創価学会の教育論を市の教員研修に採用
―京都市長選 前教育長の門川氏―
―公明幹部明かす―
(『しんぶん赤旗』H20.2.8)
京都市長選に立候補している門川大作氏=自民、公明、民主・社民両党府連推薦=が市教育長時代に、創価学会教育部の会合に何回も出席し、その意見を市の教員研修に採用していたことが、当事者の発言で明らかになりました。
教育部は、創価学会文化本部に所属し、小中高校教員の学会員を統括する部門。元学会本部関係者によると「創価学会の教育理念を教育現場に普及するのが主な任務」です。教育長の立場で特定の宗教団体の正式な会議に出席し、教育行政に反映させたということは、憲法の政教分離原則にふれ、教育の公正・中立を侵害するものとして批判を浴びそうです。
問題の発言が飛び出したのは、17日の投票日に向けて激しくたたかわれている京都市長選挙で、門川大作陣営の政談演説会(6日、公明党担当)でのことです。
門川氏は、京都市の教育行政の最高責任者である教育長を出馬直前まで務めた公教育の責任者でした。
この演説会で「(門川さんの)一番いいところは、(大作という)名前です」と、池田大作氏と同名であることを強調した竹内譲公明党府副代表は、門川氏が創価学会内部の教員の研修を「京都市の教師の研修に用いよということで採用された」と紹介しました。
その後に演説に立った門川氏もこれを否定するどころか「(池田名誉会長の)完ぺきな言葉に私たちが進むべき道、しっかりと指し示していただいている」などとさらに力を込めました。
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【政談演説会での発言から】
―竹内府副代表―
「(門川氏は)創価学会の池田名誉会長、池田先生のですね、書かれた教育提言を…大変よく勉強されています。…創価学会が教育部というのがありまして…教育実践大会に門川さんもいつもこられてますし、じっと聞いてはるわけであります。そしてこれはすばらしいと、こういう体験に基づいた教育実践、方法、人の意見、体験を聞いて自らの、あるいは京都市のですね、この教師の研修に用いよ、ということで採用されたわけであります」
―門川氏―
「人間教育実践、研究大会、発表大会、毎回、国際文化会館に寄せていただき(拍手)、関西大会は奈良でも滋賀県でも大阪でもありました。皆勤賞と言われたくらい(笑い、拍手)みなさんようきてくれはるなあとお礼いうてくれはる。とんでもない、私の、そこにほんまもんの教師がある。正義感に満ちた教師がおられる。そして素晴らしい実践されている。本当に胸が熱くなる。もう目頭が潤むようなことがいっぱいありました。私はあちこちで教員研修や全国を回っていろんな話をする時にその話を誇らしげに語らしていただき…同時に公明党創立者、池田大作名誉会長のお言葉、子どもにとって最大の教育環境は教師自身である。この言葉の深みを感じました。またいま子供の学び、育ちをめぐって様々な課題があります。本当に社会一丸となって取り組んでいかねばならん。その時にまた名誉会長の社会のための教育ではなしに教育のための社会でなければならない、この完璧な言葉に私たちが進むべき道、しっかりと指し示していただいているなとそんなことを痛感いたしました…私は『潮』を愛読させていただいています。公明新聞、聖教新聞、長らく読ませていただいております(拍手)。昭和39年に日大講堂で公明党の結党大会があった。その時に2本の垂れ幕が下がった。…ますます公明党の存在が輝いている」
■京都市長選 創価学会べったり候補
―宗教界に驚きと憤り―
―宗教と共存のまちに許せぬ/公正中立の教育蝕む―
(『しんぶん赤旗』H20.2.15)
17日投票の京都市長選挙で、現市政の「継承」をねらい、自民、公明、民主などが推す門川大作氏(57)が、市教育長時代に創価学会の正式な会合に何回も出席し、創価学会の意見を市の教員研修に採用していたことを公明党幹部と門川氏が述べた問題(8日付既報)で、京都の宗教者に驚きと憤りが広がっています。
「とんでもないことだ。日本の都、京都は古くからさまざまな宗教や文化が共存してきたまちです。その京都で、特定の宗教団体の思想を政治に持ち込む、それも人間を育てる大切な教育にまで持ち込まれていたことは許せない」。こう語るのは、京都市上京区にある日蓮宗本山立本寺塔頭(りゅうほんじ・たっちゅう)・大輪院住職の石田良正さん(71)。「日本の教育は過去に、軍国教育という過ちを犯しているから、絶対に教育は自由かつ中立・公正でなくてはいけない。にもかかわらず、ほかの宗教を認めず、日蓮聖人を本仏と偽装する宗教団体と癒着していたとはひどい。門川氏は創価学会・公明党の求めている人材だということでしょう」
日本聖公会司祭の大江真道さん(77)=京都市山科区=は、「公教育の責任者が一宗教団体の主張にベッタリの態度を表明したことは、非常識きわまりない。信仰者の集団が政治団体化して権力に迎合すること自体、憲法違反である。この団体の主張を、現職だった教育長が教員の研修の指導方針にすると公言することは到底、市長の座に坐(すわ)るにふさわしくない」と話します。
京都市左京区の禅寺、臨済宗相国寺派・無礙光院(むげこういん)の和尚(おしょう)、阪口慈航さん(64)は、「特定の宗教団体と行政とが、ここまで癒着が進んでいたのかと驚いた。政治と宗教とは分離されていなければいけません。特定の宗教団体の言いなりなんてことは絶対に許されないことです。創価学会は『国立戒壇』、つまり権力をとることを目的に布教・折伏(しゃくぶく)を続けてきたところでしょう。そんな宗教団体の教義を公平であるべき教育に生かしてきた人物は、市長選に立候補する資格すらないと思います」。
「驚きました。高校で日本史を教えていた元教師として、腹が立つやら情けないやら。京都の教育は、ここまで蝕(むしば)まれていたのか…」。上京区にある真宗大谷派の盛林寺(じょうりんじ)僧侶、橘知紹さん(68)は憤りを隠せません。
