創価学会破折
反戦・平和の"原点"



極秘資料が語る戦時学会と特高との関係/『慧妙』H28.1.1

戦争翼賛の歴史を糊塗する池田創価学会/『慧妙』H23.7.1ほか

学会「弾圧」の真相

牧口常三郎の戦争観

「戦争翼賛」宗門と学会の違い/『慧妙』H17.12.1

学会顧問(台湾総督)が少数民族弾圧/『慧妙』H16.3.16

創価学会“カリスマ会長”(2代目・戸田城聖氏)が遺した「戦争加担文書」騒動/『フライデー』H17.10.24/<創価学会ウォッチ>WS

戦争翼賛の歴史を糊塗する池田創価学会/『慧妙』H23.7.1

学会は「反戦・平和」の団体にはあらず!/『慧妙』H17.11.1




「戦争翼賛」宗門と学会の違い(仮題)

―八方破れの言い掛かりを返り討ち―
―「戦争に協力するも、宗門には反省の色無し」!?―
―やむなき最小限の協力も日淳上人が総括済み―

(『慧妙』H17.12.1抜粋編集)

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>戦争に積極的に荷担し、賛美、翼賛(よくさん)してきたのが宗門の歴史なのだ(『創価新報』H17.11.16)
>(宗門は)自ら何の総括もできず、いまだにデッチ上げ話で学会を中傷しているだけ(同)
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 学会に対し、本紙が糾弾しているのは、単に学会が戦争翼賛団体であったということではなく、そのことを反省もせず、否、実質的には今もその体質を継承しながら、"創価学会は一貫して「反戦・平和」の団体である"と主張する、その無慙(むざん)について、である。
 とはいえ、降りかかった火の粉は払っておかねばなるまい。
 学会があげつらった戦時中の宗門の様態については、すでに本紙が過去において論破済みである(『地涌からの通信・資料編』を笑う」「『地涌からの通信・歴史編』の虚構を暴く」等)。
 よって、紙面の都合もあり、ここではその一々については言及しないが、総論として簡単に論破しておく。

◆鈴木管長(日恭上人)及びその一味は、時局の如何を弁(わきま)えず、政府の宗門合同を要望せるに拘わらず、自家独尊の建前を固守し、(中略)何ら宗門らしき奉公の実を示さず、此の苛烈(かれつ)なる戦局に対し、飛行機1機も献納せんともせず、『報国会』の組織も名のみにして実行なく(『世界之日蓮』S18.12・S19.1合併号)
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『世界之日蓮』は、戦時中、戦争翼賛に積極的であった宗内の一僧侶が主催していた。この記事から分るように、身延との合同問題等、最悪の環境の中、法体護持を最優先した当時の日蓮正宗は、時局下、戦時体制に積極的に協力する意思表示はせざるをえなかったものの、実際の行動は、他の団体等に比較して非常に消極的であった、ということである。

●我々は戦争の責任を思うが故に、一方に懺悔(さんげ)すると共に、一方に正法治国をもって正しい文化・正しい道義の国を建設する、最大の努力を払わなければならない。このことは宗教者の仕事としてなさねばならない(「我々の進む路」S23.8発行の宗報に掲載/『日淳上人全集』下巻901頁)
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戦争に協力した事実は事実として、戦後、日淳上人(当時は宗務総監)が、明確に総括されているのである。

★戦争翼賛について反省懺悔するどころか、虚構の学会史を誇示し、「『反戦・平和』を貫いてきた」と嘯(うそぶ)く学会と、事実は事実として真摯(しんし)に受け止め、反省懺悔の態度を示した宗門と、果たしてどちらが、本当の「宗教団体」の在り方であるかは、今さら論ずるまでもあるまい。
 創価学会よ、必死に体裁を繕(つくろ)うその前に、まずは「恥を知る」ということを弁えるがいい。





創価学会“カリスマ会長”(2代目・戸田城聖氏)が遺した「戦争加担文書」騒動

―韓国でも騒然!「反戦平和団体」じゃなかったの?―
(『フライデー』H17.10.24/<創価学会ウォッチ>WS)

●時局下、決戦体制の秋、創価教育学会員於、益々尽忠報国の念(破損)会員一同各職域に於いてその誠心を致し信心を強固にして米英打倒の日まで戦い抜かんことを切望す(カッコ内は本誌注)

 左(※上)の朽ちかけた1葉の文書を見てほしい。ここに書かれているのは、「国・天皇に尽くし、米英打倒のため戦いぬけ」と呼びかけている、いうなれば「戦争加担文書」ともいうべきもの。
 問題は、その発信者となっている人物の名前だ。「理事長 戸田城外」。これは、「戦争反対・平和主義」を標榜する、創価学会の2代目会長・戸田城聖氏のことだ。

