海外広布
台湾広布

台湾地図
面積:3万6000q(九州よりやや小さい)
人口:2329万人
住民:漢民族(約98パーセント)
言語:北京語、福建語、客家語


【国土世間】
 台湾は中国大陸の南東にあり台湾本島・澎湖諸島など79の島からなる。日本の与那国島とは直線距離で110キロと離れていない。かつては国民党一党独裁のもとで戒厳令がしかれ、国際的にも孤立した中で、経済活動に専念してきたが、1987年7月に戒厳令が解除されると、現在の経済的繁栄と政治的自由を達成し、人口密度の高さも相まって、活気に満ちた。
 台湾は、主に電子工業を発展させて日本のように工業製品の開発提供で外貨を獲得してきたが、先進国企業からの委託生産に特化してきたため知名度は低い。2001年のITバブル崩壊後、一時は経済成長率がマイナスとなったが、現在は持ち直している。今年は、台湾高速鉄道が開業したなどの明るいニュースもある。(『大白法』H19.5.16)

<彰化県・雲林県・嘉義県>
 台湾の中南部に位置する彰化県・雲林県・嘉義県は、台湾の穀倉地帯である。1年を通して気候が温和なため、農産物が数多く生産されている。
 この地は17世紀後半、清王朝の時代に中国大陸の福建省から多くの人が移り住み、鹿港での貿易・商業などにより台湾でいち早く発展した。
 今年8月の台風8号では、台湾南部の地域が最も被害が大きかったが、中南部も多数の死傷者があったほか、農作物へ深刻な被害があった。

<桃園県>
 台湾の北西部に位置する桃園県は、北部で台北県、南部で新竹県、東部で宜蘭県に隣接し、桃園国際空港を有する。
 面積1,220ku、人口約200万人。
 山海を有する風光明媚な土地柄で、標高2,030mの拉拉山は地名の由来となる桃などの果物や烏龍茶の産地として有名である。
 一方、コンピューター産業などの近代的工業地帯でもある。(『大白法』H22.3.16)
―正行院(旧桃園布教所)―
 平成20年5月25日、桃園駅より徒歩3分の所にある商業ビルの8階部分のすべてを買い取り、台湾第7番目の法城、桃園布教所として出発した。
 本年1月24日、御法主日如上人猊下の御親修を賜り、山号院号公称並びに板御本尊入仏法要を奉修し、本種山正行院としての新たな一歩を踏み出した。
 信徒は、桃園県の他、台北県西端の鶯歌鎮、新竹県関西鎮に住む法華講員約2,000名が所属し、地域広布に向かって前進している。(『大白法』H22.3.16)

<台中市・南投県>
台湾中部の台中盆地に位置する台中市は、同地方の経済文化の中心都市である。南投県は、台中市から内陸に入った所にあり、台湾最高峰の玉山、台湾最大の湖・日月潭のある風光明媚な所である。
―妙行院―
 1999(平成11)年3月に本興院中台分院として設立され、翌年3月に布教所に昇格、長沢正奏御尊師が常駐され、毎年折伏目標を確実に達成してきた。2004年3月には信徒増加のため広い布教所に移転し、同年11月、前御法主日顕上人猊下の御親修を賜り、山号院号を公称し現在に至る。
 現在妙行院には、台中市と南投県在住の信徒が所属し、中台本部の7支部が組織されている。(『大白法』H23.5.16)

<高雄市・台南市・屏東県>
 台湾南部のこの地域は、北回帰線より南に位置する熱帯地域であり、1年を通じて常夏の気侯である。
 法宣院のある高雄市は台湾第2の都市として海運業・重工業が盛んである。また、台南市は旧跡が多く残り「台湾の京都」の異名を持つ。屏東県は人口87万人、面積は神奈川県より少し大きいぐらいで、フルーツの生産やレジャー産業が盛んである。
―法宣院―
南台分院、南台布教所を経て2001(平成13)年9月28日、前御法主日顕上人猊下大導師のもと、移転新築落慶入仏法要が奉修された。昨年10周年を迎え、現在は1本部5支部の体制で信行に励んでいる。(『大白法』H24.6.16)

<宜蘭縣>
宜蘭縣のある蘭陽平野は、三方を山に囲まれた肥沃な土壌が広がる農業地帯。「竹風蘭雨」と言われ、新竹では風、宜蘭では雨が多く、冬には数ヵ月にわたりぐずついた天気になることも珍しくない。
―妙照院―
2002年6月に宜蘭縣の中心都市・宜蘭市と羅東鎮のほぼ中間地点に東台布教所として設立され、2004年11月末に前御法主日顕上人猊下の御親修を賜り、山号院号を公称し妙照院となった。2008年1月に、遠隔地域である花蓮縣に花蓮分院を設立。2010年7月に同分院が布教所に昇格し現在に至る。妙照院は、御主管・佐藤信俊御尊師のもと、宜蘭縣在住信徒が所属し、東台本部を4支部に分けて活動している。(『大白法』H23.10.16)

<新竹縣・苗栗縣>
 苗栗縣は、山地が8割を占める山と木に囲まれた土地柄であり、「山城」とも呼ばれる。
 苗栗縣に隣接する新竹縣も山林渓谷が美しく、冬の季節風が強い土地柄から「風城」とも呼ばれる。近年、新竹縣は、ガラス、肥料、セメント、製薬、パソコンなど、工業都市として発展しつつある。
―妙徳寺―
 苗栗縣にある妙徳寺には台湾法華講12本部のうち竹苗本部が所属する。管轄する地域は、新竹縣と苗栗縣である。

<台湾東部>
内陸は台湾を代表する山が連なり。長い海岸線は太平洋に面しているため平地は少ない。しかし、景勝地が多いことから観光が盛んである。また、台地を利用しての茶葉栽培など、農業も盛んである。
―花東布教所―
花東布教所は、民国97(2008)年に妙照院花蓮分院として、妙照院所属の信徒の中でも特に花蓮県地域在住信徒の法城として開院された。分院時代は、1日も早く常駐僧侶を迎えるべく、毎日、現地信徒が交代で分院の留守番を担当し、御本尊様をお護りする中で、日々、折伏をはじめとする仏道修行に精進してきた。そうした精進が実り民国99(2010)年7月18日、花東布教所として昇格し、漆畑海外部長の御導師のもと開所法要が奉修され、花蓮県及び台東県の両県を管轄するようになり、現在に至っている。


【広布の歩み】
―毎月300名以上の入信者が!―
(『大白法』H19.4.16ほか編集)

<2010.7.18>
・妙照院花蓮分院が、布教所に昇格。台湾花蓮県吉安郷において、花東布教所の開所法要が、御法主日如上人猊下の御名代として海外部長・漆畑行雄御尊師が赴かれ、厳粛かつ盛大に奉修された。

<2008.12.21>
・台湾台北県三重市で、台湾第9番目の法城となる日蓮正宗三重布教所の開所法要が、御法主日如上人猊下の御名代として海外部長・漆畑行雄御尊師が赴かれ、厳粛かつ盛大に奉修された。

