創価学会破折
憎悪の批判者攻撃



反復する宗門誹謗の目的/『慧妙』H20.1.16

邪悪への怒りが日蓮仏法!?

「師」の仇(あだ)を討つのが「直弟子」!?/『慧妙』H18.5.16

池田大作怨念のフレーズ「宗教弾圧」/『フォーラム21』H17.3.15

口汚い言論攻撃の温床/ジャーナリスト・乙骨正生『フォーラム21』H15.12.15

今月の「悪口雑言」/『フォーラム21』H15.7.15抜粋・編集

狸祭事件


※抜粋または要旨

ついに司法も創価学会の"脅迫"を認定!(『慧妙』H23.2.16)
―矢野裁判で明らかになった創価学会の闇(やみ)―
―「"息子がどうなっても"との脅迫は真実」―

去る1月20日、創価学会副会長・谷川佳樹が、『週刊新潮』(2008年5月22日号)に掲載された記事により名誉を毀損(きそん)されたとして、新潮社並びに『週刊新潮』の編集長、および元公明党委員長・矢野絢也氏に対し、1千1百万円の損害賠償と、全国紙各紙並びに『週刊新潮』への謝罪広告の掲載を求めて訴えていた裁判の、1審判決が下った。東京地方裁判所(浜秀樹裁判長)は、谷川の訴えの一部を認め、新潮社らに連帯して33万円(なんと請求のわずか3%)を支払うよう命じる一方、謝罪広告に関しては谷川の要求の一切を退け、訴訟費用についてはその3.3%を新潮社らが、残りの96.7%(!)を谷川が負担せよ、と命じたのである。しかも、それ以上に重大なのは、判決文が創価学会の暴力団的体質を認定したことである。(記事参照)

宿泊ホテルに誹謗中傷ビラ(『大白法』H21.11.1)
9月29日早朝、アメリカ合衆国のシカゴ・妙行寺での海外部長指導会のため渡米された海外部長一行の宿泊先のホテルで、日本語で書かれた誹謗中傷ビラが海外部長の部屋の窓ガラスや駐車場に駐めてあった妙行寺御住職の車のフロントガラスに貼り付けられるという事件が起こった。(記事参照)

「矢野裁判」において裁判所が認定した創価学会・公明党の正体!(『慧妙』H21.10.1)
―創価学会の人権侵害と暴力体質を見よ―

「創価学会青年部が怒っている。」(高裁判決文17頁)
「青年部は跳(は)ね上がっている。矢野の命も危ない。」(高裁判決文17頁)
「土下座しろ。」(高裁判決文19頁)
「人命にかかわるかもしれない。」(高裁判決文19頁)
「あなたは息子がどうなってもよいのか。」(高裁判決文19頁)
「それを渡さないと皆怒り狂って何が起こるか分からない。」(高裁判決文20頁)
「渡さないなら覚悟はできていますね。」(高裁判決文20頁)
「重大なことと言えば分かるだろう。矢野さんの身に危検が迫る。」(高裁判決文27頁)
「どうしてもだめなら、全党挙げて矢野をつけねらう。」(高裁判決33頁)
「要求を拒(こば)めば、これらの多数の創価学会員ないし公明党員が矢野及びその家族に対してどのような危害を加えるかもしれない。」(高裁判決文41頁)

これらは巷(ちまた)の暴力団員が吐いた言葉ではない。歴とした宗教法人・創価学会の副会長や青年部幹部、さらには公明党OB議員らの口から出た言葉である。(記事参照)

学会・公明党批判ビラ配布者に暴行(『慧妙』H21.9.1)
8月2日午後4時半過ぎころ、「政教分離を考える会」発行の「公明党は創価学会の教義を実現するために作られた政党です」との表題のビラ(通称「NO!池田大作ビラ」)を法華講員のIさんが足立区本木南町において配布していました。(中略)尾行してきた男たちは、後方から傘の先でIさんの背中を強く突き、さらに左側から前方に回り、Iさんの顔面右目部分を突いたのです。(記事参照)

山崎正友氏(元創価学会顧問弁護士)死去に狂信者が跳梁(ちょうりょう)(『慧妙』H21.1.16)
12月29日、山崎氏の遺体を乗せた救急車や葬儀社の車を、深夜まで10台もの車で追跡したり、「地獄行き」などと書き殴った怪文書を出し、1月5・6日の葬儀当日には、嫌がらせの電話や電報を会場に入れ続けた狂信者集団の面々―。
 彼らは、学会の副会長・総合婦人部長といった大幹部らの死亡がすぐには公(おおやけ)にされず、一般の学会員達の知らぬ間に火葬まで済まされている、という事実と、片や、山崎氏の葬儀には多数の人が入りきれないほど集って最期のお別れをしている、という事実を引き較べ、自らの信仰に何の疑問も抱かないのだろうか。(記事参照)

学会批判者に対し平然と暴行(『慧妙』H20.12.1)
 有志2人が、創価学会の在り方を糾(ただ)すビラを戸別配布していた。すると、そこに学会男子部と目される屈強な男が現われ、ビラ配布を制止してきた。
 そこにあと2人、やはり学会員らしき男たちが応援に駆けつけきた。総勢3人となった男たちは口々に、「オイ、待てよ!」「いい加減にしろよ!」などと恫喝(どうかつ)しながら、2人の襟首(えりくび)を掴(つか)み、振り回し、その身体をマンションのドアや壁にガンガン押しつけた。
 その凄(すさ)まじい暴力行為によって、2人は全治1週間乃至2週間の傷を負い、着ていたシャツもビリビリに破け、ボタンはあらかた吹っ飛んでしまったのである。(記事参照)

本部幹部会・熾烈な矢野攻撃と池田夫妻礼賛の異常(『フォーラム』H20.11)
 本年5月12日、公明党の委員長・書記長を20余年にわたって務めた矢野絢也氏が、創価学会から退会するとともに、創価学会の最高幹部らから言論封殺を含む激しい人権侵害行為を受けたとして、創価学会と最高幹部7名を被告として、名誉毀損に基づく損害賠償等請求訴訟を東京地裁に提訴した。
 矢野氏の造反・提訴に対して創価学会は、表向き沈黙を守っている。だが実際には本部幹部会等で、激しい攻撃を行っていた。しかしその事実を創価学会は『聖教新聞』等の機関紙誌で報道することを控えていたのである。(記事参照)

とても宗教人とは思えない(<MSN産経ニュース>080517)
 創価学会の矢野氏に対する誹謗中傷はこんな具合。
 〈恩知らずほど守銭奴でケチだ。金、金、金。銭、銭、銭〉〈卑しい、醜い、骨の髄まで腐りきった、銭ゲバ野郎
 とても宗教人とは思えない。(記事参照)

邪師・池田は「修羅になれ」と(『慧妙』H19.7.16)
 7月4日付『創価新報』の紙上において、池田大作は、「口ではない、弟子ならば、現実の上で、勝利の証(あかし)を残すのだ」と、7月の戦いを目論(もくろ)んでの強い調子で「勝利」を打ち上げている。このように、信仰の実体を見失い、「勝つこと」だけの欲望を丸出しにする指導により、学会は三毒熾盛(しじょう)の集まりと化している、といってよい。
 インターネットに「創価学会座談会企画常勝」のホームページがあるが、そこに「日顕宗を倒す祈りの功徳について」と題して、青年僧侶改革同盟のある脱落僧が次のように述べている。  「日顕(上人)を倒すという鬼にならないと、勝てないんですね。こっちが鬼になるんです。池田先生が『法華経の智慧』の中で、『阿修羅のごとく戦わせてください、と祈ることです』と。阿修羅というのは、要は、鬼なんですね。お人好しだと、やっばりなかなか魔に勝てないと感じます。(記事参照)

東京地裁が学会青年部上級幹部らを弾劾!(『慧妙』H19.5.16)
東京地裁は5月7日、創価学会青年部上級幹部による、日蓮正宗関係者に対する名誉毀損(めいよきそん)を厳しく弾劾(だんがい)した。この事件は、創価学会杉並総区副青年部長、静岡・富士正義「県」青年部長ら(いずれも事件当時の役職)が、理境坊所属妙観講および同講講頭・大草一男氏を誹謗(ひぼう)したデマビラを全国に大量配布し、大草氏らの名誉を著しく毀損したことに対して、妙観講側が刑事・民事の両面で訴えていたもの(刑事告訴の方は、すでに本年1月、学会幹部2名が書類送検され決着)。このほど東京地裁は、学会幹部ら3名に損害賠償金・合計280万円を支払うよう命じた。
(記事参照)

創価学会大幹部が書類送検さる!(『慧妙』H19.2.1)
今から3年前、日蓮正宗と理境坊所属妙観講を誹謗(ひぼう)するカラー印刷のビラが、学会幹部によって全国にバラ撒(ま)かれた事件で、妙観講講頭・大草一男氏の刑事告訴を受理していた静岡県警富士宮警察署と警視庁荻窪警察署は、それぞれ平成19年1月11日と12日に、創価学会県青年部長の山本伸一と、同総区副青年部長の高橋浩一の2人を、名誉毀損(めいよきそん)罪書類送検した。(役職は、いずれも事件当時)(記事参照)

竹入・矢野批判は「異様な光景」(『朝日新聞』社説H18.9.19)
公明党の機関紙が創価学会の『聖教新聞』と歩調をあわせ、竹入、矢野絢也両元委員長を激しく批判している。経緯はよく分からないが、組織の外の目から見れば、異様な光景としか言いようがない。(記事参照)

再三、大石寺へ押しかけ警察が出動(『慧妙』H18.6.16)
 本紙の読者であれば、「谷口」(※事件当時は創価学会地区部長)と聞いて、ピン!とくる方も多いだろう。そう、札幌市の正宗寺院・佛見寺に、わずか2ヵ月ほどの間に1千回以上もの嫌がらせ電話を架(か)け、寺院の業務を妨害するなどして、昨年5月に逮捕され、同年8月26日に、札幌地裁より「懲役1年・電話機1台没収」の判決を受けた、あの「谷口」である(谷口は、控訴審で2度と電話を架けない旨謝罪し、執行猶予判決を得て釈放)。
 その執行猶予中の谷口が、今度は総本山大石寺などに再三にわたって押し掛け、ついに警察が出動する事態となったのである。(記事参照)

(東京地裁)『聖教』の悪口座談会に司法の鉄槌下る!(『慧妙』H18.4.1)
去る3月13日、東京地裁(原敏雄裁判長)は、創価学会が発行する『聖教新聞』に掲載された記事が、日蓮正宗御僧侶の名誉を毀損(きそん)している、と認定、宗教法人創価学会および、同会会長・秋谷栄之助、理事長・青木亨、副理事長・原田稔、副会長・奥山義朗、青年部長(事件当時)・杉山保、男子部長(事件当時)・弓谷照彦に対し、連帯して80万円を賠償(ばいしょう)するよう命じた判決を言い渡した。(記事参照)

学会員10余名が法華講員を集団暴行!(『慧妙』H18.2.16)
 平成17年12月19日夜、東京都台東区在住の法華講員・山谷一成さんが10人以上の学会員によって殴る・蹴(け)るの暴行を加えられた。
 近くの病院での受診の結果、頭部裂傷・胸部挫傷・腰椎捻挫(ようついねんざ)等により全治3週間、と診断されたのであった。(記事参照)

日蓮正宗攻撃を宣言した学会(『慧妙』H18.1.16)
 果たして1月6日、学会の本部幹部会において、会長・秋谷栄之助は、日如上人を「ニセ法主」と罵(ののし)り、日蓮正宗に対して「奈落の底まで追撃し、本山をペンペン草が覆(おお)い尽くすまで攻め抜いていくことを」宣言したのである。
 やはり、彼らの「邪智憍慢」ぶりは、何1つ変わっていなかった、といえよう。
 それにしても、空恐ろしくなるのは、学会のカルト性が年々高まってきていることである。
 法華講員の折伏を、暴力によって阻止しようとする男子部に加え、今度は、なんと婦人部(しかも、白髪混じりの"指導部予備軍")までが、悪びれもせずに謀略活動の最前線に出てきている、という事実(記事参照)がそれを如実に物語っているではないか。
 しかし学会が、そのカルトの本領を発揮し、いかなる謀略を仕掛けてこようとも、御法主日如上人猊下の御教導のもと、着実な前進を開始した日蓮正宗を破壊することなど、絶対にできえない。

『聖教』紙上座談会に見るおぞましい本性(『慧妙』H17.7.1)
 『聖教新聞』の定番記事であり、創価学会の体質をよく現わしている記事といえば、他ならぬ秋谷・青木ら創価学会最高幹部が顔を連ねる紙上座談会(通称・悪口座談会)である。
 その座談会では、日蓮正宗はもちろんのこと、創価学会が敵対視する相手に対しても、徹底的に攻撃する。しかもそれは、すでに亡くなった人間に対しても、情け容赦なく、また事実を歪(ゆが)めてまで、これ以上ないというほどの悪口誹謗(ひぼう)を浴びせかけるという異常さである。
 そうした独善性、他に類を見ない徹底した排他性・謀略(ぼうりゃく)性こそ、創価学会の本質中の本質。今回はそれを検証する。(記事参照)

公益事業を新聞・怪文書で罵倒!(『慧妙』H17.4.1)
 平成15年度から行なわれてきた、総本山大石寺の三門前を通る国道469号線の付け替え工事が完了し、3月25日、御法主日顕上人猊下をはじめとする宗門関係者ならびに、富士宮市長、県・市議会議員、地元代表者、工事関係者など200余名が参列して、国道付け替え部分ならびに潤井川(うるいがわ)に新たに架(か)けられた龍門橋(りゅうもんはし)の開通式が行なわれた。
 ところが、大石寺への憎悪(ぞうお)に燃えて、物事の分別すらつかなくなった創価学会では、この工事に対し、『聖教新聞』の誹謗中傷座談会や『創価新報』、怪文書『石山だより』などを用いて、口汚なく罵詈讒謗(めりざんぼう)してきた。(記事参照)

