公明党破折
北朝鮮拉致問題



創価学会「機関紙」に載った「捏造コメント」/『週刊新潮』H15.4.3

公明党、やっぱりいい加減だといわざるを得ない=田原総一郎/'02民法テレビ/『しんぶん赤旗』H15.3.15

北朝鮮問題の古キズを暴き合う「共産党VS公明党」の仁義なき戦い/『週刊新潮』H15.2.27

拉致解明を妨害した日本共産党/『公明新聞』H14.11.9

公明党/拉致実行容疑者の辛光洙釈放要望/『しんぶん赤旗』H15.2.20

拉致問題解決を妨害したのはどの党か(辛光洙問題当時の人道的要求を悪口のネタにする共産)/『公明新聞』H14.11.9

創価学会「機関紙」に載った「捏造コメント」

(『週刊新潮』H15.4.3)

 池田大作センセイ。弟子たちをちゃんと指導してよ。
 コトの発端は、本誌の2月27日号。「北朝鮮問題の古キズを暴き合う『共産党vs公明党』の仁義なき戦い」という記事である。
 その中で、共産党の参院議員元秘書、兵本達吉氏の怒りのコメントを紹介した。
 「(公明党は)私を利用して大々的に共産党攻撃に利用しているが、迷惑この上ない。だいたい、私は日本で解散すべきはオウム、共産党、創価学会といっているぐらいなんです。双方ともいいかげんにして欲しい」
 氏は拉致問題の解決に取り組んでいたが、それがきっかけで除名された経歴をもつ。今では、すっかり反共産党の立場だが、その記事に噛みついたのが、『創価新報』(3月19日付)だ。
 「『創価新報』は月2回の発行で元々、青年部の機関紙だった。発行部数は150万部で、一般購読者もいる『聖教新聞』では載せられない学会員のドギツイ本音を書くのが特徴」(さる学会ウォッチャー)
だというが、同紙いわく、
 〈「週刊新潮」2月27日号では、元共産党国会議員秘書の兵本達吉氏のコメントを勝手に捏造して掲載。(中略)これについて、兵本氏は『私は"創価学会"などと一言も言っていない。編集部がこう書くと売れるからと、勝手に書き加えたんだ。とんでもない』と同誌に対して憤りを露わにしている
 ところが、これこそがまったくの捏造記事なのだ。
 兵本氏はもうウンザリといった様子で、あきれて言う。
 「週刊新潮に載ったコメントは、僕が常々言っていること。『創価新報』は僕に取材もしていない。まったくけしからん連中だ。連中にとって僕は共産党批判のための格好の材料。その僕に学会批判をされたら立場がないんだよ。事実、新潮の記事が出た直後、嫌がらせの電話が何本もきたくらい。公明党や共産党のような目糞鼻糞とはもう関わりたくない」
 学会のインチキ体質、ここに極まれり。
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※『週刊新潮』をはじめとする学会批判記事は捏造だらけであるとし、訂正謝罪記事を掲載されたことを鬼の首でも取ったかのように大宣伝している創価学会。また、敵攻撃のためには「訴権の乱用」よろしく、膨大な訴訟を負けを承知で提起する学会員たち。今回の兵本報道がウソだというのならば、堂々と訴えてみるべきであろう。巨大な組織力と豊富な資金をもつ学会にとって、どんな些細なことでも訴訟を起こすことは朝飯前のことであるし、実際に宗門に対してはそうしてきたのである。
 このような学会の体質と行動パターンから推測するに、「学会が訴えない記事は真実」だと考えて間違いなさそうである。そうでないと言うならば、是非とも訴えて貰いたいものである。(法蔵)





拉致被害者家族の名をかたって共産党攻撃/公明党

(『しんぶん赤旗』H15.3.15抜粋)