<2008.5.25>
・台湾桃園県桃園市において、台湾第8番目の法城となる日蓮正宗桃園布教所の開所法要が、御法主日如上人猊下の御名代として海外部長・漆畑行雄御尊師の御導師のもと晴天に恵まれ、厳粛かつ盛大に奉修された。

<2008.1.20>
・花蓮県において、妙照院花蓮分院の開院法要が執り行われた。台湾第7番目の法城となる。

<2007.7.22>
彰雲布教所の開所法要が、御法主日如上人猊下の御名代として海外部長・漆畑行雄御尊師の御導師のも、盛大に厳修された。同国としては第6番目の法城となる。

<2007.5.19>
・御法主日如上人猊下の御訪台を賜り、妙徳寺において板御本尊入仏法要が盛大に奉修された。

<2004.11.26〜30>
・御法主日顕上人猊下の御親修によって、本因山妙行院(台中)・本教山妙照院(宜蘭)の山院号公称および板御本尊御入仏法要を執り行なわれた。

<2002.12.25>
・台湾第5番目の法城として建立として妙徳寺が建立された。

<2002.6.23>
・台湾東部信徒の信心の拠点となるべく宜蘭県の中心都市である宜蘭市と羅東鎮のほぼ中間地点に東台布教所が設立された。

<2001.9>
・御法主日顕上人猊下の御親修によって「秘要山法宣院移転新築落慶入仏法要」が奉修された。

<2000>
・本興院の中台分院が布教所に昇格(中台布教所)。このとき、常駐責任者として長沢正奏御尊師を迎えた。

<1999>
・中部台湾の信徒の中心拠点となるべく、本興院の中台分院が設立された。
・台湾大地震。この時の地震では、2000人以上の死者と9000人弱の怪我人が出たが、震源地近くにも大勢の法華講員が在住していたにも拘(かか)わらず、法華講員で人的被害を受けた人は、ただの1人もいなかったのである。この奇跡ともいえる現証は、台湾の法華講員に、御本尊へのさらなる確信をもたらし、周囲に向けての折伏に拍車をかけた。

<1997>
・首都・台北市の1等地に、中華民国日蓮正宗基金会を母体とする待望の第1号寺院、「中道山本興院」が建立され、名実共に僧俗和合の体制ができ上がった。

<1996>
・海外部長・尾林日至御尊能師をはじめとする正宗御僧侶をまじえた法人「中華民国日蓮正宗基金会」(※台湾には日本のような宗教法人制度がないために、いわゆる財団法人となる)が、中華民国政府から認可された。

<1992>
信徒による法人が設立されるとともに、日蓮正宗台北(たいぺい)事務所が開設されて、御僧侶が赴任された。
・創価学会は、国情を理由にして「日本の僧侶は台湾での布教はできない」と説明し、宗門と信徒の接触を遮断(しゃだん)してきた。ところが、宗務院海外部が直接、現地の状況を確認していったところ、なんと、創価学会の説明はまったくの嘘であったことが判明したのである。

<1991>
・創価学会問題が勃発し、じつに2000名にものぼる信徒が、迷わず創価学会を離れて日蓮正宗に附(つ)いた


 台湾における弘教の進展は、この10年間で7倍にも達しており、信徒数も全土で2万5千名を突破、きわめて早い速度で正法流布の体制ができ上がりつつあるといえよう。
 現在、台北市の本興院をはじめ、高雄(たかお)市に法宣院、台中市に妙行院、宜蘭(ぎらん)県に妙照院、苗栗(びょうりつ)県に妙徳寺の、5つの法城があり、8名の御僧侶が常駐して、信徒の育成に当たられている。
 こうした盤石な体勢のもと、現在、台湾では、月々300名もの人が御授戒を受けて入信し続けており、今後、さらに発展していくことは疑いない。
 また、同国では、日本と違って、こうした法人の場合、社会貢献を定款(ていかん)に盛り込むことが条件付けられるが、それに順じて台湾の法華講員は、寄附や奨学金の制度を設置し、さらに献血や海岸清掃など、ボランティア活動も積極的に展開している。
 まさに台湾の法華講員は、同国における広布の先駆者として、今、喜々として仏道をひた走っているのである。

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インデックス
毒鼓之縁を信じ反対されてもなお折伏/『大白法』H25.10.16

全台湾の絆で叶った昨年の誓願/妙徳寺『大白法』H24.10.16

折伏の原点は御報恩と使命感/法宣院『大白法』H24.6.16

「百人いたら百人動く」「自分が率先」/妙行院『大白法』H23.5.16

花東布教所の開所法要/『大白法』H22.8.1

御法主上人猊下 台湾に御親修/『大白法』H22.2.1

台北県 三重市に布教所が開所/『大白法』H21.1.16

折伏目標を毎年達成 今年もあと一歩/『大白法』H20.11.16

桃園布教所が開所/『大白法』H20.6.16

花蓮県に妙照院花蓮分院が開院/『大白法』H20.2.1

彰雲布教所の開所法要/『大白法』H19.8.1

寶林山妙徳寺板御本尊入仏法要 並びに 本興院創立10周年記念法要/『大白法』H19.6.1

4千名の出発から、2万5千名の陣容に大躍進/『大白法』H19.4.16

御法主日顕上人猊下、台湾へ御親修/『慧妙』H16.12.16

一人ひとりが喜んで信行に励む/『大白法』H16.11.16

平成21年へ向かい確実に前進/『大白法』H16.6.16

学会の妨害排除し御親修を成功へ(法宣院)/『慧妙』H16.4.16

折伏目標達成に向かい僧俗一致/『大白法』H15.5.16



花蓮県に妙照院花蓮分院が開院

(『大白法』H20.2.1)

