創価学会破折
日隆上人誹謗粉砕



日隆上人誹謗破折



日隆上人誹謗破折

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◆富士五山の一であり全国に70万の信徒を持つ日蓮正宗の本山富士大石寺宗務総監である本所区向島小梅町常泉寺住職水谷秀□(道)師(56)は12月初旬より数回に亘(わた)って極秘裡に丸の内署に召喚され中村司法主任の取調べを受ける一方、常泉寺総代平沢菊太郎・鈴木仙蔵氏、浅草の待合鈴蘭の女将、亀戸の待合小槌の女将等を召喚証人とし取り調べ中であったが26日水谷師は「背任罪」として1月4日の御用始めに一件書類を東京地方検事局に送ることになった
 同師は2年前常泉寺住職となり、続いて本山の宗務総監になったが以来、前記待合を根城として、僧侶の身分を忘れて豪遊し、浅草公園の芸者紋弥こと、諸岡はつ(21)を落籍して外妾として囲い寺有財産約9千円を費消したほか約3万円の手形を乱発していた破戒行為を同署椎名刑事に探知されたものであるが
 水谷師のこの事件は往年流血の惨までを見せた管長選挙問題と昨年阿部管長の本尊誤□(写?)問題に絡み全信徒が2派に対立して騒ぎを続けている際とてこれが導火線となって70万の信徒をあげて騒動の波紋を拡げそうな形勢である。(『読売新聞』S5.12.29/『富士の清流』H9.9.1)
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日隆上人は総監時代に、若い芸妓に入れ上げ、寺の財産を使い、その芸妓を落籍。"妾狂いで背任"と一般紙でも報じられた、いわく付きの人物だった。(『創価新報』H18.9.20または10.4)
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 創価学会による、日顕上人へのスキャンダル攻撃を見れば判るように、人を貶(おとし)めるために、「金」と「女」のスキャンダルを作ってまで撒(ま)き散らす輩(やから)は、今も昔もいるものだ。
 "事件"があったとされる昭和5年当時、日隆上人は、時の宗務総監として日開上人を補佐し、辣腕(らつわん)をふるっておられた。
 また、当時の日蓮正宗を取り巻く状況として、京都・要法寺との確執があった。
 すなわち、京都・要法寺との間で、仙台・佛眼寺の帰属を巡(めぐ)って争っていた裁判に、要法寺側勝訴の判決が下ったものの、佛眼寺檀信徒は強制明け渡しを拒否。日開上人が佛眼寺檀信徒に向けて激励の書を送るなど、要法寺との関係が非常に緊迫(きんぱく)していたのである。
 となれば、事件を捏造(ねつぞう)してでも日隆上人を貶めて、失脚させようという動きがどこから起こったとしても、何の不思議もない。
 さらに『新報』は、日隆上人の醜聞が一般紙にも載(の)った、として、『読売新聞』の記事を紹介しているが、これは、ある種のトリック以外の何ものでもない。
 すなわち、『新報』が取り上げた記事は、「警察が日隆上人(※当時は総監)を取り調べ、その書類を検事局に送ることになった」というものであり、"日隆上人が、不行跡によって罪に問われた"というのではない。
 現在の刑事訴訟法に照らして考えても、何者かの訴えを受けて取り調べをした以上、警察は検事局に送検する義務が生じ、資料などを検事局に送る。そして、。それを受けた検事局が、その資料に基づいて、実際に犯罪に該当する行為があったかどうかを判断するのである。
 すなわち、警察が送検した、というだけでは、実際に違法行為が行なわれたのかどうかは断定できないのであるから、よほど明確な事実が判明していないかぎり、警察が検察に書類を送ったという新聞報道だけで大騒ぎする、というのは、「為にするもの」と断ずるしかない。(『慧妙』H18.11.1)

信心のない輩が敵対者を陥れるために告発をした可能性は否定できない。その証拠に「全信徒が2派に対立して騒ぎを続けている際」とあるように、このとき宗内は大きく混乱し、立場を異にする者たちが、いがみ合っていたようである。また、スキャンダルの内容についてもウソだった可能性は大きい。その証拠に、『富士の清流』が掲載した報道は、「背任罪」で書類送検されたという事実でしかない。おそらくは、事実無根または証拠不十分ということで不起訴となったのではないか。何故なら、もし、起訴→有罪ということになっておれば、それなりの報道があったであろうから学会側が見逃すはずはないからである。