無法学会員らが法華講員宅で暴行傷害(『慧妙』H17.3.16)
去る3月6日、富士宮市に住む法華講員宅に3人で押し掛けた学会男子部幹部(遠藤進也=<区>主任部長)が、玄関先で怒鳴る、威(おど)す、居座るの嫌がらせの果てに、法華講員に頭突きを一閃(いっせん)。110番通報で駆けつけた警察官に手錠をかけられ、傷害の容疑で現行犯逮捕されたのだ。この学会員、じつは以前にも大石寺の唱題行に潜入した経歴を持つ、学会謀略部隊の一員だった!(記事参照)

暴力、そしてセクハラ(『慧妙』H17.1.1)
 平成15年2月のある日、富山県本徳寺支部の岡元講頭が、婦人講員と共に学会員宅に折伏に出かけた時のことである。
 相手の学会員は、面識のある壮年部のN。岡元講頭が資料を渡そうとすると、それまで普通に会話していたNは、突然怒り出し、足蹴りを掛けてきた。
 講頭達は、Nの異常な変貌に戸惑いつつ、まともに話ができる状態ではないと判断し、引き上げることにして自家用車に乗ろうとした。するとNは、木片を持って、いきなり講頭の後ろから殴(なぐ)り掛かってきたのである。この時、講頭は頭に一撃を受けてしまった。(記事参照)

ソフト化しても続く「仏敵たたき」なぜ(『AERA』H16.12.13)
 公明党が政権与党として権力を握り、立場は大きく変わった。"外敵"も減ったはずなのに、巨大教団はなお牙をむく。(中略)『聖教新聞』の名物コーナーに、学会幹部らによる座談会記事がある。"敵"のスキャンダルをあげつらったり、罵詈雑言を浴びせたり、刺激的な内容になることが多い。
 70年の「政教分離」宣言のとき、池田氏は、《社会に信頼され、親しまれる学会》とのモットーを掲げ、こう戒めている。「批判に対してあまりにも神経過敏すぎた体質があり、それが寛容さを欠き、社会と断絶をつくってしまったことを認めなければならない。今後は2度と同じ轍を踏んではならないと猛省したい」
 当時、池田氏が指摘した「体質」は転換できたのだろうか。(記事参照)

"ワラ人形に5寸釘"を彷彿「悪人撲滅御祈念」のおぞましさ(『フォーラム21』H15.8.15)
―呪詛と怨念―創価学会の深層―
 「この間、家内が訪問した老人宅の仏壇に、あなたの名前が飾ってあったのを見てビックリしたという。家内の話を聞いて、およその検討はついたが、あの宗教団体はそんなことまでやっているのか?」
 「『御祈念池田先生、奥様の御健康と御長寿』と印刷された用紙の他、また別なB5版ほどの紙には、あなたなど数人の名前が印刷されていた。その紙にはさらに『悪人撲滅祈念』と書かれていた」(記事参照)

同時テロ犠牲者追悼法要の妨害企んだ学会(『慧妙』H15.8.1)
―反社会的カルト(狂信)教団の本性を露呈!!―
 7月中旬、御法主日顕上人猊下は、アメリカ・ニューヨークに御親修され、日本時間の7月16日午前2時40分(現地時間で7月15日午後1時40分)より、世界貿易センタービル跡地(「グラウンド・ゼロ」)で、同時多発テロ犠牲者の追悼法要を奉修された。
 これに対し、御法主日顕上人猊下の一挙手一投足に神経をとがらせ、日顕上人の御振舞いをことごとく妨害しようとする輩が、またも悪らつな妨害・謀略を仕掛けてきた。
 今般のニューヨーク御親修、なかんずくテロ犠牲者追悼法要を、失敗させようと仕組まれていた、薄汚ない謀略の数々を暴く。(記事参照)

元理事長まで批判する際限のない憎悪(『聖教新聞』H15.6.17/『慧妙』H15.7.1)
―息子憎けりゃ父まで憎い―!?
 「秋谷 原島の親父にしたって、戸田先生は絶対に信用されていなかった」(6月17日付)
 秋谷が「原島の親父」と罵(ののし)るのは、大作の会長就任時の学会理事(後に理事長)、公明党初代委員長の故・原島宏治氏である。氏は、元学会教学部長・原烏嵩氏(現・法華講員)の父であり、それ故に、悪口座談会のターゲットにされたものと思われる。息子憎けりゃ父まで憎い、というところか。
1.秋谷発言が虚偽であるならば、秋谷は悪質な嘘つきオヤジであり、学会幹部は存命中どれほど学会・大作に貢献したとしても、死後、どのような誹謗中傷に晒(さら)されるかわからない。
2.秋谷発言が真実であるならば、戸田会長から「絶対に信用されていなかった」人物から推戴されて、会長に就任したのが大作だということになり、彼奴の会長就任は、戸田氏の信任を得られない人事だったということになる。さらに大作は、戸田会長から「絶対に信用されていなかった」人物を、学会理事長や公明党初代委員長等の要(妖)職に据(す)えた、ということになり、これも戸田氏が首肯(しゅこう)しえない人事だろう。(記事参照)

告訴・提訴の推進宣言!(『聖教新聞』H15.4.21/『フォーラム21』H15.5.1)
佐藤(※総合青年部長):そんな卑劣なデマを流す連中は、絶対に許さない。テープやビデオで現場を押さえて、どんどん告訴、告発してやろうじゃないか! 正木:当たり前だ。当然のことだ。必ず告訴しよう!(記事参照)

機関紙上で批判者の不幸を「大笑い」(『聖教新聞』H15.3.31/『フォーラム21』H15.5.1)
原田(※副理事長):あいつ(※龍年光氏)も下劣な正体が発覚したうえに、今じゃあ病気で入院したそうだな(大笑い)(記事参照)

◆批判者を組織的に盗聴(『しんぶん赤旗』H15.5)
―被害者が告発―
携帯電話の通話記録盗み出しで有罪になった創価大グループの一員が、それ以外にも対立団体幹部らの通話記録を盗んでいたとして、被害者で元創価学会員の女性ら2人(佐藤さんとAさん)が14日、東京地検に告発しました。 告発状によると、嘉村元社員は昨年3月ごろ、東京・江東区のNTTドコモ情報システム部の料金明細システムを不正に操作して佐藤さんらの携帯電話三台の通話日時・時間、通話先などのデータを入手。これが電気通信事業法違反(通信の秘密侵害)と窃盗に当たる、としています。 佐藤さんは日蓮正宗の信徒団体で創価学会批判をしている妙観講の副講頭。Aさんは学会外郭組織の幹部職員の夫と離婚後、いやがらせを受けています。(記事参照)

◆批判記事が出た直後、嫌がらせの電話(『週刊新潮』H15.4.3)
兵本氏はもうウンザリといった様子で、あきれて言う。「週刊新潮に載ったコメントは、僕が常々言っていること。『創価新報』は僕に取材もしていない。まったくけしからん連中だ。連中にとって僕は共産党批判のための格好の材料。その僕に学会批判をされたら立場がないんだよ。事実、新潮の記事が出た直後、嫌がらせの電話が何本もきたくらい。公明党や共産党のような目糞鼻糞とはもう関わりたくない」(記事参照)

◆邪悪への怒(いか)りが日蓮仏法?(『大白法』H15.3.16)
「御書『責めても猶(なお)あまりあり、禁(いまし)めても亦(また)たらず』邪悪への怒(いか)りが日蓮仏法」(『聖教新聞』H15.2.3「寸鉄」)大聖人がはっきりと「謗法破折」についておっしゃっている御文を引きながら、それをわざわざ曲解して「邪悪への怒り」を燃やせと煽る寸鉄子。池田大作に振り回されて「大聖人直結」とか「御書根本」を言い出すと、こんなふうに"脳乱"するという現証を見る思いである。以前にも「仏敵・日顕を、断じて倒すその日まで、日顕宗へ阿修羅のごとき怒りをもって、徹底した執念の戦い、攻めの戦いを敢然と展開していこう」(大場副会長・第42回本部幹部会『聖教新聞』H12.1.30)という指導が堂々と「平和と人権の団体(?)」の機関紙に載っていました。(記事参照)

◆反共ビラ批判したら無言電話(『しんぶん赤旗』H15.3.13)
公明党の反共ビラに反撃する日本共産党のビラに談話を寄せた。そのビラが配られたあと無言電話がかかってきました。「夜9時すぎに立て続けに4回です。4回目に私が『卑怯者、名を名乗れ』というと、男性の声で『首を洗って待ってろ』」(記事参照)

◆「入国拒否」の裏に学会の黒い謀略(『慧妙』H15.2.16)
2002年、日蓮正宗御僧侶が、創価学会の謀略によってフィリピンの入国管理局からマークされ、8ヵ月もの間、ビザを取得できぬまま、海外で身動きが取れない状況におかれる、という、異常な事態が発生した。 日蓮正宗では、これまでも、アルゼンチン・ガーナ・韓国等の数ヵ国から、じつに不自然な形で御僧侶の入国を拒否される、という事態に直面してきた。もちろん、その背景には、常に創価学会の妨害工作が看取できたが、物的証拠が乏しいために、「学会の仕業(しわざ)」と断言することを控えてきたのである。 しかし今般、ついに創価学会が尻尾(しっぽ)を出した!フィリピン出入国管理局の公文書で、創価学会の無体な妨害工作が白日のもとに晒(さら)されたのである。(記事参照)

◆竹入・元委員長に次いで、矢野・元委員長を攻撃(『聖教新聞』H15.2.11/『フォーラム21』H15.3.1)
公明党の矢野元委員長が、以前、この戸田記念会館について、おかしなことを雑誌に書いた。」「本人は、その後、私が問い質したところ、『自分の本意でなかったのですが間違いです。申し訳ありませんでした』とお詫びしたが、……学会はいわれなき中傷を受けて大変な迷惑を受けた。」「あの雑誌の件は、よく覚えている。『名誉会長の自宅』などと書いていた。」「バカバカしい(笑い)。あんな話は誰も信用しないが、みんなが激怒した!」「私も直接、『会館と知っているくせに、とんでもない』と厳しく言ったんです。」「当時、彼は何を考えているんだか、何をやっているんだか、分からない。そういう声も多かったな。」「おっちょこちょいなんだ、彼は(笑い)。口が軽いし、マッチポンプなんだという声もあったな。それに、有名な明電工騒動があった。」「さっきも話に出たが、この一件については、西口さんが直接、会って問い質した。彼は『申し訳なかった』と深く陳謝した。明確に謝罪文も書いた。」(記事参照)

◆未だに竹入・元委員長を攻撃(青木副理事長『聖教新聞』H15.2.11/『フォーラム21』H15.3.1)
支持者のお陰、学会のお陰で偉くなったくせに、竹入みたいに、威張りくさってウソ八百を書いたり、金をもらったりして、学会に迷惑をかける。そんな連中は、公明党から叩き出してもらいたい

◆山崎氏を尾行・監視・盗撮(『フォーラム21』H15.1.15)
山崎正友元創価学会顧問弁護士が、創価学会の外郭出版杜である第三文明社、潮出版社を相手取り、両社の発行する「第三文明」「灯台」「潮」などの記事により名誉を毀損されたとして、損害賠償と全国紙への謝罪広告を求めている事件の第二回口頭弁論が、(※平成14年)12月24日午前10時から横浜地裁小田原支部で行われ、原告、被告双方が準備書面を陳述した。(中略)毎回、出廷する山崎氏には尾行や監視がつき、裁判所にはカメラマンが貼り付いており出廷する山崎氏の姿を盗撮しているという。 創価学会の発行する機関紙「創価新報」には、激しい山崎バッシング記事が掲載されているが、そこには横浜地裁小田原支部に出廷する山崎氏の姿を撮影した写真が掲載されている。

◆批判者に人権なし!?(『聖教新聞』H14.12.29/『フォーラム21』H15.1.15)
人権を傷つける者は人間と呼ばれる資格なし(記事参照)

◆敵対者の不幸は仏罰(荻田・東京青年部長『フォーラム21』H15.1.15)
この3年間で新潮は、現在の社長や相談役をはじめ常務2人が次々病死。当時、編集長だった松田宏も更迭。経営も悪化、部数も低迷。特に青年からはまったく見向きもされていない、本当に惨めなものであります。 世法以上に厳しいのが仏法の道理であります。特に地獄は坊主で一杯と言いますが、広布破壊の日顕宗こそ、その標本。中でも象徴的なのが、あの日顕の片腕とも軍師ともいわれた河辺慈篤であります。すでに死んだ人間のことをとやかくいうつもりはないが、御金言に照らしてこれだけは言っておきたい。 生死一大事血脈抄には臨終の際、誘法の者は地獄の獄卒が迎えに来るとある。これにぴったり符合したのが河辺の葬儀であります。 何しろ集まったのは日顕を筆頭に、地獄の獄卒ばかり。堕地獄は必定であります。C作戦の加担者が堕地獄なら、その首謀者日顕の臨終はどうなるのか。どこまで落ちるのか、どれほど悲惨か、予測不能。まずもって無間地獄は間違いなし。(記事参照)

◆裁判で偽証を強要「憎め」と指導(『週刊新潮』H14.12.5)
創価学会を除名になった信者夫妻(上井)が起こしている裁判で、「学会側から嘘の証言をするように迫られた」と内部告発する学会員(黒井)が現れた。 「原告に対する悪意の嘘をもって被告創価学会側の証人に仕立て上げようとされた」(黒井)「松村弁護士(副会長)は、嘘の話をして上井さんから私たちを完全に引き離し、(中略)自分たちの都合のいい証人に仕立て上げようとしたのでしょう」(同)「証人に対してはいつも1ヵ月間の特訓が尼崎文化会館の応接室で、『関係者以外立ち入り禁止』で行われていた」(同)「(松村弁護士は)『さん』付けなんてだめだ。『上井博巳』『滋子』と呼びなさい。憎しみをイメージして憎みなさい、などと言った」(同)(記事参照)(参考リンク)

