創価学会破折
似非平和文化活動
・「核兵器の保有・使用」を認めた公明党!?/『慧妙』H28.6.1
・学会の「反戦平和」は看板だけ/『慧妙』H28.4.16
・裏では日本の再軍備を力説した池田/『慧妙』H28.3.16
・集団的自衛権 公明の容認方針 理屈の通らない変節だ/『北海道新聞』H26.6.29
・公明党は「ダチョウの平和」/『産経新聞』H25.4.11
・学会・公明党 「平和」無視の行動パターン/<法蔵>
・韓国SGIが扇動する反日運動の本音/ジャーナリスト・山村明義『フォーラム21』H17.5.15
・タカ派政権の維持存続に加担/『共同通信ニュース速報』H16.2.21
・神崎氏「自衛隊がオランダ軍援護可能」/『朝日新聞ニュース速報』H16.2.13
・仏教はイスラム教と「協調すべき」/『聖教新聞』H15.6.19・『慧妙』H15.7.1編集
・平和と人権を捨てた公明党と創価学会/『週刊金曜日』H15.6.13
・池田提言機にイラク攻撃容認へ
・カーター元大統領、イラク戦は「文明国史上空前の愚行」/asahi.com030310
・戦争阻止へ 宗教者立つ/『しんぶん赤旗』H15.3.4
・盗聴法、イージス艦派遣/平沢勝栄『諸君!』H15.2
・独裁者・犯罪者を賞賛した「平和外交」/『フォーラム21』H15.2.1・『慧妙』H17.1.1ほか
・フォークランド紛争にダンマリ/『慧妙』H15.4.16
・武力容認は公明党設立当初から/『慧妙』H21.12.1
------------------------------------------------------------
日中関係
・尖閣諸島問題で公明の日和見が露呈/『慧妙』H22.10.16
・チベット問題でダンマリ(互いに利用しあう池田と中国)
・日中友好よりも自己保身のため連立優先/『朝日新聞』社説H18.9.19
・日中友好を勢力拡大に利用する池田創価学会/ジャーナリスト・乙骨正生『フォーラム21』H17.5.15
・日中国交正常化と言論問題/江藤俊介=政治研究者『前衛』H15.7ほか
◆仏教はイスラム教と「協調すべき」/『聖教新聞』H15.6.19・『慧妙』H15.7.1編集
『聖教』が、今度はイスラム教とも「仲良し」になったことを大々的に報じている。1面には「仏教とイスラムの対話」の大見出しが踊り、「寛容」「多様性の尊重」などが「両宗教」の「共通点」であるから、両宗教が「協調すべき」なのだという。
-----------------------
末法の衆生は例外なく"本未有善"であり過去に善根がない、だから三大秘法の下種仏法でなければ成仏できないのである。そうであれば、仏法上の正邪の峻別なくして布教はありえないし、真の平和も実現できないのである。(法蔵)
創価学会・公明党が、アメリカのイラク攻撃容認に続き、またしても「平和」の看板を汚す行動に出た。即ち、自衛隊の「戦地」派兵容認である。「平和」をモットーの1つに掲げながら、以前は批判していた自民党的右傾化路線に追随し他党以上に反平和的行動に出る公明党。その公明党を背後で支えている創価学会も「平和」をモットーとしている。学会員もまた、イラク攻撃に反対でありながら、いざ選挙となると公明党を必死になって支援する。何とも摩訶不思議な団体ではある。
「平和」と「権力」(自民党的右傾化路線)という相反する価値の間で右顧左眄しつつ、結局は「権力」にしがみつくために一枚岩になれる創価学会・公明党の一見支離滅裂とも思える行動パターンの前提・背景には"総体革命"という一貫した宗教的(?)理念が存在するのである。総体革命実現のためには民主主義も政党政治も、「平和」の看板も、手段に過ぎないのである。
【自衛隊「戦地」派兵を容認】
<大義なき「戦地」派兵>
●開戦の大義に疑問符が付いた戦争はまだ終わっていない。独裁政権は消えたが、米軍や同盟国軍、文民を狙った襲撃が泥沼化している。イラク国家再建の確かな展望も見えない。そこに自衛隊員が生命の危険を賭して出かける。(中略)特措法が成立してすでに4ヵ月余りがたつ。2ヵ月前には日本に立ち寄ったブッシュ大統領に自衛隊派遣を約束し、一時は年内の派遣さえ検討した。その後の治安の悪化で目算が狂ったとはいえ、このまま事態を見守るだけでは、ブッシュ政権との関係もきしみかねない。2人の外交官の死にもたじろぐことなく「テロに屈しない」姿勢を米国や世界に見せたい。そういうことに違いない。(中略)本当の問題は派遣が早いか遅いかにあるのではない。派遣される自衛隊員の立場に立ってみよう。首相の命令があれば、彼らはそれに従うことをいとうまい。だが、それだけでいいのだろうか。彼らが危険を顧みずに活動するために何より求めているのは、何のための活動なのかという、納得できる大義のはずである。(中略)一部の人々に喜ばれても、多くの人々に占領軍の一翼と見なされては、それこそ派遣の大義に反する。閣議決定をすべきではない。(『朝日新聞ニュース速報』H15.12.9)
●自衛隊の派遣は、非戦闘地域に限るというイラク支援法に反するもので、将来にわたる間違った判断だ。派遣を強行する小泉総理大臣は、自衛隊に犠牲者が出るなど、万一の時、どういう責任を取るのか。基本計画に賛成した公明党を含め、小泉内閣の責任は極めて重い(民主党代表・菅『NHKニュース速報』H15.12.9)
●政府は9日午後、安全保障会議と臨時閣議を開き、イラク復興支援特別措置法に基づく自衛隊派遣などの「基本計画」を正式決定した。基本計画は、陸上自衛隊のイラク南東部派遣を明記。陸海空各自衛隊の派遣期間を「今月15日から1年間」とし、人道復興支援や「安全確保支援」として米軍の後方支援も行う。 戦闘が継続している海外への陸自派遣は初めてで、日本の安全保障政策は大きな転換点を迎えた。憲法との整合性もあらためて問われる。 小泉純一郎首相は閣議後に記者会見し「必ずしも安全と言えない状況だが、国際社会の責任ある一員としてイラク国民が望む復興支援をする必要がある」と人的貢献の必要性を強調。(『共同通信ニュース速報』H15.12.9)
●日本政府は自衛隊の海外戦地への派遣を一歩一歩進め、日本が経済力だけでなく軍事能力を持つ大国だと国際社会に示そうとしている(中国・新華社/『インフォシークニュース』H15.12.10)
●戦後日本の防衛政策上の一大転換点となる(中国・新華社/『インフォシークニュース』H15.12.10)
<国民は慎重>
●毎日新聞が29、30の両日に実施した全国世論調査(電話)で、イラクへの自衛隊派遣について「時期にかかわらず派遣すべきではない」と答えた反対派が43%、「イラク情勢の安定を待って派遣すべきだ」と条件付きの慎重派が40%を占めた。派遣反対・慎重派が8割を超えたのに対し、「可能な限り早く派遣すべきだ」の早期派遣派は9%だった。一方、第2次小泉純一郎内閣の支持率は42%で、前回10月調査から14ポイント急落し、不支持率は37%と11ポイント増えた。(『毎日新聞ニュース速報』H15.11.30)
↓
●イラクへの自衛隊派遣の賛否を尋ねたところ、「賛成」と「反対」がともに47%と並んだ。昨年12月の前回調査と比べ「反対」は54%から7ポイント下落し、「賛成」が35%から12ポイント増えた。昨年7月から実施している毎日新聞の世論調査では「反対」が「賛成」を一貫して上回っており、賛否が同率で並んだのは初めて。(『毎日新聞ニュース速報』H16.1.25)
●自衛隊員に死傷者が出たり、逆に被害を与えた場合の対応では、「派遣をやめるべきだ」が56%で、「続けるべきだ」の37%を上回った。(『毎日新聞ニュース速報』H16.1.25)
<公明幹部と学会幹部は連立優先>
●公明党は3日、イラクへの自衛隊派遣などの概要を定める基本計画の来週中の閣議決定について、容認する方針を固めた。同党は、自衛隊派遣に慎重な姿勢を示してきたが、連立与党として小泉首相の方針を尊重せざるをえないと判断した。(『朝日新聞ニュース速報』H15.12.4)
●創価学会でも、日本人外交官殺害事件を受け慎重論が強まる一方だ。同会幹部は「自衛隊を出さないわけにはいかないが、できれば小規模の調査団のような形で派遣することができないか」と注文を付ける。(『共同通信ニュース速報』H15.12.4)
<国民や会員向け"言い訳">
●一方で、冬柴氏は、派兵時期について「いつやるかということは、相当慎重に判断した方がいい」「最初から年内なんて1回も言ったことはない」(前出「朝日」)としきりに弁明しています。 しかし、自衛隊のイラク派兵については、自民党内の一部にさえ異論や慎重論があったなかで、自民党以上に熱心に推進してきたのが公明党です。 いまになって、“慎重姿勢”を強調するのは、冬柴氏が「世論の9割が反対なことは知って(いる)」「我々の支持団体(の創価学会)の方々にも納得を得なければならない」(同「朝日」)というように、世論と創価学会員向けの言い訳に過ぎません。(『しんぶん赤旗』H15.12.5)
●「(※自衛隊のイラク派遣について)首相は説明不足」と自民党、公明党幹部が不満を漏らすのも聞こえはいいが、「責任回避モード」に入ってきたとしか見えない。では事前に詳しい説明があれば計画を白紙に戻すくらいの大激論を交わすのか? そんな迫力は感じられない。 加藤紘一、亀井静香両氏らは「派遣に反対」「慎重に」などと唱えているが、これもどこか評論家風だ。反対するなら「小泉内閣を倒す」と体を張っていいほどの重いテーマではないのか。(与良正男=政治部『毎日新聞ニュース速報』H15.12.8)
-----------------------
イラク戦争のとき学会は、公明党に慎重な態度をとるように要請した。しかし、結局、公明党はアメリカのイラク攻撃を容認した。もし本当に学会が「憲法9条」「国連中心の平和行動」を大切だと思うのであれば「小泉内閣を倒す」ことを辞さない、という覚悟で行動すべきように公明党に指示したはず。それができない学会は、結局「平和」よりも「権力」が大切なのである。だからこそ、公明党は「平和」を無視した行動をとり続けるし、それでも学会の支持を得て選挙を戦えるのである。
<不満あっても結局上意下達>
―議員―
●4日午前に開かれた中央幹事会でも「復興支援は必要だが、今は派遣すべきではない」との意見が大勢を占め、神崎氏は席上「専門調査団の報告も受けておらず、党として意思決定を行えるだけの材料がそろっていない」と強調。派遣の判断は「党内議論を尽くす必要がある」とその場を収めるのが精いっぱいだった。(『共同通信ニュース速報』H15.12.4)
↓
