創価学会破折
宗門への邪難粉砕


学会が大石寺総代を非難するなど片腹痛い/『慧妙』H25.11.1

邪宗の僧侶が参詣?/『慧妙』H14.12.16他

他宗参詣について/『慧妙』H13.9.1他

「偽装寺院」(韓国・釜山市)報道の狂態/『慧妙』H5.12.1

「宗門が大御本尊を私物化」などと誹謗/『慧妙』H26.7.1

日比野御住職誹謗粉砕
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正光寺問題
欺瞞に満ちた正光寺への誹謗/『慧妙』H17.8.16

正光寺への邪難粉砕/『慧妙』H15.5.16

正光寺誹謗/『フェイク』第443号
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妙證寺問題
妙證寺への邪難粉砕/『大白法』H14.12.16

妙證寺誹謗/『フェイク』第433号
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桜伐採問題
「桜伐採問題」総括

大石寺を「桜の名所」と誹謗する『フェイク』/『慧妙』H24.3.1

「桜」を巡る自家撞着/『慧妙』H23.1.16

"大石寺は桜を全て伐採"との嘘/『慧妙』H18.7.1

桜間伐を中傷した創価学会/『慧妙』H15.4.16

桜伐採問答/『慧妙』H15.4.1

テングス病の桜120本伐採(高知・筆山公園)/『高知新聞』H17.1.23
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禅寺墓地問題
LNK『禅寺墓地問題』について/『大白法』H11.10.16・H11.11.1=<妙音>WS

「禅寺墓地問題」破折
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大石寺周辺神社
大石寺周辺神社への疑難破折

地域広布の立場から大石寺周辺祠社の変革を考える/中西治雄『教学と私』所収・聖教新聞社発行S48/『慧妙』H5.5.1

大石寺周辺社への疑難を斬る/『慧妙』H12.11.16

怪文書犯は小学生からやり直せ!/『慧妙』H12.10.16

日本語も判らなくなった怪文書犯/『慧妙』H12.10.1

板御本尊と御影と金毘羅が同座!(金毘羅神宮)/<富士宮ボーイ>WS

理境坊檀家の信仰の対象は「八幡宮」/『フェイク』H12.10.19

今度は、日顕書写のお形木御本尊が半野八幡宮にも下付されていた!/<富士宮ボーイ>WS

熊久保神社への形木本尊の下附に多大な反響/『フェイク』H12.9.23



邪宗の僧侶が参詣?

(『慧妙』H14.12.16ほか)

法花宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧くる事有り之れを制すべからず、既に順縁なるが故なり、但し大小の供養に付いて出家の方へ取り次ぎ申して仏聖人へ供養し申せと有らば一向取り次ぐべからず、謗法の供養なるが故に、与同罪の人たるべし云云。(第9世日有上人『有師化儀抄』)
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信謗区別なき一般的のもので順縁とも云ふべきものであるから禁制に及ばぬと仰せられるのである(第59世日亨上人『富要集』第1巻156頁)


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平成6年には身延僧の大石寺研修が行なわれ、平成7年には池上本門寺貫首の田中日淳(日蓮宗管長)ら32人が登山して高野日海(尊能化)の歓迎を受けた(『フェイク』)
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そもそも、他宗他派の人間だから、ということを理由に、大石寺を見学に訪れた人間を追い返すようなことはすべきではないのである。すなわち、第9世日有上人が『化儀抄』に
●一、法華宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧ぐる事有り之れを制すべからず、既に順縁なるが故なり(第9世日有上人『化儀抄』/『聖典』993頁)
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と仰せになり、第59世日亨上人がこれを
●信謗区別なき一般的のもので順縁とも云ふべきものであるから禁制に及ばぬと仰せられるのである(第59世日亨上人『富要集』第1巻156頁)
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と解説されていることからも、それは明白であろう。
 よって、身延派の僧侶の大石寺見学を拒絶しなかった、というだけのことを、創価学会から非難されなければならない謂(い)われは、もとよりないのである。
 また日有上人は
●一、法華宗の法師は他宗他門の人に交わる時は我が人体の分程振舞うべし、懈怠すべからず、又卑劣すべからず(第9世日有上人『化儀抄』/『聖典』989頁)
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と仰せになり、日亨上人はこれを
1●「我が人体の分程」等とは、出世間にありては上人・老僧・中老・大衆・所化等の身分の次第、世間俗称にありては其父の公家武家の官位の次第より百姓に至る迄を云ふ。老僧なれば老僧らしく大衆なれば大衆らしく、父が大臣なれば大臣の子らしく田舎の下司武士なれば下司らしく身を持ちて、他門の僧侶と交際すべし。緩怠騎慢なれば不礼に当り、慇懃謙下に過れば卑劣に当る、何れも慎むべき事なり(第59世日亨上人『富要集』第1巻138頁)
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と解説されている。
 『フェイク』が"高野日海(尊能化)が歓迎"と騒ぐのは、高野尊能化が袈裟(けさ)衣を着して池上本門寺貫首一行を案内したことを奇貨としたものだが、日蓮大聖人の御正意に適(かな)った薄墨の衣と白五条の袈裟をつけられ、正々堂々と山内を案内された高野尊能化のお振舞いはまさに、日蓮正宗僧侶の襟度(きんど)を示されたものであり、日有上人の仰せにも適ったものであったことは、疑いようがないではないか。(『慧妙』H22.5.1)


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(平成6年11月5日に身延派の布教師会一行が大石寺の見学に訪れたことに対し)宗門が身延側に礼状を送った『フェイク』(第1107号)
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(平成14年)11月26日には法華宗の坊主集団が大石寺を訪れ、塔中を闊歩。もはや大石寺は完全に謗法の山と化した。(sf:ぼくぼうず No.3121)
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 聞くところによると最近の『ハエ叩き(創価新報のこと)』に、「大石寺を見学に来た邪宗の僧侶」云々という記事が、写真入りで載っているという。そこで、総本山の関係部署に伺ってみると、  「基本的に大石寺の見学は自由ですが、団体の場合は、あらかじめ見学願いを出してもらうことになっています。むろん、こちらの都合によって断わることもあります。なお、今回の件については、手紙による見学の申し入れはありましたが、こちらも多忙中でしたので、それっきり許可も出していなかったのです。さらに邪宗の法服のようなものを着ていましたので、注意をしてお引き取り願ったのです」
ということであった。真相は、何の問題もないことだったのだ!
 ここで疑問なのは、その人々の写真がなぜ『ハエ叩き』に載っているのか、ということである。ことによると、学会がわざわざその連中を総本山へ案内してきたのか…。
 いずれにせよ、邪宗の連中の後をコソコソと付いて廻わり、学会写真班が懸命に撮影していたことだけは、たしかだ。
 これが「仏法を基調とした大文化運動」の一環だとは、何とも惨(みじ)めでお粗末な姿ではないか。
 どちらにしても、総本山としては
 「邪宗の僧侶だろうが、ガッカイ員だろうが大差はない。少しでも正法に縁を結ぶがよろしい」
とのことであった。
 それにしても、何の問題もない普通の出来事を、いかにも重大問題であるかのように仕立て上げ、報道する、学会の異常感覚には今さらながら恐れ入る。
 この体質は、連日のようにメディアをにぎわせている北朝鮮に酷似(こくじ)している、といえよう。
 最近では、いわゆる「脱北者」が命がけの告発をしているが、これは、創価学会脱会者が「自殺に追い込」まれるほどの嫌がらせを受けつつ、学会の実態を告発したことと変わらない。これも「創価学会は日本の北朝鮮」と、密(ひそ)かに言われる所以(ゆえん)か。
 つまり、一連の北朝鮮問題の報道は、やがて日本で起こる池田大作問題を、聞き入れやすくするための「序」というべきものになるのかもしれない。
 ともあれ我々は、大聖人の
 「魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく『行解(ぎょうげ)既に勤めぬれは三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏(おそ)るべからず。之に随へば将(まさ)に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云云。比の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり」(御書986頁)
との御文を胸に、いよいよ広布大願へ邁進(まいしん)しようではないか。(『慧妙』H14.12.16)

[画像]:『創価新報』の捏造記事





他宗参詣について

(『慧妙』H13.9.1ほか)

●今日ある人は、まるで、他宗の寺なんかに寄ったらば、もう謗法だと言う。謗法の施を受けない、施を受けることはもちろんいけない、けれども勉強することもいけないということを言っている。それじゃ、あんまり小さい狭い考えにわたってしまって、それはいけない。だから大いに他処(よそ)を見て、その宝物でも書き物でも、どういう物でも、どんどん学生時代には見て研究しておくのが、非常に大事なことなんです。だから、身延へ講習会の生徒が1日見学に行くということが、非常に良いことなんです。身延に限らず、他にもあればよいんですけれども、この辺では、それまでは及ばないから、6期生が1日だけ見学に行くにすぎません。(中略)
 どんどん自由に勉強して、そして宗門の宗学というものを、きちんと立てていってもらいたい。どうか、そのつもりで今後とも研究していただきたいと思います(第66世日達上人S48.7.27第20回行学講習会閉講式/『慧妙』H13.9.1)

●学問修行の時は宗を定めざる故に他宗の勤め行事をなし、又他宗のけさ衣をかくる事一向子細なきか、宗を定むる事は化他門なり、学問修行は自身自行なるが故なり云云(第9世日有上人『化儀抄』・聖典983頁)
●但し物見遊山なんどには神社へ参らせん事禁ずべからず、誠に信を取らば謗法の人に与同する失(とが)あり云云(同987頁)
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 学僧の学問修行に必要な場合は他宗の行事に入ることをも可とされ、また、僧俗を問わず信仰的な参拝でなければ、他宗寺院を見学することも可とされているではないか。
 このように、本宗において、他宗寺院を学問の必要上から見学することは認められており、それは謗法ではない。(『慧妙』H19.6.16)



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>破折もせず、研修と称して謗法巡り
>日顕宗の所化連中は、引率していた大石寺の某理事、教学部の書記とともに、こぞって(本門寺の)その本尊に題目を唱えたのである
>本門寺貫首の法話を30分近くもありがたく拝聴=B貫首の機知に富んだ話に爆笑したり、うなずいたり
>連中にとってみれば、大石寺ではとても味わえぬ有意義な会座≠セったようだ
怪文書『石山だより』や『創価新報』(共にH13.8.15)
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 そこで本紙は、今回の「史跡研修」に同行された、大石寺理事・山崎慈昭尊師にお話を伺うべく、内事部を訪ねた。
 問題の記事を御覧になった山崎尊師は、
 「本門寺で合掌・唱題≠オたというのも、貫首の話をありがたく拝聴≠オたというのも、まったくのデタラメです」
と、失笑を禁じえない様子で、実際の状況を、以下のとおり詳しく説明してくださったのである。
 今回の「史跡研修」では、西山本門寺、身延山久遠寺、岩本実相寺、小泉久遠寺、そして北山本門寺を廻ったとのこと。
 もちろん、これは、あくまで各山の実態確認をする「研修」が目的であるから、先方に対しては、社会通念上常識ある態度で、節度をもって臨むように、との注意が、出発に際し、参加者に対してなされたことは当然である。
 さて、いざ各寺院を訪ねてみると、そのほとんどがどうぞお好きに見学してください≠ニいった対応であったが、なかんずく、もっとも丁寧だったのが北山本門寺だった。
 そして、対応した僧侶に案内され、本門寺の本堂に入った際、参加者数名が先方の法義解釈について問うたところ、案内の僧侶がこれに応じたのである。
 「『新報』が本門寺貫首の法話を30分近くもありがたく拝聴した≠ニ誹謗するのは、この時の対話を指してのことでしょう。
 対話の内容はもちろん、法義についてのことでしたので、立ち話ではなく、お互いに、きちんと正座して話をしたのです。
 もっとも、今回、我々が本門寺を訪ねた主たる目的は、あくまでも『研修』ですから、その点を弁(わきま)えての対話ではありましたが、その中には、有意義な内容がいろいろと含まれていました。
 それと、対応した本門寺の僧侶は、貫首ではありません。だからこそ、当方が発した質問に対し、相手が率直に応えた、という側面もあったのではないかと思います。
 しかし、外でコソコソ盗撮≠オていた学会員には、案内した僧侶が誰であったか、また、本堂内でどのような会話が交わされたか、などは知る由もなかったはずで、彼らが邪推してまとめた報告≠基(もと)に、学会が捏造記事を作り、臆面もなくそれを報じた、ということです。
 もちろん、本堂内で合掌したり、題目三唱した、などということは一切ありません。それらはすべて、学会の悪らつな捏造です。」
 日達上人の御指南にも則った、学問のための「史跡研修」――。ことに今回の「史跡研修」では、日蓮正宗と他宗との法義の違いを、他宗の僧との対話を通じて直(じか)に見聞するという、希(まれ)な体験もできた。
 しかし、こうした有意義な「史跡研修」も、ひとたび邪悪な創価学会の手にかかれば、前述のごとき「謗法巡り」ということにされてしまうのである。げに恐ろしきは、学会の謀略体質であろう。


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身延に参詣
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 これも全く的はずれである。日蓮正宗の僧侶も、時に学問の研鑽(けんさん)のために、他宗寺院に見学に行く場合がある。日有上人は、
 「学問修行の時は宗を定めざる故に他宗の勤め行事をなし、又他宗のけさ衣をかくる事一向子細なきか、宗を定むる事は化他門なり、学問修行は自身自行なるが故なり云云」(『化儀抄』・聖典983頁)
 「但し物見遊山なんどには神社へ参らせん事禁ずべからず、誠に信を取らば謗法の人に与同する失(とが)あり云云」(同987頁)
と御指南され、学僧の学問修行に必要な場合は他宗の行事に入ることをも可とされ、また、僧俗を問わず信仰的な参拝でなければ、他宗寺院を見学することも可とされているではないか。
 このように、本宗において、他宗寺院を学問の必要上から見学することは認められており、それは謗法ではない。(『慧妙』H19.6.16)





「偽装寺院」(韓国・釜山市)報道の狂態

(『慧妙』H5.12.1編集)

【『創価新報』(H5.11.3)の記事】
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ウソ日顕(上人)韓国では偽装寺院
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韓国信徒が独自に進めてきた集会所建設のことであり、「偽装寺院」などではない。

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このほど日顕(上人)がひそかにお隣の韓国・釜山市に新寺院建立を進めていた事実が発覚した。ところがこの寺院、当局には偽って”福祉施設”として許可を得ていたという。
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韓国信徒(しかも1991年6月までは、宗門と無関係)が、独自に計画したものであり、建築申請などを含む一切の事務手続きに宗門は関与していなかった。例えて言えば、学会の会館建設に宗門がまったく関与していなかったようなものである。

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福祉施設とはあくまでも表向きの名目で、実際には日本の宗教団体の寺院として使われるというのである。実際、宗門の韓国法華講『大韓民国正法日蓮正宗中央会』内部では、当初からこの建物をハッキリと「高麗寺」と呼び、別表のように着々と準備を進めていた。
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この時点での「高麗寺」とは、韓国信徒の集会所のことで、命名も寺院への憧れから信徒自身がつけたのである。

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日顕上人の采配によって「ウソの申請」を行い”宗教施設”への用途変更も住民の抗議によって頓挫を余儀なくされたかのように印象付ける内容。
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韓国信徒が独自に計画進行させてきたものであり、『新報』発行時点では”当局”である釜山市南区役所から「宗教施設」として正式に許可が出ていたのである。許認可の日付は1993年10月27日。

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>日顕(上人)が、この寺院を、韓国における広布破壊の拠点にしようとしていたことは明白である。
>日顕(上人)は自ら寺院計画の進捗状況を詳しく掌握しており、必要に応じて財政支援も惜しまず行っていたことも明らかになっている。(中略)まさに(日顕上人の)肝いりの事業であるといってよい。
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宗務院海外部が、初めて韓国のこの信徒組織と接触をもったのは、1991年6月になってからのことであった。当該信徒組織が、建物付き土地を取得したのが1991年8月であるから、計画は宗門との接触以前であったことは明らか。

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別表:1991年1月 宗門の韓国法華講「大韓民国正法日蓮正宗中央会」の信徒を激励して、新寺院の建立を至上目標とし、購入のための供養金を募る。
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 1991年1月の段階では、いまだ「大韓民国正法日蓮正宗中央会(以下中央会)」は存在せず、また購入資金を募った高麗信徒会も宗門が認めるところの法華講ではなかったのである。
 宗門としては、1991年6月に韓国信徒組織を認定したのであり、中央会の設立は1992年1月のことである。つまり「購入のための供養金を募る」という行為は宗門と無関係であった。


【『創価新報』(H5.11.17)の記事】
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>この日顕(上人)のシナリオを木っ端微塵に吹っ飛ばす破壊力満点の資料を本紙は入手した。
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などとうそぶき、尾林海外部長が1993年9月に韓国信徒に宛てたという文書を持ち出してきたのである。
>日顕(上人)が韓国寺院の存在を、完成してから知ったのではなく、あくまでも「建設」「竣工」の各段階から進捗状況を詳細に掌握していたこと、さらに積極的に「御指南」をするなど、具体的指示を行っていたことを証言している。
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「この建物の建設竣工に当たっては、御法主上人猊下の格別の御慈悲による御指南によって、宗門からの援助金と仏壇・仏具一式が用意されたのであります。」(尾林海外部長の文書)から以上のように結論付けた。
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 宗門は「韓国寺院の存在を、完成してから知った」などとは言っていない。建設計画は、当該信徒組織を宗門が正式に認める前から存在していた。その建物の一部を「将来における寺院的施設に使用していただきたい」との要請を受けたのは1992年8月のことであった。宗門からの資金援助も、信徒組織からの要請を受けた1992年10月7日以降のことである。
 「建設竣工に当たって」(海外部長の文書)とあるのは、建設資金援助を決めた時期が竣工間際であったとはいえ、まだ建設中のことであったためである。新報のいうように「『建設』『竣工』の各段階から進捗状況を詳細に掌握」していた訳ではない。


【これまでの経緯】
・昭和52年路線当時、韓国の創価学会の中から多数の脱会者が出る。

・だが、当時の状況としては池田大作が宗門に全面謝罪という形をとり、学会の問題は一応の収束期に入った。

・すなわち「海外の信徒組織の指導については、すべて創価学会インターナショナル(SGI)に一任する」という、以前からの学会と宗門との申し合わせは生きつづけることとなり、韓国の脱会者については、宗門として、認めるどころか、接触すらできない状況にあったのである。

・韓国信徒の寺院への憧れは強く、自らの会名に「高麗寺」「本門寺」と付け、集会所にも「高麗寺」という呼称を付していた。

1991年 年頭から始まった学会の大反逆が激化。

1991年1月 韓国信徒組織が集会所建設のために募金?(『創価新報』記事の基づく)

1991年3月 学会の再生に見切りを付けた宗門が、「創価学会との申し合わせを解消し、今後は直接、宗務院海外部が海外信徒を教化していく」という方針を打ち出す。

1991年6月 上記方針を受けて、宗務院海外部が、初めて韓国の当該信徒組織と接触、認定。

1991年8月 格好の建物付き土地を取得、その後、増改築工事に着手。

1992年1月 「大韓民国正法日蓮正宗中央会」設立。

1992年8月 韓国信徒の側から宗門に対して、完成後には建物の一部を将来における寺院的施設として使用していただきたい旨、申し出があった。

1992年9月末頃 韓国の経済情勢の悪化により建設資金に一部不足が生じる。

1992年10月7日 韓国信徒側から支援金要請の相談を受けた宗門は、不足金の援助を決定。宗門としては、ここで初めて建物に対する関与をされたのである。物件購入から約1年2ヶ月後のことであった。

1992年11月 開館式の日、宗教施設に反対する住民の抗議行動があった。その後の陳情もあって、南区役所が用途変更の手続きに慎重になった。

1993年10月27日 晴れて変更申請が許可された。その許可書には「用途変更は建築法の規定に適合するもので、建築物の用途変更を許可します」と記され、申請どおり4階建物の2,3,4階が宗教施設とされている。


★以上述べたことから明らかなように、釜山市のこの建物は、もともとの建設目的が集会所であった経緯からしても、学会から「偽装寺院」などといわれる筋合いはまったくない。





日比野御住職誹謗粉砕

―私的情報の不正入手は創価学会の御家芸―

日比野御住職に関する訴訟として当方が確認しているものは以下の4件である。
提訴事件名裁判所判決結果
9106宮田・宮川雄法事件最高裁991217●確定
9106宮川雄法地位確認事件徳島地裁920205○取下・確定
9401平井副会長・宮川雄法スパイ事件高松高裁991129○確定
9804日比野慈成名誉毀損事件最高裁030204○確定
○宗門側勝訴 ●学会側勝訴

このうち、学会が大宣伝したのが「宮田・宮川雄法事件」であり、学会流に言えば「徳島・盗聴裁判」である。


【宮田・宮川雄法事件】
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*「徳島・盗聴裁判」日顕宗側が最高裁で全面敗訴
(『月刊パンプキン』H12.3/SF)