〈阿部〉 この日隆上人への悪口もまた、本当に許せない誹謗ですね。御当代日顕上人猊下には創価学会や自称正信会、顕正会などの日蓮正宗に反逆した異流義の者共から事実無根の誹謗を限りなく受けておられますが、日隆上人の場合も同様な状況にあったのでしょうか。
〈菅野〉 そうだね。日隆上人というお方は、かなり闊達な御性格であられ、56世日応上人の御信頼を受けて種々宗務行政にも携わられ、辣腕を振るわれたと聞くから、かなりの毀誉褒貶(きよほうへん)を受けられたようだ。
〈藤本〉 相手を貶(おとし)めるにはスキャンダルをでっちあげることが一番効果的なわけだからね。御当代日顕上人猊下に対する異流義の者たちの誹謗もまったく同様だが、要するに正法に敵対する者共は、卑劣な手段を用いて日蓮正宗にダメージを与えようと画策するわけだ。日隆上人も新聞記事などでそのような卑怯なスキャンダル攻撃をお受けになられたのだね。
〈八木〉 先に掲げた『悪書板本尊偽作論を粉砕す』の中には、この日隆上人誹謗記事の件についても、まさに隆師を葬るための誹毀讒謗を受けられたものであり、やがてそれが判明するであろうと述べられています。(『大白法』H16.2.1)

[画像]:日隆上人のスキャンダルを報じる『読売新聞』(S5.12.29)

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◆(※昭和27年)6月1日には『読売新聞』(静岡版)が創価学会に関する捏造記事を掲載した。見出しは、
 「会長の入山禁止 大石寺前管長暴行事件 創価学会に断 元日共党員が指導? 本山と対立・会員二万の学会」
 といったものであった。当時、日本共産党は破防法適用団体として非合法化されていた。昭和25年6月の朝鮮戦争勃発、同年7月のレッド・パージに続き、狸祭事件の直後の5月1日にはメーデー事件も起きていた。
 この世情を背景にして、学会に共産党員が入り込んでいるかのように報道させ、学会を弾圧させようとした者がいた。その者の流した操作情報に『読売新聞』が乗っけられたのだった。読売新聞東京本社は学会の抗議を認め、静岡支局を訪ねるように述べた。学会は支局を訪れ事情を正した。
 根気強い創価学会側の真相究明の作業によって操作情報を流した者が明らかになり、その人物が謝罪したのは1ヵ月余りも経った7月に入ってからのことであった。(『地涌』第44号H3.2.13)
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これは狸祭事件(S27.4.27)に関する記事である。内容が事実であれば昭和27年当時でさえ、全国紙が"裏"もとらずに流された情報を鵜呑みにして報道していたことが分かる。昭和初期であれば、尚更、杜撰な報道が行われていたであろうことが容易に推測される。

◆平成16年11月、日顕法主が台湾で豪遊。現地マスコミは一斉に反発。有力テレビ局が軒並みニュース番組で「シアトル事件」や「芸者写真事件」を大々的に取り上げ、「日本の花和尚(ハレンチ坊主)」「食肉飲酒の法王」といった辛らつなテロップとともに、日顕法主の醜悪な正体を暴きました。(<日蓮正宗問題研究>WS)
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 これは、創価学会の走狗(そうく)となった離脱僧が作成したサイトからの転載である。この記事によれば、「シアトル事件」や「芸者写真事件」について「有力テレビ局が軒並みニュース番組」で日顕上人に対し創価学会機関紙張りの誹謗報道を行ったようである。しかし、実際には日顕上人が「シアトル事件」や「芸者写真事件」において「日本の花和尚(ハレンチ坊主)」「食肉飲酒の法王」などと言われる事実はない(<クロウ事件><写真偽造事件>参照)。おそらくは、学会関係者がコネを利用して事情を知らない報道関係者にリークしたものであろう。
 正法に敵対する輩は何時の時代にもいるもので、日顕上人に対する事実無根の中傷報道と同様のことが日隆上人に対しても行われたのであろう。


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日隆上人は2年4ヵ月の在任中、1度も大石寺大坊には住まず、東京の常泉寺にいた。したがって、客殿での丑寅勤行も勤めず、宗門最重要行事の御大会すら2度とも欠席した。さらに、1幅の本尊も書写していない。これが、大聖人の法魂が宿った法主の振るまいか。(『創価新報』H18.9.20または10.4)
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 さて、『新報』は、あたかも日隆上人が、御登座以来1度も総本山に足を運ばれなかったかに書き殴(なぐ)っているが、これは大いなる欺瞞(ぎまん)である。
 『富士年表』には、日隆上人が昭和10年6月11日に大坊に入られたと記されており、翌・昭和11年4月14〜15日には、御代替わり法要が奉修されたことが記されている。
 また、御在位当時の『大日蓮』を調べると、日隆上人が、御霊宝虫払い大法会をはじめ、総本山で奉修された法要を執行されたことが記されている。
 たしかに、療養ということで常泉寺に滞在されていることが多く、また御大会に関しては、御病気のために前御法主・日開上人が大導師を務められてはいる。
 だからといって、日隆上人が御法主としての法務を怠(おこた)っておられたわけではないことは、『大日蓮』等を見れば明らかではないか。
 にも拘(かか)わらず、あたかも日隆上人が責務を放棄されていたように書き殴る『新報』の悪らつさには、ほとほと呆(あき)れるしかない。(『慧妙』H18.11.1)

※日隆上人の御事については、『大白法』平成16年2月1日号を参照されたい。