●公明党が6日開いた全国代表者会議では、自衛隊のイラク派遣を容認する神崎武法代表に対し、異論はほとんどなく、派遣を認める方針は事実上了承された。支持母体の創価学会をはじめ、党内には「安全が確保されていない」と慎重論は残っているが、小泉純一郎首相に対し、実際の派遣時期に関しては十分協議するよう注文をつけることで「慎重さ」をアピールする狙いがあるとみられる。(『毎日新聞ニュース速報』H15.12.6)
―会員―
●イラクで国連事務所など外国人を狙った爆弾テロが頻発するようになって以降、創価学会内では婦人部を中心に、自衛隊派遣への慎重論が強まっている。創価学会の集票力を背景に衆院選で公明党が勢力を伸ばし、自民党候補の当選にも貢献したことで、学会員の中では「連立与党として公明党も自民党にはっきり注文をつけるべきだ」という意見が力を増している。(『読売新聞ニュース速報』H15.12.3)
↓
●(自衛隊イラク派遣について)公明党支持層は「賛成」が22ポイント増の57%に達し、8ポイント減の「反対」36%と賛否が逆転した。(『毎日新聞ニュース速報』H16.1.25)
<見せかけだけの「平和」の看板>
―"人道支援"から"テロ撲滅"へ派兵目的変遷―
●公明党も賛成して5ヵ月前に成立したイラク特措法は、人道復興支援のために自衛隊を「非戦闘地域」に派遣することをうたう。だが、いまのイラクはあの頃思い浮かべたイラクではない。「戦闘が完全に終結したとは認められない」と政府も言う。 むろん、比較的安全な地域はある。だが、どこにいてもテロやゲリラ攻撃の標的となりうる。襲われれば戦闘は避けられない。首相の言う通り「殺されるかも知れないし、殺すかもしれない」可能性は小さくない。それを分かったうえの派遣である。 「平和」を立党の原点とする公明党は、これを良しとするのだろうか。首相をたしなめ、イラク政策を見直すよう声をあげるべきではないのか。例えば、派遣を当面見送り、イラク人への主権の移譲やイラク国内の安定化の様子を見ながら自衛隊を活用する時期を探ることも選択肢としてはあり得るだろう。神崎代表が憲法9条の堅持を言う公明党だからこそ、そうした現実的な主張にも説得力が増すのではないか。(『朝日新聞ニュース速報』H15.12.5)
●冬柴鉄三幹事長は4日付の「朝日」インタビューで、現状でのイラク派兵について「可能だと思う」と強調。「テロに屈することは許されない。テロを撲滅しようという国際社会の戦いに、我が国にふさわしい貢献をするという意思は全く変わらない」とのべています。「テロ撲滅」のためには自衛隊派兵が必要だというのです。(『しんぶん赤旗』H15.12.5)
―「平和」の看板よりも権力―
●公明党が力を入れる年金制度改革では、保険料率上限や基礎年金の国庫負担引き上げの財源で自公両党の足並みの乱れが露呈。公明党がマニフェスト(政権公約)に盛り込んだ「夫婦別姓の導入」「憲法の平和主義堅持」など今後自民党との調整に難航が予想される政策課題も山積している。(『共同通信ニュース速報』H15.12.6)
●日本外交官2人が銃撃で殺され、みなの懸念や不安が高まるなかで自衛隊が送り出される。派遣は日本という国のあり方をも大きく変えるだろう。それほど重い問題なのに、自民党と連立して政権を握る公明党が何をしようとしているのか、さっぱり分からない。 冬柴幹事長は、現状での自衛隊の派遣についてこう語る。「可能だと思う。テロに屈することは許されない」が、「いつやるかは相当慎重にやった方がいいと思う。年内派遣にはこだわらない」。首相の方針を支持するのか、それとも異論があるのか、一体どっちなのだろうか。 自民党との連立解消につながるようなことはしたくない。しかし、支持母体である創価学会の婦人部を中心とした派遣反対論にも配慮せざるをえない。冬柴氏の言葉にはそんな迷いが透けて見える。(『朝日新聞ニュース速報』H15.12.5)
●日本の安全保障政策は大きな転換点を迎えた。憲法との整合性もあらためて問われる。(『共同通信ニュース速報』H15.12.9)
-----------------------
公明党は"憲法9条堅持"を政策として掲げていたが、「憲法との整合性も」「問われる」という問題を他党に先駆けてあっさり容認してしまった。公明党の掲げる「平和」の看板が、如何に見せかけであったかが分かる。
【学会・公明党、右傾化のパターン】
<相反する価値(「平和主義」と「権力」)の間で、右顧左眄>
平和主義(会員向け世間向け建前)=ノーベル平和賞への道(名誉欲)
会員
若手議員または地方議員
公明党上層部
権力志向=自民党的政治への迎合=広布達成時の「国主(賢王)」への野望
<異論あっても、最終的には一枚岩>
―反民主的政治行動の背景に"総体革命"―
・「平和」は創価学会・公明党の表看板。だから、婦人部を中心に会員の間では、海外派兵には慎重な意見が多い。その影響で、議員の間でも慎重な意見がある。それでも、最終的には学会首脳(池田)の指示の下に一致団結してしまうのが創価学会・公明党の不思議なところである。
・会員個々の政治的信条を捨てても上意下達の行動ができるのは、学会員の政治活動が、宗教活動の一環に過ぎないからに他ならない。即ち、学会員が政治参加する目的は創価学会の流布による政治支配にある。
・このような考えは、政界に対するだけではない。経済界や官界など、あらゆる分野に創価学会員が進出することによってのみ、社会は変革される。これが、創価学会の対社会的活動の本音である。これを"総体革命"という。
・個々具体的な政策によって政治が良くなるのではなく、ただただ"創価学会が政界を支配することによってのみ、政治が良くなる"という宗教的政治観が前提に存在するのである。だから、「平和」「福祉」「清潔」といった看板は、創価学会・公明党にとっては単なる宣伝であり、具体的な政策と結びつく必要はない。「平和」「福祉」「清潔」といったことは、政策によってではなく、創価学会・公明党による支配の先に実現されるものであって、途中に「戦争」「貧困」「腐敗」があっても、それは総体革命実現のための"途中経過"に過ぎないのである。
―安保論議の空洞化を象徴―
―軽い処分で「過去」に 造反の3K―
(『共同通信ニュース速報』H16.2.21)
政権与党・自民党の三役を経験した加藤紘一、古賀誠、亀井静香三氏が戒告処分を受けた。自衛隊イラク派遣承認への造反。政局のキーマンとして常に注目を集めていたのは今は昔、3人の行動の余波はなかった。頭文字をとって「3K」と呼ばれる重鎮の“孤立化”は、安全保障政策をめぐる党内、そして国会の論議の空洞化を象徴しているようだ。
その後の弁―。「何を言っても『負け犬の遠ぼえ』と言われる。変わり者になってしまうから、批判する必要はないということではないか」と嘆く亀井氏。古賀氏は「ハト派的な理念を持った政権をつくらないと、日本がいつか来た道に戻ってしまう」と危ぐする。「ブッシュの戦争に大義がない」と言い切った加藤氏は「自衛隊に何かあれば参院選にも影響が出る」と語る。
3Kは「個人の信念」で造反した。同調の輪を広げる努力をしなかったのは、声を掛けて集められなければ威信にかかわるという不安にも増して、「右へ倣え」に歯止めをかけられない無力感を感じたからかもしれない。心のどこかで期待しながらも、後に続く仲間はいなかった現実に直面し、さぞむなしさを募らせたに違いない。
小泉純一郎首相に聞く耳があれば、3人が鳴らした警鐘は重く響いたはずだが、その後の国会答弁を見れば分かるように、全く意に介していない。
首相自身が「国論は二分」と認め、国会空転まで招いた重要課題。それへの造反なのだから「厳罰」に処すべき事態だが、自民党執行部のおとがめは軽かった。三役経験者に厳しい処分を下せば、反対論を際立たせかねない。かと言って、何もしなければ支持母体・創価学会の慎重論を振り切って、政府方針を追認する与党の“礼儀”を尽くした公明党に示しがつかない。横一線の戒告処分には、こんな執行部の判断が浮かぶ。一刻も早く「終わった話」として過去に葬り去りたかったのである。
陸上自衛隊派遣の出発点は「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上部隊の派遣)」という米側発言とされる。しかし、この言葉、実は日米の官僚による「合作」だったことはそれほど知られていない。米国防総省担当者が何げなく口にしたひと言を、日本側がわざわざ米国防副次官補に日米協議の場で使うよう依頼したのが真相。そ
れに小泉首相が乗ったのだ。
自民党総裁選や衆院選での争点化を回避するために正式な意思決定を先送り。国会の「事後承認」制を利用して積み上がる既成事実。時代の変化と片付けるのは簡単だろう。だが、一人ひとりの議員が残した足跡はほとんど見当たらず、言論の府の機能不全は覆い隠しようもない。いま、不測の事態への不安を抱えながら、衆院特別委員会で週1回の審議が「消化試合」のように続いている。(共同通信政治部 久江雅彦)(了)[2004-02-21-07:58]
------------------------------------------------------------
●ハト派的な理念を持った政権をつくらないと、日本がいつか来た道に戻ってしまう(古賀誠)
●ブッシュの戦争に大義がない(加藤紘一)
-----------------------
現在の創価学会・公明党は「平和」の看板を背負いながら、自民党の議員以上にタカ派であることは、誰の目にも明らかであろう。
●支持母体・創価学会の慎重論を振り切って、政府方針を追認する与党の“礼儀”を尽くした公明党
-----------------------
創価学会と公明党の関係は、例えば医師会と自民党のような"支持団体と政党"という関係ではない。何故なら公明党は、選挙に立候補するのも、選挙戦を戦うのもすべて創価学会就中、池田大作の意向と支持に負っているのであるから。すなわち、公明党結党時からそうであったように、公明党は創価学会の一部に過ぎないのである。
その創価学会の「慎重論」を振り切って公明党が学会の意に反した政治行動など執れるはずはない。学会が慎重論をとったのは会員や国民向けポーズであり、表面上、公明党が学会の意に反した行動を執ったことは、最終的には池田大作の了解があったとみるべきである。
一方で創価学会を中心に「平和」をアピールし、一方で公明党にタカ派政権の維持存続に加担させる。これは、公明党の自主的行動などではなく、池田大作自身の中のジレンマ=平和と文化を推進する指導者(ノーベル平和賞獲得を目指す名誉欲)VS権力欲、の表れというべきである。(法蔵)
―英紙が発言報道―
(『朝日新聞ニュース速報』H16.2.13)
公明党の神崎代表は英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューに対し、イラクへの自衛隊派遣に関連して「自衛隊がオランダ軍を助けられないのは奇妙な現象だ。国際法に基づく限り、オランダ軍を助けることは、憲法改正ではなく解釈で可能だと思う」