日蓮正宗の僧侶が創価学会員宅の電話を盗聴していた。平成3年の事件で、さる12月、最高裁は正宗側の上告を棄却。損害賠償を命じた2審判決が確定しました。正宗は反社会的な“盗聴教団としてますます世間の指弾を浴びそうです。(取材・文 前原政之)
盗聴で得た情報を僧侶の“査問”に使う
 事件は、平成3年に徳島市で起きました。同市の日蓮正宗寺院・敬台寺の日比野慈成住職らが、調査会社に依頼し、市内に住む学会員Aさん姉弟宅(アパート)の電話を盗聴していたというものです。
 このアパートには、当時敬台寺に執事として在勤していた宮川雄法氏(現・日蓮正宗改革同盟/山口県大栄寺住職)もよく出入りしていました。当時は、学会と日蓮正宗の訣別に至った「宗門問題」の勃発直後。日比野らは、「学会寄り」と見なされていた宮川氏の動向を探り、敬台寺から追放する“ネタ”を探すために盗聴していたのでした。
 本山大石寺の中枢部・宗務院は、日比野の盗聴行為をたしなめるどころか、盗聴で得た情報をもとに宮川氏を“査問”にかけ、処分しました。
 その後、事件が明るみに出ると、盗聴被害者のAさん姉弟は刑事告訴し、同時に損害賠償を求める民事訴訟を提訴。調査会社の社長は懲役8月執行猶予3年の有罪判決を受け、日比野の意を受けて調査会社に盗聴を依頼した敬台寺の法華講副講頭も罰金刑を受けました。
 民事裁判の過程では、日比野、日蓮正宗とも醜い責任逃れをくり広げました。日比野は“自分は盗聴など依頼していない。依頼したのは副講頭だ”と主張し、正宗は正宗で、“事件は正宗とは関係ない”と主張して責任を回避しようとしたのです。
 しかし、裁判所はこの言い逃れを認めず、1審の徳島地裁が日比野の責任も認め、2審の高松高裁はさらに日蓮正宗の責任も認めました。高松高裁は、当時「南四国布教区宗務支院長」という宗門の要職にあった日比野が盗聴によって得た資料を正宗に提供し、宮川氏への人事権・懲戒権を行使したのだから、日蓮正宗には日比野の「使用者」としての責任がある、と判断したのでした。
 高松高裁が下した判決は、日蓮正宗・日比野・副講頭・調査会社の4者に対し、損害賠償金など計165万円の支払いを命ずるものでした。日蓮正宗のみは判決を不服として上告しましたが、最高裁は昨年12月17日、裁判官の全員一致でこれを棄却しました。
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御住職及び宗門は、一貫して事件への関与を否定している。また、本文を読む限り事件関与を裏付ける決定的証拠はないようだ。裁判官が、推定したに過ぎない。確かに、この事件だけをみれば、この裁判官の推定も当然かも知れない。しかし、この事件には―後に離脱僧となる宮川雄法が、学会幹部と密かに連携し、敬台寺において違法なスパイ活動(「平井武夫・宮川雄法スパイ事件」として宗門側が提訴)を行っていた―という異常かつ特殊な背景事情があったのである。このスパイ行為については既に司法の場で断罪されている。つまり、離脱僧・宮川雄法の不法行為=スパイ活動を前提として起こった特殊な事件なのである。このような状況下、事情をよく知る地元の信徒幹部が勝手に盗聴し、それを御住職に連絡した、ということは充分考えられることである。ともあれ裁判に誤審はつきものである。客観的決定的証拠がなければ尚更である。

**********組織的盗聴は学会の専売特許だ!!**********

【「盗聴事件」をデッチあげた創価学会】
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 日蓮正宗の阿部日顕法主が、べつの盗聴事件に関与していたとして訴えられています。正宗の信徒組識の1つ「妙観講」(大石寺理境坊に所属)が、やはり平成3年に東京・八王子の学会員宅を盗聴していた事件で、法主も関与していた疑いがもたれているのです。
 まがりなりにも世間で聖職者として扱われている僧侶による盗聴事件。しかもそれが1度ならず起こっていたことになり、日蓮正宗は反社会教団のそしりをまぬかれないでしょう。
(『月刊パンプキン』H12.3/SF)
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 「阿部日顕法主が」「関与」したという「べつの盗聴事件」とは、通称"波田地事件"と呼ばれるものであり、「盗聴」されたという「東京・八王子の学会員」とは創価学会本部職員で、聖教新聞社管理職の波田地克利である。この裁判は、元妙観講員の渡邊茂夫(数々の不行跡により、平成4年に同講を除名処分となり、平成13年には日蓮正宗からも信徒除名処分となる)が、創価学会怪文書作成班と結託(けったく)、「妙観講・大草講頭の指示により、総本山の塔中坊や末寺、宗教ゴロの梅沢十四夫宅、学会幹部の波田地克利宅などの電話を盗聴した」との狂言を構え、さらに「これは、小川只道尊師と大草講頭が共謀し、自分に命じて行なわせたものだが、決裁を出した最高責任者は日顕上人だ」などと大宣伝。それを根拠に、波田地らが、平成11年12月、「自宅の電話を盗聴され、通信の秘密およびプライバシー権を侵害された」として提訴に及んでいたもの。
 要するに、「べつの盗聴事件」とは、学会関係者によって法華講・日蓮正宗を貶(おとし)めるためにデッチ上げられた事件だったのである(記事参照)。



【池田創価学会側の"恒常的盗聴"認定】
―さいたま地裁支部判決―
―御講説法の「盗聴」断罪さる―

(『大白法』H14.10.1)

能安寺・水島公正住職の御講説法で、クロウ事件にふれた中の一部「失言」をとらえて、創価学会が水島住職らを訴えていた裁判で、去る8月28日、さいたま地裁川越支部は、創価学会側が恒常的に御講の説法を盗聴録音していたとの判決を下した。(記事参照

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このように、司法まで巻き込んだ狡猾で邪悪な学会による宗門に対する策謀が、執拗に繰り返されているのである。これに対抗すべく、止む無く「目には目を」ではないが、一時の正義感から逸脱行為をした信徒がいたとしても不思議ではあるまい。

これまでに実に150件以上の裁判が、宗門と学会の間で行われてきた。そのうちの8割がなんと学会側の訴えによるものである。学会側原告の裁判(119件)のうち、宗門が負けたのは13件に過ぎない(和解17、係属中41)。自分達が訴えたときは大々的に宣伝するのに、負けたときは頬かむり。『聖教新聞』しか読まない学会員は、さぞかし、学会が裁判で連戦連勝していると勘違いしていることであろう。さらにまた、悪宣伝目的のための刑事告発が74件(平成12年2月時点)もあったが、すべてが不起訴となっている。

ここではっきりいえることは、宗門攻撃のために司法を利用した執拗な策謀、組織のための犯罪、組織犯罪、組織を利用した犯罪、これらはすべて学会の専売特許である、ということだ。



【S45.5共産党委員長宅盗聴事件】
 創価学会が引き起こした盗聴事件としては、昭和45年5月の、日本共産党委員長(当時)宮本顕治氏邸の盗聴事件が有名。
 この事件は、当時、大問題となっていた、いわゆる「言論出版妨害事件」に関し、創価学会を徹底追及する共産党の動向を探ろうとして、学会が引き起こしたもの。
 当時、創価学会理事長であった北條浩氏の承認のもと、創価学会顧問弁護土であった山崎正友氏の指揮により実行された。(記事参照

●仮に本件(宮本邸)電話盗聴が、被告山崎の独断によるものであるとすれば、北條ないし学会は、被告山崎に対し不信感を持つのが自然であると思われるのに、逆に本件電話盗聴発覚後も被告山崎の学会内部における活動を認め、情報収集、分析にあたらせていることは、北條ないし学会が被告山崎の本件電話盗聴を積極的に評価していたことを裏付けるに足りるものである(東京地裁判決文/『慧妙』16.12.1)
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このように裁判所は、後に第4代会長となる北條浩の承認のもと、盗聴行為が組織的に実施されたものであると判断した。この判決は確定している。



【裁判(共産党委員長宅盗聴事件)で認定された学会関与の盗聴事件】
―東京地裁の判決文/(『慧妙』H16.12.1)―
被告山崎は、昭和47年以降、学会ないし北條から資金等の提供を受け、被告廣野、同竹岡、同北林らを指揮して、少なくとも次のような情報収集活動を行った。

(ア)日達上人と浅井父子との、妙縁寺における会談の盗聴
(イ)秋谷、原島、被告山崎と浅井父子らとの、常泉寺における7回にわたる対決討論の盗聴
(ウ)妙信講に対する内部情報収集活動
(エ)立正佼成会に対する内部情報収集活動
(オ)学会と対立関係にあった松本勝彌に対する内部情報収集活動
(カ)学会批判者の拠点である妙本寺における内部情報収集活動



【敵対者の通話記録盗み出し】
―通信記録窃盗に有罪―
―創価大グループ事件で東京地裁―

(『しんぶん赤旗』H16.12.29)

 創価大グループによる携帯電話通話記録不正入手事件で、電気通信事業法違反罪に問われた創大出身でドコモシステムズ元社員嘉村英二被告(28)=名古屋市中川区=の判決公判が28日、東京地裁で開かれ、波多江真史裁判官は懲役10月、執行猶予3年(求刑懲役10月)を言い渡しました。判決を受けて、被害者らは「民事訴訟などで事件の全容解明をめざす」との声明を発表しました。
 嘉村被告は2002年3-4月、NTTドコモの端末を操作し、創価学会と対立する男女2人の通話記録を不正に出力したもの。被害者の女性らが東京地検に刑事告発していました。
 波多江裁判官は「通信の秘密は憲法で保障された基本的人権であり、犯情は悪質」とし、動機は「個人的興味」とする被告側主張は「信用しがたい」と指摘。しかし同被告はすでに別件の通話記録不正入手で02年11月に有罪判決を受け、今回の事件はその「余罪」だとして執行猶予をつけました。
 02年の裁判では嘉村被告と彼に犯行を指示した創大副学生課長(創価学会全国副青年部長)ら3人が有罪になっています。
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<背後の解明が必要>
―被害者側が連名で声明―

判決後、被害者で告発人の福原由紀子さん(学会脱会者)、告発人の佐藤せい子さん(日蓮正宗妙観講副講頭)、被害者の乙骨正生氏(ジャーナリスト)が連名で声明を発表。「私たちと嘉村被告には何の接点もなく、動機や背後関係の解明が絶対に必要」「民事の提訴を含めて全力を尽す」として、支援を求めました。



【法華講員宅・日顕上人宿泊先にも盗聴器!?】
―今度は携帯電話の通話記録盗み出し!―
(『慧妙』H16.12.1)
 こうした観点より見たとき、創価学会員の関与を疑わざるをえない盗聴事件が2件、これまでに発覚している。
 それは、平成4年11月12日に発覚した、妙観講幹部宅に繋(つな)がる電柱のブラックボックスから、電話盗聴用の発信器が発見された事件と、平成10年3月7日日顕上人が宿泊されたホテルの部屋かから、2台の高性能発信器が発見された事件である。
 周知のように、理境坊所属妙観講は、平成2年暮れに今回の創価学会問題が勃発して以降、本紙の前身の1つである『妙観』紙等を用い、創価学会の非を徹底的に糾(ただ)してきた法華講中である。
 あの、創価学会による写真偽造の事実が裁判所によって認定された「芸者写真裁判」も、元をただせば、『妙観』紙が『創価新報』の写真偽造疑惑を子細に検証し、大々的に報じたことに端を発している。
 言うなれば妙観講は、創価学会にとっては、何としても目障(めざわ)りな敵なのである(ちなみに、嘉村によってNTTドコモ内の記録にアクセスされた女性法華講員のうちの1人は、妙観講副講頭・佐藤せい子氏である)。
 そして、申すまでもなく日顕上人は、創価学会の再度の謗法化を厳しく指摘され、ついに創価学会と池田大作を、日蓮正宗から破門ならびに信徒除名に処した御方である。
 されば日顕上人こそ、池田大作にとっては不倶戴天(ふぐたいてん)の敵、学会を挙(あ)げて怨念を募(つの)らせている相手といえよう。
 このように、創価学会と敵対関係にある法華講の幹部宅の電話と、創価学会を破門した日顕上人の宿泊先の、2箇所から発見された盗聴器―。この2つの事件は、いずれも実行犯さえ捕まっていないが、それぞれ極端な利害関係先は、創価学会以外にないため、学会員の関与が疑われたのである。
 しかして、今回のNTTドコモ通信記録盗み出し事件は、こうした数々の盗聴事件の延長線上に、よりリスクの少ない犯行(盗聴ではないから、盗聴器が発見される恐れはなく、会話の内容までは判らなくても、誰と誰が連携しているか、を知ることのできる手口)として発生したものである。
 我々は、これまでに学会が犯してきた通信の秘密の侵害行為を風化させることなく、今後も、学会の違法性を監視していかねばならない。


「宗門側が盗聴に関与」したと誹謗する創価学会だが、徳島での事件は、脱落僧・宮川雄法が学会幹部と結託してスパイ活動を行っていたことをつきとめるために止む無く行ったものである。それに対して、学会はどうか。組織的恒常的に不正に敵対者の私的情報を入手してきたのである。しかも、その目的は、相手の行動を絶えず監視し、機関紙や裁判等で攻撃するためである。情報の不正入手といっても、動機といい、常習性の有無といい、学会の悪質性は他に比べるものがないほどに群を抜いている。







正光寺問題

欺瞞に満ちた正光寺への誹謗

(正光寺支部・細倉敬子副講頭『慧妙』H17.8.16)

 先般、8月3日付『創価新報』11面に、「"13年後"の本堂建て替え口実に正光寺(山梨・甲府市)が勝手なカネ集め」「"振り込め供養"そっちのけ」との見出しで、あたかも我が正光寺が、13年後の新本堂建て替えを口実に、「日蓮正宗護持弘宣(こじぐせん)資金特別御供養」を無視して正光寺法華講員から供養収奪(しゅうだつ)をしているかのような中傷記事が掲載されました。
 この記事内容は、実に稚拙(ちせつ)な作文で取るに足らないものでありますが、あまりにも事実と違い、反対勢力を徹底的に陥(おとしい)れる創価学会の謀略体質を露(あらわ)にしたものであります。
 そこで、事実に則って、少々反論を述べさせていただきます。
 我が正光寺は、昭和33年12月に建立されて以来、御歴代の御住職様方が、時代にあわせて増改築および修理を加えて維持管理に努めてこられましたが、時の経過とともに、寺院建物の老朽化による不具合や、心配される地震による倒壊の危険性、信徒の増加による建物の狭隘(きょうあい)などの問題が生じてまいりました。
 また、重ねて甲府市による「都市計画道路」の案により、正光寺前の道路が、、早い時期から整備対象になっておりました。
 今般、着手時期を平成18年より平成27年の間に実施するとの計画概要が発表され、正光寺境内の一部もこの道路に掛かり、今後、寺院建物をどのようにしていくのか、考えなければならない時期でもあったのです。
 そこで今回、これらのことを解決していくには、建物を堅牢かつ機能的なものとして新築する以外にない、との結論に至り、過日、支部総会で発表したものであります。
 ちなみに、甲府市の「都市計画道路」には、創価学会大幹部宅の土地建物も一部掛かりますので、この件に関しては、学会幹部も熟知していたはずであります。
 そうした意味からも、創価学会がこの計画を知らないということは決してありえません。
 ところが『新報』は、正光寺への誹謗中傷のために、この新道路整備計画の件は一切隠して、「(正光寺が)供養収奪のために言い出したとしか考えられない非道な所業である」などと言い、さらに、我が講中が「日蓮正宗護持弘宣資金特別御供養」を軽視しているかのような言葉を羅列(られつ)し、御宗門に対して悪い印象付けをしようとしています。
 また、『新報』では、「それにしても、来年や再来年の話ならまだしも、"13年後"の本堂建て替えとは一体、どんな料簡(りょうけん)か」と揶揄(やゆ)していますが、そもそも、13年後の平成30年は、正光寺創立60周年という大きな歴史の節目に当たります。この時に向けて正光寺信徒が、新本堂の建立を目標に進んでいくことは実に自然な流れであり、それを取り沙汰して批判する『新報』の真の狙いこそ「どんな料簡か」と、逆にお尋ねしたいものであります。
 正光寺法華講には、御供養の何たるかも理解できない大謗法団体・創価学会に、いろいろ言われる筋合いは一切ありません。
 これまでも創価学会は、こうした卑劣な謀略手口で、学会にとって都合の悪い者に対しては、手段を選ばず陥(おとしい)れ続けてきました。
 このおぞましい謀略体質こそ、邪教の邪教たる姿であり、まさに、創価学会の最高指導者の品性そのものであると思います。
 私たち正光寺法華講は、このような悪辣(あくらつ)な誹謗中傷に一歩も引かず、さらなる折伏と寺院外護に精進してまいる決意です。





『フェイク』記事に反論

(正光寺住職・島田靖道御尊師『慧妙』H15.5.16)

 今般、創価学会関係者が発信元といわれる『フェイク』第443号(平成15年5月5日付)が各所に配信され、その中に、当・正光寺と正光寺法華講に対する誹謗(ひぼう)中傷記事が書かれておりました。
 もとより『フェイク』なるものは、出所不明の怪文書ですので放置しておいてもよいのですが、嘘と悪意に満ちた内容ゆえに、それを信じる多くの学会員らが、真実を知らずに、さらに正法に迷うことになるのは、あまりにも慈悲のないことと思い、筆をとらせていただいた次第であります。
 同文書によると、当・正光寺法華講の小池一彦講頭は「御講にもほとんど姿を見せなくなっており」、細倉敬子副講頭については、「行方不明になっている」そうで(したがって、寺院にも来ていない、と思わせたいのでしょう)、また、笹本久美子副講頭も「あまり寺に顔を出さない」とのことで、あたかも、この三氏の寺院参詣の足が遠くなっているようなことを述べております。
 そして、「正光寺は前住職が白蓮院に移った後、島田という坊主が入っているが、講中の幹部がこの有り様だから、寺の衰退ぶりは目を覆(おお)うはかりだ」と、あたかも、私が正光寺住職として赴任してから、住職と役員の関係がうまくいかず、講中役員は寺院に参詣しなくなり、講中は惨憺(さんたん)たる状態であるかのような言い方をしております。
 しかし、わが正光寺法華講は、御法主日顕上人猊下の御指南のまま、平成21年『立正安国論』正義顕揚750年を目指し、広布唱題会、御報恩御講の参詣者の啓蒙(けいもう)を図る中、唱題を根本に、折伏、座談会、家庭訪問にと、講中一丸となって、日々精進しております。
 また小池講頭は、昨年12月に私が正光寺第5代住職として赴任以来、御報恩御講にはすべて参詣され、本年より開始された毎月第1日曜日の広布唱題会においては先頭に立って唱題をし、前御住職の時に引き続いて折伏弘通の陣頭指揮をとっております。
 また、細倉、笹本両副講頭も、寺院行事の参詣や講中行事の参加を率先して行なっていることは勿論のこと、講中運営のための事務的な仕事をお願いしている関係から、毎日のように、私と連携を取り合っております。
 小池講頭を先頭に、講中が一丸となって取り組んだ本年4月20日の第11回支部総登山は、今までで最も多くの方々の参詣をもって、無事、報恩感謝と歓喜に満ちた支部総登山とすることができました。
 これもひとえに、御法主上人猊下の大慈大悲は申すまでもなく、過去10年間にわたって正光寺法華講を薫育し、発展に努めてこられた前御住職・夏井育道御尊師の御指導の賜(たまもの)であると、感謝申し上げる次第でございます。
 正光寺法華講は、今回の誹謗記事をさらなる講中発展への激励と受けとめ、6年後の『立正安国論』正義顕揚750年に向けての御命題達成を目指し、御法主上人猊下の御指南にお応えできる講中の構築に向かって、日々精進してまいる所存でございます。
 賢明なる読者の皆様におかれましては、悪辣(あくらつ)で謀略的な手口を使う団体については、重々御承知のこととは存じますが、ここに一文を認め、ことの真実を伝えさせていただきました。
 末筆ながら、貴紙のますますの御健闘と、読者の皆様方の御健勝を心よりお祈り申し上げます。




*正光寺誹謗

(『フェイク』第443号H15.5.5/sf:3789抜粋)

 正光寺(山梨県甲府市)の法華講員で小池一彦、笹本某と並んで三悪人の1人と言われる細倉敬子が役員をつとめていた実家の「細倉建設」も、このほど破産した。4月14日昼過ぎに「会社破産」の張り紙が弁護士名(共産党)で出された。負債額は2億1千万円。
 敬子の妹が社長で、個人としても「自己破産」と書いてあり、母親と敬子も行方不明になっている。なお、正光寺の講頭・小池は御講にもほとんど姿をみせなくなっており、インチキ商法で知られる呉服屋は破産寸前とか。
 笹本も最近、あまり寺に顔を出さない。正光寺は夏井育道が白蓮院に移った後、島田という坊主が入っているが、講中の幹部がこの有り様だから寺の衰退ぶりは目を覆うばかりだ。








妙證寺問題

妙證寺への邪難粉砕

<学会の邪説>
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>(※平成14年)12月7日は東京地方にも久し振りに雨が降り、急激に寒くなった。これは二十四節気の1つ「大雪」のせいばかりではなく、雨坊主・日顕が東京都北区滝野川に来ていたからだ。日顕の金庫番をしていた石井信量(以前は大石寺・蓮成坊住職)が不正蓄財疑惑で管財室担当をクビになり、大石寺から東京に移って建てた「実修山妙證寺」の落成法要のためである。
>狡猾な石井は、平成11年から15年まての5ヵ年計画で3億円の寺院建設費の供養集めを推進。供養の単位は「1口千円で1人が何口でも可」として集金。その趣旨は「平成14年の30万登山を目指して折伏に励み、講員数が倍増するとき、その道場となる寺院の建立は私達にとって大きな使命である」と謳っていた。だが、講員数は倍増どころか、減る一方なのに寺だけか完成。石井は講員の倍増など当初から念頭になく老後の住家を作ることが目的だったことは明々白々。集めた供養も贅沢を楽しむための資金で、寺の建設費は金庫番当時の不正蓄財を使ったのではないかと、専らの噂である。
(『フェイク』第433号/sf:No.3024)
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<破折>
【日顕上人御説法】

 当妙證寺は、先般、移転前の場所において寺号公称いたしましたが、その際、山号を「実修山」と付けたのであります。
 これは、初代講頭・堤実吉氏が「横浜実修講」という名称で講中の認可を得、その講中が次第に発展いたしまして総本山塔中の蓮成坊の所属となり、歴代住職、特に現住職の石井信量房がその担任となって、蓮成坊の信徒と共に、この方々に対して信心指導をしてまいりました。堤実吉氏は古い方ですから、御存じの方はほとんどいらっしゃらないと思いますが、うわさに聞いておるところでは、非常に信心が強く、当時の多くの人を折伏して、その講中を立派に育ててきたと聞いております。
 その後、倉橋氏が2代講頭になりました。しかし、色々な事情で、一時、信徒が2つに分かれたことも聞いておるのであります。けれども、その後、現住職のもとで1つになって、今は本当に異体同心し、講中一結して正法護持興隆、信行倍増に励んでおられるのであります。そのような因縁から山号を「実修山」としたのであります。
 さて、本年度の宗旨建立750年に当たって、仏恩報謝のための30万総登山完遂のために全国の各寺院において精進されてまいりましたが、この妙證寺においても住職と信徒の方々が本当に一致団結して自行化他の唱題行に励み、すばらしい成果を挙げたようであります。一々の細かい点は申しませんけれども、非常に抽(ぬき)んでた意味での御奉公が成ったということを、私もよく知っておるのであります。
 そして、そのような功徳のなかから住職と信徒の志をもって約180坪のこの土地を購入し、移転をして新しく立派な道場を造りたいという志をもってそれを遂行してきたのであります。
 しかるところ、縁あって当寺の所属となり、懇篤なる志をもった信徒の方が、お一人で当寺を建立するところの莫大な資金を御供養されました。その結果、このように立派な寺院が建立されたのであります。これは近年にない、まことに珍しいことであります。これは、僧俗が真に和合して、ひたすら仏祖三宝尊の御報恩に備え奉らんとするところの清浄な志が、このような立派な移転の上の道場建立という成果を挙げたことと思うのであります。仏祖三宝尊の御照覧もいかばかりかと存じます。また、これからの皆様方の御信心についても、その功徳をもってさらに倍増せられることを心から祈る次第であります。(平成14年12月7日 於東京都北区/『大白法』H14.12.16抜粋)

