そこでいま、われわれは広宣流布するにあたって、1人として味方はない。あらゆる宗教を敵として、邪宗邪義を撲滅しなければならぬことはいうまでもない。
 諸君!われらの前途が多難であることは、火を見るよりも明らかである。されば諸君は、御本尊様を信仰し、学会精神を愛し、しかして若き青年の力を養えよ。
 吾人は、前途多難に対して奮起を望むものである。(S29.10.31総本山大石寺『戸田城聖全集』第4巻218頁〜)

◆いま、現に民衆を不幸にしているあらゆる邪宗邪義、すなわち立正交成会(ママ)や仏立宗、念仏、真言、禅等の邪宗は、断じて許すことはできない。「あれもよいでしよう。これもよいでしょう」などとは、学会はいってはいない。断固として、世界の宗教界を相手にまわして戦っていく孤立無援の教団が学会であります。(S29.10.29東京・豊島公会堂『戸田城聖全集』第4巻216頁)

変↓節

◆SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して(中略)対話し、その解決のために協力していく(SGI第20回総会・H7.10.17※<SOKAnet>WSによれば「H7.11.13」/『大白法』H15.10.16)

◆創価学会の機関誌『大白蓮華』は3月号で、池田大作名誉会長と斎藤克司教学部長の対談を掲載し、「四箇格言」の読み直しを提唱している。 今回の対談では、各宗の態度が日蓮の時代と違うことを強調する。 池田氏は「当時の念仏宗は権力と結託し、独善的で排他的だった」としながらも、浄土教を「どんな疲れ病む衆生をも仏界の生命力で包み、絶対の安心感を与える」とする。「自力のみによる悟りの獲得と安住を説く」という「天魔」の禅は「自分の中に自分を変革する力のあることを信じ、それを実感していける」とされた。「呪術による現世利益を説く護国宗教」の「亡国真言」も「現実の変革に勇気をもって邁進していける」存在となった。(『朝日新聞』夕刊H14.8.1・2版)

◆日蓮か激しく他宗派を非難した背景には、新興教団を当時の有力教団が迫害した歴史的背景もある。斎藤氏は経緯をこう説明した。「創価学会にも、似たような事情から他宗派を反撃した過去がある。しかし、今後は攻撃されないかぎりは協調していきたい。そのために組織内の意識改革を狙った試論です。時代の変化を無視して今の世に「四箇格言」をそのままにしておくことは、かえってこちらが独善的と批判されかねませんから(『朝日新聞』夕刊H14.8.1・2版)
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大聖人の時代にも「独善的」という批判はあった。それでも大聖人は敢えて「四箇の格言」をもって折伏をされたのである。「攻撃されないかぎりは協調」これこそ、池田学会の対外的行動規範である。学会(就中、池田大作)を攻撃するかどうかが正邪の分岐点であり、邪悪=学会(池田)を批判する者は徹底的に瞋恚の命をもって攻撃するのである!

◆『聖教』(H15.6.19)が、今度はイスラム教とも「仲良し」になったことを大々的に報じている。1面には「仏教とイスラムの対話」の大見出しが踊り、「寛容」「多様性の尊重」などが「両宗教」の「共通点」であるから、両宗教が「協調すべき」なのだという。(『慧妙』H15.7.1編集)
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海外は摂受、という側面もあるが、基本は末法=折伏である。末法の衆生は例外なく"本未有善"であり過去に善根がない、だから三大秘法の下種仏法でなければ成仏できないのである。この点は、日本も海外もない。そうであれば、仏法上の正邪の峻別なくして布教はありえないし、真の平和も実現できないのである。



【謗法払い】
◆仏壇を焼くことはないでしょうが、ことは神棚だが、なにも神棚をこわさなくてもよいのです。あの上にあげてある社の中の神札さえ取ればよい。それを取るのも、こっちが手助けをして取らないほうがよい。「あなたが取りなさい」といって、「どうしても取らなければだめですか」「どうしてもだめです」といって、「どうしてもこれだけはこわせません」といったら、「それでは、半年なり、3ヵ月なりして、よく考えて、あなたが取れるようになったら信仰しなさい。それまでは御本尊様をさしあげられません」といって別れたほうがいい。
 それをしつこく「あなたが取らなければ、おれが取ってやる」、しかも勇ましいのになると「どうだ、このとおりだぞ」などとやる。そういう指導はしないでください。ひどいのは、ご主人の承諾なくして奥さんにやらせたり、それが夫婦げんかになり、御本尊様を焼いてしまう。そんなにまでして折伏して、御本尊様をそまつにしてはもったいないと思います。そのところを注意してほしい。また、身延などのニセのものを持って「これだけは先祖から伝わっているので焼けない」といったら、「それなら御本尊様をあげられない、それでよいなら大事にとっておきなさい」と、ポンとけって帰ったほうがよい。そうすれば、かえって自分で不幸になっていくものだから、そんなものはなにもならないから、自分で焼いて御本尊様を受けようと決心する。それが順当な謗法払いである。(S30.11.30 東京・豊島公会堂『戸田城聖全集』第4巻390頁〜)

