公明党破折
自公連立

もし自由民主党が過半数の議席を失うというようなことになった場合、公明党に手をさしのべてこれとの連立によって圧倒的多数の政権を構築するならば、そのときは、日本の保守独裁体制が明らかにファシズムヘのワンステップを踏み出すときではないかと思う(中略)ちょうどナチス・ヒトラーが出た時の形と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における宗教的ファナティックな要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制を安定化する機能を果たしながら、同時にこれを強力にファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性も非常に多くもっている藤原弘達著『創価学会を斬る』S44/『フォーラム21』H15.12.1)
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現代のファシズムは「民主主義の顔」をして台頭してくるのである。創価学会が自・公連立政権の死命を制したことで、藤原氏が警鐘を鳴らしたファシズムヘの道を加速度的に歩み始める可能性は否定できない。(<「民主的方法」によるナチス独裁への道のり>参照)




自公政権10年の総決算/ジャーナリスト・松田光世『週刊朝日』H21.8.21・H21.8.28

池田喚問阻止のために政権にしがみつく/元公明党委員長・矢野絢也『月刊現代』H20.12

自公連立は「名誉会長守るため」/参議院議員・平野貞夫『月刊現代』H16.6

「総体革命」と自公連立/溝口敦=ジャーナリスト『フォーラム21』H15.12.1
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LNK公明党新体制 生活・平和の原点に戻れ/『毎日新聞』社説H21.9.8

自民・公明の卑劣なネガティブキャンペーン/<livedoorニュース>H21.8.22

連立のきしみ-関係修復は可能なのか/『河北新報』社説H20.11.4

「与党ボケ」してしまい、自民党の一派閥のような存在/東大先端科学技術研究センター教授・御厨貴『週刊朝日』H20.6.6

自民党の言いなり、創価学会、公明党の存在意義は?/島田裕巳=宗教学者『週刊朝日』H20.5.16

「庶民の党」の看板が色あせて見えた/『河北新報』社説H20.4.21

権力に加わることのみが連立の目的/『朝日新聞』東京朝刊・社説H19.9.20

公明党よ、権力に味をしめたのか/慶応大教授・小林節『週刊朝日』H19.8.17

公明党という宗教閥と手を組んだ/佐高信著『田原総一朗よ驕るなかれ』毎日新聞社H18.1

何が何でも与党でいたい/『朝日新聞ニュース速報』H16.10.31

自民、公明とも「拒否度」アップ/『朝日新聞ニュース速報』H16.9.7

連立政治 打算も鼻につき始めた/『毎日新聞』社説H16.6.19

創価学会と自民の“影のパイプ役”/『毎日新聞』H16.2.24・『AERA』H16.3.8ほか

ハト派的な理念を持った政権を/『共同通信ニュース速報』H16.2.21

知的障害者の投票に干渉/『毎日新聞ニュース速報』H16.2.10

「わが世の春」の公明党―ごく普通の庶民の声は届かない―/共同通信編集委員・榊原元広『佐賀新聞』H16.2.10

「自自公」で日本の政治は後退/『月刊現代』H16.2

大衆迎合の復活を憂える/『毎日新聞ニュース速報』社説H15.12.25

自公連立、「よくない」が36%/『時事通信ニュース速報』/infoseekニュースH15.12.21

選挙協力の見返りに「大衆迎合」政策/『毎日新聞』社説H15.11.21ほか

自公連立47%望ましくない/『共同通信ニュース速報』H15.11.16

自らの存在理由を否定し合う自公連立/田中康夫=長野県知事『日刊ゲンダイ』H15.11.13

自民を支える事の意味/『朝日新聞ニュース速報』H15.11.11

衆院選勝者は公明党/『時事通信ニュース速報』H15.11.10

政党政治を否定する集団/『共同通信ニュース速報』H15.11.9

自公連立4年と公明党の役割/『前衛』H15.11

公明党―与党でいるのはなぜ/『朝日新聞ニュース速報』H15.7.3

平和と人権を捨てた公明党と創価学会/『週刊金曜日』H15.6.13

与党か学会か、米のイラク攻撃支持で公明板挟み/『読売新聞』H15.2.17

理念なきバーター政治/平沢勝栄=衆議院議員『諸君!』H15.2




池田喚問阻止のために政権にしがみつく(仮題)

−「証人喚問」阻止が至上命題−
(元公明党委員長・矢野絢也『月刊現代』H20.12抜粋)

 いまとなってはあまり指摘する人もいないが、私が公明党の書記長・委員長だった時代、国会に証人や参考人を呼ぶ場合は、全会一致が原則だった。これは1970年代の言論出版妨害事件(編集部注・創価学会および公明党が、自らに批判的な書籍などを出版させないため、著者や出版社などに圧力をかけたとされる事件。当時会長だった池田氏が謝罪に追い込まれた)で、池田氏の喚問が最大のテーマになったことがポイントだった。書記長だった私は、もちろん喚問に反対した。少数派を保護するためにも、喚問は全会一致を原則とすべきだと主張し、それがルールとなった。この主張はいまでも間違っていないと信じている。多数決で決めることになれば、多数派が敵対的少数派を潰すために証人・参考人招致を行うということもできるからだ。いずれにせよ、この全会一致の原則があったから、私たちの時代は池田氏証人喚問は絶対にありえなかった。だから後顧の憂いなく、公明党は野党らしく自民党と対決することができたのだ。
 ところが、私が政界引退後の1994年、細川護煕元首相による佐川急便からの1億円借り入れ問題のとき、この全会一致の原則は実質的に破られることになった。当時、野党に転落していた自民党は衆議院予算委員会での細川氏の証人喚問を要求、さらに公明党・創価学会の政教一致問題を究明するため、池田氏の喚問要求も出されていた。連立与党側の公明党は、細川氏の喚問要求に応じたら池田氏喚問への道を開くことになると細川氏喚問にも反対の立場を取る。ここで、全会一致の原則を守るためには、公明党議員が採決を欠席する方法もあったが、連立与党のなかで公明党だけが欠席するわけにはいかないという判断もあって、採決に出席して反対の声をあげたとされる。当時は少数与党という特殊な政治状況下で、やむを得ない事情もあったのだろうが、議場で反対したというならば、公明党自ら全会一致の原則を放棄したと見られても仕方がない。実際、その翌年の宗教法人法改正論議のなかで池田氏の喚問問題が再び姐上にのせられると、それを避けるために秋谷栄之助創価学会会長(当時)の参議院での参考人招致に応じざるを得なかった。(中略)
 これ以来、公明党は池田氏の喚問阻止のためには、つねに多数党である政権与党に寄り添っていなくてはならなくなったようだ。いつ多数決によって喚問が決定されてしまうかわからないからだ。






自公連立は「池田名誉会長守るため」(仮題)

―「公明党『汚れた裏面史』」より―
(参議院議員・平野貞夫『月刊現代』H16.6抜粋編集)

【暴力団との関係衝(つ)かれ自民に擦り寄る】
 平成8年1月、成立直後の橋本内閣の下で住専国会が開かれた。新進党は住専処理への6850億円の税金投入に断固反対の姿勢を貫いた。このときも住専予算の削除を要求して予算委員長室の前で座り込みを実行し、政府をかなり追い詰めていた。
 ところが国会の行き詰まりに困った野中広務さんが、新進党内の旧公明の人間をまたもや揺さぶり始めた。材料は、いわゆる「密会ビデオ」だった。
 「公明」(旧公明党の、地方議員と平成7年の参院選で非改選の参院議員らで構成)の代表を務める都議会議員・藤井富雄さんが、山口組系の暴力団「後藤組」の後藤忠政氏とかつて会談をもったことがあり、その現場を隠し撮りしたビデオがあるとのことで、それを材料に、野中さんは旧公明党を揺さぶってきたのだ。(中略)
 こうした動きもあり、結局、住専国会は与党の思惑通りになってしまった。そしてこれをきっかけに野中さんは公明・学会との関係を深め、一方公明は自民党に擦り寄るようになっていく。これが後の新進党解党、現在の自公連立への布石ともなってしまった。



【学会本部守るために新進党への合流約束を反故】
 党首選からちょうど1週間後の25日(※平成9年12月)、赤坂の全日空ホテルで「公明」の藤井代表と会談した小沢さんは、驚くべき報告を受けた。
 「比例区だけじゃなく地方区も公明独自で対応する」と藤井さんが言いだしたのだ。これは全面合流の約束を破り、公明党という組織を残していくという意思表示だった。
 このころから旧公明党は、自民党に擦り寄り始めていた。背景には、自民党の野中さんらの工作があった。野中さんは、公明党・学会が希望する中選挙区制復活を約束したようだ。
 公明党が自民党に擦り寄ったもう1つの原因は、公明が新進党に全面合流してしまった場合、「国会議事堂周辺及び外国公館周辺の静穏保持法」の適用に信濃町が掛からなくなる恐れがあったことだ。公明党が消滅すれば、隣接する学会本部にさまざまた団体から街宣攻撃が加えられることが予想できた。

新進党が崩壊する過程で、小沢さんと私は厳しい批判を浴びた。(中略)しかし、真相を言えば、すべては公明党の方針変更が生んだ結果だった。基本方針をくるくる変える公明に振り回された結果、新進党は解党に追込まれたのだ



【連立は「名誉会長守るため」】
 平成10年の秋、官房長官だった野中さんの「小沢さんにひれ伏してでも」というセリフから、自由党と自民党が接近しだし、ついに自自連立が実現した。自民党は、自自の連立は金融危機を回避するために組んだと言っていた。だが実際は、公明党と連立を組むためのダシとして自由党と連立を組んだにすぎなかった。われわれは、野中さんに騙されたのだった。
 平成11年1月に自自連立が成立して以降、自民党は自自公(11年10月)、自公保(12年4月)、自公(15年11月)と連立の枠組みを変えてきた。そして自自公による連立以降、公明党は一貫して与党の立場を占めてきた。公明党の某元衆院議員の話によれば、冬柴幹事長が「連立はすべて名誉会長を守るためだ」と発言したことがあるとのこと。あらゆることを名誉会長のせいにするのは、政治家としてあまりにも無責任ではなかろうか。








連立のきしみ/関係修復は可能なのか

(『河北新報』社説H20.11.4)

 麻生太郎首相が追加経済対策を発表、「国民生活の不安解消が最優先」として衆院解散・総選挙を当面見送る考えを表明したことに伴い、早期解散を主張し続けた公明党は不満を強めている。連立を組む自民、公明の両党間にある溝はさらに広がったように見える。
 公明党の主張は福田前政権の時から「早期解散」で一貫していた。来年夏の東京都議選で支持団体の創価学会が組織力を発揮するには、その直前直後の衆院選は避けたいというのが大きな理由だ。「選挙の顔」となる麻生首相の誕生を歓迎したのも早期解散を前提としたもので、解散時期をめぐる最近の与党協議では先送りを模索する首相に対し激しい言葉も飛び出した、とされる。
 当初投票日とされた10月26日、続いて有力視された11月2日、同30日に向けて、創価学会は末端組織まで号令をかけていた。学会のような大きな組織は一度走りを止めると再び動きだすのに大変な労力が要る。それだけに今回の4回目の先送りには不満が強く、「長期の臨戦態勢を強いられるのは苦しい」という悲鳴が聞こえる。
 公明党の姿勢が強硬だったのは(1)衆院の各小選挙区に1万―2万票ある公明票が自民党候補の当選を支えている(2)参院否決の重要法案を衆院3分の2の賛成で再可決するには公明党の協力が不可欠―という自負があるからだ。選挙と国会という政権運営の2大ポイントを公明党に握られている麻生首相だったが、解散時期だけは「私が決める」と頑として譲らなかった。
 公明党の北側一雄幹事長が記者会見で「首相との信頼関係は維持している」と述べたが、わざわざ公言したところに不満の強さがうかがえる。
 公明党が自民党と連立を組んだのは小渕政権時代の1999年10月。当初与党効果で増加した公明党の比例代表得票数は、昨年の参院選で大きく減少した。次期衆院選では現有の31議席確保を目指し、太田昭宏代表(東京12区)、北側幹事長(大阪16区)ら小選挙区8人、比例代表27人を擁立するが、状況は厳しいと見る向きが多い。
 この夏以降、臨時国会の召集日や新テロ対策特措法の再可決反対など公明党が独自の主張をして突っ張ったのは、次期衆院選への強い危機感が背景にある。「連立より選挙での生き残り」とばかりに、自民党に対して強硬姿勢を保った。
 連立の相手に配慮する余裕がなかったのは首相も同じだ。こちらも今の支持率のまま選挙に打って出ても与党で過半数を確保できるかどうかといった危機感に基づいているといえよう。
 連立10年目ともなれば、きしみも生じるし、パートナーに対する不満や不信も募るだろう。ましてや参院では過半数を失い、思うような政権運営ができない状態が続いている。
 解散時期をめぐる今回の与党協議は「連立末期」を思わせた。今後の国会運営や政策協議を通じて関係修復が図ることができるのか、自公連立政権は重大な局面を迎えたといえる。






自民党の言いなり、創価学会、公明党の存在意義は?