【布教区代表祝辞/光久日康御尊能化】
 妙證寺は寺号公称から1年3ヵ月、実修講の時代より先達の方々がそれぞれの困難と闘い、それらの苦難を克服し、本日の立派な基礎を築いてくださいました。本日の盛儀も、それら先達の方々の辛苦の上に、石井御住職様の師子奮迅の努力をもちまして、信徒の皆様と力を合わせ花咲かせたものと存じます。
 30万総登山にあっても、布教区内の折伏成果においても、常に布教区のトップを走り、私共を大いに刺激してくださいました。
 布教区揃っての誓願達成も、ひとえに妙證寺様の御活躍の賜と、常に敬意を表するものであります。今、妙證寺様は、まさに人生の働き盛りであり、『立正安国論』正義顕揚750年の門出に当たり、地域担当員として要職を担っていただくことになっております。
 今後、宗内はもちろんのこと、布教区内にあっても、なくてはならない人材として、衆目の一致するところであります。
 今後は、くれぐれも御健康に御留意くださいまして、新装なりましたこの妙證寺を、信徒の皆様と共に守り抜き、ますますの寺運興隆を念じて止みません。(『大白法』H14.12.16抜粋)

【祝辞/柳沢委員長】
 御承知のごとく、明治は仏教界にとっては玉石混淆の時代で、御宗門は日蓮門下の正嫡の上から謗法厳誡、他門とも一線を画し、宗勢は、やせ細るのでありますが、戦後、時を得て、全国の末寺、就中、法華講は連合会の結成を契機に発展し、そこに折伏も勢いを増し、殊に皆さん方の講中は、僧俗一致、正直な信心をもって、指導教師・石井信量御尊師のもとに、今、大躍進している相を、私は前々から畏敬いたしておるものであります。
 今こうして、厳しい風雪を忍の一字をもって、法燈を護り、御住職様と、僧俗一致の信心の上に築いてこられた歴史は、法華講の誇りであり、また、このように立派に新築された妙證寺の未来に亘って、限りなく発展していく寺檀和合の相を、往時の方々も御覧になられたら、いか程のお喜びかと、思う時に感慨無量であります。
 御参詣の皆様にも、本日の喜びは、生涯忘れることのできない感激ではないかと、お察し申し上げるものであります。
 我等法華講は、先には宗旨建立750年慶祝記念30万総登山、また総本山奉安堂落慶記念大法要を立派に成し遂げ、その大功徳の上に、いよいよ次なる御命題、それは7年後の平成21年『立正安国論』正義顕揚750年の佳節を目指し、現在の倍増乃至それ以上に大躍進せんと、そこに今、全国の意識は次第に高まってきております。
 学会は既に、下種三宝背反の大謗法のために、今は天にも見捨てられ、50年に1度来るこの大慶事にも参詣できず、まことに不憫であります。(『大白法』H14.12.16抜粋)




*妙證寺の完成で不正蓄財疑惑が再浮上

―元金庫番・石井信量の金集めと使途を考察―
―日顕が来て今年も雨、去年の寺号公称式も雨だった―


 12月7日は東京地方にも久し振りに雨が降り、急激に寒くなった。これは二十四節気の1つ「大雪」のせいばかりではなく、雨坊主・日顕が東京都北区滝野川に来ていたからだ。日顕の金庫番をしていた石井信量(以前は大石寺・蓮成坊住職)が不正蓄財疑惑で管財室担当をクビになり、大石寺から東京に移って建てた「実修山妙證寺」の落成法要のためである。はじめに、妙證寺の経緯について説明する。もともとは「蓮成坊東京出張所」で蓮成坊信徒の実修講員が、東京及びその周辺に散在していたところから昭和55年1月21日に作った出張所。入仏法要に来た総監の藤本日潤(当時は栄道)は「未だ寺院としての規模に至っていないため出張所としての形態をもって進むわけであります」と挨拶したが、確かに3階建ての古びたビルであった。この「寺院としての規模に至っていない」という粗末な出張所に室内改装を施し、日顕に頼み込んで無理やり寺に昇格させ、昨年9月20日に「寺号公称」と称して板御本尊入仏式を実施したのである。この寺号公称の入仏式は宗門関係者から「蓮成坊から妙證寺への不正蓄財の移転法要だ」と皮肉を言われたが、ともかく、出張所をまんまと寺に昇格させることに成功した石井は近くに用地を確保して寺を建て、このたび、念願の妙證寺の落成法要に漕ぎ着けたという次第。
 従来の出張所は売却するつもりのようだ。狡猾な石井は、平成11年から15年まての5ヵ年計画で3億円の寺院建設費の供養集めを推進。供養の単位は「1口千円で1人が何口でも可」として集金。その趣旨は「平成14年の30万登山を目指して折伏に励み、講員数が倍増するとき、その道場となる寺院の建立は私達にとって大きな使命である」と謳っていた。だが、講員数は倍増どころか、減る一方なのに寺だけか完成。石井は講員の倍増など当初から念頭になく老後の住家を作ることが目的だったことは明々白々。集めた供養も贅沢を楽しむための資金で、寺の建設費は金庫番当時の不正蓄財を使ったのではないかと、専らの噂である。その根拠は、石井が金庫番の特権を乱用、兄・石井栄純の法照寺(横須賀市)移転建設のための用地購入の際、約10億円をポンと用立てたこと、加えて、平成6年3月、熱海に約200坪の温泉付き別荘を密かに購入したことなど、さまざまな疑惑があるからだ。妙證寺には、こんな疑惑が渦巻いており、その完成法要など、めでたくも何ともない。さて、日顕が動けば雨が降り、異様な風が吹くというのが相場だが、去年の9月20日、寺号公称板御本尊入仏式に日顕が来た時も雨、今年の入仏法要も雨と寒さに見舞われた。この日、底冷えのする雨の中、日顕は正午過ぎ妙證寺に到着。ベンツに乗り高級乗用車5台も従えての妙證寺入りだった。日顕を出迎えたのは能化をはじめとする坊主共で一般信徒は遠ざけられた。集まった坊主は約70人、出迎えの際の立つ位置、序列までも気にしていた。日顕が命名した怪文書『慧妙』によると、30万登山では重病人、ケガ人らが数多く担架や車椅子で大石寺に運ばれたとのことだが、担架や車椅子での法要参加が日顕宗の特徴の1つとして定着したようだ。この日も91歳の寝た切りの老婆がワゴン車から布団に包まれたまま入場。また、車椅子での参加者もいた。かつて、日顕は車椅子で丑寅勤行に参加していた人に対して、冷淡にも客殿から「出て行け」と指示したが、最近では車椅子はもとより、担架で担がれての法要参加が「美談」に変わったのだろう。
 目通り、法要、記念植樹、記念撮影などのあと会食。日顕らは「美旬」の高級料理に舌鼓を打っていた。日顕は夕刻、妙證寺を後にしたが、気温3度と朝からどんどん冷え込むなか、法要の前後、外に立たされて震えていた講員が哀れでならなかった。
(『フェイク』第433号/sf:No.3024)







桜伐採問題

「桜伐採問題」総括


【邪難粉砕】
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>宗門は総坊前の桜の木280本をバッサリ切った。これらの切り倒された桜は、正本堂建立記念の一環として、池田会長(当時)の提案で昭和45年から植樹が始まったもの。翌・46年4月には、総本山桜植樹祭が行なわれ、会場となった丘陵(きゅうりょう)が「池田山」と日達上人より命名されるなど、大石寺の桜は僧俗和合の麗(うるわ)しい結晶でもある。
 それ故、日達上人はこの桜を愛し大切にしてきた。ところが、日顕(上人)はこれがよほど気に入らなかったとみえて、先師と池田名誉会長の思い出映(は)える桜を非情にも切り倒した、というわけだ。

>自分たちや学会員が苦労して植裁した桜の木を、大石寺は次々に伐採している。その原因は日顕上人にある(自称・桜植栽研究家 佐々木忠氏『創価新報』H15.3.19)
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 そもそも、池田大作が日達上人と共に植えた、とされる桜は、常灯ヶ峯などに植えられた「ソメイヨシノ」であって、総一坊と総二坊の間の桜は、吉田日勇尊能師が吉野の地で買い求められ、大石寺山林部によって植えられた「山桜」を中心とした桜でした。
 ですから、その桜の木の伐採を指して"切り倒された桜は、池田名誉会長と日達上人が植えられた桜だ""池田名誉会長を疎み、日達上人を妬む日顕(上人)が切り倒したのだ"というのは、全くの、「為にする悪口誹謗」です。
 というのも、総本山においての樹木伐採は、宗教施設として必要な整備事業のため、また、桜(特に「ソメイヨシノ」)にとっては疫病(えきびょう)ともいえるテングス病の蔓延(まんえん)を阻止するため、というような、やむを得ない場合のみで、むやみな伐採を行なった事実など1度もないからです。
 もちろん、総一坊と総二坊の間の樹木も、境内地の整備のために伐採されたのは、いうまでもありません。
 整地後、芝生が植えられたこの場所は、「広布の広場」と命名されました。そして、平成6年7月24日に行なわれた「日蓮正宗法華講・地涌6万大総会」、また、平成12年4月23日に行なわれた「法華講連合会・全国青年部大会」のメイン会場等として使用されたのです。
 しかして、これらの会合は、その規模からして、総本山においては「広布の広場」以外では開催することができず、その整備は、まさに必要に迫られてのことであった、ということが容易に理解できることと思います(『慧妙』H18.7.1)。


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 御書に
 「一念三千は情非情に亘る」(御書645頁)
 「一草・一木・一礫・一塵、各一仏性・各一因果あり」(御書110頁)
とあるように、草木にも等しく仏性がある。
 その草木を平気で切り倒す日顕(上人)に仏法を語る資格はない。
 自然保護・環境保全団体から抗議の声が上がるのも当然だ。
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 さて学会は、"桜にも仏性があり、それを切るのは残酷だ"などという。
 しかし、それは学会が引く御書の御文にも明らかなとおり、有情・非情にわたって、山川草木すべてに仏性があるのである。
 それ故、創価学会が巨大墓苑の造成のために切り崩した山々に生えていた多くの木々・野草も仏性を持っているのであり、なにも桜の木のみが仏性を有しているわけではない。
 学会のいうとおり「桜の木にも仏性があるから切り倒すのは残酷」というのであれば、学会が巨大墓苑の造成のために切り倒した樹木の数は280本どころではなく、おそらくは何万本という本数にもなろう。
 しかれば、大石寺のことを言う前に、それら仏性を持つ植物を、墓苑経営という利潤獲得のために切り倒してきた創価学会を責めてこそ、本来の趣旨と合致するはずである。「桜伐採は残酷だ」などというより、「巨大墓苑を造成する創価学会は残酷であり、自然保護・環境問題の上からも問題だ」と、声も惜しまず呼ばわってみてほどうか(『慧妙』H15.4.1)。


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何年も前から、このテングス病の対処を大石寺の関係者に訴えているが、大石寺は何もしていなかった。その理由は、桜の話をすれは日顕(上人)が激高するからである(自称・桜植栽研究家佐々木忠氏『創価新報』H15.3.19))
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 なぜ、桜の話をすると日顕上人が激高されるというのか。全く意味不明、デタラメな作り話である。(中略)
 そもそも日顕上人は、総本山の御法主として、また大石寺住職として、桜の木のみならず、大石寺に関する一切について、常に心配され、必要なことは即座に手を打たれている。
 樹木等も含めた境内地内の整備について言えば、じつにご多忙の中、できうるかぎり自ら境内地を視察され、詳細にわたる指示をなさっている。
 また、桜が開花する頃には、徒歩で境内地内の桜をご覧になっている御姿を、幾度となく拝したことがある。桜の話をすれば激高される方が、どうして、わざわざ徒歩で出かけてまで、桜を見られるというのか。ウソもいい加減にせよ。
 常時、日顕上人の馨咳(けいがい)に触れている者なら誰でも知悉(ちしつ)していることであるが、日顕上人は、植物に止まらず、命あるもの全てに慈愛を注がれている。それを言うに事欠いて、「桜の話をすると激高する」などと、根も葉もない誣言(ふげん)を弄(ろう)するのは、あえて、日顕上人の徳を貶(おとし)めようとの目的であることは明々白々である。
 そうでない、と言うのなら、いつ、誰が、どこで、そのような話を聞いたのか明らかにすべきである(『慧妙』H15.4.16)。


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>大石寺の桜に「テングス病」が蔓延(まんえん)(『創価新報』H15.3.19)
>なぜ、手入れしなかったのか!(同)
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 さて、大石寺では、『創価新報』に言われるまでもなく、桜を含めた樹木全般について、専門家等にも相談し、随時、対処している。
 専門家の話では、現在の状況でも過密状態であり、将来に向けて、さらなる間伐の必要がある、と提言されている。
 樹木は、成長に合わせて、風通しを良くするのと、病気を防ぐことも併せて、間伐を行なうのであり、このことは、管理の常識である。
 『新報』の記事にいう「伐採」は、テングス病という理由だけでなく、間伐も含めて行なったものであるから、記事の言うような非難は当たらない。
 そもそも、木を切ることがそんなにいけないのなら、スギやヒノキなど、建築材として育てられているものも伐採できないのか。創価学会員は、それらの間伐材等で作られる割り箸(ばし)も使わないのか、という議論になってしまう。
 もとより、何の目的も意味もなく木を伐採することは、たしかに批判の対象になろうが、管理のために行なっていることについて、他人からとやかく言われる筋合いはない。
 また、手入れの問題を凶悪犯罪のごとく云々するが、手入れが行き届かない山や公園など、日本各地には数多(あまた)存在するが、同様の批判をするのか。ぜひ釈明を願いたいものだ。
 ちなみに、去る4月5日、ニューズ出版から発行された『旅・写真02 桜めぐり〔1〕』に「満開の陶酔を撮る」とのテーマで、大石寺の桜が掲載されている。
 同誌の24頁には、「桜と富士山をテーマにするなら、大石寺をお勧めしたい。桜の数は7,150本(枝垂れ桜150本)。圧倒的な美しさである」と評しており、境内数ヵ所で撮影された見事な桜がぺージを飾っている。
 もし、佐々木氏が言うような惨憺(さんたん)たる状態であったら、同誌が大石寺を紹介することはありえない。大石寺に来て撮影された方の率直な感想が述べられているのである。
 以上、ウソ・デタラメは創価学会の常套(じょうとう)手段であるが、ウソ・デタラメで組織を防衛する、かの国とオーバーラップして見えるのは私一人ではなかろう。どのようにウソで飾ってみたところで、脱北者、いや脱会者は防ぎようがない。
 蟻(あり)の一穴はいずれ崩壊に至るのである(『慧妙』H15.4.16)。




【学会による自然破壊】
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何よりも尊い生命に対する姿勢が、日顕(上人)は狂ってる。どんな言い逃れをしようが、およそ仏教者のとる態度ではない(『創価新報』H15.3.19)
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<万野原会館転売で多数の桜見殺し>
 『聖教新聞』(H22.12.28)によると、静岡県富士宮の「富士宮国際文化会館」が新装され「富士宮池田文化会館」として完成したそうだ。(中略)
 さて、富士宮池田文化会館が新築された一方で、この近隣にあった創価学会万野原会館は転売され、昨年末に取り壊された。
 この万野原会館は、ソメイヨシノ・八重桜・しだれ桜など数百本の桜が植樹されており、毎年開花の時期には地元地域に開放して「桜ふれあい広場」というイベントを行なっていた。(中略)
 これまで、宗門に対し「大石寺が桜を伐採した」「大石寺の境内は桜の切り株だらけ」などと、さんざん中傷し続けてきたくせに、自分たちは、「桜ふれあい広場」と名付けてまで、その美しさを自慢していた万野原会館の数多くの桜の木を、いとも簡単に見殺しにしてしまった―この甚(はなは)だしい自己矛盾(むじゅん)には、呆(あき)れてしまって開いた口がふさがらない。(『慧妙』H23.1.16



<大規模墓園の造成>
 この言葉はそのまま返しておこう。創価学会があちらこちらに乱造した大規模墓園の造成時、どれだけの樹木を伐採したか。広島では、地域住民から反対運動を起こされるなど、社会問題となったではないか。
 桜の木を伐採したことが"仏教者でない"とするならば、比較にならない程の樹木を伐採した創価学会こそ仏教者ではない。自家撞着(じかどうちゃく)ここに極まれり、というべきである(『慧妙』H15.4.16)。

[画像]:緑の山を削り、立木をなぎ倒して造成された、創価学会の巨大墓苑



<大客殿建設工事の影響で枯死(こし)した"子持ち杉">
 日興上人のお手植えと伝えられている子持ち杉は、現在、客殿の1階ロビーに保存されています。
 この保存措置について、創価は「子持ち杉を殺した」と大騒ぎしましたが、保存措置自体は、子持ち杉が枯死した時点における66世日達上人の御指南に添(そ)ったものです。
 子持ち杉が枯死した本当の原因を御存知でしょうか。
 大客殿建設に伴(ともな)う外構工事の際、子持ち杉の根は、40%以上が切断されました。
 本紙では,大客殿建設委員会の委員長が池田大作であったことから、「子持ち杉を殺したのは池田大作である」旨(むね)を指摘しておきました。(『慧妙』H23.3.1)



<「観桜会」>
 さらに、次の事例はどうか。昭和57年4月7日、池田大作が「観桜会」と称して、常来坊へ日顕上人をお招きしたことがある。
 当日、あいにくの雨になったところ、なんと池田は部下に命じ、20本近くのソメイヨシノを根本から切り倒して常来坊に運び込み、にわか仕立ての桜園を室内にこしらえたのである。
 『創価新報』の論調によれば、この時、根っこから切られた桜の命はどのように解釈するのか。それを行なった池田大作に対し、日顕上人に向けたのと同様の非難を浴びせるのか。
 できるものなら、スリカエのない、まともな反論を聞きたいものであるが、語るに落ちるとはこのことであろう(『慧妙』H15.4.16)。

●総本山で観桜会が開かれたのですが、その年は雨が降ったために、かわいそうなことに総本山の桜を切って常来坊の中へ入れ、常来坊の広間を桜で満開の姿に一往、したのであります。
 しかし、そのような莫迦(ばか)なことがあるでしょうか。その時は、私もすでに当職でしたから招かれました。
 ただし、その当時の状況としては、やむをえませんでしたので、私はそのことについては触れませんで黙っておりましたけれども、その桜はどうなったかといいますと、もちろんすぐに枯れてしまったのであります(第67世日顕上人・広布唱題行の砌H17.9.4/『慧妙』H18.7.1)
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池田の招待により、宴席に臨(のぞ)まれた日顕上人は、この様子を見て驚かれ、後年、このように述懐された。

●根があればこそ、桜にしろ他の植物にしろ繁茂(はんも)するのであります。根本である根が切れてしまえば、植物としての命もなくなるのです。これは植物のみに限らず、一切のものがそのとおりであります。一時は良いようだけれども、根本を忘れたところには、必ずその結果が、衰消の姿乃至、滅亡の姿となって現われてくるのであります(同前)

[画像]:20本もの桜を伐採し、常来坊で開いた観桜会について報じた『聖教新聞』S57.4.9



<創価大学による自然破壊の企て>
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●アメリカ創価大学の前身ともいえる創価大学ロサンゼルス分校は、ロサンゼルス郊外のマリブに開校した。だが、風光明媚で国立公園に隣接する同地で大規模開発を企てた創価大学に対して、環境保護を訴える地元住民、アメリカ政府国立公園保護局が猛反発。結局、連邦議会で創価大学用地の買い戻しが審議、可決されるにいたって創価大学側は創価大学ロス分校の大規模開発を放棄。オレンジ郡に移動して、アメリカ創価大学を開校('01)したのだった。 その創価大学ロサンゼルス分校の大規模開発問題を取り扱ったカリフォルニア州の地元テレビ局KABCは、創価大学を日本でもさまざまなスキャンダルを起こしている特殊な宗教団体創価学会に支配された「カルトスクール」と呼んだ。(地元KABCテレビ/『フォーラム21』H15.5.1)
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地元住民などが猛反発したからよかったものの、そうでなければ、学会の手によって大規模な環境破壊が行われていたのである。大石寺の「桜問題」で騒いでいるのは学会だけであることは、この問題が真に環境問題ではなく、宗門攻撃のための「為にする」因縁・難癖の類である何よりの証拠。学会は自己の正当化と敵攻撃のためには「人権」「平和」「環境」「先師」等等、何でも利用するのです。そういえば正本堂破壊については「日達上人の意に背く」といい、本尊模刻問題では「日達上人をかばった」などと虫のいいことを言っていました(笑)(法蔵)。




【総本山の桜】
春の総本山大石寺を彩(いろど)る桜の花・花・花!写真雑誌でも紹介されているように、大石寺は桜の名所として知られており、毎年、春季総登山や御霊宝虫払大法会のため総本山に登山する全国各地の法華講員の目を楽しませるほか、多くの花見客や写真マニアを満足させています。(『慧妙』H18.7.1)

[画像]:総本山の春を彩る桜・桜・桜=学会の捏造報道は明らか!




