創価学会破折
戸田城聖の実像



戸田幾さん(戸田城聖氏夫人)日蓮正宗で葬儀/<妙観講>WS
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戸田2代会長の戦争観/『慧妙』H24.10.1

大御本尊と血脈信じたが、正見・正念見失うことも/『慧妙』H18.4.1

戦時下の国家諌暁について/<法蔵>H18.11.25

人格その他

和合誓った戸田学会の寄進―大講堂/『慧妙』H21.10.16
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論文・指導集
僧侶観

血脈・相伝

折伏

凡夫と御本尊/『戸田城聖全集』第3巻



大御本尊と血脈信じたが、正見・正念見失うことも(仮題)

(『慧妙』H18.4.1)

【日蓮正宗への信心を持っていた戸田2代会長】
 かくして戸田会長は、牧口氏の「摧尊入卑」という根本的な謗法を学会の中から取り除きました。
 そして、壊滅状態であった学会を、勤行・教学・登山・折伏・御供養等の徹底指導によって再建、わずか10年のうちに75万世帯を突破せしめたのです。
 その戸田会長の根底には、少なくとも先代・牧口氏とは異なり、日蓮正宗の仏法を絶対とする信心があったものと思われます。
 それは、以下のような戸田会長の指導を見れば、明らかであるといえましょう。

◆良き法と、良き師と、良き檀那との3つが、そろわなければだめだ。南無妙法蓮華経、これは良き法に決まっている。大御本尊様は良き法なのです。また御法主上人は唯授一人、64代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下を通して大御本尊様を拝しますれば、必ず功徳が出てくる。ただ良き檀那として、その代表として、その位置にすわれたことを、私は、非常に光栄とするものであります(関西本部入仏落慶式・S30.12.13)

◆学会は猊座のことには、いっさい関知せぬ大精神で通してきたし、今後も、この精神で一貫する。これを破る者は、たとえ大幹部といえども即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない。
 むかし、関西に猊座のことに意見をふりまわして没落した罰当たり者があったそうだが、仏法の尊厳を損なう者は当然そうなる。
 どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として、私は水谷猊下にお仕えしてきたのと、いささかも変わりはない。新猊下を大聖人としてお仕え申しあげ、広布への大折伏にまっすぐ進んでいくだけである(『信者の大精神に立て』S31.1.29)

◆ありがたくも、本日は、御本山の猊下のお出ましを願い、畑毛の猊下のお出ましを願って、われらとしては、これ以上の名誉はない。来年の今日までの間に、本当に功徳をつかむ覚悟で、自分の悩みの心に、大御本尊様を目の前に浮かべ、両猊下を拝もうではありませんか。
 それでは、わたくしが導師となります。(題目三唱)(創価学会第10回総会・S29.5.3)

◆日本中にいる一般の坊主は、全然不用なものである。(中略)20の扉の語を借りれば、「動物」という題で、陰の声が「寺に住む動物の親分」ということになる。すなわち高級乞食である。
 かかる何十万の動物の中で、同じ姿こそしておれ、厳然として人であり、人のなかでも立派な僧侶と名づくべき百数十人の小さな教団がある。この教団こそ日本の宝である。日蓮正宗の僧侶の教団こそ、これである。
 かかる、立派な教団でも、身近に住む信者はありがたいとも思わず、ふつうだと考える。これは、この教団の偉大な功績を見ないものであって、この教団の一部分観をなしたり、または、この教団存立の目的たる広宣流布において、なまけているものが、おったりするものだけを見るから、"宗祖大聖人のお衣の袖にかくれ、仏飯を腹いっばい食うことを唯一の願いであるとしている猫坊主が多い"と攻撃して、功績の方を見ない。(中略)かかる近視眼的かつ部分観的、一時的に観察せずに、大聖人御出世の御本懐より、または仏法の大局視よりなすなら、口にも筆にも表わせぬ一大功績が、この教団にあるのである。
 わずか百数十人の僧侶が、愚僧、悪僧、邪僧充満の悪世に、よくたえるもので、大聖人の「出世の御本懐」たる弘安2年10月12日御出現の一閻浮提総与の大御本尊を守護したてまつって、700年間、チリもつけずに、敵にもわたさず、みなみな一同、代々不惜身命の心がけで、一瞬も身に心に身心1つに、御本尊を離れずに、今日にいたったのである。(中略)もったいないではないか。神々(こうごう)しいではないか。ありがたいではないか。……かくも、法体を守護し、かつ化儀連綿たる功績こそ、たたえねばならぬことである。この上に、大聖人の御教義は、深淵(しんえん)にして、厳博(げんぱく)であって、愚侶(ぐりょ)の伝えうべきことではないのに、賢聖時に応じてご出現あらせられ、なんら損することなく、なんら加うるなく、今日まで清純に、そのまま伝えられたということは、仏法を滅しないことであり、実に偉大なる功績ではないか(『僧侶の大功績』S26.6.10)

