広宣流布の根源の故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり(第26世日寛上人著『文底秘沈抄』)
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すなわち、全世界の人々が総本山にまします本門戒壇の大御本尊に帰依して、本門の題目を唱えることを「広宣流布」といいます。(『「ニセ本尊」破折100問100答』80頁)
●日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります(『達全』2-6-295頁/『「ニセ本尊」破折100問100答』)
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広宣流布とは、単に会員を増やすことではない。本門戒壇を建立し、弘安2年の大御本尊を御安置する。そして、その戒壇に一切衆生が参詣することが、広宣流布(化儀の折伏)の最終目的なのである。そのことによって、一切衆生は成仏の境界を獲得し、国中の三災七難を一掃、真の「立正安国」が実現するのである。
よって、いかに池田学会が「広布」々々と囀(さえず)っても、大聖人御遺命の広宣流布とはいえないのである。
<大御本尊否定(軽視)破折>参照
【昔の学会指導】
5◆いまのところは、まずまず貧乏と病気です。これを、仏さまがおられてお救いにならないわけがない。われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺(のこ)されてある。
これは、弘安2年の10月12日の大御本尊様のただ1幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安2年の10月12日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです。
だから、身延や仏立宗や霊友会なんか、いくらがんばっても、御利益がでようがないのです。ありませんから、やってごらんなさい。7年もしたら、どんな顔になるか。いや、いままでやった人の顔をみてごらんなさい。
ですから、私の願いとするところは、この弘安2年の10月12日の大御本尊様を信ずるということです。しかし、理論がわかっても、わからなくてもいい。だんだん、そのうちにわかる。絶対だということがわかる。この日蓮正宗の哲学ぐらい、きちんとなっているものはないのです。(S30.8.24『戸田城聖全集』第4巻343頁~)
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「身延や仏立宗や霊友会なんか、いくらがんばっても、御利益がでようがない」とあることから、身延が所持している大聖人の真筆本尊であっても「弘安2年の10月12日の大御本尊様から出発したもの」とはいえず「法脈が切れてますから、絶対だめ」ということが分かる。大聖人の真筆本尊であっても功徳がないのであるから、歴代上人の常住御本尊を勝手にコピーしたものに功徳があるはずがない。
◆大聖人のおおせられるのは、祈りはかならずかなう。それには時がある。良き法と、良き師と、良き檀那との3つが、そろわなければだめだ。南無妙法蓮華経、これは良き法に決まっている。大御本尊様は良き法なのです。また御法主上人は唯授一人、64代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下を通して大御本尊様を拝しますれば、必ず功徳が出てくる。ただ良き檀那として、その代表として、その位置にすわれたことを、私は、非常に光栄とするものであります(関西本部入仏落慶式S30.12.13『戸田城聖全集』第4巻399頁)
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広宣流布の「祈りはかならずかなう」。しかし「それには時がある」。現在の学会がいくら大きくても「時」が来なければ、布教は拡大しない。
また、いくら「時」が来ても「良き法と、良き師と、良き檀那との3つが、そろわなければだめだ」。
「良き法」とは「大御本尊様」であり、大御本尊から「出発した」(5◆)「法脈」(同)のある御本尊のことである。
「良き師」とは「唯授一人、64代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられる」「御法主上人」である。
「良き檀那」とは「御法主上人猊下を通して大御本尊様を拝」することによって「功徳」を頂くことのできる方である。
戸田会長時代をはじめ、破門前の学会が発展できたのは「時」を得て、「良き法と、良き師」を正しく拝した「良き檀那」であったからである。
今現在、学会がどんなに大きく権勢を誇っていたとしても「良き法と、良き師」を失った僧侶否定(したがって檀那でさえない)の池田学会に広宣流布の大願成就の「祈り」がかなう「時」は絶対に訪れないのである。
◆なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。(『戸田城聖全集』第3巻490頁)
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「登山不要」を唱える今の学会は「本物の信心」ではないということだ(笑)
◆富士大石寺の大御本尊を拝まない者はすべて謗法である(『折伏経典』314頁/『創価学会のいうことはこんなに間違っている』240頁)
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あれこれ屁理屈を並べて登山しない(できない)池田学会は、「大御本尊を拝まない者」であるから「すべて謗法」です。
◆登山会は、日蓮大聖人様のまします霊鷲山への参詣であり、さらに日興上人・日目上人等、三世諸仏の住処であり、われらが真如の都である、久遠元初の故郷へ還(かえ)ることなのである。 このように、学会の登山会は、極めてその意義が深いのであるから、軽々しく考えてはならない。(池田『大白蓮華』昭和38年10月号の巻頭言)
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「軽々しく考えてはならない」どころか、積極的に登山を否定しているのが今の学会。この自語相違、変節こそ邪教化の動かぬ証拠!
◆信仰の根本の対象は、いうまでもなく本門戒壇の大御本尊である。その大御本尊にお目通りすることが、登山会の最も大事な目的であり、意義である(『池田会長全集』第4巻210頁/『慧妙』H20.1.1)
◆10月12日は、大御本尊御出現の日である。
この大御本尊は、末法の御本仏であらせられる日蓮大聖人が大慈悲をおこされ、全世界の一切衆生に賜(たま)わった御本尊であるがゆえに、一閻浮提総与の大御本尊と申しあげ、大聖人様の出世の御本懐として、万人から仰がれる大御本尊であらせられる。われわれが登山して、大御本尊を拝することは、そのまま日蓮大聖人様にお目通りすることであり、偉大なる功徳を享受(きょうじゅ)できることは言うまでもないのである。(中略)
かかる絶対の大御本尊にお目にかかる登山会であれば、学会の登山会こそ、行事の中の最大の行事として、他の一切の行事に優先して行なわれているのである(『大白蓮華』S38.10巻頭言/『慧妙』H20.1.1)
【斉藤教学部長の妄言を破す】
(『「会則」改変の欺瞞を糾す』教学部)
創価学会の斉藤教学部長は、
「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする」(新会則第2条)
との教義の条項について説明しているが、以下、斉藤の言い分から4点を取り上げて、その妄言を破折する。
<言葉のみの「弘安2年10月12日御本尊御図顕」>
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大聖人は、熱原の法難における民衆の信心に呼応して、弘安2年10月12日に、出世の本懐として大御本尊を顕された(斉藤教学部長『聖教新聞』H14.3.30)
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この言葉だけを見ると、いかにも学会が従来どおり弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を信受しているかのようである。
しかし、斉藤の弁解のなかには、弘安2年10月12日の大御本尊を直ちに信受礼拝せよとの文言は一切見あたらない。換言すれば学会は口先のみ「弘安2年10月12日」と言って、会員の手前をつくろっているが、実際には総本山大石寺にまします「弘安2年10月12日」「本門戒壇」の大御本尊への信仰を放棄しているのである。
また斉藤の「大聖人は民衆の信心に呼応して」大御本尊を顕わされた、との言い分は、あたかも日蓮大聖人と民衆が同等の立場にあったかのごとくであり、さらに一重立ち入って見れば、「民衆の信心」が「主」で、それに呼応した大聖人が「従」であるとする考え方がほの見える。
日蓮正宗本来の法義をもって大御本尊御図顕の深義を拝するならば、御本仏日蓮大聖人の甚深にして随自意の御境界から熱原三烈士の不惜身命の信心をご覧遊ばされ、深き御感あって大御本尊御図顕という大慈悲の御振る舞いとなったのである。
すなわち、学会は似て非なる言葉をもって大御本尊御図顕の縁由を云々しているが、その本音は御本仏への畏敬の念などはまったくなく、日蓮大聖人を民衆と同等の立場に置いて蔑み、その御真意を恐れ多くも我見悩乱の頭で拙劣な忖度をしているにすぎない。
<「大聖人の心に呼応して」との愚論>
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大聖人の心に呼応して同じく広宣流布の大願を起こし、民衆救済の実践に邁進していく強い信心こそ「学会の信心」である(斉藤教学部長『聖教新聞』H14.3.30)
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創価学会が、「日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ」というならば、御本仏日蓮大聖人を信奉する者の証として、日蓮大聖人出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊を信受することを明言すべきである。にもかかわらず学会は、総本山大石寺にまします大御本尊を信受する旨の説明を一切せず、ひたすら「大聖人の心に呼応して」「民衆救済の実践に遭進」することが「学会の信心」と称している。
また「大聖人の心」というならば、その「心」の極まるところは出世の本懐たる弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊以外にないのであり、このような愚論は無知な会員にしか通用しない。
さらに「呼応」という思い上がりの表現は、先に述べたとおり、大聖人を自分たちと同等に置く御本仏蔑視の顕われであり、このように大聖人を口先のみで用いながらその御真意を軽視する学会は、
「日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし」(『種種御振舞御書』御書1066、全集919頁)
との御制誡にあたる大謗法の徒輩であり、増上慢の極みである。
流布すべき本尊もない学会が「大聖人の心」に叶うはずもなく、「民衆救済の実践」などもできるわけがないのである。
もし「日蓮大聖人の心」に叶う道を求めるならば、醜悪な池田大作の呪縛を捨て、日蓮大聖人の御精神と教えの一切を受け継がれる御法主上人に信伏随従し、本門戒壇の大御本尊を受持し奉らなければならない。
<「分身散体」の悪用>
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分身散体の意義に照らして、弘安2年の大御本尊を書写した御本尊を正しい信心で受持することは、そのまま大御本尊の受持になります(中略)したがって、各家庭安置の本尊を拝することが、そのまま大御本尊を信受することになります(斉藤教学部長『聖教新聞』H14.3.30)
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ここで斉藤は、本門戒壇の大御本尊を覆い隠し、各家庭安置の本尊でこと足れりとする邪義を説明するために「分身散体の意義」を引き合いに出している。
そもそも仏教では、仏がその姿を十方仏土に影現することを「分身散影」と説くが、これはあくまでも広大無辺なる仏の御境界より、他土にあって仏を渇仰恋慕する衆生に応ずる大慈悲の御化導である。
「分身散影」と同義に用いられる「分身散体」も仏の御化導であることはいうまでもないが、だからといって、他土にあって分身の仏を礼拝する衆生が「本身の仏より分身の仏がありがたい」とか、「分身の仏をあがめれば本身の仏を礼拝する必要はない」などというならば、仏の御真意に背く行為であることは明らかであろう。
中心の法体である大石寺御安置の本門戒壇の大御本尊に参詣することを拒否しながら、「分身散体の意義に照らして」各家庭の本尊を拝すればそれで良しとする斉藤ら学会の主張は、あたかも天月から目を背けて、ひたすら池月に執着する類であり、本末転倒・不知恩の愚論というほかはない。
まして本門戒壇の大御本尊と無縁の「ニセ本尊」を拝んでいる学会員に「分身散影」の利益などあるわけがないのである。
<「特定の場所」の迷論と御書の曲解>
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どこか特定の場所に参拝しなければ成仏できないという日顕宗のような誤った考えは大聖人の御本意ではありません。御書に、「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云ふなり。此を去って彼へ行くには非ざるなり」「我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ、常寂光土の都たるべし」と仰せのとおりです(斉藤教学部長『聖教新聞』H14.3.30)
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初めに、斉藤がいう「日顕宗」なる宗派は、日本はおろか世界中を探してもまったく存在しない架空のものであると言っておく。
また本宗において誰一人として「特定の場所に参拝しなければ成仏できない」などと言った者はいない。
このようなデタラメな作り話を創価学会の教学部長たる者が、公衆の面前で得々と発言する一事を見ても、学会がいかに欺瞞に満ちた捏造集団であるかがわかるというものである。
ここで斉藤は、総本山大石寺への参詣をする必要もなく、大御本尊へのお目通りをする必要もない旨の迷妄の論を披歴するために2つの御書を引用しているので、この点について破折を加えておく。
1.『御義口伝』の曲解
まず、
「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云ふなり。此を去って彼へ行くには非ざるなり」(『御義口伝』新編1794、全集781頁)
との御文であるが、これは『御義口伝』の普賢品の経文を釈された御教示である。
この御文について、次下の、
「道場とは十界の衆生の住処を云ふなり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり。此を道場と云ふなり」(同)
との御文に照らして拝するならば、〝当詣道場とは、法華経を受持する衆生の住処がそのまま寂光土であり、当詣といっても此土を去って他土に赴くことではない″との意味である。
末法における当詣道場とは、法華経本門文底下種の妙法、すなわち総本山大石寺にまします本門戒壇の大御本尊を受持する者の住処であり、その所こそ常寂光土である。
創価学会員のごとく本門戒壇の大御本尊への参詣を拒絶する者には、「当詣道場」「常寂光土」はあり得ないのである。
結局、斉藤が大石寺参詣を妨害するために引用した『御義口伝』の御文は、末法の御本仏宗祖大聖人の御当体たる戒壇の大御本尊への受持信行を勧奨する御教示であり、斉藤は『御義口伝』の尊い御教示を故意に曲解し、卑劣な切り文をもって虚言を吐いているのである。
2.『最蓮房御返事』の曲解
次の
「我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ、常寂光の都たるべし」(御書588、全集1343頁)
の御文は、〝我々が法華経を修行するところはいずれの所も常寂光土である″と教示された『最蓮房御返事』の一節である。
