創価学会破折資料
政教一致の実態
―矢野元委員長―
(<産経ニュース>H21.7.1)
民主、国民新党など野党の有志議員は1日、矢野絢也元公明党委員長を国会内に招き「政治と宗教」問題についてヒアリングした。昨年6月に続いて2度目で、民主党の菅直人代表代行、石井一(はじめ)副代表、亀井静香国民新党代表代行ら約100人が参加した。
矢野氏は平成3、4両年にわたり、公明党の支持母体である創価学会に税務調査が入った際、学会員による寄付のリストや美術品、池田大作名誉会長の個人所得などの調査には応じられないとする学会側の依頼を踏まえ、税務当局と折衝したことを明かした。そのうえで「これを転機として公明党の政権参画意欲が強まった」と強調した。(『慧妙』H21.7.16参照)
公明党と学会との関係に関しては、「池田(大作名誉会長)先生が師匠で、われわれは弟子。弟子は師匠のために命を投げ出して仕えるのが、学会員の原点であり公明党の原点」と述べた。
■矢野氏から話を聞く会(1) ―「土下座せいと言われた」―
(<産経ニュース>H21.7.2)
民主、国民新、社民、新党日本など野党の有志議員は1日、国会内で「矢野絢也さんより話を聞く会」を開いた。矢野元公明党委員長は講演に続き、出席者との質疑を行った。
主なやりとりは以下の通り。
〈菅直人代表代行〉
「昨年の6月13日に、この1回目というか、矢野絢也先生においでいただいた。大変、ある意味ショッキングなというか、まさに矢野先生ご自身が直接いろいろ体験したことをお話しいただいた。そして、それから約1年がたち、その間に大変大きな出来事があった」
「つまりは矢野さんをめぐる裁判において、1審では公明党学会側が100%勝訴していたのが、東京高裁で逆に矢野さんの側の100%の勝訴。しかも私も判決文を取り寄せてみると勝訴とされるテープレコーダーに記録されたものに、相手側がいわば、それを、捏造(ねつぞう)というか。編集し直し、本来あるべきものを抜いたり、それを真実の者だと言って提出した。それに対しても『これは捏造だ』と明確に判決の中で高裁が認定している。問題の手帳も返却するようにという中身の100%というか1000%といっていいような、判決が出されたことは承知だろう。」
「若干、間は空いたが、大きな変化の中で改めて矢野さんから話が聞くことができる。ありがたいし、しっかり話を受けてそれぞれの立場でこの問題を看過させることができない問題としたい」
〈亀井静香代表代行〉
「きょうは、矢野先生から、あの判決を踏まえてのお話を聞かせていただけることになった。私も予算委員会で指摘しているが、公党の委員長を長く務めた方に対し、言論封圧、犯罪行為一歩み寄りのようなことが宗教団体によってなされているとすれば、ゆゆしき問題だ。そういうことについて、私ども政党人としても看過できない問題だ」
「その具体的な事実について、民事裁判だが、高裁でああいう判決が出てきている。先生の話を聞いて手帳がもう、返還をされているかどうか。犯行を行った人たちがどういう対応をしておるのか。また、ああいうことが本当なら刑事犯罪でもある。これを刑事事件として告訴なりしておられるのか。どういう方針を持っておられるのか。そのあたり、わたしは聞かせていただきたい。先生が長く公党に委員長を務めて、政治活動をやっておられるなかで宗教と政治の関係。非常にご研究されているし、われわれは今後そうしたことを踏まえて政治家として対応したい」
〈司会者〉
「社民党の渕上貞雄副党首、新党日本の田中康夫代表は地方遊説の関係で欠席。本日呼びかけ人として自見庄三郎参院議員、室井邦彦参院議員も同席している」
〈矢野絢也氏〉
「今日はこのように沢山の方々に、国会大変な折に、私のために会を開いていただいた。ここから感謝申し上げる。できるだけ簡単にあいさつ申し上げ、その上で皆さんから質問を遠慮のないところを(受けたい)」
「というわけで、1年前衆院の会議室でこの会合を開いた。去年の6月だった。去年の5月に私は創価学会の退会届を出した。まあ昭和28年に学会に入ったので一生ほとんど学会と思っていたが、5月12日に学会あてに訴訟を起こした」
「その3年前、4年前から、私に対して『評論家をまず辞めろ』と。『委員長をやった人間が評論家をやるのはおかしい』と。青年部のトップ5人からホントにつるし上げのように、極端な話『土下座せい』と(言われた)。私はそれに対し、断固怒りまして。すると『それはそういう気持ちだ』と取り消していたが」
「で、青年部からつるし上げされて評論家を辞めろと。その明くる日、公明党のOBがきて、簡単にいうと、脅し、すかし、おだて。で、あげく、わたしの30年間、まあ40年間ですね。国会議員を辞めてからもあるので。100冊の手帳をよこせと。で、私も当然『渡さない』とあれこれ、やりとりがあり。その晩また(公明党OBが)来て、そして『なんでまた来たんだ?』というと、『いや、党本部で怒られて出直してきた。子供の使いではあるまいし』と。前後4回訪問があり、手帳や資料を家捜しして持っていった」
「その間、聖教新聞、公明新聞、わたしの悪口雑言が載った。それこそ毎日雨の日も風の日も、私ないし家族に対する監視、尾行。それもそんな簡単なもんじゃなくて、堂々と10メートルくらい後から付いてくるというような、監視というより威嚇といったほうがいい。あげく、私が相当弱っただろうという状況で、『家を売って2億、3億の寄付をせよ』と」
「こういうことで、それでも、私が自分の一生を考えると、会とともに生きてきたわけだし、公明党の書記長として10年くらいやってきた。その間、言論妨害問題、言論妨害したと昭和45年、大変な激動期があった。隣の亀井静香先生は自民党調査会会長か何かで、創価学会を実態調査する、というのもされていて、そのたびに私が行って、頭を下げて『そんなことせんといてぇ』といった。そういえば懐かしい間柄だ」
「そんなこととか、国税調査がはいったり、本山との争いがあったり、まあ、その間わたしなりの使命感でよかれと思って学会のためにあれこれやってきた」
■矢野氏から話を聞く会(2)
―「学会は曲がり角」―
(<産経ニュース>H21.7.2)
〈矢野絢也氏〉
「『おまえやってきたのは犯罪行為じゃないか』とある人から言われたが(苦笑)。犯罪行為的行為・・・あるいは職権を、私が利用したこともある。というようなことじくじたる思いもある」
「しかし、無名な人間を党の書記長にしてくれて、みんなで応援してくれた恩を考えれば少々、いじめられてもと思ってそれから3年間、我慢した。沈黙を守ると思っていたが、状況はますますひどくなるばかり。このままでは日本の国もおかしくなってしまう」
「学会自身もこんな暴走状態を続けていれば、どっかで衝突して、自壊自損事故を起こす。わたしにもつらいことなので腹の立つ気持ちもあるが国の将来にもかかわることだ」
「そして、私とともにいた学会の仲間も苦しんでいる。まあ力はないが告訴して戦うべきだと。大変生意気だがそう思い、それから1年たった。おかげさまで、私の前任者の竹入さんもまあ、よう、あの聖教新聞、公明新聞で(矢野、竹入両氏の悪口を)書いておられた」
「告訴以来、最近では上品な宗教新聞に変わったようだ。やっぱり言うてみな、いかんもんだと。この1つをみても、宗教新聞らしくなりつつあることをみても戦った意義があると。私はもっと戦わなければいけないと」
「私に対する監視尾行も、遠目でやっとるかもそれは分かりませんけども、目で見る範囲ではどうも昔ほど、そんな目立つ感じはしない。やはりまちがったことに対しては戦わなくちゃならない、それでよかったんだと私は思っているし、これからも今の自分のそんなちっぽけな感情よりも、偉そうな言い方だが、公の立場に立って、言論を中心として、また法廷を主な舞台として、私はこれからも学会のためによかれという気持ちで頑張っていきたいと思っている」
「まあ、あの両先生からお話があったとおり、手帳を持っていかれた。これにはもう、随分まあ、ややこしいことがたくさん書いてあるわけでして、まあ、その田中角栄さんとの関係、あるいは『三木おろし』、そのほか、『40日抗争』とか、政界の節目、節目で、ちょうど公明党は自民党と社会党の間におった第3番目の政党ですから、両方からよくお話がきて、一種のクッション役みたいな、悪く言えばヌエ的とも言われたが、政界、いろんな場面でいろんなことがあった。詳しく、われながら、あほじゃないかと思おうぐらい、詳しくそういった状況が手帳には書いてある。あるいはまた、学会のいろんな問題についても、これはもう言い出したらきりがないが、もうこれがおれのやったことかいなあと思うようなことが縷々書いてある」
「それを持っていかれて、ということで、評論家をやめろ、その資料になる手帳も持っていかれたら、本当に手足をもがれた感じだが、幸い私、まだボケてないので、記憶力だけはあるので、今も達者にそういったことも思いだしながら、やはり1人の政治家として日本の政治の、私なりの歴史は記録として残さなくちゃならない、こういう気持ちで今、過去の整理をしておる最中だ」
「まあ、そんなわけで、手帳を返してほしいというわけで、高裁では今お話があった通り、逆転判決、私の勝利、と。しかも、『学会が関与しておる』と。手帳強奪に」
「それも東京高裁では明示的に、つまりあからさまに、あるいは暗示的に遠回しに学会の関与をちらつかせながら、私を威迫したと、そういう趣旨の判決文になっておりますので、学会もこの手帳強奪についてはしらん、ということは言えない」
したがいまして、私が学会を訴えておる裁判は、1つは青年部首脳による言論妨害。それから監視尾行。あえてまあここでは、身元不明と言っている。私もいろんな知り合いの方、優秀な調査機関にお願いをして、尾行の車両ならびに人物の写真を、ビデオ写真などでたくさん…。まあ尾行の尾行だ」
「それは今法廷に提出しておりますし、優秀な方々にその面割といいますか、昔の学会の方々に、これはこういう男や、ちゅうことをと目下やっていただいている最中でして、従って、ただ今は『身元不詳』といういい方をしているが、いずれはっきりと氏名所属も出てくると思っている。そういう監視尾行。それから多額の寄付要求。まあ、『寄付してください、信心の上から』というならまだ分かるが、一方で青年部に私を攻撃させておいて、これをやめようと思ったら寄付した方がいい、というのはどこか怖い人のセリフと同じで、こういうのは寄付の要望とは言わないで、汚い言葉でありますが、恐喝まがいのやり方で、しかも『家を売れ』と。『その金を寄付せえ』と。『私の預金通帳も見せろ』と、ここまで来るとね、私は怖いというよりもあきれ果てるという感じがしまして、これは今、裁判であらそっている」
「そんな状況でこれからどうなるかということですが、私は、そういう30年、40年、学会とともにおり、言論妨害問題その他いろんなことを見てきたが、やはり今、創価学会・公明党はいい意味でも悪い意味でも曲がり角にきておると思っている」
■矢野氏から話を聞く会(3完) ―「公明党の焦りの裏返しが…」―
(<産経ニュース>H21.7.2)
〈矢野絢也氏〉
「私のような世代、当時、学会草創期のときは、私なんかはまだ青年部というあれだが、昔の青年部がもう、こういう年寄りになっていて、今学会の中堅、最先端を担っておるのは私よりも1世代下、あるいは2世代下の諸君が学会、公明党を担っているわけだ。その人たちもそれぞれ優秀な諸君だと私は思う」
「しかし、やはりこの子供のときから創価学会の両親とともに暮らし、ともに会合に出たり、それは私なんかは学会に入ってからでも会社におり、いろんなことも経験している。そういう、ある意味純粋培養、よく言えば、悪く言えば、世間を知らん、そして子供のときからしみこんだ価値観が絶対であると、そのように信じておる諸君が今学会を運営しておる」。
「それはものごとがはっきりしていいのかも分からないが、やはり世間との接点をどう考えるかという意味において、その問題がある。その象徴的な例が私に対する1つのケースだろうと思うけれども、どうあれ、それを束ねていらっしゃる池田大作名誉会長も私よりもご高齢であると」
「まあ、まさか未来永劫(えいごう)、仏さんのようにご存命というわけでもないだろうから、まあ・・、ということを考えれば、かなり学会は転換期にさしかかっておるし、また公明党もこの10年間、政権与党として、まあ、私が公明党の立場で言えば、よく頑張ったといえるが、公平に見れば、やや強引さが目立つような状況に今、なってきておる」
「焦りの裏返しではないかと思わざるを得ないような場面が、昨年の福田内閣末期のときから目立つようになってきた。与党であればいろいろ注文つけるのも当然かもしれないが、やはり節度というものがなくてはならない。しかもその要望というものも転換国会の立場の要望でありゃあ、これは問題はないんですが、組織の都合、例えば都議選との関係と解散の時期とか、というようなことになっていくが、一体これ天下国家とどういうかかわりがあるかと。そういう組織の都合による注文が目立つような印象があります」
「まあ、公明党の議員、私も含めてそうですけども、池田先生が師匠であると、われわれは弟子である、と。弟子は師匠のために命を投げ出してでも、仕えなくてはならない。とにかく指導、いろいろあるけれども、原点の指導は、この子弟の道、池田先生はお師匠さん、われわれは弟子。弟子として師匠のために命がけで戦う」
「これが、われわれ学会員の原点であり、そしてまた私の時代、今もそうだと思うが、公明党の原点ということになると思う」
「まあ、そのお師匠さんがおうような方で、『君たちの判断で日本のために一つよろしくみんなで協議してやれ』とこういうことなら、子弟の道もそんな間違ったことではない、人間として立派だ、と」
「しかし、これだけ巨大な組織になると、もうお師匠さんの意思なのか、その周辺の意思なのか、とにかく1つの注文、組織防衛、あるいは宗教的価値観による政治への介入ということが行われておる」
「例えば、民主党の先生が『仏敵』といわれたということは石井先生なんか、予算委員会でやってらっしたが、私たちもよくそういう言い方よくしてきた。えらいすんませんけども。『自民党の亀井静香は仏敵である』なんてね。非常に分かりやすい話で。慣用用語だと思っていただけりゃ、そう腹もたたんと思うんですが」
「ただまあそうでもない。やはりこの選挙のエネルギーというものを、政策の上からパワーアップしていく、それならまあ問題ないんだが、要するに宗教的価値観、あるいは宗教的排他意識、あるいはそれを憎悪心にまで転換して選挙で対立候補をおとしめるということになると、これはやはりね、こういうことを私は政教一致というんではないかという気がするわけで、形の上での政教一致論も多々あると思うが、要するに宗教的価値観によって、つまり絶対的な価値観によって、本来相対的な価値観である政策、政治を支配していくと、それが私は一番恐ろしいことではないかという気がするわけだ」
「まあ、どうあれ、こうやって皆さん方からの陰に陽に、のご支援をいただきながら、まあ本当にこんな年寄りがしかもたった1人であんな大きな組織とけんかするというと、これはまあ、正直言ってうっとうしい話だが、まあ、考えてみりゃ、老後の本当の生き甲斐を与えていただいたという喜びも感じるし、決して憎しみでやっているわけではない」
「日本のためというと偉そうですけども、日本のため、あるいは創価学会のまじめな会員のために私には責任がある、そんな偉そうな気持ちでやっておると。時たま、身の危険も予告するような話もたまにはあるわけだが、まあねえ、それはもうしようがないことだ。そういうことがあれば、もしそんなんがあったら、誰がやったというのはすぐ分かるわけで、陰でずっと小さくなって1人で殺されるよりは、これだけおおっぴらにやって殺された方が、これは死にかいもあるというもんだと思うし、今さらもう惜しいというわけでもない」
「さんざん楽しい思いも名誉な思いもしてきましたんで、もうすんなり未練はない。したがって私は腹を据えてこれからもやっていきたいと思っております。まあ、おかげさまで裁判も順調に進んでいる」
「なお、手帳のことがありましたが、高裁で返せという命令が出、仮に執行することができると、このように主文で書かれている。だから強制執行もできると。まあ、礼儀上、今弁護士の間で任意にお返しをいただきたいと、こういうふうに書簡をもって2度3度とやりとりをしておって、つい先週だか、先方の代理人の弁護士から、こちらからの返還してほしいという要求に『応ずる意思はありません』という内容証明による回答がきて、強制執行があった場合でも妨害することもいたしません、と。強制執行するともなんとも言ってないけれども…。だから返す意思はありませんと、えらく明確におっしゃっておるわけで、こちらがどういうつもりなんだろうと、今、いぶかっておるというか、判決に反してでも返さん、と」
「返すなという命令がどこかから出ているのかどっかへ持っていってしまっているのか、それは僕らには分からないことだが、まあ、いずれにしても法的な手続きでこれは返してもらうつもりだ。以上、簡単なことだが、時間も一応予定通り30分になったので、これで終わらせていただく。どうもご静聴ありがとうございます」
(質疑の様子は後日掲載します)
(元公明党委員長・矢野絢也『月刊現代』H20.12抜粋)
【政策よりも信心に訴える】
学会内部の会合では、見識のありそうな政策を長々とぶつと、学会の幹部から怒られてしまうときもある。なによりも学会員に響くのは「学会と池田先生をお守りするために命をかけて頑張ります」というフレーズだ。これが公明党候補者のスピーチの基本である。
要するに内部では政策よりも信心に訴えるのが公明党候補の鉄則なのだ。こうしたやりかたは、政治が熱狂的な宗教次元にすりかわってしまうことが多い。
前回の参院選で、ある民主党議員が公明党の政策を批判した。政策には政策で反論するのが常識だが、学会幹部は敵意をムキ出しにして、会合で「民主党は仏敵だ」と反論した。10月15日の参議院予算委でも石井一氏が録音ディスクを示して、この問題を追及していた。「仏敵」という言葉を使ったら、これは超論理の世界で政治次元から信仰次元にすりかわってしまう。だが、「民主党は仏敵だ!」と声をあげれば、学会員のボルテージは一気に上昇する。そうやって、対立候補への憎悪感をかきたてて学会員のエネルギーを高めるのである。これは政教一致そのものといわれても仕方がない。なにしろ、熱心な学会員たちは選挙必勝のためのお題目を長時間、懸命に唱えて下さっているのだ。
公明党候補は、こうした学会員の高ぶった宗教エネルギーに乗せられる形で選挙戦をたたかっていく。その期間中は、ずっと「連絡、報告、確認」の3原則が徹底されているため、候補者が油を売っているとすぐに幹部に報告される。候補者の一挙手一投足に至るまで、緻密な管理とスケジュールのなかに組み込まれているのだ。候補者は、その完壁に用意されたスケジュールに乗って、ただ動いていくだけである。(中略)
【党から池田氏への書簡】
こうやって当選していくのが公明党議員だから、彼らは学会にはまるで頭があがらない。
そうでなくとも、学会の最高会議である本部幹部会などで、池田名誉会長から「○○は、誰のおかげで国会議員になったと思っているんだ」と"ご指導"があったという情報がしょっちゅう入ってくる。また、面と向かって強烈に叱られることもある。そのたびに党は「お詫びと決意」の書簡を池田氏宛に提出する。叱られるのは、池田氏からばかりではない。地元選挙区の学会幹部からも「頭が高い!」「感謝していない!」「自覚が足りない!」と頻繁にやられる。「公明党議員は学会員の家来、池田氏の奴僕(ぬぼく)にすぎない」という現職議員すらいるのだ。しかも、学会幹部からの「指導」は、候補者や議員本人ばかりではなく、その家族に対してもなされる。世間からみると「いじめ」と受け取られかねないことも行われているが、学会では、それもありがたい指導であると感謝しなければならない。すべては、学会あっての公明党議員だからである。
(元公明党委員長・矢野絢也『月刊現代』H20.12抜粋)
【すべて学会主導】
しかし、創価学会としては、次の総選挙での与野党逆転を許すわけにはいかない。公明党を通じての権力支配が不可能になってしまうからだ。上層部は必死の思いで組織にゲキを飛ばしている。こうした選挙の際、創価学会はどう動くのか。私の経験をふまえ、特異な選挙運動の実情を述べてみたい。
まず選挙の候補者は、公明党が独自にさがしだすことばほぼ百パーセントない。候補者を見つけるのは学会であり、党はそれを受け入れて公認候補が決まる。人選にあたっては、能力や見栄えなどのほかに、もちろん学会での経歴も考慮される。その一方で、党は選挙公約を固めるが、まとまった段階で学会に提出し、決裁をもらわなくてはならない。
党の代表、幹事長の人事も池田氏の意向がほぼ全てだ。これまで代表選に複数の候補者が立候補したこともなく、つねに無投票で決まるのもそのためだ。(中略)
選挙に話を戻すと、選挙活動に欠かせないチラシやパンフレットは、いちおう党のほうで案を練って準備するが、いつも学会によって、ほとんど原形をとどめないくらい直される。(中略)
しかし、そのパンフが党の選挙資金になるのだから、こちらも辛抱しなければならない。というのは、パンフなどは私がいたころで、選挙のたびに1000万部ほど印刷していた。これは全国の学会員の手に渡ったのち、彼らによって有権者に配布されるのだが、学会員はこれをすべて有料で買うのである。1部100円としても、1000万部なら10億円だ。ただし、党としてもパンフ印刷コストを差し引かねばならないし、無料のチラシやビラも大量につくる。また、街宣車のコストもかかる。残った金の一部が学会の裏選対資金として利用されることもあった。
こうした金は、選挙戦が始まると、学会壮年部や青年部の人たちの車のガソリン代や専従スタッフたちの食費などに費やされるのである。
【3段階の「交流」を繰り返す】
ここまでは選挙にむけた前段階だが、学会の誇る組織パワーが発揮されるのは、投票日が決まってからだ。解散以前からゴールに合わせて、さながら列車のダイヤのように緻密なスケジュールが学会によって完壁に組まれる。この緻密な選挙運動は3段階に分けられている。第1段階は、「全国交流」と称して、個々の学会員が全国にいる友人知人、親戚縁者を訪ねていって話し込み、比例区の票固めをしていく。つまり遠方から固めていく作戦で、電話ではなく直接訪問が原則だ。これにかかる交通費などは、すべて学会員の個人負担である。
次に都道府県内の重点選挙区を中心に回る「地域交流」に転じ、やはり人脈をたどって個別に訪問していく。さらに第3段階として、いちばん大切な足元を固める「地元交流」がある。これはいわゆるご近所を回って、党の候補者への投票を頼む活動だ。こうして全国、地域、地元という3段階の活動を、数回も順ぐりに繰り返す。この結果を上層部は掌握し、動きが悪いと地元幹部が叱咤されるのである。
学会員は、友人知人、親戚縁者でどれだけ票がとれたかを各組織段階で集計して裏選対に報告するのだが、これをフレンド票の略で「F票」と呼ぶ。そのF票でもとくに固いとみられる有権者は「(マルエフ)」といった呼び方をする。選挙終盤になると地元の集計が、その地区の全有権者の何倍にもなる冗談みたいなことが多々あった。これはゴマカシではなく、それだけ重複して投票依頼が熱心に行われているということなのだ。