◆(戸田会長は)決然と立って、「御供養することは、信徒の務めである。もし、それが使途不明であるとか、収支決算せよとか、御供養を出しもしないうちから、はじめからそんなことを言っておるのは信徒の努めを怠(おこた)っておるものである。信徒は供養することによって利益があるのである。御利益は供養することにある。もし、そのお金を不正に使ったならば、それは使った僧侶が罪を受けるのである。地獄へ堕ちるのである。信徒は清い供養をすれば、それで御利益がある。経文に照らしても、また大聖人の仰せではないか」と叫んだのである(『大日蓮』S40.7.11)

 以上のように、戸田会長は、その心底においては日蓮正宗を信じ、赤誠の御奉公を貫こうとしていたものと思われます。
 しかし、
 「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず」(御書986頁)
との御金言のごとく、この戸田会長の志を蝕む魔の用(はたら)きが忍び寄っていました。それは、親以上に敬慕した牧口常三郎氏を獄死させてしまった、との無念の想いと、講義中にまでウィスキーを呷(あお)り続けるほどの、並外れた飲酒の弊害(へいがい)であった、といえましょう。



【大酒の弊害か!?正見・正念を見失う】
ちなみに、戸田会長の飲酒がどの程度であったか、NHKの元ディレクター吉田直哉氏は、取材した時の様子を次のように記しています(※場面は、戸田会長が法華経講義に臨〈のぞ〉む定刻の直前です)。

◆想像もしなかったことばかりが起きた。
 「グイッとあけな、グイッと」
 「……いえ、これから撮影…。仕事中ですから」
 「なにィ?それを言うなら、こっちだって仕事中だぞ」
 黒ぶちの眼鏡の奥からにらまれ、これはからまれる、と確信したがコップを手にするのも勇気が要(い)った。尋常ならぬウィスキーなのだ。
 こんな荒っぽい飲みかたは見たことがない。角ビンのウィスキーを大ぶりのコップのふちまでドクドク注いで、申し訳のようにほんの少しビールを垂(た)らして割って、机の上に溢(あふ)れさせるのだ。その濡(ぬ)れた机の上を、波を立てるようにさらにコップを押してよこして、飲め!
 とこんどは大声の命令である(中略)
 ひとくち飲んで不覚にもむせると、
 「グイッとあけな」
と眼がすわっている。ビールをあおりながらウィスキーをストレートでのむのを、アメリカではボイラーメーカーと呼ぶ、というのはのちに得た知識だが、ビールとウィスキーの量がこの場合逆転しているのだ。いかに教祖でどんな酒豪でも、酔わないわけがない。(中略)
 そうこうするうちに屈強な若い人が呼びにきて、戸田氏は立ち上がった。ネクタイは右の方にはね上がり、スボンは下がってシャツの裾(すそ)が半分以上出て、みるからに酔漢(すいかん)の姿である。(元NHKディレクター・吉田直哉)
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 これでは、仏道を正しく修していくための正見・正念が持(たも)てるはずがありません。
 仏経典には、飲酒による弊害が種々説かれていますが、その中に
 「瞋相(しんそう)を現ず(他に対して、むやみに怒りを顕わにする)」
 「闘訟(とうじょう)を増す(他に対して、諍〈いさか〉い、喧嘩〈けんか〉を吹っ掛けることが増える)」
 「智慧減少す(物事の理非曲直〈りひきょくちょく〉を分別する智慧が損〈そこ〉ねられてしまう)」
等とあります。
 まさに戸田会長は、尋常ならざる大酒を浴びるように飲む中で、"智慧減少"し、「牧口会長が獄死したのは、弱腰だった日蓮正宗宗門のせいだ」「学会がこれだけ頑張っても、非協力的な僧侶が多くてけしからん」等といった"瞋相"を現じ、また、その"闘訟"の思いをどんどん暴走させてしまいました。
 その結果、戸田会長率(ひき)いる創価学会は、「狸祭り事件」と呼ばれる騒乱事件(これは、立宗700年祭の大法会の最中、総本山境内で多数の学会青年部が、1人の老僧に集団で暴行を加えた事件で、警察も出動する騒ぎとなった)を引き起こしたのをはじめ、機関紙上で宗門に対する揶揄(やゆ)・中傷を繰り返すに至ったのです。
 以下に、当時、戸田会長が自ら論述したものの一部を、紹介しておきます。