 去る1月20日、躍進を続ける台湾の花蓮県において、妙照院花蓮分院の開院法要が執り行われた。これには台北市本興院主管・石橋頂道御尊師をはじめ台湾全寺院より8名の御僧侶が御出席。さらに地元信徒を中心に台湾全土から約600名の信徒が参集し、共々に台湾第7番目の法城誕生を慶祝した。
 これまで台湾の東海岸に位置する花蓮県地区の信徒は、車で片道約3時間あるいは電車で1時間半をかけて最寄り寺院の妙照院(宜蘭県)に参詣を続けてきた。
 妙照院主管・佐藤信俊御尊師は、花蓮地域信徒の激励のため、昨年1月より出張御講を開始された。5月には御法主日如上人猊下を台湾にお迎え申し上げた喜びも重なり、参詣者は毎月着実に増加を続け地域拠点開設の気運が高まり、出張御講開始から1年で妙照院分院の開設に至った。今回の分院開設は、これまで地道な活動を続けてきた花蓮地域の信徒にとって、大きな成果である。地域広布の道場を得、さらなる発展が期待される。
 開院法要は午前・午後の2回に分けて行われ、第1回目は主に地元信徒が参列し、午前11時より、海外部長・漆畑行雄御尊師の代理として石橋御尊師の導師のもと、御本尊御開扉・献膳・読経・焼香・唱題と如法に奉修された。引き続き式の部に移り、はじめに東台本部・朱幹事の経過報告に続いて、漆畑海外部長からの祝電が披露され、次いで林徳晃講頭と石橋御尊師から、それぞれ祝辞が述べられた。最後に佐藤主管から丁重な謝辞があり、法要はとどこおりなく終了した。
 続いて午後2時より第2回目の法要が行われ、これには主に台湾全土、遠隔地からの信徒が参列した。法要は午前の部と同じく奉修され、式の部では、経過報告・祝電披露に続いて許副講頭、石橋御尊師からそれぞれ祝辞が述べられ、佐藤主管の謝辞をもって法要は終了した。
 法要終了後、代表者による記念撮影が本堂で行われ、和気あいあいとした雰囲気の申、待望久しかった新法城開設の喜びを改めて分かち合った。
 なお、花蓮県は、大理石の産地として有名であり、海外からも観光客が訪れる太魯閣国立公園を擁する自然豊かな地域である。新分院は地元信徒の参詣の便を考慮し、花蓮市に隣接する吉安郷の花蓮市側に位置し、付近には大型量販店や市場があり、最寄りの駅までは徒歩10分と好立地にある。建物は、鉄筋コンクリート7階建てビルの7階部分で、約100坪のフロアに、椅子席で200名収容の本望並びに受付・事務所・会議室等を備えている。

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彰雲布教所の開所法要

―躍進する台湾に6番目の法城―
(『大白法』H19.8.1)

 本年5月、御法主日如上人猊下初の海外御親修を賜った中華民国台湾。その喜びもさめやらぬ7月22日、日蓮正宗彰雲布教所の開所法要が、御法主日如上人猊下の御名代として海外部長・漆畑行雄御尊師の御導師のもと晴天に恵まれ、盛大に厳修された。これには、妙住寺住職・佐藤広明御尊師をはじめ日本・アジアから有縁の御尊師方が来賓として御出席。また台湾全土からは、本興院主管・石橋頂道御尊師をはじめ全主管・住職、信徒も管轄地域となる彰化県・雲林県・嘉義県・南投県をはじめ全島から約1,200名の代表信徒が勇躍参集し、同国としては第6番目の法城となる新布教所の誕生を心から慶祝した。
 法要は、午前・午後の2回われた。第1回目は、主に地元信徒が参列して、現地時間午前10時より、漆畑海外部長の御導師のもと、御本尊御開扉・献膳の儀・読経・唱題と如法に奉修された。式の部に移り、許童栄副講頭の経過報告に続いて、漆畑海外部長より祝辞並びに新布教所責任者の紹介が行われ、次いで勧持院住職・渡辺定英御尊師と仏覚寺住職・合原歓道御尊師から、それぞれ祝辞が述べられた。最後に新責任者に就任された佐藤信亮御尊師から丁重な謝辞があり、法要はとどこおりなく終了した。
 続いて午後2時より第2回目の法要が行われ、これには主に台湾全島、遠隔地からの信徒が大勢参列した。法要は午前の部と同じく如法に奉修され、式の部では、経過報告、海外部長の祝辞並びに新責任者の紹介に続き、正説寺住職・早瀬義久御尊師と善修寺住職・岩切耐道御尊師からそれぞれ祝辞が述べられ、謝辞をもって、法要は終了した。2回日の法要終了後、代表者による記念撮影が本堂にて行われ、夕刻には、会場を移して約400名の僧俗が一堂に会して記念祝賀会が行われ、和気藹々(あいあい)とした雰囲気の中で、改めて待望久しかった新布教所開設の喜びを分かち合った。
 なお新布教所は、中山高速道の員林インターチェンジから車で約5分、台湾鉄道・員林駅からは、車で約10分の交通の便利な田園地帯にある。また堂宇は、約260坪の敷地に、1階に約500名収容の本堂並びに受付・事務所・会議室等があり、2階には庫裡を備えた堂々たる建物である。
 この新布教所には、これまで台中市・妙行院と高雄市・法宣院に所属していた4県にまたがる約2,000名の信徒が所属し、その喜びは計り知れないものがあり、同地域の一層の広布前進が期待される。5月の御親修に続く、このたびの6番目の広布拠点の開設を新たな飛躍台として、台湾僧俗は平成21年の御命題達成に向けて、さらなる前進を誓い合っている。


▲彰雲布教所

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4千名の出発から、2万5千名の陣容に大躍進

―台湾広布の10年―
(『大白法』H19.4.16)

【寺院建立、法華講結成、僧俗和合を確立】
 日本の西南に約1,100km、飛行機で東京から約3時間の所に付置する台湾。日本の国上の1/10ほどの、九州よりやや小さい国土に、現在2,300万人が活気溢れる生活を送っています。
 今、その国土を舞台として約2万5千名の法華講の同志が、宿縁の深さをかみ締めながら、日々活発な広布の活動を展開しています。その中心拠点である本興院は、台北市のほぼ中央、交通至便な松山区八徳路の16階建ビル5階にあります。本年で創立10年目を迎え、今や「南無妙法蓮華経の日蓮正宗寺院」として、知る人ぞ知る存在になっています。その1日は、毎朝約200名の老若男女が参詣する朝の勤行に始まり、夕の勤行を挟んで午後9時半の閉門まで、参詣者の途絶えることはありません。当に台湾広布の中心拠点です。
 これが日曜日ともなると、朝の勤行の時に行われる「講経会」に500名前後の信徒が参詣し、法話に耳を傾け一心にメモを取る姿は、真剣に台湾広布を願う多くの信徒の心そのものです。特に土日の本興院内は、大小の会議室がフル稼働で、広布の息吹きが満ち溢れています。
 新入信者はほぼ毎日あり、御授戒の時に本堂内に響きわたる「願奉持(持ち奉るべし)」の大合唱は、参詣者の折伏意欲を一層掻(か)き立てます。現在、台湾全島での月間折伏は、300名前後です。今、宗門は僧俗一丸となって1年後、2009年の地涌倍増をめざし折伏戦を展開していますが、台湾とて例外ではありません。本興院創立以来設定されてきた全台湾2000名の年間折伏目標を、2002(平成14)年以降は、2500名に設定して毎年確実にそれを達成し、名実共の地涌倍増をめざして現在に至っています。
 今でこそ、本興院を含め全島内5ヵ寺に10名の僧侶が常駐する広布の環境の整った国ですが、ここに至るまでの歴史は決して平坦ではありませんでした。1991年(平成3)年3月、宗門によって海外布教のSGI(創価学会インターナショナル)」一任が撤廃された直後に、尾林前海外部長が初訪台され、宗門主導による本格的広布が、他国に先駆けて幕を開けました。とはいえ、僧侶は不在、1つの寺院もなく、正確な情報から遮断された環境にありました。そのような中、多くの純粋な信徒たちが有縁のリーダーを中心に、信心の命脈を保っていたのです。宗門主体・僧侶主導の布教体制の構築は、火急の課題でした。
 海外部の初訪台から約半年を経た1991年12月には、早くも海外部台北事務所が台北市士林区に開設、翌年には社団法人・日蓮正宗信徒弘法会が成立して、1993年5月、初めて事務所責任者として常駐僧侶が赴任いたしました。こうして徐々に布教体制が整備されていきましたが、多くの信徒が僧侶からもっと親しく指導を受けたいという気運が高まり、1996年6月、僧侶を責任役員に加えた現在の財団法人・中華民国日蓮正宗基金会が誕生したのです。これを母体法人として、同年12月には、本興院が開設。次いで翌1997年4月には、待望久しかった本興院の落慶入仏法要が、前御法主の総本山第67世日顕上人猊下をお迎えして盛大に奉修されました。悲願の御親修法要を目の当たりにした台湾僧俗は、到底言葉では言い表せないほどの感激を味わったのです。その折、日顕上人猊下は、
 「仏法の西漸の相茲にあり 本興院の緇素に幸あれ」
とお詠みになられ、大きな期待を寄せられたのです。その御期待にお応えしようと、それを境に「折伏こそ真の報恩」と果敢な折伏を実践、台湾広布は堰(せき)を切ったように一気に加速していったのです。
 法華講組織は、本興院支部として落慶入仏法要後1年を経て設立認可されました。発足当時4000名ほどであった信徒数は、9年を経て今や2万5000名を数える大組織に発展しました。
 この間、日顕上人猊下による御親修は、本興院の落慶入仏法要を皮切りに、2001年9月の高雄市・法宜院の移転新築落慶入仏法要、2004年11月の台中市・妙行院と宜蘭県・妙照院の山院号公称板御本尊入仏法要と、都合3回奉修されました。