この御文をもって斉藤は「特定の場所」である総本山大石寺に参詣しなくても学会員には功徳があるというのである。
しかし、この御文の前段には、
「我等は流人なれども身心共にうれしく候なり。大事の法門をば昼夜に沙汰し、成仏の理をば時々刻々にあぢはう」(同)
とあり、前後を併せて拝するに〝法華経を色読した法華経の行者が修行する所は、たとえ佐渡の地であっても常寂光土なり″との御教示であることは明らかである。
ここに「我等」と仰せられているのは、最蓮房への慰撫与同の御配慮であり、「一乗を修行」される法華経の行者とは勧持品に予証された日蓮大聖人をおいてほかになく、法華経の故に「流人」の身となられたのは日蓮大聖人であり、流罪の身で「身心共にうれしく候」とは日蓮大聖人の自受法楽の御境界である。
したがって、この『最蓮房御返事』の御文は法華経の行者日蓮大聖人の居住される処すべてが常寂光土であるとの御教示である。
ところが、学会ではこの「一乗を修行」する「我等」が創価学会員なのだという。
いかに不信・浅識の族とはいえ、厚顔無恥にも程がある。
末法の衆生の住処が直ちに常寂光土となる道は、「一乗の修行」すなわち末法の御本仏日蓮大聖人を信じ、本因下種の妙法を受持することである。この御本仏日蓮大聖人の教義とその法体たる本門戒壇の大御本尊は富士大石寺に厳然と伝えられ、その大御本尊への信仰なくして、末法における「成仏の理」を顕現することは叶わないのである。
したがって『最蓮房御返事』の御文をもって、総本山大石寺を「特定の場所」と蔑み、大御本尊への参詣を否定する創価学会斉藤教学部長の信心と頭脳は完全に破綻しているというほかはない。
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くだらない「政教一致」の妄説などは吹き飛ばして、仏法の「人間主義の視点」から社会改革を目指す「立正安国」の使命を、ともどもに果たしていこうではありませんか(秋谷栄之助『聖教新聞』H15.11.16/『フォーラム21』H15.12.1)
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【『立正安国論』の実践とは】
『立正安国論』の主旨は、その名の示す通り、「立正」すなわち正法を打ち立てることによって「安国」すなわち安寧な国家を実現できるというものである。
たしかに仏法では国家社会の不幸な状態として三災七難を挙げている。しかし、そのような不幸の原因は、主権者や国民が正しい仏法を信じないところにある。
●世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず。(『立正安国論』全集19頁)
●人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり、傍を好んで正を忘る善神怒を為さざらんや円を捨てて偏を好む悪鬼便りを得ざらんや、如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには(『立正安国論』全集24頁)
●国土を安んじて現当を祈らんと欲せば速に情慮を回(めぐ)らし忩(いそい)で対治を加えよ、所以は何ん、薬師経の七難の内五難忽に起り二難猶残れり(『立正安国論』全集31頁)
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要するに、『立正安国論』が我々に求める実践内容は、正法の弘通にある。正法が弘通されれば、国民個々の一生成仏も実現し、自ずから国家社会も種々の災難から免れるということである。広布途上の「社会改革」など、一時的には功を奏するようなことがあったとしても、謗法充満の社会においては諸天善神の加護がなく、結局は不幸な結果となるのである。
その良い例がアメリカによるイラク攻撃ではないか。当初ブッシュ大統領はイラクが大量破壊兵器を保持しているとして、"先制攻撃"を仕掛けたのである。"平和"の党であるはずの公明党はこれを支持し、創価学会も公明党の行動を容認した(事実上は、先に学会首脳の容認があって公明党がイラク攻撃を支持したのであろう)。確かに、フセイン独裁政権が、本当に大量破壊兵器を保持していたとすれば、国際ルールを無視して他国をイラクが攻撃していたかも知れない。しかし、実際にはイラクは、その主張どおり大量破壊兵器は保持していなかった。イラク攻撃によって独裁政権は倒れたが、未だに戦闘状態は続き、何時収束するかも分らない泥沼の状態である。
このことが我々に教訓していることの1つは、"平和と人権を回復するために"戦争をするにしても、あるいは戦争をしないにしても、紛争は解決できないということではないか(フセイン政権が続いておれば、将来、大量破壊兵器が作られていたかも分らないし、そうでなくても今までどおり様々な人権侵害や異教徒〈シーア派〉に対する殺戮が繰り返されていたことだろう)。
●一切の善神悉く之を捨離せば、其の王教令(きょうりょう)すとも人随従せず、常に隣国の為に侵嬈(しんにょう)せられん(『立正安国論』全集20頁)
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一切の善神がその国を捨てて離れてしまうと、その国王がいくら教令、つまり詔勅とか命令を下して導こうとしても、民衆はだれも従わない。結局、常に隣国のために侵嬈、侵略されてしまう、ということがあるわけです。
現に今、世界の至る所で戦争が起きていますが、それらはすべて、それなりの原因がきちんとあるということを、我々はよく知らなければいけないのです。要するに、本当の世界平和、全人類の幸せを願うならば、道のりは遠くとも、まず1歩1歩、我々が折伏して、大聖人様の仏法を広宣流布していく以外にないのです。「立正安国」というのはそういう意味なのです。もちろん世の中の多くの人達は国を憂い、そして人々の悲しみを知って、なんとかしなければいけないと一生懸命にやっているのです。それを評価しないわけではありませんが、その根底にあるものはなんであるかということを、我々凡夫の浅はかな知恵ではなく、仏様の三世に透徹した智慧によって拝さなくてはいけないのです。そして、その不幸の原因、混乱の原因は何かということについて、それは正法を立てないからであり、その故に謗法の念慮を絶していかなければならないということを、大聖人様がおっしゃっているのであります。したがって、今言いましたように、その根本のところを間違っているから、いくら頑張ってみても、結局、真の幸せは得られないということになるのであります。(第68世日如上人『大日蓮』H19.8)
●仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし(『諸経と法華経と難易の事』御書1469、全集992頁)
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これは依正不二の原理はどちらが主であるかということをおっしゃっているのです。つまり仏法は体であり、世間は影だとおっしゃっておりますから、謗法の害毒によって世の中は狂ってくるのです。しかし正しい法を我々がしっかり受持信行していけば、世の中は本当に栄えてくるのです。つまり、これが『立正安国論』に示される原理なのです。(第68世日如上人『大日蓮』H19.3)
<政治的文化的手段による社会改革と「立正安国」は次元が違う>
政治的文化的言論や行動は世法の問題であり、仏国土建設のための正当な手段ではなく、『立正安国論』で示された「安国」実現のための具体的手段ではない。もし、創価学会・公明党が、政治的文化的な言論および行動によって「平和」「清潔」「福祉」などを実現できると考えているとすれば、手段を誤った活動であるというしかない。
例えば「平和」について言えば、日蓮大聖人の御書には、戦争が仏法上の災難(三災七難)であるという主張はあっても、個々具体的な戦争反対の主張をされたことはない。かの蒙古が襲来したときにさえ、戦争回避の世法的具体策は一切提示されてはいない。むしろ、真言による蒙古調伏の祈祷を制止され、正法によるべきことを主張されている。
●皆人立ち帰る程に六郎左衛門尉も立ち帰る一家の者も返る、日蓮不思議一云はんと思いて六郎左衛門尉を大庭よりよび返して云くいつか鎌倉へのぼり給うべき、かれ答えて云く下人共に農せさせて七月の比と云云、日蓮云く弓箭とる者は・ををやけの御大事にあひて所領をも給わり候をこそ田畠つくるとは申せ、只今いくさ(戦)のあらんずるに急ぎうちのぼり高名して所知を給らぬか、さすがに和殿原はさがみの国には名ある侍ぞかし、田舎にて田つくり・いくさに・はづれたらんは恥なるべしと申せしかば・いかにや思いけめあはててものもいはず、念仏者・持斎・在家の者どもも・なにと云う事ぞやと恠しむ。(『種々御振舞御書』全集918頁)
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これは自界叛逆難(二月騒動)を予知された大聖人が、六郎左衛門尉に対して、"戦(いくさ)が起こるのだから急いで鎌倉へ上り、名をあげなさい"と助言されているところである。当時の武士にとっては、戦において力を発揮することが名誉である。"戦争で活躍しなさい"などと言うことは、決して反戦論者の言とはいえない。一方、仏法は戦争を三災七難の中に含めている。つまり、戦争のない国土をつくることと戦争に反対することとは、全く次元が異なるのである。言い換えれば、いくら戦争反対と叫び行動したとしても、真の平和は実現しないというのが仏法の見解である。だからこそ大聖人は、その時代の社会的価値観を尊重されながら仏法を弘通されているのである。「清潔」「福祉」についても同様である。
●今日蓮は去ぬる建長五年〔癸丑〕四月二十八日より今年弘安三年〔太歳庚辰〕十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり(『諌暁八幡抄』全集585頁)
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『立正安国論』の精神とは「妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ」ことであり、「平和」「清潔」「福祉」実現に向けての世法的活動ではない。
<慈善事業で名をあげた空海、良観、創価学会>
●821年5月、故郷四国讃岐の満濃池の修築に当たる。(中略)池に壇を築き、空海を慕う民が集まり、当時最新の建築技術を用いて9月には修築が完了している。誰もがなし得なかった快挙である。水よけと呼ばれる現在のダム建築にも使われている技術をも用いていたと言われている。このことが、全国各地に伝わる弘法大師の「水伝説」も源のように思える。(<空海を研究する会>WS)
●極楽寺の良観上人は上一人より下万民に至るまで生身の如来と是を仰ぎ奉る彼の行儀を見るに実に以て爾なり、飯嶋の津にて六浦の関米を取つては諸国の道を作り七道に木戸をかまへて人別の銭を取つては諸河に橋を渡す慈悲は如来に斉しく徳行は先達に越えたり(『聖愚問答抄』全集475頁)
◆具体的には、(1)平和や人権意識の啓蒙運動、(2)芸術・文化で人々の心を結ぶ文化運動、そして、(3)他者への思いやりあふれる人間を育成する教育運動です。この3つの運動を展開しながら、庶民の生活を第一に、そして、庶民を幸福にしていくことが創価学会の理想なのです(<SOKAnet>WS)。
◆世界の熱帯雨林の3分の1を占め、地球上の生物種の3分の1が生息するといわれる“生命の宝庫”アマゾン。この生態系保護を目的に、1992年、ブラジルSGIの「アマゾン自然環境研究センター」が開設されました。以来、「熱帯雨林再生プロジェクト」を展開し、2万本の植林や種子の採取・保存などを推進しています(<SOKAnet>WS)。
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慈善事業を否定するつもりはないが、正法弘通を使命とする団体の本分ではない。ましてや、政治的文化的活動をあたかも仏道修行のように位置付け、『立正安国論』の主旨に適った活動であると捉えるなど、論外というべきである。
【「人間主義」】
「人間主義」という語は、かの『広辞苑』にも掲載されず、なにより学会問題勃発(ぼっぱつ)以前の『仏教哲学大辞典』(昭和60年版)にすら載せられていない、邪教化した創価学会による造語である。当然『立正安国論』とも無関係である。(<「人間主義」破折>参照)
【国家権力との関係】
●釈尊は(中略)王舎城に入り頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)の帰依を受けた。(中略)また、舎衛国の須達長者が寄進した祇園精舎では波斯匿王(はしのくおう)を教化し、教団は大いに興隆した。(『中級教学試験テキスト』平成17年度版2頁)
●天台大師は陳の世に大旱魃あり法華経をよみて・須臾に雨下り王臣かうべをかたぶけ万民たなごころをあはせたり、しかも大雨にもあらず風もふかず甘雨にてありしかば、陳王大師の御前にをはしまして内裏へかへらんことをわすれ給いき、此の時三度の礼拝はありしなり。(『三三蔵祈雨事』全集1469頁)
●最澄・天長地久の為に延暦四年叡山を建立す桓武皇帝之を崇め天子本命の道場と号し六宗の御帰依を捨て一向に天台円宗に帰伏し給う(『安国論御勘由来』全集34頁)
●されば賢王の時は仏法をつよく立つれば王両方を聞あきらめて勝れ給う智者を師とせしかば国も安穏なり、所謂陳・隋の大王・桓武・嵯峨等は天台智者大師を南北の学者に召し合せ、最澄和尚を南都の十四人に対論せさせて論じかち給いしかば寺をたてて正法を弘通しき(『妙法比丘尼御返事』全集1412頁)
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要するに、釈尊在世を初めとして、正法護持の宗団は権力者を折伏し帰依させることはあっても、自らの宗団が権力を掌握するべく画策するなどということは一切なかった。大聖人も、権力者を折伏されたけれども、政治的権力を行使するための活動など一切なされていない。権力者を折伏し、その権威権力を背景にして正法を弘通することと、自らが権力者となって教団を拡大させること。前者は大聖人をはじめとする賢聖方が採られた方法であり、後者は総体革命を目指す創価学会・公明党のやり方である。学会流は賢聖方の弘教とは似て非なるもので、正法弘通という大義の名のもとに自己の権力欲を充足させるための活動だといえよう。
●総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ(『四菩薩造立抄』全集989頁)
●国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり(『身延相承書』全集1600頁)
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自分達が国主となるのであれば、このような文言とはならないであろう。その場合はこうなる?↓
◆国が最高に繁栄した時が広宣流布の時であり、一国にためにも、国民のためにも最高の時です。そうした背景のもとに広宣流布の儀式が行われるのです。それが創価学会の究極の目的の1つです。その時に不開門が開く。一説には、天皇という意味もありますが、再往は時の権力者であるとされています。すなわち、公明党がどんなに発展しようが、創価学会がどんなに発展しようが、時の法華講総講頭であり、創価学会の会長がその先頭になることだけは仏法の方程式として言っておきます。 私が御法主上人猊下様、大聖人様に、不開門を開いて、このように広宣流布致しましたと、猊下をお通し申して、一閻浮提総与の大御本尊様に報告することが、究極の広宣流布の暁の、その意義なのであります(池田大作『聖教新聞』S40.7.26/『池田大作 日本経済乗っ取りの野望(1)』)
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広宣流布の暁には、池田自身が「権力者」となり、不開門を開くと宣言。
◆私(※池田)は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者、最高権力者である(高瀬広居著『人間革命をめざす池田大作その思想と生き方』/『池田大作 日本経済乗っ取りの野望(1)』)
<創価学会の弘教>
・総体革命と称して、社会の各分野に学会員を送り込む。政界も例外ではない。
・自らが国家権力を掌握し最高権力者となる。
・政治活動や文化活動を『立正安国論』の精神に基づくものとして積極的に行う。
↑
両者の相違は歴然。やっぱりおかしい学会流"広宣流布"!!