(島田裕巳=宗教学者『週刊朝日』H20.5.16抜粋)

 最近でも、経営難に陥った新銀行東京への追加出資について、都議会公明党は一時態度を保留したものの、結局は賛成する方針を固めました。また後期高齢者医療制度についても、自民党と一体になって導入を進め、福祉を重視する政党というイメージと乖離(かいり)が進んでいます。(中略)
 ここまで公明党が埋没してしまったのは、やはり自民党と連立したことが最大の分岐点だったのでしょう。9年も政権の座にいると、いろいろなしがらみができて、今さら引っ込みがつかない。
 外交でも存在感がありません。チベット問題でも、同じ仏教徒というのに何も動かない。この点は、ほかならぬ池田大作名誉会長が足かせになっていると思われます。
 池田氏は07年に温家宝首相が来日した際に会談するなど、中国政府と非常に近い。このため、公明党は中国に対して強く出られないでいる。内政も外交も、身動きが取れなくなっているのです。






「庶民の党」の看板が色あせて見えた(仮題)

―与党公明党/独自色が生き残りの鍵だ―
<KolNet河北新報社>WS080421)

 こんなに存在感がなかっただろうか。衆参ねじれ時代の連立与党・公明党のことだ。
 道路特定財源の一般財源化を来年度から実施することで政府・与党が合意した。11日の会議にはもちろん太田昭宏公明党代表も出席し政府の方針支持を表明したが、その点よりも自民党内の道路族議員の反撃、民主党との協議の行方に注目が集まった。日銀総裁人事でも焦点は自民党と民主党の協議であり、公明党は「蚊帳の外」だった。
 政治は「数」の世界でもある。公明党の発言力低下も「数」に起因する。自民党が1999年、公明党と連立したのは参院の過半数割れを補うためだった。だが両党は昨年の参院選で惨敗し、公明党は与党内での力の源泉だった参院でのキャスチングボートを失った。
 公明党が青ざめたのは、その後の自民、民主両党による大連立の模索だった。両党が連立すれば公明党の存在感はさらに小さくなる。ご破算になってひと安心したが、状況が好転したわけではない。
 「数」だけで見れば、自民党は衆院で単独過半数を占めており、参院では公明党を足しても過半数に届かない。参院で否決された法案を衆院の3分の2で再議決する場合だけ公明党の協力が必要ということになる。民主党からは公明党・創価学会の政教一致問題で揺さぶられ、苦しい立場が続く。
 こうした状況は、連立維持を優先するあまり、自ら招いた面もある。例えば安倍政権のタカ派色の強い政策についても、チェック役を果たすべきだったが、その期待に十分応えたとは言いがたい。「清潔・平和・福祉」という党の基本路線はどこに行ったのか
 東京都が新銀行東京に400億円を追加出資する予算案に、自民党に追随する形で公明党も賛成した。この時も「庶民の党」の看板が色あせて見えた
 2大政党制、ねじれ、大連立がキーワードの時代に、公明党が「第3極」として生き残る道は決して平たんではない。今年1年が正念場となるだろう。
 自民党とは強固な選挙協力関係を築いているが、次期衆院選では共産党が候補者を絞るため、公明票の底上げ効果も相対的に低下する。この際、連立維持にこだわることなく、選択肢を多く持って進んだ方が、埋没を回避する手だてとなるはずだ。その意味で、公明党議員が超党派の訪韓団に参加したほか、知事らの呼び掛けに応じて「せんたく議連」に加入するなど先手を打っているのは、正しい判断だと言える。
 政局は今月末から、道路特定財源などをめぐって大激動期に入る。今こそ、結党の精神を思い出し、基本方針に沿って独自色を出して進むべきだろう。






権力に加わることのみが連立の目的(仮題)

―公明党 まだついて行くのなら―
(『朝日新聞』H19.9.20東京朝刊・社説)

 「なぜ、この時期に辞任を表明するのか、とても理解できない」「一生懸命、支えてきたのに情けない」
 安倍首相の突然の政権放り投げに、自民党と連立を組む公明党からこんな批判の声が上がっている。
 まるでひとごとのような感想だが、公明党の責任も大きいのではないか。太田代表は参院選後、いち早く安倍首相の続投を支持した。自民党内にも疑問の声があったなかで、この行動が結果として続投を後押ししたのは間違いなかろう。
 首相がこんな形で政権の座から降りるとは想像できなかったとしても、民意にさからって続投を強行したことがいまの混乱につながった。続投を支えてしまった判断のミスは否定できない。
 連立政権がこのような事態に立ち至ったのに、公明党から連立のあり方を問う声が出てこないのはどうしたことか。
 首相がなにをしようが、次の首相がだれになろうが、連立は揺るがないということなのだろうか。それでは、権力に加わることのみが連立の目的ではないのか、という批判に答えられまい。
 代表質問の当日になって首相が辞任を表明するという異常な事態を、連立パートナーとして了とするのか。何を間違ったのか、自ら反省すべきことはないのか。有権者や支持者に対し、きちんとメッセージを発する責任があるはずだ。
 後継選びのため、自民党総裁選が行われている。他党のリーダー選びに口だしはできないかもしれないが、これは首相選びでもある。連立を続けるのなら、注文をつけてもおかしくない。
 北側一雄幹事長はきのう、新総裁との間で結ぶ連立政権合意に向けて政策要求をまとめると述べた。高齢者医療の見直しや財政再建目標の先送りも含めて考えるという。だが「改革へのアクセル役」を自任してきたこれまでの主張に反することにならないか。
 福祉の分野も大事だが、公明党の出番は「政治とカネ」の問題だ。北側氏は、参院で民主党が提案する政治資金規正法の改正案に賛成する可能性を否定していない。これに消極的な自民党にあらかじめ要求をぶつけるべきだ。
 靖国神社への参拝問題も、公明党は自粛を求めてきた。総裁選に立っている福田康夫、麻生太郎の両候補は、参拝を控える意向だ。公明党は新たな国立の戦没者追悼施設の建設を掲げているのだから、その実現を迫ってはどうか。
 参院選後、公明党の存在感は薄くなった。衆院は自民党だけで多数を握り、参院は公明党が協力しても過半数に届かない。数のことだけを考えれば、参院で否決された法案を衆院の3分の2の賛成で再可決するときだけ、公明党が必要となるにすぎない。
 しかし、今の自民党は公明党の支援がなければ選挙に勝てなくなった。遠慮することはなかろう。連立政権合意を単なる儀式に終わらせてはいけない。






公明党という宗教閥と手を組んだ(仮題)

(佐高信著『田原総一朗よ驕るなかれ』毎日新聞社H18.1)

 共産主義の国の中国に対するスタンスで田中派と福田派は対立した。
 「アカの国とつきあうなんて」とイデオロギーにこだわるタカ派の福田派と、イデオロギーを越えて中国との国交回復をめざした田中派との違いは、福田の書生をしていた小泉の靖国参拝への固執となって表れている。22日のテレビで小泉批判をしたら、早速、右筋から脅しの電話が来たが、小泉は彼らが最も歓迎する首相なのである。
 小泉は他の派閥を崩壊させて、公明党という宗教閥と手を組んだとも言えるだろう。






何が何でも与党でいたい(仮題)

―公明党 もっと自分らしく―
(『朝日新聞ニュース速報』H16.10.31)

 党を結成して40年。自民党と連立を組んで5年の公明党が党大会で、神崎代表の続投と自公路線の継続を決める。
 現行憲法を維持しつつ人権や環境などを補強していく「加憲」の対象に憲法9条も含める。安定した社会保障のために消費税の引き上げも検討する。運動方針ではこうした方向も打ち出すという。
 最大の関心事は自民党との5年の連立の評価や今後の見通しだろう。
 同党は「大衆とともに」を立党精神に、長らく清潔・平和・福祉を掲げてきたが、この間は「自民党とともに」総選挙、参院選を戦い、退潮を続ける同党を支え続けた。自民党の「生命維持装置」と皮肉られるゆえんだ。
 その役回りに熱が入るほど、「公明党らしさ」が見えなくなってきたのはどうしたものだろうか。イラクへの自衛隊派遣を支持したほか、政治とカネの問題では自民党に押されて迂回(うかい)献金の禁止を取り下げた。最近は「何が何でも与党でいたい」姿勢ばかりが目に付く。
 前厚生労働相が日歯連からの献金を数ヵ月「預かった」一件は、「クリーン」とはほど遠いイメージを与えた。
 靖国問題も「自分」を押し出してしかるべきテーマだろう。靖国神社に代わる新たな戦没者追悼施設の建設を主張してきた同党は、来年度の概算要求で調査費をつけるよう求めたが、早々と要求を引っ込めた。小泉首相の靖国参拝は、公明党の支持母体である創価学会にとって決して愉快なことではあるまい。なぜもっと頑張らなかったのか。(中略)
 一方で、公明党と創価学会の関係に不透明なものを感じている人は多い。
 自民党と組んで何をめざすのかわかりやすく説明すると同時に、党内の議論や、創価学会との関係をもっとオープンにすべきだ。[2004-10-31-00:37]





自民、公明とも「拒否度」アップ

―朝日・東大共同調査―
(『朝日新聞ニュース速報』H16.9.7抜粋)

公明党への支援要請で参院選をしのごうとした自民党だったが、「好感度」が下落しただけでなく、自民、公明両党ともに有権者の「拒否度」が高まっていた。有権者全体では民主党に比べ「期待」の高い外交政策についても、「自民離れ」を起こした層は逆に厳しい評価を下していた。朝日新聞社と東京大学蒲島研究室が7月の参院選直後に行った共同のモニター調査からそんな自民党敗北の状況が浮かぶ。

 調査は昨年9月と、11月の総選挙直後に続いて3回目で、同じ有権者を対象に実施した。
 「政権選択選挙」とされた衆院選時は「好感度」を中心に聞いたが、参院選は政権の「信認選挙」の性格が濃い。このため「拒否度」にも着目し、「絶対に支持したくない政党はありますか」と複数回答で聞いた。
 結果は与党に厳しいものだった。衆院選から参院選にかけ、自民、公明とも支持率はほぼ変動がなかったが、拒否度では自民が10.5%から13.3%へ、公明が39.4%から46.5%へ上昇。7.3%から6.7へ減少した民主とは対照的だった。
 好感度がアップした民主党が、拒否度が高まった与党への批判票を吸収した形だ。傾向は無党派層にさらに顕著で、自民の拒否度は14.4%で、公明は54.5%に。無党派層は、権力の強大化を牽制(けんせい)する反応をみせることが多いとされるが、支援団体の創価学会の集票力をバックに政権内で存在感を高めた公明党を警戒する民意の動きがあった可能性が高い。
 好感度は、小泉首相が第1回調査の53.4度から参院選時は49.0度に下落、自民と並ぶ結果が出たが(5日付朝刊1面参照)、無党派層ではさらに下落。首相と自民党は回答者全体より約7度ともに下がり、民主党との差は約11度に広がった。





