創価学会破折
総体革命

 池田創価学会の本質について述べる時、「総体革命」の語を抜きには語れまい。
 この「総体革命」とは、池田大作の脳内妄想を具現(ぐげん)化する構想である。
 池田の総体革命妄想は、ガンジーの弟子・ナラヤンから「総体革命」の語を聴いたことに起因しているという(外道の好きな池田らしい発想だ)。
 表向きには、個々の人間革命を基本として、そこから政治、教育、文化等々、各分野の変革へ繋(つな)げることが「総体革命」である等とする。
 しかし、その実態は、

①精神面では、池田大作が平和・文化の指導者となり、
②政治面では、(池田私党である)公明党が政権を樹立し、
③経済面では、学会系企業(または潤沢〈じゅんたく〉な学会資本)が財界を支配し、
④行政、司法、マスコミ、教育、芸能等(かつては宗門にも)の要所に池田信奉者を潜入させ、
⑤新興宗教である学会の実態を隠蔽(いんぺい)するため、歴史ある日蓮正宗宗門を学会の機構の中に取り込み(これはあえなく頓挫〈とんざ〉したが)、

最終的に、これら全体を統括し、池田が日本国の最高権力者となる、それが「総体革命」であると言ってよいだろう。

(『慧妙』H18.2.1)




宗教を利用した権力獲得活動

池田の天下盗り構想の淵源(えんげん)/『慧妙』H17.10.16

「水滸(すいこ)会記録」に見る"天下盗り"構想/『慧妙』H17.9.1

池田が「最高権力者」になったら/『慧妙』H17.4.1

『人間革命』にみる「総体革命」/『慧妙』H18.12.1
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矢野著書で露呈した「総体革命」の実態/『慧妙』H22.1.16

「黒い手帖」裁判で浮かび上がった社会に潜む池田信奉者の危険性/『慧妙』H21.11.1

「創価大卒41人」の外務省で注目された「中国大使」/『週刊新潮』H18.1.12

学会エリート(創大OB)の就職先/『週刊ポスト』H17.3.26

「総体革命」と自公連立/ジャーナリスト・溝口敦『フォーラム21』H15.12.1

張り巡らされた情報網
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司法界への浸透
法曹界への創大生送出を誇示する学会/『慧妙』H19.10.1

「司法支配の密約」をスッパ抜く/『週刊ポスト』H15.12.26
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芸能界への浸透
「24時間テレビ」難病美談に「創価学会」/『週刊新潮』H20.9.18

久本雅美ら/佐高信著『田原総一郎よ驕るなかれ』毎日新聞社H18.1.30

暴かれる「新・芸能プロ」戦略/『週刊ポスト』H17.4.1

サザンオールスターズ「創価学会問題」で内輪モメ/『週刊現代』H13.9.1



宗教を利用した権力獲得活動


カルト構成要件の10項目(『アラン・ジュスト報告書』/フランス議会)
(1)精神の不安定化、(2)法外な金銭要求、(3)住み慣れた生活環境からの隔絶、(4)肉体的損傷、(5)子供の囲い込み、(6)大なり小なりの反社会的な言説、(7)公共の秩序に対する錯乱、(8)裁判沙汰の多さ、(9)通常の経済回路からの逸脱、(10)公権力に浸透しようとする企て


【天下取りの野望】

【宗教(日蓮正宗)を組織拡大に利用】
<日蓮正宗の正統性を利用>
<「広宣流布」を利用>
<「立正安国」を利用>
<独立の宗教法人設立>

【宗門支配の野望と池田本仏論】
<池田本仏論の証>
<本化国主への野望>
<「7つの鐘」構想>
<事の戒壇建立と正本堂>

【宗門支配の画策(第1次逸脱=52年路線)】
<「広布第2章」>
<総代による末寺支配>
<山崎・八尋文書(S49.4.12付)>
<昭和49年4月30日の連絡協議会>
<「日蓮正宗国際センター」>
<北條文書>
<本山事務機構の支配>
<独立も画策>

【独立作戦(第2次逸脱)】
―宗門を挑発して破門するように仕向ける―

【総体革命】
―各界に学会員を送り込み、国家の中枢を掌握し、池田が天下を取る―


<宗教利用(宗門支配)>
―総体革命実現のために―
①広宣流布(国立戒壇建立)の大義名分の下、信者(会員)を政治活動に扇動
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言論問題以降、「国立戒壇」は放棄したが、「広宣流布」「立正安国」といった宗教用語を利用して会員を政治活動に駆り立てている。


②独立の宗教法人(非課税特権)として、信者(会員)の浄財を総体革命推進のために使い放題

③広宣流布を達成した本化国主=大聖人に比肩する法華経の行者となる

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池田自身が、唯授一人の血脈(法主)を凌ぐ精神的指導者となる。そして、化儀の改変や教義解釈を勝手に行う。

④本山・末寺を経済的事務的に支配
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宗門全体を総体革命推進のために利用する。



<総体革命>
①精神面では、平和・文化の指導者となる
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目指すはノーベル平和賞?


②政治面では、公明党が政権を樹立する

③経済面では、学会系企業が財界を支配する

④その他(行政、司法、マスコミ、教育、芸能等々)の要所要所に学会員を送り込んで完全掌握(しょうあく)する

⑤これら全体を統括し、池田が日本国の最高権力者となる


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 これは、単なる誇大妄想狂の絵空話ではありません。池田は、学会の急激な教線拡大を背景として、この"天下取り"構想を着実に実行に移していきました。
 現に、公明党は第三政党にまで議席を伸ばし、各分野に送り込まれたエリート学会員(弁護士、検事、判事、公認会計士、税理士、警察官や外交官等の国家公務員上級職等々)の数は、おそらく現在では約千名を数えるでありましょう。ただ、経済界進出の構想はそのとおりには進まず、学会系企業が一般社会へ向けてマーケットを拡げることはできませんでしたが、その替わり、財務・広布基金等の名目で、哀れな一般学会員から徹底的に搾取(さくしゅ)し尽くし、学会は膨大(ぼうだい)な資産を蓄えるに至りました。(『慧妙』H17.11.1)



<政教一致>
宗教団体の指導者が、国家の最高権力者になるために

①政党をつくり

②宗教団体を使って選挙活動し

③会員を社会の各界に送り込む


これが総体革命であり、これこそ政教一致の最たるもの


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【天下取りの野望】
◆(※当時、参謀であった池田の人となりを紹介して)同君(池田のこと)は常に言う「天下を取ろう」と(『聖教新聞』S27.3.10/『慧妙』H17.11.1)
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まさに、池田が若い頃から抱いてきた野望とは、日本、ひいては世界を向こうに回しての、三国志ばりの"天下取り"構想でした。

◆池田が創価学会第3代会長就任後、「天下取り」を目指し、1961(昭和36)年に公明党の前身である公明政治連盟を結成した直後に、側近が密かに「組閤名簿」を作ったが、そこには「総理大臣・池田大作」の名が記されていた。(『カルトとしての創価学会=池田大作』2頁)

◆(広宣流布の時には)わが男子青年部の手によって内閣を結成して(秋谷栄之助『大白蓮華』S39.2/『慧妙』H17.11.1)

◆池田先生が、日本の指導者として立っていただく(北條浩『聖教新聞』S40.7.26)

◆68万坪に独立国を作ろう。創価王国、創価共和国だな。そうすれば文部大臣は森田さん、大蔵大臣、中西さん。外務大臣、小島さん。軍需大臣、木村。運輸大臣、田中。建設大臣、杉本。宣伝大臣、横松。北条さんは警視総監。全部いるよ。(池田大作S43.3.22・第10回社長会/『慧妙』H17.4.1)
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昭和43年3月22日の第10回社長会で、池田は、九州・霧島山麓に68万坪の土地を買収するよう指示(『慧妙』H17.11.1)

天下を取ろう。それまでがんばろう。今まで諸君を困らせたり、学会をなめ、いじめてきた連中に挑戦して、最後に天下を取って、今までよくも私をいじめたか、弱い者をいじめたか、ということを天下に宣言しようではないか。それまで戦おう(池田大作『前進』S44.4=幹部用テキスト/『週刊新潮』H15.12.11)

◆私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい(池田大作『現代』S45.7/『慧妙』H17.11.1)
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池田にとって、創価学会の存在意義は自身が最高権力者になることであった。

◆9月の初めに、3泊4日で霧島に行こう。歩いたら大変だ。65万坪、文京区くらいあるんだから。独立国を作ろうか。創価王国を作ろうか。帷幕の内に謀りごとをめぐらそう、ゆっくりやろう(池田大作・第51回社長会S46.7.20/『慧妙』H17.11.1)
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 つまり、日本の国土の中に広大な土地を買い占め、そこを「創価王国」として、日本国から独立した王制国家を作ろうというわけです。
 後に池田は、裁判の際に、この発言に関して追及され、「単なるユーモア、ウイットとして言っただけです」などと言い訳していますが、かつて、
◆創価学会は、国連の人口統計からいうと、世界で21位の国家となる(高瀬広居『創価学会』/『慧妙』H17.11.1)
等と豪語していたとことと考え併せてみても、この独立国構想を「単なるユーモア」だったなどというのは、まったく下手な言い訳というものです。
 結局、この時の霧島の土地は独立国として不向きな立地であったためか、霧島研修所(九州総合研修道場)に用途変更されてしまい、池田の「創価王国」構想は、前に検証した"天下取り=日本乗っ取り"計画1本に絞られました。
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この「霧島の土地」は「地元の役人を懐柔(かいじゅう)して許可を取り、それを何十倍にも拡大して自然破壊を実行した」(『慧妙』H16.10.16)ものであり、昭和52年、民社党より追求されそうになったことから「創価王国」建設を断念したのではないか。(法蔵)

◆創価国、創価王国を、地球上に宇宙に作って、みんなを守ってあげよう(池田大作・第2東京本部最高会議S50.6.10/『慧妙』H17.11.1)
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 「創価王国」とは、池田がよく表向きで言う「仏法民主主義」とか「平和・文化・教育」などとは、およそ無縁の国家体制―すなわち「本当は全体主義は1番理想の形態だ」(S47.6.15・第61回社長会)という池田発言によっても窺われるとおり、ファシズム(全体主義)社会を指向しています。
 この社会においては、かつて創価学会・公明党が引き起こした、言論出版弾圧事件や、替え玉投票事件、盗聴事件、リクルート事件、砂利船舶汚職事件等々を見れば明らかなように、独裁者・池田の名誉と富と権力を守るためなら、暴力や汚職・不正すらも、正義としてまかり通ってしまうでありましよう。
 こうした恐るべき「創価王国」構想こそが、「広宣流布」の美名に隠れて、池田大作が目指してきた野望の"正体"でした。

◆天下をとれることが少し私には見えてきた。天下をとらない党なら、やる必要はない。私がひかえているから心配するな(公明党議員との記念撮影S51.11.16/『慧妙』H17.11.1)




【宗教(日蓮正宗)を組織拡大に利用】
<日蓮正宗の正統性を利用>
◆他宗団の本拠に出向いて法論を挑み、相手の薄弱な教義を叩き、大聖人の唯一の嫡流である日蓮正宗の正義を立証する-それは青年にとって、まことに痛快であり、その衝にあたった上層部の一握りの青年幹部は、いつも意気軒昂であったようだ。(『人間革命』第3巻「漣」)
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「大聖人の唯一の嫡流である日蓮正宗の正義を立証」することによって折伏戦を展開し、大きく発展した学会。それが今では、切り文や情報の捏造によって「日蓮正宗の歴史が謗法まみれであった」ことを必死に「立証」しようとしているのだから、無節操の極みというべきである。

◆(戸田)先生は、広宣流布をするためには、大御本尊様を信じきる信力が根本である。第2番目には権力が大事である。第3番目には財力が大事であるとおおせになっていました。(中略)
 学会をなきものにしよう、壊(こわ)そうという力に対しては、反対に今度は主権在民の権力でもいい、または、われわれの団結の世論の最高の力でもいい、そういうやつは、粉砕していくだけの力をもつことが、権力であると思うのでございます。いちいち弾圧なんか、法難なんかされている時代ではありません。(池田大作=総務S35.4.5・男子部幹部会/『慧妙』H17.10.16)
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「大御本尊様を信じきる信力が根本」と言っているが、今では大御本尊には参詣しないばかりか、大御本尊への報恩謝徳さえしない。さらには「本門戒壇・板御本尊、何だ!(中略)ただの物です!」(池田大作・H5.9.7録音テープ/『慧妙』H16.7.16)とまで発言する始末。

◆日蓮正宗は、法統連綿700年の歴史をもっておる大教団であります。仏法界において、ただ1つの、仏法の真髄である大御本尊様を奉持しておる純粋なる教団であります。700年の間、邪宗教とは絶対に妥協せず、また、あらゆる権力と戦って、今日まで私共一切衆生のために厳護くださったその宗団であります。(池田大作・大客殿起工式S37.4.2/『大日蓮』H14.8)

◆700星霜、法灯は連綿として謗法厳戒の御掟(ごじょう)を貫き、1点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人によって伝持せられてまいりました(池田大作『広布と人生を語る』第6巻12頁)

血脈否定こそは、日蓮正宗の根本教義の否定であり、究極の悪業ではないでしょうか。故にこれをいかに糾弾してもしすぎることはないものと考えます。その意味では、正信会の輩が血脈の否定にいかなる口実をかまえようとも、ことの本質は彼らの信心の根本の狂いにある。(秋谷栄之助=会長「『お尋ね』に対する回答」H3.1.1)
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学会自身、「血脈否定こそは、日蓮正宗の根本教義の否定であり、究極の悪業」だとしていたのである。そして今は、学会が正信会同様「日蓮正宗の根本教義の否定」をし「究極の悪業」を刻んでいるということでる。


<「広宣流布」を利用>
◆我等が政治に関心を持つ所以は、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。即ち、国立戒壇の建立だけが目的なのである。(戸田城聖/『週刊ポスト』H15.11.28)
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言論問題以前の学会は、広宣流布の達成を示す戒壇を「国立」としていた。さらに広宣流布及び国立戒壇は、創価学会の政界進出によって達成されると考えていた。池田大作は、言論問題を契機に国立戒壇を放棄した。それにも拘らず、未だに「政治に関心を持つ」のは何故か?


<「立正安国」を利用>
◆「立正安国」、すなわち正法を根本とした平和と民衆の幸福の確立こそ、日蓮仏法の「根本中の根本」の目的だ。(中略)それが平和と幸福の王道だ。その意味で、一大平和勢力たる我らの運動の意義は、ますます重い。社会からも、いよいよ注目を集める時代に入っている(『聖教新聞』H15.4.5)
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この首脳座談会の前半の見出しは「兵庫長田区が大激闘兵庫区 京都下京区左京区も奮闘」とあるように、統一地方選挙で関西の各組織が「激闘・奮闘」していることを讃える内容となっている。その選挙に組織挙げて取り組む宗教的根拠を創価学会は、日蓮聖人が約750年前の文応元年に鎌倉幕府に上呈した『立正安国論』に置いている。『フォーラム21』H15.4.15)


<独立の宗教法人設立>
◆我々の折伏活動が全国的活動となり、邪宗との決戦に至る時の大難を予想し、本山を守護し諸難を会長の一身に受けるの覚悟に外ならない(戸田城聖『聖教新聞』S26.12.20/『慧妙』H17.3.1)
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昭和27年、創価学会が宗教法人格を取得する際、第2代会長・戸田城聖氏は、その目的をこのように述べていた。しかし、池田学会は独立の宗教法人であることを利用して、会員からの浄財を本来の宗教活動以外に使用。




【宗門支配の野望と池田本仏論】
―唯授一人の血脈(御法主上人)を凌ぐ存在となり、宗門・学会の頂点に立つ―
 広宣流布した暁における大御本尊安置の場所(施設)を「事の戒壇(戒法)」という。この戒壇について、学会は「国立」であると主張していた。
 さらに池田大作は、国立戒壇建立の時期すなわち広宣流布達成の時期を昭和54年と予言。広宣流布達成した時点において「国主」が総本山の「不開の門」を開く、と古来から決められているが、その「国主」は自分であると公言する。これは、自分が大聖人に比肩する「本化国主」にならんとする大増上慢である。


<池田本仏論の証>
◆仏と等しくならしむ、とは、学会員として、会長の身に三業(さんごう)に等しくならしむ、と拝すべきであろう(「教授試験模範解答」『大白蓮華』S38.1)

◆こういう大勢の学会人がいても、将来、将来といってもこれはいつのことになるかわかりませんけれども、経文が、また仏が出て説かれる時には、"創価学会仏"という仏の名前で(経文に)出る、と。"威音王仏(いおんのうぶつ)"とかいろいろあるでしょう。そういう立場で"創価学会仏"という仏になる。(中略)<※「威音王仏の威音王という名前も、今で考えれば、創価学会というような名前で、当時あったと考えてよいわけですか」との質問に答えて>そういう代表の仏の人物がいた、とも言えるし、ひとつは教団があった、とも言えるのです(池田大作S38.10.18/『慧妙』H16.7.1)

◆私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とはいえない(池田大作『前進』S40.6)

◆今日本を、そして世界を守る池田先生のみ、現在において主徳を備えていらっしゃる。(中略)私達の師匠・池田先生のみ師徳兼備(けんび)でいらっしゃる。(中略)われわれ学会員の幸せを祈ってくださる池田先生こそ親徳具備(ぐび)でいらっしゃる(「講師筆記試験優秀答案」『大白蓮華』S41.2)

●最近あるところでは、新しい本仏ができたようなことを宣伝しておる、ということをうすうす聞きました。たいへんに間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。正宗の信徒とはいえません。そういう間違った教義を説く人があるならば、法華講の人は身をもってくい止めていただきたい。これが法華講の使命と心得ていただきたい。(第66世日達上人・法華講連合会春季総登山お目通りS49.4.25)

◆まさしく、現代における”人”への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる(副会長『ひのくに』S50・第10号)

●「池田会長に法衣を着せれば即大聖人様だ」などと言う僧侶がいる。私はびっくりしました。先日、北海道の信者さんから手紙が来ました。その人は札幌の僧侶ではないけれども、このような僧侶がいます。まったく情けないではないか。さらに「自分は、会長が袈裟・衣を着たらそのまま大聖人であるから、もしも学会と宗門が手を切ったならば、私は学会の方に付きます」と言明しているそうです。まったく私は情けないと思います。今ここにいる人は、心当たりがあるのかないのか知らないけれども、そういう人がいるから日蓮正宗の教義がおかしくなってくるのであります。(第66世日達上人S53.8.30/『慧妙』H14.5.16)

◆池田先生は大聖人の生まれ変わりである。でも池田先生がそれを言ってしまえば、生命の永遠の何かもわからぬ人々から「何を証拠に」とつめよられ、狂人と断じられてしまうから、終生、御自身が日蓮の再誕である、とは明言されないであろう。それを真に理解した者のみの集団が、今後の創価学会となって残る(学会員『週刊サンケイ』S55.11.13要旨)


<本化国主への野望>
◆国立戒壇の建立は、日蓮正宗の願望であり、また会長先生の、創価学会の目的でございます(池田大作『聖教新聞』S33.12.12/『池田大作 日本経済乗っ取りの野望(1)』)