その一方で、学会組織内(こちらは略して「内〈ない〉」と呼ぶ)の引き締めも抜かりない。学会員といっても、学会活動に非常に熱心な人もいれば、そうでもない人もいるが、普段は熱心な順にA、B、Cとランク付けされている。聖教新聞を購読して、地域で行われる会員同士の座談会にもしっかり出て、折伏(会員の獲得活動)もしていればA、このうち1つ欠けたらB、2つ欠けたらCという具合だ。選挙になれば、このランク付けは、その人が公明党に投票するか、さらにどれだけF票を獲得するかで決められることになる。そして、Cの人はBへ、Bの人はAとなるように内部固めを図っていく。
さて、こうした選挙活動の拠点になっているのが、全国にある学会の会館である。まず各県にある中心的な会館には、その県のトップクラスの幹部が集まって、本部から下りてきた活動方針が確認され、そのあと県内各地にある地域ごとの会館に次の幹部クラスが招集されて、方針が伝えられていく。それも机上の空論になっては意味がないので、ことごとく「連絡、報告、確認」を合言葉にして、方針が徹底されるのだ。
本格的に選挙戦に突入すると、候補者も学会の会館から会館へ挨拶と握手のはしごをして回ることになる。朝6時にA会館へ、15分の挨拶を終えたら、6時半にはB会館に移動し、また挨拶。続いてまたC会館へという具合で、候補者本人は息つくまもなく過密スケジュールをこなしていく。まさに亀井静香氏や石井一氏が言うように、非課税で建てられた学会施設が選挙活動にフルに利用されているのである。
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【】は法蔵で編集
(『週刊新潮』H20.10.2)
これぞ政教一致の証拠文書か。そのマニュアルはA4ぺーパー3枚で、"創価学会関連施設を施工する上での注意事項"というのがタイトルだ。
「昨年10月末、創価学会東京研修センター新築工事の起工式が行われました。それに先立ち、メイン工事を請け負ったゼネコンから下請け業者などに配られたんです」(工事関係者)
その内容をざっと紹介すると、まずは(契約関係)の事項で創価学会用語について、"須弥壇(しゅみだん)→仏壇置場 法話室→比較的小さな和室 礼拝室→大きな礼拝施設部(和洋共あり)"などと説明している。
さらに、(起工式、竣工式関係)では、"当然、創価学会の場合、みずから何らかの勤行があるので、一般的な近所の神社から神主を呼ぶようなことはありえない""一般的な盛砂等の段取りや神事で(ママ)はない"等々。
要は、創価学会独特の注意事項を列挙しているわけだが、見逃せないのは(一般事項)の部分だ。
"創価学会の場合お布施はないが、聖教新聞社の広告宣伝を強制的に申し入れられる""選挙の応援(公明党)を依頼される。これも実際には公職選挙法違反であるが、相当な経費がかかる"。
元創価学会芸術部書記長の古谷博氏はこう解説する。
「かなり以前から、学会の建設局長などが施工業者に対し、広告を出せとか創価大学の学生を採用しろと内々に注文をつけていました。選挙応援の依頼はもちろん、業者に社員名簿を提出させ、学会幹部が社員宅を公明党支持のお願いにまわることもあったんです。ただ、今回のように証拠が残っているのは珍しい」
創価学会は、
「出所不明の怪文書の内容を前提としたご質問には、お答えする必要はないと思います」(広報室)
学会と公明党の闇が、またひとつ暴かれたのである。
―中野鐵造氏と福本潤一氏が語る疑惑≠フエピソード―
―P献金・人事・脅迫・存在目的――等々―
―自ら見た事、体験した事を赤裸々に告白―
―公明党議員の生殺与奪を握る創価学会―
(『慧妙』H20.10.1)
福田首相の突然の辞任に続き、自民党総裁選、臨時国会の召集と首相指名選挙、そして新内閣の誕生と、このところ目まぐるしく動いてきた政局が突き進む方向は、じつに単純明快。解散・総選挙である。
この動きは、矢野元公明党委員長の国会への参考人招致阻止のため、創価学会・公明党が仕組んだものだ、という話が、あちらこちらで囁(ささや)かれている。
それが事実だとすれば、いわば一宗教団体の都合によって日本の政治が翻弄(ほんろう)されたことになる。これはまさに、宗教が政治に干渉する形(政教一致)を禁じた憲法20条違反の状況といえよう。
創価学会と公明党との政教一致疑惑に関しては、これまでにも多くの人々が実情を暴露(ばくろ)してきたが、今回新たに、本紙のインタビューに応じ、創価学会佐賀県本部長・公明党佐賀県本部長を歴任し、参議院議員を2期務め、参議院公明党国対委員長まで務めた公明党OBの重鎮(じゅうちん)・中野鐵造氏が、昨年6月15日に公明党を離党した元参議院議員・福本潤一氏と共に、衝撃の事実を明かしてくれた。
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〈Q〉まずはお2人の経歴を伺いたいと思います。
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〈中野〉私は昭和31年の入信で、創価学会の中では佐賀県本部長を務め、また副理事長にもなりました。
昭和38年に佐賀市議会議員に初当選した後は、公明党の佐賀県本部長となりました。昭和55年には参議院議員に当選し、2期務めて、平成4年に定年で退職しましたが、その間に、参議院運輸委員会委員長・公明党国対委員長などを歴任しました。
〈福本〉私の入信は昭和43年で、東京大学1年生の時でした。東大法華経研究会に籍を置き、大学院時代に総合委員長まで務めました。創価学会会長の原田稔氏は私の先輩に、副会長の谷川佳樹氏は後輩にあたります。
東大で博士号を取得し、愛媛大学で助教授をしていましたが、平成7年に当時の新進党から参議院に出馬して当選し、昨年7月まで2期12年務めました。
【P献金問題】
―「年に100万円ずつを上納した」―
―「党本部長として皆に支払いを指示」―
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〈Q〉さて、単刀直入にお伺(うかが)いします。創価学会と公明党との関係を論ずる上には、やはり、政治と金≠フ問題を外すことはできないのではないでしょうか。
そこでまず、昨年、福本さんが明らかにし、国会でも質問され話題となったP献金≠ノついてお伺いします。中野さんの時代にも、いわゆるP献金≠ヘあったのですか。
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〈中野〉あるどころじゃない。
〈福本〉P献金≠ヘ、昔からあったと聞いています。
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〈Q〉しかし、昨年10月、国土交通省の大臣であった冬柴氏は、「P献金≠ェ何ものなのか知らない」と答弁していますが。
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〈福本〉昨年10月の参議院予算委員会で、民主党の石井一さんがこの問題を取り上げた時の冬柴国交相の答弁ですが、あの時の冬柴氏は、創価学会・公明党に焦点を絞っての突っ込んだ質問だったので、かなり慌(あわ)てて答弁しています。
あるいは「P献金≠ニいう言葉は知らないものの、先生へのお祝い金≠ヘ出したことがある。だが、それは否定しないといけない」と思ったのでしょう。「党に対する公認料として300万払っています」と、つい国会で口にしてしまった。「党に対する公認料だ」と言えば、その場は凌(しの)げると思ったんでしょうね。
しかし、「公認料」というのも不適切なんです。じゃあ、公明党議員は公認を金で買ってるんですか≠ニいうことになってしまうからです。そんなことにも気が回らないほどに動転して、ともかく政教分離している≠ニいうことを納得させようと焦り、思わず口が滑(すべ)ったんでしょう。
〈中野〉俗にP献金≠ニ言われているのは、池田大作に対するお祝い金≠フことですね。それは私もやりました。しかし、「公認料」などというのは、出していません。
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〈Q〉では、どのような形で納めるのでしょうか。
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〈中野〉形も何も。「年末の歳費から1本引いておきましたから」と、それだけ。(笑い)
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〈Q〉1本引く?
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〈中野〉私たちの頃は、年末の歳費から毎年100万円天引きされるんです。つまり、年末の歳費は、参議院なら参議院の公明党の事務所に払い込まれてくるんですが、そこから100万円ずつ引くわけです。私は2期12年、参議院議員を務めましたので、合計で1千200万円天引き≠ウれたわけです。
〈福本〉選挙活動費≠ニして納めていた時代もあったと聞いていますが、私の頃になると、当選した直後に、御礼として払うように言われました。1年100万円として、参議院議員は任期6年ですから600万円。2期務めたら1千200万円ですね。
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〈Q〉時代や名目は変わっても、1年100万円の上納は変わらないということですね。
ところで、あえて答えにくいことを伺いますが、中野さんは公明党佐賀県本部長の要職にありましたが、国会議員から町会議員まで含め、この1本天引き≠される側≠ナなく、させる側≠ニして関わったことがありますか?
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〈中野〉それは、私の場合、佐賀県の公明党本部長をしていたので、私がみんなに伝えたこともあります。
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〈Q〉ここは非常に大事なところなんですが、中野さん自身が公明党佐賀県本部長として指示したこともある、ということですね?
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〈中野〉それはありますよ。ということは、私には上から一律に言ってくるから……。町会議員はいくら、市会議員はいくら、県会議員はいくら、国会議員はいくら……と。
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〈Q〉そうして天引きされたお金は、どのような会計処理がなされるのでしょうか。
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〈中野〉残念ながら、私にはわかりません。矢野元委員長も、その会計処理については、池田大作さん個人への支払いという形になっていたかもしれないので、それが税務上どのように処理されていたかについては学会に聞いてもらわなくては判らない、と言っていましたね。
【大橋事件】
―大橋氏除名は池田が直接指示―
―「強姦」偽証を申し出た女性も!―
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〈Q〉創価学会が公明党を支配下に置いている、というのを物語るエピソードはありますか?
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〈中野〉私が一番印象に残っているのは、大橋敏雄君が公明党を除名になった時のことですね。
〈福本〉ああ、池田名誉会長を批判して公明党を除名になった人ですね?
〈中野〉いや、あれは批判というような内容ではなかったですね。大橋君が池田大作に送ったのは、あれは「諫言(かんげん)の書」でしたよ。
大橋君は随処に「私は先生大好き人間です」と書いていました。そして、大好きで大好きでしょうがないから、先生には何とか1つ、末端の人に対して、こうあってもらいたい、あああってもらいたい≠ニ。結局、言わんとするところは、先生は今、裸の王様になって、佞人(ねいじん)の佞弁(ねいべん)を聞いてそういうふうになっているが、それではだめだ≠ニいうことでした。
当時は矢野さんが委員長をしていたんですが、緊急の両院議員総会でその「諫言の書」を読み上げた矢野さんが、「先生がこのようなことは生意気だ!俺に意見がましいことを言うなんて≠ニおっしゃった」と。それで「即刻除名だ≠ニおっしゃった」と。そして、「創価学会は昨日すでに大橋を除名した。公明党がこのままでいい、というわけにはいかないから、公明党も除名せざるを得ない」と。「したがって、これは懲罰(ちょうばつ)委員会に投げるから、懲罰委員会でやってくれ」と言うんです。
私はその時、公明党の懲罰委員会の委員をしていたんですが、私だけでなく、良心を持った委員は皆、本当に忸怩(じくじ)たる思いだったはずです。
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〈Q〉結局、個人の信仰次元の問題に対して、党として除名理由を付けて処分した訳ですね。失礼な言い方かもしれませんが、中野さんはその当事者ということになりますが……。
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〈中野〉自分1人が腹をくくるのは簡単だ。だが、家族はどうなる、と。情けない話ですが、学会の実態を知る立場になればなるほど、良心のままに行動することができなくなってしまうんです。
それはそうでしょう。例えば大橋問題では、ある女性が「私が大橋に強姦された≠ニ言いましょうか」と言い出したのにはゾッとしましたね。実際には大橋君は、その女性とは何もなかったのですから。
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〈Q〉公明党は創価学会の意向には逆らえない、ということですか。
それにしても、そのような女性まで出てくるとは――。狂信の恐ろしさを改めて感じさせるエピソードですね。
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〈中野〉現実問題として、そもそも創価学会はその組織票で、公明党議員の生殺与奪権を握っていますからね。逆らいたくとも、おいそれとは逆らえません。学会の不興を買ったら、次は絶対にありませんから。
例えば、公明党県本部としてですね、今まで市会議員をやってきた人で、質問もいろいろいいことを言うし、面倒見もいい、政治手腕もある、そこでこの人が県会議員になったなら≠ニ、そういう意見を上げたとしても、創価学会の県本部からダメ≠出されてしまえば、これはもう、どうしようもありません。
〈福本〉小選挙区制となった今はもう、創価学会が生殺与奪権を握(にぎ)っているのは、公明党議員に対してだけではありませんよ。
小選挙区というのは昔以上に創価学会の直営選挙≠ネんです。
なぜかというと、300のうち、立候補者を出していない292の選挙区にも創価学会票があるわけですよ。それを狙って頭を下げてくる他党の候補は、公明党に頭を下げるのではなく、創価学会の文化会館へ行って、直に頭を下げるわけです。
この尋常(じんじょう)でない状況が何を生むかというと――、例えば、私は現実に、創価学会の某幹部が某首長に先生への特別顕彰を出してくれれば応援するよ≠ニ頼んでいるのを見ています。それも、私の隣で頼んでいるのを。
海外で池田大作氏に名誉市民証やら何やらがバンバン出ていますが、私は、幹部と首長のそのやりとりを見たとき、あ、名誉市民証といった類は、こういう形で出るのか≠ニ納得したものです。
日本の小選挙区や首長選ばかりでなく、1人しか選ばれない選挙というのは、海外でも同じはずですから。
立候補するとなれば、候補者はどんな弱小教団にでも頭を下げて回るわけでしょうし、創価学会のように1万人も2万人もいたら、そうすることで票になるのなら、名誉市民証でも何でも、出せるものは出したくなると思いますよ。
権力を握れば遣りたい放題が可能に!?
―「学会と対立すれば公安が…」大物政治家からの忠告―
―離党した時には「殺しもある」との脅しの言葉が!―
【政教一致問題】
―参考人招致を潰すための動き―
―創価学会は政治権力の濫用だ―
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〈Q〉創価学会と不可分の関係にある公明党が政権の中枢を牛耳っている現実によって、いったいどのようなことが起こり得るか、そのあたりについてのお考えをお聞かせ願えませんか。
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〈福本〉民主党の石井さんが予算委員会で冬柴氏とやり合った後、私は、ある大物元政治家から電話をもらいましたよ。「福本さんも、このままいくと創価学会と対立していく。公安にも追われかねない」と。そして「私も福本さんを知る者として忍びないから、ぜひともこのくらいで矛(ほこ)を下ろしてくれ」と。
それは名前を聞けば、誰もが顔を思い浮かべることができるほどの実力者ですが、じつはこの人、創価学会と直接のパイプを持つ人物です。しかも複数の。
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〈Q〉「公安」というのは穏やかではありませんね。創価学会・公明党を批判する人物は、極右や極左、あるいはオウム真理教のように、公安にマークされることになる、ということですか。
昔、池田大作が「警察だって、動かしているのは竹入・井上だよ」と発言したことがありましたが、公安まで動かせる、というのでしょうか。
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〈福本〉少なくとも、そういう電話を架けてきたわけですよ。
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〈Q〉しかし、それを創価学会・公明党以外の大物元政治家が口にした、というのは、衝撃的ですね。
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〈福本〉じつはその時、その大物元政治家にどのような働きかけがされているのかが気になって、その大物元政治家と親しい関係にある学会関係者に連絡を取ってみたんです。
その学会関係者は、公明党と他党関係者とのパイプ役≠ノなりたくて、これまでもあれこれ画策してきた人物です。そうしたことを、いかにも大物ぶって、わざと人前で誇示(こじ)する人なんですが。
〈中野〉それはもう、寝業師というか、そういう権謀術数(けんぼうじゅっすう)に長(た)けたのがいるんですよ。
まあ、何とかとハサミは使いようで、いいように使われてオシマイ、というのがオチですがね。
〈福本〉それで連絡を取ってみると、その男の方から「会って話がしたい」と言ってきた。
そこで、「どこで」と聞くと、「高層ビルの最上階に近い個室で食事でもしながら」と言う。
その時、そんなところで会ったら、ひょっとして突き落とされるかも知れない≠ニいう考えがよぎって、即刻お断わりしましたがね。(笑い)
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〈Q〉それは賢明だったかも知れません。
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〈福本〉その時、その男は、「頼んだのは自分ではない。あの人は、自分が頼んだくらいで動いてくれるような人ではない」と言っていましたが、後日、ある会食会で同席した、創価学会の某副会長と親しい人物から、その副会長が「次の予算委員会の質疑で、福本を参考人招致するという話が出るそうだが、福本は大物元政治家を通して押さえたから大丈夫だ」と言っていた、と聞かされましたよ。
【非合法な問題】
―矢野氏は暗殺計画の存在≠記述―
―「私も『殺しもある』と言われた!」―
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〈Q〉創価学会の影響力は政界に広く、しかも強く及んでいるわけですね。
それと、矢野元公明党委員長は、『文藝春秋』に発表した手記に、
「私が党役員のとき、学会首脳が第三者を使い、藤原氏(※藤原行正元都議)の暗殺を計画しているとして、藤井富雄都議会幹事長が私の自宅に来て、『そういうことは学会の自殺行為になるので、矢野さんから止めてもらいたい』との真剣な要請があった」
と記していますが、こうした非合法的なことは実際にあり得るでしょうか。
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〈中野〉実行するかどうかは別として、そういう話があった、ということは充分考えられますね。
〈福本〉私は実際に言われましたよ。私自身も「殺しもあるからな」と脅(おど)す言葉を言われたのです。離党した時に。
そのあたりの経緯(けいい)や、具体的な内容については、後のためにきちっと書こうと思っているんですが、そうしたこともあって、先ほど言ったように、「高層ビルの最上階に近い個室で」と言われた時に、そんなところで会ったら、ひょっとして突き落とされるかも知れない≠ニいう考えが頭をよぎったんですよ。
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〈Q〉なるほど。では、そのあたりの細かい経緯については、いずれ発表されるのを楽しみに待たせていただくことにしましょう。
さて、このようにお話を伺ってくると、やはり気になってくるのが創価学会の「総体革命」ですが、国会議員というお立場になられて、何か気付いたことはおありですか。
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〈福本〉私は、東京大学在学当時、東大法華経研究会というところに籍を置き、最終的には総合委員長にまでなったのですが、法華経研究会というのは、その当時、300人以上にまで膨(ふく)らんだメンバーを柱に、「総体革命」のためのキャリア官僚を輩出する使命を与えられていました。
それで、私が国会議員になり、各省庁と打ち合わせをする機会ができた時に、そこに局長として来るのが、当時の法華経研究会のメンバーだった人間だったりするんですよ。あ、あいつも局長になってるのか≠ニいう感じで、何人も出てきているわけです。
だから、創価学会の「総体革命」は着々とその勢力を伸ばしている、と感じますね。
【存在意義】
―学会・池田を守るのが公明党の使命!?―
―「全ては池田家のためにある」―
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〈Q〉最後に、お2人に愚問を1つ。公明党には存在意義があると思われますか?