【全台湾2万5000名 5カ寺一体の体制】
 現在台湾の寺院は、1法人5カ寺体制ですが、法華講組織の方は全台湾一組織(本興院支部)として活動を行っています。その理由は、台湾広布が第1号寺院の本興院を基点として始まり、その後順次に地方展開していった経緯によります。
 現在、全台湾で8本部あり、1本部は2,000〜3,000名の規模になっています。そのうち台北・本興院には4本部が所属し、あとは各寺院に1本部ずつが所属しています。1本部は3〜5支部に分かれ、さらに1支部が数個の地区と組に細分化されています。最小単位の組は、全国で1,000近くになりますが、2年後の地涌倍増を射程圏内に入れ、全組織をフルに回転させながら、年間2,500名の折伏誓願目標達成をめざし、日夜果敢な折伏戦を展開しています。本年も、年間折伏目標のうち3月末時点での達成目標を上回っています。
 急速な進展に伴って短期間で寺院が次々と建立されたものの、それらが一法華講組織で活動する体制は、二重構造的な面もあります。しかし、当面は、一体感のある現体制の方が利点が多いように思われます。
 さて、組織の最高会議として、月1回第3土曜日に本興院で開かれる幹事会および企画会があります。ここでは全寺院の主管・住職と講頭・副講頭以下全国8本部の幹事と各部の部長が本興院に集まり、中・長期的な展望の上から重要な企画案件を検討します。それを、第1土曜日に全国40支部の主任を加えた全役員が本興院に集まって開催される月例会において、最終検討し議決します。議決事項は、すぐに全国の本部→支部→地区→組を経て末端まで伝達されて周知徹底が図られます。
 現在、全国組織として青年部と少年部はありますが、壮年部と婦人部は結成されていません。より一体感を持った全体的な活動の方が現状に即しているからです。青年部と少年部は、台湾法華講の次代を担う財(たから)です。独自の活動と共に、全体の活動にも積極的に参加して次代のリーダーに育つよう指導しています。
 そのほか主な活動として毎月各支部単位で実施される支部指導会があります。これには必ず僧侶が出席して時に適った適切な指導が行われるれと共に、機関誌に掲載される御法主上人猊下の御指南の読み合わせや、体験発表、各部の報告、僧侶による質疑応答などが活発に行われます。指導会を挟んで必ず各支部2軒の家庭訪問があり、親身になって激励と指導が行われます。この指導会には、各支部100名前後の参加者があり、支部の活性化と個人の信心錬磨に大きな効果を上げています。課題は、マンネリ化の打破と出席者の固定化を防いで出席率を上昇させることと内容の創意工夫です。その他、支部・地区・組単位での役員会や唱題会、読書会等が活発に行われています。
 また、台湾の寺院は、財団法人を母体としているため、外部向けの活動も積極的に行っています。献血、野外清掃、施設の慰問、奨学金の助成など、日本に比ベてかなり活動は活発で、しかも多彩です。台湾においてこうした社会に貢献する福祉活動は、広布推進・折伏展開の上からも極めて有効です。
 一方、文書布教の中心は、本年4月号から全面カラー化された月刊の機関誌『本興』と青年部機関誌『彰義』です。4月号で121号を数える『本興』が、この10年間において台湾広布に果たしてきた功績は実に大きなものがあります。そのほか折伏部・法要部・文化部・社福部・登山部(A・B・C)・出版部・服務部・翻訳部・国際部など14の部があり、部によってはさらに組に細分化されて活動を展開しています。
 その一部を紹介しますと、まず法要部は、安全組・受付組・法要組・太鼓組に分かれ、常に大勢の参詣者が訪れる各種法要の円滑な運営に貢献しています。特に本興院は、大型ビルの5階にある関係で、非常時の危機管理には特に注意を払っています。安全組は、普段から危機管理を参詣講員に喚起し、本興院内外での講習や実地訓練も積極的に推進しています。昨年も300名以上が参加して、市内にある危機管理センターで研修を行いました。
 登山部は、登山業務をすべて担っています。日本に比較的近いという地の利もあって登山者数は他国に比べて比較的多く、行程も5〜7日と長いため、安全面をはじめ輸送手段の確保など労力は想像以上のものがあります。そのためA・B・Cの3つの部に分かれ順番に担当しています。登山が計画される度に担当僧侶と部長を中心に運営会議や説明会が開かれ、行程等を十分に検討して無事故を心がけています。この10年に培ったノウハウを十分に活かし、現在、比較的円滑に運営されていますが、常に初心を忘れず細心の注意を払って取り組むようにしています。
 折伏部は、躍進を続ける台湾広布の推進役です。全国40支部の折伏推進委員から寄せられる月毎の折伏状況を、いち早く集計して月例会に報告します。その最新の進捗状況は、ロビーの誓願目標達成グラフに反映し、参詣講員の折伏意欲の一層の発揚に大きな役割を果たしています。