【学会の"常識"と異なる世間の常識】
―テングス病の桜120本を伐採した高知市の筆山公園の場合―
(『高知新聞』H17.1.23)

 よみがえれ、桜の名所―。森林間伐ボランティア「四万十樵(きこり)塾」のメンバーら約10人が22日、高知市の筆山公園で、桜の“天敵”テングス病にかかったソメイヨシノ約120本の伐採作業を行った。
 樵塾は官民一体で流域振興に取り組む「四万十川財団」が企画した「樵養成塾」の修了生が、14年に設立。高知市を中心に約20人の会員がおり、月1回のペースで四万十川流域の森林を間伐している。
 テングス病は桜の中でもソメイヨシノが特にかかりやすく、幹からてんぐの鼻のように出てきた枝がクモの巣のように密生。花が咲かなくなる上、ほかの木にも次々に伝染する。昨年の日本樹木医会県支部の調査では、沿道や山頂付近の733本のうち被害がないのはわずか5%。55%は剪定(せんてい)などの処置が必要で、残る40%は伐採処分が望ましいとされていた。
 今回は会員の技術向上も兼ねて同市に伐採を申し入れたため、伐採対象の約300本のうち、広場など比較的安全な場所での作業となった。2日間かけて伐採予定だったが、メンバーは目印の黄色のペンキの付いた木を手際よく切り倒し、作業は午前中で終了。山頂からの眺めをさえぎっていた竹も切るなど景観整備にも協力した。
 樵塾副代表の松岡正宣さん(58)は「筆山公園は昔、よく娘と花見に来た思い出の場所。3歳と7歳になる孫が成人したころに、満開の桜を家族そろって見に来れるようになれば」と話していた。
 同市は今後、病気に侵された枝の剪定や治療、病気に強い品種への植え替えなどを行う方針。
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 高知市の筆山公園では、「40%は伐採処分が望ましい」とされ、その「伐採対象」は「300本」だという。今回は、その内の120本が「官民一体で流域振興に取り組む『四万十川財団』が企画した『樵養成塾』の修了生」によって伐採された。
 300本もの桜が伐採対象だというのに、この報道の趣旨は伐採を批判するものではない。批判するどころか、「よみがえれ、桜の名所」とあるように、桜の名所を取り戻すための取り組みを好意的に報道したものであり、テングス病にかかった桜を伐採することを肯定的に受け取っている。
 片や創価学会はというと「大石寺の桜に『テングス病』が蔓延(まんえん)」(『創価新報』H15.3.19/『慧妙』H15.4.16)「なぜ、手入れしなかったのか!」(同)と、桜にことよせて日顕上人を誹謗(ひぼう)中傷している。
 『慧妙』(H15.4.1)によれば学会は「宗門は平成2年9月から翌・平成3年2月にかけて、総坊前の桜の木280本をバッサリ切った。」と主張しているようである。上記筆山公園の場合とほぼ同数の桜が伐採対象となった訳である。しかし、筆山公園の桜は全部で733本、大石寺の桜は7,150本(『旅・写真02 桜めぐり〔1〕』ニューズ出版/『慧妙』H15.4.16)であるから、伐採の比率で言えば、大石寺の方が格段に低い。
 以上のことから言えることは、創価学会の桜伐採非難は、大石寺を中傷する目的で「環境保護」を利用しているに過ぎない、ということである。(法蔵)





"大石寺は桜を全て伐採"との嘘

(『慧妙』H18.7.1)

 春の総本山大石寺を彩(いろど)る桜の花・花・花!写真雑誌でも紹介されているように、大石寺は桜の名所として知られており、毎年、春季総登山や御霊宝虫払大法会のため総本山に登山する全国各地の法華講員の目を楽しませるほか、多くの花見客や写真マニアを満足させています。
 ところが、学会員の多くはこの事実を認めようとせず、「大石寺では、桜を全部切ってしまった!」などと口走る学会員が多数いるのです。というのも、創価学会が折に触れ"大石寺は桜を皆殺しにした"などと、為にする悪口誹謗(ひぼう)を繰り返してきたためです。
 平成4年11月、大石寺では、総一坊と総二坊の間に植えられていた山桜などの樹木を伐採し、整地する作業に着手しました。
 すると創価学会は、これを奇貨として誹謗を開始。"切り倒された桜は、池田名誉会長と日達上人が植えられた桜だ""池田名誉会長を疎(うと)み、日達上人を妬(ねた)む日顕(上人)が切り倒したのだ""自然破壊だ""総本山には桜の春は来ない"と、悪口・誹謗を繰り返し、学会員をして"総本山には1本の桜の木も残っていない"と思い込ませるまでに、徹底的に喧伝(けんでん)したのです。
 しかし、これは、創価学会による、為にする悪口誹謗に他なりません。
 そもそも、池田大作が日達上人と共に植えた、とされる桜は、常灯ヶ峯などに植えられた「ソメイヨシノ」であって、総一坊と総二坊の間の桜は、吉田日勇尊能師が吉野の地で買い求められ、大石寺山林部によって植えられた「山桜」を中心とした桜でした。
 ですから、その桜の木の伐採を指して"切り倒された桜は、池田名誉会長と日達上人が植えられた桜だ""池田名誉会長を疎み、日達上人を妬む日顕(上人)が切り倒したのだ"というのは、全くの、「為にする悪口誹謗」です。
 また、一部の桜の木を切ったことを"自然破壊だ"とするのも、「為にする悪口誹謗」というほかありません。
 というのも、総本山においての樹木伐採は、宗教施設として必要な整備事業のため、また、桜(特に「ソメイヨシノ」)にとっては疫病(えきびょう)ともいえるテングス病の蔓延(まんえん)を阻止するため、というような、やむを得ない場合のみで、むやみな伐採を行なった事実など1度もないからです。
 もちろん、総一坊と総二坊の間の樹木も、境内地の整備のために伐採されたのは、いうまでもありません。
 整地後、芝生が植えられたこの場所は、「広布の広場」と命名されました。そして、平成6年7月24日に行なわれた「日蓮正宗法華講・地涌6万大総会」、また、平成12年4月23日に行なわれた「法華講連合会・全国青年部大会」のメイン会場等として使用されたのです。
 しかして、これらの会合は、その規模からして、総本山においては「広布の広場」以外では開催することができず、その整備は、まさに必要に迫られてのことであった、ということが容易に理解できることと思います。
 それでも、なお"どのような理由があろうと、多くの樹木を伐採したのだから自然破壊だ"というのであれば、創価学会が、全国各地で造成してきた巨大墓苑はどうなるのでしょうか。
 東京ドームの十何倍、数十万坪という広大な自然の山野を"私物化"し、樹木をなぎ倒し、数万基の墓石を並べる―これこそまさに"自然破壊"である、との批判が各地で起こっています。
 さて、ここで、池田大作・創価学会の"桜"観、"自然保護"観を確認しておきましよう。
 写真(下記[画像1])は、昭和57年4月7日、池田大作が、『観桜会』と称し、日顕上人猊下をお招きした際の模様を報じた『聖教新聞』(昭和57年4月9日付)です。
 この日は、あいにくの雨でした。そこで池田は、部下に命じ、数十本のソメイヨシノを切り倒して常来坊に運び込み、にわか仕立ての桜園を室内に拵(こしら)えたのです。
 わずか数時間の花見のために、数十本もの桜の木を切り倒す―それを恥じるでもなく、むしろ誇るように『聖教新聞』で報じていた事実は、本来、池田大作にも、創価学会にも、"桜を大事に"などという気も"自然を保護しよう"などという気も、さらさらなかったことを証明するものです。
 池田の招待により、宴席に臨(のぞ)まれた日顕上人は、この様子を見て驚かれ、後年、
 「総本山で観桜会が開かれたのですが、その年は雨が降ったために、かわいそうなことに総本山の桜を切って常来坊の中へ入れ、常来坊の広間を桜で満開の姿に一往、したのであります。
 しかし、そのような莫迦(ばか)なことがあるでしょうか。その時は、私もすでに当職でしたから招かれました。
 ただし、その当時の状況としては、やむをえませんでしたので、私はそのことについては触れませんで黙っておりましたけれども、その桜はどうなったかといいますと、もちろんすぐに枯れてしまったのであります」(平成17年9月4日・広布唱題行の砌)
と述懐(じゅっかい)され、
 「根があればこそ、桜にしろ他の植物にしろ繁茂(はんも)するのであります。根本である根が切れてしまえば、植物としての命もなくなるのです。これは植物のみに限らず、一切のものがそのとおりであります。一時は良いようだけれども、根本を忘れたところには、必ずその結果が、衰消の姿乃至、滅亡の姿となって現われてくるのであります」(同前)
と、異流義と化した創価学会のはかなさ、愚(おろ)かさを、破折されています。

[画像1]:数十本の桜を切って屋内で行なった"花見"を報ずる『聖教』=花見のためだけに平然と数十本の桜を切る創価学会が、総本山の整備事業をなじるとは笑止千万!

[画像2]:総本山の春を彩る桜・桜・桜=学会の捏造報道は明らか!

[画像3]:緑の山を削り、立木をなぎ倒して造成された、創価学会の巨大墓苑





総本山の桜間伐を中傷した創価学会

―自らの墓園開発・桜伐採(昭和57年)への弁明は!?―
(『慧妙』H15.4.16)

 今年も桜の花が全山満開の中、大勢の見学者が大石寺を訪れ、総本山の景観と桜の絶景を堪能(たんのう)している。
 このところ、幾つかの有名な写真誌に大石寺の桜が取り上げられたためか、年々、花見の人やカメラマンが増加しているようだ(学会員とおぼしき人も多々見られる)。
 このような中、『創価新報』(3月19日付)が、「大石寺の桜に『テングス病』が蔓延(まんえん)」「なぜ、手入れしなかったのか!」と、またもや飽きもせず「桜」にことよせて、日顕上人を誹謗(ひぼう)中傷する記事を掲載した。
 そもそも、この桜の件については、平成5年2月に、大石寺の整備計画の一環として、総坊附近のヤマザクラを伐採したことに『創価新報』が目を付け、この桜が、正本堂建立記念として池田大作と日達上人が植樹した10万本(実際には1万本にも満たなかったようだが)のうちのソメイヨシノである、と事実を大きく歪曲(わいきょく)したねつ造報道をした。この事件については、本紙平成5年3月1日号・3月15日号・4月1日号、および本年4月1日号で詳細に破折したところである。
 さて、今回はどのような中傷記事かというと、昭和46年頃、正本堂建設委員会が、正本堂建立記念として、総本山内に桜の植樹を計画した際、その委託を受けたという、自称・桜植栽研究家佐々木忠氏の発言に依(よ)っている。
 内容としては、見出しにあるように、、テングス病に罹(かか)った桜の木の伐採を挙(あ)げて、"自分たちや学会員が苦労して植裁した桜の木を、大石寺は次々に伐採している。その原因は日顕上人にある"などと荒唐無稽(こうとうむけい)な悪口を述べている。
 また、佐々木氏は"何年も前から、このテングス病の対処を大石寺の関係者に訴えているが、大石寺は何もしていなかった。その理由は、桜の話をすれは日顕(上人)が激高するからである"とも言っている。
 なぜ、桜の話をすると日顕上人が激高されるというのか。全く意味不明、デタラメな作り話である。
 このような馬鹿げた記事に、まともに反論するのも紙面の無駄遣いではあるが、あまりに事実とかけ離れたウソで日顕上人を非難中傷しているので、看過することはできない。
 そもそも日顕上人は、総本山の御法主として、また大石寺住職として、桜の木のみならず、大石寺に関する一切について、常に心配され、必要なことは即座に手を打たれている。
 樹木等も含めた境内地内の整備について言えば、じつにご多忙の中、できうるかぎり自ら境内地を視察され、詳細にわたる指示をなさっている。
 また、桜が開花する頃には、徒歩で境内地内の桜をご覧になっている御姿を、幾度となく拝したことがある。桜の話をすれば激高される方が、どうして、わざわざ徒歩で出かけてまで、桜を見られるというのか。ウソもいい加減にせよ。
 常時、日顕上人の馨咳(けいがい)に触れている者なら誰でも知悉(ちしつ)していることであるが、日顕上人は、植物に止まらず、命あるもの全てに慈愛を注がれている。それを言うに事欠いて、「桜の話をすると激高する」などと、根も葉もない誣言(ふげん)を弄(ろう)するのは、あえて、日顕上人の徳を貶(おとし)めようとの目的であることは明々白々である。
 そうでない、と言うのなら、いつ、誰が、どこで、そのような話を聞いたのか明らかにすべきである。
 さらに、"何よりも尊い生命に対する姿勢が、日顕(上人)は狂ってる。どんな言い逃れをしようが、およそ仏教者のとる態度ではない"とまで謗じているが、この言葉はそのまま返しておこう。創価学会があちらこちらに乱造した大規模墓園の造成時、どれだけの樹木を伐採したか。広島では、地域住民から反対運動を起こされるなど、社会問題となったではないか。
 桜の木を伐採したことが"仏教者でない"とするならば、比較にならない程の樹木を伐採した創価学会こそ仏教者ではない。自家撞着(じかどうちゃく)ここに極まれり、というべきである。
 さらに、次の事例はどうか。昭和57年4月7日、池田大作が『観桜会』と称して、常来坊へ日顕上人をお招きしたことがある。
 当日、あいにくの雨になったところ、なんと池田は部下に命じ、20本近くのソメイヨシノを根本から切り倒して常来坊に運び込み、にわか仕立ての桜園を室内にこしらえたのである。
 『創価新報』の論調によれば、この時、根っこから切られた桜の命はどのように解釈するのか。それを行なった池田大作に対し、日顕上人に向けたのと同様の非難を浴びせるのか。
 できるものなら、スリカエのない、まともな反論を聞きたいものであるが、語るに落ちるとはこのことであろう。

[画像]:20本もの桜を伐採し、常来坊で開いた観桜会について報じた『聖教新聞』

 さて、大石寺では、『創価新報』に言われるまでもなく、桜を含めた樹木全般について、専門家等にも相談し、随時、対処している。
 専門家の話では、現在の状況でも過密状態であり、将来に向けて、さらなる間伐の必要がある、と提言されている。
 樹木は、成長に合わせて、風通しを良くするのと、病気を防ぐことも併せて、間伐を行なうのであり、このことは、管理の常識である。
 『新報』の記事にいう「伐採」は、テングス病という理由だけでなく、間伐も含めて行なったものであるから、記事の言うような非難は当たらない。
 そもそも、木を切ることがそんなにいけないのなら、スギやヒノキなど、建築材として育てられているものも伐採できないのか。創価学会員は、それらの間伐材等で作られる割り箸(ばし)も使わないのか、という議論になってしまう。
 もとより、何の目的も意味もなく木を伐採することは、たしかに批判の対象になろうが、管理のために行なっていることについて、他人からとやかく言われる筋合いはない。
 また、手入れの問題を凶悪犯罪のごとく云々するが、手入れが行き届かない山や公園など、日本各地には数多(あまた)存在するが、同様の批判をするのか。ぜひ釈明を願いたいものだ。
 ちなみに、去る4月5日、ニューズ出版から発行された『旅・写真02 桜めぐり〔1〕』に「満開の陶酔を撮る」とのテーマで、大石寺の桜が掲載されている。
 同誌の24頁には、「桜と富士山をテーマにするなら、大石寺をお勧めしたい。桜の数は7150本(枝垂れ桜150本)。圧倒的な美しさである」と評しており、境内数ヵ所で撮影された見事な桜がぺージを飾っている。
 もし、佐々木氏が言うような惨憺(さんたん)たる状態であったら、同誌が大石寺を紹介することはありえない。大石寺に来て撮影された方の率直な感想が述べられているのである。
 以上、ウソ・デタラメは創価学会の常套(じょうとう)手段であるが、ウソ・デタラメで組織を防衛する、かの国とオーバーラップして見えるのは私一人ではなかろう。どのようにウソで飾ってみたところで、脱北者、いや脱会者は防ぎようがない。
 蟻(あり)の一穴はいずれ崩壊に至るのである。

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●アメリカ創価大学の前身ともいえる創価大学ロサンゼルス分校は、ロサンゼルス郊外のマリブに開校した。だが、風光明媚で国立公園に隣接する同地で大規模開発を企てた創価大学に対して、環境保護を訴える地元住民、アメリカ政府国立公園保護局が猛反発。結局、連邦議会で創価大学用地の買い戻しが審議、可決されるにいたって創価大学側は創価大学ロス分校の大規模開発を放棄。オレンジ郡に移動して、アメリカ創価大学を開校('01)したのだった。 その創価大学ロサンゼルス分校の大規模開発問題を取り扱ったカリフォルニア州の地元テレビ局KABCは、創価大学を日本でもさまざまなスキャンダルを起こしている特殊な宗教団体創価学会に支配された「カルトスクール」と呼んだ。(地元KABCテレビ/『フォーラム21』H15.5.1)
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地元住民などが猛反発したからよかったものの、そうでなければ、学会の手によって大規模な環境破壊が行われていたのである。大石寺の「桜問題」で騒いでいるのは学会だけであることは、この問題が真に環境問題ではなく、宗門攻撃のための「為にする」因縁・難癖の類である何よりの証拠。学会は自己の正当化と敵攻撃のためには「人権」「平和」「環境」「先師」等等、何でも利用するのです。そういえば正本堂破壊については「日達上人の意に背く」といい、本尊模刻問題では「日達上人をかばった」などと虫のいいことを言っていました(笑)(法蔵)。





桜伐採問答

―「宗門は桜伐採で環境を破壊」!?―
―学会の巨大墓苑こそ大規模破壊―
(『慧妙』H15.4.1)

<学会の邪説>
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 宗門は平成2年9月から翌・平成3年2月にかけて、総坊前の桜の木280本をバッサリ切った。
 御書に
 「一念三千は情非情に亘る」(御書645頁)
 「一草・一木・一礫・一塵、各一仏性・各一因果あり」(御書110頁)
とあるように、草木にも等しく仏性がある。
 その草木を平気で切り倒す日顕(上人)に仏法を語る資格はない。
 自然保護・環境保全団体から抗議の声が上がるのも当然だ。
 これらの切り倒された桜は、正本堂建立記念の一環として、池田会長(当時)の提案で昭和45年から植樹が始まったもの。翌・46年4月には、総本山桜植樹祭が行なわれ、会場となった丘陵(きゅうりょう)が「池田山」と日達上人より命名されるなど、大石寺の桜は僧俗和合の麗(うるわ)しい結晶でもある。
 それ故、日達上人はこの桜を愛し大切にしてきた。ところが、日顕(上人)はこれがよほど気に入らなかったとみえて、先師と池田名誉会長の思い出映(は)える桜を非情にも切り倒した、というわけだ。
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<破折>
この疑難は、境内地整備の一環として総坊前の桜の木を伐採したことについて、思いつくかぎりの言葉を並べて悪口したものであるが、所詮は、大石寺の境内地という、学会とはまったく無関係の"他人の庭"であり、創価学会ごときが云々すべき事柄ではない。

*桜の木には仏性があるから伐採するな!?*
―仏性は有情非情すべてにある!―

 さて学会は、「桜にも仏性があり、それを切るのは残酷だ」などという。
 しかし、それは学会が引く御書の御文にも明らかなとおり、有情・非情にわたって、山川草木すべてに仏性があるのである。
 それ故、創価学会が巨大墓苑の造成のために切り崩した山々に生えていた多くの木々・野草も仏性を持っているのであり、なにも桜の木のみが仏性を有しているわけではない。
 学会のいうとおり「桜の木にも仏性があるから切り倒すのは残酷」というのであれば、学会が巨大墓苑の造成のために切り倒した樹木の数は280本どころではなく、おそらくは何万本という本数にもなろう。
 しかれば、大石寺のことを言う前に、それら仏性を持つ植物を、墓苑経営という利潤獲得のために切り倒してきた創価学会を責めてこそ、本来の趣旨と合致するはずである。「桜伐採は残酷だ」などというより、「巨大墓苑を造成する創価学会は残酷であり、自然保護・環境問題の上からも問題だ」と、声も惜しまず呼ばわってみてほどうか。

*総坊前の桜は池田と御先師による植樹!?*
―吉田日勇能化が購買、山林部が植樹―

 次に、「総坊前の桜は、正本堂建立記念の一環として植えられたものであり、池田名誉会長と御先師日達上人の思い出映える桜だったのに、日顕(上人)はそれを嫉(ねた)んで桜を切ったのだ」との疑難。
 池田が植えたのは、旧称・池田山(現在、東山)や常灯ヶ峰の桜であって、総坊前の桜の木は、吉田日勇尊能化(妙蓮寺御住職)が買い求められ、本山の山林部の方が植えられたものである。
 つまり、総坊前の桜の木と池田とは全く関係がなく、「池田と御先師との思い出映える桜だったから切った」とは、言い掛かり以外の何ものでもないのである。
 こんなオソマツな桜問答を吹き込まれ、正法に背いて地獄に堕ちるとは、学会員というのは哀れとしか言いようがない。





テングス病の桜120本伐採

―高知市の筆山公園―
『高知新聞』H17.1.23


 よみがえれ、桜の名所―。森林間伐ボランティア「四万十樵(きこり)塾」のメンバーら約10人が22日、高知市の筆山公園で、桜の“天敵”テングス病にかかったソメイヨシノ約120本の伐採作業を行った。
 樵塾は官民一体で流域振興に取り組む「四万十川財団」が企画した「樵養成塾」の修了生が、14年に設立。高知市を中心に約20人の会員がおり、月1回のペースで四万十川流域の森林を間伐している。
 テングス病は桜の中でもソメイヨシノが特にかかりやすく、幹からてんぐの鼻のように出てきた枝がクモの巣のように密生。花が咲かなくなる上、ほかの木にも次々に伝染する。昨年の日本樹木医会県支部の調査では、沿道や山頂付近の733本のうち被害がないのはわずか5%。55%は剪定(せんてい)などの処置が必要で、残る40%は伐採処分が望ましいとされていた。
 今回は会員の技術向上も兼ねて同市に伐採を申し入れたため、伐採対象の約300本のうち、広場など比較的安全な場所での作業となった。2日間かけて伐採予定だったが、メンバーは目印の黄色のペンキの付いた木を手際よく切り倒し、作業は午前中で終了。山頂からの眺めをさえぎっていた竹も切るなど景観整備にも協力した。
 樵塾副代表の松岡正宣さん(58)は「筆山公園は昔、よく娘と花見に来た思い出の場所。3歳と7歳になる孫が成人したころに、満開の桜を家族そろって見に来れるようになれば」と話していた。
 同市は今後、病気に侵された枝の剪定や治療、病気に強い品種への植え替えなどを行う方針。
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 高知市の筆山公園では、「40%は伐採処分が望ましい」とされ、その「伐採対象」は「300本」だという。今回は、その内の120本が「官民一体で流域振興に取り組む『四万十川財団』が企画した『樵養成塾』の修了生」によって伐採された。
 300本もの桜が伐採対象だというのに、この報道の趣旨は伐採を批判するものではない。批判するどころか、「よみがえれ、桜の名所」とあるように、桜の名所を取り戻すための取り組みを好意的に報道したものであり、テングス病にかかった桜を伐採することを肯定的に受け取っている。
 片や創価学会はというと「大石寺の桜に『テングス病』が蔓延(まんえん)」(『創価新報』H15.3.19/『慧妙』H15.4.16)「なぜ、手入れしなかったのか!」(同)と、桜にことよせて日顕上人を誹謗(ひぼう)中傷している。
 『慧妙』(H15.4.1)によれば学会は「宗門は平成2年9月から翌・平成3年2月にかけて、総坊前の桜の木280本をバッサリ切った。」と主張しているようである。上記筆山公園の場合とほぼ同数の桜が伐採対象となった訳である。しかし、筆山公園の桜は全部で733本、大石寺の桜は7,150本(『旅・写真02 桜めぐり〔1〕』ニューズ出版/『慧妙』H15.4.16)であるから、伐採の比率で言えば、大石寺の方が格段に低い
 以上のことから言えることは、創価学会の桜伐採非難は、大石寺を中傷する目的で「環境保護」を利用しているに過ぎない、ということである。(法蔵)