「特異な教えを公の教育を担う教育長が、教員研修を通じて現場に押しつけるなんて許されることではありません。個人の信教・崇拝は自由ですが、創価学会の会合に出て賛美するような人物は、公の立場に立ってほしくありません」
上京区の浄土真宗本願寺派・法林寺住職の三宅善昭さん(74)は言います。「市長になって、何をやろうとしているのか。あきれ返っています。創価学会にすり寄るだけでなく、先生の研修に使ってきたとは何事かと思います。そしてそのことを否定もせずに堂々と発言する。この姿には品格も資質のかけらもない。門川氏が実際にこのような教育現場に持ち込ませていたのが事実なら、信仰の自由や良心、思想の自由を定めた憲法に違反する行為です。門川氏の実像を、もっと知らせていかなければならないと思います」
(『慧妙』H19.8.16)
▼公明党の正体は、いかなる言葉で取り繕(つくろ)おうとも、創価学会の政治部門であることは間違いない。それ故、何よりも学会の事情が全てに優先され、また、学会を守るために常に権力側に存在しようとすることなども、衆知の事実である▼世の常として、残念ながら、このような実態を知っていながら、学会の強大な権力を恐れて口を噤(つぐ)む者や、学会に媚(こ)びへつらう者が現われてしまう。いや、それどころか、事実認識のお粗末さから、学会・公明党のプロパガンダに乗せられてしまう者も、後をたたない▼国民にとって大きな不幸は、こうした臆病者や不勉強な者たちが、本来、権力を監視せねばならないマスコミ人や、知識や見識を有すべき"識者"と称する人たちの中に多い、という事実▼先般、宗教学者として有名な方の書かれた『公明党VS創価学会』(島田裕巳著/朝日新聞社)という本を見かけた。学会に対するお追従(ついしょう)と政治発言ではかなり問題のある(佐高信氏の著書参照)田原総一朗氏が推薦していたので"胡散(うさん)臭い"ものは感じたが、とにかく公明党と学会を"VS"の関係で並べているのに興味を引かれ、さっそく購入し読んでみた▼その内容たるや、呆れ返るばかりであった。読み始めから、問題と思われる箇所には付箋(ふせん)を貼り付けていったのだが、本自体が付箋だらけになってしまい、笑うに笑えない状態になってしまったほどだ▼本文に入る前の"はじめに"では、『聖教新聞』の罵詈雑言(ばりぞうごん)座談会(竹入氏批判など)を取り上げ、「公明党と創価学会が本当に一体であるとしたら、『聖教新聞』にこうした記事が載ることはないはずだ」と、思わず吹き出してしまいそうな、トンチンカンな結論付けをしている▼"はじめに"から、こうした認識、もしくは意図(?)で書かれている内容なので、終始、「政教分離している以上、創価学会が直接公明党の方針を転換させることはできない」「池田が、公明党の幹部や議員と直接会って、指示を下しているのなら、大きな影響力を発揮していることになる。だが、そうした機会はほとんどない」等々といった調子で仕上がっている▼それもそのはず。著者の"あとがき"を見てみれば、なんと、公明党議員のみにインタビューをして、「公明党議員の活動の実態を知ることができた」というのだから。そうして、公明党と創価学会の関係を「本書のなかで詳しく分析した」などと大見得を切ることは、あまりにも"稚拙(ちせつ)な分析"と言わざるを得ない▼ついでではあるが、このような本を上梓した著者には、本書と同じ朝日新聞社から出版されている『事実とは何か』(本多勝一著)の「番犬虚に吠えた教科書問題」も参考に読まれるよう、進言しておくものである。
(ジャーナリスト・乙骨正生『フォーラム21』H18.11.1)
【メディアの報道は全て誤報なのか?】
自民党総裁に選出され総理大臣の指名を目前にした安倍晋三官房長官が、9月22日、都内の創価学会施設で池田大作創価学会名誉会長と面談したと報じられた。続いて9月28日には退任したばかりの小泉純一郎前首相が、聖教新聞社に池田大作氏を訪ね、退任の挨拶を行った。
このうち安倍・池田会談は、参議院予算委員会での民主党の質問に対して安倍首相が、「そうした事実はない」と否定。創価学会も否定しているが、そうであるならば、安倍・池田会談を報じた『日経』・『毎日』・『朝日』・『読売』の各紙や、会談の事実を詳報した週刊文春の記事はすべて誤報だったことになるが、安倍首相や創価学会が抗議や訂正を申し込んだとの話は、寡聞にしてか聞いていない。
むしろ平成11年9月に、創価学会の秋谷会長が読売新聞社の渡辺恒雄社長や丹羽雄哉元厚生相(現自民党総務会長)と千代田区内の高級料亭で面談していたと、高級料亭から出てくる写真付きで写真週刊誌の『フライデー』で報道されたにもかかわらず、創価学会は「そうした事実はない、料亭にも行っていない」と強弁した事実に鑑みるならば、総理就任直前の自民党総裁と池田氏が面談していた事実が明らかになれば、池田氏ならびに創価学会に対する政教一致の批判が強まるとの判断から、双方が否定することで口裏を合わせた可能性がある。
これに対して小泉前首相と池田氏との会談は、任期を終えて退任した前首相ということもあってか、創価学会ばかりか公明党の太田代表もすぐにその事実を認めた。小泉・池田会談を10月12日付『朝日新聞』は、次のように報じている。
「公明党の太田代表は11日の記者会見で、小泉前首相が退任直後、創価学会の池田大作名誉会長と会談したことを明らかにした。『ごく短時間、30分ほど会ったと聞いている』と述べた。一方、安倍首相が就任前に池田氏と会ったとされる点については『全く承知していない』と語った。
創価学会広報室によると、小泉首相から池田氏に退任のあいさつを申し入れ、9月28日に東京都内の聖教新聞本社で会談した。小泉前首相は『外遊中に池田名誉会長の存在感を改めて認識した』と語り、池田氏は識者との交流や、大学での講演について述べたという。創価学会の秋谷栄之助会長や草川昭三・公明党副代表らが同席した」