◆僧侶K師を誹謗(『聖教新聞』H14.11.20/『週刊新潮』H18.3.16)
平成14年11月20日付『聖教新聞』に掲載された日蓮正宗の幹部僧侶K師(聖教新聞は実名)を誹謗する「忘恩の極悪坊主・Kの末路」「仏法を破る極悪非道の輩は必ず滅亡」と題する座談会記事である。「死相、とにかく悲惨」「陰湿、傲慢、異常なやつだった」「学会の大恩も忘れた畜生坊主」「下劣で女性狂いで、ケダモノじみた生活」……。ここには死者を悼む気持ちは微塵もみられない。いったいこうした発言のどこに宗教者の慈悲や、人権尊重の理念があるのだろうか。(記事参照)

◆公明党議員が脅迫(『フォーラム21』H14.11.15)
(※平成14年)10月29日朝7時頃から、私(※民主党・前田雄吉氏)は愛知県犬山市の名鉄楽田駅前で街頭演説を行っていました。(中略)ちょうど石井紘基代議士に対するテロについて言及し、言論の自由、政治活動を暴力で抑圧するようなことがあってはならないと話していた時でした。突然、「バカヤローッ」という怒鳴り声とともに、バイクに乗った若い男が突っ込んできたのです。とっさによけましたので事なきをえましたが、正直、ヒヤーッとしました。 バイクは街宣車にぶつかって止まりましたが、バイクから降りてきた男は、「殺したるがや」などと叫びながら私の方に飛びかかってくるや、民主党の幟をもっていた私の右手を捻りあげ、マイクや落ちた幟の柄で私の腹や胸を何度も突いてきました。(中略)事件の3週間ほど前にある会合で一緒になった公明党の県会議員さんから、「前田さん、あんた創価学会の青年部の評判悪いよ。標的になっている。乙骨なんかとつきあっているんだって。あんな悪人とつきあったらだめだ。創価学会に逆らって当選した議員はいないんだよ」との懇切丁寧な"ご忠告"を受けました。この発言が本当なら、私は創価学会青年部の攻撃対象にされているということなのかもしれません。

◆障害者を面罵(『フォーラム21』H14.11.15)
平成12年6月の総選挙で愛知六区から出馬した前田雄吉氏は、公明党現職で国対委員長などの要職を歴任した草川昭三氏を破って初当選を果たした。選挙期間中、前田氏は、街頭演説中に飲み差しの缶コーヒー投げつけられたり、選挙事務所に灯油をまかれたりした。さらには前田氏の身体に障害を持つ長女が創価学会の青年部員に取り囲まれ、「お前の父親は悪人だ」などと面罵、恫喝されるという卑劣な事件も起こっている。

◆命を狙う!?(伊藤『テーミス』H13.4)
故藤原弘達氏は言論弾圧事件のとき、護身用に大きめの文鎮をポケットに忍ばせていました。また一昨年故人になった内藤國夫氏からは「ホームの端に立ってはいけない。電車が入ってきたとき押されたらひとたまりもない。ホームの中央で待ち、電車が完全に止まってから歩き出すように」といわれたものです。

◆批判者の死を喜ぶ(佐高信『週刊金曜日』H12.6.16)
『週刊新潮』の3月30日号によれば、1969年に刊行され、言論出版妨害事件を惹き起こした『創価学会を斬る』(日新報道)の著者、藤原弘達が昨年春に亡くなった時、夜中じゅう、「おめでとうございます」という電話が続いた、と妻の充子さんが証言している。 「実は厭がらせは主人が死んでからも続いたんです。出版妨害事件の時は段ボール箱に3箱以上も投書が来ましたし、警察がうちの子どもに警備をつけなくてはならないほど脅迫が相次ぎました。彼らは本当に仏教を信じているんでしょうか……」充子さんはこうも語っている。

◆脅迫電話、無言電話など(北野弘久・日本大学教授『諸君!』H12.5)
彼らに自己の客観視を望むのは、土台無理な話であった。覚悟を決めた私が1994年2月に月刊誌『文藝春秋』で名前を出して創価学会批判を行うようになって以降、凄まじいほどのいやがらせが始まった。学会系刊行物での個人的な誹謗中傷はいうに及ばず、家の生ゴミがあさられ、私や家人も日がな尾行され、脅迫電話や無言電語、さらにはここに記すのも憚られるような罵詈雑言の記された手紙・ハガキが自宅、研究室を問わず送りつけられる・・・。尾行してきた車のナンバーや手紙などの送り主を調べると、必ず創価学会関係者にぶちあたった。

◆正本堂解体業者を脅迫(正本堂解体工事業者・吉田裕史『フォーラム21』H15.1.1)
平成10年の5月に現地事務所を立ち上げ、(※正本堂)解体工事にかかったその日の夜に、私の携帯電話に突然、「ええ死に方せんぞ。崇りがあるぞ。どういう建物を壊しているか分かっているんだろうな」という電話が入りました。 以後、1ヵ月くらい、毎晩、関西弁でメチャクチャ攻撃的な、それこそ恫喝とも脅しともとれるような電話や、ひたすら書かれた脅しの文章を読み上げるというような嫌がらせ電話が続きました。その中には危害を加えることを匂わすようなものもありましたので、毎晩、宿舎の布団の横に、護身用の棒などを置いて眠る日が続きました。 また、外部にはいっさい公表していない自宅の電話に、毎晩、きまって夜中の3時に嫌がらせ電話がかかるようになり、妻が一時、ノイローゼ状態になりました。
 私たちは仕事柄、抗議を受けることもありますが、今回のやり方は普通じゃない。本当に執拗で、組織的だと感じました。

◆法要妨害、僧侶へ暴行(小長井良浩『文藝春秋』H8.2)
池田氏の総講頭資格喪失直後の平成3年初め、まずは全国各地の寺院への法要妨害が起こりました。通常は、住職がお経も唱えたあとに説法をするわけですが、学会員がその話をさせまいと、「質問ッ、質問ッ!」と割り込んでくる。これは株主総会の総会屋の手口とまったく同じです。 また、法要に出ようとする学会員がいると、お寺の前で学会幹部がカメラやビデオを持って監視を行い、誰が出入りするのかチェックします。「池田先生を罷免した宗門側の説法を聞いてはいけない」「お寺には行ってはいけない」ということを学会員に周知徹底させるわけです。 平成3年4月には、法要妨害が僧侶らへの暴行事件にまで発展しました。 これらの法要妨害は、非常に綿密に計画が練られ、組織だって行われています。京都の亀岡市にある本感寺で起きた暴行事件では、学会が作成した法要妨害の予定表が現場に残されていました。それを見ると、何時何十分に誰々、その何十分後に誰々という”突撃時間”までが予め決められていました。(記事参照)

◆反逆者の罪科を血涙をもって・・・(池田大作『聖教新聞』H6.9.2/『大白法』H14.8.1)
2001年5月3日、広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい(中略)宗門の悪侶、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証としたい

◆呪い祈願(『慧妙』H5.10.16)
[画像]=これは学会が、日顕上人猊下の御親教を妨害しようとして、地元会員達に配布した"題目表"なのだそうだ。 上は9月19日・栃木県信行寺御親教の際、下は、9月26日・茨城県恵妙寺御親教の際に配布されたもの。(中略)岩の中に書き込まれた文字を見れば、「発病」「落雷」「竜巻」「落石」「暴風雨」・・・、1項目につき20分間、一心不乱に念じて唱題し、念じ終わったら、黒く塗り潰すというのだから"丑の刻参り"・"呪いのワラ人形"の世界さながらのおどろおどろしさではないか。

◆トンカチでぶっ叩いてね(H4.12.13全国青年部幹部会)
あのー、まぁ日顕(※日蓮正宗管長・阿部日顕上人)なんか、その(※イヤな奴の)代表だっていうんだ。ほんな、針金(はりがね)でゆわえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね。

◆敵対者への憎悪かきたてて喜ぶ「友好祭」(『慧妙』H15.7.1)
ご記憶の読者もあろうが、平成3年9月に行なわれた創価学会の「家族友好祭」の映像である。「友好祭」とは名ばかりで、日顕上人や御僧侶に仮装した人々を罵(ののし)り、石まで投げる、怨念(おんねん)のデモンストレーション。それだけでなく、階段に日顕上人や御僧侶の似顔絵を貼(は)り、訪れる者が皆、それを踏まねばならぬようにしている個人拠点や、日顕上人に見立てた僧形の絵を、ダーツの的にしていた学会幹部の家を、ご記憶の方も多かろう。([画像]

◆憎悪の信心(『創価学会の光と影』)
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/sokagakkai_no_hikari_to_kage/29-30.html

◆自殺するまで追い詰めろ!(池田大作『創価学会池田王国の崩壊』/『創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す』)
脱会した者が自殺するまで追い詰めろ(池田発言/福井県・田賀一成氏証言)






反復する宗門誹謗の目的

―洗脳目的で繰り返される誹謗―
―ここに問題の歴史的検証を開始―

(『慧妙』H20.1.16)

 日蓮正宗が、池田大作率(ひき)いる創価学会を破門してから、17年目を迎えた。
 俗に十年ひと昔というが、17年という歳月は、人々の記憶を薄れさせ、関心を失わせるのに十分すぎるほどの時間である。しかし、この創価学会という団体は違うのだ。
 平成3年に宗門に対し牙を剥(む)いてからというもの、「よくもこんなに誹謗(ひぼう)中傷の言葉を思いつくものだ」と感心させられるほど、宗門への悪口雑言のオンパレードが続く。しかも、それは1回限りで終わらず、一定の期間が経(た)って、皆の記憶が薄らいでくる頃になると、まったく同じ内容の悪口誹謗が、焼き直したかのように繰り返されるのである。
 そして創価学会員と対論をしてみると、未(いま)だに、正本堂を壊しただの、桜の木を切っただの、C作戦だのと、まるで昨日の出来事のように喚(わめ)き立ててくる。学会の中だけ時間が止まっているのか、と疑いたくなるほどだ。
 そこで改めて洗脳の深さを知り、その恐ろしさに慄然(りつぜん)とする。

 この創価のヘビーローテーション(※音楽用語で、放送局が、自局が推薦する楽曲を何度も繰り返して放送すること)式洗脳法には、2つの狙いがあると思われる。
 1つは、常に攻撃対象を定めることにより、会員を扇動(せんどう)し、それを活動や集金の原動力とする。これは創価の組織維持の命脈といってもいい。
 昭和30年代には「西の天理教、東の佼成会」を攻撃目標に掲げて会員を鼓舞(こぶ)し、強引な折伏活動で社会問題にまでなった。その後、公明党の政界進出に伴(ともな)い、共産党、自民党を標的にし、現在は民主党を仏敵′トばわりしている。
 そして、破門後の学会が、一貫して激しく憎悪し、攻撃している対象が日蓮正宗宗門と御法主上人である。創価は全精力を傾注して宗門攻撃をし、会員に対し「宗門は悪」を徹底的に宣伝し、組織の引き締めと扇動に利用しているのである。
 もう1つの狙いは、世代交代による意識の低下を防ぐことである。
 現在、成人を過ぎた第一線の青年部も、平成3年当時はほとんど幼稚園児である。彼らは、この平成3年に表面化した学会問題については、忘却というより、もともと全く知らない出来事なのである。
 にもかかわらず、彼らは、口を開けば「創価学会をC作戦によって破門した。正本堂を壊した」と言う。総本山に登山して御開扉を受けたこともないような年齢の青年がである。
 学会はこうした青年層を洗脳するために、連日『聖教』や『新報』紙上で宗門に対する誹謗中傷を、飽きることなく、繰り返し繰り返し宣伝し続けてきたのである。
 こうした情報を恒常的に与えられた青年達は、「宗門は悪、学会は善」と植え付けられ、知らず知らずのうちに正法誹謗マシーンと化す。このような、いわば第2世代の青年部員が、これからも増殖し続け、組織の中核を担(にな)うのである。

 現在、創価の宗門誹謗はますますエスカレートしている。先の2つの目的を果たし、さらに次の世代の洗脳を目論んでいるのだろう。しかし実際は、毎回の会合で宗門の悪口ばかりを聞かされ、辟易(へきえき)している会員も少なくない。また、創価学会の信心では功徳などあるはずがないから、歓喜に満ちた体験発表なども皆無で、会員の活動力は低下している。
 我ら日蓮正宗僧俗には、このような大謗法の学会員を1人でも多く救済していく使命がある。そのためには、こちらもヘビーローテーション式に邪義の破折をしていく以外にない。
 それは、まず、第2世代の創価青年部員に対する破折のためである。また、法華講員にも平成の学会問題を知らない世代が多くなっている。この、次世代を担う青年達のためにも、これまでの学会問題を明らかにしていくことが大切である。これによって、日蓮正宗と創価の邪義とを対比させ、いかに日蓮正宗の仏法が正しいかを立証することができるからである。

以上のような趣旨によって、次回より、平成3年に表面化した創価学会問題と、その遠因としての正本堂建立、また52年路線などについても、順を追って簡潔に破折を加えていくことにする。(以下次号)





邪悪への怒りが日蓮仏法!?