禅寺墓地問題

「禅寺墓地問題」破折

>宗教専門紙『中外日報』(平成3年9月27日付)は、「日顕法主が“邪宗の墓地”に先祖墓」と題する記事を1面全部を割いて大々的に掲載している。報じられている記事の要旨は次のようなものであった。
 平成元年7月17日、日顕上人は福島市内にある曹洞宗の白山寺を訪れた。目的は阿部家先祖代々の墓へ参るためであった。
 日顕上人は、この墓参に先立ち費用550万円の一切を負担し、新しい墓石をもって墓を新調した。新しい墓は、墓石の中央に「南無妙法蓮華経」と日顕上人の自筆が刻み込まれている。墓の裏側には「平成元年七月十七日 為先祖代々 菩提 建立之 日顯 花押」と刻まれている。
 この墓参にお供をし、墓前で一緒に読経唱題した日蓮正宗僧侶は、「日顕法主の長男・信彰、娘婿の早瀬義純、大村寿顕教学部長、石井信量大石寺理事、広布寺前住職の石井栄純など」であった。
 『中外日報』紙は、日顕上人が曹洞宗寺院内にある先祖の墓を、どうしてまた墓石だけで550万円もの費用を使って、新しく建て直したかについて、「阿部家の当主である賢蔵氏の母・キンさん」の次のような言葉を紹介している。
 「日顕法主がうちの息子(賢蔵氏)に、墓を新しくしたいからやらせてくれと言ってやったことだ。前の墓は骨入れ(納骨室)もなかったから、骨入れのあるものになった。うちでは費用を一切出していない。父親の日開上人ができなかった供養をしたいという気持だろう。白山寺へはうちから酒2升届けただけだ」

『地涌』第272号

 日顕上人猊下の御実家である阿部家の墓は、まぎれもなく総本山大石寺にある。一方、学会のいう福島県の阿部家は、日顕上人の御父上、第60世日開上人のお出になった家であり、現在の当主は阿部賢蔵氏(法華講員)である。要するに、日顕上人から見れば、この阿部家は御親戚ということになるのである。
 学会は、その福島・阿部家の墓が、登記上、白山寺が所有する墓地の中に建っていること。さらに、墓を建立する費用を日顕上人が出されたこと。そこに日顕上人がお出ましになって、墓石の開眼法要を執(と)り行なったことが謗法だ、などというのだが、これは謗法でもなんでもない。

【事実上、共同墓地である】
 福島・阿部家の墓は、もともとは純粋な共同墓地にあった(明治時代)。しかし、昔は土葬であったため、次第に手狭となり、墓地が拡張されることになった。その際、阿部家の墓は、拡張された現在地に無償で移転したものである(昭和24年)。
 昭和35年に行政処理の都合上から、白山寺に保存登記がついたが、村人はあくまでも古来からの共同墓地という認識で、ここを使用していた。
 管理者である白山寺としても墓石や塔婆供養等、宗派を問わず自由にしてもらっているのであり、事実上、共同墓地と何ら変わりはないのである。


【墓地改修は親族の意向】
―日顕上人は費用を出されただけ、墓地自体は昔から同じ場所に―
●今回の墓地改修は前述のごとく、私どもが親族一同と共に発願致したもので、猊下様にはただ甚大なる御慈悲を賜ったのみでございます。それにもかかわらず、学会では、猊下様が白山寺に自らの墓を建立したかのごとく言っておりますことは、誠に心外でございます。(福島阿部家から日顕上人への書状『大白法』H3.11.1/<妙音>WS)


【邪宗の墓地であっても謗法ではない】
1●(日蓮正宗の信徒が、邪宗の管理する墓地に墓を持つことについて)これは謗法にならないと思うんですが、そのひとつは邪宗の寺に、墓をもっているでしょう。そうすると邪宗の坊主のところに金を持っていってはいけないように思っているでしょう。あれは、やっていいと思う。(中略)私は、瑞正寺という寺から土地を借りているのです。そして地代を払っているのです。そうすると借りている墓の地代を払ったっていいではないか。 正宗の信者が(邪宗の寺に)墓をたくさん持てば、邪宗の寺に金が入る。そして正宗(の墓)が増えれば増えるほど、寺が(信心を)じゃましないのです。 これを摂受(しょうじゅ)という。そして、墓をきれいに掃除に行って、それでお寺へお金を入れるのです。それは謗法にならないと思う。(『戸田城聖全集』第2巻)

2●縦(たと)い禅、念仏の寺、道場の内なりとも法華宗の檀那(だんな)施主(せしゅ)等が之有らば仏事を受くべきなり云々。(第9世日有上人『化儀抄』)

3●本宗の信徒が他宗の寺を借りて、葬儀、法要を行なうことがあれば、行って葬儀や法要を執行すべきであります。ただし、その場合は本宗の本尊を掛けて行なうのであります(『日達上人全集』第1篇第4巻)
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日顕上人は、歴とした法華講員である阿部賢蔵氏の願い出により、日蓮正宗の化儀に則(のっと)って墓石の開眼供養を執り行なわれたわけだから、それが邪宗の寺で管理する墓地内であろうと、何ら問題がないことは明白である。

★学会員諸君、これでもまだ、難癖を付けようというならば、まず、諸君が師匠と仰ぐ池田センセーの実家の墓の在処(ありか)をこそ、徹底的に問題にするべきである。東京都・大田区に、真言宗・八幡山密厳院という寺があるが、なんと、池田センセーの実家の墓は、この密厳院の墓地にあるのだ!!もちろん、これは正真正銘、池田センセーの実家の墓だから、この墓には池田の父・子之吉氏も眠っているはず。学会では、これは何の問題でもないけれども、福島・阿部家の墓は大謗法、というのであろうか。だとすれば、学会の異常ぶりも極まった、というべきで、まさに、馬鹿は死ななければ直らない、という他はない。

[画像]:池田大作の実家の墓=真言宗・八幡山密厳院/東京都・大田区(『慧妙』H25.12.16)

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【『中外日報』は学会の御用新聞だった!】

 『中外日報』は一時期、学会の資金が流入するとともに、学会が同新聞を大量に買い付けていたという事実が、宗門側の新聞によって暴露されたことがあります。このような背景事情があって『中外日報』は、「学会の御用新聞」のごとき報道を繰り返し行ったのです。
 つまり、学会の御用新聞が、学会に加担した報道を流していただけのことであり、何の信憑性もないことは明らかです。
 そして内外から、その偏った報道姿勢に非難を浴びました。そのため同新聞は、平成10年に、第1面全体を割いて、それまでの学会偏向の報道姿勢を反省し、改める旨を表明しています。↓

[画像]:偏向報道を謝罪する『中外日報』


<一般紙も「金のために身を売った」と批判>
●『中外日報』という仏教業界紙がある。明治に始まり、近く創刊百年を迎えようという、由緒のある隔日刊紙である。 ところがこの新聞、2、3年前からおかしくなっている。創価学会の提灯持ち記事がやたらと多くなったのだ。 おかしくなったのは、創価学会が日蓮正宗と対立してからである。正宗の僧侶を悪し様にこきおろす記事が目立つようになった。親しい記者に尋ねると、実は社長が、資金難を逃れるために学会の金に取り込まれてしまったのだという。 記者の中にも、こんなことではいかんと考えている者もいないわけではないが、社長は聞く耳を持たないのだという。(中略) 最近は『聖教新聞』の転載がよく出るが、8月22日には、『週刊新潮』の批判本を出した著者にインタビューした大きな記事が出ている。 なぜ『週刊新潮』の内幕を問題にするのかと言えば、創価学会批判の記事をよく載せるからである。 この批判者(※批判本の著者)によればバックナンバーをすべて取り寄せて「目次を研究」した。その結果、「最初は格調が高かったのですが、だんだん、どうも下半身の問題であるとか、創価学会、あるいは共産党とかいったものを叩くことを方針としているような感じ」が出て来たという。ここで「下半身の問題」を言うのは、近く裁判の始まる、池田大作のレイプ事件を念頭に置いている。 しかし、これは語るに落ちた話で、『中外日報』の記事がおかしいと私が気づいた最初は、連日、正宗僧侶や夫人の「下半身記事」を、これでもかこれでもかと掲載し続けたからである。 マスコミをスーパーとすれば、このような新聞は専門店。個性的で気骨のある専門店メディアの健闘を心から期待する者の1人として、金のために良心を売った「宗教」新聞の存在は、まことにうら寂しい事件ではある。(平成8年9月1日付『産経新聞』コラム・斜断機)



【共同墓地ではない?】
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禅寺墓の存在が明るみになったのは、平成3年9月のことだった。『中外日報』でスクープされ宗内は騒然となった。日顕は文書班に命じて、先祖の墓は「共同墓地」に建てられたもので決して禅寺の白山寺の境内地には建てられていないと、言い逃れをはかった。「墓石を建立した墓地は村の共同墓地」「この墓地は3つに区分けされているのである。第1区画は明治時代からの(中略)禅寺と阿部家の墓がある土地とは堀で仕切られ、阿部家の墓は「共同墓地」にあるというのである。しかしこれは宗内を欺く大嘘だった。(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』192頁〜)
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(『大白法』H3.10.16第350号抜粋)
・この墓地は村の共同墓地的な性格のもので、昔は土葬の墓地であった。現在は白山寺とい禅宗の寺院が管理に当たっているが、厳密には3つに区分けされている。第1区画は明治時代からの村の共同墓地であり、第2区画はそれが後に拡張されたところである(※阿部氏の母のキンさんや、同所に墓地を持つ方の話を聞くと、この墓地は第1区画の共同墓地が狭くなったために昭和24年に拡張造成されたもので、その折、阿部家もここに墓地を購入したとのことである)。現在は、白山寺は第3区画の檀家専用の墓地については檀家にならなければ分譲しないが、第1・第2区画の墓地は墓石や塔婆供養等、宗派を問わず自由にしてもらっているのであり、共同墓地が狭くなったから拡張したというのが村の人達の認識である。
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第1報である第350号では、当事者である阿部氏や村人の証言に基づいて記述。そのため"白山寺の所有"との記述はないものの、「共同墓地的な性格」「共同墓地が狭くなったから拡張したというのが村の人達の認識」という表現自体には誤りはない。

(『大白法』H3.11.1第351号抜粋要旨)
・明治時代に「太政官布達」の発布にともない、他の村人とともに官許の墓地に移動させられた。そこは曹洞宗白山寺の脇であったが、所有権は同寺にはなく、共同墓地だった
・昭和24年に行われた墓地の拡張にともない、墓は現在地に移された(第2区画)。その際、共同墓地に墓を所有していた人全員に、無償で墓が提供された。
・学会は登記上、白山寺に隣接する3区画の墓地全てが白山寺の所有であるとしているが、この明治期に開かれた共同墓地(第1区画)は、現在も白山寺の所有権保存登記はついていない
・昭和24年に拡張された分については、昭和35年に行政処理の都合上から、白山寺に保存登記がついたが、村人はあくまでも古来からの共同墓地という認識で、ここを使用していた。
・学会が言うように、これらの墓地全てが、純然たる白山寺の寺院墓地であるならば、墓地埋葬法13条により、他宗の典礼を拒むことも出来るのである。しかし実際は、明治時代は勿論、白山寺に保存登記のついた昭和35年以降も、本宗の墓碑を建立し、また塔婆を建立できる等、正しく本宗の化儀に則った先祖供養を遂行することが出来たのである。
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学会の誹謗を粉砕するために、白山寺に保存登記がついた事実経過を説明。第2区画に対する白山寺の所有権は、形式的なものであり、歴史的にも実態上、純粋な共同墓地と何ら変わらないということである。


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>この禅寺墓地問題で、現場に近い開蓮寺の住職をしていた息子の道粛も、ただちに調査に行かされたそうである。道粛は、現場を見て、愕然としたという。「宗務院の文書では、仕切られた共同墓地だとかいてありますが、ひどい作り話でした。実際はそのような塀は、どこにもなかった。」というのだ。
>「事情を知らない他の布教区からは、『地元でありながらなぜ反論しないんだ』『法華講に説明するから写真を送れ』と言ってきましたが、写真を送ると、その後はプッツリ。宗内のだれもが、さすがに『これはまずい』と思ったようです」と、道粛も言っていた。
(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』193頁〜)
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学会の走狗(そうく)となりはてた離脱僧の証言など、何の説得力もない。"百聞は一見にしかず"というがクドクド説明する前に「写真を送ると、その後はプッツリ」というほどの効果があるという"写真"を提示すべきではないのか。それができないこと自体、この証言がウソであることを雄弁に物語っているといえよう。


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 現場を調査した息子の証言で明らかだが、日顕が文書班に書かせた「共同墓地」の話は全くの作り話だった。
 土地の登記簿や旧土地台帳・墓地台帳を詳しく調査してもいずれも日顕建立の墓のある地点は、白山寺所有の墓地内であることは明確で日顕が「共同墓地」とウソをついてごまかそうとしたこと自体禅寺墓の発覚を後ろめたく思っていた証拠だった。
(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』194頁)
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『日蓮正宗"落日の真因"』の発行は平成12年である。ところが、前述のごとく既に平成3年の時点で宗門は、所有権が形式上、白山寺にあることを認めているのである。それから9年近くも経過してこのような誹謗をするとは、呆れてしまう。機関紙しか読まない学会員が事情を知らないことをいいことに、金になるなら何でも書いて宗門を誹謗しようという薄汚い根性がミエミエである。


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また、当の白山寺住職が「ここは『共同墓地』なんかではない」と証言したうえ、平成5年秋には墓地のまわりに白山寺所有であることを示す垣根を新設したのであるとwebの情報にもあります。ウソなら「訴える」ことも可能です(yh2:16947)
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当方では「登記上、白山寺の土地」であることを以前から認めているのです。「共同墓地」という定義自体をめぐって争っても意味がないでしょう。訴訟好きな学会ではないのです。それに、共同墓地であろうとなかろうと、法義上、まったく問題がないのです。


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sudatchiさんに教えて頂いた直後は「共同墓地だといっていた」情報も渡辺氏(※日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済)の話と符合するなぁとあらためておどろきました。たしかに田舎ではお寺が共同墓地の感覚が強いですが たしかに禅寺が管理しているところに「御法主」自らが親戚の墓?を建立しているようです。(yh2:16947)
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 たしかに、白山寺の管理する墓地であり、管理費を払っているのかも知れない。しかし、それを「共同墓地」と呼ぶか否かは見解の相違ではないのか?私の家の墓も共同墓地だが、ゴミの処分や水道料など、結局は誰かが管理し、その費用を利用者が応分に負担しなければならないのである。この場合は管理者が、偶々邪宗の寺院であったというに過ぎない。
 本来の意味での寺院墓地であれば、その宗派の化儀を逸脱した墓石は作れないものである。そのよい例が、学会員が正宗寺院境内地に、化儀に反する墓石を建立しようとして、拒否された事件である。↓

●要旨:いわゆる寺院墓地を経営する寺院が当該寺院の属する宗派を離脱した使用権者に対してその宗派の方式と異なる宗教的方式により墓石を設置することを拒むことができるとされた(「墓石設置妨害排除請求事件」平成14年01月22日、最高裁第3小法廷判決 平成12年(受)第1084号

当該墓地は、登記上白山寺の敷地内にあっても、墓地の形式や儀式の執行など、一切白山寺からは独立して自由に行えるのであるから、実質的に「共同墓地」と考えて何ら問題はなかろう。

★しかし問題は、共同墓地だから謗法ではないのではなく、禅寺の境内にあろうとなかろうと謗法ではない、ということです。



【墓は正宗寺院内に建立すべき?】
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 550万円もかけるのであれば、日蓮正宗寺院内に建てればよい
 現に地元・福島市内にある広布寺には、当時も現在も未使用で使用者募集中の墓地用地がある。そこに建てればよいのだ。それが親戚との関係でできぬのであれば、親戚を折伏、あるいは再折伏しなければならない。
(『地涌』第272号)
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 正宗寺院に墓を移さなければ謗法になる、なんていう御文、御書にはない。  「当時も現在も未使用で使用者募集中の墓地用地がある」とは、俄かには信じがたい。何故なら、福島・阿部家の墓地が建立されたのは平成元年であり、学会破門前のことである。そうであれば、広布寺墓地用地は、それよりも以前からあったことになる。広布寺所属の学会員が何人いるかは知らないが、正宗寺院に墓地を確保したいという要望は多かったはずであり、何年もの間、墓地が塞がらないとは考えにくい。
 いずれにせよ、御自分の所有する墓でない以上、勝手に移動できないことは常識である。また、墓が正宗寺院内にある方がよいことは、正宗信徒であるならば、容易に分ることである。しかし、墓が仮に邪宗の所有地にあっても法義上、問題がない上に、当該墓地は、登記上はともかく、実態は共同墓地であり利用者もそのような認識であったのである。
 簡単に「日蓮正宗寺院内に建てればよい」というが、既に所得している用地に墓を建立するのと新たに土地を購入した上に墓を建立するのとでは、まったく費用が違う。土地の広さや自宅との距離など、いずれにしても所有者本人が決めることであり、法義上問題がないのだから傍からとやかく言われる筋合いはなかろう。


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実際に、この禅寺墓は日顕のこれまでの説法にも明らかに反するものであった(中略)また、昭和60年1月29日、神奈川県津久井町の妙苑寺落慶法要では「この世の中にはようような悪縁があるためにせっかく正法に入っても、もしその墓地が間違ったところにいつまでもありまするといろいろな悪縁にひかれて、その子供さらに孫というような形の中で、だんだんと正法の信心が崩れていくというようなこともまま見受けられるところでございます。要は(中略)正法寺院の墓をとって信仰に励んで行くことが大事でございます」
(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』194頁〜)
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「まま見受けられる」とは、時々見られるということであって、絶対にこうだ、ということではない。それに、それは切り文である。その後には次のように仰せである。↓

4●しかしながら、正しいお寺に墓地をとったからといって、安心して信心修行を怠けるならば、また、そこからおのずと退転の形、不幸の姿が始まっていくわけでありますから、そのところの根本は墓にあるのではなく、自分自身の信心に、一切の幸せも先祖追善の意義も存する、ということを忘れずに励んでいくことが大切と思うのでございます。(第67世日顕上人・昭和60年1月29日・神奈川県津久井町の妙苑寺落慶法要)
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拝読してわかるとおり、「根本は墓にあるのではなく、自分自身の信心こそ根本だ」ということを御指南せられているのである。


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自分で"墓と先祖供養の正しいあり方"について説法しておきながら、自ら「違背」する。(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』195頁〜)
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「自ら『違背』」というが、日顕上人の御実家の墓は以前より大石寺内にある。であれば、日顕上人御自身について、先祖供養のあり方に何の問題もないどころか、むしろ理想的だといえよう。問題の墓は、御親戚の墓に過ぎないのである。

[画像]:大石寺内にある日顕上人の御実家の墓



【法主の立場】
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 「阿部家の墓」が日顕に関わりがないのであれば、それが禅寺に存在すること自体を謗法とは言っていない。
 宗開両祖の嫡流たる日蓮正宗の法主でありながら、禅寺に先祖代々の墓を建立し、墓前で日開上人の法要をした、日顕の大謗法行為を問題にしているのだ。
(『地涌』第289号1991年10月16日)
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「法主でありながら、禅寺に先祖代々の墓を建立」→日顕上人の御実家の墓は本山にある。当該墓石は、御親戚のもので、もともとあった墓地に建てたものである。猊下が建てたといっても、墓石の費用を出されたまでである。猊下が費用を出そうが出すまいが、新しい墓は当該墓地に建てられることに決まっていたのである。当然、墓を何処に建てるかは、所有者本人が決めるべきことである。"墓の費用を出すぐらいなら、土地の費用も出せ"とでもいうのか?それなら、費用を出さずに開眼供養にだけ行っておれば問題なかったのか?謗法でも何でもない些細なことに因縁をつけ、しつこく疑難する体質はストーカー的でさえある。

●福島・広布寺草創期の某功労信徒の墓が、現在も真言宗寺院管理の墓地に存しますが、そこには52世日霑上人、59世日亨上人の御署名花押入りの墓碑が建立されています。(時局協議会文書作成班有志調査報告『大白法』H11.11.1)

●大聖人様が、当時は台密乃至は東密系であったと推定される清澄寺にある師匠の道善房の墓にたいし、御回向に弟子を遣わされた御慈悲を拝するとき、徒に他宗管理の墓に対して、特別な嫌悪感を抱くのは、日蓮大聖人の仏法の広大な慈悲の上から間違いであると言うべき(時局協議会文書作成班有志調査報告『大白法』H11.11.1)

●今回の墓地改修は前述のごとく、私どもが親族一同と共に発願致したもので、猊下様にはただ甚大なる御慈悲を賜ったのみでございます。それにもかかわらず、学会では、猊下様が白山寺に自らの墓を建立したかのごとく言っておりますことは、誠に心外でございます。(福島阿部家から日顕上人への書状『大白法』H3.11.1/<妙音>WS)