と述べた。サマワで治安維持にあたるオランダ軍が攻撃を受けた場合、現行法でも自衛隊が援護できるとの認識を示した。10日付の同紙が伝えた。
神崎氏は「イラクでの自衛隊の限定的な行動を支持するのであり、憲法の理念の全面的な見直しを支持するものではない」とも語り、憲法が禁じる集団的自衛権行使との関係や、どのような法理論のもとで自衛隊の援護が認められるのか、などには言及していない。
政府は他国の部隊を援護すれば「武力行使との一体化」とみなされる恐れがあるため、イラクでの自衛隊の武器使用について「隊員や自己の管理下に入った者などを守るため、やむを得ない場合」に限定している。石破防衛庁長官は国会で「どの国も自分の部隊は自分で守るのが当たり前だ。基本的に、オランダ軍がやられて日本が助けに行くことは予定していない」と答弁している。[2004-02-13-03:08]
------------------------------------------------------------
創価学会・公明党は"憲法9条擁護"の立場のはず。その「憲法が禁じる集団的自衛権行使」に相当する「オランダ軍を助けること」が、「憲法改正ではなく解釈で可能」だというのだから呆れる。
一方、自民党は憲法を改正して「集団的自衛権行使」を憲法上明確化しようという立場である。その自民党の石破防衛庁長官が「オランダ軍がやられて日本が助けに行くことは予定していない」と答弁しているのだ。
一体、創価学会・公明党は、本気で憲法9条を擁護する気があるのか(あったのか)と疑ってしまう。創価学会の「平和の看板」の内実は全ての武力の否定にあったはず。だからこそ公明党も自衛隊や安保を否定した歴史を持つし、憲法9条擁護の立場であったはず。それが、自公連立によって権力維持を優先するあまり、「平和の看板」を捨て去り、言行不一致、支離滅裂の御都合主義を露呈していった。今回の神埼発言―憲法9条擁護の立場でありながら、政府・自民党でさえ認めていない「オランダ軍がやられて日本が助けに行くこと」を簡単に認めた―も、その1つである。
要するに彼らにとって、政治的モットーなどは、より"高次の目的"達成のための便宜的道具に過ぎないのである。"高次の目的"とは何か、それは池田創価学会による日本支配であり、総体革命の実現である。(法蔵)
(asahi.com030310)
ノーベル平和賞を昨年受賞したカーター元米大統領は、9日付の米紙ニューヨーク・タイムズに寄稿し、ブッシュ政権が準備を進めている対イラク武力行使を、「文明国の歴史の中でほとんど前例のない」誤った軍事的、外交的行為に踏み切ろうとしていると厳しく批判した。
カーター氏は文中、自らの大統領在任中(77年〜81年)に様々な国際的危機があり、「正義の戦争」の原則はよく承知していると述べ、「目下のイラクへの単独行動主義的な攻撃が、その基準に見合っていないのは明らかだ」と主張した。
戦争が正義であるための条件として
(1)すべての非暴力的な方策が尽きた後の最後の手段であること
(2)戦闘員と非戦闘員が区別されること
(3)自国が受けた被害に釣り合うこと
(4)国連などの認めた法的な裏付けがあること
などを列挙し、イラク戦はどれも満たさないと考えを述べている。
そのうえで同氏は、イラク周辺に展開している米軍に関して、「戦争を最後の選択としつつ、イラクに安保理決議を順守させるための圧力として用いるなら、平和と正義のチャンピオン(擁護者)としての米国の地位を高めることになる」と提案している。(03/1018:39)
−「祈りと断食」呼びかけ−
(『しんぶん赤旗』H15.3.4)
<バチカン>
【パリ3日浅田信幸】カトリックの総本山ともいうべきローマ法王庁(バチカン)は、米英が急ぐ対イラク戦争を明確に批判し、積極的な平和外交を展開しています。
法王庁は1日、法王ヨハネ・パウロ2世が、ブッシュ米大統領にあてた「中東の武装解除と平和に資するため」の書簡を直接手渡すよう、バチカンの国連大使(オブザーバー)に託したと明らかにしました。また法王は、カトリック行事「灰の水曜日」の5日に「平和のための祈りと断食」を信徒に呼びかけました。いくつかの国では同日、平和団体による反戦デモが計画されています。
ローマ法王はこの1ヵ月間に、フィッシャー独外相、アジズ・イラク副首相、アナン国連事務総長、ブレア英首相、アスナール・スペイン首相と会見、イラク問題を平和的に解決する道を探求するよう強く要請。またエチェガレ枢機卿をイラクに派遣し、サダム・フセイン大統領にたいし国連決議に従い武装解除を進めるよう求めました。
法王は、とくにブレア首相には戦争阻止のために「できる限りの努力」を、またアスナール首相には、全当事者が「国際法と倫理にかなった平和的で効果的措置」をとるよう訴えました。
法王は「戦争は常に人類にとっての敗北」を意味すると「戦争拒否」を明確に打ち出し、反戦世論が全世界に急速に広がるうえで大きな影響を与えています。
<“戦費を貧困対策に回せ”米国で2千人>
【ワシントン2日浜谷浩司】ブッシュ米政権によるイラク攻撃計画に反対して、サンフランシスコ市内のグレース大聖堂で2日午後、宗教者の平和の祈りが行われ、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、ヒンズー教などの宗教者約2,000人が参加しました。
全米教会会議の主催によるもので、戦争は貧困を引き起こしているとし「平和のための貧困の行進」と名づけた一連の行動の一環。礼拝では、ブッシュ政権が巨額の戦費を支出する一方で、医療、教育、保育など福祉を無視し、いっそうの貧困が生み出されているとの批判が相次ぎました。
同会議の事務局長を務めるエドガー牧師は、戦争に使われる金を、米国と世界の貧困の追放に使うことを「考えよう」、イラク戦争は「正義の戦争ではない」、世界の世論を集め「ノー」の声をあげれば「戦争を阻止できる」と訴えました。
------------------------------------------------------------
※世界の宗教者は堂々と「イラク攻撃反対」を表明し、ローマ法王などは各国首脳と精力的に会見までしている。それなのに学会の「永遠の指導者」は「軍事力を全否定することは(中略)、政治の場でのオプション(選択肢)としては、必ずしも現実的とは言えない」(池田大作H15.1.26/『YOMIURI ONLINE』H15.217)などと、戦争容認ともとれる発言を行った。一般論としては戦争反対といいながら、具体的に紛争に直面している場面では何1つ「平和主義者」としての指導力が発揮できない。口先だけの「平和主義者」だったということです。(法蔵)
【池田の"武力容認"提言機に方針転換した公明党】
<H14.11.>
・国連安全保障理事会で「国連安保理決議1441」が議決された。
・これに対しイラクは、そこに定められた国連監視検証査察委員会の査察を受け入れはしたものの、その対応ぶりは、アメリカ・イギリスなどを満足させるものではなかった。
<H15.1.9>
・国連監視検証査察委員会が中間報告を提出。
・アメリカやイギリスは、その内容などから、イラクが「国連安保理決議1441」に違反したものとして、攻撃準備を開始した―。
<H15.2.>
◆常任理事国で1、2ヵ国が反対する状態で武力行使した場合、日本は容認するだろうが、公明党は賛成できない(冬柴幹事長『日経新聞』H15.2.4/『しんぶん赤旗』H15.3.14)
変↓節
<H15.1.26>
・池田大作は「SGIの日」記念提言なるものを発表した。
◆軍事力を全否定するということは、一個の人間の「心情倫理」としてならまだしも、政治の場でのオプション=「責任倫理」としては、必ずしも現実的とはいえないでしょう(池田大作「SGIの日」提言 H15.1.26)
◆(※池田が)イラク問題について……米国のイラク攻撃に一定の理解を示した(『日経新聞』H15.1.26/『しんぶん赤旗』H15.3.19)
◆(※池田「提言」の)武力行使を全否定はしないというくだりに「そこまで選択の幅を認めていただけるのか」と驚いた(公明党中堅議員『週刊朝日』H15.3.7/『しんぶん赤旗』H15.3.19)
<H15.3.2>
◆公明党の北側一雄政調会長は同じ番組(※2日のNHK報道番組)で、「国際社会が一致結束できるようにすることが極めて大事だ。そのあとのことを議論する状況ではない」と述べるにとどめた。同党はこれまで「新たな決議なしでは反対する」(冬柴鉄三幹事長)との立場だったが、与党内の足並みをそろえることを優先したものとみられる。(『朝日新聞ニュース速報』H15.3.2)
<H15.3.8>
◆公明党の冬柴鉄三幹事長は(中略)査察継続に疑問を呈した。(時事通信社H15.3.8)
<H15.3.10>
◆公明党は10日、国連安全保障理事会による武力行使容認決議が採択されないまま、米国がイラク攻撃をした場合でも攻撃を容認する方針を固め、党内調整に入った。米国支持を決めている政府方針に合わせざるを得ないとの判断からだ。(『読売新聞ニュース速報』H15.3.11)
<H15.3.18>
◆公明党は18日、イラク問題で米国が新たな国連決議の採択を求めず、武力行使の最後通告を突きつけたことについて「遺憾だが、政府が米国を支持したことはやむを得ない」と容認し、自民、保守新両党と足並みをそろえた。 これまで公明党は「新たな決議がない武力行使には反対」(冬柴鉄三幹事長)として平和解決を求めてきたが、現実は最悪のシナリオに。与党の一員として、政府と歩調を合わせざるを得ないとの判断から容認に踏み切ったが、「平和の党」という看板が揺らぐことも予想される。 冬柴氏は18日の記者会見で「口で反戦、平和と言っているだけでなく、平和はつくり出さなければいけない」と強調した。ただ、これまでの発言との整合性は問われかねず、明確に説明する責任も負った。(『共同通信ニュース速報』H15.3.18)
【世界の宗教者は具体的に"行動"】
●同地(※パリ)からの報道によるとアナン事務総長は「米国が安保理の枠外で軍事介入を開始すれば、それは国連憲章に合致しない」と言明。さらに「戦争は最後の手段であるべきだ」とのべ、戦争が短期に終わるか長期にわたるかにかかわりなく、「きわめて大きな人間的苦悩」を必然的に伴うと指摘しました。(『しんぶん赤旗』H15.3.12)