↓ <聖人・賢人の弘教>
・すべての人を折伏。君主制の時代には、とくに国主を折伏教化。
・国主は折伏の対象であって、自らがその立場に立つものではない。
・宗教活動に専念し、基本的に世俗的諸活動は行わない。
―人数の拡大だけを追求してきた創価学会―
―日達上人は「間違った広宣流布は仏法破壊」と―
(『慧妙』H16.1.16ほか編集)
<数の拡大が広布?>
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>広布を進める学会
>広布に邁進(まいしん)する創価学会
>日顕(上人)は、広布を推進する学会を一方的に破門したから、重罪を犯した
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そもそも広宣流布とは、日蓮大聖人の仏法を、広く世の中に、未来永劫まで断絶させることなく弘通していくことをいうのである。
ここで大切なのは、弘めるべき日蓮大聖人の仏法を間違ってはならない、単に信者の数を増やせば広宣流布になるというものではない、ということである。
―日達上人―
●広宣流布はしなければならん、けれども教義の間違った広宣流布をしたら大変であります(第66世日達上人・昭和49年4月25日)
●日蓮正宗の教義が、一閻浮提(いちえんぶだい)に敷衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。(中略)日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ、日蓮正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまった、ということになるのであります(第66世日達上人・昭和49年6月18日)
●日本国全人口の3分の1以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に、純真な、しかも確実な信心をもって、本門の題目・南無妙法蓮華経を異口同音に唱え奉ることができた時、その時こそ、日本国一国は広宣流布したと申し上げるべきことであると思うのであります(第66世日達上人・昭和49年11月17日)
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人数ばかりは増え、形ばかりは日本乃至世界に拡がったとしても、そこに、正しい本尊と教義に対する信仰がなければ、日蓮大聖人の仏法を広宣流布していることにはならない。それどころか、大聖人の仏法を破壊していることになるのである。
もし、これに異を唱えるとしたら、創価学会のいう広宣流布と、立正佼成会や霊友会、あるいは日蓮宗身延派のいう広宣流布と、何がどう違うのか、明確に答えるべきであろう。同じ南無妙法蓮華経を唱え、形の似かよった曼茶羅(まんだら)を拝んでいれば、佼成会とも身延とも変わらない、ということになってしまうからである。
要するに、日蓮大聖人の仏法の正体である、正しい本尊と教義とは、大聖人出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊と、第2祖日興上人以来の御歴代上人によって伝えられてきた日蓮正宗の教義であり、これに対する信心を弘めていくことこそが広宣流布である。
しかるに、"広宣流布"と口先で言いながらも、この正しい本尊と教義に対する信仰を失った人々を増やしていくとすれば、それは、かえって正法を破壊し断絶させたことになってしまう。
されば、本門戒壇の大御本尊を軽賎(きょうせん)・否定して独自のニセ本尊を造り、日蓮正宗の教義に背(そむ)いた独自の狂学を打ち立てる池田創価学会は、まさに日達上人が危惧(きぐ)あそばされた"正法破壊""正法断絶"の団体と成り下がったのであり、間違っても正法広布の団体ではありえない。だから、日蓮正宗から破門されたのである。
<「広宣流布のための御本尊」>
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◆爰(ここ)に日蓮いかなる不思議にてや候らん、竜樹(りょうじゅ)・天親(てんじん)等、天台・妙楽等だにも顕はし給はざる大曼茶羅を、末法二百余年の此(ころ)、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕はし奉るなり(『日女御前御返事』御書1387頁)
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大聖人が顕わされたのは「法華弘通のはたじるし」、すなわち"広宣流布のための御本尊"である。「広宣流布のための御本尊」は学会から全世界へ
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結局、池田創価学会は、御本尊を広宣流布の道具としか思っていない (もちろん、そんな在り方が、御本尊に対する正しい信心であるわけはない)、ということが明らかであろう。
いずれにせよ、彼らの本尊は、本門戒壇の大御本尊とは全く関係ない、大謗法のニセ本尊であるから、それが流布されればされるほど、人々は苦悩と迷いに落ち込み、ますます暗澹(あんたん)たる世の中になっていくのである。
<「大聖人の未来記を実現」>
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◆「全世界に広宣流布せよ」との仏の未来記を実現しているのが、我が創価学会である。学会がなければ、法華経も、また御書も、ことごとく虚妄(こもう)となってしまっただろう(池田大作『創価新報』H16.1.21)
◆創価学会が出現しなかったならば、日蓮大聖人の未来記は虚妄になっていた(秋谷栄之助『聖教新聞』H16.1.12)
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これらは、日蓮大聖人が
「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり。仏滅後二千二百二十余年が間、一閻浮提(いちえんぶだい)の内に仏の御言を助けたる人但(ただ)日蓮一人なり」(『聖人御難事』御書1379、全集1190頁)
と仰せられ、大聖人が出現して勧持品(かんじほん)二十行の偈(げ)を身読・実証されなかったら、釈尊の未来記(予言)は虚妄になった、と断ぜられたことになぞらえ、述べた指導であります。
しかし、右に挙げた御金言は、大聖人が現に釈尊を凌(しの)ぐ久遠元初の御本仏であられるからこそ、本仏・迹仏という勝劣を踏まえて仰せられたものです。この大聖人の口まねをして、あたかも創価学会(なかんずくそれを率いる池田大作)が出なければ大聖人は虚妄の仏となっていたかのような説(つまり、大聖人も池田大作によってこそ存立する、という意味)を主張することは、まさに、大聖人を迹仏(劣)と下し池田大作を本仏(勝)とする池田本仏論に他なりません。
身の程知らずも甚だしい大慢心ではありませんか。(『慧妙』H16.7.1)
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<正邪は法門によって判定>
●法門をもて邪正をただすべし(『唱法華題目抄』全集16頁)
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池田学会では会員数が多いことをもって、自らを「広布の団体」と自讃し、正義の証のごとく主張している。しかし、広宣流布の長い道程にあって、一時的に人数が増えたからといって、それが正義の証明になるはずがない。正邪の判定はあくまでも法門によって行われるべきである。
●汝只正理を以て前とすべし別して人の多きを以て本とすることなかれ(『聖愚問答抄』全集493頁)
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「正理」とは何か。それは三大秘法総在の御本尊に帰着する。そして、御本尊即御本仏の御内証は唯授一人の血脈として歴代上人に伝持されているのである。
●星を見て月にすぐれたり、石を見て金(こがね)にまされり、東を見て西と云ひ、天を地と申す物ぐるひを本として、月と金は星と石とには勝れたり、東は東、天は天なんど有りのまゝに申す者をばあだ(怨)ませ給はゞ、勢ひの多きに付くべきか、只物ぐるひの多く集まれるなり。されば此等を本とせし云ふにかひなき男女の、皆地獄に堕ちん事こそあはれに候へ(『妙法比丘尼御返事』御書1267、全集1417頁)
●堂社僧坊は仏法に非ず又智慧才覚も仏法に非ず多人数も仏法に非ず(中略)信心無二にして筋目を違えず仏法修行するを仏道修行広宣流布とは云ふなり(第9世日有上人『有師談諸聞書』/『富士宗学要集』第2巻146頁)
<唯授一人の血脈を根本とする僧俗異体同心が広布の要諦>
1●日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし(『異体同心事』全集1463頁)
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ここでいう「異体同心」とは、『生死一大事血脈抄』に仰せのように、僧俗一体となっての異体同心である。"僧侶不要"を唱える在家団体・創価学会がいかに仲良くしても血脈は通わないのである。従って、大聖人が仰せの広布も実現できないのである。↓
●総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり(『生死一大事血脈抄』全集1337頁)
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「生死一大事の血脈」は「弟子檀那」が「異体同心」であるところに成り立つ。いかに数が多くても、「檀那」である在家だけで仲良くやっても、「異体同心」とはならない。よって、「弟子」である御僧侶を蔑ろにし、"僧侶不要"を唱える池田学会に、生死一大事の血脈が通わないことは明らか。
●只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ(『生死一大事血脈抄』全集1338頁)
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「釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて」とあるように、生死一大事の血脈は、釈尊から上行菩薩への別付属に由来する。
●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(第26世日寛上人『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
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「塔中及び蓮・興・目」とあるように、塔中における上行菩薩への別付嘱が、唯授一人血脈相承として歴代上人に伝わっている。
★広布拡大乃至達成の条件である「異体同心」(1●)とは、唯授一人の血脈を根本とした僧俗一体の異体同心である。
<数は少なくとも広布は確実>
●日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし(『諸法実相抄』全集1360頁)
●梵天・帝釈等の御計として日本国・一時に信ずる事あるべし、爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそおほくをはせずらんめとおぼえ候(『上野殿御返事』全集1539頁)
<昔の学会指導>
◆大聖人のおおせられるのは、祈りはかならずかなう。それには時がある。良き法と、良き師と、良き檀那との3つが、そろわなければだめだ。南無妙法蓮華経、これは良き法に決まっている。大御本尊様は良き法なのです。また御法主上人は唯授一人、64代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下を通して大御本尊様を拝しますれば、必ず功徳が出てくる。ただ良き檀那として、その代表として、その位置にすわれたことを、私は、非常に光栄とするものであります(関西本部入仏落慶式S30.12.13『戸田城聖全集』第4巻399頁)
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広宣流布の「祈りはかならずかなう」。しかし「それには時がある」。現在の学会がいくら大きくても「時」が来なければ、布教は拡大しない。
また、いくら「時」が来ても「良き法と、良き師と、良き檀那との3つが、そろわなければだめだ」。
「良き法」とは「大御本尊様」であり、大御本尊から「出発した」(下記1◆)「法脈」(同)のある御本尊のことである。
「良き師」とは「唯授一人、64代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられる」「御法主上人」である。
「良き檀那」とは「御法主上人猊下を通して大御本尊様を拝」することによって「功徳」を頂くことのできる方である。
戸田会長時代をはじめ、破門前の学会が発展できたのは「時」を得て、「良き法と、良き師」を正しく拝した「良き檀那」であったからである。
今現在、学会がどんなに大きく権勢を誇っていたとしても「良き法と、良き師」を失った僧侶否定(したがって檀那でさえない)の池田学会に広宣流布の大願成就の「祈り」がかなう「時」は絶対に訪れないのである。
1◆いまのところは、まずまず貧乏と病気です。これを、仏さまがおられてお救いにならないわけがない。われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺(のこ)されてある。
これは、弘安2年の10月12日の大御本尊様のただ1幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安2年の10月12日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです。
だから、身延や仏立宗や霊友会なんか、いくらがんばっても、御利益がでようがないのです。ありませんから、やってごらんなさい。7年もしたら、どんな顔になるか。いや、いままでやった人の顔をみてごらんなさい。
ですから、私の願いとするところは、この弘安2年の10月12日の大御本尊様を信ずるということです。しかし、理論がわかっても、わからなくてもいい。だんだん、そのうちにわかる。絶対だということがわかる。この日蓮正宗の哲学ぐらい、きちんとなっているものはないのです。(S30.8.24 札幌市商工会議所『戸田城聖全集』第4巻343頁~)
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「身延や仏立宗や霊友会なんか、いくらがんばっても、御利益がでようがない」とあることから、身延が所持している大聖人の真筆本尊であっても「弘安2年の10月12日の大御本尊様から出発したもの」とはいえず「法脈が切れてますから、絶対だめ」ということが分かる。大聖人の真筆本尊であっても功徳がないのであるから、歴代上人の常住御本尊を勝手にコピーしたものに功徳があるはずがない。
◆日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。(乃至)広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい(池田大作・昭和57年7月24日・第1回関東会研修『広布と人生を語る』第3巻256頁/『大白法』H16.2.1)
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ところが今はどうだ。「根本」のはずの「血脈」「総本山」は否定され、「厳護」する対象であるはずの「御法主上人」は最大の攻撃対象となっている。「広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない」というからには、歴代上人の御本尊といえども勝手にコピーすることはできない、という考えであったのだろう。
◆今日、日蓮正宗創価学会がこのように発展し、短期間に正法流布の根を深く広くはることができたのも、日蓮正宗の伝統の根が深いということにほかならない(池田大作『広布と人生を語る』第1巻62頁/『大白法』H20.9.1)
変↓節
◆カトリックでも広めたら立派(学会本部職員で聖教新聞企画部副部長のH氏/『慧妙』H18.7.16)
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これは、学会幹部Hが法華講員との対論中、学会員ギャラリーの前で言い切ったことである(そうでないと言うならば、H自身が企画している機関紙を使って反論すべき)。思えば、創価学会の自慢は、その構成員を短期間に増やした(あくまでも過去形)という一点に尽きる。過去の布教の成果にしがみ付き、それだけを根拠にして現在乃至未来の正統性を頑(かたく)なに信じ込もうとする学会員は、哀れとしか言いようがない。
個人や団体に対する評価は、評価の対象の変質に応じて変化するもので絶対的ではない。歴代上人が過去の学会を讃歎されたとしても、それは当時の信行に対する評価または激励であり、それ以上ではない。だから、これをもって、現在の学会を正当化することはできないのである(池田学会も、破門を境に日顕上人や御僧侶に対する評価を反転させた。)。
それに対して法門解釈は不変である。池田学会は、かつて自身を讃歎して下さった歴代上人の法門解釈(御指南)に背いているのだから、過去の学会讃歎は、学会自身が打ち消してしまったというべきである。
とくに池田学会は、過去には唯授一人の血脈を宗旨の根幹としていたのに、これをあっさり否定した。これは自身の信仰の根幹部分の否定であり、退転、変節、宗教者としての死を意味しよう。
こうした自身の屈辱的変節を棚に上げて、歴代上人の過去の讃歎を取り上げて自身を正当化しようとする池田学会の性根は、完全に腐っているといえる。
【日亨上人】
<牧口学会への評価>
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◆昭和の始より起りし牧口常三郎・戸田城聖の創価学会が俄に法運を回復せしが却って非時の国憲に触れ、同18年の法難を惹起せし悲惨事ありしも、宗祖開山の聖代に還れる信行両全の現状を念へば広布の大願成就に近づくが如き念ひが涌く。(第59世日亨上人著『富士宗学要集』第9巻247頁)
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日亨上人は戦時下の学会弾圧を法難として『富士宗学要集』に掲載された。しかし、その一方で学会弾圧を含む法難全体について以下のように述べられた。