●私はこの通諜を、82年の10月に、創価学会の前進である創価教育学会の初代総務だった稲葉伊之助氏の子息・稲葉荘さん(故人)のお家で見せてもらいました。稲葉さんは「学会は戦争に反対していたわけではない」と私に話してくれたのです(ジャーナリスト・溝口敦氏)

最近、韓国のテレビ局・SBSが、創価学会と池田大作名誉会長(77)の「実像」に迫るドキュメンタリー番組を放送し、150万人の学会員がいるという韓国国内が騒然となる“事件”があった。

●実はこの番組の中で、韓国の会員がもっとも動揺した部分が、「創価学会は第2次大戦中、いわれているように戦争に反対したわけではない」と示唆した部分だったといいます(元創価学会幹部)

 左(※上)の文書を遺したとされる戸田城聖氏とは、戦争中に雲散霧消しかけた学会を戦後に再建し、現在の創価学会の隆盛の基礎を築いたという“大偉人”だ。池田氏の著書である『人間革命』の主人公でもあり、学会員にとってはまさに「カリスマ指導者」といっても過言ではない。
 そしてその『人間革命』の第1巻の冒頭には、こんな言葉がある。
 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど悲惨なものはない」
 つまり戦後の創価学会は、「反戦平和」を標榜することから始まったというわけだ。にもかかわらず、戸田元会長が「米英打倒の日まで戦い抜かんことを切望す」などという通諜を発していたとしたら、韓国で動揺が広がったように、学会の根本的土台が大きく揺らぐことになろう。
 この「通諜」は、前出のように元学会幹部の自宅に保管されていたもの。元の持ち主だった稲葉伊之助氏は、43年(昭和18年)7月に学会初代会長・牧口常三郎氏や戸田氏とともに逮捕された大幹部。
 拘束当時、さまざまな物品が当局に押収されたが、戦後10年ほどたって息子の荘氏のもとに資料が戻り、その荷物のなかに、30通に及ぶこの「通諜」があったという。荘氏は地下室にこれらを保存していたため、湿気でほとんどが朽ち果てるなどし、わずか3通のみが残ったとされる。
 ただしこの文書について、創価学会側は「文面・出所に不審があり荒唐無稽な創作であることは明白」と断言する。

◆牧口初代会長、戸田第2代会長が、戦中、軍国主義に傾倒し、(創価学会の教義とは相容れない)国家神道を容認したかのような話は全くの暴論で、創価学会に敵対する一部の人々がプロパガンダに利用しているにすぎません。「通諜」なる文書も、戦中に押収された資料であるといいながら、他の押収資料には存在する押収番号もなく、「天皇中心主義」なる戦前、戦中に一般には使用されていなかった言葉を記載しています。仮に真正だとすれば当会の国家神道への転向を示す重要文献のはずですが(当局などの)公式文書にはこれについて記したものは皆無です(創価学会広報室・カッコ内は本誌注)
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“押収番号”についていえば、もともと30通あった同じ文書すべてに当局が番号をつけていたとは考えられず、結果としてたった3通しか残らなかったのだから、番号がなくてもなんの不思議もない。この文書の日付は6月25日付になっていますが、学会の文書には「43年6月に牧口初代会長が“応急処置”をしたが、時すでに遅く逮捕された」というくだりがあります。牧口氏、戸田氏らの逮捕が同年7月6日ですから、この通諜こそが、“応急処置”を指していると思われます(文書の持ち主であった稲葉荘氏と面識のある日蓮正宗法華講大講頭の大草一男)

文書の真贋について、断言する決定的材料はいまのところ乏しい。しかし、「靖国神社参拝」という、周辺諸国から“国家神道的”“戦争礼賛”ととられかねない行動を続ける小泉首相を、与党として強力に支援しているのは、学会を支持母体とする公明党だ。宗教団としての教義より、与党として政治的権力の保持を優先するかのような現在の学会の姿を、泉下の戸田氏はどう見ているのだろうか。
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一般世間の人々が購読している週刊誌にまで「通諜」の存在が紹介されてしまった。学会本部は「全くの暴論」だと否定しているが、その根拠はきわめて希薄。さらに、現物の写真が読者に与えるインパクトは想像以上に大きいに違いない。さて、創価学会は御得意の"名誉毀損"訴訟を提起し、裁判を通して「通諜」の真贋を証明できるか??(<■「通諜」問題総括>参照)(法蔵)