【一人ひとりが常に折伏広布の進展】
 古来、中国では「国の本は家にあり」と言われています。家族は国の礎であり、社会構成上の重要な単位であるというのです。儒教の倫理思想もこれに由来しますが、台湾での祖先崇拝は、一家を挙げての重要な義務であり、宗教に対する考え方や行動の基準の出発点ともなっています。街を歩けば、各家庭の1階の正面には必ずといっていいほど神仏棚があり、そこに祖先の位牌を祀る光景は、ごく普通の風景として目に入ってきます。本来台湾の人たちは、国民の約8割が何らかの信仰を持って祖先を重んじる「信心深い」民族性であるため、それが正しい先祖供養のあり方と正しい信仰を求める機縁となり、折伏によってそれが開花するのではないかと思います。現実に、新旧いずれの信徒を問わず、各家庭には立派な仏間があり、仏壇も立派なものが多いという印象を受けます。
 しかし何といっても、広布進展の真因は、信徒一人ひとりの高い折伏意欲、勝れた実践力に他なりません。その根底には、強い信心と地涌の使命感があるのは言うまでもありません。台湾の信徒は、特に構えることなく常に下種と折伏を実践します。たとえばタクシーに乗れば運転手に、レストランに入れば店員に、何気ない会話の中で自然に信心の話をします。話が進んでいくうちに、「南無、妙法、蓮華、経」と実際に相手に唱えさせることも多く、相手も比較的素直に「南無、妙、法、蓮、華、経」と、ぎこちない表情を浮かべながらも素直にそれを繰り返す光景は実に微笑ましく、しかしそこに折伏の「真髄」を垣間見る思いがします。
 また、講員の葬儀や新入信者の御本尊入仏式には、大勢の同志が駆けつけます。葬儀には、50〜100名の同志が参列します。未入信の遺族が、葬儀の荘厳さや同志の温かさに感激して入信するケースも少なくありません。入仏式も20〜50名くらい駆けつけて、盛大に行われます。また本興院の近くに職場がある信徒が、昼休みのちょっとした時間に未入信の同僚を連れて参詣するといったこともよく見られます。こうしたことを見ても、我が信心への誇りと確信と広布への使命感は、相当なものがあります。
 さらに比較的入信間もない人の活動が目立つのも台湾法華講の特徴です。宿縁の然らしむるところと言ってしまえばそれまでですが、入信1〜2年の信徒が盛んに折伏し、役職に就いて活動する例も少なくありません。初信ゆえの純粋な信心によってはっきりと功徳を体感し、新たな人材を輩出させるのでしょう。入信間もない熱原の法華講衆が、不退転の信心を貫いて法華講の源流となった姿が彷彿としてきます。
 前述したように御授戒は、ほぼ毎日行われる日常的な風景です。御授戒終了後、新入信者を囲んで歓喜の輪が幾重にも広がって、広布の息吹きは否応なく高まっていくのです。それが同志の折伏意欲を一層鼓舞し、確かな相乗効果をもたらしているように感じます。


【初心を持続未来広布へ前進】
 法華講結成後まだ10年に満たない台湾。一方、700年の長い歴史を持つ日本の法華講。台湾法華講は、歴史が浅いゆえに、また信心の環境に恵まれないゆえの奮起と渇仰、こうした要素が相侯(あいま)って、これまで躍進が続いてきたと思います。
 さらに台湾広布には、本興院誕生に至るまでに、前述した破和合僧の魔の用きという深い反省が、地下水脈のように横たわっています。この負の遺産を見事に変毒為薬して築いた僧俗和合・異体同心の体制は、現在もしっかり維持されています。僧俗それぞれが互いの本分を弁えた緊密な信頼関係こそが、この10年間の台湾広布を躍進させた大きな原動力だと思います。
 しかし凡夫の常として、余りに恵まれた環境が続けば、ついついそこに安住してしまい、感謝の念も薄れがちになります。今後どんなに台湾の広宣流布が進展しても、寺院もなく僧侶もいない辛く苦しかった時代を思い起こすことが大切ではないかと思います。常初心の謙虚な信心を持続して、講員一人ひとりがさらに信心を磨いて、一騎当千の広布の人材に成長していって欲しいと心から願っています。
 比較的楽に折伏が進んでいるように見える台湾広布も、講員一人ひとりの毎日の懸命な勤行・唱題を基礎とした折伏の実践がすべてです。広布に安穏な道はありません。本興院創立10年を経過して、組織的にも課題は数多くあります。御講をはじめ各種の法要の参詣者が多いといっても、絶対数が多いのですから当然といえば当然、活動率そのものは決して高いわけではありません。組織が大きいだけに末端まで血の通った指導が徹底されない面も少なくありません。どんな組織でも改善の余地は必ずあるはずです。現状に甘んじることなく、過去の成功体験に安住することなく、常に反省を加え、改善する勇気を持って前進を図っていきたいと考えています。
 いずれにしても台湾僧俗は、間近に迫った1万名結集目標の第3回法華講総会の成功を当面の最大目標にして奮起し、がんばっています。それが2年後の地涌倍増を確実にし、さらにそれが未来台湾広布を大きく切り開く足がかりとなることを固く信じて、僧俗一丸となって広布に邁進します。

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御法主日顕上人猊下、台湾へ御親修

―これで台湾には5ヵ寺の法城が確立!―
(『慧妙』H16.12.16)

 去る11月26日から30日にかけ、御法主日顕上人猊下は台湾に御親修あそばされ、本因山妙行院(台中)・本教山妙照院(宜蘭)の山院号公称および板御本尊御入仏法要を執り行なわれた。
 妙行院には、本堂と第2会場を併せて2千百余名、また妙照院には、同じく1千名が参詣(さんけい)し、法要は厳粛(げんしゅく)かつ盛大に奉修された。
 これで、台湾には合計5ヵ寺の法城が確立したことになり、信徒数も全土で2万1千名を突破、きわめて早い速度で正法流布の体制ができ上がりつつあるといえよう。
 ちなみに、台湾における弘教の進展は、この10年間で7倍にも達しており、本年「破邪顕正の年」の折伏目標2千500世帯も早々に達成、来たる平成21年には3万名を目指して前進しているのである。
 こうした正法の流布を妬(ねた)む、創価学会による妨害や悪宣伝も繰り返されてきたが、やはり折伏進展の大功徳の前には、障魔(しょうま)も後退を余儀なくされてきたといってよい。このたびの御親修の大成功は、まさに「緒余怨敵皆悉摧滅(しょよおんてきかいしつさいめつ)」の実証である。
 我が日本の法華講衆も、いよいよ奮起(ふんき)して折伏行に勤(いそ)しもうではないか。

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一人ひとりが喜んで信行に励む

―台湾 宜蘭県 東台布教所―
―折伏目標2年連続達成の宜蘭支部頭城・礁渓地区―

(『大白法』H16.11.16)