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〈福本〉私の場合は新進党で議員生活をスタートさせたから、新進党が解党し、再び公明党として活動することになったとき、ある意味、今までとは違う状況になるということで、期待も抱いたんです。
ところがその時、一部の古参議員達は、公明党という形に戻るのを、ものすごく嫌(いや)がった。
私は当初、それがなぜなのか分からなかったんですが、実際にスタートしてみると、話に聞いていた旧来の公明党の状況以上に、創価学会の特命まで具体的にいろいろ指示されたりするようになりました。これは以前にもお話ししていますが、私は、東京大学から池田名誉会長に対して名誉教授が授与されるよう、働きかけてくれ≠ニ依頼されましたし、一方で、学会幹部の言葉に敏感に反応した同僚議員が、フランスの国民議会に対し、創価学会のカルト認定を外してくれるように、自ら率先して動く姿も目にしました。
そうしたことを体験して初めて、古参議員が憂鬱(ゆううつ)そうにしていた理由が理解できたんですよ。戻ったらこんなに酷(ひど)いことになるのか≠ニ。
それまでは、自分の身に降りかからないうちは、気付かないんですよ。案外、外からの視線では見えませんから。
〈中野〉まあ、一般の人達が聞いても非常にわかりやすい表現で、端的に、公明党・創価学会の存在意義を語るとすれば、「池田家のためにある」ということになるでしょう。それが一番分かりやすいよ。
中道主義だとか、あるいは人間の生命の尊厳だとか、綺麗事(きれいごと)を言ってはいるけれど、何のことはない、ズーッと突き詰めていけば、池田家のためだから。
〈福本〉だから、名誉称号が授与されるように云々などということも要求されるわけですよね。
〈中野〉そうそう。
私が、大橋問題だとか、さまざまなことに遭遇(そうぐう)し、収まりがつきかねて、同僚の国会議員なんかに「あなたはどう思う?」と問うた時、返ってきた答えは何だったと思いますか?
「いやいや、もう言うな。馬鹿になっていればいいんだよ。馬鹿になって国会議員を務めきり、地元に帰れば、今度は大幹部でいられるんだから。余計なことは言わん方がいいよ。馬鹿になってりゃいいんだよ」と、こうですよ。
結局、公明党は池田創価学会の番犬のようなものであって、所属する議員は議員で、私と話した議員のような体たらくか、そうでなければ福本さんが言ってたような忠犬ハチ公≠ホかりだから、何と言っていいか――。まあ、最悪の存在ですね。
「声欄」がボツにしなかった創価学会員の「政教一致」告発投書
【『「信仰の場」で選挙活動とは』】
(「声」『朝日新聞』H19.6.25)
今月中旬、創価学会の会館で開かれた地区座談会に誘われて参加し、信じられない光景を見た。座談会には約30人が参加し、終了後もほとんどの人が残った。
女性幹部が「これから参院選の投票練習をします」といい、投票用紙大の白紙を2枚ずつ配った。1枚には公明党推薦の候補者名を、もう1枚には公明党と書くよう指示。書き終えると、幹部が1人ずつ点検していく。「もっとはっきり書いて下さい。」と注意される人もいた。
読経をし、仏教哲学を学ぶ信仰の場が座談会という。私は友人に頼まれ、福祉や青少年問題の話をするため出席した。年金問題に取り組む公明党の活動PRの紙芝居もあり、「民主党の菅直人代表代行が厚生大臣だったときに今の制度が作られたので責任は菅代表代行にある。」と幹部は説明。1時間半ほどで終わり、投票練習があった。
税金を免除されている宗教法人の会館で、堂々と特定政党の選挙活動が行われていることに疑問を持った。そして、幹部からの指示と情報に従って行動する生き方は、私には理解出来なかった。(専門学校非常勤講師・仲田征夫=栃木県西方町62歳/<創価学会からの脱会を考える会>)
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もちろん、これまでにも票の掘り起こしに東奔西走し、選挙違反で逮捕者が出るほど苛烈な創価学会の選挙活動に関しては何度となく報じられてきた。
しかし、選挙を前に創価学会の会館を使った集会で、投票の予行演習までやっているという生々しい"内部告発"が新聞に載るのは前例のない出未事である。(『週刊新潮』H19.7.12)
●この会合が開催されたのは6月15日の午後7時からでした。
場所は、栃木県西方町にある創価学会の会館でした。参加者は60〜70歳のお年寄りばかりで、最初、題目を唱えたりする宗教的なプログラムをこなしたのです。それから、消えた年金問題の紙芝居や英会話での簡単な挨拶の練習をやった後、練習用の投票用紙が配られました。私は驚きましたけれど、きっと皆さんはいつもやっているからなのでしょう。この時、誰も不思議に思わなかったようで、質問する人もいません。婦人の幹部の方が、比例区や選挙区で投票すべき候補者の名前を伝え、皆、黙々とペンを走らせたのです。
そういえば、候補者の名前の漢字を質問した方もいませんでしたね。私はこんなことはしたくなかったので、投票用紙を貰うとき、"イヤ、イヤ"と拒否したら、婦人幹部の方はギョッとした顔をされていました、しかし、まあ、これだけやれば、票が集まるはずだとは思いましたよ。(仲田征夫/『週刊新潮』H19.7.12)
●私は、創価学会が反戦を基本理念としているのに、公明党はイラク派兵に賛成したことなどを、おかしいと常々、感じていましたから……。信仰の面ならともかく、政治まで盲目的に追従するのは問題だとも思っていたのです(同)
【嘘を答えた学会会館】
投票練習の場所は会館の2階にある畳敷きの大広間だったという。(中略)
奇妙な体験をした彼はこの2日後、早速、これを原稿にまとめ、誰かに相談することもなく、「声欄」にFAXしたのである。
「この内部告発をよく『朝日新聞』が掲載してくれた、と思います。実は、FAXで原稿を送り、朝日側から"掲載します"と一旦、連絡を貰った後、再び、慌てた電話がありました。朝日の記者さんによれば、創価学会の会館に確認の取材をしたら、会館側が、当日は、座談会や催し物をしていないと、事実関係を一切、否定したというのです。そこで、私が別の出席者を教え、その人物から裏付けが取れたため、なんとか掲載に至ったのです」
通常、右から左への流れ作業となる投稿文の確認作業を行うほど朝日が慎重な姿勢だったのも無理はない。
これまで「声欄」が創価学会の選挙活動を正面切って批判する投稿を選び掲載したことは、ほぼゼロに等しかったからだ。
その裏事情について解説するのは、かつて「声欄」を担当した『朝日新聞』のOBである。
「声欄というのはね、朝日の社説と同じような主張や、社説では言いにくい事柄を掲載する傾向があって、まあ、『朝日新聞』の社説を代弁するぺージとでも考えて貰って構わないでしょう。たしかに、私の知る限り、ここまで創価学会に批判的な投稿を取り上げたのは初めてです。その理由?簡単です。うるさいから……。だから、普通は、いくら批判しても、文句を言ってこない自民党に関する投稿が多く載るわけです。逆に、創価学会や共産党、朝鮮総連については批判的な投書を載せたら、文句がたくさん、寄せられるのは目に見えているでしょう。それで敬遠され、これまでは載せなかったのです」(『週刊新潮』H19.7.12)
【憲法違反の疑い】
我が国の憲法第20条第1項には、
〈いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない〉
と、明確に政教分離が規定されている。
会館で信者に投票練習をさせる選挙活動が、これに引っかからない方が不思議だが、この点、創価学会は、
「投稿の中の話は、公明党への支援活動の一環と認識しています。会館を利用したのも選挙前という支援期間中の限定的なものです。声欄に載った投稿は、当会の活動について誤解を与えかねないものでしたので、朝日新聞社に当会の意向は伝えました」
だが、日本大学法学部の百地章教授(憲法)の意見は、
「憲法は、宗教団体による政治への介入を禁止しており、創価学会と事実上一体ある公明党が池田名誉会長の意のままに政治活動を行っているのは、政教分離違反の疑いが残ります。『朝日新聞』に載った今回の投稿記事は、各地の会館が日常的に政治活動の拠点にされている創価学会の実態を明らかにしたものですから、政教分離違反の疑いは、ますます濃厚になったともいえるのです」(『週刊新潮』H19.7.12)
公明党現職参議・福本潤一氏が離党!
―「公明党は全体主義的傾向の党」と―
―離党表明記者会見で公明党の体質を指弾―
―渦中の福本潤一議員に単独取材を敢行!―
(『慧妙』H19.7.1)
6月15日、公明党参議院議員の福本潤一氏が記者会見を開き、党に対し離党届を提出したと発表、「公明党はアンチ・ヒューマニズム」「全体主義的傾向がある」と公明党批判を展開した。
これに対し公明党は、18日に党の中央規律委員会を開き、福本氏を除名処分に。
いったいなぜ、福本氏は離党に踏み切ったのか。福本氏が口にした「アンチ・ヒユーマニズム」「全体主義的傾向」とは、具体的に何を指(さ)すのか―。本紙は福本潤一氏に取材を申し込んだ。(2面に関連記事)
6月15日、公明党参議院議員の福本潤一氏が記者会見を開き、公明党代表・太田昭宏に対し離党届を提出したことを発表した。
この中で福本氏は、公明党について「所属議員の考えを聞かずに政策が決まる。ヒューマニズム(人道主義)を標榜(ひょうぼう)していても全体主義的で、アンチ・ヒューマニズムな政党」と批判。
すると公明党は、これに対応して同日、幹事長の北側一雄が
「(昨年春の)第1次公認発表直後、本人が『来年は統一選もある。これから1年2ヵ月もの選挙戦を乗り越えるのは厳しい』と体力面での問題を挙げ、『後進に道を譲りたい』と説明していた。また、『学者・研究者の道も含めて模索したい』と述べていた。
その後、後継候補者が公認された後も普通に活動し、4月の統一地方選の応援もしていた。後進に道を譲り、勇退することは本人も納得済みで、誘いがあれば他党から立候補する意欲がある、などというのは言語道断。これまで世話になった党員・支持者への裏切り行為であり、断じて許せない」(趣意)
とのコメントを発表。
さらに公明党は、18日に党の中央規律委員会を開き、福本氏を除名処分に。
マスコミはこれについて「福本氏が党公認を得られなかったとして離党を表明し、記者会見で公明党を批判したことが、『党の名誉を傷つける行為』に該当すると認定した」(『読売新聞』)と報じた。
公明党を除名になった国会議員は、「砂利船」や「リクルート」の汚職事件で辞職した議員もいる中、昭和63年に、創価学会との政教一致を批判したことが社会的問題にまでなった大橋敏雄氏に次いで2番目だといわれ、福本氏の言う「全体主義的で、アンチ・ヒューマニズムな政党」とは、具体的に何を指しての発言なのか、福本氏が離党を決意した本当の理由は何かなど、この問題への興味は尽きない。
そこで本紙は、渦申の人物である福本潤一氏に直接、話を聞いた。
【福本氏が語る党の裏の真相】
―公明党に「信教の自由」なし―
福本氏は東京大学在学中の昭和43年10月12日に入信。以来、創価学会員ではあっても、信仰的には、自分はあくまでも「日蓮正宗創価学会」の会員である、というイメージできた、という。
その福本氏は東大法華経研究会に籍を置き、最終的には総合委員長まで務めた人物。学会教学部長の斉藤克司とは5年間同居し、現会長の原田稔は先輩に、副会長(元総合青年部長)の谷川佳樹は後輩にあたる。
東大大学院博士課程を修了後、愛媛大学の助教授として地域環境工学に取り組んでいたところ、平成7年、当時の新進党からの要請で参院選に出馬して当選し、現在は2期目。その福本氏が語った「勇退」の真相はこうだ。
昨年1月、福本氏の政策秘書を務めていた馬田泰廣氏が死去。遺族の意向により、葬儀は日蓮正宗で行なうこととなった。
福本氏としては当然のように、初当選以来、ずっと政策秘書を務めてきてくれた馬田氏に報(むく)いたいとの念から、自分が葬儀委員長を務め、葬儀を立派に執(と)り行なってあげたい、と考えた。
ところが、馬田氏の葬儀が日蓮正宗で行なわれることを聞きつけた公明党秘書会長から、「葬儀委員長を務めるなどとんでもない!葬儀に参列してもいけない。マスコミに嗅(か)ぎつけられたら大騒ぎになるから、党内への訃報(ふほう)も回覧しないように」と強く申し渡されてしまったのである。
党首脳部などとも綿密に連携している秘書会長--言い換えるなら"公明党の裏の顔"のような存在から強く言われてしまえば、福本氏としても、不本意ながら従うほかない。福本氏としては、馬田氏の未亡人に電話を入れて事情を説明し、葬儀の前日に馬田氏の自宅に赴(おもむ)いて、読経・唱題するのが精一杯だったという。
それから3ヶ月が過ぎ、議員の間で次期参院選の公認に関する話が取り交わされるようになった4月、福本氏は、学会の方面幹部から「近々、冬柴から呼び出しがかかるぞ」と教えられた。
その学会幹部の話によると、学会と公明党との間の協議で決められた比例区の"区割り"は、すでに学会の最高幹部会で発表されており、中国・四国ブロックの候補者名は空白になっていた、というのである。
その学会幹部の言葉どおり、福本氏は冬柴幹事長(当時)に呼び出された。
福本氏が冬柴を訪ねていくと、そこには神崎代表(当時)もいた。そして福本氏は、その場で冬柴から「今期は公認しない」と言い渡されたのである。
福本氏としては3期目を目指すつもりで、年初に地元で行なわれた賀詞交換会に出席し、公認されることを前提に"どうぞよろしく"と挨拶もしている。
納得のいかない福本氏がその理由を尋ねると、神崎が"馬田氏の葬儀問題"を口にし、冬柴もそれに同調したという。
これにより福本氏は、"政策秘書の葬儀が日蓮正宗で行なわれたのは、秘書の管理ができていない証拠"という理由で、自分は"管理者責任"を問われたのだ、と認識したのである。
秘書の葬儀が日蓮正宗で行なわれたことを理由に所属議員の公認を見送る―いくら支援団体である創価学会の手前があろうとも、日本国憲法には「信教の自由」が高らかに謳(うた)われている。そして公明党は、国民の血税から支出される政党助成金を受け取っている「公党」なのだ。
秘書の葬儀の宗旨にクレームを付け、それを理由に公認候補から外したとしたら、それこそ言語道断。憲法を遵守(じゅんしゅ)すべき公党として許されないことは自明の理である。
【福本降ろしを画策した公明党】
―本人知らぬ間に「勇退」を発表―
これでは、創価学会の行動原理そのままであり、世の中の批判を招くのは必至であるが、むろん公明党とて、そのあたりは十二分に理解している。
それ故、5月に入り、公明党として参院選の第1次公認候補を発表する際、記者会見に臨んだ太田昭宏(総合選対本部長・当時)が、草川昭三と福本氏の名を挙げ(※草川は後に追加公認)、「2人は勇退する」と発表、福本氏が勇退する理由は「後進に道を譲るため」だとの説明をして、秘書の葬儀云々に触れることはなかった。
それにしても、福本氏にとって、この勇退発表は、単なる公認見送りでなく、勝手に政界引退を発表されてしまったわけであるから、闇討ち同然の所業であった。
さらに、これまた福本氏の知らぬ間に、氏の大きな2つの選挙地盤―出身地である広島県を含む中国地方では「健康状態が思わしくなくダウン状態」と、専ら活動の中心としている愛媛を中心とした四国では「大学に戻るため」と、それぞれ違う勇退の理由が説明されていたのである。
蚊帳(かや)の外に置かれたままの福本氏は、自民党関係者からは「学者に戻るんだってね」と声をかけられ、また空港で偶然行き会った婦人部幹部からは「病気で倒れたと聞いているけど、元気じゃないの」と言われ、すっかり返答に窮してしまったという。
このように、個人の意向など一切顧みず、"党の決定"に強引に従わせる公明党のやり方は、まさに、福本氏が言うように「全体主義的」であり、「非人間的」というべきであろう。
その福本氏が「こんなこともあった」と教えてくれたのが、去る平成17年5月の参議院予算委員会における、福本氏の「ヒトラー発言」の裏話。
福本氏はこの時、小泉首相の靖国参拝を批判。その中で、
「私の感覚でいきますと、(小泉首相の靖国参拝は)中国側から見ると、例えばA級戦犯ということになりますと、ヨーロッパでいうヒトラーの墓に参拝するドイツの首相、というようなことが起こった場合、ユダヤ人とかさらにはドイツ人がどういう感覚を持つのか」
と発言。これが大きな話題になった。
すると冬柴幹事長(当時)は、福本氏のいない代議土会の席上、「福本君が不穏当な発言をしたので、本人に厳しく注意した。本人も議事録から削除してほしいと言っているので、削除を申請する」と、福本氏に断わりもなく発表してしまったのである。
福本氏としては、注意されたこともなければ、議事録削除を申し出る気もさらさらなかったところに、冬柴の発表を聞いた記者が押し掛けてきたので、対応に困ったという。
また公明党は、参院選の比例代表選挙が非拘束名簿式に変更になった際にも、公認候補の意見を聞く会合を開く前に、記者会見で非拘束名簿式に同調することを発表。結局、「公認候補の意見を聞く」会合は、「公認候補に事後承諾させる」会合になってしまった、という。
これらも、公明党の「全体主義的」かつ「非人間的」な本性を示して余りある出来事である、と福本氏は言う。
福本氏はこの他にも、公明党議員しか知ることのない政教一致の実態や、創価学会が公明党を"下僕"としか見ていない実態を、まざまざと見てきた。
その福本氏が、公明党の体質に違和感を感じていたところに起こったのが、秘書の葬儀問題と、それを理由にした公認見送りであり、さらに、それに続く強引な"福本降ろし"だったのである。
福本氏が離党を申し入れた際、太田昭宏は、
「公明党議員に離党はない。公明党議員は一生、公明党議員なんだ!」
と言い放って離党届を受理しなかったという。
また創価学会の方面幹部(副会長)は、
「公明党議員の使命は何か分かっているのか!?池田先生と創価学会を守ることが公明党議員の使命なんだ。君はその使命を分かっているのか!」
と福本氏に教訓したという。
今、福本氏は、こうした公明党・創価学会の実態を世に知らしめようと、街宣活動などに励みつつ、自分が培(つちか)ってきた地域環境工学の知識を政治の場で生かしたい、との信条を貫こうと頑張っている。(2面に談話)
福本氏談話
―議員である前に学会員だった公明党議員―
―動かしようのない政教一致の実例の数々―
(『慧妙』H19.7.1)
福本氏は、「除名」に至る経緯(けいい)だけでなく、創価学会と公明党の政教一致ぶりなども詳(くわ)しく語ってくれた。その内容は多岐(たき)にわたる。
【「池田先生に東大名誉教授の称号を!」と注文】
私は、創価学会から、池田名誉会長に東京大学の名誉博士号が授与されるよう"手配"することはできないか、と打診されたことがあります。
公明党議員は、自分の選挙区の学会幹部と頻繁(ひんぱん)に会います。
「四国長」「県長」といった学会の方面幹部・地方幹部は、本部幹部会への参加などで、ほぼ月に2度上京しますが、じつは公明党議員にも本部幹部会への参加が半ば義務付けられていて、その後などに打ち合わせをするのです。
また、公明党の国会議員は、選挙区での学会の方面会義にも必ず出席します。
そうした時に、創価学会の意を受けた方面幹部と懇談(こんだん)するのです
が、私はその席で「池田名誉会長に贈られた名誉称号が200になろうとしている。その200個目を日本の、それも一番重みがある、東京大学の名誉教授の称号にしたい。君は東大出身だから、東大の名誉称号を取ってこられるだろう」と言われたのです。
しかし、これは土台無理な注文です。なぜなら、東京大学の場合、東大の教授を退職した人が一定の条件を満たしている場合に、名誉教授に就任できる決まりなので、池田が東京大学の名誉教授号を受けるというのは、逆立ちしても無理な話なのです。私はそのことを話して、丁重(ていちょう)にお断りしました。
また、私達は学会の最高幹部とも、よく会食の席を持ちますが、そこでいろいろと"要請"される場合もあります。
たとえば、フランス議会が創価学会を「カルト」と認定した時のことです。長谷川副会長たちと会食していると、そのことが話題になりました。すると、その席にいた外交官出身のある議員は、認定を外すことが自分の使命と捉え、"業務"として頻繁にフランスに通うようになりました(<公明党副大臣、フランスで議員の地位利用>参照)。
また、あの「もったいない」で有名になったノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさんが来た時には、池田名誉会長と会えるようにするのが公明党の議員となった使命だと……。
【勤行会・本部幹部会・そして池田大作への報告書】
太田昭宏さんが公明党の代表になってから、より深刻になったのは、学会に毎月報告書を提出しなければならなくなったことと、議員が全員揃(そろ)って党本部で勤行をすることが頻繁になり、しかも、勤行会への参加回数が"評価"の対象にされるようになってしまったことです。
