創価学会破折
創価学会 謗法年表


1973(S48)~
・無許可で紙幅の本尊を板に模刻
①学会本部安置 昭和26年5月19日・大法弘通慈折広宣流布大願成就
②関西本部安置 昭和30年12月13日
③ヨーロッパ本部安置 昭和39年12月13日
④創価学会文化会館安置 昭和42年6月15日
⑤学会本部会長室安置 昭和42年5月1日
⑥アメリカ本部安置 昭和43年6月29日
⑦賞本門事戒壇正本堂建立 昭和49年1月2日
⑧池田大作授与の御守本尊 昭和26年5月3日
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このうち、①の本尊は、事後の昭和52年11月7日、日達上人が正式に御允可(いんか)あそばされ、学会創立47周年記念と併(あわ)せて開眼入仏法要を営(いとな)まれたので、違法なものは②以降の7体となる。これらはすべて、赤澤佛具店が池田に命ぜられて行なった。それぞれの紙幅の御本尊を写真に撮り、拡大して板に彫刻したのである。(『慧妙』H23.8.1)


1974(S49)
・4月12日 宗門支配を画策(山崎・八尋報告書「本山の件」

・5月10日 宗門からの分離独立を画策(北条報告書「本山の件」)

・6月18日 宗門からの分離独立を画策(北条報告書「宗門の件」)


1977(S52)
・1月15日 池田大作、第9回教学部大会で「仏教史観」を語る。これより創価学会昭和52年教義逸脱路線が表面化
<52年路線の主なもの>
 1)戸田会長の悟達が創価仏法の原点 2)大聖人直結、血脈・途中の人師論師不要 3)『人間革命』は現代の御書 4)会長に帰命、久遠の師、本門弘通の大導師、 主師親三徳 5)寺院・会館混同(寺院軽視) 6)謗法容認 7)在家でも供養を受けられる 8)学会僧宝論


1991(H3)
・1月4日 『聖教新聞』紙上で宗門批判キャンペーン開始

・2月26日 宗門の化儀を無視した「学会葬」始める(『慧妙』H20.5.16)

・9月17日 秋谷栄之助、第46回本部幹部会で「宗門は天魔と化して、信者ドロボウに狂奔し」と発言

・10月頃 日顕上人退座要求署名運動を開始


1993(H5)
・9月7日 「ニセ本尊」作製発表(『聖教』H5.9.8/『慧妙』H25.10.1)

・10月1日 「ニセ本尊」販売開始


1995(H7)
・11月 関西広報局文化部長の秋庭洋が、これまで邪宗と罵(ののし)ってきた有力宗教団体に対しての「誼(よしみ)を通じていきたい」とのお詫(わ)び行脚(あんぎゃ)


1999(H11)
・10月 立正佼成会の開祖・庭野日敬の葬儀に、西口浩広報室長(副会長)、正木正明役員室長(副会長)が列席。その際、西口は参列の理由を「庭野先生の御業績に敬意を表するため」と述べた。


2002(H14)
・4月1日 会則を変更
・4月26日 規則を変更
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「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本」(旧会則第3条)「本門戒壇の大御本尊を本尊とし」(旧規則第3条)との条文を削除。「日蓮正宗の教義に基づき」(旧会則第3条、旧規則第3条)の文言を削除。(記事参照)


2004(H16)
・9月9日 第41回本部幹部会において、五座三座の勤行を廃止し、「方便品・自我偈の読誦(どくじゅ)と唱題による勤行を創価学会の正式な勤行として制定する」と発表(記事参照)


2005(H17)
・春 創価大学の教授が日蓮本仏論を否定する論文を執筆。創価はそれを非難しないのであるから、黙認した、という以外ない。(記事参照)

・4月 会長の原田稔による謗法容認指導(『聖教新聞』H20.4.29)

・5月 九州池田記念墓地公園(大分県日田市天龍町湯山)に隣接する「金比羅(こんぴら)神社」の参道整傭へ150万円を寄付


2007(H19)
・8月 金原明彦という学会員が『日蓮と本尊伝承―大石寺戒壇板本尊の真実』なる書を出版。本門戒壇の大御本尊が弘安3年5月御筆の日禅授与の御本尊をもとに、模刻・臨写された御本尊である、との疑難を構える。(記事参照)


2013(H25)
・3月19日 ローマ法王の就任ミサにあたり、イタリアSGI幹部が法王に謁見(えっけん)し、池田名誉会長からの祝辞を代読し「数珠」を贈呈


2019(R2)
・12月 公明党前代表 太田昭宏らが稲荷(いなり)神社の「狐の行列」に参加(記事参照)