 東台布教所は2年前の2002年6月23日、台湾東部信徒の信心の拠点となるべく宜蘭県の中心都市である宜蘭市と羅東鎮のほぼ中間地点に設立された。それまでは信徒分布の関係上、西側のみに寺院布教所が建立されてきたが、同布教所の設立によって、地元信徒の布教に対する熱意も徐々に向上しつつある。今後、本年中には寺院として新しい布教の第一歩を踏み出すことになっている。
 東台布教所の管轄する地域は宜蘭県と花蓮県で、所属する約900名が宜蘭支部・羅東支部・花蓮支部の3支部に分かれている。
 そこで今回は、宜蘭支部頭城・礁渓地区の地区長の邱徳村さんにお話を聞いた。この地区は、昨年今年と2年続けて折伏目標を達成し、邱さん自らも信徒の激励や折伏に励んでいる。
◇◇
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〈Q〉まずはじめに入信の動機を聞かせてください。
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〈邱〉 私は、他宗教の家に生まれ育ちました。
 1983年には2人の子供に恵まれ、たいへん幸福な家庭の父親でした。ところが、その2年後の8月、次男のお腹が非常に張って排泄物が出なくなったため、台北の馬偕病院に連れて行きました。この病気は治りましたが、その翌年の4月、今度は、次男は両足が曲がったまま伸びないという原因不明の病気にかかってしまいました。
 この病気を治すために、近くだけでなく北部から中南部にかけての大きな病院にも連れて行きましたし、いろいろな寺院へも行きましたが、治りませんでした。私たち夫婦は落ち込みました。
 この頃、家内は1番上の義姉の折伏によって、毎週水曜日と金曜日の夜に、友人の所へ唱題行に行くようになりました。その間、私が2人の子供を2階の書斎で見ていました。そして家内は、帰宅すると3階の何もない部屋で、東に向かって唱題していました。書斎にいた私には、唱題の声だけが聞こえてきました。まだ日蓮正宗のことを知らなかった私は、家内がおかしくなったのではないかと心配しました。
 そのうち家内が私に「一緒に唱題しましょう」と声をかけるようになりましたが、私は必ず不機嫌な顔をしたそうです。
 ある日、家内が「3階の電灯がつかなくなったので、2階の書斎で唱題をしてもいいですか」と私に聞いてきました。私と2人の子供は愕然としましたが、私は、子供たちの前では母親としての尊厳を与えなければならないと思い、黙って同意しました。
 しかし家内はそれだけでは気がすまなかったようで、私に「一緒に題目三唱をしてください」と言いました。私は仕方なく正座をして、題目三唱しました。家内は、「唱題することで子供の病気がよくなるのです」と言いました。私は、病院と医者は意味がないのかと言い返そうとしましたが、少しでも子供のためになるのならと思い、唱題するようになりました。
 しばらくすると、家内は私に「家に御本尊様を御安置したい」と言いました。しかし、御下付していただくためには、勤行できるようにならなければならないとのことでした。私は、子供のためなら何でもしようと思い、わずか2週間で勤行ができるようになり、翌月には家族全員で総本山大石寺へ登山をし、大願寺で御授戒を受け、御本尊様を御下付いただくことができました。
 御本尊様を護持していく中で、経済や生活全般、子供の勉強にいたるまで、すべてのことがよい方向に転換し、次男の病気も手術後次第に回復に向かい、今では立派に広布の人材に成長いたしました。

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〈Q〉邱さんが地区長をしている頭城・礁渓地区は毎年折伏成果がよいようですが、どのような地区活動を心がけていますか。
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〈邱〉 頭城・礁渓地区は信徒数138名、4つの組に分かれています。毎週金曜日と日曜日の2回、信徒宅を順番に回って唱題会をしています。唱題会後は、全国会議での内容報告、布教所での服務(諸役)の打ち合わせ、折伏の進行状況報告、信徒の激励などを行います。その中から新しい下種先を見つけ、日時を決めて折伏に行きます。このような活動をするうちに、自然と一人ひとりの信徒が広布の人材に育っていきます。
 また台風や地震などがあれば、必ず信徒宅に電話を入れ、安全の確認をします。そのような気配りによって、次第に地区活動への参加人数も増え、折伏の機会も増えてきました。その結果、毎年折伏目標が達成できるようになりました。
当時、台中市には御僧侶がいらっしゃらず、台北の事務所だけでした。ですから何か法要があるときには、地域の信徒みんなでバスに乗り合わせ、5時間ほどかけて台北事務所に参詣していました。

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〈Q〉台湾で折伏をする場合、どのような障害がありますか。
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〈邱〉 それは、ありすぎて数え切れないほどです。なぜかというと、台湾には廟と呼ばれる邪宗寺院がたくさんあり、それらに由来したお祭りや祝い事がとても多いのです。その影響を受けている人々を変えることは非常に困難です。ですから折伏をするときは、怒られることを覚悟で相手の宗教をしっかりと破折します。
 また御授戒を受けさせた後、新入信者どのように世話すべきか知らない人もおり、入信後、意欲的に御講や指導会、地区の活動に参加する人は多くありません。一人ひとりを丁寧に導いていくのは非常に労力のいることです。

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〈Q〉今までの折伏の中で、強く印象に残っていることは何ですか。
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〈邱〉 そうですね、一番印象に残っているのは去年折伏した趙さんです。この方は公務員で、同僚から身に覚えのない偽造文書の罪で告発され、1審で懲役1年6ヵ月の有罪判決が出てしまいました。様々な神仏にお詣りしても解決せず、途方に暮れていることを知り、折伏を決意しました。私の折伏に、彼は素直に話を聞き、数日後、一緒に布教所に参詣して御題目を唱えました。その結果、第2審、第3審では無罪判決を獲得し、一家そろって御授戒を受けることができました。

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〈Q〉折伏後の育成はどのようにしていますか。
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〈邱〉 入信後は、自分の意志で寺院に参詣し、御僧侶の御指導を受けるのが一番重要です。
 具体的には、まず金曜日と日曜日の唱題会のときに近くに住んでいる信徒を呼んで激励をします。また法要や活動の際には信徒一人ひとりに事前に参加できるかどうかを聞いて調べるようにしています。
 さらに老人や体の不自由な人に対しては、事前に人数を調べて車で送迎し、その往復の車中で信心の話をするなどして、少しでも多くの人が喜んで参加できるよう心がけています。
 最近では徐々に出席率も高くなり、育成の成果が現れてきていると思います。

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〈Q〉今後の折伏に対する決意を聞かせてください。
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〈邱〉 法華講員の折伏は大聖人様の御遺命であり、どのような事態に対しても畏れることなく勇敢に立ち向かわなくてはなりません。一番大切なのは自分自身が御本尊様の大功徳を確信することです。
 東台布教所責任者の佐藤信俊御尊師の御指導のもと、今後の折伏に対して以下3項目の決意を述べます。
1.「『立正安国論』正義顕揚750年」の大佳節に向かって、法華講衆倍増を達成すること。
2.異体同心の精進で毎年の東台布教所の折伏目標を達成していくこと。
3.御法主上人猊下の「1年に1人が1人の折伏」との御指南を実践していくこと。
 そしてなによりも、東台布教所の寺院昇格の大慶事をめざして、今年も折伏目標を達成し、異体同心して精進してまいりたいと思います。
邱
▲終了後、記念撮影(後列右から2番目が邱さん)

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平成21年へ向かい確実に前進

―熱心な折伏で台湾広布の一翼担う―
―中華民国・台湾 台中市 中台布教所―

(『大白法』H16.6.16)