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御書「責めても猶(なお)あまりあり、禁(いまし)めても亦(また)たらず」邪悪への怒(いか)りが日蓮仏法(『聖教新聞』H15.2.3「寸鉄」)
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 「責めても猶(なお)あまりあり・・・」これは『聖愚問答抄』の一文で、今、末法は濁世であり、権教や謗法ばかりが多いので正法は弘まりがたい。この時には、「只(ただ)折伏を行じて、力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよ」(御書403頁)と仰せられて、謗法を責めぬく折伏行の大事を御指南されたものである。
 そして、続く御文には浄土、真言、禅、律の順に各宗がいかに法華経を下しているかを列挙され、それらの謗法を責めるべきことを厳しい調子で指南せられたのが「寸鉄」に引く文である。
 それが、池田大作らの狂った頭で読めば「邪悪への怒り」を燃やすことが大事であり、それが「日蓮仏法」であるという文証になるらしい。大聖人がはっきりと「謗法破折」についておっしゃっている御文を引きながら、それをわざわざ曲解して「邪悪への怒り」を燃やせと煽る寸鉄子。池田大作に振り回されて「大聖人直結」とか「御書根本」を言い出すと、こんなふうに"脳乱"するという現証を見る思いである。「邪悪への怒り」を焚(た)きつけられたり、「阿修羅のごとき怒り」をもって攻めていこうと煽られるなど、創価学会員はしょっちゅう、怒っていなければならないようである。(『大白法』H15.3.16編集)


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(※『大白法』の)「破邪鉄槌」と題する教学コラムが、これまた情けないかぎり。内容は「邪悪への怒りが日蓮仏法」という聖教新聞の記事中の一節について「たとえ『邪悪』に対するも、慈悲をもって教化善導することが大事」「いつも怒ってばかりいれば、相手も聞く耳を持つことはないであろう」とするもの。いったい、どの教師がこんな幼稚なエセ道徳をぶっているのか。「法を壊る者を見て呵責し駈遣し挙処せずんば云々」「大悪口大瞋恚を生じて大願を成就し賢子をまうけ給いぬ、当に知るべし瞋恚は善悪に通ずる者なり」といった御文を拝したこともないのか。煩悩即菩提の法理も知らないのか。コラム子の発想は、折伏逆化を旨とする本宗僧侶のものではなく、律国賊的、小乗的な慈悲魔のそれに他ならない。ただし、怒り狂って「バカ小僧」「バカ犬」などと他人を罵倒する「ジジイ」(大坊所化が御前さんにつけたあだ名)の「邪悪な怒り」を暗に糾弾しているのなら、話はわかる。(『石山だより』H15.3.19/旧sf:3541)
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<仏・菩薩・諸天善神の瞋恚>
常のごときんば氏神に向いて大瞋恚を生ぜん者は今生には身をほろぼし後世には悪道に堕つべし然りと雖も尼倶律陀長者・氏神に向て大悪口大瞋恚を生じて大願を成就し賢子をまうけ給いぬ、当に知るべし瞋恚は善悪に通ずる者なり。 今日蓮は去ぬる建長五年〔癸丑〕四月二十八日より今年弘安三年〔太歳庚辰〕十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり、此れ即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり此れ又時の当らざるにあらず已に仏記の五五百歳に当れり、天台・伝教の御時は時いまだ来らざりしかども一分の機ある故に少分流布せり、何に況や今は已に時いたりぬ設とひ機なくして水火をなすともいかでか弘通せざらむ、只不軽のごとく大難には値うとも流布せん事疑なかるべきに真言・禅・念仏者等の讒奏に依りて無智の国主等・留難をなす此を対治すべき氏神・八幡大菩薩・彼等の大科を治せざるゆへに日蓮の氏神を諌暁するは道理に背くべしや、尼倶律陀長者が樹神をいさむるに・異ならず、(『諌暁八幡抄』全集584頁)
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ここでいう「瞋恚」とは、大聖人が八幡大菩薩を諌暁されたことを指すのであって、折伏における瞋恚を肯定されたものではない。

●而るに当世の高僧等謗法の者と同意の者なり復た自宗の玄底を知らざる者なり、定めて勅宣御教書を給いて此の凶悪を祈請するか、仏神弥よ瞋恚を作し国土を破壊せん事疑い無き者なり。(『安国論御勘由来』全集35頁)

●念仏宗と禅宗等とを御帰依有るが故に日本守護の諸大善神瞋恚を作して起す所の災なり(『宿屋入道への御状』全集169頁)

★「瞋恚は善悪に通ずる」(『諌暁八幡抄』)とはいっても、上記の瞋恚は、仏菩薩が神を呵責したり、諸天善神が法の道理に従って災いを起こすことを述べたものである。決して折伏する相手(当然、謗法の徒輩であり、正法に批判的)に対する心持が瞋恚であってよい、ということではない。また、学会のような「慈悲のない憎悪の瞋恚」など、御書のどこにも御指南はない。

原田(※副理事長) あいつ(※龍年光氏)も下劣な正体が発覚したうえに、今じゃあ病気で入院したそうだな(大笑い)(『聖教新聞』H15.4.21/『フォーラム21』H15.5.1)
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批判者が病気になったことを「大笑い」している。学会は「瞋恚は善悪に通ずる者なり」といって批判者攻撃を正当化しているが、他人の不幸を機関紙で「大笑い」する感性は、誰が考えても異常である。すなわち学会のいう批判者への「瞋恚」は「悪」のそれである。


●涅槃経に云く(中略)我れ往昔を念うに閻浮提に於て大国の王と作れり名を仙予と曰いき、大乗経典を愛念し敬重し其の心純善に麤悪嫉恡有ること無し、善男子我爾の時に於て心に大乗を重んず婆羅門の方等を誹謗するを聞き聞き已つて即時に其の命根を断ず、善男子是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず」と、又云く「如来昔国王と為りて菩薩の道を行ぜし時爾所の婆羅門の命を断絶す」と(『立正安国論』全集27頁)
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「命根を断ず」とありますが、学会は、経文どおりに実践すべきだと考えているのでしょうか?同じ『立正安国論』の別の箇所には「刀杖を持すと雖も命を断ずべからず」とあります。
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●刀杖を持すと雖も命を断ずべからず(『立正安国論』全集29頁)

●刀杖等に於ては仏法守護の為に之を許す。(『日興遺誡置文』全集1618頁)

★経文や御指南を拝するには、文・義・意の各段階があります。法華経の文でさえ、末法今時に適った解釈をする場合には、文字通りに受け取ることはできないのです。まして「命根を断ず」の文は、涅槃経の指南です。涅槃経は、五時に約せば「法華・涅槃」といって実大乗の法華経と同じですが、純円一実の教ではなく、方便を帯する教えです。その解釈は、御書全編を拝した上から、全体観に立って矛盾なく行われるべきです。しかし、それは相伝のない者には至難の技であり、結局我々は、唯授一人の血脈相伝に基づいた御指南に従うべきです。

●又本門に於て序正流通有り過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品涅槃経等の一代五十余年の諸経・十方三世諸仏の微塵の経経は皆寿量の序分なり一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く(『観心本尊抄』全集249頁)

●仏滅後に迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法経文の面に現前なり(『撰時抄』全集272頁)

●問う、夫れ正像未弘の大法、末法流布の正体、本門の三大秘法とは一代諸経の中には但法華経、法華経の中には但本門寿量品、寿量品の中には但文底秘沈の大法なり、宗祖何んぞ最大深秘の大法経文の面に顕然なりと言たもうや。答う、一代聖教は浅きより深きに至り、次第に之れを判ずれば実に所問の如し。若し此の経の謂われを知って立ち還って之れを見る則んば爾前の諸経すら尚お本地の本法を詮せずと云うこと莫し、文底の義に依って今経の文を判ずるに三大秘法宛も日月の如し。故に経文の面に顕然なりと云うなり。問う、此の経の謂われを知るとは其の謂われ如何。答う、宗祖云わく(一代聖教大意)、此の経は相伝に非ざれば知り難し等云々。三重の秘伝云云。(第26世日寛上人『依義判文抄』/『富士宗学要集』第3巻104頁〜)
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「若し此の経の謂われを知って立ち還って之れを見る則んば」「文底の義に依って今経の文を判ずる」とは依義判文です。この場合は「最大深秘の大法経文の面に顕然」となります。しかして、「此の経の謂われを知るとは其の謂われ如何。答う、宗祖云わく(一代聖教大意)、此の経は相伝に非ざれば知り難し等云々。」とあるように「此の経の謂われ」は相伝によって知ることができるのです。つまり、文底仏法に基づく正しい依義判文は、相伝によって行われるということです。そして、その相伝とは何かといえば、「『塔中及び蓮・興・目』等云々。」(『撰時抄愚記』)とあるように唯授一人の血脈相承のことなのです。


<煩悩即菩提>
●御義口伝に云く此の文は煩悩即菩提生死即涅槃を説かれたり、法華の行者は貪欲は貪欲のまま瞋恚は瞋恚のまま愚癡は愚癡のまま普賢菩薩の行法なりと心得可きなり云云。(『御義口伝』全集785頁)

●浄き水なれども濁りぬれば月やどる事なし、糞水なれども・すめば影を惜み給はず、濁水は清けれども月やどらず・糞水は・きたなけれども・すめば影を・をしまず、濁水は智者・学匠の持戒なるが法華経に背くが如し、糞水は愚人の無戒なるが貪欲ふかく瞋恚・強盛なれども法華経計りを無二無三に信じまいらせて有るが如し(『四条金吾許御文』全集1197頁)

●末代濁世の心の貪欲・瞋恚・愚癡のかしこさは・いかなる賢人・聖人も治めがたき事なり(『減劫御書』全集1465頁)
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人の不幸の原因は三毒にある。しかし、末法の衆生は三毒強盛であるから、戒律を設けても抑えられるものではない。御本尊の偉大な仏力法力と自身の信力行力によって、三毒を三徳と転じていけるのである。しかし、だからといって信心さえしておれば何をしてもよい、というのではない。仕事や生活全般においても同様であるが、信心を根本としつつ相応の努力によって願いは叶うものである。不幸の原因が三毒にあることを知りながら、欲望のおもむくままの生活をしていて境涯革命ができるはずもない。

煩悩即菩提だから瞋りの境地であってもよい、ということではない。努力しても三毒を解決できないのが謗法の徒輩である。我々は信心を根本に努力することによって三毒を三徳に転じていき、生活に実証を示していけるのである。信心しているからといって、努力する必要がない訳ではない。むしろ信心しているからこそ、他の人以上に努力して道理道徳を重んじ、実証を示していかなければならないはずである。それを組織が、敵対者への瞋恚を積極的に肯定するなど、もってのほかの邪義というべきある。


<柔和忍辱衣>
柔和忍辱衣とは、法華経の『法師品』などに説かれた「衣座室の三軌」の1つです。衣座室の三軌とは、釈尊が薬王菩薩に釈尊滅後に法華経を弘通するための三種の心得を説いたもので、弘経の三軌ともいいます。

若し人此の経を説かば 応に如来の室に入り 如来の衣を著 而も如来の座に坐して 衆に処して畏るる所無く 広く為に分別して説くべし 大慈悲を室と為し柔和忍辱を衣とし 諸法空を座と為す 此に処して為に法を説け(法華経『法師品第十』331頁)
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仏の滅後に法華経を説く者は、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に座して法を説くように示れています。このうち、如来の衣が「柔和忍辱の衣」のことです。

●今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり、衣とは柔和忍辱の衣・当著忍辱鎧是なり(『御義口伝』全集737頁)

●法華の行者は罵詈せらるれども忍辱を行ずるは瞋恚の病を除くなり(『御義口伝』全集755頁)
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学会は批判者に対する「瞋恚」は善であると主張しているが、大聖人は批判者に「罵詈」されても「忍辱を行ずる」べきであると仰せである。

●例せば身子は阿羅漢なれども瞋恚のけしきあり、畢陵は見思を断ぜしかども慢心の形みゆ、難陀は婬欲を断じても女人に交る心あり、煩悩を断じたれども余残あり何に況や凡夫にをいてをや、されば釈迦如来の御名をば能忍と名けて此の土に入り給うに一切衆生の誹謗をとがめずよく忍び給ふ故なり(『善無畏三蔵抄』全集885頁)

●又法華経を説く人は、柔和忍辱衣と申して必ず衣あるべし(『御衣並単衣御書』御書908、全集971頁)
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法華経を説く人とは仏の教えを素直に実践している人ですから、必ず柔和忍辱の衣を着ています。この衣は如来の衣ですから、どんな衣服よりも最高の衣です。したがって、日蓮大聖人の仏法を素直に信じ、実践する人は、たとえ実際には衣は着ていなくても、あたかも立派な衣服を身につけているように、功徳に満ち溢れ、人間的に魅力ある輝いている人であるということなのです。


<慈悲の折伏>
●慈無くして詐わり親しむは是れ彼の人の怨なり能く糾治する者は即ち是れ彼が親なり(『大田殿許御書』全集1003頁)

●彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり(『呵責謗法滅罪抄』全集1130頁)

●不軽礼拝の行は皆当作仏と教ふる故に慈悲なり。既に杖木瓦石を以て打擲すれ共、而強毒之するは慈悲より起これり(『御義口伝』御書1782、全集769頁)

●日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ。(『種種御振舞御書』全集917頁)
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大聖人は、御自身に対して迫害を加えた者達に対し「仏にならん第一のかたうど」とまで仰せになっている。そこには慈悲どころか感謝の念さえ感じられる。このような大聖人が、慈悲の無い瞋恚の心をもって謗法者に対峙するはずがない。


<法論の姿勢>
1●和らかに又強く両眼を細めに見・顔貌に色を調へて閑に言上すべし。(『教行証御書』全集1280頁)
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私達が折伏の時に相手を厳しく糾弾するのは、あくまでも道理を示し、相手を救わんがための慈悲の「剣」である。それを深く自覚し、口汚く争論することは厳につつしみ、礼儀正しく折伏すべきである。

