************************************************************ (小樽問答の際)宗門には、戦う気概など微塵もなかった。それどころか、戸田先生を学会本部に訪ね、平身低頭、助けを求めてきたのだ。
情けない「敵前逃亡」であった。
折伏の大将軍たる先生は、瞬時に決断された。
「この法論は、私が引き受ける!」
小樽問答――それは「正法正義の日興上人の門流」と、「大聖人に師敵対してきた五老僧の末流」との対決であった。(中略)
愚劣な日顕(上人)一派は、この大聖人、日興上人に直結する創価学会に敵対した。まさに、民衆救済の使命を捨てた「五老僧の末流」でもあることを、自ら証明していったのである。
(「随筆・人間世紀の光」『聖教新聞』H17.3.22)