 中台布教所は、5年前の1999年、中部台湾の信徒の中心拠点となるべく、本興院の中台分院として設立された。翌2000年、布教所に昇格した折に常駐責任者として長沢正奏御尊師を迎えた。その後は毎年、早期に折伏目標を達成し、また確実に人材の発掘・育成にも力を注いできた。
 その甲斐あって、信徒増加で手狭になった布教所から、新たに広い布教所に移転をし、本年3月7日に落慶法要を行うことができた。
 今もなお、信徒の一人ひとりが個々に高い目標を定め、「『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって、中華民国・台湾の広布をめざして精進している。
 今回はその中にあって、特に折伏に顕著な成果をあげ、また組長(日本で考えると班長)としても励んでいる、葉美菁さんにいろいろとお話を伺った。
◇◇
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〈Q〉葉さんはどのようなきっかけで、いつ頃入信したのですか。
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〈葉〉 私は、1996年に主人を亡くし、また自分自身も甲状腺ガンを患っていて、6人の子供をどうやって養っていこうかと、とても苦しんでいました。  そんな時に折伏を受けたのです。短い時間でもいい、3分でもいいから御題目を唱えなさいと言われ、はじめは病気で苦しかったのですが、すがる思いで唱えました。  そうしているうちに、御題目を唱えることに歓喜の念を覚え、自然に1時間でも2時間でも唱えられるようになりました。いつしか体も改善に向かい、子供たちまでもが明るくなってきたのです。
 そこで、この信心は他の教えとは違うと確信し、1997年に御授戒を受けました。

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〈Q〉御授戒を受けた頃はまだ台中市に布教所も事務所もありませんでしたが、どのように活動していましたか。
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〈葉〉 当時、台中市には御僧侶がいらっしゃらず、台北の事務所だけでした。ですから何か法要があるときには、地域の信徒みんなでバスに乗り合わせ、5時間ほどかけて台北事務所に参詣していました。

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〈Q〉葉さんは普段から折伏に真剣に取り組んでいますが、折伏に対して何か心がけていることはありますか。
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〈葉〉 これと言ってありません。
 ただ御法主日顕上人猊下が、「1人が1人の折伏」と御指南くださることを肝に銘じて、常日頃からの御尊師の御指導をかみしめながら、1人でも多くの人に妙法を伝えたいという思いで、自然に日蓮正宗の話をしているだけです。

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〈Q〉昨年には22名もの縁故者を折伏されましたが、そのあとの育成はどうしているのですか。
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〈葉〉 もちろんしています。御授戒は受けたけれどそのあと全く活動に参加しないという人もいると聞きますが、それではいけません。
 私は、自分が折伏した人には責任を持って常に連絡を取っています。もちろん中には、いろいろな理由をつけて活動から遠ざかる人もいますが、それでも連絡を続けます。
 とても残念なのは、私が車を運転できないことです。折伏した人たちを車に乗せて一緒に活動に行くことができません。
 ですからその分綿密に連絡を取り、またそれらの人たちが正しい人材に育っていくように、日々御本尊様に御祈念しています。

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〈Q〉葉さん自身、組長という役職も担っていますが、そのほかに数多くの折伏した人たちの面倒も見なければならない。この両立をしていくことの苦労はありませんか。
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〈葉〉 組長という役職も、折伏した人たちの面倒を見ることも、苦労と感じたことはありません。逆に御本尊様のために御奉公できることの喜びを感じます。  ただ、御本尊様のためにも、お寺のためにも、自分の組を一層盛り立てながら、折伏した人たちの面倒を見なければいけないという責任の重さは感じています。

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〈Q〉これからの目標を教えてください。
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〈葉〉「『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって、さらに折伏に邁進し、1人でも多くの人にこの仏法を伝えていきたいです。また同時に、自分自身も正しい信心をもっともっと身につけていきたいです。

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〈Q〉最後に、日本の方々に対して、何かメッセージはありますか。
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〈葉〉 日本で信仰できる方々がうらやましいです。何と言っても総本山が近くにあり、いつでも御登山でき、御法主日顕上人猊下の御指南を直に拝聴することができます。私も機会があればなるべく御登山するようにしていますが、限度があります。  私の家は、山の麓に位置していて、車の運転もできないので、毎日のようには布教所に行けません。  しかし、中台布教所責任者の長沢御尊師は、決して苦労を顔に出されず、このような場所に毎月指導会に来て、様々な御指導をしてくださいます。  そういった御恩にお応えするためにも、経験豊富な日本の法華講員の方々から機会ある度に、いろいろなことを学んでいきたいと思っています。
 特に、寺院外護、御供養の精神、そういったものを交流会または御登山の折などに学んで、自分のものにして、日本の法華講員に少しでも追いつけるように、信心していきたいと思っております。
葉美菁
▲葉美菁さん

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学会の妨害排除し御親修を成功へ

―法宣院―
(『慧妙』H16.4.16)