◆国が最高に繁栄した時が広宣流布の時であり、一国にためにも、国民のためにも最高の時です。そうした背景のもとに広宣流布の儀式が行われるのです。それが創価学会の究極の目的の1つです。その時に不開門が開く。一説には、天皇という意味もありますが、再往は時の権力者であるとされています。(池田大作『聖教新聞』S40.7.26/『池田大作 日本経済乗っ取りの野望(1)』)
◆私が御法主上人猊下様、大聖人様に、不開門を開いて、このように広宣流布致しましたと、猊下をお通し申して、一閻浮提総与の大御本尊様に報告することが、究極の広宣流布の暁の、その意義なのであります(同)
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広宣流布の暁には、池田自身が「権力者」となり、不開門を開くと宣言。

●当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。(『観心本尊抄』254頁)
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池田大作は、自身が「折伏を現ずる」「賢王」であり、「僧と成つて」「摂受を行ずる」大聖人の再誕、またはそれ以上の存在と思い込んでいた。

●日興が云く、此の御筆の御本尊は是れ一閻浮提に未だ流布せず正像末に未だ弘通せざる本尊なり、然れば則ち日興門徒の所持の輩に於ては左右無く子孫にも譲り弟子等にも付嘱すべからず、同一所に安置し奉り六人一同に守護し奉る可し、是れ偏に広宣流布の時・本化国主御尋有らん期まで深く敬重し奉る可し。(『富士一跡門徒存知の事』全集1606頁)


<「7つの鐘」構想>
◆今日の戦の仕上げは、戒の流布、すなわち、国立戒壇の実現であると決定された。ここに初めて、あと20年後には、大聖人の仏法も完成をみんとするわけである(「戒壇の研究」『大白蓮華』S35.6/『正本堂に関する御指南の真義』65頁)
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「20年後には、大聖人の仏法も完成」という「20年後」こそは、池田学会が謗法路線を展開し、日達上人に糾弾された「52年路線」であった。これは戸田会長逝去直後(昭和33年)に発表された「7つの鐘」構想の仕上げ=広布の達成、という予言に基くものであった。初代・牧口会長が初めて「創価教育学会」の名称を使用した昭和5年をスタートの年として、7回目の7年、すなわち49年目(7×7=49)の昭和54年までに日本の広宣流布を達成する。

◆そこで広宣流布の1つの目標に到達しますが、そんなに無理する必要はない。それで、その昭和54年から、もう11年目までみると、その11年目が、正応3年10月12日いまの日蓮正宗総本山富士大石寺が創立されてから、ちょうど700年目にあたります。(中略)それで、その年は、また不思議に、戸田会長33回忌になります。師匠の追善供養を33回忌まですれば最高なのです。またその年は、私が会長に就任して満30年目です。(中略)そういうようなわけで、昭和54年から11年目の昭和65年、西暦1990年、この年を目標にして、広宣流布の大総仕上げにかかりたい。こう決意している次第であります。
 なお、この年になりますと、それまでに参議院の選挙は8回になります。また、衆議院の選挙も、最低10回ぐらいはあるでしょう。したがって、公明党も、その時までには非常に力がつくのではないかと考えます。
 また、折伏も、1千万の基盤は、…昭和54年にでき上がれば、65年までには、さらに4、5百万世帯ぐらいはいくのではないかと考えられます。
 これはあくまでも話として聞いていただきたいのですが、1千5百万世帯になれば、いまの日本の世帯数は、2千4百万世帯ぐらいですから、ゆうに半分以上を占めることになります。そうなれば、釈尊の"舎衛(しゃえ)の三億"の方程式は、事実上間違いなく、それ以上の結果になることは明らかです(池田大作『聖教新聞』S41.5.4/『慧妙』H17.11.1)
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 ここでは昭和54年に「広宣流布の1つの目標に到達」と述べている。そして、昭和65年(実際は改元により平成2年となった)までに「広宣流布の大総仕上げ」をするという。総体革命という視点からいえば、"天下取り"構想を完結させよう、ということだろう。
 その時、池田は、現代の「最高権力者」となり、大衆からは「国父」とも呼ばれるはずでした。

★池田大作が「広宣流布の大総仕上げ」の年としていた平成2年こそ、学会破門の契機となった宗門批判スピーチが行われた年である!池田にとって平成2年には宗門支配も完結し、"舎衛(しゃえ)の三億"も実現しているはずであった。しかし実際には、学会の勢力は伸び悩み、対宗門でも日顕上人への懐柔策(上辺だけの信伏随従)が奏功しなかった。そこで宗門支配を諦め独立に転換したのであろう。そして、平成2年以降は、池田自身が教祖となり信徒組織を私物化し、これを最大限利用して、自身が権力者になる。


<事の戒壇建立と正本堂>
詮、(せん)ずる所、正本堂の完成をもって、三大秘法ここに成就云々(池田大作・昭和42年10月の建立発願式)
すでに大聖人御在世中に、慧(え)たる本門の題目、定(じょう)たる本門の本尊は建立された。そして、ただ戒(かい)たる本門の戒壇のみが「時を待つべきのみ」と後世に残された。(中略)ここに正本堂の建立が、三大秘法の完結を意味するという、仏法上重要な意義を考え云々(北條浩=理事長兼副会長『大白蓮華』S45.5)
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「大聖人は、御在世中に本門の本尊と本門の題目は顕(あら)わされたが、本門の戒壇だけは顕わされなかった。それを、700年後の今日、池田大作率(ひき)いる創価学会が出現して広宣流布を成(な)し遂(と)げ、本門の戒壇を建立する。これによって三大秘法が完結(かんけつ)するのだ」というものであり、これによって彼らが言わんとしたのは、「大聖人ですら顕わすことのできなかった本門の戒壇を、池田センセーが建立される。したがって、池田センセーは大聖人よりも勝れる仏である」との"池田大作本仏論"でした(事実、当時の学会内には、そうした指導が口コミで広く流されていました。また、今日の学会の公(おおやけ)の主張にも、こうした邪説(じゃせつ)が露骨(ろこつ)に顕われています=『慧妙』H16.7.1参照)。

◆私(※池田)は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者、最高権力者である(高瀬広居著『人間革命をめざす池田大作その思想と生き方』/『池田大作 日本経済乗っ取りの野望(1)』)
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「精神界」とは広義には平和・文化・思想全般であり、狭義には宗教界のことであろう。広宣流布した時点での宗教界とは日蓮正宗の信仰の世界に他ならない。つまり、宗教的権威の次元においても頂点に立つということであり、自身が、尊信の対象たる僧宝(唯授一人の血脈)を凌ぐ存在であると自慢していたのである。

★要するに池田創価学会にとって、正本堂=本門戒壇の建立は、"池田大作が大聖人をも凌(しの)ぐ仏である"という池田本仏論の現証として「重要な意義」をもっていたのであり、これこそ、彼らが正本堂に異常に執着した、その最大の理由だったのです。




【宗門支配の画策(第1次逸脱=52年路線)】
◆学会のために本山が犠牲になる。学会が全ての主体である(S50.6.10・第2東京本部最高会議/『慧妙』H17.11.1)
◆創価学会が手段になってはならない、とんでもない、創価学会が原点。日蓮正宗、法華講はおとぎ話(S50.6.16・第1回本部中央会議/『慧妙』H17.11.1)
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要するに、日蓮大聖人も大石寺の大御本尊も、池田は自己の野望のために利用しようとしていた、ということに他なりません。


<「広布第2章」>
◆昭和47年までは苦労しよう。大御本尊様が落ち着くまでは我慢しよう(池田大作・社長会記録S43.5.23/『慧妙』H15.4.1)

◆47年正本堂建立から大闘争開始だ(池田大作・社長会記録S43.8.3/『慧妙』H15.4.1)

◆日蓮正宗は第1章をここに終わり、本日より第2章に入ったわけであります。あくまでも、民衆のために-。(池田大作『聖教新聞』S47.10.2・正本堂完工式での発言)

●一昨年(昭和47年)の秋くらいから、去年を通じ今年(昭和49年)の春にかけて、学会の宗門に対する態度と申しますか、いろいろ僧侶に対して批判的であり、また、教義上においても、我々から見て逸脱していることが多々あるように思われます。 それは世間の友好のため、広宣流布のため、という目標によってそうしておると聞きますけれども、そのままにしておいたんでは、それは大問題になりはしないか。終いにおいて取り返しのつかないことになりはしないか。(第66世日達上人S49.7.27)
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「世間の友好のため」とは、折伏を捨てた謗法容認の摂受的布教を意味する。それは、ただただ組織を拡大して選挙に勝つことだけを念頭においた活動だといえよう。これこそ、池田大作が、広布達成を意味する「本門事の戒壇」だと言い張った正本堂建立以降に展開しようとした「広布第2章」である。


<総代による末寺支配>
●それは去年、おととし(※昭和47年)あたりから、総代会議というものを東京でやっています。学会で。その時には―皆な君たちは知らないかも知れないが―君達の悪口を皆な言っているんだ。みんな一々悪口を報告させてやっている。詳しく言ったら大変になる。それだから他の総代も、まるで自分らが何とかすれば、住職なんかどうにでもなるんだ、という頭になっちゃった。大変な間違いですよ。
 総代は、それは住職の委任に依ってやる。住職がこの人を総代にしてくださいと言って出すからして総代になる。それを、逆に今度は、総代の方が住職の任免権を持っているというような、とんでもないことになりますね。そういうふうにだんだん変になっていった(第66世日達上人・指導会の砌S49.7.27)
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総代による末寺支配は、創価学会が最も力を入れたことであり、宗務院に対して、各末寺に、必ず2名以上の学会員総代(責任役員)を置かせるよう要求し、一方で、総代に対し、宗教法人法をタテに、寺の運営に干渉することを教育した。 このような作戦に則り、池田大作の指揮のもと、正本堂完成後の創価学会は、用意周到かつ陰険極まりないやり方で、日蓮正宗の支配に乗り出したのである。 "南無妙法蓮華経"の商標登録や、正本堂について、数十種類もの意匠登録を行なったのも、その一環である。


<山崎・八尋文書(S49.4.12付)>
本山の問題については、ほぼ全容をつかみましたが、今後どのように処理して行くかについて2とおり考えられます。1つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから学会に火の粉がふりかからない範囲で、つまり、向こう3年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係ではいつでも清算できるようにしておくという方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて背後を固めるという方法です。本山管理に介入することは火中の栗をひろう結果になりかねない危険が多分にあります。しかし私の考えでは、本山、正宗は、党や大学、あるいは民音以上に、学会にとっては存在価値のある外郭と思われ、これを安定的に引きつけておくことは、広布戦略の上で欠かせない要素ではないかと思われます。こうした観点から、後者の路線ですすむしかないように思われます。そのための布石としては
<1>本山事務機構(法人事務、経理事務)の実質的支配
<2>財政面の支配(学会依存度を高める)
<3>渉外面の支配
<4>信者に対する統率権の支配(宗制・宗規における法華講総講頭の権限の確立、海外布教権の確立等)
<5>墓地、典礼の執行権の移譲
<6>総代による末寺支配
が必要です。これらのことは機会をとらえながら、さりげなく行うことが必要であり今回のことは<1>、<2>、<3>を確立し 更に<4>まで確立できるチャンスではあります。いずれにせよ、先生の高度の判断によって決せられるべきと思いますのでご裁断をあおぐ次第です。

[画像]:「山崎・八尋文書」(S49.4.12付)
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そもそも、この報告書は、池田大作が、「国際センター」「世界会議」の準備のため、南北アメリカに1ヵ月にわたる旅行に出かけた同年3月7日、私に、「帰ってくるまでにまとめておけ!!」と命令したのを受け、帰国の1日前、4月12日に、第1庶務に提出したものである。その後の経緯をみれば、この報告書に記されたとおりの手順で"宗門支配"の謀略(ぼうりゃく)が進められていったことは明らかである。(山崎正友=元学会顧問弁護士『慧妙』H15.11.1)


<昭和49年4月30日の連絡協議会>
―僧侶の任命権・海外布教権の譲渡を要求―
東京・向島にある日蓮正宗寺院・常泉寺で、日蓮正宗と創価学会の連絡協議会が開催された。日蓮正宗側から宗務総監以下の宗務院執行部、そして創価学会からは池田会長以下の首脳が出席する。創価学会から日蓮正宗側に提示された「連絡会議議題」には、日蓮正宗と創価学会の関係を大きく左右する次のような重大な案件が記載されていた。

学会提示の「連絡会議議題」(連絡協議会S49.4.30/『フォーラム21』H15.8.1)
1.日蓮正宗国際センター
2.日蓮正宗インターナショナル
3.ミニスターの件
4.海外寺院の件
5.本山土地の問題
6.正本堂記念資料館、休憩所
7.天母(あんも)山郷土資料館
8.総坊売店拡張計画
9.洗衣(かんね)堂の使用
10.正本堂久遠の灯
11.正本堂手荷物預り所
12.正本堂電気設備関係保守契約
13.妙蓮寺記念碑の件

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このうち問題となったのは、海外布教に関する1~4の「議題」だった。というのもそこには、およそ日蓮正宗側が飲めるはずもない次のような創価学会側の要求が記載されていたからである。

創価学会側の要求事項(連絡協議会S49.4.30/『フォーラム21』H15.8.1)
1.(財)日蓮正宗国際センター
 7月に発足したい。
 役員人事、別紙の通り。
 世界布教に関する事項は、この国際センター会長である池田会長に依存する書面を頂きたい。
(別紙)財団法人国際センター
 会長 池田先生   名誉総裁 日達猊下
 理事長 森田一哉  参与 早瀬日慈
 専務理事 原田稔  々  藤本栄道
 常務理事 細谷昭  々  北條浩
 理事 桐村泰二   々  和泉覚
 監事 竹内重郎   々  原島嵩
    八矢英世   々  持永利之
    羽吹栞
    森田修平
    八尋頼雄
 監事 小野康
    森謙
2、日蓮正宗インターナショナル
 第1回国際会議、来年1月グワム島で開く。事務局をロサンゼルス(エチワンダ)におく。
3.ミニスターの件
 原案(書状)提出
 日蓮正宗国際センター会長 来年発表してからは、日蓮正宗インターナショナル会長より授与
4、海外寺院の件
 サンフランシスコ(西岸山 妙信寺)
 シカゴ (大米山 妙行寺)
 いずれもコミュニティセンターの一部を以て充当する。

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一読して、日蓮正宗を信徒団体である創価学会の風下に置こうと企図していることが読みとれる。なかんずく1項にある「世界布教に関する事項は、この国際センター会長である池田会長に依存する書面を頂きたい」や、3項の「ミニスター(僧侶)を日蓮正宗インターナショナル会長より授与」とは、日蓮正宗の海外布教権や僧侶の任命権を池田会長が掌握するということであり、実質的に創価学会が日蓮正宗を支配、統括することを意味している。


<「日蓮正宗国際センター」>
●(※国際センター構想について)日蓮正宗から切り離してやるならよい。(そうでなければ)海外住職も引き上げる(第66世日達上人S49.5.9/『フォーラム21』H15.8.1)
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5月9日に北條副会長、山崎正友創価学会顧問弁護士が、日蓮正宗総本山・大石寺に登山し、日達上人にお目通りした際、日達上人は、国際センター問題について、創価学会の姿勢を厳しく批判したのだった。

●先月の中頃(※昭和49年5月9日?)でしたか、北條副会長ならびに山崎弁護士が来られました時に、私は申し上げました。
 その時、国際センターを造ると、日蓮正宗国際センターを造るに当たって、創価学会と日蓮正宗との真ん中に、もう1つ上に日蓮正宗国際センターというものを造る、という趣旨で来られました。私ははっきり断りました。
 日蓮正宗は日蓮正宗として1つの宗教法人である。大聖人様の遺命によって広宣流布を全うしなければならない、ただ1つの宗旨である。それを、その上に1つ、日蓮正宗国際センターというものができるとなれば、正宗としては、その上に1つ、また被宗教法人ができる(ということになる)。我々は被宗教法人の下についていくんだから意味が無くなってしまう。
 日蓮正宗としての意味が、また御戒壇の大御本尊をお守りしているというのも、今度はできなくなってしまう。その上の宗教法人においてどうとかこうとか言われたらば、こっちもその下につくんだから何ともする事ができなくなる。その意味の上からはっきりと断りました。
 どこまでも日蓮正宗は、たとえ小さくてもよろしいから、大聖人の教義を守っていきます。また、今、皆様方のお陰で大きくなっておるけれども、(たとえ)もっともっと小さくなっても、どなたか、また、大きく手伝いをしてくれる人が(いつか)あるかもしれない。だから、私はどこまでも大聖人の仏法を守る、と言って、はっきり日蓮正宗の上につく日蓮正宗国際センターというものを、私は、否定といいますか、お断りしたわけでございます。
 それから端を発して、そのあと、最近の1年か2年かにわたるところの学会のいろいろな教義の違い、謗法のあり方ということを申し上げました。で、ついにそのために2人(北條・山崎正友氏)は帰っていきました(第66世日達上人S49.7.27)
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このお言葉から拝せられるように、正本堂建立以降に池田大作が推し進めた路線は、創価学会を主とし日蓮正宗を従とする本末転倒の関係の構築であった。これには次のようなメリットがある。
①池田自身が「精神界の王者」=大聖人と同じかそれを凌ぐ立場、となれる。
②御法主上人をはじめとする宗門全体を学会の傘下に置くことによって、教義解釈を池田に都合よく変更できる。
③日蓮正宗に対する会員の信仰心をそのまま利用する形で、権力獲得へ向けての多様かつ効率的活動を展開できる。


<北條文書>
―本山の件(S49.5.10付)―
9日の本山お目通りの際、猊下の話は大へんひどいものでした。之が猊下かと疑うほど、また信心そのものを疑いたくなるほどひどいものでした。……広布の上に重大障害となりまた宗門僧侶等の問題の一切の根源がここから出ていると感じました。
・(池田)先生が前々から見抜いておられた本質がさらけ出されたように思いますが、あまりにひどいので、かえすがえす残念です。 広宣流布など全く考えていない。自分達の私財がふえることと、信徒を見下してえばって暮せれば満足、という風にしか考えられません。 学会が生きぬいてゆく為には、相手に信心がないなら、うまく使ってゆくか、徹底的に戦って、学会の旗を守って死んでゆくか、いづれにせよ、先生の最大のご苦心にふれる思いで決意を固めました。
(北條浩副会長S49.5.10/『フォーラム21』H15.8.1)
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要するに、日蓮正宗を支配するための戦略を、日達上人に拒否され、批判されたことに腹を立て、「信心がない」「ひどい」などと日達上人を非難しているのである。