周知のように小泉前首相は、平成13年11月に行われた公明党大会の席上、同年夏に南アフリカで行われた環境サミットに出席した際、国連NGOとして展示を行っていた創価学会インタナショナルのブースに足を運び、出展されていた池田氏撮影の写真を見て感激したと、池田氏に対するおべんちゃらを述べた(この時の駐南アフリカ大使が学会員キャリア外交官の筆頭格にある榎泰邦氏だった)。
小泉首相や小泉首相の側近と言われる人物は、小泉氏の首相就任直後、周囲に「公明党とは手を切って民主党の一部と組みたい」との意向を明らかにしていた。こうした事実や、小泉氏の離婚した夫人がかつて創価学会に在籍していたこともあって、小泉首相は創価学会嫌いと取り沙汰されていた。だが、その小泉首相が豹変して公明党大会で池田氏に対するおべんちゃらを述べたのは、公明党大会の前に5選挙区で行われた衆院補欠選挙で、自民党が創価学会・公明党の全面支援を受けて、4勝1敗(自民党が負けたのは無所属の江田憲司元橋本首相秘書官)と、民主党候補に圧勝したことが大きな要因だった。
仮にこの衆院補選で自民党候補が、民主党候補に競り負け2勝3敗と負け越していれば、選挙に勝つことだけを目的にあえて「変人」と言われた小泉首相を担いだ自民党議員が急速に小泉離れを起こしたことは確実で、小泉首相の求心力は一気にダウンし、政権が崩壊していた可能性は少なくない。
それだけに小泉首相は、それまでに公明党大会に出席した小渕・森の両総裁が、政教分離の建前から、1度も口にしたことのなかった「池田大作」の名前を挙げ、池田氏に対するおべんちゃらを述べたのだろう。
【選挙での創価学会票欲しさの池田詣で】
そして以後、5年間にわたる小泉政権下で実施された各種選挙で、創価学会・公明党が文字通り小泉政権の「生命維持装置」としての役割を存分に果たしてくれたからこそ、首相退任直後に、小泉氏は池田氏にお礼参りに出かけたのである。
今回、安倍氏が池田詣でを行った背景に、10月に行われた神奈川・大阪での衆院補欠選挙での支援と、明年夏に実施される参院選挙での創価学会の支援要請があったことは間違いない。小泉首相同様、安倍首相もまた補欠選挙で取りこぼせば政権の求心力は低下する。まして15議席の帰趨で勝敗の決する参院選で敗北すれば安倍首相は退陣を余儀なくされることになる。
また小泉政権下でかつてないほど悪化した日中関係を改善する上で、中国との太い関係を誇示する池田氏ならびに創価学会に仁義を切り、そのパイプを利用する必要があったものと見られている。
本年2月に池田氏と王毅中国大使が会談していること。本年3月に池田氏の長男・池田博正創価学会副理事長が、台湾から直接に中国入りし、北京で唐家セン国務委員と会談したこと。9月28日に行われた中国の建国57周年祝賀パーティに創価学会から秋谷会長と池田博正副理事長が、公明党から神崎代表と太田幹事長代行(現代表)が出席、その翌日の29日に池田氏と王毅大使が今年2度目の会談を行っていることからみて、9月22日の安倍・池田会談で日中関係についてのなんらかの話し合いがなされた可能性は高い。
「公明党の新代表に就任した太田氏が、安倍首相は靖国神社には参拝しないと自信満々に発言している。安倍首相は、日中関係の阻害要因となる靖国神社参拝は控えるとのなんらかの密約もしくは確約を創価学会もしくは中国との間で行ったのではないか」(政治評論家)
新・旧の総理大臣が相次いで行った池田大作詣では、この国の政治がいかなる状況にあるかを雄弁に物語っている。
ちなみに平成6年11月1日に、国会に隣接する憲政記念館で行われた「四月会」主宰のフォーラムに出席した安倍晋三代議士は、自身が創価学会から支援をもらっていたことを明らかにしつつも、創価学会が政界での影響力を拡大することに「これは危険な段階だ」と次のように警鐘を鳴らしていた。その時の発言を紹介しよう。
「私が立候補した時には、公明党の候補者がおらず、そういう関係で創価学会の皆さまにはご支援をいただいております。ですから、この運動に参加することには、大変躊躇しております。
その中で、自民党の中に『憲法20条を考える会』が設置され、私もその会に参加いたしました。その段階では私はまだ躊躇しておりましたが、ごく内輪の自民党内での会合が開かれた次の日、私の選挙区の公明党の大幹部から電話が入り、“安倍クン、君は創価学会を誹謗中傷する会に出席したそうじゃないか。君の姿勢を考えてもらいたい。慎重に行動してくれ”と。
その場で私は、これはあまりに危険な段階だ、と思いました。創価学会を除外しようというのではありません。あくまで政治的野望を捨てていただきたいのです」
ここで安倍氏が「ごく内輪の自民党内での会合」と称しているのは、「憲法20条を考える会」が主宰して開催した一連の創価学会に関する勉強会のこと。安倍氏はその勉強会のうち、山崎正友元創価学会顧問弁護士を講師に迎えて行われた勉強会に出席したところ、すぐに地元の創価学会関係者から抗議の電話があったということを、一連の勉強会に出席していた筆者に対してかつて語ったことがある。
【安倍氏と池田氏次男は同窓生】
あれから12年、時世時節の変転とともに安倍氏もまた大いに変節したというべきか。それとも本誌先号で指摘したように、岸信介・戸田城聖、安倍晋太郎・池田大作という濃密な関係の系譜上にいる安倍氏は、創価学会シンパに先祖帰りしたと言うべきなのかもしれない。
もっとも成蹊高校・成蹊大学出身の安倍晋三氏と、昭和59年に死去した池田大作氏の次男・池田城久氏は成蹊高校時代の同期生。その意味では、岸・安倍家と創価学会は、岸・戸田、安倍晋太郎・池田大作に続いて、安倍晋三氏も池田城久氏と接点を持つという“奇しき縁”に彩られているというべきなのかも。
乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』(かもがわ出版)など。
―創価学会に「何を遠慮しているのですか?」―
(椙山女学園大学客員教授・川崎泰資『フォーラム21』H18.3.15)
評論家の田原総一朗が責任編集、「タブーに挑む新メディア」と豪語する新雑誌、『オフレコ!』の2号が出た。「巻頭スクープ 創価学会会長 秋谷栄之助」と銘打ち「創価学会は最近、遠慮していませんか?」とある。思わせぶりなキャッチコピーだ。
編集後記では、「誰もが関心をもちつつ体当たりすることに躊躇していた創価学会会長秋谷栄之助……へのインタビューで私は本音の疑問をぶつけ」とある。学会の本音に迫るのかと期待を抱かせるに十分な気負いだ。だが一読して仰天。内容空疎な大言壮語とはこのことだ。
創価学会のタブーには何も触れず、政権与党になった創価学会・公明党の小泉政権下での実態に迫る質問はない。それどころか「公明党が自民党と連立して創価学会が遠慮しているところはないんですか?」と問い、秋谷に「公明党との関係を考えますと、現実の政治の世界は妥協しなければならないことがある。……それだけ、幅ができたということです」と軽くいなされておしまいだ。これでは学会が政権政党に遠慮しているのでなく、田原自身が創価学会に何を遠慮しているのかと言われても止むを得ない。
【政教分離との関わり】
今、創価学会について世間が知りたいことといえば、創価学会と事実上一体の公明党が自民党と連立政権を組み、政治の中枢で権力を握っていることからくるさまざまな不透明な問題である。最近の4点セットなど政治社会を揺るがす事件との関わりもそうだ。
学会は公明党の支持団体であり「政教一致」の批判は当たらないと一貫して主張しているが、昨年の総選挙での実態を見ればこれが偽りであることは歴然としている。選挙を「法戦」と称し、学会員以外の票を集めるフレンド票の確保で選挙戦での公明党の票を伸ばし、それが「広宣流布」の達成につながるという戦略。公明党候補のいない選挙区の票は自民党に入れ、その見返りに自民党支持者から比例区に公明党と書かせる珍妙なバーターの徹底。学会主導のこの票集めの実態は学会が宗教団体でなく選挙団体に他ならないことを実証し、この比例区で集めた偽りの公明党票を学会の実勢力と呼称する欺瞞。そしてこの票集めが布教だとして日本の政治を宗教支配の下におく学会のあり方を問題にしない。
具体的には学会が平和勢力を主張しながらイラクへの自衛隊派遣に賛成したり、首相の靖国神社参拝問題に反対しながら小泉政権との連立の維持には熱心であることへの疑問である。この対談でも秋谷会長が首相の靖国参拝については「政教分離のうえからも疑義があり反対」と言っていると述べたのに対し、田原は何の批判も突っ込みもなく「そこははっきりしていただいて、ありがとうございます」と、何を有り難がっているのか分からない。
さらに「公明党との関係を考えますと、現実の政治の世界は妥協しなければならないことがある」「それだけ幅ができたということです」とはぐらかされる。どだい、政教一致の学会の指導者が首相の靖国参拝を政教分離の上から問題があると言うこと自体が笑止だ。
創価学会は公明党発展の功労者、竹入元委員長の学会と公明党の赤裸々な関係を明らかにした「回顧録」をやり玉にあげて数年前、竹入つぶしを行った。今度は矢野元委員長が93年から94年にかけて月刊誌『文藝春秋』に連載した「政界仕掛人 極秘メモ全公開」が気に入らないとして突如、矢野攻撃を始め、矢野氏の社会的抹殺を図る言動に出ている。
学会の機関紙、『聖教新聞』では最近ことあるごとに矢野氏を誹謗中傷する記事を書き、ほとんど罵詈雑言に近いような攻撃を行っている。公明党はれっきとした政党であり、学会以外の人の支持も得ているのに学会が自分の都合で一方的に攻撃してはばからないのは、文字通り政教一致の証拠でもあろう。竹入、矢野と公明党の発展に尽くした元委員長は、10年以上前の記事で公明党からでなく学会からの言論弾圧で人格も傷つけられている。
このことを田原は知らないはずはないのに、一言も触れていない。田原はいつから学会の御用聞きになったのか。
【姉歯元建築士、ヒューザー、ホリエモン】
耐震強度偽装、ライブドア事件、防衛施設庁の官製談合、米牛肉輸入など小泉政権を揺るがす4点セットと公明党、学会との関わりも聞きたいところだが、これも不発だ。
田原が現代の世相を取り上げ、一連の生命のことを考えない事件が続いているとその原因を質すと、秋谷は「われわれ仏教の立場から言いますと、命がなによりも大事だという価値観が薄れてしまっている。あまりに生命を軽く見過ぎる時代の風潮といいますかね」と答え、なぜそうなったのかは家族・社会の環境の変化、それにテレビやゲームの影響など現実とバーチャルの世界の区別がつかなくなったと責任を他に転嫁するようなことでお茶を濁される。
ここで聞かなければならない姉歯元建築士が創価学会員だという事実、選挙で事実上自民党からの立候補に近かったホリエモンが、「比例区は公明党にお願いします」と連呼した事実と選挙後ひそかに学会を訪れている経緯など、ジャーナリストなら当然問いただす必要がある。またヒューザーの小嶋社長が政界工作の際に公明党議員が役立ったと述べている事実や、児童手当の拡大と取引して防衛庁の省昇格を容認している等の経緯についても学会の関与を質すべきであったのにこれも不問だ。誰もが関心を持ちつつ学会への体当たりに躊躇するのは、学会の報復を恐れて肝心なことを聞くことができないからで、結局このようなインタビューになるのを恥じるからであろう。権力者や有力者と会うことだけが目的となっているような最近の田原ならではのインタビュー記事の典型だ。