◆牧口会長のあの確信を想起せよ。絶対の確信にたたれていたではないか。あの太平洋戦争のころ、腰抜け坊主が、国家に迎合しようとしているとき、一国の隆昌(りゅうしょう)のためには国家諌暁(かんぎょう)よりないとして、「日蓮正宗をつぶしても国家諌暁をなして日本民衆を救い、宗祖の志をつがなくてはならぬ」と厳然たる命令をくだされた(略)
 折伏もせず、正法の流布に身命を捨てえない坊主は、じつに困ったものである。この考えにまかせて、学会人は身命をささげての折伏行をなしていることは、申すまでもないことである(『創価学会の歴史と確信』S26.8.10)

◆軍部に脅(おど)されて梵鐘(ぼんしょう)を取り上げられ、軍部が消えたら又作り出す。奥さんの前でヘイヘイして、居なくなればつまみ食いする女中のような坊主だ(『寸鉄』S26.7.1)

◆御山でゴシュ(御酒)は作ってもゴショ(御書)は作れぬ坊主が居るってね(『寸鉄』S26.7.10)

折伏も出来ず、御衣の権威で偉ばることばかりを知っとる坊主(『寸鉄』S26.12.10)

◆正宗信者に信心が足りない、旧信者は特に足りない、僧侶の中に特別に足りぬ者がいる様に見える、国家の救済をどうする気だ(『寸鉄』S27.7.10)

平左衛門の後身、宗会議員と現る。仏恩広大にして、逆縁の輩(やから)、今大聖人の仏法の中に生まれて、唯1人の大信者をそねみ恨む、習性恐るべし(『寸鉄』S27.7.20)

「生臭坊主」「糞坊主」「狐坊主」「乞食坊主」「化物坊主」(『寸鉄』S27.7.20)

◆仏様でもないくせに仏様のような顔をして威張る坊主が気に入らない(『寸鉄』S27.12.1)

◆坊主の仕事は衆生を成仏させる事だが、自分が成仏出来るかどうか考えた事があるのか(『寸鉄』S27.12.10)

 これらの戸田会長の論調は、日蓮大聖人が『四恩抄』に
 「譬へば薪(たきぎ)なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく『五箇(ごか)の五百歳の後に、無智無戒なる沙門(しゃもん)を失(とが)ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明(とうみょう)を減(めっ)せんと思へ』と説かれたり」(御書268頁)
と戒められているように、正法受持の御僧侶を「失あり」と言って責め立て悩ませる、まさに、仏法の大灯明を滅せんとする重罪である、といえましょう。
 ただし、戸田会長は、大御本尊と血脈に対する根本の"信"という1点で、何とか日蓮正宗に繋(つな)がり止まっていました(それ故、前述「狸祭り事件」においても、時の御法主・第64世日昇上人から誡告を受けて謝罪文を提出し、随順を誓っています)。
 そして生涯をかけて、75万世帯の大折伏と、日蓮正宗に対する外護を成したのです。


 以上に見てきたように、創価学会は日蓮正宗の信徒団体であったとはいえ、牧口時代には、異流義の在家教団という路線を指向し、戸田時代には、大功績を上げる一方、宗門軽視・僧侶誹謗という誤った体質を孕(はら)んでいました。
 日蓮大聖人は、
 「源にご(濁)りぬればなが(流)れきよ(浄)からず」(御書827頁)
との道理を御示しですが、牧口・戸田の後を継いだ第3代会長・池田大作は、牧口時代の在家教団路線や戸田時代の宗門軽視を、そのまま継承し、さらに増幅させる路線を取りました。
 これによって創価学会は、元々間違いを多く含んでいた団体でありましたが、完全な大謗法団体となり、ついに平成3年11月、日蓮正宗から破門されるに至ったのです―。
 なお、戸田会長については、いろいろな誤りや行き過ぎがあったとはいえ、本心では命がけで日蓮正宗の仏法を護らんとした、氏の信心を想うと、真実の歴史の公表には心苦しいものがありましたが、将来に向けての教誡のため(再び日蓮正宗内に、濁流の源を発生させたりしないため)、やむなきことと決断した次第であります。





戦時下の国家諌暁について

(<法蔵>H18.11.25)