●米紙ニューヨーク・タイムズ9日付は社説で、ブッシュ米政権が固執している対イラク戦争について、広範な国際的支持がないままにイラクを侵攻することには「反対である」と表明、戦争によらないイラク危機の解決を求めました。(中略)社説は「すべての国が従うべき一定のルール」の最も重要な1つが「いかなる理由にせよ、他国を侵攻してはならない」ことだと強調、「もっと極端でない手段を探すべきだ」と米政権をたしなめました。(『しんぶん赤旗』H15.3.11)
●ドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラス氏、英国のメアリー・カルドー・ロンドン大学経済学部教授、イタリアのノーベル賞受賞者リタ・レビ・モンタルチーニ氏ら6ヵ国の著名人、12人は、8日付の仏紙ルモンドにシラク仏大統領あての公開書簡を発表。対イラク戦争が南北関係や中東問題に深刻な影響を及ぼし、「国際法と国連を弱体化させる」とし、「必要となれば拒否権を行使して平和を支持する行動を続けてほしい」と同大統領にエールを送りました。 また先週末には、英仏の国際法学者16人が決議なしの戦争は「国際法違反」とする書簡を公表。政府が無条件の対米追随姿勢をとるスペインでも、国際法学者ら290人が、安保理決議を経ずに「イラクにたいして武力を行使する国は国際法に背く」との声明を発表しています。(『しんぶん赤旗』H15.3.11)
●ノーベル平和賞を昨年受賞したカーター元米大統領は、9日付の米紙ニューヨーク・タイムズに寄稿し、ブッシュ政権が準備を進めている対イラク武力行使を、「文明国の歴史の中でほとんど前例のない」誤った軍事的、外交的行為に踏み切ろうとしていると厳しく批判した。(中略)戦争が正義であるための条件として
(1)すべての非暴力的な方策が尽きた後の最後の手段であること
(2)戦闘員と非戦闘員が区別されること
(3)自国が受けた被害に釣り合うこと
(4)国連などの認めた法的な裏付けがあること
などを列挙し、イラク戦はどれも満たさないと考えを述べている。(<asahi.com>H15.3.10)
●ローマ法王はこの1ヵ月間に、フィッシャー独外相、アジズ・イラク副首相、アナン国連事務総長、ブレア英首相、アスナール・スペイン首相と会見、イラク問題を平和的に解決する道を探求するよう強く要請。またエチェガレ枢機卿をイラクに派遣し、サダム・フセイン大統領にたいし国連決議に従い武装解除を進めるよう求めました。 法王は、とくにブレア首相には戦争阻止のために「できる限りの努力」を、またアスナール首相には、全当事者が「国際法と倫理にかなった平和的で効果的措置」をとるよう訴えました。 法王は「戦争は常に人類にとっての敗北」を意味すると「戦争拒否」を明確に打ち出し、反戦世論が全世界に急速に広がるうえで大きな影響を与えています。(『しんぶん赤旗』H15.3.4)
------------------------------------------------------------
公明党の本来の目的は「王仏冥合」(世法と仏法が一体化して、世界を利益する)ことにあったはず。公明党が権力に近づくほど、宗教(理想)と政治(現実)が乖離している姿は、学会の「広布」が仏法の利益とは無関係の次元で展開していることを如実に物語っている。(法蔵)
−「政党政治の自殺」より−
(衆議院議員・平沢勝栄『諸君!』H15.2抜粋)
<政党政治の自殺行為>
・公明党との連立を組んで以来、さまざまな政策面でのギプ・アンド・テイクが行なわれてきました。
例えば平成11年に、総額約7000億円をかけて地域振興券(関連記事参照)が配られました。
・本来の考え方とは相容れない法案を自民党はなぜ通したのか。それは通信傍受法案を可決させるためでした。要するに地域振興券と通信傍受法をバーターしたのです。通信傍受法は野党からの反対が強く、政府が提出してから1年あまり店晒しになっていました。当初、公明党は共産党に次いで反発しており、創価学会の機関紙「聖教新聞」が、「盗聴法は平成の治安維持法」だとして厳しく批判していたほどです。その公明党が連立与党の話し合いの中で、賛成派に回ったのです。
・政策バーターは通信傍受潅だけにとどまりません。空中給油機配備のために児童手当を拡充し、斡旋利得処罰法案の適用対象から秘書を外す骨抜き案に同調してもらうかわりに子育て支援策を通すなど、さまざまな形でバーターが行なわれているのです。2003年度の税制改正でも、公明党が配偶者特別控除の廃止に難色を示したため、見返りとして児童手当の拡充が決められました。明らかに選拳向けのバラマキ政策です。
<公明党という「呪縛」>
テロ対策特別措置法が2001年に成立した時も、国会承認をめぐって民主党案をべースに修正協議が進められていましたが、存在感を失うことに危機感を抱いた公明党の働きかけで、最後は公明党案の事後承認で法案が通りました。また同法に基づく米軍支援のためにイージス艦の派遣が2002年の12月にやっと決定しましたが、ここまで判断が遅れたのは与党内で公明党が強硬に反対していたからです。結果的には与党間での調整がつかず、政府の判断となりましたが、それでも神崎武法代表は「公明としては反対だ」と表明していました。
平和路線を標榜する公明党として、集団的自衛権の行使につながるおそれのあるイージス艦の派遣には応じられないというのですが、護衛艦はOKでイージス艦はダメという論理は通じません。イージス艦も、従来艦に比べて極めて高性能ですが、護衛艦でしかないのです。
公明党は一貫してイージス艦派遣に反対しているように見えますが、小泉首相に派遣の断念を強く迫ったわけではなく、いわば"黙認"したのです。いままでの経緯から考えると、イージス艦派遣を認めるかわりに公明党が何らかの反対給付を要求してくる可能性がないとはいえません。公明党としては、イージス艦派遣を黙認したのだから、そのかわりに要求をのめ、と言えるのです。これから予算編成が始まりますから、そこで従来みられたような「バラマキ行政」的なものを言ってくるかもしれません。あるいは選挙区の候補者調整で何か言っ定くるかもしれません。
(『フォーラム21』H15.2.1・『慧妙』H17.1.1ほか)
[画像]:池田と親密な関係にあったチャウシェスクとノリエガ=「池田センセーは何でもお見通し」のハズなのだが、"盟友"たる独裁者たちの正体は見通せなかった。
【チャウシェスク】
<独裁者を礼賛>
昭和58年6月にルーマニアを訪問した池田大作は、6月8日、大統領官邸でチャウシェスク大統領と50分にわたって会談した。その際、池田氏はチャウシェスク大統領を次のように賛嘆、「固い握手」を交わしたのだった。
◆大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者であることがよく、理解できました(池田大作『聖教新聞』S58.6.10/『フォーラム21』H15.2.1)
◆今後も世界の指導者としてのご活躍とご健勝を祈ります(池田大作『聖教新聞』S58.6.10/『フォーラム21』H15.2.1)
◆ルーマニア建国の指導者、世界平和に尽力され、ご努力してくださっているチャウシェスク大統領に心より、感謝の意を表し、私の講演を終わりたい(池田大作『聖教新聞』S58.6.9/『フォーラム21』H15.2.1)
<独裁者の実像>
チャウシェスクを打倒した救国戦線評議会によるチャウシェスクの個人資産調査によれば、チャウシェスクはイギリスのバッキンガム宮殿の10倍の規模をもつ部屋数数千の「共和国宮殿」をはじめ、「春の宮殿」「夏の宮殿」など、ルーマニア各地に50以上の邸宅を所有し、贅の限りをつくしていたという。
救国戦線評議会の資産調査に同行した産経新聞社の野村成次カメラマンのコメントを掲載した雑誌『SPA!』の平成2年1月17日号によれば、「夏の宮殿」の周囲約40平方キロメートルはチャウシェスクの個人狩猟用の森であり、一般の立ち入りは禁止。宮殿内部には大理石と純金で作られた室内プールと純金の池、純金風呂、純銀風呂、サウナルームからトレーニングジム、映画館までそろっていたという。
こうして自らは贅の限りを尽くす一方で、極度の重化学工業路線などによる経済政策の破綻により、国民には極度の耐乏生活を強いていた。例えばパンは1日1人300グラムの配給制。食用油も1人1カ月0.5リットルに制限されていた。豚肉は店頭に並ばないので高額のヤミ取引となり、日用品や耐久消費財も欠乏。電力も制限され、一般家庭には電球分しか流されていなかった。
しかも、こうした失政を批判する反政府活動に対しては、チミショアラでの数千人規模にのぼる市民虐殺に象徴されるように、秘密警察による徹底した弾圧が加えられていた。
池田氏がルーマニアを訪問した昭和58年当時、すでにチャウシェスクはこうした独裁体制を確立していた。にもかかわらず池田氏は唯々諾々とチャウシェスクを礼賛したのである。
チャウシェスクは独裁政治に対する民衆の義憤と憎悪の銃弾を浴びて、平成元年12月、打倒された。
変↓節
<失脚すると掌返し批判>
平成2年1月6日、池田氏は聖教新聞社でブラッド駐日ルーマニア大使と会談し、ルーマニアの民主化を最大限、賛嘆したのだが、その際、チャウシェスクについて次のように言及したのだった。
◆民衆の総意による新生ルーマニアの誕生を、私はもろ手を挙げて、祝福いたします。「民衆」が勝った。「人間」の叫びが勝った。私どもはもちろん、権力悪と戦う世界の民衆勢力に、強い勇気を与えてくれました。(池田大作『聖教新聞』H2.1.7/『フォーラム21』H15.2.1)
◆貴国の不幸は、指導者が一族主義による「独裁者」に、いつしか陥ってしまったことにあったといえます。権力の腐敗にどう対処していくかここに将来にわたっての大きな課題があると思うのですが。(池田大作『聖教新聞』H2.1.7/『フォーラム21』H15.2.1)
◆残念なことに、変革以前の貴国には独裁体制があり、その統治が強固なだけに、識者の間には、政権交代は暴力革命になるかもしれないとの指摘もあった。ところが、貴国の民衆は、混乱はあったものの、できる限り暴力の拡大を防ぎ、自由を勝ち取りました。(池田大作『聖教新聞』H2.1.7/『フォーラム21』H15.2.1)
<独裁者賞賛の「過去」を消去>
●平成2年1月1日付『聖教新聞』には、池田氏が過去に対談した「識者との対話」の一覧表が掲載されていたが、そこからはチャウシェスクとノリエガの名前が削除されていた。(『フォーラム21』H15.2.1)
●チャウシェスクが打倒される前日の12月21日、東京・品川区にある品川池田文化会館を訪問した池田大作は、会館内に自分とチャウシェスクが会見している写真が飾られているのを見て、激怒。「すぐに取り外せ」と側近を怒鳴りつけ、その写真を撤去させた。(『諸君!』H2.3/『フォーラム21』H15.2.1)
?変↓節?