―宗門の件(S49.6.18付)―
・広布の前途を大きく開いて帰国された先生に、このような報告を申上げることは洵(まこと)に残念なことであり、且つ申訳ない限りでありますが、報告を怠(おこた)って、ご判断をあやまらせては、より以上重大なことと思い、中西、秋谷、山友と相談の上、ご報告申上げます。また、私たちなりに検討しました対策もしたためますので、ご指示賜(たまわ)りたく。その上で、私ども、いかなる事なりとも斗う所存です。かねて先生の仰言っておられた通り、私たちの到底想像することの出来ない、みにくい姿であります。いずれにしても私たちは断固たたかいぬく決心です。
・G(※日達上人を指す)の心理は、一時的なものではない。今こんな発言をしたら、宗門がメチャメチャになってしまうことも考えないのではないか。困るのは学会だと思っているのだろう。 宗門は完全な派閥で、Gと総監とは主導権争いになっているのではないか。 長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。 本質は、カソリックとプロテスタントのような違いである。 戦術的には、すぐ決裂状態となることは避けて、早瀬理事とのパイプ(山友、八尋が話し易い関係にあります)を太くするとか、当面、Gの異常心理をしずめ、あたらしい進路を開きたいと考えます。 但し、やる時がきたら、徹底的に戦いたいと思います。
(北條浩副会長S49.6.18/『慧妙』H16.9.16)
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これは、日達上人が創価学会の池田本仏論などの誤りを破折され始めたことに対し、反発した北條・秋谷ら首脳陣が対策を相談し、池田宛に報告したものです。(『慧妙』H16.9.16)
※創価学会員は、「創価学会は日蓮正宗を護ってきた」と信じこまされているが、実際には、御先師の代から日蓮正宗に圧力をかけ続け、時の御法主上人猊下を悩まし続けていたのである。


<本山事務機構の支配>
●(学会が)会計を、大石寺の会計を調べるという。大石寺も宗教法人で、その年その年に税務署へちゃんと会計報告してとおっておる。それにも拘わらず、また第三者が来て会計報告まで調べるというのは、どうも私には意味がとれない。その時に北條(浩=後に4代会長)さんが言うには、もし調べさせなければ手を分かつ、おさらばする、とはっきり言ったのです。
 私はびっくりしました。こういう根性じゃ、これは駄目だと。会計を見せなければ自分らは正宗から手を切るというのである(第66世日達上人・指導会の砌S49.7.27)


<独立も画策>
◆長期的に見れば、うまくわかれる以外にない(北條浩副会長S49.6.18/『慧妙』H16.9.16)
●(学会が)会計を、大石寺の会計を調べるという。(中略)もし調べさせなければ手を分かつ、おさらばする、とはっきり言ったのです。(第66世日達上人・指導会の砌S49.7.27)
◆うまく使ってゆくか、徹底的に戦って、学会の旗を守って死んでゆくか(北條浩副会長S49.5.10/『フォーラム21』H15.8.1)
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52年路線では、様々な方法を用いて宗門支配を画策したのであるが、一方で独立も視野に入れていた。↓

●昭和52年路線は、動機がどうであれ客観的にみれば、創価学会が独立してもよいほどの状態だったのです。 たとえば"教師"が学会で任命され、会館には山号がつけられ、さらに日蓮大聖人直結の、牧口初代会長、戸田2代会長、池田大作へと流れる師弟血脈が語られ、かつ、それぞれの会館で、寺院で行なうのと同じような儀式が営まれたのです。あるいは「慧光照無量」として、亡くなった人に、池田自ら"妙"の一字を書き、これでこの人は成仏したと語り、さらに発展して塔婆供養のかわりに、「慧光照無量」として各人が亡くなった人の名簿を提出し、広布基金を御供養として出すなど、さながら独立教団の様相を呈していました。こうして春秋彼岸の法要も会館で行ない、寺院への流れをストップさせたのです。(原島嵩『妙教』H12?)

謝↓罪



◆学会は、絶対尊崇の本源たる本門下種人法一箇の御本尊、宗祖大聖人に対し奉る信仰を根本とし、永遠に代々の御法主上人猊下を仏法の師と仰ぎ奉り、強き広宣流布の戦士たる誇りも高く、さらに、日蓮正宗の信徒として、いっそうの外護の任を全うしてまいる決意であります。(池田大作「恩師の23回忌に思う」『聖教新聞』S55.4.2)
◆今一度、学会の存立基盤に立ち戻り、あくまでも外護と布教という根本の宗教活動を主体とし、そのうえで、社会的存在としての文化活動を推進してまいるようお願いしたい。その意味から、僧俗の和合をあくまでも根本とし、学会の使命遂行には、いささかも揺るぐことなき信心の大確信を堅持し、社会との融合を図りながら、広宣流布を進めていかねばなりません。(同)

★正本堂の意義付けに失敗し、学会主導の宗門運営にも失敗した学会は、破門による組織の動揺を恐れてか、反省懺悔。池田は責任をとって総講頭、会長を辞任。しかし、それは単なる時間稼ぎのポーズであった。




【独立作戦(第2次逸脱)】
―宗門を挑発して破門するように仕向ける―
50周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ(池田大作・H2.11.16/『大日蓮』号外H3.1.25)
十年前は堂々と出来なかった。一言もいえなかった。それで失敗しましたんで、今度は堂々とやっている(森田理事長・H3.3.18・杉並ビクトリー勤行会)
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第1次教義逸脱についての謝罪は何だったのか。後の池田発言等をみれば、この謝罪は単なるポーズであり、内心は宗門に対する憎悪と復讐心で満ちていたことが分かる。つまり、昭和52年路線における宗門支配または独立の野望は、謝罪後も生き続けていたのである。

・第1目標:昭和54年=「7つの鐘」終結=広布達成→広布達成の証としての正本堂建立以後「広布第2章」(摂受謗法路線)を展開すべく宗門支配を画策したが失敗
・第2目標:平成2年=「広宣流布の大総仕上げ」の年でも、広布は進展せず。宗門の懐柔にも失敗。結果、破門するように仕向けて独立達成!!


★「広宣流布の大総仕上げ」の年としていた平成2年こそ、学会破門の契機となった宗門批判スピーチが行われた年である!

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●昭和47年10月、「妙信講」の介入によって、きわめて不本意な形で正本堂落慶を迎えざるを得なかった池田大作は、直後から、捲土重来(けんどじゅうらい)を図(はか)って、さまざまな謀略と画策に取りかかりました。その1つは、日達上人に圧力をかけて、
 「正本堂が大聖人御遺命の戒壇堂である」
というお墨付きを無理やり得ることでした。
 それにより池田は、
 「自分は、三大秘法のうち大聖人もなされなかった"本門事の戒壇建立""広宣流布"を成し遂げた、仏法史上画期的な存在である」
との主張を打ち立て、「池田本仏論」の根拠にしようと企(たくら)んだのです。
 しかし、日達上人は頑としてこれに応じられず、それに憤(いきどお)った池田大作は、昭和48年に入る頃から日達上人にさまざまな攻撃を仕掛けながら、
 「こうなればもはや、宗門を学会の支配下に収めて、思うがままに動かす体制を作るしかない」
と腹を決め、この報告書のとおりに行動し、既定方針に添(そ)って、宗門を
 「最も存在価値のある外郭」(『山崎・八尋文書』)
にしようと、行動を開始したのです。その一方で池田大作は、万が一、宗門支配に失敗したら、その時は、創価学会を「在家教団」として独立させる腹を固めました。そして、両様の構えをとって、準備を整えながら、露骨(ろこつ)に宗門に圧力を加えていったのです。
 これが、その後の宗門と創価学会の紛争の原因であります。
 私の手元には、これを裏付ける当時の極秘資料がたくさん残っています。(元創価学会顧問弁護士・山崎正友『慧妙』H20.6.1)

●特に総本山大石寺開創700年というまことに大事な記念すべき時に、私は仏勅を感じて、まさにこの法華講が立ち上がるべき時であるということを感じ、初めての法華講の大総会、いわゆる「3万総会」を呼び掛け、実現したのであります。(中略)そこから彼らの、邪義の念慮を持っておるところの謗法の在り方がますます顕著になり、怨嫉の形をもって現れてきたのであります。(第67世日顕上人『大白法』H16.1.16)
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池田大作は「52年路線」終結後、しばらくは信伏随従の姿勢を保っていた。これは、日顕上人を懐柔して、信徒団体のままで宗門を実質的に支配することを狙っていたとも考えられる。しかし、日顕上人の、学会に阿(おもね)ることのない厳格なる態度に不満を持ち、独立を決行したのであろう。




【総体革命】
―各界に学会員を送り込み、国家の中枢を掌握し、池田が天下を取る―
◆広宣流布の時には、参議院議員、衆議院議員もいてさ、皆な財布の中には少なくとも10万や20万入れて、洋服も月賦じゃないの着てさ、ひとつ国会議事堂やプリンスホテルや帝国ホテルで会おうじゃないか。要所要所を全部ね、学会員で占めなかったら広宣流布できゃしませんよ。ひとつ天下取るまで諸君は大事な体だから、うんと修行して行きなさいよ」(池田大作=参謀室長『聖教新聞』S32.9.6/『慧妙』H17.10.16)

財界、文化の世界、政界、科学界、教育界、あらゆるところで(学会員が)力を養(やしな)っていかねばならないと思う。(池田大作=総務S35.4.5・男子部幹部会/『慧妙』H17.10.16)

◆目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ。(中略)中曽根康弘は心配ない。こちらの小僧だ。総理大臣になりたいと云っていたので、よしよしと云っておいた。ケネディきどりだ。坊やだ。(S42.1.25・第6回社長会での池田大作発言/『慧妙』H17.4.1)

◆広布(※広宣流布)の斗いで、政党、学校、文化、民音等もできた。最後に残ったのは経済だ。これから、この社長会を中心に経済革命をする。(S42.6.25・第1回社長会での池田大作発言/『慧妙』H17.4.1)

◆(この社長会は)未来の経済革命をしてゆく会合であり、日経連など問題でない(S43.3.22・第10回社長会での池田大作発言/『慧妙』H17.11.1)

警察だって、動かしているのは竹入・井上だよ(S43.7.8・第13回社長会での池田大作発現/『慧妙』H17.11.1)


※創価学会(創価教育学会)を設立したのは牧口常三郎氏である。独立の宗教法人とし、国立戒壇建立のために政界に進出したのは戸田城聖氏である。また、『人間革命』によれば、学会員を社会の各層に進出させることによって広宣流布を進めようとするやり方は、戸田氏の指導に基づく。
 だからといって創価学会が創立当初から、天下取りのために宗教を利用したとは思わない。戸田氏は純粋な信仰心から、本気で広宣流布を達成しようとし、広宣流布の暁には国立戒壇が建立されると考えた。そのために政界に進出し、総体革命的な考えもした。
 池田も、表面的には戸田氏の行動を踏襲しているように見える。しかし、戸田氏と池田の決定的な違いは、信仰心(血脈に対する信、広宣流布の情熱)の有無である。池田の場合は自身の無信仰と権力欲によって、「宗門従・学会主」と考えるようになり、権力欲を満足させるために宗教を手段化するに至ったと思われる。
 誤解を恐れずに強調的に言えば、戸田氏の信仰観は「即物的」であった。功徳か罰か、得か損か、健康か病気か、・・・といった視点で信仰を捉えた。このような教えは解り易く、経済的に困窮した戦後の人々の心を掴んだ。国会に学会員を送り込み、以って国立戒壇を建立するという発想は、こうした即物的信仰観の延長線上にあったといえよう(牧口氏が価値論において真・善・美ではなく利・美・善と、「利」を強調したことと、戸田氏の即物的信仰観は通ずるものがあるような気がする)。
 権力もなく、金も地位もない者が、それらを夢見て信仰に励んでいる時はよかったが、教勢が拡大して、ある程度の権力を得、金を持つようになると信心弱き「俗物」は、信心によって得たことを忘れて自分の能力によって数が増え、数が増えたから権力や金が得られたと勘違いする。それが今の池田学会である。

●創価学会は、だんだんと変質してきました。 私は、戦前牧口会長とも3度ほど会って話もしております。戸田会長とはそれ以上の知り合いでした。池田などが入信する前から創価学会のことはいろいろと知っています。 私は戸田会長は、教義上、やはり宗門の古来のあり方、古来の教義、そして血脈相承による仏法の継承とそれに基づく信条、信じ方というものは、それはやっぱり、正しいものがあったと思っているのです。私はそのように感じるのです。しかし、そこから逸脱してしまったのが池田なのです。(第67世日顕上人『富士の法統』妙教編集室)





池田の天下盗り構想の淵源(えんげん)

―根深い池田の"天下盗り構想―
―構想は会長就任以前から―

(『慧妙』H17.10.16)

 これまで、池田大作の無数の奇言・戯言(※常人にとっては。池田にすれば、本音を率直に語っただけかもしれぬが―)、および、池田の本音が現われた数々の発言を拾い上げ、池田大作の人間性と、池田が目指すものを浮き彫りにしてきた。
 その結果、"唯(ただ)我(われ)独(ひと)り尊(たっと)し"と思い上がった池田が、人を見下し、自分を認めぬ者は扱(こ)き下ろし、批判者・反逆者に対しては"復讐"を命じ、宗門・学会員は自分の隷属(れいぞく)物であるかに考えて常に搾取(さくしゅ)の対象とし、天下盗りを目指して権謀術数(けんぼうじゅっすう)の限りを尽くしてきたことが明らかとなった。
 ところで、池田が、会長になるはるか以前から、天下盗りを口にしていたことはすでに紹介した。だが、それがどれほどの現実性をもって語られたものであったのか、についての検証は、行なわずにきた。
 そこで、今回はその淵源(えんげん)を探ることで、池田が、いかに執念深く天下盗り構想を進めてきたのかを、明らかにしたい。

◆(※権力との戦いであった)大聖人様の時代と共通した戒壇建立の闘争にはいるわれわれ学会員は、会長先生の大目的である広宣流布を達成するためには、とうぜん南無妙法蓮華経、三大秘法の仏法を中心にした文化闘争(※政治活動)を展開していくことは必然的であります。
 大聖人様の時代に帰った同じ闘争であることを、私たちは知らなければならないと思うのであります。
 どうか、文化闘争においても、またそれが折伏闘争であり、邪宗撲滅の闘争につづいているということを確信して、勇気をもって不幸の人々を救いきっていっていただきたいと思います。(池田大作=参謀室長S31.4.8・関西連合大総会)
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 創価学会が初めて国会に議員を送り込んだ第4回参議院議員普通選挙。それに先立つ3ヵ月前の会合で、池田はこのように述べていた。
 すなわち、創価学会では、初めて参加した国政選挙の時点から、政治活動を宗教活動と同列、いや、それ以上に重視していたこと、それは、権力を利用して広宣流布(といっても、日本中を学会員にすること)をしようとの目的であることは、この池田発言に明らかであろう。が、創価学会が権力に固執(こしゆう)する理由は、他にもあった。

◆(戸田会長が)青年部に最後の指示をくださったのは、3月の29日、この日、ある人物(※当時、所化頭をしていた的場正順尊師のこと)がお小僧さんをいじめ創価学会を非常にバカにしている存在の人がおりました。その人物と青年部は戦いました。その報告を会長先生に申し上げましたところ、おやすみになっておられた会長先生は、毅然としたお姿で、
 「1歩も退(しりぞ)いてはならんぞ、追撃の手をゆるめるな、1歩も退いてはならんぞ、追撃の手をゆるめるな!」
という御指示を受けたのでございます。
 この先生の御指示を、広宣流布の日まで、わが青年部の闘争の源泉としていくことを決意といたしまして、終わりとします。(池田大作=参謀室長S33.4.3・本部幹部会)

◆いま会長先生がなくなって、宗門のなかにも、または学会のなかにも、いわんや外敵においては、会長先生がなくなったことを喜び、または安堵(あんど)の胸をおろし、または反逆の心を起こし、蠢動(しゅんどう)するようなものがあったならば、これ広宣流布を乱していく天魔の所為(しょい)として、断固粉砕していくことが、学会幹部のありかたであると思うものであります。(池田大作=参謀室長S33.5.3・創価学会第18回春季総会)
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迫害・弾圧の対象となる"学会批判者"の中には、驚くべきことに当初から、宗門僧侶も含まれていたのである。

◆過去の歴史をみても、正法を迫害し、正法を誹謗(ひぼう)し、正法をなきものにしようと動いた政治家や指導者というものは、悲惨きわまりない最後を遂(と)げております。もしか、そんなことをやっていくような政治家がおったとするならば、あらゆる方法を講じて、代議士にさせないようにたたき落としていこうではありませんか。(池田大作=総務S34.12.6男子部第8回総会)

◆(戸田)先生は、広宣流布をするためには、大御本尊様を信じきる信力が根本である。第2番目には権力が大事である。第3番目には財力が大事であるとおおせになっていました。(中略)
 学会をなきものにしよう、壊(こわ)そうという力に対しては、反対に今度は主権在民の権力でもいい、または、われわれの団結の世論の最高の力でもいい、そういうやつは、粉砕していくだけの力をもつことが、権力であると思うのでございます。いちいち弾圧なんか、法難なんかされている時代ではありません。(中略)
 財界、文化の世界、政界、科学界、教育界、あらゆるところで(学会員が)力を養(やしな)っていかねばならないと思う。(池田大作=総務S35.4.5・男子部幹部会)
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創価学会に敵対する力を権力によって粉砕する―と発言した池田が、実際に権力を手にして行なったことは、といえば、言論出版妨害事件に代表される、学会批判者への迫害・弾圧であった。

 いかがであろうか。現在の池田創価学会の行動原理は、じつは池田が会長に就任する以前に、ほぼ完成していたのである。
 例えば、昭和35年4月5日の男子部幹部会での池田発言。後に「総体革命」と呼ばれる、日本支配に向けての構想(※政・官・財に加え、教育界やマスコミ界などの各界に学会員を送り込み、日本の実効支配を狙う構想)が堂々と語られているではないか。池田はその構想を、今日まで着実に実行に移してきたに過ぎないのだ。
 と、ここまで検証してくると、ではなぜ、当時、これらの発言が学会内で問題にならなかったのか、という疑問が湧(わ)いてくる。
 それは、池田が進めてきた天下盗り構想が、池田が独自に組み上げたものではなく、もともと創価学会の中に存在した天下盗り構想を、池田が実行に移そうとしたにすぎなかったのかもしれない、という疑問である。
 例えば、今回紹介した、学会として初挑戦した参院選直前の発言や、有名な「広宣流布の時には、参議院議員、衆議院議員もいてさ、皆な財布の中には少なくとも10万や20万入れて、洋服も月賦じゃないの着てさ、ひとつ国会議事堂やプリンスホテルや帝国ホテルで会おうじゃないか。要所要所を全部ね、学会員で占めなかったら広宣流布できゃしませんよ。ひとつ天下取るまで諸君は大事な体だから、うんと修行して行きなさいよ」(池田大作=参謀室長『聖教新聞』S32.9.6)
との発言がなされた時点では、第2代会長・戸田城聖氏は健在であった。
 そして、戸田氏がこれらの発言を問題にした様子がない、ということは、つまり戸田氏は、これらの池田大作の発言を学会の既定の方針として認めていた、と考えられるのである(もちろん、だからといって、具体的に天下盗り構想を進めた池田が免罪〈めんざい〉される理由にはなり得ないが)。
 いずれにせよ、「創価学会」を完全に読み解(と)くためには、これまでより、さらに突っ込んだ検証をすべき必要性が感ぜられる。(本連載は、今回をもって終了します。長らくの御愛読ありがとうこざいました。)





