創価学会破折
日元上人誹謗粉砕



日元上人誹謗破折



日元上人誹謗破折

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日元上人は、"沼津の浅間神社"に御本尊を下附している。謗法厳誡を貫いた日興上人の御精神に照らした時、まったく言語道断ではないか。(『創価新報』H18.9.20または10.4)
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 沼津に数ある浅間神社のうち、日元上人の御本尊が御安置されている浅間神社のある一帯は「東井出」といい、代々大石寺の総代を務める井出家に連なる人の所領であった。しかも、目と鼻の先には、日蓮正宗の古刹(こさつ)の1つである蓮興寺がある。
 蓮興寺は、承応元年(1652年)6月8日、総本山第20世・日典上人によって再興されているから、それ以前のことも考え合わせれば、再興から百年以上も下った日元上人の御代には、一帯全てが日蓮正宗に帰伏していた、といえよう。つまり、この時期、この一帯はすでに広宣流布されていた、と見てよいのである。
 ところで日有上人は、『化儀抄』に、日興上人が重須に八幡の社(やしろ)を建立し、その中に御本尊を懸(か)けられた、と記されている。(『富士宗学要集』第1巻157頁)
 しかして日有上人は、その意義について、これは、広宣流布の暁には本門寺に八幡の社を建てるように、という手本の意味で建立されたものである、とされている。
 つまり、広宣流布の時には、神社を建立し、その内に御本尊を祀(まつ)ることは謗法ではないばかりか(むろん他の神体などと一緒に祀るわけではなく、あくまでも御本尊のみ)、むしろ、それがあるべき姿である、ということである。
 現に、かつて広宣流布がなされた大石寺周辺には、大石寺の歴代上人の御本尊が祀られた社が複数あり、その中には、日有上人に係わる社や、日寛上人の御本尊が祀られている社もあるのである。そして、かつて創価学会は、これらを「正しい祭祀(さいし)の伝統と誇りある先人の偉績(いせき)」と評していたのである。
 したがって、日元上人が神社に御本尊を下附されていたからといって、それを誹謗される謂(い)われはない。また、もし、後世の大衆のうちの信心薄き者が、そこに謗法の神体などを持ち込むことがあったとしても、それが日元上人の失などでないことも、もちろんである。
 それでも、"神社に御本尊を下附したことが謗法だ"とするのであれば、日興上人も、日有上人・日寛上人も謗法を犯した、と誹謗することになり、さらには、それを讃えた創価学会をも誹謗することになるが、『新報』よ、天に唾(つば)するつもりか?(『慧妙』H18.11.1)

※神社への御本尊御安置については、『妙観』平成3年9月15日号、『慧妙』平成5年5月1日号・平成10年3月16日号・平成12年11月16日号を参照されたい。

<大石寺周辺神社への疑難破折>参照。