その後、ルーマニアの公平な機関で調査し、判明したことは、チャウシェスクが裁判にかけられた理由である「6万人の大量虐殺」の形跡や、「不正蓄財」の証拠は、全く見つかりませんでした。
さらに、革命10周年で行なわれた"世論調査"によると、6割を超える国民が「チャウシェスク政権下の方が現在よりも生活が楽だった」と答えているのです。また、民衆がデモる時のプラカ一ドには「チャウシェスク、私たちはあなたが恋しい」とも書かれていたそうです。
変節漢の池田は、この次、ルーマニア大使に会う際、どんな言葉を述べるのでしょうか。
「私には分かっていたのです。チャウシェスク大統領が、一度は罪なき罪に問われたけれども、再度、英雄として民衆から称賛されるであろうことを。私(池田)もそのように闘ってきた無冠の王者ですから」とでも言うのかもしれません。(小多仁伯『慧妙』H21.7.16)
------------------------------------------------------------
たとえ相手が独裁者であれなんであれ、礼賛、賛嘆し、お返しに自らも誉めあげられて悦に入る。その後、対談、親交を重ねた人物の悪事が露見すれば、その人物を礼賛した自らの責任は頬被りし、無関係を装う。これが原島元教学部長が「褒め殺し外交」と論評する池田流の「民間外交」の真髄なのである。
【ノリエガ】
<ノリエガとの親交>
・1940年3月 パナマを訪問した池田が、ノリエガ(68年、軍のクーデターが起って実権を握った故・トリホス将軍の参謀格時代)と約1時間にわたって対談。「民間外交論、平和論など両国の親善と相互理解、さらに世界市民の平和のために、実りある友好の語らい」であったと、当時の『聖教新聞』は伝えている。
・1940年10月 パナマから、今度はノリエガ政府高官が日本に飛んできて学会本部を表敬訪問。隣接する「聖教新聞社」で池田氏と再会を果たす。
・1981年2月 池田は2度目のパナマ訪問を行った。この時、パナマ国立大学から「パナマ大学最高賓客」という顕彰を受賞している。膨大な蔵書を贈った返礼であろう。
・1983年8月 パナマに軍内政変が起り、ノリエガが国防軍司令官に就任。パナマの将軍として、軍政を支配下においた。国の実権を握ったのである。
・1985年5月
●(※1981年に池田がパナマを訪問した際、ノリエガと池田が会見した場所を『ミラドール・イケダ=池田展望台』と命名した」とノリエガが述べたのに対し)大変に光栄です。(中略)中米諸国で内乱とか紛争のある国が多いなかにあって、将軍の指導されるパナマの国にそれがないことは、まことに喜ばしいことである。(池田大作・昭和60年5月30日/『慧妙』H17.1.1)
●(ノリエガ将軍は)パナマと中米の"柱"として、平和と安定と繁栄のために活躍なされる方である。(同)
・1987年2月 池田氏はパナマを6年ぶり、3度目の訪問を果たす。将軍の地位を握ったノリエガ将軍と、4度目の「平和対談」を遂行した。滞在中、再びパナマ国立大学から池田氏は「大学教育功労大賞」と、「平和行動栄光賞」を授与。そのうえ同国から「バスコ・ヌニェス・デ・バルボア勲章」という国家勲章まで受けたのである。
もっとも国家勲章など、そう簡単に貰えるものではない。池田氏は蔵書贈呈以外にもパナマに対し、相当な貢献度を示した証であろう。勲章を授与された返礼として池田氏は、ノリエガ将軍にこう挨拶した。
●貴国は国は小さいかも知れないが、指導者(※ノリエガ)はあまりにも偉大であり、大きい(池田大作/『フォーラム21』H15.2.1)
・1987年8月 ノリエガ将軍のために「ノリエガ庭園」(静岡県富士宮市。学会施設・白糸研修所内)を造成。
<「あまりにも偉大」な指導者は麻薬王だった>
・1988年2月 当時、麻薬の輸入を徹底して取り締まっていた米国麻薬取締局が、あろうことか、パナマのノリエガ将軍を、「コロンビア麻薬密売組織と結託して麻薬密輸に関係していた」(米国マイアミ大陪審)として、起訴したのである。世界中に知られているコロンビアの麻薬組織「メデジン・カルテル」から、460万ドル(当時の日本円に換算して、約6億6千万円)を受け取り、麻薬密輸の便宜を図ったという国際麻薬犯罪。偉大なる指導者・ノリエガ将軍は、国際指名手配をされてしまった。
・1989年12月 「ノリエガ逮捕」を名目に、米軍が武装ヘリでパナマに軍事侵攻。当のノリエガ将軍は、ローマ法王庁(バチカン)に亡命申請をするが、受け入れられなかった。
●テレビやラジオで「ノリエガ亡命申請」のニュースが伝えられると、通行人の車両はクラクションを鳴らし、住宅地では住民が表へ飛び出してナベをたたくなどして喜びを表した。(『朝日新聞』891225/『フォーラム21』H15.2.1)
・1990年1月 ノリエガは米国麻薬取締局によって逮捕された。麻薬王・ノリエガを「指導者はあまりにも偉大であり、大きい」と、賞賛し、10年余に渡って親交を深めていた池田氏は、面目丸つぶれである。
変↓節
<賞賛の「過去」を消去>
とりあえず、石に刻んだノリエガ庭園の記念碑を、すぐに木箱で隠してしまった(現在、「ノリエガ庭園」は跡形も無い/『慧妙』H15.4.16)。
同国の民衆から、ナベまでたたいて国から追われるような軍事政権下のノリエガ将軍と、なぜ池田氏は4度も「平和対談」し、親交を深めていたのか。
92年、麻薬密売の罪で、40年の拘禁判決を受けたノリエガは、現在アメリカ・フロリダの刑務所で服役中である。
それにしても池田氏は、なぜ、このような人物と親交を深め、多忙な身にもかかわらず、わざわざ3度も訪ねているのだろうか。この2人の結びつきに、池田氏が唱えている「平和対談」の原点を、かい間見る思いがする。
(『慧妙』H15.4.16抜粋)
「生命を犠牲にしてまで守るべき価値など、この世にありえない。」
「戦争など、人類の平和を乱すあらゆる暴力を、私たちは否定する。」
「これが創価学会の平和運動の"魂"であり、原点。」(創価学会HPより)
「いかに大義名分をつけようが、いかに正義を装っても、戦争は、人間の魔性の心がもたらした、最大の蛮行であり、最大の愚行以外の何ものでもない。創価学会は、すべての戦争に反対する。」(新・人間革命より)
創価学会ごときがかような主張をなすことは、じつに片腹痛い。
イラク戦争に対し、創価学会を唯一の支持母体とする公明党が賛意を表明していることは、本紙既報のとおり、公知の事実である。(中略)
いずれ、この戦争にも終止符が打たれ、戦後の復興支援などが取り沙汰されるようになる。その時、彼奴(きゃつ)らは言うだろろ、「創価学会(公明党)が、復興支援に絶大な貢献」等々。
一方で戦争(つまり大量殺人)を肯定し、一方で人道援助と称する売名行為をなす。
信仰に無関係な一般世間の人々でも、こうした行為を「マッチポンプ」ないしは「恥知らず」、あるいは「盗人猛々(たけだけ)しい」といって忌(い)み嫌ろだろう。前の池田の著(虚)作の言に照らせば、創価学会は「正義を装い」つつ「魔性の心」で、「蛮行」「愚行」をも厭(いと)わずに盲進する謀略(ぼうりゃく)団体なのである。
(中略)「恥知らず」に該当するものとしては、1982(昭和57)年のフォークランド紛争当時の、池田学会の対応が挙げられるだろう。
この紛争では両国併せて千名もの戦死者を出した、と言われているが、紛争当事国であるイギリス・アルゼンチン両国には、多数の学会員が存在した。つまり、戦火が拡大すればするほど、学会員同士が殺し合う可能性が高くなるわけである。
しかし、池田大作はじめ創価学会は、両国政府に対し反戦のメッセージを送ることすらしなかった。池田は「同志」であるはずの学会員までも見捨てたのである。
そのような無慈悲な男が、紛争の翌・83(昭和58)年、臆面もなく「国連平和賞」を受賞している。恥を知れ、ダイサク。
―池田の指示で自衛隊増強にも協力―
(『慧妙』H21.12.1抜粋)
公明党は昭和42年の衆院選進出に先だって、憲法擁護(ようご)、大衆福祉、安保の段階的解消を盛り込んだビジョンを発表した。
ところが、佐藤栄作元首相が書き残した、同年7月20日の日記には
●国会も明一日を残すのみとなったので、最後の勉強を党側に指示する。何よりも防衛二法を通過さす事、その為に大津君(※秘書官)を創価学会池田会長に連絡をとらす。会長が幸に引きうけてくれたので一寸安心。又その約束通り議事がとり運ばれた(『佐藤日記』S42.7.20)
と記されていたのである。
防衛二法とは、防衛庁設置法(当時)と自衛隊法のこと。自衛隊の強化を目指した佐藤元首相からの働きかけに池田が乗り、その池田の指示に公明党が従った、というのだ。
憲法擁護・安保反対を口にして、衆議院に進出してからわずか半年。その舌の根も乾かぬうちに、池田の命令によって、主張とは正反対の対応をした公明党―。この事実から、池田の唱える「反戦・平和」は、当初から、ただの表看板にすぎなかったということと、池田にとっての公明党は、政治的な取り引きの道具だった、ということが覗(うかが)える。
日中関係
●中国主席、創価学会名誉会長と会談/しかし、チベット問題などへの言及はありませんでした。(<TBS NEWS I>H20.5.9)
●外交でも存在感がありません。チベット問題でも、同じ仏教徒というのに何も動かない。この点は、ほかならぬ池田大作名誉会長が足かせになっていると思われます。
池田氏は07年に温家宝首相が来日した際に会談するなど、中国政府と非常に近い。このため、公明党は中国に対して強く出られないでいる。内政も外交も、身動きが取れなくなっているのです。
自民党にもう少し強くものが言える代表でもいれば違うのでしょうが、期待できなさそうですね。(島田裕巳=宗教学者『週刊朝日』H20.5.16)