連立政治 打算も鼻につき始めた

(『毎日新聞』社説H16.6.19抜粋)

 選挙協力の見返りなのか、政策面での公明党への配慮も目立つ。先に成立した年金改革法は公明党案がベースだ。自民党内には当初、参院選後への先送り論もあったが、実績をアピールしたい公明党が成立を強く後押しした。
 連立与党が政策を調整し合うのは当然だ。しかし、組織が弱体化している自民党は「公明票依存症」が強まっている。「平和と福祉」が2大看板だった公明党は福祉政策実現に力を入れる一方で、自衛隊のイラク派遣や多国籍軍参加は次々と容認した。双方に政治的な打算が目立ち始めている。
 自公連立は98年参院選で自民党の過半数割れが広がり、参院対策を迫られたのがきっかけだ。本来、政権は衆院選で有権者が選択すべきものだが、参院事情が政権の枠組みをも決める「ねじれ」は容易に解消されそうにない。
 小泉純一郎首相は「単独過半数を得たとしても公明党との連立は維持したい」と表明している。公明党も当初掲げていた「自民党に対するチェック機能」という役割は薄らぎ、連立を離脱する考えはないようだ。こうした両党の現状維持志向が、選挙制度を含む参院の抜本改革を阻む一因ともなっていないだろうか。
 今はなお政界再編の過渡期なのか。それとも自公連立は定着していくのか。参院選は連立のあり方も焦点となる。[2004-06-19-00:23]





創価学会と自民の“影のパイプ役”

―元全国男子部長・竹岡誠治―
―昔・宮本委員長宅盗聴犯人、今・恐喝未遂―

(『毎日新聞』H16.2.24・『AERA』H16.3.8ほか)

【事件の概要】(『毎日新聞』H16.2.24)
 「ソフトバンク」(東京都中央区)が運営するブロードバンドサービス「ヤフーBB」の顧客情報が記録されたDVD(デジタル多用途ディスク)を入手し、ソフトバンクから約30億円を脅し取ろうとしたとして、警視庁捜査1課は24日、北海道函館市中道2、会社役員、湯浅輝昭(61)▽東京都文京区本駒込3、出版会社経営、森洋(67)▽豊島区東池袋4、会社社長、竹岡誠治(55)の3容疑者を恐喝未遂容疑で逮捕したと発表した。DVDには460万人分の個人情報が入力されており、同課は顧客情報かどうか分析を進めるとともに、湯浅容疑者らが情報を入手した経緯を追及している。
 調べでは、湯浅容疑者ら3人は共謀し、同社から現金を脅し取ることを計画。湯浅容疑者は1月21日、ソフトバンク本社で、印字した138人分の顧客情報を同社関係者に示し「情報を外部に流されたくなければ、20億〜30億円を海外の合弁会社に投資して経営に参画してほしい」などと現金を脅し取ろうとした疑い。その後数回、同社を訪れ、個人情報の入ったDVD1枚とCD(コンパクトディスク)1枚を渡し「470万人分の情報が入っている」などと脅していた。
 ソフトバンクから相談を受けた同課は2月11日に湯浅容疑者を逮捕した。湯浅容疑者が「竹岡容疑者からデータを受け取った」などと供述。同課は森、竹岡両容疑者を24日に逮捕した。竹岡容疑者は千代田区でヤフーBBの代理店「SST」を経営。湯浅容疑者はその会社の副社長だった。

過去最大級の個人情報流出を悪用して、多額のカネを脅し取ろうとした恐喝未遂事件(『AERA』H16.3.8)

●逮捕された湯浅容疑者は、1992年まで『聖教新聞』の販売店主を務め、逮捕時は函館五稜郭圏の副圏長という創価学会の現役幹部だった。しかも、共犯として逮捕されたエスエスティー社長の竹岡誠治容疑者(55)も逮捕時は、創価学会の東京・豊島区の分区の副区長という現役幹部だった。(『AERA』H16.3.8)
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 インターネット接続サービス「ヤフーBB」の顧客データ流出をめぐる恐喝未遂事件で、東京地検は16日夜、恐喝未遂罪で元右翼活動家森洋容疑者(67)を起訴しましたが、同事件で逮捕されていた会社社長竹岡誠治容疑者(55)については、従属的な立場だったとして処分保留としました。(中略)
 森容疑者は、会社役員を通じて湯浅被告と知り合い、約460万人分のデータは森容疑者が入手し、湯浅被告に渡りました。同事件では、別ルートで情報を入手した木全泰之被告(31)が逮捕、起訴されています。東京地検などは、情報流出の経緯などの解明を進めるとみられます。(『しんぶん赤旗』H16.3.17)



【竹岡誠治】
<過去の経歴>
 竹岡容疑者の存在が世間で知られるようになったのは、1970年の共産党の宮本顕治委員長(当時)宅への盗聴だった。共産党の創価学会攻撃の手の内を探ろうと、深夜、宮本氏宅前の電柱によじ登って盗聴器を仕かけた「実行犯」と、民事裁判で認定された。(中略)
 宮本氏への盗聴後は、表の職務に従事し、「同世代でトップ10級でないとなれない」(関係者)とされる副男子部長など要職を歴任した。(『AERA』H16.3.8)

●学会系列の新社会研究所に入社し、74年、やはり学会系列の出版社『第三文明』に移っています。学会本部に異動になったのは、それから2、3年後で、本部の組織センター青年局に籍を置き、79年に創価班委員長、80年には全国副男子部長に任命されていた、70年代の男子部最高幹部の一人です(竹岡容疑者と同世代で、学会本部に勤務していたA氏『フォーラム21』H16.3.15)

 竹岡誠治容疑者(55)は、創価学会内部で池田大作名誉会長の親衛隊とされる「伸一会」メンバーだったことがわかりました。
 「伸一会」は、学会の最高教義解釈書・指導書とされる池田氏著『人間革命』『新・人間革命』の主人公、山本伸一から名前をとったもの。山本伸一は池田氏本人のことです。1975年、当時の青年部中枢から選抜して結成、以後5期まで結成されました。98年8月16日付『聖教新聞』によれば、1期(69人)には原田稔副理事長、野崎勲、八尋頼雄両副会長ら学会最高幹部が顔をそろえ、竹岡容疑者は2期(66人)の第3位に序列されています。
 元学会関係者は「伸一会は特別の存在。これに選ばれるのは大変なこと」と指摘。池田氏も同会に「伸一会 断固と勝ちぬけ 将の将」「広宣と 創価の宝 伸一会」(98年)などの句を贈り、たたえています。
 竹岡容疑者は、宮本顕治日本共産党委員長宅電話盗聴(70年)の実行犯。同容疑者が98年時点でも「伸一会」メンバーだということは、創価学会が盗聴発覚後も長期にわたり彼らをエリートとして処遇していることを示しています。(『しんぶん赤旗』H16.3.6)
[画像NO.6]:池田大作名誉会長が「伸一会」に「記念の句」を贈ったことと、「伸一会」名簿を伝える『聖教新聞』(98年8月16日付)=第2期の序列3番目に竹岡容疑者の名前が…

 99年11月25日付で聖教新聞社(創価学会機関紙発行)を退職、同じ盗聴グループの北林芳典氏が社長をする北斗の取締役事業本部長などをへて2000年2月に循環社会研究所、2002年にエスエスティーを設立、代表取締役についています。(『しんぶん赤旗』H16.3.1)

【宮本宅盗聴事件】(『しんぶん赤旗』H16.2.26)
 宮本宅盗聴事件は1970年に、東京都杉並区の宮本氏自宅電話の電話線にしかけられた盗聴器が発見されたもの。池田大作名誉会長が重用してきた山崎正友創価学会元顧問弁護士が80年になって盗聴を告白し、創価学会の組織的関与が明白になりました。
 宮本氏は創価学会の北条浩会長(当時)や、山崎元顧問弁護士とその配下の竹岡誠治、広野輝夫らのグループを被告として損害賠償請求訴訟を起こし、東京地裁(85年4月)、東京高裁(88年4月)で、いずれも創価学会の組織的関与を認める判決(注)が出ました。創価学会側は、最高裁に上告したもののこっそり取り下げて損害賠償金を支払いましたが、謝罪はいっさいしないままです。
 判決では、竹岡容疑者について、深夜電柱に登って電話線端子に盗聴器をとりつけるなど実行部隊の中心だったと指摘していました。盗聴後、竹岡容疑者は78年には創価班全国委員長、翌年に青年部副男子部長に抜てきされました。
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注 裁判は『政教一体 公明党・創価学会 政権参加を問う(3)』(新日本出版社)、『裁判記録 創価学会の電話盗聴』(日本共産党中央委員会出版局発行)で紹介されています。


<創価学会と自民の“影のパイプ役”>
―自公議員らとの接点も―(『AERA』H16.3.8)
 東京・2番町赤茶色の古いビルの5階の一室にエスエスティーがある。同じ部屋に、竹岡容疑者が社長の別の会社がある。
 株式会社循環社会研究所。
 循環型社会の推進を目指すという趣旨で2000年に設立された。この会社の取締役の一人は、創価学会のある地域の副圏長を務める人物。エスエスティー同様に、学会関係者が設立に携わった会社とみられる。
 設立パーティーには自民、公明両党の有力国会議員4、5人が出席(※)。2002年1月には、自公保の与党3党で作る循環型社会推進議員連盟(橋本龍太郎会長)が開いた勉強会に、その直後にエスエスティーの役員になる新燃料の研究家が講師として招かれていた
 公明党が制定に熱心だった循環型社会形成推進基本法の成立に、竹岡容疑者たちはコンサルタントや調査などビジネスのにおいをかぎ取ったようだ。同研究所の九州支社長が今回の主犯格の森容疑者を竹岡容疑者に紹介した、と証言する設立以来の役員もいる。
※●自民党関係者によると循環社会研究所会社設立披露パーティーに自民党から野中広務元幹事長ほか1人の衆院議員が出席しています。(『しんぶん赤旗』H16.3.1)

―資金集め、選挙で“裏選対”―(『しんぶん赤旗』H16.3.1)
 竹岡容疑者は自公連立政権が小渕内閣で発足した当初から、おもに自民党橋本派幹部との接触を深め、永田町の政界関係者の間では知られた存在でした。「創価学会本部へ直接話をつなげてくれる人物」(同派議員秘書)と評判でした。
[画像NO.5]:公明党本部(左上)と自民党本部(右下)のパイプ役をはたした竹岡容疑者(背景は創価学会本部)

―自民党本部の世論調査受託―(『しんぶん赤旗』H16.3.1)
 竹岡容疑者が顧問をする広告企画制作会社、ラパラ(東京・中央区)は、衆参選挙などで自民党本部が独自に実施する世論調査の委託をうけています。信用調査機関の調べによると、90年代末に自民党との取引関係が成立したあと同社の売上額は急上昇自公連立政権成立後は同社と自民党の関係が深まっています
 橋本派関係者によると、昨年秋の総選挙前の7月末には、竹岡容疑者が仲介して、創価学会副会長と自民党元幹事長、自民党事務局幹部を東京・赤坂の料亭「鶴よし」で引き合わせました。自民党と創価学会の選挙協力のための“裏選対”会合といわれました。
 昨年夏に、自民党の景山俊太郎参院議員、公明党の福本潤一参院議員がブラジル訪問したさいは、竹岡容疑者がブラジル創価学会関係者を紹介するなどの仲介をしました。

―パーティー券引きうける―(『しんぶん赤旗』H16.3.1)
 橋本派関係者が作成した資料によると、昨年6月5日に東京のホテルで開かれた同派パーティーにあたって竹岡容疑者はパーティー券30枚(1枚2万円、総額60万円)を引きうけました。
 パーティー券は竹岡容疑者から報恩社、北斗などの創価学会系企業に売りさばかれました。今回の恐喝未遂容疑事件で捜査をうけた竹岡容疑者が社長のエスエスティーも会社名義で1枚購入しています。
 2002年の橋本派パーティー(6月開催)でも同派関係者の資料によると、竹岡容疑者が顧問をする会社の社長と2人でパーティー券80枚(160万円)を引きうけていました。
 「自民党議員が開く資金集めパーティー会場でも竹岡容疑者の姿をしばしば見た」と橋本派関係者は語っています。