 公明党は、拉致被害者家族との関係でも、98年浜四津敏子代表代行が鹿児島を訪れた際、拉致被害者家族の増元照明さんから要請を受けたにもかかわらず、何の対応もとらなかったことが問題になってきました。
 昨年11月の民放テレビでは、司会者の田原総一朗氏がこのことをあげ、「公明党にたのんだけども、なんにもしてくれなかったと、公明党は。これはなんだ」と質問。高木陽介衆院議員が「(※問題が表面化して)浜四津さんが増元さんにお会いして、しっかりおわびすると、すぐに連絡をとらせていただいた」と弁明しましたが、田原氏からは「公明党、やっぱりいい加減だといわざるを得ない」と指摘されました。
 こうした批判を避けるために、公明党は卑劣にも拉致被害者家族の名をかたってほこ先を日本共産党に向けようと躍起になっているのです。まさに人道問題を他党を陥れる攻撃のためにもてあそぶものといわなければなりません。





北朝鮮問題の古キズを暴き合う「共産党VS公明党」の仁義なき戦い

(『週刊新潮』H15.2.27抜粋)

 〈北朝鮮問題/「反省」すべきは公明党ではないのか〉
とは日本共産党のパンフレツト。一方、公明党の表題は、
 〈北朝鮮問題/日本共産党はなぜ過去の過ちを認めないのですか。〉
 拉致被害者の帰国以来、マスコミに登場する政治家といえば、保守系議員を中心にした拉致議連の面々。逆に過去の拉致問題への対応を巡り、囂々(ごうごう)たる非難を浴びたのは社民党である。
 つまり、この間、拉致問題に関して共産、公明両党は蚊帳の外。ところがこの両党、まるでわが党こそ主役といわんばかりに機関紙を使い、互いに非難し合っているのである。

<幕下同士の罵り合い>
 昨年10月中旬といえば、統一補選のまっ最中。両党、各地でしのぎを削っていただけに、罵り合いも激しい。が、選挙が終っても、喧嘩はますますエスカレートするばかり。公明はすでに30万部を発行、共産は目標100万部配布というから、まさに戦争状態である。互いに1歩も譲らず、といったところだが、両党の争いにこどあるごとに引っ張り出されているのは、共産党の国会議員元秘書の兵本達吉氏だ。
 氏は拉致問題に取り組んできたが、党内でスパイ扱いされ、除名されたという経歴の持ち主。拉致問題に関して共産党と論争を繰り返しているが、公明党はちゃっかり兵本氏の講演記録を借用。パンフに掲載しているのだが、当の兵本氏は怒り心頭だ。
 「私を利用して大々的に共産党攻撃に利用しているが、迷惑この上ない。だいたい、私は日本で解散すべきはオウム、共産党、創価学会といっているぐらいなんです。双方ともいいかげんにして欲しい」
 共産公明両党に詳しい評論家の俵孝太郎氏は笑う。
 「両党が非難合戦をしているのは実に滑稽。北朝鮮と最も癒着していた横綱といえば、社民党の田辺、土井、自民党の金丸、野中ですよ。彼らは幕下同士の罵り合いでしかない。実にレベルの低い、誠に情けない連中だということだな」





公明党/拉致実行容疑者の辛光洙釈放要望

−“知らなかった”ではすまない/署名の1年前に橋本議員追及/88年3月26日参院予算委2公明議員が出席−
(『しんぶん赤旗』H15.2.20)