じつは、創価大学でも今、同様の問題が起きているといいます。長谷川副会長が創価大学の担当になってから、大学職員ばかりでなく教授までが参加しての早朝勤行が常態化していることに、教授陣かち不満の声が盛んに上がっている、ということです。
さて、「報告書」のことについて、もう少し詳しく話しましょう。
学会の本部幹部会へは、毎回、30人ほどの公明党の国会議員が参加することになっています。ですから、だいたい3回に1回の割合で"順番"が回ってきます。それは国会の会期中であっても、です。
そのため議員達は、外部の人間からそれと気付かれないよう、三々五々、八王子などの本部幹部会の会場に入るのです。会場内で座る位置は、写真や同時放送のカメラに絶対写らない位置です。
本部幹部会終了後には、報告書を書いて提出しなければなりません。そもそも、池田大作が出席した会合に参加した学会幹部は全員、報告書を書く、というルールになっているのです。公明党議員もその例外ではない、ということです。
池田名誉会長宛(あ)ての報告書は、宛先を空欄にします。それで、どこに上がる報告書かが判(わか)るのです。というのは、原島嵩さんに報告書のコピーを持ち出されたことが教訓になり、池田名誉会長宛ての報告書は、宛先を空欄にするようになったからです。
ですから、報告書の書き出しは、必然的に「御健康な先生・奥様のもと、本部幹部会に参加させていただいて、ありがとうこざいました」といった具合いになります。しかも、こうした"定型文"が入っているか否かも、チェックの対象になっているのです。
会合に参加したときには報告書を出すだけでなく、まず秋谷会長のところにあいさつに行き、次に第1庶務(※池田大作の秘書室)にあいさつに行きます。
【「お前は池田先生と同列か!?」との注意】
もっとも、公明党議員は、こうした報告を通してだけでなく、学会員の監視の目によって、その一挙手一投足が全て創価学会に把握(はあく)されている、と言っても過言ではありません。
私が演説の中で、「昭和43年10月12日に19歳で入信し」と語った時には、後から「福本君、『19歳の時に』というのはヤバイよ。池田先生と自分を同列に見ているのか?『19歳の時に』というのは言うべきではない」と、学会幹部にきつくたしなめられたことがあります(※「19歳」というのは、池田大作が入信した時の年齢)。
こうした公明党の内情をよく知る自民党の野中広務(幹事長。現在は引退)さんから「君達のところは『SCIA』だ」と言われたこともありますよ。(笑い)
【「学会が上で党が下」さらに池田はその上に君臨】
私が出席した本部幹部会では、こんなこともありました。ちょうど、神崎武法さんが公朋党代表の座を太田さんに譲った、すぐ後の出来事です。
池田名誉会長が「秋谷、立て!」「神崎、立て!」と命じ、いきなり「神崎、お前は秋谷にいじめられたそうだな」と問いただす。すると神崎氏が「はい!」と答える―。何のことはない、学会の会長である秋谷さんが公明党代表の神崎さんを辞任させたのだ、と印象付けるためのパフォーマンスなんですよ。もちろん、そんな場面が一般会員の目に触れることは絶対にありませし、「口外秘」です。
【"覚えめでたき"存在であった浜四津氏】
公明党の参議院比例代表区の候補者ごとの"区割り"は、誰の当選を最優先するかで変わります。
私が公明党から立候補した6年前は、候補者が8人でしたから8分割。その次の、浜四津副代表が立候補したときの選挙では6人で6分割でしたが、そこには"カラクリ"がありました。浜四津さんに、8分割されていたうちの3分割分、つまり候補者3人分の票田が割り当てられたのです。
党の副代表とはいえ、浜四津さんがいかに"覚えめでたき"存在かが、このエピソードでも判るでしょう。
【その気がなくとも強制される竹入氏批判】
竹入氏についてですが、今、公明党が竹入氏を訴えている裁判について、関係者から「あれは政治的裁判だ」というボヤキを聞いています。
また、亡くなった馬田氏は、長く公明党秘書会長を務めていた優秀な人物でしたが、その彼が、竹入時代を評して「あの頃は本物の政治家が生まれていたが、今は創価学会の官僚が政治をやっている」という言い方をしていましたよ。
それから、日蓮正宗や竹入氏を誹謗(ひぼう)することは、公明党議員OBに与えられる「役務(えきむ)」でもあります。私が勇退を拒(こば)み、離党を決意した理由の1つに、"0Bになって、日蓮正宗攻撃や竹入氏攻撃に駆り出されてはかなわない"という思いがありました。
OB議員は、持ち回りで竹入氏攻撃をさせられています。「今回は君が竹入糾弾文章を書け」と言われてしまえば、言われた本人にそんな気持ちはなくとも、糾弾文章を書かざるを得ないのです。
だから、自分が竹入さんについて知っていることを、わざと悪意の目で書く。また、批判的でない議員には竹入批判の指導をしなければならない。つまり、悪人像を作り上げための組織活動に加担しなければいけない。私にはとても耐えられません。
【政治家としての志を貫くべく離党を決意】
また今は、学会職員と同じ意識にならないと公明党議員は務まりません。私のように、自分の専門分野である地域環境工学を政治の世界で活かしたい、というような志を抱いていたら、必然的に公明党の枠からはみ出さざるを得ないのです。
私はこの6年間、公明党議員として、それなりに"御奉公"してきたつもりです。今年の統一地方選を全力で戦ったのも、最後の恩返しのつもりでした。
私としては、穏便に離党させてほしいと願い、太田代表にも何度かお話ししましたが、ついに聞き入れられることはなく、結局、「除名」ということになってしまいました。
余談ですが、私が離党届を出すにあたり、学会員の秘書を解任したのですが、「こうなった以上、これからも長く付き合う、というわけにはいかなくなると思う。1つの区切りをつけることを、君達も考えてほしい」と言ったところ、東京の秘書は「池田先生を何と考えているんだ!」と。(笑い)
「今日の離党は政治上のことであり、宗教上で云々しているわけではない」とたしなめましたが。
とはいえ、こうなったからには、全てに心機一転しようと決意しております。
私はこれからも、「本物の政治家」になることを目指し、自分の信念を貫いていきたいと思います。
動かぬ証拠(録音データ)がまた1つ流出!
―「合同地区部長会」の中身は選挙の出陣式!―
―期日前投票への連れ出し方・注意点まで伝授―
(『慧妙』H19.4.16)
【「池田センセーのために勝利を!!」】
―香川の会館での会合内容が流出―
さて、すでに御承知の向きも多いと思うが、この春の全国統一地方選挙の前半戦の1つとして、4月8日に投・開票が行なわれた香川県議会議員選挙を通じ、またしても学会の政教一致を疑わしむる出来事が露呈した。
というのは、県議選に立候補した公明党新人の広瀬良隆を迎えて、3月15日、四国池田文化会館で開催された学会の「合同地区部長会」の録音データが流出したのだ。
これによれば、同集会は、「地区部長会」などというのは名ばかりで、学会が組織を挙げて広瀬を応援していくための決起集会に他ならない。
登壇した副会長の松下某が、
「大勝利で5・3(5月3日、創価学会記念日)を迎えたい。池田先生にお応えしていただきたい」
と檄(げき)を飛ばせば、候補者の広瀬も
「必ず大勝利をもって池田先生にお応えしてまいります!」
と誓約。
結局、広瀬が県民のために県政で何をするのか、について訴えるのでなく、ただ、ひたすら「池田センセーにお応えするために当選させてほしい!」ということが訴えられる。
これで、いったい「創価学会と公明党は政教分離している」などと言えるのか。
それに加えて、もう1つの問題は、選挙時になると創価学会の会館が選挙活動の拠点として使われる、という点である。
すなわち、学会の会館は、宗教法人法によって優遇税制の適用を受け、固定資産税が免除されている。その宗教施設たるべき会館が、選挙のつど、活発に選挙活動に使われているということは、政教分離原則に外れる違法行為である、との謗(そし)りを免れない。
本来であれば、非課税扱いの宗教施設を選挙活動に使用するのを止めるか、逆に、学会の会館の非課税扱いを止めるか、いずれかであろうが、11年前に公明党が政権与党入りして以来、この問題は実態糺明(きゅうめい)もされず、ウヤムヤにされたままである。
だが、香川県議候補の決起集会が会館で行なわれていたことを示す録音データが流出して、それでも、なお、疑惑を黙認し続けてよいのか。
【期日前投票連れ出し法まで伝授】
―宗教と政治の両面を持った教団―
さらに、この録音データによれば、次のような具体的な指導が堂々と行なわれていたのだから、呆れさせられる。
「特に注意していただきたいことは、期日前投票に行く時に、メモとかチラシとか、または『手に書いとったらエエやろ』と手に書いとる人がおりますけど、それも書かないで、一切何も持たないでお願いします。
それから、候補者の名前をなかなか覚えられないとか、自分の意志をきっちり表示できない方を、無理に期日前(投票)に連れて行くことは避けてください」「投票所内では、絶対、何を聞かれても口をきかない、返事をしない。これも徹底をよろしくお願いします。投票をする建物の中にも入らない。1日に何度も連れ出して目立つようなことはしない。目立たないように工夫(くふう)してください。」
このような「期日前投票」連れ出しテクニックが、学会香川県婦人部長の口から事細かに指導されるのだから、そもそも創価学会とは、宗教団体でありながら本格的に政治活動を行なう教団である、というのが正鵠(せいこく)を射た言い方であろう。
こうした創価学会=公明党の政教一致にまつわる問題を、あまり意識にも留めずに風化させていってしまうことは、真に国を想い憂うる者の在り様(よう)ではあるまい。
我々は、あらためて日蓮大聖人の
「只偏(ひとえ)に大忠を懐く故に、身の為に之を申さず。神の為、君の為、国の為、一切衆生の為に言上せしむる所なり」(御書372頁)
との一大至誠(しせい)を胸に入れ、日本の将来に暗い影を落とす創価学会を糺(ただ)すべく、折伏に励もうではないか。
首相が池田に頭を下げて(仮題)
(ジャーナリスト・長谷川学『週刊現代』H18.11.11抜粋)
【官邸を抜け出してドンと面会】
一国の総理大臣が一宗教団体の指導者の前に膝を屈するという行為は異常な事態と言わざるを得ない。
安倍晋三首相(52歳)が都内の創価学会施設で池田大作創価学会名誉会長(78歳)と極秘会談していたことが明るみに出た。
創価学会関係者によると、会談は9月22日午後2時から東京新宿区・信濃町の創価学会施設で行われた。この日、安倍氏は密かに総理官邸(当時、内閣官房長官として官邸で執務していた)を抜け出した。安倍氏は2日前に自民党総裁に選出されたばかり。国会での首班指名や組閣を控え、超多忙な合間を縫って安倍氏は池田氏を訪ねたのだった。
「この日、安倍氏の行方が分からなくなったので、組閣前だから"安倍内閣の目玉となる女性閣僚に会いに行ったのではないか"といった憶測が流れました」
全国紙の総理官邸詰記者はそう話す。
通常、官房長官が官邸にいるときは、記者クラブに設置されたボードに「在席」を示すランプが点くことになっている。しかし、安倍・池田会談が行われていた間、官房長官のランプは消えたままだった。
「官邸側は"官邸にいたがランプがついてなかっただけ"と嘘をついた」(前出・官邸詰記者)
安倍氏は池田氏に、「生前、父が大変お世語になりした」と、まず頭を下げた。
首相の父、故・安倍晋太郎元外相と池田氏は、晋太郎氏が岸信介元首相の総理秘書官をしていた1958年からの付き合いという。
首相と池田氏は昔話に花を咲かせたが、首相の本来の目的は目前に迫った衆院補欠選挙で創価学会の力を借りるこどだった。
「安倍氏が"常日頃、自民党をご支援いただきありがどうございます。神奈川16区と大阪9区の補欠選挙でもなお一層のご協力をお願いします"と頭を下げると、池田氏は"分かりました"と協力を約束した」(創価学会関係者)
この創価学会関係者が続ける。
「この会談後、創価学会は"2つとも取れ!"と会員に大号令をかけ、とくに自民党候補が苦戦していた大阪9区については、自民党候補を全面的に支援した。公明党の北側一雄幹事長もほとんど選挙区に入りっぱなしで陣頭指揮をとりました。そのお陰で評判の悪かった自民党候補の原田憲治氏が当選したのです」
この安倍・池田会談について安倍氏は10月11日の参院予算委員会で質問され、「そういう事実はございません」と否定している。
しかし、全国紙編集幹部はこう解説した。
「一宗教団体のトップに次期首相が頭を下げに行ったわけですから、これを事実と認めたら大問題になる。それで創価学会側も首相の顔を立てて表向き会談を否定したわけですが、創価学会幹部もオフレコでは9月22日に2人が会談したことを認めていますよ。複数の新聞が報じた内容が、もし事実でなく誤報だというなら報じたメディアに激しい抗議がくるはず。そういう動きがないことが、2人の会談が事実だという何よりの証拠ですよ」(中略)
ところで新聞が安倍・池田会談を報じた10月8日の紙面には、もう1つ、池田氏がらみで異例の記事が掲載されていた。
『朝日』『毎日』『読売』の3大紙を含む新聞各紙は、10月7日に池田氏が創価大学で北京師範大学の葛建平(グジエンピン)副学長から名誉教授の学術称号を受けたことを一斉に報じたのだ。
〈'75年に旧ソ連のモスクワ大学から名誉博士号を贈られて以来、海外の名誉学術称号は、今回で200になった〉(毎日新聞)
〈公明党の支持母体、創価学会の池田大作名誉会長(78)が海外の大学、研究機関から通算200番目となる名誉学術称号を受け、7日、東京都八王子市の創価大学で授与式があった〉(朝日新聞)
報道によると、受賞理由は「日中友好と教育の発展への貢献」とされ、池田氏は式典で「両国が英知を結集して環境問題に取り組むべきときを迎えている」とスピーチしたという。
『朝日』『毎日』は式典での池田氏の写真まで載せている。
無論、創価学会の機関紙、『聖教新聞』も池田氏の200番目となる名誉学術称号の受章を大々的に報じている。そもそも、聖教新聞には"勲章新聞"の趣がある。ほぼ連日、池田氏がどこそこから勲章や称号を授与されたという記事が載っているからだ。
これだけ大量の受章は、まさに、「勲章・称号狩り」といった様相を呈している。
たとえば10月8日付同紙は、7日に名誉教授称号を受けた池田氏を「東洋の智者」「人類の師匠」「傑出した知識人」「偉大な平和の闘土」と絶賛。
〈「200」の名誉学術称号の中には、人類史に輝く偉人ゆかりの大学も少なくない。それは、池田SGI(編集部注・創価学会インタナショナル)会長が、こうした偉人たちに連なる証しにほかならない〉
と、かなり苦しいこじつけをした上で、池田氏に「連なる」とされる偉人の肖像画や顔写真を並べている。
その顔ぶれが凄い。ゲーテ、ダーウィン、ガリレオ・ガリレイ、コペルニクス、ワット、アダム・スミス、さらに孫文、魯迅、キング牧師、周恩来首相といった教科書に出てくる世界的偉人ばかりなのだ。(中略)
【「学会嫌い」の前首相がなぜ?】
(中略)池田氏が勲章に執着する背景を、創価学会問題に詳しいジャーナリストの乙骨正生氏はこう解説する。
「'69年から'70年にかけての言論出版妨害事件で池田氏の威信は低下した(この事件は、評論家の藤原弘達氏の『創価学会を斬る』という創価学会批判本の出版に対し、学会と公明党が田中角栄氏を介して圧力をかけ、その工作が明るみに出たもの)。失地回復のために'72年から池田氏は歴史家のアーノルド・トインビーら世界の著名人との対話を開始しました。
さらに'91年に創価学会が日蓮正宗総本山の大石寺と決定的に衝突したことで、実質的教祖としての池田氏の権威付けが急務になり、池田氏の勲章狩りが本格化したのです」
池田氏が勲章による権威付けを進めたせいか、創価学会は会員を増やして急成長を遂げ、選挙で強力な集票力を発揮するようになった。そしていま、池田氏はその選挙での実力と、顕彰を通じた中国政府要人らとのパイプを駆使し、時の政権の外交政策や内政(選挙)に容喙(ようかい)している。
小泉前首相は、総理就任前は「創価学会嫌い」として有名だった。しかし、総理退任直後の9月28日に、小泉氏から申し入れ、都内の聖教新聞本社で池田氏と会談した。さらに、10月8日付の聖教新聞にこんなメッセージを寄せているのだ。
〈池田大作名誉会長。200にもおよぶ名誉称号のご受章、まことにおめでとうございます〉
これでは、安倍首相の後ろ盾である小泉氏までもが池田氏にひれ伏したと言われても仕方ないだろう。
安倍・池田会談が事実とすると、特定宗教団体が政治に関わり政権に影響力を行使しているのは明白で、憲法の政教分離原則に違反している可能性がある。すべて等しく国民の利益を守るべき総理大臣が特定の宗教団体に借りを作るのは、国民に対する背信行為ではないか。
権力と宗教の癒着を許してはならない。
自公連立は「池田名誉会長守るため」(仮題)
―『公明党「汚れた裏面史」』より―
(参議院議員・平野貞夫『月刊現代』H16.6抜粋編集)
【暴力団との関係衝(つ)かれ自民に擦り寄る】
平成8年1月、成立直後の橋本内閣の下で住専国会が開かれた。新進党は住専処理への6850億円の税金投入に断固反対の姿勢を貫いた。このときも住専予算の削除を要求して予算委員長室の前で座り込みを実行し、政府をかなり追い詰めていた。
ところが国会の行き詰まりに困った野中広務さんが、新進党内の旧公明の人間をまたもや揺さぶり始めた。材料は、いわゆる「密会ビデオ」だった。
「公明」(旧公明党の、地方議員と平成7年の参院選で非改選の参院議員らで構成)の代表を務める都議会議員・藤井富雄さんが、山口組系の暴力団「後藤組」の後藤忠政氏とかつて会談をもったことがあり、その現場を隠し撮りしたビデオがあるとのことで、それを材料に、野中さんは旧公明党を揺さぶってきたのだ。(中略)
こうした動きもあり、結局、住専国会は与党の思惑通りになってしまった。そしてこれをきっかけに野中さんは公明・学会との関係を深め、一方公明は自民党に擦り寄るようになっていく。これが後の新進党解党、現在の自公連立への布石ともなってしまった。
【学会本部守るために新進党への合流約束を反故】
党首選からちょうど1週間後の25日(※平成9年12月)、赤坂の全日空ホテルで「公明」の藤井代表と会談した小沢さんは、驚くべき報告を受けた。
「比例区だけじゃなく地方区も公明独自で対応する」と藤井さんが言いだしたのだ。これは全面合流の約束を破り、公明党という組織を残していくという意思表示だった。
このころから旧公明党は、自民党に擦り寄り始めていた。背景には、自民党の野中さんらの工作があった。野中さんは、公明党・学会が希望する中選挙区制復活を約束したようだ。
公明党が自民党に擦り寄ったもう1つの原因は、公明が新進党に全面合流してしまった場合、「国会議事堂周辺及び外国公館周辺の静穏保持法」の適用に信濃町が掛からなくなる恐れがあったことだ。公明党が消滅すれば、隣接する学会本部にさまざまた団体から街宣攻撃が加えられることが予想できた。
新進党が崩壊する過程で、小沢さんと私は厳しい批判を浴びた。(中略)しかし、真相を言えば、すべては公明党の方針変更が生んだ結果だった。基本方針をくるくる変える公明に振り回された結果、新進党は解党に追込まれたのだ。
【連立は「名誉会長守るため」】
平成10年の秋、官房長官だった野中さんの「小沢さんにひれ伏してでも」というセリフから、自由党と自民党が接近しだし、ついに自自連立が実現した。自民党は、自自の連立は金融危機を回避するために組んだと言っていた。だが実際は、公明党と連立を組むためのダシとして自由党と連立を組んだにすぎなかった。われわれは、野中さんに騙されたのだった。
平成11年1月に自自連立が成立して以降、自民党は自自公(11年10月)、自公保(12年4月)、自公(15年11月)と連立の枠組みを変えてきた。そして自自公による連立以降、公明党は一貫して与党の立場を占めてきた。公明党の某元衆院議員の話によれば、冬柴幹事長が「連立はすべて名誉会長を守るためだ」と発言したことがあるとのこと。あらゆることを名誉会長のせいにするのは、政治家としてあまりにも無責任ではなかろうか。
政策も選挙も学会の指示(仮題)
―沖縄・海上ヘリポート―
―「野中広務『権力20年戦争』」より―
(ジャーナリスト・魚住 昭『月刊現代』H16.2抜粋)
野中がつくりあげた自公体制は国政のあり方を変えただけではない。在日米軍基地の75パーセントを抱えて苦悩する沖縄の政治状況も一変させた。
95年9月4日に起きた米兵3人による少女暴行事件をきっかけに、住民の抗議運動は瞬く間に広がり、県知事・大田昌秀は9月末、国の米軍用地強制使用手続きに必要な代理署名を拒否する姿勢を明らかにした。
96年の年明けにスタートした橋本政権は、沖縄県民の声を受けて海兵隊の普天間基地返還を米国に要求した。米国側は4月に入って、代替施設の確保を条件に普天間「返還」を表明し、両国政府は名護市の辺野古沖に海上ヘリポートを建設することで合意した。