「水滸(すいこ)会記録」に見る"天下盗り"構想

―創価学会の内部資料を検証―
―学会エリート育成の場だった「水滸会」―
―学ぶ内容は"天下盗り"の権謀術数―

(『慧妙』H17.9.1)

 政治的混乱が続く今の日本で、"天下盗(と)り"といテ呆(あき)れた構想を進めている団体がある。それは、他ならぬ創価学会である。
 これに危機感を強める人々が強く指摘するのは、現在の日本の状況が、創価学会の内部資料「水滸会(すいこかい)記録」に示された"天下盗り"構想どおりに変化してきている、ということである。
 では、「水滸会記録」に記された創価学会の"天下盗り"構想とは、いったいどんなものなのか、検証してみよう。


【際(きわ)だつ学会の魔の跳梁(ちょうりょう)】
 創価学会が描く天下盗(と)り構想―。公明党が自民党との連立政権に参加して、はや6年、日本の政治情勢は、もはや公明党抜きでは語れない状況となっている。
 司法・行政に目を転じてみると、例えば偽造写真事件裁判のように、創価学会による日蓮正宗管長への名誉毀損(めいよきそん)を明確に認めながら、原告である日蓮正宗の適格性を摩訶(まか)不思議な論理で否定し、結果、日蓮正宗の請求を棄却(ききゃく)した司法当局。
 また、NTTドコモ通信記録盗み出し事件のように、創価学会幹部らが行なった犯罪について、日蓮正宗信徒の中にも明らかな被害者がおり、しかも、その被害者から事情聴取をしながら立件しなかった警視庁。
 さらに、これを不服とした被害者らの刑事告発に対し、犯人を起訴はしたものの、実行犯の興味本位による犯行だったとして、事件の背後関係にはほとんど踏み込まなかった東京地方検察庁。これら司法・行政の、あたかも創価学会を利するような動きは、誰の目にも不自然に映(うつ)るだろう。
 そして、こうした公明党・創価学会の跳梁(ちょうりょう)に反比例するかのように、こと大手マスコミからは、創価学会批判・公明党批判がほとんど見られなくなった。
 このように、立法府も、司法・行政も、さらにはマスコミまでも、創価学会・公明党を"特別扱い"する現実を見ると、創価学会・公明党の天下盗りが最終局面に近付いているのでは、との危機感を強くするものである。
 こうした状況下、かつては"公明党の裏国対"だったことを自認する元国会議員・平野貞雄氏は、その著書で、"創価学会の内部文書「水滸会(すいこかい)記録」の内容を知ったとき、自公連立政権下の公明党・創価学会の本性を見た思いがした"と指摘し、今の日本の現状を憂慮(ゆうりょ)する。


【"天下盗り"教えた「水滸会」】
 「水滸会記録」とは、昭和27年暮れ、当時、創価学会会長であった戸田城聖氏が、青年部を対象とした「水滸会」を発足させ、次代のエリートの育成を行なっているが、その「水滸会」における戸田氏の指導をまとめたもの、とされている。
 宗教団体の次代を担うエリートヘの指導であれば、その内容は、教義・信仰に関するものか、あるいは教団運営に関するノウハウか、と、誰しも考えよう。
 ところが、実際に戸田氏が語ったのは、権力奪取に向けての様々な権謀術数(けんぼうじゅっすう)だったのである。
 以下に、「水滸会記録」の、創価学会の本性がよく現われた部分を引用する。


【「広宣流布」=「天下盗り」!?】
◆今の総理大臣の権力は、明治時代の天皇以上である。総理大臣になれば、日本を自由にすることができる権限を持つことができる。自衛隊を動かすことのできる権力も持っている。ある意味では、広宣流布しやすくなったな。(「水滸会記録」)
◆広宣流布というと、日本国の1人残らず全部が日蓮正宗の信者になると思うのは誤りである。
 広宣流布というのは、日蓮正宗をして日本国の国教と定める、と国会を通過させ、とにかく日本の国民の過半数が、日蓮正宗の信者になることを意味するのである。しかし、その広宣流布の暁(あかつき)といえどもキリスト教やその他の宗教も存在しているのである。(「水滸会記録」)
◆おそらく憲法に、日蓮正宗のみを信ずべしと記載することは不可能であろう。広宣流布に際して外国の干渉はさしてあるまいが、「信教の自由」を憲法から取って除くとすると、当然、外国の干渉は予想しなくてはなるまい。(「水滸会記録」)
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 創価学会、否、創価学会の最高指導者が目指すのは、"広宣流布"と名付けた一国支配である。
 本紙読者であればご承知のことと思うが、本来、「広宣流布」とは、折伏が進み、日蓮正宗の教えが日本国中に広まって、国民の大半が純真に日蓮正宗の信仰をするようになった状態を指す、そうなれば当然、本門寺の戒壇が国民の大多数の意志で建立されることになり、日蓮大聖人の『三大秘法稟承事』の仰せはそのまま現実のものとなる。
 ところが創価学会は、創価学会が権力を手中にし、日本一国を自分の意のままに支配することを究極の目的とし、その状態を指して"広宣流布"と呼んでいることが、「水滸会記録」の記述から見てとれる。
 すなわち、創価学会は「日蓮正宗の信仰」を、学会が一国を精神面から支配するための手段として利用していたのである。それは、以下に示す記述を読めば、さらに鮮明になる。


【各方面に送り込まれた"人材"】
◆(※創価学会が支配しにくいのは)官庁だな。それには、優秀な人を抜擢(ばってき)、して、先輩が自分より出世させ、出世した者がまた後輩を引き立ててゆくしかないな。
 警察などの場合、警部補、部課長クラスを占(し)めてしまえば強いものだ。将来、2万の青年が各官庁や会社の重要ポストを占めるようになれば、その仲間同士で何でもできる。
 だから青年に国家改革を頼む以外にないのだ。(「水滸会記録」)
◆広宣流布のためには、2万人の青年部員が、官庁やマスコミ、会社の中枢に入ることが必要だ。(「水滸会記録」)
◆諸君も、財務・外務・文部の実権を握(にぎ)ったときに、堂々と広宣流布をやり遂(と)げたまえ。(「水滸会記録」)
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 山崎正友氏は、『創価学会と「水滸会記録」』で、創価学会の「法学委員会」について、次のように述べている。
 「昭和39年暮れに作られた『法学研究会』はやがて『法学委員会』となり、"天下盗り"のための枢要(すうよう)な機関となった。
 学生部の中から、成績の良い者を集め、司法試験、国家公務員試験、外交官試験をめざして、信仰と学問の両面で訓練を行ない、人材を判事・検事・官庁・外交官などに送り込むことが目的で作られた法学委員会の、初代委員長は私であった。
 法学委員会からは、神崎武法(検事-代議士)、高橋敏子(弁護士-参議院議員)、榎泰邦(外務省局長)、遠藤乙彦(外務省-代議士)、東祥三(同)、桐ヶ谷章(弁護士、創価大学法学部長-創価学会副会長)、八尋頼雄(弁護士、創価学会副会長)、福島啓充(弁護士、創価学会副会長)らの人材が育った。
 対象は、公認会計士、税理士などから、医師、ジャーナリスト、学者の育成にまで拡げられ、医学委員会、経済研究会、大学院委員会、ジャーナリスト委員会等が作られた。
 こうした機関で育成された人材は、判事、検事、大蔵省、外務省、弁護士、各大手新聞社やテレビ局に送り込まれていった。」


【学会「閥(ばつ)」を形成し日本を支配】
◆学会は大きな1つの閥(ばつ)になる。しかも官僚だけでなく、魚屋も議員も肩を組んだ閥だから1番強い。20年後にはすごいことになる。(※当時の会員数の)3分の2ずつ1年に折伏しても12万になる。12万人の人が本当に動いたら日本の一切が動く。その他家族もいることだから、国家的な閥だ。これが学会だ。(「水滸会記録」)
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 前述のように創価学会は、官庁や司法関係、マスコミ等の各方面に特殊教育を施した学会員を送り込み、そこから形成される人脈によって、日本を意のままに操ろうと考えている。
 これに一般学会員を加えると、全ての階層を網羅(もうら)した巨大な排他的集団、すなわち「閥」を形成できるから、その力で日本を支配しよう、というのである。


【「最後に物言うのは金の力」】
◆1人の議員をつかんで自由に動かすのには、買収費と小遣(こづか)いをいれて4百万円(※当時)かかる。百人で4億円だ。これが1つのホシになる。
 4億円あれば日本を動かすことができる。広宣流布も最後は経済だ。だから日銀総裁もこの中から出なくてはダメだ。(「水滸会記録」)
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 創価学会が、金の力によって政治を支配しているかどうかはともかく、少なくとも、票の力によって政治を支配していることだけは確かだ。ちなみに、前回の衆院選で、創価学会票によって生殺与奪(せいさつよだつ)を左右されるようになった自民党議員は90人に達した、とも言われている。
 金の力か、票の力かの違いはあっても、今や自民党は、公明党・創価学会抜きでは、政権を維持することすらできない状態に陥(おちい)っていることは明らかである。
 それはそれとして、創価学会が"権力を握るためには、金の力が絶対に必要だ"と考えていることは、池田大作が
 「広布の闘いで、政党、学校、文化、民音等も出来た。最後に残ったのは経済だ。これから、この社長会を中心に経済革命をする。1番最後で、1番大事で、又晴れがましい舞台だ」(昭和42年6月25日・第1回社長会)
と発言していることからも、疑いようのない事実である。


【「逆らうマスコミは潰(つぶ)せ!」】
◆もし読売が学会に挑戦してきたら、必ずつぶすという自信がある。それには、青年部を使えばよい。金もかかるがな。
 元来、読売の記事には誤りが多い。だかち1ヵ月くらい前から読売と朝日、毎日とを比較して、誤っている部分を新聞を作って載せるのだ。そして読売を取っている家庭に無料で配布する。それには青年部が必要なのだ。
 これに対し、読売が書いてきたら、またこちらで出す。これを徹底的に繰り返せば、読売を読む者はなくなってしまう。
 発行部数が2万部減ればつぶれる。(中略)読売は半年あればつぶすことができる。百万くらいかかるかな。(「水滸会記録」)
◆言論界の重要ポストヘの進出を、大いに計るべきである。(「水滸会記録」)
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 創価学会を批判するマスコミについては、どのような手段をもってしてでも絶対に屈服させる―近年、「水滸会記録」の、この記述のとおりの手段によって、創価学会から総攻撃を受けているのが新潮社ではなかろうか。
 創価学会は、『聖教新聞』『創価新報』『潮』『第三文明』等、自らが持つメディアを総動員し、新潮社を徹底攻撃している。そして、その先兵的役割を担っているのが、創価学会シンパと目される、有名ジャーナリストであったり、大学教授であったり、評論家である現実は、この考え方が今も学会内に脈々と流れていることを証明しているといえよう。
 また、日蓮正宗に対する攻撃も、怪文書に始まって、創価学会が持つメディアを総動員して行なわれる誹謗(ひぼう)中傷といい、いわゆる「識者」を担(かつ)ぎ出しての宗門批判といい、全くの同一轍(てつ)で行なわれていることは、疑う余地がない。


【ここまで来た"天下盗り"】
 もっとも、こう書いてくると"「水滸会」で語られたのはあくまでも「組織論」であって、創価学会には天下盗りの野望などない"との反論を試みる向きもあろう。
 しかし、「水滸会」に参加した創価学会・公明党の最高幹部が、『大白蓮華』の最新号(2005年9月号)で、次のように証言しているのである。
 「水滸会は、宗教、歴史、政治、経済、文化など、ありとあらゆることを学ぶ総合大学でした。
 戸田先生は、そこで広宣流布の大構想を示されました。あまりにも大きすぎるような話でしたが、それを本当に実現しようとされたのが池田先生でした。」(辻武寿)
 「池田先生は、私をねぎらってくださったあと、こう言われました。
 『今度は大阪に連れていってあげるよ』
 それが、まさか『大阪の戦い』(※学会初の参議院選挙戦)のことだとは、予想だにしませんでした。水滸会の実地訓練だったのです。」(藤井富雄)
 宗教だけでなく、政治・経済・文化について学び、実地訓練として選挙戦を戦う―これはまさに、「水滸会」が天下盗りのための訓練の場であったことの証(あか)しのようなものではないか。
 しかして、「水滸会記録」の内容と、先述した日本の現状を照らし合わせると、今、日本はまさに、創価学会によって乗っ取られる寸前の状況にまで追い込まれていることが理解できよう。よって、池田大作による天下盗りの達成は、秒読み段階に入ったと言っても過言ではないのである。
 この現実に、我々は、しっかりと警鐘を鳴らしていかなければなるまい。そして、それを摧(くじ)く根本は、学会に対する徹底的な折伏しかないことを、肝(きも)に銘(めい)じようではないか。


「水滸会記録」は池田の天下盗りの戦略書

―宗教団体の指導集にはほど遠いその内容―
(『慧妙』H21.10.1抜粋)

【「水滸会記録」のテーマは「国家」】
―「政治集団」を指向する創価学会―
 さて、この「ひさご印刷」の原稿用紙を使用して、数名の記録執筆者の手により「水滸会記録」は完成しました。
 その中には、池田大作が目を通した時の"赤線"やチェックの痕跡(こんせき)を見ることができますが、池田大作による「水滸会記録」の加筆・改竄(かいざん)については、後述します。
 最初のぺージ、すなわち"表紙"には、「水滸会遺戒置文二十六箇条」と題名が記されており、次頁の目次には26項目に亘(わた)る内容が記載されています。
 以下に、26箇条の項目を挙(あ)げてみましょう。
 「水滸会遺戒置文二十六箇条」目次
第1冊
1.国家機構
2.政治言論
3.政策
4.政党ならびに選挙
5.外交
6.経済原論
7.経済政策
8.経済人
9.教育行政
10.言論機関の使い方
11.日本民族論
12.各国の民族性
13.革命思想
第2冊
14.日本の広宣流布
15.東洋の広宣流布
16.学会
17.戦争
18.指導者
19.組織
20.処世
21.青年
22.読書論
第3冊
23.人物評
24.家庭
25.社会
26.哲理
附録
 これらの主要26項目の外に、それぞれに細目が145項目あり、さらに分科して200余の項目が明示されています。
 例えば、1の国家機構という項目には、さらに
1.総理大臣
2.衆議院
3.側近政治
4.地方自治
5.政治の実権と将来
6.官庁
7.官吏
8.閥
9.国鉄の機構
10.警察の機構
という細目が立てられ、より具体的に論及されています。
 すでに、幾年か前に亡くなった戸田城聖会長の遺訓(ゆいくん)なので、ある部分については、時代錯誤(さくご)の箇所もあります。それはそれとしておき、この遺訓(?)の内容には、あまりに国家権力や政治・政策に関するものが多く、とても宗教団体の指導集としては程遠い、違和感のある印象は否(いな)めません。
 また、後半のほとんどは、創価学会の組織論、社会での処世術、人物の見方などですが、ここにも宗教的な言辞はほとんどありません。
 これで見えてくるのは、この「水滸会記録」に描かれている創価学会の原点は、宗教団体というよりも、政治指向の甚(はなは)だ強い「政治集団」を目指していたことがよく理解できます。
 すなわち、早い段階から創価学会は「宗教の衣を纏(まと)いながら、政治的拡大路線を走る団体であった」と、規定することができます。
 また、この「水滸会記録」の編集に着手した時期は、戸田会長の死亡した翌年からといわれています。戸田会長の水滸会における遺訓は、メモ禁止でしたから、参加者の記憶を頼りに学会流"如是我聞(にょぜがもん)"(学会では、皆で会長の言葉を記憶し、あとから出し合う作業を、好んでこのように言った)でまとめ上げ、後に池田大作による加筆・改竄が行なわれたようです。何故、「加筆・改竄が行なわれたか」というと、その理由として、池田大作が創価学会内での権力を確立するため、戸田会長の権威を最大限利用しようとしたからだと思われます。
 また改竄がなされたからでしょう、先に名前の出ていた星野義雄氏や龍年光氏、藤原行政氏ら、戸田会長直参の古参幹部には、池田はこの「水滸会記録」をあえて見せておりませんでした。
 龍年光氏は、「戸田先生の、水滸会における指導を結集することを提案したのは私だ。だが、記録作成のプロセスも内容も明らかにされず、ある日、池田が『これがそうだ』と言って出した。しかし、中味は見せなかった。そのうち資料室にしまわれて、水滸会員もほとんど見ていない」と言っています。



【各界が権謀術数に翻弄されたが】
―対抗策は「記録」の読解から―
 次に、なぜ「水滸会記録」が「門外不出、秘密の書」として重要であるのか、について述べます。
 これまで、マスコミをはじめ、司法や警察、そして政治家などが、池田創価学会の戦略にどう対応したらよいのか苦慮(くりょ)している例が、しばしば見受けられます。
 創価学会の元顧問弁護士であった山崎正友氏は、「はじめて『水滸会記録』に目を通した時、私はかつてないほど興奮した。そうか、池田大作と創価学会の行動及び戦略思想の元は、これだったのか」と述懐(じゅっかい)しています。
 池田創価学会の裏の裏まで知悉(ちしつ)している山崎正友氏でさえ、池田大作の独特の思考傾向を、この「水滸会記録」を読み解くことにより、"目から鱗(うろこ)"が落ちるように理解できた、というのです。
 いままで、かなりの創価学会批判が繰り返されてきましたが、正鵠(せいこく)を射(い)ていないもの、「群盲(ぐんもう)象をなでる」の類(たぐい)に陥(おちい)るものが多かったのは、ここにその原因があるように思われます。
 今後、創価学会問題に直面していくマスコミや、その第一線記者、そして司法・警察の関係者は、「水滸会記録」を研究・分析しておくべきでしょう。
 また、今回の総選挙で政権から放逐(ほうちく)された公明党は、性懲(しようこ)りもなく民主党に色目を使い始めています。このような池田公明党の考えること、打ち出す政策、パフォーマンス、どれ1つをとっても常識では考え付かない行動様式であります。
 創価学会・公明党と交わる人々や与党・民主党においても、「水滸会記録」を原点とする学会・公明党の行動原理を鋭く見抜き、間違いのない対処をすべきでありましょう。
 さて、この「水滸会記録」は、創価学会による日本乗っ取り計画の、戦略・戦術を記録した青写真ともいえます。
 「無原則行為」「何でもあり」「ウソも方便」「三国志でいきましょう」などと言って、権謀術数(けんぼうじゅっすう)を平然と行なう彼奴らの、次に打ってくる一手を見抜くのは簡単ではありませんが、この戦略書ともいうべき「水滸会記録」を読み説くことにより、池田創価学会の次の一手が見えてきます。
 されば、これを分析・解明して、学会・公明党の野望を打ち破らなければ、日本の真の安寧(あんねい)はありません。





池田が「最高権力者」になったら

―絶対的専制君主とは池田大作―
―狙うは政・官・財全ての掌握―

(『慧妙』H17.4.1)

池田大作が最高権力者になると、具体的にはどうなるのか―。

●私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である。(『池田大作―その思想と生き方』)