ハト派的な理念を持った政権を(仮題)

―安保論議の空洞化を象徴―
―軽い処分で「過去」に 造反の3K―

(『共同通信ニュース速報』H16.2.21)

 政権与党・自民党の三役を経験した加藤紘一、古賀誠、亀井静香三氏が戒告処分を受けた。自衛隊イラク派遣承認への造反。政局のキーマンとして常に注目を集めていたのは今は昔、3人の行動の余波はなかった。頭文字をとって「3K」と呼ばれる重鎮の“孤立化”は、安全保障政策をめぐる党内、そして国会の論議の空洞化を象徴しているようだ。
 その後の弁―。「何を言っても『負け犬の遠ぼえ』と言われる。変わり者になってしまうから、批判する必要はないということではないか」と嘆く亀井氏。古賀氏は「ハト派的な理念を持った政権をつくらないと、日本がいつか来た道に戻ってしまう」と危ぐする。「ブッシュの戦争に大義がない」と言い切った加藤氏は「自衛隊に何かあれば参院選にも影響が出る」と語る。
 3Kは「個人の信念」で造反した。同調の輪を広げる努力をしなかったのは、声を掛けて集められなければ威信にかかわるという不安にも増して、「右へ倣え」に歯止めをかけられない無力感を感じたからかもしれない。心のどこかで期待しながらも、後に続く仲間はいなかった現実に直面し、さぞむなしさを募らせたに違いない。
 小泉純一郎首相に聞く耳があれば、3人が鳴らした警鐘は重く響いたはずだが、その後の国会答弁を見れば分かるように、全く意に介していない。
 首相自身が「国論は二分」と認め、国会空転まで招いた重要課題。それへの造反なのだから「厳罰」に処すべき事態だが、自民党執行部のおとがめは軽かった。三役経験者に厳しい処分を下せば、反対論を際立たせかねない。かと言って、何もしなければ支持母体・創価学会の慎重論を振り切って、政府方針を追認する与党の“礼儀”を尽くした公明党に示しがつかない。横一線の戒告処分には、こんな執行部の判断が浮かぶ。一刻も早く「終わった話」として過去に葬り去りたかったのである。
 陸上自衛隊派遣の出発点は「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上部隊の派遣)」という米側発言とされる。しかし、この言葉、実は日米の官僚による「合作」だったことはそれほど知られていない。米国防総省担当者が何げなく口にしたひと言を、日本側がわざわざ米国防副次官補に日米協議の場で使うよう依頼したのが真相。そ
れに小泉首相が乗ったのだ。
 自民党総裁選や衆院選での争点化を回避するために正式な意思決定を先送り。国会の「事後承認」制を利用して積み上がる既成事実。時代の変化と片付けるのは簡単だろう。だが、一人ひとりの議員が残した足跡はほとんど見当たらず、言論の府の機能不全は覆い隠しようもない。いま、不測の事態への不安を抱えながら、衆院特別委員会で週1回の審議が「消化試合」のように続いている。(共同通信政治部 久江雅彦)(了)[2004-02-21-07:58]
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●ハト派的な理念を持った政権をつくらないと、日本がいつか来た道に戻ってしまう(古賀誠)
●ブッシュの戦争に大義がない(加藤紘一)
→現在の創価学会・公明党は「平和」の看板を背負いながら、自民党の議員以上にタカ派であることは、誰の目にも明らかであろう。

支持母体・創価学会の慎重論を振り切って、政府方針を追認する与党の“礼儀”を尽くした公明党
→創価学会と公明党の関係は、例えば医師会と自民党のような"支持団体と政党"という関係ではない。何故なら公明党は、選挙に立候補するのも、選挙戦を戦うのもすべて創価学会就中、池田大作の意向と支持に負っているのであるから。すなわち、公明党結党時からそうであったように、公明党は創価学会の一部に過ぎないのである。
 その創価学会の「慎重論」を振り切って公明党が学会の意に反した政治行動など執れるはずはない。学会が慎重論をとったのは会員や国民向けポーズであり、表面上、公明党が学会の意に反した行動を執ったことは、最終的には池田大作の了解があったとみるべきである。
 一方で創価学会を中心に「平和」をアピールし、一方で公明党にタカ派政権の維持存続に加担させる。これは、公明党の自主的行動などではなく、池田大作自身の中のジレンマ=平和と文化を推進する指導者(ノーベル平和賞獲得を目指す名誉欲)VS権力欲、の表れというべきである。(法蔵)





<公選法違反>
知的障害者の投票に干渉

―施設職員に有罪判決―
(『毎日新聞ニュース速報』H16.2.10)

 和歌山地裁は10日、昨年11月の衆院選で、特定の候補者と政党に投票するよう知的障害者を誘導したとして、公職選挙法違反(投票干渉)の罪に問われた和歌山市西庄の知的障害者更生施設「つわぶき会綜成(そうせい)苑」更生部長、伊藤明被告(64)に、禁固8月、執行猶予3年(求刑禁固8月)を言い渡した。樋口裕晃裁判官は「障害者の人権をないがしろにするだけでなく、民主主義の根幹を揺るがしかねない犯行」と述べた。
 判決によると、伊藤被告は他の職員3人=いずれも罰金30万円の略式命令が確定=と共謀。昨年11月4日、同市の不在者投票所に施設の入所者17人を連れて行き、うち9人に自民党候補者名と自民党、公明党と書いたメモを渡し、投票に干渉した。【近藤修史】[2004-02-10-11:26]





「わが世の春」の公明党(仮題)

―ごく普通の庶民の声は届かない―
(共同通信編集委員・榊原元広『佐賀新聞』H16.2.10)

【公明党抜きに日本の政治は考えられない、と言われる政治勢力になりたいと、ここまできた。連立に入って政権政党として露出度が高くなると、拒否度が以前より減ってきた】(冬柴鉄三・公明党幹事長)
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 公明党は自民党と連立政権を組んで、与党入りしてから自信にあふれている。一方で「平和の党」を主要な看板にしてきたことと、イラクへの自衛隊派遣を与党の一員として進めていくことや憲法改正の動きへの対応との違和感を抱え込んだままのようにみえる。1月28日の冬柴さんの講演を聞いてそんな感じを受けた。
自信の根拠は選挙結果。衆院選では比例代表票で前回を100万票上回る873万票を獲得、衆院の小選挙区で2、3万票の公明票がある計算だ。冬柴さんは「二大政党に収れんしていくとしても2、3万票がどちらに乗るかで勝敗が決まるという客観的事実がある」と、そこまで言っている。自民党でも民主党でも、どちらを与党にするかは公明党の考え次第というわけか。巨大な宗教団体創価学会が支持母体の公明党、大衆の要求を実現する党だと冬柴さんは言うが、ごく普通の庶民の声は届かないだろうなと思えてしまう。
 「与党になって蓄えた政策が実現している。うれしい」と、冬柴さんにはわが世の春のようだ。児童手当の拡充や育児休業など身近な政策実現では公明党は実にきめ細かい。いわば小さい政治には精通している。公的年金制度で給付水準50%が大衆の安心する最低水準と頑張った姿勢はよかった。自民党の安倍晋三幹事長らが負担が下がれば給付水準も下げざるを得ないと、まるで市場原理のようなことを言っていたことに比べれば、よく政治が分かっている。
 でも大きな政治、地方自治体に肩代わりさせることができない政治となると、精彩がなくなる。冬柴さんは自衛隊のイラクへの派遣で、公明党は平和の看板を下ろすのかと言われると、気にしていた。武力行使目的でいくわけではないなどと政府答弁と一緒で、公明党らしい創見はない。
 自民、民主両党の憲法改正の動きに公明党も引っ張られはじめた。今回のイラク派遣以上の国際平和へのかかわりとなると、憲法改正して連合軍として平和創造のため武力行使に加わるということにもなりかねない。「戦闘目的でよその国に行くとしたら身を張って阻止する」とは、冬柴さんの断言。小さな政治に満足して大きな政治に流されてしまわないことが肝要である。





「自自公」で日本の政治は後退(仮題)

(『月刊現代』H16.2抜粋)

 加藤(※紘一=元自民党幹事長)と野中(※広務)は橋本政権時代に党執行部でコンビを組み、「共通の敵」である小沢や梶山との権力闘争を繰り広げてきた。小渕派の内部にほとんど手勢を持たなかった野中にとって加藤とのつながりは、学会・公明党のパイプとともに彼の政治力の源泉だったと言ってもいいだろう。
 加藤はかつて「幹事長時代に一番良かったのは野中さんと知り合えたことだ」と語り、野中も「加藤幹事長とは3年間、魂の触れあう間柄だった」と述べたことがある。そんな2人の関係に亀裂が生じはじめたのは、98年秋の金融国会の最中だった。当時の幹事長は後に首相となる森喜朗、国対委員長は古賀誠である。加藤が言う。
 「そのころ野中さんらが自自公に走ったのは小渕さんと森さんが仕事をしなかったからなんですよ。官房長官と国対委員長が2人で真っ青になってやっていた。こうなったらあとは単独採決しかないとか、それでいいのだろうかとか、2人の唯一の相談相手が僕だったんです。僕は幹事長をやめて1ヵ月も経ってるのに、彼らにどうしてもと頼まれて、民主党代表の菅直人に電話して話をまとめたこともあった」
 金融国会の波乱に一区切りがついた10月下旬、加藤は帝国ホテルの一室に呼び出された。そこには野中と古賀のほか二階俊博ら自由党幹部3人もいた。野中らが加藤に、
 「自由党と連立したい
と切り出した。加藤は、
 「それはダメだよ。なぜなら衆院は過半数を超えているし、過半数に足りない参院の運営も、汗を流して政策ごとに野党との協議をしっかりやれば乗り切れるはずだ」
と言って反対し、途中で部屋を出た。
 加藤が自自連立に反対したのはわけがある。加藤は幹事長時代に野中と新進党議員を一本釣りし、衆院で239だった自民党の議席数を過半数の251に増やした。途端に自民党の議決機関・総務会では古いタイプの議員の発言力が増し、5分や10分で終わるようになった。連立相手の「社民党の言うことをなぜ聞くんだ」「さきがけなんてたった数人の小所帯じゃないか」という声も強まった。
 その反省があったから、加藤は金融国会の最中に菅と「これは政局にしちゃいかん」と話し合い「じゃ、政策のわかる新人類を働かせよう」と2人でその枠組みをつくって働かせた。
 「その結果、何が起きたかというと政策新人類が自民、民主両党から出て国会を動かしちゃったんです。するとこれは役所も棚上げ、古い自民党の政策決定機構も棚上げ、だから国対手法も棚上げになり、自民党の従来の人たちが働けなくなる。だからやっぱり数を多く持って役所の言うとおり法案を通すという政治に戻りたくなったんです。それが自自公ですよ」
 加藤によると、知日派のコロンビア大学政治学教授・ジェラルド・カーティスはニューヨークでの講義で「ここ10年の日本政治を分析すると、自自公連立(による政策新人類の消滅)が近代化の分かれ目で、それ以来、日本の政治は後退してしまった。あれほど残念たことはない」と語ったという。





大衆迎合の復活を憂える

―来年度予算案―
(『毎日新聞ニュース速報』社説H15.12.25抜粋)