 「(墓が)禅寺に存在すること自体を謗法とは言っていない」のであれば、日顕上人が墓を建立したことも謗法ではないはずである。謗法の基準が、当事者の立場によって変わるものではあるまい。
 そもそも、学会は"僧俗平等"の立場のはず。同じ行動について、信者がすれば謗法ではなく、法主がすれば謗法、などというのは自語相違ではないか。その上、「宗開両祖の嫡流たる日蓮正宗の法主」などと述べているが、日顕上人のみならず数多くの歴代上人について、口汚く罵っているのが今の学会である。都合のよいときだけ、「宗開両祖の嫡流」などと持ち上げるとは、無節操にも程がある。
 宗門は、僧俗が全て異なるという立場ではない。信行を増進するためには師弟関係を重んじるべきであるということだ。とくに唯授一人の血脈相承を根本とする信行の中に信心の血脈も流れるとする。これは、700年間一貫した教義であり、学会の歴代会長も認めてきたことである。ただし、師匠も弟子も、同じように勤行し、同じ御書を読む。謗法の基準も同じであることは、昔から一貫(時機に鑑みて四悉檀を用いることはある)している。

●貴賎道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何れも同等なり、然れども竹に上下の節の有るがごとく、その位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか(第9世日有上人『有師化儀抄』/『富士宗学要集』第1巻61頁)
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僧俗の関係には平等の側面と差別の側面があるのです。「竹に上下の節の有るがごとく、その位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか」とは差別の側面です。

師弟関係についていえば、学会にも上下関係があり、池田を師匠、指導者と仰いでいる。しかし、謗法の基準は、会長も会員も同じはず。池田だけは、邪宗の寺に墓を建ててはいけないのか?もし、そうであったとしても池田の実家の墓は正真正銘、真言宗の寺院墓地内にあるが(笑い)。



【禅宗寺院を折伏すべき?】
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墓地の裏側からこそこそ出入りし(『創価新報』)
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裏からこそこそ。ですか、「物は書きよう」ですね。まったく『創価新報』のデタラメさには呆れますね。『創価新報』が載せている法要当日の写真をよくご覧なさい。雨よけのシートを張ったり、数十人の人間が出入りしているんですから、いやでも人の目にとまりますし、法要だって5分や10分で終わるものでもない。こそこそ出入りすることが不可能なのは、一目瞭然、誰の目にも明らかですよ。だいたい、こそこそする必要なんか最初からないから堂々と行なわれた、当たりまえでしよう。(『慧妙』第31号/<妙音>WS)

[画像]:福島・阿部家の墓参・法要=『地涌』272号によれば「この墓参にお供をし、墓前で一緒に読経唱題した日蓮正宗僧侶は、『日顕法主の長男・信彰、娘婿の早瀬義純、大村寿顕教学部長、石井信量大石寺理事、広布寺前住職の石井栄純など』であった」そうである。つまり、日顕上人に随行された方だけでも5人以上。これに当事者である福島・阿部家の親族を加えれば、墓参に参列した人は数十人になろう。

●白山寺の境内地域と、第1・第2区画の村民共同墓地との間は塀で仕切られており、第1区画・第2区画の墓地は寺院に関係なく、一般道から自由に出入りができるのである。こうしたところなので、日顕上人猊下は阿部家での法事を済まされた後で墓地に赴かれ、墓石の開眼供養をなされたのである。(「墓石に対する学会の誹謗を破す」『大白法』H11.10.16)
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「一般道から自由に出入りができる」のであれば、わざわざ「白山寺の境内地域」を通る必要もなかろう。


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だが本来、日顕上人がしなければならないことは、堂々と禅寺の坊主を折伏し改宗させることだ
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ほう、あなたは、いつ、いかなる時でも、法義論争しなければ「折伏」ではない、と言うんですね?

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当たり前ですよ。法主という立場なんだから、率先して範を示すべきです。
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では、池田大作さんの場合を考えてみましょうか。池田大作さんは各国の要人とよく会見しますが、その相手を破折しているんでしょうか。『聖教新聞』で対談を読むと、そうは思えませんね。

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言葉に出さなくとも、先生のすばらしい振る舞いを見て、みんな仏法に理解を示すんですよ。それが折伏になってるんだ。
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なるほどね。結局、法義論争だけが折伏ではないというわけですね。ならば、猊下様が正宗の化儀に則って墓石の開眼供養をしたことも、その振る舞いで正しい仏法の化儀を示されたわけだから、それこそ立派な折伏になる、ということも理解できますね。(『慧妙』第31号/<妙音>WS)



【「付け届け」】
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平成元年7月17日の禅寺墓地での法要の折、日顕の親戚は、この曹洞宗白山寺に「酒2本」を届けたことを証言している(『中外日報』平成3年9月27日付)。創価学会では、邪宗の寺に墓地を有する者に対して、邪宗の寺に「つけ届け」など断じてしないことを指導している。それにより起こる少々の軋轢は、折伏精神をもって克服している。(『地涌』第289号1991年10月16日)
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●同家(阿部本家)として白山寺へは、管理寺院に対する世間的儀礼の上からの挨拶をしたまでであります。(時局協議会文書作成班有志調査報告『大白法』H11.11.1/<妙音>WS)



【日達上人との比較】
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>日顕は、日達上人が細井家の墓を高知の浄信寺の墓苑にうつされたことを自分も出席して、よく知っているのである。にもかかわらず、自分の説法にも日達上人の教えにも違背し、禅寺に墓を建てるという謗法を犯したのが日顕なのである。(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』195頁)
>自分で”墓と先祖供養の正しいありかた”について説法しておきながら自ら「違背」するそして先代日達上人が身を以て示された教えにも「違背」する。 御請訓に「謗法と申すは違背の義なり」(唱法華題目抄)とあるが、禅寺問題は教義や先師の教えに違背する日顕のあきれるばかりのいい加減さ、謗法を象徴するものであった。(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』196頁)
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日顕上人(4●)も日達上人(3●)も、「邪宗の墓地に墓を建ててはいけない」などと仰せになってはいない。戸田会長(1●)も第9世日有上人(2●)もである。

◆この高知行きは、日達上人から招待を受けたものだった。他宗にあった細井家の墓が発見され、正宗寺院の墓苑に移すことになり、その開眼法要を執り行うために、年表委員全員の夫婦、宗務役員の夫婦、それに細井家の人々を呼ばれたのである。(中略)実はその4年前の昭和47年3月にも、日達上人は高知に親修されたが、その時はまだ細井家の墓は見つかっていなかった。(日蓮正宗改革同盟・渡辺慈済『日蓮正宗"落日の真因"』186頁〜)
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 「他宗にあった細井家の墓が発見」「墓は見つかっていなかった」とあるように、日達上人が「正宗寺院の墓苑に移」された墓は、管理者も所有者もいない一種の無縁墓地状態だったのである。だから、日達上人が所有者となって先祖供養をされたのである。
 一方、日顕上人の場合は、本家とはいえ御親戚の墓であり、御自身所有の墓ではない。また、正宗信徒が正宗の化儀に則り御守りしているのである。
 以上のように、日達上人の事例と今回の日顕上人の場合は、全く状況が異なるものであり、単純に比較すべきではない。尚、日顕上人も御実家の墓は、既に大石寺内に移されいる。

[画像]:大石寺内にある日顕上人の御実家の墓







大石寺周辺神社

大石寺周辺神社への疑難破折


<謗法容認シリーズ/fb>

@『化儀抄』に違反していない。
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『化儀抄』で禁止しているのは、「謗法の人の所に勧請の神社」。当該神社は"広布の縮図"とも言える地であるから問題ない。

A法門および化儀の解釈は時の御法主の権能

B祀られている神体は御本尊だから謗法ではない。
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「本地久遠実成釈尊」の語も「名同義異」の上から問題ない。

C「御神木」「注連縄」「賽銭箱」「拍手」等は謗法ではない。
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「御神木」「注連縄」は信仰の対象ではないから問題ない。「賽銭箱」も『化儀抄』に照らして問題ない。「拍手」については、学会の捏造。

D学会も公式に讃歎していた。
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<地域広布の立場から大石寺周辺祠社の変革を考える>参照。






【『化儀抄』の解釈】

【化儀解釈と法主の権能】

【熊久保八幡宮】
<八幡宮の脇士?>
<賽銭箱>

【半野八幡宮】
<子安大明神>
<御神木>
<「八幡大神」「天照皇大神」の幟>
<注連縄>
<拍手>
<「氏子中」>
<「御神燈」>

【「本地久遠実成釈尊」】
<釈尊>
<久遠実成>
<本地垂迹>

【金毘羅神宮】

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【『化儀抄』の解釈】
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●日興上人の時、八幡の社壇を重須に建立あり内には本尊を懸けらる、是れは本門寺の朽木書と云云、今の義にならず、天下一同の法花経信仰の時は当宗の鎮守は八幡にて在すべし(『化儀抄』)
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神社に本尊を安置することを「今の義ではない」、「天下一同の法華経信仰の時」と定められているにも拘らず、まだ全国でわずか30万にもならない現時点で、日犬の本尊が「半野神社」「熊久保神社」に祀られたのはどういうことか。これが機の判定というのならば、ただの謗法ではないか。これに対する言い訳として、内事部などは「時代の流れと共に・・・」などと開き直ろうとしたのですが、「江戸時代の話などではなく、現在の管長の本尊なのですよ」と厳しく諭したら、それっきり黙ってしまいました。(旧sf:1281)
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●日興上人の時、八幡の社壇を重須に建立あり内には本尊を懸けらる、是れは本門寺の朽木書と云云、今の義にならず、天下一同の法花経信仰の時は当宗の鎮守は八幡にて在すべし云云、大隅の八幡宮の石の文に昔は霊山に在りて法花経を説き、今は正宮の中に有て大菩薩と現すと八幡の御自筆有り、釈迦仏の垂迹にて在すが故なり云云、所詮朽木書とは手本と云ふ意なり。(『化儀抄』)
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日興上人は、わざわざ社檀を建立されているが「是れは本門寺の朽木書」とあるように、例外であり、原則としては神社建立は広宣流布のときとの御指南である。その理由は、一国謗法のときに市中に正法の神社を建立すれば、不敬となり罰を被るからであろう。しかして、当該神社は、広宣流布の縮図ともいえる地域での神社である。時の御法主が、広布の時に準じて、神社への御本尊下付を許されたものと拝される。神社への御本尊下付は、第26世日寛上人も行われており、日寛上人を正師と仰ぐのであれば、徒(いたずら)に疑難をすることは控えるべきであろう。

謗法の人の所に勧請の神社に垂迹有るべからずと云ふ義は爾なり、我か正法の人として正法に神社を修造せん事は如何と云云、是れは道理然かなれども惣じて此の国は国王将軍謗法の人にて在す故に、謗法の国には垂迹の義有るべからずと云ふ法門の大綱なるが故に、我か所に小社などを建立しては法門の大綱混乱する故に、謗法ならん間は神社を必す建立なきなり、此の国正法の国ともならば垂迹を勧請申して法花宗参詣せんに子細有るべからず云云。(『化儀抄』)
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 先の日興上人の社檀建立から考えて、上記御指南は、原則論であって、まったく例外を認めないというものではないといえよう。
 そもそも、寺院に御本尊を安置することが許されて、神社に対してはいけないという理由は何であろうか。「神天上の法門」があるからだといえばそれまでであるが、名前こそ神社であるが、祀られる"御神体"は寺院と同じ御本尊なのだから、不思議ではないか。その辺りのところまで知悉した上で、広布達成前の神社建立の是非を論ずるべきであろう。
 1つ私論を述べるならば、一般の神社と寺院との大きな違いは、管理者が常駐であるかないか、従って誰でも無断で拝めるか否か、ということである。だから、神社に祀られた御本尊への不敬を回避するためには、少なくとも周辺地域が広宣流布されていることが必要だと思われる。これは、広布達成前に大御本尊を公開しないことに通ずる理屈であるようにも思われる。このような視点から、広布達成前の神社建立を原則として禁止されたのではなかろうか。然るに当該地域は、"広布の縮図"とも言えるから、例外的に御本尊下付が認められたのであろう。





【化儀解釈と法主の権能】<化儀と血脈>参照)
●手続の師匠の所は、三世諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能く能く取り定めて信を取るべし。また我が弟子も此くの如く我れに信を取るべし、此の時は何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是を即身成仏と云ふなり(第9世日有上人・化儀抄『富士宗学要集』第1巻61頁)
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 「手続の師匠」とは直接の師匠(一般僧侶にとっては御法主上人)のことである。「もぬける」とは、蛇などの脱皮のこと。日達上人は「師匠は三世諸仏や、大聖人已来、歴代の法主上人の御心がぬけられて、師匠のところに来ている」(『日興遺誡置文・日有師化儀抄略解』)と仰せである。
 日有上人は「我が弟子も此くの如く我れに信を取るべし」と仰せである。その理由は「手続の師匠」(時の御法主上人)は「三世諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故」だからである。「代々上人」とは唯授一人血脈相承を受けられた大石寺歴代上人であることは『産湯相承書』や『百六箇抄』などからも明らか。

●若し法華経の謂(いわれ)を知らざれば法華も仍(なお)これ爾前の経なり(乃至)若し本門の謂を知らざれば本門は仍これ迹門なり(乃至)若し文底の謂を知らざれば文底は仍これ熟脱なり(乃至)若し文底の謂れを知れば熟脱も即ちこれ文底の秘法なり(乃至)問う、若し爾らばその謂は如何。答う、宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
●問う、夫れ正像未弘の大法、末法流布の正体、本門の三大秘法とは一代諸経の中には但法華経、法華経の中には但本門寿量品、寿量品の中には但文底秘沈の大法なり、宗祖何んぞ最大深秘の大法経文の面に顕然なりと言たもうや。答う、一代聖教は浅きより深きに至り、次第に之れを判ずれば実に所問の如し。若し此の経の謂われを知って立ち還って之れを見る則んば爾前の諸経すら尚お本地の本法を詮せずと云うこと莫し、文底の義に依って今経の文を判ずるに三大秘法宛も日月の如し。故に経文の面に顕然なりと云うなり。問う、此の経の謂われを知るとは其の謂われ如何。答う、宗祖云わく(一代聖教大意)、此の経は相伝に非ざれば知り難し等云々。三重の秘伝云云。(第26世日寛上人『依義判文抄』/『富士宗学要集』第3巻104頁〜)
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「若し此の経の謂われを知って立ち還って之れを見る則んば」「文底の義に依って今経の文を判ずる」とは依義判文である。この場合は「最大深秘の大法経文の面に顕然」となる。しかして、「此の経の謂われを知るとは其の謂われ如何。答う、宗祖云わく(一代聖教大意)、此の経は相伝に非ざれば知り難し等云々。」とあるように「此の経の謂われ」は相伝によって知ることができるのである。つまり、文底仏法に基づく正しい依義判文は、相伝によって行われるということである。そして、その相伝とは何かといえば、「『塔中及び蓮・興・目』等云々。」(『撰時抄愚記』)とあるように唯授一人の血脈相承のことなのである。

★日寛上人も、文底下種仏法に基づく正しい依義判文、つまり経文や御書、先師の文証の正しい解釈は、唯授一人の相伝に拠らなければならない、と仰せである。すなわち、御書や先師の御指南の文文句句についての解釈は、時の貫首が最終的に決定すべきである。また、法門(化法)を儀式の上に表明したものが化儀なのだから、時代状況に応じた化儀の決定もまた時の貫主が行うべきである。





【熊久保八幡宮】
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日顕が神社に御形木御本尊を2幅も下附していたという驚くべき大謗法の事実が判明した。下附した相手は大石寺近郊の熊久保地区にある神社。中央上方の注連縄の下には「八幡宮」の札が掲げられ、その下方の左右に日顕の形木本尊が安置されて、その前には「奉納」と書かれた賽銭箱まで置かれている。(『フェイク』H12.9.21/fb)
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 問題の神社≠ノ日顕上人猊下御書写の御本尊が下附された経緯は、次のとおり。
 昨年6月頃、この神社≠ノもともと祀られていた2体の御本尊が、何者かによって盗み出されていたことが発覚。
 地区の守り神≠ナある御本尊を失った人々は困り果て、区長のS氏(理境坊講頭)が大石寺に御本尊の再下附を懇請することに。その結果、やっと再下附の許しを得ることができたのである。(『慧妙』H12.10.1)


<八幡宮の脇士?>
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>『妙観』『慧妙』が、どんな屁理屈を並べても御本尊を八幡宮の脇士のような形で安置するのが謗法であることは言うまでもない。それとも「御本尊を八幡宮の下方両脇に安置せよ」という文証を示せるか?!(『フェイク』H12.10.7/fb)
>日顕の本尊ではなく、「八幡宮」の札であり、八幡宮を祀っている神社だからこそ「八幡宮」というのである。(『フェイク』H12.10.19/fb)
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 いうまでもなく、「八幡宮」とは、「宮」すなわち建物の名称であって、本尊でもなければ神体でもない。
 『フェイク』は、八幡宮に御安置された御本尊の側に「八幡宮」の扁額があることをもって「御本尊を八幡宮の脇士にしている」などと言っているわけだが、右に書いたように「八幡宮」の扁額(要するに建物の名称を書いた額)は神体ではなく、あくまでも祀(まつ)られているのは本宗の御本尊だけなのだ。
 本当に馬鹿の相手をするのは疲れる!(『慧妙』H12.10.16)


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両側にある日顕上人の形木本尊を従えるように中央上方に掲げられた「八幡宮」のご神体の何処が御本尊というのか。(中略)それでも「八幡宮のご神体≠ヘ御本尊」と強弁するのか。(『フェイク』H12.10.7/fb)
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 馬鹿に馬鹿を重ねたような一文である。
 誰も「『八幡宮(建物の扁額)』が御本尊だ」などとは言っていない。「八幡宮」という建物の神体≠ェ御本尊である、と言っているのである。
 『フェイク』編集子の狂った頭でちゃんと理解できるかどうか不安だが、強弁などしなくても、「八幡宮のご神体≠ヘ御本尊」である。
 『フェイク』編集子は、くだらぬ強弁を重ねるより、小学生の国語から勉強し直した方がよい。(『慧妙』H12.10.16)

[画像]:「八幡宮」の"ご神体"=実は単なる建物の扁額



<賽銭箱>
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日顕の形木本尊が安置されて、その前には「奉納」と書かれた賽銭箱まで置かれている。(『フェイク』H12.9.21/fb)
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これは常設されているものではなく年に数回、集会等の折に持ち出して参加者(『フェイク』も書いているように理境坊の檀家)の御供養を入れ、それをとりまとめて理境坊へ奉納するのであるから、何の問題もない。(『慧妙』H12.10.16)

●法花宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧くる事有り之れを制すべからず、既に順縁なるが故なり、但し大小の供養に付いて出家の方へ取り次ぎ申して仏聖人へ供養し申せと有らば一向取り次ぐべからず、謗法の供養なるが故に、与同罪の人たるべし云云。(第9世日有上人『有師化儀抄』/『富士宗学要集』第1巻75頁)

●「散供まいらせ」通例御賽銭と云ふもの此時代では通貨でも米でも仏前に蒔き散らすが普通の例であった、此は丁寧なる儀式でないが却つて信謗の区別なき一般的のもので順縁と云ふべきであるから禁制に及ばぬと仰せらるのである「出家の方へ取り次ぎ申して」云云とあるは此は一般的のものでない特別の意趣で御供養する内心が謗法味を帯びてをるから迂潤に仏聖人即ち御本尊へ捧げてはならぬ、能くよく其意趣を聞糺して信仰に入れてから其御供養を受くるやうに為すべきである、然らずして謗法者の供養を直に取次ぐことは取次の僧も謗法者と同罪に陥いるのであると制せられてある。(第59世日亨上人『有師化儀抄註解』/『富士宗学要集』第1巻156頁)

●散供とは米を散じ上げること。賽銭は後世のことで、古代は米を散じ上げた。この米は鳥や鼠等の食となる。花は古代は専ら樒である。本宗の本堂へ他宗の人々が参詣して、散供米や樒を上げることがありますが、それを拒否してはいけません。これがその人々にとって順縁となるのでありますから。しかし、供養物の多少にかかわらず、住職に向かって御本尊様に供養して下さいと申し出たならば、決して受け継いではいけません。その施物は謗法の供養物ですから、もし受けると与同罪の人となります。(第66世日達上人『(略解)日有師化儀抄』98頁)

[画像]:賽銭箱






【半野八幡宮】
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大石寺が日顕の形木本尊を下附したのは熊久保神社だけではなかった――こんな衝撃的な情報が、ある有力筋から寄せられた。新たに露見したのは大石寺近郊の白山八幡宮(※半野八幡宮の誤り)で、確かに日顕の形木本尊が安置されている。(『フェイク』H12.10.12/fb)
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<子安大明神>
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「奉納子安大明神」とかかれた木の横に御宮殿があり、その中には「木片」が祀られている。(fb)
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 これはご神体ではありません。神座が無い印の、御幣でしょう、それもかなり前の。本来の御神体なら、「唐櫃(からびつ)」や「柳筐(やないばこ)」と呼ばれる入れ物に入り、御簾(みす)を掛けて、大祭といえども見せることはしません。
 例えば、私が神職の立場なら、全く神社有職を無視したお祭りですよね。
 明治時代に「廃仏毀釈」が行なわれて、多くの神社は国家神道に統合され、その礼式は統一されていますので、ここだけ当てはまらないというのは少しおかしく感じます。
 五具足の仏式荘厳、華は樒、そのうえ太鼓まで。
 何が謗法に当てはまるのでしょうか?(N.I『慧妙』H12.11.16)

[御幣]ご‐へい=幣束(へいそく)の敬称。白色や金・銀の紙などを細長く切り、幣串(へいぐし)にはさんだもの。お祓いのときなどに用いる。おんべ。(『大辞泉』)

[幣束]へいそく=@神前に供えるものの総称。幣帛(へいはく)。にぎて。ぬさ。
A裂いた麻や畳んだ紙を細長い木にはさんだ祭具。おはらいをするのに用いる。御幣(ごへい)。(『大辞林』)