●広宣流布の時には、不開門(あかずのもん)が開きます。その時は、どういう儀式になるのか。(中略)一義には(※不開門を開くのは)天皇という意味もありますが、再往は時の最高権力者であるとされています。すなわち、公明党がどんなに発展しようが、創価学会がどんなに発展しようが、時の法華講の総講頭であり、創価学会の会長がその先頭になることだけは仏法の方程式として言っておきます。後々のために言っておかないと、狂いが生ずるから言うのです。(『聖教新聞』S40.7.26)

 国権の象徴たる天皇すら押しのけ、国王・大統領として、絶対的権力者の座に着くことを夢想する池田大作。しかも、精神界の王者・思想文化一切の指導者になる、とまで言い切るほどに、池田の権勢欲・支配欲は、止どまるところを知らない。
 したがって、池田が手中に収めようと狙(ねら)っているのは、単に政治権力のみではない。日本の経済界をはじめ各界の全てを手中に収めようというのが、池田の天下取り構想である。



【野望実現に向けた"総体革命"】
―着実に進む政・官・財支配構想―
●広宣流布の時には、参議院議員、衆議院議員もいてさ、皆な財布の中には少なくとも10万や20万入れて、洋服も月賦(げっぷ)じゃないの着てさ、ひとつ国会議事堂やプリンスホテルや帝国ホテルで会おうじゃないか。要所要所を全部ね、学会員で占めなかったら広宣流布できゃしませんよ。ひとつ天下取るまで諸君は大事な体だから、うんと修行して行きなさいよ。(池田大作『聖教新聞』S32.9.6)

●広布(※広宣流布)の斗いで、政党、学校、文化、民音等もできた。最後に残ったのは経済だ。これから、この社長会を中心に経済革命をする。(S42.6.25・第1回社長会での池田大作発言)

●目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ。(中略)中曽根康弘は心配ない。こちらの小僧だ。総理大臣になりたいと云っていたので、よしよしと云っておいた。ケネディきどりだ。坊やだ。(S42.1.25・第6回社長会での池田大作発言)

●(※この社長会は)未来の経済革命をしてゆく会合であり、日経連など問題でない。(S43.3.22・第10回社長会での池田大作発言)
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 「目立たないように枝を伸ばし」という、池田の"総体革命"の根幹をなす行動様式は、着実に実行され、そしてそれは、確実に実を結んでいるのである。
 例えば昨年夏の参院選では、『週刊東洋経済』の副編集長やフジテレビの敏腕プロデューサーが公明党から立候補し、世間を驚かせたが、創価大学からはすでに「司法試験117人 公認会計士147人 税理士108人 教員採用試験4300人」(『聖教新聞』H17.1.21)といった具合いに、各方面に"人材"が送り込まれており、これに他大学出身の学会員なども加わることを思うと、池田が描(えが)いた"総体革命"は、すでに限りなく完成に近づいている、と見るべきである。



【池田大作が目指す「独裁国家」】
―その構想はオウム真理教と同一―
そんな権謀術数(けんぼうじゅっすう)を弄(ろう)しながら、"総体革命"達成の時が待ちきれない池田は、こんなことを口にしたこともあった。

●創価学会は国連の人口統計からいうと、世界で21位の国家となる」(高瀬広居編『創価学会』)

●68万坪に独立国を作ろう。創価王国、創価共和国だな。そうすれば文部大臣は森田さん、大蔵大臣、中西さん。外務大臣、小島さん。軍需大臣、木村。運輸大臣、田中。建設大臣、杉本。宣伝大臣、横松。北条さんは警視総監。全部いるよ。(S43.3.22・第10回社長会での池田大作発言)

●9月の初めに、3泊4日で霧島へ行こう。歩いたら大変だ。65万坪、文京区位あるんだから。独立国を作ろうか。帷幕(いばく)の内に謀(はか)りごとをめぐらそう、ゆっくりやろう。(S46.7.20・第51回社長会での池田大作発言)

●本当は、全体主義は1番理想の形態だ。(S47.6.15・第61回社長会での池田大作発言)

●創価国、創価王国を、地球上に宇宙に作って、みんなを守ってあげよう。(S50.6.10・第2回東京都最高会議での池田大作発言)

 この「創価王国」構想、何かに似てはいないだろうか。そう、あの麻原彰晃が率(ひき)いていたオウム真理教の「真理王国」を目指す組織に―。
 そもそも池田と麻原は、その体格から性格まで、何から何までソックリなのだ。ゆえに、池田が最高権力者になった時、我々を待ち受けるものは、独裁者による恐怖政治以外の何ものでもないことは明白である。





『人間革命』にみる「総体革命」(仮題)

―「創価尖兵(ソウカセンペイ)」―
(『慧妙』H18.12.1)

 11月18日付『聖教新聞』の1面トップに、"きょう小説『人間革命』が開始13周年""連載回数が日本一に!""小説『人間革命』と合わせて通算4955回"の見出しが踊った。
 そして本文では「新聞の連載小説の最長記録とされてきた、作家・山岡荘八氏の『徳川家康』の4725回をはるかに超えている
等と、今度は、なんと『徳川家康』と比して、不徳の教祖を宣揚することに腐心(ふしん)している。"権現様"より"魔王"が上、とでも言いたいのだろうか。
 ともあれ、宗教団体の機関紙が、団体を支配する"教祖"の著作物(と称するもの)をどれほど続けて連載しようが、一般紙の連載を長期にわたって続けた実績とは、比較する次元の話ではない。じつに、じつにくだらない話だ。


さて、『聖教』が言うように、数千回にわたって会員の洗脳に供(きょう)されてきた代作の著書であるが、その2791回目、〈入魂〉と題された文章の中に"総体革命"に関する記述がある。
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 大学会総会は、若人の熱気みなぎる出発の集(つど)いとなった。(略)「総体革命の中核に育つ」などの活動方針も、賛同の大拍手をもって決定をみた。(略)彼(注・伸一〈代作〉のこと)は、「総体革命」について語っていった。
 「私はこれまで、広宣流布とは『総体革命』であると述べてまいりましたが、あらためて『総体革命』とは何かについて論じておきたい。それは、日蓮大聖人が示された『立正安国』と同じ意義であり、その現代的な表現といえます。」(『人間革命』)
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広宣流布とは「総体革命」!?「立正安国」と同じ意義でその現代的な表現!?自らの意のままに差配できる社会を作ることが「立正安国」などとは、何をトチ狂ったことを言っているのか、代作。世迷い言も大概〈たいがい〉にせよ。

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さらに、伸一は、総体革命は武力や暴力による人間の外からの革命に対して、人間の内側からの自発的、能動的な革命であると強調した。そして、外からの革命が、破壊をともなう急進的な革命であるのに対して、総体革命はどこまでも平和的であり、漸進(ぜんしん)的な革命であると述べ…(『人間革命』)
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 「総体革命はどこまでも平和的」かどうかは、現実の創価の姿が如実(にょじつ)に示しており、「平和的」などとはとうてい言えない実態がある。一部の実例を挙(あ)げよう。
 婦人部長が対立団体に「爆弾を仕掛けた」と脅迫(きょうはく)電話をかけ、配下のデェジンは盗聴の片棒を担(かつ)ぎ、"平和会館"で男女職員幹部が痴話(ちわ)話の挙げ句に刃傷(にんじょう)沙汰を起こす等々、数え上げればきりがない。
 創価の幹部はだれも代作の言うことを聞いていないのか、代作が嘘つきなのか、そもそも"小説"だからフィクションなのか?
 いずれにせよ、巷(ちまた)で"現代の誤書"と呼ばれるだけのことはある。これに従えば貫重な人生を棒に振ることは間違いなさそうだ)


虚像の伸一だけでなく、代作自身も騙(かた)り、そして煽(あお)る。
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総体革命である以上、まず大前提として、社会の各分野で諸君が活躍する必要がある。社会の特定分野や、ある階層のなかへ偏在(へんざい)してしまったならば、総体を揺り動かす原動力にはなりえない。線から面へ、面から立体へと広く渡ることこそ、まず必要であると思う。(略)実際の革命の実践面は、すべて社会へ展開した諸君の手にゆだねられて、諸君の知恵と情熱とが、局面を左右するのである。このことを深く自覚していただきたい(『創価学会指導集』S51.5聖教新聞社)
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大作に騙られ、煽られ、点から線へ、線から面へ、そして立体へと蔓延(まんえん)し、使い捨てられていく手駒たち。じつに薄気味悪い連中である。


 読者諸賢に申し上げる。
 あなたの隣で本紙『慧妙』を覗(のぞ)き込んでいる"そいつ"が、"創価尖兵(ソウカセンペイ)"かも知れない。少し噛(か)み付いてみて特徴ある音がすれば"間違いない"。
 いわゆる「バリバリ君」ですな…。
 おあとがよろしいようで…。







「創価大卒41人」の外務省で注目された「中国大使」

(『週刊新潮』H18.1.12/<創価学会ウォッチ>WS)

 「創価大学創友会 会員住所録 2005」
 こう記された最新版の創価大学卒業生名簿をめくってみると、驚くべき数字が浮かび上がってくる。41人━━。
 外務省(在外公館を含む)で働く創価大OBの数である。これだけの人数が集まると、当然一大勢力となり・・・・・。
 「中国大使に宮本氏固まる」(『読売新聞』)
 「中国大使に宮本氏起用へ」(『産経新聞』)
 元旦の新聞各紙はこぞって、外務省の宮本雄二沖縄担当大使が次の中国大使に就任する見込みだと報じた。その経緯を、外務省関係者が解説する。

 「中国大使人事は、揉め続けていたんです。昨夏、飯村豊インドネシア大使が内定したと報じられました。飯村氏は、対中融和派の“チャイナスクール”ではないため、彼によってこれまでの弱腰外交が多少なりとも改善されるのではと見られていたのですが」
 結局チャイナスクール側が巻き返し、中国課長、中国公使を歴任した宮本氏の起用が決定的になったというわけだ。だが、
 「候補として噂されたのは、2人だけではなかった」
とは、ある政治部デスク。
 「榎泰邦インド大使です。彼は、有名な創価学会員。南アフリカ大使だった02年に、現地を訪れた小泉首相を案内して、展示されていた池田大作名誉会長撮影の写真を見せるという荒業をやってのけた。外務省内の学会員の集まりである、“大鳳会”のボスです」
 なぜ、そんな御仁の名前が中国大使人事で飛び交ったのか。
 「日中関係は学会が切り開いたと、池田氏は思っている。それだけ思い入れの強い中国の大使に、学会員を就けるのが悲願なんです。その意を受け、創友会の41人が中心となり、榎氏を中国大使にすべくバックアップ。さらに公明党のある幹部が、官邸に榎氏を推薦したと言われています」(学会幹部)
 今後も“悲願”が成就しないことを願うばかり。





学会エリート(創大OB)の就職先(仮題)

―池田大作の"発言"通りに国の中枢へ―
(『週刊ポスト』H17.3.26抜粋)

現在、日本社会は「学会パワー」に圧倒されている。自衛隊のイラク派兵も、公明党の協力がなければ、実現しなかっただろう。公明党を支える創価学会。この巨大宗教団体は、創価大を通じて、政界・官界・一流企業へ人材を輩出し続けている。

【「すべては池田先生のため」】
 創立から34年、創価大学(東京・八王子市)の出身者が官界、一流企業の中枢を占めるようになってきている。学部によって高低はあるものの、大手予備校の調査による偏差値は概ね50前後。入学時の難易度は、日本大学と同等のレベルの大学だ。
 だが驚くべきは、その就職率の高さだ。昨年('04年)3月に卒業した1795人(うち女性835人、以下同)のうち、就職を希望した1095人(537人)のうち就職決定者は1055人(519人)。なんと96%という驚異的な就職率を誇っているのだ。ちなみに、日大の就職率は公表されていないが、85%程度(就職希望者のうち)だ。しかも、創価大OBの勤務先は、本稿リストにもある通り、一流官庁、有名企業がズラリと並ぶ。
 本誌は創価大創立30年を機に作成された『創友会母校創立30周年記念会員住所録』('00年発行)を入手。この資料をもとに、創価大の1期から26期にわたる卒業生の勤務先を徹底調査した。その結果のなかから、主要勤務先をピックアップしてまとめたものが本稿のリストである。
 なぜ、創価大はこれほどの就職実績を残すことができるのか。
 創価大学は1971年の創立。経済・経営・法・文・教育・工の6学部、学生総数8036名(男女比は54対46)を擁する総合大学だ。創価大の特徴について、自分自身が創価大OBのジャーナリスト・乙骨正生氏はこう語る。
 「創価大と創価学園(創価中学・高校など)は、池田氏の思想を広め、池田氏が天下を獲るために作った、池田氏の信奉者養成機関です。池田氏の天下獲りの柱は、①公明党の議席伸長と単独政権の樹立、②社会の枢要ポストを学会員が占めて社会を学会が支配する、という『総体革命』の遂行です。そのための人材養成機関こそが創価大学、創価学園、学会学生部なのです」
 乙骨氏は創価学園から創価大に進んだが、かつて池田氏から直接こんな話を聞いた。
 「私が創価中学3年生のとき、自宅通学者の"潮流会"という集まりがありました。そこに池田氏が出席したのです。池田氏は『君たちは何になりたいの?官僚になりたい者は?』と質問したが、誰も手を挙げませんでした。すると、池田氏はこう苦言を呈しました。『議員については公明党があるからいいんだが、社会を動かすのは官僚なんだから、君らが官僚になってくれないとダメなんだ』と。みな、神妙に聞いていました」
 こうした創設者の意志を受け、創価大には国家試験合格を目指す特別機関が設置されている。「国家試験研究室」、通称「国研」がそれだ。対象となる国家試験は外交官試験(当時)、国家公務員上級職試験(現在はⅠ種)、司法試験、公認会計士試験、税理士試験の5つ。つまり、「日本の中枢」へ人材を送り込むことが、創価大創設の大きな目的のひとつだったのだ。
 「国研」は創価大の教授、学会系の弁護士、公認会計士らが国家試験志望者を特訓する機関だ。創価大では、開学3年目つまり1期生が3年在学中に司法試験、国家公務員上級職試験に初めて合格し、以来、コンスタントに合格者を輩出してきた。講義はもちろん合宿、集中講義、個別指導までやるという大変な熱の入れようである。歴史の浅い大学で、しかも入学時の偏差値がさほど高くない大学で、これだけの合格実績を残す大学は他に例を見ない。
 創価大学創立当時から法学部で20年間教鞭を執った北山茂弁護士は、本誌の取材にこう語った。
 「『国研』は通常の授業が終わった放課後にやります。私も刑法など、司法試験を受験する学生を教えましたよ。毎日、学会員の弁護士や教授らが入れ替わり立ち替わりの受験指導です。なぜ、創価大の合格実績が高いのか。それは、学生たちの勉強熱心さのお陰としか言いようがありません。みな学生たちは自分たちのためではなく、"池田先生の役に立ちたい"という一心で勉強に励むのです。それはもう凄い迫力です」
 ちなみに、北山弁護士は学会員ではない。
 「創価大設立当時で、学会員の教授は全体の半分ほどだったのではないか。最近は6割程度の教授が学会員だと思う」(前出・北山弁護士)
 本誌の調査によれば、創価大出身で弁護士事務所に勤務している者は153人。一方、裁判官や書記官、事務官など裁判所に勤務する者が49人。検事など検察庁に勤務する者が7人。創価大OBの法曹界への浸透ぶりが如実にうかがえる。
 「最近の創価学会は、批判的なメディアに対して、名誉毀損など司法の場で徹底的に戦う姿勢を示しています。まさかとは思いますが、そうした裁判に創価大出身の法曹関係者が影響を及ぼすことがあれば、非常に由々しいことです。また、かつて反創価学会の闘士が転落死した事件がありましたが、この事件を担当した検事が学会員であることが分かり、関係者が問題視したこともあります。また、創価大出身ではありませんが、公明党の神崎武法代表がかつて検事だったこどは有名な話です。一般論として、弁護士や検事に学会員が多くなればなるほど、法曹界のより深い情報が創価学会に入ることは間違いありません」(全国紙司法担当記者)
 中央官庁への進出は、防衛庁から国土交通省など主要官庁を網羅している。なかでも圧巻なのは外務省の50人だ。ある外務省キャリア官僚OBは、外務省内における創価学会員の"活動"について、こう語る。
 「本省の各課や在外公館に(学会員の職員が)最低1人はいたような印象を持っています。在外公館の幹部の奥さんが、自宅に職員の奥さんたちを集めて、折伏(創価学会に入信させること)しようとして問題になったという話もありました。在外公館では、部下の奥さんは幹部夫人には逆らえません。もし、幹部の奥さんが学会員だったら、その在外公館はかなり影響を受けるのではないでしょうか」
 創価学会は、なぜこれほど熱心に外務省に人材を送り込むのか。
 「在外公館には、重要人物が訪れた際の便宜供与についてのランク表があるのです。だいたい3ランクあって最上級は三権の長、ついで現職閣僚や閣僚経験者、そして国会議員クラス。ある在外公館は池田氏が訪問してきたところ、最上級のVIP待遇をしたそうです」(前出・外務省キャリア官僚OB)
 外遊の多い池田氏にとって、外務省に創価学会員が多いことは、何かと都合がいいのだろう。

[画像]:公務員となった創価大卒業生の就職先と人数


【一流企業に続々と就職】
 創価大出身者の勤務先として、地方公務員が圧倒的に多いことも特筆される。前ぺージのリストにもある通り、都道府県職員が280人市区町村職員が817人。教職員も小学から高校まで計2161人と驚くべき人数に達している(この数字は、創価学園の教師を除いたもの。私立学校の教師もいるが、圧倒的に公立学校の教師が多い)。
 「判断力がまだない子どもたちに、創価学会員の教師がどのような影響を与えるのか気になります。かつて、創価学会は教団のビデオを会員外にも見せる『大映写運動』を展開したことがあります。当時、学会員の教師が学校でそのビデオを上映して、"学校で宗教教育をした"と批判されたこともあります」(前出・乙骨氏)
 また、国税庁はわれわれ国民の納税額などの個人情報を管理し、脱税があれば強制捜査をする権限を持つ官庁だが、ここにも多くの創価大OBが勤務していた(44人。この数字は地方の税務署勤務などの数字も含む)。これも創価大の実力を象徴するものと言えよう。(中略)
 さて、創価大の卒業生は左のリストにもある通り、一流企業にも続々と就職している。まず、東京三菱銀行をはじめとした金融・生命保険業界。三井住友銀行、みずほフィナンシャルグループ、UFJ銀行、りそなホールディングス、第一生命、日本生命、三井生命、明治安田生命といった大手がズラリと並ぶ。
 なかでも、70人の卒業生が就職している東京三菱銀行は、もともと学会のメインバンク。高い集金能力を持つ創価学会の資金を扱うことができれば、金融機関としては相当な利益を得ることができるだろう。
 「本部に上げない資金は、各支部で地元銀行に預金しますから、創価大OBは地銀へ就職する人も多い。金融機関としては、巨額の資金を預けてもらえば、その運用でかなりの利益が得られる。その利益のためには、毎年数人の創価大出身者を採用しても、損はしません」(創価大関係者)(中略)
 建設業界にも創価大OBは多い。大林組、鹿島、清水建設、積水ハウス、大成建設、大和ハウス工業、竹中工務店などの大手ばかりだ。
 「不況が続くなか、資金力が豊富な創価学会は、いまでも教団施設などの建設を進めていて、建設業にとって大変ありがたい取引先だ」(全国紙経済部記者)
 メーカー・流通・サービス業界なども大量の創価大出身者を採用している。(中略)
 創価大はマスコミに対する就職にも力を入れている。(中略)
 「創価大学にはジャー-ナリズムセンターが設置されていて、創価大OBのジャーナリストなどを講師に呼んで実践的な講義を開講しています。マスコミは学生の人気が高いから、という理由以外に、『マスコミに人材を送り込んでおけば、創価学会に対する批判を和らげることができるだろう』という本音もあると思います」(前出・創価大関係者)