▼5月8日、都内にて胡錦濤(こきんとう)・中国国家首席と池田大作が面談した。池田の異常なはしゃぎぶりは、まことに見苦しいかぎりで、ひたすら歯の浮くような賛辞(さんじ)のみを繰り返す様(さま)は、能なしとしか言いようがなかった。要人の前では異様に媚(こ)びて褒(ほ)めそやし、身内の学会員の前では要人と会談したという事実を誇示し、自らの名聞名利(みょうもんみょうり)を満足させる姿は、下劣な俗物の証でしかない▼今回の会談では、そうした池田大作の俗物性がより鮮明となった。チベット人権侵害問題が、世界中で大騒ぎされるほどの社会問題となっているのに、これに一言も触れることなく、ただ首席への讃辞のみで会談は終了した。遺憾(いかん)の意を表することも、また相手側の意図を確認することすらできず、本当に情けないかぎりであった▼このことからも、池田が標榜(ひょうぼう)している「世界平和」が、スローカンだけの、お飾りでしかないことが容易に解(わか)る。もっとも、対立者には違法ビラを撤(ま)いてでも人権侵害するような団体の「最高指導者」には、人権問題を云々する資格など、もとよりないが▼また、世法上のことですら、相手の意に反することを一言も言い出すことのできない臆病者が、大聖人の仏法を説いて折伏することなど、とうていできようはずがない。「池田センセーは会談相手の著名人を折伏しているの?これまで何人学会に入ったの?」と追及されて、言い訳しきれずに閉口してしまう池田狂幹部が、随所で見られているが、哀れと言うしかない▼「例せば修羅(しゅら)のおごり、帝釈(たいしゃく)にせめられて、無熱池(むねっち)の蓮(はちす)の中に小身と成りて隠れしが如し」(御書579頁)と戒められた姿そのものである。似非(えせ)仏教指導者・池田大作を「法華経の行者」であると盲信する学会員を覚醒(かくせい)させるべく、日々地道な折伏に励まなければならない。(『慧妙』H20.6.1)
------------------------------------------------------------
【池田と中国政府との"関係"】
―互いに互いを"利用"しあう!?―
―「詐(いつわ)り親しむは彼が怨」の仏戒は何処に―
(『慧妙』H20.6.1)
池田大作の自己宣揚の手段の大きな柱として、「著名人との会見」が挙げられる。
先月、国賓(こくひん)として来日した胡錦濤(こきんとう)・国家主席一行と、池田大作はじめ創価首"膿"らが会談したと、『聖教』5月9日付1面に、醜悪(しゅうあく)すぎて評価不能な巨大写真とともに報じられているのは、典型的な一例だ。
もっとも、戸田城聖氏の頃から、創価学会宣揚のための政財界要人に対する働きかけは行なわれていた、というが、池田大作が創価学会を手中に収め、創価大学を開学しようとしていた昭和40年代は、特にその傾向が顕著となる。
昭和42年に、カレルギー伯爵が学会本部を訪問したのを皮切りに、同氏の人脈を通じてか、トインビー、ルネ・ユイグ、等々の各氏らと次々に会見している(逆効果となった会見として、家族らの反発を買ったトインビー氏との会談は有名)。
今回の胡錦濤氏との会見にも、学会としてそうとうの労力を費(つい)やしているようで、例えば池田が胡錦濤氏に贈ったとされる"漢詩"の行頭の文字を並べると、「國家主席胡錦濤」となるそうだ。
語呂合わせのダイスキなダイサクだが、代作した部下の労作であることは間違いなかろう。
胡錦濤氏にしてみれば、「短時間会ってやるだけで、与党の一角を占める公明党の実質オーナーの機嫌が良くなり、公明党を通じて日本政府にある程度の影響を及ぽすことができる」、と考えているのかもしれない。
創価学会・池田にとっても、"池田大作"の宣揚につながるのであれば、大きなメリットがある。
いずれにせよ、双方の利害が一致しての「会見」だろう。『聖教』の記事内容そのものは全く空虚(くうきょ)であり、実りはない。
懸案のチベット問題について、かつて、かの地の政府高官として強権発動した胡錦濤氏は無論のこと、"人権・平和"を標榜(ひょうぼう)する創価側ですら、少しも触れようとしないのである。
民衆のことを抜きにして、為政者とエセ宗教者が、互いに脇(わき)の下をくすぐりあって、作り物の笑顔を浮かべている、といった印象か。
総体革命のおぞましさを垣間(かいま)見るかのような会見であった。
ところで、この会見の僅(わず)か4日後の12日午後、中国本土・四川省で、人類史上まれに見る巨大地震が発生した。
死者・行方不明者は、5月27日現在で9万名に迫るほどの大惨事であり、筆者の周辺でも「やはり池田大作は脱命魔(だつみょうま)だ!」との声が上がっている。
池田大作にいいように利用された挙げ句、没落した国内外の要人(例えばチャウシェスク、ノリエガ、ゴルバチョフ等々)と同様、胡錦濤氏も、同氏が率(ひき)いる国家も、その徳を奪(うば)われたのではあるまいか。
仏法の法理を信ずることができず、わずかな知識を過信して「非科学的だ!」と言う学会員には、少しだけ科学的な話をしよう。
今回の地震は、インドプレートがユーラシアプレートを圧迫し、その結果、災害地の断層が大規模にズレを生じたもの、と言われている。
仏教発祥の地のプレートが、奪命魔(だつみょうま)・池田大作と会見した胡錦濤氏率いる国家の断層を、大きく揺り動かしたのである。
この地震で多くの人命が失われた原因の1つに「おから工事」が挙げられている。
業者と役人が癒着(ゆちゃく)し、手抜き工事が頻繁(ひんぱん)に行なわれた結果である、というのである。
倒壊した建物の、脆(もろ)く薄い壁や床、細い鉄筋は、素人目にも、多重層の建物を支えるモノとは思えない。
この「おから工事」によって、子供や若者たちの通う多くの学校が倒壊して、大勢の若者・子供が犠牲になった模様である。
犠牲者の父母たちは、汚職役人らを糾弾(きゅうだん)する姿勢を隠さない。
ならば、その役人の頂点に立つ胡錦濤氏に対し、創価は、見舞いの言葉と共に何らかの抗議や意見を述べているか、少なくとも「おから工事」に対する遺憾(いかん)の意を機関紙で表明しているか、答えは「否」である。
おかしいではないか、「民衆の側に立つ創価」ではないのか。おりしも「平和の文化とこども展」なるイベントを開催中の創価は、多くの子供の命が奪われた"人災"に対し、強く遺憾表明をして然るべきであろう。やはり「民衆の側を断つ創価」というべきか。
もっとも本門戒壇建立について「従の従の問題、豆腐のおから」と評した池田大作に「おから工事」を云々する資格は無いのかもしれない。
池田の総体革命妄想は、巨大な寄生虫さながらに、確実に、広く、深く、国家、団体、個人の別を問わず、かかわる者の徳を奪っていく。
------------------------------------------------------------
日中平和友好条約30周年を祝い来日した中国・胡錦濤(こきんとう)国家主席は、「暖春の旅」と称して、日本の各界の指導者や庶民と精力的に交流した。
胡錦濤主席は、今年行なわれる「北京オリンピック」を中華民族百年の夢と位置づけ、その成功を期して日本を訪問したのである。
しかし、これまでに、中国国内で起きている諸問題は、想像以上に深刻なようで、それに対する諸外国からの批判をかわすための、外交戦略としての訪問であろう、とも言われている。
その外国からの批判とは、「天安門事件」や「法輪功事件」などに見られる強権国家による人権問題である、それに加えて今年3月に起きた「チベツト暴動」に対する対応など、「百年の夢」が怪しくなる可能性すら出てきていた。
さて、胡錦濤主席が来日すると、支持率低下に喘(あえ)ぐ福田内閣は、チベット問題・油田開発問題などの難しい課題に触れることなく、最大限の友好振りを示した。
一方、「日中友好」を自分が推進したかのように喧伝(けんでん)している池田大作は、脚光を浴びたくて老体に鞭(むち)を入れ登場した。
だが、マスコミは、国民的スターの「福原愛ちゃん」との卓球パフォーマンスに腕前を披露(ひろう)した胡錦濤主席を大きく取り上げ、池田センセーの存在は、可哀相なくらい陰が薄かったといえよう。
はたして、このような胡錦濤主席との対談を利用することで、来たるべき「総選挙」において公明党の失地回復が果たせるか、はなはだ疑問が残る。
欲惚(ぼ)け地獄に浸(ひた)りきった池田大作は、「大将軍」でもなければ、また「勝利の方程式」とも程遠い、所詮は走行不良のポンコツ車に乗って、三色旗をはためかして指揮を執(と)る、現代の物怪(もっけ)でしかないのである。
それにしても「四川大地震」の惨状は、目を覆(おお)いたくなる。被災した民衆の嘆(なげ)き、苦しみ、怒りに対して、中国政府の行動の緩慢(かんまん)さや事態の深刻さに対する鈍感さが目立つ。これが何を意味するのか、考えさせられた。
また、中国は明らかに「国土乱るる」の様相になってきている。こうした凡智(ぼんち)では計り知れない、また政府の力でも抑えられない「天災」は、仏法上から見ると、奪命魔・池田大作に親近(しんごん)したことに起因しているものと考えられる。
池田大作は、何とかの1つ覚えで、「両国の青年たちの真の友情で金の橋をかけよう」とか「調和世界を青年の交流で」などと、子供のお遊戯(ゆうぎ)のようなスローガンを掲げ続けているが、いったい池田大作は仏法者として、何を中国に広宣流布しようとしているのか。あるいは、日本を台湾やチベットと同じように、中国の属国にしようとするのか、その真意はあいまいである。
要するに未来に向けた明確なる指標とビジョンが何も示されていない、というのが現実である。
この6月、学会青年部が訪中し、中華全国青年連合会との交流が行なわれるようだ。
両国の青年たちの交流に異議を唱えるものではないが、忘れてならない事は、大切な隣人中国に対して池田創価学会は、「人権問題」等の重要課題について、1度たりとも率直な意見を言っていないことである。空虚(くうきょ)な耳障(みみざわ)りのいい「日中友好」を叫んでも、また青年たちの形だけの交流を重ねても、真実の国際関係とはいえないのである。(元本部職員・小多仁伯『慧妙』H20.6.1)
(『朝日新聞』社説H18.9.19)
8年間も公明党の代表をつとめてきた神崎武法氏が、月末の党大会で退くことになった。
公明党は結党以来、「反自民」の一翼を担ってきたが、神崎氏が代表になった翌年の99年、自民党との連立に大きくかじを切った。(中略)
とくに理解に苦しむのは、小泉首相が毎年続けた靖国神社への参拝への対応だ。形ばかりの反対に終始したのはどうしたことか。
公明党の支持母体である創価学会は、戦中の国家神道の時代に厳しい宗教弾圧を受け、会長が獄中死した歴史もある。靖国神社はその国家神道の中心的な施設だった。
政教分離を定めた憲法に抵触する疑いもある。信仰の自由と並んでこの党がもっとも重んじる理念のはずだが、意外にあっさりと6度の参拝を受け止めた。
中国や韓国との外交が行き詰まり、首相が「中国の言うことを聞けばいいのか」と反中国感情をあおる姿を、支持者らはどんな思いで見たのだろう。
日中の国交正常化にあたり、両国首脳の橋渡しをしたのは竹入義勝元委員長だった。創価学会の池田大作名誉会長も、日中友好に積極的に取り組んできた。積み上げた成果が崩されていくのは、決して愉快な話ではあるまい。