1◆当時、御本山においても、牧口会長の、宗祖および御開山のおきてに忠順に、どこまでも、一国も一家も個人も、大聖の教義に背けば罰があたるとの態度に恐れたのである。信者が忠順に神棚をまつらなければ、軍部からどんな迫害がくるかと、御本山すら恐れだしたようである。
 昭和18年6月に学会の幹部は登山を命ぜられ、「神札」を一応は受けるように会員に命ずるようにしてはどうかと、2上人立ち会いのうえ渡辺慈海師より申しわたされた。
 御開山上人の御遺文にいわく、
 「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(御書全集1618頁)
 この精神においてか、牧口会長は、神札は絶対に受けませんと申しあげて、下山したのであった。しこうして、その途中、私に述懐して言わるるには、
 「一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである。宗祖聖人のお悲しみを、恐れるのである。いまこそ、国家諫暁の時ではないか。なにを恐れているのか知らん」と。
 まことに大聖人の御金言は恐るべく、権力は恐るべきものではない。牧口会長の烈々たるこの気迫ありといえども、狂人の軍部は、ついに罪なくして罪人として、ただ天照大神をまつらぬという“とが”で、学会の幹部21名が投獄されたのである。このとき、信者一同のおどろき、あわてかた、御本山一統のあわてぶり、あとで聞くもおかしく、みるも恥ずかしきしだいであった。牧口、戸田の一門は登山を禁ぜられ、世をあげて国賊の家とののしられたのは、時とはいえ、こっけいなものである」(『戸田城聖全集』第3巻所収『創価学会の歴史と確信』より一部抜粋)
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この戸田会長の論文は、「上」「下」にわかれており、会長就任間もない昭和26年の『大白蓮華』(「上」は7月号、「下」は8月号)に発表された。(『地涌』第667号)


2◆日蓮大聖人様も、仏さまですから、なかなかじょうずにものごとをこしらえられまして、三大秘法の仏法をお説きくださるのにも、あそこで、広宣流布してしまったならば、後のものがろくなことをしないとお考えあそばしたか、三大秘法の戒壇建立を後の弟子に御付嘱になった。
 しかし、戒壇建立ということは、大きな仕事でありまして、なかなか実現するものではない。で、大聖人様以来、代々の法主猊下はみな、天皇陛下に、戒壇建立、また文底秘沈の仏法を日本の国におかなければ、日本の国の繁栄はないと、御諌暁あそばしたのであります。それが、わが当門流の歴史でありまして、当門流の名において、その戒壇建立ということができないのにもかかわらず、代々の法主猊下がこれをなされたということは、のちのちの弟子どもの教育のために、国主諌暁の実態を明らかにするためにやったのであります。3代日目上人は、京都へ折伏の途中でおなくなりであります。70いくつで。これ絶大なる、当門流の弟子檀那に課せられた大きな問題なのです。
 さて、それがいつできるかという問題です。天皇陛下に実力のあったときに、天皇陛下が、広宣流布、すなわち、日本中の人間に、日蓮正宗の御本尊様を拝ませなくてはならんということを、ご決定あそばされれば、日本の国は、いうまでもなく広宣流布の国になる。
 ところが、考えてみると、そうはいきません。ある御僧侶がいうには、「お山がこんなチッポケでは、広宣流布になったとき困ります」といったら、「いやあ、天皇陛下が信心したときには、寺などはちゃんと建ててくださる」といったが、そういうのん気なことを考えているようではまずいと思う。
 いったい、天皇陛下が、この日蓮正宗を信じられるわけがない。代々の天皇陛下というものは、京都の念仏宗と縁が深い。まえに枢密顧問官というものがあって、国の政治を直接ひきうけて、皇族会議、皇族といって偉そうに飾っていたときには、それで世の中が通ったけれども、ひとたび、こんどのような事件が起こってみると、皇族という肩書きでは、商売も通らない。それでたいてい損しているのです。その御前会議がいくら開かれたって、根本的に日本の国を救う大仏法なんてわかるわけがない。枢密顧問官のおじいちゃんなんかにわかるわけがない。国会を指導できるわけはない。どうにもならん。いかなる偉い天皇陛下が現れても、これだけはやりきれないと思う。ひじように私は、これに苦慮する。広宣流布というものができるものか。(東京・中央大学講堂S29.4.29/『戸田城聖全集』第4巻146頁〜)
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 1◆は、昭和18年頃の牧口会長の確信について、戸田会長が戦後の昭和26年に発表したものである。それによれば牧口会長は「一国が滅びることを、嘆」(1◆)き、「いまこそ、国家諫暁の時ではないか」(1◆)と叫んだという。つまり、牧口会長にとっての国家諌暁の目的は戦争に勝つことだったのである。戦争に勝つためには日本一国が正法に帰依しなければならない、そのためには国家元首たる天皇陛下を折伏しなければならない、というのが牧口会長の考え(構想)であった。
 1◆を発表した昭和26年当時は、戸田会長も戦時下の牧口会長の国家諌暁の姿勢を高く評価していたのであろう。しかし、昭和29年の戸田会長は、「天皇陛下が、この日蓮正宗を信じられるわけがない」と明言している。この考えからすれば、戦時下の牧口構想が荒唐無稽な発想であったことになる。
 さらに歴代上人の国主諌暁について「のちのちの弟子どもの教育のために、国主諌暁の実態を明らかにするためにやった」としている。これでは、戦勝のためにも、広宣流布のためにも、国主諌暁は意味のないものになってしまう。
 いずれにせよ、戦時下の牧口会長の国家諌暁について、戸田会長は最初(昭和26年まで)は評価したが後(昭和29年)に、「国家諫暁」(1◆)しても「天皇陛下が、この日蓮正宗を信じられるわけがない」(2◆)したがって、国家諌暁によって「一国が滅びることを」(1◆)防ぐことはできなかった、と考え直したのである。