●顧(かえり)みるに法難の起こる時、必ず、外(宗外)に反対宗門の針小棒大告発ありて其の端を発し、内(宗内)に世相を無視して宗熱に突喊(とっかん)する似非信行の門徒ありて、(内外の)両面より官憲の横暴を徴発(ちょうはつ)するの傾き多し。本篇に列する十余章(の法難も)皆、然らざるはなし(第59世日亨上人『富士宗学要集』第9巻247頁)
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[突喊]とっかん=①ときの声をあげること。 ②ときの声をあげて、敵陣へ突き進むこと。(『大辞泉』)
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戦時下の国家弾圧において「世相を無視して宗熱に突喊(とっかん)する似非信行の門徒」とは一体誰で「官憲の横暴を徴発」とは何でしょうか。すぐに思い浮かぶのが、牧口会長以下学会員達が神札焼却の強調や、四悉檀を無視した強引な罰論等に走ったことです。
牧口会長の賞賛すべき部分は、謗法厳誡を貫き折伏を実践したことにあったといえよう。これを氏に対する正の評価とすれば、時機を弁えずに「世相を無視して宗熱に突喊(とっかん)する似非信行」という負の部分もあった。
しかし、全体としては戦時下の牧口学会の行動は好意的に表現されている。その理由は、戦後の戸田会長の折伏活動および唯授一人の血脈に対する絶対的尊信の念(<戸田城聖の実像>参照)によるものと考えられる。「宗祖開山の聖代に還れる信行両全の現状」とは、『富士宗学要集』第9巻が執筆された当時の評価であり、当時の戸田学会の信心があったからこそ、過去の負の行為も不問に付されたのであろう。
<法門解釈>
●「初め此仏菩薩に従つて結縁し還つて此仏菩薩に於いて成熟す、此に由つて須らく下方を召すべきなり」と云ふ文句の文なり、(中略)此仏と云ふも此の菩薩と云ふも・共に久遠元初仏菩薩同体名字の本仏なり、末法出現宗祖日蓮大聖の本体なり、猶一層端的に之を云へば・宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり(第59世日亨上人著『有師化儀抄註解』/『富士宗学要集』第1巻117頁)
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「宗祖開山已来血脈相承の法主是れなり、是即血脈の直系なり」とあるように、血脈に直系傍系があります。直系とは別しての唯授一人の血脈であり、傍系とは総じての信心の血脈です。
●但し直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為して日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり(『百六箇抄』全集869頁)
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日亨上人は「後加と見ゆる分の中に義において支語なき所には一線を引き」(『富士宗学要集』第1巻25頁)とあるごとく、史伝書その他多くの文献にあたられ、さらに血脈相伝の上から内容に於いて正しいと判断されたから御書にも掲載されたのである。「尽未来際に至るまで」の御文に注目すべし。
●師弟相対の事、有師丁寧反復是を述べらる。前条にも本条にも、又下にも多く出づ。類文塔婆の下更に細かなり。今時の信仰稍此意を失へる傾あり。或は害あり、或は無し。謂己均仏・現身成仏・師弟不用の高慢より生して、師弟相対を無視する事は大いに信行に害あるものと知るべし(第59世日亨上人・有師化儀抄註解/『富士宗学要集』第1巻96頁)
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ここでいう「師」とは大聖人のことではなく、一般僧侶にとっては御法主上人であり、在家信徒にとっては末寺住職である。何故なら「有師丁寧反復是を述べらる」とあるように、日有上人の御指南についての解説だからである。日有上人は宗内僧俗のために種々の指針を残されたのである。日蓮正宗の僧俗に対して大聖人を師と仰ぐべきことを、「丁寧反復」に御指南する必要はない。
●(本師の滅後になると)動(やや)もすれば、なにかの感情で事を宗義に托(たく)して、自分は何某の弟子でない、信者でない、添(かたじ)けなくも宗祖大聖人の御弟子である、と云ふ反逆児ともいはるべき者が出現する(第59世日亨上人/『慧妙』H18.10.1)
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◆すなわち五老僧達は、"自分は日興上人の弟子などではない。大聖人の弟子である"とし、日興上人に信順できなかった。さらに迫害を恐れ「天台沙門」とさえ名乗った。その根底は、日興上人と対等であるなどという傲(おご)りであり、嫉妬(しっと)であり、保身に堕した卑(いや)しい感情であった。日亨上人は、反逆の徒は常に、こうした感情を言葉巧みに正当化していくものであると御教示されているわけである(池田大作『広布と人生を語る』第10巻80頁)
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かつての自らの指導に完壁に破折されていますが、まさに池田創価学会の"直結信仰"主張は、池田の「傲(おご)り」「嫉妬」「保身」の「卑しい感情」を言葉巧みに正当化したものであり、日蓮大聖人の正しい信仰の在り方ではない、謗法である、ということが明らかであります。(『慧妙』H18.10.1)
【日昇上人】
<学会への評価>
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◆学会の活躍は、宗門史上、未曽有(みぞう)の事で、万一、学会の出現なき時は、宗門はほとんど衰頽(すいたい)の期(日昇上人/『聖教新聞』H19.9.8/『慧妙』H19.10.1)
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この御言葉にウソはないと思います。しかし、過去にどんなに功績があっても謗法を犯し、それを指摘しても改めない者を信徒と認めることはできません。
<法門解釈>
●由来、法門上の異説異見は何によって起こるかといえば、機根が猶(な)お未(いま)だ熟さないうちに、自らを省みず直ちに御書の一文一義に執して妄断するからである。即ち我見に任せて己義を立つるからである。古来、仏法に於いて相承を尊び師伝を重んずるのは、一に此の弊をなからしむるためである。聖祖は「法華経は相伝に非ずんば知り難し」と仰せられている。蓋(けだ)し仏の奥底は相伝によって正しく理解することができるからである(第64世日昇上人『日蓮正宗聖典』「序」/『慧妙』H19.10.1)
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「相承を尊び師伝を重んずるのは」「我見に任せて己義を立つる」という「弊」を「なからしむるためである」。相承を否定し、師伝を無視する池田学会が「法門上の異説異見」を唱えるのも、当然というべきである。
【日淳上人】
<学会への評価>
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◆此れを以て考えますと将来の歴史家に立宗七百年以前は宗門の護持の時代とし、以後を流通(るつう)広布の時代と定義するであろうと思われます(中略)七百年の歴史は一に広宣流布を待望しつつ堅く護持してきた時代と申すべきでありましょう。しかし末法に入って千年のうち、はやくも九百年は過ぎました。もとより末法は千年に区切ることはありませんがともかく千年の終りに近づいて開宗七百年を転期として一大流布に入ったということは正法流布の上に深い約束があるのではないかと感ぜられるのであります。これを思うにつけても創価学会の出現によって、もって起った仏縁に唯ならないものがあると思います(第65世日淳上人『日淳上人全集』1620頁)
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「法体の折伏」「化儀の折伏」からいえば、宗門僧侶の使命は「法体の折伏」という「折伏の上の摂受(しょうじゅ)」にあったといえる。事実、宗門700年の歴史を振り返ると、広布の時に備え、どうにか大御本尊を護持してきた「折伏の上の摂受の時代」であったと言わざるを得ない。しかしながら、「賢王(けんのう)」の団体・創価学会の出現によって情勢は一転し待望の「化儀の折伏」「折伏の上の折伏」の時代に突入した。ここに、1人、絶対者たる法主が御本尊の大権を所有し、教団を統率していた草創の「護持の時代」は終わりを告げ、いよいよ「一閻浮提総与」との大御本尊の意義にふさわしく、広宣流布の和合僧団・創価学会が御本尊を護持し、流通していく「時」を迎えた。(『聖教新聞』H5.9.20取意)
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この第65世日淳上人のお言葉は、昭和31年のものです。
このころの創価学会は、時の御法主上人の御指南のもと、戸田会長を中心に、正しく日蓮大聖人の仏法を弘教していました。
ですから、前のような日淳上人の賛辞があったのです。
まして、第2次大戦以前の我が国の宗教政策にあっては、布教の自由はないに等しい状況であったのです。
その後、新憲法によって信教の自由が許され、戦後の荒廃(こうはい)した時代にあって、学会は、日蓮正宗の信徒の団体として、めざましい発展を遂(と)げました。
しかしながら、今日の学会は、その本来の使命を忘れた邪悪な教団となっており、日蓮大聖人の仏法を広宣流布する資格はなくなっています。
かつて、池田大作氏は学会の本来の使命について、次のように述べています。
「この日蓮正宗の信徒として、御法主日顕上人猊下の御説法を拝しつつ、永遠にわたる人類平和のために、正法を基調として、個人の幸福と世界の平和を結ぶ文化、平和の基盤を営々と築いていくところに創価学会の使命がある」(『広布と人生を語る』第1巻146頁)
「日蓮正宗の、根本中の根本は、ご存じのとおり、本門戒壇の大御本尊であられる。その大御本尊と日蓮大聖人以来の血脈を代々受け継がれる御法主上人がおいでになり、700年にわたる伝統法義が厳然とある。この正宗の根本軌道に則った信心こそが、正しき信心であり、無量の功徳があるわけである。みずからの信心の濁りや驕慢(きょうまん)から、その根本軌道を失ってはならない」(『広布と人生を語る』第6巻41頁)
このように池田氏は、真の広宣流布は本門戒壇の大御本尊と血脈付法の御法主上人を抜きにしてはありえないといっていたのですが、我が身の慢心を指摘されるや、今日のように学会を大謗法集団にしてしまったのです。
したがって今日の学会には、大聖人の仏法を弘める資格もなくなり、いかに「いよいよ『一閻浮提総与』との大御本尊の意義にふさわしく、広宣流布の和合僧団・創価学会が御本尊を護持し、流布していく『時』を迎えた」と力んでみても、所詮(しょせん)、彼らの思い込み、一人よがりの戯言(たわごと)でしかありません。
「一閻浮提総与の御本尊」とは、「世界中の一切衆生の即身成仏のために、建立された根本の御本尊」との意味であり、この大御本尊は法体相承として歴代の御法主上人に相伝されているのです。それを「われわれに与えられた御本尊」と曲解するのは、憍慢(きょうまん)謗法以外の何ものでもありません。(『創価学会「ニセ本尊」破折100問100答』)
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「学会の積極的な折伏行によりまして、(略)時がきたんではないかと、こういう風に私は考えます」(第65世日淳上人昭和33年6月8日の第7布教区説法『日淳上人全集』272頁)とし、『観心本尊抄』の「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」について、「大聖人が衣をつけて僧の形をとつている限りは、これは何といつたつて摂受になる(略)『この菩薩折伏を行ずる時は』とおつしやつておる。それは又菩薩が王法に出現なされるということになつておる」(同277頁)(wt:4213)
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大聖人(または御僧侶)の振る舞いと、在家の振る舞いを対比された御指南である。その意味では、学会に限らず、正法を護持し折伏をしている在家は皆「賢王」である。現に、本山(御法主)に信伏随従し、布教に励んでいたからこそ、学会に対しても、激励の意味で上記のように仰せられたのである。
1●日蓮が道をたすけんと上行菩薩・貴辺の御身に入りかはらせ給へるか又教主釈尊の御計いか(『四条金吾殿御返事』全集1163頁)
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大聖人は四条金吾殿に対しても上行菩薩だと仰せになっている。
2●今の国主も又是くの如し現世安穏後生善処なるべき此の大白法を信じて国土に弘め給はば万国に其の身を仰がれ後代に賢人の名を留め給うべし、知らず又無辺行菩薩の化身にてやましますらん、又妙法の五字を弘め給はん智者をばいかに賎くとも上行菩薩の化身か又釈迦如来の御使かと思うべし(『法華初心成仏抄』全集550頁)
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「大白法を信じて国土に弘め」ようとする「国主」を「無辺行菩薩の化身」と仰せである。
3●阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし、浄行菩薩うまれかわり給いてや(『阿仏房御書』全集1304頁)
4●「経に四導師有りとは今四徳を表す上行は我を表し無辺行は常を表し浄行は浄を表し安立行は楽を表す、有る時には一人に此の四義を具す二死の表に出づるを上行と名け断常の際を踰ゆるを無辺行と称し五住の垢累を超ゆる故に浄行と名け道樹にして徳円かなり故に安立行と曰うなり」と今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり(『御義口伝』全集751頁)
★以上のように、四菩薩とは四徳を表したものであり、大聖人の弟子旦那は皆「地涌の流類」である。その意味から、その人が地涌の菩薩の振舞いをし、その徳が現われていることを指して、弟子旦那に対しても四菩薩の化身、生まれ変わり等の指南がある。つまり、このような御指南があっても直ちに文字通りの意義がある訳ではないのである。
5●申すまでもなく御相伝となりますれば直接御指南の金口嫡々の御相承や宗門の上の御教示等重々あらせられると拝しますが、それは御法主上人として大事大切なことでありまして、一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって、自ら受けることができるのであります。それ故此には従来拝読を許されてをる御相伝書を挙ぐるに止めたのでありまして、此れを以て全部であると速断してはならないのであります。(第65世日淳上人『日淳上人全集』1150頁)
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「一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順」することによって大聖人よりの血脈・相伝を「自ら受けることができる」のである。いくら、布教をしていても根本である唯授一人の血脈に対する信が欠如したのでは、正法を行じているとはいえない。従って、過去において折伏をしていた学会を「賢王」「菩薩」と讃歎されたとしても、根本(唯授一人の血脈に対する信)を忘れた現在の学会には当てはまらない。
************************************************************ ◆聖人の御教示と牧口先生の観ずる世界と、少しも相違していないといへませう(第65世日淳上人・昭和22年10月19日・創価学会第2回総会講演『日淳上人全集』295頁)
◆もとより、妙法の信に住せられた先生が、日蓮聖人の折伏の行軌を追はれたのはいふまでもありませんが、しかしそれは、追はれたといふより先生の生来の行き方が、妙法により開顕され点眼されたといふのが当つてをると思ひます(同296頁)
◆かやうに考へる私は先生が、法華によつて初めて一変された先生でなく、
生来仏の使であられた先生が、法華によつて開顕し、その面目を発揚なされたのだと深く考へさせられるのであります。そうして先生の姿にいひしれぬ尊厳さを感ずるものであります。(同)
◆御承知の通り法華経の霊山会において上行を上首として四大士があとに続き、そのあとに六万恒河沙の大士の方々が霊山会に集まつて、必ず末法に妙法蓮華経を弘通致しますという誓いをされたのでございます。その方々が今ここにでてこられることは、これはもう霊山会の約束でございます。その方々を会長先生が末法に先達になつて呼び出されたのが創価学会であろうと思います。即ち妙法蓮華経の五字七字を75万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います(第65世日淳上人・昭和33年5月3日・創価学会第18回総会講演『日淳上人全集』357頁)
(wt:4212)
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日蓮正宗の信徒として折伏をしている人は、学会に限らず皆、地涌の菩薩の眷属であることは法華経の記述や大聖人の御指南から明らかなことである。当然、ここで言う地涌の菩薩=大聖人の再誕、という意味ではない(上記1●~4●)。この"当たり前のこと"を、学会の会合において"学会の立場に即して"述べられたに過ぎない。しかして、現在、正しい信仰をしている者でも、それを生涯貫くことができるかどうかは不定である。その意味では、ある時期に"地涌の眷属としての振る舞い"をしていた者が、後に退転して反って叛逆する場合も多い。波木梨などは、その例であろう。いくら布教をしても根本(唯授一人の血脈に対する信)を忘れた者は、地涌の菩薩ではないのである(上記5●)。
●牧口氏の所謂不敬罪事件について、私は宗務当事者が特高課の追及を恐れ、また特高課が宗門の介入により事件の拡大を好まず、牧口氏だけの問題として処理する結果となったものと考えていた。(中略)牧口氏の側にも次のような事情があったことが、ご隠居尊と山峰師のお話から感じられた。
牧口氏は所属寺院の歓喜寮主管堀米泰栄師(後の日淳上人)と議論し、「もう、貴僧の指導は受けない」と席を蹴って退去し、本山宿坊理境坊住職の落合慈仁師とも別れ、牧口氏に率いられる創価教育学会は茲で日蓮正宗と縁が切れ、後に戸田氏が宗門に帰参してからも、学会は寺院を離れた独自の路線をとることになった。この様な状勢の中で、天照太神に対する牧口氏の不敬事件は、個人の問題として扱われ(直達講の副講頭であった竹尾清澄『畑毛日記』/慧妙H6?)