2●公場にして理運の法門申し候へばとて雑言・強言・自讃気なる体・人目に見すべからず浅ましき事なるべし、弥身口意を調え謹んで主人に向うべし主人に向うべし。(『教行証御書』全集1283頁)

●日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず、彼れ彼れの経経と法華経と勝劣・浅深・成仏・不成仏を判ぜん時・爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず何に況や其の以下の等覚の菩薩をや、まして権宗の者どもをや、法華経と申す大梵王の位にて民とも下し鬼畜なんどと下しても其の過有らんやと意を得て宗論すべし。(『教行証御書』全集1282頁)
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「勝劣・浅深・成仏・不成仏を判ぜん時」とあるように、あくまでも文証を示し道理に基いて理性的に行うのが折伏である。上記1、2と同じ御書であることからも「法華経と申す大梵王の位にて民とも下し鬼畜なんどと下して」とは、折伏する者の心持を示したものであり、決して相手を「鬼畜」と詈ることを良しとしたものでないことは、明らかである。仮に実際に相手を「民とも下し鬼畜なんどと下」すことが許されるとしても、それは「法華経と申す大梵王の位」という前提があってのことであり、あくまでも持つ法門の位に由来するものである。

●法華経を信じ参らせて仏道を願ひ候はむ者の争か法門の時・悪行を企て悪口を宗とし候べき(『頼基陳状』1157頁)
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この御文は、実際に四条金吾らが行った邪宗の僧を相手の宗論についての御指南です。このことからも、対論している最中に、悪口を言ってはならないことが明らかです。

★瞋恚は折伏の相手に対するものではない。
★煩悩即菩提は、煩悩を断じる必要がない、特定の戒律を持つ必要がないということであって、瞋恚などの三毒を是とするものではない。信心している者は、信心していない者以上に礼節を重んじなければならないのは当然である。正しい信心を根本として、自身の性格的短所や悪しき生活態度を改善しようという自覚と努力が、境涯を変革し、やがて三毒は三徳と転じていくものである。



<憎悪に満ちた学会の瞋恚>
◆「退転者=恩知らず」の不幸を笑う「人権の団体」(『聖教新聞』H15.4.21/『フォーラム21』H15.5.1)
「『恩』を知らない議員は必ず堕落」(タイトル)佐藤(総合青年部長) それに女性問題にかけては、大橋のやつにも引けをとらない元都議の竜だ(笑い)。 原田 あいつも下劣な正体が発覚したうえに、今じゃあ病気で入院したそうだな(大笑い)

◆法照寺放火未遂事件(『慧妙』H12.5.1)
・8月17日、横須賀市内に住む学会員K(※記事は実名)が、白昼堂々、法照寺の玄関先まで乗り込み、法照寺のロビーにガソリンを撒き散らしたところを、法照寺住職夫人に発見され、その知らせで飛び出した同寺事務長に取り押さえられた
・Kはこのとき、ズボンのポケットに放火用のライターと紙を忍ばせ、さらに自家用車のカバンの中には長さ30センチの刺身包丁を用意。(中略)110番通報で駆けつけてきた横須賀署員に引き渡されても、なお「(中略)オレ、栄純(尊師)を殺すつもりで来たんだからさ、何回でもやるよ。何回でも殺すよ(中略)」などと嘯(うそぶ)く始末。
・横須賀署に連行された当時、反抗に及んだ動機についてKは「宗門がこんなに悪いのに『聖教新聞』に悪いということが書かれているのに、誰も何もやらない。何故やらないんだ。オレがやるしかない(中略)」と語ったという。
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犯人が犯行を思い立ったのは、『聖教新聞』『創価新報』などによる、学会の執拗かつ悪質な宗門攻撃に感化されたためだったのである。

◆呪い祈願(『慧妙』H5.10.16)
[画像]=これは学会が、日顕上人猊下の御親教を妨害しようとして、地元会員達に配布した"題目表"なのだそうだ。 上は9月19日・栃木県信行寺御親教の際、下は、9月26日・茨城県恵妙寺御親教の際に配布されたもの。(中略)岩の中に書き込まれた文字を見れば、「発病」「落雷」「竜巻」「落石」「暴風雨」・・・、1項目につき20分間、一心不乱に念じて唱題し、念じ終わったら、黒く塗り潰すというのだから"丑の刻参り"・"呪いのワラ人形"の世界さながらのおどろおどろしさではないか。
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誤り狂った心をもってお題目を唱えるならば、かえって悪果を生むのです。私が北海道の親教に行った時、創価学会員が「日顕が北海道に来るから、その飛行機が落ちるように」と祈って、一生懸命にお題目を唱えていたと聞いたことがあります。本当とすればなんと浅はかな心でありましょう。したがって、そういう曲がった祈りによって落ちるようなことはないのです。ここに来る時も、この近所の学会員が雨が降るように祈っていたかも知れませんが、今日は良い天気です。とにかく、あのような者達は根本の信心の在り方が狂っていますから、その祈りが叶うことはないのです。しかもまた北海道のある場所では、その地域住民のほとんどが学会員で、そこの人達は、私が乗る飛行機が落ちるように一生懸命に祈っていたのだそうです。しかるにそこの所が先日、猛烈な大津波で大きな害を被りました。ですから、根本が間違っているような祈りは、かえって我が身に罪障となってはっきり現れてくるのであり、結局、いくら祈っても叶わないのです。(第67世日顕上人『大日蓮』H15.8)

◆トンカチでぶっ叩いてね(池田大作H4.12.13全国青年部幹部会)
あのー、まぁ日顕(※日蓮正宗管長・阿部日顕上人)なんか、その(※イヤな奴の)代表だっていうんだ。ほんな、針金(はりがね)でゆわえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね。

◆憎悪の信心(『創価学会の光と影』)
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/sokagakkai_no_hikari_to_kage/29-30.html

「(批判者を)針金(はりがね)でゆわえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いて」と指導する者が、正統仏法の指導者であるはずがない。また、組織的に「呪いの祈り」を実行するとは、カルト教団というに相応しい。このような、批判者への瞋恚をかきたてる指導の結果、多くの学会員が組織のために批判者攻撃の犯罪を犯している(資料参照)。学会幹部の「批判者への瞋恚をかきたてる指導」は、犯罪教唆と言っても過言ではあるまい。このような指導・実態が、大聖人の仏法の対極にあることは言うまでもない。


<似て非なる大聖人と池田大作>
1●当に知るべし是よりも大事なる事の一閻浮提の内に出現すべきなりと勘えて立正安国論を造りて最明寺入道殿に奉る、彼の状に云く<取詮>此の大瑞は他国より此の国をほろぼすべき先兆なり、禅宗・念仏宗等が法華経を失う故なり、彼の法師原が頚をきりて鎌倉ゆゐの浜にすてずば国正に亡ぶべし等云云、(『法蓮抄』全集1053頁)
2◆あのー、まぁ日顕(※日蓮正宗管長・阿部日顕上人)なんか、その(※イヤな奴の)代表だっていうんだ。ほんな、針金(はりがね)でゆわえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね。(池田大作921213全国青年部幹部会)
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1●は、時の権力者・最明寺入道殿に宛てて書かれたものであり、背景には、最明寺入道が「彼の法師原」即ち「禅宗・念仏宗等」の僧を庇護していることがある。当然、正法に目覚めていない最明寺が、大聖人の仰せを守り「彼の法師原が頚をきりて鎌倉ゆゐの浜にすて」るはずもない。そのことを充分承知の上で、不幸の原因と謗法の恐ろしさを知らしめるために、敢えて過激な表現をされたものであろう。それに対して2◆は、信心している者に対する言であり、しかも自分(達)が批判者を「針金(はりがね)でゆわえて、あの頭、トンカチでぶっ叩」くことを放言しているのである。そこには折伏精神などない。あるのは批判者に対する「憎悪」「軽蔑」と、批判者の悪口を言って楽しむ「ふざけの心」のみである。





「師」の仇(あだ)を討つのが「直弟子」!?

―その「師」の本性は"権力の亡者"
―仏法から乖離(かいり)した「師弟」観―

(『慧妙』H18.5.16)

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惰弱(だじゃく)な弟子は、やがて消え去り、真の弟子のみが、師匠の「一体不二の分身」として鍛(きた)え上げられる。そして、残った直弟子が、命を賭(と)して師の仇(かたき)を討(う)つのだ。歴史に照らして、この「師弟の闘争」こそ、大哲学、大思想を永遠ならしめていく重要な方程式なのである(第59回本部幹部会における池田大作の青年へのスピーチ『創価新報』H18.5.3)
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 そもそも創価学会では、会員のすべてが池田大作の弟子であるとされるが、特に、青年部には池田大作との師弟関係を徹底して叩(たた)き込み、洗脳が行なわれている。
 ゆえに彼らは、池田大作の悪口を言うと烈火の如(ごと)く怒り出す。これが真の弟子だ、と思い込まされているからである。
 さて、前述の池田大作のスピーチだが、まるで江戸時代の仇討(あだう)ちを思わせる、強烈な怨念(おんねん)が顕(あら)わになっている。これが、世界平和や人権擁護(ようご)を標榜(ひょうぼう)する団体の、最高指導者の言葉かと思うと、あまりのギャップと執念深さに仰天(ぎょうてん)する。
 このスピーチを聞いた弟子どもは、またまた頭に血が上り、「センセーを批判したヤツらに、命がけで仇を討ってやろう」と思うのだろう。
 だが、しかし、このような「師の仇を討つ」という発想は、仏法の教えの中には、どこにも見られない。ある、というのなら、日蓮大聖人の御金言の中から、1箇処でもよいから出してもらいたい。
 大聖人の教えは、どこまでも衆生を救っていく慈悲行にある。また、そのために、あらゆる難を忍ぶべきことを教えられている。
 にもかかわらず、師を批判した者に命がけで仇討ちをしろ、などという考えの中には、慈悲のかけらもない。これは、仏法の名を借りた魔仏の指導である。
 さらに、「真の弟子のみが師匠の『一体不二の分身』として鍛え上げられる」というのも、『御義口伝』等における大聖人の御指南を巧みに利用し、池田自らが師匠=仏であるかのごときイメージを与えている。
 自分と仏とをダブらせることにより、「師弟論」の教育効果を期待しているのであろうが、仏様の目から見れば、慢心のほかない。
 要するに池田は、池田の言う事をそのまま聞き、池田のために命がけで行動できる者こそ、真の弟子(分身)である、と言いたいのである。
 さらに1面の左側には、池田が参加者と握手をしている写真を掲載し、その説明に「まさに仏を敬(うやま)うがごとく励ましを送る池田名誉会長」と、いちいち大仰(おおぎょう)な説明を付しているが、どう見ても「仏を敬う」姿どころか、「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」にしか感じられない。また、これは池田の本心なのか、どうかも胡散(うさん)臭い。
 最近の池田スピーチでは、やけに会員を持ち上げる指導が目立つ。それだけ、組織の維持と組織拡大に陰りが見えてきたため、得意のお世辞を使うことにしたのだろうか。





池田大作怨念のフレーズ「宗教弾圧」

(『フォーラム21』H17.3.15)