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「謗法払い」については、あくまで原則どおり、本人処分であることには変わりはありませんが、御本尊を安置するための絶対的前提条件ではありません。謗法払いしてからでないと御本尊を安置してはいけないという考え方を変え、もっと幅広く、まず御本尊を安置し、拝み始める。そのうえで信心が深まって、古い対象物は置きたくなくなる。そうなってから、自発的に本人がそれを取り除くようにしてもかまいません。(中略)したがって、神棚や仏具等を取り除く必要はありません秋谷栄之助『聖教新聞』H9.2.11
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 これは御本尊を神札や阿弥陀仏などと一緒に祀ってもよいということで、この信仰のありかたは、天台大師や伝教大師が説かれた迹門熟脱の法華経の修行すなわち摂受です。
 末法の木門下種の仏法は折伏であることは、御書のどこを拝読しても明々白々のことであり、かつては創価学会が実践してきたことでもあります。
 創価学会が日蓮大聖人様の教えに真っ向から違背し、成仏できないことは明らかです。それでも「学会は日蓮大聖人の仏法を実践している」とうそぶいて、「日顕宗を折伏する」といっているのです。精神分裂症か、頭破作七分(ずはさしちぶ)か、一闡提(いっせんだい)か。あなたはどう思われますか。
 「謗法払いは必要ない」ということは、折伏を放棄して摂受になることであり、折伏を放棄した創価学会は折伏をする論拠も資格もないのです。(宗門作成パンフH13.5.3)
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「古い対象物」とは、邪宗の本尊などです。これを所持したまま曼陀羅を拝んでもよいというのです!こんな指導をする者に、信教の自由のない封建体制下の特殊の状況下における一時的な仏像安置黙認(第17世日精上人時代に、一部末寺に限って行われたとされる一時的化儀。安置されたのは邪宗の仏像ではなく、新しく作られたものであり、御法主上人によって開眼されたものであろう。また、当然、境智冥合の対境としてではなく曼荼羅本尊の両脇に安置されたものである。)を、謗法呼ばわりする資格はありません。



【塔婆】
◆塔婆供養の原理についていえば、人が死ぬと宇宙の生命に溶けこみます。色心の二法であるゆえに、この生命を塔婆という体を作って供養すれば、聞いた題目が生命に感じて業が薄くなり、苦悩を少なくしうるのです(『戸田城聖全集』第2巻・176頁)

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(※塔婆の功徳を述べた『中興入道御消息』について)当時は、念仏が書かれた塔婆が横行していた。そのなかで中興入道は、法華経の題目を塔婆に認(したた)めた。大聖人が称賛されたのは「題目を根本にした信心」なのである(『創価新報』H16.3.17)

供養収奪のための塔婆商法(『創価新報』H16.3.17)



【広宣流布】
◆今日、日蓮正宗創価学会がこのように発展し、短期間に正法流布の根を深く広くはることができたのも、日蓮正宗の伝統の根が深いということにほかならない(池田大作『広布と人生を語る』第1巻62頁/『大白法』H20.9.1)

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カトリックでも広めたら立派(学会本部職員で聖教新聞企画部副部長のH氏/『慧妙』H18.7.16)
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これは、学会幹部Hが法華講員との対論中、学会員ギャラリーの前で言い切ったことである(そうでないと言うならば、H自身が企画している機関紙を使って反論すべき)。思えば、創価学会の自慢は、その構成員を短期間に増やした(あくまでも過去形)という1点に尽きる。過去の布教の成果にしがみ付き、それだけを根拠にして現在乃至未来の正統性を頑(かたく)なに信じ込もうとする学会員は、哀れとしか言いようがない。

仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです(池田大作S33.9.14/『慧妙』H13.11.1)
●仏と申すは正直を本とす(『法華経題目抄』全集948頁)
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過去の言動を平然と反故にする池田大作は、稀代の大ウソつきである。彼のことだから「仏さまは、ウソをつかない」という言葉も、もう忘れてしまっているかも知れない。しかし「仏と申すは正直を本とす」という御金言までは否定しようもない。ということは、彼が「仏」でないことだけは、確かなようである。

●懺悔すれども懺悔の後に重ねて此の罪を作れば後の懺悔には此の罪きえがたし(『顕謗法抄』全集443頁)
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昭和54年に御本尊の前で懺悔したことまで、平然と反故にする池田学会。その罪は、未来永劫に消えない。

★ともあれ、かつての信仰の在り方や御相承の拝信姿勢と、現在の創価学会の路線が、180度転換していることは、誰の目にも明らかである。当の創価学会も、このような大きな矛盾に、気が付いていないわけがない。分かっていながら、厚顔にも、このような矛盾極まる主張を繰り返しているのである。
 裏返せば、このような愚論を言い続けなければ、屋台骨を保てない実状を顕わにしている、としか考えられない。
 いずれにせよ、創価学会は狂いに狂っている。(『慧妙』H15.12.16)