◆「過去10年来の結果に於(おい)て創価教育学会の信仰指導には何等(なんら)の弊害(へいがい)もなかった。但(ただ)し将来は弊害がありそうである」とは、堀米尊師(※後の日淳上人)が昭和17年11月16日、学会本部に於ける幹部十数人の面前に、数回の押し問答の末に漸(ようや)く断言されたものである。(『大善生活実証録』第5回総会報告/『牧口常三郎全集』第10巻180頁または『慧妙』H18.9.16)
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終戦前には日淳上人も、学会の将来の謗法化については懸念(けねん)を表明されていた。日淳上人が創価学会の功績を賞賛されたのは、すべて牧口会長死後であり戦後である。戦後は戸田会長が御法主上人に信伏随従し折伏を積極的に行った。その戸田会長の功績と氏の師匠思いを慮られた日淳上人は、戸田会長への賞賛を牧口会長をも含めた学会全体に広げられて発言されたのであろう。
しかして、この日淳上人の予言ともいうべきお言葉は、今日、現実のものとなり、学会は「弊害」どころか現代の一凶たる大謗法団体と化したのである。
◆堀米先生に、去年堀米先生を「そしった」罰をつくづく懺悔(さんげ)しておる、と話して下さい。「法の師をそしり」し罪を懺悔しつつ「永劫の過去を現身にみる」と言っております、と(戸田城聖著『獄中書簡』/『慧妙』H13.9.1)
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僧誹謗の重罪を懺悔。「永劫の過去を現身にみる」の「現身」とは、投獄の身となったことを指すと考えられる。
●(※昭和20年7月5日)足を引きずりながら歓喜寮を訪ね、日淳上人に対して「申し訳ありませんでした。2年間、牢で勉強して、自分の間違っていたことがわかりました」といって平身低頭、深くお詫び申し上げ、さらに「これからは何もかも、お任せいたしますので、よろしく頼みます」(法照寺・石井栄純尊師が日淳上人夫人より伺った事実/『慧妙』H13.9.1)
●小罪なれども懺悔せざれば悪道をまぬがれず、大逆なれども懺悔すれば罪きへぬ(『光日房御書』全集930頁)
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★日淳上人が戦後になって、学会を最大限に讃歎されたのは、戸田会長が、戦時下の師(牧口)の僧(日淳上人)誹謗の罪を、師に成り代わって懺悔したことが前提にあると考えられる。しかし、それも、戦後の学会が、唯授一人の血脈に対する信があったればこそである。唯授一人の血脈に対する信があった過去の学会に対する評価を、そのまま現在の学会に当てはめることはできない。その証拠に、日達上人や日顕上人も過去において学会を讃歎されているが、僧宝軽視などの謗法が表れた時点では、厳しく学会を糾弾されている。
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戸田先生のおかげで、創価学会のおかげで、大法は清浄に、今日までまいりました。本宗は、戸田先生、創価学会の大恩を永久に忘れてはなりません(日淳上人/原田稔会長『聖教新聞』H19.9.8/『慧妙』H19.10.1)
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日昇上人も奉安殿に大御本尊を安置された際に「永久」の語を使用されている。すなわち「戒壇本尊奉安殿と名付け此處に戒壇本尊を永久に安置し奉るなり」と仰せになった。しかし、それからわずか17年後には、池田大作の発願によってできた正本堂に、大御本尊が遷座されたのである。このことからも分かるように「永久」という語があるからといって、必ずしも文字通りに解釈するべきではないのである。当該御発言は、当時の戸田学会に対する評価であって、この正しい信心が持続する限りにおいて、という条件付きの評価というべきであろう。
●この大御本尊を正本堂は永久に守護して奉る建築物である。(第66世日達上人・昭和48年8月)
◆昭和30年11月23日,創価学会から寄進された奉安殿に戒壇の大御本尊を安置した際,当時の日蓮正宗法主(※日昇上人)は「戒壇本尊奉安殿と名付け此處に戒壇本尊を永久に安置し奉るなり」と発言していたにもかかわらず,戒壇の大御本尊は,昭和47年10月,正本堂に遷座されていることからしても(乙3),日達(上人)の発言等は,被告・大石寺の代表役員としての,具体的に本件負担を負う旨の意思表示ではなく,日蓮正宗の法主・管長である「日達上人猊下」として,正本堂建設の宗教的意義を明らかにしたものと解するのが相当である。(H14.4.23旭川地方裁判所平成12年(ワ)第67号損害賠償請求事件判決)
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「宗教的意義」とは不変的教義信条という意味ではなく、当時の状況に即した儀礼的意義であり願望の表明と解するべきであろう。その証拠に、正本堂建立よりわずか17年前の奉安殿建立時にも「戒壇本尊奉安殿と名付け此處に戒壇本尊を永久に安置し奉るなり」(第64世日昇上人)との発言があったのである。
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牧口先生の十回忌法要の折、第56世日淳上人(当時・尊能師)は、こう仰せくださった「…牧口先生は
自解仏乗された方と私はしみじみ思う」
「自解仏乗」とは「自ら仏乗を解す」と読み、自分自身で仏の境地を悟ることである。もちろん、御本仏たる日蓮大聖人の御境涯のことである。
その上で、ここでは、日淳上人が、牧口先生の偉大なる信心の実践と境涯を賞賛しておられるお言葉と拝したい(拍手)
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『聖教新聞』にしか載(の)っていない真偽不明のものです。コメントするにあたらないですよ。(『慧妙』H20.6.16)当然、『日淳上人全集』にも掲載されていない。
<法門解釈>
●内証の上には大聖人の御弟子であることは勿論である。といつて内証のみに執して、師弟の関係を整えることが最も大事であって此れを無視するところに聖祖門下の混乱があり、魔の所行が起ってくるのである(『日淳上人全集』1443頁)
●仏法を信行する者は必らず師弟の道を尊重し師資相承の跡を尋ねその正しき法流を確めて清水を汲(く)まねばならない(第65世日淳上人『弁惑観心抄』序文)
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僧侶は師の認可によって出家できる。その師弟関係をさかのぼれば、必ず大聖人に辿り着く。それが「正しき法流」である。昭和5年に突如として出現した在家団体創価学会には「師資相承の跡を尋ね」「汲(く)まねばならない」「正しき法流」が存在しないのである。
●大聖人が仏法-最大深秘の正法と仰せ給ふ秘法、また末法には持ち難しと仰せ給ふ大法を唯(ただ)信心だけで付嘱相承し給ふと考へるのは迂愚の骨頂ではないか(第65世日淳上人『日淳上人全集』1444頁)
●申すまでもなく御相伝となりますれば直接御指南の金口嫡々の御相承や宗門の上の御教示等重々あらせられると拝しますが、それは御法主上人として大事大切なことでありまして、一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって、自ら受けることができるのであります。それ故此には従来拝読を許されてをる御相伝書を挙ぐるに止めたのでありまして、此れを以て全部であると速断してはならないのであります。(第65世日淳上人『日淳上人全集』1150頁)
●世間では仏書を読んで悟ったといって、師弟といふことを考へない人がありますが、それは仏法の正しい道ではないのであります。昔、経巻相承といふことをいって、法華経を読んで仏法を相承したと主張した顕本法華宗の祖である日什といふ人がありますが、此れは自分勝手にいふことで、法華経の中には日什といふ人に相承したといふ証明はないのであります。仏法に於ては師資相承がなければいけないのであります。また信心相承などといって信心を以て相承したなどといふ人がありますが、信心は仏法の基盤でありますが、相承はその上に於ける仏法の承継の問題であります(『日淳上人全集』上巻605頁)
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現在の学会の、唯授一人相承の軽視や、経巻相承のごとき「御書根本」「大聖人直結」という邪義を破折されている。(『慧妙』H19.10.1)
【日達上人】
************************************************************ ◆『観心本尊抄』に曰く「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」と。(略)今や池田会長は
四菩薩の跡を継ぎ、折伏の大将として広宣流布に進軍しております。(第66世日達上人『大白蓮華』S39.1)
◆今、幸に宗教の自由が許され、本当に民主的時代になった今日、ここに幸にして、我々は法華講大指導者が、出現せられたのでございます。誠に今日この指導者が出たということは、恐らくこの時代に広宣流布をさせんがために、仏様がそうした、大聖人様がそうなさった、と推測するものでございます(第66世日達上人 S46.9.1 法華講富士会館創立5周年記念法要)
(wt:4212)
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大聖人御在世の信徒に対しても、四菩薩の再誕であるかのような讃歎をされたことがある(上記1●~4●)。しかして、現在、正しい信仰をしている者でも、それを生涯貫くことができるかどうかは不定である。その意味では、ある時期に"地涌の眷属としての振る舞い"をしていた者が、後に退転して反って叛逆する場合も多い。波木梨などは、その例であろう。いくら布教をしても根本(唯授一人の血脈に対する信)を忘れた者は、地涌の菩薩ではないのである(上記5●)。
●日蓮正宗の教義が、一閻浮提に敷衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。
皆さまの今の時に、もし日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ、日蓮正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまったということになるのであります。(第66世日達上人・富士学林研究科開講式 S49.6.18/『慧妙』H14.5.16)
●「御本尊様だけあればよいんだ。血脈などどうでもよい」などと言うような信者ができてきたとするならば、非常に残念であります。
どうか諸君は、一生懸命に大聖人の仏法を守ってください。日蓮正宗の真義を、本当の教義をどこまでも守り、いかなる邪魔者があろうとも、たとえ信者が無くなっても、自分一人になっても日蓮正宗の教義を守る覚悟でいていただきたい。(第66世日達上人『蓮華』S53.4)
<法門解釈>
●さてそこで、もう一歩深く考えて、その信心といい、血脈といい、法水というところの法水は、どこから出てくるか、ということがもっとも大切であります。それは、我が日蓮正宗においては日蓮大聖人の御当体たる本門戒壇の大御本尊であります。ゆえに、大聖人の仏法を相伝しなければ、大聖人の仏法の血脈は流れないであります。 大聖人は『一代聖教大意』に、
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(御書92、全集398頁)
と申されております。また日寛上人は、「口伝にあらざれば知り難し、師資相承故あるかな」と申されております。師資相承とは師より弟子に相承することであります。(第66世日達上人『大日蓮』S53.9)
●「御抄を心肝に染め極理を師伝」すべきことは、2祖日興上人の御遺訓である。仏法を学び、大聖人の御書をよく拝することはできても、極理を師伝しなければ、とかく異義を構え異説に走りやすいので、大いに心に戒めなければならない。(第66世日達上人『蓮華』S51.1)
●だから相伝によって、皆、諸君は師匠から教わり、先輩から教わってきておる。そのとおり身につけて、学んでゆくということがもっとも大切なのである。自分勝手な解釈で、御書を読んでもいろいろ解釈できる場合がある。(第66世日達上人『大日蓮』S49.10)
●当宗では、血脈なくして御本尊様を書写し奉ることはできない。もし、血脈などいらないというのならば、身延の人が書いた本尊でもよい、誰が書いてもよいではないか。(第66世日達上人・第17回妙観会・昭和53年3月31日)
●さてそこで、もう一歩深く考えて、その信心といい、血脈といい、法水というところの法水は、どこから出てくるか、ということがもっとも大切であります。それは、我が日蓮正宗においては日蓮大聖人の御当体たる本門戒壇の大御本尊であります。ゆえに、大聖人の仏法を相伝しなければ、大聖人の仏法の血脈は流れないであります。
大聖人は『一代聖教大意』に、
「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(御書92、全集398頁)
と申されております。また日寛上人は、「口伝にあらざれば知り難し、師資相承故あるかな」と申されております。師資相承とは師より弟子に相承することであります。(第66世日達上人『大日蓮』S53.9)
●先日、東北のある県で、"御本尊に向って、ある人(池田を指す)を心に思い浮かべてお題目を唱えろ"ということを指導した人がある。(中略)じつに残念なことでございます。それでは謗法の念慮(ねんりょ)を絶したということにはならない(『日達上人全集』2-7-136頁/『慧妙』H19.10.1)
●長い間において学会が、宗門の法義の上において間違ってきてしまった、それを指摘して、なんとか直して、昔の純粋なる信心のもとに立ち直ってもらいたい。(中略)功績が大きいからといって教義を間違えて宗門から逸脱(いつだつ)してしまえば、これは何も役に立ちません(『日達上人全集』2-7-327頁/『慧妙』H19.10.1)
★日達上人や日淳上人の御指南を利用して、自己の正当化に躍起になっている学会であるが、同じ方の御指南でも、自分達に都合の悪いことは全て無視している。まことに学会とは、無節操な御都合主義の団体である。
【学会の変節】
◆釈尊出世の本懐としての法華経を、今日において我々が理解するには、その予証どおりに出現して、これを実生活に証明された日蓮大聖人を信じ奉り、説のごとく実践躬行(きゅうこう)して価値を体験し、証得する以外に途(みち)はない。それをするためには、唯一の正統たる日興上人門流として、61世を重ねつゝある日蓮正宗の総本山大石寺の教義に従って、忠実純真に、三大秘法、すなわち法華本門の本尊に、法華本門の戒壇において、法華本門の題目を唱え奉る外には絶対にない。(略) 正法は正師につくにあらざれば、証得し能(あた)わぬとはこの意味である(『牧口常三郎全集』第8巻69頁/『慧妙』H15.12.16)
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この中の「正師」とは、すなわち第2祖日興上人と歴代の御法主上人である。学会ではこの「正師」とは日興上人のみである、と反論するのだろうが、牧口会長は「日興上人門流」と述べたのち「61世を重ねつゝ」と言っており、これが日興上人以来の歴代を指すことは明らかである。しかも、歴代上人によって伝えられる大石寺の教えに従って三大秘法を持つ以外に、法華経を理解する方法は絶対にない、と述べているのである。
変↓節
御書をそのまま研鑚し、信を深めていくことが、信心の要諦である。法主を通せ、などという権威の宗教とは対極にあるのが、宗祖の大慈悲である(『創価新報』H15.12.3/『慧妙』H15.12.16)
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◆血脈否定こそは、日蓮正宗の根本教義の否定であり、究極の悪業ではないでしょうか。故にこれをいかに糾弾してもしすぎることはないものと考えます。その意味では、正信会の輩が血脈の否定にいかなる口実をかまえようとも、ことの本質は彼らの信心の根本の狂いにある。(H3.1.1付文書「『お尋ね』に対する回答」秋谷栄之助)