ホリエモンについても、ニッポン放送の買収問題の時や、総選挙で広島から自民党の刺客として立候補した際に時代の寵児とし自ら司会するテレビ番組でさんざん持ち上げていかにも親しげに振る舞っていたにもかかわらず、失脚するとホリエモンを評価していたのは自分だけではなく『朝日新聞』も同様だと大新聞の権威に縋って責任逃れの節操の無さだ。
【池田名誉会長論での露骨なすり寄り】
田原は最後に「池田さんが素晴らしすぎるから、後継問題をどうするのか。世の中の噂というか、好奇心を抱いているんですが。そのへんはどういうふうに?」と水を向け、秋谷が「立派な後継者がいっぱい育っています」と応じたあと勝手な学会の権威論を語らせる。
秋谷は「権威はなんだと考えると知識の独占ということが大きい」として、「坊主はお経をあげられるから人が死んだときに成仏させられる。教義もある程度説法でき、民衆はそれを聞き、坊主は権威があった。創価学会は自分でお経をあげられるようになり、教義も皆勉強した結果、権威が通用しなくなった。それを無理やり押さえ付けようとする宗教、大石寺と別れた原因」(趣意)と、本山と対立し破門された経緯を一方的に都合のいいように宣伝する。田原はそれを聞くだけで反論しない。これでは田原インタビューの利用価値は学会にとって極めて高い。
さらに秋谷は「権威が差別をつけて成り立っていた。それを創価学会が壊したことは間違いない」「(学会では)全国に1000以上の会館があるんですが、そうすると名誉会長の指導が、第一線まで直接届く」と自画自賛する。
だが当の創価学会の池田名誉会長は26の国から国家勲章を受け、185の名誉学術称号を受けるなど、勲章や学位などの世俗の権威に対する異常な執着を示しているほか、世界の著名人と対談(?)らしきもので自らの権威を飾り立てていることとの関連はどうなる。
田原はさらに「今の社会は問題がいっぱいある。その社会を変えるエネルギー、あるいは覚悟。創価学会には少し欠けてきたんじゃないかな」と批判の目を向けたが、「欠けてきたんじゃなくて、ちゃんと内在してありますよ」「それだけの成熟がある」と軽くいなされるだけだ。
【強者にへつらい、弱者に居丈高】
最近評論家の佐高信が田原にジャーナリスト引退の勧めを説いている。田原が自分の番組に登場する人たちに対し、特に権力者や将来、力を得そうな人にはあからさまにすり寄り、面と向かって歯の浮くようなお世辞を言うのを大方の視聴者は苦々しく感じている。
たとえば安倍官房長官には、彼が幹事長や代理を務めていた時から「自分に都合が悪いテーマなのによく出演してくれた」「将来偉くなる人は違う」と面と向かって歯の浮くようなをオベンチャラをいう。だが都合の悪いことは何も聞かない。これでは番組に彼が安心して出てくるのもうなずける。一方、自分の思い込みに反する場合、その人が彼から見て弱者にあたると見れば政治家でも評論家でも相手の発言を無礼にもさえぎり、下品な言い方で暴言を吐くことも再三だ。田原は権力者や著名人を番組に出すことで自らが偉くなったような錯覚を起こしたのか、番組の最中話題になった人物にしばしば、この番組を見ていたらすぐ電話をください等といかにも親しげに呼びかけ、自分ならそれができると誇示する。
これはジャーナリストというより、本質的には商売上手のアジテーターのやり口だ。
ともかく、このインタビューは一方的に秋谷の言いたい放題で、学会の宣伝に終始している。これでは学会側がインタビューに喜んで応じるはずだ、「巻頭スクープ」とはどこから見ても言えるものではない。キャッチコピーの「創価学会は最近遠慮していませんか?」は、そっくりそのまま「田原さんは学会に何を遠慮しているのですか?」と返したい。(文中・敬称略)
川崎泰資(かわさき・やすし)椙山女学園大学客員教授。1934年生まれ。東大文学部社会学科卒。NHK政治部、ボン支局長、放送文化研究所主任研究員、甲府放送局長、会長室審議委員、大谷女子短大教授を歴任。著書に『NHKと政治―蝕まれた公共放送』(朝日文庫)など。
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<言論人の懐柔に長(た)けた池田大作の"手駒"「池田克也」>
■田原総一朗への引退勧告
(佐高信『週刊金曜日』H18.2.10)
『週刊朝日』の2月10日号で、田原総一朗が見苦しく騒いでいる。騒いでいるというより、あがいている。やみくもな「堀江叩き」は危険だとし、検察の描いた絵に乗せられて、堀江バッシングを競い合うのは危険が大きすぎると警告しているのである。
田原が堀江を持ち上げたことを知らなければ頷いてもいい指摘だろう。しかし、田原はつい半年余り前の昨年夏、田原総一朗責任編集を謳って、にぎにぎしく発行した『オフレコ!』の創刊号で、堀江をおもしろい存在とし、「堀江さんのような若者がいっぱい出て日本をガンガン活性化してくれりゃいい」と絶賛しているのである。「わが弟です、息子です」とほめそやした武部勤(自民党幹事長)に負けず劣らずの礼賛ぶりだろう。
その責任を問われるのを恐れて、田原は「堀江叩き」に走るな、と火消しにまわっているのである。つまりは、堀江を叩くなということは自分を叩くなということなのだ。
手もとに、ヒューザーの小嶋進とつながりの深い伊藤公介(元国土庁長官)の『なんてったって小泉純一郎』(あ・うん)という本がある。どうしようもなく無内容な本である。田原には『それでも、小泉純一郎を支持します』(幻冬舎)という本があるが、伊藤の駄本とどれほどの違いがあるのだろうか。題名を交換しても、まったく差し支えがないのではないか。
田原の無責任さは支持する小泉の無責任さと瓜二つである。無反省さも同じ。
今度私は『田原総一朗よ驕るなかれ』(毎日新聞社)という本を出した。「翼賛マスコミの象徴」として田原を斬ったのだが、その時評集の巻頭に加えた原稿で、こう書いた。