 昨年10月、公明党が北朝鮮による拉致問題で党略的な日本共産党攻撃をおこなってきたのにたいし、本紙は、「『反省』すべきは公明党ではないのか」という根拠の1つとして、韓国に潜入を企て逮捕された日本人拉致実行容疑者の辛光洙(シン・グァンス)とその共犯者の金吉旭らの「釈放」をもとめる要望書に、公明党の6人の国会議員(衆院議員3人、参院議員3人)が署名していることを指摘しました(昨年10月27日付)。その後も、11月23日付特集では、六人の署名の写真を付けて報道。「これこそ、拉致問題解決の妨害」と批判してきました。
 公明党はこの指摘に4ヵ月近くも沈黙していましたが、最近になって“知らないで署名した”といい始めました。「当時は辛が日本人拉致の実行者だとは分かっていなかった」「今から14年前の話であり……辛が拉致実行者であると知っての釈放要望でない」(『公明新聞』2月16日付)といっています。
 しかし、辛光洙と共犯者をふくむ「政治犯」29人の釈放要望書が来日する韓国の盧泰愚大統領あてに提出されたのは、89年7月。それより1年も前に、国会の参議院予算委員会で日本共産党の橋本敦議員が辛光洙事件をとりあげていました。この参院予算委員会には、公明党から署名した6人のうち猪熊重二、和田教美の2人の国会議員が出席していたことになっています(88年3月26日、参院予算委員会会議録)。
 原敕晁さんを1980年に拉致した辛光洙について、日本政府は「不法に侵入した北朝鮮の工作員であろう」(城内康光・警察庁警備局長)と答弁、共犯者の金吉旭が78年に「45歳から50歳の独身日本人男性と20歳代の未婚の日本人女性を北朝鮮に連れてくるようにという指示をうけていた」(同)ことも明らかにしました。橋本議員は「事実とするならば、恐るべき許しがたい国際的謀略」と批判しました。
 辛光洙事件そのものは、摘発された85年に「日本人を北朝鮮にら致、韓国、工作員ら3人拘束」(『朝日』85年6月28日付夕刊)と大きく報道されました。そして88年のこの橋本質問です。
 公明党は、こうした事実の指摘に「反省」しないばかりか、公明党パンフの「公明党は拉致解明にどう取り組んだか」という記事では、1980年の「国会で最初に質問、一貫して努力」といっていたものです。これほど明々白々な事実を知らなかったこと自体おかしな話ですが、だとすれば拉致解明の「一貫した努力」がなかったことを「反省」すべきではないでしょうか。(S)

[画像]:辛光洙事件がとりあげられた参院予算委員会に公明党の猪熊、和田両議員が出席していたことを記録した88年3月26日の同委議事録、及び辛光洙らの釈放要望書(89年7月)の猪熊、和田両氏ら公明党の6議員の署名
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・80年 辛光洙が原敕晁さんを拉致
・85年 2月に原さんのパスポートを使って韓国に入国した際に逮捕。「日本人を北朝鮮にら致、韓国、工作員ら3人拘束」(『朝日』850628夕刊)と大きく報道。
・88年 国会の参議院予算委員会で日本共産党の橋本敦議員が辛光洙事件をとりあげた。日本政府は「(辛光洙は)不法に侵入した北朝鮮の工作員であろう」(城内康光・警察庁警備局長)と答弁、共犯者の金吉旭が78年に「45歳から50歳の独身日本人男性と20歳代の未婚の日本人女性を北朝鮮に連れてくるようにという指示をうけていた」(同)ことも明らかにした。橋本議員は「事実とするならば、恐るべき許しがたい国際的謀略」と批判
・89年 辛光洙と共犯者をふくむ「政治犯」29人の釈放要望書を来日する韓国の盧泰愚大統領あてに提出
・99年 12月に恩赦で釈放
・00年 9月に北朝鮮に送還
(『しんぶん赤旗』H15.2.20/『公明新聞』H15.2.16より)





*拉致問題解決を妨害したのはどの党か

−辛光洙問題当時の人道的要求を悪口のネタにする共産−
http://www.komei.or.jp/news/2003/02/16_04.htm
(『公明新聞』H15.2.16)