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●(昭和18年)牧口会長は今こそ国家諌暁の時であると叫ばれ、総本山の足並みも次第に此に向つて来たが、時日の問題で総本山からは、堀米部長(日淳上人)がわざわざ学会本部を来訪なされ、会長及び幹部に国家諌暁は時期尚早であると申し渡されたが、牧口会長は「一宗の存亡が問題ではない、憂えるのは国家の滅亡である」と主張なされた。(『富士宗学要集』第9巻430頁)
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時機を弁えずに、勝手に暴走した牧口会長。しかし、氏が国家諌暁をしたという事実はない。





人格その他


<酒豪>
●戸田の酒は、「29の年から44で牢屋に入るまで1晩もかかさず、出獄後今日まで1晩もかかさない。前は料理屋と待合で飲んだが、今は本部と自宅で飲む。量は今ではウィスキーのオールドびん1本が3日間」(『週刊朝日』S31.7.29)というもので、酔って大石寺での会員質問会にも臨んだ。(溝口敦著『池田大作「権力者」の構造』)


<女性関係>
●夕張郡真谷地尋常小学校に奉職中には、複数の女性と恋愛し、「恋にもつれ、恋に狂いて、最も神聖なる教職を汚」(戸田『若き日の手記・獄中記』S45)した結果、その清算のために退職しなければならなかった。また戦前には三角関係を経験し(小口偉一編『宗教と信仰の心理学』新心理学講座・第4)、当時も、戦前、彼の経営する会社の会計役であり、会員でもあった森重紀美子との関係をつづけ、彼女との間には子まであったようだ。森重は創価学会幹部間で公認されていた戸田の二号である(由比宏道『毒鼓の縁』)。(溝口敦著『池田大作「権力者」の構造』)
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『若き日の手記・獄中記』は昭和45年に遺族が刊行(溝口敦著『池田大作「権力者」の構造』71頁)






論文・指導集

僧侶観


【僧誹謗の罪】
◆堀米先生ニ。去年、堀米先生ヲ「ソシッタ」罰ヲツクヅク懺悔シテオルト話シテ下サイ。「法ノ師ヲソシリシ罪ヲ懺悔シツツ、永劫ノ過去ヲ現身ニ見ル」ト言ッテオリマスト。(『若き日の手記・獄中記』P146)
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 昭和19年9月6日付、獄中から夫人に宛(あ)てた手紙の内容です。
 文中の「堀米先生」とは、後の総本山65世・日淳上人の御事ですが、該文の内容は、上人を謗(そし)った罪を潔(いさぎよ)く懺悔(さんげ)されたものと読み取れます。
 文中、「堀米先生を謗った」というのは、昭和17年11月16日に、日淳上人が創価教育学会を「過去10年来の結果において創価教育学会の信仰指導には何等の弊害(へいがい)はなかった。但(ただ)し将来は弊害がありそうである」(「大善生活実証録(第5回総会報告)」より)と評価されて以来、戸田さんらが上人に悪意を抱いたがゆえに「謗った」のでしょう。
 その果報がいかなる形で顕現したかは、皆さんご承知のとおりです。
 「経(きょう)を読誦(どくじゅ)し 書持(しょじ)すること有(あ)らん者(もの)を見(み)て 軽賎(きょうせん)憎嫉(ぞうしつ)して 而(しか)も結恨(けっこん)を懐(いだ)かん 此(こ)の人(ひと)の罪報(ざいほう)を 汝(なんじ)今復(いままた)聴(き)け 其(そ)の人(ひと)命終(みょうじゅう)して 阿鼻獄(あびごく)に入(い)らん」(法華経P176)
 まさに、経文むなしからず、です。
 しかして、7月3日、戸田さんは反省して「獄」を出ました。(『慧妙』H24.8.1)
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『若き日の手記・獄中記』は昭和45年に遺族が刊行(溝口敦著『池田大作「権力者」の構造』P71)