神崎代表も首相の説得を試みはした。だが「ならば連立の解消も」という切り札には触れる気配すら見せなかった。
「創価学会を守るために自民党にすり寄ったのではないのか」――この連立には当初からそんな疑念がつきまとってきた。自民党の創価学会攻撃をかわすのが最大の狙いというわけだ。靖国、日中で断固とした態度をとれないことも、そうした見方を後押ししている。(中略)
創価学会をめぐるこの党の不可解さは、神崎時代にもぬぐい去ることはできなかった。
神崎氏は選挙CMで「そうはイカンザキ」と大見えを切った。断固とした姿勢を印象づけるキャッチコピーとしては上出来だったが、この7年、選挙以外でその叫びが聞けなかったのは残念だ。
(ジャーナリスト・乙骨正生『フォーラム21』H17.5.15編集)
【中国に都合のよい人・団体】
<反省・謝罪と「正しい歴史観」を求める反日デモ>
昨年、中国で行われたサッカー・ワールドカップ予選において、全日本チームは、激しい反日の洗礼を浴びた。そして広島での平和座談会の直後から中国では反日の嵐が吹き荒れ、北京・上海などで反日デモが頻発。日本大使館や総領事館、そして日系企業などが襲撃され、上海に留学していた日本人学生に対する暴行事件も生じた。
一連の反日デモでは、日本に日中戦争の侵略の事実を反省、謝罪し「正しい歴史観」を持てとのアピールが繰り返し声高に叫ばれた。
日本国内では、大使館等への破壊行為を中国当局が黙認したこともあって、中国の姿勢に対する批判が噴出。特に愛国教育の名のもとに行われている反日教育への批判が高まっている。また戦後の日本は、戦前の日本とは異なり平和国家としての道を歩んできたこと、さらには、村山談話に代表されるように日本政府は過去に17度(ロンドン・タイムズによる)も謝罪していることや、戦時賠償に代わるODAや円借款で中国の社会資本整備に多大な貢献をしている事実などを、きちんと主張すべきだなどの声があがっている。
<謝罪を繰り返す池田学会>
−中国に迎合し歓心買うためか−
◆貴国に対する創価学会の姿勢は一貫して変わりません。文化の大恩の国であり、日本は心から尊敬し、侵略の大罪を誠心誠意、謝罪し、償っていかなければならない。
日本に対して、貴国が戦争賠償の請求を放棄してくださったおかげで、今日の日本の経済発展もあります。
もしか、日本が歴史の真実を見つめることなく、"傲慢"になり、貴国との友好を損なうような方向に行ったならば、日本自体が衰微していくことでしょう」(池田大作=陳健駐日中国大使との会談H11.4.12『聖教新聞』H11.4.13)
◆1977年の5月、私は第10次の訪中で、大発展を遂げる上海を訪れた。招聘をいただいた上海大学のキャンパスは、かつて日本軍の攻撃で、破壊しつくされた場所である。銭偉長学長は言われた。
「中国と日本は、力を合わせて、偉大なる東アジアを建設すべきです。唯一、残念なのが日本の軍国主義なのです。日本は正しい歴史を若い人に教えるべきです」
今年は戦後60年。青年に正しい歴史観を!世々代々の友好を!−時代がどう変わろうと、創価大学は「日中友好の大道」「世界平和の大道」を誠実に進みゆくことを明確に宣言しておきたい(池田大作「正しき歴史観を持て」『聖教新聞』H11.3.24)
◆正しき歴史観に立ち、中国を尊敬しつつ、感謝する心を持つこと。戦後60年、両国の永遠の友好と平和創造の決意を込め、貴国に対する日本の非道を深くお詫びします。3代会長の平和への精神を継承し社会に訴えることこそ、青年部の平和運動の根本です。本日お集まりの皆さまと力をあわせて、両国の友好のため前進してまいります(河合青年平和会議議長=中国青年代表団との平和座談会H11.4.3於広島池田平和会館『聖教新聞』H11.4.11)
◆人類は、歴史への眼差しをもち、反省してこそ進歩するのです。特に、「勇気ある反省」が人類の未来を開きます(中国青年代表団の張団長=上記座談会H11.4.3『聖教新聞』H11.4.11)
◆子どもの頃から「正しい教育」を行うことです。正しい歴史を何世代にもわたって継承することが大切です(同)
<問題避けた表面的友好関係を自慢>
だが創価学会は、破壊行為を含む異常な反日デモについても、これを批判しないばかりか、反日デモの事実にすら言及せず、4月23日の日中首脳会談の結果、中国政府が違法デモを取り締まる姿勢を示し、事態が沈静化した後の4月27日になって初めて、『聖教新聞』掲載の首脳幹部らによる座談会記事で、「政治外交で立ち遅れた日本」「日中関係悪化が国際問題に」と日中問題に言及。いかに池田氏か日中友好に貢献してきたかを次のように強調した。
************************************************************〈原田(副理事長)〉それにしても、今の焦点は、何といっても日本と中国の関係だ。国際的にも大問題になっている。
〈青木(理事長)〉今の状況が続けば、日本も中国も、決して得はない。これは確かだ。
〈大川(墨田区副総合長・元公明党参議院議員)〉その通りだ。先日(4月23日)、やっと両国の首脳会談が実現した。しかし、予断は全く許さない。マスコミでも連日、報道されている。
〈青木〉日中関係の歴史に詳しい識者が心配し、私にこう語っていた。「国連の首脳も指摘していたが、今、大事なのは、両国に橋を架ける存在だ。かつて日中に国交すらなかった当時、その役割を創価学会の池田大作会長が果たした。国と国の関係において、意見の衝突、利害の相違は、常にある。避けようがない。その両者を結びつけてきた池田会長の勇気と先見の行動に、今こそ学ぶべきだ」このように語っていた。
〈原田〉そういう先見の指導者が今の日本にいなくなっているからだ
『聖教新聞』H17.4.27
------------------------------------------------------------
だいたい中国政府は、日本の人民大衆に対して侵略戦争の歴史を謝罪しろとは求めていない。その対象はあくまでも日本政府である。ところが創価学会は、先述のような日本の立場を主張することはせず、必要以上の謝罪をひたすら繰り返しているのである。
そうした創価学会そして池田氏が、中国にとって都合の良い人物であることは間違いなかろう。だが、その存在が真に「両国に橋を架ける存在」になりうるかどうかは疑わしい。そもそも「池田会長の先見性」なるものが、極めていいかげんなものであることは、中国の文化大革命に対する池田氏の姿勢に象徴的に示されている。
【変節する歴史認識】
−「文化大革命」礼賛から否定へ−
−「50年先の本質をみている」はずが‥−
すでに本誌の平成14年10月1日号の特集記事「中国に迎合・礼賛し売名行為に利用した池田大作氏の"罪"」でも触れたことだが、昭和49年5月の第1次訪中後に、池田氏は中国の文化大革命を礼賛する『中国における人間革命』を出版した。しかし同年12月の第2次訪中時にケ小平副首相は、池田氏の文革礼賛をたしなめた。だが、その際、池田氏はケ小平副首相の忠告に逆らい開き直ったことを、翌50年の3月6日に聖教新聞社で会見したアドブル・ホセイン・ハムザービイ駐日イラン大使に対して次のように自慢している。
「私は昨年、中国のケ小平副首相と会った。この時、第1次の10日間の訪中を本にしたことが話題になったんです。それで、本の内容は、少し、ほめすぎではないかとケ小平はいった。私はこたえた。これは50年先の本質をみている。その視点から書いたと。子供を見て、その子供が50年先にどうなるか、この本質を見抜かないと大変なことになる。私は私なりに、そうした本質の上に立って、必ずそうなっ
てもらいたいという期待を込め、私は私の責任のもとで、信念に基づいて書いた。論じたものであって、閣下は何もいう必要はないと申し上げた」
ところが池田氏は今日では、読売新聞社から出版した『私の世界交遊録』(平成8年刊)の中で、「文化大革命。『十年の内乱』と呼ばれる狂気の時代に触れるのは、あまりに痛ましい」「文革という『大ペテン劇』がなぜ起こったのか」などと否定的記述を行っている。いったいどこに「50年先の本質」を見ていたというのだろうか。
・S49.5 第1次訪中後に、池田氏は中国の文化大革命を礼賛する『中国における人間革命』を出版した。
・S49.12 第2次訪中時にケ小平副首相は、池田氏の文革礼賛をたしなめた。だが、その際、池田氏はケ小平副首相の忠告に逆らい開き直った。
◆私は昨年、中国のケ小平副首相と会った。この時、第1次の10日間の訪中を本にしたことが話題になったんです。それで、本の内容は、少し、ほめすぎではないかとケ小平はいった。私はこたえた。これは50年先の本質をみている。その視点から書いたと。子供を見て、その子供が50年先にどうなるか、この本質を見抜かないと大変なことになる。私は私なりに、そうした本質の上に立って、必ずそうなってもらいたいという期待を込め、私は私の責任のもとで、信念に基づいて書いた。論じたものであって、閣下は何もいう必要はないと申し上げた(池田大作S50.3.6=アドブル・ホセイン・ハムザービイ駐日イラン大使との会談)
変↓節
・H8 池田氏、文化大革命に否定的記述
◆文化大革命。「十年の内乱」と呼ばれる狂気の時代に触れるのは、あまりに痛ましい(池田大作著『私の世界交遊録』読売新聞社H8)
◆文革という「大ペテン劇」がなぜ起こったのか(同)
-----------------------
いったいどこに「50年先の本質」を見ていたというのだろうか。
【周恩来「過去の人」、毛沢東「国際経済に詳しくない」】
−礼賛・迎合も自己利益のため―
そもそも中国を礼賛し、迎合する池田氏だが、本当に中国を尊敬しているかといえば疑問符がつく。というのも昭和52年1月11日に聖教新聞社で行われたJ・D・ホッドソン駐日アメリカ大使との会見の際、ホッドソン大使に中国首脳に対する評価を質された際、池田氏はこんな発言を行っているからである。
************************************************************〈J・D・ホッドソン駐日アメリカ大使〉ところで会長が中国に行かれて、トップの指導者と会われた。中国の指導者をどう評価しているか。
〈池田会長〉周恩来は近代という視点から考えるならば、どちらかといえば過去の人です。しかし、人間的には知的、円満、熟知の人ということができるでしょう。しかし、知的だが行動的ではない。周恩来の大きなポイントは、天は二物を与えずで、結局、周恩来は、側近から後継者を育てなかったところが唯一の欠点といえる。毛沢東は、教育者ではあったが、国際経済というものをくわしく知らなかった