だが、新たな基地の建設に対する県民の反発は強かった。橋本は大田との会談を重ねながら海上基地受け入れを再三要請するとともに、沖縄の経済振興策を次々提示した。
翌97年12月21日、海上基地建設の是非を問う住民投票が名護市で行われた。政府側は賛成派の劣勢を覆えそうと、港湾整備や市街地再開発などの「振興策」を提示し、地元ゼネコンや防衛施設局の職員たちまで大量動員して戸別訪問させた。幹事長代理の野中は現地入りして、その後押しをした。結果は、反対派が投票総数約3万千500票のうち53パーセントを占め、賛成派に約2千400票の差をつけて勝利した。海上基地建設に「ノー」という住民の意思がはっきり示されたのである。
だが、それから3日後、名護市長・比嘉鉄也は首相官邸に橋本を訪ね、海上基地の受け入れを表明した。比嘉は市長を辞任し、翌年2月の市長選で賛成派が推す前助役の岸本建男が反対派の前県議・玉城義和に約千票差をつけて当選した。
賛成派の中心人物の1人だった県会議員の安里進が語る。
「自公連携の効果が大きかった。約千500票あると言われる学会票の大半がこっちに来たからね。もともと公明の女性市議は反対運動の先頭に立っていた人だから、住民投票のとき地元の学会は基地に反対だった。ところが市長選では学会本部から賛成に回れという指示が出たらしい。おそらく野中さんが自公連携を働きかけたんだろう」
自民党沖縄県連の会長だった西田健次郎もこう証言する。
「あれは野中さんがやったんだ。沖縄県連では当時は自公路線をとっていなかった。だけど学会が岸本支持で動いているのは感じでわかっていた。自民党本部から『公明批判はするな』という指示もたしか来ていたし、岸本陣営に旧公明党の国会議員も出入りしていたからね。学会中央が野中さんの要請で岸本支持を決め、自公連立に向けた1つの実験をやったんだろう」
98年11月に行われた県知事選でも自公連携は絶大な威力を発揮した。当初、3選確実と見られていた大田が自民党などが推薦する稲嶺恵一(県経営者協会特別顧問)に約3万7千票の差で敗れたのである。学会側は稲嶺支援の条件として衆院沖縄1区(那覇市)の議席を要求し、野中はそれを受け入れた。このため1区から選出された自民党の下地幹郎は2000年の総選挙では比例区に回り、公明党の白保台一が当選した。
池田側近(公明幹部)と暴力団の「絆」(仮題)
―「野中広務『権力20年戦争』」より―
(ジャーナリスト・魚住 昭『月刊現代』H16.2抜粋)
<暴力団との密会>
小沢一郎の側近、平野貞夫(当時新進党参院議員)が友人の権藤恒夫から「会いたい」という連絡を受げたのは1996年(平成8年)3月6日のことだった。権藤は公明党時代に国対委員長として活躍した新進党の代議士である。平野はすぐ議員会館の権藤の事務所に向かった。部屋に入ると、深刻な顔をした権藤が口を開いた。
「何とか住専予算で妥協する方法はないだろうか」
国会は破綻した住専(住宅金融専門会社)の処理策をめぐって大揺れに揺れていた。小沢が率いる新進党は6千850億円の税金投入に反対して2日前に予算委員会室の出入り口で座り込みをはじめたばかりだった。
「ようやく政府を追い込んだというのに、妥協の話はないでしょう。何があったんですか」
平野がそう言うと、権藤は怒りで顔を歪めながら小声で話しはじめた。
「野中さんが会いたいというので久しぶりに会ったんだが、とんでもたい話だった。『公明』代表の藤井富雄さんが暴力団の後藤組の組長と会ったところをビデオに撮られたらしい。そのテープを自民党側に届けた者がいるということなんだが……」
藤井は創価学会名誉会長・池田大作の側近といわれる東京都議で、後に野中とともに自公連立の牽引車となる人物である。当時は新進党に合流していない旧公明党参院議員と地方議員を束ねる「公明」代表をつとめていた。
その藤井が山口組きっての武闘派として知られる後藤組(本拠・静岡県富士宮市)の組長・後藤忠政と密会している場面を隠し撮りしたビデオテープがあるというのである。
「脅かされているので妥協したいということなのですか?」
平野の問いに権藤が答えた。
「ことは暴力団がからんだ問題だ。学会も気にしているから放っておけない。このままだと公明系(の新進党議員)がもたなくなるので、何かいい知恵はないだろうか」
平野は権藤と2人で党首の小沢に報告に行った。小沢は、
「学会が困っているんだから、話し合いをしてやれよ」
と、権藤・野中ラインでの交渉開始を了承したが、
「条件が2つある。1つは予算を修正すること。もう1つは自民党にも経済構造改革の必要性を分かっている人がいるから、住専問題を機会に改革のきっかけを作ることだ」
と釘を刺した。住専予算をめぐる権藤・野中の水面下の交渉はこうしてはじまった。平野の回想。
「交渉結果は逐一、権藤さんから報告を受けました。向こう側には野中さんだけでなく(参院自民党幹事長の)村上正邦さんや亀井静香さんもいて、問題を表に出したくなければ住専で妥協しろと言ってきた。でも、小沢党首は予算案から(6千850億円の)数字を削れと言って譲らない。間に入った権藤さんは学会からもいろいろ言われるから困ってね。そうこうするうちクリントン大統領の来日が迫ってきた。それまでに予算案を衆院通過させなきゃいけないというので、事態はかなり切迫してきたんです」
<組長に襲撃依頼!?>
住専国会で新進党切り崩しの材料になった「密会ビデオ」。その存在が永田町の一部で密かに取りざたされるようにたったのは、これより3ヵ月前の95年12月ごろのことである。
当時、自民党の組織広報本部長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井が「命を狙われている」という噂が流れた。まもなくその噂を裏付けるように亀井付きのSPが増員され、亀井の車はつねに警視庁の警備車両2台にはさまれて移動する騒ぎになった。村上正邦の元側近が語る。
「騒ぎの発端は、藤井さんと後藤組長の密会ビデオでした。亀井さんが入手したそのビデオのなかで、藤井さんは反学会活動をしている亀井さんら4人の名前を挙げ『この人たちはためにならない』という意味のことを言ったというんです。受け取りようでは後藤組長に4人への襲撃を依頼したという意味にもとれる。それで亀井さんと村上、警察関係者、弁護士、私も加わって対策会議が開かれたんです」
会議にはビデオの実物は出されなかったが、登場人物2人のやりとりを筆記した書面があった。その場の話ではビデオの映像はかなり画質が悪いうえに雑音が混じっていて声が聞き取りにくかったが、専門家に鑑定してもらった結果、登場人物は藤井と後藤にほぼ間違いないと分かったという。
「でも、この会議のころは野中さんはビデオの件にはコミットしてません。逆に『野中にはバレないように気をつけろ。何をされるかわからないから』という話でした。ところがしばらくして村上が『えらいことだ。野中に嗅ぎつけられた』と騒ぎ出した。事情は詳しくわかりませんが、野中さんが亀井さんに『見たでえ』と言ったらしいんです。それからずいぶんたって村上が『野中が一仕事したみたいだな』と言ってました。『何ですか』と尋ねたら『あのビデオで信濃町(学会)をやったみたいだぞ』という返事でした」
そのころの野中は亀井とともに反学会の急先鋒だった。細川政権時代の93年秋、国会で共産党議長・宮本顕治宅の盗聴事件(70年)を取り上げ「通信を所管する現職大臣が関与していたのではないか」と郵政相の神崎武法(公明党)を追及した。さらに「公明党は選挙のたびに全国の学会施設や電話をただで使っているのではないか」と具体的な証拠を挙げながら公明党と学会の「政教一致」を突いた。
95年秋の国会で創価学会に関わる宗教法人法改正が行われたのも、もとはといえば自治相・国家公安委員長の野中が「オウム事件の捜査が宗教法人の壁に阻まれた。法改正の必要がある」と言いだしたからである。
<学会の裏社会に対する防波堤>
東海道新幹線新富士駅からタクシーに乗り換え、北へ約40分ほど走ると、富士山のすそ野に広大な墓地が見えてくる。創価学会の「富土桜自然墓地公園」(敷地面積122万平方メートル)である。
この墓苑開発をめぐって地元・富士宮市議会で賛否両論が巻き起こり、暴力団による傷害事件にまで発展したのは今から30年近く前のことだ。
学会の元顧問弁護士・山崎正友が書いた『懺悔の告発』(日新報道刊)によると、この墓苑開発は70年代に始まり、総額2百数十億円にのぼる工事を自民党市議の会社が中心となって請け負うことになった。だが、市長や自民党市議の勢力と反対勢力との政争もからんでトラブルが続発した。双方の陣営への賄賂と地元暴力団の積極的な協力で何とか完成にこぎつけたが、最後まで妨害した人物に対しては暴力団がその自宅にブルドーザーで突っ込み、日本刀で片腕を切り落とす荒療治で鎮圧したという。
この暴力団の組長が密会ビデオに登場するという後藤忠政だ。だが、後藤と学会の関係は80年代に入ってこじれはじめる。協力の報酬をめぐるトラブルが原因らしい。83年3月、後藤は名誉会長の池田と公明党委員長(当時)の竹入義勝あてに学会の対応を非難する内容証明付き郵便を送りつけた。85年11月には学会本部の文化会館に拳銃2発が撃ち込まれ、後藤組組員が警視庁に現行犯逮捕された。
藤井が後藤と接触するようになったのはその前後からだ。元学会幹都の岡本勇(仮名)が証言する。
「藤井さんが後藤組長と接触する直接のきっかけは、学会本部が右翼・暴力団の街宣車に悩まされたことでした。それを抑えるため藤井さんは元警視総監らの仲介で後藤組長に会い、彼とのパイプをつくった。それ以来、藤井さんは学会の裏の仕事を引き受けるようになり、『醜(しこ)の御盾(みたて)』、つまり学会の裏社会に対する防波堤として力をつけていったんです」
どうやらこじれかけた学会と後藤組の関係は藤井の登場でいったん修復されたらしい。私は富士宮市で後藤組の内情をよく知る男にあった。種々の制約から名前や肩書きは明らかにできないが、彼が密会ビデオ事件の真相を知る立場にいるのは間違いない。
「密会ビデオは本当に存在したのか」
と聞くと、男は言った。
「間違いなくあったよ。もしビデオが単たる噂にすぎないものだったら、あれほど藤井が泡を食うはずがないじゃないか」
後藤・藤井の関係はいつから?
「今から十数年前のことだ。墓苑の問題で藤井が(後藤に)会いに来た。素人はヤクザをただで使うから注意しなくちゃいけないんだ。約束よりたくさん持ってくれば何の問題もないのだが、ヤクザを使ったのに後は知らないというのが多いからな。そういうことがあるから爆弾が破裂したりするんだよ。誰がやったとは言わないが」
「密会ビデオ」騒ぎが起きてから2年近くたった97年10月29日午前2時すぎ、東京都新宿区にある藤井宅の南隣の家の鉄製門扉が爆破された。近くに電池やリード線、タイマーなどの部品が落ちており、時限式爆弾によるものと警視庁は断定した。
その後の調べで爆発物は魔法瓶のようなステンレス製容器に火薬を詰めたものと判明。使用された電池の形態などから、過激派による犯行の可能性は低いというのが警視庁の見方である。
ビデオが流出した95年末ごろから学会と後藤組の関係は再びこじれだしたらしい。私は男に「自民党がビデオの問題で創価学会に揺さぶりをかけたのを知っているか」と尋ねた。
「その話も聞いてるよ。ヤクザより政治家のほうが汚いね。(後の) 自公連立は後藤組がきっかけをつくってやったようなもんだ。公明党は与党になってからもう4年になる。それでどれだけ得したことか」
男はビデオ問題で弱みを握られた学会側が自民党に接近し、それが後の自公連立につながったと言いたいようだった。だが、男は藤井・後藤会談でのやりとりやビデオ流出の経緯については何も語ろうとしなかった。
「密会ビデオ」を入手したとされる亀井にも同じ質問をぶつけてみた。亀井の答えはこうだった。
「私は今、藤井とは仲良くしているから、そんな話は一切答えられん。やはり日本の政治は自民党だけじゃどうにもならんということで我々は公明党と連立することを認めたわけだ。過去のことは金庫のなかに入れて……。私はいいかげんな政治家ですから」
当の藤井は、「そういう取材には応じられない」とノーコメントだった。
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@学会は墓苑建設のために暴力団を使って敵対者を排除していた。
A"学会と暴力団の関係"という衝撃的なスキャンダルを握りつぶすために、公明党議員は、新進党幹部に働きかけて自民党との政策上の取引をした。→一宗教団体が公明党議員を使って政治的権力(政策の私物化)を行使したことになる。
創価学会"売票"作戦(仮題)
(『週刊ポスト』H15.12.5抜粋・編集)
<「寄付名目の実弾をぶち込んだ」>
―今回の総選挙で返り咲きをめざした関西地区の元自民党代議士・B氏―
3年前の総選挙の時、公明党の推薦をもらって喜んでいたB氏は、学会の地区責任者のささやきに耳を疑った。
「公明党の推薦と、うちの活動家が動くかどうかは別だ。本気でやってほしいなら、300万円ほど(学会の)支部に寄付してもらえないか」
そうもちかけてきたのだという。B氏の証言だ。
「対立候補は旧新進党時代に学会の支援を受けている。それをひっくり返すには、学会に寄付をして誠意を示すのが1番わかりやすいというのです。前回は接戦でもなんとか当選できるような手ごたえがあったから、返事をギリギリまで延ばしているうちに、選挙資金が尽きて金が出せずに落選の憂き目を見た」
B氏は今回の総選挙でも公明党の推薦を取りつけた。
「寄付の要求額は400万円に値上がりしました」
―北陸・信越ブロック内の激戦小選挙区から出馬したC候補の選対本部長―
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最後の仕掛けを打った。自民党本部に泣きついて安倍晋三幹事長の応援を頼んだし、学会にも実弾をぶち込んだ。C代議士は選挙資金が尽きたから、私が800万円を立てかえて現金で学会の責任者のもとに持っていった。これで2万〜3万票は上積みされるはずだ
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ちなみに、候補者本人が選挙区内の宗教団体に寄付することは公職選挙法で禁じられているが、秘書や後援会幹部名義であればできる。
<聖教新聞購読で忠誠をアビール>
●わが党の旧民社党出身議員は以前から公明党と選挙協力をしてきた経緯がある。公明党は東京12区の太田や神奈川6区の上田勇といった小選挙区候補を当選させるために、旧民社党系労組などを通じて票の取引をもちかけてきた。例えば、東京13区では城島に票を出す見返りに、東京12区では太田を応援させる。あるいは神奈川6区で旧民社系労組が公明党を応援すれば、隣の神奈川5区では公明党・学会が民主党の田中慶秋を支援するといった取引だ。中には、自民党と民主党の候補が学会票を奪い合い、どちらも「比例は公明党へ」と訴えたり、聖教新聞を数百部も定期購読して学会への忠誠心を競い合った選挙区もある(民主党選対幹部)
●選挙中は事務所に公明党の市議や学会関係者が来ることも多い。その時に聖教新聞を置いているかどうかが自公協力の1つのバロメーターとしてチェックされる。できるだけ多く置いていた方が印象はよくなり、票も増える。向こうから購読してほしいといわれることも多く、ほとんどの候補者は選挙中、聖教新聞をかなりの部数取っている(公明党の推薦を受けた自民党議員)
→自民党候補の陣営からの寄付だけにとどまらず、学会は聖教新聞の購読料だけでもかなりの"選挙特需"になったのではないか。
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・「『聖教新聞』を置いているかどうかが自公協力の1つのバロメーターとしてチェックされる」これは、学会の選挙活動が信仰活動の一環であることを物語る証言である。
・「本気でやってほしいなら、300万円ほど(学会の)支部に寄付してもらえないか」本来個人に付与された投票権を組織が信仰の名のもとにほしいままにするのも問題だが、その組織票を売るのであるから言語道断である。
・民主政治は、自立した個人に与えられた参政権の自由な行使を前提として成り立つものである。それを信仰活動の一環として組織的に会員の投票権をコントロールし、さらには他党支持者の票までコントロールしようとするのである。しかも他党への応援の条件として学会組織への寄付や機関紙の購入を挙げていたというのである。これは、<1>信仰の名のもとに、<2>組織のために、<3>金銭によって、個人に付与された投票権を宗教組織が個人から奪い取るものである。二重、三重の意味で民主政治を根底から破壊する暴挙といえよう。
・いかに学会が"政教一致ではない"、"仮に政教一致であっても憲法違反ではない"といいはっても、また仮に形式的に違法・違憲でなかったとしても、その実態・精神は完全に民主政治を破壊するものである。(法蔵)
創価学会の学生告訴 名誉棄損で北海道民医連
(『しんぶん赤旗』H15.3.6)
北海道民主医療機関連合会(中井秀紀会長)は3日、民医連加盟の病院で起きた医療事故・事件をわい曲し民医連の名誉を傷つけた文書を配布したとして、創価学会員の学生2人を名誉棄損罪で札幌地方検察庁に告訴・告発しました。
告訴・告発されたのは、北海道大学医学部の学生と、創価学会学生部の医療系学生らでつくるメディカル・スチューデント・カンファレンスの構成員で東京医科歯科大学大学院博士課程に在籍する学生の2人。
告訴・告発状などによると、2月17日に北大医学部の講義室で「民医連系病院の医療ミスに関する意識調査」(主催・メディカル・スチューデント・カンファレンス)なる文書約100枚が配布され、同講義室の黒板には回収責任者として今回告発された北大生の署名がありました。
この「意識調査」なる文書は、民医連加盟病院の医療事故・事件について、医療をないがしろにして病院挙げて選挙活動しているために起きたかのように意図的に事実をねじ曲げた上で、「この病院の実態について、どう思われますか」などと聞く体裁をとっています。
告訴・告発状は、今回の異常な民医連攻撃が「統一地方選挙を前にして公明党が行っているものと軌を一にしている」と指摘。「広く全国的にこのようなものが配布されることも予想される」として、速やかな捜査と厳重な処罰を求めています。
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※統一地方選を前に、共産党と学会は機関紙その他で批判合戦を行っている。そのような中で、学会学生部が組織的に事実を捻じ曲げた文書を配布していたとなれば、重大な問題である。将来何かの間違いで公明党内閣ができれば、それに反対する団体に対して、学会が権力を背景に組織力を駆使して批判者攻撃をすることも十分あり得るということだ。(法蔵)
公明候補の支援者集めろ
―創価学会が東急建設に依頼―
―下請け業者に名簿出させる―
―本紙入手、内部文書で判明―
(『しんぶん赤旗』H15.10.24)
創価学会が、総選挙で東京12区から立候補する公明党候補の「支援者名簿」作成をゼネコンに依頼し、提供させていることが本紙入手の内部文書でわかりました。ゼネコンは創価学会を「得意先」としたうえで、自身の下請け企業に従業員の名前を名簿に載せるよう依頼しており、取引関係を利用した政教一体の集票活動が露骨です。
この中堅ゼネコンは「東急建設」(本社・東京都渋谷区)。本紙が入手したのは、「支援者名簿作成のお願い」と題する「九月吉日」の同社内部文書。作成したのは、同社コストセンター調達部の担当者で、あて先は同社の下請け企業でした。
これによると、「この度(たび) 弊社得意先であります 創価学会様より公明党下記議員への支援者名簿作成依頼」があったとしており、支援候補は、公明党の太田昭宏前衆院議員(東京12区候補者)。「都内23区と近郊の埼玉県に所在されている貴社に今回のお願いとなりました」と説明しています。
「お願い」文書は、東京12区の地域をこまかくあげたうえで、この地域に在住する「貴社の従業員の方々のお名前をお借り」したい、と依頼。さらに、「名簿提出後名簿記載者に、公明党(創価学会)より協力依頼の電話がありますので、“協力しますので頑張ってください”程度の受け答えをお願い致します」と求めています。
「お願い」文書とともに送付された「支援者名簿」には、「紹介企業名」「紹介者・役職」の欄があり、会社名・氏名・住所・電話番号と「関係性」を記入する形式。9月10日までにファクスで返信することが要請されています。
東急建設調達部の担当者は本紙の取材にたいし、この文書を作成したことを認めました。担当者によると、「支援者名簿」の用紙は学会が持ち込んだものでした。また、東京12区以外にも公明党候補支援の名簿を作成していることも明らかにしました。
創価学会は全国各地で「平和会館」などをゼネコンに発注しています。
同担当者は「依頼は営業経由でもらい、業務としてやってくれと上にいわれた。30社か40社かに出した。強制ではない。ここで集計し、総務でとりまとめている」などと話しています。
創価学会と公明党が「ふつうの関係」(野崎副会長)?