【言論出版妨害事件を追及】
 「宗教弾圧」―政治家による創価学会批判に抗う創価学会の常套旬である。
 その使用例を創価学会の機関紙『聖教新聞』に見てみよう。例えば今年1月12日付『聖教新聞』に掲載された創価学会首脳らによる「栄光の学会創立75周年 座談会」。そこでは「宗教弾圧の政治屋は必ず滅ぶ」との見出しのもと、民社党の、元委員長だった塚本三郎氏について次のような悪罵を投げつけている。
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〈青木(理事長)〉中部といえば、昔は変な議員がのさばった。陰険、陰湿な宗教弾圧、人権侵害もあった。だが、中部の同志は勝った。
〈松尾(中部青年部長)〉愛知県選出の塚本三郎だ。昔の民社党の委員長までやった男だったが、最後は惨めな敗残の姿になった。今じゃ若い人は、塚本なんて全然、知らない(笑い)。
〈松原(中部長)〉塚本は昭和40年代に『公明党を折伏しよう』とかいう、ふざけた、デタラメな本を出した。以来、学会への狂気じみた弾圧、中傷を何十年も繰り返した。
〈青木〉塚本は立正佼成会だった。それで偉大な学会に嫉妬していたんだよ。
〈原田〉あいつは、そのデタラメ本を国会の衆院予算委員会にまで持ち込んで"証人喚問、証人喚問"と、狂ったように喚き散らしたんだ。
〈松原〉昭和45年2月28日のことだ。あの陰険な宗教弾圧!日本の憲政史上に残る暴挙だった。
〈松尾〉しかし、末路はあっけなかったな。悲惨だったな。
〈原田〉最後はアッと言う間に転げ落ちた(大笑い)……
〈松尾〉今じゃ、誰も塚本なんか相手にしない。寄りつく人間なんて、ほとんどいない。
〈松原〉もともと同僚や後輩からも「心の狭い男だ」と陰口を叩かれていた。有名な話だ。政治家を辞めたとたんに、皆から見捨てられたのも、当たり前だ。
〈藤野(中部婦人部長)〉本当に哀れ(笑い)。これが、権力に狂い、嫉妬に狂った「政治屋」の末路ね。
(『聖教新聞』H17.1.12)
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ではここで創価学会首脳が「日本の憲政史上に残る暴挙」と形容する「宗教弾圧」とはどのようなものだったのか。問題の昭和45年2月28日に行われた衆議院予算委員会での塚本氏の質問を国会の議事録から見てみよう。当時、国会では、前年暮れに発覚し、大社会問題となっていた創価学会・公明党による藤原弘達著『創価学会を斬る』などに対する言論出版妨害事件が大きな焦点となっていた。
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〈塚本委員〉私はただいまから、総選挙以来問題になってまいりました言論出版の自由妨害の真相につきまして、第2には過ぐる総選挙をはじめ、最近行われております民主主義政治の根幹であります選挙運動にまつわりまして、通常の選挙違反とは違っております異常なる妨害、悪質なる妨害が累積いたしております。これを第2にご質問申し上げてみたいと思っております。そして最後には、憲法第20条信教の自由と政教分離の問題につきまして、政府の見解をただしてみたいと存じております。
 いままで多く本委員会をはじめ本会議におきまして、この言論あるいは出版の自由妨害につきまして、論議が展開をされております。しかし、これらの多くの問題は、政党すなわち公明党という立場から議論が展開されておるようでございますが、しかし、深くこれを掘り下げてみますると、一連の宗教問題であると私は思っております。
 したがいまして私は、今回の言論妨害は創価学会に関する宗教問題であると思っております。それを公明党を対象にして論ずるところに、若干の食い違いがあると思うのであります。私は憲法第20条信教の自由は、また一方において政教分離の原則をも打ち立てているものと思います。よって世人が迷惑を受けあるいは不信に思っております言論妨害をはじめ、一連の諸問題につきましては、宗教の面に力点を置いて国民の疑いを晴らさんとするものでございます。(衆議院予算委員会での塚本氏の質問S45.2.28/国会議事録)
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ここで塚本氏が言及しているように、すでにこの問題は衆議院予算委員会はじめ各委員会で多くの議員が取り上げていた。例えば塚本質問前日の2月27日の予算委員会でも、共産党の不破哲三議員が言論出版妨害事件を取り上げ、厳しく創価学会・公明党の体質を批判している。
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〈塚本〉この問題は、いわゆるこの問題だけにとどまっておらないということも、すでに多くの委員が言っておるところでございます。創価学会員、潮出版社、公明党議員等が出版を妨害したとする行為は、著者藤原弘達氏及び出版社日新報道の、誘惑にも負けない、圧力にも屈しない勇気によりついに目的を果たせなかったが、このような行為は、明らかに憲法で保障された表現の自由を奪おうとするものと見なければなりません。藤原弘達氏の『創価学会を斬る』の出版問題は、公明党及び創価学会批判に加えられた圧力としては、氷山の一角とみなければならないでございましょう。
 出版界におきましては、菊とツルのタブーという言葉が言い伝わっております、菊とは皇室であり、ツルは創価学会をさしております。創価学会を批判してはならないという意味であります。内藤国夫著『公明党の素顔』、植村左内著『これが創価学会だ』、福島泰照著『創価学会・公明党の解明』、大戸惺著『宗教の本質』等の出版物に対する創価学会、潮出版社社員、公明党議員等の、社会の注目を引いている重大な出版妨害の事件について、人権侵犯事件処理規程に基づいて調査はいまだしておらないということは、きわめて遺憾なことでございまして、ひとり、いわゆる藤原弘達氏のごとき著名の人物だから問題になっただけで、いま申し上げた数々の、ここにありまするその著書等は、実はこの問題を契機にしてやっと日の目を見るようになったことが大部分ではございませんか。
 だからこのことは、実はいままでこのような事態が犯されておったということをはっきりと国民の前に明示していただきまして、これから、宗教団体である創価学会が国民の前にお詫びをしていただくのが本筋ではなかろうか。公明党という党の問題よりも、これはすべて創価学会という宗教に対する問題であります。
かつて評論家丸山邦男氏は、この問題を党の問題として扱うことは筋違いだということを言っております。もちろん、このことは一昨々日もお会いいたしました著者藤原弘達氏も言明いたしております。
 問題は宗教の問題で論じてきておるのにかかわらず、公明党の議員の皆さま方がとやかくなさること、そのこと自身が問題でなかろうかといわれております。信教の自由に基づきまする国家的な多くの保護を受けておりまする宗教団体が、こんな巨大な力で出版界に対する圧力を加えておりながら、そのことに対して、政党だけがぎゃあぎゃあ言っておるということ自身が、私は問題の問題たるゆえんでなかろうかと思っておりますが、いかがでしょうか。
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【塚本氏も言論妨害の被害者】
 本誌の平成15年7月1日号でも詳報したように、創価学会・公明党による言論出版妨害事件は、池田大作会長の指示に基づき、創価学会そして公明党が組織的に実行した基本的人権を侵す重大問題。塚本氏はその事件の本質を具体的事実に基づいて議論し、創価学会の体質を批判しているのである。だいたいこの問題の出発点は創価学会が卑劣な言論出版妨害事件を引き起こしたことに起因する。それを批判する議員を「宗教弾圧」と非難する創価学会の姿勢は、盗人猛々しいと言う以外ない。
 この後塚本氏は、1月12日付『聖教新聞』で誹謗中傷されている『公明党を折伏しよう』と題する自著を通じて体験した言論出版妨害の事実に基づき、創価学会・公明党の体質に言及する。以下、少々長くなるが、大変興味深い内容なのでその部分を見てみよう。
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〈塚本〉私自身の体験をひとつ聞いていただきましょう。これは御調査いただかなくてもすぐおわかりいただけることだと思います。
 お読みいただいた、あるいはごらんいただいたとは思いますが、『公明党を折伏しよう』、この私が印刷をいたしました。あえて出版だとは言いません。印刷をいたしましたこの書物に対して、昭和44年8月『公明党を折伏しよう』なる著書を出版しようとして印刷に付しました。この原稿を名古屋市の某印刷会社に手渡しました。もちろんその場合、ツルのタブーなるものを私はある程度承知しておりましたので、印刷会社の責任者に、創価学会員が従業員におりはしないか、ごく小数の人に活字を組ませるように等々、でき得る限りわずらわしい事態になることを避ける心組みで注意しておきました。私はことさらに問題を起こそうとは実は思わなかったからであります。
 ところが、何と驚くべし、わずか数日後にはすでにその第1校正のゲラが公明党首脳の手に渡ったのか、その情報が通じて、わが党の責任者のもとに、塚本の準備している『創価学会に強くなろう』なる著書の出版を中止するようにとの要請がなされてまいりました。
 なお、私の驚いたことは、著書の題名等いまだ私がきめておらない段階に、すでに公明党の責任者より堂々とその題名がわが党の責任者にも伝えられたことであります。私は印刷所にこの由を問い合わせたところ印刷所に聞きましたところ、その題名は印刷所に私がふと漏らした注文書に書き込まれたものであることがわかったわけです。まだきめていない段階において、私がふと漏らした『創価学会に強くなろう』ということを、かりに実は注文書に彼はつけたというわけでございます。そのことがすでに公明党の幹部のもとに数日後に手渡ってしまっておるではございませんか。
 なお、工場長に調査してもらったところ、創価学会員が3名ほどいたので、外に漏れてしまって申し訳ありませんでしたとの返事であります。
 およそかくのごとくで、出版の中止ができねば題名を変更してくれとの要請であります。創価学会という名前だけは変えてくれということに、実は要請が変わってまいりました。一体これは私1人の体験でないことは、藤原氏の問題をごらんになってもわかるとおり、私自身が驚いたような事態ではございませんか。これらの著者の方々が一様にこのことは指摘しておるではございませんか。戦前の事前検閲と少しも違わない事態が、ツルのタブーとしてこの数年間創価学会の批判は許されないとしてきた事態を何と考えられておるのでございましょうか。(「ツルのタブーとは何だ」と呼ぶ者あり)教えてあげましょう。創価学会に対して批判をしたものは、ことごとくその大きな宗教団体の財力の裏付けをもって、公明党の幹部の諸君や創価学会の幹部の諸君が実は印刷所へ話し合いに行って発行させないようにするから、創価学会、公明党に対する批判は絶対言論界においてはできないという通用語でございます。おわかりになりますか。こういうことで、これだけの人たちが実はこういう被害にあっているのでありまするから、証拠を突きつけてもそのように反抗なさる態度は、往生ぎわが悪いと私は思います。
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【証人喚問を怖れる池田氏】
自らの体験に根ざして創価学会の言論出版妨害の実態を告発した塚本氏は、これ以後、出版取次や広告の問題、憲法20条の政教分離規定に関する問題、さらには創価学会員による選挙妨害や犯罪の多さを指摘し、創価学会の体質に言及した。その過程で塚本氏は、言論出版妨害事件に関する調査特別委員会の設置と関係者の証人喚問を求めている。だが、すでに関係者の証人喚問については、各種の委員会において複数の議員が要求しており目新しいものではない。では、創価学会が塚本氏を「日本の憲政史上に残る暴挙」「宗教弾圧」と非難する由縁はなにか。それは塚本氏が、創価学会の体質を究明するために欠かせないとして要求した次のような一言に起因すると思われる。
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〈塚本〉いまここにたくさんのいわゆる犯罪の数々というものが、不幸にして創価学会さんのものがあまりにも私は目につきました。そこで、この際、かつては立正佼成会庭野会長を呼んだ事例が国会においてはあります。よって、この際、われわれはいまこそ国政調査権を発動して、国民の前にこのような真相を明らかにする必要があると思います。したがって、これらのデータから見まするとき、この際創価学会池田大作会長を証人として喚問することを委員長に要求いたします。
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 池田氏の女性スキャンダルが問題となった月刊ペン事件で、検察官から池田氏の証人出廷を求められた創価学会は、相手方の月刊ペンの代理人に2000万円とも3000万円ともいわれる裏金を渡し、池田氏の証人出廷を阻止すべく工作した。
 また平成7年初頭には自民党の池田喚問要求を阻止するために公明党出身の新進党議員やその秘書らが、、国会でピケを張ったのも記憶に新しい。ことほど左様に池田氏ならびに創価学会は池田氏の国会証人喚問を恐れている
 その池田喚問を最初に要求したのが塚本氏だったことから、創価学会は塚本氏を誹謗中傷し続けるのである。要するに首脳座談会での誹謗中傷は証人喚問を要求された池田氏の恨みつらみの投影に他ならない。そうであればこそ、次のような下品で野卑な言葉が羅列されるのである。
宗教弾圧の政治屋は全部自滅。当然だ。正義の法則に怨嫉すれば自分を破壊(『聖教新聞』H16.8.25「寸鉄」)
「ゲスは美徳に出会うと気分を損ねる」哲人(セネカ)。学会を嫉むゲス議員ども(『聖教新聞』H16.9.3「寸鉄」)
仏法迫害の政治屋は「終にほろびざるは候はず」。現罰続々、無惨な魔物よ(『聖教新聞』H16.10.8「寸鉄」)
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創価学会用語における「宗教弾圧」とは、畢竟(ひっきょう)、池田氏の国会証人喚問要求に他ならない。ちなみに池田氏は昭和34年10月23日付『聖教新聞』に掲載された学生部弁論大会の報道記事で次のように発言したと報じられている。

◆3、4年前立正佼成会の庭野日敬が国会に召喚されていろいろ調べられた事がある。この時会長(戸田城聖)はニッコリ笑って"こっちへくればいいな、この時こそ立正安国論を叫びたい"と申しておられました。大事な時に叫ぶことこそ、私は本当の雄弁ではないか(と思う)(『聖教新聞』S34.10.23)
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自家撞着とはこうしたことを言うのだろう。





口汚い言論攻撃の温床

―池田大作氏の教唆扇動が発生源―
―特集/他者を罵り続ける「人権」教団の不可解―

(ジャーナリスト・乙骨正生『フォーラム21』H15.12.15)

 本誌の連載「今月の悪口雑言――『平和と人権』を看板にする団体の“ホンネ”集」が、毎号、報じているように、今年も連日、創価学会は、『聖教新聞』等の機関紙誌で自らに批判的な立場にある人物や団体、政党、出版社等を罵り続けた。
 そこには他者の人権や名誉に対する配慮などは微塵もなく、「愚劣者」「極悪ペテン師」「ヘビ」「薄汚いドブネズミ」「人間の皮をかぶった畜生」「金の亡者」「酒乱・女狂い」「クズ野郎」「クズ雑誌」「デマ出版社」「ガセネタ屋」「異常人格」「前科者」「学歴詐称」「クソ坊主」「インチキ坊主」「デマ政党」「宗教弾圧議員」などと、竹入義勝元公明党委員長や山崎正友元創価学会顧問弁護士をはじめとする造反した幹部や議員、阿部日顕日蓮正宗法主や日蓮正宗関係者、『週刊新潮』や筆者、そして共産党や民主党の一部議員などに対する悪罵が書き連ねられている。


【「クズ」「ゲス」と開き直る】
 その凄まじさ、執拗さ、そして口汚さについては、いまさら論じるまでもないが、一連の口汚い創価学会の言論を、「子供たちに読ませたくない日本語」として特集した『週刊文春』(10月2日号)には、「家庭に配布されている新聞に、これほど人間性を否定するような内容が掲載されているなんて」という女性教師の驚きの声が紹介されていた。また、いまや創価学会から「不倶戴天の敵」視され、連日、激しい攻撃に晒されている『週刊新潮』も、連載中の「新・創価学会を斬る」の第3回で「『ゴキブリ!』『犬畜生!』と仏敵4人組を罵倒する“宗教者”の正義」(11月20日号)と題して、創価学会の口汚い言論を取り上げたが、その中で日本のカルト研究の第一人者である浅見定雄東北学院大学名誉教授と、仏教学に造詣の深い山崎龍明武蔵野大学教授は次のように論評している。↓