(『私の世界交遊録』読売新聞社H8刊)
------------------------------------------------------------
現在、創価学会は、全国各地で周恩来展を開催し、周恩来首相と池田氏との関係をアピールし、池田氏が日中友好を促進したと誇示しているが、周恩来・毛沢東の中国建国の指導者を見下したような発言からは、中国に対する池田氏の本音が透けて見える。
では、池田氏の本音とはなにか。それを窺わせる2つの発言を紹介しよう。まずは昭和51年6月28日に、創価大学施設・万葉の家で行われた松下電器産業の創業者である松下幸之助氏との会談での発言。
◆(上海京劇団の歓迎集会に5万人の男女青年部が集ったという話から)共産主義は制度である。したがって制度的にいくら締めつけていっても人間の生命に沈殿しているものまで否定できない。
したがって、いま中国は宗教を否定しているけれど、中国の民衆の生命の中に沈殿しているものは必ず芽を吹き出す。
したがって将来(中国で)学会員が何百万人にもなると見越している。そのためにいま、手を打っている
そしてもう1つは、平成2年4月29日に行われた創価学会の東京記念総会での池田氏の発言。
◆私は正しいことを一生懸命やっているのに、日本中でこんなに迫害を受けている人は誰もいない。でも世界が証明してくれた。私は日本の勲章などもらわなくてもよいのだ。今度は北京で、これまで日本人が誰ももらっていない教育貢献賞をもらう。勲章なんか眼中にないが、皆が喜んでくれるだろうと思って受ける。日本人は嫉妬深く、人間の思いがわからない。2百年遅れている後進国だよ
ここには勢力拡大と礼賛という、池田氏ならびに創価学会にとっての自己利益が露骨なまでに示されている。悪化する日中関係を改善するためには、対等な関係に立った上での両国間での冷静かつ真摯な話し合いが必要だが、自己利益のために動く創価学会の言動が、日中友好にプラスなのかマイナスなのか、それは自ずから明らかだろう。
※途中の見出しは法蔵が編集
/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_
◆国と国の関係において、意見の衝突、利害の相違は、常にある。避けようがない。その両者を結びつけてきた池田会長の勇気と先見の行動に、今こそ学ぶべきだ
-----------------------
こんなことを誰が言ったのか。「意見の衝突、利害の相違」に目を背けて中国が喜ぶことだけを述べ、その見返りとして中国から勲章や賞賛を得てきたのが池田学会ではないのか。例えば人権を尊重すると言いながら中国の人権問題(チベット問題、天安門事件など)に苦言を呈することさえしない。本当の友好関係を構築したいのであれば、互いに相手の問題点や欠点を指摘し改善を促すといった姿勢も必要なのではないか。それがない友好は、表面だけの偽(いつわ)りの友好はでないか。(法蔵)
●慈無くして詐(いつわ)り親しむは即ち是れ彼が怨なり彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり(『真言諸宗違目』全集139頁)
(江藤俊介=政治研究者『前衛』H15.7ほか抜粋編集)
【言論出版妨害事件】
<言論妨害に田中角栄も加担>
竹入の証言によれば、「女性問題」での質問を取り下げてもらうことで、田中は竹入に大きな借りを作った。田中の側がその借りを返そうとしたのが、言論出版妨害事件での介入である。
この事件は、1969年暮れの総選挙のさなかに表面化した。公明党は藤原の『創価学会を斬る』の出版を事前に察知し、その出版を妨害しようとした。大手取次店は配本を断り、新聞が広告を拒否するという事態も起きた。妨害の対象となったのは藤原の著書だけではなく、内藤国夫『公明党の素顔』、植村左内『これが創価学会だ』、福島泰照『創価学会・公明党の破滅』、塚本三郎『公明党を折伏しよう』などにも及んだ。
●昭和44年から46年にかけて藤原弘達氏が創価学会批判を繰り返した時には、私と竹入とで田中氏に調停を頼みにいった。田中氏は「よっしゃ」と快く引き受け、赤坂の料亭に藤原氏を呼び、仲介の労をとった。結果は破談だった。我々は隣室に控えて待っていたのである。(矢野絢也・公明党元委員長『矢野回想録』29頁)
-----------------------
田中は赤坂の「愛用の料亭」・「千代新」に『創価学会を斬る』の著者・藤原弘達明治大学教授を呼びだし、「初版分は全部買い取ろう」と持ちかけた。しかし、藤原は出版の意思を変えなかった。このとき隣の部屋で、公明党の竹入委員長と矢野書記長が息を殺して事態の推移を見守っていたことを、藤原教授は気づいていたのだろうか。なお、田中が藤原に会ったのは「池田の依頼」であり、このときの「2人のやりとりを池田は仕切り越しにじっと聞いていた」(野田峯雄『池田大作金脈の研究』)という説もある。もし、それが本当なら、池田は竹入や矢野とは別に、田中・藤原会談の様子をうかがっていたということになる。
●このことについて竹入氏は「放っておいたほうが良いと進言したが、学会側が工作に動き出し、やむを得ず田中氏に頼んだ。あの記者会見も学会幹部からの強い要請でせざるを得なかった」と周辺に語っている。(『朝日新聞』1998年9月18日付)
-----------------------
この言論出版妨害事件について、公明党の竹入委員長は記者会見をして「事実無根だ」と全面否定していた。
1970年1月、特別国会では、社会・民社・共産の各党が、竹入委員長、田中幹事長、池田大作の国会喚問を要求した。
<弾圧回避に田中角栄も一役>
池田会長は自らの国会喚問を阻止するために衆参両院の公明党国会議員を総動員し、赤坂2丁目のクラブ「石丸」などを拠点に、各党の理事を接待責めにして懐柔する工作をおこなった。さらに、池田会長は佐藤(※栄作首相)にも連絡を取っていた。70年1月30日の『佐藤日記』には、岩佐富士銀行頭取を通じて「藤原弘達問題には干与しない様に」という池田からの伝言が記され、佐藤は「同感」と岩佐に伝えている(『佐藤日記(4)』31頁)。野党などから出された池田喚問要求について佐藤はのらりくらりと対応し、結局これをうやむやにしてしまう。池田の伝言どおり、「干与しない」ように行動したのである。(※『佐藤日記』=佐藤栄作の日記)
●69年末に表面化した言論出版妨害問題のときは、佐藤栄作首相と自民党幹事長をしていた田中(※角栄)さんには、助けられ、感謝している。終生忘れない。国会では罵詈雑言を浴びせられ、ほかにだれも助けてくれる人はいなかった。
創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に動いてもらったのだが、田中さんは追及されると、『竹入に頼まれたのではない。幹事長だから勝手におせっかいをやいているだけだ』と釈明していた。これには感激した。家の周りは、新聞記者に囲まれて出られない。電話で連絡を取った。
「ここも新聞記者でいっぱいで出られないぞ」
「すまんなあ」
「いいよ、幹事長やめりゃあいいんだから」
「それじゃあ、こっちも委員長やめなくっちゃあ」
「いやあ、まあまあ、成り行きだ。こんな泥沼、いつでもあるんだから」
こんなやりとりをしたのを思い出す。
佐藤(※栄作)さんは、関係者の証人喚問要求に、のらりくらりと時間かせぎをしてくれた。国会の委員会採決も先送りしてくれるなどいろいろ配慮してくれた。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』1998年8月26日付)
【日中国交正常化】
<田中角栄と竹入義勝とのつき合い>
この言論出版妨害事件を契機に、田中と竹入の間は一段と深まった。「実際は、田中が直接言論妨害をしたわけではなかったが、あえて田中は発言をせず黙し続けた」(佐藤昭子=田中秘書『私の田中角栄日記』75頁)からである。
●当時、池田大作氏は「田中さんのためなら公明党をつぶしてもいい」とまで言ったそうだ。田中は年1回の公明党の青年研修会で講演して帰ってくると、私に池田氏がああ言ったとかこう言ったとか、全て話してくれた(佐藤昭子『私の田中角栄日記』75頁)
<日中国交正常化>
このような関係は日中国交正常化問題でも、大きな意味を持った。今度は、言論出版妨害事件で世話になったことが竹入にとって田中に対する負い目となり、その借りを返さなければならなくなったからである。
●言論出版妨害問題は田中さんらに対し大きな負い目になった。国会対策でも田中幹事長時代に、よく協力を頼まれ、党の基本政策に抵触しない限り、対応した。日中正常化ができたとき、「これで借りがかえせたな」と正木良明政審会長と喜び合ったものだ。日中が終わると、田中さんとは、いっそう「おれ」「おまえ」の間柄になった。田中派の中でも、田中さんに直接ものがいえず、私に「仲介してくれないか」と頼んでくる幹部がいた。(竹入義勝・公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』1998年8月26日付)
-----------------------
公明党が日中国交正常化問題で田中のエージェントとしての役割を演じたことはよく知られている。それは言論出版妨害事件での借りを返そうという意識によるものであった。こうして、田中は日中国交正常化を果たして歴史に名を残す。
●公明党と田中派の関係は田中内閣の登場でさらに深まっていく。田中―竹入ラインで成功させた日中国交回復(74年)はその象徴といえる。当時、自民党内は台湾(中華民国)支持派の力が強く、田中首相は中国政府との国交交渉に踏み込めずにいた。そこで公明党の竹入委員長は、田中密使として北京入りして周恩来首相と会談。その交渉メモをもとに大平正芳外相が正式交渉に動き、電撃的な田中訪中→日中国交回復が実現した。(『週刊ポスト』990709)
------------------------------------------------------------
※日中国交正常化について、学会は、池田大作の先見の明によって、彼が先駆的役割を果たしたように吹聴しているようだが、事実はさにあらず。言論問題での「借りを返そうという意識」があって「田中のエージェントとしての役割」を果たしたのであった。聞くところによれば、竹入委員長が日中国交に積極的だったのに対し、池田はむしろ、当初は批判的だったようである。(法蔵)