―資料が語る一体ぶり―
(『しんぶん赤旗』H15.8.17)
創価学会の野崎勲副会長が『中央公論』9月号のインタビューで「公明党と創価学会の関係は、一般の政党と支持団体の関係とまったく同じ、と考えていただきたい」「創価学会は公明党の支持団体のうちの一つにすぎない、ということだ」と語っています。
世間では、いまや“公理”(わかりきった真理=『三省堂国語辞典』)とされる「創価学会イコール公明党」の一体不二の関係を「ふつうの関係」と野崎氏は強調します。間近に迫る総選挙で宗教色を薄め、無党派層へ食い込みをはかりたい思いがにじみます。
いくつかの公明党・創価学会関係の資料・文書を見てみます。
●[画像]:「連絡事項」とタイトルがついた7月の内部文書=総選挙へ向け7・8月の支持者拡大の活動報告を求める内容で「F報告」「総県内F」「総県外F」などと書かれている。Fとはフレンド(創価学会員外で公明党支持を約束した者)の意味。総県とは創価学会の県段階の組織を示す。
●公明党本部で6月25日に浜四津敏子代表代行などが出席し開かれた高齢者対策ヒアリング(聞き取り会合)=招かれた東京都内の民生委員、老人会役員、町会長ら出席者17人は副本部長、区総合長、区副婦人部長など全員が創価学会の肩書きを持つメンバーだった。
●公明党が作成した地方選挙立候補者に実施した候補者アンケートには「信心経歴(入信から今に至る役職)」の項目がある。「先生(池田大作名誉会長のこと)との思い出」を記入させる欄もある。
●[画像]:公明党北海道本部の提案=今年1月、立党精神を体現するために(1)創価学会行事への参加(2)議員勤行会を毎月開催するなどの提案を確認した。勤行会とは創価学会の教義の「お題目」を唱和する会合のこと。
●1999年8月17日付の資料「党員の充実強化について」は「S支部単位に『党地区委員』を配置する」「『党地区委員』は壮年、婦人、男子、女子1名ずつが基本原則」とある。Sとは創価学会を指す。創価学会の壮年、婦人、男子、女子各部から公明党地区委員を指名するのが原則だと書かれている。
最近の関係資料類だけでも創価学会組織と公明党組織の一体ぶりを知ることができます。ウソに真実味を持たせるなら小さなウソでなく大ウソをつけ−−。野崎氏の創価学会と公明党にまつわる「ふつうの関係」論は、“大ウソの効用”をわきまえた真夏の怪談話として受けとめた方がよさそうです。
創価学会が“住民組織握れ”
(『しんぶん赤旗』H15.2.5)
町内会やPTAの役員になろう――創価学会がこんな“運動”を展開しています。名づけて「地域友好」。役員就任のすすめとも言うべき部内文書もあります。
『今後の地域部のあり方』。
創価学会の地域本部が作成した、総県長会議資料です。
地域本部は会員の職業や役職に対応する学会のタテ線組織の一つ。1999年に発足し、地域・団地・農村・離島の各部で構成、地域社会で「『友好活動』を広範囲に推進する」(聖教新聞99年7月6日)ことが任務です。
同文書は「地域部員は以下の地域役職を有する人で、圏(区)地域部長が認定した人」とし、町会・自治会、商店会、老人会、PTAの三役クラス、民生委員・保護司・家裁調停委員、消防団、青少年・交通安全・体育各委員をそれぞれ「地光会」「盛光会」など7つの専門部会に配置。その「体験・取り組み・工夫を交換・共有」して「メンバーの育成に資する」としています。
また、地域本部に「マンション委員会」(管理組合理事やマンション管理士を掌握)と「福祉委員会」(介護福祉士など有資格者を掌握)の設置を指示しています。
学会がこれに力を入れ出したのは公明党の政権入り(99年)ころから。聖教新聞で民生委員などをつとめる会員を紹介。最近は団地自治会やPTAの役員選挙にいっせいに立候補するという例が各地で目立っています。
学会元職員はこれを「住民の情報はもちろん、選挙では相手陣営の動静を逐一報告する。地域に張りめぐらせた情報集中システムであり、住民組織をこの手に握れという学会の“天下取り”戦略だ」と言います。
学会は昨年を「対話拡大の年」とし、会員との対話(組織の固め)とともに「地域との対話」に力を入れました。そして、いっせい地方選挙の今年の方針を「栄光・大勝の年」に設定。地域本部は関係者に「先駆者としての強き使命感」(聖教新聞12月13日)と檄(げき)をとばしています。
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※学会では表向き「政教分離」などと言っているが、日常の「信仰活動」がそのまま選挙時の集票成果と現れるような体制が構築されていることが分かる。組織の地域区分が、そのまま選挙区と対応していることも、その1つ。既成政党が問題視するのも当然である。(法蔵)
集票マシーン婦人部の実態
―平成10年参議院選挙の現場から―
(『フォーラム21』H15.3.15抜粋)
<H10.4本部幹部会>
◆我が身を顧みる暇など微塵もなく、ただひたすら愛する会員のために、全世界の隅々にまで広布を拡大し、恩師のご遺命の一切を成就された池田先生。この師匠の大恩に報いる弟子の戦いを、私どもはいつやるのか。 21世紀を目前にして、まさに一国挙げて権力の魔性が学会に襲いかかり、潰そうと暗躍しているいまこそ、戦う時であります。 まぎれもなく、この夏の大法戦こそ、弟子が総立ちして、世間をアッと言わせる、空前の大勝利を勝ち取る時と決めて戦いたいと思いますが、皆さんいかがでしょうか!(中略)私ども婦人部は、どこまでも池田先生とともにを合言葉に、いまこそ創価の母の強いスクラムで戦うことの炎を燃やし、7月の大決戦に大勝利してまいりましょう!(坂口幾代副総合婦人部長・H10.4.20本部幹部会/『フォーラム21』H15.3.15)
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※学会にとっての選挙とは、師匠=池田大作の「大恩に報いる弟子の戦い」なのである。「王仏冥合」などの大聖人の法門でさえ、選挙を正当化する手段であることが分かる。池田=大聖人(の仏法)と思い込んでいる会員にとっては、「選挙=王仏冥合=池田への報恩」という矛盾にも気づかないのであろう。(法蔵)
<H10.6埼玉県下の婦人部地区担会>
◆こんにちは。投票日まで41日となった現在の地区の状況を報告させていただきます。地区では地区体制のほかに、各ブロックで唱題会をもち、F活動に連日頑張っています。火曜、金曜、日曜日は朝10時から唱題会をもち、呼吸を合わせて友人のもとに出発いたします。マルKは現在、70パーセントで、活動の中でのエピソードをいくつか紹介いたします。 ブロック長が仕事で多忙なブロックに、勝利長として壮年部副幹事のTさんが任命されました。Tさんはこの選挙戦を通し、水を得た魚のように全国交流、県外交流とF活動に頑張り、連日、家庭訪問を繰り返しています。 今年、多宝会になるMさんは、朝の勤行の時、今日は5人の人に話をさせてくださいと具体的に祈り、1日のスタートを切るそうです。その結果、現在、200以上のF拡大をされております。 男子部地区リーダーが自分の部屋を拠点とし、毎晩、活動しています。昨年11月に入信したS君は、自分の思いで副地区リーダーに『F取りに行ってきます』と宣言。『結果を待っているよ』との励ましに、『後には引けない』と、生まれて初めてのFを取り、アンケートを通してF拡大の戦いをし、歓喜の活動報告をしてくれました。また、土、日を利用して、さらに友人と交流してきますと、張り切っています。 今週の県内交流では、川越、北本、浦和、狭山まで、交流に行く予定になっております。私もK作りと並行して、子供を通しての友人に、浜田さんの素晴らしさ、自民党への怒り、教科書を無料にしたのも公明よ!と実績を語り、あなたの一票が大切なのよと訴え、現在、120のFを取ることができました。 この選挙戦もこの場を借りて、我が地区は大勝利し、先生にお応えしますと宣言して、私の活動報告とさせていただきます(地区担代表・H10.6埼玉県下の婦人部地区担会/『フォーラム21』H15.3.15)
※ここに出てくるFとはフレンド票の略で非学会員の票のこと。またマルKとは、数多くFをとる優良活動家のこと。壮年・婦人・男子・女子の各部が総力を挙げてF活動をしていることが分かる。
◆7月、勝負の時は目前になりました。今日よりはまた、すべての人を味方に、先生のご指導をどれだけ、どこまで実践できるかということに挑戦してまいります。我が地区の創価の母の底力を発揮して、強盛な祈りと団結で断固戦ってまいります。 私も勝利長として、みんなに負けてはいられません。午前中は働いておりますので、時間との戦いです。友人たちは働く人が多く、夕方から出かけていき、会って頼んでおります。現在は実家のある三重県方面で、電話で頼んでいます。Fの目標は200で、いま120できています。 次にマルFの戦いですが、私個人としては50を目標にし、いま30できています。マルFの中にM議員の奥さんと同級生の方がいますが、10人の方を紹介してくれています。また、職場の方や子供の友人のお母さんたちがマルFになって応援してくれております。浜田さんの人柄と公明の実績を語りに語り、さらにF、マルFの拡大に挑戦してまいります。本部幹部会の池田先生のスピーチの中に、『民衆が主権者として、強く、賢く立ち上がり、連帯していく以外に人類史の不幸の流転を止めることはできない』とありました。21世紀を平和な住み良い世紀にするために、『めざせゴールの800万、取るぞ浜田の60万』を合言葉に、ブロック、地区の人たちと仲良く、楽しく、総合力で公明の大勝利を目指して戦い抜いてまいります(支部副婦人部長・H10.6埼玉県下の婦人部地区担会/『フォーラム21』H15.3.15)
※ここに言うマルFとは、非学会員でありながら自らF票をとってくれる優良Fのこと。
―病人まで利用して士気を鼓舞―
◆私の母は、肺結核により、左片肺しかなく、喘息、心臓病、7つの病を治すため、昭和29年、37歳の時入会し、現在、80歳になります。病苦を克服し、草創の地区担として、広布一筋に生き抜き、子供、孫と一人残らず広布の庭へ送り出し、幸せな、輝く日々を送っていました。 そんな折、今年3月、風邪をこじらせ、肺気腫、喘息が再発し、呼吸困難となり、身内の病院に運ばれました。鼻から管を通し、酸素を送る機械で息をし、ベッドより動けない状態で、最後の孝行と思い、できることはしました。大好物の高価な中トロマグロを口に入れると、『1週間生き延びるわ』と、満面に笑みで、持参しないわけにはいきません。 それから数日後、母に大きな変化が起きたのです。同室の患者さん2人で、学会、先生の悪口、お葬式に香典を持ち逃げされる等、母の耳に入りました。我慢も限界に達し、どうベッドから降りたのか、にじりよって、大破折。学会を、先生を守る命がけの大獅子吼です。呼吸困難の母にとって、どんなに大変だったことでしょうか。話すこと1時間、安静の母を制止することなく、廊下で看護婦さんも作業しながら聞いていたそうです。勢いづいて病室の7人に選挙の依頼ができ、その2人もいっさい、批判しなくなり、退院後、座談会参加の約束までしたとのことです。 不思議にも、正義を訴え抜いたその日より、鼻の管もはずされ、回復に向かい、1週間後、元気に退院することができました。 母の日に送った緑のサマーセーターでドレスアップし、80歳より広布の使命再びとの思いで、82と86歳のおじ夫婦の世話に、たった一人で急遽、長崎へ出発しました。 選挙は勝つよと、ベッドの上で弱音を吐いていた母が、人の面倒を見ながら、お金持ちのおじ宅より、電話をふんだんに使い、九州より埼玉の知人、友人に遅れてなるものかと、電話作戦を開始しているとの報告が昨日入りました(婦人部の副本部長・H10.6埼玉県下の婦人部地区担会/『フォーラム21』H15.3.15)
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※選挙活動は、仏道修行であり、折伏と同じような功徳があると考えている。しかし、その根底にあるのは「学会を、(池田)先生を守る」という精神である。つまり、池田学会にとって、「仏道修行=池田を守る戦い=池田の言いなりに動くこと」なのである。このような考えは当然、民主主義とも本来の大聖人の仏法とも異質のものである。(法蔵)
◆「この6月の戦いは、Fの拡大と、いままで取ったFの質をどう高めていくかということが一番大事な戦いになってまいります。そして、この6月は、まず地区単位を基本にして、しっかり戦っていきたいと思っております。いまのところまだ、地区、ブロックの拠点闘争といっても、例えば、月曜日と金曜日が地区で拠点闘争で、火曜日がこちらのブロック、水曜がこちらのブロックで、木曜がこちらのブロックというふうに、一日一日をそう並べると、ああ、大体1週間に1回、地区のどっかで集まっているかなという感じになっていると思いますが、どうかこれからは離合集散で、みんな集まっては散り、集まっては散りというふうに、拠点闘争がスムーズに行われていくように、作戦をよく練っていただきたい」「一人一人がもういっぺん、友人ノート、F台帳をしっかりつけて、そしていきたいと思っております。私たちが一人一人の家庭に家庭訪問した時にも、友人ノートをもってる?とか、友人ノートつけてる?というと、いまでにまだつけてない方がいます。そういう人と一緒に友人ノート、友人を書き出して整理をしてあげたいと思っています。それにはまず、住所録とか、そういうのを持ってる?と聞くと、大体電話帳とか皆さん持ってますので、この中でお願いできたのはどこ?とか、ご近所、隣はどう?お向かいさんはどう?というふうに聞いていただきまして、一人ずつ名前を友人ノートにキチッと書き出してみていただきたいと思います。そうするとまた、全然まだ頼んでいないという所が明確に出てきますし、今度、いよいよ最後、告示のあいさつをしようという時になったら、一軒、一軒、自分が取ったF、このメモを中心に丁寧に回っていけばいい」「それからいよいよ最後の交流日になりますが、6月は6日、7日の土日、それから20日、21の土日。この2週が埼玉県内の交流になります。それから、その中問にあります12、13、14の金、土、日の3日間ですが、これが全国交流。要するに首都圏交流の最後の交流になります。この首都圏交流というのはまず隣の東京、そして千葉、神奈川ですね。それと茨城と群馬、栃木、山梨、静岡の8県というか、1都7県になります。ですから、この12、13、思い切ってまた、恩返しの意味でも出かけて行って、そして、埼玉のFをもらってこようというふうに思いますので、よろしくお願いいたします」(県婦人部長・H10.6埼玉県下の婦人部地区担会/『フォーラム21』H15.3.15)
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※「選挙活動は仏道修行であり、折伏と同じような功徳がある。だから会員が公明党を支持しるのは当たり前」という考えが浸透していることが良く分かる。しかも池田学会の仏道修行とは、池田を守る戦いであり、池田の言いなりに動くことなのである。だからこそ、公明党が冷戦の最中に安保反対から容認へ「変節」したときも、大きな混乱がなかった。さらに平成15年のイラク攻撃でも、会員は、安保理決議無視のイラク攻撃を容認した公明党に不満をもちつつも、結局は公明党を応援するのである。政党の政策や実績とは無関係に、宗教的信念に基づいて「初めに支持ありき」という投票行動・支援活動が、本来の民主主義の精神と相反するものであることは間違いない。「民主主義の仮面を被った全体主義」というべきであろう。(法蔵)
★この内容の会合を宗教活動といえるだろうか。どう見ても政治団体の集会としかいいようがない。宗教法人法の改正を審議するために平成5年12月に行われた参議院宗教法人等特別委員会の席上、秋谷会長は、創価学会の選挙支援活動は限定的活動に過ぎないと発言した。だが実際には、全国の組織が長期間、総力をあげて取り組むのが創価学会の選挙であることは、一連の発言からも明らかである。
首相支持鮮明にした公明党
(『佐賀新聞』H14.2.25抜粋)
・前外相田中真紀子の更迭後に小泉内閣の支持率が急落する中、連立の一角を担う公明党は、これまで同党に距離を置いてきた首相小泉純一郎を支持する姿勢を鮮明にしている。2002年を「布教活動の年」と位置付け、政局の混乱を避けたい支持母体の創価学会(本部=東京・信濃町)もこの党方針を容認。幹事長冬柴鉄三らは小泉人気に押され、与党内に埋没しがちだった党の存在感を再び示そうと動き始めた。
・サラリーマンの医療費自己負担を来年4月から3割に引き上げる問題では、公明党の厚生労働相坂口力が辞意をほのめかして反対したが、冬柴は「辞任すれば政局になる」と押しとどめ、小泉の意向に従った。
・冬柴は連立合意を盾に昨年8月以降、衆院中選挙区制の導入を自民党に働き掛けた。小選挙区での苦戦が続く「支持者の不満」(若手議員)を受けた取り組みだったが、自民党内から「党利党略」と批判を浴び、小泉の賛同も得られず挫折を味わった。
特殊法人改革で小泉と自民党内「抵抗勢力」が対立した昨年末、公明党は「蚊帳の外」に置かれた。業を煮やした神崎は、首相補佐官を与党から起用するよう小泉に直談判したが、入れられなかった。
・創価学会会長秋谷栄之助らは、昨年12月の本部幹部会で「02年は対話拡大の年」との活動方針を打ち出した。学会幹部は「この2年間、国政選挙が続き、応援に力を取られてきた。本来の宗教活動に立ち返りたい」と説明。「折伏(しゃくぶく)」と呼ばれる信者獲得運動で現在の会員数821万世帯からの拡大を図っている。
学会は近年、会員が地域の神社やクリスマスの行事に参加することを容認し「若者の学会アレルギーがなくなってきた」と手ごたえを感じている。
・公明党と創価学会の関係は「政教分離」が長年問われ、自民党内でも元衆院議員白川勝彦らが「憲法違反」と連立批判を繰り広げた経緯がある。「党が報告し、学会が追認する。関係は成熟してきた」。学会幹部はこう反論する。
こうした変化には、旧公明党を解散して参加した旧新進党が、結党から3年で崩壊してしまった経験が影響しているとみられる。同党の解党後に神崎、冬柴、副代表草川昭三、党長老の都議藤井富雄らが公明党の再結成に奔走。他の野党から「コウモリと非難」(冬柴)されながら、自民党との連立に踏み切った。
・昨年7月の参院比例選で、初めて800万票を獲得。冬柴らは「保守層に接触できた」(若手議員)と与党効果を感じ始めた。
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■公明党
創価学会を支持母体として1964年に結成され、3年後の衆院選で25議席を獲得。自社対決の55年体制下で「中道政党」を標ぼうし、福祉や環境問題、日中国交回復にも取り組んだ。93年に非自民の細川連立政権に加わり、自社さ連立が成立すると解党して旧新進党に合流。同党崩壊後の98年に公明党を再結成した。故小渕恵三元首相の要請を受け、自自公(現自公保)連立に踏み切った。衆参両院議員は計54人、地方議員は約3400人。東京都をはじめ、与党として自民党と協力している地方議会は多い。
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■創価学会
日蓮聖人の教えを信奉する仏教団体で、戦前の1930年に創設された。大戦中に政府の思想統制で幹部が逮捕されたが、戦後に再建、宗教法人として整備された。全国13のブロック組織や青年部、婦人部が重層的に活動している。「折伏(しゃくぶく)」という入会勧誘のほか、文化活動や海外交流も盛ん。会員は国政、地方選挙で公明党候補を応援することが多い。81年から池田大作名誉会長―秋谷栄之助会長の指導体制が続いている。折に触れ、公明党との「政教一致」が批判されてきた。
被告・池田大作を追いつめた5年間に及ぶ「宗門戦争」、その驚くべき実態
−公明党議員の関与−
http://the49-2.hp.infoseek.co.jp/other/bungei.htm#
(『文藝春秋』H8.2抜粋/日蓮正宗弁護団長 小長井良浩)
そのなかで最も多発したのが遺骨返還訴訟でした。創価学会は以前から、「お墓のない人は遺骨をお寺に預けましょう」と学会員らに勧めてきました。それが、突如、「学会員はお寺に行ってはいけない」ことになったのです。