[画像]:創価大創立30年 主要就職先一覧

[画像]:創価大出身の有名人たち


【日本の方針を決める宗教団体】
 現在、自民党と公明党の連立政権は早くも6年目に入った。もはや、公明党は日本の中枢にどっかりと座っている。そして、政界だけでなく、財界、官界の中枢でも創価学会が大きな位置を占めていることが本誌の調査で明らかになった。
 「現在、公明党が日本の政界のキャスティングボートを握っています。公明党の支持母体である創価学会の会員は、公称820万世帯と言われていますが、今後、日本が大きな選択を迫られたとき、最後に創価学会の判断が日本の方針を決する局面があるでしょう。これは、社会の姿として健全な形とは言いがたいでしょう」(評論家・佐高信氏)
 今後も影響力を強める創価学会を、注意深く見守る必要があるのではないか。





「総体革命」と自公連立(仮題)

―正体を現した「自民党の別働隊」―
(ジャーナリスト・溝口敦『フォーラム21』H15.12.1抜粋)

 名誉会長・池田大作が唱える「総体革命」とは創価学会が天下を取るという状態を指す。池田はどのような施策を推進したいかといった具体的な政策を持たない。したがって政策の遂行は目的になり得ず、「総体革命」は単に政権をほしいままに牛耳れる状態への憧憬を内実とする。
 すなわち総体革命はせいぜいこれまで創価学会・公明党を「いじめた敵陣営をひどい目に遭わせる」といった程度の「政策」しか持たず、本質的には無内容である。政策はどうでもいい。政権の維持だけが眼目であり、政権の一角を占めるという状態こそ全てなのだ。そのためにイラク派兵や年金改悪など、公明党は自民党以上に悪政推進に荷担する。客観的に、右傾化への加速要因として公明党は存在するといって過言ではない。
 創価学会が単独で天下を取れないことはほぼ確定的である。そのために創価学会・公明党はつねに勝ち組に寄生する。ふつうパラサイトは安楽に寄生し続けることを目的とするから、自民党なら自民党という宿主は倒さない。宿主を倒せば寄生が成り立たず、共倒れになることが自明だからだ。
 だが創価学会・公明党の歴史に明らかなように、彼らは意図しようとしまいと関係なく、手を結んだ相手を滅ぼす。おそらく自民党は手を結ぶ相手としては最大で、最後となる勢力にちがいない。今後の展望として民主党への政権交代が、予想されるが、選挙戦で民主党が戦い、勝つ相手は「自民+公明党」の合体相であり、公明党を政権に入れなければならない必然性はないからだ。
 公明党はかつてヌエ的とかジグザグ路線とか、その定まらない政治姿勢を揶揄されてきた歴史を持つ。だが、創価学会・公明党はもともと自民党そのもの、あるいは自民党の別働隊だったと見ることはできないだろうか。彼らは主に社会的底辺層に幻覚を振りまくことで、革新政党に票が流れることを阻止してきた。もちろん社会的底辺層の政治的な要求をすかしなだめ、ごまかし、裏切り、その票を掠め取るばかりか、隣人の票を掠め取るようこき使った。児玉誉士夫が喝破したように創価学会が日本の「革命」を阻止するダムになった
 今、自民党と一対一、さしで連立を組むのは単に正体を現したということでしかなかろう。彼らを護憲の党とか、清潔、良識の党などと見ていた方がバカだったにすぎない。しかしそういう幻想を抱いた者のうち最大の被害者は学会員である。彼らの生活を顧みれば、いかに創価学・公明党が彼らの政治的、経済的利益を裏切ってきたか、年金改悪一つ見ても明らかではないか。彼らは創価学会・公明党に対決しないまでも、遠からず無党派層に転じ、低投票率の中でも投票所に出かける学会員であることからドロップアウトするにちがいない。





張り巡らされた情報網

―学会のためなら守秘義務も平気で違反―

 昭和44年、明治大学教授の藤原弘達氏が『創価学会を斬(き)る』という本を出版しようとしたところ、学会が組織的に妨害。これが公になり、国会で取り上げられ、池田大作の証人喚問が要求されるという事態にまでなった。
 この時、『創価学会を斬(き)る』以外の本についても、学会による出版妨害があったことが明らかになった。それらはすべて出版される前に情報が学会側に漏洩していた。しかも多くの著者は、学会側の圧力を想定して秘密裏に出版準備をしていたのである。
 学会の批判者を嗅ぎ付ける情報網のレベルの高さには驚かされる。もし、学会による日本支配が実現されれば、闇黒のスパイ社会、密告社会となるのではないか。


【隈田洋著『創価学会・公明党の破滅』の場合】
秘密裏に出版作業がすすめられたが、印刷段階で、印刷業界の幹部から印刷中止を迫られた。印刷所にはいやがらせがつづき、当時の劔木亨弘文相からも中止の圧力がかかったと、著者に伝えられる。この本の場合も古田日大会頭(※日本大学の古田重治郎会頭)からゲラの検閲を迫られた。出版社社長には暴力団員がつきまとい、ついに出版中止となった。(『前衛』H15.11)

・隈部大蔵氏は、西日本新聞社の論説委員をしていたころ、「隅田洋」と名乗り『創価学会・公明党の破滅』という学会批判本を執筆した。すると、昭和43年9月11日、隈部氏は、当時公明党の副委員長であった北條浩に呼び出され、以下のように恫喝(どうかつ)された。(『慧妙』H15.7.16)
●隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』という学会批判書の著者である隅田洋を、今日まで半年がかりで探した結果、やっと探し出した。この隅田洋なる者が、ここにいる隈部大蔵その者だ。人違いであるとは、絶対に言わせない。まさか、大きな新聞社の経済社説を担当している論説委員が、学会教義の批判書を書くなどとは想像もしなかった。そんな関係で、隅田洋=隈部大蔵を捜し出すのに予想外に時間がかかってしまったが。
 しかしだ。いくらペンネームを用いて学会を批判しようとしても、全国的に張りめぐらされている学会の情報網にひっかからない「虫ケラ」はいないのだ。わかったか。
 よく聞いたがよい。たとえていえば、創価学会は「象」それも巨象だ。これにくらべてお前は1匹の「蟻」だ。創価学会を批判する輩に対しては、たとえ1匹の蟻といえども象は全力をもって踏みつぶすのだ(北條浩=総務『もうダメだ!池田大作・創価学会』/『フォーラム21』H16.4.15)
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この後、北條総務・副委員長に恫喝された『創価学会・公明党の破滅』は、結局1冊も書店に置かれず「初版即絶版」となった(『フォーラム21』H16.4.15)

●これではまるで、ソビエトで地下出版を出すようなものであろう。私自身、この記事には少々驚き「まてよ、作影(注=池田大作氏の影響の意)はやはり噂だけではなく事実かな」と思わざるを得なかった。というのは、西日本新聞といえばブロック紙の名門、論説委員といえばその最高の地位ぐらいのことはだれでも知っている。しかしその人ですら「極秘」のうちに出版を進める必要があり、見つかればつぶされてしまう。しかもそれに文部大臣が一役買っているのである。文部大臣が自ら言論弾圧に乗り出すとは少々恐れ入った話だが、「作影」が「○影」に波動して文部大臣を動かして論説委員の著書までつぶす、となるとただごとではない(評論家・山本七平著「池田大作氏への公開質問状」『諸君』S56.6/『フォーラム21』H16.4.15)



【元創価学会員・植村左内著『これが創価学会だ』の場合】
まだ本が出ないうちに、池田会長と竹入委員長が出版社を相手どり、図書発行等禁止仮処分申請をおこなった。東京地裁が、まだ本ができていないことを理由に申請を却下すると、今度は名誉毀損として告訴。この本も取次店が扱いを拒否した。68年12月(※昭和43年12月)には、出版社と創価学会・公明党の間に示談が成立し、出版社は著者に無断で印刷過程のすべてを創価学会・公明党にわたしてしまった。出版社への圧力には、福田赳夫、賀屋興宣という自民党中枢が関与し、宗教センター理事長で日本大学会頭の古田重二良氏が示談をまとめたという。庭野日敬立正佼成会会長(当時)によれば、古田氏は、立正佼成会に買い取られて配られた本を信者から取りもどし、日大校庭で焼いてしまったそうである。植村氏は、現代の"焚書"や創価学会からのいやがらせにあいながらも、別の出版社から出版にこぎつけた。(『前衛』H15.11)



【内藤国夫著『公明党の素顔』(エール出版社)の場合】
67年1月ごろから、三一書房からの執筆依頼で、都庁担当新聞記者として取材してきた都議会公明党の素顔を書きはじめたという。これが創価学会・公明党の知るところとなり、出版社に圧力がかかり、出版計画は中止となる。内藤氏は出版社を変更し、極秘裏に出版準備をつづけたが、印刷工程でゲラが創価学会にわたった(業務上横領の疑い)ようで、公明党の竹入委員長が30数箇所の書き換えや削除を要求してきた。さらに、国際勝共連合の背後にいた右翼の頭目の笹川良一が内藤氏に「わしは公明党に前に1度恩を受けている。本はおれが全部買いたい」といってきたことも明らかにされた。この本は69年5月(※昭和44年5月)に出版されたが、大手取次店は配本を拒否し、小売店に宣伝して注文をとるという方法で、わずかに世に出された。(『前衛』H15.11)



【福島泰照著『創価学会・公明党の解明』の場合】
創価学会からの妨害を予想して、秘密裏に出版作業をおこなった。しかし、本ができあがるころから、大手取次店や広告代理店の扱い拒否という事態に直面し、出版が大幅に遅れた。(『前衛』H15.11)



【塚本三郎著『公明党を折伏しよう』の場合】
著者の塚本三郎氏は、後に民社党の委員長になった人で、当時も国会議員として学会による言論出版妨害事件を国会で追及した。その時、氏は、自身が受けた出版妨害の実態を告白している。↓

●私自身の体験をひとつ聞いていただきましょう。これは御調査いただかなくてもすぐおわかりいただけることだと思います。
 お読みいただいた、あるいはごらんいただいたとは思いますが、『公明党を折伏しよう』、この私が印刷をいたしました。あえて出版だとは言いません。印刷をいたしましたこの書物に対して、昭和44年8月『公明党を折伏しよう』なる著書を出版しようとして印刷に付しました。この原稿を名古屋市の某印刷会社に手渡しました。もちろんその場合、ツルのタブーなるものを私はある程度承知しておりましたので、印刷会社の責任者に、創価学会員が従業員におりはしないか、ごく小数の人に活字を組ませるように等々、でき得る限りわずらわしい事態になることを避ける心組みで注意しておきました。私はことさらに問題を起こそうとは実は思わなかったからであります。
 ところが、何と驚くべし、わずか数日後にはすでにその第1校正のゲラが公明党首脳の手に渡ったのか、その情報が通じて、わが党の責任者のもとに、塚本の準備している『創価学会に強くなろう』なる著書の出版を中止するようにとの要請がなされてまいりました。
 なお、私の驚いたことは、著書の題名等いまだ私がきめておらない段階に、すでに公明党の責任者より堂々とその題名がわが党の責任者にも伝えられたことであります。私は印刷所にこの由を問い合わせたところ印刷所に聞きましたところ、その題名は印刷所に私がふと漏らした注文書に書き込まれたものであることがわかったわけです。まだきめていない段階において、私がふと漏らした『創価学会に強くなろう』ということを、かりに実は注文書に彼はつけたというわけでございます。そのことがすでに公明党の幹部のもとに数日後に手渡ってしまっておるではございませんか。
 なお、工場長に調査してもらったところ、創価学会員が3名ほどいたので、外に漏れてしまって申し訳ありませんでしたとの返事であります。
 およそかくのごとくで、出版の中止ができねば題名を変更してくれとの要請であります。創価学会という名前だけは変えてくれということに、実は要請が変わってまいりました。一体これは私1人の体験でないことは、藤原氏の問題をごらんになってもわかるとおり、私自身が驚いたような事態ではございませんか。これらの著者の方々が一様にこのことは指摘しておるではございませんか。戦前の事前検閲と少しも違わない事態が、ツルのタブーとしてこの数年間創価学会の批判は許されないとしてきた事態を何と考えられておるのでございましょうか。(「ツルのタブーとは何だ」と呼ぶ者あり)教えてあげましょう。創価学会に対して批判をしたものは、ことごとくその大きな宗教団体の財力の裏付けをもって、公明党の幹部の諸君や創価学会の幹部の諸君が実は印刷所へ話し合いに行って発行させないようにするから、創価学会、公明党に対する批判は絶対言論界においてはできないという通用語でございます。おわかりになりますか。こういうことで、これだけの人たちが実はこういう被害にあっているのでありまするから、証拠を突きつけてもそのように反抗なさる態度は、往生ぎわが悪いと私は思います。(衆議院予算委員会での塚本氏の質問S45.2.28/『フォーラム21』H17.3.15)






司法界への浸透

法曹界への創大生送出を誇示する学会

―予想される〝法〟の公正さ損なう事態―
(『慧妙』H19.10.1)

 かつて池田大作は、「世間やマスコミが『あっ!?しまった』と思った時が広宣流布(※ここでは、創価学会が国家機構まで牛耳る段階をいう)だ」と語ったという。
 この言葉どおり、創価学会は、長年にわたって会員を各界に送り込み、じわじわと日本の社会を浸食(しんしょく)し続けてきた。
 そして今では、その集票力を背景に、政治部ともいうべき公明党を連立与党入りさせ、総理大臣までが隠れて池田詣(もう)でをすると言われるまでになってしまった。
 もっとも、その猛毒は凄まじく、かつて親近した者達と同様、先般、池田詣でをしたと報じられた安部総理もたちまち命運が尽き、さらには自民党が崩壊していく可能性すら予想される昨今である。
 かくて、触れる者を次々と腐らせ、また滅ぼしながら、学会そのものは国家機構の中へ浸潤(しんじゅん)を続けている。
 過日も『聖教新聞』を開いてみたら、
 「創価大学法科大学院 新制度第2回 司法試験に20人合格」(9月15日付・1面トップ)
という見出しが目についた。
 これによると、今年も、創価学会の息のかかった三色脳が、少なくとも20人、法曹界に放たれた。しかも、「昨年と今年の新司法試験の結果を合わせた合格率では、慶応、早稲田に次ぐ〝私大御三家〟に食い込んだ」等といって、浮かれ上がっているのである。
 他大学に潜伏する者を含めたならば、これまでに、いったいどれ程の者が法曹界に送り込まれたことになるのか。
 この者たちは将来、弁護士になるか、裁判官・検察官に任官するのであろうが、その悪影響を想像するだにおぞましいかぎりだ。
 我々の社会は、法の統制のもとに運営されているともいえるが、その〝法〟の番人ともいうべき立場にあるのが、法曹界の人々である。
 我々が〝法〟に関わる問題で他人と争いが起きたとき、これら番人の出番となる。
 〝裁判〟もその一形態であり、ここでいう〝番人〟らが、双方に中立・公正であることを前提として、証拠に基づき〝裁判〟における審理がなされることになっている。
 しかし、これにある種のイデオロギーに傾いた者が携(たずさ)わったならどうなるか、もはや裁判に〝公正〟さを求めることは不可能だろう。


【3色カラーの〝法の番人〟が増える恐怖】
―他人事で済まない近未来の〝灰色社会〟―
 いささか唐突だが、我が身の上に明日にでも起こりかねないモデルケースを考えてみよう。
 ◇  ◇  ◇  ◇
 満員電車で通勤途中の会社員(活動的な法華講員)が、近くにいたOL風の女性からいきなり手首を掴(つか)まれ、「痴漢だ」と喚(わめ)かれる。
 だが、会社員氏は「絶対に違う」ということをわかってもらえる確信があったので、駅長事務室に女性と共に出頭。
 会社員氏は、駅員らが双方から事情を聞いてくれると思っていたが、その意に反し、駅員らは会社員氏の話には全く耳を傾けてくれない。
 会社員氏は警察に身柄を引き渡される。そして、取り調べが始まり、初めて自分が〝逮捕〟されたのだと知る。
 無実を主張する会社員氏は3ヵ月以上も拘留(こうりゅう)されたのち、痴漢犯罪の刑事被告人として法廷に臨(のぞ)む。
 数々の証拠は、会社員の〝無罪〟を物語るものばかりであったが、長期間の審理の結果、意外にも判決は〝有罪〟。
 会社員氏は、職も失い、家族は離散、犯罪者の烙印(らくいん)を押されて社会的信用も失墜(しっつい)し、失意のどん底に。
 一方、その頃、OL風の女性、駅員、警察官、検察官、裁判官が、とある〝文化会館〟の会議室に集(つど)い、不気味にほくそ笑む。そう、彼らは皆、三色脳だったのだ。
 会社員氏は〝嵌(は)められた〟のである。しかし、会社員氏には知る由(よし)もないことであった。
 ◇  ◇  ◇  ◇
 以上はフィクションであるが、どうであろう。このようなことが絶対に起きない、と言い切れるだろうか。
 創価の蔓延(まんえん)を座視していたならば、かような事態が、我が身の上にいつ惹起(じゃっき)してもおかしくない。「総体革命」の成就(じょうじゅ)とは、こうした暗黒社会の到来を意味するのである。
 ともあれ、冤罪(えんざい)で、我が身を滅ぼすのみならず、日蓮正宗の看板まで汚される、などということは、我々には耐え難(がた)い事態である。
 日蓮大聖人は、四条金吾殿に対し、
 「敵と申す者はわすれさせてねらふものなり」(御書1292頁)
と御教示くださった。
 我等も常の用心を怠(おこた)らず、心に油断の無きよう、さらには篤(あつ)き信心によって諸天の加護を願って、いっそうの精進を期してまいりたい。
 そして、長期的には、折伏弘宣によって世の中に正法の信行者を充満させ、また、あらゆる社会に多くの妙法の人材を輩出していく――それこそが三色脳による総体革命を食い止める道である、ということを肝(きも)に銘じよう。

[画像]:創価大学の司法試験合格者数を報道する『聖教新聞』=創大生の司法試験合格が『聖教新聞』のトップニュースに―これぞ、創価学会が「総体革命」を推し進めている実態を示すもの