 小泉純一郎首相のもとで3度目の予算案が24日閣議決定された。政権発足後これほど失望した予算案は見たことがない。石の上にも3年と言うのに改革は言葉ばかりが先行して自分で血を流さず霞が関官僚の上に乗っているだけだ。与党と各省庁など四方の調整に気配りさせる手法は断じて改革とは言わない。見た目ばかり改革の形を整えようという世論対策ばかりが鼻につくのは残念だ。(中略)
 3つの改革に挑んだ来年度予算は惨澹(さんたん)たるものがある。いずれも第1歩を踏み出したというには程遠い。確かに抵抗勢力である「地方族」「年金族」「道路族」の力は自民党のなかでも強大だ。また公明党との連携は年金改革の矛先を鈍らせている。改革を安全網の強化と勘違いしているから困る。
 福祉の充実ばかりを叫んで全体の財政の視点をなおざりにしがちな風潮はかつてのあしきポピュリズム(大衆迎合)を思わせる。(後略)[2003-12-25-00:58]
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「福祉の充実ばかりを叫んで」「ポピュリズム(大衆迎合)」これって、彼の悪名高い「地域振興券」をはじめとする選挙目当てのバラマキ政策で知られる公明党との連立が原因なのかしら??(法蔵)





自公連立、「よくない」が36%

―自民支持層も歓迎せず―
―時事世論―

(『時事通信ニュース速報』/infoseekニュースH15.12.21)

 時事通信社が21日まとめた12月の世論調査結果によると、自民、公明両党の2党連立体制について、「よくない」と答えた人は35.7%に上り、「よい」(12.8%)を大きく上回った。旧保守新党の自民党合流前の3党連立と「変わらない」は29.1%にとどまった。「よい」が多かったのは公明支持層だけだった。
 自公連立体制を「よい」と答えた人は、公明支持層が52.7%だったのに対し、自民支持層では21.7%にとどまり、「よくない」が32.8%に上った。「よくない」が最も多かったのは共産支持層の58.1%で、民主支持層47.2%、社民支持層38.1%と続き、無党派層で36.7%だった。「よい」は自民、公明支持層以外はすべて1割に満たなかった。[時事通信社][2003-12-21-14:17]





自らの存在理由を否定し合う自公連立

(田中康夫=長野県知事『日刊ゲンダイ』H15.11.13)

 何(いずれ)の政党も勝利しなかった総選挙。然(され)ど政局的な意味合いでは、公明党が勝者。投票の翌日に開いた知事会見で僕は、見解を述べました。
 山崎拓氏に替わって加藤紘一氏が戻った自民党という名の「モー娘。」を遠隔操作しているのは、今や公明党
 政教分離とは言うものの、その背後には、池田大作氏なる神々しき「つんく♂」が鎮座されています。誰もが否定し得ない2003年の永田町情勢です。
 それにしても、60人近い候補者を応援するべく全国を駆け回った際、その多くの選挙区で自由民主党の掲示板に「比例区は公明党へ」と大書きされたポスターが張り出されていたのには、仰(のけ)反りました。だって、政党は政策で信を問うものでしょ。連立の相手は、選挙の結果を踏まえて考える代物でしょ。「他党を御支持の皆さんも、今回は我が党へ」。斯くなる惹句なら、理解は出来ます。今回の自民党は、他党に入れましょう、と隣人愛の大切さを有権者に訴えたのです。凡人の僕には想像し得ぬ、究極のヴォランティア精神です。が、それは政党としての存在を自ら否定したに等しいのです。
 が、自らの存在を否定し兼ねぬ決断を下したのは、公明党とて同様です。政治家・安倍晋三の信念は核兵器保持である、と以前に記しました。済(な)し崩し的集団的自衛権の行使が政治家・小泉純一郎の願望である、との事実と共に。
 イラク復興支援特別措置法に基づく日本のイラク「派兵」は「テロに遭遇し得る危険な仕事」だ、とドナルド・ラムズフェルド国防長官が言明しても猶(なお)、「治安維持の米軍と違って、日本は人道支援だから、危険性が違う」「日本に居たって、テロ攻撃には遭う」と居直っているのが、今や魔法使いの意地悪婆さんの如き表情となった小泉純一郎氏です。
 その初めての「派兵」に関する基本計画を、今度の特別国会で審議もせず、閉会後に閣議決定で済ませようとする小泉内閣。「平和」が立党の精神だった筈(はず)の公明党は、何時から宗旨替えしたのでしょう?
 選挙戦終盤、「民主党政権が誕生したら、池田大作氏を国会へ証人喚問する」と僕が街頭演説で述べたのは名誉毀損だ、と抗議のメールが殺到しました。公明党、創価学会、池田大作、その何れの単語も口にしていないにも拘らず。呵々。敬虔なる信者と思しき方々が怒るべき抗議対象こそは、戦前への回帰を追認する公明党、創価学会、池田大作氏でありましょうに。





平和と人権を捨てた公明党と創価学会

―与党に入り原点を忘れた永田町の三文役者―
(本誌取材班『週刊金曜日』H15.6.13抜粋)

自自連立政権に参加した1999年、公明党は「平和と人権の党」を誓った。しかし、その誓いとは裏腹に、ひたすら権力を追い求めるのが今の公明党の姿だ。国政・地方の選挙や重要法案成立の舞台裏で、自民党に恩を売りながら自己保身と拡大を続けている。日本を戦争のできる国に導くのが自民党なら、その舞台づくりに一役買っているのが公明党、その最大の支持母体である「創価学会」、そして学会トップの池田大作名誉会長といえるのではないだろうか。

<分岐点だった1999年>
 振り返れば、公明党が与党入りを決めたこの99年は、後世に悔いを残すことになった日本の政治の分岐点になったと言えるのではないか。
 この年に今の「自公保」連立政権の原型となる、衆院で7割を超える巨大与党「自自公」が誕生したのだ。
 悲願の与党入りを果たした公明党とその支持母体である創価学会は、与党という「現実」と池田名誉会長の掲げる「平和・人権」という理想との間で揺れつつも、組織防衛を優先させながらその「仮面」を少しずつはいでいく。その成果が、成立した「有事法制」と、小泉降ろしの政局に絡んで提出が決まった「イラク特措法案」への対応に如実に現れている。

<野中広務氏の誤算>
 公明党を連立与党に引き入れた「立役者」は他ならぬ野中氏だ。99年当時、小渕恵三政権下で官房長官を務めていた野中氏は「悪魔と手を組んででも」と恩讐を超えて自由党の小沢一郎党首にひざまずき、まずは「自自連立」を成し遂げる。
 そして、参院で自民党が過半数割れしている現状を打開するため、今度は公明党に触手を伸ばす。自民党の「補完勢力」として参院の不足分を公明党に埋めてもらうのが目的だったが、このとき野中氏には「公明党を連立与党内の歯止め役」として位置づけようという、もう1つの狙いがあった。
 自由党が連立政権内に入ることで、必然的に政策は右傾化する。だが、平和・人権を掲げる公明党に、それを阻止する役回りを担わせようとたくらんだ。だが、皮肉なことに野中氏の意に反して公明党は今や自民党以上にタカ派色を強めている。
 また、防衛庁を「省」に格上げする防衛省設置法案も公明党の賛成で決まりそうな気配だ。同法案は2001年6月に議員立法で国会提出れて以来、1度も審議されていない。基本政策に「防衛省」実現を掲げ、法案提出を主導した保守新党は、有事法制の成立が確実になったことや、イラク特措法の検討で自衛隊の海外派兵が可能になりつつあることを「追い風」と判断、近く自民、公明両党に審議開始を強く申し入れる。
 昨年12月に2003年度税制改正をめぐり自民、公明両党が対立した際に、保守党が仲介し、その「見返り」として保守党の求めに応じて、与党三党の幹事長が「有事法制成立後に防衛庁の『省』昇格の間題を最優先の課題として取り組む」と文書で確認した経緯がある。
 ここで言う2003年度税制改正の「影のテーマ」こそ宗教法人への課税だったと言われている。つまり、公明党はここでも「宗教法人法改正で自らが課税されるくらいなら、右傾化の道を受け入れる」との自己保身に走ったわけだ。





選挙協力の見返りに「大衆迎合」政策

―児童手当の支給対象拡充―
―'04年度予算―

●04年度予算編成が本格化している。政府の経済財政諮問会議も18日から予算編成に向けた集中審議を開始した。年金制度改革や地方財政の三位一体改革などで合意形成を目指す。 しかし、これまでの財政運営を前提にする限り、財政破たんがネックとなり、部分的な改革がやっとだ。改革を本当にやろうというのであれば、国債漬け財政から脱却する有効で、強力な手を打つべきである。さもなければ、日本経済の再生は幻に終わってしまう。(中略) そこで、04年度予算編成では何をやるべきなのか。 第1は景気中立型予算でいいということだ。政府の景気判断は「持ち直している」である。しかも、公共投資がマイナスの中であるところが重要だ。この関連で、第2は財政節度の堅持である。政府は公共投資の長期計画を一本化したが、その成果を予算で示さなければならない。自民、公明両党は19日、児童手当の支給対象拡充で合意したが、これは大衆迎合主義といわれても仕方ない政策だ。 第3は歳入面での取り組みである。増税も正面から議論することである。 経済財政諮問会議は予算では「出と入り」の両方を総合的に扱う場だ。増税も聖域とせず、将来展望を提示することが、改革に対する信頼感を醸成する。(『毎日新聞』社説H15.11.21)
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<児童手当拡充>公明党へ配慮し過ぎ?

―自民党内に不快感―
(『毎日新聞ニュース速報』H15.11.21)

 第2次小泉内閣が発足した19日、自民、公明両党が児童手当の拡充に合意したことに、自民党内で波紋が広がっている。先の衆院選での公明党の協力に対する返礼として自民党執行部が公明党の要求に応じたとの見方がもっぱらだが、児童手当を選挙後の最優先課題とした執行部の対応に党内からは「公明党へのサービスが過ぎる」(参院中堅議員)と批判が出ている。
 「これでよろしく」。小泉純一郎首相を再指名した19日午後の衆院本会議場で、公明党の冬柴鉄三幹事長は自民党の安倍晋三幹事長に児童手当拡充の具体策を記した文書を渡した。同夜の両党幹事長・政調会長会談は「就学前」から「小学3年生修了まで」に拡充することで合意。自民党の額賀福志郎政調会長は席上、「(自公連立)スタートは順調ですね」と公明党側に語りかけた。公明党主導による拡充決定への満足感から、冬柴氏は満面に笑みを浮かべた。
 児童手当の拡充は昨年12月、当時の与党3党で口頭合意しながらも、積み残しになっていた課題だ。公明党の北側一雄政調会長は「口頭合意を予算編成前に確認しただけにすぎない」と既定路線を強調するが、給付水準や支給対象年齢などの具体案をめぐり、自公両党間で主張に大きな開きがあった難問だった。自民党は「給付水準を下げて小学校6年まで拡充」との意見が大勢を占めたのに対し、公明党側は「給付水準を下げない」と主張し、衆院選のマニフェスト(政権公約)にも掲げた
 にもかかわらず、公明党の主導によって突然、決着し、自民党や厚生労働省内には驚きが広がった。選挙結果を踏まえ、自民党執行部が公明党支持層にアピールするために歩み寄った、との見方が自民党内では大勢だ。「このままではひさしを貸して党まで取られる」(厚生労働族議員)と不快感をあらわにする声も出ている。こうした反発が強まることで、今後は逆に公明党側が年金改革などで存在感の示し方が難しくなる事態も予想される。【岩崎誠、犬飼直幸】





自公連立47%望ましくない

(『共同通信ニュース速報』H15.11.16抜粋)

 共同通信社が15、16両日に実施した全国電話世論調査によると、保守新党が解党し、自民党へ合流することで小泉政権が自民、公明両党の連立内閣となることについて「望ましくない」としたのは47・3%で、「望ましい」の13・8%を大きく上回った。「どちらともいえない」は36・0%。自民党支持層でも37・3%が「望ましくない」と答え、「望ましい」は22・8%だった。
 民主党が議席を増やし、自民、民主両党による「二大政党」時代に入ったとされることについては「望ましい」が51・9%と半数以上が歓迎、「望ましくない」の15・8%を大幅に上回った。
 小泉内閣の支持率は51・6%で、衆院解散直後に行った前回10月調査の59・6%より8・0ポイント下落。不支持率は7・4ポイント上昇し、37・1%となった。不支持理由では「経済政策に期待が持てない」が前回に引き続きトップの36・6%で、経済政策への不満が依然として根強いことを示した。(了)[2003-11-16-20:02]