 日本共産党は今、グリーンパンフと称する小冊子「北朝鮮問題『反省』すべきは公明党ではないのか」を大量に撒き散らし、公明党攻撃に狂奔している。北朝鮮問題でマスコミや関係者から反省と謝罪を求められているのは、共産党である。にもかかわらず、いまだ一片の反省も謝罪もせず、ひたすら開き直りと自己弁明、苦し紛れの公明党攻撃に明け暮れる恥知らずな態度には、全くあきれ返る。
 ところで、「苦し紛れの公明党攻撃」と言えば、「6人の公明党議員が拉致実行者の釈放を要望」などというお粗末極まる難くせも、その最たるものだろう。
 1989年、韓国の盧泰愚大統領に対し、日本の国会議員128人が署名した「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」が提出された。128人の中には、社民党の土井たか子党首や渕上貞雄副党首、村山富市元首相、民主党の菅直人代表、江田五月元科学技術庁長官ら、当時の社会党や社会民主連合の国会議員が含まれている。
 共産党は、この中に6人の公明党国会議員が含まれていたとして、「同党国会議員6人は、韓国大統領あてに、日本人拉致実行容疑者・辛光洙(シン・グァンス)の釈放を要望しました。これこそ、拉致問題解決の妨害ではありませんか」と、まるで鬼の首でも取ったかのように大騒ぎしている。
 問題の要望書は、29人の政治犯の釈放を求めたものだったが、今にして言えば、この政治犯の中に辛光洙が入っていた。辛光洙とは、後になって分かったことだが、73年に北朝鮮の工作員として日本に密入国し、80年6月に大阪市の中華料理店員だった原敕晁さんを拉致85年2月に原さんのパスポートを使って韓国に入国した際に逮捕された人物である。韓国の裁判では拉致は問われず、国家保安法違反(スパイ容疑)罪などで死刑判決を受けたが、99年12月に恩赦で釈放され、2000年9月に北朝鮮に送還された。
 共産党は、この辛光洙問題を持ち出し、公明党国会議員6人の署名をわざわざ写真に撮ってチラシに刷り込み、公明党が拉致問題解決を妨害した何よりの証拠だと言わんばかりに大宣伝しているのである。
 しかし、事実に照らしてみれば、共産党の虚偽宣伝は明々白々だ。29人の政治犯の釈放運動は、あくまで人道的見地から行われたものだった。北朝鮮に加担したものでは毛頭ない。政治犯の中に辛光洙が入っていたが、当時は辛が日本人拉致の実行者だとは分かっていなかった。共産党自身も、2002年9月の小泉訪朝で金正日総書記が日本人拉致を正式に認め謝罪するまで、一貫して拉致は疑惑にすぎないとしてきたのである。02年9月の小泉訪朝の前日まで北朝鮮による日本人拉致をかたくななまでに認めてこなかったのだ。
 辛を含む29人の政治犯の釈放を求める要望書は今から14年前の話であり、ましてその中に含まれる辛が拉致実行者であると知っての釈放要望でないことは無論である。
 また、公明党として党を挙げて署名したものでもなく、議員個人の判断によるものだった。
ところが、共産党の手にかかると、公明党が拉致実行者の釈放を要望し拉致問題解決を妨害したとなる。全く、ひどいこじつけである。
 大体、共産党の言い方からすれば、同党は14年前の89年当時、既に辛光洙が拉致実行犯であることを知っていたということになるのであり、それなのに02年9月まで北朝鮮による拉致犯罪を「疑惑の段階にすぎない」と言い張っていたということになる。それこそ国民を欺く言語道断の大欺瞞、大詐術ではないか。百倍、千倍も悪質な話だ。共産党は早くから知っていたのに、02年9月まで“知らぬふり”をしていたのか。
 そもそも、共産党に、こんな難くせを口にする資格があるのか。マスコミや関係者から、拉致問題の棚上げを図り拉致問題解決を妨害した元凶、拉致解明を遅らせた点で1番、悪質、悪辣だったと指弾されているのは当の共産党ではないか。
 自らを顧みることなく、公明党攻撃のためなら、何でもかんでも利用し、こじつけ、すり替え、悪口のネタにする……、共産党の政党としての退廃ここに極まれり、と言うほかない。共産党よ、どこまで墜ちていくのか!(矢)