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これは、第2次宗創問題勃発後の公式見解である。文中「血脈否定」とは、正信会が唯授一人の血脈を否定したことを指す。学会自身、唯授一人の血脈を否定することを「日蓮正宗の根本教義の否定であり、究極の悪業」だとしていたのである。
変↓節
日蓮大聖人の全生命は、仏意仏勅の広宣流布を遂行する創価学会に流れています。創価学会という和合僧団を離れて、大聖人の血脈も、信心の血脈も絶対にありえません(池田大作『大白蓮華』H14.7)
―「だから学会の教義逸脱が発覚したんですよ!」―
(『慧妙』H18.4.16)
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〈学会男子部〉日達上人は昭和44年1月に、寺族に対して『人間革命』や『大白蓮華』を読むように言っている。法華講がこれらの書物を謗法呼ばわりするのは、日達上人に対する冒涜(ぼうとく)以外の何ものでもないじゃないか。
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〈法華講員〉そのお言葉は、たしか第1回寺族指導会におけるお言葉ですよね。よく学会員が、『人間革命』の記述が正しかったと証明したいために、そのお言葉を悪用しますよね。
しかし、よく読んでみると、まったく違うじゃないですか。あなたがたは、日達上人の
「『人間革命』を読んでいただきたい」
という部分だけを引用するけど、全体のお言葉の主旨は、寺族の若い方々が、これから学会の座談会に出るということが決まって、何かをしゃべるような時に、あらかじめ学会をよく理解しておいた方がよい、ということでのお言葉ですよ。つまり「読んでおいた方がいい」と言われただけで、内容を肯定されたものじゃない。このように日達上人のお言葉を、自分たちの都合で悪用するということは、とんでもない謗法ですね。
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〈学会男子部〉でも、実際に日達上人は『人間革命』や『大白蓮華』を読んで良かったから、寺族にも勧(すす)めたんでしょ。
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〈法華講員〉そりゃ、一部は読まれたり、内容を聞かれたとは思いますが、だからといって、内容をすべて把握(はあく)されているはずはありませんね。そもそも、日達上人はあれだけ学会のことを信頼されていたのですから、まさか、その機関誌に謗法の記述があるなんて思われていなかったでしょう。また、そのような日達上人のお勧めによって読んだ方々が、徐々に「何かおかしいぞ」ということに気付かれ、全部調べてみたところ、そこらじゅうに謗法の記述があり、学会の教義逸脱(いつだつ)が浮き彫りになったんじゃないですか。
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〈学会男子部〉44年のお言葉から、10年近くたってからマズイ記述が発覚したとでも言うのか。そんな証拠がどこにある。
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〈法華講員〉ありますよ。これは昭和54年のお言葉ですけど、
「最近わかったのですけれども、既(すで)に昭和38、9年頃から『会長が仏だ』という話は出ておるんです。それを我々は知らなかった。なぜ知らなかったというと、あの時分はよく地方にブロックに行って、学会の若い人、あるいは教授となった人、あるいは教授補という人が、御書の講義をして歩いておりました。そのうちのある地方に行って、こういうことを言っておるんです。これは最近わかったことで、私もびっくりしておるんでこざいます。(中略)それを、我々は愚にして知らなかった。まことに残念であります。昭和38・9年の頃からもう既に16・7年に及ぶ。その間に積み重ねてきた教義の間違いというものは、一朝一夕に直そうといっても、なかなかできない。だから今この紛争が起きておるんです」(昭和54年3月31日・妙観会の砌〈みぎり〉)
と仰せです。これらのお言葉を拝すると、日達上人は「会長が主師親」とか「会長に帰命」などと学会が言っていたことを御存知なかった、ということが明らかじゃないですか。そして、それが浮き彫りになってきたため、昭和49年頃から是正させようと、いろいろな機会でその誤りを指摘されていますよ。
たとえば、昭和49年の4月25日・法華講春季登山の砌、
「最近あるところでは、新しい本仏ができたようなことを宣伝しておるということを薄々聞きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。正宗の信徒とは言えません。そういう間違った教義をする人があるならば、法華講の人は身をもってくい止めていただきたい。これが法華講の使命と心得ていただきたい。法華講は実に日蓮正宗を護(まも)るところの人々である。日蓮正宗を心から信ずるところの人々であります。(中略)広宣流布はしなければならん、けれども教義の間違った広宣流布をしたら大変であります」
と仰せになられています。個人名・団体名こそ伏せられていますが、池田創価学会の事であるのは明白ですね。
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●この辺でも、最近、『人間革命』が御書だということを盛んに言われてきております。私の耳にもしばしば入ってきています。又、誰れが本仏であるという言葉も、この近所で聞かれるのであって、私は非常に憂慮しています(中略)日蓮正宗の教義が、一閻浮提に布衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります。皆様の時に、もし、日蓮正宗の教義でなし、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、決して、我々は喜ぶべきでないし、大聖人が、お喜びになるとは思いません。むしろ、正宗の精神が、なくなってしまった、消滅してしまったということになるので、非常に悲しいことであり、我々の責任は重大であります(中略)どうか、一時の富貴を喜ばないで、大聖人の根本の仏法をどこまでも貫いて頂きたいと思います(第66世日達上人『大日蓮』S49.8/『大日蓮』H16.12)
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◆当(まさ)に知るべし、此(こ)の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責(かいしゃく)し、摂受(しょうじゅ)を行ずる時は僧と成って正法を弘持(ぐじ)す(『観心本尊抄』御書661頁)
◆折伏に二義有り。一には法体(ほったい)の折伏。謂(い)わく「法華折伏、破権門理」の如し。蓮祖の修行是れなり。二には化儀の折伏。謂わく、涅槃経(ねはんぎょう)に云わく「正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応(まさ)に刀剣(とろけん)弓箭(きゅうせん)鉾槊(むさく)を持すべし」等云云。仙予(せんよ)国王等是れなり。今化儀の折伏に望み、法体の折伏を以て仍(なお)摂受と名づくるなり。或は復(また)兼ねて順縁広布の時を判ずるか(第26世日寛上人『観心本尊抄文段』)
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地涌の四菩薩は、妙法の法体を建立する「法体の折伏」を行ずる時には聖僧・日蓮大聖人として現われ、建立された法体を広宣流布する「化儀の折伏」を行ずる時には在家の賢王・広宣流布の総大将たる池田センセーとして現われる。しかして、大聖人の「法体の折伏」は、賢王の「化儀の折伏」に対するときには摂受となってしまう。
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一仏の化導には種・熟・脱の段階がある。下種された衆生は、同じ仏によって熟脱の教化に浴することによって成仏の本懐を遂げる。そのために、下種と熟脱と2度、衆生教化のために出現される。しかしながら、1度下種のために出現された仏が、再び同じ国土に同じ時(末法今時)に出現されるなどということはない。それでは、仏が、最初に出現されたときに、下種の法体建立という本懐を遂げなかったことになってしまう。
1●日蓮が道をたすけんと上行菩薩・貴辺の御身に入りかはらせ給へるか又教主釈尊の御計いか(『四条金吾殿御返事』全集1163頁)
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大聖人は四条金吾殿に対しても上行菩薩だと仰せになっている。
2●今の国主も又是くの如し現世安穏後生善処なるべき此の大白法を信じて国土に弘め給はば万国に其の身を仰がれ後代に賢人の名を留め給うべし、知らず又無辺行菩薩の化身にてやましますらん、又妙法の五字を弘め給はん智者をばいかに賎くとも上行菩薩の化身か又釈迦如来の御使かと思うべし(『法華初心成仏抄』全集550頁)
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「大白法を信じて国土に弘め」ようとする「国主」を「無辺行菩薩の化身」と仰せである。
3●阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし、浄行菩薩うまれかわり給いてや(『阿仏房御書』全集1304頁)
4●「経に四導師有りとは今四徳を表す上行は我を表し無辺行は常を表し浄行は浄を表し安立行は楽を表す、有る時には一人に此の四義を具す二死の表に出づるを上行と名け断常の際を踰ゆるを無辺行と称し五住の垢累を超ゆる故に浄行と名け道樹にして徳円かなり故に安立行と曰うなり」と今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり(『御義口伝』全集751頁)
★以上のように、四菩薩とは四徳を表したものであり、大聖人の弟子旦那は皆「地涌の流類」である。その意味から、その人が地涌の菩薩の振舞いをし、その徳が現われていることを指して、弟子旦那に対しても四菩薩の化身、生まれ変わり等の指南がある。つまり、このような御指南があっても直ちに文字通りの意義がある訳ではないのである。
●涅槃経に云く「内には智恵の弟子有て甚深の義を解り、外には清浄の檀越有て仏法久住せん」云云。(『曽谷入道殿許御書』全集1038頁)
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僧俗には役割の違いがある。僧侶不要を主張する在家教団・池田学会は、僧俗一体の正しい広布を実践する資格がない。従って、どんなに数を増やそうとも「地涌の菩薩」「賢王」とは成り得ないのである。
●戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり(『三大秘法抄』全集1022頁)
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在家である有徳王は、命がけで覚徳比丘を守護した。化儀の折伏とは、僧俗一体で行われるものであり、この僧俗一体における弘通を指揮・統率されるのが御法主上人である。この点を無視した池田学会は、絶対に真の広布の推進者とは成り得ないのである。
【日淳上人】
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◆此れを以て考えますと将来の歴史家に立宗七百年以前は宗門の護持の時代とし、以後を流通(るつう)広布の時代と定義するであろうと思われます(中略)七百年の歴史は一に広宣流布を待望しつつ堅く護持してきた時代と申すべきでありましょう。しかし末法に入って千年のうち、はやくも九百年は過ぎました。もとより末法は千年に区切ることはありませんがともかく千年の終りに近づいて開宗七百年を転期として一大流布に入ったということは正法流布の上に深い約束があるのではないかと感ぜられるのであります。これを思うにつけても創価学会の出現によって、もって起った仏縁に唯ならないものがあると思います(第65世日淳上人『日淳上人全集』1620頁)
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「法体の折伏」「化儀の折伏」からいえば、宗門僧侶の使命は「法体の折伏」という「折伏の上の摂受(しょうじゅ)」にあったといえる。事実、宗門700年の歴史を振り返ると、広布の時に備え、どうにか大御本尊を護持してきた「折伏の上の摂受の時代」であったと言わざるを得ない。しかしながら、「賢王(けんのう)」の団体・創価学会の出現によって情勢は一転し待望の「化儀の折伏」「折伏の上の折伏」の時代に突入した。ここに、1人、絶対者たる法主が御本尊の大権を所有し、教団を統率していた草創の「護持の時代」は終わりを告げ、いよいよ「一閻浮提総与」との大御本尊の意義にふさわしく、広宣流布の和合僧団・創価学会が御本尊を護持し、流通していく「時」を迎えた。(『聖教新聞』H5.9.20取意)
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この第65世日淳上人のお言葉は、昭和31年のものです。
このころの創価学会は、時の御法主上人の御指南のもと、戸田会長を中心に、正しく日蓮大聖人の仏法を弘教していました。
ですから、前のような日淳上人の賛辞があったのです。
まして、第2次大戦以前の我が国の宗教政策にあっては、布教の自由はないに等しい状況であったのです。
その後、新憲法によって信教の自由が許され、戦後の荒廃(こうはい)した時代にあって、学会は、日蓮正宗の信徒の団体として、めざましい発展を遂(と)げました。
しかしながら、今日の学会は、その本来の使命を忘れた邪悪な教団となっており、日蓮大聖人の仏法を広宣流布する資格はなくなっています。
かつて、池田大作氏は学会の本来の使命について、次のように述べています。
「この日蓮正宗の信徒として、御法主日顕上人猊下の御説法を拝しつつ、永遠にわたる人類平和のために、正法を基調として、個人の幸福と世界の平和を結ぶ文化、平和の基盤を営々と築いていくところに創価学会の使命がある」(『広布と人生を語る』第1巻146頁)
「日蓮正宗の、根本中の根本は、ご存じのとおり、本門戒壇の大御本尊であられる。その大御本尊と日蓮大聖人以来の血脈を代々受け継がれる御法主上人がおいでになり、700年にわたる伝統法義が厳然とある。この正宗の根本軌道に則った信心こそが、正しき信心であり、無量の功徳があるわけである。みずからの信心の濁りや驕慢(きょうまん)から、その根本軌道を失ってはならない」(『広布と人生を語る』第6巻41頁)
このように池田氏は、真の広宣流布は本門戒壇の大御本尊と血脈付法の御法主上人を抜きにしてはありえないといっていたのですが、我が身の慢心を指摘されるや、今日のように学会を大謗法集団にしてしまったのです。
したがって今日の学会には、大聖人の仏法を弘める資格もなくなり、いかに「いよいよ『一閻浮提総与』との大御本尊の意義にふさわしく、広宣流布の和合僧団・創価学会が御本尊を護持し、流布していく『時』を迎えた」と力んでみても、所詮(しょせん)、彼らの思い込み、一人よがりの戯言(たわごと)でしかありません。
「一閻浮提総与の御本尊」とは、「世界中の一切衆生の即身成仏のために、建立された根本の御本尊」との意味であり、この大御本尊は法体相承として歴代の御法主上人に相伝されているのです。それを「われわれに与えられた御本尊」と曲解するのは、憍慢(きょうまん)謗法以外の何ものでもありません。(『創価学会「ニセ本尊」破折100問100答』)
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「学会の積極的な折伏行によりまして、(略)時がきたんではないかと、こういう風に私は考えます」(第65世日淳上人昭和33年6月8日の第7布教区説法『日淳上人全集』272頁)とし、観心本尊抄の「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」について、「大聖人が衣をつけて僧の形をとつている限りは、これは何といつたつて摂受になる(略)『この菩薩折伏を行ずる時は』とおつしやつておる。それは又菩薩が王法に出現なされるということになつておる」(同277頁)(wt:4213)