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 現実に、近年の公明党は政権与党入りを果たし、大臣も送り込んでいる。さらに、各分野に送り込まれたエリート学会員(弁護士・検察官・裁判官・公認会計士・税理士・警察官・外交官・国家公務員など)による浸食は広がり、その影響は無視できないほど不気味で強大になっている。
 1つの例として、学会員の裁判官・検察官は全体の1割、弁護士は全体の1.5%ほどで、その総数は6百人前後いる。このような1千名を超える要員が、池田大作の有力な手駒として、各界に蔓延(はびこ)っている現状があるのである。(『慧妙』H25.5.1)





「司法支配の密約」をスッパ抜く

―「小泉=池田政権」追及第4弾―
―国会の歴代法務委員長は公明党が独占―

(『週刊ポスト』H15.12.26抜粋)

【秘密指令・学会検事を全国に派遣せよ】
―国会の歴代法務委員長は公明党が独占―
 法曹界に学会員を大量に送り込むことは、創価学会の政界進出と並ぶ池田氏の長年の悲願だったとされる。
 それは創価学会の弾圧の歴史と深くかかわっている。
 創価学会は1930年に初代会長・牧口常三郎氏によって設立された(当時は創価教育学会)。しかし、第2次大戦中、牧口氏は幹部20人とともに政府の国家神道による宗教統制に逆らったとして逮捕され、獄中で死亡した。戸田城聖・2代会長も治安維持法違反で逮捕されている。
 創価学会の古参幹部がこう語った。
 「数々の弾圧を受けてきた学会は、組織防衛のために公明党を結成して政界での勢力拡大をはかる一方で、弁護士や検事、裁判官にシンパをつくったり、学会員の子弟で優秀な学生に奨学金を出して大学に進ませ、司法試験を受けさせた。学会弁護団を強化する目的でした」
 創価学会は当初、選挙によって政権を取り、「国立戒壇」をつくって一宗教を国教化するという王仏冥合思想を掲げていたが、「言論出版弾圧事件」を機に国民の批判が強まると、池田氏は70年に<政教分離>を宣言した。
 “政権の夢”破れた学会はそれから一層、組織をあげて弁護士、検事、裁判官の育成に乗り出す。その養成機関の役割を果たしてきたのが、池田氏が政教分離宣言の翌年に設立した創価大学法学部に他ならない。
 同大学は毎年、司法試験合格者ランクの上位20校に入り、これまでに108人の合格者を出して裁判官や、検事、弁護士を送り出してきた
 『法学委員会の新体制について』と題する学会内部文書がある。76年に作成されたもので、学会の司法支配の狙いが記された貴重な資料だ。当時、学会は学生部に「法学委員会」という部門をつくり、創価大学にとどまらず、他の大学に通う学会員を含めて、司法試験や国家公務員試験の受験を支援する態勢をとっていた。文書は組織の改革を提言した内容である。
法学委員会は現在学生部に所属し、受験生の掌握・指導、合格者の輩出という点に重点を置いて活動している。しかしながら、(中略)総体革命において各分野にどのように切り込んでいくか(官僚機構等に対するくい込み、そのあり方)を検討していかなければならない段階に差しかかっている。さらに、学会の諸活動に関する戦略ブレーンの本格育成も重要な任務となっている
 文章には、76年当時の法曹界での勢力が、弁護士33人、検事18人、判事3人、司法修習生16人の合計70人とあり、「今後の展望」として、
合格者の増員、今後5年間で現在の倍、10年間で現在の4倍にすること。検事は、5年後には各都道府県に1人、10年後には2人配置できる人数になる
とも書かれている。
 文章が出されてすでに27年が経ち、創価大学出身者だけでも108人の司法試験合格者が生まれている。全国の裁判所や検察はすでに学会ネットワークが広く張りめぐらされていると考えた方がいいのかもしれない。



【「池田先生のために働こう」】
―国会の歴代法務委員長は公明党が独占―
 学会員は進路をどうやって選ぶのか。司法研修所の教官を勤めた法務省OBの証言には驚く。
 「司法研修所に入った段階で出身高校や大学から、この生徒は学会員だろうというのは大体わかる。ある教え子が、研修期間を終えると、検事の道を進みたいと希望した。非常にまじめな生徒だったが、『君は学会員だろう。弁護士の方が活躍の場があるんじゃないか』と尋ねると、こんな答えが返ってきた。
修習生の仲間と一緒に池田大作先生に食事に招かれて、その時、先生は一人一人の顔をじっと見つめ、“君は検事に向いている”“あなたは判事だ”と指導してくれました。私は先生の言葉に従いたい
 頑として弁護士にはならないと言い張った」
 裁判官や検事には公正、公平さが要求されることはいうまでもない。その修習生は裁判官になったが、果たして、自分が手がける訴訟に学会の利害がからんだ時、信仰を取るのか、裁判官の良心を選ぶのか
 学会出身の弁護士にも話を聞くことができた。
 「司法試験に合格するとすぐに学会から連絡が入り、池田名誉会長と食事をする機会を与えられたり、名誉会長の直筆署名入りの書籍を贈られます。それは学会員にとってたいへんな名誉で、池田先生のために働こうという気持ちになる。司法研修所に入ると、年に数回、学会本部を訪ね、学会の弁護士を統括する副会長の接待を受ける。印象に残っているのは、副会長の『今や学会には弁護士は掃いて捨てるほどいる。広宣流布に本気でない者はやめてもらって結構だ』という言葉です。みんな、逆に忠誠心をかきたてられる思いになります
 司法研修期間も学会は、裁判官や検事の卵たちに忠誠心を植えつける一種の“マインドコントロール”をしているのか。
 立教大学法学部教授の井上治典氏が警鐘を鳴らす。
 「創価学会員の裁判官、検事、弁護士は、正義のスタンダードが一般の司法関係者とかなり違うと思われる。池田大作氏や学会のためになることを最大の正義と考えて行動する可能性があるとしたら、法律家が持つべき中立性を保てるのかと疑問を抱く」



【法務・検察・裁判所の予算を握る】
―国会の歴代法務委員長は公明党が独占―
 国会でも公明党・学会の司法支配はさらに進んでいた。別表(※)は戦後、新憲法制定後の歴代の参院法務委員長をリストアップしたものだ。
 法務委員会は刑法や民法をはじめ法律改正全般にかかわり、法務省と検察庁、裁判所の予算を審議する。わかりやすくいえば、衆参の法務委員長が首を縦に振らなければ、法務省は法律一つ、予算一つも通せない。そうした司法行政に決定的な影響力を持つ参院法務委員長ポストを、過去38年間にわたって公明党が独占してきたことがわかる。
 国会の各委員長は各党が議席数に応じて分け合う慣例がある。公明党は結党(64年)後最初の選挙だった65年の参院選で20議席に飛躍すると、当時、党副委員長だった和泉覚氏を念願の法務委員長に就任させた。以来、現在の山本保氏まで34代にわたってこのポストを手離していない。まさに異例、異常といえるが、公明党広報部は、
 「わが党として参院法務委員長にこだわりを持っているわけではない」
と言い張る。それにしては長すぎる。
 自民党幹部が明かす。
 「公明党が法務委員長を押さえているのは、池田大作氏の国会喚問を阻止する、いわば“拒否権”発動をできるようにするためだ。他の党にとっては、国土交通委員長や農水委員長のように補助金や公共事業の配分に口を出せる利権ポストと違って、法務には魅力がなく、欲しがらない。だから、公明党がいつまでも独占できる」
 利権がないというのは間違っている。小泉内閣が推進してきた司法制度の舞台となったのは衆参の法務委員会であり、法科大学院の設置は、小泉首相と公明党・学会、法務省が一体となって実現させたといっていい。創価大学で法学部の学生に池田氏の句が披露された1年前の11月28日、参院法務委員会で法科大学院を開設するための司法試験法改正案が可決されている。
 創価大学が法科大学院開設の認可を受けることができたのも、法曹界に学会シンパを着々と増やしてきたのも、参院法務委員長ポストをがっちり握って法務・検察、裁判所ににらみを効かせてきたからではないのか。公明党にとって大きな政治利権を得るポストだろう。
 公明党・学会は敵対する勢力や時の権力による圧迫から組織を守るために、法曹界に学会支持派を拡大した。国会も例外ではなく、公明党の指導者には、弁護士9人がズラリ並んでいる。そして公明党は今や連立与党として権力の側に立った。むしろ危惧すべきは、法曹コネクションに政治権力が加わって、学会批判を封じ込めるフリーメーソン化する危険性だ。そうでないというなら、学会は組織の情報開示と活動の透明性を示すべきだ。
 小泉首相は、公明党とともに司法制度改革を進めることで学会の≪司法支配≫に手を貸した。

[画像]:参議院法務委員長一覧=表中会派名の「自由」は、吉田茂氏らを中心に1950年に結成された「自由党」のこと。自由党は55年に民主党と合併し現在の自由民主党となった。「緑風」は、無所属議員を中心に47年に結成され65年に解散した「緑風会」。「平成」は95年に新進党、公明が作った統一会派「平成会」で98年に解散






芸能界への浸透

「24時間テレビ」難病美談に「創価学会」

(『週刊新潮』H20.9.18)

 「ずっと『24時聞テレビ』が大好きで、毎年見てたんです。うちには障害のある子供もいますので。でも今年はビックリ。送られてきたメールの通りに、番組が進むんです。ものすごく違和感を覚えましたよ!」
 こう語るのは、東京近郊に住む40代の女性である。

 そのメールは、番組放送前の8月30日朝、創価学会員の親戚から送られてきたという。パーソナリティーを務める久本雅美からのメールを転送する、とあった。久本は創価学会芸術部副部長として知られる。
 メールは、番組の2つのコーナーを見て欲しいという主旨。1つは、ある難病患者を紹介するもので、メールにはこう書かれている。
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A子さん・B子さん(患者名)や皆さんのお題目のおかげで、インタビューを撮ることができました。短時間ではありますが、31日(日)朝7:40くらいから、放送されます
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 病名は遠位型ミオパチー。全国に数百人の患者がいると推定される難病である。
 「心臓から遠い体の部位から筋力が徐々に低下していく進行性の筋肉の疾患です」(患者会のHPより)
 この患者会は今年4月に発足したばかりで、国の難病指定を目指し、署名活動などを行なっている。
 患者会の代表を務めるのがA子さん。『24時間テレビ』に登場したのはB子さんで、患者会の運営委員だ。
 メールでは、B子さんのことを
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創大卒のかたで、先生からも激励を受け、頑張っていらっしゃいます
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と紹介している。
 創価学会で「先生」といえば、池田大作名誉会長しかいない。昨年7月15日の聖教新聞には、平成17年、創価大で行なわれた式典のスピーチで池田名誉会長が、「大変な病に負けず、頑張っているB子さん!」と呼び掛けたエピソードが、紹介されている。
 学会関係者が語る。
 「今年7月、B子さんは、梁川妙子・中野区議会副議長(公明党)の紹介で、久本雅美さんと初めて会いました。その後、久本さんが『24時間テレビ』に企画として持ち込み、自らインタビューしたと聞いています」
 先月、A子さんとB子さんが舛添厚労相に要望書を提出した際も、公明党国会議員が付き添っていた。同月29日付の公明新聞「主張」欄では、遠位型ミオパチーが取り上げられ、「早期の難病指定が欠かせない」と書かれている。
 難病問題を番組で取り上げる意義は大きい。だが、学会・公明党の支援については、患者会関係者も感謝しているものの、いささか困惑もある、という。
 「難病指定に議員の助力は欠かせません。他政党にもお願いしていますが、縁のあった公明党がよく動いてくれるんです。でも学会ベッタリと見られてしまうと……。今回のインタビュアーは久本さんでないほうがよかったのかもしれません」

 メールが紹介している、もう1つのコーナーは久本本人に関するものだ。
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久本雅美・朋子の母への誓いという時間も作って頂き、姉妹揃って出演する中、母の人柄・病気との戦いを紹介して頂く功徳も頂きました
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 久本の妹も、亡くなった母親も学会信者だ。このコーナーには、母親と親しかった"ご近所の方"が登場する。その名は「梁川妙子」さん。B子さんに久本を紹介した公明党区議である。

 つまりメールが紹介した2つのコーナーとも、登場人物は学会員ばかり。放映中、久本の隣にはタレントの柴田理恵(創価学会芸術部中央委員)いた。
 メールはなおも続く。
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PS。今回の「誓い」というテーマを作ったのは、我が芸術部の若手放送作家です!24時間TVの構成スタッフの1人で、お題目をあげる中、師匠(池田名誉会長のこと=編集部注)との誓いのご指導を読み、"誓い"を提出したところ、彼の意見が通り、決定しました
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 この部分の真偽を創価学会に尋ねたところ、
 「いずれも当会は承知しておりません。『24時間テレビ』についても、特別な関係などございません」(創価学会広報室)と答えた。‥‥
 冒頭の女性は憤る。
 「『24時間テレビ』はチャリティーであって、一部の人たちのものじゃありません。それを学会の人たちはメールを送り合って、自分たちのイベントのように盛り上がっている。おかしいですよ
 日本テレビは、この視聴者の声をどう聞くのか?

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 公明党と学会(芸術部)が連携して、"よい仕事"を行う。その内容を布教(創価学会の宣伝)に最大限利用する。仕事の内容は"国民の間に難病に対する理解を広げる"とかいう大義名分があるのだろうから、面と向かって批判することはできない。
 学会と公明党が一体となって、それぞれの活動を通して(利用して)学会の布教に寄与する。これも政教一致の姿であり、総体革命の活動の1つなのだろう。
 今回の場合は、番組の中のコーナーが学会員によって"支配"された格好だが、総体革命が進めば、番組全体、テレビ局全体が学会の意のままに操られる、ということにもなりかねない、そんな不安がよぎる記事ではある。(法蔵)





久本雅美ら

(佐高信著『田原総一郎よ驕るなかれ』毎日新聞社H18.1.30)

 久しぶりの「ら」である。マチャミとか呼ばれる久本がテレビに出ていると、私はすぐにスイッチを切るか変えるかするが、久本をはじめとした創価学会系タレントは見るに忍びない。自分の意志をもたない操り人形は痛々しくて見ていられないのである。操っているのは言うまでもなく池田大作だが、池田を「増上慢」とすれば、久本らは「卑下慢」となる。『広辞苑』を引くと、増上慢は「まだ悟りを得ないのに、得たと思ってたかぶること」、あるいは「実力が伴わないのに自慢すること」と出てくる。池田にぴったりだろう。それに対して卑下慢は、自慢することは同じだが、自分を卑しめ見下しながら、それを美徳として誇るのである。『広辞苑』には「形は随分へりくだりて、内心人に傲(おご)る気象ある者もあり。是を卑下慢といへり」という文例が引いてある。屈折した自慢で、出っ歯などの自分の醜さを表に出して笑いを取る久本の下品さに私は目をそむけたくなるのである。
 もう1つは、私はむずかしいことはわかりませんが、と自らを卑下しつつ、結局は増上慢の池田を支えている久本らの装われた無知と鈍感さに腹が立つ。
 たとえば、突如始まった公明党元委員長の矢野絢也への、創価学会のバッシングにも、学会系タレントは「反対しない」という形で加わるのだろう。学会は前に矢野の前の委員長の竹入義勝に対しても凄まじい攻撃を加えた。現在の代表の神崎武法もいつ同じ目に遭うか、わからない。公明党はこんな異常な党であり、その背後の学会も異常な集団なのである。1984年9月21日の公明党拡大中央執行委員会で、ある幹部が、
 「これからの党をどうするんだ。学会は、党と議員を無茶苦茶に言う。本部のいいなりだ。我々は『もの』だ。『もの』ですよ、『もの』」
と言ったので、当時委員長だった竹入と書記長だった矢野が、
 「そんなことは言ってはいかん。考えてもいかん」
と厳しく叱責した。しかし、その後2人で話すうち、
 「さっきは彼に厳しく注意したが、(われわれも)秋谷会長も『もの』か」
ということになった。つまり、池田の指示によって重要な会議への出席を止められたり、委員長を続けさせられたりするからである。
 こんな話がある。夫が公明党の国会議員だった女性が、公明党議員の妻たちを集めた「芙蓉会」なるものに出た。すると、池田夫人の香峯子と創価学会の幹部だった柏原ヤスが信心指導をし、柏原は
 「池田先生に献げた夫なのだから、決して自分の主人と思うな」
と叫んだ後で、
 「Sさん、立ちなさい」
と言った。病気になった彼女が夫に、
 「帰って来てほしい」
と電話をかけたことを捉えて柏原は、
 「議員は池田先生をお守りしなければならない。夫を私有物とするな」
と叱りつけたのである。それはそれは激しいもので、自分が死にかかっても夫には絶対電話はできをい、と聞いていた彼女は思ったという。池田のためにみんな犠牲になるのである。

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[動画]:選挙で公明党候補の応援をする久本雅美





暴かれる「新・芸能プロ」戦略

(『週刊ポスト』H17.4.1)

テレビをつければ「学会系芸能人」のオンパレードである。かつては、会員獲得のための"広告塔"として自ら積極的に、一方であくまで目立たぬように「折伏」に動いたものだが、最近の若手タレントたちは必ずしもそうではないという。そこには、池田大作・名誉会長の念願を実現するための「戦略転換」がある。


【「学会2世」はためらわない】
 NHKの「好きなタレント調査」で03年度まで3年連続1位に輝いた久本雅美、大河ドラマ『義経』のヒロイン・静御前役に大抜擢された石原さとみ、クールな毒舌で昨年ブレークした長井秀和、そして独特の"べース漫談"で人気のはなわ―。
 今のテレビ界を席巻するこれらのタレントに共通するのは、いずれも現役の創価学会員であるということだ。
 過去、宗教団体がタレントや文化人を教団の"広告塔"として信徒獲得に活用したケースは枚挙にいとまがない。
 しかし、こと創価学会に限ってみると、山本リンダ沢たまき(故人)、雪村いずみら少数を除くと、タレント自らが創価学会の会員であることを告白したケースはさほど多くはなかった。
 それに比べ、最近の"創価学会系芸能人"は、実に平然と信仰をカミングアウトしているようにみえる。
 学会の古参幹部とて「まさに隔世の感がある」と口にするほどなのだ。
 まずは現在、芸能界で最も学会活動に熱心だとされる久本雅美。所属事務所は今回、回答をしなかったが、月刊誌『潮』や『聖教新聞』など創価学会系のメディアに度々登場。公明党の機関誌では、神崎武法代表と対談まで行なっている。「折伏」(説得して入信させること)も熱心に行なっており、同じ劇団に所属している柴田理恵を入信させたと伝えられる。
 父親が創価学会職員で本人は創価高校在学という"学会エリート"である石原さとみの事務所は、
 「両親が学会員ということで子供の頃から学会活動をしていたという報告は受けています。現在は時間もないはずなのでどうかわかりませんが、問題はまったくありません」
と語る。
 久本に続いて精力的な学会活動を行なっているのは、長井秀和だ。所属事務所は本人が学会員であることを認めたうえでこう語った。
 「エンターテインメント業界ですから、プロとしてきちんと仕事をすることができれば、プライベートに関して事務所から何かいうことはありません。(創価学会員だと)報じられたからといって、変わった反応があるわけでもない。2~3年前なら、長井の"な"の字も取り上げてもらえなかったのですが、有名になったので取り上げられるようになっただけでしょう。学会員であることについては、(テレビ局など)周囲にも理解していただいています」
 いわば宗教活動は"事務所公認"なのである。長井自身、隠す様子もなく、学会での活動をアピールしている。創価学会関連会社のビデオ作品に出演した際には、
 〈私もですね、少年部、中等部、高等部、学生部と学会活動を一生懸命がんばってやってきました。なぜなら、私の実家が『聖教新聞』の販売店だったんです。未来部(少年少女部、中等部、高等部の総称)の皆さん、ぜひとも自分の家を拠点にしてもらいなさい。そうすれば必然的に頑張ることができますよ。間違いない!〉
と、巧みに得意の決めゼリフを織り込みつつ、自らの経歴を語っている。
 長井と並び、現在の"お笑いブーム"を支えるはなわも、過去に月刊誌『潮』に登場している。取材に対し、学会員であることについて認めたこともある。
 一方、古くから学会員であることを公言している山本リンダの事務所はこういう。
 「積極的に公表しているわけではありませんが、聞かれればイエスと答えています。リンダさんが学会員であることは周知のことですし、仕事に支障があるわけでもない」
 リンダは昨年夏の参院選の際に東京選挙区の公明党候補の応援演説に駆けつけ、
 「私は公明党が大好きです!」
と絶叫していた。
 かつて創価学会の会員であることを告白することは、一般の人の間でも簡単ではなかった。タレントであればなおさらである。なぜ"変わった"のか。学会幹部が解説する。
 「最近は石原さとみや長井秀和に代表されるように、親の影響で創価学会に入信した若者が増えている。"学会2世"は、子どものころから創価学会系の学校に通い、地域の仲間もほとんどが会員という環境で育ったため、学会員であることを特殊なことだと考えていない。だから、ためらわずに公言できるのです」
 彼らを取り巻く環境の変化も大きい。大手芸能プロダクション関係者はこうみる。
 「確かに、かつてはテレビ界でも宗教色の強いタレントを敬遠するムードがあったのは事実。だが、学会系メディアに頻繁に出ている久本雅美の人気が依然として高いとあって風向きが変わった。"学会員と公言していても人気が下がらないのなら、事実を明らかにしても構わない"と考えるタレント事務所が増えてきている」