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※要するに公明党の言い訳は「当時は辛が日本人拉致の実行者だとは分かっていなかった。」「拉致は疑惑にすぎないとしてきた」ということである。しかし、共産党の主張(『しんぶん赤旗』H15.2.20)によれば85年の逮捕当時から「日本人拉致実行犯」と一般紙でも報道され、国会においても政府は「(辛光洙は)不法に侵入した北朝鮮の工作員であろう」(城内康光・警察庁警備局長)と答弁、共犯者の金吉旭が78年に「45歳から50歳の独身日本人男性と20歳代の未婚の日本人女性を北朝鮮に連れてくるようにという指示をうけていた」(同)ことも明らかにしていたのである。そうであれば、単純に「人道的見地」から釈放を要望するのではなく、真相解明のための容疑者の引渡しを要求するべきだったのではないか。(法蔵)
・80年 辛光洙が原敕晁さんを拉致
・85年 2月に原さんのパスポートを使って韓国に入国した際に逮捕。「日本人を北朝鮮にら致、韓国、工作員ら3人拘束」(『朝日』850628夕刊)と大きく報道。
・88年 国会の参議院予算委員会で日本共産党の橋本敦議員が辛光洙事件をとりあげた。日本政府は「(辛光洙は)不法に侵入した北朝鮮の工作員であろう」(城内康光・警察庁警備局長)と答弁、共犯者の金吉旭が78年に「45歳から50歳の独身日本人男性と20歳代の未婚の日本人女性を北朝鮮に連れてくるようにという指示をうけていた」(同)ことも明らかにした。橋本議員は「事実とするならば、恐るべき許しがたい国際的謀略」と批判
・89年 辛光洙と共犯者をふくむ「政治犯」29人の釈放要望書を来日する韓国の盧泰愚大統領あてに提出
・99年 12月に恩赦で釈放
・00年 9月に北朝鮮に送還
(『しんぶん赤旗』H15.2.20/『公明新聞』H15.2.16より)





*拉致解明を妨害した日本共産党

http://www.komei.or.jp/news/special/detail09.htm
−兵本達吉氏(元日本共産党国会議員秘書)の講演から<上>−
(『公明新聞』H14.11.9)

自民、公明、保守の与党3党の国会議員でつくる「日朝関係と人権を考える会(※注)」(山口泰明座長=自民党)の初会合が7日、衆院第1議員会館で開かれ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による拉致事件の真相解明に奔走し、日本共産党を除名された元共産党国会議員秘書・兵本達吉氏が講演しました。同氏の講演内容と質疑応答を紹介します。

<調査に嫌がらせ、査問、除名/不破氏が「そんなことは警察に任せておけ」/朝鮮労働党との関係修復に障害視>
 長い間、日本人の拉致問題にかかわり、これが北朝鮮の犯行であるとつき止めた自負が、私にはある。
 当初は、日本海アベック蒸発事件と言われていたが、調べていくうちに、これは北朝鮮によって拉致されたものだと確信するようになった。そして、昭和63年の参院予算委員会で、当時、私が秘書を務めていた日本共産党の橋本敦氏の質問に対し、梶山(静六国家公安委員長)氏から「恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚である」との答弁をいただいた。これが拉致事件で、日本政府が初めて北朝鮮の犯行だと認めたものだ。
 その時の答弁はそれだけだったが、その後、政治活動をやっているわけでもない田舎の青年をどうして北朝鮮が拉致したのか、その目的、やり方、事情について、10年以上研究してきた。
 この間、私は日本共産党員として拉致事件を研究してきたが、党からいろいろ制約というか、ブレーキというか、嫌がらせを受けて、結局、平成10年8月に“警察のスパイ”であるということで党から除名されるに至った。その詳しい経過については、『文藝春秋』12月号に書いてある。
 「不破共産党議長を査問せよ」というすごいタイトルになっている。文藝春秋の編集部が付けた。しかし、私は、拉致事件で日本共産党に5日間、延べ20時間にわたって査問を受け、結局、党から追い出されたわけで、私はむしろ、査問した方を査問すべきだと考えている。