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大聖人(または御僧侶)の振る舞いと、在家の振る舞いを対比された御指南である。その意味では、学会に限らず、正法を護持し折伏をしている在家は皆「賢王」である。現に、本山(御法主)に信伏随従し、布教に励んでいたからこそ、学会に対しても、激励の意味で上記のように仰せられたのである。
5●申すまでもなく御相伝となりますれば直接御指南の金口嫡々の御相承や宗門の上の御教示等重々あらせられると拝しますが、それは御法主上人として大事大切なことでありまして、一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順し奉ることによって、自ら受けることができるのであります。それ故此には従来拝読を許されてをる御相伝書を挙ぐるに止めたのでありまして、此れを以て全部であると速断してはならないのであります。(第65世日淳上人『日淳上人全集』1150頁)
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「一般の僧侶や信徒としては御法主上人に随順」することによって大聖人よりの血脈・相伝を「自ら受けることができる」のである。
★いくら、布教をしていても根本である唯授一人の血脈に対する信が欠如したのでは、正法を行じているとはいえない。従って、過去において折伏をしていた学会を「賢王」「菩薩」と讃歎されたとしても、根本(唯授一人の血脈に対する信)を忘れた現在の学会には当てはまらない。
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>「聖人の御教示と牧口先生の観ずる世界と、少しも相違していないといへませう」(第65世日淳上人・昭和22年10月19日・創価学会第2回総会講演『日淳上人全集』295頁)
「もとより、妙法の信に住せられた先生が、日蓮聖人の折伏の行軌を追はれたのはいふまでもありませんが、しかしそれは、追はれたといふより先生の生来の行き方が、妙法により開顕され点眼されたといふのが当つてをると思ひます」(同296頁)
「かやうに考へる私は先生が、法華によつて初めて一変された先生でなく、生来仏の使であられた先生が、法華によつて開顕し、その面目を発揚なされたのだと深く考へさせられるのであります。そうして先生の姿にいひしれぬ尊厳さを感ずるものであります。」(同)
>「御承知の通り法華経の霊山会において上行を上首として四大士があとに続き、そのあとに六万恒河沙の大士の方々が霊山会に集まつて、必ず末法に妙法蓮華経を弘通致しますという誓いをされたのでございます。その方々が今ここにでてこられることは、これはもう霊山会の約束でございます。その方々を会長先生が末法に先達になつて呼び出されたのが創価学会であろうと思います。即ち妙法蓮華経の五字七字を75万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」(第65世日淳上人・昭和33年5月3日・創価学会第18回総会講演『日淳上人全集』357頁)
(wt:4212)
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日蓮正宗の信徒として折伏をしている人は、学会に限らず皆、地涌の菩薩の眷属であることは法華経の記述や大聖人の御指南から明らかなことである。当然、ここで言う地涌の菩薩=大聖人の再誕、という意味ではない(1●~4●)。この"当たり前のこと"を、学会の会合において"学会の立場に即して"述べられたに過ぎない。しかして、現在、正しい信仰をしている者でも、それを生涯貫くことができるかどうかは不定である。その意味では、ある時期に"地涌の眷属としての振る舞い"をしていた者が、後に退転して反って叛逆する場合も多い。波木梨などは、その例であろう。いくら布教をしても根本(唯授一人の血脈に対する信)を忘れた者は、地涌の菩薩ではないのである(5●)。
●牧口氏の所謂不敬罪事件について、私は宗務当事者が特高課の追及を恐れ、また特高課が宗門の介入により事件の拡大を好まず、牧口氏だけの問題として処理する結果となったものと考えていた。(中略)牧口氏の側にも次のような事情があったことが、ご隠居尊と山峰師のお話から感じられた。 牧口氏は所属寺院の歓喜寮主管堀米泰栄師(後の日淳上人)と議論し、「もう、貴僧の指導は受けない」と席を蹴って退去し、本山宿坊理境坊住職の落合慈仁師とも別れ、牧口氏に率いられる創価教育学会は茲で日蓮正宗と縁が切れ、後に戸田氏が宗門に帰参してからも、学会は寺院を離れた独自の路線をとることになった。この様な状勢の中で、天照太神に対する牧口氏の不敬事件は、個人の問題として扱われ(直達講の副講頭であった竹尾清澄『畑毛日記』/慧妙94?)
◆「過去10年来の結果に於(おい)て創価教育学会の信仰指導には何等(なんら)の弊害(へいがい)もなかった。但(ただ)し将来は弊害がありそうである」とは、堀米尊師(※後の日淳上人)が昭和17年11月16日、学会本部に於ける幹部十数人の面前に、数回の押し問答の末に漸(ようや)く断言されたものである(『大善生活実証録』第5回総会報告/『慧妙』H18.9.16)
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終戦前には日淳上人も、学会の将来の謗法化については懸念(けねん)を表明されていた。日淳上人が創価学会の功績を賞賛されたのは、すべて牧口会長死後であり戦後である。戦後は戸田会長が御法主上人に信伏随従し折伏を積極的に行った。その戸田会長の功績と氏の師匠思いを慮られた日淳上人は、戸田会長への賞賛を牧口会長をも含めた学会全体に広げられて発言されたのであろう。
しかして、この日淳上人の予言ともいうべきお言葉は、今日、現実のものとなり、学会は「弊害」どころか現代の一凶たる大謗法団体と化したのである。
◆堀米先生に、去年堀米先生を「そしった」罰をつくづく懺悔(さんげ)しておる、と話して下さい。「法の師をそしり」し罪を懺悔しつつ「永劫の過去を現身にみる」と言っております、と(戸田城聖著『獄中書簡』/『慧妙』H13.9.1)
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僧誹謗の重罪を懺悔。「永劫の過去を現身にみる」の「現身」とは、投獄の身となったことを指すと考えられる。
●(※昭和20年7月5日)足を引きずりながら歓喜寮を訪ね、日淳上人に対して「申し訳ありませんでした。2年間、牢で勉強して、自分の間違っていたことがわかりました」といって平身低頭、深くお詫び申し上げ、さらに「これからは何もかも、お任せいたしますので、よろしく頼みます」(法照寺・石井栄純尊師が日淳上人夫人より伺った事実/『慧妙』H13.9.1)
★日淳上人が戦後になって、学会を最大限に讃歎されたのは、戸田会長が、戦時下の師(牧口)の僧(日淳上人)誹謗の罪を、師に成り代わって懺悔したことが前提にあると考えられる。しかし、それも、戦後の学会が、唯授一人の血脈に対する信があったればこそである。唯授一人の血脈に対する信があった過去の学会に対する評価を、そのまま現在の学会に当てはめることはできない。その証拠に、日達上人や日顕上人も過去において学会を讃歎されているが、僧宝軽視などの謗法が表れた時点では、厳しく学会を糾弾されている。
【日達上人】
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>観心本尊抄に曰く「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」と。(略)今や池田会長は四菩薩の跡を継ぎ、折伏の大将として広宣流布に進軍しております。(第66世日達上人『大白蓮華』S39.1)
>今、幸に宗教の自由が許され、本当に民主的時代になった今日、ここに幸にして、我々は法華講大指導者が、出現せられたのでございます。誠に今日この指導者が出たということは、恐らくこの時代に広宣流布をさせんがために、仏様がそうした、大聖人様がそうなさった、と推測するものでございます(第66世日達上人・昭和46年9月1日・法華講富士会館創立五周年記念法要)
(wt:4212)
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大聖人御在世の信徒に対しても、四菩薩の再誕であるかのような讃歎をされたことがある(1●~4●)。しかして、現在、正しい信仰をしている者でも、それを生涯貫くことができるかどうかは不定である。その意味では、ある時期に"地涌の眷属としての振る舞い"をしていた者が、後に退転して反って叛逆する場合も多い。波木梨などは、その例であろう。いくら布教をしても根本(唯授一人の血脈に対する信)を忘れた者は、地涌の菩薩ではないのである(5●)。
●日蓮正宗の教義が、一閻浮提に敷衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。 皆さまの今の時に、もし日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ、日蓮正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまったということになるのであります。(第66世日達上人・富士学林研究科開講式・昭和49年6月18日/『慧妙』H14.5.16)
●さてそこで、もう一歩深く考えて、その信心といい、血脈といい、法水というところの法水は、どこから出てくるか、ということがもっとも大切であります。それは、我が日蓮正宗においては日蓮大聖人の御当体たる本門戒壇の大御本尊であります。ゆえに、大聖人の仏法を相伝しなければ、大聖人の仏法の血脈は流れないであります。 大聖人は『一代聖教大意』に、 「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(御書92、全集398頁)と申されております。また日寛上人は、「口伝にあらざれば知り難し、師資相承故あるかな」と申されております。師資相承とは師より弟子に相承することであります。(第66世日達上人『大日蓮』S53.9)
●「御抄を心肝に染め極理を師伝」すべきことは、二祖日興上人の御遺訓である。仏法を学び、大聖人の御書をよく拝することはできても、極理を師伝しなければ、とかく異義を構え異説に走りやすいので、大いに心に戒めなければならない。(第66世日達上人『蓮華』S51.1)
●「御本尊様だけあればよいんだ。血脈などどうでもよい」などと言うような信者ができてきたとするならば、非常に残念であります。 どうか諸君は、一生懸命に大聖人の仏法を守ってください。日蓮正宗の真義を、本当の教義をどこまでも守り、いかなる邪魔者があろうとも、たとえ信者が無くなっても、自分一人になっても日蓮正宗の教義を守る覚悟でいていただきたい。(第66世日達上人『蓮華』S53.4)
●だから相伝によって、皆、諸君は師匠から教わり、先輩から教わってきておる。そのとおり身につけて、学んでゆくということがもっとも大切なのである。自分勝手な解釈で、御書を読んでもいろいろ解釈できる場合がある。(第66世日達上人『大日蓮』S49.10)
★日達上人や日淳上人の御指南を利用して、自己の正当化に躍起になっている学会であるが、同じ方の御指南でも、自分達に都合の悪いことは全て無視している。まことに学会とは、無節操な御都合主義の団体である。
【諸法実相抄】
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◆日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや。(略)末法にして妙法蓮華経の五字弘めん者は男女はきらふべからず。皆地涌の菩薩の出現にあらずんば唱へがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第にとなへつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義にあらずや。剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地をまととするなるべし(『諸法実相抄』)(wt:4212)
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●只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ(『生死一大事血脈抄』全集1338頁)
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生死一大事の血脈は、釈尊から上行菩薩への別付属に由来する。この付嘱を日興上人が受けられたことは『身延相承書』に明らか。↓
●日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す、(中略)血脈の次第 日蓮日興(『身延相承書』全集1600頁)
●釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。(中略)背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり(『池上相承書』全集1600頁)
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上記「日蓮と同意」とは、大聖人滅後においては"日興上人に同意"ということである。なぜなら、いくら"私は大聖人の直弟子であり、大聖人の御指南のままに修行している"と言い張っても、日興上人に「背く在家出家共の輩は非法の衆」となってしまうからである。
●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。(日寛上人『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版271頁)
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この御文は「金口嫡々・法水」の血脈相承のことである。「塔中及び蓮・興・目」とあるように、塔中における上行菩薩への別付嘱が、唯授一人血脈相承として歴代上人に伝わっている。
★つまり、「生死一大事の血脈」とは、釈尊→上行菩薩(大聖人)→日興上人→日目上人→と続く別付嘱に由来するものなのである。「異体同心」の「同心」とは、別付嘱を受けられた方への同心であることは明らか。
★従って「日蓮と同意」とは、大聖人滅後においては"唯授一人の血脈を受けられた方と同意"という意味である。
【神力品の付嘱】
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法華経における「付嘱」とは、神力品に説かれるように、仏から、教えの肝要と滅後の弘教を進める"使命"を託されることをいう。地涌の菩薩が悪世末法に妙法を広宣流布するために付嘱を受けた。そして大聖人が
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書666頁)
との仰せのように、創価学会こそが「日蓮と同意」であり、この大聖人の教えを信受して、大聖人の御精神のとおりに広布の実践に励む私たち1人ひとりが地涌の菩薩なのである。(「悪世に法華経を弘めるのは誰か」『聖教新聞』H16.4.29要旨)
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彼らのこのような慢心の言には、まったくもって、何の根拠もない。
創価学会が宗祖と同意であるか否か、については、『身延山付嘱書』の
「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり」(全集1600頁)
との御金言に照らせば、宗祖以来の血脈に「背く在家」たる彼らが宗祖と同意である所以(ゆえん)など、芥子(けし)粒ほども存在しないことは明らかである(上記【諸法実相抄】参照)。
それにも拘(かか)わらず、法華経神力品における「地涌の菩薩への付嘱」を「文証」として、創価学会員への付嘱であるかのように論じるなど、牽強付会も甚(はなは)だしい。
戦時中に一時壊滅し、戦後、雨後の竹の子のようににわかに発生した「新興宗教の1つ」に過ぎない創価学会は、日蓮正宗の存在なくして、宗祖との「つながり(付嘱)」を主張することは不可能である。(『慧妙』H16.6.1編集)
[画像]創価学会にこそ付嘱があるかのごとく書き殴る『聖教新聞』H16.4.29
(常聰院日如御尊能化『富士の法統』妙教編集室)
【学会の体質】
〈編修部〉創価学会の体質をどのようにお考えになりますか?