●宗教者は、信仰をやめた人に対しても引き続き救済を祈り続けるものです。脱会したからといって、その人物を罵ったり嫌がらせをしたり、或いは無理矢理に引き戻そうとするような行為は、全く考えられないことです。脱会者に対する嫌がらせなどを聞くたびに感じるのは、学会内部には、外部に知られては都合の悪いことでもあるのかという余計な心配です。何もないのならば、やめた人間が学会に関して何を言おうと平気なはずです。そもそも“ヘビ”“畜生”“くそ坊主”などという言葉は、宗教団体でなくても、使ってはいけないものです。まして宗教団体がこんな言葉を使ったら誰からも尊敬されるわけがありません。自らを宗教者として否定しているようなものです(浅見定雄=東北学院大学名誉教授
●確かに、『聖教新聞』は凄いというか、面白いですねえ。とにかくボロクソです。こういうものを毎日読むと、相当精神に変調をきたすと思うのですが、いくら相手が自分とは相容れない価値観、信仰の人だとはいえ、ここまで言うかという思いですね。これに学会員たちが違和感を持っていないということへの違和感を私は感じます(山崎龍明=武蔵野大学教授
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ごく当たり前の人権感覚を持っていれば、他者を悪し様に罵る創価学会の言論に違和感を覚えるのは当然のこと。だが、創価学会には浅見教授や山崎教授が述べたような“正論”は通用しない。通用しないどころか創価学会は、創価学会の口汚い言葉を「子供たちに読ませたくない日本語」だと批判した10月2日号『週刊文春』が発売(9月25日)されるや、9月27日付『聖教新聞』掲載のコラム「破邪顕正」に極めて挑戦的な一文を載せ、こう開き直っている有り様なのだ。↓

糞犬! 癡猿! 日顕のごとき極悪を「極悪」と斬り、山崎のごときゲスを「ゲス」と笑い、新潮・文春等の「子供たちに読ませたくない」クズ雑誌を「クズ」と叩いてこそ、日本の民主主義は守ることができる。
 言うべきことを言わない臆病な“お澄まし屋”は悪を増長させ、善を虐げる加担者だ。
 俗耳に入りやすい甘言で人々を誑かすウソ議員やデマ雑誌やエセ宗教。これらの魔物を打ち倒し、日本に精神復興の光をもたらすのが、正義を打ち込む創価の言論闘争だ(『聖教新聞』H15.9.27)

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自らのみを「正義・善」とし、批判者を「魔物」呼ばわりして、これを「打ち倒す」ことを声高に叫ぶ創価学会の姿勢に、強い「違和感」を覚えるのは筆者だけではあるまい。

周知のように創価学会は、フランスの国会報告において2度にわたって有害セクト(カルト)としてリストアップされているが、敵と味方を単純に色分けし、そこに正邪・善悪のレッテルを貼り、敵の殲滅を叫ぶステロタイプのアジテートは、多くの有害セクトに共通して見られる特徴でもある。


【指導者の性格が投影される】
 そうした有害セクトのうち宗教的セクトでは、絶対的な権威・権力をもつ教祖やグルなどが、構成員一般に対して強大な影響を及ぼしている。それらのセクトでは、教祖やグルの言葉こそが真理、絶対的規範になり、教祖やグルのキャラクターがそのままセクトの体質・性格を決定づけていくことになる。
 創価学会にあっても「永遠の指導者」(「創価学会会則」)と崇められている池田氏の発言は、真理、絶対的規範とされる。その結果、各種の会合における池田氏の発言、指示、命令は、たとえそれが理不尽なものであっても、現実の活動として具現化されていくことになる。
 識者や一般が眉を顰(ひそ)める創価学会の口汚い言論が恒常的に繰り返される背景には、こうした池田発言の具現化という構造、換言するならば池田氏の教唆扇動が指摘できる。
 では、具体的に池田氏はどのような発言をし、学会員を教唆扇動しているのか。そのいくつかの例を紹介しよう。例えば、平成元年3月12日、池田氏は埼玉指導の席上、「仏法は勝負」という言葉を引用しつつ、「反逆者」を怒鳴りつけていけと次のように指示している。↓

仏法は勝負」にどれほど深い意義があるのか、皆わかっていない。物事は正邪ではない。勝つか負けるかなんだ。全員が「勝つ」と強く決めていけ。勝つか負けるか。やられたらやりかえせ。世間などなんだ。私は恐れなど微塵もない。勇者は私だ。私だけ戦っている。強気、強気、強気、でいこう。どこまでもしぶとくいくんだ。(中略)なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったり、ひるんだりしてはいけない。怒鳴っていけばいいんだ。(中略)反逆者には、この野郎、馬鹿野郎でいいんだ(池田大作H1.3.12)
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 ここには物事の是非善悪、理非曲直を判断しようとの姿勢は全くない。暴力的に相手を打ち倒すことが勝利であり、それが「仏法は勝負」の奥義だというのである。現在、創価学会は世界各国で「ガンジー・キング・イケダ」展を開催、池田氏を非暴力抵抗の思想を提唱したインド独立の父・ガンジーに並ぶ平和の偉人であると宣揚しているが、正邪など関係なく他者を「怒鳴」りつけろとアジテートする人物が、非暴力抵抗の系譜を踏襲した平和の偉人とは片腹いたい
 まして「仏法は勝負」と仏教における「勝負」の概念を、数量や力の強弱などで判断する世俗の勝敗へと単純に置き換えることの乱暴さには開いた口がふさがらない。創価学会が宗祖と仰ぐ日蓮聖人は『四条金吾殿御返事』なる御書(遺文)の中で、「仏法と申すは道理なり、道理と申すは主に勝つものなり」と、そもそも「仏法」とは理非曲直を糾した道理に基づくものであり、道理というのは世俗的権力や世俗的価値を超克するものと判じている。「仏法」における「勝つ」という言葉の意義はこうしたものである。「正邪」を抜きにして相手を打倒することが「仏法は勝負」の奥義などとは、とうてい言えたものではない。


【仏教用語を恣意的に解釈】
 だが、池田氏はこうした点には委細かまわず、我田引水的・恣意的に仏教用語を曲解し、自己の言動を正当化する根拠と位置づけている。
 そうした御都合主義的な用語解釈の最たるものに「仏法とは仏と魔との戦い」との言葉がある。これは創価学会を「仏意仏勅」の正当な仏教教団、すなわち「仏の勢力」と位置づける一方で、創価学会に仇なすものを「魔=仏敵」と位置づけ、「仏法」は絶えざる「仏の勢力と魔の勢力」の戦いであるとして、創価学会による批判者攻撃、対立者攻撃を正当化する考え方である。
 衆院総選挙の過程で、池田氏は『聖教新聞』紙上に随時、「随筆 新・人間革命」を掲載したが、その中でこの「仏と魔との戦い」という言葉を多用した。もとよりここでの使用目的は、「仏の勢力」である創価学会が推す公明党候補の当選を阻害する「魔」を断固としてうち破れという意味である。

仏法は仏と魔の闘争 善が勝つか悪が勝つか――その熾烈な精神の闘争、邪悪との戦いが仏法だ(「随筆 新・人間革命」『聖教新聞』H15.10.22)
「人生は仏と魔との戦いである」と、釈尊(釈迦)は示した。蓮祖(日蓮)は、「仏法は勝負である」と説かれた。負けぬために、正しき信仰がある。勝つために正義の信仰がある(「随筆 新・人間革命」『聖教新聞』H15.11.5)
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「仏敵」である「魔」は「極悪」であり、「犬畜生」に劣る。当然、人権など顧みる必要などないということになる。こうした手前勝手な理屈が、創価学会の批判者・対立者への口汚い言論の温床になっているのである。


【検事や学生に「復讐」を扇動】
さらに池田氏は創価学会の活動の基軸をなすのは、「復讐」であると、「復讐」教あるいは「怨念」教さながらの言説も繰り返している。↓

私が戦ったのは、戸田先生の復讐のためだけだ。革命とは復讐戦だよ。戸田先生は、牧口先生の復讐のために戦った。私の復讐は弟子たちがやるんだ(池田大作S51.8.22神崎武法氏〈現公明党代表〉ら、「自然友の会」と呼ばれていた学会員検事のグループと面談した際)

師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るために立った。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ(池田大作H8.11.3創価大学で開催された「創価同窓の集い」)

戸田先生や牧口先生の仇をうつために、(私は)会長になり、立ち上がったのである。あとなにもない。これが師弟の道です。これが同志の契りです(池田大作『前進』S41.9)

 学会員の検事や創価大学のOB・OGに「復讐戦」「仇討ち」を命じる池田氏。こうした指導を受けている学会員検事が、仮に創価学会が新潮社や筆者を名誉毀損罪で刑事告訴し、その担当となった場合、公正・公平な司法行政が担保されるのだろうか。
 今年1年、いや自・自・公連立政権成立以来からだけでも、すでに4年余にわたって創価学会と対立する立場の人物や団体を口汚く罵り、激しい攻撃を加え続けている創価学会だが、そのすさまじいばかりの「怨念」は、すべて「永遠の指導者」である池田氏が発生源なのである。

乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』(かもがわ出版)など。





今月の「悪口雑言」

―「平和と人権」を看板にする団体の"ホンネ"集―
(『フォーラム21』H15.7.15抜粋・編集)

<日蓮正宗攻撃>
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◆大悩乱の『ニセ法主』日顕(「座談会21世紀の展望を語る仏法基調の平和と文化と教育」『聖教新聞』H15.6.23)

◆相変わらず"本仏気取り"で大邪義(同)

◆丑寅勤行をサボる日顕(「座談会21世紀の展望を語る仏法基調の平和と文化と教育」『聖教新聞』H15.6.24)

◆勤行で居眠り。敗訴疲れでやる気ない日顕。愚劣説法に信者もグーグー(「寸鉄」『聖教新聞』H15.6.25)

◆やっぱり跡目は愚劣息子・阿部信彰(「座談会21世紀の展望を語る仏法基調の平和と文化と教育」『聖教新聞』H15.6.25)

◆末寺の困窮の裏で日顕は豪邸三昧(「座談会21世紀の展望を語る仏法基調の平和と文化と教育」『聖教新聞』H15.7.1)

◆"仏法の本義""真心の回向"友人葬に共感広がる日顕宗は葬儀を"食い物"にする邪教(「会員と語る」『聖教新聞』H15.7.1)

◆日顕、相変わらず説法でヘビの目、舌なめずり。「嫉妬かさなれば毒蛇」(「寸鉄」『聖教新聞』H15.7.5)

◆「汚れは汚れを好むものだ」文豪(シェークスピア)。日顕・山友・竹入ら、はきだめ総本山(「寸鉄」『聖教新聞』H15.7.7)
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 鳥が鳴かない日はあっても、『聖教新聞』に日蓮正宗ならびに阿部日顕日蓮正宗法主に対するバッシングが掲載されない日はない
 ひたすら阿部日顕日蓮正宗法主の資質や人間性を問題にし、日蓮正宗ならびに阿部日顕日蓮正宗法主の宗教性を否定しようとする創価学会。その一方で創価学会は「興隆」しているとか、7月1日付『聖教新聞』掲載の「会員と語る」の見出しにあるように、創価学会の「友人葬」が社会に定着しているなどとアピールしている。
 西口良三副理事長がインタビューに答える形になっているこの「会員を語る」では、京都大名誉教授の樋口謹一氏が「友人葬」に期待を寄せている旨、記載しているが、オウム真理教を礼賛したことで知られる宗教学者の島田裕巳氏も、かつて創価学会の「友人葬」を手放しで賞讃していた事実がある。
 もっともその島田氏が、先頃、『週刊新潮』で、最近の創価学会についての論評記事を掲載したところ、創価学会は機関紙『創価新報』で島田氏ならびに『週刊新潮』を貶している。オウム真理教を礼賛した宗教学者に礼賛されたのでは格好がつかないので、宿敵『週刊新潮』に記事を掲載したことを利用して、批判記事を掲載したのだろう。
 それにしても僧侶否定の友人葬が定着しているといいながら、その一方では、創価学会ならびに池田大作氏を礼賛して日蓮正宗から離脱した僧侶らについては、会館寺院などを作って全面的にバックアップし、葬儀も執行させている。つくづく御都合主義的な体質である。


<造反幹部・議員攻撃>
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◆裁判地獄の極悪ペテン師(「座談会21世紀の展望を語る仏法基調の平和と文化と教育」『聖教新聞』H15.6.26)

◆「恐喝で懲役3年」の悪党山崎(「座談会21世紀の展望を語る仏法基調の平和と文化と教育」『聖教新聞』H15.6.27)

◆天性の大ペテン師山崎正友(「座談会21世紀の展望を語る仏法基調の平和と文化と教育」『聖教新聞』H15.6.28)

◆山崎の邪知の謀略は全て大失敗(同)

◆昭和56年1月24日午後5時極悪ペテン師山崎 恐喝罪で逮捕 平成3年2月25日東京拘置所に収監(「座談会21世紀の展望を語る仏法基調の平和と文化と教育」『聖教新聞』H15.6.30)
佐藤(総合青年部長)あの極悪ペテン師の山崎正友が、恐喝事件が発覚した当時、どれだけウソ八百を撒き散らしたか。(中略)
 福島(副会長・弁護士)その後も山崎は、何の反省もなく、恨みと妬みで日顕を利用して狂ったように学会を攻撃した。
 秋谷(会長)日顕は、こんな恐喝事件を起こした男と結託して学会を切ったんだ。まさに狂気の沙汰だ。(中略)
 野崎(副会長)何をやっても敗北だ。必ず仏罰を受ける。
 青木(副理事長)昔の夢が忘れられずにあがいては、ますます大恥をさらし、地獄の底を這いずり回っている。皆からバカにされ、惨めな老醜の骸をさらけ出している。
これが山崎という男の正体だ(爆笑)」
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 すでに本欄で指摘済みのことだが、創価学会は同じ話を何度も何度も繰り返し、ターゲットにする人物や団体に悪のレッテル貼りをし、学会員の脳裏にすり込んでいく。いわゆる洗脳のパターンだが、先頃までは造反幹部や議員の対象として血祭りにあげられていたのは竹入義勝元公明党委員長や大橋敏雄元代議士、龍年光元都議会幹事長などだった。それが一段落すると今度は、昭和50年代以来、何度も何度も繰り返し使っている「山崎正友は恐喝犯」とのキャンペーンを繰り広げている。
 この山崎正友バッシングが終了すれば、また竹入氏や龍氏などに対するバッシングが繰り返されることになるのだろう。