<拉致調査を始めた経緯>
 拉致事件にかかわった経過だけ簡単に申し上げる。昭和62年11月の大韓航空機爆破事件で犯人の金賢姫が逮捕され、その日本語教師として「李恩恵」という朝鮮名の女性の話がマスコミで話題になった。その時に、日本海アベック蒸発事件がにわかに浮上し、新潟の奥土さんとか、福井の浜本さんとか、鹿児島の増元さんじゃないかとか。そして警察が3人の女性と「李恩恵」の身体的特徴などを厳密に照合した結果、違うということになり、いったんこの話は消えた。
 しかし、私は、この日本海アベック蒸発事件がどうしても頭にひっかかっていたので、新潟、富山、福井、鹿児島の家族を訪問して話を聞いた。何の理由も原因もなく、文字通り、蒸発したようにいなくなっている。
 家族は悲嘆に暮れていた。どの家族も疲労困憊だった。私は、警察がどうにもできないのであれば、国会で取り上げて問題にしないといけないと思い、調査を始めた。
昭和53年8月15日に富山県高岡市で、もう1つアベックの拉致未遂事件があった。遺留品とか、行方不明になっている場所が古来から朝鮮半島との往来があったとか、朝鮮の影が濃い犯罪だと最初から感じた。
 そのうち、北朝鮮から韓国に亡命した安明進(アンミョンジン)が、金正日政治軍事大学で日本から拉致されてきた10人〜20人の日本人を目撃した、という証言も出てきた。
これで確実になったと思ったところへ、今度は、横田めぐみさんの話が急浮上した。実は、この横田さんの父親を発見したのは私だが、これで一気に世論がわいた。その流れの中で、「『北朝鮮による拉致』被害者家族連絡会」を結成し、自民党や当時の新進党を中心に150人ほどの拉致議連が立ち上がった。
 そして、先日、小泉首相が北朝鮮に乗り込み、拉致問題はまだまだ問題はたくさん残っているが、一応の解決をみたと思う。

<共産党が1番悪質で悪らつ>
 24年も25年も日本人が北朝鮮に抑留されたまま、放置されてきた。もう少し早くどうにかならなかったのかという声がある。私はやはり、第1に政治とか政党の責任があると思う。北朝鮮に金やコメをあげれば返してくれるのではないか、という考えで北朝鮮と折衝された人もいる。社民党のように昔から朝鮮労働党と友好関係にあるので、まさかそんなことはやらないだろうということで拉致問題を全然取り合わない政党もあった。
 しかし、私の知る範囲では、共産党が1番、悪質、悪辣だったと思う。
 私は法務委員会の仕事をやっていて、参院の委員会質問に備えて資料集めに行くわけだが、新潟、福井、鹿児島などを回ろうとしても、共産党の場合、出張の決裁をとらないと、旅費を出してくれない。しかも、なかなか決裁してくれない。委員会が終わってから決裁してくれても仕方ない。そういう初歩的な嫌がらせをやる。
 昭和63年頃、まだ世間では北朝鮮による拉致問題なんて誰も知らない時代で、もちろん共産党の誰も知らない。その頃は書類の内容をよく見ないで判を押してくれていたが、だんだんこの事件が世間的に知られるようになり、マスコミにも注目されるようになればなるほど、共産党はブレーキをかけてくるようになった。
 例えば、拉致事件に関し党のいろいろな部署に報告にこい、という。まず国際部へ、あるいは書記局へ、あるいは党内の朝鮮問題に明るい人がいっぱいいるのでその人と相談しろ、と。あっちこっちタライ回しにして、同じことを何遍でも説明させられる。説明が終わったかと思えば、次はそれを書類にして持って来なさい、と。
 共産党の場合は、旧社会党と違って、北朝鮮が拉致をやるはずがないなどと誰も思っていない。北朝鮮のことをよく知っていて、アイツらだったら何をやるかわからんと、ニタニタと笑って、しかし共産党が積極的にやる必要ない、と……。
 大阪の放送記者で石高健次さんという拉致問題に熱心な人がいるが、この人が韓国に取材に行った時に、北朝鮮の元工作員、安明進に会った。安明進が拉致に関する証言をしていて、私はこの話をもとにして国会で追及をしようと思った。そのためには、韓国大使館に行って韓国政府が安明進なる工作員に日本人記者との面会を許可したのか、また、安明進の証言には信憑性があるのか――の2点は最低限確かめた上で国会質問しないと、あとでいい加減な話だったと恥をかくことになる。それで韓国大使館に行ったのだが、この件でも後に共産党でいう「査問」にかけられた時に、1人で行った理由を追及された。共産党では外国の大使館に行くときに、1人で行ってはいけない、2人以上で行く規則がある。私はそんな規則は知らなかった。これでも、やられた。
 また、北朝鮮から新潟へ20日に1回やってくる万景峯(マンギョンポン)号という船がある。平成9年3月に金正日の国家主席就任(実際には就任していないが)を祝うカンパ集めにくるとの情報が入った。その際、在日朝鮮人の良心的な人たちの中から、この拉致問題は早急にかたづけないと、在日朝鮮人の立場がない、との声が上がった。そこで私に電話があり、万景峯号に京寿一(カンジュイリ)か李成哲(リセンチュリ)という地下工作の責任者が乗っているので、そこへ拉致被害者を返せという交渉に行け、とのことだった。しかし、私は個人の独断でそれができないので、党の指導部の決裁を受けたところ、「とんでもない。そんなことは警察、外務省、政府に任せておけ。勝手な行動などしてはならない」と、不破(哲三・現議長)さんから直々に言われた。その際、不破さんは「わが党としては拉致議連に参加するのはかまわない。法務や外務など委員会で拉致問題について政府を追及するのはかまわない。しかし、それ以上はやるな」とも言っていた。
 しかし、私は秘書を辞めてでも行くと言い張ったところ、「外務省の役人を万景峯号への案内人と引き合わせるまでならよろしい」との許可が下りた。ところが、途中の神戸で万景峯号への案内人と面会したところ、拉致問題は金正日自身の決裁事項であるということが分かり、万景峯号にはお連れできない、となった。しかし、これでは在日朝鮮人が収まりがつかなく、万景峯号に直接行ってくれとなり、船まで行った。これが結局、党から与えられた権限の範囲を越えた規約違反であるとされた。