【教万人に及ぶ「芸術部員」】
 そうした学会系芸能人の多くが所属しているのは、創価学会文化本部傘下の"芸術部"である。かつて芸術部の書記長を務め、87年に脱会した古谷博氏がいう。
 「創価学会には、外務省の学会員が作っていた"鳳会"をはじめ、同業者の集まりがいくつかある。芸術部もそうした"職能団体"のひとつとして昭和30年代後半に設立された。もっとも目的は、それまで学会に付きまとっていたダーティなイメージを和らげるためでした」
 当初は、フラメンコギターの大家や洋画家、舞台俳優らで構成されたが、現在は芸能人ばかりでなく舞台監督や照明担当者、スタイリストやヘアメークなどの裏方も所属しており、その規模は数万人に及ぶと見られている。古谷氏が続ける。
 「芸能人のおもな役割は、共演者やテレビ局関係者の折伏です。創価学会のタレントは、人の話を親身に聞くタイプが多いため、競演者は恋愛などの悩みを打ち明けやすい。じっくり話を聞き、相手が心を開いた後に、学会がいかに素晴らしいかを説くというわけです。沢たまきなどは自宅で盛んにパーティを開き、芸能人仲間を何人も折伏していました」
 芸術部発足当初は、かなり強引な勧誘活動を行なっていたともいわれるが、ある"事件"をきっかけに、様変わりしたという。創価学会に詳しいジャーナリストの乙骨正生氏が分析する。
 「直接の契機は、昭和44年の言論出版弾圧事件(※)だった。事件によって一般社会からの厳しい風当たりを痛感した創価学会執行部は、強引な手法は世間の反発を招くだけだと悟った。それ以来、芸能人にもしつこい勧誘はさせないようにし、イメージの悪い折伏という言葉も"仏法対話"と言い換えるよう指導した」
 その結果、一般社会の"創価学会アレルギー"は徐々に沈静化に向かった。近年はそうした"ソフト路線"をさらに推し進めているという。古谷氏が付け加える。
 「最近の学会は"会員になってもらわなくとも、まずは敵対さえしなければいい"という考え方にシフトしたようです。だから芸能人も自分の信仰を押し付けたりせず、芸能人仲間の反感を買わないことに重点を置いている」
 同時に、一般人に対する勧誘方法も変わった。かつて、沢たまきや雪村いづみは1000~2000人規模の集会をたびたび開き、集まった聴衆に信仰を説いたというが、今やその必要はないという。
 「これだけ頻繁に学会系タレントがテレビに出ていれば、わざわざ集会など開かなくてもいい。学会員が隣人に"テレビに出ているあの人も、それからあの人もこの人も仲間なのよ"と囁(ささや)くだけで、創価学会に対するアレルギーを和らげ、入会のきっかけにできますから。現在は"口コミ"が主流なのです」(古谷氏)
 お笑いブームも、創価学会の追い風になっている。
 「一流歌手とか一流俳優といった"雲の上のスター"よりも、お笑い芸人の方が親しみやすく、より"効果"が見込める。創価学会執行部は01年に久本雅美を副芸術部長に抜擢しましたが、これもバラエティタレントに対する期待の現われでしょう」(乙骨氏)
 また近年、学会系メディアが"非学会員"のタレントを積極的に取り上げる傾向にあるが、これも学会の戦略なのだという。
 学会関係者が指摘する。
 「今の若いタレントやマネージャーは、過激だった頃の創価学会を知らない。だからギャランティなどの条件さえ合えば、学会系のメディアでもどんどん出る。そうした非メンバーのタレントを誌面に出すことによって、メンバーのタレントとの垣根も取り払うことができるし、学会が特殊な団体ではないというイメージを一般社会に刷り込むこともできる」
 若手やバラエティタレントを活用したこのソフト路線こそ、創価学会の「新・芸能プロ戦略」なのである。


【「総体革命」実現への布石】
 その一方で、学会員でありながら沈黙を続ける学会系タレントも多い。
 創価学会の幹部会に出席し、池田大作名誉会長から激励されたと報じられた氷川きよしも取材には「一切関知していない」(所属事務所)という姿勢を貫く。
 が、それでも学会にとってメリットがあるのだという。
 「本人が言わなくとも、マスコミが学会員だと書いてくれればそれでいいのです。口コミによって"あの人も学会員ですよ。雑誌に出ていたでしよう"といえぱ、カミングアウトしているタレントと同じ効果がある」(学会関係者)
 確かにマスコミの取材に対して、学会員であることを否定するタレントは少ない。「ノーコメント」と答えれば、マスコミは"学会員リスト"に入れる。そうした対応も、もはや織り込み済みということなのか。
 しかし、学会から離れていく芸能人が後を絶たないのも事実である。
 「じつは、加藤茶平尾昌晃など、学会系芸能人の古株たちの一部はここにきて距離を置いている。報復を恐れて表立った批判こそしませんが、学会系メディアヘの露出はすべて断わっている」(芸能プロダクション幹部)
 実際、加藤の事務所は「ノーコメント」だったが、平尾の事務所は、
 「両親が会員だったので平尾も入っていましたが、すでに脱会しています」
と明言した。
 本誌既報(3月18日号)の通り、幼少時から学会活動を行なってきた杉田かおるも脱会した芸能人の1人だ。
 前出の乙骨氏は、若手が隆盛を極める反面、ベテランに脱会者が相次ぐ背景には、創価学会の危険な"本質"があると指摘する。
 「今も昔も、創価学会は"総体革命"を実現させることが目的なのです。これは、社会の枢要なポストを学会員が占め、学会が社会を動かすという思想。彼らにとっては芸能人を広告塔にすることも、革命の一環に過ぎない。年齢や人生経験を重ね、そこに気づいたタレントは次々と脱会するのです」
 創価学会は創価大学に「国家試験研究室」を設置し、裁判所や外務省など主要省庁に人材を送り出しているほか、マスコミをはじめ大手商社、通信、メーカーなどの一流企業にもネットワークを張り巡らせてきた。いずれも総体革命実現のためだとされる。
 現在進行中の学会系芸能人による新戦略も、総体革命を成し遂げるための布石なのか。創価学会広報室は、
 「特定の職業について特別な指導を行なうことはない」
と否定しているが、前出の古谷氏はこう警鐘を鳴らす。
 「創価学会とは、自分たちと相容れない考え方を持つ人間を徹底的に排除する組織です。それは現在も変わっていない。万が一、総体革命が実現すれば多様な言論は封殺され、息苦しい社会が到来することになる。そのことを、どれだけの学会系芸能人がわかっているのでしょうか。ただ、"学会の動員力があれば売れる"と考えているとすれば、あまりに思慮が浅い」
 画面に頻出する学会系芸能人。ことは単なる"テレビジャック"では済まされない。

※言論出版弾圧事件/69年、評論家の藤原弘達氏が公明党の政教一致を厳しく批判した著書『創価学会を斬る』を出版する際に創価学会が行なった妨害工作。著者の藤原氏のもとに抗議電話が殺到したほか、創価学会の意向を受けた公明党の藤原行正都議や、当時自民党幹事長だった田中角栄氏らが再三にわたって出版中止を要請した





サザンオールスターズ「創価学会問題」で内輪モメ

-メンバー脱退の"真相"はこれだ―
(『週刊現代』H13.9.1)

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桑田が苦しい胸の内を吐露
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 300万枚の売り上げを記録したヒット曲『TSUNAMI』で、昨年末にはレコード大賞を受賞し、若者から中年まで幅広いファン層をもつサザンオールスターズ。'74年に青山学院大学在学中だった桑田佳祐(45歳)を中心に結成され、原由子(44歳)、大森隆志(44歳)、関口和之(45歳)、松田弘(45歳)、野沢秀行(46歳)からなる6人組のロックバンドである。'78年のデビューから23年が経つが、その間1度もメンバーチェンジをしていないという結束の固さでもよく知られていた。ところが23年目にして初の"内輪モメ"が表面化した。ギタリストの大森隆志が、バンドを脱退したのだ。
 昨年末から大森は、「心身のリフレッシュ」を理由に活動を休止していた。ファンの間ではその去就が注目されていたが、8月11日、桑田がパーソナリティをつとめるラジオ番組『FMワンダーランド~やさしい夜遊び』(TOKYO FM)で、正式に大森の脱退を発表したのである。
 その番組のなかで、桑田は、
 「彼は今後ソロアーチストとして、独自の道を行くことになりました。これは大森君のたっての希望も含め、サザンの他のメンバーとも昨年からミーティングを重ねまして、悩み抜いた結果でして」
と苦しい胸の内を吐露。さらに脱退の理由については、
 「やはり彼のソロ指向が近年非常に強くなってきたということなんですよ」
と、大森のソロ指向を強調する一方で、
 「おれとしては、まぁ23年間やってきた家族みたいなもんだから、ギター練習したりして、また戻ってくるのを待ってるからさぁ、みたいなことを言いまして、彼もまたそれを承諾してくれたんですけど……。ただ、彼の律義な性格からすると、最終的に脱退、独立という形が一番前向きな結論かなということになりました」
 と、桑田側から大森に「休養勧告」していたとも受け取れる「本音」を漏らしている。

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湘南を歌った数々の名曲で日本の音楽シーンに23年間も君臨してきたサザンオールスターズ。夏の代名詞ともいえるサザンで、創立メンバーの1人、ター坊こと大森隆志が脱退、波紋を呼んでいる。しかもその背景には、なんと大森の信仰する創価学会の問題がからんでいるというのである。その真相に迫った。
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 桑田のこんな心中を裏付けるように、桑田と大森の共通の友人がこう証言する。
 「結局のところ、今回の件では、大森は実質上はクビに近かったんですよ。それというのも、彼がもう数年前から、完全にやる気を失っていたからなんです。サザンは周知のように、桑田と原由子夫妻がほとんどの曲をつくり、実質的にはこの2人によって他のメンバーが食わせてもらっているようなもの。そうしたなかで、特に大森はサザンのメンバーという位置にすっかり満足して、最近はギターの練習さえもあまりしなくなっていたんです。
 昨年のレコーディングでは、スタジオに集合したさいに、練習してこなかった大森に対して桑田が怒り、険悪な雰囲気になる一幕もあったと聞きました」
 だが、桑田が大森に見切りをつけた理由は、どうもそれだけではなさそうなのだ。サザンオールスターズの所属事務所、アミューズの関係者が証言する。
 「じつは大森氏の九州の実家は、お母さんが創価学会の熱心な会員で、本人も20年ほど前から学会の活動に積極的に関わっていました。初期の頃は他のメンバーたちも特に問題にしていなかったんですが、ここ数年、彼の学会への傾倒ぶりがひどくなり、音楽の練習に集中できなくなった
 あげく、ついにバンド活動に支障をきたすほどになって、見過ごしておけなくなったというのが真相なんです」
 なんと、音楽性の違いどころか、原因はまったく別の「宗教問題」だというのだ。大森自身が、学会系列の出版社、第三文明社の『わが栄光の青春Ⅱ~創価学会青年友好大会 1984』の中でインタビューに答えて語っているところによると、学会活動開始のきっかけは、デビュー3年目の'80年だったという。
 疲労がたたって椎間板ヘルニアになり、まったく起き上がることもできなくなった時「これまでやってこれたのも母親の強盛な信心のおかげだった」と反省。あらためて「唱題と折伏の実践」を誓い、真剣に唱題しはじめたところ、3週間も経たず、再び音楽活動ができるようになったと告白しているのだ。それ以来、熱心な信徒として活動、サザンの人気が高まるにつれ、学会内での貢献度も高くなっていったようだ。'92年4月には『聖教新聞』の学会所属の芸能人たちによるリレー連載で、男子部副本部長として登場。同年7月の参院選では、公明党候補の浜四津敏子氏などの選挙応援に駆けつけ、自分の歌を披露している。

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コンサート会場の三色旗に仰天
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 こうした大森の学会への傾倒ぶりが"本業"サザンの活動に影響を与えはじめてきた頃、桑田を驚かせたこんな"事件"があった。前出の大森・桑田共通の友人が語る。
 「今から7~8年前のことです。サザンの全国ツアーの会場で、観客席で見慣れない旗が頻繁に振られることに、桑田が気がついたんですよ」
 それは、学会のシンボル、青、黄、赤の縦縞の"三色旗"だった。
 「最初、桑田はそれが何であるか知らず、べつに気にもとめていなかったんですが、あまりにその旗が目立ってきたので、周囲のスタッフに『あの旗はなんだ?』と聞いたんです。それで学会の旗だと知って愕然とし、大森にサザンの名前を利用するのは控えてほしいとやんわりと注意したそうです。大森もさすがに桑田から注意されたことで学会関係者に相談し、『コンサートに旗を持っていくのはやめましょう』と信者に呼びかけてもらって、一応は収まったようです。そんなこともあって、桑田のなかに創価学会に対する不信感が芽生えてきたんですね」(前出の友人)
 そして、他メンバーとの微妙な関係が、さらに変化するきっかけとなる出来事が数年前にあった。大森が池田大作創価学会名誉会長の側近中の側近と言われる女性と結婚したのである。
 学会の内情に詳しいジャーナリストの乙骨正生氏が語る。
 「大森氏の結婚相手は、20代のときから池田名誉会長に気に入られ、長年、彼の直属通訳をつとめている女性です。40歳を過ぎているはずだが、大変な美女で、現在でも池田氏が英語圈に外遊するときや、外国の要人と会うときは必ず彼女がぴったりと寄り添っている。『聖教新聞』などの写真記事にも、池田氏とともにたびたび写っており、学会では彼女のことを知らない人は誰一人いない、超のつくほどの有名人です」
 しかし、大森がそんな学会内の超有名女性と結ばれたということは、何を意味しているのか。
 乙骨氏がこう続ける。
 「当然、それほどの側近である彼女と結婚するためには、池田氏の許可がないとできるはずがありません。つまり、彼女と結婚できたということは、学会員として大変な名誉であり、それだけ大森氏が池田氏から見込まれている証拠です。たしかにサザンオールスターズという日本中に知られたブランド名を利用して機関紙でさんざん宣伝できたわけだから、その貢献度は半端なものではない。逆にいえば、桑田氏らサザンの他のメンバ-たちは、そうやって自分たちの名前が学会の宣伝に利用されていることが愉快だったはずはないでしょう」
 また、学会内部からは、こんな声があがっている。
 「大森さんが池田名誉会長の側近と結婚したことで、学会内での大森さんを見る目は明らかに変わりました。サザンでの音楽活動があり、事務的な活動ができないために、組織の肩書こそ目立つものではありませんが、まさにちやほやという言葉がぴったりで、その待遇は他の学会員とは別格になったんですよ。大森さんは、学会での地位が向上していくうち、本業の音楽活動への情熱が失われていった。それが桑田さんには我慢がならなかったんじゃないでしょうか」(大森と親交のある学会員)
 やはり、大森脱退の原因に、学会問題がなんらかの影を落としていたことは間違いないようだ。

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「微妙な感性の問題があった」
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 両者の真意を聞こうとアミューズに取材を申し込むと、
 「たしかに大森が学会員であることは、以前から他のメンバーは承知していました。しかし今回の脱退で学会問題がからんでいることはまったくありません。昨年末、大森から1度リフレッシュしたいという申し出があって休養に入り、年明けからメンバーと話し合ってきて出した結論だということです」(広報担当・久保田康氏)
と脱退と学会の関連を否定した。
 大森は「今後、ラジオのパーソナリティなど幅広い芸能活動に挑戦していきたい」という趣旨の文書コメントを発表したが、そこには脱退の原因については一言も書かれていない。そこで大森自身の説明を聞こうとしたが、連絡が取れない。かわりに、大森の個人音楽事務所の取締役に就任している実兄・仁史氏が、本誌の取材に答えてくれた。
 「今回の件で学会のことを言われるのは大変心外です。私たち一家が学会に入っていることは20年前からわかっているわけですし、別にそれでどうこうということもなく過ごしてきたのですから、今さらそんなことが問題になるなんておかしいと思いますよ。弟はデビュー当時から腰痛を抱えていて、ヘルニアになったり、コンサートで椅子に座りながら演奏したこともありました。そうした爆弾を抱えた身で、他のメンバーの足を引っ張ってはいけないという気持ちがあいつなりにあったんでしょう。もちろんそれだけが脱退の理由ではありません。音楽のことは私にはよくわかりませんが、微妙な感性の問題のようなことがあったのかもしれない。いずれにせよ、メンバー内でトラブルのようなことはまったくなかったはずです」
 仁史氏によれば、発表の1ヵ月ほど前に大森から電話連絡があり「どうしたらいいだろうか」と相談されたという。
 「私は、自分の思い通りにやったらいい、と答えました。弟は中学校の頃からギターを抱えて寝るようなやつで、音楽を離れては生きていけないと思います。現在は白紙の状態ですが、手探りで進んで、誰かをプロデュースするなり、グループを組んで再デビューするなり、形が決まったら本人が発表するはずです」
 ともあれ、これからは「サザンオールスターズ」という大看板なしで、ソロ活動をしていくという大森。ぜひ学会員だけでなく、一般のファンにも元気な姿を見せてほしいものだ。