[画像]:「子安大明神」

※要するに、学会員は「木片」=「子安大明神」だと勘違いしたのである。実際は、祀られているのは御幣であり、拝む対象ではなく御供え物だったのである。



<御神木>
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形木本尊と「八幡宮御神木」が“同座”している白山八幡宮(※半野八幡宮の誤り)の実態については屁理屈ばかり並べる『慧妙』でも弁解できまい。(『フェイク』H12.10.12/fb)
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 そもそも『フェイク』編集子は、「御神木」の意味を知っているのだろうか。
 御神木とは、神社の境内地にある樹木のことをいうのであって、このような木片のことをいうのではない。
 『フェイク』編集子はあまりにも愚かだから、これだけでは理解できまい。もう少々、この件の説を紹介しよう。
 この「御神木」と書かれた木片は、平成元年頃、この八幡宮の境内地に立っていた松の木が、台風で倒れたため、神社に立っていた木≠ニいう意味でこの木の一部を切り取り、「御神木」と書いて堂の中に入れておいただけのこと。
 ゆえに、この「御神木」には御神体の意味などなく、あくまでも、この八幡宮の「御神体」は日蓮正宗の御本尊なのである。
 なお、過日、これが『フェイク』の言い掛かりのタネとなっていることを知った地元の方の手により、この「御神木」の木片は、御本尊が御安置されている祠の中から取り払われている。(『慧妙』H12.11.16)

[画像]:御本尊の前に置かれた「御神木」



<「氏子中」>
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理境坊の檀家の人々は「氏子中」と名乗っているが、これは弁明できるか?(『フェイク』H12.10.7/fb)
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御本尊御安置の場所が寺院ではなく社殿の形式であるため、「氏子」の呼称を用いているにすぎない。(『慧妙』H12.10.16)



<「八幡大神」「天照皇大神」の幟>
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白山八幡宮(※半野八幡宮の誤り)の前には「奉納 八幡大神 氏子中」「奉納 天照皇大神 氏子中」の幟がはためき(『フェイク』H12.10.12/fb)
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 どうやら、幟(のぼり)に書いてある「八幡大神」「天照皇大神」に固執しているらしいが、じつは、その2神が守る御神体こそ、安置されている日蓮正宗の御本尊に他ならない。よって、これが「謗法」などでないことはいうまでもない。
 それとも、『フェイク』編集子は、「幟も拝む対象だから謗法だ」と見ているのであろうか。そうなると、もはや付ける薬はないのかもしれぬが……。(『慧妙』H12.11.16)

●通称半野の氏神と呼ばれている、半野八幡宮のインターネット上の画像を見ると、全て神前が仏式になっています。 学会系と思われるそのホームページには「のぼりには『奉納天照皇大神 氏子中 昭和三十八年吉日』『奉納八幡大神 氏子中 昭和三十八年吉日』」と書いてありますが、これも当たり前だと思うのですが、御本尊様の日本国守護の諸天善神として書写されている神号ですよね。 普通の神社と言うか、神社庁管轄の神社では「**神社」と対の幟(のぼり)が立つのが当たり前であり、神社神道とは全く違う祀(まつ)り方です。(N.I『慧妙』H12.11.16)

[画像]:「奉納天照皇大神 氏子中」「奉納八幡大神 氏子中」ののぼり



<注連(しめ)縄>
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社殿には注連縄が張られ、紙垂(かみしで)が垂れ下がっている。(『フェイク』H12.10.12/fb)
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日本では古来から、清浄な地と不浄な地を分ける意味から、注連縄をもって表わしてきた習慣がある。もちろん、この注連縄が「本尊」「神札」「神体」などというものではないことはいうまでもなかろう。(『慧妙』H12.11.16)

●うそかほんとうか、位牌を焼かしている者があるそうだという話があるが、気をつけるように。ただ、霊友会や立正佼成会などの位牌は、拝む当体だから処置すればよい。神として、仏として拝む、その当体だけを焼くのです。神棚など、社はよいが、中身が悪いのです。「坊主憎けりゃけさまで憎い」などと、そんなことはしないでもらいたい。神棚はとっておけばよい。今まではへんちくりんな神さまがすわっていたのだが。本でも置けばよいし、おしめでも置けるし、便利このうえないものだから、棚はこわす必要はない。これだけは、ほんとうによく注意してください。(『戸田城聖全集』第4巻/『慧妙』H12.11.16)
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かくのごとく、戸田氏も、"拝む当体であれば処置しなければならないが、そうでなければ取り去る必要はない"と明確に指導しているではないか。『フェイク』編集子諸君、何でも「謗法、邪義」などと言っているから、ついには、このような戸田氏の指導までコケにすることになるのだ。以後、気を付けなさい(といっても無駄か)。



<拍手>
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決定的なのは理境坊檀家が拍手を打って参拝している姿だ。“ご神体”とか“地区の守り神”の御本尊には拍手を打って参拝するのが大石寺の教えなのか?(『フェイク』H12.10.7/fb)
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 『フェイク』や『創価新報』は、これをいうために近隣の住民が社の前で手を広げている写真を掲載してるのだが、じつは、これこそ欺瞞そのものなのである。
 この地域では、合掌するに際し、いったん手を広げてしかる後に手指を合わせる風習があり、『フェイク』『新報』が掲載した写真は、手を合わせる前の一瞬を撮影したものなのである。
 それ故、写真を撮るために、この合掌の一部始終を見ていた人間ならば、十分にそれが理解できたはずだが、この事実を隠して、このような疑難をなすこと自体、創価学会の謀略性を示して余りあろう。
 また、このような風習は、随方毘尼(ずいほうびに)≠ニして許容されるであろうことも、付言しておく。(『慧妙』H12.11.16)

[画像]:"拍手"を打つ人々



<「御神燈」>
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入り口の門には「御神燈」、裏には「天下泰平」とかかれている。どう見ても神様の祭りだ(fb)
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本宗の御本尊を根本とした諸天善神のお祭りじゃいけないのでしょうか? (N.I『慧妙』H12.11.16)

[画像]:「御神燈」の文字





【「本地久遠実成釈尊」】
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神社に下付された33世の板本尊の授与書に「本地久遠実成釈尊 垂迹富士浅間宮」とあるだろ?明らかな邪宗の邪義じゃないか。(旧sf:3526)
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この人は「名同義異」「本地垂迹」ということを知らないようです。

<釈尊>
―「釈尊」に6種、大聖人は「末法の教主釈尊」―

[釈尊]=第26世日寛上人の末法相応抄、観心本尊抄文段などには、観心本尊抄の義をもとに6種の釈尊が明かされている。(中略)末法今時には、法華経本門・寿量文底に秘沈された南無妙法蓮華経を説く末法の教主釈尊がある。(『新版仏教哲学大辞典』初版834頁)


<久遠実成>
―「久遠」とは、下種仏法の立場では久遠元初のこと―

●御義口伝に云く此の品の所詮は久遠実成なり久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの侭と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の侭なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成無作と開けたるなり云云(『御義口伝』全集759頁)
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「久遠実成」とは法華経の文句であるが、大聖人は下種仏法の立場から使用されている。

●霊山浄土・多宝塔中・久遠実成・無上覚王・直授相承本迹勝劣の口決相伝譜、久遠名字より已来た本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮詮要す。(『百六箇抄』全集854頁)

久遠釈尊の口唱を今日蓮直に唱うるなり。(『百六箇抄』全集862頁)

久遠実成の自受用身は本・上行菩薩は迹なり(『百六箇抄』全集866頁)


<本地垂迹>
―諸天善神は本仏の垂迹―

我が釈尊・法華経を説き顕し給いしより已来十羅刹女と号す、十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名・本地垂迹の利益広大なり(『産湯相承事』全集879頁)
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大聖人の本地は「久遠実成釈尊」であり、諸天善神はその「垂迹」なのである。

★一般邪宗の神社に諸天善神が居られないことは「神天上の法門」から明らかであるが、当該神社は、"広宣流布の縮図"ともいうべき大石寺近辺のものであり、御神体=末法の教主釈尊=久遠元初の自受用報身如来である。だから、末法の教主釈尊と「一体の異名」(『産湯相承事』)である諸天善神が祀られている、と考えて差し支えないのである。





【金毘羅神宮】
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場所:金毘羅神宮 富士宮市半野小字中山238 白糸の滝西1キロ
建物:社殿 石塔 鳥居なし
奉祀:金毘羅1体、板本尊2体、御影1体
調査報告:
 ここは元日蓮正宗の末寺・妙経寺のあった跡地である。妙経寺創立時の地域は曹洞宗、北山本門寺の本源寺(原村)があり、布教は困難だったようだ。正保元年(1644年)甲申4月に、大石寺16世日就が弟子本立坊日習に指示、創建され、本堂間口3間奥行6間内地513坪、檀家10戸だったと記録に残っている。(中略)
 その後、明治29年1月17日(1896年)愛知県尾張国西春日郡小木村小木に移転され、252年の幕が閉じた
 そして、明治の終わりごろ金毘羅神社となり、明治41年に2間四方の小堂が立てられたと大石寺の『富士年表』に記されている。
 さて以前より大石寺の御本尊があるとの情報により、9/9行って見た。すると今日は祭りとのこと。村の人に金毘羅さんの由来を聞きながら中を見た瞬間、まさに板本尊が2体、金毘羅もあり、なんと大聖人の御影もあるではないか。(中略)板本尊はS病院→終戦後W家→M家→W家→Hクラブ→昭和40年頃金毘羅神社に移され現在に至っている。(<富士宮ボーイ>WS)
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<どこが謗法なのか>
大聖人の御影が祀られていることは問題ないように思われる。問題があるとすれば、 「金毘羅」を祀っていることか。しかし、社殿内部の写真を見る限り、宮殿内に祀られているのは御幣であり、神前も仏式である。

●御神馬一疋・用途三貫文、令進給、御状法主聖人御神殿へ奉備進候了(第2祖日興上人『弁阿日道上人への状』在大石寺/『富士日興上人詳伝(下)』257頁)
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「神殿」「神馬」の特史実大いに伝うべき(中略)仏聖人を神に擬したる(中略)開山の御在世に、日道上人が奥州新田よりはるばるとその地特産の駿馬を牽(ひ)ききたって、愛馬に名だたる日蓮大聖人の正御影のおわします富士の御神殿に奉納せられた特志を悦ばれた御受書であることの尊さに、贅筆を加えておく。(第59世日亨上人/『富士日興上人詳伝(下)』257頁)

●これはご神体ではありません。神座が無い印の、御幣でしょう、それもかなり前の。本来の御神体なら、「唐櫃(からびつ)」や「柳筐(やないばこ)」と呼ばれる入れ物に入り、御簾(みす)を掛けて、大祭といえども見せることはしません。
 例えば、私が神職の立場なら、全く神社有職を無視したお祭りですよね。
 明治時代に「廃仏毀釈」が行なわれて、多くの神社は国家神道に統合され、その礼式は統一されていますので、ここだけ当てはまらないというのは少しおかしく感じます。
 五具足の仏式荘厳、華は樒、そのうえ太鼓まで。
 何が謗法に当てはまるのでしょうか?(N.I『慧妙』H12.11.16)
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これは半野八幡宮についての記述であるが、太鼓以外は、金毘羅神宮にも当てはまる。

[御幣]ご‐へい=幣束(へいそく)の敬称。白色や金・銀の紙などを細長く切り、幣串(へいぐし)にはさんだもの。お祓いのときなどに用いる。おんべ。(『大辞泉』)

[幣束]へいそく=@神前に供えるものの総称。幣帛(へいはく)。にぎて。ぬさ。
A裂いた麻や畳んだ紙を細長い木にはさんだ祭具。おはらいをするのに用いる。御幣(ごへい)。(『大辞林』)


[画像]:金毘羅神宮の社殿内部


◆ここは元日蓮正宗の末寺・妙経寺のあった跡地である。
◆明治の終わりごろ金毘羅神社となり、明治41年に2間四方の小堂が立てられたと大石寺の『富士年表』に記されている。
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確かに『富士年表』(H2)には、明治41年7月25日に「静岡県富士郡白糸村半野妙経寺址に小堂を建立」とあるが、その「小堂」が金毘羅神社かどうかは不明である。

◆正保元年(1644年)甲申4月に、大石寺16世日就が弟子本立坊日習に指示、創建
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しかし、『富士年表』によれば、第16世日就上人は寛永9(1632)年に既に御遷化されている。

◆板本尊はS病院→終戦後W家→M家→W家→Hクラブ→昭和40年頃金毘羅神社に移され現在に至っている。
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明治41年に宗門によって建立された「小堂」(『富士年表』)が金毘羅神社であるならば、そこに安置される本尊は、直接大石寺から下付されるはずであり、本尊は宗門の所有であるはず。その本尊が複数の人々の間を転々とするなど、考えられない。


<金毘羅神社が宗門と無関係である可能性>

@『富士年表』(H2)には、明治41年7月25日に「静岡県富士郡白糸村半野妙経寺址に小堂を建立」とあるが、その「小堂」が金毘羅神社かどうかは不明である。

A明治41年に宗門によって建立された「小堂」(『富士年表』)が金毘羅神社であるならば、そこに安置される本尊は、直接大石寺から下付されるはずである。その本尊が複数の人々の間を転々とするなど、考えられない。

B明治41年に宗門によって建立された「小堂」(『富士年表』)が金毘羅神社であるならば、その堂は宗門の所有であるはず。その堂に「金毘羅」なる神体(?)が、祀られるなど、あり得ない。

C学会側怪文書『フェイク』でさえ、当該神社についての疑難はないようである(<富士宮ボーイ>WSを見る限り)。

●以上上条小字古ヶ谷戸の山王大権現の例を述べたが、これと同様に御本尊を祀る祠社が、他に9ヶ所、さらに堂内にある棟札の年月日の記録により、また、上野村村誌の記録により、現在には奉祠されていないが、かつては立派な御本尊が祀られてあったと推定される社が、4ヶ所ほどあげられる。(中西治雄『教学と私』所収・聖教新聞社発行S48/『慧妙』H5.5.1)
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かつては、法華講員によって守護されてきた祠社が、時代の移り変わりとともに守護する者が絶え、謗法化することはままあることである。例えば、かつては学会の会館にも正しい御本尊が安置され、正しい化儀が行われていたが、今は謗法にまみれている。もし、学会の言うように謗法の御神体が祀られているのであれば、学会の会館と同じようなことが、金毘羅神社にもいえるのではないか。その場合は、日蓮正宗の御本尊が祀られていても、宗門乃至法華講とは無関係だということになるが・・・。






地域広布の立場から大石寺周辺祠社の変革を考える

―御神体は日蓮正宗の御本尊―
(中西治雄『教学と私』所収・聖教新聞社発行S48/『慧妙』H5.5.1)

<祭礼は随方毘尼で風俗に随ったもの>
 上野地区周辺にあっては、開拓時代の象徴ともいうべき村の鎮守が、前記小字の部落毎に、必ず1ヶ所、祭祀されていたといわれる。
 また、そこで村人たちが、祭を催し、村の繁栄を願ったり、豊作を祈ったりしたことは、他町村同様に、きわめて自然に行われていたと想像できる。
 しかし、何時の時代にか、村人たちが正法弘化の法雨に浴し、大石寺の檀家となり、社参物詣の謗法を自覚したとき、社祠を中心とした変革が必然的になされたであろうと推測される。おそらく地域全体の人々の合意のもとに、社祠堂そのものを除去しようとしたであろうし、あるいは、悪鬼乱入の根源である神体を取り除き、その処置について大石寺に、指示を仰いだとも思われる。
 現在、上野、白糸、富丘の3地区に亘り、大小種々の数少ない社祠が残されている。が、その中から、それを裏付けするような数多の事実を発見することができる。(中略)
 しかるに、前記、3地区に存在する数十の郷社、村社、鎮守社のうち少なくとも12社については、いわゆる堂内に祭祀してある御神体なるものが、じつに立派な、日蓮正宗の御本尊に取って代わられており、奉祀されているという事実である。これは何を物語るものであろうか。
 思うに、この御本尊は、社祠を守る氏子たちが社参詣の謗法に目覚めた時、堂内の謗法を払い、時の猊下にお願いして、授与された御本尊であることは、間違いない事実である。
 村人たちは、御本尊を社殿に祀ることにより、家にあっても野にあっても、信仰に励み、諸天善神の加護を蒙ることができたであろう。
 さらに派生的な問題として、鎮守神への信頼は、往古から行われている村の祭を行うことによって具体化する。この祭については、どのように考えたであろうか。(中略)ここに上野地方にても、その例に洩れず部落毎に、何等かの関係ある神を祀ったと考えられる。当然、年々の祭礼も行われたであろう。
 仏法に随方毘尼という法門がある。『月水御書』を拝すれば
 「委細に経論を勘え見るに仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり」
と。
 随方とは、その地方の風俗習慣に随うということであり、毘尼とは、戒のことである。すなわち、物事の大綱や、その精神において仏教に違わない限り、その形式などは、その国情または地域のしきたりに随ってもよい、という意である。
 この法門に則り、かつは代々の御法主上人の御慈教により、鎮守神の祭の習慣がそのまま残って部落の人々の願いは叶えられ、年1度の祭を心から祝い合ったことであろう。

<御本尊奉祀で真の「山王大権現」>
―一村の広宣流布の姿―

 上野地区の上条古ヶ谷戸の部落に、鎮守の森と称して、そこに、御本尊を祀る古びた社殿がある。
 位置は総坊の南端、日帰り登山者の利用する常来坊のさらに南50メートルの所にある、環状線道路を越えてゆくと、すぐ鳥居が目に入る、その奥には、石段を登ると、くちかけた1間四方くらいの大きさの社殿が建っている。背後には、小高い丘があり、杉の木が社殿を囲むようにして静寂さを保っているかのようだ。その丘陵は、そのまま霧ヶ峯、常灯ヶ峯につづいている。
 大きさからいえば、一般の神社とは比較にならぬほど、小規模なもので、むしろ、祠を大きくしたものといってよい。
 鳥居正面には、大きな表札が高くとりつけられて、「山王大権現」と書かれている。
 山王大権現は、天台宗・比叡山延暦寺の守護神である大三輪神が祭神といわれており、比叡山の地主であるところから山王が祭られている。それが何時の時代から、なぜここに祭祀されたかについては、古記録もなく、不明である。
 鳥居をくぐり、社殿に昇ると、扉があり、それを開くと10メートル四方の広さの板敷の広間があり、優に20人くらいの人が、車座になって懇親会や、宴会もできるような恰好の広間でもある。
 その正面に小さな厨子が安置され、その中に御本尊が奉祀されている。大きな白木の立派な御本尊である。唱題しつつ、左方の脇書きを拝すると
 「授与 山王大権現」「天明第七永年、九月十五日」(1787年)
 さらによく拝見すると
 「是好良薬、今留在此、汝可取服、勿憂不差、病即消滅、不老不死、諸願不虚、亦於現世、得其服報、以仏滅後、能持是経、故諸仏皆歓喜、現無量神力 第二十六世 日寛上人師 享保三戊戌年 十月 書写之(1718年) 御本尊年数経 文字消難拝故今般再興之 弟子 日堅 宮中安置者也 古ヶ谷戸村中 繁栄一切無障礙似」
 前半は御本尊を信仰する者の功徳を述べられた法華経の文と、後半は、第36世日堅上人が、日寛上人の時代(約70年前)に顕された御本尊がよく拝せられなくなったので、新たな御本尊を授与された旨の御文である。それも天明年間のことであり190年前の出来事であることが分かる。
 奥の方には、もう1体の御本尊が御安置されている。中央に
 「山王大権現」
 脇書きの所には
 「享保三年戊戌年十月十五日」
 また
 「以仏滅度後 能持此経 也諸仏皆 歓喜現無量神力」
と拝することができる。享保といえば260年も前のことである。その間、風雪にもさらされ腐蝕の恐れもあったのに、今日まで保存されてきたことは、全く驚くべきことといわねばならない。
 このあまりにも貴重な資料により、古ヶ谷戸村の人々は、すでに徳川中期に当る享保年間に、村の全家庭があげて御本尊信仰の人となり、大石寺檀家であったことが知られる。
 そして、時の猊下であった第26世日寛上人の御許しにより、この山王権現の御本尊を下付されたのであろうか。
 当然のことながら、それ以前に、従来祭られてあったであろう、神体なるものは、完全に取り払われ、社殿はまさしく仏法守護・国土安穏を使命とする、真の山王大権現が鎮座ましましたのである。
 これこそ、当時の古ヶ谷戸村の広宣流布でなくてはならない。

<御本尊を鎮守神とする村人の誇り>
 以来、2百数十年、この村の鎮守は、村人たちにどのように守られてきたか、知る術もないが、現在行われている、年2回の地祭りの内容により、また、毎月定められた日に清掃給仕する習慣や、風俗により、その片鱗を伺うことができる。
 1月1日、部落全体が社殿に集まり、新年会、各自が正月のおせち料理や酒を持参し宴会を楽しむ。
 現在は組長(部落の中心者)宅で行うようになった。 10月16日〜18日まで鳥居の前に祭りを示す白地に社名を書いた「のぼり」2本を立てる。
 収穫を祝い、豊作を感謝し、部落全体の繁栄を祈願する。社殿に供物を供える。酒、赤飯、餅、すし、だんご、煮物、等々を納める。その供物を当日参詣に来た人々に、また、部落の子供達に配ってあげる。
 農村地帯で、何の楽しみも持たない農家の人達が、彼岸の頃(おひまち)に祭りを行い、飲んだり食べたりして楽しんだ。また、個人的には当番に当る家庭で毎月清掃を行い、この時、御僧侶の導師により、『方便品』、『寿量品』、唱題の儀式が行われる。
 2月の節分と称する行事は一切なし。このように、非常に素朴な風習に過ぎないが、祭りに際しては、部落全体の家庭が、社を中心に何らかの形でこれを祝う、という習慣が今でも残っている。わずか、30世帯前後の部落ではあるが、人々の心の奥には「うちの鎮守神は、どこにもない立派な仏様が祀られている」との誇りを一様にもっているからであろう。
 以上上条小字古ヶ谷戸の山王大権現の例を述べたが、これと同様に御本尊を祀る祠社が、他に9ヶ所、さらに堂内にある棟札の年月日の記録により、また、上野村村誌の記録により、現在には奉祠されていないが、かつては立派な御本尊が祀られてあったと推定される社が、4ヶ所ほどあげられる。(中略)
 なお、興味深い事実は、上野村全域の郷社である日吉神社は、下条字宮下にその居を構えて、この地方の中心となっており、その資格は郷社として、県下にもその存在を知られている大社である。
 だが、小部落と異なり、広大な上野村全部の広布は、ついに実現されなかったのだろうか。前記の諸社に比べ、最大の規模をもっているにもかかわらず、この神社は、悪鬼乱入の神社に荒れ果ててしまっている。本殿内のいわゆる神体らしきものは、単なる鏡が置いてあるに過ぎない。
 それに比較して、小字の部落にひっそりと建つ小祠ではあるが、そこに奉祠されている御本尊を思うとき、その両者の価値が、まさに天地雲泥の相違を覚えずにはいられない。