<「拉致は取り込むためのエサ」>
 拉致議連が立ち上がった当時、多くの議員や関係者が私のところに拉致関連の資料集めにやってきた。また、当時、自民党や新進党の中に、拉致問題を調査するプロジェクトチームをつくる必要がある、との議論があったようで、私にも「退職後、手伝わないか」とのお誘いがあった。与党のチームに共産党の関係者が、と本当に驚いた。そして、この件も包み隠さず、橋本議員にも同僚にも事前に話したが、後でこのことが党の指導部に知れ大騒ぎとなった。要するに、彼らの主張は「警察は私を取り込むために、兵本は拉致といえば目の色が変わるから、それをエサにして引っ掛けるために行うためで、それにまんまと引っ掛かった」というものだ。
 ここまでは個人的な話だが、2000年10月に党首討論があった際、不破委員長(当時)が拉致問題を取り上げて質問している。たまたま家でテレビを見ていたが、不破氏は「拉致は単なる疑惑ではないか」「疑惑は疑惑として、疑惑の水準で北朝鮮と交渉しろ」と、わけのわからぬことを言っていた。この期に及んで、こんなことを言っているのかと驚いた。2001年の「赤旗」新年号でも「拉致は100%証明されたものではない」などと重ねて強調している。これが共産党の本当の態度だと改めて思った。
 共産党がなぜ、疑惑の解明を妨げたいのかといえば、1つは、北朝鮮は日本では一応、社会主義国であると思われているので、社会主義のイメージが悪くなる。第2は、共産党は今、いわゆる有事立法反対を一生懸命やっている。北朝鮮が日本人を拉致するような物騒で、怖い国ということになれば、有事立法を推進している勢力に有利に働いてしまう。有事立法必要との世論形成に拍車をかけてしまう。3つ目は、共産党は朝鮮労働党と水面下で党と党の関係を修復する交渉をしていたようで、共産党がそんなこと(拉致解明)をすれば相手との関係がこじれてしまう。
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(注)
 拉致問題について議員有志による「日朝関係と人権を考える会」が設立されましたが、この背景には公明党と共産党の論争があります。要するにどちらが拉致問題の解決を阻んだのか、どちらが北朝鮮と親密だったのかという責任のなすりつけ合いを、互いの機関紙の「公明新聞」と「赤旗」を通じて延々と行なっているのです。
 この議連ができる前、自民党のある幹部から連絡がありました。
 「新しい議連ができるが、これは公明党がつくるもので、目的は共産党攻撃だ。べつにいまの拉致議連を潰すためのものではないから黙っていてくれ」
というのです(平沢勝栄『諸君!』H15.2)