【僧侶の大功績】
 日本中にいる一般の坊主は、全然不用なものである。(中略)20の扉の語をかりれば、『動物』という題で、影の声が「寺に住む動物の親分」ということになる。すなわち高級乞食である。
 かかる何十万の動物の中で、同じ姿こそしておれ、厳然として人であり、人のなかでも立派な僧侶と名づくべき百数十人の小さな教団がある。この教団こそ日本の宝である。日蓮正宗の僧侶の教団こそ、これである。
 かかる、立派な教団でも、身近に住む信者はありがたいとも思わず、ふつうだと考える。これは、この教団の偉大な功績を見ないものであって、この教団の一部分観をなしたり、または、この教団存立の目的たる広宣流布において、なまけている者が、おったりするものだけを見るから、″宗祖大聖人のお衣の袖(そで)にかくれ、仏飯を腹いっぱい食うことを唯一の願いであるとしている猫坊主が多い″と攻撃して、功績の方を見ない。(中略)
 かかる近視眼的かつ部分観的、一時的に観察せずに、大聖人御出世の御本懐より、または仏法の大局視よりなすなら、口にも筆にも表わせぬ一大功績が、この教団にあるのである。
 わずか百数十人の僧侶が、愚僧、悪僧、邪僧充満の悪世に、よく耐えるもので、大聖人の「出世の御本懐」たる弘安2年10月12日御出現の一閻浮提総与の大御本尊を守護し奉って、7百年間、チリもつけずに、敵にも渡さず、みなみな一同、代々不惜身命の心がけで、一瞬も身に心に身心一つに、御本尊を離れずに、今日に至ったのである。(中略)もったいないではないか。神々しいではないか。ありがたいではないか。・…かくも、法体を守護し、かつ化儀連綿(れんめん)たる功績こそたたえねばならぬことである。この上に、大聖人の御教義は、深淵にして、厳博(けんぱく)であって、愚侶の伝えうべきことではないのに、賢聖時に応じてご出現あらせられ、なんら損することなく、なんら加うるなく、今日まで清純に、そのまま伝えられたということは、仏法を滅しないことであり、じつに偉大なる功績ではないか。(S26.6.10/『慧妙』H13.9.1)


【創価学会の歴史と確信】
◆御僧侶を尊び、悪侶はいましめ、悪坊主を破り、宗団を外敵より守って、僧俗一体たらんと願い、日蓮正宗教団を命がけで守らなければならぬ。(S26.7.10『戸田城聖全集』第3巻128頁)


【御僧侶の待遇と信者への反省】
御僧侶に対する供養は、仏に対する真心を現すものであり、御僧侶は大聖人に代わって、これをお納めになるのであって、供養は、純真なものでなくてはならない。(S26.12.1『戸田城聖全集』第1巻62頁)


【僧俗一致の実践】
―正妙山興隆寺落慶入仏法要―
(『戸田城聖全集』第4巻559頁〜)
 むかしから、僧俗一致ということが、わが宗内では叫ばれている。ところが、僧俗一致していたような寺はなかった。
 なぜないかという理由は、この信者側も悪い。坊さん側にもある。なぜかというと、お坊さん側では、信者を子分か家来のようにして使おうという頭がある。信者側では、坊さんを養っているという頭がある。
 ある御尊師がいうたことばですが「どうも、旧信者は、金を出さないで文句ばかりいっている。困ったものだ」というおことばをうけたまわったことがありますが、これは冗談であるか、うそであるか、ほんとうであるか、私は知りません。この点を直さなければならんのです。
 ただ、お坊さんのなかでも、人格が高く、学問の深い方は、なんにも問題は起こっておらない。ことばでも不快気分を与えないだけの気持ちを、信者に起こさせる。
 自分に力がなく、また、いいかげんだというと、信者の実力ある者のきげんをとって、そうして、その、自分の地位を安定せしめようとする坊さんがある。そういう坊さんにきげんとられた信者は、かならず退転して、ろくな目にあわない。
 いつも、夕張だけは、ほかもまた行きますけれど、ここで最初に注意しておくことは、お坊さんに、おのれは、おせじをつかわないで、そして、どこまでも尊敬する。尊敬とおせじは違います。ここは紙一重の差がついている。尊敬する。そうして、できるだけこのお寺の御僧侶が、不自由のないようにすることを心がける。
 そのかわり、御尊師にもしまちがいがあるならば、陰口なんてきかずに、正々堂々と忠告すること。これは罰になりません。陰口は罰になります。だが、面とむかって堂々と話すことは、けっして罰にはなりません。しっかりやりなさい。(S32.8.20 夕張・興隆寺)
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これは、一般の御僧侶に対する評価である。一般の御僧侶にも間違いがある。その時は正々堂々と忠告する。しかし、基本的には尊敬し、御供養によって経済的に支える。これが、戸田会長の御僧侶に対する態度であった。"僧俗平等""僧侶不要"を主張する池田学会とは全く異なることが分かる。