<この正しい祭祇の伝統を未来にまで>
 それにつけても、御本尊を祀る前記・諸部落の人々の、今日の御本尊参詣、ならびに御給仕の実態を見るとき、「雖近而不見」の油断はないかとの疑念が、多分に生じてくる。かつては、村内あげて法を求め、教学を研鑚し、勇猛精進した先人の威徳を偲ぶことも、必要ではないのか。
 そして、社祠を守る大石寺膝下の市民の有り方は、いかにあるべきかを、自己のためにも、部落のためにも、真剣に考え、かつそれを具体的実践に移すべきではないだろうか。
 さらに、未来の子々孫々の繁栄のためにも、この上野にのみ存在する、正しい祭祀の伝統と誇りある先人の偉績を、立派に残していく責務があるであろう。
 とくに今日、部落の急速な都市化を思うとき、古きが故にややもすれば失われがちな、忘れ去られようとする文化財的諸資料を、信心による価値観に立って先人が我々に伝えたと同じように、後代のために大事に存続し、つとめて原型のまま伝えられるべきではないだろうか。
 といって、いたずらに注文が多すぎはしないか、自らを振り返って、地域の広布の進展度は如何、省みて地域はおろか、我が家の広布が精一杯とあっては、上野の方々への進言は、そのまま我が信心に厳しく言い聞かせねばならない。
 大石寺周辺の社祠の変革を考えて、自己の地域の広布の確立を期し、ただ精進あるのみである。





大石寺周辺社への疑難を斬る

―注連縄・御神木・拍手・幟も一刀両断―
(『慧妙』H12.11.16)

 日蓮正宗憎しのあまり、次々と「邪義だ、謗法だ」と連発する、学会怪文書『フェイク』が、ここのところ熱心なのが、大石寺周辺の社に御安置されている日蓮正宗の御本尊のこと。
 神社に、御本尊が御安置されていることについては、今さらいうまでもないことだが、創価学会第2代会長・戸田城聖氏が
 「(宣流布の暁には)各神社には御本尊様が御安置されます」
と指導しているごとく、かつて広宣流布された地域である大石寺周辺では、むしろ当然のことである。
 さて、この道理が見えない(かつ、信心強盛であった戸田氏の指導が身に染まない)学会怪文書『フェイク』は、「神社に御本尊があることが謗法だ」などと、空騒ぎを続けているのである。
 この、道理に暗い『フェイク』執筆陣および『創価新報』執筆陣、さらに、これに同調する尻軽な学会員たちのために、まとめてこれらの疑難を摧破してあげよう。


【学会の疑難@】
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社に注連縄(しめなわ)があるから謗法だ。
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 日本では古来から、清浄な地と不浄な地を分ける意味から、注連縄をもって表わしてきた習慣がある。
 もちろん、この注連縄が「本尊」「神札」「神体」などというものではないことはいうまでもなかろう。
 それ故、戸田氏の指導の中にも
 「うそかほんとうか、位牌を焼かしている者があるそうだという話があるが、気をつけるように。ただ、霊友会や立正佼成会などの位牌は、拝む当体だから処置すればよい。神として、仏として拝む、その当体だけを焼くのです。神棚など、社はよいが、中身が悪いのです。『坊主憎けりゃけさまで憎い』などと、そんなことはしないでもらいたい。神棚はとっておけばよい。今まではへんちくりんな神さまがすわっていたのだが。本でも置けばよいし、おしめでも置けるし、便利このうえないものだから、棚はこわす必要はない。これだけは、ほんとうによく注意してください。」(『戸田城聖全集』第4巻)
 かくのごとく、戸田氏も、「拝む当体であれば処置しなければならないが、そうでなければ取り去る必要はない」と明確に指導しているではないか。
 『フェイク』編集子諸君、何でも「謗法、邪義」などと言っているから、ついには、このような戸田氏の指導までコケにすることになるのだ。以後、気を付けなさい(といっても無駄か)。


【学会の疑難A】
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神社の中に日顕上人猊下御書写の御形木御本尊の前に、「御神木」と書かれた木片がある。御神木と御本尊が並んでいるのは謗法だ。
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 そもそも『フェイク』編集子は、「御神木」の意味を知っているのだろうか。
 御神木とは、神社の境内地にある樹木のことをいうのであって、このような木片のことをいうのではない。
 『フェイク』編集子はあまりにも愚かだから、これだけでは理解できまい。もう少々、この件の説を紹介しよう。
 この「御神木」と書かれた木片は、平成元年頃、この八幡宮の境内地に立っていた松の木が、台風で倒れたため、神社に立っていた木≠ニいう意味でこの木の一部を切り取り、「御神木」と書いて堂の中に入れておいただけのこと。
 ゆえに、この「御神木」には御神体の意味などなく、あくまでも、この八幡宮の「御神体」は日蓮正宗の御本尊なのである。
 なお、過日、これが『フェイク』の言い掛かりのタネとなっていることを知った地元の方の手により、この「御神木」の木片は、御本尊が御安置されている祠の中から取り払われている。


【学会の疑難B】
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熊久保神社の前で、大石寺の根檀家の人達が、柏手を打っていた。こんな、日蓮正宗の化儀にない礼拝をするのは謗法だ。
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 『フェイク』や『創価新報』は、これをいうために近隣の住民が社の前で手を広げている写真を掲載してるのだが、じつは、これこそ欺瞞そのものなのである。
 この地域では、合掌するに際し、いったん手を広げてしかる後に手指を合わせる風習があり、『フェイク』『新報』が掲載した写真は、手を合わせる前の一瞬を撮影したものなのである。
 それ故、写真を撮るために、この合掌の一部始終を見ていた人間ならば、十分にそれが理解できたはずだが、この事実を隠して、このような疑難をなすこと自体、創価学会の謀略性を示して余りあろう。
 また、このような風習は、随方毘尼(ずいほうびに)≠ニして許容されるであろうことも、付言しておく。


【学会の疑難C】
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社の前に、「奉納 八幡大神 氏子中」「奉納 天照皇大神 氏子中」との幟(のぼり)が立てられている。
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 どうやら、幟に書いてある「八幡大神」「天照皇大神」に固執しているらしいが、じつは、その2神が守る御神体こそ、安置されている日蓮正宗の御本尊に他ならない。よって、これが「謗法」などでないことはいうまでもない。
 それとも、『フェイク』編集子は、「幟も拝む対象だから謗法だ」と見ているのであろうか。そうなると、もはや付ける薬はないのかもしれぬが……。


 以上、いかに鈍根な『フェイク』編集子の頭でも理解できるように、できるだけわかりやすく説明してあげたが、理解できたかな?
 いずれにせよ、『フェイク』ならびに『創価新報』は、本紙がこれまでに引用してきた戸田氏の指導や中西治雄氏の論文については、依然、ダンマリを続けたままだ。
 この次に今度反論してくる時には、戸田氏の指導や中西論文を破折してから出直してくることだ。呵々。





怪文書犯は小学生からやり直せ!

(『慧妙』H12.10.16)

 本紙前号の当欄で、学会怪文書『フェイク』の無知蒙昧(もうまい)ぶりを、「日本語も判らぬ怪文書犯」と揶揄(やゆ)して喩(さと)してあげたのだが、謗法の果報で、とうとう、病(やまい)、膏肓(こうこう)に入ってしまったのか、ますます支離滅裂な論旨を展開している。
 以下、『鉄槌』特別編として、逐条的に破折する。


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御本尊を八幡宮の脇士のような形で安置するのが謗法であることは言うまでもない。
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 『フェイク』の語学力ゼロを露呈した一文である。
 いうまでもなく、「八幡宮」とは、「宮」すなわち建物の名称であって、本尊でもなければ神体でもない。
 『フェイク』は、八幡宮に御安置された御本尊の側に「八幡宮」の扁額があることをもって「御本尊を八幡宮の脇士にしている」などと言っているわけだが、右に書いたように「八幡宮」の扁額(要するに建物の名称を書いた額)は神体ではなく、あくまでも祀(まつ)られているのは本宗の御本尊だけなのだ。
 本当に馬鹿の相手をするのは疲れる!


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両側にある日顕上人の形木本尊を従えるように中央上方に掲げられた「八幡宮」のご神体の何処が御本尊というのか。(中略)それでも「八幡宮のご神体≠ヘ御本尊」と強弁するのか。
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 馬鹿に馬鹿を重ねたような一文である。
 誰も「『八幡宮(建物の扁額)』が御本尊だ」などとは言っていない。「八幡宮」という建物の神体≠ェ御本尊である、と言っているのである。
 『フェイク』編集子の狂った頭でちゃんと理解できるかどうか不安だが、強弁などしなくても、「八幡宮のご神体≠ヘ御本尊」である。
 『フェイク』編集子は、くだらぬ強弁を重ねるより、小学生の国語から勉強し直した方がよい。


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八幡神社には注連縄(しめなわ)や紙垂(かみしで)、賽銭箱が置いてあり、理境坊の檀家の人々は「氏子中」と名乗っているが、これは弁明できるか?
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 そもそも、しめ縄とは、清浄な場所を示すものであり、それ自体が謗法には当たらない。
 ゆえに、創価学会2代会長戸田城聖氏も、
 「(しめなわを売ってもいいか、との質問に)しめなわなど、いくら売ってもいいではありませんか。なわを作るのでしょう。回収して、またそれをもやして、灰にして、また売ったらもうかるでしょう。しめなわを売ってはいけないなどと、一ぺんも教えたことはありません。(中略)家でつくって、一生懸命売りなさい」(創価学会発行『戸田城聖先生質問会集』)
と言っているではないか。
 それでも「謗法だ」というなら、「謗法を売って金をもうけろ」と指導した戸田会長をこそ、厳しく糾弾すべきであろう。

つぎに「賽銭箱」の件であるが、これは常設されているものではなく年に数回、集会等の折に持ち出して参加者(『フェイク』も書いているように理境坊の檀家)の御供養を入れ、それをとりまとめて理境坊へ奉納するのであるから、何の問題もない。

また、「氏子中」との呼称であるが、御本尊御安置の場所が寺院ではなく社殿の形式であるため、「氏子」の呼称を用いているにすぎない。

要するに、建物の名称は「八幡宮」でも、そこに安置のご神体≠ヘ日蓮正宗の御本尊であるから謗法でも何でもないし、その御本尊を御守護申し上げる人達の集団をどう呼称しようと、謗法になるわけがないのである。


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大石寺が下附料を受け取っていたとは夢にも思わなかったが、一応、某氏に問うてみたところ、指を3本立てて見せた。『慧妙』の記事によって、その指3本は、宗門が「3万円」を貰っていたことを意味していたと判明。30万でも3万円でも「坊主丸儲け」に変わりはない。
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 驚いた発言ではないか。
 『フェイク』(300号)では何と言っていたか、ここに引用してみよう。
 「この神社に下附した形木本尊には昭和60年3月吉日の日付があり、下附料は2幅で30万円。」
 つまり、この記事が創作であったことを白状しつつ、無節操にも頬っかむりを決め込んでいるのである。
 創作記事で人を誹謗する学会怪文書『フェイク』――人権侵害集団・創価学会の縮図というべきであろう。


 以上、富士宮周辺の社に本宗の御本尊が安置されている事実につき、本紙は一貫して、謗法でないことを明確にし、戸田2代会長の指導や中西治雄論文もこれに同意している、と述べてきた。
 しかるに、『フェイク』ならびに『創価新報』は、この趣旨に全く触れることなく、「謗法・謗法」と騒いでいるのである。
 『新報』『フェイク』編集子よ、今後このことを論ずるときには、まず戸田氏の指導と中西論文を一々に破折してからにせよ。呵々





日本語も判らなくなった怪文書犯

(『慧妙』H12.10.1)

 『フェイク』300号が、大石寺周辺の神社≠ノ祀(まつ)られた御本尊について、愚にもつかぬ誹謗中傷を並べ立てている。
 すなわち、「大石寺周辺の神社≠ノは御本尊が祀られている。富士宮市熊久保地区にある神社≠ノは日顕上人の御形木御本尊が2体安置されており、その下附料≠ヘ30万円だった。坊主丸儲けだ」というのである。
 神社≠ノ御本尊が祀られていることの是非については、すでに本紙および本紙の前身である『妙観』紙が再三にわたって論じてきたように(『妙観』82号、『慧妙』8号等)、また、かつて創価学会内で発表された「地域広布の立場から大石寺周辺祠社の変革を考える」と題する研究論文にも明記されているように、何百年も昔に、大石寺の周辺地域の神社から、それまで祀られていた神体が取り払われ、その代わりに御本尊が御安置された――そのことにはまったく問題がないはずである。
 熊久保の神社≠フ場合も、堂内に「八幡宮」の額が掲げられてはいるものの、祀られているご神体≠ヘ御本尊であって、何の問題もない。
 これらのことを騒ぎ立てたこと自体、『フェイク』が自らの勉強不足(というより、池田教の害毒で日本語も理解できなくなっているのだろう)を露呈させたということだ。
 さて、問題の神社≠ノ日顕上人猊下御書写の御本尊が下附された経緯は、次のとおり。
 昨年6月頃、この神社≠ノもともと祀られていた2体の御本尊が、何者かによって盗み出されていたことが発覚。
 地区の守り神≠ナある御本尊を失った人々は困り果て、区長のS氏(理境坊講頭)が大石寺に御本尊の再下附を懇請することに。その結果、やっと再下附の許しを得ることができたのである。
 もちろん、日蓮正宗は学会と違って御本尊に値段を付けるようなことはしないから、下附料≠ネどというものは、一切求めない
 しかし、それではあまりにも申し訳ないと、地区の人々が相談し、後日あらためて区長が御供養(金額は3万円)申し上げた、というのが真相なのである。
 地域を護ってくださる御本尊への渇仰恋慕の思い――その純真な心を『フェイク』によって踏みにじられたことで、地区の人々は今、創価学会への怒りを新たにしている。
 なお、『フェイク』は後日、同紙の記事は大反響で、妙観講の悪ガキ共からも感情的電話が来た、などと書いているが、これも、とんだ笑い話。
 便所の落書き同然の怪文書には、もとより連絡先電話番号すら記載されていないではないか。
 妙観講からは「そんなに電話がほしければ、してあげるから、サッサと電話番号を載せろ」とのコメントが寄せられている。





$板御本尊と御影と金毘羅が同座!

―金毘羅神宮―
<富士宮ボーイ>WS)

場所:金毘羅神宮 富士宮市半野小字中山238 白糸の滝西1キロ
建物:社殿 石塔 鳥居なし
奉祀:金毘羅1体、板本尊2体、御影1体
調査報告:
 ここは元日蓮正宗の末寺・妙経寺のあった跡地である。妙経寺創立時の地域は曹洞宗、北山本門寺の本源寺(原村)があり、布教は困難だったようだ。正保元年(1644年)甲申4月に、大石寺16世日就が弟子本立坊日習に指示、創建され、本堂間口3間奥行6間内地513坪、檀家10戸だったと記録に残っている。
 83年後の享保11年(1727年)、第28世日詳が再興し、東西25間、南北35間、境内地875坪となった。
 その後、明治29年1月17日(1896年)愛知県尾張国西春日郡小木村小木に移転され、252年の幕が閉じた
 そして、明治の終わりごろ金毘羅神社となり、明治41年に2間四方の小堂が立てられたと大石寺の富士年表に記されている。
 さて以前より大石寺の御本尊があるとの情報により、9/9行って見た。すると今日は祭りとのこと。村の人に金毘羅さんの由来を聞きながら中を見た瞬間、まさに板本尊が2体、金毘羅もあり、なんと大聖人の御影もあるではないか。中は同居同座の状態で、破損もしている始末。なお板本尊はS病院→終戦後W家→M家→W家→Hクラブ→昭和40年頃金毘羅神社に移され現在に至っている。

★白木の御本尊
 承応2年11月25日 大石寺 第20世日典

★黒塗金文字の御本尊
 天保8年(1837)11月17日 大石寺 第51世日英
 「天下泰平国土安全村内 静寧 川中無障得也 
   天保八丁酉年十一月十七日 第五十一世日英 在御判
   授与 富士郡半野村中」

★大聖人御影 寛永3年2月末 第31世 日因 開眼 願主完孝日賢比立

★金毘羅神 大物主命 崇徳上皇 明治40年頃






$理境坊檀家の信仰の対象は「八幡宮」

―『慧妙』の「八幡宮のご神体≠ヘ御本尊」を笑う―
―「講中」ではなく「氏子中」と呼称、拍手を打って参拝―

『フェイク』第313号H12.10.19

 日顕が大石寺近郊の熊久保神社に下附料3万円を受け取って形木本尊を下附した謗法行為を本紙が取り上げたことで『慧妙』が前号に続き10月16日付でも弁解している。今号は「特別編」と銘打っているので少しマシな言い訳かと思ったが期待外れ。
 詭弁を弄しても反論できない悔しさから「日本語が判らない怪文書班」「小学生からやり直せ」と、口汚く罵っているが『慧妙』の文こそ小学生以下だ。
 バカバカしいのは「『八幡宮』とは建物の名称」「祀られているのは本宗の御本尊だけ」との『慧妙』らしい無駄口。ならば、なぜ、理境坊の檀家の「氏子中」の人々が揃って拍手を打って参拝しているのか?!
 下の写真を見れば明らかなように、この檀家の人は「八幡宮」の札(額)を拝んでいる。理境坊の檀家の人々の信仰の対象は、日顕の本尊ではなく、「八幡宮」の札であり、八幡宮を祀っている神社だからこそ「八幡宮」というのである。
 それでも「祀っているのは御本尊だけ」言い張るならば、どうして拍手打って参拝するのか?「拍手」について『慧妙』は、今号でも頬っかむりを決め込んでいるが、今後も回答できまい!
 次に、戸田第2代会長の「しめ縄を売ってもよい」との指導を引いて、八幡宮への本尊下附を正当化しようとしている。戸田会長が指導しているのは、あくまで商売についての話である。
 それは例えば、経営難に陥って社長の大草一男が解任されたオークサ・マテックスという名の土建屋が、建築中の邪宗寺の下水工事を請け負うのと似たようなこと。商売自体は謗法ではない。「しめ縄を売るのは構わない」、だから「しめ縄を張った八幡宮に本尊を下附し、拍手を打って参拝してよい」とはならない、それは全く別次元の話だ。
 さて、熊久保神社の他に白山八幡宮でも日顕の本尊を「八幡宮御神木」と並べて安置してある(詳細は本紙309号)が、これも謗法ではないのか?!






$今度は、日顕書写のお形木御本尊が半野八幡宮にも下付されていた!

<富士宮ボーイ>WS)

場所:半野八幡宮(通称:半野氏神) 富士宮市半野杉の後162
建物:社殿、鳥居、境内、参道
奉祀:八幡宮御神木1体、子安大明神1(2)体、
   日顕書写お形木御本尊1体(昭和60年3月吉日)
調査報告:
明日10/8(日)はここの祭りである。今日7日は祭りの準備をしていた。
 ここは通称半野の氏神と呼ばれている、半野八幡宮である。古来応神天皇が祭られていたようだが、いつの頃か大石寺の御本尊が祭られるようになった。ここには以前、第22世日俊、第37世日琫、第54世日胤の板御本尊があった。
 しかし、昨年心無いものによって盗まれてしまったのだ。そこで、大石寺に下付してもらったのが、まさしく熊久保で発見されたのと同じ、日顕のお形木御本尊だったのである。
 まず、順を追って見てみよう。のぼりには「奉納天照皇大神 氏子中 昭和三十八年吉日」「奉納八幡大神 氏子中 昭和三十八年吉日」とある。入り口の門には「御神燈」、裏には「天下泰平」とかかれている。どう見ても神様の祭りだ。
 そして赤い社殿入り口の上には「家内安全」の看板。村の人が忙しく準備をしている。
 さあ、社殿の中を見てみよう。ここでは、御本尊の御宮殿と、子安大明神の小さな御宮殿が安置されている。
 御本尊の左前には「八幡宮御神木」と書かれた木があり、上にはしめ縄もかかっている。しかも御本尊は画鋲でとまっているのだ。
 また、右下にある「奉納子安大明神」とかかれた木の横に御宮殿があり、その中には「木片」が祀られている。そして、この2つの御宮殿の前には賽銭箱もあるのだ。この様子はどう考えていいのだろうか。
 これが石山教学であり、広宣流布しているから謗法でもなんでもないと言い切れる姿なのであろうか。広く意見を求めたい。

お詫び:ゼンリンの地図では白山八幡宮となっていましたが、ゼンリンが間違っており、通称:「半野の氏神」といわれています。村の方たちの指摘により訂正致します。






$熊久保神社への形木本尊の下附に多大な反響

―「日顕は五老僧の末流だ」と怒りの声―
―「鮮明な証拠写真を見たい」との要望に応えて再掲載―

『フェイク』第301号H12.9.23

 日顕が大石寺近郊の熊久保神社に形木本尊を2幅も下附していた事実を写真付きで報じた本紙前号(21日付)には早速、多大な反響が寄せられた。その大半が日顕の謗法行為に驚き、呆れた怒りの声で「大石寺には宗開両祖の精神は微塵もない」「やっぱり今の猊下は五老僧の末流だ」「下附を斡旋した理境坊の小川只道住職は何を考えているのか?!」「檀家も指導できない只道(しどう)サン」等々というものであった。その反面、「御本尊と八幡宮が一緒に安置されている写真は合成ではないのか?」「写真が不鮮明なので信じられない」「はっきり写った写真をみたい」と、本紙に掲載した写真に関する声も幾つかあった。
 そのうちの数人は感情的になって「これはデッチ上げ写真だ」と怒鳴っていたが、これは多分、八幡宮と日顕の形木本尊に向かって拍手を打って参拝していた地元の人が所属している理境坊のもう1つの講中、あの妙観講の大草一男あたりの指示を受け、電話で言い掛かりをつけてきた悪ガキ共であろう。
 妙観講ごときに写真をみせてやるのは貴重な紙面の無駄使いというものだが、今号では日顕が下附した形木本尊と、それを安置している神社内部の両側をカットしていない写真、それに「奉納」と書かれた賽銭箱の写真も掲載してあげよう。
 これらを見れば「デッチ上げ」でも「合成」でもない正真正銘の写真であることが一目瞭然、日顕らの謗法行為は明々白々だ。