「経済ジャーナリズムにおいて、年代的にたどれば、長谷川慶太郎、堺屋太一、そして竹中平蔵というバブル派の流れがある。それに対し、城山三郎、内橋克人、そして私という反バブル派の系譜があるのだと私は自負してきたが、田原が常に身を寄せるのは権力に都合のいい、バブル派の長谷川や竹中である。彼らを私はジャーナリストとは呼ばない。その時々の権力の衣裳によって自らの色も変える側用人がジャーナリストであるわけがないからである」
この引退勧告はおそらく田原には届くまい。
―これが「外から見た」創価学会!?―
―偏向した日蓮正宗観を粉砕する―
(『慧妙』H18.11.1)
10月5日付の『聖教新聞』(第1面)に、学会の外郭出版社・第三文明社が発行する『第三文明』(月刊誌)の広告が掲載されている。
第三文明社からは、今年の6月、『外から見た創価学会』というタイトルの、外部の識者へのインタビュー集が発行されているが、じつは数年前にも、同名の書籍が発行されたことがある。
その時の著者は、ある大学教授。
『外から見た創価学会』というタイトルからは、客観的立場にある、外部の人間である大学教授が、創価学会について評したもの、との印象を受けるが、実際は大違い。
創価学会を褒(ほ)め称(たた)えるばかりで客観的な評論はなく、ただ、自身の主観のみ(それも、まるで学会員のような視線で)で綴(つづ)られている。つまり、この書は、題名とは正反対に、『内から見た創価学会』ともいうべき、偏向(へんこう)した内容となっているのだ(その偏向ぶりは、学会お抱〈かか〉えの悪書、としか言いようがないため、以降は「お抱え書」と称す)。
この、内から見て単に創価学会や池田大作などを自讃しているにすぎない代物を、「外から見た」云々と平然と書くやり口に、今さらながら呆(あき)れると共に、著者に対しては学会の肩を持って世間を騙(だま)すのもいい加減にせよ、と言いたくなる。
さて、その「お抱え書」の最後の方に、「邪宗門」なる項があり、その冒頭に、歪曲(わいきょく)された近代宗門史への誹謗(ひぼう)が挙(あ)げられている。
そして、この部分が、当該「お抱え書」の中で、日蓮正宗宗門を「邪宗門」と主張する一番の根拠となっているのだ。
その内容とは、昭和前期の太平洋戦争時に、宗門は、軍部の弾圧を恐れて神札を受諾して謗法を容認し、大聖人の仏法を破壊したが、学会は、牧口・戸田両会長が、宗門の謗法容認を糾弾し、軍部の弾圧を恐れず、毅然(きぜん)として戦ったために投獄され、牧口会長は獄死した(取意)、というもの。
この主張には、大きく分けて2つの嘘(うそ)が述べられている。
1つ目の嘘は、宗門が謗法を容認した事実など無く、したがって、大聖人の仏法を破壊することなど全くありえない、ということである。
まず、ここで考えなければならないのは、その時代が、現在のような民主主義の平和な時代ではなく、軍国主義下における非常時であるということである。
そうした非常時における厳しい言論統制の中で、宗門は、無用の軋轢(あつれき)を避(さ)けるべく、政府が国家統制のために配付した「天照太神」の神札を受けるようにとの強制的な命令を、「このような命令が出ている」として、そのまま宗内に伝達したのである。
また、神札の受諾については、66世日達上人が、
「このとき、宗門としても神札を祀(まつ)るなんてことはできないからね。いちおう受けるだけ受け取って、住職の部屋の隅にでも置いておこう、という話になったわけです」(日達上人全集1輯5巻646頁)
と仰せられているように、いちおう、神札を受け取るだけ受け取って、一時的に住職の部屋の片隅に捨て置く、という方策をとったのである。
べつに神札を祀ったわけでもなければ、軽々しく容認したわけでもない。要は、平和な現代でも、もちろんながら、非常事態の時代においてはなおさら、何を差し置いても、信仰の根本である本門戒壇の大御本尊と血脈相伝を厳護することが、時の宗内僧俗の使命であり、それこそが大聖人の仏法を守護することとなる。
まして、宗祖大聖人が、
「予が法門は四悉檀(ししつだん)を心に懸けて申すなれば、強(あなが)ちに成仏の理に違はざれば、且(しばら)く世間普通の義を用ゆべきか」(御書1222頁)
と御教示されているように、仏法上許される範囲で、世間普通の義を用いても、それは謗法とはいわないのである。
よって、国家の異常な状況下での神札受諾の問題は、無用の法難(横難)を避けて仏法を護持するために、やむを得ずなされた一時の方便であり、仏法で許容される範囲内のことであって、全く謗法ではない。
当時の状況や背景を無視して、ある事柄の一端を取り上げて「謗法」と決め付け謗(そし)ることは、全体的見地が欠如した、愚(おろ)かな短絡的発想である、と断ずる。
しかも、「外」の謗法者であるはずの「大学教授」が、謗法容認などといって云々したら、いい笑い物ではないか。
次に、2つ目の嘘は、戦時下の当時、創価教育学会理事長の戸田城外(城聖)氏が、幹部に対し、
「学会の精神たる天皇中心主義の原理を会得し、誤りなき指導をなすこと(中略)皇大神宮の御札は粗末に取り扱はざる様、敬神崇祖(けいしんすうそ)の念とこれとを混同して、不敬の取り扱いなき様充分注意すること」(昭和18年6月25日付)
との『通諜』を出していた事実である(学会はその存在を躍起〈やっき〉になって否定しようとしているが、本紙は『通諜』の現物が、まぎれもない本物であることを確認済みである)。つまり、その当時の学会でも、宗門と同じように、神札を受諾するよう指導していた、ということである。
このような事実を覆(おお)い隠して、神札を受け取った宗門は謗法だ、と叫ぶ学会のお抱え書『外から見た創価学会』の信憑(しんぴょう)性など、全くないのだ。
何ともお粗末な代物である。
[画像]:『外から見た創価学会』(H15.12出版)の表紙=「外から見た」!?「内から」の間違いでは?