〈常聰院〉まさに池田教そのものだね。あの52年路線の時なんかも、幹部たちは、池田は仏様だと言わんばかりに「先生は違う」「先生は我々凡人とは違うのですよね」と盛んに吹聴していたでしょ。だから本当に、学会というところは徹底した池田中心の組織で、何でも池田大作の言う通りになってしまうね。ただ52年路線の決着後しばらくの間、大勢が宗門の猊下に従うことがはっきりした時は、池田大作の取ってきた路線が間違いだったと思った人たちは結構いたのではなかったかな。だから「もし、宗門と学会が別れるようなことがあったら、私は宗門につきます」なんていう人たちもずいぶんいたようだね。
今回もそういう人がいたが、でも結局はダメだった。彼らは、「もし学会が本尊を造るようなことがあれば、私は脱会する」って言っていたんだけどね…。ニセ本尊造ったって脱会しないものね。彼らをコントロールしているのは一体何なのだろうな?と思うね。
【脱会できない理由】
〈編集部〉生活権をにぎられているからではないのですか?
〈常聰院〉そうだね。学会で働いている人たちはもちろん完全に生活権を握られているね。それ以外に、学会に関連のある事業をしている人たちにとっても同じように生活権をにぎられている。でもそれだけではないね。彼らの選挙活動なんか見ると、選挙大好き人間みたいなのか結構大ぜいいるからね。こうしたことは本来の日蓮正宗の信仰とは違う異質のものを感ずるね、何か得体の知れない力だね。
〈編集部〉権力団体としての魅力なのでしょうかね?
〈常聰院〉うーん。確かにそういう側面もあるだろうね。何か我々とは違う感覚、池田大作に対する一種独特の憧憬(しょうけい)がカリスマ化されて、巨大な力を生み出し、それが又、魔力のような力となり、さらに団体性とからみあって力を増大する。その上、途方もない集金力やいつの間にか身につけた権力、そんなものが重なり合って、いつしか巨大なる力となってくる。だからそんな力のあるところから抜け出せないでいるんじゃないかな。でもそれは本来の日蓮正宗の信仰とは全く違うものだよね。単に欲界の世界だ。
だから学会を相手にするのは大変だけれど、信仰の上からこれを打ち崩していくのは我々しかいないからね。他の団体は絶対にできませんよ。後は内部崩壊だね。彼らは内部から崩れていく。日蓮正宗の正しい信仰を見失った今、意外と内部から崩れていく方が早いかも知れないね。1つの組織が亡びる原則はそれだからね。
〈編集部〉もう学会は亡びる状況になってきていますよね。金銭の不祥事なんかもすごく多いし。
〈常聰院〉そうだね、いろんな話を聞くけれど。金庫事件や着服事件など。学会は表沙汰にしないけれど。
―破邪顕正のない単なる「勧誘」―
<「法体の折伏」と「化儀の折伏」>
学会では「法体の広宣流布」「化儀の広宣流布」という語も用いるが、そのような仏法用語はない。
まず、「法体の折伏」とは、御本仏日蓮大聖人が、諸宗の教義・本尊を打ち破られ、一切衆生を救う久遠元初の根本法の法体として、三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊を御図顕あそばされたことをいう。
そして、「化儀の折伏」とは、邪宗謗法を破折して、日蓮大聖人が顕わされた三大秘法の正法正義を広く世に流布し、1人でも多くの人々にこの正法の信仰を受持させていくことをいう。
我々が行なうのは、まさに、この化儀の折伏に他ならない。
<折伏の在り方>
●法門をもて邪正をただすべし(『唱法華題目抄』全集16頁)
●日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきをたすけんがために申す法門なり(『種種御振舞御書』全集913頁)
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正法を誹謗(ひぼう)する故に重い罪障を刻み、今生においてもさまざまに悩み苦しみ、死んだ後も無間地獄へ堕ちていく一切衆生を憐(あわ)れんで、正法を説いてくださったのである。
●誰人にても坐せ諸経は無得道・堕地獄の根源・法華経独り成仏の法なりと音も惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ(『如説修行抄』全集504頁)
●慈無くして詐(いつわ)り親しむは是(こ)れ彼が怨なり。(中略)彼が為に悪を除くは即(すなわ)ち是れ彼が親なり(『真言諸宗違目』全集139頁)
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相手を不幸にする原因(悪)を明らかにして取り除いてあげる行為であり、邪宗の邪宗たる所以(ゆえん)や謗法の恐ろしさを教えて、それをやめさせ、正法に帰伏させることである。
●日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべ(『佐渡御書』全集961頁)
<学会の「折伏」観>
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>自他の魔性との戦い=折伏(学会機関紙)
>折伏は、自他の仏性を信ずる信念の実践、人を敬(うやま)う最高の行動(同)
>折伏とは「真実を語る」こと(同)
>(折伏は)諸宗にひそむ魔性を打ち破る(同)
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一読してわかるように、非常に曖昧(あいまい)で、抽象的な表現ばかりである。
そして、詰まるところ、"創価学会やSGIのことを語っていくことが真実を語ることであり、折伏である。それが相手を敬う実践"と言いたいようだ。
折伏とは、知らずに地獄へ堕(お)ちようとしている相手を救う行為であるから、たしかに、相手を大切に想い、相手の人生を尊重する行為である、といえよう。
しかし、それは、地獄へ堕ちる原因たる邪宗の誤りと害毒を明らかにし、謗法(=正法に違背する生き方や考え方、教え)の恐ろしさを説いて、正法を信受しないかぎりは絶対に幸福になれない、と言い切って正法に導くからである。
―学会の「折伏」は"勧誘"―
"創価学会やSGIのことを語る"というのでは、単なる"勧誘"であり、間違っても折伏にはならない。
なぜなら、創価学会やSGIのことといったら、大半は"池田センセー"のことであり、選挙のことや学会員同土の助け合いのことに終始するからである(※事実、以前テレビ番組の中で、学会婦人部が「池田センセーが空港に着いた時に虹が出たのよ。センセーはすごいわねぇ」などと瞳を潤(うるま)せていたが、このようなことを世間の人に話したとしても、相手に不幸の原因が邪宗謗法にあることをわからせるなど、土台できようはずはない)。
●仏法の邪正をただす事・皆経文をさきとせり、今当世の道俗・貴賎皆人をあがめて法を用いず心を師として経によらず(『星名五郎太郎殿御返事』全集1207頁)
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学会が「皆経文をさきと」しているならば、"創価学会やSGIのことを語る"ことや選挙の戦いをもって"折伏""法戦"などととらえるはずがない。これこそ「人をあがめて法を用い」ない証拠であり、「人」とは"永遠の指導者"たる池田大作のことに他ならない。
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迫本 私たちの師匠である池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長もモンゴルとは大変縁が深いんです。バガバンディ大統領、エンフバヤル首相との親交をはじめ、モンゴル国立大学、文化芸術大学などの博士号を頂いているんです。
朝青龍 えーっ!それはスゴイですね!
迫本 子どもたちのためにモンゴルを舞台にした物語『大草原と白馬』も出版されています。モンゴル国立歌舞団を招いて公演も行いました。30年前、お隣の中国との、国交回復に最も尽力したのも、SGI会長なんです。
朝青龍 知らなかったね、勉強足りなくてすみません(苦笑い)。
迫本 SGIは全世界185カ国・地域に広がり、平和・文化・教育の交流を広げているんです。各国の青年部も先頭に立って頑張っています。
朝青龍 いいね!じゃあ、ボクもきょうからSGIの仲間になるよ。モンゴル代表として!
(『聖教新聞』H15.1.1/『フォーラム21』H15.1.15)
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迫本青年部長によって簡単に入会決意してしまった朝青竜。だが、これを「折伏」といえるのだろうか?迫本は朝青竜に池田の「平和行動」の実績を語っただけ。宗教の正邪によって幸不幸が決まることや、日蓮大聖人の仏法によってしか真の平和・幸福は得られないといった、仏法の基本については何ら言及していないのである。これでは、「勤行の実践」「謗法厳戒」など、分かっているはずもない。これでは与えて言っても摂受、奪って言えば単なる勧誘である。このような方法によって会員がいくら増えたとしても、公明党の得票拡大には貢献しても、決して広布の前進とはなりえない。このような「摂受的布教=勧誘」と「自公連立による与党効果」が、現在の学会の「上潮」と公明党の得票拡大の真相である。
●日蓮正宗の教義が、一閻浮提に敷衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。 皆さまの今の時に、もし日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ、日蓮正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまったということになるのであります。(第66世日達上人・富士学林研究科開講式・昭和49年6月18日/『慧妙』H14.5.16)
―"折伏される側"となった学会―
もちろん、日蓮大聖人の正法を厳護(げんこ)し続けてきた日蓮正宗に対して、口を極めて誹謗を続ける池田創価学会は、自らが最悪の邪宗となり大謗法を繰り返しているのだから、折伏されることはあっても、他を折伏することなど、できないのは当然である。むしろ、自分達こそが地獄へとまっしぐらに堕ちていくのみならず、世に不幸を撤(ま)き散らして周りの一切衆生をも苦しめている、悪の根源となっていることを、いい加減に自覚すべきである。
(『慧妙』H17.2.1ほか編集)
************************************************************ 杉山 そもそも世界広布について日達法主が何と言っていたか。"私は
世界の仏法流布という平和文化運動の実践運動をSGIの池田大作先生に一切、お願いいたしております"と幾度も明確に述べていた。
青木 重大な発言だ。「許可」じゃないよ。「お願い」だよ。日顕(上人)は、この先師に完全に反逆したんだ。
秋谷 まさに、あの
SGI発足の世界会議は「宗門が学会に世界広布をお願いする儀式」でもあった。
(『聖教新聞』H17.1.8)
------------------------------------------------------------ まさに、お笑いぐさだ。御先師の御言葉を、かように解釈する輩(やから)がいるとは。
そもそも池田大作は、御法主の下座に自分の席が据(す)えられているとか、イスにヒジかけが付いていない、ということに腹を立てて「第2回正本堂建設委員会」を流会させてしまうような駄々(だだ)っ子である。御先師の謙譲(けんじょう)心と激励のお心から述べられた「お願い」に対して、「ありがたい」と受け止める謙虚(けんきょ)さなど微塵(みじん)も持ち合わせていない大莫迦(ばか)者一派なのである。
莫迦の代表の1人、青木よ、「この先師に完全に反逆し」御宸襟(しんきん)を悩ませたのは他でもない、貴殿ら自身ではないか。(『慧妙』H17.2.1)
◆1975年(昭和50年)1月26日:創価学会インタナショナル(SGI)が発足、池田SGI会長が就任(<創価学会>WS050211)
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「SGI発足の世界会議」というのはSGIが発足したときのことであろう。
●『曾谷殿御返事』に、 「是には総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。」(御書1039、全集1055頁) これは誰でもよく引用する御文であります。その解釈に、「総とは一往は血脈相承なり。再往は池田会長で、信心の大師匠である」と、こういう解釈をしておる。(中略)総別二義の意義ということは、そんなところに持っていくもんじゃない。「一往」だとか「再往」だとかという言葉を使って、我々のいう仏教用語をうまく利用して、とにかく「一往は血脈相承」だという。なんで「総が血脈相承」か、おかしくてしようがない。また「再往は池田会長で、信心の大師匠」だという。そういうところから「池田会長が血脈相承を承けている。学会に血脈がある」などと言い出してしまう。(第18回妙観会・昭和54年3月31日/『慧妙』H14.5.16)
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これは「SGI発足の世界会議」以後の御発言である。
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秋谷 世界広宣流布を現実にしているのは学会だ。(同)
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本当に笑わせてくれる。新興宗教・創価学会が、何を「広宣流布」するというのか。「広宣流布」すべき何ものもないではないか。
秋谷よ、よくよく自覚するがよい。
●日蓮正宗の教義が、一閻浮提に敷衍(ふえん)していってこそ、広宣流布であるべきであります。日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。 皆さまの今の時に、もし日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。むしろ、日蓮正宗の精神がなくなってしまった、消滅してしまったということになるのであります。(富士学林研究科開講式・昭和49年6月18日/『慧妙』H14.5.16)
◆いくら広宣流布といっても、御本尊の御認(したた)めがなければできない(池田大作『広布と人生を語る』(第3巻256頁)
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ニセ本尊を持つ創価学会には、逆立ちしても、天地が逆転しても、正法の広宣流布はできない。創価学会の蔓延(まんえん)は、むしろ広布の後退、と言っていい。
現代の一凶・創価の害毒が世界に蔓延し、稀有(けう)の災厄(さいやく)が頻発(ひんぱつ)する昨今、破邪顕正の言葉の重みは増すばかりだ。