その結果、寺院にお墓がある学会員はお墓参りもできなくなった。葬式の問題と同じく、これは信徒にとって極めて重要な問題でしょう。学会はあくまでも寺院の存在を否定しようと躍起になって、墓参りすら許さなかった。そして、お寺にある遺骨は返してもらうようにと”指導”したわけです。
もっとも、常識的に考えれば、遺族がお寺に遺骨を返してほしいというのなら、お寺はその理由を聞いて納得すれば当然返還しています。それがどうして裁判になってしまうのかといえば、学会幹部が裁判に持ち込むように様々な工作を行っているからにほかなりません。しかも、その訴訟に至るまでの経緯が非常に周到でした。
例えば、学会員は事前に何の連絡もなく、決まってお寺の忙しい時期を見計らってやってきます。多くは地域の学会幹部が同行します。そして、「いますぐ遺骨を返してほしい」と迫るのです。「事前に連絡をしてから来れば返還します」と言っても「どうしていま返さないのか」とケンカ腰に迫ってくる。つまり、僧侶の「返さない」という失言を誘い出そうとしているのでしょう。そして、その失言を証拠として、裁判に訴えようというわけです。あるいは、遺族の申し出により遺骨を寺院が返却しても、いったんは納得して引き取ったのに、再び寺院にやってきて「この遺骨は違う、本物の遺骨を返してほしい」と言いがかりをつけてくるケースもありました。
また、墓地埋葬法違反による刑事告発とも関連しますが、遺骨を預けていた寺院が納骨堂の経営許可を取っていなかったことを理由に、それまでの保管料を騙取されたとして保管料の返還と慰謝料を請求するケースもありました。
墓地埋葬法の第10条に「墓地・納骨堂又は火葬揚を経営しようとする者は、都道府県知事の許可を受けなければならない」という条文があります。日蓮正宗に限らず、日本の多くの寺院が経営許可を取ることをしてこなかったことは事実です。しかし、各寺院における納骨行為は、営利を目的として行っているのではなく、あくまでも教義に基づく純粋な宗教行為の一環として行っていることなのです。
しかも、この墓地埋葬法は宗教的感情や公衆衛生を保護するために作られたものですから、お寺が保健所の手続きを取っていなかったことだけを殊更に取り上げるのは法律の精神と合致しません。また、学会側はこの問題を民事で取り上げる一方で、同時に74件もの刑事告発を各都道府県警にしてきたわけですが、もちろん、この74件は全て不起訴処分になっています。
この問題に関しては、寺院側が経営許可を取ることを創価学会が妨害しているという見逃せない事実もあります。墓地の経営許可については近隣の同意が必要なのですが、「あそこのお寺の墓地の経営許可には賛成しないでください」と選挙運動よろしくお寺の近所を学会員が戸別訪門するわけです。つまり、経営許可を取っていないからけしからんと言いながら、その違法状態を継続させているのが創価学会なのです。
さらに問題なのは、いったん住民が同意をしてもそれを公明党議員が運動して同意を撤回させている例があります。香川県の琴平町にある福成寺では、損害賠償請求を起こした原告でもある西浦猛という町会議員が、墓地の近隣を回って同意を撤回させており、実際に住民の半数がその同意を撤回しているのです。
また、山口県岩国市の弘法寺の場合は、当時公明党の市議会議員だった反田福三氏が原告の学会員の依頼で、弘法寺の納骨堂経営許可取得の有無の確認をしているという事実があります。
総本山の大石寺に対して起こされた、やはり墓地埋葬法違反に基づく民事訴訟では、現職代議士の近江巳記夫氏が原告に名を連ねています。近江氏は、提訴をした2カ月後には、細川内閣の誕生で科学技術庁長官に就任しています。
このような公明党議員の関与は明白な政治による宗教弾圧です。こうまでして、学会員を寺院から遠ざけなくてはならないのは、それだけ日蓮正宗では末寺と信徒の関係が信仰の面で深く繁がっているからです。それを断ち切るために学会は「ニセ本尊」を作り、学会葬を執り行い、戒名を否定して、お寺を学会員の目に入らないようにしているのです。
選挙一色だった町田「栄光躍進総会」
―特集/創価学会の選挙戦―公明党支援活動の構造―
―創価学会の会合に見る選挙闘争の実態―
(ジャーナリスト・乙骨正生『フォーラム21』H15.10.15)
平成7年12月4日に開催された参議院宗教法人等特別委員会に参考人として出席した秋谷栄之助創価学会会長は、創価学会の政治活動・選挙活動は、宗教活動の合間に行われる「限定的活動」であると公言した。
だが、今年平成15年を例にとっただけでも創価学会は、4月の統一地方選挙での公明党の「完勝」に向けて年初から全組織挙げての選挙闘争に挺身。そしていままた11月9日投票が確実な衆院総選挙に向けて全組織挙げての選挙闘争を繰り広げている。さらに衆院選挙が終われば明年夏に実施される参議院選挙に向かって走り出すものと予想される。この事実1つ見ても分かるように、創価学会は選挙を中心としたスケジュール闘争を組み、年柄年中、全組織挙げて学会員を選挙闘争へと駆り立てているのである。
また創価学会は、会館などの宗教施設を使用しての選挙活動についても、公明党候補が会合の幕間に挨拶するようなことはあるが、会合自体は宗教活動であると強調。会館を政治活動に使用することはないと強弁している。
だが、こうした主張も詭弁以外のなにものでもない。というのも会館で行われている創価学会の会合を子細に検証すると、そこからは宗教活動を隠れ蓑にした政治活動・選挙活動を、恒常的にしかも確信犯的に繰り返している創価学会の実像が浮かび上がってくるからである。すでにこうした事実は、月刊誌・週刊誌等でたびたび指摘されているが、衆院総選挙を前に、あらためて宗教活動を隠れ蓑にして政治活動・選挙活動を行う創価学会の実像を、ビデオテープに残された会合を基にして検証してみたい。
【選挙は「打倒日顕」の戦い】
俎上にあげるのは、平成7年3月5日に行われた東京都町田市の創価学会組織の「栄光躍進総会」である。当時、創価学会は、公明党が初入閣した非自民連立政権が平成6年に崩壊、自民・社会・さきがけに政権を奪われていたことから、新進党を全面支援して政権の奪還を企図。また、自・社・さ政権の背景には、反創価学会の立場に立つ有識者や宗教者らによって結成された「四月会」があるとして、「四月会」や阿部日顕日蓮正宗法主らに対して激しい敵意を燃やしていた。
「本日の総会は池田先生ご来訪10周年を記念した総会であり、また新聞啓蒙で大勝利し池田先生より特別区とお話をいただいたわが町田が、東京のそして全国の完全勝利の全責任をいよいよ担いだす大事な総会です」との司会の挨拶で始まった町田の「栄光躍進総会」。まず最初に口火を切ったのは、同年4月に実施される統一地方選挙神奈川県議選挙に、町田市に隣接する大和市から3期目の立候補をした公明党の益田はやお県議(現神奈川県議会副議長)だった。創価学会いうところの「幕間の挨拶」である。
ちなみにここで東京の組織である町田の総会で神奈川県議が挨拶した理由は、東京都と神奈川県では行政地域は別だが、大和市と町田市は隣接しているとともに、町田市議選ならびに東京都議選は統一外であるため、町田の学会員はフリーに活動ができるからである。すなわち創価学会は東京都民である町田の学会員に、本来、神奈川県民が選択すべき神奈川県議選への介入を促したのである。
その「幕間の挨拶」で公明党の益田はやお県議は次のように発言した。
◆そして3たび、なんとかそういう場で働かせてもらって、1人の市民のために頑張らせてもらいたい。このように決意した次第でございます。また私は公明の議員でございます。私の奥底では、今度の戦いは打倒日顕(日蓮正宗法主)、山友(山崎正友・元創価学会顧問弁護士)、こういった四月会、この人たちに対して鉄槌を加える戦いである。その時に最重点区で大変苦しい戦いではありますが、候補者として戦えることに無上の喜びを感じて、いまやらせていただいております。
どうか町田のみなさん。大和は超激戦区で苦しんでおりますが、私も必ず4月9日には勝ってご報告をしたいと思います。なんとか皆さん方の力で勝利をさせていただきたく、心からお願い申し上げます。よろしくお願いいたします(公明党の益田はやお県議・東京都町田市の創価学会組織の「栄光躍進総会」H7.3.5)
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神奈川県議選の戦いは「打倒日顕、山友」そして「四月会」に「鉄槌を加える戦い」なのだという。この一事をもってしても創価学会そして公明党の選挙がいかなるものであるかは歴然
◆私自身、啓蒙の真っ只中、功徳で思いもよらず田舎から10万円のお小遣いをいただきました。財務(年1回実施される寄付金集め)との思いでしたが、そうだ支援活動に使わせていただこうと決めました。3月10日、11、12日の交流デーには、私は大和、八王子に行きます。地区部長は氷川へ、地区担は八王子へ、また秋田、山形、大阪、愛知、川崎と行き先が決まりました。6日には地区出陣式に替え歌を歌い、元気いっぱい行います。みんなのFさんの大漁船サカイ丸に乗せて、また日本横断福運手形をつくり、日本地図に張り出したりと、楽しく全国交流をしていきます。
わが地区は、窓のむこうは相模原という地域柄、買い物先でお願いしたり、新聞講読のお礼かたがたF(フレンド票、学会員以外の外部票)闘争に走り回っております。T地区担は相模原の山崎順二(相模原市議会議員、公明)候補と出身校が同じということを武器に、同級生に訴えています。そして今回の阪神大震災での政府の対応のずさんさに、友人たちも憤りを感じており、ここぞとばかりに学会青年部や公明議員の対応のよさを訴え、票につなげております。
町田は全国のみなさんにいつも応援していただいているので、ひとごとではなく、わが地域の法戦の思いで私自身も人脈すべてに総当たりし、私たち町田の力で全国の完全勝利を勝ち取り、東京特別区の使命をはたしてまいります(勤行・唱題に続いて活動報告に立った婦人部の活動報告・東京都町田市の創価学会組織の「栄光躍進総会」H7.3.5)
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創価学会・公明党の選挙、そして宗教活動である創価学会の会合の性格がいかなるものであるかをより端的に示している。
【“ウソ”をつくことを誇示】
ちなみにこの活動報告に際しては、男性会員数人が「4月会を倒し、4月に勝つ」との横断幕を掲げている。
◆この勢いはとどまるところをしらず、次に迎える大事なこの法戦を、すべての選挙区で大勝利させ、金森南支部のわれわれが行くところ、すべてトップ当選させてやるんだとの意気込みで動こうと決めました。そのためには長である自分自身が率先してFをとることからはじめようと決意し、聖教新聞の決着の戦いの渦中ではありましたが、出身地の名古屋の友人に片っ端から電話をし、今日までまず7人のFをとることができました。
この3月からまず第1波として、10日、11、12の3日間を金森本部大和栄光デーと銘打って、今回聖教啓蒙で頑張った支部の活動家177人全員が大和市にでかけます。そして私も愛知、岐阜、三重に率先してでかけ、Fを取りきる予定です。
私は前回の参議院選挙で荒木清寛(公明参院議員)応援のとき、職場の朝礼当番で支社長はじめ30人の社員の前で、「私は荒木の同級生なので応援しています。今回立候補はしたものの知名度がなく大変苦戦しております。弁護士というのと若いのが取り柄です。どうか応援してください」と勇気をふるって話したところ、皆が駆け寄ってきて「大変だなあ。応援するよ」といってくれました。
この反応を見たとき、職場で実際の実証を築いた結果だと確信を強くもちました。もちろん、最後の投票日の日も電話で送り出しの確認もして、確実な票にしました。荒木さんは創価中学、創価高校、創価大学出身。私は地元の中学、高校、大学です。同級生でもなんでもありません(笑)。共通点は歳が同じということだけで、直接に話したこともありません。これからは知恵の戦いだと思います(笑)。
今回の統一地方選の戦いにおいても、しっかりと御本尊に祈りながら知恵をふりしぼって、わが支部の力ですばらしい5・3(創価学会の日)を先生とともにお迎えしていきたいと思います。それが町田を東京特別区と呼んでいただいた池田先生への恩返しであると思っています。
また、これらの戦いがすべて悪の元凶、日顕を還俗させる大きな因となることは間違いないと確信しております(活動報告に立った壮年部のS氏・東京都町田市の創価学会組織の「栄光躍進総会」H7.3.5)
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創価学会ではこうした会合を宗教行事であり、選挙活動・政治活動ではないと主張している。だが話の内容は選挙一色。世間ではこうした会合を選挙の決起集会というのである。
◆昨年、私たちは四月会に怒りを、そしてとんでもない一族がいる、その輩がいるということで、怒り心頭に達して、四月会の創価学会に対しての四月会ということに関して怒りをぶつけながら、折伏とそして聖教新聞の啓蒙に頑張りました。この四月会の沈没作戦は、これから行なわれるであろう参議院の時でもなく衆議院の時でもなく、私は今すごく大事なことは、これから行なわれるこの統一選にかかっているんではないかな、そこからすでにはじまっているというふうに思うんです。
そういうことで、本当にこの今回行なわれる統一選に大勝利すること、これが四月会全体に大きなひびを入れるという戦いなのではないかと思うんです。そういう意味で、一歩も退けない戦いのこの統一選を大勝利する、そのことが大いなる日顕の首を切る、そして四月会打倒の大きな戦いになると思いますので、全力をあげて私たちは支援の活動に入ってまいりたいと思います。
婦人部は、関西の同志の言葉を借りますと、「私たちは何でもいいまくる達者な口があります。そしてどこにでも行けるたくましい足があります。そしてどこにでも入っていける厚かましい心臓をもっております」この婦人部のもてる力を最大限に生かしながら、自身の全人脈を駆使して「春3月いざ出陣、春風に乗って全国制覇」を合言葉に元気に頑張ってまいりたいと思います(区婦人部長・東京都町田市の創価学会組織の「栄光躍進総会」H7.3.5)
◆いよいよきょうからは東京大勝利、そして全国大勝利に向けまして私たちの支援交流の戦いに勇んで挑戦してまいりたいと思います。さきほどもありましたとおり、「春風とともにさっそうと全国交流へ」と、こういうスローガンで大交流を躍動の中で行なってまいりたいと思います。
まず第一歩としましては、この次の土日であります3月11、12、第2東京(三多摩地区)・神奈川の交流。まずここで率先して私たちが動いて、その次の座談会週間で大いに交流の体験を語りあいながら、波動を与えていきたいと思います。そして18、19、20、21、ここでは東北の激戦区をはじめとする東日本交流、そして3月25、26の土日、西日本交流と。このように一波、二波、三波と全活動家が大いに動いて、語り、交流をしてまいりたいと思います。
私自身も東日本交流では、長野県の松本市、西日本交流では大阪の吹田市、このようにでかけてやってまいる決意でございます。まず本日参加の私たちから大きな波動を起こし、その波動が町田第一線の隅々までその波動が及ぶという、こういう流れを今日からつくってまいりたいと思いますので、都議選の全国へのお礼の意味も込めまして、なにとぞよろしくお願いしたいと思います(萩本直樹副会長・東京都町田市の創価学会組織の「栄光躍進総会」H7.3.5)
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この萩本氏は、創価学会本部広報室に所属し、本誌9月1日号で特集した宗教学者や宗教者等に対する取り込み工作などに従事している人物である。その萩本氏は、「2001年めざし、東京特区町田の新たなる前進を」と題してこんな発言をしている。
◆で、このこと(二信組問題)を通して今度は誰が追及されるのか。それは武村大蔵大臣でございます。四月会の、この1年前に四月会ができ、この1年間学会をそれこそ日顕宗や山崎正友やマスコミと一体となって、学会を追い込めようやっつけようとしてきた、そのときの権力者たちは1年もたたないうちに、そんなものに負けてたまるかという私たちの思いが、皆さんの聖教新聞の啓蒙の戦いに結実して、そして支援活動に頑張ってくださって、それが次々と結果を呼んで、その四月会に並んだその権力者たちがいま一人一人制裁を受ける。マスコミも順番に私は制裁を受けるときじゃないかと、こう思うわけでございます。
そういう意味では、四月会が4月にできた、その4月が、四月会が四月会内閣といまの内閣を言うんだったら、この4月、もうなにを言いたいかわかっておりますね。この4月の決戦をもって、四月会・四月会内閣を粉砕したいと思いますが、皆さんいかがでしょうか(浅見茂東京長・東京都町田市の創価学会組織の「栄光躍進総会」H7.3.5)
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そして最後に指導に立ったのが浅見茂東京長。東京の創価学会組織の責任者である浅見氏の話は、終始、政治と選挙に彩られており、創価学会のメンタリティを知る上で、大変、興味深く、本来なら全文を紹介したいのだが、紙面の都合もあるので主要部分のみ抜粋して紹介してみたい。
まずは当時、「四月会」とともに創価学会批判を展開していた亀井静香運輸大臣に対する学会員の怒りに触れた浅見氏。その怒りが青森県知事選挙での新進党推薦の木村知事(今年、女性スキャンダルで辞任)の当選につながったと一くさり。その上で、次のように「四月会」ならびに「四月会内閣」の打倒をアピールする。
【都内・近県・全国支援を強調】
◆そういう状況の中、青森の同志の皆さんが戦っておられますし、盛岡にまいりましたら、2期連続当選して今回新人に創価大学の3期生に候補者がかわりました。やはり1万2000票とらなきゃならない。2000は上乗せしなきゃならないという選挙でした。ちょうど打ち合わせが終わったあと、秋谷(栄之助)会長が皆さんを激励して「皆さんのほうからご要望はありますか。なにかあれば」と聞いてくださったんですね。一番前にいた婦人部長さんがぱっと手を挙げまして、「私たちはきょうは東京から東京長もお見えなので申し上げたいと思いますが、私たちは毎回の東京都議会選挙では岩手県は全力をあげて応援しております」そういったとたん、なにが言いたいのかよくわかりました。私はすぐにそこで立ち上がりました。「ただいまのお話を聞いて、東京に帰りましたら皆さんにぜひ応援を大きくご支援を申し上げるということで、お願いを東京の各区でしてまいります」こう申し上げたんですね。
そうしたら、もう終わったと思ったらまたぱっと手を挙げまして「ただいまそのようなお話がありましたが、具体的にはどのような形で……」婦人部は詰めてくるわけでございます。ちょうど坂口(幾世、全国婦人部長)婦人部長もそこにいらっしゃいまして、私と坂口婦人部長が立ち上がりまして「東京の会合に出たらすべての会合で盛岡への応援をお願いしてまいりたいと思います」言っちゃったもんですから、町田の皆さん、どうぞよろしく(浅見茂東京長・東京都町田市の創価学会組織の「栄光躍進総会」H7.3.5)
◆関東では栃木県の足利、また長野県の松本、静岡では清水と沼津、みんな超重点区がございます。ご案内のように神奈川、埼玉、千葉、東京を取り囲むこの3県も激戦を展開中でございます。今回のこの私たちの戦いとして、全員3月のこの期間に東へ西へと全国の懸命に戦う同志を応援し、この4月に、この決戦で決着をつけるとの思いで、力を入れて取り組んでまいりたいと思います。
関西の同志が幹部会を開いた。神戸の代表がいま一生懸命地区と支部の組織の掌握をしている話の報告がありました。いろいろなところに避難してらっしゃる。日本全国に分かれて生活してらっしゃる皆さんが、皆さんの安否を確認しながらどんどん進めてらっしゃる。そういう中、日曜の勤行会が順次行なわれるようになってきた。意気軒昂である。兵庫の選挙は6月11日に県会、神戸市会、西宮市会、芦屋市会は6月11日になります。だけれども大阪の人たちは、今回関西の勝利は神戸のために頑張るんだ、兵庫の皆さんのために。このように口々に幹部が幹部会で訴えておられます。