血脈・相伝


◆いうまでもなく日蓮正宗だけが大聖人より嫡々相伝の家であって、いかに日蓮宗を名のるとも、日蓮正宗以外は、大聖人の相伝の宗ではなく、不相伝家と称する宗で、大聖人の極理を知らないがゆえである。ゆえに一天皆帰妙法は、日本一国に日蓮正宗がゆきわたることで、かかるみぎりには日本国中、平和安穏であるとの功徳の御抄である。(「大利益論」S26.11.1『戸田城聖全集』第3巻161頁)





折伏


●法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成って妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壌(つちくれ)を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり(『如説修行抄』全集502頁)
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◆「権教権門の輩を一人もなく・せめをとして」とは、禅宗、念仏、華厳等の一代応仏の流れをくむ諸宗、キリストおよび神道を信ずる徒が、日蓮大聖人の文底下種の仏法に帰依し、二心なく南無妙法蓮華経と唱えたてまつることで、「法王の家人となし」とは、日蓮大聖人を御本仏と日本国中があおぐことである。「諸乗一仏乗と成って」とは、日蓮大聖人の仏法理念が根本となることである。
 いうまでもなく日蓮正宗だけが大聖人より嫡々相伝の家であって、いかに日蓮宗を名のるとも、日蓮正宗以外は、大聖人の相伝の宗ではなく、不相伝家と称する宗で、大聖人の極理を知らないがゆえである。ゆえに一天皆帰妙法は、日本一国に日蓮正宗がゆきわたることで、かかるみぎりには日本国中、平和安穏であるとの功徳の御抄である。(「大利益論」S26.11.1『戸田城聖全集』第3巻161頁)





凡夫と御本尊

(『戸田城聖全集』第3巻63頁〜)

 われわれが日々拝する大御本尊は、われわれ凡夫とは関係のない雲の上の存在であり、尊上無比の存在であると拝し、われわれ下賎の者のつたない日常生活現象とは、およそかけはなれた存在であると拝することは誤りである。
 尊上無比の大御本尊は、じつに日蓮大聖人の御当体そのものであらせられるのである。ゆえに、『御義口伝』には
 「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(御書全集760頁)
とおおせられている。
 さらに、日蓮大聖人は、われわれのごとき迷える凡夫の主・師・親であらせられ、
 「しう(主)し(師)父母(親)」(御書全集237頁)
であらせられるのである。
 かくて、日蓮大聖人の大慈大悲によって御建立あそばされた大御本尊を拝することが、ただちに、われわれ凡夫にとっては、したしく久遠の御本仏を拝することであり、したしくおのれの主・師・親を拝することになるのである。
 法華経の信解品では、四大声聞が窮子(ぐうじ)の譬えを引いて領解している。
 すなわち、父を捨てて他国を放浪した窮子が、50余年の後に、ようやく、その大長者の父に会った。しかし、父を忘れた窮子は、恐れて近づかず、父と自分とは関係のない別のものと思っている。父は種々の方便を設けて窮子を教えみちびくが、なおも窮子は放浪の心を捨てきらず、下劣の本処(ほんじょ)にあって、この父を父と悟ることができなかったが、ついに、窮子は、大長者が自分の真実の父であったことを悟りて、おおいに歓喜するというしだいである。
 すなわち、窮子は、せっかく自分の父である長者の家におりながら、
 「爾(そ)の時に窮子、此の遇(ぐう)を欣(よろこ)ぶと雖(いえど)も、猶故(なお)自ら客作(かくさ)の賎人(せんにん)と謂(おも)えり」
 それゆえに、20年の間、糞(くそ)はらいをしていたが、それでもなお、し 「然(しか)も其の所止(しょし)は猶本処に在り」
といって、放浪の昔を忘れずに、父と自分は、いまだに別のものと思っていた。そのうちに、長者が
 「今我と汝と便(すなわ)ち為(これ)異(ことな)らず」
といったが、なお
 「然も其の所止は、故(なお)本処に在り。下劣の心、亦未だ捨つること能(あた)わず」(以上の経文は、妙法蓮華経並開結259頁)
としていたが、最後に、父の死ぬときにいたって、ようやく自分は長者の子であることを悟るのである。
 これは、御本尊が自分とは別のものだと思うのは、長い間、貧窮下賎であった窮子が、自分の父を忘れているのと同じことである。