公明党――自民を支える事の意味

(『朝日新聞ニュース速報』H15.11.11)

 総選挙で際立ったのは、連立与党でますます大きくなる公明党の存在である。
 単独で過半数に届かなかった自民党を数で補い、小泉首相を国会で支え続けるだけではない。もし各選挙区で公明党がてこ入れしなかったら、自民党は第1党の座を維持できたかどうか。
 本社の出口調査では、公明支持層の6割が小選挙区で自民党候補に投票した。東大の蒲島郁夫教授は、3年前の総選挙でも公明の協力で落選を免れた自民党候補が36人に及んだと分析している。自民党はおんぶにだっこで公明党に支えられている。
 首都圏では、協力の見返りに「比例は公明へ」と叫ぶ自民党候補も目立った。そんな公明党頼みに、自民党内からは「公明は麻薬と同じだ。よく効くが依存症から抜け出せなくなる」と自嘲(じちょう)の声も聞こえる。
 創価学会を支持母体とする公明党は、全国平均で1つの小選挙区に2万〜3万の基礎票を持つと言われる。2大政党色が強まり、自民、民主の候補がぶつかりあう選挙区が増えた結果、自民支援に回る公明票の威力はいや増すことになった。
 かつて公明党内では東京都議会がめざすべきモデルとされた。都議会で自民、社会両党の勢力が拮抗(きっこう)した時代、公明党が常にキャスチングボートを握っていた。いまや国政の舞台でも、そうした感がある。
 それにしても、なぜ自民党支援なのか。
 公明党の立党の理念である「清潔、福祉、平和」は、自民党の利権政治や憲法9条改正の流れとは必ずしもそぐわない。実際、社会党などとの連立をめざした時期があったし、10年前には非自民の細川政権に参加もした。だが、小渕政権で自民党との連立に踏み切ってからの4年間は、自民党との協調関係を強める一方だ。
 忘れてならないのは、創価学会が第2次大戦中に宗教弾圧を受けたことだ。細川政権の崩壊後に新進党に参加したときも、自民党が創価学会の池田大作名誉会長を参考人として国会に呼ぼうという動きさえあった。結局、大切な組織を守り拡大するには、権力の中にいて影響力を持つべきだということになったのだろう。
 しかし、政権への参加を重視する余り、政策での公明党らしさが次々と色あせてきたのではないか。
 総選挙に際して本社が行ったアンケートでは、安全保障や防衛、雇用など多くの項目で、公明党の候補者の考え方は自民党よりも民主党に近かった。
 「庶民の目線でアクセル役にもブレーキ役にもなる」。公明党は自民との連立をそう意味づける。その成果が児童手当や奨学金の拡充ばかりでは情けない。自衛隊のイラク派遣や憲法、教育基本法の改正といった大きな問題をどうするのか。
 公明党の衆院での34議席は、その数字以上に重い。神崎代表にはそのことを忘れてほしくない。[2003-11-11-00:20]
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[画像NO.1]=1999年以降の連立政権の組み合わせ
[画像NO.2]=公明党推薦の自民党候補の当選率
[画像NO.3]=当選した自民党候補に占める公明党推薦の自民党候補当選者の割合





衆院選勝者は公明党

―田中長野県知事―
(『時事通信ニュース速報』H15.11.10)

長野県の田中康夫知事は10日の記者会見で、衆院選の結果について「真の勝者はいないのではないか」としながらも、「政局的な意味での勝者は公明党。(自民党は)意向を無視できなくなる」との見方を示した。[時事通信社][2003-11-10-12:49]





口先の改革に見切りつけた

―長野県の田中康夫知事―
(『共同通信ニュース速報』H15.11.9)

 民主党の閣僚候補となった長野県の田中康夫知事の話 
 自民党の青木幹雄氏に象徴される旧来の利権派と手を結ぶ小泉純一郎氏の「構造改革」は口先だけだ、と有権者が見切りをつけた。政党同士が政策で信を問うのが選挙だ。どこと一緒に連立政権を組むか、それは選挙を終えてから判断すべきことだ。にもかかわらず、自民党の掲示板には「比例は公明党へ」とボランティア精神にあふれたポスターが大量に張られていた。政党政治を否定する集団が、しっぺ返しを食らうのは健全な民主主義社会だ。(了)[2003-11-09-23:53]





自公連立4年と公明党の役割

(藤田健『前衛』H15.11編集)

99年に自民党と連立を組んで政権入りしてから4年。「福祉」「平和」「清潔」「公約実現」など、かつての看板はことごとく剥がれ落ちました。ここでは、その役割を公明党自身が連立入りの際に打ち出した「活力と安心の生活大国を築く」「国家主義の台頭や右傾化に歯止めをかける」「政治の質を変える」という3つのスローガンにそってみておきたいと思います。


【国民生活を破壊しつづけた4年】
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◆(公明党は連立を組んで何をやるのか、何を目指すのかが明確でないとの声があります)特に政策面でいえば、「活力と安心の生活大国」を築くこと(神崎武法代表『公明新聞』990729)
→「活力と安心の生活大国」その中心は、「倒産や失業、年金支給、介護、ゴミ処理、健康被害などといった極めて具体的なもの」と、政治や行政への不信といった「"複合不安"」を取り除くことにあるとしていました。
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結果は↓惨澹

失業率は4.6%(99年9月)から5.3%(03年8月、総務省労働力調査)
◆公明党も大宣伝していた「530万人雇用創出」でも達成したのは、「この2年間で約92万人増」(内閣府・雇用促進チーム)だけ。逆に、就業者数は01年4月から90万人も減り、完全失業者は26万人も増えています。つまり、「雇用創出」した数よりも、職を失った人の方が圧倒的に多かった
倒産は1万5千460件(98年)から戦後2番目の1万9千458件(02年、帝国データバンク)へ
◆国・地方の借金は553兆円(98年度末)から705兆円(02年度末、財務省)へ
「悩みや不安を感じている人」は62.4%(99年12月)から、過去最高の67%(今年6月)へ(内閣府「国民生活に関する世論調査」)
失業保険の給付日数は、改悪前は理由のいかんにかかわらず最長330日だったのを、定年退職者など一般離職者は150日と半分以下に短縮
◆労働者が払う雇用保険料は「月額賃金の0.8%」から「1.4%」へとなり、さらに「1.6%」(05年度)へ2倍に引き上げられます。

<「福祉」の看板投げ拾てた連続改悪>(表@参照)
―医療費―
◆98年参院選で「医療の負担増に反対します」(法定ビラ)「医療費の新たな患者負担増には断じて反対です」(『公明新聞』98年6月6日付)と公約、2001年参院選では全国保険医団体連合会のアンケートで健康保険のサラリーマン本人3割負担について「反対」と回答
変↓節

2000年11月には高齢者への定率負担制度を「血を流してでも、勇気を持って、断行しつづけていかなければならない」(江田康幸衆院議員)と強行。2002年にはサラリーマン本人3割負担を「成立を急げ」と推進
◆(自民党幹事長に)公明党だけが熱心に推進しているのではないかという批判を受けているので、与党一体となって不退転で取り組んでいただきたい(冬柴鉄三幹事長・4月3日)
福祉切り捨てでは、いまや自民党顔負けです。
結果は↓惨澹

負担増や給付減の合計は、医療分野で約1兆7千億円、年金分野で約1兆3千億円

―年金―
◆「年金水準を国の責任で維持します」(98年参院選法定ビラ)「政府は『保険料を上げて給付額を下げる』という"年金改悪"を行おうとしていますが、公明党は断じて反対です」(同パンフレット)
変↓節

2000年の改悪で全世代にわたる給付減を強行
今年物価スライドの導入ですでに受け取っている年金を戦後初めて減らした

―児童扶養手当―
◆「弱い人の立場に立つなら…許すわけにはいきません」(冬柴鉄三・新党平和幹事長=当時)
変↓節

02年には母子家庭の人たちの悲痛な訴えを無視して削減を強行



【海外派兵国家づくりをすすめた4年】
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国家主義の台頭や右傾化に歯止めをかける(連立開始時の公明党スローガン)
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ガイドライン法(99年5月)や国旗・国歌法(同8月)に賛成
→公明党は、連立政権入りの前から、派兵立法・反動立法を推進してきたわけですから、「歯止め」役を自称すること自体がおこがましいことでした。

◆公明党の力添えで、ガイドラインや国旗・国歌など10年かかってもやり遂げられなかったこともいっぺんにやれた(森喜朗幹事長=当時、2000年2月)

◆国旗・国歌法はじめ多くの問題は・・・自民党単独ではできなかったと思う(麻生太郎経済産業相=当時、2001年4月12日)
→その後も、海外派兵法を次々と成立させ、戦後半世紀近く自民党や防衛庁の"悲願"だった有事法制の制定を推進するなど、海外派兵国家づくりの先頭に立ちました。(表A参照)

―反戦平和を敵視―
◆(イラクヘの)圧力を抜くような、利敵行為のような、サダム・フセインに利益を与えるような、戦争反対とか、それはむしろ解決を先延ばしにする(冬柴鉄三幹事長、2月16日NHK番組)
→反戦平和の声を敵視する態度をむきだしにしたのでした。

◆(米英がイラクヘの武力行使容認決議案への多数派工作をしていた最中に訪米し)日本政府は新決議案を支持しており、公明党も政府と同じ考えだ(『公明新聞』3月6日付)→開戦後になって「平和的解決をめざし、独自の外交努力に徹してきた」(神崎代表『公明新聞』号外)などと宣伝しましたが、米国の武力行使支持が「独自の外交努力」の中身だったのです。

法的には国連を中心とした国際協調の枠組みの文脈の下に行われている(3月20日の党見解)
→米国の攻撃は、国連安保理の決議もない無法な先制攻撃であったことは、国連事務総長の言にも明らか(法蔵)↓。

●同地(※パリ)からの報道によるとアナン事務総長は「米国が安保理の枠外で軍事介入を開始すれば、それは国連憲章に合致しない」と言明。さらに「戦争は最後の手段であるべきだ」とのべ、戦争が短期に終わるか長期にわたるかにかかわりなく、「きわめて大きな人間的苦悩」を必然的に伴うと指摘しました。(『しんぶん赤旗』030312)

―「大義」に口つぐみ派兵促進―
公明党は、小泉内閣のイラク戦争支持を容認したにとどまらず、米国が戦争の「大義」とした大量破壊兵器の脅威を一番熱心に吹聴しました。

◆冬柴幹事長はイラクが「スプーン1杯で200万人の殺傷能力がある炭疽菌が約1万リットル」を保有しているかのようにテレビや国会質問で繰り返し強調。

◆イラクが……大量破壌兵器の廃棄を望む国際社会の要求に対応しなかったことが世界的な脅威になっている。この脅威をなくさなくては世界は安心できない(『公明新聞』3月28日付)
→ところが、肝心の大量破壊兵器が発見されず、米英両国で政権の情報操作が大問題になるなど「大義」がゆらぎだすと、「米英軍、国連はしっかり調査をして発見してもらいたい」(神崎代表、6月11日)といったきり、自らの言動には口をつぐんでいます。

そのうえ、イラクの治安状況が悪化しているのを承知で、自衛隊を派兵するためのイラク特措法を強行。自ら依拠した戦争の「大義」もゆらいでいるのに、それにはまったく無反省のまま、今度は自衛隊を死地に送り出す―ここには、戦争まで党利党略的に利用するだけで、あとを省みない無責任政党ぶりがあるだけです。

―池田「提言」でお墨付き―
公明党の態度の背景には、創価学会の池田大作名誉会長による「提言」がありました。池田氏は『聖教新聞』1月26日付で発表した「提言」で、「テロ行為は絶対に是認されるべきものではない」としつつ、「それと戦うために、ある場合には武力を伴った緊急対応も必要とされるかもしれない」と発言。公明党「中堅議員」は、「武力行使を全否定はしないというくだりに『そこまで選択の幅を認めていただけるのか』と驚いた」(『週刊朝日』3月7日号)といわれます。