そういう意味では、私たちが現地に大阪に足を運んで、そして支援をしてさしあげることが、行ってさしあげることが最大の応援ではないか。このように思うわけでございます。「常勝の空」を声高らかにきょう合唱していただきました。この先生は「学会は1つだね」この思いを受け、今回のまずは統一選、4月9日の大勝利をめざして頑張ってまいりたいと思います。
そして4月23日、東京は279名、先日1人離島部のほうの方の公認が行なわれましたので、279名となりました。三多摩地域は99名でございます。国立、府中、多摩、稲城、これらを重点区と第2東京はいたしまして、全部落とすことのないように、大勝利をしたいとの思いでいっぱいでございます。
先日も府中へ、国立へ、稲城へ行ってまいりまして、今度は多摩にも11日にまいります。どの選挙区も大勝利できるよう、そこで言われることは「町田の皆さんに会ったら、東京長、よろしくお伝えください」このように言われるわけでございまして、それらの声を代弁して最後に申し上げさせていただきたいと思います。
わが町田の皆さん、皆さんの先生からいただいた大きなこの「使命の王者」とのその町田の使命を、全員今回の戦いで再び示していただければ、このようにお願い申し上げる次第でございます(浅見茂東京長・東京都町田市の創価学会組織の「栄光躍進総会」H7.3.5)
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統一外である町田の学会員に、都内・近県のみならず全国の選挙区への熱烈な支援を呼びかける浅見氏の話は、宗教活動に名を借りて行われる創価学会の選挙活動・政治活動の実態をよく示している。
そしていま、全国の創価学会組織は、この平成7年3月の町田創価学会の「栄光躍進総会」での各種の幹部や活動家の発言に象徴される「法戦」への参画を煽り、東京12区や神奈川6区、埼玉6区をはじめとする公明党候補が小選挙区に立候補した地域に、「交流」「支援」の名のもとに大量の活動家を動員、熾烈な選挙闘争を展開しているのである。
その実態は、戸別訪問を含む熾烈な選挙活動だが、創価学会ではこれを宗教活動と強調しているのである。
乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』(かもがわ出版)など。
「池田私邸」を守る「政党条項」(仮題)
(『週刊ポスト』H15.12.5抜粋)
とてもひと息でいえないような長い名前の法律がある。
「国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律」―といい、15年前の88年12月に制定された。名称の通り、国会や外国大使館に対するデモや街宣活動など、拡声器による騒音を規制するもので、条文にはないが、対象地域の概ね半径500b以内では街宣車などの立ち入りが阻止される。
当然といえば当然、なるべくしてなった法律といえる。国民の誰しも不思議には思わないはずだ。しかし、その何でもない法律に、実は秘密が隠されており、それが後に日本の政治史に大きな影響をもたらすことになった。
法律を制定したののは竹下登内閣だった。当時、国会はリクルート事件(※)と消費税導入をめぐって紛糾し、野党の審議拒否で空転が続いていた。事態打開のきっかけとなったのは、公明党がそれまでの強硬な態度を一変させ、消費税に反対しつつも、審議に応じたからだった。問題の法律はその直後にできた。
竹下内閣当時、衆院事務局委員部副部長として同法に携わった平野貞夫・民主党参院議員が制定の内幕を初めて語った。重大な証言である。
「あの法律は竹下内閣が消費税を導入するための見返りとしてできた。内容は、国会や在外公館の周辺で右翼などが街宣活動を展開して騒音問題が深刻になっており、規制しようという趣旨だったが、そこに公明党が『政党本部周辺も規制対象に入れてほしい』といってきた。政府はなんとしても消費税法案を成立させなければならなかったから、公明党が消費税の審議再開に応じることとひきかえに要求を飲んだ。官房副長官だった小沢一郎氏は『憲法違反じゃないか』と怒っていた。確かに、この法律は政治活動や言論の自由に低触する恐れがあり、消費税導入のためとはいえ、私が手がけたなかでも悪法の1つと内心、忸怩(じくじ)たる思いを抱いている」
同法第3条は<政党条項>と呼ばれ、国会や外国公館とは別に、政党の事務所(本部)を規制の対象に含める条文が盛り込まれている。
創価学会本部がある東京・新宿区信濃町周辺には池田大作氏の邸宅や公明党本部、学会関連施設が集中している。それまで学会本部には右翼団体や反学会系組織の宣伝カーが連日のように押しかけ、拡声器のボリュームいっぱいに池田氏や学会批判を展開する光景が"信濃町名物"の観を呈していた。当事者には相当な脅威であり、戦慄であったことは容易に想像できる。
とはいえ、一宗教団体を警察が24時間警備するわけにはいかない。幸い、公明党本部と学会本部はJR信濃町駅をはさんで指呼(しこ)の間(かん)にある。政党条項の裏には、党本部を街宣活動の規制対象にすることによって、そのまま学会本部周辺まで警察の警護エリアとして守られるという巧妙な仕組みが秘められていた。
公明党が創価学会を守る砦そのものであることがよくわかる。逆に、学会にとって、公明党の消滅は裸の組織になることを意味する。後に新生党、日本新党、民社党などが結集した新進党の誕生によってその矛盾が噴き出した。
公明党は新進党結党の時、まず衆院側を先行合流させ、参院と地方組織は『公明』として残し、後に金面合併するという2段階方式をとると約束していた。が、いざ参院公明の合流を迫られると、猛烈な拒否反応を示した。
「新進党の本部は国会の近くに置かれていたため、参院公明まで合流してしまうと、政党条項で学会を守れなくなるというのが公明を解散しない理由だった」
新進党中枢にいた民主党幹部はそう振り返る。当時、新進党党首だった小沢氏が突然、同党の解党を決断した背景には、公明党の存立目的と性格が一宗教団体の"派生的存在"にすぎず、それから抜け出すことができないと見切ったのが真の理由とされる。
新進党解党後の公明党はより〈学会防衛機関〉としての性格をむき出しにして自公連立に突き進み、小泉内閣の下でいよいよ政界支配を不動のものにしつつある。小泉首相にすれば、権力基盤強化のために公明党・学会を取り込んだつもりが、逆に公明党に政権の根幹をおさえられ、国家権力で一宗教団体を間接的に守護することにつながる危険性に気づこうともしない。
※リクルート事件/リクルートの関達会社であるリクルートコスモス社の株式が、店頭登録に先立ち多数の政官財関係者に安値で譲渡された事件。1988年の発覚後、自民党の藤波孝生元官房長官をはじめ12人が起訴され、全員に執行猶予付き有罪判決が言い渡された
教授の論文も自公連立政局がらみで一部削除
(古川利明著『カルトとしての創価学会=池田大作』第三書館・抜粋編集)
創価大教育学部の工藤英三教授(体育科教育)が1998年3月末で定年退官となったため、学部の研究機関誌に退官記念の論文を執筆した。
テーマは「武道は人格を向上させるか」というもので、具体的には当時、橋本龍太郎首相が中国へのODA援助をめぐり、中国人女性と深い仲になっていた疑惑が報道されたことを引き合いにしながら、「武道をやっているからといって(※橋本龍太郎は剣道の有段者である)、人格が素晴らしいとは限らない」との趣旨について言及した。
でもって、いったんはこの機関誌は卒業生ら関係者に配られたにもかかわらず、それが、橋本首相を取り上げた部分が問題であるとして、急遽、回収されたのだいう。
●そこで当時の教育学部長が「書き直せ」と言ってきたので、工藤さんが怒って、「精神的な苦痛を被った」として、法的手段も辞さないと、態度を硬化させたんです。書き直しは学会本部からの指示だったと聞いています。それでしばらくすったもんだがあって、結局、橋本首相に関する部分を削除することで話がまとまり、機関誌を刷り直して、改めて配布したのです(内部関係者)
ちなみに、この"事件"が起こった1998年前半の政局を簡単に触れておくと、それまでの自民党サイドによる、池田大作の国会証人喚問をちらつかせながらの、猛烈な新進党攻撃が功を奏し、97年末で新進党が解党したことで、自民党と創価学会(池田大作)との間では雪解けムードが生まれていた。
そして、98年4月には内藤国夫が自民党の機関紙『自由新報』に掲載した学会批判のコラムを、内藤に何の断りもなく、自民党が勝手に創価学会に謝罪したことで、事実上の"手打ち"をすることで、「自・自・公」への地ならしは既に整っていた。こうした真っ只中に、橋本首相の女性問題に触れた論文の回収騒ぎが起こるのである。
この橋本龍太郎の女性スキャンダルは、当時の週刊誌が競って報道していたのはもちろん、国会でも取り上げられるなど、既に「公知の事実」だったにもかかわらず、である。
しかし、創価大学では、「創立者」に対する批判ができないのは言うまでもないが、それのみならず、表向きには大学とは直接、関係ないはずの、永田町に関わる話題もうかつに取り上げられないのだ。
本来ならこれは「学問の自由」、そして「言論の自由」の根幹に関わる重大な問題だ。しかし、大学当局は徹底したか箝口令(かんこうれい)を敷き、この工藤教授の元の論文は「なかった」ことにしてしまったのである。
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これは、政教一致の証拠であるとともに、私学ながら公教育の機関として国から公的援助を受けている創価大学が、実質は創価学会(池田大作)の"私塾"として、総体革命実現のために支配・利用されている証拠でもある。(法蔵)
学会行事のために選挙日程に干渉(仮題)
―「平野貞夫氏が暴いた『公明党・創価学会』の闇」より―
(ジャーナリスト・段勲『フォーラム21』H17.8.1抜粋)
平成元年(1989年)5月、公明党の臨時党大会で、矢野-大久保体制から、石田辛四郎委員長、市川雄一書記長という新体制に代わった。
同年6月、リクルート問題で竹下内閣が総辞職。7月、参院選で自民党が惨敗し、過半数を割り、宇野首相と橋本龍太郎・自民党幹事長が責任をとって退陣する。
混迷するこうした政局の渦中、
「……7月25日、創価学会幹部から連絡が入った。
『秋谷会長から平野さんに会って話を聞くようにという指示があった。申し訳ないが、時間を取ってくれないか』
この日の午後6時から8時半まで、私たちは赤坂プリンスホテルの一室で突っ込んだ話をすることになった」(『日本』から)。
この当時、衆議院事務局の重鎮兼自民党のブレーンでもあった平野氏は、公明党の議員や創価学会の幹部と頻繁に会い、政局の変遷をにらみながら、的確なアドバイスを与えていたのである。そのさなか、秋谷栄之助・創価学会会長の指示で平野氏と面会した学会幹部氏は、こんな会話を交わしているのだ。
〈学会幹部〉実は、7月21日に小沢一郎先生と会った。そのとき、12月解散、1月総選挙という意見をいっていた。会長が気にしているのはそのことで、学会の都合もあってなるべく正確に見通したい。
〈平野〉……どんな都合があるのですか。
〈学会幹部〉9月に学会は財務(決算)がある。10月いっぱいはその後始末にかかり、学会の都合をいえば、11月中ごろ解散、12月初旬総選挙が1番いい日程なのです。来年1月総選挙だと、学会の記念行事の準備がありまして、できれば年内にということです
もはや、説明も要しない。平野氏は著書の末文でこう書いている。
「公明党・創価学会の浸透は、日本人に政治的な生活習慣病を患わせることになった。このままでは、確実に日本は破滅する。政治家も口を閉ざし、学者、有識者、マスコミも、創価学会をタブーにしている。
破滅から逃れる方法はないのか。1つだけある。それは国政選挙に70%以上の有権者が参加して。『民衆の理性』を発押することである」
大橋敏雄の離反(仮題)
―『公明党「汚れた裏面史」全真相』より―
(参議院議員・平野貞夫『月刊現代』H16.5抜粋編集)
【政教分離の嘘を暴いた大橋論文】
中曽根内閣の後を受け、昭和62年の秋に成立した竹下内閣の最大の懸案は、もちろん消費税法の成立だった。だが竹下さんは63年の通常国会にはこの問題を持ち出さず、63年の秋に持ち越した。私はこのとき、衆議院委員部の副部長だった。全体の運営の事務を取り仕切るポジションだ。
63年の常会が終わり、夏からはいよいよ消費税国会だというときだった。公明党を揺るがす大騒動が起こった。いわゆる「大橋問題」である。
公明党所属の衆議院議員・大橋敏雄氏が、昭和63年5月10日発売の『文藝春秋』誌上で、池田大作・創価学会名誉会長を批判する論文を発表した。中身は、学会を私物化し、相変わらず政教分離を弁えない池田氏を批判したものだった。公明党批判ではなく、あくまで池田批判だったが、この論文は学会のみならず公明党にも大きな動揺をもたらした。
昭和44年、藤原弘達氏の『創価学会を斬る』に対して、学会・公明党が出版を妨害する事件が起こった。この事件をきっかけに、学会・公明党は「政教分離」を宣言したはずだった。大橋氏の告発は、その宣言が口先だけのものだったことを暴露するものだった。
また大橋氏は論文の発表だけでは追及の旗を降ろさなかった。衆院議長への要望書や政府への質問主意書を提出し、池田大作を引きずり降ろすための具体的な行動にも出た。
大橋問題に対する公明党の対応は、あまりに稚拙だった。6月6日、公明党は、告発の内容とは無関係な、「金銭トラブル」や「女性スキャンダル」を理由に大橋議員を除名する。この対応にも批判が集中した。
6月14日には、公明会館で開催された第60回中央委員会で、挨拶に立った矢野絢也委員長が、大橋問題について掘り下げた討議を要請した。さらに大久保直彦書記長は、政教分離の路線をさらに進めていく決意を表明した。
それから1週間後の6月21日、私は大久保書記長から議員会館の部屋に呼ばれ、大橋問題への対応を相談された。大久保書記長の部屋には、石田幸四郎副委員長、伏木和雄副委員長の顔もあった。この日のメモにはこう書いてある。
〈大久保書記長ゲッソリとやせ、元気なし、石田・伏木両副委員長も顔色悪く、疲れ隠せず〉
大橋問題への対応で、公明党の幹部は心身ともに擦り減らしていた。この状態では彼らにまともな議会運営など望むべくもなかった。
【池田喚問に慌てた委員長】
さらにこの日のメモから紹介しよう。
〈大久保〉大橋が今日、原(健三郎)議長に要望書を届けたが、これがそのコピーだ。この要望書のどこが問題になるのか、教えてほしい。
〈平野〉議院に関係する内容は2点です。大橋さん自身、疑惑といわれていることをはちしたいから証人として出頭したいということ、また池田名誉会長を「政教分離」問題で証人として喚問してほしい、という点です。2点とも議長に関係のないことで、議長としては目を通すだけで何もしません。
〈大久保〉もし証人喚問となれば、どういう手続きになるのか。
〈平野〉証人喚問を決めるのは所管の委員会での議決が必要です。大橋さんは筋を間違えている。所管の委員長に出すべきです。
しかし仮に、委員長に出されたとしても、委員長はいきなり委員会に諮るようなことはしませんよ。まず、理事会で協議します。理事会で合意して話が進んでいくんですよ。それに証言法の改正がそのままになっていますので、簡単に証人喚問といっても事実上できませんよ。
〈大久保〉書記長として記者会見しようと思っているんだが。
〈平野〉自党の党員でない人が出した要望書について、書記長として記者会見するのは、問題を大きくするだげですよ。無視しておけばよいと思います。新聞の記事を大きくするだけですよ。
―結局、私の助言で大久保さんは、いったんは会見をやめることにした。
【知られざる大橋問題の真相】
公明党としては、池田大作名誉会長の証人喚問だけは何とか避けたいと必死だった。一方の自民党にとって、これはチャンスだった。懸案の消費税法は、自民単独で成立させることは不可能だった。社会党や民社党が消費税に強硬に反対している以上、成立には公明党の協力は欠かせない。消費税国会を成功に導く鍵は、公明党が抱える大橋問題をいかにうまく処理するかにかかってきていたのである。
私はこの日、大久保書記長に再度呼び出されるが、そこで聞いた大橋問題の「真相」は、私の想像を超えるものだった。
〈大久保〉さっきは大橋の要望書のことで記者会見しないことにしたが、大橋側が記者会見で私の政治献金のことを出したので、会見をすることにした。要望書のことを聞かれると思うので、どの程度のことを言っておけばよいだろうか。
〈平野〉まず議長に持ち込む問題ではないこと、そして「政教分離問題」は解決済みだということですね。あんまり話をしないほうがよいと思いますよ。
〈大久保〉今度の問題の根っこは、藤原(行正、池田批判を展開していた公明党の都議)のほうにあってね。つまらん、バカバカしいことが原因なんですよ。
〈平野〉どういうことなんですか、原因は……。
〈大久保〉藤原の次男が、「私は、戸田城聖(第2代創価学会会長)の生まれかわりだ。6代目の創価学会会長になる」と言っているらしい。そこで池田名誉会長の攻撃に大橋が使われているんだよ。
〈平野〉それじゃあ、宗教上の争いが原因で、それを政治問題として処理しようとしているんですか。
〈大久保〉大橋が国会議員だから、政治問題として……。
〈平野〉1番悪いケースですよ。原因が宗教上の争いなのに、現職の議員の身分をいくらつっついても問題は解決しませんよ。だんだん泥沼化していって、党の運営や国会対策が冷静にできなくなったら大変なことになりますよ。
【「学会も選拳態勢を取れない」】
公明党と学会の裏のやり取りの情報などは、頻繁に連絡を取り合っていた権藤さんはこんな内情も明かしていた。
「竹入先生に聞いたところ、学会がかなり無理を言って公明党に大橋問題を処理せよ、といってきたらしい。矢野委員長も腹ではやりたくなかったが、しかたなくやらされたようだ」
さらに、党内の混乱ぶりをこう語っていた。
「副書記長会議があったので、二見に、『このままでは、党のイメージを悪くするだけだから、臨時国会対策とか、税制問題への取り組み方を勉強して、国民に理解される党の態勢を固めよう』ということを提案させたが、『それどころではない……』ととり上げてくれなくて、二見が怒っていたよ」
創価学会・公明党がどうなるかは、自民党の派閥や政局もからむ問題であった。そのことは公明党側も自民党側もよくわかっていた。6月30日に、権藤さんが小沢一郎官房副長官にこんなことを伝えて欲しいと言ってきた。
「大橋問題をこじれさせた後、学会内部でかなり動揺が出ている。矢野委員長は一時期、学会や党のゴタゴタを吹っ切るためにも、早期に解散に追い込んだほうが得策かと考えていたふしがあったが、学会も選挙態勢をとても取れたものではない。そこで、年内解散も同時選挙も避けたい」
しかし、衆議院の委員会段階で税制改正法案を強行採決すれば、「解散」の可能性が高い。税制の抜本改正を自民党単独強行採決したと新聞は徹底的に批判する。社・共が勢いづき公明も社会党に必ず引っ張られるからだ。
―こう私が分析すると、権藤さんは7月4日に小沢さんをある学会幹部に引きあわせることを明かし、次のように頼んできた。
「わかった。小沢さんからそのことをよく相手に説明して、審議に参加するよう、よく納得させてほしい。特に小沢さんには、公明党を動かすために福祉問題で画期的なことを実施するといってほしい。それに学会はいま世間から冷たく見られているから、何か目立つことで評判を良くしようという動きがあり、『平和の問題』に関心が強い。だから防衛費を拡大させない、これをうんといってもらいたい」
大橋問題は結局、本人から出された学会の運営などについての質問主意書に対し、政府が答弁書を出したことで一応の決着が付くことになる。
最大の論点だった「代表役員でない池田大作名誉会長による学会の支配が宗教法人法違反にあたらないか」との問いに対し答弁書は、「責任役員と代表役員による事務の決定と総理(統一管理)に従って管理運営が行われる限り、同法違反に該当しない」との見解を示したのだ。
これによって、大橋問題が巻き起こした波紋は、消費税法の審議に影響を及ぼす寸前で、かろうじて収まった。