■外から見た創価学会
(<KinokuniyaBookWeb>WS061112検索)
ISBN:4476061915
214p 19cm(B6)
第三文明社(2003-12-08出版)
・村尾 行一【著】
[B6判]NDC分類:188.98販売価:\1,260(税込)(本体価:\1,200)
在庫が僅少です。品切れの場合お取り寄せとなります。
半世紀にわたり創価学会を研究しつづけた著者が、その歴史・思想・世界に広がる運動を解説し、現代に生きる宗教の実像に迫る。
序章 創価学会との出会い
第1章 価値とはイノチなのだ―牧口価値論の要諦
第2章 「依正不二」と「人間の連帯」―創価学会の自然観と平和思想の根源
第3章 創価学会は平和と対話と寛容の運動体
第4章 創価学会と国家
第5章 創価教育の特色
終章 創価学会と宗門
この書籍は、「日本書籍総目録」に存在しますが、品切れの場合もありますので予めご了承下さい。
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村尾行一[ムラオコウイチ]
1934年中国・大連市に生まれる。東京大学農学部卒業、同大学院博士課程修了、ドイツ・ミュンヘン大学経済学部留学、東京大学農学博士。京都大学助手、東京大学助手、ミュンヘン大学客員講師、愛媛大学教授などを経て、現在みどりのコンビナート研究所主宰
――「アンチ学会」の急先鋒だったはずの総理の変節―
(国正武重=政治評論家『文藝春秋』H15.8抜粋)
<魅入られた小泉首相>
昨年秋の衆参統一補欠選挙を終えた11月2日午後、スーツに鮮やかな緑のネクタイをしめた小泉首相は、東京千代田区で開かれた公明党大会に初めて来賓として出席した。
演壇に立った小泉首相は、9月に環境・開発サミット出席のため訪れた南アフリカで、SGI(創価学会インタナショナル)の施設を視察したことを持ち出し「強く印象に残った見事な写真があった。暗い空に、こうこうと月が輝き、緑の葉があった。この写真は池田SGI会長(大作創価学会名誉会長)が撮影されたそうです」と語ると、会場から拍手が起った。小泉首相は「支持率が高くても低くてもグラグラしちゃいかんなあ。空の果ての月のように、孤独でも耐えなきゃいかん」と会場を笑わせたうえで、帰国後に池田氏の写真集「澄心天籟(ちょうしんてんらい)」を手にしたと精一杯のリップサービス。SGIをSGOと呼び間違える一幕もあったが、一宗教法人のトップを首相が公式の場でここまで持ち上げるのは異例中の異例といっていい。
「われわれに理解があると思えなかった首相も、創価学会の純粋な思いを理解された。すばらしい演説だ」と、冬柴鐵三公明党幹事長も感激をあらわにした。
それもそのはず。小泉首相はかつて、名うての創価学会嫌いで通っていたのだ。衆議院の中選挙区時代、川崎、横須賀中心の選挙区を地盤とした小泉首相は、最大のライバルである市川雄一公明党元書記長と激しく議席を競っていた。そのため、自自公連立の森喜朗政権下でさえも、「無定見、無節操、無原則政権だ」と批判し、小泉政権スタート後でさえ、その姿勢を変えなかった。「自公保連立は大事にいたしますけれども、民主党が協力してくれるのだったら、今までの枠組みにとらわれずに、できるだけ多くの政党の協力を得たい」(01年5月14日衆議院予算委員会)と「鳩山由紀夫カード」をちらつかせ、靖国問題、集団的自衛権問題などの憲法問題でも距離を置いていた。しかし、選挙が繰り返されるたびに、小泉首相は公明党の集票力に魅入られていく。
小泉政権発足直後、01年7月に参議院選挙が行われた。このとき自民党の公認候衛は、都道府県の選挙区で、44勝5敗。27県の定員1人区で当選した25人のうち19人が公明党の推薦を受けていた。
さらに、02年10月の衆参統一補欠選挙。公明党は7選挙区すべてで独自候補を出さず、自民党公認、あるいは推薦候補を推した。結果は、自民党の5勝2敗―勝率7割という驚異的な成績を挙げた。政治無関心時代の低投票率のなかで、組織票の強さを浮き彫りにさせるできごとだった。小泉首相は同28日、外遊先のメキシコで、「ちょっと勝ちすぎじゃないの。予想以上にいいね」とコメント。アンチ創価学会のスタンスが崩れはじめた兆しだった。
翌月21日の夜、明治44年に旧竹田宮邸として建てられたレンガ作りの洋館、東京高輪プリンスホテル貴賓館の鳳凰の間で、小泉首相、森喜朗前首相、青木幹雄自民党参議院幹事長の3人がひっそりと会食をした。実はこのとき、秋谷栄之助創価学会会長、池田名誉会長の信頼のあつい八尋頼雄副会長が極秘に接触し、今後の提携強化などのすり合わせをしたと見られている。
それでは、学会ににじり寄る小泉首相を、池田大作創価学会名誉会長はどういう評価をしているのか。01年5月から9月の短い期間、池田名誉会長は連続して朝日、読売、毎日、産経など各紙のインタビュー等に応じている。そこで表明した小泉首相への評価は醒めていた。