【「政治の質」を悪くした4年】
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政治の質を変える(99年7月の臨時党大会の運動方針)
→「政・官・業の癒着の鉄鎖を断ち切り、真に国民の側に立つ」ことだと説明されていました。
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―疑惑隠し、みずからも汚染―
 しかし、党費立て替えなど自民党丸ごと汚染が問題となったKSD(中小企業経営者福祉事業団)事件、ムネオ疑惑、機密費問題など、金権腐敗あるいは税金流用事件のたびに、公明党は自民党や疑惑政治家をかばいました。それだけでなく、自らも汚染されていた実態をあらわにしてきたのです(表B参照)。
 しかも、「ムネオ・マネー」を受け取った遠藤和良衆院議員は、衆院議員団会議で"陳謝"し、その後、鈴木被告に返還しましたが、『公明新聞』はそのニュースを黙殺、自らの疑惑隠しには躍起でした。国民の税金を党略的に流用していた機密費疑惑でも、02年4月に志位委員長が全容を明らかにした宮沢内閣時の機密費文書に、同党幹部の権藤恒夫副委員長、二見伸明政審会長、鶴岡洋選対副委員長、黒柳明参院議員団長=いずれも当時=に国会対策の名目で高級背広が贈られたことが明記されていましたが、冬柴幹事長は「そんなものはもらっていない」と全面否定。しかし、当事者の1人である二見氏が受け取りを認め、たちまちボロが出ました。

―企業団体献金のヤミ拡大を手助け―
 こうした疑惑にもかかわらず、公明党は金権腐敗に根本からメスをいれようとしていません。野党4党が提出した公共事業受注企業からの献金禁止法案を自民党と一緒になって棚上げ。献金した企業名などの公開基準を年間5万円超から年間24万円超へ引き上げる自民党案に、当初は「時代に逆行する」といいながら、一転して賛成しました。その後は、銀行振込制が導入されたとして「政治資金改革が前進」(『公明新聞』6月19日付)と"成果"にするありさまです。
 しかし、2002年分の政治資金収支報告書(総務相届出分)でみても、非公開枠を「年間24万円超」にした場合、自民、公明議員の企業団体献金の約6割がヤミの中に隠れることになります。「マニフェスト」で、企業団体献金のことは一言も触れていないことも、同党の態度を示しています。

―党利党略の「御利益」持ちこみ―
 「政治の質」を悪くした点では、創価学会員向けの「御利益」づくりのために、党利党略を政治に持ち込んだことも重大です。
 与党入り前には、同党の「商品券」構想を具体化した地域振興券実施を要求。商店街から「地域振興に役立たない」とさんざんの不評のうえ、7千700億円の全額が60年払いの赤字国債で、利率3%とした場合に約1兆6千億円が将来世代にツケとして残ることになりました。
 2000年度予算では、「少子化対策」の目玉として児童手当の拡充を要求。その財源に、年少扶養控除(16歳未満の所得税控除を28万円から48万円に上乗せ)の廃止をあてたことから、増税をかぶる子どもの数が1600万人にのぼる「子育て増税」となりました。月刊誌『フォーサイト』01年2月号は「『福祉私物化』という他ない公明党・創価学会の主張は、日本の将来を確実に悪くするものであると肝に銘じておくべきである」と指摘しました。



【政教一致の謀略体質】
―反共謀略―
 最近では、創価学会の機関紙・『聖教新聞』の幹部座談会で、「公明党よ"死力を尽くせ全国の激戦に勝利を/有権者の心を掴(つか)むのは『議員自身の懸命の姿だ』」(8月21日付)「関西の6小選挙区に候補者/次期衆議院選挙で公明党/勝利の峰へ議員が走れ家族が動け」(8月18日付)など、公明党議員をアゴで使い駆り立てることさえしています。会員の政党支持・政治信条を無視して、公明党支援、自民党支援に駆り立てるところに、創価学会の特異な体質があらわれています。
 その特異体質が最も示されたのが、反共謀略宣伝でした。2000年の大阪府知事選、京都市長選で名前を隠した反共謀略ビラが大量配布されたことを皮切りに、同年の総選挙では衆院解散直後、公示直前、投票日直前の三波にわたって、64種類、推定で1億数千万枚もの謀略ビラ・パンフが配られました。2001年の東京都議選、参院選でも、謀略ビラや公明党幹部の反共演説、口コミでの攻撃、さらには物理的妨害まで常軌を逸した反共攻撃を展開しました。
 その特徴は、創価学会が前面にでて反共攻撃をおこなったことです。謀略ビラの配布でも、物理的妨害でも、創価学会員が先頭に立っていました。創価学会の機関紙・『聖教新聞』では、秋谷会長を先頭にした幹部座談会で、口を極めて日本共産党を攻撃。今年のいっせい地方選中も「政党は『実績がすべて』だ"結果の横取りはハイエナ"有権者は鋭く正体を見抜け」(4月22日付)「政治は国民の生命を守れ都知事も都議会で答弁"『医に名を借りた不正な政治行為』は許されない"」(同24日付)など、連日のように掲載されました。これを引き写したような演説や口コミが垂れ流されました。

―過去の反省も反故/言論問題―
 こうした無法の背景には、"自分たちはどんなことをやっても「仏」、それを批判するものはすべて「仏敵」だ"とする究極の独善主義があります。そのことを明確に示したのが参院選告示直前の01年7月10日付の『聖教新聞』に掲載された『随筆 新・人間革命』でした。これは、創価学会・池田名誉会長が「法悟空」名で書いたもので、そこで、池田氏は創価学会・公明党が起こした1969〜70年の言論・出版妨害事件について、自らの「猛省」を否定してみせたのです。
 言論・出版妨害事件は、創価学会を批判する出版物を許さないとして、買収、取り次ぎ拒否、政権党への依頼、おどしなど、あらゆる手段を使ってヤミに葬ろうとした事件でした。事件が明るみに出ると、各界・各分野から批判の声をわき起こり、池田氏は「言論妨害と受け取られ」る行為があったことを「猛省」し、「2度と同じ轍を踏んではならぬ」と誓ったのでした(70年5月3日)。
 ところが、『随筆 新・人間革命』では、言論・出版妨害事件を「『信教の自由』を妨害する狂暴な嵐」と描き、学会への批判を「狂気じみた悪口」「理不尽な罵倒」と非難。学会は「未曾有の弾圧」に立ち向かって「正義の信仰」と「信教の自由」を「敢然と」守りぬくため「戦い抜いた」のだとしたのです。
 自分たちを批判するものはすべて「仏敵」のレッテルを張り、その「撲滅」をはかるという集団は民主主義と相容れません。こうした特異な集団の政権参加の是非が総選挙でもきびしく問われなければなりません。
(ふじた・たけし)
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<表@ 社会保障改悪の数々>
―医療―
●老人医療費の定率1割負担の導入など(2001年1月実施) 2100億円の負担増
●健保サラリーマン本人3割負担の導入、政管健保など保険料値上げ、老人医療費負担増(一部02年10月実施、03年4月実施) 1兆5000億円の負担増
―年金―
●厚生年金(報酬比例部分)の支給水準の5%減額、報酬比例部分の年金支給開始年齢を60歳から65歳に(OO年4月実施) 9000億円の給付減
●年金の物価スライド凍結解除(03年4月実施) 3700億円の給付減
―児童扶養手当―
●閣議決定による施行令改悪で削減(02年8月分から実施) 360億円の給付減
―介護保険―
●保険料値上げ(03年4月実施予定) 2000億円の負担増(概算要求段階)


<表A 自衛隊海外派兵後押しの軌跡>
1999年5月 ガイドライン関連去強行に賛成。冬柴幹事長は「(米国の)信頼を得る必須の要件」と発言
10月 自自公連立合意。有事法制について「法整備を行うことを前提に検討」と明記
2000年11月 海上での臨検を可能にする船舶検査法成立に賛成
2001年10月 米国のアフガン戦争支援のためのテロ特措去を強行
2002年4月 有事3法案を国全に提出。冬柴幹事長は「罰則をもって強制することは、法律をつくる以上無理からぬ」(3月20日)と発言
12月 自衛隊イージス艦をインド洋に派遣。派遣艦艇はアフガン戦争、イラク戦争で米英などを支援
2003年3月 イラクに対する米国の先制攻撃を支持した小泉首相の態度を追認
6月 有事3法案を強行。神崎武法代表は衆院通過に際し、「たいへん喜ばしい」と歓迎
7月 イラク派兵法を強行。衆院の採決では自民党に退席者・反対者が出る中、公明党は一糸乱れず賛成


<表B 自公連立下の「政治とカネ」疑惑>
00年 中小企業向け不正融資疑惑で公明党前衆階義員の元秘書逮捕(11月)
01年 KSD事件で村上元自民党参院議員会長逮捕(3月)。公明党にも機関紙広告料として資金流れる。郵政ぐるみ選挙で高祖憲治参騰議員辞職(9月)
02年 「北方支援事業」を食い物にした鈴木宗男議員から公明党議員に「ムネオ・マネー」流れる。口利き疑惑で加藤元自民党幹事長が議員辞職(4月)。志位和夫委員長が官房機密費の使途を記した会計文書を公表(4月)。鈴木衆院議員逮捕(6月)。大島理森農水相の秘書官解任。公共事業口利き疑惑(10月)





公明党―与党でいるのはなぜ

(『朝日新聞ニュース速報』H15.7.3抜粋・編集)

◆(国連平和維持軍に自衛隊を参加させることについて)憲法の精神に反する(H3冬柴)
→その彼が、いまや自衛隊派遣の旗を振る。

◆自民党と枠組みを作り、多数決で押し切るような政治は考えていません(H10神埼代表)
→野党にとどまるのか、自民党との連立に踏み切るのかで揺れていた頃
変↓節

◆暴力団員との関係を認めた保守新党の松浪健四郎衆院議員が居座っても、知らん顔だ。

◆自民党が政治献金の公開基準の引き上げを提案すると、最初は渋ったものの、結局受け入れた。

イラク戦争を支持し、今回の法案(※イラクの米軍の後方支援に自衛隊を送るための法案)に大した異論もなく賛成に回ることになった。
→もともと公明党や支持母体の創価学会には、イラク戦争の正当性を疑問視する声が多かった。「新たな安保理決議なしの攻撃は国連中心主義に反する」「米国に抗議文を送るべきだ」。国会議員の集会ではそんな声があがった。 それを抑え、戦争の支持へとかじを切ったのは神崎氏と冬柴幹事長だった。与党の結束が大事だ。反対すれば日米同盟にひびが入る。そう言って党内を説得した。

「平和」は、64年の旧公明党の結成当時、「清潔」「福祉」と並ぶ金看板だった。もう昔のことということなのだろうか。
・まさか、党の理念はそっちのけで、政権与党でいることが何より大事というのではないでしょうね。最近の公明党を見ていて、そんな思いに駆られる。
・その公明党が自民党と歩調を合わせて、イラクの米軍の後方支援に自衛隊を送るための法案を成立させようと躍起だ。
・公明党抜きでは、与党は参院で過半数に達しない。政府や自民党の誤りをチェックできる位置にいる。「与党にあって、政府や自民党の暴走に歯止めをかける」。党の幹部たちはそう言ってきた。確かに、政治家個人への企業献金の禁止やあっせん利得処罰法の成立は、公明党が連立離脱をちらつかせて自民党を動かした結果だ。国家主義の復活につながるとして、教育基本法の改正に抵抗してもいる。それでも、公明党らしさの後退はおおうべくもない。先の統一地方選挙で、公明党は2千人余りの議員候補全員を当選させた。参院選や総選挙の準備も着々と進める。だが、党勢を強めることを通じて何を実現したいのかがよく見えない。与党として自民党とともに政策の決定にかかわり、党の支持者たちに恩恵を与えることで党の組織を維持する。もし、それが与党でいたい1番の理由なら、公明党自身が批判してきた自民党の利益誘導体質とさして変わらないことになってしまう。[2003-07-03-00:41]