※「今月の悪口雑言」というタイトルであるが、十年一日のごとく、毎日大同小異の、憎悪の感情剥き出しの批判者攻撃の記事が掲載されている。選挙活動もそうだが、学会員は理性ではなく感情を基に活動している。その会員の脳裏に組織に都合のよい"単純で感情的な"情報(「池田センセーはスゴイ!」「猊下は嫉妬している!」「山崎は裏切った!」など)を刷り込む機能を果たしているのが『聖教新聞』や『創価新報』などの機関紙である。(法蔵)





検証!「狸祭り事件」

(『慧妙』H18.6.1)

 創価学会の独善を象徴する事件の1つが、いわゆる「狸祭り事件」です。
 この事件の背景には、創価学会初代会長・牧口常三郎らが、戦時中、"不敬罪"で逮捕・投獄され、牧口が獄死したことがあります。
 牧口会長の獄死に関し創価学会首脳は、その近因は、戦時中、ある正宗僧侶が「神本仏迹論」を称(とな)え、身延との合同を画策したことにある、と、勝手に思い込みました。
 しかし、"不敬罪"とは、皇族等に対し「不敬ノ行為」を働くことで、創価学会が弾圧されたのは、伊勢神宮の神札を焼く等の行為を行なっていたからです。
 ですから、「神本仏迹論」を主張した正宗僧侶がいようといまいと、身延との合同問題があろうとなかろうと、当時の官憲に"学会は、神札に不敬をしている"と認識されていた以上、遅かれ早かれ創価学会(※当時は創価教育学会)は弾圧される運命にありました。
 にも拘(かか)わらず「神本仏迹論」を主張した正宗僧侶を逆恨(さかうら)みした創価学会は、昭和27年4月27日・28日に、総本山にて奉修された宗旨建立700年慶祝大法要の際、登山していたその正宗僧侶(※一旦、「神本仏迹論」問題で僧籍を失ったが、本人の反省懺悔〈ざんげ〉と、慶祝の特赦〈とくしゃ〉で復籍)を、慶祝大法要という50年に1度の大慶事の最中にも拘わらず、衆人環視(しゅうじんかんし)の中で暴力的な吊(つる)し上げを行ないました。
 事前に周到な準備を進めていた学会では、事件当日、宿坊にいたその僧侶を大勢で取り囲み、さんざん詰問(きつもん)したり罵声(ばせい)を浴びせたあげくに「衣を脱げ!」と命じ、下着姿の僧侶を皆で担(かつ)ぎ上げ、はやし立てながらプラカードを掲げて塔中を練り歩き、牧口会長の墓前に連れていって、そこで詫(わ)び状を書かせたのです。
 しかして、創価学会はこの事件の顛末(てんまつ)を、『聖教新聞』や『大白蓮華』を使って大々的に報じたばかりでなく、さらに呆(あき)れたことには、その記事中で、事前に謀議(ぼうぎ)を巡らしたことまで誇らしげに書き並べているのです。
 なお、創価学会では、「学会は、その僧侶が慶祝記念の特赦により僧籍復帰していたことを知らなかった」と自己正当化を謀(はか)りますが、そもそも宗旨建立700年慶祝大法要という大慶事の最中に、神聖であるべき総本山内で、計画的に騒動を起こすなど、『化儀抄』の定めからも、世間の常識からも、是とされることではありません。
 当然のことながら、臨時宗会において戸田会長に対する登山停止が議決され、時の御法主・第64世日昇上人からも教誡を受けるところとなったのです。
 結局、戸田会長が日昇上人への謝罪・懺悔を表明して、事件は沈静化しましたが、これを見ただけでも、創価学会が、当時から呆れ果てた謀略集団だった、ということは明白でありましょう。

[画像]:事件の経緯を誇らしげに報道する『聖教新聞』と『大白蓮華』=『聖教新聞』(S27.5.10)には、事件の経緯が事細かに。その中には、前もって周到な準備を重ねていたことまで明記されているが、慶祝大法要の最中に騒動を起こしたことへの、真摯(しんし)な反省や謝罪の言葉はない。さらに、『聖教新聞』で大きく報じただけでは飽きたらず、『大白蓮華』に事件の流れにそった写真特集まで組んで大々的に宣伝。


■狸祭事件
(常健院日勇御能化『富士の法統』妙教編集室135頁〜)

〈編集部〉「狸祭事件」が27年でしたよね。
〈常健院〉うん、「狸祭」は、たまたま27年の法要をやっている最中だから。それでね、私は、騒ぎが起こってるぞなんていわれて、見たら、ちょうど塔中を小笠原師が担がれていくところで、(私は)何かあったら動きやすいようにと思って、スポーツウェアみたいのに着替えて行ったら、浄蓮坊の辺(あた)りを「ワッショイ!ワッショイ!」なんて担いでいくところでね。でも1人ぐらいじゃどうにもならないからね。その後をずうっとついていって、牧口会長の墓までいって、小笠原師に謝れっていうんだけど、もう暴力沙汰だったよね。それで、本山警護に来ていた消防団なんかとも争いがあってね。消防団は「そんな年寄りをみんなでひどい目にあわせて、あなたたちは!」って言っていました。その中に牧野酒造(総本山近隣の酒造会杜)の主人だった牧野百松っていう人がちょうど消防団長だったものだから、一生懸命に止めたのだけれど聞かないでね。
〈編集部〉その時、常健院様は、ずうっとその現場をご覧になられていたのですか。
〈常健院〉見てた見てた。私の立場としては見ているより仕方がなかったからね、墓までついて行って…。
〈編集部〉何人ぐらいいたのですか。
〈常健院〉何人って、2〜300人ぐらいいたんじゃない?
〈編集部〉そんなに大ぜいいたのですか?小笠原慈聞師、1人を吊し上げるのに…。
〈常健院〉大ぜいいましたよ。牧口さんの墓の回りは人だらけでしたからね。(この事件は)後で考えるとね、確かに小笠原師自身もね、昭和16年の3派合同という問題(正宗と日蓮宗を合同させようとする問題)があったわけだけど。それは今の顕本法華宗と本門宗と日蓮宗とを一緒にしようとしたんだね。幸いに、お山のほうは明治33年に本門宗から出ちゃってるからね。その時(昭和16年当時)一緒になれ(身延派と)なんて言われたけど、絶対身延とは一緒になれないと言って、昭和16年だと思うけどね、護法会議というのが御影堂であって、私はねえ、ちょっと聞いた話なんだけど、直接聞いた人たちは鳥肌が立つような思いだったと言っていたからね。だから、もし宗門を(日蓮宗と合同して)取り潰(つぶ)すと言うのであれば、もう「御影堂を枕に我々は死んでも結構だ!」という大変な会議だったのだけれど。
〈編集部〉その護法会議の時に小笠原慈聞師が神本仏迹論という考えを述べたのですね。
〈常健院〉そうそう、それとね、詳しいことはわからんけど、「水魚会」っていう退役軍人の偉い人たちが大分裏へ廻ってね、小笠原師と連絡取り合ったりして、大石寺も身延と合併するようにと、小笠原師は画策したみたいだね。そのために小笠原師は宗門から処罰を受けたのだからね。
〈編集部〉小笠原師のほかには身延との合同に賛成する人はいなかったのですか?
〈常健院〉いや、いたのかも知れないけれど、処罰を受けたのは小笠原師だけだからね。始めは小笠原師に与(くみ)する人もいたかもしれないけど、処罰の対象になったのは小笠原師だけだったのでしょう。それで処罰を受けて、一応すんでしまったことだからね。それを27年になって「狸祭」だなんて小笠原師に集団暴行を加えること自体がおかしいと思うな。
〈編集部〉そうですね、小笠原師の3派合同の件と、牧口氏が官憲に捕まって収監された事作とは、まったく別の問題ですからね。
〈常健院〉別々。あれはね、不敬問題といってね、神札の問題。だからそれは小笠原さんの神本仏迹論なんかの問題とは別だったんだよ。
 ただねえ、後で我々が考えたのは、あれは戸田会長の、坊さん(宗門)に対する示威運動だったんだということだね。学会の力はこうだぞ!という見せしめのために「狸祭事件」をやったんだ、私らも後から考えて…。
 それはもう、吊し上げなんていうのは、君、学会の常套手段だからさ。
〈編集部〉はい、それは学会の体質的なもので、練馬の投票所襲撃にもその体質があらわれています。
〈常健院〉その「狸祭」で、結局戸田会長も登山停止になるわけだけれども、登山停止になった後の、各宗会議員や宗務院の役の上のほうの人、総監とかに対する(学会による)吊し上げなんて凄まじかったんだからね。妙玄院さん(常泉寺第41代高野日深上人)なんかも内事部で吊し上げられているのを見てたけどね。まだそのころはね、日達上人も庶務部長でいらしたから、宗務行政に対して何か注文をつける時は日達上人が吊し上げられて。今度はお山のことで何か文句があると吊し上げられる対象は私だったから。大体決まっていたみたいだね。もうそれはねえ、ひどい吊し上げが何度もありましたよ…。戸田さんとか柏原ヤス、錚々(そうそう)たる人たちがね、私は当時蓮成坊の住職をしていましたから、押し掛けてきて、私の長女や、次女なんか台所の隅で震え上がって泣いてましたよ。
 だからね、そういう体質だったってこと。しょっちゅうだったね、そういうことは。大体(当時の学会は)理境坊を本部にしていたからね、私は昭和27年から30年まで蓮成坊にいて、30年から33年まで百貫坊にいたから、百貫坊にいた時にはすぐ裏が理境坊で、学会になにかあるとすぐ飛んで来るんだよ。


■宗教者としての資格と自覚を捨てた出来事(仮題)
―怨恨・呪詛・復讐―
―創価の体質を象徴するキーワード―
―総体革命とは、理性なき暴力革命―

(『慧妙』H19.8.1)

 総体革命を目指す創価の本質は、今昔いささかも変わっていない。
 このように言うと、あたかも創価の姿勢が不変であることを誉(ほ)めているかのようだが、逆である。
 先に本紙でも報道したように、現職国会議員の福本氏が創価学会に反旗を翻(ひるがえ)した。
 これに対し、創価構成員個人のHP上などでは、「(創価への)恩を忘れ、創価学会を破壊できると思うのなら、やってみればよい。どのような結果になるか、われわれは末期(まつご)を見届けるのみだ」(『青山樹人の深層日記』より)」等と、呪詛(じゅそ)としか言いようのない怨言(えんげん)を吐(は)いている。
 「恨(こん)」「怨」「呪詛」「復讐(ふくしゅう)」「仇(あだ)討ち」そして「的(まと)外れ」―、創価の体質を知る上で不可欠のキーワードである。
 それが文字どおり実力行使に移されたのが、昭和27年4月の立宗7百年の大慶事の最中に起きた、いわゆる「狸祭り」事件である。

 戦時中、「神本仏迹論」なる謬義(びゅうぎ)を唱え、「三派合同」を画策した某師は、昭和17年9月14日、日蓮正宗より擯斥(ひんせき)処分に処せられたが、昭和21年3月31日「改悛ノ情顕著ナルヲ認メ」られ、僧籍復帰を許された(この某師が立宗7百年の慶事にあたって特赦〈とくしゃ〉された、というのは誤伝である)。
 何が「改悛ノ情顕著」であったのかといえば、同年4月12日、讃岐法華寺(現在の讃岐本門寺のこと)と同末寺10ヵ寺が日蓮正宗への帰一を果たした際、この某師の尽力があった。
 そこで、本門寺一門の僧侶方によって、某師の僧籍復帰の嘆願(たんがん)が行なわれたこともあって、某師はこの時点で当宗の僧籍を回復したのである。
 一方、創価一派は、某師を「牧口先生を殺した悪坊主」として糾弾(きゅうだん)、いわゆる「狸祭り」という暴行事件を引き起こしたのであるが、牧口氏が昭和18年に官憲によって逮捕・収監されたのは、某師の「神本仏迹論」「3派合同」とは無関係の要件(不敬罪の容疑)によるのであるから、関連性は全くない。
 しかし、戸田城聖氏を含む創価一派は、三段論法的なこじつけをもって、某師が牧口氏を殺したのと同じであると決めつけ、立宗7百年の大慶事の最中に、総本山の聖域において、不法な暴行事件を引き起こしたのである。
 結局、戸田氏は登山停止となるが、その後の創価構成員らによる凄(すさ)まじい宗門僧侶つるし上げの蛮行は、創価の無反省な体質の表われであり、類推するに「狸祭り」自体も、宗門に対する示威(しい)活動だったのではないだろうか。
 ともあれ、法規に則って処罰され、法規に則って寛恕(かんじょ)された人物に対し、その立場にあらざる者らが、私的に制裁を加えることなど、世法においても、とうてい許容されるものではない。まして仏道修行者を自負する者であるならば、なおさらである。
 その意味で、この「狸祭り」事件は、創価学会が宗教者としての資格と自覚を捨てた(あるいは初めから無い)ことを示す、最初の出来事であったかも知れぬ。

 その後の、練馬の投票所襲撃事件しかり、昭和52年路線以降の面従腹背(めんじゅうふくはい)しかり、平成3年以降の行動パターンもしかり、創価という集団は徹頭徹尾、「恨」「怨」「呪詛」「復讐」「仇討ち」に腐心し、そして、それらが常に「的外れ」な、莫迦(ばか)集団なのである。
 そしてこの体質は、過去から現在、現在から未来へ、まったく変わることのない腐れ体質だ。
 結論を言おう、総体革命とは理性の欠片(かけら)もない暴力革命である。