「小泉内閣の高い支持率は、ほかにこれという政治家がいないからだ」(読売新聞)。「改革の実践はこれからだ。改革が挫折すれば人気は下落し、国民は痛烈に批判するだろう」(同)。「公約してきたことを実行するものと信じたいが、実行しないときは崩壊だ」(産経新聞)。強烈な牽制は、池田名誉会長の絶妙な距離感によるもの。小泉首相の公明党大会における池田名誉会長絶賛は、公明党・創価学会グループからの縁切りを恐れ敏感に反応した結果と見てもいいだろう。
こうした小泉首相と創価学会の蜜月を裏付ける証言もある。
「小泉首相と秋谷栄之助創価学会会長との間には直結パイプができている。首相は飯島秘書官等を通じて、秋谷会長の携帯もしくは直通電話番号を把握しているのです」(公明党議員)というのである。
これまで自民党と公明・創価学会には3つのルートがあるとされてきた。1つは、99年10月に小渕恵三第2次改造内閣とともにスタートした自自公連立政権下の旧経世会(旧竹下派)ルート。つまり、竹下登元首相、小渕恵三首相と池田大作名誉会長、秋谷栄之助会長というラインだ。
そこへ、自自公連立政権工作の当事者として小渕内閣の官房長官である野中広務と、冬柴鐵三公明党幹事長のラインが出てきた。
3つ目は、野中の薫陶をうけた古賀誠前自民党幹事長と、藤井富雄公明党都議・公明党常任顧問に草川昭三公明党参議院議員会長というライン。
これらのルートは、現在でも生きてはいるが、小泉首相と秋谷会長のホットラインが機能し始めたいま、存在感の低下は免れない。
(佐高信『サンデー毎日』H15.3.2抜粋)
「政権に居座ることを自己目的にし、政治理念もかなぐり捨て自民党より威張っている姿をみると、ファシズムに走ろうとしているのではないか」
これは昨年の5月23日の記者会見での熊谷弘の公明党批判である。現保守新党代表の熊谷は、当時、民主党の国会対策委員長として、有事関連法案に賛成する公明党を「戦争党」と指弾していた。
熊谷の批判はまちがっていないと思うが、与党に転じて、熊谷はそれを180度変え、公明党東京都本部の新年会では、ほとんど土下座に等しい謝罪をした。
熊谷の姿は本当に見苦しい。しかし、小泉純一郎は熊谷と同じことをしているのに、それほど追及されていない。それは「大したことではない」からか。
かつて小泉は、公明党と手を組むのは「無節操」であり「無原則」だと厳しく批判していた。それが、いまや、首相として公明党の大会に出て、創価学会名誉会長の池田大作の撮った写真をほめるなどという卑屈なことをやっているのである。
イージス艦の派遣の問題でも、まさに「政権に居座ることを自己目的にし、政治理念もかなぐり捨て」て黙認した公明党は「コウモリ党」だと思うが、とするなら、熊谷は「コウモリ代議士」であり、小泉は「コウモリ首相」である。(参考記事)
(日本大学教授・北野弘久『諸君!』H12.5抜粋)
<亀井氏らの変節>
ところが、このような宗教法人税制、宗教法人法のさらなる改正は、現政権下では非常に難しいものとなってしまっている。ご存じの通り、「自自公」連立政権がしばらく続く以上、「公」たる公明党の意向に反する法改正など、期待のしようがないからである。
自自公で衆議院の3分の2以上を確保した上で、懸案事項だった法案を続々と通過させ、膨大な国債を発行し、問題を全て先送りにする。対すべき野党といえば、国会ボイコット以外の手を持たず、兄弟喧嘩だなんだと一向に野党としての役割を果たすことができない。
これは、明らかに全体主義的傾向の広がりを意味してはいないか。この時、最も権力志向の強い宗教団体の政党が政権の要となっていることについて、なぜ新聞やテレビのメディアば警鐘を鳴らすことができないのか。
俵孝太郎氏と白川勝彦氏が『諸君!』4月号での対談で嘆いていたように、かつては創価学会の政教一致体質を批判していた自民党内の勢力も、今は完全に学会に尻尾を振っている状態。
1994年に4月会が結成されたが、その準備段階で、一面識もなかった私の国分寺の自宅に、わざわざ亀井静香氏らが訪ねてこられた。
「小選挙区制になると、創価学会の票がどっちに流れるかによって自民党の帰趨は決してしまう。だから彼ちをおい落とさなければならない。公明党の実態は創価学会であって、創価学会が日本の政治を支配することになる。これは、日本の民主主義、立憲主義の危機です。先生の学説の出番です」−。
彼らは私に理論面から協力してほしい、と言った。こうした動きから池田大作氏の国会証人喚問問題などを経て、宗教法人法改正へと事態が進んでいったのだが、あの時亀井氏らが私に言ったことはまぼろしだったのか……。そう思いたくなるほど、現在の亀井氏や他の自民党政治家の変節ぶりが甚だしい。
このままでは、違った形ではあるが、60年前の「大政翼賛政治」の過ちを繰り返すおそれがある。