与党か学会か、米のイラク攻撃支持で公明板挟み

(『讀賣新聞』H15.2.17抜粋)

米国のイラク攻撃の可能性が高まる中、公明党が厳しい決断を迫られている。冬柴幹事長らが「米国支持」の政府方針に同調する方針なのに対し、党内や支持団体の創価学会内は慎重論が大勢だからだ。与党入りから3年4か月。内外の世論を2分するイラク問題で、公明党の対応が問われている。

<綱引き>
 冬柴幹事長は16日のテレビ番組に出演し、イラク攻撃の是非で米国と対立する仏独両国などを「米国がイラクにかけている圧力を抜く利敵行為で、解決を先延ばしにする」と批判した。そのうえで、「(イラクのフセイン政権は)ここまで(国連安保理決議に)違反してきたのだから、世界中が(打倒に)賛成する」とイラク攻撃に理解を示した。こうした発言は、米国支持の政府方針を認めるための「環境整備」と見られる。
 だが、党の外交・安保部会では「戦争には反対だ」(沢たまき参院議員)、「新たな国連決議があっても、攻撃は認められない」(若手議員)といった意見が根強い。先月の幹部会合でも「イラクが一方的に悪い」と指摘した冬柴氏に、「武力攻撃だと市民が巻き込まれる。宗教団体である支持団体は耐えられるのか」との反論が出たという。
 安全保障問題の論客である市川雄一常任顧問は今月上旬、神崎代表に「イラク攻撃を『イヤ』と言えば、政権離脱という話になりかねない。支持者向けの話ばかりしていると、党の方がもたなくなる」と強調した。
 執行部も一体とは言えない。情勢を見極めようとする神崎代表をはさみ、政府方針支持の現実路線を唱える冬柴氏らと、武力行使慎重論の浜四津敏子代表代行らが綱引きを続けている。

<振幅>
 安保政策をめぐる公明党の対応は、他の与党からは「ぶれが大きく、分かりにくい」(自民党幹部)と見られている。
 昨年12月、テロ対策特別措置法に基づく海上自衛隊のイージス艦派遣に公明党は反対したが、派遣撤回までは迫らず、事実上、黙認した。2001年、国連平和維持活動(PKO)協力法改正の与党協議で、公明党は慎重姿勢だった自衛隊の武器使用基準緩和を突然容認し、自民党を驚かせた。
 公明党議員の多くは、支持団体の創価学会について「反戦・平和志向が強く、武力行使にまで踏み込んだ安保政策には同調しない」と考えており、一方で与党の一員としては現実的な対応を求められている。安保政策がぶれる原因も、このあたりにありそうだ。
 創価学会の指導者、池田大作名誉会長は先月26日、テロや大量破壊兵器問題などに関する提言を発表。「軍事力を全否定することは(略)、政治の場でのオプション(選択肢)としては、必ずしも現実的とは言えない」としつつも、「超大国(米国)の自制を切に望むのは、決して私1人ではないと思う」との見解を示した。
 党内には「平和的解決への努力でどうしても打開できない時は、武力行使もやむを得ないということだ」(中堅議員)とする見方や、「創価学会は米国にも多くの会員がいる」として米国向けのメッセージとする向きもある。だが、創価学会側は「我々が武力行使を容認したことはない。公明党には与党としての現実的な判断があるだろうが、我々が納得できる説明をして欲しい」(幹部)としている。
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<公明党、コロコロ変わる二枚舌>
常任理事国で1、2ヵ国が反対する状態で武力行使した場合、日本は容認するだろうが、公明党は賛成できない(冬柴幹事長『日経新聞』H15.2.4/『しんぶん赤旗』H15.3.14)
変↓節

◆公明党の北側一雄政調会長は同じ番組(※2日のNHK報道番組)で、「国際社会が一致結束できるようにすることが極めて大事だ。そのあとのことを議論する状況ではない」と述べるにとどめた。同党はこれまで「新たな決議なしでは反対する」(冬柴鉄三幹事長)との立場だったが、与党内の足並みをそろえることを優先したものとみられる。(『朝日新聞ニュース速報』H15.3.2)

◆公明党の冬柴鉄三幹事長は(中略)査察継続に疑問を呈した。(時事通信社030308)

◆公明党は10日、国連安全保障理事会による武力行使容認決議が採択されないまま、米国がイラク攻撃をした場合でも攻撃を容認する方針を固め、党内調整に入った。米国支持を決めている政府方針に合わせざるを得ないとの判断からだ。(『読売新聞ニュース速報』H15.3.11)
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※自民党幹部が「ぶれが大きく、分かりにくい」というように、表向きは「反戦・平和」を主張し、自衛隊の海外活動に消極的言動をとりつつも、要所々々では、自民党にしっかり同調している。このような、公明党の一貫性のない言動は、池田が「軍事力を全否定することは(略)、政治の場でのオプション(選択肢)としては、必ずしも現実的とは言えない」(1月26日の提言『YOMIURI ONLINE』H15.2.17)と発言しているように、池田自身の意志の表れでもあろう。
 ヒラ議員の主張が一般の学会員や学会の表向きの主張に沿ったものであるのに対し、公明党首脳の言動が自民党寄りであるのは、どういうことか。学会首脳と太いパイプで繋がれ、その進退の一切を事実上池田に掌握されている公明党首脳が、学会中枢の意向を無視して行動することなどありえない。つまり、公明党の、自民党と学会の間で板挟みとなっているかのような「蛇行走向」は、池田自身の心の反映であり、「平和主義」の旗印で会員を引き付けて来た池田が、如何に会員を欺きつつ真の目的=権力欲の充足を実現するかという、苦悩の表れだといえよう。
 権力に近づくことは、広布が進展しているという幻想を会員に抱かせるという利点があるとともに、自分が『身延相承書』でいうところの「国主」とならんとの狂った思惑を達成する方途ともなる。
 このようにみてみれば、公明党の「変節」体質は、「与党か学会か」という板挟みではなく、池田自身の「本音(権力欲)か建前(平和主義)か」という板挟みによるものである、といえる。(法蔵)
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◆「与党になって最大の風圧がイラク問題だ」。
開戦直後の3月21日、党の支持母体である創価学会の佐藤浩青年部長は東京・信濃町の学会本部で、地方組織の危機感をあらわにした。(省略)しかし、現場の声は厳しい。2月上旬の学会本部。秋谷栄之助会長ら執行部と地方幹部の方面長がそろった席に、神崎武法、北側政調会長が招かれた。イラク問題を巡り、方面長から連立重視に傾きがちな党の姿勢に批判的な声が相次いだ。党所属国会議員も「支持者から『なぜ戦争反対といわないのか』とのメールが大量に来る」と頭を抱える。
→「創価学会=公明党=池田名誉会長の支配」の構図が全く違うことを証明してくれていますね。もし仮に、公明党が学会に支配されているならばこんな問題はでてきませんよね?これは創価学会と公明党が別組織であり支援団体として公明党の動きをしっかり監視していることを証明していますね。(yh:28290)
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学会の支援がなければ、公明党議員は1人として当選できないはず。もし、学会が本気でイラク戦争に反対であるならば、選挙での公明党支持辞退を表明するだけで、公明党は慌てて政権離脱をしてでも、イラク戦争に反対しただろう。つまり、学会が公明党に対して「苦言」「批判」を呈したのは、会員向けポーズ=「ガス抜き」に過ぎない。「支持者から『なぜ戦争反対といわないのか』とのメールが大量に来る」とあるように、多くの会員はイラク戦争に批判的なのだ。その会員の意向と学会首脳(とくに池田大作)の意向が反するからこそ、公明党には池田の意向どおりの行動をさせる一方で、会員の意向を汲む形で、学会首脳に公明党批判をさせたのである。こんなことは、誰にも分かることである。分からないのは洗脳された池田教徒くらいのものです。

理想は理想、現実は現実などといって、その場その場を、ごまかしているのが現代ではないだろうか。この2つを、まるで別物のように扱って、諦めているのは、現代の精神の薄弱さを意味している。(中略)理想を現実化し、現実を理想に近づけていく力、この力こそ日蓮大聖人の大生命哲学です。(戸田城聖/『人間革命』第3巻「漣」)
→「現代」を「創価学会・公明党」に置き換えても十分意味は通じる(笑)。今の学会・公明党は、一体の関係(学会が主・公明党が従)にありながら、理想的立場は学会が担当し、現実的(妥協的)立場は公明党が担当している。学会の「平和外交」は口先だけの理想論か、手を汚さない金銭援助が中心。公明党は権力に迎合し、学会の説く理想を現実化しようという意欲も行動もない。理想は売名、会員向けポーズのために、現実は権力欲の充足のために、それぞれ使い分けてる。学会・公明党は池田の手先という意味で一体であるが、池田自身が理想(平和)と現実(世俗=権力)の間で右顧左眄しているために、公明党=権力迎合、学会=現実逃避の理想論、という「政教分離」が進行している。これは、公明党の政界進出が、仏法の理念の実現という当初の目的とはまったくかけはなれた状況におかれているということ、言い換えれば、いくら学会が大きくなり公明党が大きくなっても、世の中は良くならないということです。





政党政治の自殺

(平沢勝栄=衆議院議員『諸君!』H15.2抜粋)

<政党政治の自殺行為>
・公明党との連立を組んで以来、さまざまな政策面でのギプ・アンド・テイクが行なわれてきました。
 例えば平成11年に、総額約7000億円をかけて地域振興券(関連記事参照)が配られました。
・本来の考え方とは相容れない法案を自民党はなぜ通したのか。それは通信傍受法案を可決させるためでした。要するに地域振興券と通信傍受法をバーターしたのです。通信傍受法は野党からの反対が強く、政府が提出してから1年あまり店晒しになっていました。当初、公明党は共産党に次いで反発しており、創価学会の機関紙「聖教新聞」が、「盗聴法は平成の治安維持法」だとして厳しく批判していたほどです。その公明党が連立与党の話し合いの中で、賛成派に回ったのです。 ・政策バーターは通信傍受潅だけにとどまりません。空中給油機配備のために児童手当を拡充し、斡旋利得処罰法案の適用対象から秘書を外す骨抜き案に同調してもらうかわりに子育て支援策を通すなど、さまざまな形でバーターが行なわれているのです。2003年度の税制改正でも、公明党が配偶者特別控除の廃止に難色を示したため、見返りとして児童手当の拡充が決められました。明らかに選拳向けのバラマキ政策です。

<公明党という「呪縛」>
 テロ対策特別措置法が2001年に成立した時も、国会承認をめぐって民主党案をべースに修正協議が進められていましたが、存在感を失うことに危機感を抱いた公明党の働きかけで、最後は公明党案の事後承認で法案が通りました。また同法に基づく米軍支援のためにイージス艦の派遣が2002年の12月にやっと決定しましたが、ここまで判断が遅れたのは与党内で公明党が強硬に反対していたからです。結果的には与党間での調整がつかず、政府の判断となりましたが、それでも神崎武法代表は「公明としては反対だ」と表明していました。
 平和路線を標榜する公明党として、集団的自衛権の行使につながるおそれのあるイージス艦の派遣には応じられないというのですが、護衛艦はOKでイージス艦はダメという論理は通じません。イージス艦も、従来艦に比べて極めて高性能ですが、護衛艦でしかないのです。
 公明党は一貫してイージス艦派遣に反対しているように見えますが、小泉首相に派遣の断念を強く迫ったわけではなく、いわば"黙認"したのです。いままでの経緯から考えると、イージス艦派遣を認めるかわりに公明党が何らかの反対給付を要求してくる可能性がないとはいえません。公明党としては、イージス艦派遣を黙認したのだから、そのかわりに要求をのめ、と言えるのです。これから予算編成が始まりますから、そこで従来みられたような「バラマキ行政」的なものを言ってくるかもしれません。あるいは選挙区の候補者調整で何か言ってくるかもしれません。