 台湾の高雄市は、台北から南に約300q、北回帰線より100qほど南に位置している。気候は熱帯に属し、台湾の総人口2300万人の7%にあたる150万人を擁(よう)し、工業が盛んな同国第2の港湾都市である。
 この地に立つ「秘要山法宣院」に所属する信徒は、地元高雄をはじめ、嘉義・台南・屏東・台東の5県に広く分布しており、現在2600人の陣容となっている。
 3年前の2001年9月、御法主日顕上人猊下の御親修によって「秘要山法宣院移転新築落慶入仏法要」が奉修された。
 この法要は、台湾信徒にとって、「御法主上人を高雄へ!」との積年の悲願を実現するものであったから、法要の予定が決まった時の感激は、とても言葉には尽くせないほどであった。
 御法主上人の御慈悲に感激するとともに、どんなことがあっても必ず「移転新築」と「入仏法要」の大事業を成功させよう、御法主上人に御無事で総本山にお帰りいただこう、との決意で、唱題にもいっそう力が入ったという。
 一方、創価学会はといえば、「御親修」と聞いて案の定、狂ったように種々の妨害を仕掛けてきた。「御親修を何とか阻止して法華講の躍進(やくしん)を食い止めたい!」この一点に絞り腐心(ふしん)したのである。
 そうした創価学会の姿は、謗法者の末路とはいえ、見苦しく、哀れとしか言いようのないものであった。
 まず、2001年初頭、さっそく秋谷栄之助が来台。それというのも、1997年の台湾第1号寺院である本興院の御親修を契機に、台湾における折伏・再折伏の息吹が一気に盛り上がり、法華講が倍増した、という苦い経験があるため、学会では組織の引き締めに躍起(やっき)となったのである。
 さらに法華講員宅に無差別に『改革時報』と称する怪文書が送られてくる。
 なかには、離脱僧が法華講員宅を回って、それを置いていく、というような働きかけ等もあったが、法華講員には少しの動揺もなかった。それもそのはず、創価学会の誤りを明確に認識した上で脱会して来た法華講員が、今さら学会に戻るわけがないからである。
 実際に離脱僧に応対した法華講員に話を聞くと、「離脱僧は御書を切り文で引用するので、その矛盾(むじゅん)を衝(つ)くと何も答えられず、すごすごと退散していきましたよ」とのこと。おそらく上に言われるままに、何の確信も無く、ノルマとして回っていたのであろう。
 また、この時は、マスコミを使った取材攻勢も執拗(しつよう)に続いた。このように、自らは表に出ないで謀略(ぼうりゃく)を仕掛けるのが、創価学会の常套(じょうとう)手段といえよう。
 また、創価学会からの一方的な悪宣伝を鵜呑(うの)みにした一部のテレビ局や新聞・雑誌等のマスコミが、悪意をもって御法主上人の来台を取り上げたり、日蓮正宗が台湾であたかも非合法的な活動をしているかのように報道した。
 あるテレビ局が、事前の連絡も無く、建設中の法宣院に取材に来たこともあったが、その時、法宣院側は毅然(きぜん)として、
@創価学会は十年前に名聞名利の故に破門されたこと
Aそれを契機に執拗に報復的な行動をとり続けていること
B日蓮正宗側がいたずらに創価学会を悪口中傷したことはないこと
C創価学会は争いを好むこと
D創価学会の手口は、マスコミを利用すること
E日蓮正宗は、すべて合法的に布教し運営していること
等を説明。テレビ局は拍子抜けしたように帰って行った。
 また創価学会は、御法主上人が投宿されるホテルを突き止めて、無理矢理同日の予約を入れて、ダブルブッキングさせようとしてきたこともあった。この時は、ホテル側の機転により、事なきを得たが、こうしたことが、かえって創価学会の非法性をはしなくも露呈(ろてい)することになり、結果的に多くの人の顰蹙(ひんしゅく)を買ったのである。
 そのほか法要当日の、マスコミによる突撃取材や尾行、無断撮影など、なりふり構わぬ妨害工作や嫌がらせは、挙(あ)げればキリがない。
 しかし、それらのことが、かえって法華講の団結を強固にしていくことになったのである。
 御親修に向けて、たくさんの広布の人材が輩出され、そうした人材が、それぞれの分野で生き生きと活動するに至ったのである。
 こうして、数々の困難を克服して迎えた、御親修の当日、御法主日顕上人は、
 「日蓮正宗のお寺は、住職の所有でもありません。また御信徒の所有でもありません。日蓮大聖人様のお寺であり、日蓮大聖人様の仏法を護持する寺院であります。したがって、住職と皆様方とが、心を一つにして法を正しく護り、しっかりお題目を唱えていくところに、このお寺の興隆があるとともに、皆様方の、またそれぞれの生活における本当の幸せが実現されると思うのであります」
と、親しく御指南あそばされた。
 生涯の誇りであり、最大の喜びである御親修をいただいた法宣院僧俗にとって、この御指南は永遠の指針となっている。
 そして、2009年までの5年間も、折伏目標を達成し、御法主上人の御恩にお応え申し上げる覚悟で、前進を続けているのである。

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折伏目標達成に向かい僧俗一致

―異体同心の団結強まる―
(『大白法』H15.5.16)

 法宣院は、一昨年9月に御法主上人猊下の御親修を賜りました。今では僧俗一同、御法主上人猊下の御恩にお応えするために"必ず毎年の折伏目標を達成しよう"という誓願を立て、毎日の唱題を根本に折伏に励んでいます。
 今回紹介するのは、法宣院の長老的存在でみんなから"陳阿伯(おじさん)"と呼ばれ親しまれている陳振春さんと、高雄方面の主任として積極果敢に折伏に取り組んでいる陳志栄さんにお話を伺いました。
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〈Q〉陳振春さんは、今年で入信42年目だそうですね。台湾に僧侶が常駐するずっと以前から信心をしてこられたわけですが、僧侶不在の環境で、どのようにしてこの信心を続けてこられたのですか?
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〈A〉42年前の台湾はまだ戒厳令が敷かれており、今のように自由に信仰ができませんでした。座談会をしていると、周囲の住民に告発されて何度か官憲に踏み込まれたりもしました。そうした環境のなかでも、折伏のときは自転車に乗って他県まで出かけていきました。それらの苦労と、みんなの信心が結実して、今では高雄にお寺ができ、御法主上人猊下をお迎えできるまでに発展し、まことに感無量の思いです。

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〈Q〉高雄に念願のお寺ができ、また御住職が常駐して4年経ちました。振春さんはその間ずっと法要等の通訳の奉仕をしてこられたわけですが、通訳において特に心がけていることは何ですか?
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〈A〉仏法の通訳は非常に難しいです。我見を交えないということはもちろんですが、できれば一字一句も間違わないようにという気持ちで取り組んでいます。そのために前もって自宅で法話の教材を勉強し、判らないところは法要前に御住職に伺って通訳に臨んでいます。

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〈Q〉6年後の『立正安国論』正義顕揚750年に向け、今年の抱負をお聞かせください。
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〈A〉今年は広布大願に向けての新たな出発の年ですから、朝晩の勤行はもちろん、最も重要な「1年に1人が1人の折伏」の目標達成のために、毎日唱題していきたい。また、青年の人材育成のために少しでもお役に立ちたいと思っています。
◇◇
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〈Q〉陳志栄さんは、法宣院の前身である南台布教所の時代から約3年間、200世帯ある地域の主任を担当してこられましたが、毎年必ずその折伏目標を達成されていますね。担当地域全体の折伏を推進していく上での心がけをお話ください。
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〈A〉担当地域内の役員全員で唱題会を行い、「折伏目標完遂」の御祈念をしてきました。また役員各々が朝晩の勤行のときにしっかりとこの御祈念をするよう呼びかけました。
 この3年間の折伏推進のなかで最も印象が深かったのは、2年目の2001年です。この年は12月半ばになっても達成できずにいたのですが、役員全員でさらに一生懸命唱題したところ、年末までにすべての目標を完遂することができたのです。その結果、全体の異体同心の団結が強くなり、また御本尊様の偉大な仏力・法力によって折伏は必ず達成できるとの確信を得ることができました。

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〈Q〉いつも家族そろって法宣院にお参りされておりますが、法統相続についてどのように考えていますか?
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〈A〉もし次の世代にこの仏法を伝えられなければ広宣流布もありえないし、我々自身の成仏も叶わないと思います。ですから私は子供に、お寺への参詣とお寺のお手伝いをすることの大事さ、自分で御供養をすることの大切さを教えています。

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〈Q〉これまで多くの折伏を推進されてきましたが、その方々の多くが御授戒のみで、御本尊様を御下付いただいておりません。また長年信心をしている家庭でも御本尊様を御安置していない家庭が数多くあります。6年後の『立正安国論』正義顕揚750年に向け、どのようにして御本尊御下付の推進に取り組んでいこうと考えていますか?
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〈A〉確かに、折伏のあとの育成が疎かになってしまっています。これからは御本尊様への常随給仕の重要性を、唱題会や家庭訪問等のあらゆる機会において伝えていきたいと思います。やはり我が家に御本尊様を御安置してこそ、悪縁にも紛動されない信心が確立していくものと思います。

お二人には、まことにありがとうございました。

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