 また、これとは反対に、本尊とはまったく他所に求むべきではなくて、自分自身が本尊であり、お題目を唱えるものは等しく地涌の菩薩であって、日蓮大聖人とも変わりがないと考えることは、重大な増上慢のきわみであり、大謗法である。にせ日蓮宗においては、「久遠の本仏は釈迦であり、その本仏から地涌の菩薩が末法にお題目を弘めよと付嘱されているから、末法いまのときにお題目を唱えるものは、すべて本仏の使いであり、日蓮聖人はわれわれの先頭に立たれた兄貴分であり、先輩である」ぐらいに考えていて、しかも公然と、このような誤信を放言して、無知の大衆を迷わしているのが現状である。
 この誤りの根本は、まず久遠の本仏が釈迦であると決定するので、日蓮大聖人と、われわれ凡夫との関係が、まったく歪曲されたものとなり、したがって、大聖人を悪しく敬う結果となるのである。法華経の文上においては釈迦が本仏であり、日蓮大聖人は上行菩薩として付嘱を受けられたことは、だれしも疑う余地のないところである。しかしながら、御内証の深秘は、日蓮大聖人こそ、われわれ末代凡夫を教えみちびかれる御本仏であられる。
 かかる久遠元初の自受用身の御当体であらせられる大聖人の御肉体が、そのまま大御本尊であらせられるのである。ゆえに、われわれは、この仏力・法力をあおいで、信心修行を励まねばならない。大聖人は仏界所具の人界をお示しくだされたのにたいし、われわれは、大聖人の大慈大悲に浴し、大御本尊の光明に照らしいだされて、初めて人界所具の仏界が開覚されるのである。
 されば、『御義口伝』に、
 「我等が頭は妙なり喉(のど)は法なり胸は蓮なり胎(はら)は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華終の五字なり」(御書全集716頁)
とおおせられ、また、
 「霊山一会儼然(げんねん)として未だ散らず」
の文も、あるいはまた、
 「仏こそ凡夫に礼を申すべきなり、凡夫の体を借りまいらせ候」
とおおせられたことも、すべて、この立場から拝さなければならない。

 これを要するに、尊上無比の大御本尊の大功徳は、すべて、われわれ凡夫の1日1日の生活のなかに、ほとばしり出ているのである。われわれ凡夫は、ひたすらに、御本仏の大慈悲心、大智慧力を信じまいらせることによってのみ、御本仏の眷属として、即身成仏と開覚されるのである。これ以外に、「仏」というものは絶対にない。われわれの想像もおよばぬ色相荘厳の神様とか仏様が、雲の上や西方十万億土などにいるはずはないのである。
 と同時に、われわれ凡夫は、「仏性」をだれしも平等にもっているが、御本尊を信じたてまつる以外に、「成仏」はありえない。たとえ、御本尊を信じたてまつるとも、総別の二義があり、
 「総別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず」(御書全集1055頁)
とのおおせがある。ゆえに、別して、日蓮大聖人様が御本仏であらせられ、われわれ凡夫は、主従、師弟、父子のごとく、あまりにもしたしくて、しかも、あまりにも厳然たる区別のある存在なのである。
 この態度は、また御遺文を拝するにあたっても同じであり、御遺文を研究して大聖人の御観心がわかったというのも誤りであり、また、御遺文は、われわれ凡夫の生活とはかけはなれた、むずかしい別のものだというのも、同様に誤りなのである。(昭和25年8月10日)

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池田学会では「凡夫本仏論」「人間主義」を立てて、信心している者が大聖人と対等かそれ以上のごとく主張している。これは、上記戸田会長の仏法理解とは相反するもので、まさに師敵対である。(法蔵)